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メルセデス・ベンツの歴代Sクラスでもっとも売れたW126型! バブル時代の象徴560SELの魅力に迫る
旧車の魅力 2024.03.19

メルセデス・ベンツの歴代Sクラスでもっとも売れたW126型! バブル時代の象徴560SELの魅力に迫る

バブル景気に日本中がわいていた1980年代に、成功者の象徴として誰もが憧れたメルセデス・ベンツ 560SEL。Sクラスのフルモデルチェンジによって投入された最上位グレードの560SELは、見た目、性能面ともに文字通り世界最高のサルーンでした。 Sクラスとしてもっとも売れたW126型とともに、560SELについて詳しく紹介します。 560SELを含む2代目Sクラスはメルセデス・ベンツ史上に残るモデル Sクラス初のフルモデルチェンジで登場した560SELを含むW126型は、販売台数、モデルライフともにメルセデス・ベンツ史上に残る記録を残しました。 2代目Sクラスとともに、560SELの誕生の歴史を振り返ってみましょう。 登場から12年間も販売されたW126型 メルセデス・ベンツは、1979年に2代目のSクラスとしてW126型を投入します。最高峰のエグゼクティブサルーンとして1972年に初代が誕生して以来、実に7年ぶりとなるフルモデルチェンジでした。W126型は完成度の高さから広く人気を集め、1991年の販売終了まで12年間も販売されるロングセラーモデルに成長。日本国内では途中のマイナーチェンジを経ていわゆる後期型として、3L直6エンジンの300SE、4.2L V8エンジンの420SEL、そして5.6L V8エンジンを積む最高峰の560SELの3モデルが販売されました。 先代のW116型で世界の富裕層から支持を集めたSクラスですが、2代目のW126型は高い評価を確固たるものにしたモデルです。高級車というユーザーの限られるモデルにも関わらず、89万2,123台というSクラス歴代最高の販売台数を記録しました。 迫力の5.6Lエンジンを搭載する最高峰モデル560SEL 高級車であるSクラスのなかでも、最高峰に位置づけられていたのが560SELです。搭載される5,546ccもの大排気量のV8エンジンは、最高出力285psを発揮。(当初は245ps)大型エンジン特有のトルクフルな加速感とロードホールディング性能の高さによって、大柄なボディながら爽快感のある安定した走りを誰もが楽しめました。 560SELは成功者だけが手にできるプレミアムカー 560SELの当時の新車価格は、なんと1,300万円以上。バブル景気で豊かになってきていた時期だったとはいえ、日本国内でも限られた成功者を象徴する憧れのクルマだったようです。 ここからは、Sクラスの最上位グレードに位置する560SELの魅力に迫ります。 マイナーチェンジのタイミングがバブルと合致 W126型Sクラスは、1985年に最初で最後のマイナーチェンジを実施します。折しも日本はバブル景気の真っ只中だったということもあり、成功者が手にするクルマとしてさらに注目が集まりました。 日本国内において、このマイナーチェンジのインパクトが大きかった理由は、大幅なエンジンの出力アップです。排ガス規制の関係で当初は245psに抑えられていた最高出力が、マイナーチェンジによって285psにまで引き上げられました。 最高出力の向上も含めて、全体的に高級感をさらに増す方向で各部が変更されています。当時のメルセデス・ベンツの象徴でもあった「サッコプレート」と呼ばれるボディ下部の樹脂パネルのデザインを前後バンパーの形状と合わせて変更。さらに、ホイールサイズを14インチから15インチにアップし、クルマとしての価値が高められました。 高級感だけでなく燃費性能と安全性能にもこだわっていた 高級車にふさわしい重厚感のあるW126ですが、実はW116よりも全幅が縮小されています。縮小した理由は、軽量化も含めて燃費性能の向上です。さらに、デザインの変更は空力特性にまで及び、空気抵抗を表すCd値は当時としてはかなり低い0.36を実現していました。 また、W126では、安全性を高める工夫も随所に凝らされています。先代のモデル末期に採用したABSに加えて、運転席のエアバッグを市販車として世界で初めて装備。現在では世界標準ともいえる仕様ですが、当時は最先端の安全装備でした。ただ高級に作られただけではなく、燃費や安全性といった面でも世界最高水準で開発されていたことがわかります。 最高峰をさらに特別にするチューニングモデルも存在 560SELはメルセデス・ベンツ最高峰のSクラスの最上位グレードということで、名実ともに当時世界最高のクルマです。しかし、さらに特別感のあるモデルとして販売されていた560SELがありました。ドイツの有名チューニングメーカー、AMG、ケーニッヒ、ロリンザーがそれぞれ発売した、560SELのチューニングモデルです。 特に人気が高かったのは、メルセデス・ベンツとの関係性が深かったAMGのモデルです。専用開発のフロントバンパーは、ローダウンスプリングで下げられた車高と相まって迫力十分。サイドスカートなど細部にわたってチューニングが施されていて、AMGの560SELは今でも高い価値を保っています。AMG 560SEL 6.0-4Vに、600万円もの買取価格がつけられた実績もあるほどです。 当時の憧れもあって人気の衰えない560SEL 当時世界最高峰を誇った560SELは、AMGやケーニッヒといった特別なチューニングモデルのみならず、現在でもネオクラシックカーとして市場からの人気を集めています。メルセデス・ベンツの誇る最高の技術が投入されているだけあって、40年前に設計されたとは思えない作りのよさも魅力です。 当時は高くて購入できなかった方も、中古車であれば手の届く個体もあるかもしれません。ぜひ憧れの560SELを探してみてはいかがでしょうか。ただし、いかに精巧に作られている560SELでも、新車発売から40年以上が経過しているため少なからず不具合のあることもあります。特に低年式の560SELを購入する際は、車の状態に十分注意しましょう。 また、560SELを売却する際は、旧車専門の業者に査定してもらうことをおすすめします。前後期の違いやチューニングの仕様など細かな違いを正しく評価できる業者であれば、適正価格を提示してもらえるでしょう。

歴史を作ったトヨタ TE27の魅力とは? レビンとトレノの違いや開発背景を徹底紹介
旧車の魅力 2024.03.14

歴史を作ったトヨタ TE27の魅力とは? レビンとトレノの違いや開発背景を徹底紹介

ハチロクの通称で知られ、自動車ファンのみならず幅広い層の支持を集める昭和の名車トヨタ AE86。大ヒットを記録したAE86につながったのが、レビン/トレノの初代モデルであるTE27です。 絶対的なパワーや性能はないのに、ドライバーに走る楽しさを教えてくれるというAE86の素性は、TE27ですでに実現されていました。高度経済成長期真っ只中に誕生したTE27レビントレノの歴史を振り返ってみましょう。 テンロクスポーツというジャンルを切り開いたTE27 トヨタ TE27 レビン/トレノ(以下TE27)は、“テンロクスポーツ”の先駆け的な存在です。テンロクスポーツとは、軽量コンパクトながら高効率の1.6Lエンジンを搭載し、胸のすくような走りを楽しめるスポーツモデル。特に1980年代後半〜1990年代にかけて、自動車メーカー各社の競争が激化していたカテゴリーです。 TE27の開発背景とレビン、トレノの違いやラインナップなどを詳しく紹介します。 大衆でも手の届くスポーツカー TE27が登場したのは、高度経済成長末期の1972年です。庶民でも自動車を購入できる時代に入り、大衆車として地位を確立したカローラ/スプリンターの2代目を発売するにあたって、同車種のスポーツモデルとして開発されました。 豊かになったとはいえ、用途の限られる本格的スポーツカーは高嶺の花。若者でも手の届く価格に抑えた小型車サイズで、手軽に楽しめる“スポーツカー”としてTE27は人気を集めました。 レビンとトレノの違いは見た目だけではない TE27 レビンとトレノは、姉妹車として多くの共通コンポーネントが使用されており、違いはそれほど大きくありません。主な違いは、前後ライト周りの形状やフロントマスクの意匠です。しかし、トヨタはそれぞれに明確な個性をもたせて開発しています。 実際、全長3,955mmのレビンに対してトレノは3,970mmと15mm長くなっています。さらに、車重もレビンは855kgで、トレノは10kg重い865kgです。実はボンネットやフロントフェンダーは別物で、さらにエアダクト裏のスリットもレビンとトレノで別形状です。 また、設定されたボディカラーもトレノとレビンで異なります。「モンテローザオレンジ」と「インディアナポリスオリーブ」と呼ばれるダークグリーンの2色がレビン。トレノには「ヘイトアッシュベリーオレンジ」と「デイトナオリーブ」のレビンと同系色ながら別のボディカラーが設定されました。 幅広い層に届けるため下位グレードも設定 TE27は発売の翌年に、「レビンJ」と「トレノJ」を追加します。いずれもエンジンやサスペンションなどの低コスト化を図った下位グレードながら、オーバーフェンダーなどの外観は受け継いだモデルです。 性能を追求しないユーザーでも、スポーツモデルのスタイリングを比較的安価に楽しめるように設計されました。下位グレードを設定する手法は、実はAE86以降のレビン/トレノでも採用されており、レビトレの伝統の一つでもあります。たとえば、名機4A-G型エンジンを搭載するAE86に対して、廉価版のAE85には3Aエンジンが搭載されていました。 レビトレらしさとして定着した爽快な走り レビン/トレノのイメージは、軽量な車重と高回転型エンジンによるきびきびとした走りです。実はこのイメージは初代TE27によって決定づけられ、レビトレの伝統とされました。 高性能エンジンとチューニングカーを思わせるオーバーフェンダー、さらには締め上げられた足回りと、TE27はシリーズ初代にもかかわらず徹底して作り込まれたモデルです。その魅力の一部を紹介しましょう。 上位車から移植した2TーGエンジン TE27のエンジンに採用されたのは、セリカ1600GTに搭載され評価の高かった1.6Lの2T-G型エンジンでした。トヨタの量産DOHCエンジンの先駆けだった2T-G型は、最高出力115ps、最大トルク14.5kgmを発揮する高回転型の高性能エンジンです。セリカよりボディサイズが小さく車重の軽いTE27では、最高時速190km/h(メーカー発表)の高いパフォーマンスを発揮しました。 軽い車重によく回るエンジンを搭載しドライバーの意のままに操るレビン/トレノ伝統の爽快な走りは、初代のTE27から続く系譜だったのです。英語(古語)で「稲妻」を意味する「LEVIN(レビン)」、スペイン語で「雷鳴」を意味する「TRUENO(トレノ)」のイメージにふさわしい、爽快な走りを楽しめました。 トヨタ市販車史上初のオーバーフェンダー TE27の外観上で最大の特徴は、4輪全てに装着されたオーバーフェンダーです。しかも、FRP製というチューニングカーさながらの仕様を、トヨタ市販車で初めて採用しました。 純正でも当時としては幅広い175/70HR13のタイヤを装着していましたが、さらに幅広いタイヤの使用も視野にいれていたのでしょう。スタイリングのインパクトだけではなく、幅広いタイヤで2T-Gエンジンのパワーを余すことなく路面に伝え、大衆車カローラ/スプリンターのスポーツモデルとは思えないほどの力強い走りを実現しました。 50年以上が経過してもなお高い人気 TE27 レビン/トレノの登場からすでに50年以上が経過していますが、今もなお高い人気を集めるモデルの一つです。AE86の人気の高さはいうまでもありませんが、シリーズの性格を決定づけたTE27にも根強いファンが存在しています。 また、ドリフトやサーキット走行などで酷使されたAE86に比べ、TE27は比較的状態の良い個体も残っています。中古車市場では、絶対的な残存数が減少し希少性が高まっていることもあり、AE86よりも高い評価になるケースも少なくありません。 ただし、50年以上前のクルマということを考えると、TE27の購入や売却を検討する際は専門性の高い業者の選定をおすすめします。特に売却する際は、仕様や状態を正しく見極められないと、正当な買取額にならないケースも少なくありません。旧車の取り扱いに慣れている業者に相談して、TE27本来の価値を査定してもらいましょう。 ※経過年数などは2023年8月執筆当時

日産 スカイライン 2000GTターボはGT-Rの再来!? 西部警察にも登場した懐かしいモデルを振り返る
旧車の魅力 2024.03.12

日産 スカイライン 2000GTターボはGT-Rの再来!? 西部警察にも登場した懐かしいモデルを振り返る

環境規制に適合しつつ、圧倒的なハイパフォーマンスを誇ったスカイライン 2000GTターボ。5代目スカイラインの追加モデルとして、当時の日産が満を持して投入しました。 性能面で遅れをとっていた5代目スカイラインの評判を一気に挽回した、スカイライン 2000GTターボについて詳しく振り返ってみましょう。 「ジャパン」の愛称で呼ばれた5代目スカイライン スカイライン 2000GTは、5代目スカイラインの上位モデルとして1977年に登場しました。「日本の風土が生んだ名車」としての誇りを込めた「SKYLINE JAPAN」の名を冠していたことから、世間では「ジャパン」の愛称で親しまれるようになります。 しかし、実はフルモデルチェンジを行った1977年にはラインナップにターボモデルはありませんでした。5代目スカイラインの真打ちともいえる、スカイライン 2000GTターボの誕生について振り返ってみましょう。 GT-Rの再来と呼ばれたスカイライン 2000GTターボ スカイライン 2000GTターボがラインナップに追加されたのは、マイナーチェンジを行った翌年の1980年です。5代目スカイラインでは高性能グレード「GT-R」が設定されていなかったため、ターボモデルの追加はGT-Rの再来を感じさせました。 また、前年のマイナーチェンジで大きく変更された外観も、スカイライン2000GTターボの魅力をより際立たせています。歴代スカイラインで受け継がれてきた丸目4灯のヘッドライトを、現代的で洗練された角目2灯に刷新。性能、デザインともに国産最高峰のGTカーと呼べる存在でした。 日産3車種目のターボ車として充実したラインナップ スカイライン 2000GTターボは、日産にとって3車種目の量産ターボ車です。しかも、量産車としてはターボチャージャーはまだ特別な存在でしたが、一部のスポーツモデルだけでなく幅広いラインナップが用意されます。特に、AT車にターボを搭載したのは、国産車で初めての試みでした。 まず、セダンとハードトップの2タイプのボディを用意し、それぞれGT-E、GT-E L、GT-E・X、GT-E・Sの4グレードを設定。合計8モデルもライナップしたところから、日産にとってスカイライン 2000GTターボが重要だったことがわかります。ターボの高い性能を存分に発揮するのは、2ドアハードトップのスポーツグレードGT-E・Sですが、さまざまなユーザーがスカイライン 2000GTターボの力強い走りを堪能しました。 燃費とハイパフォーマンスを両立 スカイライン 2000GTターボは、高出力だけでなく「低燃費」「低公害」も掲げていました。当時世界一厳しいといわれた昭和53年(1978年)の排ガス規制が施行されるなど、時代背景として環境性能は重要なポイントだったためです。実際、5代目スカイラインに当初高性能モデルが投入できなかったのは、排ガス規制への対応が難しかったことも一因といわれています。 「“省燃費”と“高性能”を両立させた夢のエンジニアリング」というキャッチコピーで、日産はターボの魅力をアピール。従来捨てていた排気ガスの圧力を高出力化に利用するターボエンジンは、環境性能との両立を図るうえで理想的な機構でした。 圧倒的な個性を放っていたスカイライン 2000GTターボ 直接のライバル車だったトヨタ セリカが、「名ばかりのGT達は、道を開ける。」というキャッチコピーを掲げるほど5代目スカイラインは性能面で水をあけられていました。しかし、ターボ車の登場で、スカイラインは本来の輝きを取り戻します。 当時の大人気ドラマ「西部警察」にも登場した、スカイライン 2000GTターボの魅力をみていきましょう。 レーシングカー開発の経験がフィードバックされたターボ スカイライン 2000GTターボのエンジンが高性能だったのは、日産が開発にあたっていたレーシングカーR383の技術が盛り込まれていたためです。自然吸気だったL20E型エンジンにターボを搭載したL20E-T型エンジンは、最高出力145ps、最大トルクに至ってはライバルのセリカを圧倒的に凌駕する21.0kg・mを発揮します。 点火時期を最適化する電子制御式のノックセンサーや専用設定のニッサンEGI(電子制御燃料噴射装置)など、先進の技術が注ぎ込まれていました。 スパルタンな印象のインパネがかっこいい インパネとメーターパネルは、スカイライン 2000GTターボ用に刷新されました。デザイン上の最大の特徴は、水平ゼロ指針に統一された各種メーターです。速度計や回転計に加えて、ターボ搭載モデルであることを象徴するブースト計などの4つのメーター全てが水平ゼロ指針で整然と並ぶデザインは、よりスパルタンな印象を演出しています。 西部警察の劇中車として登場 スカイライン 2000GTターボの話題として外せないのが、当時の大ヒットドラマ「西部警察」の劇中車として登場した特別車です。マシンXと呼ばれたこの車輌には、渡哲也のこだわりが詰まっています。犯人追跡用のペイント弾発射装置やリモコン操作可能な大型サーチライトなどの劇中の特別装備だけでなく、カンパニョーロ製スカイライン専用ホイール、レカロシート、ナルディステアリングを装備し、単純なカスタムカーとしても高い完成度を誇っていました。 「ジャパン」のなかでも人気の高いターボシリーズ モデルチェンジ当初は高性能車を投入できず、不遇だった5代目スカイラインジャパン。しかし、スカイライン 2000GTターボの登場によってライバル車の挑発や世間の評価をひっくり返しました。現在でも高い人気を誇る旧車の1つで、旧車王でも、2ドアハードトップの2000ターボGT-E・Sを280万円で買取しました。2000GTターボは西部警察の劇中車だったというだけでなく、旧車としても高い価値のあるモデルといえます。 ただし、発売から40年以上が経過したクルマのため、市場での流通量は年々減少している点に注意が必要です。流動性の低い車種は正しく査定されないこともあるため、売却する際は旧車専門の買取業者に相談することをおすすめします。

メルセデスベンツ SLクラスの方向性を決定づけた? 旧車世代のR107・R129・R230を振り返る
旧車の魅力 2024.02.28

メルセデスベンツ SLクラスの方向性を決定づけた? 旧車世代のR107・R129・R230を振り返る

R129を始めとする旧車世代のメルセデスベンツ SLクラスは、オープン2シーターというスポーツカテゴリのクルマながら、クラシックカー独特の優雅さも兼ね備えたモデルです。 現在でも7代目が販売されている人気のSLクラスですが、実は1971年以降に登場したモデルによって今の方向性が決定づけられました。 SLクラスの大きな転機となった旧車世代のR107・R129・R230について振り返ってみましょう。 70年以上前に登場したSLクラス メルセデスベンツ SLクラスは、今から70年以上前に登場しました。プロトタイプレーシングカーとして開発された300SLに対して、アメリカの輸入車ディーラーが熱心に説得して市販化を実現したのがSLシリーズの始まりです。 当初「軽量スポーツカー」という位置づけで登場したSLクラスが、時代の変遷とともにラグジュアリー方向に転換していった歴史を振り返ってみましょう。 2シーターオープンスポーツ最高峰モデルのSLクラス メルセデスベンツ SLクラスは、2シーターオープンスポーツの最高峰モデルとして1954年に誕生しました。「SL」とは「Sport Leicht(シュポルト・ライヒト)」の頭文字で、ドイツ語で軽量スポーツカーという意味です。特に初代の300SLは、ガルウィングを備えたスポーティーで先進的なスタイリングでした。 1963年のフルモデルチェンジで2代目となっていたSLクラスですが、1971年に登場した3代目のR107型で大きな路線変更が果たされました。2シーターオープンスポーツという本来のコンセプトは継承しつつ、より大柄で豪華な風貌に生まれ変わります。「Sport Leicht」から「Sport Laxualy」への転換が図られたのです。 旧車世代と呼ばれるSLクラスは3世代 1971年のフルモデルチェンジで大きな路線変更を果たしたSLクラスは、旧車世代と呼ばれる2000年代初頭までに合計3モデルが登場しました。 スポーツラグジュアリーへの方向転換とともに、3モデルとも当時最先端の技術を取り入れながら世界最高峰のロードスターと呼ぶにふさわしい進化を遂げます。特にイタリア人デザイナー、ブルーノ・サッコ氏の最高傑作とも呼ばれる1989年に登場した4代目SLのR129は、数々の先進装備が搭載されており人気の高いモデルです。 個性はそれぞれ違う旧車世代のSL ラグジュアリー方向へと舵を切ったSLクラスの方向性を決定づけたのが、1971年から2001年までに登場した旧車世代の3モデルです。 R107・R129・R230それぞれの魅力を紹介します。 コストプラス方式で開発されたR129 R129は、モデルライフが比較的長かったR107の後継モデルとして1989年に登場しました。SLクラスとしては4世代目のR129は、コストプラス方式で開発された最後のモデルといわれています。コストプラス方式とは、従来モデルよりも大幅な価格上昇を伴う開発方式です。世界最高峰を目指すべく、性能面、機能面ともに過剰なほどの技術と装備が投入されました。 また、ブルーノ・サッコ氏による流麗で機能的なボディデザインもR129の魅力の1つです。空力効率まで考えたウェッジシェイプデザインとしたことで、スポーツとラグジュアリーを見事に融合させました。さらに、5種類のモーターを使用するパワーシートや、標準装備された電動格納式のソフトトップなどラグジュアリー車にふさわしく快適性を高める装備も充実しています。 安全装備の面では、車輌が姿勢を崩した際にわずか0.3秒でポップアップして乗員を守る、「オートマチック・ロールバー」が目玉の1つです。耐荷重5トンのU字型のスチールチューブに加え、ボディ側にも3層の高強度材を使用してオープンモデルで課題になる安全性を高めています。 スポーツラグジュアリー車ということで、走行性能に関連する装備にも手抜かりはありません。ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)やトラクションコントロールといった電子デバイスに加え、スポーツ走行に欠かせない電子制御式のLSD(リミテッドスリップ・ディファレンシャル)まで備えています。 販売期間の長かったR107 ボディを大型化し、モデルの方向性を大きく変更したR107は、1971年の登場からR129の登場まで実に18年間も販売されました。 一般的にオープン2シーターは、大きくわけて2つの方向性のモデルがあります。マツダ ロードスターのようにスポーツカーとしての運動性能を重視したモデルと、運動性能よりもオープンであることのゆとりや開放感、優雅さを求めるモデルです。 それまでのSLクラスは、前者のように運動性能を重視して小型軽量に作られていました。しかし、R107では後者の方向性へと転換し、エレガントさを追い求める性格へと進化。ホイールベースは先代よりも60mmほど拡張されるなど、全体にゆとりのある優雅さのあるスタイリングに仕上がっています。 全長は4,380mmと現代の基準から考えるとコンパクトではありますが、以後のSLクラスの方向性に大きな影響を与えた重要なモデルです。 現代的に進化したR230 2001年にSLクラス5代目として登場したR230は、R129の方向性にならって正統進化したモデルです。大型の楕円を組み合わせた特徴的なフロントフェイスに変更されているものの、優雅さのあるウェッジシェイプは踏襲されています。 装備面では、バリオルーフと呼ばれる電動格納式のハードトップが話題になりました。R129でラインナップされていた、ソフトトップと着脱式のハードトップは廃止されています。SLクラスはオープンスタイルが基本ですが、電動格納式のハードトップを閉めたクーペスタイルもエレガントです。 旧車世代のSLクラスに乗るなら慎重に探したい 当時のメルセデスベンツ SLクラスは、比較的日本国内でも流通していました。特にR129の販売時期はバブル景気にわいていた頃だったため、本来なら十分な個体が国内にも残っているはずです。しかし、状態の良い車輌はバブル崩壊とともに海外に流出したとの話もあり、中古車を購入する際には状態の慎重な確認をおすすめします。 一方で、売却の際には、正しく査定してもらうことで思わぬ価格で買い取ってもらえる可能性もあります。ただし、年式や走行距離だけでなく、車としての価値や状態まで正確に見極められる経験豊富な専門業者にご相談ください。

トヨタ 150系 ランドクルーザープラドは15年前に誕生したのにかっこいい! 魅力と人気の秘密に迫る
旧車の魅力 2024.02.27

トヨタ 150系 ランドクルーザープラドは15年前に誕生したのにかっこいい! 魅力と人気の秘密に迫る

15年前のモデルであるにも関わらず、いまだに洗練されたかっこよさを感じるトヨタ 150系ランドクルーザープラド。派生元のランドクルーザーが本格的なクロスカントリー車なのに対して、オンロードでの使用を意識した高級SUVという位置づけのモデルです。 一方で、ランドクルーザー譲りの堅牢性と、高い悪路走破性もしっかりと備えています。新モデル「ランドクルーザー250」の発表によって注目の集まる、150系ランドクルーザープラドの魅力を詳しく紹介します。 同一モデルのまま10年以上も作られ続けたランドクルーザープラド 150系ランドクルーザープラドは、デビューから15年間(※)もフルモデルチェンジをしていません。選択肢が少なく技術革新も遅かった数十年前ならまだしも、顧客ニーズが変化しやすくなってきた2000年代では驚異的なことです。 長年ユーザーから愛され続けている150系ランドクルーザープラドについて、プラド誕生の歴史も含めて振り返ってみましょう。 ※2024年2月原稿執筆時点 ライトデューティー車としてランドクルーザーから派生 ランドクルーザープラドの起源は、1984年にランドクルーザーのライトデューティー車として登場したランドクルーザーワゴンです。そして、ワゴンのフルモデルチェンジという形で、1990年に初代ランドクルーザープラドが誕生しました。 その後もプラドは市場からの高い支持を受けて、モデルチェンジを重ねて進化し続けます。そして、4代目として2009年に登場したのが、150系ランドクルーザープラドです。完成度が非常に高く、2009年の登場から実に14年間も同一モデルのまま販売され続けています。 マイナーチェンジモデルとの違い 一度もフルモデルチェンジをしていない150系ランドクルーザープラドですが、実は大幅改良、いわゆるマイナーチェンジを二度ほど実施しています。初期モデルから、それぞれ前期、中期、後期と呼ばれています。 最初のマイナーチェンジは、発売から4年経過した2013年でした。外観上でのもっとも大きな変更点は、フロントグリルとヘッドライトのデザインです。前期型では6本だったフロントグリル内の柱が、5本に変わりました。また、ヘッドライトの形状もよりシャープに変更されています。 後期型は、中期型へのマイナーチェンジから4年後の2017年に登場しました。後期型では、ボンネット中央に凹みが設けられた点が大きな違いです。また、前、中期型とヘッドライトの形状が異なります。 ランドクルーザープラドはとにかくかっこいい 150系 ランドクルーザープラドが長期間支持され続けている理由の1つは、多くのユーザーから「かっこいい」と評価されているためです。いかに完成度の高い車でも、販売台数が伸びなければ継続して作られることはありません。 15年間も愛され続けている、150系ランドクルーザープラドの魅力とかっこいいと評価される理由について解説します。 ランドクルーザー譲りの高い悪路走破性 ランドクルーザープラドは、本家ヘビーデューティーのランドクルーザーと基本構造は変わりません。市場を賑わわせているクロスオーバーSUVにありがちな乗用車と同様のモノコックボディではなく、堅牢なラダーフレームによって悪条件下でもダメージを受けにくくなっています。 また、悪路走破性を高めるための装備が充実していて、ランドクルーザーと同様に走行シーンを選びません。スタビライザーを制御して凹凸のある路面へのタイヤの追従性を高めるKDSS(キネティックダイナミックサスペンションシステム)や、アクセルとブレーキ操作をせずステアリング操作だけで極低速走行ができるクロールコントロールといった装備で悪路走破性を高めています。 トヨタ最高峰SUVにふさわしい質感 本格クロスカントリー車顔負けのオフロード装備をもつ150系ランドクルーザープラドですが、ポジションはトヨタの誇る最高級SUVです。ヘビーデューティー車との大きな違いは、都市部でも違和感なく溶け込む高級感のあるボディデザインです。オフロードを意識したボックス型のスタイリングながら、曲面をうまく取り入れたデザインとしています。 また、高級セダンのような上質さを感じさせる内装も、150系ランドクルーザープラドの魅力の1つです。特に、上位グレードの「TX“Lパッケージ”」や「TZ-G」ではシートやステアリング、シフトノブなどに本革を使用するなど、さらに高級感を高めています。 取り回しやすいサイズ感など高い実用性 150系ランドクルーザープラドは迫力のあるボディデザインから大型に見えますが、実はトヨタを代表するミニバンのアルファードとそれほどサイズは変わりません。幅はわずか3cmほど広いものの、全長は約12cm、全高は約10cmコンパクトなため、むしろミニバンよりも取り回しやすいかもしれません。 また、7人乗りの3列シートも選択可能なため、日常生活での実用性も十分です。3列目を格納すれば大容量の荷室が確保できますし、大人数の移動やゆったりとした長距離移動などあらゆる場面でランドクルーザープラドの使いやすさを感じるはずです。 後継モデルの発表によって市場に変化が起きる可能性 15年間販売され続けてきた150系ランドクルーザー プラドですが、フルモデルチェンジを迎える可能性が高まっています。後継車種と目される、ランドクルーザー250の発売が発表されたためです。旧モデルの買取価格は、モデルチェンジをすると引き下げられる傾向にあります。150系ランドクルーザー、特に前期型をお持ちの方は今が売却する最後のチャンスかも知れません。 2013年のマイナーチェンジを迎える前の前期型は、もっとも新しい年式でもすでに新車販売から10年以上が経過しています。新モデルとまではいかないまでも、中期型や後期型への乗り換え需要が高まると、市場に流通する前期型が増えて価格が下がってしまうことも大きな懸念です。 150系 ランドクルーザープラドを売却する際は、車そのものの価値がわかる旧車の取扱い経験豊富な専門業者に相談することをおすすめします。

ギャラン VR-4は三菱のラリー本格参戦を後押し!? 速さの秘密と魅力に迫る
旧車の魅力 2024.02.21

ギャラン VR-4は三菱のラリー本格参戦を後押し!? 速さの秘密と魅力に迫る

高性能スポーツセダンとしてヒットした三菱 6代目ギャランのなかで、フラッグシップモデルとして開発されたVR-4。日産 R32型GT-Rやスバル レガシィRSよりも2年先行して駆動方式に4WDを採用した、国産ハイパワー4WDターボ車の草分け的存在でもありました。 セダンなのに速かったギャラン VR-4のスペックやレースでの戦績、クルマとしての魅力をたっぷりと紹介します。 ラリー参戦も見据えたトップグレードの開発 ギャラン VR-4は、4ドアセダンでありながら最高出力200psオーバーという当時のスポーツカーをも凌ぐスペックを誇っていました。WRC(世界ラリー選手権)への再挑戦に向け、規定改定を見据えて開発されたモデルでもあったためです。 三菱の看板車種ギャランのトップグレード、VR-4がどんなモデルだったのかを詳しく振り返ってみましょう。 VR-4は6代目ギャランで誕生 ギャラン VR-4は、ギャランの6代目へのフルモデルチェンジと共に1987年に生まれました。ギャランは1969年に初代が登場した三菱の主力セダンで、最終的には2015年に販売終了するまでに実に9世代も作られたモデルです。 VR-4はトップグレードに位置づけられ、数々のハイテク装備や名機4G63型エンジンを搭載。先代よりも大柄になった外観も速さを予感させました。 名機4G63エンジンによる抜群の加速力 ギャラン VR-4に採用された2Lの4G63型エンジンにはターボが搭載され、最高出力205ps、最大トルク30.0kg・mを発揮します。さらに、マイナーチェンジごとに改良が繰り返され、1989年登場の中期モデルでは220ps、1990年には240psまで最高出力が引き上げられました。 最高速度223km/h、0-400mを13.92秒という抜群の加速力で、車重1,360kgのセダンながらスポーツカー顔負けの動力性能を誇りました。 ギャラン VR-4主要諸元エンジン:4G63型直4DOHCターボ排気量:1,997cc最高出力:205ps/6,000rpm最大トルク:30.0kgm/6,000rpmトランスミッション:5速MT全長×全幅×全高:4,560×1,695×1,440mm車輌重量:1,360kg 三菱ワークス体制でWRCに再挑戦 ギャラン VR-4は、WRCが市販車ベースのグループA規定に変更されることに合わせて開発されました。グループA規定のWRCで活躍した三菱車といえばランサーエボリューション(ランエボ)というイメージですが、実はギャラン VR-4が最初です。 ギャラン VR-4は、1988年から1993年の6年間で6度の優勝を飾ります。本格的なワークス体制となった1989年には、いきなり4戦中2勝を上げます。さらに、1991年のコートジボワールラリーでは、篠塚建次郎選手が日本人初のWRC優勝を手にしました。 シリーズタイトルほどの輝かしい成績とはいかなかったものの、VR-4の活躍こそが同じ4G63型エンジンを積むランエボの開発と三菱のWRCの成功につながったといえます。 国産4ドアスポーツセダンの頂点 ギャラン VR-4はギャランのトップグレードというだけでなく、当時の国産4ドアスポーツセダンでは最高峰ともいえるほど装備が充実していました。また、エレガントなイメージのセダンとは異なる、精悍なボディデザインも6代目ギャランの特徴です。 VR-4に注ぎ込まれた技術と、先代から大幅に変更されたデザインをみていきましょう。 惜しみになく注ぎ込まれたハイテク装備 ギャラン VR-4には、当時の技術が最大限投入されています。目玉は「ACTIVE FOUR」と呼ばれる、性能に大きく影響する先進装備です。4バルブターボエンジン(4VALVE)、先に紹介した4WDに加えて4輪操舵の4WSも装備、さらに4輪独立懸架(4IS)と4輪ABS(4ABS)を備えていました。 また、派生車が数多くリリースされたのも、VR-4の特徴の1つです。VR-4RやVR-4RSといったラリー専用車、WRC RACラリー優勝記念モデルの2.0ターボスーパーVR-4、電動リアスポイラーを採用したVR-4アームド・バイ・ラリーアートといった限定車、特別仕様車が販売されました。 速さを感じさせるボディデザイン 6代目ギャランは、性能面だけでなく外観も先代から大きく変わっています。セダンとしてややコンサバティブな印象の5代目に比べて、速さを予感させるマッシブで力強いスタイリングに進化しました。 複合局面で構成しつつもボディラインは全体に直線基調にまとめられていて、室内空間の快適性を高めた6ライトウィンドウを採用するなど迫力のあるデザインです。内装はシンプルながら機能的にまとめられていて、余分な華飾のないところに三菱のこだわりを感じます。 希少性の高まりを感じさせるVR-4 ギャラン VR-4を大手中古車サイトで検索したところ、販売中の車輌はわずか5台でした。三菱車初のカー・オブ・ザ・イヤーも受賞し販売台数を伸ばした6代目ギャランですが、販売終了からすでに30年以上が経過しており、現在では希少なモデルです。さらに、VR-4の特別仕様車を探すとなると、至難の業かもしれません。 なお、これだけの希少車だと、購入時以上に売却時の業者選びに気をつける必要があります。市場での流通量が少ないため、仕様によって査定額が変わります。実際、大手中古車サイトでは、169万円から399万円まで販売価格に大きな差がありました。ギャラン VR-4のような希少車を売却する際は、旧車の取り扱いに慣れた経験豊富な専門業者に相談しましょう。

第2世代ランサーエボリューションがなぜ人気なのか? 高い戦闘力に込めた三菱の想いに迫る
旧車の魅力 2024.02.16

第2世代ランサーエボリューションがなぜ人気なのか? 高い戦闘力に込めた三菱の想いに迫る

根強いファンから支持を集める三菱 ランサーエボリューション(以下適宜ランエボと表記)。特に第2世代と呼ばれるランエボIVからVIは、WRC(世界ラリー選手権)で輝かしい成績を残しました。 WRCでの活躍によって「トミ・マキネンエディション」というドライバーの名を冠した特別仕様車も発売されるほど人気を集めた、第2世代ランサーエボリューションについて詳しく紹介します。 三菱の実力を世界に示したランエボ ランサーエボリューションは、そもそもWRCで戦うことを目的に作られました。そして、三菱は狙い通り、ランエボで実力を世界に証明します。 特に無類の強さを誇った第2世代を中心に、ランサーエボリューションの開発背景と実績を振り返ってみましょう。 ランサーエボリューションは戦うために作られた ランサーエボリューションは、WRCの当時のトップカテゴリー「グループA」の出場条件を満たすために開発されました。当時の参加車輌の条件は、最低2,500台生産された市販車輌ベースと規定されていたためです。 初代の登場は1992年で、小型なランサーにギャランの4G63型2.0Lターボエンジンを搭載。以降2006年まで、ランサーエボリューションの基本フォーマットとして踏襲されます。 ランサーエボリューションは、1992年から2016年までの14年間で合計10モデル(派生モデルを除く)が販売されました。また、ベースのランサーのフルモデルチェンジにあわせて(ランサーエボリューションXのみギャランフォルティス)4世代に分類されています。 第2世代が三菱の黄金期を作り上げた ランサーエボリューションのなかでも特に人気を集めるのが、第2世代に分類されるIVからVIの3モデルです。第2世代ランサーエボリューションは、トミ・マキネン選手が全てのモデルでドライバーズタイトル4連覇(最初の獲得はランエボIII)という前人未到の記録を達成。さらに、ランエボVでは、三菱初のマニュファクチャラーズタイトルをもたらしました。 実は、初代ランサーエボリューションの投入当初は、開発期間が短かったこともありあまり目立った成績は残せませんでした。しかし、ランエボIIで初勝利を挙げると、ランエボIIIではトミ・マキネン選手が初のドライバーズタイトルを獲得。徐々に強さを見せはじめたなかで、満を持して投入されたのがフルモデルチェンジを図った第2世代だったのです。 結果を追い求めて進化し続けた第2世代ランエボ ベース車輌ランサーのフルモデルチェンジに合わせて、第2世代に更新されたランサーエボリューション。ランエボIVからVIの3モデルは、同モデルがベースです。 しかし、モデルを追うごとにマイナーチェンジとは思えない進化を遂げて、WRCで結果を残し続けました。ここからは各モデルの違いや特徴を、WRCの戦績と合わせて紹介します。(1シーズンに2モデル投入された年度もあるため、成績は単一モデルでのもののみ掲載) ランサーエボリューションIV: 1996年 ランサーエボリューションIVは、ランサーのフルモデルチェンジに合わせてボディを刷新。ボディ刷新に合わせて、エンジンの左右を先代から180度入れ替えました。エンジン回転を逆転させるシャフトが不要な、合理的でシンプルな構造に変更されます。また、エンジンの最高出力は、当時の自主規制いっぱいの280psまで引き上げられました。 次期モデルよりボディをワイド化したため、最後の5ナンバーランエボとしても有名です。WRCの戦績は4勝で、トミ・マキネン選手が2年連続でのドライバーズタイトルを獲得しました。 ランサーエボリューションV: 1998年 ランサーエボリューションVが登場した1998年は、WRCが新たに認めた改造範囲の広いWRカーの参戦が本格化した年でした。三菱は、市販車ベースのグループAでの参戦を決定。より一層高い戦闘力の実現を目指して、ランサーエボリューションVは開発されました。 すでに自主規制いっぱいまで高出力化されていた4G63型エンジンでしたが、細部の見直しでトルクを38.0kg・mまで引き上げます。また、2,500〜6,000回転の常用域のパワーとトルクも引き上げて、高い加速性能を実現しました。 ボディのワイド化も、ランエボVの大きなトピックです。走行性能の向上を目指して、1,770mmまで拡幅されました。迎角調整式の新型リアスポイラーといった、エアロパーツも一新。先代と同じ車種がベースとは思えない、どっしりとした印象になりました。 WRCでは、念願のマニュファクチャラータイトルを獲得します。トミ・マキネン選手は、ついにドライバーズタイトル3連覇を達成しました。 ランサーエボリューションVI: 1999年 第2世代の完成形ともいわれるのが、ランサーエボリューションVIです。先代でワイド化されたボディはサイズこそ変更はないものの、空力性能と冷却性能をさらに向上させました。 エンジンでは大型のオイルクーラーの採用や吸気口の大径化に加え、世界初のチタンアルミ合金製タービンホイールを採用。高回転域での効率化と、レスポンスアップを実現しました。 WRCでは1999年度に4勝を挙げたものの、2年連続でのマニュファクチャラーズタイトルは逃します。しかし、トミ・マキネン選手は前人未到のドライバーズタイトル4連覇を達成しました。 トミ・マキネンエディション: 2000年 トミ・マキネンのドライバーズタイトル4連覇を記念して、三菱はランサーエボリューションVIをベースに開発した特別仕様車をリリースします。ランエボ6.5とも呼ばれる「ランサーエボリューションIV トミ・マキネンエディション」です。 ランサーエボリューションIVを、舗装路(ターマック)向けに特化した仕様に変更。中低速域のレスポンス向上や専用のサスペンションを装備するなど、一般道を走るロードカーに最適な仕様だったこともあって高い人気を集めました。 また、専用に新開発されたフロントバンパーエアロや三菱のWRCワークスラリーカーと同デザインのホイールを採用するなど、細かい点まで三菱ファン垂涎の仕様になっています。 ランエボ第2世代は根強い人気を保っている ランサーエボリューションのなかでも、特に第2世代はWRCでの活躍もあっただけに20年以上が経過した今でも人気は衰えていません。さらに、ランサーエボリューションIV トミ・マキネンエディションともなると販売台数はわずか3,000台前後ともいわれていて、さらに希少性が高まっています。 ただし、中古車の売買をする際は、高い専門性のある業者を選定しましょう。最も新しいランサーエボリューションIV トミ・マキネンエディションでも登場から20年以上が経過していて、ランサーエボリューションIVは1996年の登場から30年近くの年月が経っています。思わぬ不具合に見舞われないよう、車両状態を見極められる業者と取引することが重要です。 また、希少性の高いクルマは、一般的な買取業者に依頼すると売却時に正しく査定してもらえない可能性があります。車輌状態だけでなく、クルマそのものの価値も正しく査定してくれる旧車の取り扱いに慣れた業者に相談しましょう。 ※経過年数は2023年11月執筆当時

マツダ R360クーペは超低価格を実現した大衆の味方! 先進技術も注ぎ込まれたクルマとしての魅力に迫る
旧車の魅力 2024.02.15

マツダ R360クーペは超低価格を実現した大衆の味方! 先進技術も注ぎ込まれたクルマとしての魅力に迫る

小型で低価格ながら、クルマとしての完成度が高かったマツダ R360クーペ。王者スバル360が先行するなか、発売年にはシェアを奪うほどの大ヒット車となりました。 マツダ初の乗用車にも関わらず、軽自動車初の技術も盛り込まれた革新的なR360クーペの歴史と魅力をみていきましょう。 マツダ初の乗用車は超低価格モデル R360クーペは、マツダが初めて開発した乗用車です。トラックの開発経験しかなかったマツダは、自動車メーカーとして乗用車の開発に乗り出します。軽自動車規格の大衆車という価格とサイズに制約のあるなかでの開発でしたが、R360クーペはマツダらしいというべき革新的なモデルでした。 まずは、R360クーペの開発背景を詳しく振り返ってみましょう。 国民車構想に呼応する形で開発 通産省(現在の経済産業省)の抱いていた国民車構想が、1955年にリークされる形で新聞報道されます。マツダは「ピラミッドビジョン」という所得に応じた新車開発構想を掲げ、まずは最下層の大衆車の開発に乗り出すことを決断しました。 国民車構想のなかでマツダが軽自動車専門メーカーと位置づけられていたこともあり、 軽自動車規格の大衆乗用車の開発に着手します。そして1960年に登場したのが、2+2シーターのR360クーペでした。 驚くべき低価格を実現して大ヒットを記録 R360クーペは、当時としても破格の30万円で販売されました。同規格の大衆車として王者に君臨していた、スバル360の販売価格42万5千円から30%近くもの低価格化を実現。結果的に、1960年の軽自動車生産シェアの6割以上を占める大ヒットを記録しました。 「国民車構想」「大衆車」というコンセプトのもとで開発されただけに、低価格の実現はマツダにとって譲れない部分だったのでしょう。4シーターの居住性にこだわったスバル360に対して、2+2シーターという割り切った開発思想に加え、徹底したコストカットを図りました。また、コンピュータで生産管理を行うという当時最先端の工場で効率よく生産されたことも、低価格を実現した一因かもしれません。 先進技術を盛り込んで妥協なく作り込まれたR360クーペ R360クーペの開発リーダーは、のちにロータリーエンジンの実用化に成功し「ミスター・ロータリー」とも呼ばれる山本健一氏でした。徹底的なコストカットを図る一方で、エンジンやサスペンションといった性能の根幹に影響する部分は妥協なく作り込まれています。また、小型でも十分な走行性能を発揮するよう、徹底した軽量化がされていた点もR360クーペの特徴です。 R360クーペのクルマとしての魅力をみていきましょう。 先進技術を盛り込んで作り込まれていた R360クーペのエンジンは、356ccのV型2気筒エンジンです。ベースのエンジンははすでに軽3輪車で使用されていましたが、シリンダーブロックやクランクケースといった主要パーツをアルミ合金化。さらに動弁系や補機類にマグネシウム合金を使用するなど、徹底した軽量化が図られました。また、軽自動車に4サイクルエンジンを搭載していた点も、当時としては画期的でした。 さらに、「クーペ」という車輌コンセプトにふさわしく、サスペンションは4輪独立懸架方式を採用。単に安価で軽量なだけではなく、走行性能にも可能な限り力を尽くした、山本健一氏をはじめとするマツダ開発陣のこだわりが詰まったモデルといえるでしょう。 軽自動車初のATを採用 R360クーペには、軽自動車として初めて2速AT(オートマチックトランスミッション)が搭載されました。価格面も4速MTに比べてわずか2万円の上昇に抑え、「誰もが運転できる」という大衆車のコンセプトをトランスミッションでも体現していました。 日本で初めてAT車が登場したのが1958年ということを考えると、わずか2年で低価格の大衆車にATを搭載したことは大変画期的だといえます。 マツダ創立100周年記念モデルのモチーフになった マツダは2020年に創立100周年を迎えた際、当時販売していた全車種に記念モデルを設定しました。その際にデザイン的なモチーフとしたのが、R360クーペです。どのモデルも、Lパッケージに対して11万円プラスという価格設定でした。 100周年記念車では、R360クーペのカラーリングをうまく現代のモデルに取り入れました。一方で、当時の色をそのまま採用するのではなく、時代背景に対する解釈を加えて100周年記念車にふさわしい上質さを表現しています。 R360クーペのボディカラーは、やや黄味がかったアルペンホワイトでしたが、当時の量産技術では白の再現に限界があったのではないかと解説。100周年記念車では、スノーフレイクホワイトパールマイカをボディカラーとしました。また、ルーフと内装に使用されていたマロンルージュカラーは、マツダ3に使用されていた同系色のバーガンディをシートやフロアマットといった内装に使用しています。 随所にR360クーペを感じる100周年記念車を販売全車種に用意したのは、マツダにとってもいかに重要な車種だったのかがうかがい知れます。 希少車に買取価格をつけるのは実は難しい 歴史的価値の高いR360クーペの生産時期は、1960年から1969年までです。大ヒットを記録し、9年間も生産されていたものの、すでに生産終了から50年以上が経過しています。特に、安価な大衆車だったということもあり、状態のよい個体はほとんど残っていません。 一般的には、希少であれば高く売れるイメージがあります。しかし、実は希少車に買取価格をつけるのは、簡単なことではありません。クルマの状態の見極めはもちろん、市場での価値を正確に把握しておく必要があるためです。R360クーペのようにクルマ自体の性能が高いわけではない大衆車は、さらに査定を難しくします。妥当な買取価格で売却するためには、旧車王のように旧車の買取実績の豊富な専門業者に相談しましょう。  

マツダ ファミリア ロータリークーペは最強の大衆車?! ロータリーエンジン搭載車種として選ばれた理由と魅力に迫る
旧車の魅力 2024.02.08

マツダ ファミリア ロータリークーペは最強の大衆車?! ロータリーエンジン搭載車種として選ばれた理由と魅力に迫る

小型大衆車でありながら、スポーツカー並みの動力性能を誇るマツダ ファミリア ロータリークーペ。コスモスポーツに続いて、量産型ロータリーエンジン搭載モデルに選ばれたのは、大衆車として地位を確立していたファミリアでした。 当時最高の技術で作られたスポーツエンジンと大衆車という意外な組み合わせですが、ファミリア ロータリークーペは欧州レースで活躍して高い実力を証明します。ファミリアにロータリーエンジンを搭載したマツダの思惑も含めて、当時を振り返ってみましょう。 世界2台目のロータリーエンジン搭載車は小型大衆車 ロータリーエンジンが搭載された世界初の量産車はコスモスポーツですが、次の搭載モデルとして選ばれたのが小型大衆車のファミリアでした。夢のエンジンとまでいわれた最新エンジンをいきなり大衆車に搭載するのは、一見不釣り合いで大胆な決断に思えます。しかし、ロータリーエンジンの普及を目指すマツダとしては、当然の選択だったのかもしれません。 まずは、ファミリア ロータリークーペが誕生した経緯を振り返ってみましょう。 ロータリゼーションへの第一歩はファミリアへの搭載 当時「ロータリゼーション」という言葉まで生み出して、マツダは実用化したロータリーエンジンの普及を目指していました。そして、コスモスポーツに続くロータリーエンジン搭載車として、1968年にファミリア ロータリークーペを発売。大衆車への搭載は、ロータリーエンジンをより身近に感じてもらう狙いがあったのではないしょうか。 ファミリア ロータリークーペは、1967年のフルモデルチェンジで登場した2代目ファミリアのラインナップに追加される形でその姿を現しました。しかし、実は開発当初、ロータリーエンジンの搭載予定はなかったといわれています。しかし、ロータリゼーションへの第一歩として、クーペタイプとしてレシプロエンジンを搭載する予定だったファミリア1200クーペのシャシーを流用し、大幅に強化してロータリーエンジンを搭載しました。なお、ファミリア ロータリークーペの発売から3ヶ月遅れて、レシプロエンジンを搭載したファミリア1200クーペも登場します。 小型車だからこそ恩恵が大きかった ロータリーエンジン最大の特徴は、小型軽量ながらハイパワーを生み出せることです。小型車のファミリアに搭載したことで、ロータリーエンジンのよさが最大限引き出されました。最高速度は180km/hに達し、0-400m加速はわずか16.4秒という俊足振りを発揮します。 ファミリア ロータリークーペのロータリーエンジンは、1ローターあたり491ccの2ローター式です。1Lにも満たないわずか982ccの排気量で、最高出力100ps、最大トルク13.5kgf・mを発生させます。さらに、軽量なファミリアのプラットフォームに搭載したことで、国内トップクラスの動力性能を実現しました。 レースでロータリーエンジンの信頼性をアピール ロータリーエンジンの耐久性能を世界にアピールしたいマツダは、欧州の長距離レースへの参戦を決めます。発売翌年の1969年に開催されたシンガポールGPでは、200psのレーシング仕様のファミリア ロータリークーペで見事優勝。どのメーカーも量産化にこぎつけられなかった、ロータリーエンジンの実力の高さを証明しました。 さらに、1970年のスパ・フランコルシャン24時間レースには4台を出場させ、21時間目までトップを快走して速さを見せつけます。残念ながら残り3時間でエンジントラブルやアクシデントに見舞われたものの、残った1台は5位入賞。甲高いロータリーサウンドが、欧州のファンの心に印象強く残りました。 ロータリーエンジン以外にもこだわって開発されたファミリア ロータリークーペ ファミリア ロータリークーペの魅力は、ロータリーエンジン搭載モデルという点だけに留まりません。エンジンスペックを最大限発揮すべく、細部までこだわって開発されました。 また、スポーツモデルにふさわしく、内装もかなり作り込まれています。ここからは、ファミリア ロータリークーペのクルマとしての魅力を紹介します。 作り込まれたボディがハイパフォーマンスを後押し ファミリア ロータリークーペのボディは、風洞実験を重ねてデザインされています。わずか805kgという車重と空力特性に優れたスタイリングによって、2Lクラスに匹敵する加速性能を実現しました。また、高出力化に合わせてシャシー各部はもちろん、サスペンションやブレーキも強化されています。 ファミリア ロータリークーペに搭載されたロータリーエンジンは、コスモスポーツの同型の10A型だったものの、あくまでも大衆車という位置づけから使いやすさを重視した設計に変更されていました。最高出力は、コスモスポーツの128psから30%近くも低い100psにまでデチューンされています。しかし、最高速度180km/hを発揮する性能を維持しているのは、エンジン以外の部分も作り込まれていたからこそでしょう。 スポーティなT字型パネルが特別感を演出 ファミリア ロータリークーペは、スポーティーカーとしてベースモデルとは異なるインテリアに仕上げられていました。特徴的なのはT字型のインパネで、シフトノブまで一体となった大型のセンターコンソールがスポーティさを高めています。 センターコンソールには燃料計、油圧計、時計の3連メーター、さらにメーターパネルは大型の速度計と回転計が存在感をアピール。エアアウトレットにも円形のデザインを採用するなど、まさにスポーティ車にふさわしいインテリアデザインに仕上がっています。 高級車や特別仕様車に限らない旧車の魅力 ファミリア ロータリークーペは、最高級の内装や他車を寄せ付けないほどの動力性能を誇ったモデルではありませんが、世界で初めてマツダが量産化に成功した、ロータリーエンジンを搭載した大衆車というユニークなモデルです。 また、同等性能の日産 スカイライン2000GTよりも20%近く(当時の価格で16万円程度)安かったことを考えると、ファミリア ロータリークーペがいかに優秀なモデルだったかがわかります。 大衆でも世界唯一のエンジンを手にできたファミリア ロータリークーペは、スペックや内装の豪華さだけでは測れない価値のあるモデルです。発売から半世紀以上経過しているために中古車市場ではほとんど見かけませんが、興味をもった方はぜひ根気強く探してみてください。 一方、ファミリア ロータリークーペを売却する際は、必ず専門業者に相談することをおすすめします。歴史的価値の高い車種であることは間違いありませんが車格的には大衆モデルで、しかも流通量が少ないためノウハウの少ない中古車業者では正しく査定することが困難です。希少車の価値を正しく見極めてもらうには、旧車の買取実績の豊富な専門業者に依頼しましょう。

初代フォード ブロンコの面影を残した新型が24年ぶりに登場!魅力と歴史を振り返る
旧車の魅力 2024.02.05

初代フォード ブロンコの面影を残した新型が24年ぶりに登場!魅力と歴史を振り返る

2020年7月、約24年ぶりとなる新型がアナウンスされたフォード ブロンコ。ドアとルーフの着脱が可能で、最大35インチものタイヤも履けるなど、まさにオフロードで思いっきり遊べる車に仕上がっています。 キャッチーな丸目ライトも、半世紀前に発売した初代ブロンコを感じさせ、ファンのあいだで好評を得ているポイント。今回はそんな新型ブロンコの解説と、今でも根強いファンが多い初代の「アーリーブロンコ」についても紹介していきましょう。 4WDブームの中投入された初代ブロンコ 1966年当時、ジープ チェロキーやインターナショナル スカウトなどのオフロード4WDが盛り上がりを見せていました。 対するフォードもこれらの対抗車種として、オフロードSUVの初代ブロンコを発売。全長4,635×全幅1,695×全高1,640mm小柄なボディに対し、最大出力105psの2.8リッター直列6気筒に加え、オプションで4.7リッターV型8気筒、最高出力205psのパワフルなエンジンが設定されていました。 そして、ルーフが取り外し可能な「パッセンジャーワゴン」や、左右のドアがない「ロードスター」など、アウトドア仕様に特化した多彩なモデルがあるのも、フォード ブロンコ最大の特徴です。 好評を得たものの、人気は長く続かなかった ショートホイールベースのコンパクトボディはオフロードとの相性が良く、ユーザーからも好評でした。しかし、シボレー ブレイザーの登場により、フォードは苦戦を強いられることになります。 ブレイザーの快適性及び、洗練されたスタイリングは話題を呼び、ブロンコの売れ行きは頭打ち。その後はモデルチェンジを繰り返すも、ピックアップトラック「Fシリーズ」のヒットの陰に隠れ、ブロンコは1996年に生産を終了してしまうのです。 ところが、コンパクトオフローダーとして一時代を築いた初代ブロンコの人気は根強く、ファンの間では「アーリー(初期の)ブロンコ」と呼ばれ、今でも愛され続けています。 初代を思わせる新型は4ドアモデルも存在 生産終了から24年が経ち復活したブロンコは、初代モデルを彷彿とさせる丸目ヘッドライトを持ち、武骨ながらコミカルでファニーな雰囲気。車体サイズが全長4,412×全幅1,928×全高1,826mmの2ドアモデルと、全長4,810×全幅1,928×全高1,854mmでシリーズ初となる4ドアモデルの2種類がラインナップされています。 両モデルともドアとルーフの取り外しができ、本格的なオフロード走行を楽しみ遊び倒したいユーザーにとっては嬉しいギミック。そして、解放感という点ではアーリーブロンコへのオマージュを強く感じられます。 オフロード走行を突き詰めたパッケージ 初代ブロンコを思わせる外観に対して、内装は最新のインフォテインメントシステムを採用したモニターが搭載され、サイズは8インチと12インチから選択可能。搭載されるエンジンは最高出力270psの2.3リッター直列4気筒と、最高出力310ps、2.7リッターV型6気筒の上級グレード用の2種類で、どちらも直噴ターボであるエコブーストを採用しています。 高強度スチールのラダーフレームに装備されるサスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン式、リアが5リンク式リジット。タイヤは7種類の設定があり、30インチからマッドタイプの35インチまで選択でき、新型ブロンコが本気のオフロード仕様だということを伺わせます。 ブロンコを日本で購入するためには 魅力的な要素が備わった新型ブロンコですが、販売元のフォードは2016年に日本市場から撤退しているために、国内での正規購入はできません。それでも新型ブロンコを購入したい!という場合は、個人で車を取り寄せる「並行輸入」という手段があります。 しかし、並行輸入は車の輸送や通関、排出ガス検査など、手続きは自分で行う必要があり、よほど知識が無ければ非常に困難です。その場合は、並行輸入を代行してくれる専門ショップに依頼しましょう。当然費用はかさみますが、業者が輸入の手続きを代行してくれるので、個人で動くよりもハードルはだいぶ低くできます。 初代ブロンコの流通状況 一方、初代ブロンコは大手中古車検索サイト(2021年6月時点)で検索した結果、中古車はわずか1台のみ。価格も「ASK(応相談)」表記となっており、容易に購入できるわけではありせん。 しかし、半世紀以上続く人気もあってか、初代ブロンコを専門に扱うショップが存在し、もちろん並行輸入の代行もお任せできます。純正、社外ともに新品パーツが豊富にそろっているので、購入後のアフターケアもそれほど心配いりません。アーリーブロンコが気になっている方は、一度調べてみる価値がありそうです。 まとめ 新型ブロンコ、アーリー(初代)ブロンコともに、力強いエンジンと脱着可能な車体各部など、ユーザーをワクワクさせるような魅力がたくさん詰まっています。さらに、今回の4ドアモデルの登場でファミリーユースでの使用も多くなり、ブロンコの可能性はさらに広がるかもしれません。 しかし、新旧ブロンコともに、購入に至っては多少手間がかかります。日本国内でもアウトドアやSUVの需要が高まっている今、ぜひ日本仕様の新型ブロンコの発売も期待したいところです。 [ライター/増田真吾]

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