旧車の魅力

オープン2シーターとして人気のホンダ S2000!世界一を目指したSシリーズの歴史と魅力に迫る
旧車の魅力 2023.11.30

オープン2シーターとして人気のホンダ S2000!世界一を目指したSシリーズの歴史と魅力に迫る

オープン2シーターにロングノーズショートデッキ、ヘッドライトやボンネットの形状こそ現代風ながら、ホンダの自動車開発の歴史を切り開いたSシリーズ伝統のスタイリングを踏襲したホンダ S2000。1999年からわずか10年間の生産にもかかわらず、現在でも個性的なスポーツカーとして高い人気を誇っています。 しかし、S2000の魅力はスタイリングだけではありません。スポーツカーとしての高い性能に裏打ちされたS2000の魅力と、世界を目指したSシリーズの歴史を紹介します。 Sシリーズを究極進化させたS2000 ホンダ初の普通乗用車としてS500が登場したのは1960年代初頭。日本の自動車産業の黎明期に、世界にも通用するクルマとして開発されました。オープン2シーターに高い性能を詰め込んだFRスポーツは、Sシリーズとしてホンダの歴史を作り上げた存在です。 ホンダの50周年を記念して開発されたS2000は、単なる記念モデルではなくクルマとして完成されたSシリーズの名に恥じないモデルでした。 自動車メーカーとしてのホンダの礎となったSシリーズの歴史から振り返って紹介します。 世界を目指して開発されたホンダSシリーズ 2000年目前に発売されたS2000ですが、Sシリーズの歴史は1960年代にまで遡ります。当時2輪しか製造していなかったホンダが、初の4輪として開発したのがSシリーズの起源であるSports 360でした。(同時に軽トラックのT360も開発) Sports 360は、オープン2シーターという当時としては挑戦的なスタイリングを採用しました。その後のSシリーズにも受け継がれます。残念ながらSports 360は発売にはいたらなかったものの、普通車として開発したS500を1963年10月に発売。「出すからには世界一でなければ意味がない」という本田宗一郎氏の信念のもと、ホンダ初の普通乗用車ながら世界最高峰の性能を誇るオープン2シーターは国内外の大きな注目を集めました。 Sシリーズの開発は精力的におこなわれ、次々と新モデルが投入されます。S500発売の翌年1964年にはS600、1966年にはS800を発売。1968年発売の最終モデルであるS800Mまで、マイナーチェンジを含めるとほぼ毎年モデルチェンジを繰り返しました。 ホンダ設立50周年を記念して発売されたS2000 Sports 360から続いたSシリーズが生産終了した1970年から29年後、1999年4月15日にホンダの創立50周年を記念して、久々のSシリーズ・S2000が登場しました。 オープン2シーターというSシリーズの伝統は、S2000でも踏襲されます。また、Sシリーズの系譜を受け継いだのはスタイリングだけではありません。世界最高峰の性能という点も、初代のS500同様に妥協することなく追求されていました。 高出力の新開発エンジンに、高剛性を実現した専用フレームとホンダのもつ技術が惜しみなくつぎ込まれた一台です。 過去のSシリーズ同様最高の性能を追い求めたS2000 S2000の本当の魅力は、スポーツカーとしての高い走行性能です。“エンジンのホンダ”とも言われるように、特にエンジンはこだわって開発されました。また、エンジン性能に負けないボディ剛性もS2000がただのオープンカーではなく、スポーツカーとして評価されている理由の一つです。 発売後も意欲的に開発され続けたS2000の性能面の魅力を紹介します。 ピュアスポーツと比べても遜色のない走行性能 オープン2シーターというボディスタイルは、開放感があって個性的な反面、スポーツカーとしての性能は妥協しているモデルも少なくありません。しかし、S2000は性能面だけを見てもピュアスポーツカーと遜色のない高い走行性能を備えています。 まず、新開発されたF20C型2L直列4気筒VTECエンジンは、自然吸気ながら250psを発生。しかも、フロントミッドシップに配置することで、スポーツカーとして最適な前後重量配分50:50を実現しています。一般販売されている車両にもかかわらず、9,000回転まで回るホンダ特有の、レーシングカーのような高回転型エンジンでした。 また、S2000専用に開発された「ハイXボーンフレーム」は、クローズド設計のスポーツカー並の剛性を発揮。さらに、前後の足回りには剛性を確保できるダブルウィッシュボーンを採用し、クルマ全体の剛性を極限まで高めています。しかも、“分離加圧式ダンパー”で高レスポンスを実現したことで、現在でも一線級のコーナリング性能を誇ります。 前後期でエンジン特性が異なる 1960年代のSシリーズ同様、S2000も発売後にも進化を続けました。10年間の販売期間のなかで、2度のマイナーチェンジを行っています。マイナーチェンジ時期によって前期・中期・後期と呼ばれ、なかでもビッグマイナーチェンジが施されたのが後期型です。 前期と中期は、型式は同じAP1で基本的には大きな変更はありません。スタビライザーとサスペンションの味付けがややマイルドに変更されました。 型式がAP2となり、唯一のビッグマイナーチェンジとなった後期型での最大の変更点はエンジンです。2LだったFC20型エンジンが2.2LのFC22型に変更されました。排気量を上げることで、FC20型で課題だった低中回転域でのトルク不足を解消します。最高出力は242psに抑えられたものの、S2000の求める「速いだけでなく、乗り手が『楽しい』と思える性能」がさらに熟成された上質なフィーリングのエンジンです。 国内生産は10年で2万台あまりの希少車 S2000の生産は、約10年間で国内では2万台ほど、全世界でも約11万台程度しかありません。しかも、スポーツ走行を楽しむオーナーも多く、状態のいい中古車はさらに年々減少しています。 中古車情報サイトで調査したところ、中古車は300万円前後を中心に取り引きされているようです。走行が35,000kmと少ない2008年のAP2型で、1,100万円というモデルもありました。 旧車王でも、10年以上前のクルマにもかかわらず、新車販売価格と同水準の350万円での買取実績もあります。今後S2000の入手を検討している方は、ぜひ早めに状態のいい車体を見つけてください。 ※中古車価格は2023年3月執筆当時

アメリカンテイスト漂うシビックカントリー!ホンダ初のステーションワゴンの魅力
旧車の魅力 2023.11.21

アメリカンテイスト漂うシビックカントリー!ホンダ初のステーションワゴンの魅力

2022年に初代誕生から生誕50周年を迎えた、ホンダ車のなかでもっとも長い歴史をもつクルマであるシビック。初代の大ヒットを受けて登場した2代目シビックの派生車種が、ホンダ初のステーションワゴン、シビックカントリーです。 木目パネルが印象的なアメリカンテイストに仕上げられたシビックカントリーですが、その魅力は外観だけではありません。1980年の販売開始から、わずか3年間のみ製造された隠れた名車・シビックカントリーの全貌に迫ります。 時代背景を味方につけたシビック 高度経済成長を受けて一般庶民の多くが自家用車を手にするようになるなか、経済性と性能のバランスを追求して開発された初代シビックは成功をおさめます。また、基本フォルムを踏襲しつつ、ユーザーニーズに合わせた豊富なボディタイプが用意されていたこともシビックがヒットした要因の一つです。 続いて投入された2代目シビックでも、3ドアハッチバックを基本としつつ多くの派生車種が開発されました。なかでも「シビックカントリー」はホンダ初のステーションワゴンとしてシビック派生車種のなかでも特に異彩を放っています。 初代から正当進化を遂げた2代目シビック クルマとしての基本性能、居住性、さらには経済性をコンセプトに、バランスを重視して開発された初代シビック。コンパクトながら前後のオーバーハングをギリギリまで詰めたロングホイール化したことによる“台形”のようなフォルムは、当時の日本では斬新でした。また、発売翌年に搭載されたCVCCエンジンによって、世界一厳しいと言われたアメリカの排ガス規制、通称“マスキー法”を世界で初めてクリアしたこともあり、初代シビックは世界的な大ヒットを記録します。 初代の成功を受けて、1979年に投入されたのが2代目シビックです。当初、3ドアハッチバックのみが販売され「スーパーシビック」の愛称で知られる2代目は、初代の成功につながった台形プロポーションを受け継ぎつつ、ホイールベース、全長、全福のすべてでサイズアップされました。さらに、インパネの速度計と回転計を同軸に配置した「集中ターゲットメーター」や「ロータリー式オートラジオ」など新たな装備を採用したことでも注目を集めます。 アウトドアレジャーブームにホンダ シビックも呼応 1970年代後半には、日本国民の生活水準の向上とともにアウトドアレジャーブームが起きました。ちょうど2代目シビックの開発を進めていたホンダは、シビックの派生車種でアウトドアレジャーに対応することを決定し、ホンダ初のステーションワゴン「シビックカントリー」が誕生しました。 シビックカントリーは、2代目シビックの発売から1年後の1980年に登場。 商用のシビック・バンをベース車として開発されましたが、乗用にふさわしく内外装や走行性能、装着タイヤにいたるまで徹底的に再調整が施されました。アウトドアユースで、長距離移動をしても快適に過ごせるクルマに仕上がっています。 コンセプトを忠実に踏襲したシビックカントリー ただコンパクトで経済性が高いだけではなく、上質な内外装や高い走行性能をバランスよく実現したクルマだったことがシビック成功の理由です。シビックカントリーも、シビック本来のコンセプトを忠実に守って開発されています。 ここからは、高い走行性能や個性的な外装、機能性にこだわった内装とホンダのこだわりが随所にちりばめられたシビックカントリーの全貌を紹介します。 2代目シビックならではの高い走行性能 エンジンには、ベースであるシビック・バンには設定されていなかったEM型1.5L直列4気筒横置OHCエンジンを採用。最高出力80ps、トルク12.3kg・mを発生し、ストレスのない加速性能を発揮します。また、燃費性能も高く、5速MTモデルでは24km/L(60km/h定地走行時)を実現していた点も長距離ドライブの多いアウトドアユースにマッチしていました。 エンジン性能以外にも、ラック&ピニオン式ステアリングによって、スムーズなステアリングフィールを実現。エンジンパワーをいかした軽快な走りを楽しめました。 アメリカンテイストに仕上げられたエクステリア シビックカントリーの最大の魅力ともいえるのが、レジャーを強く意識した遊び心あふれるエクステリアです。 まず目を惹くのが、サイドとテールゲートに施された木目パネルと、サイドプロテクションモールです。さらに、前後の大型バンパーによって“カントリー”の名にふさわしいアメリカンテイストに仕上がっています。 アウトドアユースでの使い勝手を高めたインテリア アウトドアレジャーでの快適性や利便性を追求したインテリアも、シビックカントリーが注目を集めた理由の一つです。当時の実用車にありがちだった鉄板むき出しのインテリアではなく、フルトリム化されているうえ色味もトータルコーディネート。また、長さ1,720×幅1,290mmと広大な室内空間はクラストップレベルでした。 実用面でも、アウトドアを意識した装備となっています。4段階の角度調整のできる後席には、フルフラットにできる機構も組み込まれていて広いラゲッジスペースを確保できるようになっていました。また、運転席のボタン操作でテールゲートのロックを解除できる電磁式オープナーは、ユーザーの利便性を高める装備でした。 入手困難でも探す価値のあるシビックカントリー 新車販売当時、シビックカントリーは爆発的な人気があったとはいえないものの、高い走行性能とアウトドアレジャーのための快適性を兼ね備えていたことから常に一定の評価を得ていました。製造期間がわずか3年間で、販売終了からすでに40年が経過する旧車のため、現在中古車市場で見つけるのは至難の業です。 過去に販売した実績のある中古車販売会社へ問い合わせたところ、135万円で販売したとの回答がありました。また、旧車王でも100万円での買い取り実績があることから、今でも魅力的なクルマであることは間違いありません。 隠れた名車シビックカントリーを手に入れたい方は、旧車を取り扱う中古車業者にアンテナを張って根気強く探してみてください。 ※価格や経過年数は2023年2月記事執筆時のもの

2代目サニトラが人気の理由とは?! ロングセラーモデルの魅力に迫る
旧車の魅力 2023.11.21

2代目サニトラが人気の理由とは?! ロングセラーモデルの魅力に迫る

通称サニトラと呼ばれる、日産・サニートラックは、国産大衆車の雄である日産のサニーをベースに開発されたボンネットトラックです。特に2代目サニトラは、生産終了から30年以上も経った現在でも高い人気を誇っています。 ノスタルジックなスタイリングから「旧車カスタマイズの入門車に最適」と言われる2代目サニトラの魅力を詳しくお伝えします。 サニトラは37年も続いたロングセラーモデル 2代目サニトラの販売期間は、1971年〜2008年(国内は1994年)の実に37年間にも及びます。途中マイナーチェンジはあったものの、派生モデルが1世代だけでこれだけ長期間販売されたクルマはあまり例がありません。 2代目へのモデルチェンジで、長く愛されるパッケージングと高い走行性能を手に入れたサニトラの歴史を振り返ります。 発売と同時に人気となったサニトラ 初代のサニトラは、ベース車両のサニー発売の1年後である1967年に登場しました。キャビンと荷室が一体化したスタイリングは当時としては画期的で、瞬く間に小型トラック市場の中心的存在になります。 すでに人気の高かったサニトラの地位を不動のものにしたのが、サニーのフルモデルチェンジに合わせて1971年に登場した2代目B120型です。人気のあったボディスタイルはそのままに全体にスペースを拡大、排気量を1.2Lに引き上げたエンジンによって居住性と走りの両面で大きく性能を向上させました。 また、ライバルが小型トラック市場から撤退したタイミングと重なったこともあり、同市場でオンリーワンの存在となります。結果的に2代目サニトラは、国内でも1994年、海外では2008年まで販売されるという異例のロングセラーモデルとなりました。 軽量FRという仕様が走り好きの心も掴んだ サニトラが人気となった理由の一つは、駆動方式がFRだったことです。ベースとなるサニーのプラットフォームを踏襲して開発されたサニトラも、駆動方式にはFRを採用。もともとの軽量コンパクトという特性と合わせて、小型トラックながら走りも楽しめるモデルだったことから、走行性能を求める層からの支持も集めます。 サニー自体がツーリングカーとして多くの実績を残していたこともあり、サニトラもチューニングベースとして注目されました。実際に1980年代のサファリラリーにも出走しています。 <h3>シンプルで頑丈なA12型エンジン</h3> サニトラに搭載されるA12型1.2リッターOHVエンジンは、68psを発生。現在の基準から考えると控えめに感じますが、当時としては十分な出力で、重量730kgのサニトラを軽々と走らせてくれました。 また、日産エンジンのなかでも名機と言われるA型エンジンは、シンプルな構造で耐久性の高いエンジンです。多くの車種に搭載され、チューニングベースとしての人気も高かったことから、サニトラでもチューニングを楽しむユーザーが増加しました。 カスタマイズを手軽に楽しめる2代目サニトラ 懐かしさの漂うフォルムから、オールドスタイルファンの心をつかんで離さないサニトラ。しかも、旧車にもかかわらず、手軽にカスタマイズを楽しめる点はサニトラの大きな魅力です。海外では2008年まで販売されていたため、多くの部品が比較的簡単に入手できます。 さらに、販売期間が長く愛好家も多いことから、アフターパーツの種類も豊富です。2代目サニトラのカスタマイズについて紹介します。 外装を好みのデザインにカスタマイズできる サニトラは外装のアフターパーツも豊富です。さまざまなパーツを組み合わせて、自分好みの外観に仕上げられます。 たとえば、後期の角型ヘッドライトを前期の丸型へのスワップやチンスポイラーの装着は、2代目サニトラの王道のカスタムスタイルです。また、リアバンパーをスムージングすると、旧車ながらもモダンなデザインを楽しめます。 なお、荷台のフックの取り外しも定番のカスタマイズのため、中古車を購入する際はフックの有無も確認しておきましょう。 素性のいいA型エンジンはチューニングベースに最適 サニトラに採用されるA型エンジンは、レースに使用された実績もある高性能エンジンです。ノーマルのA12型エンジンの排気量を1.3Lに拡大し、130psを発揮するものもありました。 多くのパーツが販売されているので、もともと搭載されているA12エンジンをチューニングするだけでも十分楽しめます。仮に購入した車両のエンジンの状態が悪くても、販売台数が多いため別のエンジンを探すことも容易です。さらに、排気量のより大きなA14型へのスワップも人気で、よりパワフルなサニトラを楽しんでいる方もいます。 カスタマイズできるのはエンジンだけではありません。純正の4MTを5MTへ変更するキットが販売されていて、チューニングしたA12型エンジンのパワーを余すことなく使えるようにできます。給排気系についてのカスタムパーツも豊富です。パワーや好みに合わせてチューニングすることで、キャブ車ならではのクラシカルなサウンドを楽しめます。 中古車を探すなら最終の後期型がおすすめ サニトラは1989年11月にビッグマイナーチェンジが実施され、後期型と呼ばれる最終モデルが登場しました。エンジンの改良やフロントにディスクブレーキを採用するなど、現代のクルマに近い仕様になっているほか、昭和63年の排出ガス規制(自動車NOx・PM法)にも対応しています。また、後期型は南アフリカで2008年まで生産されていたため、部品の入手性の高さもおすすめポイントです。 販売台数の多かった2代目サニトラは100万円前後から購入できます。販売初年度から50年以上、国内販売終了からでも29年が経過している旧車としては比較的入手性の高い車種です。しかし、少しずつ流通数は減ってきており、1992年式で328万円もの価格の車両もありました。また、旧車王では1992年式のサニートラック ロングボディデラックスを100万円という高値で買い取っています。 今後さらに台数が減少すると、サニトラの豊富なカスタマイズを楽しめる機会も減ってしまうかもしれません。 ※中古車価格は2023年2月執筆当時

アリストのベースグレードとどこが違う?今も人気のベルテックスエディションを詳しく紹介
旧車の魅力 2023.11.20

アリストのベースグレードとどこが違う?今も人気のベルテックスエディションを詳しく紹介

欧州車を思わせる個性的な外観に高級感あふれる内装、さらにハイパワーエンジンをFRレイアウトにパッケージングしたことで、アリストはラグジュアリースポーツセダンとして確固たる地位と人気を獲得しました。そんなアリストの特別感をさらに高めたのが、ベルテックスエディションです。高級スポーツセダンとして人気を集めた16系アリストに設定されたベルテックスエディションについて、ベースグレードと比較しながら詳しく紹介します。 国産最速セダンとも呼ばれたアリスト アリストは、高級セダンとして他車に遜色のないデザインや装備を纏いつつ、スポーツカー顔負けの高い走行性能も備えるという、当時の国産車ではあまり例のない性格をもつ車種でした。 ここでは、そんな“国産最速セダン”とも呼ばれたアリストについて紹介します。 最後のアリストとなった160系 初代140系アリストは、クラウンマジェスタの姉妹車として1991年に登場しました。そして、登場から6年後の1997年に、最初で最後のフルモデルチェンジを実施して登場したのが2代目160系アリストです。 アリストの特徴は、初代・2代目とも一貫しています。高級セダンとしての車格にふさわしく、贅沢で丁寧に仕上げられ内外装と、高い走行性能を両立していました。「ハイパフォーマンス4ドアセダン」として、他の高級セダンと明確な差別化が図られていた車種です。 トヨタ最強のハイパフォーマンスターボエンジンや、四輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用するなど、スポーツカーさながらの装備となっています。 ベースグレードは2種類 アリストのベースグレードは、V300とS300の2種類。大きな違いは吸気方式の違いで、V300がターボの2JZ-GTE、S300が自然吸気の2JZ-GEを搭載しています。 アリストは、海外向けには“レクサスGS”として販売されていましたが、レクサスGSにはターボエンジン搭載モデルはありません。アリストの魅力を最大限表現しているのは、国内向けのグレードであるターボモデルのV300です。 現在でも人気の名機2JZエンジンを搭載 アリストに搭載されているのは、ターボ、自然吸気ともに3L直列6気筒の2JZエンジンです。2JZ型のエンジンは、今もなおドリフト競技で多くの支持を集めています。 なお、先代で設定されていた4LのV8エンジンを搭載するグレードは、160系のアリストでは廃止されたため、2代目に搭載されるエンジンは2JZ型のみです。 ターボモデルの2JZ-GTEエンジンは、国内自主規制最大となる280psを発生しました。当時、トヨタのフラッグシップスポーツカーであった80スープラと同型エンジンというところからも、いかにアリストが“走り”にこだわっていたのかがわかります。 「走りのアリスト」を引き立てるベルテックスエディションのベースグレードとの違い 160系アリストには、V300、S300の両方で、ベースグレードのほかに“ベルテックスエディション”というグレードが用意されていました。ラグジュアリーセダンとしての性格に、よりスポーティで洗練されたイメージを付加したグレードです。 ここではベースグレードとベルテックスエディションの違いを紹介します。 黒を基調にまとめられたインテリア ベルテックスエディションとベースグレードで大きく異なる点は、内装色です。全体が黒で統一されており、アリストがもともと備えた高級感に加え、都会的でスタイリッシュな印象になっています。 ベースグレードから変更されたのは、それだけではありません。ダッシュボードやドアパネル、カーペットやシートにいたるまで、別のクルマといえるほどほぼ全面的に仕様が変更されています。高級セダンとしては一般的な、ベージュとグレーというベースグレードの配色はまったく残っていません。 ただし、ベルテックスエディションに標準装備されているシートは、黒とグレーの布製シートである点には注意が必要です。ベルテックスエディションの象徴的なイメージのある黒本革シートですが、実際にはオプション扱いになります。 特別感のある専用外装パーツを装備 ベルテックスエディションには、外装面でも2点の専用パーツが用意されました。アルミホイールとトランクスポイラーです。 高級感だけではなく、走行性能の高さもアリストの魅力の1つ。トランクスポイラーによって、より“走り”のイメージが際立ちます。 また、ターボモデルのV300のベルテックスエディションでは、専用デザインの17インチアルミホイールが装備されています。 アリストの中古車は今が狙い目 当時としては最高ともいえる高級感と、高い走行性能を備えたアリストは、中古車として狙い目の車種です。160系アリスト、ベルテックスエディションの中古車相場は、ターボ車のV300でも100〜200万円前後です。 大手中古車サイトで検索をしてみたところ、走行距離5万km未満、修復歴ナシという程度の良いV300ベルテックスエディションが300万円前後という価格でした。同じ2JZエンジンを搭載したモデルの80型スープラが、800万円前後で取り引きされていることを考えると、かなり手頃な価格です。 一方、旧車王では、V300ベルテックスエディションを160万円で買い取った実績があり、買取価格はやや上昇傾向にあると言えるかもしれません。 高級感と最高の走行性能を味わえる160系アリスト ベルテックスエディションに魅力を感じたのなら、早めに探し始めた方がいいでしょう。 ※価格は2022年12月執筆時  

生産台数わずか197台!?逆風に負けず開発されたケンメリGT-Rの実力
旧車の魅力 2023.11.20

生産台数わずか197台!?逆風に負けず開発されたケンメリGT-Rの実力

わずか197台の生産にもかかわらず、現在でも伝説的な人気を誇る“ケンメリGT-R”。生産台数が少なかった理由として、ネガティブな説が挙げられることもありますが、実際は最後のS20型エンジン車として後に進化を遂げたモデルです。今回は希少車“ケンメリGT-R”の魅力について詳しく紹介します。 ハコスカで登場したGT-Rはケンメリに受け継がれた GT-Rは、3代目のスカイラインである通称“ハコスカ”から追加された最上級グレードです。4代目スカイラインの“ケンメリ”にも、GT-Rのグレードは引き継がれました。 大衆受けを狙ったベース車両とは方向性が異なったものの、見事に伝統を受け継ぎ、ケンメリGT-Rはスカイラインの新たな伝統を生み出したモデルへと進化を遂げます。 ベースとなった4代目スカイライン 当時大ヒットした3代目“ハコスカ”の次モデルとして登場したのが、4代目C110型スカイライン、通称“ケンメリ”です。1972年9月に登場したケンメリは、高性能化を目的として骨太に作られたハコスカとは対照的に、大衆受けを狙ったクルマとして開発されます。 “ケンメリ”という愛称の発祥であるCMのキャッチコピー「ケンとメリーのスカイライン」に象徴されるようにソフトなイメージで売り出され、歴代最多となる約67万台を売上げました。 4ヶ月遅れで発売されたGT-R ケンメリGT-Rが登場したのは、ベース車両発売から4ヶ月後の1973年1月。大衆受けを狙って開発されたグレードとは異なり、KPGC110型ケンメリGT-Rはその称号にふさわしく、ベース車両とは大きく差別化が図られました。 オーバーフェンダーやダックテールスポイラー、フロントグリルといったGT-R専用設計の外装パーツを備え、ベース車両と大きく異なる印象に仕上げられています。 ハコスカからの進化を遂げたケンメリGT-R KPGC110型ケンメリGT-Rの生産台数は、わずか197台と言われています。(生産台数には諸説あり)ベースである4代目スカイラインの大ヒットを考えると、当時としてはかなり少ない台数です。しかし、限られた生産台数や条件のなかでも、ケンメリGT-Rは先代から大幅に進化を遂げています。特に大きな影響を受けたのは排ガス規制による同型エンジンの採用です。厳しい時代を背景に、ケンメリGT-Rがどれだけ魅力的なクルマに仕上げられていたかを紹介します。 余り部品の寄せ集めではない 限定197台となった理由を「先代"ハコスカ”で余った部品で組み上げたから」とする説もあります。しかし、ケンメリGT-R専用に開発された外観部品はもちろん、エンジンやサスペンションなど型番が共通の部品もケンメリ用として生産されました。 シャシーの見直しも含めて専用の部品開発も行われており、スカイラインGT-Rとしてしっかりと進化しています。 排ガス規制の中で模索したスペックアップ 新たに設けられた排ガス規制をクリアできなかったことが、ケンメリGT-Rをわずか4か月という短命に終わらせた要因だと言われています。新たな開発費を投じることができず、規制をクリアする新しいエンジンを搭載することが叶わなかったのです。 ハコスカから受け継いだ同型のS20型エンジンは最高出力160㎰、最大トルク18.0kgmを発生し、数値上のスペックに変更はありません。しかし、中速域重視のセッティングを見直し、補器類はケンメリ用にアレンジされて、型式とスペックが同様ながらも進化を感じられるよう手が加えられました。 また、シャシーやサスペンションの徹底的な見直し、ブレーキにマスターバックを導入するなど高いハンドリングとコントロール性能を手に入れています。 GT-Rらしいスパルタンな内装 性能や外観だけではなく、乗り込んだ際に感じるインテリアの特別感もGT-Rの魅力の1つです。ケンメリGT-Rは、先代のハコスカ以上に内外装でベース車両との差別化が図られています。 ダッシュボードには、横一列にメーターが並べられたインストパネルにアルミパネルが取り付けられ、よりスパルタンな印象に仕上げられています。その中には240km/hまで表示されたスピードメーターと、10,000rpmまで刻まれたタコメーターが組み込まれています。 ほかにも、表皮やデザイン、ヘッドレストまで一新された本格的なバケットシートや本革巻きのステアリングなど、“走り”と“特別感”を意識したGT-Rらしい内装に変化しました。 「ケンメリGT-Rならでは」の魅力が詰まっているからこそ希少車としての価値が高い 旧車で販売台数の少ない希少車ともなれば、確かに価格は高騰しがちです。しかし、クルマとしての魅力がなければ買い手がつきません。 ケンメリGT-Rが、余りものの寄せ集めやただ排ガス規制に翻弄されただけのクルマであれば、現在の人気はなかったでしょう。厳しい条件のなかでも妥協することなく、“GT-R”にふさわしいクルマ作りをしたことが現在の人気につながっているのです。

メルセデス・ベンツ 190SLは廉価版と侮れない影の立役者だ!
旧車の魅力 2023.11.16

メルセデス・ベンツ 190SLは廉価版と侮れない影の立役者だ!

メルセデス・ベンツのクーペ、及びロードスターの最高峰に位置付けられる“SLクラス”。そのルーツは、レースで結果を残したモデルをベースに開発された300SLです。しかし、同時に発売された廉価版の190SLも、300SLに劣らず魅力をもったクルマでした。SLクラスの確固たる地位を築き、現在も高い人気を誇るメルセデス・ベンツ 190SLの生い立ちを振り返ります。 SLクラスを世間に認知させた190SL メルセデス・ベンツの歴史上初めて“SL”の名が付けられ、自動車史に残る名車として認知されているのは300SLです。しかし、販売台数を伸ばし商業的に成功したのは、同時に発売された190SLでした。 SLクラスを世間に認知させその後のクラス存続にもつながったモデルともいえる、190SLの歴史を振り返ります。 伝説の名車300SLと同時発売された廉価モデル メルセデス・ベンツSLクラスが誕生するきっかけとなったのは、300SLのプロトタイプが、1952年のカレラ・パナメリカーナ・メヒコで勝利したことです。当時、世界一過酷と言われていた公道レースで勝ったことは、アメリカのスポーツカー好きから注目を集めます。 そこに今後の需要があると踏んだのが、アメリカで輸入車ディーラーを経営していたマックス・ホフマンです。当初300SLは市販される予定はありませんでしたが、彼の強い働きかけによって、1954年に300SLは生まれました。そして、300SLの製造を依頼するのと同時に、日常使いができるコンパクトで低価格なモデルとして製造を依頼して誕生したのが190SLです。 販売台数で300SLを大きく上回った190SL 190SLは、日常的に使えるクルマを目指して開発され、ボディサイズやエンジンのコンパクト化など随所にコストダウンが図られています。当時の販売価格は、300SLよりも4割ほど安く設定されていました。 コストに制約があるなかでも、ボディデザインにはこだわり、300SL同様の流麗なボディを実現。結果として、2万5,000台以上を販売するという大ヒットを記録します。300SLの販売台数が3,000台強ということを考えると、SLクラスを多くの人に広めたのは190SLと言って間違いないでしょう。 ただの廉価版ではない190SLの魅力 ベースモデルの300SLよりもエンジンは小型で、ボディサイズもコンパクトです。190SLは、いわゆるメインモデルの廉価版として製造されました。 しかし、メインモデルと変わらない美しいボディデザインや日常での取り扱いやすさなど、190SLは“SL”の名に恥じないこだわりが詰まったクルマです。ここからはその魅力を詳しく紹介します。 コンパクトながら官能的なボディデザイン 190SLの特徴は官能的なボディデザインです。300SLと比べて全長約300mm、全幅50mmコンパクトに設計されているにもかかわらず、独特な美しいボディラインは損なわれていません。 なお、300SLはレースカーと同様にガルウィング仕様も用意されていましたが、より多くのドライバーが楽しめるように190SLは最初からロードスター(幌)モデルのみの販売されました。(後にハードトップも追加)流麗なデザインでありながら誰でも手に届くクルマだったといっていいでしょう。 必要十分なパワーを持つ扱いやすいエンジン 190SLのエンジンは、105馬力を発生するキャブレター式1.9L直列4気筒SOHCです。215馬力の300SLに比べて劣るものの、100kgも軽量に作られている190SLにとって、当時としては十分なエンジンパワーでした。 また、レースカーライクでピーキーな300SLよりも取り扱いやすかった点も、190SLの成功につながったポイントです。 高いメンテナンス性 当時としてメンテナンス性が高かったことも、SL190が持つ特徴の一つです。日常使いというコンセプトは、性能面や価格だけでなく車両の内部設計にも反映されていました。 また、異なるモデル間でも共通パーツが多く使われていることも、クルマを長く維持するうえで重要なポイントです。190SLに関する情報のなかには、製造された個体の半数近くが現存していると推定しているものもあります。 手頃だった190SLも今やプレミアムカー 販売当初は、日常使いのしやすさと手頃な価格で人気を博した190SLですが、現在の中古車価格は手頃とはいいがたい水準で推移しています。販売終了から50年以上が経過し、いかにメンテナンス性が高くても年々在庫は減少しているためです。 大手中古車サイトで検索すると、1960年式の190SLに2,350万円の価格がついていました。また、検索結果に表示されたのはわずか3台。年式から考えても現存台数が多いと言える190SLですが、希少車であることには変わりありません。また、旧車王での買取価格を確認すると、10月に1750万円もの高額で買い取った実績がありました。 190SLを手に入れたい方は、市場動向をこまめにチェックし購入の機会を逃さないようにしましょう。また、お手元に190SLをお持ちの方は状態が悪くなる前に、高値で推移している今こそ売却を検討してみてはいかがでしょうか。 ※中古車相場は2022年10月原稿執筆現在  

ランエボの血統はここからはじまった!デビューイヤーからラリー界を席巻した三菱 ランサー 1600GSR
旧車の魅力 2023.11.14

ランエボの血統はここからはじまった!デビューイヤーからラリー界を席巻した三菱 ランサー 1600GSR

初代ランサーのスポーツグレードが、三菱 ランサー 1600GSRです。特徴的な丸目ヘッドライトを採用した個性的なスタイリングで、小型車ながら高い戦闘力を秘めたランサー 1600GSRは、三菱の綿密な戦略によって生み出されました。後に三菱を代表する“ランエボ”にもつながるランサー 1600GSRの魅力と実力を詳しく見ていきましょう。 三菱の戦略で誕生したランサー 1600GSR ランサー 1600GSRは、1973年に登場した初代ランサーのスポーツグレードです。しかし、単にベース車両から派生したモデルではなく、もともと開発陣がランサーとして目指していた姿を体現したモデルでした。 ライバル他社に遅れをとらないよう、明確な戦略をもって投入された三菱 ランサー 1600GSRの歴史を紐解きます。 群雄割拠の1.5Lクラスに投入されたランサー 1973年2月にデビューしたランサーシリーズは、席の空いていたスモールセダンクラスを埋めるために開発されたモデルです。そのため、発売当初は大衆車としてファミリーユースを意識したラインナップになっています。 しかし、1970年代当時、このクラスはかなりの激戦区で、トヨタのコロナや日産のブルーバードなど強力なライバル車が先行している状況でした。 後発となる三菱としては、よりインパクトの強い車種の投入が必須で、若年層を意識した安価で高性能かつ、スポーティーなモデルを開発当初から目指すことになります。そこで、ベースモデルの発売からわずか7ヶ月後の1973年9月に投入されたのが、ランサー 1600GSRです。ラリー競技を念頭に開発された高性能エンジンを搭載し、当時としてはずば抜けた動力性能を発揮しました。 ライバルと違う道を目指したことで個性を発揮 1.5Lクラスで遅れをとっていた三菱にとって、ランサーは切り札ともいえる車種でした。そこで、三菱はラリーへの参戦というライバルメーカーとは違う宣伝戦略をとります。ラリーは世界的にも人気が高かったことと、サーキットを走るライバル車とあえて異なる道を選ぶことで差別化を図りました。 ランサー 1600GSRは、開発段階からラリーへの参戦を意識してつくられました。。結果的にこの戦略は奏功し、モノコックボディは剛性が高く、足回りもオーソドックスな構成ながら信頼性の高いものに仕上がりました。 ラリーでとにかく強かった ランサー 1600GSRは、市場投入後すぐにその力を発揮します。1973年10月開催のサザンクロスラリーに5台の1600GSRを送り込み総合優勝を勝ち取るとともに、4位までを独占するという輝かしい結果を残しました。 さらに、翌年の1974年にはサファリラリーで総合優勝、サザンクロスラリーも2年連続で制覇。この後1976年にかけてサザンクロスラリー4連覇、サファリラリー3連覇を達成しラリー界を席巻しました。 無敵の走りを見せていた1600GSRですが、オイルショックの影響で三菱はモータースポーツからの撤退を余儀なくされます。しかし、過酷なラリーで結果を残し続けてきたことで、走行性能だけではなく高い信頼性を世界にアピールすることに成功したのです。 大衆車なのにスポーツカー並の性能と装備 1600GSRはベース車両が大衆車と思えないほど、強力なエンジン、高いボディ剛性、魅力的な内外装を備えた完成度の高いクルマでした。 三菱開発陣の高い技術力はもちろん、こだわりがつまっていることがよく分かります。スポーティというよりも、スポーツカーともいえる1600GSRの特徴を見ていきましょう。 高いエンジン性能とボディ剛性 ランサー 1600GSRがベース車両と大きく異なる点はエンジンです。「サターン」のニックネームで呼ばれる4G32型4気筒SOHCエンジンは、9.5まで高めた圧縮比とツインキャブレターによって最大出力110ps/6,700rpm、最大トルクは14.2kgm/4,800rpmを発生。800kgほどの軽量な車体を、最高速度175km/hまで加速させます。 ラリー参戦を見据えて開発された完成度が高いボディも1600GSRの特徴の1つです。前後の頑丈なボックスセクションをボディ中央のトルクボックスでつなぐレイアウトは、ボディのねじり剛性を飛躍的に高めるとともに、高い衝突安全性も実現しています。 スポーティにまとめられた魅力的な内外装 曲線を多用したロングノーズショートデッキのスタイリングは、スモールセダンながら格上のスポーツカーを思わせる仕上がりです。さらに、丸目のヘッドライトと縦型のコンビネーションランプなど、個性的なデザインは今見ても魅力的です。 内装も、3連の円形メーターにフロアシフトを装備するなど、一貫してスポーティにまとめられ、当時の小型車としては先進的なデザインでした。 ランサー 1600GSRの成功が無ければ“ランエボ”は誕生しなかった!? ランサー 1600GSRは、三菱のラインナップをただ埋めるのではなく、先行するライバル車に打ち勝つために開発され、見事に三菱の目的を達成しました。ランサー 1600GSRの成功がなければ、その後のランサーエボリューションの開発もなかったかも知れません。 個性的なボディデザインと高い走行性能を誇る魅力的なランサー 1600GSRをぜひ手に入れたいところですが、残念ながら大手中古車サイトでも中古車両は見つかりませんでした。ただし、別グレードとなる1977年式ランサー GLでも398万円もの価格がついているため、万が一1600GSRが市場で見つかってもかなりの高額になることが予想されます。 どうしても手に入れたい方は、旧車専門の中古車店などで広くアンテナを張って根気強く探す必要がありそうです。 ※中古車相場は2022年8月原稿執筆時  

唯我独尊!日本の技術者集団「マツダ」が作り出したコスモの歴史を振り返る
旧車の魅力 2023.11.14

唯我独尊!日本の技術者集団「マツダ」が作り出したコスモの歴史を振り返る

RX-7をはじめとするRXシリーズが有名ですが、はじめてロータリーエンジンを採用した車は1967年発売のコスモスポーツです。マツダコスモは時代の流れとともにエンジンやデザインを変え、各モデルともに魅力的な車となっています。そんなマツダコスモの歴史を振り返りましょう。 初代マツダ コスモスポーツ(1967年~1972年) レシプロエンジンは、ピストンの上下運動をクランクシャフトにより回転運動に替えています。それに対し、ロータリーエンジンはハウジングの中でおむすび型ローターを回転させ、すべてを回転運動で完結させるというのが大きな特徴です。。ロータリーエンジンは理想のエンジンと呼ばれながらも、技術的課題が多く、長らく「エンジニアの夢」と言われたエンジンでした。 1951年、ドイツのフェリックスヴァンケル博士(Felix Wankel:1902−1988)がロータリーエンジンの原理を確立したものの、量産化には多くの課題が存在しました。そのため、ロールスロイスや日産を始め、世界中のメーカーが開発に着手したものの量産化には至りませんでした。 そんな中、1964年の東京モーターショーでロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツコンセプトが鮮烈なデビューを飾ります。 名前の由来はイタリア語で宇宙を意味するCosmo(コスモ)。「宇宙時代にふさわしいエンジンを」という願いが込められていました。 1967年5月30日、モーターショーでのデビューから3年、マツダはついにコスモスポーツの販売を開始。搭載された12A型ロータリーエンジンは、総排気量491cc×2、最高出力110PS、最高速度185km/h、0-400m加速16.3秒というスペックを持ち、当時のスポーツカーとしては十分な性能を持っています。 さらに、上下に分割されたテールランプやボディ全体の厚みを抑えたデザインは、航空機や宇宙船を彷彿とさせ「走るというより、飛ぶ感じ」という言葉を具現化した車でした。 2代目マツダ コスモ(1975年~1981年) コスモスポーツの生産終了から3年後、1975年に発売された車がコスモAPです。マツダのフラッグシップとして高級路線にシフトされました。欧米市場を意識した2代目コスモは、順調に販売台数を伸ばし、発売から1年半で10万台を達成します。1977年にはバリエーション違いのコスモLを追加し、これも同じく市場から高い評価を得ます。6年にわたり販売された2代目コスモは、コスモ史上最も売れたコスモとなりました。 コスモAP 1973年に発生したオイルショックの影響で燃費の悪いロータリーエンジンは嫌煙され、販売台数は悪化してしまいます。そんな中、1975年に他社に先駆け昭和51年排ガス規制をクリアし発売されたのがコスモAPです。 APは「反汚染」を意味するアンチポリューション(Anti Pollution)の略で、搭載された13B型 654cc×2ローターのロータリーエンジンは、51年排出ガス規制をクリアしながら最高出力は135ps/6000rpmを達成。コスモAPのイメージアップに一役買うことになります。 デザイン面ではアメリカを意識したスペシャリティカーへ進化を遂げ、メッキ仕上げの大型フロントグリルを持つファストバックスタイルとなります。特徴的なBピラーにはピラーにウィンドウを配置し、手動式レギュレーターで全開が可能でした。 コスモL コスモLは1977年7月に追加された2代目コスモの高級仕様です。単に部品を変えただけの仕様違いではなく、ノッチバックスタイルを持つこだわりの一台となっています。コスモLの「L」は、ランドートップ(上級馬車)の頭文字から取ったもので、ルーフ後端は高級感のある革調の素材を採用。2ドアクーペでありながら、高級リムジンのような雰囲気を醸し出しています。 後部座席はゆったりとしており、5人乗車が可能。見るからに小さい後部座席の窓は、すべての景色が見えなくとも、ラグジュアリーな時間を車内で過ごしてほしいという意図により採用されました。上質でありながらどこかかわいらしさも感じる内装は、旧車ファンの心を掴んで離しません。 初代コスモスポーツから受け継ぐ走行性能を持ち、環境性能も満足させながら、独特の世界観を持つ2代目コスモは、マツダの名作と言って間違いないでしょう。 3代目マツダ コスモ(1981年~1990年) 1981年9月、マツダは車名をシンプルなもの変更した3代目コスモを発売します。同時期にフルモデルチェンジを受けたルーチェの姉妹車となり、ボディバリエーションも複数用意されました。2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、なんとピラー付き4ドアセダンまでラインナップを広げています。(コスモの社名を有する4ドアボディはこのモデルが最初で最後)多様化する需要に応えるように選択肢を広げた3代目コスモは、マツダの意欲作でしたが、その期待とは裏腹に販売台数は伸び悩みます。 エンジンはロータリー・レシプロ・ディーゼルの3本立てとなっており、ロータリーエンジンを持つマツダならではのユニークなバリエーションです。デザイン面でもコスモらしい個性的なもので、直線基調のインテリア、カセットテープを正面から見せるオーディオなど、当時のファンを驚かせます。エクステリアでは先代のAPと同様にBピラーに小さな窓を備え、ウエストラインを下げてグラスエリアが拡大されました。さらに、角4灯のリトラクタブルヘッドライトという個性的なものとなっています。 しかしながら、発売当初搭載されたロータリーエンジンは、先代の13B型ではなく排気量の小さい12A型を採用しています。数値的には130ps/7000rpmと先代と同等でしたが、頼りないフィーリングはコスモファンを満足させることは出来ませんでした。 そこで、同年10月には初のロータリーターボを採用。160ps/6500rpmの最高出力と23.0kgm/4000rpmで当時最高速213.33kmに達しています。そして、1983年10月のマイナーチェンジでは、固定式ヘッドライトに変更された4ドアハードトップにインジェクション化された13B型(最高出力160㎰)を搭載したグレードが設定されました。 人気は2代目には及ばないものの、当時最高レベルの走行性能を持つ3代目コスモも魅力的な一台です。  4代目ユーノス コスモ(1990年~1996年) 1990年4月発売、4代目コスモはユーノスコスモとして登場。先代とは対照的にボディバリエーションは2ドアクーペのみで、ロータリーエンジンに一本化されました。 ラグジュアリーさを漂わせるそのフォルムに搭載されるエンジンは、20B-REW型の3ローターターボエンジンです。V12に匹敵するなめらかさを持ち、当時300ps以上と言われた出力は自主規制により280psにデチューンされています。 内装に目を向けるとオーストリア製の本革シートやイタリア製の天然目パネルに加え、世界初のGPSカーナビが搭載されています。至れり尽くせりの至高の高級車となっていましたが、販売台数は思うように伸びませんでした。 その理由は533万円からという高額なプライスと、街乗りでは3km/Lにもなると言われた極悪な燃費にほかなりません。バブル時代の当時でもライバルとなるR32スカイラインGT-Rが445〜529万円となっており、それほど理解を得られなかったのです。 ユーノスコスモ誕生から6年、マツダはユーノスコスモの販売を終了し、長いコスモの歴史に終止符を打つことなります。 モータリゼーションの長い歴史の中でも3ローターターボを採用した車は後にも先にもこのユーノスコスモだけであり、今後このような車が世に出ることは難しいでしょう。そのため、旧車界でもユーノスコスモは多くのファンを獲得しています。 まとめ マツダのコスモシリーズは、市販化が難しいとされたロータリーエンジンをはじめ、ユニークで洗練されたデザインなど、自動車好きの記憶に色濃く残る存在感を放ってきました。 一方、ロータリーエンジンの宿命とも言える燃費の悪さや、先を行き過ぎたデザインなど、失敗作と酷評されることも少なくありません。 しかし、明と暗がクッキリしたコントラストのある歴史こそが、難しい課題も豊富なアイデアで解決する技術者集団「マツダ」のイメージリーダーである証拠なのです。

レガシィS401 STiバージョンは不人気車?! 当時売れなかったことでより希少性の高まった名車
旧車の魅力 2023.11.13

レガシィS401 STiバージョンは不人気車?! 当時売れなかったことでより希少性の高まった名車

専用パーツによるチューニングで高い走行性能を発揮する、レガシィS401 STiバージョン。スポーツセダンの代表車種ともいわれるレガシィB4を、スバルのスポーツ部門STi(現在は大文字のIを使用した「STI」だが、文中は小文字の「STi」を使用)がコンプリートカーとして製作したモデルです。 バランス取りまで施されたこだわりのエンジンを搭載するレガシィS401 STiバージョンについて、開発背景と魅力をたっぷりと紹介します。 <h2>人気のSTiモデルなのに売れなかったレガシィ   初代レガシィB4(レガシィとしては3代目)をベースに開発された、レガシィS401 STiバージョン。スバルファンに人気のSTi仕様車にも関わらず、登場した当時の販売台数は限定販売数にさえ届きませんでした。 しかし、ベースのレガシィB4、レガシィS401 STiバージョンともにスバルとSTiがブランドの転換を図った重要なモデルです。まずは、レガシィB4とSTiについて詳しく説明します。 スポーツセダンとしての地位を確立したレガシィB4 1989年から販売されていたレガシィは、1998年の3代目へのモデルチェンジで「B4」という新たなブランドを打ち出します。ステーションワゴンとセダンという2種のボディタイプのうち、セダンをレガシィB4と改めました。 初代レガシィB4は、RSとRSKというスポーツグレードのみを展開します。車としての性格を明確にしたことが、スポーツセダンとしての地位の確立につながりました。 スバルのスポーツブランドSTi STiは「SUBARU TECNICA INTERNATIONAL」の略で、スバルのモータースポーツ参戦母体です。また、同社のスポーツモデルブランドとして、レース経験で培ったノウハウを市販車にフィードバック。「STi」の名を冠した、数々のモデルが市場に投入されています。 なかでも、コンプリートカーと呼ばれるモデルはSTiの技術が存分に詰め込まれていて、メーカー公認のチューニングカーともいえる特別な存在です。レガシィS401 STiバージョンは、レガシィB4をベースにしたコンプリートカーとしてモデル末期の2002年に登場しました。 STiによるコンプリートカーは以前からありましたが、レガシィS401 STiバージョンは従来の戦闘力重視からプレミアム路線への転換を目指したモデルです。レガシィB4という新たなブランド戦略をとるスバル本体と、STiの新たな方向性の打ち出しは奇しくも同じタイミングでした。 限定販売だったのに伸びなかった販売台数 現在のSTiモデルはプレミアムカーとして定着していますが、当初は性能重視のブランディングでした。レガシィS401 STiバージョンからプレミアム路線に切り替えたことが、価格面も含めて当時のスバルファンにはあまり受け入れられなかったのかもしれません。同年に発売されたインプレッサのコンプリートカーS202がベース車輌から約65万円アップだったのに対して、レガシィS401 STiバージョンは約170万円も高い435万円という価格設定でした。 STiの名に相応しい名車レガシィS401 STiバージョン プレミアム路線に切り替えたといっても、レガシィS401 STiバージョンは「STi」の名に相応しい高い戦闘力を備えていました。 専用チューニングされたエンジンは手作業で組み立て レガシィS401 STiバージョンのエンジンは、専用ECUによる制御や吸排気系の変更で最高出力が293psまで高められています。エンジンの最大の特徴は、レーシングカーのように手組みされている点です。 ピストン、コンロッド、クランクシャフトの重量を1つずつ計測して、誤差がほぼゼロになるようバランスをとって組み上げられています。エンジンのバランス取りは極限の性能を求めるレーシングカーのチューニング手法で、量産型の車では限られた車種でしか採用されていません。 妥協のない足回りの作り込み かつてはWRCでも活躍したレガシィのコンプリートカーだけに、STiは走行性能にもこだわって開発されたようです。ベース車輌のレガシィB4 RSK自体もスポーティモデルとして高性能な足回りを備えていましたが、リアサスペンションのピロボールリンク化やバネ長の変更を加えてさらなる走行性能の向上が図られました。ほかにも、スタビライザーにも専用品を使用するなど、細部にわたって徹底したチューニングが施されています。 STiの性能へのこだわりといえば、専用に用意されたブレーキが象徴的です。ブレーキの高性能化に伴ってベース車輌から流用できなくなったリアブレーキのバックプレートを、なんと1,000万円もかけて金型から製作しました。ブレーキ自体は、ブレンボ製の17インチローターに4ポッドキャリパー(フロント)を備え、ステンメッシュホースを採用しています。 プレミアム感あふれる内外装デザイン プレミアム路線への切り替えを感じさせるのが、インテリアとエクステリアデザインです。エクステリアでは、フロントバンパーやボンネットのエアインテークが性能向上を目的に大型化された一方、カスタムカーにありがちな派手なエアロなどの装備はありません。プレミアムカーとして、大人が乗るのに相応しい外観をSTiが目指した結果といえるでしょう。 インテリアでは、つや消しのトリムが全体の雰囲気をシックにまとめています。また、バケットシートには、運転席のみ8wayの電動調節機構を装備。スポーツ走行時の性能面だけでなく、快適性にも配慮して作られていることがわかります。 販売台数の少なさが希少性をより高めた レガシィS401 STiバージョンは、数多くの専用パーツや手組みのエンジンなどSTiらしいこだわりの仕様でしたが販売台数は伸びなかったようです。正確な販売台数は不明なものの、400台の限定に対して300台弱といわれています。 プレミアム路線への切り替えが、価格面も含めて当時のスバルファンには受け入れられなかったかもしれません。また、販売当時はリセール市場もあまり成熟しておらず、ベースのレガシィB4 RSKから約170万円も高い435万円という販売価格も少なからず影響していたと考えられます。 しかし、販売台数が伸び悩んだことが、結果的にレガシィS401 STiバージョンの希少性を高める要因になりました。大手中古車サイトでも掲載台数はほんのわずかで、入手が困難な状況が続いています。 流通台数の少ない車種を売却する際は、注意深く依頼先を決めましょう。あまり流通していない車種だと販売見込みを立てるのが難しいため、一般的な中古車買取業者では買取してもらえないケースもあります。 しかし、旧車を専門的に買取っている旧車王では、レガシィS401 STiバージョンのような希少車も買取可能です。

ナンパなSUVに物申す!三菱 パジェロの偉業を振り返る
旧車の魅力 2023.11.13

ナンパなSUVに物申す!三菱 パジェロの偉業を振り返る

ラダーフレーム構造にこだわり、硬派な本格クロカンとしての地位を築き上げたパジェロ。モデルチェンジを繰り返しても、最初の開発ポリシーは最終モデルまで受け継がれました。トヨタ ランドクルーザーと双璧をなす日本が誇るオフローダー、三菱 パジェロのこだわりと魅力に迫ります。 トラックベースの硬派仕様【初代:1982年~1991年】 マイナーチェンジを含めて9年もの長きにわたり、さまざまなモデルやエンジンを投入した初代パジェロ。三菱が世界に誇る看板車種となったパジェロですが、実は発売当初はあまり話題になりませんでした。しかし、本格クロカン車としてこだわって開発したことで市場のパイオニアともいえる名車となっていくのです。 あまり注目されなかった初代パジェロ誕生 初代パジェロが登場したのは1982年です。ノックダウン方式で生産していたジープに代わるモデルとして開発されました。後に本格クロカン車として三菱を代表する車種となったパジェロですが、当時は主力車種という位置付けではなかったため限られた予算で開発されます。 発売当初の販売台数は月間数百台程度だったという情報もあり、あまり注目されたクルマではありませんでした。 本格クロカンとして高い性能を誇ったパジェロ 初代登場時、パジェロは主力車種ではなかったものの、フレームやエンジンなど、三菱の開発陣はしっかりと作り込んでいました。結果的にクルマとしてのポテンシャルの高さがその後のパジェロ人気につながります。 まず、車体にはトラックでも使用されるラダーフレームを採用しました。ラダーフレームは構造がシンプルで信頼性が高く、堅牢なプラットフォームです。さらに、駆動方式をFRベースのパートタイム4WDとしたことで高い悪路走破性を実現します。 エンジンは4WD車として国産初となるディーゼルターボエンジンを搭載。発売翌年には145psを誇るG63B型2.0L 直列4気筒ガソリンターボエンジンも追加され、「国産クロカン4WD最速」とも称されました。 パジェロ旋風を巻き起こしたパリダカ パジェロが転機を迎えたのは、発売から5年後の1987年です。もっとも過酷なラリーとして知られるパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)で、プロトタイプのパジェロを駆る篠塚建次郎氏が3位という成績を残します。その模様は連日NHKで中継されていたこともあり、瞬く間にパジェロ旋風が巻き起こりました。 また、バブル景気によるアウトドアレジャーブームの後押しもあり、最盛期には年間8万台以上の注文を記録しました。ここから、パジェロは本格クロカンとしての地位を確立していきます。 RVブームを巻き起こした歴史的モデル【2代目:1991年~1999年】 初代で確立した国産クロカン車としての地位をより強固なものにしたのが、2代目パジェロです。世界初の画期的な4WD機構やハイパフォーマンスエンジンを投入して基本性能を向上させたことで、RVブームの火付け役になるとともにブームを牽引する存在となりました。 初代の成功を背景にフルモデルチェンジ 2代目パジェロの登場は1991年です。バブル景気まっただなかでの登場でした。初代で評価の高かった本格クロカンとしての性能と乗用車としての乗り味を両立させた三菱開発陣の強いこだわりが詰め込まれたモデルです。 より多くのユーザーに、本格クロカンを届けたいという三菱の狙いは見事に的中しました。高まりつつあったRV車への人気に火をつけ、RVブームを巻き起こすきっかけとなる車種になりました。 また、より多くのユーザー取り込みを狙って、軽自動車規格のパジェロミニと1.1Lモデルのパジェロジュニアが投入されたのも2代目パジェロです。どちらも小型ながら本格的なつくりで高い人気を集めました。 世界初搭載のスーパーセレクト4WD 2代目パジェロに搭載された4WDは、世界初搭載となる「スーパーセレクト4WD」です。スーパーセレクト4WDは、フルタイム4WDとパートタイム4WDの長所を兼ね備えた仕組みで、時速100km/h以内なら2WDと4WDの切り替えをセレクトレバーで簡単に行えるという画期的な機構でした。 ハイパフォーマンスエンジン 2代目パジェロには、初代から出力を155psまで引き上げた6G72型 2,972 cc V型6気筒SOHC12バルブエンジンを投入しました。この6G72型エンジンは改良を重ね、最終的には最高出力を185psまで引き上げられるとともに、4代目パジェロでも使用される長寿命エンジンとなります。 また、モデル末期となる1997年には、3.5Lの6G74型が追加されました。最高出力は245psを発生しつつ、V型6気筒エンジンとして世界初となるガソリン直噴(GDI)を採用することで、高出力と環境性能を両立しています。 さらに、同年にハイパフォーマンスエンジンを搭載したパジェロエボリューションがラリーのベース車両として投入されます。搭載された6G74型V型6気筒3.5Lエンジンは、新開発の可変バルブタイミング機構「MIVEC」を採用し、当時の自主規制上限である280psを発生させました。  クロカン系から高級路線に変貌【3代目:1999年-2006年】 本格的な悪路走破性能をもちつつ、普段使用を意識した変化を取り入れてきたパジェロ。3代目へと進化する過程で、より使いやすさと快適性追求し、ラグジュアリー志向のSUVへと大きな転換点を迎えることになります。 初代発売から17年目の大幅な路線変更 1999年に登場した3代目パジェロは、高級路線へと大きな方向転換を図ったモデルです。国内では1997年に登場した高級クロスオーバーSUVのハリアーが大ヒット。世界中の自動車メーカーが、乗用車としての乗り心地や高級感を重視したクロスオーバーモデルに舵を切り始めていました。その流れを受け、パジェロも高級路線になったものの、本格クロカンとしての性格は色濃く残すことで、他社のクロスオーバーSUVとは一線を画す存在でした。 フレーム構造をモノコックベースに変更 3代目パジェロは、乗り心地を重視しフレーム構造が大きく変更されました。ラダーフレーム構造から、モノコックフレームにラダーフレームを溶接したビルトイン構造を採用。高級路線で内装を豪華にしたことや安全性の強化などの重量増の要因があるにもかかわらず、軽量なモノコックフレームとすることで、約100kgの軽量化を実現しました。 一方で、ビルトイン構造のためラダーフレームの堅牢さも確保されており、本格クロカンという矜持は維持しています。 より安定性と操作性の向上が図られたパワートレイン 3代目パジェロには、2代目パジェロの末期に追加された6G74 V型6気筒3.5Lエンジンが引き続き搭載されました。最高出力こそ220psとややおさえられているものの、制御の問題点を改善。高級車にふさわしく安定性が高められています。 また、2代目から搭載されたスーパーセレクト4WDも「スーパーセレクト4WDⅡ」に進化しました。センターデフをプラネタリーギアに変更し、前後トルク配分を33:67とリアよりとすることでオンロードでの操縦性向上が図られています。 改良を続けその魂を貫いた【4代目:2006年~2019年】 結果的にパジェロの最終モデルとなった4代目パジェロ。販売最終年には、特別仕様車「ファイナルエディション」を投入し、惜しまれつつその歴史に幕を閉じることとなります。  本格クロカンにこだわり続けた4代目 4代目パジェロは、3代目の高級路線を踏襲する形で開発されました。本格クロカンへのこだわりでもあった、ビルトイン構造のフレームやハイパフォーマンスエンジン、スーパーセレクト4WDⅡを軸にした駆動系にも改良が加えられています。 シャーシに関しては、ビルトイン構造を継承しつつ、高張力鋼板や構造用接着剤の使用によって、先代以上のボディ剛性を実現。高級車としながらも、最後までオフロードでの走破性にこだわりました。 販売最終年となる2019年には、「ファイナルエディション」として特別仕様車を投入しました。三菱がいかにパジェロを大切にしてきたかがうかがえます。 初代から一貫してこだわった高い基本性能 4代目パジェロには、252psを発生する6G75 V型6気筒3.8Lエンジンが搭載されました。さらに2010年には新環境基準をクリアしつつ、パジェロ史上最大トルクとなる45.0 kgf・mを発生する新型のクリーンディーゼルエンジンが投入されたことも注目したいポイントです。 走行性能についても、3代目から採用しているスーパーセレクト4WDⅡに加えてさらなる安定化を図る機能を装備しています。独立したブレーキ制御をおこなうアクティブスタビリティコントロール(ASC)とエンジン出力制御によるアクティブトラクションコントロール(ATC)を組み合わせたASTC(アクティブスタビリティ&トラクションコントロール)を全車に標準装備しました。滑りやすい路面や急ハンドルでも安定した走行を実現し、クロカン車としての機能が向上しています。 時代を作り時代に飲み込まれたパジェロ 4代目パジェロは、初代を超える13年という長期間販売されました。しかし、2019年の4代目生産終了とともに、パジェロは37年の歴史に幕をおろすことになります。 市場がクロスオーバーSUVへシフトしていったことで、本格クロカンにこだわり続けたパジェロの存在感は徐々に薄れていきました。RVブームのきっかけとなり市場を作り出したパジェロ。しかし、最後はその市場の動向やニーズの変化に飲み込まれるという皮肉な形で生産終了となりました。 まとめ クロスオーバーSUVの台頭という波に飲み込まれたパジェロですが、中古車市場では現在でも人気の高い車種の1つです。 大手中古車サイトでは、年式の古いものであれば60万円台から販売されていますが、4代目最終モデルの低走行車なら600万円程度と幅広い価格で販売されています。 対して旧車王での買取価格を見てみると、走行距離113,700kmの1999年式2代目パジェロGEバンが55万円。そして、2019年式、走行距離25,200kmのファイナルエディションで400万円の値が付けられています。(2022年8月原稿執筆時) 一部の国産スポーツカーのように、非現実的な価格で取引されているわけではありません。しかし、25年以上前の年式でも400万円を超えるような中古車も販売されており、パジェロも全体的には徐々に相場が上がりつつあると言えます。 電動化や自動運転など、悪路走行とは別の性能が重視されているいま、今後パジェロのような本格クロカンモデルが新たに登場する可能性はほぼありません。そのため、ハイパワーなエンジンと堅牢なシャシーを備えた硬派な存在のパジェロは、今後その相場が上昇する可能性も十分にあるのです。

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