ボルボ 850のスポーツタイプ特別仕様車として、1995年に発表された850 T-5R。日本国内では、T-5Rエステート(ステーションワゴン)とT-5Rセダンの両モデルが限定650台で販売されました。 特に人気を集めたのが、ステーションワゴンタイプのT-5Rエステートです。イギリスではツーリングカー選手権で優勝、日本ではグッドデザイン大賞を受賞するなど輝かしい経歴をもつ、ボルボ 850 T-5Rエステートの魅力を紹介します。 空飛ぶレンガの名にふさわしい850 T-5R エステート ボルボ 850 T-5Rエステートは、レースでの活躍を受けて開発された限定仕様のスポーツモデルです。もともとスポーティさを追求して設計されたボルボ 850は、異例の形でレースに投入されると、高い実力を証明してみせました。かつてレースで活躍した240の呼び名から「空飛ぶレンガの再来」とまで評されます。 ベース車輌の850も含めて、T-5Rの開発背景を振り返ってみましょう。 ステーションワゴンブームの火付け役ボルボ 850 ボルボ 850 T-5R エステートのベース車輌のボルボ 850 エステートは、先行して発売されていたセダンタイプに加わる形で1993年に登場しました。ボルボの新たな主力車種として位置付けられた850は、ボルボ初のFFレイアウトを採用するなど意欲的に開発されたモデルです。 日本にも同時期に正規輸入されると、大ヒットを記録。輸入車にもかかわらず、スバル レガシィとともにステーションワゴンブームの火付け役といわれています。「頑丈で安全なクルマ」という従来のボルボのイメージに、スポーティな要素を新たに加えた850は、日本のステーションワゴンにも大きな影響を与えました。 真の空飛ぶレンガはT-5R エステート ボルボ 850 T-5R エステートが誕生した直接のきっかけは、850でのレースへの参戦です。ボルボはかつて240ターボでレースに参戦し、直線基調のボディスタイルと輝かしい実績を評して「空飛ぶレンガ」と呼ばれました。 「空飛ぶレンガの再来」と話題になった850でのレース参戦ですが、さらにボルボの選んだ参戦車輌が注目を集めます。レースでは不利といわれるステーションワゴン、エステートを選んだのです。ボディ剛性の不足、リア側の重量など決してレース向きとはいえないステーションワゴンでの参戦は異例のことでした。 そして、1994年に英国ツーリングカー選手権(BTCC)で見事入賞を果たします。シリーズ優勝こそ掴めなかったものの、何度かの入賞で高い運動性能を証明。レース成績によって850 エステートに多くの注目が集まったことから、よりスポーティなT-5Rのリリースにつながりました。 なお、850 T-5Rはセダンも投入されますが、レースで結果を残したことを考えると、真の空飛ぶレンガはステーションワゴンのエステートです。 レースをきっかけに生まれたT-5Rエステートは数週間で完売 レースでの成功を受けて開発された850 T-5Rは、レース車輌のイメージを可能な限り投影したモデルに仕上げられます。チューニングが施されたエンジンに、専用のエアロパーツなどファンの心を掴む特別仕様車T-5Rは、限定2,500台が用意されたクリームイエローの完売後には、追加カラーが投入されるほどの人気ぶりでした。 日本国内でもおよそ600万円という高額だったにもかかわらず、限定台数650台(エステート500台、セダン150台)は数週間で完売。よりスポーティな限定仕様車だったことと、850が火をつけたステーションワゴンブームを背景に高い注目を集めました。 R-DESIGNのルーツらしく魅力的だった850 T-5R 現在のボルボのスポーツモデルには、「R」の文字が含まれるモデル名がつけられていて、総称して「R-DESIGN」と呼ばれています。そして、実はスポーツモデルとしてR-DESIGNが確立したルーツは850 T-5Rでした。 特別仕様にふさわしい数々のチューニングが施された、850 T-5R エステートの魅力を紹介します。 コンプリートカー並みの高性能モデル 850 T-5Rには、専用設計の2.3L直列5気筒ターボエンジンを搭載。ベースモデルの2.5Lよりも排気量が小さいものの、最高出力240ps、最大トルク30.6kg・mを発生するまでにチューニングされていました。0→100km/h加速は6.9秒を誇り、鈍重な印象の強いステーションワゴンのイメージを払拭します。 また、しっかりと固められた足回りやホイールなど、コンプリートカーと呼べるほど専用パーツが盛り込まれていました。 クリームイエローが「T-5R」の証 ホンダ シビック タイプRのチャンピオンシップホワイトのように、特別なスポーツモデルには専用カラーが用意されていることが少なくありません。850 T-5Rも例外ではなく、特別色「クリームイエロー」が限定車の証です。 850 T-5Rは、性能面だけではなく外装も専用設計でよりスポーティに仕上げられています。大きな開口部が目をひくフロントバンパー、ステーションワゴンらしからぬ大型リアスポイラーとレーシングカーを強く意識したデザインが印象的です。 ボルボ特有のボクシーなボディデザインとの組み合わせによって、より骨太な特別感あるエクステリアに仕上がっています。 ボルボ 850 T-5Rは即完売の人気車だっただけに慎重に取引したい ボルボ 850 T-5R エステートの発売の翌年には、実は後継車850Rも販売されました。しかし、こちらもT-5R同様即完売したという逸話が残っています。どちらも限定販売で希少性が高いため、つい細かな確認をしないまま取引してしまいがちです。 しかし、発売からすでに30年近くたっている旧車でもあるため、状態の確認はしっかりとしましょう。 また、売却する際に希少性を理解していない一般中古車店に持ち込むと、正しい評価をしてもらえないおそれもあります。ボルボ 850 T-5Rを取引する際は、必ず知識のある旧車専門業者に相談しましょう。
2022年10月に開催された「MINI×Paul Smith in東京」でEVバージョンが展示されたことで、再び脚光を浴びたポールスミス・ミニ。伝統のスタイリングを守りながら、ポール・スミス氏のデザインが随所に光る特別仕様車は、当時はもちろん現在でも人気の高いモデルです。 今回は、オールドファンの心をつかんで離さないミニの誕生秘話と、特別仕様車ポールスミス・ミニの魅力をたっぷりと紹介します。 革新的なコンパクトカー「ミニ」 1950年代に登場したミニは、当時としては画期的なコンパクトカーでした。しかも、40年以上に渡って基本的なスタイリングを一切変えなかった珍しい車種です。 ブリティッシュ・モーター・コーポレーションの技術者、アレック・イシゴニス氏が作り上げたミニの開発背景と魅力を改めて振り返りましょう。 ミニの開発は矛盾した挑戦だった 初代ミニが登場したのは、イギリスが石油危機にさらされていた1959年でした。各社が燃費の改善に躍起になるなか、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が発売したコンパクトカーがミニです。 ミニの開発にあたって、BMCの技術者アレック・イシゴニス氏は、「広々とした4人乗りの座席を確保したままで、車体サイズはできるだけコンパクトにする」というテーマを掲げます。車体サイズを小さくするのに、車内のサイズは変えないという大きな矛盾を抱えた挑戦でした。 しかし、ミニは当時としては画期的な方法で、「ボディサイズの縮小」と「居住空間の確保」という相反する2つの要件を満たします。当時は一般的だった縦置きエンジンのFRではなく、ミニは横置きエンジンのFFレイアウトを採用することで、エンジンルームの大幅な縮小に成功。さらに、当時BMCが生産していたエンジンのなかで最小の850ccクラスのAシリーズエンジンを搭載し、コンパクトサイズでありながら居住空間は広い画期的なミニが生まれました。 ミニの名を世界に知らしめたレース参戦 ミニにはいくつかの呼び名がありますが、「ミニ・クーパー」という名で覚えている方も多いのではないでしょうか。「クーパー」は、正確にはミニのスポーツグレード名で車名ではありません。しかし、ミニの存在を世界に知らしめた存在として「クーパー」とミニは切り離せない歴史があります。 ミニの開発当時、テストドライバーとしてステアリングを握っていたジョン・クーパー氏は、開発者のアレック・イシゴニス氏にレース参戦を持ちかけます。あくまでも経済車として開発を進めていたミニのレース参戦に当初は難色を示していたものの、ミニ発売から2年後の1961年についにレース参戦を決定しました。 そして、レース参戦から3年経過した1964年のモンテカルロラリーで、真っ赤なボディカラーの「ミニ クーパーS」が見事に初優勝を飾ります。レースでの活躍によってミニは一気に注目を集め、初代のMK-1は販売台数100万台超という大成功をおさめました。 ポール・スミス・ミニは英国の最強コラボレーション 1998年に限定1,500台で販売された、ポール・スミス・ミニ。イギリスのファッションデザイナー、ポール・スミス氏がデザインを手がけた特別仕様車です。多くの人から愛されるデザインで、40年の販売実績をもつミニに、ポール・スミス氏のデザインが加わるというイギリス最強のデザインコラボレーションが実現したモデルです。 内外装の至るところにポール・スミス氏の遊び心が光るポール・スミス・ミニは、ベース車両のミニ最終型のなかでも圧倒的な人気を誇りました。 ミニのスタイリングに取り込まれたポール・スミス氏の遊び心 ポールスミス・ミニは、ボディデザインが大幅に変わっているわけではありません。歴代のミニ同様、1959年に登場したスタイリングを忠実に踏襲したモデルです。 一方で、専用カラーの設定やエンブレム、ホイール、内装など多くの箇所にポール・スミス氏のデザインが盛り込まれています。オリジナルの良さをスポイルすることなく、新たなデザインを施したことで一気に人気が高まりました。 ポール・スミス・ミニの特徴をさらに詳しく紹介します。 特別感あふれるインテリア ポールスミス・ミニの内装は、ボディカラーに関係なくブラックレザーで統一されています。ドアの内張りといったボディ側だけではなく、シートまでブラックレザーで高級感ある仕上がりです。 一方で、インストゥルメントパネルはボディカラーと同色でペイント。気に入ったボディカラーを選んでも運転をしていると見ることができません。しかし、インテリアにボディカラーを取り入れることで内外装の統一感をもたせるとともに、ドライバーの満足度も向上します。 また、さすがイギリスを代表する有名デザイナーであるがゆえの細部に渡るこだわりも見逃せません。たとえば、グローブボックス内にも塗装が施され、車載ジャッキをいれる工具袋はジーンズ生地で作られるなど遊び心あふれるデザインです。 キラリと光る外装デザイン ポールスミス・ミニのボディ全体のデザインは、歴代のミニと大きくは変わりません。しかし、随所にポール・スミス氏のデザインが光ります。基本的なスタイリングを守っていたことも、オールドファンからの人気を集めた理由かもしれません。 外装面でもっとも大きなポイントは、専用カラー「ポールスミス・ブルー」の設定です。標準車にはないカラーリングを楽しめます。また、チャコールブラックの8本スポークホイールも足回りを引き締め、外観上の印象に大きく影響を与えるポイントです。 一方で、遠目に見ても大きく印象がかわらないものの、エンブレム類には強いこだわりがみられます。ボンネットエンブレムは、ポール・スミス氏が手がけたデザインを宝石職人が七宝焼きで仕上げたものを採用。グリルにはグレート・ブリテン島をかたどったエンブレムもあしらわれています。 リアエンブレムもグレートブリテン島をテーマにしたものを使用。極め付けはリアウィンドウに洋服のタグを思わせるポール・スミスのロゴが施されています。 現在でも色褪せないポール・スミス・ミニ ポールスミス・ミニは、最終型がベースだったとはいえ登場からすでに25年が経過しています。しかし、クラシックミニのスタイリングとともに当時の人気は今も変わらず続いているようです。 ただし、設計の古いミニを中古車で売買する場合は注意が必要です。車輌状態の確認など、専門業者でないと正しく判断ができません。とくに1,500台という限定販売だったポールスミス・ミニは希少車で、正しい査定をするためにはベース車両以上の知識が必要です。 ポールスミス・ミニの売却を検討する際は、名車・希少車・旧車の専門業者に一度ご相談ください。
官能的な加速感、気持ちの良い吹け上がりと共に響く甘美な音。アルファロメオ伝統のV6エンジン“V6ブッソ”は、今もファンを魅了し続けるエンジンです。今回は、開発者の名前を冠した通称で呼ばれるほど多くの人に愛された、V6ブッソについて振り返ります。アルファロメオのこだわりと、スペックだけでは測れない情緒的な魅力が見えてきました。 V6ブッソは最後のアルファロメオ製エンジン アルファロメオが1970年代に開発したV型6気筒エンジンは、1979年から2005年までの26年間も生産され続けた伝統あるエンジンで、“V6ブッソ”の愛称で呼ばれています。名機となったV6ブッソは、アルファロメオを代表するさまざまな車種に搭載されました。 今なお人気の高いV6ブッソと、開発者ジュゼッペ・ブッソについて紹介します。 アルファロメオ伝統のV6エンジン アルファロメオV6エンジン、通称V6ブッソが登場したのは1979年。アルファロメオのフラッグシップセダン、アルファ6(セイ)に初めて搭載されます。 その後、SOHCからDOHC、2バルブから4バルブ、キャブレターからインジェクションといった改良を加えながら、2005年の生産終了まで26年間もの間作り続けられました。 長期に渡る生産期間に、さまざまなバリエーションも生み出されます。排気量は当初2.5Lのみでしたが2L・3L・3.2Lを追加し合計4種になり、吸気方式は自然吸気とターボが用意されました。 オリジナル設計のエンジンをこれだけの長期間生産し続けたアルファロメオでしたが、2005年以降のエンジンは、残念ながら他メーカーとの共同開発に移行します。結果的に、アルファロメオがゼロから開発した最後のエンジンとなったことも、後にV6ブッソの評価を高めた要因の1つと言って間違いありません。 エンジンの愛称にもなっている開発者“ブッソ” V6ブッソを開発したのは、イタリア・トリノ生まれのエンジニア、ジュゼッペ・ブッソです。キャリアのスタートはフィアット、その後アルファロメオのレーシングエンジン責任者を務め、一度フェラーリに移籍しました。再びアルファロメオに戻ってきた後、手掛けたのが名機V6ブッソです。 個性的な存在感を放つV6ブッソ V6ブッソはアルファロメオを代表するエンジンだけあって、どのクルマに搭載されていてもエンジン単体で独特の存在感を放っています。 長年作り続けられ、今なおファンの心をつかんで放さないV6ブッソのすべては書ききれません。そこで、数あるV6ブッソの魅力から、あえて2点に絞って紹介します。 ファンを魅了する吹けの良さと甘美なサウンド V6ブッソの魅力は、高回転まで気持ちよく回る“吹け”の良さです。アクセルを踏み込むと、V6エンジンが生み出すパワフルなトルクによって、高回転まで一気に吹き上がります。 そして、エンジンの吹け上がりと共に高鳴るエンジン音も、V6ブッソが多くの人を虜にする理由です。V6ブッソが搭載されるモデルはさまざまにありますが、どのモデルも多くのファンを魅了しています。 高性能エンジンが奏でる音の表現として「咆哮」という言葉がよく使われますが、アルファロメオのそれは、咆哮ではなく「美声」と呼ぶにふさわしい官能的なサウンドです。フェラーリの乾ききった高音や6気筒エンジン特有の滑らかな音とも異なり、情熱的でハリのある甘美な響きを感じさせます。 息をのむ見た目の美しさ V6ブッソは、見た目でも人の心をひきつけるエンジンです。赤色の筆記体で記された「Alpha Romeo」の文字が印象的なヘッドカバーに、同じく赤色の「V6」の文字が浮かび上がるインダクションボックス。そこから伸びるインテークマニホールドも含めて、デザイン的なまとまりを感じます。 V6ブッソはイグニッションを回さなくても、見た目だけでエンジン全体のバランスの良さを感じさせる独特の魅力を持ったエンジンです。エンジンルームを眺めていると、機能美とはこんなにも美しいものかと再認識することができます。 V6ブッソを搭載した人気の2車種 数あるV6ブッソを搭載した車種の中でも、とくに高い人気を集めているのが156GTAと147GTAです。いずれもV6ブッソ最後のモデルとなったため希少性が高く“車両価格はエンジンの価格”とまで言われています。 156GTAには、セダンとスポーツワゴンが用意されていました。専用にチューンされた3.2LのV6ブッソは最高出力250ps/6,200rpm、最大トルク30.6kgm/4,800rpmを発生。セダンタイプで1,420kgもあったボディでしたが、V6ブッソ独特のエンジン音と加速感を味わえます。 147GTAは、156GTAの兄弟車として発売された、3ドアハッチバックのいわゆるホットハッチです。156GTAと同じく250psを発生する3.2LのV6ブッソエンジンを搭載しています。セダンの156GTAよりも車重が軽い147GTAのパワーウェイトレシオ5.56kg/psは、トップクラスのスポーツカーと遜色ないスペックで、V6ブッソ本来の加速感をセダン以上に感じられるモデルでした。 156GTAと147GTAを売るなら実績・知識豊富な業者へ 強烈な個性とヒステリックな魅力が溢れるV6ブッソ。そんな名機を最後に搭載した156GTAと147GTAはアルファロメオが誇る人気モデルです。 売却を検討する際にはエンジンの特徴や魅力をしっかりと理解している業者を選びましょう。どんな歴史をもち、どういった部分が長年愛されているのかを知っている買取業者であれば、高額買取に期待できます。156GTAと147GTAはちろん、さまざまな車、特に古いクルマに特化したサービスに査定を依頼するのがおすすめです。
ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランドクルーザー70系(以下ランクル70)をベースに40系(以下ランクル40)のスタイリングを復刻したカスタムカーです。ランクル40の復活を強く望むファンの声に応えるため、1997年に800台限定で生産されました。 実質的にトヨタ純正のカスタムカーとして開発されたPX10の魅力と、ベース車輌のランクル70と40の歴史を振り返ります。 ロングセラーモデルをかけ合わせたPX10 ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランクル40をモチーフにランクル70をカスタマイズする形で開発されました。ランドクルーザーのなかでも販売期間の長かった2車種をかけ合わせた魅力的なモデルです。 両車の歴史とPX10誕生について振り返ってみましょう。 レトロスタイリングが魅力的なランクル40 ランクル40は、3代目ランドクルーザーとして1960年に発売されました。北米で人気の高かった先代ランクル20を踏襲しつつ、乗用車としての快適性や高速安定性を重視して開発されたモデルです。 ランクル40は、国内のみならず海外からも高い評価を受け、1984年のモデルチェンジまで24年も生産され続けました。 本格クロカン車としての信頼性とデザイン性の高さから、世界で100万台もの売上を記録。ランクル40発売終了後も、特徴的な丸目ライトに挟まれたグリル、左右独立して張り出したフェンダーというスタイリングにコアなファンは魅了され続けました。 世界でもっとも活躍しているサバイバルカーランクル70 ランクル70は、ランクル40のフルモデルチェンジで1984年に発売。2004年に国内での販売は終了したものの、オーストラリアでは現在も販売され続けているロングセラーモデルです。さらに、国内でも人気の高さから2014年に1年限定で再販されました。 高い悪路走破性を誇るランクル70は、世界でもっとも活躍しているサバイバルカーとして、現在も世界各国で走り続けています。 一方スタイリングは、ランクル40から大幅に現代的に変更されました。独立したフロントフェンダーは残っているものの、大幅にサイズが縮小されています。また、2007年のモデルチェンジでは、特徴の1つだった独立フェンダーそのものが廃止されました。 トヨタ純正のカスタムカーPX10の誕生 PX10の製作は、トヨタのボディ組み立てメーカーである「アラコ」の、創業50周年記念事業として企画されたのがきっかけです。販売終了後も根強い人気のあった、ランクル40の復刻版を製作しようと計画されました。 ランクル40のスタイリングを忠実に再現するため、当初は保存されていたランクル40の金型を再利用して完全復刻する予定でしたが、コスト面などの事情により、ランクル70のミドルサイズ(HZJ-73V)のシャシーを利用して開発されます。 結果的に、ランクル史上もっともモデルライフの長い2車種のかけ合わせという、ファン垂涎のカスタマイズモデルが完成しました。 アラコと同じくトヨタ系列の架装メーカー、モデリスタがPX10としてリリース。90年代のクロカンブームの最中ということもあり、ランクルファンのみならず、幅広い顧客から支持されました。 ランクルマニアの心をくすぐるネオクラシック PX10の魅力 2ドアミドルサイズのランクル70(HZJ73V)をベースにカスタマイズしたPX10。 メーカー直系のカスタマイズモデルだけあって、ドアとリアゲート以外のほとんどを新たに製作するなど、ランクル40ファンを裏切らない忠実な復刻を実現しました。 PX10の魅力を再確認してみましょう。 細かな点まで徹底的にランクル40を再現 PX10の魅力は、なんといってもフロントフェイスです。丸目ヘッドライトに挟まれたグリルやフロントバンパー、フロントフェンダーはランクル40を完璧に再現しています。また、ウインカーやミラー、サイドエンブレムといった細かな点も忠実に復刻され、ランクル40の息づかいを感じられます。 さらに、インテリアでは、初期のランクル40で特徴的だった三角窓とCピラーのリアクオーターガラスを復活。内装面は、保安基準の問題から鉄板むき出しにはできなかったものの、オプションで鉄板風パネルを用意するほどのランクル40へのこだわりをみせました。 70系の馬力と足回りはそのままに ボディデザインや架装はランクル40を再現しているものの、走行性能は最新のランクル70と同等です。エンジンは、1HZ型4.2リッター直列6気筒OHCディーゼルを搭載。最高出力135PS/最大トルク28.5kgmを発生し、レトロ感溢れる見た目とは裏腹に力強い走りを実現しました。 また、足回りも前後共にリーフスプリングとリジッドアクスルを組み合わせたランクル70のものを採用。高い悪路走破性と搭乗者の快適性を確保しました。 人気モデルだからこそ専門業者に相談したい PX10は、ランクル80にランクル60顔を移植するといったユーザーレベルのカスタマイズではなく、メーカー直系のコンプリートモデルです。こだわりをもって開発されただけに、現在でも多くのランクルファンからの支持を集めています。 しかし、PX10は800台限定で生産されたことから、中古車市場でもほとんど見かけません。希少車の場合、専門の業者でないと正しい価値判断ができなかったり、販売力の問題で取り扱いできなかったりすることもあるので注意が必要です。 売却を検討する際には、1990年代の車種を取り扱う旧車専門の業者に相談されることをおすすめします。
どっしりとしたスタイリングと大型グリルガードが演出するワイルドな風貌が印象的な、日産 Y60型サファリ。販売台数こそトヨタ ランドクルーザーに及ばなかったものの、ラダーフレームによる頑丈な作りと、高い悪路走破性は本格クロカン車として引けをとりません。 Y60型 サファリの本格クロカンとしてのこだわりを、歴代モデルも交えながら振り返ってみましょう。 軍用から民間用へ変化をとげたクロカン車 日産 Y60型サファリは、屈強な四輪駆動車として君臨しました。どんなに厳しいロード環境でも難なく切り抜けるそのタフさは、かつて自衛隊車両として製作された「パトロール」譲りといえます。 パトロールからサファリへ変化をとげたクロスカントリー車の歴史と開発背景を紐解いていきます。 サファリの起源は軍用車輌として開発された4W60 サファリの起源は1950年に登場した4W60です。開発されたきっかけは、日産が警察予備隊(現在の自衛隊)から車輌納品の要請を受けたことです。最終的に採用されたのは三菱 ジープでしたが、サファリはランドクルーザーと並んで国家警察(現在の警視庁)に納車されました。 日産は培ってきたトラック生産の経験に加え、ジープやダッジの下請け修理から学んだ経験をいかし、4W60を独自開発。「パトロール」の愛称で呼ばれた4W60は国家警察に納品後も改良を重ね、消防や医療、建設といった業務用車両として販路を拡大しました。 初代サファリを大きく刷新して地位を確立した2代目Y60型 パトロールと呼ばれた4W60は、業務用車輌としては高い信頼性を得ましたが、個人用としてはランドクルーザーに大きく遅れをとっていました。そこで日産は、国内の一般ユーザー向けにパトロールを一新することを決断。1980年に初代サファリ160型が誕生しました。 サファリの地位を確立したのは、1987年に登場した2代目Y60型です。シャシーと足回りを刷新し、新設計のエンジンも搭載。さらに、現代的な曲線を取り入れた、迫力のあるスタイリングに生まれ変わりました。 骨太設計が光るY60型サファリ ライバル、ランドクルーザーがSUV路線へと舵を切るなか、2代目サファリはあくまでもクロカン車としての性能を追求します。 クロカンとして高い性能を誇っていたY60型サファリの魅力を紹介します。 足回りを中心に悪路走破性を飛躍的に向上 Y60型でのもっとも大きな進化は足回りです。歴代のリーフリジッドサスペンションから、スタビライザー解除装置付きコイルリジッドへ変更。ストロークの長いコイルリジットによって、オフロードでの走破性を格段に向上させました。 さらに、タイヤの動きを制限しないタイヤハウス、障害物の影響を受けにくいボディ形状、頑強なラダーフレームを採用し、徹底的に悪路走破性を追求しました。本格クロカンとして最高の性能を備えたモデルといえるでしょう。 悪路で実力を発揮する大排気量エンジン Y60型の標準モデルに搭載されたエンジンは、TD42型4.2L直列6気筒ディーゼルエンジンです。最高出力135ps、最大トルク28.5kgm・fを発生しました。また、吸気方式をNAとしたことで扱いやすいエンジンに仕上がっています。 さらに1991年には、輸出モデルのみに搭載されていた最高出力175ps最大トルク32.6kgm・fを発揮するTB42E型4.2L直列6気筒ガソリンエンジンを国内向けモデルに追加しました。ライバル車にも引けを取らないスペックを誇るモデルです。 個人ユーザーも強く意識したモデル展開 Y60型サファリは、歴代で初めて4速ATを1988年に追加したモデルです。ほかにも、1991年には3ナンバーサイズのワゴンを追加するなど、ヘビーデューティ目的の特定ユーザーだけではなく個人ユーザーの幅広いニーズにこたえるモデルを展開しました。 ロングボディ、ショートボディ、欧州仕様のディーゼルターボの投入といったバリエーションが多彩にある点もY60サファリの魅力です。 中古車の売買は旧車専門業者に相談が全体条件 本格クロカンとしてさまざまな場面で酷使されやすいY60型サファリ。購入後の思わぬ故障やトラブルを避けるためにも専門業者からの購入をおすすめします。 また、売却する場合も注意が必要です。Y60サファリの本当の価値を評価してもらえない買取業者に査定を依頼すると、経年劣化やヘビーデューティによる傷みから過小評価される恐れもあります。 Y60型サファリは販売台数こそランドクルーザーに及ばなかったものの、高い悪路走破性と風格のあるボディデザインが魅力のクルマです。購入時も売却時もぜひ専門店に相談しましょう。
名車「テスタロッサ」の後継車種として1991年に発表されたフェラーリ 512TR。ボディデザインが似ていることから、テスタロッサのマイナーチェンジモデルと思われることも少なくありません。 しかし、512TRは正真正銘の後継モデルです。エンジンからフレーム、そして似ているといわれる外観デザインに至るまでフラッグシップモデルに相応しく徹底的にこだわって作られました。テスタロッサの弱点を補って余りある進化を遂げた512TRの魅力を紹介します。 名車テスタロッサの後継車として開発された512TR 512TRの前身、テスタロッサは実に8年間に渡って大きな変更がないまま販売されました。その間、エンツォ・フェラーリの死去など社内体制が落ち着かなかったこともありますが、もともとそれだけ完成度が高かったということです。 512TRは、名実ともにフラッグシップモデルに君臨していたテスタロッサを超える必要がありました。まずは、前身テスタロッサの概要と512TRの開発背景を振り返ってみましょう。 新たなフラッグシップモデルとして登場したテスタロッサ 512TRの前身の名車「テスタロッサ」は、1984年の秋にモンディアル・ド・ロトモビルで初披露されました。フェラーリの新たなフラッグシップモデルとして、MRレイアウトに180度V型12気筒エンジンを搭載。フェラーリ製の180度 V12として初めて4バルブヘッドが採用され、最高出力は390psを発揮しました。 「テスタロッサ」は「赤い頭」という意味のイタリア語で、1960年代にフェラーリのレースカーとして活躍したシリーズでも同じ名称が使われています。ヘッドカバーが赤く塗られていたことから名付けられました。 1992年に512TRにバトンを渡すまでの8年間で、合計7,177台が製造されました。スーパーカーという特殊なモデルを考えると、大成功といえる生産台数です。 テスタロッサと同じ「赤い頭」を持つ512TR フェラーリ社内が落ち着いてきた、1988年に512TRの開発はスタートします。そして、開発から3年後の1991年秋、ついにテスタロッサの後継「512TR」が発表されました。 テスタロッサの後継であることを示す「TR」の文字が冠された512TR。先代同様の赤色のヘッドカバーを持つ、5L180度V型12気筒エンジンを搭載しています。ちなみにモデル名の「512」は、「5L」「12気筒」を示す数字です。 最高出力428psを誇るエンジンを新設計のシャーシに搭載し、名門フェラーリのフラッグシップモデルらしい進化を遂げました。課題だった重心の高さとボディ剛性を改善するなど、大幅な性能アップを果たしていて、史上最高の「テスタロッサ」と評価されることもあります。 テスタロッサのデザイン的要素を踏襲 512TRのエクステリアデザインは、基本的にテスタロッサを踏襲しています。外観上の特徴であるリトラクタブルヘッドライトはもちろん、ボディサイドのフィンなど多くの点が共通していました。 一方で、フロントバンパーを一体型にしグリルも変更、エンジンフードの形状もシンプルなものに見直すなど、8年の時代変化を取り入れたデザインも随所に見られます。エンジンやシャーシの進化だけではなく、大幅な変更はなかったものの実はエクステリアも正統進化しているのです。 先代の弱点を解消してさらなる進化を遂げた512TR 512TRは、先代テスタロッサの抱えていた課題を徹底的に解消します。しかも、パワーアップをしにくいNAエンジンながら、約10%のパワーアップにも成功しました。 512TRの進化について、一つ一つ紐解いていきましょう。 テスタロッサの課題を徹底解決 先代テスタロッサの課題は、居住性の確保に伴ってエンジン搭載位置が後方よりになったことにより、前後重量配分と重心の高さが失われた点です。また、ハイパワーエンジンを支える車体のボディ剛性の弱さも問題でした。 512TRでは、テスタロッサの弱点を徹底的に解消しました。まず重心の高さの問題は、オイル循環方式をドライサンプに変更、ブラケットの改良などによってエンジンアッセンブリの搭載位置を30mmほど下げることに成功します。 課題のボディ剛性は、各所に補強を施して向上させます。フレームそのものはテスタロッサを踏襲していましたが、ねじ止めだった床を溶接に変更、荷室やエンジンルームとの隔壁にも鉄板を張り込むといった改良でボディ剛性を高めました。 同排気量のまま大幅にパワーアップしたエンジン 512TRに搭載されたのは、先代と同じ5LV型12気筒エンジンです。しかし、最高出力は先代の390psに対して428psを発揮、38psものパワーアップに成功しました。 新形状の吸入ポートの採用、バルブ径の拡大による吸排気効率の向上。さらに圧縮比10.0を達成した新設計ピストンやカムのプロフィール変更といった、細かい改良の積み上げで大幅なパワーアップを達成しました。 テスタロッサの課題だった重量バランスと剛性の改善とあわせて、当時のフェラーリ最強のマシンに仕上がっています。 世界で2,200台あまりの希少車種 512TRはテスタロッサと比べて販売期間が短かったこともあり、世界でわずか2,200台あまりしか生産されなかった希少車種です。大手中古車サイトで検索したところ、わずか1台しかなく、しかも価格は公開されていませんでした。 希少車でも精力的に買い取る旧車王では、1993年式の512TRを1,600万円で買い取りました。512TRの売却を検討している方は是非、旧車王へご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時
シンプルなデザインで、一見普通のステーションワゴンにさえ見える三菱 ランサーエボリューションワゴン。しかし「ランエボ」の名に恥じない高い走行性能を秘めたマシンです。特に6MT仕様は、本気でサーキットを攻められるステーションワゴンとは思えない実力を備えていました。 走る楽しみと使い勝手の良さを兼ね備えた、三菱ランサーエボリューションワゴンGTの魅力に迫ります。 ランエボの派生車種として誕生したランサーエボリューションワゴン 当初、世界ラリーのホモロゲーション取得のために限定生産された、4ドアセダンのランサーエボリューション、通称「ランエボ」。そして、9代目ランエボの派生車種として、ランサーエボリューションワゴン(以下「エボワゴン」)は誕生しました。 エボワゴンは、発売された翌年の2006年、デビュー戦である十勝24時間レースで堂々の5位入賞を果たします。 ランエボ(セダン)の走りと引けを取らない、エボワゴンの特徴を紹介します。 ランサーエボリューション初のステーションワゴン 2005年9月にランサーエボリューション初のステーションワゴンとして登場した「ランサーエボリューションワゴン」。通称「エボワゴン」は、2005年3月に発売されたランサーエボリューションIXをベースに開発されました。 スバル インプレッサスポーツワゴンのようにスポーティな見た目ではなく、箱型ボディにブリスターフェンダーという、一見商用車ともとれます。しかし、その見た目とは裏腹にすぐれた走行性能を発揮し、乗車する全ての人を驚かせました。 エボワゴンの設定はGTとGT-Aの2グレード ランサーエボリューションワゴンのグレードは、GT(6速MT)とGT-A(5速AT)の2グレードです。両グレードとも可変バルブタイミング機構をもつMIVECエンジン、4G63型直列4気筒DOHC16バルブターボエンジンを搭載していました。ただし、5速ATを採用するGT-Aは出力をやや絞ってあります。 6速MTのGTは、最大出力280ps(6,500 rpm)、最大トルク40.0kg・m(3,000 rpm)を発揮。GSRグレードのランエボセダンと比べるとややトルクは劣るものの、パワーはまったく同じでほぼ同様の高い性能を誇ります。 一方5速ATのGT-Aは、最大出力272ps(6,500 rpm)、最大トルク35.0kg・m(3,000rpm)とモータースポーツ用としてチューニングされているGTと比べ、やや数値的にはやや劣るものの、ステーションワゴンとしては十分すぎる性能を誇っています。 弱点のボディ剛性を徹底強化 ワゴンタイプの弱点はボディ剛性です。特にハッチバックのリアは開口部が大きい上、セダンにはある隔壁がないため、ただワゴン化しただけではボディ剛性が大幅に低下してしまいます。 エボワゴンは、リア部を中心に徹底したボディ剛性の強化を図りました。テールゲートでは50箇所以上にも及ぶ各部のスポット溶接増し、A・B・C・Dピラーとルーフの接合部の補強。さらに、リアダンパーの取り付け部に補強材、大型リヤフロアクロスメンバーを追加といった形で、リア部を中心にボディ剛性の強化を徹底して行いました。 ほぼ手作りともいえるほど製造工程が増したこともあって、わずか2,500台の限定生産でした。 走行性と快適性の2つの顔を持つエボワゴン 車とは、スポーツ性能を追求すると利便性が損なわれ、逆に室内空間の確保といった快適性を重視すると走行性能がスポイルされてしまうのが一般的です。 しかし、ランサーエボリューションワゴンは、この既成概念の払拭に成功します。ラリー並の走行性はそのままに、ドライバーと同乗者の快適性にもこだわって作り上げられました。 ステーションワゴンの概念を覆す走り エボワゴンをドライブすると、ステーションワゴンに対するイメージが180度変わります。スムーズな加速感にキビキビとしたハンドリング、車重を感じる場面も若干あるものの、限りなくセダンに近い乗り味です。 特に6速MTのGTでは、セダン同様のクロスレシオ気味のトランスミッションを備え、トルクフルな4G63エンジンによる気持ちのよい加速が味わえます。さらに、高いボディ剛性を活かしたハンドリングは秀逸です。ヘリカル式LSDの効果もあって、切り込んだ方向に思うがままに向きを変えられます。 走りだけに特化しない充実した装備はセダン以上 エボワゴンの魅力は、走行性能だけではありません。利便性や快適性を重視する、ステーションワゴン本来の性能にもこだわっています。 レカロシートも利便性を重視して専用設計され、セダンとは異なるものを使用。サイドポートを小さくし、乗降の利便性を向上させています。また、セダン以上の静粛性もステーションワゴンならではの設計思想です。ダッシュパネル付近の遮音性を向上させたほか、開口部となる荷室周辺も吸音材や遮音材に加えて制振材まで使用する徹底ぶりをみせています。 ほかにも、HIDヘッドランプや6スピーカー、プライバシーガラスといったユーティリティカーに欠かせない快適装備もしっかりと押さえています。 希少車だけに買取価格も高騰 三菱 ランサーエボリューションワゴンは、2グレード合わせてわずか2,500台の限定生産だった希少車種です。特にランエボのスポーツ走行を受け継いだ人気の高いGTだと、さらに希少価値が高まります。 大手中古車サイトで検索したところ、10万キロを大きく超える車体を含めてわずか25台しかありませんでした。旧車王での買取も、昨年の5月に2006年式で86,600km走行のランサーエボリューションワゴンGTを他社と比べて40万円以上もの高値の240万円で買い取っています。ランサーエボリューションワゴンの売却を検討している方は、ぜひ旧車王へご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時のもの
和製スーパーセブンとも呼ばれる、ミツオカ ゼロワン。光岡自動車が国内で自動車メーカーとして認可を受けた記念すべきモデルです。一方、誤解している方も少なくありませんが、実はロータス スーパーセブンのレプリカではありません。光岡自動車がゼロから開発したオリジナル設計の車です。 今回は、個性的なスタイリングが特徴的なゼロワンの魅力をたっぷりと紹介します。 光岡自動車とゼロワンの誕生を振り返る 個性的な車を生み出し続けている光岡自動車は、創業時から車を製造していたわけではありません。国内10番目の自動車メーカーとなった経緯と、ゼロワン開発について振り返ってみましょう。 単なる自動車工場から始まった光岡自動車 光岡自動車は、国内10番目に認可を受けた自動車メーカーです。しかし、1968年の創業当初は、独自の開発はおこなっておらず、板金塗装や自動車整備を事業の柱にしていました。 自動車開発の一歩を踏み出したのは1982年。マイクロカーの修理依頼をきっかけに、「自分たちでも車を作れるのでは」と独自開発したゼロハンカー「BUBUシャトル50」を発売しました。車としての作りの良さと、50ccという手軽さから全国的なヒットを記録します。BUBUシャトル50の成功を受けて、後継車種も順調にリリースされました。 法改正によってBUBUシャトルシリーズの販売が低迷すると、今度は既存車両の改造に着手します。フォルクスワーゲン ビートルをベースに大幅な改造を施した、メルセデス・ベンツ SSKのレプリカ「BUBU クラシックSSK」を発売。日産 シルビアをクラシカルなスタイリングに改造した「ラ・セード」など、独自の視点と高い技術力で多くの改造車両を生み出しました。 既存車両の改造で培ったノウハウが、オリジナル車両の開発、認可につながっていきます。 ゼロワンによって国内10番目の自動車メーカーになった ミツオカ ゼロワンは、光岡自動車が初めて型式認証を取得した車です。型式認証を取得していないカスタムカーを登録するには、車両を1台ずつ陸運局に持ち込んで検査しなければなりません。しかし、型式認証があれば、新車を販売する都度検査することなくナンバーを取得できます。 1994年のゼロワン発売から2年後の1996年、厳しい適合検査を突破してついに型式認証を取得します。ゼロワンの車検証の車名欄には「ミツオカ」と記載され、光岡自動車は名実ともに国内の自動車メーカーとして認められました。新たな自動車メーカーの認可は、1960年代のホンダ以来の快挙でした。 ロータス スーパーセブンはあくまでも見本だった 「和製スーパーセブン」と評されるゼロワンは、これまで多くのレプリカ車両を手掛けてきた光岡自動車の歴史から、レプリカと誤解されることもあります。実際、ロータス・スーパーセブンのスタイリングをもとにデザインされたことは事実です。 しかし、あくまでも外観上の見本としただけで、車両自体はフレームから光岡自動車によって独自開発されました。さらに、スーパーセブンと似たデザインであることは、実は光岡自動車の高い技術力の証でもあります。1950〜70年代に開発されたオープン2シーターというデザインのまま、1990年代後半の厳しい保安基準をクリアするのは容易なことではありません。 ゼロワンは初の型式認証モデルとは思えない完成度 ゼロワンは、単なる型式認証取得のために作られたのではなく、車としてきちんと作り込まれたモデルです。同クラスの他車種と比較しても、遜色のない走行性能を兼ね備えていました。 本家スーパーセブンと比べると決して高性能とはいえませんが、車作りの情熱が十分に注ぎ込まれて開発されています。ここでは、そんなゼロワンの魅力を詳しく紹介します。 大柄ながら軽量に仕上げられたボディ ゼロワンの重量はわずか720kg。しかし、ボディサイズは、全長3,645mm×全幅1,690mm×全高1,190mmと、スーパーセブンのレプリカであるバーキンセブンよりも大柄に作られていました。FRPとアルミ材の効率的な使用で、徹底した軽量化が図られた結果です。 エンジンは、ユーノス ロードスターに搭載されていた1.6L直列4気筒DOHCエンジンを採用。最高出力は120psながら、ロードスターの1番軽いモデル(940kg)よりも200kg以上軽く作られていたゼロワンをドライブするには十分な出力でした。 自動車メーカーとして妥協なく作り込んだ ゼロワンは、本家スーパーセブン同様に走行性能にもこだわって開発されています。また、多くの自動車メーカーと同様に、発売後のマイナーチェンジや派生車種も生み出されました。 サスペンションは、4輪独立懸架の前後ダブルウィッシュボーンを装備。見た目だけではなく、走行性能にもこだわって開発されました。ブレーキも前後ディスクブレーキを採用し、フロントには冷却効率のいいベンチレーテッド型のディスクが装備されています。 型式認証取得後には、マイナーチェンジも実施されました。エンジンを同じくロードスターの1.8Lモデルに変更。最高出力とトルクが向上したことで、さらに走行性能が高められました。また、ボディサイズを全長95mm、全幅5mm拡大し、フロントのデザインを変更した「クラシックタイプF」もラインナップに追加されます。4速ATを新たに設定した点も、クラシックタイプFの特徴です。 販売台数が限られていただけに高値水準を維持 ゼロワンの販売最終年は2000年と比較的最近まで作られていましたが、販売台数そのものが少なかったことから中古車相場は高値で推移しています。 大手中古車サイトで検索したところ、そもそも5台しかなく、250~350万円ほどの価格がつけられていました。 旧車王での買取価格も高水準で、2023年1月に1996年式のベースグレードを250万円、2023年3月に1997年式のクラシックタイプFを195万円で買い取った実績があります。お手元にミツオカ ゼロワンのある方はぜひ一度ご相談ください。 ※中古車価格は2023年4月執筆時
1966年から1969年のル・マン24時間レースを4連覇したことで有名一躍有名になったフォードGT40。アメ車らしい迫力のある走りに多くのファンが魅了され、さまざまなレプリカモデルが製作されました。 今回は、数あるレプリカのなかでも完成度が高く、今も人気が高いGTD40を紹介します。フォード GT40の歴史とともに振り返りましょう。(フォード GT40は通称名で、正式名称はフォード GT) 輝かしい功績を残したフォード GT40 GTD40のベースであるGT40は、1960年代にレースシーンで活躍したレーシングカーです。伝説とも言われるGT40の活躍は「フォードVSフェラーリ」という映画でも描かれました。まずは、フォード GT40の歴史を振り返りながら、その魅力に迫ります。 ライバル・フェラーリに勝つために誕生 1963年、フォードは経営難にあったフェラーリの買収を試みます。しかし、契約書のレース予算の決定権を巡って交渉は決裂、買収には至りませんでした。 そこで、フォードの2代目社長ヘンリー・フォードは、レースでフェラーリに勝てるレーシングカーの開発を命じます。こうして誕生したのがフォード GT40です。 ル・マン24時間耐久レース優勝 GT40は、開発当初こそトラブルに悩まされますが、参戦わずか2年目の1966年には、ル・マン24時間耐久レースを制します。しかも、当時無敵の強さを誇ったフェラーリを制し、GT40は1位〜3位を独占。ヘンリー・フォードの要求に答えるマシンを、フォード開発陣は見事に作り上げました。 さらに、初優勝から4連覇という偉業を成し遂げ、多くのファンを魅了しました。フォードの高い技術力を証明したマシンとして、今もなお高い人気を誇ります。 レプリカとして製作されたGTD40 ル・マンでの輝かしい成績によって、GT40の人気は一気に高まります。しかし、GT40は量産車ではないので、簡単に購入できるわけではなりません。オークションに出品されても軽く一億円を超える値段がつけられ、現実的に入手は困難でした。 そこで、多くのカスタムカーブランドがレプリカ製作に乗り出します。なかでも、日本に正規輸入代理店のあったGTD社製のGTD40ル・マンが国内でもっとも有名になりました。 GTD40とは GTD社が製作したGTD40は、オリジナルのもつ雰囲気をうまく再現したレプリカです。 レーシングカーと同仕様の車両を作ることは現実的には不可能ななか、こだわるべきところにこだわってGT40の魅力をしっかりと詰め込んで製作された、GTD40の仕様を詳しく紹介します。 アメ車らしいV8エンジン GTD40に搭載されたエンジンは、5.0L~5.4LのV型8気筒エンジン。レーシングカー仕様だった実物のGT40でも4.7L〜7.0Lだったことを考えると迫力十分のエンジンです。数字的な情報は不明なものの、大排気量のV8エンジンの生み出すパワーとトルク、音はアメ車ならではの力強さを感じさせてくれます。 また、レーシングカーさながらのクロス配管であるエキゾーストパイプを採用している点も、GTD40がレプリカとして評価の高い理由の一つです。安価なレプリカでは排気管まで作り込まれていないモデルも少なくありません。見えない部分ではありますが、排気効率という車の性能そのものにかかわる部分だけに手を抜かずに作り込まれています。 特徴的な右ハンドル右シフト仕様 GTD40は、オリジナルのGT40と同様の右ハンドル右シフトという特徴的な仕様を採用しています。当時のサーキットは右ピットが多かったため、右ハンドルのほうがドライバー交代で有利だったためです。さらに、大排気量のMRレイアウトのため、ボディサイドに変速用ロッドを通すことでエンジンとの干渉を防ぐために右側にシフトをレイアウトしました。 当時のレーシングドライバーと同じ視点と操作感覚を味わえる点が、GTD40の大きな魅力と言えるでしょう。(アメリカで販売されたモデルは法律の関係上、左ハンドルのモデルもあります) レーシングカーを感じさせるボディ設計 GTD40は、ボディ設計もできるだけオリジナルを踏襲して開発されました。セミモノコックボディのドアを開けると、レーシングカーらしい極太のサイドシルが印象的です。 サイドシルは燃料タンクも兼ねており、大排気量エンジンを長時間走らせるのに十分な燃料を搭載できます。また、ボディ上部まで開閉するサイドドアは、ドライバー交代をしやすくするために開発されました。GTD40も同様の構造で、全高が低いながらも比較的乗り降りがしやすくなっています。 GTD40といった希少車でも高価買取 GTD40は、フォード GT40のもつ魅力を余すことなく再現したレプリカ車両です。ただし、レプリカながら生産台数は少なく、現在では本家GT40に負けず劣らず入手しにくい希少車となってしまいました。 旧車王では、希少なGTD40を800万円で買い取った実績があります。世の中にあまり出回っていない希少車であっても、旧車王ならきちんと査定いたしますので、愛車の売却を検討中の方はぜひ一度ご相談ください。 ※価格は2023年4月執筆時
日産 S14型シルビアは、フルモデルチェンジで不評を買った日産車としてR33スカイラインと並んで有名です。共通点は「大型化」と「丸みを帯びたデザイン」で、先代のもつスタイリッシュで軽快なイメージを壊したことが不人気につながりました。 しかし、国産スポーツカーの人気の高まりとともに、不遇の評価を受けていたS14の魅力が見直されつつあります。FRスポーツクーペとして確かな実力を備えていたS14。今回はS14の登場時の状況を振り返りつつ、本当の実力と魅力に迫ります。 販売当時は不人気だった不遇のシルビアS14 シルビアの地位を確立したS13に対してフルモデルチェンジしたS14は、登場から大きな批判を浴びます。大きくて丸みを帯びたボディデザインは、S13ファンを落胆させました。 結果的にS13の3割にも満たない販売台数になってしまった、S14の当時の様子を振り返ります。 デートカーとして一世を風靡したS13 初代シルビアの登場は1965年。商業的に大きな成功はしませんでしたが、精力的にモデルチェンジを繰り返しました。そして、1988年に5代目として登場したS13が、デートカーとして一世を風靡し大成功をおさめます。 近未来的でスタイリッシュなボディデザインと高い走行性能から販売台数は約30万台にも及び、5年間販売されました。 大型化が裏目に出たS14 5年ぶりのフルモデルチェンジを図ったS14シルビアの登場は1993年。S13の成功後だけに、大きな期待が寄せられていました。しかし、全体に大型化が図られ軽快さがスポイルされたことに加え、丸みを帯びたデザインが重たいイメージに拍車をかけたために批判を浴びます。 実はボディサイズの拡大にはメリットもあったのですが、エンジンとプラットフォームの基本部分が先代からの踏襲で、目玉となる変更点が外観だっただけに悪い点ばかりが目立ってしまいました。 マイナーチェンジで人気の回復を願うも時代にも見放される 振るわない販売台数を増やすべく、日産は1996年6月にマイナーチェンジを実施します。タレ目で弱々しいと言われていたヘッドライトを直線基調のツリ目フェイスに変更したことに加え、ベースグレードとなるQ’sの新車販売価格を10万円値下げしました。 しかし、直線基調のヘッドライトともともとの丸みを帯びたリアデザインの前後バランスが悪く、かえってユーザーの不評を買ってしまいます。また、後のSUV人気にも発展するRV車の台頭によって、スペシャルティの人気が下がっていたことも逆風となって思うように販売台数は伸ばせませんでした。 その後も特別仕様車を投入するなど精力的に販売数の増加に取り組みますが、先代S13とほぼ同等の販売期間にもかかわらず、8万5千台あまりの販売でS14の生産は終了します。 大型化による恩恵がS14を見直すきっかけになった ボディを大型化したことが、S14が不人気となった大きな理由でした。しかし、魅力が見直された理由は、皮肉にもボディサイズの拡大と当時は不評を買った丸みを帯びたデザインです。また、悪い面ばかりが注目されたS14ですが、S13に比べて大幅な性能アップも果たされていました。 ここからは、S14のエンジンや評価されているポイントを紹介します。 ほぼ完成の域に近づいていたSR20型エンジン S14シルビアに搭載されたエンジンは、S13後期から引き続きSR20型でした。しかし、後継のS15に搭載されたSR20エンジンと比べても遜色のないほど、大幅なパワーアップが図られています。 自然吸気のSR20DEで160ps、ターボのSR20DETでは220psの最高出力を発揮。1997年に作られたオーテック特別仕様車は、250psとS15とまったく同じ出力です。 実は車重の増加に見合うポテンシャルの引き上げがしっかりと行われていたので、見た目のイメージほど走行性能は犠牲になっていません。 ドリフトシーンで高い評価を受けた大型化 S14シルビア不人気の理由となった、ボディサイズの大型化はクルマの運動性能という意味では決してマイナスではありませんでした。トレッド幅とホイールベースの拡大によって走行安定性が向上。限界領域でのコントロール性能も高かったことから、当時盛り上がりを見せていたドリフトシーンで注目を集めます。 また、ボディ剛性も曲げ剛性で約200%、捻り剛性で約150%とS13から大幅にスペックアップしていたことも、ボディに無理を生じさせるドリフトには有利な点でした。さらに足回りも。S13と共通ながらストローク量が確保されていて安定性が増しています。 いずれのポイントも、ボディの大型化によって実現した性能です。 魅力として見直されつつある当時のデザイン 当時の日産デザインを象徴するS14の丸みを帯びたやわらかなスタイリングと、大型のボディサイズによる高い居住性は現在では魅力の一つとして見直されています。 S14と同様に大型化で不評を買ったもう一つの日産車がR33型スカイラインです。しかし、R32の高騰を皮切りに大きく見直され、海外を中心に高い評価を得るようになったのはご存じの方も多いでしょう。 また、前期と後期でフロントマスクがまったく異なる点も、S14をファンが楽しんでいる理由です。前後期でフロント部分をスワップして、自分好みのスタイリングを楽しんでいます。 今なら状態の良い個体も見つけられるS14 人気のS13や販売台数の少なかったS15と比較すると入手しやすい価格ですが、価値が見直されていることから価格は徐々に高騰しつつあります。大手中古車サイトで探したところ、安いものは100万円前後から購入可能ですが、1993年式のK'sで455万円もの個体もありました。 ドリフト車として人気が高かった一方で、大柄でおとなしいデザインからノーマルのまま日常車として使用するオーナーも多かったため、状態の良い車両もまだ比較的市場に残っています。S14シルビアを手に入れたい方は早めに検討しましょう。 また、手元に状態の良いS14がある方は、価格が高騰している今が高値で販売できるチャンスです。状態が悪くなってしまう前に、ぜひ旧車王に一度ご相談ください。 ※中古車価格や経過年数は2023年3月記事執筆時
旧車王は、「自動車文化遺産を次世代へ」という信念のもと、旧車・クラシックカーに特化して23年、年間11,000台以上の査定申込をいただいております。改造車から希少車まで、適正価格を見極めて買取させていただきます。弊社所属の鑑定士が最短当日で全国無料出張査定いたします。ご契約後の買取額の減額や不当なキャンセル料を請求する二重査定は一切ありません。特別なそして価値ある希少車の買取こそ、確かなノウハウと実績を持つ旧車王にお任せください!