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トヨタ セリカ通算7代目のZZT231型は、ロングホイールベース&ショートオーバーハングという個性的なデザインで登場しました。FF化以降も上位モデルとして4WDをラインナップし続けてきたセリカですが、7代目ではついにFFのみとなります。 しかし、ライトウェイトスポーツで頭1つ抜けるVTECのホンダに対して、トヨタの技術人が意地をみせた新型エンジンが搭載されていました。 隠れた名機ともいわれる2ZZ-GEエンジンを搭載する、ZZT231型セリカの魅力をみてきましょう。 30年以上の歴史をもつセリカの最終モデル 6代目のST200系が生産終了し、1999年に7代目セリカが登場しました。7代目ZZT231型セリカは、スポーツカー人気が陰りを見せるなか2006年までの7年間も販売されたモデルです。人気だった先代を超える販売期間でしたが、残念ながら後継モデルは開発されませんでした。 ダルマの愛称で親しまれた初代セリカが登場した1970年から続いた36年の歴史に幕を下ろした最後のモデル、ZZT231型セリカの誕生について振り返ってみましょう。 FFモデルとして登場 ZZT230系と呼ばれる7代目セリカは、FF車のみがラインナップされました。大まかなグレードは、本記事で紹介する上位モデルのZZT231型の「SS-II」と廉価グレードの「SS-I」の2種類です。それぞれに4ATが設定され、マニュアル車はSS-Iが5MT、SS-IIには6MTが用意されていました。さらにSS-IIには、足回りを強化したスーパストラットパッケージがあります。 FRや4WDモデルがWRCで活躍してきたセリカのイメージからすると、FF車のみというのは物足りなさが否めません。しかし、ロングホイールベース&ショートオーバーハングデザインの採用による安定性と、リアサスペンションに備えたヴァイザッハアクスル式ダブルウィッシュボーンによる路面追従性と運動性は抜群でした。さらに、1.8Lで190馬力を発生し、1Lあたり105馬力にも達する新開発の2ZZ-GEエンジンも7代目セリカの魅力です。 FR化されたモデルが全日本GT選手権(JGTC)で活躍 7代目セリカは、現在のスーパーGTの前身、全日本GT選手権でも2003年のデビューイヤーから活躍しました。伸び悩んでいたMR-Sの後継として、ロングホイールベースで限界の高いZZT231セリカが選ばれます。また、エンジンの搭載方向や駆動方式の変更が可能になった、同年のレギュレーション変更もセリカのJGTC参戦を後押ししました。 FR化したセリカにGT500で活躍したスープラの3S-GTEを搭載し、圧倒的な速さを見せつけます。デビュー戦こそ結果を残せなかったものの第5戦の富士スピードウェイで初優勝を飾ると、その年は参戦6戦中4勝という驚異的な結果を残しました。 エンジンや駆動方式こそ変更されていますが、運動性能にこだわったベース車輌の設計のよさが好成績につながったのかも知れません。 VTECを超える機構をもつ2ZZ-GEエンジン FFのみがラインナップされた7代目セリカで注目すべきは、新開発された2ZZ-GEエンジンです。可変バルブタイミング機構は4A-Gにも備えられていたものの、バルブのリフト量は固定でした。 しかし、カムの切り替え機構をもち、VTECのようにバルブリフト量の変化も実現したのが2ZZ-GEです。 2ZZ-GEエンジンについて、詳しくみていきましょう。 名機4A-Gや3S-Gの後継として新型エンジンを開発 ZZT231セリカが発売された1999年当時は、まだ4A-Gや3S-Gの生産は続いていました。しかし、いずれも基本設計は1980年代だったため、後継スポーツエンジンの開発が求められます。 そこで、1ZZ-FEをベースにVVTL-i機構を組み込んで、2ZZ-GEエンジンが開発されました。5バルブの4A-GEにも組み込まれていた吸気側の可変バルブタイミング機構を連続可変にしたうえ、一定回転数以上でカムを切り替えることで吸排気のバルブリフト量と作用角の変化も実現させました。バルブタイミングの連続可変とバルブリフト量の切り替えをもつ機構は、当時世界初だったともいわれています。 結果的に最高出力は190馬力まで高められ、145馬力の1ZZ-FEから実に45馬力もの大幅な性能向上を果たしました。排気量1L当たりの出力は105馬力で、4A-GEの103馬力を上回っているうえ、熟成を重ねたひと回り大きい3S-GE最終型の出力効率とも同等です。 名門ロータスからも搭載車が発売 2ZZ-GEが画期的なエンジンだったことは、イギリスの名門自動車メーカー ロータスが自社モデルに搭載したことからもうかがい知れます。ローバー製エンジンを搭載していた2代目エリーゼに、2004年から採用されました。また、2004年にフルモデルチェンジをおこなったエキシージにも搭載されています。 トヨタ車に搭載された2ZZ-GEは自然吸気モデルのみでしたが、エリーゼSCとエキシージSでは、220馬力を発生するスーパーチャージャーモデルも追加されています。 わずか1世代ながら可能性を感じるエンジンだった 自然吸気でも200馬力に迫るハイパフォーマンスを実現した2ZZ-GEですが、実は1代限りで生産を終了しています。また、画期的な機構だったVVTL-iも、2ZZ-GE以外には搭載されませんでした。 開発が止まった理由は明確にはされていませんが、時代背景が少なからず影響していたのかも知れません。国産スポーツカーがやや下火になっていたことと、省燃費性能が求められるようになっていたためです。 燃費面でも有利に働く可変バルブタイミング機構はその後も開発が続けられましたが、VVTL-iの核となるカム自体の切り替え機構は熟成には至りませんでした。しかし、ロータスにも採用された2ZZ-GEの実力は、ライトウェイトクラスのエンジンとして可能性を感じさせたことは間違いありません。2L以下クラスのトヨタの名機といえば4A-Gや3S-Gが挙がりますが、2ZZ-GEも高いポテンシャルをもつ隠れた名機です。
ロングノーズのワイドボディ、リトラクタブルヘッドライトによるワイド&ローデザイン。いかにもスポーツカーという風格を漂わせるトヨタ A70スープラは、初期モデル発売から30年以上が経過した今でも素直にカッコいいと見とれてしまう車のひとつです。海外で80年代以降のスポーツカー人気が高まっている現在、A70スープラも例外ではなく注目を集めています。今回は、今でも車好きを魅了するA70スープラの詳細と、現在の中古車相場についてご紹介します。 A70スープラはトヨタスポーツカーの歴史の礎 トヨタ スープラは、トヨタを代表するスポーツカーシリーズです。その中でも1986年から1993年まで販売されたA70スープラは、現在に続くスープラの歴史の基礎と言っても過言ではありません。 A70スープラはどんな車だったのか、開発時の状況や進化の歴史を振り返ってみましょう。 セリカを脱却しピュアスポーツへの転換 A70スープラは、それまで海外で「SUPRA」の名称で販売されていた、A60型セリカXXの後継車として開発されました。 Z20ソアラと共通のプラットフォームを採用し、セリカから脱却。国内販売の車名もスープラに統一され、先代から続くスポーツ路線をより明確にしたモデルとして登場しました。 エンジンは全グレード直列6気筒エンジンを採用し、最上位モデルとなる3L 6気筒ターボエンジン7M-GTEUでは230psを発生。これは、当時国内最強だったZ31型フェアレディZに搭載されたVG30ETエンジンと同等の出力で、トヨタがスポーツカーとしての地位確立を強く意識していたことがうかがえます。 高級スポーツカーの名に恥じないスタイリング スタイリングは、先進的でスポーツカーライクなデザインを採用し、スポーツカー路線へと舵を切った先代A60で採用されたリトラクタブルヘッドライトを踏襲。ロングノーズショートデッキというスタイリングは、スポーツカーとしての戦闘力の高さを期待させ、当時としては先進的なデザインでした。 一方で、内装は高級車ソアラの兄弟車ということもあり、高級感溢れるデザインと快適性も注目ポイント。例えば、当時まだほとんど馴染みのなかった人間工学に基づいて設計されたシートは、電動の調整機能も含む各種調整機能を持ち、ワンランク上の乗り心地を実現しました。 エンジン含め数々のマイナーチェンジを繰り返した7年間 A70スープラは、発売後も精力的に開発が続け、販売されていた7年の間に、ボディバリエーションの追加、マイナーチェンジなど数々の仕様変更を繰り返しています。特にエンジンは、グレード別も含めてNA、ターボ合わせて実に9種ものエンジンを搭載しました。 外装で特に大きな変更は、1988年の3L車の全車ワイドボディ化と、1989年のツインターボ版1G-GTEへのワイドボディ仕様の追加。輸出仕様と同様のワイドボディによって、より堂々とした風格を醸し出しました。 エンジンでは、1988年にターボエンジンのハイオク仕様への変更を行ったのが最初の大きな進化です。2Lの1G-GTEUが185psから210psに、3Lの7M-GTEUが230psから240psに進化しました。 モデル末期となる1990年の最後のマイナーチェンジでは、2.5Lながら国内自主規制いっぱいの280psを発生する1JZ-GTE型エンジンを最上位グレード「2.5GTツインターボ」に採用。まさにトヨタだけでなく、日本を代表するスポーツカーとなったのです。 A70スープラの中古車相場について 大手中古車サイトでA70スープラの現在の中古車価格を調べたところ、2020年8月の原稿執筆時点で、走行距離が30万km近くの最安値の2Lツインターボでも130万円以上。低走行でほぼ純正仕様のままという2.5Lツインターボで、なんと1,000万円近くの価格の車両もありました。 もちろん、旧車王での買取価格もA70スープラの人気を表しています。発売から既に30年以上が経っているにも関わらず、2Lのモデルでも最高200万円、2.5Lや3Lモデルでは、最高900万円もの買取価格がつくほどの人気ぶり。今後も高値が続くことが予想されますが、中古車相場は水物です。 また古い車であることには違いないため、保存状態や経年劣化の具合で査定が下がってしまう可能性も否定できません。もしA70がお手元にあるなら、高値が続く今こそ、一度見積もりだけでも出してみることをおすすめします。 まとめ 作るからにはジャンルを問わず他社より優れた車を作る。A70スープラはトヨタの自動車メーカーとしてのプライドを感じるモデルです。 先進的なデザインに、当時としては珍しい人間工学まで取り入れた高級感溢れる内装、そして素性のいいエンジンが生み出す高い運動性能。細部にこだわって作り込んだ車種だからこそ、30年以上が経った今でも人気で、高値がつくのも頷けます。 今後、高値が続くことも予想されていますので、手に入れたい方はぜひ早めに探してみてはいかがでしょうか。
ミッドシップらしい優れたハンドリング性能と、スーパーチャージャーによる力強い加速感。国産車初の本格ミッドシップスポーツ、トヨタ AW11型 MR2は、後期モデルへの進化によって実力と人気を一気に開花させました。 今回は、後期型でのアップデートポイントを中心に、AW11型 MR2の魅力を振り返ります。 国産ミッドシップスポーツの道を切り拓いたAW11型MR2 品質は高いものの、大衆向けで無難なクルマを作るイメージがあるトヨタですが、1984年に市販国産車初のミッドシップスポーツを生み出していました。また、登場後もさらに開発を進め、大幅なアップデートを実施しています。 AW11型 MR2の誕生と、後期型への変遷を紹介します。 日本車初の市販ミッドシップ車として誕生 AW11型 MR2は、日本の量産車で初めてミッドシップレイアウトを採用した、国産ミッドシップスポーツの草分け的存在です。。 車名の由来は、「Midship Runabout 2seater」の頭文字です。ランナバウトには「その辺を軽快に走り回る」という意味があり、現在のトヨタのグレード名「RS(Runabout Sports)」としても使われています。 発売後わずか2年で実施したビッグマイナーチェンジ 開発当時、AW11型のエンジンや足回りには、大衆車であるE80系カローラから流用した部品が使われていました。ミッドシップレイアウトであるがゆえにハンドリング性能には優れていたものの、スポーツモデルとしての物足りなさがあったことは否めません。 そこで、1986年のビッグマイナーチェンジでミッドシップの特性をより活かすべく多くの変更が行われました。象徴的なのは、圧倒的な加速力を生み出すスーパーチャージャーモデルの追加です。また、足回りの設計やチューニングによって、さらなる操縦安定性の向上を図っています。 ビッグマイナーチェンジによる飛躍的なに進化〜レースでの功績 AW11型は、後期型へのビッグマイナーチェンジで大幅な性能アップを果たしました。「ミッドシップ」が単なるスタイリングではなく、スポーツカーとしての性能を追求した結果だということを示した形です。 後期型で変更された点を、モータースポーツシーンでの活躍とともにさらに詳しくみていきましょう。 過給器付エンジンとハンドリング性能の強化 ビックマイナーチェンジした後の後期型では、名機4A-GELUエンジンに過給器を搭載した4A-GZEモデルがラインナップに加えられました。4A-GZEといえば後発のAE92、AE101型レビン/トレノのエンジンとして有名ですが、実はAW11型に搭載するために開発されたエンジンです。 また、足回りの大幅な改良が加えられました。フロントエンジン車よりも後輪に大きな力がかかるため、サスペンションアームの取り付け位置を変更するとともにショックアブソーバーを大径化。さらに、ハンドリング性能向上のため、フロント部にはパフォーマンスロッドを追加して高剛性化を図っています。(一部はスーパーチャージャーモデルのみ) デザインも大幅に刷新 性能だけでなく、デザインも大きく変化しました。最大の変更点は、Tバールーフの採用です。後に多くの人が「AW11型 MR2といえばTバールーフ」という印象をもつほどに、そのイメージを決定づける要素の1つとなりました。 また、フロントスポイラーの大型化とフロントバンパーとサイドエアインテークの形状変更、アルミホイールのデザイン刷新によって見た目の印象も変わっています。さらに、ボディカラーに追加されたスーパーチャージャー専用色のブルーマイカを選択すると、専用の内装色も選択できるようになっていました。 ジムカーナでの活躍により高い運動性能を証明 AW11型のハンドリング性能の高さの証明として、軽快な挙動が求められるジムカーナでの活躍が挙げられます。 全日本ジムカーナにて、AW11型をベースにした「ADVAN MR2」が数々の功績を残しました。1987年、「ミスターアドバン」の異名を持つジムカーナ界の帝王「山本真宏」選手の乗るADVAN MR2は、鈴鹿サーキットの全日本ジムカーナ選手権でデビューウィンを飾り、翌年も勝利を納めて見事に連覇を達成しました。 さらに1990年には、遠藤毅志選手(1989年、1990年全日本ジムカーナ・Dクラスチャンピオン)の駆るミッドシップ・スーパーD車輌、「トムス オクヤマ S1D」と激闘を繰り広げます。6月に開催されたジムカーナフェスティバル第2戦(備北ハイランド)では、準レーシングカーともいえるチューニングを施した「トムス オクヤマ S1D」を抑えて優勝するという、歴史的快挙を成し遂げました。 初のミッドシップ車を成熟させた後期型 AW11型の後期型は、国内初のミッドシップ車を真の完成の域にまで到達させたモデルです。国内自動車メーカーとして初めてミッドシップレイアウトに取り組んだ前期型を、わずか2年で成熟させたところに、社長の肝いりで開発したともいわれるトヨタの強い意志を感じます。 乗り手を選ぶクルマともいわれるミッドシップは、現在の国内ラインナップからは消えてしまいました。もともと支持層が限られるスポーツカーのなかでも、さらにマニアックな存在だけに仕方のないことなのかもしれません。しかし、AW11型を開発、成熟させたことで、後継のMR-Sや他メーカーのNSXやS2000といった名車が生まれました。歴史を作った名車として、現存する個体は今後も大切にしていきたいものです。
「フェアレディ」の名前を初めて冠したスポーツカー、フェアレディ1500。後継の「フェアレディZ」の成功が印象的ですが、フェアレディ1500がなければ誕生はなかったかもしれません。 3席オープンという変則的な仕様ながら、量産国産車初のスポーツカーとして現在も高く評価されています。デビューモデルも含めて、合計3モデルが作られたフェアレディの開発背景と仕様を詳しくみていきましょう。 日産のみならず国産スポーツカーの道を切り開いた フェアレディ1500は、スポーツ1000と北米向けのフェアレデー1200の後を受ける形で開発されました。ベース車が存在するという点では前モデルと同様の開発手法でしたが、性能へのこだわりは全く異なります。 国産スポーツカーの道を切り開いたともいえる、フェアレディ1500の開発背景を振り返ってみましょう。 ベースのブルーバードから多くの仕様変更 SP310/SPL310型フェアレディ1500は、1962年に登場しました。スポーツ1000(フェアレデー1200)の、2代目モデルという位置づけです。日産を代表するミドルクラスセダン、P310型ブルーバードをベースに開発されました。また、単なるスポーツモデルとして造られたわけではなく、高性能を誇るヨーロッパのライトスポーツを念頭において開発されたともいわれています。 国産車初の本格スポーツカーと評されるだけあって、ベースモデルから大幅に仕様が変更されていました。最大の変更点は、オープンスポーツというスタイリングにしたことです。オープンボディ化に伴って、ラダーフレームがクロスメンバーで補強されています。また、前後サスペンションも、ダンパー、スプリングともに強化し、スポーツカーらしいハンドリング性能を実現しました。 ワンランクうえの新型エンジンを搭載 フェアレディ1500には、日産が初めて自社開発したG型エンジンが搭載されました。ブルーバードよりも格上にあたるセドリックでデビューしたばかりで、最高出力71psを5,000rpmで発生させるスポーツカーらしいエンジンです。 また、フェアレディ1500に搭載するにあたっては、専用チューニングも施されています。キャブレターの換装、カムプロファイル変更、バルブスプリングのダブル化、コンロッドメタルの材質変更など、変更点は多岐に渡りました。 モデルごとに正統進化を遂げていった フェアレディ1500の発売5年後には、現在でいうところのビッグマイナーチェンジを迎えます。さらに、高性能モデルも追加モデルという形でラインナップに登場しました。 進化したフェアレディ1600と、レースでも活躍したフェアレディ2000について詳しくみていきましょう。 フェアレディ1600(SP311/SPL311型) 1965年に発売されたフェアレディ1600は、フェアレディ1500と入れ替わる形で登場しました。フェアレディ1500をベースに開発され、同年に登場したシルビアも共通のシャシーを使用しています。初代シルビアのCSP310は型式が示すとおり、フェアレディ1600のクーペ版という位置づけで開発されました。 シャシーと同様にシルビアと共通だった1.6LのR型エンジンは、最高出力90psを発揮します。高性能化に伴って、ホイールサイズを14インチ化、ドラム式だったフロントブレーキはディスク式に改められました。 また、発売同年の一部改良によって、厳しい米国の安全基準にも対応しています。 フェアレディ2000(SR311/SRL311型) フェアレディ1600の発売から2年後の1967年、追加モデルという形でフェアレディ2000がラインナップに加えられました。最大の変更点は、排気量が2L化されたことです。ソレックスツインキャブレターを装備した新設計のU20型2L直列4気筒SOHCエンジンは、最高出力145psを発揮します。 ポルシェタイプシンクロを備えた5速ミッションと組み合わせ、日本車初の200km/hオーバーとなる205km/hの最高速度を記録。また、車重はわずか910kgで、0-400m加速も国産最速の15.4秒を叩き出しました。 発売直後の第4回日本グランプリでは、1位~3位の表彰台を独占。クルマとしての高いポテンシャルを、レースで証明しました。その後も、後継のフェアレディZが登場するまで、数々のレースで輝かしい成績を残します。一方で、シャシーの基本設計は古かったため、ドライバーのスキルを要求するクルマだったともいわれています。 国産スポーツカーの歴史を作ったフェアレディ ダットサン フェアレディは、登場時に量産国産車初の本格スポーツカーとして、追加モデルで当時の国産最速のクルマとして、日本のスポーツカーの歴史を作ったモデルです。後継のフェアレディZはもちろんのこと、プリンスが開発したスカイラインを合併で受け入れて育てられたのも、フェアレディの成功があったからかもしれません。 また、フェアレディは当初から欧州車を意識しており、世界基準を目指して開発されたクルマです。日本車初のコラプシブルステアリングシャフトの採用、当時としてはまだ珍しかった3点シートベルトなど安全装備の開発にも力を入れ、1967年には当時のアメリカの安全基準をクリアしました。北米で日産車が高く評価されたのは後継の240Zですが、フェアレディで培った技術があったからこそ成功したといえるでしょう。
名車「テスタロッサ」の後継車種として1991年に発表されたフェラーリ 512TR。ボディデザインが似ていることから、テスタロッサのマイナーチェンジモデルと思われることも少なくありません。 しかし、512TRは正真正銘の後継モデルです。エンジンからフレーム、そして似ているといわれる外観デザインに至るまでフラッグシップモデルに相応しく徹底的にこだわって作られました。テスタロッサの弱点を補って余りある進化を遂げた512TRの魅力を紹介します。 名車テスタロッサの後継車として開発された512TR 512TRの前身、テスタロッサは実に8年間に渡って大きな変更がないまま販売されました。その間、エンツォ・フェラーリの死去など社内体制が落ち着かなかったこともありますが、もともとそれだけ完成度が高かったということです。 512TRは、名実ともにフラッグシップモデルに君臨していたテスタロッサを超える必要がありました。まずは、前身テスタロッサの概要と512TRの開発背景を振り返ってみましょう。 新たなフラッグシップモデルとして登場したテスタロッサ 512TRの前身の名車「テスタロッサ」は、1984年の秋にモンディアル・ド・ロトモビルで初披露されました。フェラーリの新たなフラッグシップモデルとして、MRレイアウトに180度V型12気筒エンジンを搭載。フェラーリ製の180度 V12として初めて4バルブヘッドが採用され、最高出力は390psを発揮しました。 「テスタロッサ」は「赤い頭」という意味のイタリア語で、1960年代にフェラーリのレースカーとして活躍したシリーズでも同じ名称が使われています。ヘッドカバーが赤く塗られていたことから名付けられました。 1992年に512TRにバトンを渡すまでの8年間で、合計7,177台が製造されました。スーパーカーという特殊なモデルを考えると、大成功といえる生産台数です。 テスタロッサと同じ「赤い頭」を持つ512TR フェラーリ社内が落ち着いてきた、1988年に512TRの開発はスタートします。そして、開発から3年後の1991年秋、ついにテスタロッサの後継「512TR」が発表されました。 テスタロッサの後継であることを示す「TR」の文字が冠された512TR。先代同様の赤色のヘッドカバーを持つ、5L180度V型12気筒エンジンを搭載しています。ちなみにモデル名の「512」は、「5L」「12気筒」を示す数字です。 最高出力428psを誇るエンジンを新設計のシャーシに搭載し、名門フェラーリのフラッグシップモデルらしい進化を遂げました。課題だった重心の高さとボディ剛性を改善するなど、大幅な性能アップを果たしていて、史上最高の「テスタロッサ」と評価されることもあります。 テスタロッサのデザイン的要素を踏襲 512TRのエクステリアデザインは、基本的にテスタロッサを踏襲しています。外観上の特徴であるリトラクタブルヘッドライトはもちろん、ボディサイドのフィンなど多くの点が共通していました。 一方で、フロントバンパーを一体型にしグリルも変更、エンジンフードの形状もシンプルなものに見直すなど、8年の時代変化を取り入れたデザインも随所に見られます。エンジンやシャーシの進化だけではなく、大幅な変更はなかったものの実はエクステリアも正統進化しているのです。 先代の弱点を解消してさらなる進化を遂げた512TR 512TRは、先代テスタロッサの抱えていた課題を徹底的に解消します。しかも、パワーアップをしにくいNAエンジンながら、約10%のパワーアップにも成功しました。 512TRの進化について、一つ一つ紐解いていきましょう。 テスタロッサの課題を徹底解決 先代テスタロッサの課題は、居住性の確保に伴ってエンジン搭載位置が後方よりになったことにより、前後重量配分と重心の高さが失われた点です。また、ハイパワーエンジンを支える車体のボディ剛性の弱さも問題でした。 512TRでは、テスタロッサの弱点を徹底的に解消しました。まず重心の高さの問題は、オイル循環方式をドライサンプに変更、ブラケットの改良などによってエンジンアッセンブリの搭載位置を30mmほど下げることに成功します。 課題のボディ剛性は、各所に補強を施して向上させます。フレームそのものはテスタロッサを踏襲していましたが、ねじ止めだった床を溶接に変更、荷室やエンジンルームとの隔壁にも鉄板を張り込むといった改良でボディ剛性を高めました。 同排気量のまま大幅にパワーアップしたエンジン 512TRに搭載されたのは、先代と同じ5LV型12気筒エンジンです。しかし、最高出力は先代の390psに対して428psを発揮、38psものパワーアップに成功しました。 新形状の吸入ポートの採用、バルブ径の拡大による吸排気効率の向上。さらに圧縮比10.0を達成した新設計ピストンやカムのプロフィール変更といった、細かい改良の積み上げで大幅なパワーアップを達成しました。 テスタロッサの課題だった重量バランスと剛性の改善とあわせて、当時のフェラーリ最強のマシンに仕上がっています。 世界で2,200台あまりの希少車種 512TRはテスタロッサと比べて販売期間が短かったこともあり、世界でわずか2,200台あまりしか生産されなかった希少車種です。大手中古車サイトで検索したところ、わずか1台しかなく、しかも価格は公開されていませんでした。 希少車でも精力的に買い取る旧車王では、1993年式の512TRを1,600万円で買い取りました。512TRの売却を検討している方は是非、旧車王へご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時
軽量なのに剛性の高いボディと追従性の高い足回りによって、FFながらハンドリングマシンと称されることもあるホンダ DC2型 インテグラ タイプR。NSXに続く、タイプRシリーズ第2弾として誕生しました。 NSXとは価格帯が全く異なる車種にも関わらず、FFピュアスポーツとして高い完成度を誇るモデルです。インテグラ タイプRのアイデンティティともいえる、高いハンドリング性能の秘密とモデルによる違いを詳しく紹介します。 タイプRという称号にふさわしい完成度 DC2型 インテグラ タイプRは、わずか1.8Lのエンジンで駆動方式はFFという点ではベース車輌と同様です。タイプR第1弾として登場したNSXを考えると、ピュアスポーツと呼ぶにはやや迫力不足に感じます。 しかし、タイプRという称号にふさわしく、ピュアスポーツとしての性能を徹底的に追求したモデルです。インテグラ タイプRの開発陣がこだわったポイントを詳しくみていきましょう。 FFとは思えないハンドリング性能 1995年に登場したDC2型 インテグラ タイプRは、動力性能以上にFFとは思えないハンドリング性能に注目されました。駆動輪が前輪のFFは、元来アンダーステアリングといわれています。しかし、インテグラ タイプRのコーナリング性能は、後輪駆動車よりも曲がると評されるほどでした。 足回りはダンパー、スプリング、スタビライザーをそれぞれ強化。特に、リアのスプリングレートは、1.25倍~2.2倍にまで引き上げられています。車高をノーマル車輌から15mm下げたことと合わせて、余計なロールを発生させないダイレクトなハンドリング性能を実現しました。 また、パフォーマンスロッドの追加や板厚の増加などによって、各部のボディ剛性が徹底的に高められているのもタイプRの特徴です。ドライバーのステアリング操作に対するクルマ全体のレスポンスが、細部にわたって徹底的に追求されています。 60点以上もの新設計パーツを使った「B18C 96 spec R」エンジン 200馬力の大台を実現したタイプRの「B18C 96 spec R」エンジンには、60点以上もの新開発された専用パーツが使われています。リッター当たり100馬力を超え、自然吸気エンジンとして最高ともいえるB18Cエンジンの性能を極限まで引き出しました。 B18C 96 spec Rのチューニング内容は、単に吸排気の見直しといった表面的な部分にとどまりません。ピストンの形状変更による圧縮比アップ、バルブの軽量化といった内部も徹底的に見直されました。さらに、高回転型エンジンの特性を最大限発揮できるよう、トランスミッションもクロスレシオのものに更新されています。 初の「庶民が買えるタイプR」 インテグラ タイプRが人気を集めた理由は、実はもう1つあります。わずか222万8,000円(3ドア)という、一般的なクルマと変わらない価格設定です。タイプRとして最初に登場したNSXの価格は、1,000万円を超えていました。性能面を考えると十分バーゲン価格なのですが、庶民の手の届く価格ではありません。 しかし、インテグラ タイプRはNSXと同様にこだわり抜いた設計思想でありながら、多くの人が手にできる価格で発売されました。また、3ドアタイプだけでなくDB8型の4ドアハードトップが用意されていたことも、インテグラ タイプRが一般層に支持された理由です。単純に性能面だけを考えるとドアの枚数が少ないほうが有利ですが、日常的な使い勝手を考えると4ドアに軍配があがります。実は、同車種のタイプRで複数のボディタイプが用意されていたのは、現在のところDC2型/DB8型だけです。多くの人に高性能車を届けたい、というホンダの思いがあったのかもしれません。 好みのわかれる3つのスペック DC2型(DB8型)インテグラ タイプRは、登場時の初期型も含めて合計3モデルが作られました。基本的には後発モデルのほうが性能や装備は向上しているのですが、初期型のピーキーな乗り心地を好むドライバーも一定数います。 96Spec、98Spec、00Spec(99Spec)それぞれの違いをみていきましょう。 世間を驚かせた初期型の96Spec エンジンはベース車輌と同型のB18C型ながら、最高出力は180psから200psにまで高められています。ターボのように劇的なパワーアップさせるのが難しい自然吸気エンジンで、10%以上もの出力向上は驚くべきことです。 FFとは思えないハンドリング性能、2L未満の自然吸気エンジンとは思えない高出力、そして価格とあらゆる面で世間を驚かせました。 安定性を高めた98Spec 98Specは、1998年にマイナーチェンジで登場しました。エンジン出力こそ変わらないものの、エキゾーストマニホールドやHIDヘッドライトなど、細部にわたって見直しが図られています。特に大きな変更点は、走行安定性に関わる部分です。 タイヤ幅を195mmから215mmワイド化しつつ、ホイールサイズも15インチから16インチに大径化されました。また、ブレーキローターも同じく大径化され、ホイールハブは4穴から5穴に変更されています。モノコックのさらなる剛性向上やファイナルギアレシオ、ECUも変更され、走行安定性が向上しました。 数字には現れない部分での性能向上が図られましたが、安定性よりも軽くキビキビとしたハンドリング性能を好むユーザーからは不評だったともいわれています。 内外装が拡充された00Spec(99Spec) 最終型として1999年末に登場したのが、00Spec(99Spec)です。性能面ではほぼ98Specと変わらないものの、内外装の充実が図られています。 まず、インテグラ タイプRだけの個性ともいえる、サンライトイエローが外装色に追加されました。また、内装も、外装色に合わせて黄色シート仕様が追加されています。 さらに、「タイプR・X」という、タイプRの上位グレードともいえるモデルが追加されました。スポーツペダルや専用カーボンパネルといった内装が追加されただけでなく、快適性を向上させる装備が数多く追加されているのもタイプR・Xの特徴です。キーレスエントリー、デジタルクロック、オートアンテナ、AM/FM電子チューナー&CDステレオ+6スピーカー、プライバシーガラス、電動格納式ドアミラーといった当時としては高級セダンなみともいえる快適装備が標準装備されていました。なお、サンライトイエローはタイプR・X専用カラーと誤解されがちですが、00SpecのタイプR全モデルで選択可能です。 実はあのシビック タイプRよりも売れた インテグラ タイプR登場の2年後に発売されたEK9型 シビックタイプRは、「タイプR」のモデルではもっともなじみ深いモデルです。しかし、実際の販売台数はEK9型 シビック タイプRの約1万5,900台に対して、DC2型/DB8型 インテグラ タイプRは2倍以上の約3万4,500台に達しました。RV車の台頭でスポーツカーの販売台数が落ち込みつつあったことも考えると、驚異的な販売台数です。 200万円あまりという破格の価格設定と、FFピュアスポーツとしての性能の高さが多くのユーザーの心を掴んだのでしょう。また、現在でも、DC2型/DB8型 インテグラ タイプRの人気は衰えていません。特に00Specで追加されたサンライトイエローは人気で、他色よりも100万円高く買い取られることもあるようです。
FRレイアウトと高効率エンジンという組み合わせで、軽量コンパクトながら本格的なFRスポーツとして人気を集めたAE86。絶対的なパワーをもたないにも関わらず、格上車種を相手にレースで結果を残すほど高い実力を秘めたモデルでした。 ドリフトというイメージが先行するAE86ですが、本記事ではクルマとしてのポテンシャルの高さと人気の秘密を紹介します。 ドリフト車というイメージの強いAE86 AE86は、長年ドリフトシーンで活躍しているモデルの1つです。軽量で思い通りにコントロールしやすく、構造的にリアをスライドさせやすいことがドリフトに活用されている理由だといわれています。 一方で、1.6LのDOHCエンジンとFRというパッケージングは、レーシングカーとしても高い完成度に達していました。 ここからは、AE86の知名度があがったきっかけと、レースでの活躍を詳しく紹介します。 AE86人気を押し上げた「頭文字D」と土屋圭市氏の存在 AE86の知名度が一般層にまで広まったきっかけは、しげの秀一氏原作の「頭文字D」(イニシャルD)という漫画のヒットです。非力なAE86 トレノで、主人公がハイパワーマシンに勝利していく姿が人気を呼びました。 しかし、「頭文字D」の連載開始は、AE86販売終了後の1995年です。1983年から1987年の販売当時、AE86の高い実力を示したのはレーシングドライバーの土屋圭市氏でした。峠で腕を磨いてプロドライバーに転向した土屋氏は、ドリフトを多用するドライビングスタイルから「ドリフトキング(ドリキン)」と呼ばれて人気を集めます。 ドリフトだけでなくレースシーンでも大活躍したAE86 土屋圭市氏とAE86の名を一躍広めたのは、1984年のフレッシュマンレースです。AE86 トレノのステアリングを握った土屋氏は、開幕6連勝という圧倒的な速さを見せつけました。 翌年の1985年から始まった全日本ツーリングカー選手権には、レビンに乗り換えてフル参戦。そのうちの1戦として開催されたインターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)では、大排気量が占める上位陣の一角に食い込む総合6位という成績を収めました。 また、星野薫氏がドライブするトランピオレビンも、1985年と1986年のスポーツランドSUGOで総合優勝を果たしました。格上の日産 スカイラインや三菱 スタリオンが相手だったことを考えると、驚くべき結果です。 レビンとトレノの甲乙はつけがたい AE86には、カローラ レビンとスプリンター トレノという2種の兄弟車があります。基本構造は変わらないものの、それぞれにファンが存在しています。 販売台数や特別仕様車の存在など、レビンとトレノの違いをみていきましょう。 基本性能はどちらも同様 レビンとトレノの基本性能は、どちらも同じです。ボディタイプは、2ドアクーペと3ドアハッチバックが双方に用意されていました。心臓部も共通で、130psを発揮する4A-GEU型エンジンは後に名機として評価されます。 足回りは、フロントにストラット方式、リアにリジット方式を採用。エンジンの耐久性の高さと、改造が容易だったことも多くのユーザーから愛された理由です。 一方で、レビンとトレノの大きく異なる点は、ヘッドライトの形状です。一般的な角目形状のレビンに対し、トレノはリトラクタブルヘッドライトを採用しています。 販売台数が多かったのはレビン 人気漫画「頭文字D」の主人公が乗っていたこと、土屋圭市氏が個人所有していることからトレノのほうが露出が多く人気が高いと思われがちです。しかし、実際の販売台数は、レビンが約6万6000台、トレノが3万5000台と2倍近くレビンのほうが多く売れています。 1985年に始まった全日本ツーリングカー選手権での活躍がレビンの販売台数増加につながったのかも知れません。また、大衆車としてすでに地位を築いていた、カローラブランドだったという点も影響したのでしょう。 トレノにのみ設定されたブラックリミテッド 販売台数では大きくレビンに水を開けられたトレノですが、実はトレノのみに設定された特別仕様車がありました。1986年に最上級グレードのGT APEXをベースに開発された、ブラックエディションです。 ゴールド塗装を施した専用の14インチホイールをはじめ、ボディサイドの「BLACK LIMITED」ステッカーやフロントグリルのエンブレムなど、ブラックのモノトーンにまとめられたボディにゴールドの装飾が特別感を演出しています。 また、内装では、オレンジ色の専用メーターパネルやステアリングの「TWINCAM16」の文字、シートバックレストの「APEX」の刺繍など随所に専用の装飾が施されていました。 40年近くが経過した現在も進化し続けるAE86 AE86は販売終了して40年近く経過する現在もなお、多くのファンから愛されています。AE86はチューニングベースとして優秀なクルマで、アフターパーツメーカーから毎年のように新パーツがリリースされており、ユーザーは自分なりのチューニングを楽しんでいます。 現行車種でさえチューニングパーツは減少傾向にあることを考えると、AE86のアフターパーツの進化は驚異的です。クルマとしての古さは否めませんが、シンプルな構造がカスタマイズ性の高さにつながっているのでしょう。今後も、さらなる進化と人気の高まりが予想されます。
フロントから後端まで流れるようなデザインに回帰した、日産 Z33型 フェアレディZ。初代を思い起こさせるデザインですが、実はほかにも意外な共通点がありました。 Z33型は。製造コストの削減に迫られるなかで生まれたモデルであり、他の世代と比べるとあまり評価されていません。しかし、実際にはスポーツカーとして高いポテンシャルをもつ、魅力的なクルマです。 Z33型 フェアレディZの魅力と実力を、開発背景も含めて振り返ってみましょう。 世界進出の活路を開いたフェアレディZ フェアレディZは、日産が世界に進出するきっかけになったモデルです。名門スポーツカーに迫る性能と価格の安さから、北米を中心に大ヒットを記録しました。 初代から30年余り経ってから、5代目フェアレディZとして登場したZ33型の開発背景と性能を振り返ってみましょう。 奇しくも初代と同じ組み合わせで開発されたZ33 Z32型の販売終了から2年後の2002年、日産リバイバルプランの一環としてZ33型 フェアレディZが登場しました。GT-Rの開発責任者でもある水野和敏氏が開発した「FMプラットフォーム」と呼ばれるプラットフォームを採用し、V6エンジンをフロントミッドシップに搭載することで、抜群の運動性能を発揮します。 一方、でコストダウンの影響で、エンジンはエルグランドと共通のVQ35DE型が採用されました。自然吸気エンジンとして実用的で優れたエンジンではあるものの、スポーツカーと考えると物足りなさを感じます。 しかし、実は優れたプラットフォームと実用的なエンジンという組み合わせは、初代フェアレディZに通じるものがあります。1969年に登場したS30型初代フェアレディZは、ポルシェやジャガーに迫る軽量モノコックボディに実用的なL型エンジンというパッケージングで北米で高い評価を得ました。 フェアレディZは毎年進化している Z33型 フェアレディZは、2002年の登場以降も毎年のように改良が重ねられました。特に大きく進化をしたのはエンジンです。 エルグランドと共通のエンジンはトルクフルで扱いやすい一方、6,600rpmに抑えられた最高回転数ではスポーツカーらしい伸びやかさを発揮できません。しかし、2005年の改良で、最高回転数は7,000rpmにまで引き上げられます。トルクはやや犠牲になったものの、最高出力は294psを発揮するエンジンに生まれ変わりました。 さらに2007年には、後発のV36型スカイラインセダンのエンジンであるVQ35HR型に変更されます。最高出力は313ps、最大回転数は7,500rpmという、まさにスポーツカーらしいエンジンです。もともと素性のよかったFMプラットフォームと合わせて、スポーツカーとして魅力的なモデルに進化しました。 コストダウンの影響を最小限に抑えたスポーツカーとしての高い実力 Z33型 フェアレディZは、バブル崩壊の煽りを受けたモデルと評されています。バブル景気が終焉した1990年初頭以降、徐々に経済活動が縮小されていきました。自動車開発も例外ではなく、影響は2000年初頭あたりまで続いたといわれています。Z33の開発も必要最低限にとどめられ、性能に直接影響する専用エンジンでさえ開発されませんでした。 しかし、高性能なプラットフォームやボディデザインによって、スポーツカーらしい高い走行性能を備えたモデルです。Z33の高い実力について詳しく紹介します。 トップクラスの空力性能 先代のZ32型から大きく印象を変えたボディデザインは、見た目だけでなく性能を追求した機能美が光るスタイリングです。空力性能を示すCd値は0.3で、当時としてはトップクラスの数値を記録しました。 現代でも0.3が目指すべき数値として捉えられていることを考えると、20年以上前に達成していたという事実に驚かざるを得ません。前後スポイラー装着車では、0.29にまで達していたといわれています。 市販車ベースの車輌でレースタイトル獲得 Z33型 フェアレディZは、JGTC(全日本GT選手権)最終年に、ドライバーとチームタイトルをW獲得しています。また、翌年にスタートしたスーパーGT初年度もチームタイトルを獲得しています。続く2006、2007年はタイトルこそ逃したものの、安定した走りをみせて、チーム2位という結果を残しました。 当時は市販車のモノコックボディがベースのため、クルマとしての基本性能がレース結果に大きく影響を与える時代です。空力性能の高いボディ、GT-R譲りのFMプラットフォームの作りのよさによって、Z33型 フェアレディZは圧倒的な速さをみせつけました。 100万前後から購入可能な本格FRスポーツ Z33型 フェアレディZは、前後のZ32型、Z34型に比べると決して評価の高いモデルではありません。現在の中古車価格をみると、状態にもよりますが100万円前後から購入できます。1990年代から2000年前後のスポーツカーの価格が高騰している近年においては、驚くべきバーゲンプライスです。 価格が安いからといって、性能面で他モデルに大きく劣っているわけではありません。初期モデルこそミニバンのエルグランドと共通のエンジンですが、年式によっては300psオーバーのモデルもあります。憧れのFRスポーツを手にしたい方にとって、Z33型 フェアレディZは狙い目の車種かもしれません。
販売終了から20年以上が経過しているにも関わらず、現在でもプロドリフト競技でも活躍するJZX100 チェイサー。いわゆる100系チェイサーと呼ばれるこのモデルは、スポーツグレードのツアラーVを筆頭に、スポーツ性能の高さにより人気を集めました。 本記事では、ツアラーVを中心に100系チェイサーの特徴と魅力を紹介します。 フルモデルチェンジでマークⅡと人気を二分した100系チェイサー マークⅡ3兄弟と呼ばれるように、90系までのシリーズの中心はマークⅡでした。チェイサーは、3兄弟のなかでもっとも人気が低かったといわれていますが、100系では、マークⅡと人気を二分するほどの存在感を放ちました。 マークⅡやクレスタとは違う性格をもたせて成功した、チェイサーの開発背景について振り返ってみましょう。 チェイサー最後のモデルはスポーティーさを意識して開発された チェイサーは1996年に100系へとフルモデルチェンジし、明確なスポーティーモデルに進化しました。また、マークⅡの次モデルでは3兄弟体制が解体されて発売されなかったため、結果的に100系がチェイサー最後のモデルになりました。 マークⅡやクレスタとのもっとも大きな違いは、前後のオーバーハングが切り詰められている点です。オーバーハングが長く安心感を与える2台に対して、運転のしやすさや俊敏性につながる設計にしたことでスポーティモデルという位置づけを明確にしています。 また、BMW E36型3シリーズに似ているといわれる4灯ヘッドライトの形状やリアスポイラーなどが取り付けられた端正な見た目も、100系チェイサーを象徴するポイントです。 上級モデルという車格にふさわしい装備 高級サルーンとしての充実した装備も、100系のマークⅡ3兄弟の魅力です。100系が登場したのは「セダン・イノベーション」を掲げてトヨタがセダンの充実に取り組んでいた時期で、従来よりも装備が豪華になっていました。 エアコンのルーバーが自動で左右に動くオートスイング機構や、自発光するオプティトロンメーターといった上位モデルの装備までも盛り込まれていました。さらに、トヨタ車初となるディスチャージヘッドライト(HID)やシリーズで初めて衝突安全ボディ「GOA」を採用するなど、先進性も高められています。 100系チェイサーの性格がもっとも色濃く反映されたツアラーV 数あるチェイサーのグレードのなかで、「ツアラーV」がスポーティさをもっとも反映したモデルです。名機と呼ばれる1JZ-GTEエンジンを搭載し、レースでも輝かしい実績を残しました。 ここでは、100系チェイサーを代表するグレード、ツアラーVの魅力を掘り下げます。 90系から性能アップを遂げた1JZ-GTE 100系チェイサーのエンジンは、先代90系に引き続き1JZ-GTEでした。しかし、型式こそ同様ですが、100系に搭載されたエンジンは大幅な進化を遂げています。 最高出力は自主規制いっぱいの280psのままですが、ツインターボからシングルタービンに変更したことで最大トルクを37.0kgmから38.5kgmにまで向上させました。さらに、シリンダーヘッドにはVVT-iと呼ばれる可変バルブタイミング機構を搭載。全回転域で連続して吸気バルブのオーバーラップ量を変化させることで、出力特性と燃費性能の向上が図られています。 セダンなのにLSDまで装備 チェイサー ツアラーVには、トルセン型LSDまで装備されていました。(AT車はメーカーオプション)LSDとは、ディファレンシャルギアの差動を制御する装置です。 ディファレンシャルギアはコーナリングで生じる内輪と外輪の回転差を吸収できる一方、吸収した回転差分のトルクは失われてしまいます。常にクルマを前に進めたいスポーツ走行において、トルクのロスが発生するのは致命的です。そこで、LSDでディファレンシャルギアの動作を抑えることで、トルクロスを低減させます。 一方、ディファレンシャルギアの働きを抑制するため、通常走行時の回頭性や乗り心地が犠牲になってしまう点がLSDのデメリットです。乗り心地を重視する高級セダンなのにLSDが装備されている点からも、チェイサー ツアラーVがいかに運動性能を重視していたのかがわかります。 ドリフトだけでなくレースでも示した高いポテンシャル 100系チェイサーに対して、ドリフト車というイメージを持つ方も少なくありません。事実、多くのドリフトユーザーから愛されて、現在でも競技で使用されています。最近では、フォーミュラドリフトジャパン2023で、チームオレンジのKANTA選手(柳杭田貫太選手)がチャンピオンの座に輝きました。 一方で、短期間しか参戦していないためにあまり語られませんが、レーシングカーとしても高い実力をもつモデルです。1997年からわずか2年間しか参戦していないものの、JTCC最終年の1998年にチャンピオンを獲得しています。1997年シーズンの最終戦、インターTECでは、つちやエンジニアリングのチェイサーのステアリングを、土屋圭市氏がステアリングを握りました。 人気モデルだけに中古車購入時には注意が必要 100系チェイサーは、販売台数が多かったため中古車で比較的入手しやすいモデルです。特にツアラーVはセダンにも関わらず販売台数の3割がMTともいわれていて、ドリフトをはじめとするスポーツ走行目的で購入する方も少なくありません。 しかし、ツアラーVを中心にドリフト競技で酷使された個体も少なくないため、中古車を購入する際は注意が必要です。特にMT車を選ぶ方は、クルマの状態を細かく確認してください。AT車であれば比較的状態のいい個体も残っているため、あえてAT車を選ぶというのも選択肢の1つです。 100系チェイサーは、スポーティセダンという3兄弟のなかで明確な立ち位置を確立しました。チェイサー最終モデルということも相まって、今後も高い人気を保ち続けるでしょう。
風を切りながら走る爽快感を、軽自動車ながら存分に味わえるホンダ ビート。わずか一世代しか生産されなかったにも関わらず、現在でも多くのファンの心を掴んでいるクルマです。 そこで今回は、ビートに込められたホンダ開発陣のこだわりと、今も愛される理由を徹底的に紹介します。 ビートは初物づくしのすごい軽自動車 1990年代に登場したビートは、「初」という冠のつく仕様が多数盛り込まれた画期的なモデルでした。しかし、初採用の仕様の数々は決して奇をてらったものではなく、ホンダがこだわり抜いて開発した結果です。 まずは、ビートの仕様を改めて振り返ってみましょう。 世界初のミッドシップフルオープンモノコックボディ 1991年に発売されたビートは、量産車として世界で初めてミッドシップレイアウトとフルオープンモノコックボディを採用したモデルです。普通車でも存在しなかった世界初の仕様を、軽自動車で実現した点にホンダの高い技術力がうかがえます。 まず、ミッドシップレイアウトを軽自動車で設計するのは、容易なことではありません。ボディサイズが規格で決められているため、限られたスペースのなかで座席後部にエンジンを配置する必要があります。 さらに、フルオープンという仕様も、本格スポーツという方向性の軽自動車で実現するのは困難です。排気量の小さなエンジンで十分な走行性能を発揮するには、ボディの軽量化は欠かせません。しかし、ボディ剛性を確保しておかないと、キビキビとしたハンドリング性能が犠牲になってしまいます。そこでホンダは、主要なボディパーツの板厚をアップしつつ入力部分に効果的に補強材をいれることで、ビートの高い剛性を実現しました。 軽自動車で初めての仕様を詰め込んだ、ホンダのこだわり ビートには、軽自動車初の仕様が数多く採用されました。なかでも注目したいのは、フロント13インチとリア14インチの異径ホイールです。ミッドシップレイアウトによってリア側の重量が増した分、ホイールサイズを前後で変えることで重量バランスの最適化が図られています。 なお、ミッドシップレイアウトを軽自動車に採用したのもビートが初めてです。さらに、4輪ディスクブレーキ、SRSエアバックも軽自動車としては初の装備でした。 また、単なる軽自動車ではない、本格スポーツとしてのこだわりも随所にみられます。例えば、トランスミッションは5速MTのみが設定されています。日常の足という軽自動車本来の利便性を考えるとATを用意したほうが販売台数を伸ばせたはずですが、あえて5MTのみに限定し、走りを最大限に楽しめるモデルとしてリリースされました。 他にも、エンジン出力が犠牲になるパワーステアリングは装備しておらず、万人受けする利便性より走行性能を重視していたことがわかります。 ビートが今も愛されている理由 軽自動車初の仕様が数多く採用されたビートですが、他の高性能スポーツカーに比べて特別優位な点はあまり見当たりません。しかし、現在も中古車市場では活発に取引され、多くの人が大切に乗り続けています。 ビートがなぜ今も愛されているのか、2つのポイントで探っていきましょう。 F1の技術がフィードバックされた自然吸気エンジン ビートに搭載されているE07A型エンジンは、トゥデイやライフなどにも搭載される汎用エンジンです。しかし、ビートに搭載するにあたって、F1のテクノロジーを応用した技術で徹底的なチューニングが施されました。自然吸気エンジンながら、軽自動車の自主規制いっぱいの64psを発揮します。 E07A型エンジンで特筆すべきは、普通車でもあまり採用されていない3連スロットルです。気筒ごとに独立したスロットルを設けることで、吸気効率を高めています。さらに、レスポンスとアイドリングを両立するために、2つの燃料噴射制御マップを切り換える方式が採用されました。このホンダ独自のエンジンシステムは、「MTREC」(Multi Throttle Responsive Engine Control System)と呼ばれています。 ミッドシップレイアウトというスペース的な問題もあったのかもしれませんが、ターボに頼らないというホンダのエンジンへのこだわりは、ビートが愛されている理由の1つでしょう。 クルマを操る楽しさを追求 ビートは、実際に運転してみるとそれほど速いと感じるクルマではありません。最高出力の64psを発生するのは8,100rpmと極めて高い回転数で、ターボ車のような爆発的な加速力はないためです。 しかし、軽自動車というサイズとミッドシップレイアウトを活かした、キビキビとしたハンドリング性能はビートでなければ味わえません。また、8,000回転以上まで到達するエンジンは、スポーツカーに乗っているという感覚を満足させるには十分です。 絶対的な速さではなく、手足のようにクルマを扱える感覚こそが人々を惹きつける魅力なのでしょう。 残存台数の多さから今も愛されていることがわかる ビートは1991年から1996年の1世代しか生産されず、販売台数はそれほど伸びませんでした。デビュー当時は、前年発売されたNSXと同様のミッドシップレイアウトというイメージ戦略と138万8,000円という手頃な価格から予約が殺到。しかし、1990年代の「RVブーム」のあおりを受けて販売台数が伸び悩み、最終的な生産台数は3万3,892台にとどまりました。 一方で、2021年12月時点で日本全国に残るビートは、1万7,072台にものぼるという情報もあります。生産終了から30年近くを経ても、なお半数以上が残っているのは驚異的です。軽自動車規格の2シーターという日常的には使い勝手の悪いパッケージのうえ、5MTでパワステはなしという快適性もないモデルですが、今も多くの人に愛されていることを残存台数が証明しています。