旧車の魅力

トヨタ 100系チェイサーの魅力に迫る! レースでも証明したスポーティモデルとしての実力も紹介
旧車の魅力 2024.07.24

トヨタ 100系チェイサーの魅力に迫る! レースでも証明したスポーティモデルとしての実力も紹介

販売終了から20年以上が経過しているにも関わらず、現在でもプロドリフト競技でも活躍するJZX100 チェイサー。いわゆる100系チェイサーと呼ばれるこのモデルは、スポーツグレードのツアラーVを筆頭に、スポーツ性能の高さにより人気を集めました。 本記事では、ツアラーVを中心に100系チェイサーの特徴と魅力を紹介します。 フルモデルチェンジでマークⅡと人気を二分した100系チェイサー マークⅡ3兄弟と呼ばれるように、90系までのシリーズの中心はマークⅡでした。チェイサーは、3兄弟のなかでもっとも人気が低かったといわれていますが、100系では、マークⅡと人気を二分するほどの存在感を放ちました。 マークⅡやクレスタとは違う性格をもたせて成功した、チェイサーの開発背景について振り返ってみましょう。 チェイサー最後のモデルはスポーティーさを意識して開発された チェイサーは1996年に100系へとフルモデルチェンジし、明確なスポーティーモデルに進化しました。また、マークⅡの次モデルでは3兄弟体制が解体されて発売されなかったため、結果的に100系がチェイサー最後のモデルになりました。 マークⅡやクレスタとのもっとも大きな違いは、前後のオーバーハングが切り詰められている点です。オーバーハングが長く安心感を与える2台に対して、運転のしやすさや俊敏性につながる設計にしたことでスポーティモデルという位置づけを明確にしています。 また、BMW E36型3シリーズに似ているといわれる4灯ヘッドライトの形状やリアスポイラーなどが取り付けられた端正な見た目も、100系チェイサーを象徴するポイントです。 上級モデルという車格にふさわしい装備 高級サルーンとしての充実した装備も、100系のマークⅡ3兄弟の魅力です。100系が登場したのは「セダン・イノベーション」を掲げてトヨタがセダンの充実に取り組んでいた時期で、従来よりも装備が豪華になっていました。 エアコンのルーバーが自動で左右に動くオートスイング機構や、自発光するオプティトロンメーターといった上位モデルの装備までも盛り込まれていました。さらに、トヨタ車初となるディスチャージヘッドライト(HID)やシリーズで初めて衝突安全ボディ「GOA」を採用するなど、先進性も高められています。 100系チェイサーの性格がもっとも色濃く反映されたツアラーV 数あるチェイサーのグレードのなかで、「ツアラーV」がスポーティさをもっとも反映したモデルです。名機と呼ばれる1JZ-GTEエンジンを搭載し、レースでも輝かしい実績を残しました。 ここでは、100系チェイサーを代表するグレード、ツアラーVの魅力を掘り下げます。 90系から性能アップを遂げた1JZ-GTE 100系チェイサーのエンジンは、先代90系に引き続き1JZ-GTEでした。しかし、型式こそ同様ですが、100系に搭載されたエンジンは大幅な進化を遂げています。 最高出力は自主規制いっぱいの280psのままですが、ツインターボからシングルタービンに変更したことで最大トルクを37.0kgmから38.5kgmにまで向上させました。さらに、シリンダーヘッドにはVVT-iと呼ばれる可変バルブタイミング機構を搭載。全回転域で連続して吸気バルブのオーバーラップ量を変化させることで、出力特性と燃費性能の向上が図られています。 セダンなのにLSDまで装備 チェイサー ツアラーVには、トルセン型LSDまで装備されていました。(AT車はメーカーオプション)LSDとは、ディファレンシャルギアの差動を制御する装置です。 ディファレンシャルギアはコーナリングで生じる内輪と外輪の回転差を吸収できる一方、吸収した回転差分のトルクは失われてしまいます。常にクルマを前に進めたいスポーツ走行において、トルクのロスが発生するのは致命的です。そこで、LSDでディファレンシャルギアの動作を抑えることで、トルクロスを低減させます。 一方、ディファレンシャルギアの働きを抑制するため、通常走行時の回頭性や乗り心地が犠牲になってしまう点がLSDのデメリットです。乗り心地を重視する高級セダンなのにLSDが装備されている点からも、チェイサー ツアラーVがいかに運動性能を重視していたのかがわかります。 ドリフトだけでなくレースでも示した高いポテンシャル 100系チェイサーに対して、ドリフト車というイメージを持つ方も少なくありません。事実、多くのドリフトユーザーから愛されて、現在でも競技で使用されています。最近では、フォーミュラドリフトジャパン2023で、チームオレンジのKANTA選手(柳杭田貫太選手)がチャンピオンの座に輝きました。 一方で、短期間しか参戦していないためにあまり語られませんが、レーシングカーとしても高い実力をもつモデルです。1997年からわずか2年間しか参戦していないものの、JTCC最終年の1998年にチャンピオンを獲得しています。1997年シーズンの最終戦、インターTECでは、つちやエンジニアリングのチェイサーのステアリングを、土屋圭市氏がステアリングを握りました。 人気モデルだけに中古車購入時には注意が必要 100系チェイサーは、販売台数が多かったため中古車で比較的入手しやすいモデルです。特にツアラーVはセダンにも関わらず販売台数の3割がMTともいわれていて、ドリフトをはじめとするスポーツ走行目的で購入する方も少なくありません。 しかし、ツアラーVを中心にドリフト競技で酷使された個体も少なくないため、中古車を購入する際は注意が必要です。特にMT車を選ぶ方は、クルマの状態を細かく確認してください。AT車であれば比較的状態のいい個体も残っているため、あえてAT車を選ぶというのも選択肢の1つです。 100系チェイサーは、スポーティセダンという3兄弟のなかで明確な立ち位置を確立しました。チェイサー最終モデルということも相まって、今後も高い人気を保ち続けるでしょう。

トヨタ AE92 レビン/トレノは高い実力を秘めた名車だった! 商業的にも成功した時代背景も含めて振り返る
旧車の魅力 2024.07.19

トヨタ AE92 レビン/トレノは高い実力を秘めた名車だった! 商業的にも成功した時代背景も含めて振り返る

5ナンバーサイズながら、ワイド&ローなスタイリングに迫力を感じるトヨタ AE92 レビン/トレノ。FFへのレイアウト変更、シリーズ初の過給機エンジン採用など大幅な刷新が図られたモデルです。 多くの若者の心を掴んだAE92の誕生背景と、魅力的な性能をたっぷりと紹介します。 大転換を図ったカローラ レビン/トレノ AE86の成功で地位を確立したレビン/トレノでしたが、AE92へのフルモデルチェンジで歴史的な大転換を図ります。また、「デートカーブーム」を追い風に、スポーツカー好き以外のファン層を切り開きました。 当時の時代背景とともにAE92が誕生した経緯について振り返ってみましょう。 プラットフォームを現代的なFFに刷新 AE92は、5代目レビン/トレノとして1987年に登場しました。最大の変更点は、駆動方式にレビン/トレノ史上で初めてFFが採用された点です。また、3ドアハッチバックが廃止され、ボディタイプは2ドアクーペのみに統一されました。一方で、レビンが固定式角目、トレノがリトラクタブルというヘッドライトの形状は踏襲されています。 スタンダードモデルのエンジンはAE86の4A-GEU型を横置きに搭載し、型式を「4A-GE」と改めました。1.6Lの直列4気筒DOHCエンジンで、最高出力120ps、最大トルク14.5kgを発揮します。また、先代と同様に、1.5Lの廉価版モデルもラインナップされました。型式はAE91で、キャブ仕様の5A-F型とインジェクション仕様の5A-FE型の2種のエンジンが用意されています。 若者のデートカーとして定着 AE92が登場した1980年代後半は、バブル景気を背景に若者の間でデートカーブームが巻き起こっていた時期です。日産 シルビア、ホンダ プレリュードといったスポーティでスタイリッシュなクルマが人気を博します。なかでも、トヨタ 2代目ソアラは、デートカーの代表格として憧れの的になっていました。 クーペタイプに統一されたAE92はソアラを小型化したかのようなスタイリングだったことから、「ミニソアラ」とも呼ばれました。新車時の販売価格が100万円台前半だったAE92は、高額なソアラに手の届かなかった若者の心を掴んだのです。 AE92になって大幅に進化したポイント 駆動方式がFRからFFに変更されたことで、落胆の声を上げるピュアスポーツファンも存在しました。しかし、AE92がテンロクスポーツを牽引するモデルだったことに間違いありません。 続いて、AE92になって進化したエンジン性能、レースでの活躍を紹介します。 最上位グレードのGT-Zはクラス最高峰 最上位グレードのGT-Zには、名機4A-G型エンジンにスーパーチャージャーを搭載した4A-GZE型エンジンが搭載されています。大幅に最高出力が引き上げられ、前期モデルでは145ps、後期型では165psにも達しました。ホンダの誇るVTECを搭載したB16A型エンジンの160ps(当時)を超え、クラス最高峰のパワーを実現しました。 また、足回りの設計も最上位グレードにふさわしく、GT-Z専用設計になっていました。前後のワイドトレッド化やリアアームの延長、ピロボールブッシュの採用など直進安定性を高める工夫が随所に施されています。また、外装面でも、ホイールアーチにモールが追加され、他グレードとの差別化が図られました。 マイナーチェンジで大幅な進化 AE92は、登場から2年後の1989年にマイナーチェンジを行いました。バンパーやグリルといったデザイン面での変更が目立ちますが、最大の違いはエンジン性能です。 実は、AE92登場当時の4A-GE型エンジンは、AE86の130psから120psに出力が絞られていました。しかし、マイナーチェンジによってハイオク仕様になり、最高主力140ps、最大トルク15.0kgmにまで引き上げられています。同型の自然吸気エンジンで、登場時から20ps、AE86最終型から考えても10psも最高出力を引き上げているのは驚異的です。 グループAでのシビックとの死闘と活躍 AE92は、AE86に続いてグループAでのレースに参戦しました。最小排気量クラスはVTECを備えたEF型シビックの独壇場で、事実1987年から1993年までの7年連続でメーカーズタイトルをホンダが獲得しています。 AE92は1988年シーズンの2戦目から投入されましたが、当初はシビックに阻まれて思うような成績は残せませんでした。しかし、富士スピードウェイで開催された最終戦のインターTECで、ついにシビックを打ち破ります。トムスの走らせる「ミノルタカローラレビン」が、クラストップ、総合5位という成績を収めました。 続く1989年も全体としてシビックの優位は変わらなかったものの、つちやエンジニアリングの「ADVANカローラ」が2勝と2度の表彰台を獲得してドライバーズタイトルの座に輝きます。さらに、1990年にもドライバーズタイトルを獲得して2連覇を達成。シビック優勢のなかでのまさに死闘と呼べる戦いでしたが、AE92は確実にその実力を証明しました。 レビトレ史上最も売れたAE92 FRスポーツだったことと、ドリフトドライバーや漫画の影響などからAE86が異常な人気だったため、今振り返るとAE92はやや地味な印象を受けます。しかし、実はAE92は、レビン/トレノ史上で最も売れたモデルです。 バブル景気やデートカーブームといった時代背景の影響もありましたが、クルマとしての高い実力が備わっていたからこその成功でしょう。AE92へのフルモデルチェンジでは、スーパーチャージャーやハイオク仕様による大幅な出力性能の向上、格上のソアラのようなスポーティでスタイリッシュなエクステリアデザインといった点など、しっかりと作り込まれました。マイナー車種と思われがちなAE92ですが、改めてその価値を見直したいところです。

なんと発売から17年! デリカD:5が長きにわたり愛される理由とは?
旧車の魅力 2024.07.19

なんと発売から17年! デリカD:5が長きにわたり愛される理由とは?

三菱を代表する車種といえば何を思い浮かべるでしょうか。パジェロやランサーエボリューションという人もいるでしょう。しかし両車種とも現在は販売終了しています。今の三菱を代表する車種といえばデリカD:5ではないでしょうか。 驚くべきことに、発売から17年経った今でも好調な販売をキープしています。途中何度も改良を加えつつも、17年という長きに渡って愛されてきた理由は何だったんでしょうか。その理由を紐解いていきます。 デリカD:5の歴史 デリカD:5は2007年にデリカシリーズの5代目としてデビューしました。D:5がこれまでのデリカシリーズと大きく異なる点は、パジェロベースからD:5専用設計となったことです。専用設計となったことである程度のオフロード性能は保ちつつ、大部分を占めるであろう市街地走行での快適性が大幅に向上しました。 さらに2013年には、新たにクリーンディーゼルを投入したことで燃費やトルクも向上し、結果として商品力にも磨きがかかりました。実際、追加後は過半数以上の人がより高価なディーゼルを購入していることからもその人気がうかがえます。 そしてその後も堅調に販売を続け、2018年には主にフロントフェイスなど大幅な改良を施したビッグマイナーチェンジ版が発売されました。外見が大きく変わっただけでなくディーゼルエンジンがより改良されたものになったりと機関面でも様々な変更点があることも特徴です。 クリーンディーゼルのメリットとデメリット 従来の排気ガスがもくもくと出るディーゼルエンジンとは違い、排気ガスが綺麗なことがD:5に搭載されたクリーンディーゼルの利点です。そして生まれ変わったディーゼルエンジンを積んだD:5では、環境面に優れているだけでなく、販売面からみても主力エンジンになりました。 そこで、もはやD:5のメインエンジンとなったディーゼルモデルについて詳しくみていきます。 メリット メリットの一つ目はガソリン車と比べて、燃費やパワーが優れていることです。もちろんガソリン車との価格差はありますし、燃料代だけでそれをペイすることは厳しいでしょう。しかし、発進時から大トルクによる余裕の加速力を感じられ、ロングドライブ時も低い回転数で快適に巡行できます。また7~8人乗車や荷物が満載といったD:5ならではの場面でも、パワー不足を感じることもないでしょう。 そして、売却時もガソリン車よりも大幅に高いリセールバリューが期待できます。燃費の差と買取金額の差を足せば、ガソリン車との車体価格差も大きく縮むかもしれません。 デメリット デメリットのひとつめはやはりガソリン車と比べ価格が高いことでしょう。中古車で買うとなると約30万円以上の価格差があります。もちろん多少燃費や売却時の価格も優れていますが、そうは言っても最初に払う金額が多いのは確かです。 また、ビッグマイナーチェンジ後の車両は排ガスを綺麗にするためにアドブルーという水溶液を補給する必要があります。これはエンジンオイルとは全く別ものであり、かつタンクが空になってしまうとエンジンの再始動ができなくなります。補給するタイミングは大体1万キロごととなりますが、一回で約5,000円ほど費用もかかります。 数あるミニバンの中からデリカD:5を選ぶ理由 デリカD:5の個性といえば、家族も荷物もみんなで乗れるミニバンでありながらオフロードや雪道も難なく走れる四駆性能をもっていることに尽きるでしょう。これは他メーカーにはない、デリカD:5だけの唯一無二の個性です。 車においての個性は、ある意味そのままセールスポイントになる場合があります。デリカD:5はその最たる例といえるでしょう。例えば、家族でスキーなどのアウトドアに行っても、または昨今多く発生している異常気象の中でも、優れた四駆性能をもつデリカなら安心です。もちろん基本はミニバンなのでユーティリティも兼ね備えています。 昔ディーラーのセールスマンにこんなことを聞いたことがあります。それは「デリカを一度買うと、デリカを乗り継ぐ人が多い」という話でした。実際、豊富なカスタムパーツやデリカの専門店があることからも人気の高さが分かります。 デリカシリーズはこのようにファンが多いことも特徴です。一度乗ってみると、その魅力に気づき、虜になるかもしれません。 デリカD:5を売るなら旧車王に査定を依頼する デリカD:5を高価で売却したい場合は旧車王がおすすめです。デリカD:5に精通した専門スタッフは特徴及びセールスポイントを正確に把握しています。そのため17年以上経過した初期型などの、一般買取店では評価が難しい状態でも高額査定を実現します。 ディーラーでの下取り金額では不満な方、一括査定の鳴り止まない電話にうんざりの方などは、高価査定の旧車王にぜひともお任せください。 [ライター/旧車王編集部]

トヨタ スポーツ800「ヨタハチ」は究極の大衆スポーツカー!? 脅威の燃費性能も実現した開発背景に迫る
旧車の魅力 2024.07.18

トヨタ スポーツ800「ヨタハチ」は究極の大衆スポーツカー!? 脅威の燃費性能も実現した開発背景に迫る

ロングノーズ、ショートデッキにまとめられた個性的なスタイリングが魅力のトヨタ スポーツ800。「ヨタハチ」という通称までつけられるほど、多くのファンから愛されたモデルです。 スポーツカーを大衆の身近な存在にしたスポーツ800の、開発時の様子と魅力について詳しく紹介します。 コンセプトカーを見事に実車化したトヨタ スポーツ800 スポーツ800は、2シーターオープンスポーツという独特のスタイリングと大衆が手の届く価格を両立したモデルです。当初販売予定はなかったものの、コンセプトカーの反響が大きかったことが量産化につながりました。 大衆車であるパブリカをベースにしながらも、性能にこだわって設計されたスポーツ800の誕生背景を振り返りましょう。 大衆の手の届くスポーツカー スポーツ800は、高度経済成長期真っ只中の1965年に登場しました。「スポーツカーを大衆の手に」というコンセプトのもと、豊かになってきた若年層でも手の届く価格で発売されます。 安価に製造できた最大の理由は、大ヒットを記録したパブリカのコンポーネンツを多用したことです。ボアアップによって100ccほど拡大したものの、エンジンもパブリカのものを流用していました。 一方で、モノコックボディは専用設計され、外観からはパブリカの雰囲気を感じません。スポーツカーらしい個性的なデザインを実現しつつも、価格はわずか59万2,000万円に抑えられました。 スポーツカーとしての性能を追求 スポーツ800は、多くの部品をパブリカと共用した一方で、数々の専用パーツによってスポーツカーとしての性能がとことん追求されました。パブリカと同型で非力といわれたエンジンも、可能な限りのチューニングが施されています。 ボアを5mm拡大して排気量が697ccから790ccに向上し、ベンチュリーを拡大したキャブレターが2気筒それぞれに装備されるツインキャブレター仕様でした。また、クランクシャフト周りを強化して、圧縮比も8.0から9.0へと高められています。 さらに、スポーツカーとして重要な空力性能は、風洞実験を重ねて入念に研究開発されました。前面投影面積はポルシェ904とほぼ同等の1.33平方メートルを実現し、空気抵抗を示すCd値は0.30を上回る数値になっています。航空機の空力理論を徹底的に応用し、空気抵抗を限界まで抑えました。 話題を呼んだコンセプトカーを量産化 スポーツ800のもととなったのは、1962年の「第9回 全日本自動車ショウ」で公開されたパブリカスポーツです。乗降用のドアはなく、軽飛行機を思わせるキャノピーをスライドさせる機構は、多くの注目を集めました。発表当時はパブリカのイメージアップを図るためのショーモデルでしたが、高い注目度とスポーツカー人気を背景にトヨタは実車化に踏み切ります。 スライド式のキャノピーこそ実現しませんでしたが、有名なポルシェ911のタルガトップよりも1年半も早く着脱式のルーフを実装することでイメージを踏襲しました。さらに、ロングノーズと先端の丸目ヘッドライトといった、ボディデザイン全体はパブリカスポーツのスタイリングを見事に再現しています。 徹底した軽量化がレースでの結果にもつながった スポーツ800は、空力性能やデザインだけでなく、車重という点でもスポーツカーとしての性能を追求したモデルでした。徹底的ともいえる軽量化は、弱点の補強だけでなく燃費性能の向上にも寄与します。 レースで優勝という結果にもつながった、スポーツ800の軽量化について詳しくみていきましょう。 弱点を補った軽量化で高い運動性能を実現 スポーツ800はパブリカのエンジンを流用していたため、チューニングを施したものの非力さは否めませんでした。そこで、外装パーツを中心に、徹底的な軽量化が図られます。 ボンネット、ルーフ、トランクリッド、バンパー、シートパンなど細部に渡って、可能な限りアルミ合金が使用されています。さらに、リアウィンドウにアクリルパネルを使用するという徹底ぶりで、0-400m加速18.4秒を実現しました。市販車ながら、車重はわずか580kgに抑えられています。 また、軽量化は燃費面でも有利に働き、車体価格のみならず維持費の面でも庶民的な性能を実現しました。うまく走行をすると、市街地では18km/L、郊外では28km/Lにも達する燃費性能を発揮したようです。 ライバル車より非力ながらノーピットストップで優勝 優れた空力性能と燃費性能によって、スポーツ800はレースで輝かしい成績を残します。1966年に日本で初めて開催された長距離レース、第1回鈴鹿500kmで見事にワンツーフィニッシュを遂げました。 プリンス スカイライン、トヨペット コロナ、いすゞ ベレットといった大排気量の高性能車が数多く出走するなか、スポーツ800が優勝できた要因はピットストップを行わなかったことです。ライバル車は1回以上の給油ピットストップを余儀なくされましたが、スポーツ800はノーピットストップで完走。前を走るロータス エランの故障によって終盤にトップに躍り出たことから、信頼性の高さもアピールしました。 歴史的価値と希少性の高さは今も評価され続けている スポーツ800の累計販売台数は、わずか3,131台ほどです。パブリカスポーツの注目度やスポーツ800の価格と性能を考えると販売台数が伸びなかったのは意外な印象ですが、1960年代に2シーターという特殊な用途のモデルだったことを考えると妥当だったのかも知れません。 一方で、旧車ファンやスポーツカーファンからは、今も高く評価されています。トヨタにとってもスポーツ800は重要な存在なようで、復活プロジェクトを立ち上げ「スポーツ800 GR CONCEPT」として1台限定でレストアされました。 半世紀以上前のクルマで販売台数も少なかったために、300万円以上もの高額な買取価格がつけられることもあります。希少性と歴史的価値の高いクルマだけに、現存するスポーツ800は大切に乗り継いでいきたいものです。

ホンダ EF9型グランドシビックがVTECの凄さを証明! ホットハッチの定番車種にまでのぼりつめた魅力に迫る
旧車の魅力 2024.06.25

ホンダ EF9型グランドシビックがVTECの凄さを証明! ホットハッチの定番車種にまでのぼりつめた魅力に迫る

国産ホットハッチといわれて、ホンダ シビックを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。今回紹介するEF9型シビックは、ハッチバックのみならずライトウェイトスポーツにおいての地位を確立するきっかけになったモデルです。高回転で響き渡る心地よいVTECサウンドと運動性能の高さが、多くのファンの心を掴みました。 シビックとして初のVTECを搭載した、EF9の歴史と魅力をたっぷりと紹介します。 国産ホットハッチ最強のEF9 グランドシビックの愛称で呼ばれるEF型シビックのうち、EF9は特に注目を集めたモデルです。可変バルブタイミング機構を同クラスでいち早く取り入れ、VTECの実力と名前を世間に知らしめました。 まずは、EF9の誕生やVTECの高いパフォーマンス、レースでの結果を振り返ってみましょう。 EF9はシビック初のVTEC搭載車種 1987年に4代目として登場したEF型は、半世紀以上続くシビックの歴史のなかでも特にエポックメイキングだったモデルです。モデルチェンジから2年後の1989年に、シビック初のVTECエンジンを搭載したEF9が追加されました。 VTECエンジンは、今やホンダの代名詞ともいえるハイパフォーマンスエンジンです。バルブタイミングとリフト量の可変機構によって、高回転での出力と力強い低中速域の加速を両立しています。VTECが初めて搭載されたのは2代目インテグラで、発売はEF9登場と同年の1989年です。つまり、ホンダはシビックへの搭載も強く意識して、VTECの開発を進めていたのではないでしょうか。 シビックの地位を一気に高めたVTEC EF9に搭載されたエンジンは、1.6L直列4気筒の名機B16A型です。可変バルブタイミング機構のVTECを備え、最高出力160ps、最大トルク15.5kg・mという、現在のスポーツモデルと比べても見劣りしない圧倒的なスペックを誇ります。わずか990kgの車重(SiR)ということもあって、まるでターボ車のような爆発的な加速力を体感できました。VTECを搭載したEF9によって、単なる大衆車だったシビックは国産最高峰ホットハッチとしての地位を確立したといえます。 VTECとは、給排気バルブの開閉タイミングとリフト量を変えることで、エンジン特性を劇的に変化させる可変バルブタイミング機構のことです。具体的には、バルブを動作させるカムを一定回転数以上で切り替えることで、チューニングエンジン並みのパフォーマンスを実現しています。他社の同クラスでもさまざまな可変バルブタイミング機構が採用されますが、いずれも1990年代以降だったこととVTECほど過激な挙動をするエンジンはありませんでした。 レースでの活躍によってさらに人気を集めた EF9は、市販車ベースのグループAで争われるJTC(全日本ツーリングカー選手権)に登場翌年の1990年から参戦します。当初はVTECを搭載していませんでしたが、信頼性が確立されるとすぐにVTECを投入。2位のトヨタを6ポイント差で退けて、参戦初年度からメーカータイトルを獲得しました。 2年目の1991年にもメーカータイトルを獲得し、2連覇を達成。さらに、同年にはドライバーズタイトルも獲得しました。速さと信頼性の高さを過酷なレースで証明したことも、EF9の人気が高まった理由です。 EF9に詰め込まれたホンダのこだわり 数あるホンダ車のなかでもっとも長く同一車名のまま販売され続けているシビックは、ホンダにとって特別なモデルです。とりわけ、今やシビックの代名詞ともいえるVTECを初めて搭載したEF9には、ホンダのこだわりが詰め込まれていました。 後のタイプRにもつながったといわれる、EF9のこだわりポイントを2つ紹介します。 EF9に設定された2つのグレードSiRとSiRⅡ EF9には、SiRとSiRⅡの2種類のグレードが設定されています。名称だけを見ると単純にSiRⅡのほうが後から登場した発展型という印象を受けますが、実はこの2グレードは同時に投入されました。 SiRⅡは最上位グレードらしく、パワーウィンドウや電動ミラー、電動サンルーフやABS(オプション扱い)といった豪華装備が備えられていました。一方のSiRは、パワーステアリングすらついていないという、最上位グレードとは思えないほどの簡素な仕様です。 しかし、実はこのSiRの存在こそがホンダのこだわりの現れで、競技車ベースとして設定されていました。SiR最大の特徴は車重の軽さで、1,050kgに達するSiRⅡの車重に対して、余計な装備を極限まで削り落とした結果わずか990kgに抑えられています。ホンダが誇るVTECエンジンの実力を最大限に感じてほしいという、開発側の意図が込められているのでしょう。 タイプRにつながる系譜の源流 実は、EF9こそが、8年後に発売された初代シビック タイプRの基礎を作ったといわれています。エンジンはEF9に搭載されたB16A型の発展型で、ダブルウィッシュボーン方式という足回りもEF型へのモデルチェンジ時に採用されたものです。さらに、EF9の登場に合わせて、ボディワークにも変更が加えられています。 EF9のデザインでもっとも大きな変更点は、フロントバンパーやヘッドライトの形状だといわれています。しかし、ボンネット形状の変更こそが、EF9の特徴だといえるでしょう。従来は左右のフェンダーからつながるラインに対して、ボンネット中央部が凹んだ形状になっていました。しかし、EF9では、中央部のほうが盛り上がったデザインに変更されています。エンジンヘッドの大きい、B16A型エンジンを搭載するためだったといわれています。また、先代から続いていた、ボンネット左端のパワーバルジも廃止されました。 初のシビック タイプRの型式名も、EF9からの系譜であることを示唆しています。シビックで初めてタイプRが設定されたのは、6代目のEK型でした。EK型タイプRの型式はEK9、EF9と同様に「9」が割り振られています。EG型の最高グレードSiRⅡの型式がEG6だったことを考えると、EK9型タイプRはEF9の系譜を直接引き継ぐモデルだといえるのかも知れません。 混沌とした時代に明確な立ち位置を確立した名車 1990年代のライトウェイトスポーツの代表車種としてシビックが定着したのは、間違いなくEF9が大きな功績を残したためです。トヨタ レビン/トレノやMIVECエンジンが話題だった三菱 ミラージュといった強豪がひしめくなかにあって、圧倒的な実力差を見せつけました。後のEG6やEK4、そしてタイプRのEK9が成功したのは、EF9で実現したVTECの爆発的な加速力があったからこそでしょう。 EF9は、クルマの歴史的価値を認める旧車ファンのみならず、競技車輌を求めるモータースポーツ愛好者からも高く評価されています。設計の古さは否めませんが、軽い車重とシンプルなボディ構造から、チューニングベースとして最適なモデルです。ホンダVTECの元祖ともいえるEF9シビックの加速力を、機会があればぜひ一度味わってみてください。

GTの元祖は意外にもいすゞだった! 日本の自動車史に残るベレットGTが今なお人気の理由
旧車の魅力 2024.06.25

GTの元祖は意外にもいすゞだった! 日本の自動車史に残るベレットGTが今なお人気の理由

高いパフォーマンスとラグジュアリーさを兼ね備えた、最上級スポーティーカーにつけられている「GT」という名称。日本で初めて名前に「GT」を採用したメーカーは、意外にもいすゞでした。2ドアクーペとして開発された、ベレットGTです。 今回は、流麗なボディに最高の性能を備えていたベレットGTと最上位モデルのGTRについて紹介します。ベレットGTの魅力を紐解き、今もなお高い人気を誇る理由に迫ってみましょう。 GTの意味を体現していたベレットGT 現在ではトラックやバスといったイメージの強いいすゞですが、当時はレースにも参戦するなど高性能車の開発に力を注いでいました。 その流れを汲んで、いすゞはセダンタイプのベレットをベースに、2ドアクーペのベレットGTを発売。「GT」本来の意味を体現する、完成度の高いクルマでした。いすゞ ベレットGTの誕生背景とそもそも「GT」とはどういう意味なのか詳しく解説します。 東京オリンピックとともに登場したいすゞ ベレットGT いすゞベレットGTは、東京オリンピックが開催される1964年4月に登場。前年1963年に発売された、セダンタイプのベレットをベースに開発されました。首都高速が整備され、高い走行性能のクルマを求める機運のなか、ベレットGTは誕生します。 実はこの頃のいすゞは、ワークス体制でレースに参戦しており、ベレットGTにはレースで獲得したノウハウが惜しみなく注がれていました。 スポーツカーを中心に使われるGTの本当の意味 GTとは、イタリア語のGranTurismo(グランツーリスモ)の略称です。もともとは、大旅行を意味する「グランドツーリング」から派生した言葉で、長距離ドライブもこなせる高い性能とラグジュアリー感を備えたクルマを指します。 いすゞベレットGTも、ベースとなったセダンタイプのラグジュアリー感を活かしつつ、走行性能をとことん高めたモデルでした。 ペレットGTには「R」モデルも存在していた ベレットGTの発売から3年後の1969年、さらにパフォーマンスを高めたベレットGTRが誕生します。ベレットGTRは、レース車輌として活躍していたGTXをベースに、ロードカー仕様にチューンされ、極限まで走行性能を高めたモデルに仕上がりました。 なお、ベレットGTRは1970年に行ったマイナーチェンジの際に、ベレットGT typeRと名称を改めています。GTR、TypeRともに、現在では走行性能の高い国産車の象徴ともいえるグレード名です。どちらの名前も1960年代に使用していたいすゞは、先見の明があったのかもしれません。 GTの名にふさわしい走行性能を誇ったベレットGT ベレットGTは、GTの名前にふさわしく、ベース車輌のセダンタイプとは別のクルマといっていいほど充実した装備が盛り込まれていました。 さらに特別感を高めたGTRとともに、ベレットGTの装備を見ていきましょう。 走行性能を高めるために注ぎ込まれた先進技術 ベレットGTに搭載されたG160型1.6L水冷4気筒OHVエンジンは、最高出力88ps/rpm、最大トルク12.5kgm/4,200rpmを発揮。わずか940kgの車体を軽快にドライブしました。 さらにベレットGTには、当時の市販車としては最新とも呼べる技術によって、高い走行性能を実現します。サスペンションは4輪独立懸架、ステアリング機構はラック&ピニオン式、ディスクブレーキ(フロントのみ)、4速MTなど、名称だけであれば現在のクルマとほぼ遜色のない技術と装備が投入されました。 Rの名前は伊達じゃない ベレットGTRに搭載されたG161W型1.6L水冷直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力120ps/6,400rpm、最大トルク14.5kgm/5,000rpmを発生。GTRの名に恥じない最高峰の性能を誇っていました。 ベレットGTRはGTカーのラグジュアリーの側面を満たすべく、内外装でも特別感のある仕様になっています。 外装面では、ダクトの開いた専用ボンネットにリムにメッキを施したホイール(スチール製)、そしてフロントにはベレットGTRの象徴の大型フォグランプが備えられていました。さらに、マイナーチェンジ後のGT TypeRでは、スカイラインGT-Rを想起させるような「R」のエンブレムがボディサイドにあしらわれています。 内装は本革巻き3本スポークステアリング、木目シフトノブといった高級感のあるアイテムが特別装備されていました。一方、インパネには220km/hのスピードメーター、センターコンソールには水温系、電圧計、燃料計の3連メーターを備えるなどレーシーな雰囲気がいかにもGTRらしさを演出しています。さらに、シートはヘッドレスト一体型のバケットシートでした。 名前だけではなく日本の自動車史に残る性能を誇っていた ベレットGTとGTRが、登場から50年以上経った今も高い人気を保っている理由は、単に日本で初めて「GT」の名を冠したクルマだったからというわけではありません。レースからのフィードバックを、ロードカーに詰め込んだ高性能マシンだったからです。ちなみに、日本で初めて「発売」されたGTとなると、発売日の関係でスカイラインGTにその座を譲っています。 半世紀を超えるクルマだけに、中古車の売買は慎重に行いたいところです。仮に程度のいい車輌を探し出しても、維持するためにはメンテナンスは欠かせません。専門の知識をしっかりともった業者と取引をしましょう。

BMW E92型M3は伝統のシルキーシックスを捨てた?! シリーズ唯一のV8エンジン搭載モデルの魅力に迫る
旧車の魅力 2024.06.24

BMW E92型M3は伝統のシルキーシックスを捨てた?! シリーズ唯一のV8エンジン搭載モデルの魅力に迫る

初代登場から20年以上を経て4代目に達したBMW M3は、8,000回転オーバーという超高回転まで一気に吹け上がる自然吸気エンジンを搭載した魅力的なモデルです。伝統の直6エンジンではなく、シリーズ初のV8エンジンの官能的なサウンドに多くの人が魅了されました。 今回は、V8エンジン以外にも独自の進化を遂げた4代目M3のクーペモデル、E92型の魅力を紹介します。 独自性の高かった4代目M3 現在6代目まで進化したM3ですが、4代目のE92型は歴代モデルのなかでも独自色の強かったモデルです。唯一のV8エンジン、ベースモデルからの大幅な刷新と、チューニングを担当したBMW Mのこだわりが詰まっていました。 先代から7年ぶりの大幅な刷新をして登場した、E92型4代目M3の誕生を振り返ってみましょう。 V8エンジンの搭載で大幅刷新したM3 M3は、主力車種の3シリーズをベースに専用のチューニングを施したモデルです。レースへの参加条件(ホモロゲーション)取得のために、初代E30型が1985年に制作されました。E92型は、M3の4代目として2007年に登場します。3シリーズで初めてV8エンジンを搭載するなど、ボディからパワートレインに至るまで大幅刷新されました。 直6エンジン、いわゆるシルキーシックスを伝統としてきたM3だけに、E92型でのV8エンジン搭載は画期的なことです。最高出力は先代E46の346psに対して、420psにまで引き上げられています。伝統を途切れさせてでも性能を向上させたいという、BMWのこだわりの現れといえるでしょう。 ボディの大部分もM3専用に開発 M3の「M」とは、3シリーズにチューニングを施したBMWのレースやモータースポーツの研究開発部門「BMW M Motorsport GmbH」(通称BMW M)の名称が由来です。E92型 M3で進化したポイントは、初のV8エンジンだけではありません。BMW Mが培ってきたノウハウが、惜しげもなく注ぎ込まれました。 特にボディには、カーボン製のルーフ、エアアウトレットを配したアルミ製ボンネット、巨大なエアインテークを備えたフロントスカートなど、ベースの3シリーズと比較して実に80%もの新開発パーツが盛り込まれています。さらに、迫力のある4本出しマフラーや330km/hまで表示されるスピードメーターなど、Mモデルとしてのキャラクターを打ち出すことに余念がありません。 E92型がM3最後のクーペにして唯一のV8エンジン搭載車 4代目M3は、実は歴代M3のなかでもメモリアルな1台です。初のV8エンジン搭載で大きな話題を呼びましたが、5代目M3では伝統の直6エンジンに回帰します。また、次世代のクーペモデルは、4シリーズに移行。結果的に、M3シリーズ唯一のV8エンジン、最後のクーペという特別な存在になりました。 なお、4代目M3では、セダン(E90型)と日本未発売のカブリオレ(E93型)という、クーペモデル以外のボディタイプも展開されました。セダンは5代目M3以降も継続しましたが、カブリオレもクーペと同様に4シリーズに移行したためM3としては最後のモデルです。 M3最後のクーペにふさわしい圧倒的な走行性能 セダンやカブリオレも販売されていた4代目M3ですが、世代を象徴するのはやはりE92型クーペです。4シリーズへの移行に伴って結果的にM3最後のクーペになりましたが、圧倒的な走行性能の高さで存在感を放ちました。 ここからは、E92型の高い走行性能を紹介します。 サーキット走行にも耐えうる走行性能 シリーズ初にして唯一のV8エンジンS65B40型は、最高出力420ps/ 8,300rpm、最大トルク400N・m/3,900rpmを誇ります。また、特筆すべきは最高出力を発揮する回転数で、8,300回転という超高回転型の自然吸気エンジンというのもE92型の魅力です。車重が1,630kgもあるにも関わらず、0-100km/h加速はわずか4.8秒、最高速度は250km/hにも達します。 さらに、レース部門を担当するBMW Mが開発しただけあって、リミッターを解除することで最高速度は280km/hまで引き上げることも可能でした。ただし、約40万円のオプション料金の支払いと、「ハイスピードドライバーズトレーニング」という講習への参加が条件とされていました。 走りにこだわってドライブトレインを刷新 E92型の俊敏な走りをさらに向上させたのは、7速M DCT Drivelogic(エム・ディーシーティー・ドライブロジック)への変更です。先代の6速AMT(セミオートマチックトランスミッション)、SMGⅡに代わって装備されました。 エンジンとトランスミッションを物理的に接続するデュアルクラッチを採用することで、流体でトルクを伝達するトルクコンバーター式のATよりもロスのないダイレクトな操作感を得られます。なお、7速 M DCTDrivelogicは、セダンとカブリオレでも選択できました。グランツーリスモという位置づけながら、ピュアスポーツと肩を並べるほどのダイレクトな操作感こそが4代目M3の真骨頂です。 商業的な成功は微妙だったが希少性の高まりとともに再評価 新時代への幕開けを予感させたE92型M3ですが、商業的には大成功と呼べるモデルではありませんでした。販売台数は先代のE46型の8万6,000台に対して、クーペ、セダン、カブリオレの3種を合わせても6万6,000台ほどにとどまっています。 シルキーシックスという伝統の直6エンジンに代わって搭載されたV8エンジンに賛否両論あったことも、販売台数の伸びに少なからず影響したのかもしれません。実際、5代目のM3にはV8が積まれることはなく、直6に回帰しています。 しかし、販売台数が少なかったということは、旧車としての希少性が高いということです。また、M3としては画期的なV8エンジン、最後のクーペモデルという点を考えてもマニアの心をくすぐるモデルといえます。希少性の高まりからE92型の中古車相場がどう動くのか、ぜひ注目してみてください。

涙目の2代目インプレッサはいつ登場した? 丸目からの変更点や鷹目につながった魅力を紹介
旧車の魅力 2024.06.21

涙目の2代目インプレッサはいつ登場した? 丸目からの変更点や鷹目につながった魅力を紹介

2代目インプレッサの前期型「丸目」には、少なからず不評の声がありました。しかし、「涙目」へのマイナーチェンジによって、市場の評価は大きく変わります。また、見た目だけでなく性能面のアップデートが多岐に渡ったことも、涙目の大きな特徴です。 本記事では、WRCでも活躍した涙目の魅力をたっぷりと紹介します。 涙目は2代目インプレッサの中期型 2代目インプレッサで実施された2度のビッグマイナーチェンジのうち、最初のマイナーチェンジによって誕生したのが涙目です。現代的なデザインが話題を呼び、その意匠は後期型の鷹目にも受け継がれていきました。 まずは、2代目インプレッサの変遷やWRCでの活躍を振り返ってみましょう。 2代目インプレッサは2度のビッグマイナーチェンジを実施 レガシィの兄弟車として1992年に登場したインプレッサは、2000年に初のモデルチェンジを行って2代目に生まれ変わりました。2007年まで販売された2代目インプレッサですが、2度のビッグマイナーチェンジが実施されたため3つのモデルが存在しています。 登場順に前期、中期、後期と呼ばれると同時に、ヘッドライトの形状から「丸目」「涙目」「鷹目」という愛称もつけられました。2002年に実施された最初のビッグマイナーチェンジで登場したのが涙目です。不評だった丸目から、大きくデザインを刷新しての登場でした。 現代的な鷹目につながった涙目 丸目が不評だった前期型に対して、中期型の涙目ではヘッドライトの形状を中心にバンパーやボンネット、フェンダーに至るまでフロント周りの意匠が現代的に大きく変更されました。後期型の鷹目で成熟の域に達した2代目インプレッサですが、涙目での変更点がいくつも踏襲されています。 また、グレードによって異なるキャラクターの内装が用意され、質感も全体的に高められました。特にSTiバージョンでは、ブルーに統一した内装や専用の赤色表示のメーターが装備され、特別感が一層高められています。 WRCでも活躍した涙目 インプレッサは、初代からWRCで実力の高さを証明していました。2代目の中期型である涙目も例外ではありません。涙目が登場した翌年の2003年には、インプレッサWRC2003を駆るソター・ソルベルグがドライバーズチャンピオンを獲得しました。また、2004年に初開催されたラリージャパンでは、初代王者に輝いています。 さらに、涙目のインプレッサはドリフトの国内プロリーグD1グランプリでも活躍し、WRCファン以外からも一躍注目を集めました。D1ドライバーの熊久保信重氏は、ラリーカーが好きだったという理由で涙目のインプレッサを選択し、2006年には、シリーズチャンピオンを獲得しました。 多岐に渡る涙目での変更点 2代目インプレッサの中期型は、ヘッドライトのデザイン的特徴から涙目と呼ばれています。しかし、変更点はヘッドライトや、フロントマスクだけではありません。アップデートされた箇所は多岐に渡り、クルマとしての完成度をより高めています。 涙目での変更点を、WRX STiバージョンのパワーアップポイントも含めてみていきましょう。 質感が向上したインテリアと機能性を備えたエクステリア 涙目のインプレッサでは、インテリアの質感が向上しました。また、構造の合理化によるシートの軽量化や補強など、性能面の向上も図られます。WRXモデルはブラックの文字盤とメタル調メーターリングによる特別感、1.5Lモデルは鮮やかなブルーの文字盤によるカジュアルさなど、モデルによるキャラクターの違いも明確に表現されています。 エクステリアは、見た目だけでなく機能性も考慮して変更が施されました。ボンネットの先端部を下げてバンパーからフロントウィンドウまで流れるようなデザインに仕上げたことで、空気抵抗の低減が図られています。また、ターボエンジン搭載モデルでは、インタークーラーのエアインテークを拡大して冷却性能を向上させています。 大幅にパワーアップしたWRX STiバージョン 涙目のWRX STiバージョンには、丸目の前期型と同型のエンジンが搭載されています。しかし、ファインチューニングによって最大トルクを2.2kgm向上させ、40.2kgmという強大な最大トルクを実現しました。排ガスの通路を2つにわけた「ツインスクロールターボ」による低回転域からの過給、エキマニ(エキゾーストマニホールド)の等長化といったエネルギーロスの低減といった変更が施されています。さらに、バルブの軽量化やピストンの強度向上といった細かい点も、徹底的に改良されています。 機能面では、トルク配分制御が大きな変更点です。50:50が基本だった前後のトルク配分が35:65に変更されました。また、センターデフのロック率を電子的に制御して前後のトルク配分が変化したような挙動を実現するDCCDに、ドライバーが任意に選択できる機能も追加されています。さらに、路面状況に応じて自動的にDCCDを制御する、「オートモード」が実装されたのも画期的な変更点です。 通常モデルでも高価買取が狙える人気モデル 涙目のなかでも人気のモデルは、やはり限定仕様車のスペックC タイプRA-RやS203です。しかし、通常のWRX STiバージョンでも状態次第では、十分に高価買取が狙えます。 また、WRX STiバージョンでないターボモデルでも、それなりに値段がつくことも珍しくありません。ただし、現代的なデザインになったとはいえ、涙目のインプレッサは生産終了からすでに20年が経過しているモデルです。売却をする際は、旧車としての正しい価値を査定してくれる経験豊富な専門業者に相談することをおすすめします。

初代マツダ サバンナはあのGT-Rよりも速かった!? RX-3とも呼ばれる最速マシンの歴史を振り返る
旧車の魅力 2024.06.20

初代マツダ サバンナはあのGT-Rよりも速かった!? RX-3とも呼ばれる最速マシンの歴史を振り返る

初代マツダ サバンナは同系統車種としてはわずか1代で終了したものの、登場時に大きなインパクトで世間をわかせ、後世にも多大な影響を与えたモデルです。デビューイヤーに日産 スカイライン GT-Rの牙城を崩して高い運動性能を証明し、名車サバンナ RX-7への進化という道をたどりました。 この記事では、今もなお語り継がれる、初代サバンナの誕生の歴史と活躍を振り返ります。また、「サバンナ」という名称の由来やなぜ「RX-3」と呼ばれるかについても詳しく紹介します。 ロータリゼーションを進めるマツダにとって重要だったサバンナ 世界で初めてロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツで、マツダはロータリーエンジンの可能性を世界に示しました。ファミリア、ルーチェ、カペラと既存モデルに次いでロータリーエンジンを搭載し、「ロータリゼーション」の名の下で普及を図ります。 そして、初搭載のコスモスポーツ以来のロータリーエンジン専用車として、サバンナをラインナップに加えました。現在でも根強い人気を誇るRX-7にもつながった、初代サバンナの誕生について振り返ってみましょう。 5車種目のロータリーエンジン搭載車 初代サバンナは、5車種目のロータリーエンジン車として1971年に誕生。発売当初は、コスモスポーツと同型の10A型エンジンが搭載されていました。 最高出力は105psとコスモスポーツの110psにはやや劣っていたものの、900kgを切る軽量な車体を走らせるには十分な出力だったといえます。ボディ自体はレシプロエンジンを搭載するグランドファミリアと共通でしたが、サバンナはロータリーエンジン専用車という位置づけで専用のフロントマスクが与えられました。 なお、「RX-3」といい名称で呼ばれることもありますが、国内での正しい車名は「サバンナ」です。RXという名称が定着しているのは、輸出仕様が「マツダ RX-3」、レース仕様が「サバンナ RX-3」という名称だったことに起因します。 実はクーペモデル以外も展開されていた初代サバンナ ファミリアとボディが共通だったこともあり、サバンナは当初クーペタイプに加えて4ドアセダンもラインナップされていました。さらに1972年には、サバンナ・スポーツワゴンという名称でロータリーエンジン搭載のステーションワゴンまで追加されます。 サバンナに幅広いボディタイプが用意されたのは、当時のマツダは「ロータリゼーション」と称してロータリーエンジンの普及を推進していたためです。より広いユーザー層に、ロータリーエンジン車に乗ってもらいたいという戦略だったのでしょう。 RX-7に受け継がれたサバンナの名称 初代サバンナの直接の後継車は、名車RX-7です。1978年に登場した初代RX-7(SA22C型)はサバンナ RX-7と名付けられました。 ただし、セダンやステーションワゴンは廃止され、クーペのみ展開されています。プラットフォームも専用開発のものに刷新し、スポーツカーという性格を明確に打ち出しました。 なお、「サバンナ」という名称は、猛獣の野生美やパワーをイメージしただけではありません。実は世界初の蒸気船と原子力船が「SAVANNA」という名前だったことから、「世界初」という意味も込められていたようです。 初代サバンナの評価が高まったのはレースでの活躍とコスパの高さ 初代サバンナは実力を証明すべく、登場と同時にレース活動を始めました。そして、当時国内では無敵だった、日産 スカイラインGT-Rを打ち破ります。ロータリーエンジンの実力をレースで見せつけたことで、サバンナの評価は一気に上昇しました。 驚くべきコストパフォーマンスも含めて、サバンナの魅力を紹介します。 無敗神話を誇るGT-Rとの戦いのなかで打ち立てた国内100勝の偉業 初代サバンナが誕生した1971年は、スカイライン GT-Rが国内レースで無敵を誇っていました。サバンナは同年12月の富士ツーリストトロフィ500マイルで、50連勝に迫っていたスカイライン GT-Rの記録をついに止めます。スカイライン GT-Rの連勝記録カウントについては諸説ありますが、少なくともサバンナが同車を抑えてデビューイヤーで優勝を飾ったことは間違いありません。 さらに、翌年の1972年には、エンジンを10A型から12A型に変更します。1972年5月の日本グランプリでは、GT-Rを抑えて表彰台を独占。当時無敵だったスカイライン GT-Rに世代交代の引導を渡したのは、サバンナ RX-3(サバンナのレース車輌名)だと大きな話題を呼びました。無類の強さを発揮したサバンナ RX-3は、1976年に単一車種で国内レース通算100勝という偉業を成し遂げます。 GT-Rの半額程度なのに国産トップクラスの動力性能 圧倒的なコストパフォーマンスも、サバンナの大きな魅力の1つでしょう。レースでの活躍を受けて、1972年に最上位モデルとして12A型エンジンを搭載したサバンナGTが投入されました。しかし、ライバルだった日産 PGC10型スカイライン GT-Rの価格が154万円だったのに対して、サバンナGTはわずか79万5,000円。 最高出力120ps、最高速度190km/h、0-400m加速わずか15.6秒という高性能を誇るクルマに、GT-Rの半額程度で乗れるというのはユーザーにとって大きな魅力だったに違いありません。 RX-7とともに今も色褪せない人気を誇る初代サバンナ 軽量コンパクトに設計できるロータリーエンジンの特徴を最大限に発揮して、速さと信頼性を証明したのが初代サバンナです。サバンナの成功がなければ、世界的に人気を集めるRX-7は生まれなかったかもしれません。 優れた動力性能だけでなく歴史的観点も含めて、サバンナは旧車として高い評価を受け続けている車種の1つです。実際、人気のクーペではなく、4ドアセダンのGRに300万円もの買取価格がついた実績もあります。 ただし、モデル最終年の1978年から数えても、すでに四半世紀近く経過しています。市場の流通量も限られているため、旧車専門の買取業者でなければその価値を正しく査定してもらえないでしょう。サバンナを売却する際には、知識と経験が豊富な旧車専門業者に相談することをおすすめします。

フェラーリ 328GTB/GTSが今も評価されるポイントとは? 歴代最高の美しさの秘密に迫る
旧車の魅力 2024.06.20

フェラーリ 328GTB/GTSが今も評価されるポイントとは? 歴代最高の美しさの秘密に迫る

歴代フェラーリのなかで、最も美しいといわれる328GTB/GTS。一方で、フェラーリのV8エンジンモデルとしては実質2代目ながら、性能面でも圧倒的な進化を遂げたモデルでした。 わずか4年という短いモデルライフながら、今も多くのフェラーリファンが憧れる328GTB/GTSの誕生と魅力について詳しく紹介します。 名車ばかりのMRレイアウトのV8エンジン 「MRレイアウトへのV8エンジン搭載」は、今でこそフェラーリの代名詞とも呼べる王道モデルです。F355やF430、F8トリブートなど数々の名車が生まれています。しかし、フェラーリが初めてV8エンジンを搭載したのは1973年。1940年代創業ということを考えると、意外にもV8エンジンの歴史は決して深くありません。 2シーターモデルとして初めてV8エンジンを搭載してから、実に10年ぶりのフルモデルチェンジとなった328GTB/GTSについて詳しくみていきましょう。 V8エンジンモデルの正統な後継モデル 1985年に登場した328GTB/GTSは、2シーターとしては初のV8エンジンモデルだった308GTB/GTSの後継モデルです。308GTB/GTSは、1973年に先行デビューしていた2+2クーペのディーノ 308GT4をベースに開発されました。なお、モデル名の「B」はベルリネッタ(イタリア語で「クーペ」)を意味し、「S」はスパイダー(タルガトップ)のことです。 308GTB/GTSの大成功を受けて10年ぶりのモデルチェンジで登場した328GTB/GTSは、まさに正統進化と呼ぶにふさわしいモデルでした。デザイン、性能面ともに先代の良さを踏襲しつつも、大幅にブラッシュアップされています。 排気量の拡大によって大幅なスペックアップを果たす 328GTB/GTSが最も顕著に進化したのは、エンジン出力です。先代の308GTBは、排ガス規制対応によってモデル末期に最高出力を抑えざるをえませんでした。しかし、328GTBでは排気量を約200ccアップし、240psから270psまで実に30psもの最高出力の引き上げを実現。最高出力の大幅な向上に伴って、255km/hだった最高速度も263km/hにまで高められました。 328GTB/GTSが排ガス規制をクリアしつつ大幅なスペックアップを果たしたことが、その後のV8エンジンモデルの成長につながったといえるでしょう。なお、モデル名の数字は排気量と気筒数を表し、先代の308は3.0L(2,926cc)で8気筒、328は3.2L(3,185cc)で8気筒という意味です。 2.0Lモデルはターボを搭載して高性能を維持 328GTB/GTSには、発売翌年の1986年にそれぞれ2.0Lのターボモデルが追加されます。先代の308GTB/GTSも208GTB/GTSターボがラインナップに追加されましたが、最高出力は220ps止まりと3Lモデルに比べると物足りなさは否めませんでした。 しかし、328GTB/GTSで追加されたGTB/GTSターボは、最高出力こそ254psに抑えられているものの、最大トルクは328GTB/GTSを上回る33.5kgf・mを発揮。エンジン特性の異なるモデルとして、ユーザーに選択肢を与えました。 なお、排気量と気筒数を表す数字はなく、単にGTB/GTSターボと名付けられています。 現在も高い評価を受ける最も美しいフェラーリ 高められた性能面もさることながら、328GTB/GTSが最も評価を集めるポイントはボディラインです。フェラーリ史上最も美しいとも評されるスタイリングは、現在も多くのファンから絶大な支持を受けています。 40年近く前に登場したとは思えないほど美しい、328GTB/GTSの魅力をみていきましょう。 最高のバランスに仕上げられたボディライン 328GTB/GTSのデザインは、ピニンファリーナのレオナルド・フィオラバンティ氏によるものです。先代308GTB/GTSも手掛けた同氏は、同じイメージを踏襲しつつもアプローチを大幅に変更。直線基調で鋭角なデザインだったウェッジシェイプから、曲線を見事に取り入れた丸みのあるフォルムへ転換しています。 また、手が加えられたのは、全体のデザインだけではありません。大型化したフロントグリルや、ボディと同色でサイズアップされたバンパーなど、細部にわたって見直されています。結果的に「最も美しい」と称賛される、最高のデザインに仕上げられました。 全面改良されてクオリティが高められたインテリア 328GTB/GTSのデザインで変更が加えられたのは、外観だけではありません。インテリアのデザインを変更するとともに、質感もより高められていました。 308GTB/GTSからの変更箇所は、ドアパネルやドアハンドル、スイッチ、シートのステッチにまで及びます。また、メタリック塗装や革張りのダッシュボードとタルガトップ革張りヘッドライニングまでオプションで用意され、より車格にふさわしい内装に生まれ変わりました。 当時の新車価格に迫る買取価格 デザイン面、性能面ともに最高と呼べる進化を果たした328GTB/GTSの新車価格は、当時1,560万円でした。1985年の登場から40年近く経過した現在も、人気と希少性の高さから新車に迫る価値を維持しています。物価水準が異なるため単純比較はできませんが、1,000万円もの買取価格がつけられることも珍しくありません。 328GTB/GTSの最大の魅力は、性能面ではなくデザインの美しさです。後継車がいかに性能面で優れていても、328GTB/GTSの価値は今後も維持し続けられるでしょう。328GTB/GTSを売却する際は、性能や状態だけでなく「旧車としてどの点に価値があるのか」を把握している専門業者への相談をおすすめします。

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