海外現地レポ

ニュージーランドは旧車にも優しい!驚きの自動車税と車検制度とは
海外現地レポ 2023.11.28

ニュージーランドは旧車にも優しい!驚きの自動車税と車検制度とは

オークランド在住のtomatoです。 以前お伝えした通り、公共交通機関が貧弱なニュージーランドではクルマの保有率はほぼ1人1台と高く、スマートフォンと同様にクルマは生活必需品といっても過言ではありません。 ●懐かしい日本車と再会できる国「ニュージーランド」現地レポート https://www.qsha-oh.com/historia/article/tomato-new-zealand-report1/ では、ニュージーランドでクルマを所有する際は、一体どんな車検や税金制度があり、どれくらいの費用が掛かるのでしょうか。 筆者の愛車「マツダ・ロードスター(ND型)」が2023年9月にちょうど更新タイミングを迎えたので、この機会にレポートします。 ■果たすべき義務は2つ  ニュージーランドの公道を走行するためには、下記の2つの認可を取得または更新する必要があります。 ・ヴィークル ライセンス (Vehicle Licence) https://www.nzta.govt.nz/vehicles/licensing-rego/  ・ウォレント オブ フィットネス(Warrant Of Fitness) https://www.nzta.govt.nz/vehicles/warrants-and-certificates/warrant-of-fitness/ ●Vehicle Licence (Rego) これは公道の走行許可で、一般的には「Rego」(Registrationの短縮形で、「リジョー」と発音 )と呼ばれています。 とはいうものの、結局のところは税金を徴収する仕組みと考えられ、日本の「自動車税」に相当するかと思います。 ▲実際のRegoレーベル(ナンバー白つぶし) オンライン(または窓口)で費用を支払うことで、上記のような小型のレーベル(カード)が郵送されてきます。 それをフロントガラスの助手席側に掲示することで、プロセスは完了です。 日付形式は日本式やアメリカ式などとは異なる馴染みの薄いイギリス式で、この実例は2024年5月9日ではなく9月5日まで有効という意味になります。 ちなみに、このレーベルを見るだけで年式や車種などの基本的な車輌情報が得られるので、クルマのミーティングなどで会話のキッカケに非常に重宝しています。 そして気になるその費用はというと、筆者のロードスターはもっとも一般的な「ぺトロール(ガソリン)乗用車」カテゴリーに属していることから、最長となる12か月分の費用は(事務手数料が安価なオンライン申請で)$103.68でした。 なお、2023年10月からは価格改定により$106.15と若干の値上がりとなって、11月執筆現在の為替レート(89円/ニュージーランドドル)で換算するとおよそ9,400円。 ここで「あれ?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。 そうです。驚くことに「車輌重量」や「エンジン排気量」などは、金額にまったく影響しないのです。 さらに驚くことに、ニュージーランドには日本の自賠責保険(自動車損害賠償責任保険)に相当するものも存在しないのです。 といっても、不安になる必要はありません。その代わりとしてACC(Accident Compensation Corporation)という仕組みがあり、なんとニュージーランドへの渡航者も含めて、自動車事故に限らずさまざまな事故での損害を補償してくれます。 したがって、この国では自動車保険といえば、「対人/対物保険」ではなく「対物保険」となります。 ただし、付保すること自体は義務ではないので、ここでは割愛します。 ●Warrant Of Fitness (WoF) これは日本でいう車検(自動車検査登録制度)にあたり、一般的には「WoF」と省略して表現することが多く、犬の鳴き声のように「ウォフ」と呼ばれています。 認可されている整備会社ごとに料金が異なるので一律ではありませんが、一般的には$50~$75(日本円で4,400~6,700円)ほど。 ▲WoF検査作業 ▲実際のWoFレーベル 検査に合格すると、上記のような、小型のレーベル(カード)をフロントガラスに貼りつけてWoFが完了となります。 この実例では、2024年9月まで有効という意味。 ただし、これは月末まで有効という意味ではなく、裏面にある日付が実際の有効期限になるので注意が必要です。 興味深いことにWoFは日本の車検とは少し方針が異なり、車輌の根本的な安全性のチェックが主体となっているようです。 例えば、エンジンオイルの交換はおろか、その状態を確認することもないのが特徴です。 <検査項目>・タイヤの状態(溝の深さ含む)・ブレーキの動作・車体の構造点検(特定の場所のサビは許されない)・ライト・ガラスの安全性・ワイパー、ウォッシャー・ドアの動作・シートベルト(痛んでいないか。正しく、バックルが動作するか)・エアバック・スピードメーター・ステアリング、サスペンション・排気システム(漏れていないか、うるさくないか)・燃料システム(漏れてないか) (ニュージーランドで初めて登録される)新車に関しては、初回のWoFを受ければ、3年間有効となります。 それ以外の車輌に関しては、大量の中古車を輸入するユニークな国だけに、有効となる期間はニュージーランドを含めた世界のいずれかの国で、「車輌が初めて登録された年月日」で決まる仕組み(下表)です。 要は新車でなければ一般的には1年間有効。 ただし、古いクルマは、「リスクが高いのだから、有効期間は6ヵ月だけですよ」となっているのです。 これは走行安全の観点からも理にかなっていると思えます。 なお、WoFで不合格となっても、28日以内に対象箇所を直し、同じ整備工場に持って行けば、ありがたいことに再検査の費用はかかりません。 ■まるで軽自動車並みのコスパ?  驚くことに、一般的な「ガソリン乗用車」であれば、義務はこれだけ! 仮に筆者の愛車が旧車、1990年式の初代ロードスター(NA型)であったとしましょう。 その場合WoFは年に2回更新する必要がありますが、それでもRegoとWoF合わせた年間総額は、(消耗品を除いて)2.5万円程度で済んでしまう計算です。 調べたところ日本国内でクルマを維持する場合、地方の「生活の足」として優遇されている軽自動車ですら自動車税と車検代(年換算)の合計は4.5万円程度となるようですから、ニュージーランドはクルマ好き/旧車好きにとても優しい国といえるのではないでしょうか。 今でもたくさんの懐かしいクルマ達が現役で走っているのにもうなずけますね。 ■編集後記 今回の更新を迎えるにあたり、ここオークランドにて輸入中古車を扱われている「マツダ・ホームグロウン」さんに、エンジンオイル交換といった車輌整備からWoFまでのフルソリューションを行なっていただきました。 実は同社を運営するのは日本国内の正規マツダディーラー「広島マツダ」さん。 実際に作業を担当するメカニックはマツダ車を熟知しているだけでなく日本人なのです。 ただし、WoFに関しては同社は認可を保有していないため、オークランドで20年以上にも渡り自動車整備工場を営んでいる同じく日系の「クリア・モータース」さんがWoF検査作業のみ請け負う形態となっていました。 なお、「クリア・モータース」さんには、今回の記事内容の監修をしていただきました。 この場をお借りして、お礼を申し上げます。 ありがとうございました。 ■取材協力 「マツダ・ホームグロウン」さんhttps://www.maho.co.nz/ 「クリア・モータース」さんhttps://clearmotors.co.nz/ [撮影・ライター / tomato  監修 / クリア・モータースさん]

パリのハロウィンに映えるパンプキンカラー。1974年製のMGB
海外現地レポ 2023.11.17

パリのハロウィンに映えるパンプキンカラー。1974年製のMGB

元々フランスでハロウィンはあまり有名ではなく、日本ほどデコレーションやイベントなどほとんど注力されていません。 近年、少しずつですが、子どもや若者を中心に仮装やお菓子配りなどで盛り上がり、フランスでも確実に地位を上げつつあるように感じます。 そんな10月、ハロウィンムードも割と薄いパリの街角で信号待ちをしていると、なんとも綺麗なカボチャ色の旧車も信号待ちをしているではありませんか。 運転席の男性と目があったので、親指でグーとジェスチャーをすると、わざわざ窓を開けて近くの公園に停めることを教えてくれました。 その週末はヴィンテージのイベントがあり、会場内にはクルマだけではなく古着やアンテーク家具など、古いモノを扱うSHOPやディーラーさんが出店される日だったのです。 私たちはそこへ向かう途中でしたが、その男性のクルマをじっくり見るべく、目の前の公園へ少し寄り道をすることに。 ■カリフォルニアからやって来た英国車 このイベントにクルマを見るために来場されていたマチューさんが乗っていたのは、イギリスのMGB(1974年製)です。 エンブレムがかっこいいMGですが、実は私、このとき初めてMGというメーカーを知り、『モーリス・ガレージ』のイニシャルだと教えていただきました。 調べてみると、イギリスのスポーツカーメーカーで、1955年に発売された流れるようなボディのクーペモデル『MGA』を筆頭に、当時世界中で英国スポーツカーブームが起きたとのこと。 その後継モデルである『MGB』は多くの部分が改良・近代化され、長きに渡って製造販売されたそうです。 ■レアなオレンジボディを探して 本当に綺麗なパンプキンカラーは、塗り直しはされていますがオリジナルだそうで、この色に一目惚れして購入されたのだとか。 マチューさんはオレンジ色が大好きなのですが、現在MGBのほかに所有している『BMW Z3』はシルバー。 長年『オレンジ色のクラシックカー』を探していたようです。 やはりオレンジ色にもいろいろあるようで、メーカーやモデルよりも『まず第一優先は好ましいオレンジ色』という、割と珍しい探し方をされたマチューさん。 前オーナーさんがカリフォルニアにて所有していた個体を、4年前フランス国内で見つけたそうです。 英国車なので通常は右ハンドルが主ですが、アメリカへの輸出用で既に左ハンドルとなっていたことも、マチューさんには好都合だった模様。 エンジンはオリジナルで、座席は合皮ですが傷みにくさを優先しているとのこと。 今回も試乗を薦めて頂いたので乗ってみることに! 木製のハンドルとフレームの黒色が英国らしく、大変かっこよかったです。 この日もばっちりオレンジ色のお召し物を羽織っていたので、せっかくですのでクルマとマチューさんのツーショットを…とお願いしたところ、残念ながらNG。 息子さんもクルマ好きらしく、この冬一緒にに日本旅行をされるそうで、東京で珍しいクルマが見れることを楽しみにされていました。 日本でもお気に入りのオレンジ色のクルマが見つかるといいですね! ■余談 ヴィンテージ好きが集まるイベントだけあって、公園の一角にはクラシックカーの修理屋さんの宣伝カーも来園していました。 フランス人の愛するシトロエン2CVの上には大きなペンギン! なぜペンギンなのかはわかりませんが、大人からも子供からも大注目されていました。 それでは遅ればせながらパリより“Des bonbons ou un sort!!”(フランス語版トリック・オア・トリートです) [ライター・画像 / スミ]

聖地巡礼!イタリアで元フィアットの工場に泊まってみた!
海外現地レポ 2023.11.07

聖地巡礼!イタリアで元フィアットの工場に泊まってみた!

イタリアでは築年数が経っている建物を壊して新しいものを建てる、ということはあまりなく、古いものは綺麗に改装し使い続けるという建築文化が根付いている気がします。 したがって、由緒ある建物にもかかわらず、中に入ると近代的! でも、実は築年数が100年だったりすることがよくあります。 そんなイタリアで、なんとフィアットの元工場をホテルに改装し、誰でも宿泊することができるという素晴らしい場所がトリノにあるのです。 今回はそこに宿泊してきましたので、ホテルの様子を皆さまにお届けしたいと思います。 ■「NH Torino Lingotto Congress」について ホテルの名前は「NH トリノ リンゴット コングレス」。 こちらの建物についてまず少し紹介します。 こちらの建物は、当時フィアットグループ(現FCA)のもっともシンボリックな工場としてトリノに誕生しました。 その建物の屋上には、1919年に建設された1.5kmのテストトラックが併設されており、組み立てられた自動車のテストに使用されていました。 このテストトラックは今でも残されており、立ち入ることも可能です。 そこからフランスとの国境でもあるアルプス山脈を一望することができ、それを目的に来館する方もいらっしゃるようです。 工場が閉鎖されたのち、この建物はエンターテインメントと文化の発信地として再開発が行なわれ、ショッピングモールやホテル、美術館等が併設する施設として利用されることになりました。 リノベーションを手掛けたのは、関西国際空港のターミナルを設計したことでも有名なレンゾ・ピアノ氏。 ホテルは特に部屋にこだわりがない場合、比較的お財布にやさしい価格帯なので、私たちも連泊することに。 ホテル内にはレストランやスポーツジムもあり、充実した時間を過ごせること間違いなしです! ■ホテルへのアクセス方法について トリノ中心街の「Torino Porta Nuova」駅から直通電車で約10分の「Torino Lingotto Railway Station」で下車すると、駅はホテルにほぼ直結しています。 もちろんホテルには駐車場も完備されているので、クルマでアクセスすることも可能。 トリノの中心街に近いのも嬉しいポイントです。 ■ホテルの中は一体どんな感じ? さて、早速中に入ってみると、元工場だったとは想像がつかないくらい綺麗で近代的なホテルです。 エントランスを入ってすぐには、旧車の展示があります。 この展示車は常連のお客さまが飽きないようにでしょうか、定期的に変わるようです。 ホテルの中には竹林の中庭もあり、和洋折衷な一面も感じられました。 宿泊部屋も窓が非常に大きく、明るく清潔感のある部屋で、この部屋で製造されていた車輌が写されたポスターが壁に貼られていました。 ポスターにはクルマ乗る楽しそうな女性・・・ このポスターを見ながら、この部屋でこのクルマが作られていたのかと思うと、なぜでしょう、ノスタルジックな気持ちになりました。  ■このホテル宿泊者の特権はずばり?! 屋上にはテストトラックがあるのですが、お金を払えば誰でもアクセスすることが可能となっています。 ですがホテル宿泊者なら、いつでも無料でテストトラックに入場することができるんです! エレベーターで屋上に上ると、まずはカフェ兼展示物コーナーに行き着きました。 そのカフェを抜けると、さあ、お待ちかねのテストトラックが見えてきました! 屋上のテストトラックとは一体どんなものなのでしょうか?! 第一印象は、傾斜の効いたカーブの迫力がすごい・・・!でした。 ちなみにこの傾斜カーブに登ろうとしたところ、警備員さんに怒られてしまいました。 それもそのはず、人間が立てないくらいの傾斜になっているので、普通に危険です(汗)。 そして次に印象的だったのは屋上から見るアルプス山脈です。 こんな絶景の中、車輌の走行テストを行なっていたのですね。 今はカフェと化しているようですが、当時の司令塔も残されています。 トラックには当時の歴史を記した写真等が展示されているため、この施設が実際に工場であり、自分がいるところが本当にテストトラックであったことを実感させられました。 この建物がどのような目的で建てられ、どのような歴史を経て閉鎖することになったのか、展示物をみながら学習することもできます。 ところで皆さん、このクルマがどうやって屋上に上ってくるか想像つきますか? 私は下方の階から組み立てが始まり、徐々に上階に来て、最終的に出来上がった車輌が屋上にたどり着くのか?と想像しましたが、そうではないようです。 下記写真のように、クルマ用螺旋階段のようなものがあり、これで車輌が屋上まで到着するという構造でした! 日本では過去にも現在にもこのような工場またはテストトラックが存在していないと思うので、螺旋階段でクルマを屋上に持ってくるとは、なかなか想像がつきませんでした。 さすがイタリアです!洒落ていますよね。 ■最後に フィアットはイタリアが誇る自動車メーカーの一つで、イタリアでは誰からも愛される存在であると思います。 民衆とともにイタリアの歴史を刻んできた由緒あるブランドの建造物を壊すことなく、新たな形でこのような人々の憩いの場として利用されているのは、歴史を無駄にしない、正しい使われ方である、そう感じました。  トリノはピエモンテ州の首都で、イタリアで4番目に大きな都市。 1861年、イタリア全土が統一国家になった際に、最初の都市が置かれたのがトリノなのです。 このホテル以外にも、歴史的建造物や美食文化も(クルマに関する博物館ももちろん)充実しています! クルマを好きの方は絶対に楽しめるトリノ、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。 特にフィアットオーナーの聖地巡礼には欠かせない街ですよ! [ライター・画像 / PINO]

御年70歳でもまだまだ現役。小さなクラシックカーショーで見つけた1953年製の赤いMG
海外現地レポ 2023.10.24

御年70歳でもまだまだ現役。小さなクラシックカーショーで見つけた1953年製の赤いMG

イギリスでは、日照時間が長い夏時間(サマーマイム)というものがあります。 そしてこの時期にはいろいろな場所でクラッシクカーショーが毎週のように行われています。 そのなかのある田舎町の小さなクラッシックカーショーに行ってみました。 その日は晴天で、カーショーにはもってこいの日でした。 イギリス南西にあるウィギントンという小さな村ですが、カーショーの他に日本でいう遊園地の乗り物があったり、出店がでていたりと、ちょっとしたお祭りのような雰囲気でした。 様々な魅力的なクラッシクカーが芝生の上に並んでいましたが、そこで真っ先に目の飛び込んできたのが赤いMGでした。 何とも言えないボディーシェイプで可愛らしさがあり、一瞬で魅了させられました。 それは、1953年製のMG YB。 MG Y-タイプのYAが初めて世に出たのは1947年で、YBは初期のYAをさらに強化したもので、1951年から1953年の2年間で1300台ほど製造されました。 ■元は黒で錆がかかっていたMG YB オーナーであるジョンさんに話を聞いたところ、彼はこのMGを約20年前に格安で購入し、年月をかけてここまで素敵なクルマに変えていきました。 ジョンさんに古い写真を見せていただきましたが、画像を見てもお分かりのように庭におきっぱなしにされていて、元の黒いボディはさびて廃車に近い状態でした。 この廃車状態から赤いMGに生まれ変わるまでの時間と費用は相当だったそうです。 まず彼はクルマを解体しすべて、ひとつひとつのパーツにしたそうです。 そして、自ら持ち得たクルマの知識を活かし、少しづつ元通りに組み立てていきました。 そのなかで使えるパーツはそのまま使用したそうですが、中には入手困難なパーツもあり、その時はMG協会から譲ってもらったりしたそうです。 どうしても手に入らないときは、特別にオーダーしてオリジナルのもの作ってもらったとのこと。 黒に塗られていたボディは、一度すべて塗料を削ってはがしてから、新たに赤に塗っていきました。 これらの一つ一つに、当然相当な時間とお金を要しましたのはいうまでもありません。 実際の値段は聞きませんでしたが、「普通に家が買えるぐらい」と苦笑いしながら話していました。 ハンドルや内装はオリジナルのものをできるだけ使用しており、英国感を醸し出しています。 私もクルマに乗車させていただきましたが、一瞬ちょっと田舎のおばあちゃんちの家の匂いを思い出しました。 車内はわりと狭く、サルーンなのでバックシートもありますが、本当に4人も乗れるの?という感じでした。 でも、木製の大きなハンドルはとっても素敵で握りやすかったです。 ■1953年製の希少なMG YB 冒頭でも少し触れましたが、ここで改めてMG YBがどのようなクルマかを簡単に説明しましょう。 MG社のサルーンとして発売されたYタイプには、YA、YT(コンバーチブル)、YBと3つのモデルがありますが、1947年から1953年までの総生産は約8000台。 YBのみの場合、1951年から1953年までに製造されたのはトータルで1300台ほどでした。 エンジンスペックは1250cc(4シリンダー)、トップスピードは70mph(約112kmph)、加速スピードは60mphまで30秒。 約1300台作られたうち、現在もオーナーがいるYBは世界で141台のみ。 聞くところによれば、イギリス92台、アメリカ22台、オーストラリア3台、ヨーロッパ18台、カナダ3台、ニュージーランド1台、そして日本を含めたアジアにはたったの1台のみだそうです。 約1300台もあったクルマが、70年間の間に廃車となって消えていき、世界で141台のみが今だに生き残っていると思うと、なんて希少なんだと思わされますね。 当時のMG YBの車体値段は£635、税金が£354で計£989でした。 イギリスは税金が高い国ですが、当時の税金は60%で車体の値段の半分以上。 これには驚きです。 70年前の£989がどのくらいの価値があったかというと、今でいう£34,000(日本円で約620万円)。 この時代の平均収入は年間£100だったので、かなりの高価であることがわかります。 クルマを持つこと自体が贅沢だった時代ですから、税率が高いのも仕方なかったのかもしれません。 ■クラッシクカーを持つ本当の意味とは このクラシックカーショーでMGとジョンさんに出会い、素敵なお話も聞かせてもらいました。 なぜ家が買えるほどのお金と20年という年月をかけてまで、このMGを保持し大切にしているのでしょうか? ジョンさんがいうには、子供の頃に見ていた古いクルマの印象とその光景が彼にとっては当たり前で、時代が変わってもその光景が変わることなく、ずっと頭のなかにあったのだそう。 近代のクルマも素敵ではあるけれど、彼の子供心が続く限り、このクルマをかわいがるつもりだと話してくれました。 そんな彼を見て、いつまでも子供心を大事にしてほしいと思いました。 ちなみに彼はこのMGを週末だけ、しかも天気が晴れているときのみ運転するそうです。 田舎町でピクニックをしたり、もちろんロンドンにも行かれるそうです。 以前の記事でも述べましたが、このYBには車輌税やULEZなど一切の税金がかからないので、どこへでも行けますね。 ●クラッシックカーと超低排気量ゾーン(ULEZ)の税金 ~ロンドン事情~https://www.qsha-oh.com/historia/article/ulez-london-classic-cars/ それ以外はガレージに保管していて、時々磨いているそうです。 今回偶然出逢ったMG YBですが、どのクラッシクカーにも歴史とそのオーナーの思入れがあるようなので、それを探求するため今後も素敵なクラッシクカーを紹介していきたいと思います。 Thank you, John. *文中の車輌解説は、ジョン氏からお借りしたMG社のものと思われる資料より引用しました。 [ライター・画像 / SANAE]

ウインカー音もデザイン?フランス車の「サウンドデザイナー」の仕事とは
海外現地レポ 2023.10.12

ウインカー音もデザイン?フランス車の「サウンドデザイナー」の仕事とは

夫の友人のベンが、あるフランス車メーカー(仮にA社とします)のサウンドデザインチームと仕事をしていることを知りました。 秘密保持契約があって話せないことも多いようですが、教えてもらえる範囲でいくつかの質問をさせてもらうことにしました。 ミュージシャンであるベンは、現在は大学の講師として学生にレコーディングの際に必要となるミキシングやマスタリングなど、スタジオのサウンドエンジニアとして必要なテクニックを教えています。 その傍らで、アーティストやパフォーマーがショーをする際の、音響を制作する会社でも働いています。 数ヶ月前に始まったA社のプロジェクトは、ベンの学生時代の友人が、現在A社にてサウンドデザイナーとして指揮を取っていたもの。 その彼がオーディオプログラミングの技術が必要になったことがきっかけで、ベンもグループに参入することになったようです。 この話を聞いてから、私たちはA社のクルマをレンタルする際、普段なら気にしていなかった車内の効果音が気になるようになっていました。 エンジンをかけたときや、ウインカー、クラクション、オーディオを可動するとき、「ベンはこういう音も作っているんだね」と意識をして探してみると、たくさんの音に気付くことができました。 ■遠くない未来の自動車 当初、このプロジェクトは特定の車輌のために制作されたものではなく、数年間社内で使われるイメージの試作品としての音だったそうです。 しかし最終的に、ウェルカムシーケンスという「クルマに近づいてドアを開け、座席に座る」際の音響が、les futures voitures(近未来タイプの車輌)で使用されることとなったようです。 近未来タイプといわれると、なんだか映画のなかのクルマのイメージをしてしまいますが、開発をしている人たちにとってはすでに現在の話なんですね。 今も街中で走っている電気自動車や、自動運転機能がついているクルマもこの類でしょう。 2ヶ月以上を費やしたこのプロジェクトでは、音の設計、プログラミング、機器への設置などさまざまな作業にそれぞれの専門家が関わっており、ベンが主に関わったオーディオプログラミングでは2週間ほどで完成しなければならないスケジュールだったようです。 各箇所ごとに何種類の音を提案をしたのか聞いたところ、一番最初に提案した「one shot(一発録り)」がすぐA社に受け入れられたようで、以降は例えば「サウンドが攻撃的すぎる」「音が明確ではなく聴こえにくい」など、細かなフィードバックを受けて修正・置き換えをしたそうです。 それだけを聞くと割とスムーズに進んでいたように感じましたが、やはりそんなことはなく、その一発録りまでに「この音では没入感が足りない」「サウンドが次々続くのが速すぎる」など、何度もグループ内での確認と変更を繰り返したのだとか。 音に関する注文は、「遅い・早い」「聴こえる・聴こえにくい」などの数値的な修正ですと分かりやすいですが、「没入感」や「よりエモーショナルに」といった抽象的な言葉をいわれると、私のような素人には、それってどんな音でしょう?と悩んでしまいます。 しかし、ベンにとっては新しいジャンルの作業で、難しくもあり刺激的な仕事だったようです。この仕事をきっかけに自身が運転する際や他社のクルマに乗車中、車内の効果音が気になってしまわなかったのでしょうか? すると、「正直にいうと、僕にとってクルマは純粋に実用的なものだから、騒音は少なければ少ないほどベストかな」との返答が。 だからこそ日常で使用しているクルマのイメージを広げて、自分の理想と異なるまったく別の音楽をも作れているのかもしれません。 ■サウンドエンジニアが影響を受けてきた音楽とは 私の夫とベンは、若い時にお互いがバンド活動をしていたころに出会っています。 当時はロックやダークメタルを演奏しており、その時代を通って現在彼はHIP-HOP、実験的なエレクトロ、ミニマルテクノなど、本当に様々なジャンルを聴いています。 共通していえるのは、ジャンルはバラバラでも何か「特別」な、攻めたポイントがある音楽に惹かれる点です。 友人同士が集まると、最近ではJAZZの話をよくしていて、ベンはアメリカのチャールズ・ミンガスから影響を受けているアーティストを特に気に入っています。 日本の音楽は知っているのか聞いてみると、かの有名なモグワイとも繋がりがあるハードコアバンド「envy」も好きだと教えてくれました。 そして私も愛聴している、ブロンドレッドヘッドとディアフーフ(ともにヴォーカルは日本人)の名前も。 さすがはミュージシャンゆえ、ベンに音楽の好みの話を聞くと本当にたくさんのお勧めを教えてくれるのですが、これ以上書くとクルマの記事から音楽の記事になってしまいそうなので割愛します。 ■身近な音にも込められるエンジニアのエスプリ プライベートでは双子の男の子のお父さんでもあるベンは、本当に穏やかな雰囲気。 今回も、「秘密なことが多くて記事にするのが難しいだろうから、混乱しないといいんだけど面白い記事になるといいね」と快く質問に答えてくれました。 「次のA社の仕事の報酬は、バスルームのリフォーム費用にするぞ」と、次回のプロジェクトの話も少し匂わせていたので、そのときまた新しい話が聞けるのが楽しみです。 ベンが携わっているフランス車に限らず、世界各国でハイピッチに開発が進められている未来のクルマ。 どんな機能でどんな造形をしているのか考えただけでもワクワクしますが、その際には使われているサウンドにも耳を傾けたいなと思いました。 [ライター・スミ / 画像・Freepik, photoAC, Pexels]

アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾・日産編~
海外現地レポ 2023.10.11

アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾・日産編~

■日本から近い国、異なるニーズと仕様 どんなに世界中でSUVやMPVがファミリーカーの覇権を握る時代が来ようとも、旧車ファンにとってはファミリーカー、オーナーカーとしてのセダンの存在を忘れることは、なかなかできないのではないだろうか。 クルマがやっと一家に一台になったころ、所有することに憧れ続けてきたオーナーの眼差しを叶えるかのごとく、非常に威厳の高いデザインが数多く採用された。 特にアジア地域では、パールホワイトやブラックのボディカラーにボンネットマスコット、大きなメッキのグリルに本革シートなどなど...。 そんな装備を3BOXのセダンが纏えば、パーソナルな高級車像が出来上がってくる。 90年代の序盤ごろ、アジアの多くの地域ではまだまだRV車=商用車やクロカンからの派生モデルといった認識が抜けきらず、ユーザーの趣向は全高のさほど高くないセダンやハードトップモデルを好んでいる流れが多かった。 メーカーもその流れを汲み、バジェットカーからハイエンドまで、ラインナップの多くに細やかなニーズを取り込んだモデルが存在している。 日本のメーカーからは特に、日本国内や米国で生産されているモデルを、ほぼそのまま持ち込んだような車種も多く存在している。 だがよく見ると、装備差は現地法人のリサーチの力を発揮してか、さまざまな差異を見ることができて面白い。  前回の記事(https://www.qsha-oh.com/historia/article/taiwan-asian-three-box-sedan-classics/)でも紹介したが、台湾での日本メーカーと現地法人がもたらしたラインナップはとても興味深く、そのすべてを洗い出すにはかなり大変で奥深い。 今回もほんの一部ではあるが、90年代から00年代の日産車について着目していこうと思う。 ■現地にフィットしてデラックスになっていくセダンたち 台湾における日産自動車は、現地法人である「裕隆(ユーロン)日産汽車股份有限公司」といい、そのスタートは1959年からと、歴史あるものだ。 日産車のノックダウン製造や輸入・販売を長らくおこなっていた裕隆だが、1986年からは当時ノックダウン生産をしていたスタンザFXをベースとした、オリジナルモデル“飛羚101”を発表した。 ▲80年代の裕隆汽車 勝利 90年代の裕隆は台湾のトヨタと同じく、日本のオリジナルモデルをベースとしながらも独自に開発され、生産されていたケースと、日本やその他の国から輸入されていたケースの2つがある。 例えば日産の末っ子モデルだったマーチには、台湾独自の需要を狙い、幅広く世界中で売られていたなかでも唯一セダンモデルを有していた。 1994年から販売が開始され、後部を300ミリ延長したボディにオリジナルデザインのリアランプが取り付けられる。 ▲なんと前期・後期で2種類のデザインが存在する ベースとなるマーチのハッチバックと同じように、数多くの特別仕様車やボディカラーが存在し、バリエーションは数多あるようだ。 一つ上のクラスにはセントラ(日本名:サニー)が存在する。 90年代の日産 セントラは、北米仕様のB13型と仕様が似ており、ラグジュアリーというよりはシンプル&スポーティーな仕立てとなっている。 対して次期型のB14型はどちらかというと高級志向。 木目パネルや本革シートが装備されるほか、リアランプの造形などは同社のシーマなどを想起させるような構成となっており、日本や北米とは大きく異なる仕様だ。 外観のうえで日本仕様との差異が大きいのは、B15型のセントラだ。 日本のブルーバード・シルフィをベースとしたモデルへとバトンタッチしており、日本国内でも1.8Lエンジンの搭載や本革シートが装備される“小さな高級車”的な立ち位置だったB15型。 前期型はほぼ同一の外観を持つが、後期型では日本、そしてほかの国々とも異なるフロントフェイスへと一新。 より若々しい性格の高級車像を手に入れている。 B15型のセントラでとても印象的だったのは、街中ですれ違うサンルーフ装着車の多さ。 温暖なお国柄もあるのかもしれないが、コンパクトセダンでも快適性を忘れず“イイクルマ”であることを楽しんでいるようで素晴らしいと感じた。 U13型のブルーバードは、名称すらも米国と同一のアルティマを名乗っている。 当時放映されていたCMも米国のレクサス LS400を髣髴させる内容で、それまでのブルーバードが持っていたスポーティーセダン的な像だけではなく、輸入車らしいクオリティを強調するものとなっている。 街中ですれ違ったアルティマが日本のブルーバードと少し印象が異なるように感じられるのは、きっとサイドマーカーだけではないはずだ。 ■大幅なアップデートが施される独自仕様 日本ではセドリックやシーマ、プレジデントなどといった、ショーファードリブンの取り揃えが数多くあった90年代~00年代の日産。 だが、台湾でトップを飾る車種でY30セドリックの立ち位置を後継したのはY32型のセフィーロだった。 当時、韓国でもルノーサムスンがセフィーロをベースとして販売していたSM5。 韓国におけるモータリゼーションのなかでもそれらは高級車であることをしっかりと印象づけていたが、台湾仕様のセフィーロの豪華さには敵わないのではないかと思う。 台湾のセフィーロは、最上級グレードの名前こそセドリック等と同一の“ブロアム VIP”が冠されるが、その名に恥じない高級装備が奢られる。 後期型は大型のフロントグリルにオリジナルデザインのバンパーを装備。 A33型にモデルチェンジすると、ナビシステムやリアのマッサージ付き電動リクライニング本革シート、フリップダウンモニターまで盛られていた。 ドアサンシェードにリアのエアコン吹き出し口などなど……セドリックどころか、シーマを飛び越えてしまいそうなほどのショーファーカーに仕上がっていたのだ。 そんな台湾だから、街中を歩いていると沢山の3BOXとすれ違うこととなり、セダンが欲しくて欲しくてむずむずしてくる(笑)。 ギラついたボディにはバシっとコーティングが乗り、堂々とした構え(もちろんオーナーの手入れにもよるが...)。 メルセデスもBMWももちろん最高ではあるのだが、“日本のセダン”が輝いて見えたあの道を、筆者は推しまくりたいと感じたのだった。 ちなみに、当記事の写真を撮影したのは2018年ごろで、少し前の時代になる。 今でも現地のSNSを見ると、今回紹介したような車種が取引されているのを見ることができる。 しかし、そのバリエーションは年々減っていっていることもまた事実だ。 日本よりも古いクルマを数多く見かけていた台湾だが、環境対応車などの台数も増えている昨今、これらのクルマを街中で見かける回数はますます少なくなっていくことだろう。 そんなクルマたちを助けるために、ガス検をとって日本へ輸入...といきたいところだが、台湾の場合は欧米とルールが異なり、輸入へのハードルはかなり高いと聞いたことがある。 まずはそれらの存在を目に焼き付けるために、もう一度台湾行きのチケット購入を検討する時期が近づいているのかも...しれない。 筆者の異国の地におけるネオ・クラシックカー探訪は、まだしばらくやめられなさそうにない。 [ライター・撮影 / TUNA]

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた
海外現地レポ 2023.10.09

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた

みなさんは、フェラーリがどんな街で生まれたかをご存知ですか? フェラーリの車名、575Mマラネロにも起用されているため、フェラーリの誕生地がマラネッロということは周知されているかもしれませんね。 今回はマラネッロってどんな街?どんなことができるの?という点についてご紹介いたします。 ■フェラーリ博物館は必見!マラネッロへのアクセスは? マラネッロは国際空港があるミラノから南東に約150km、モデナという街からの16kmほどの離れたところに位置しています。 人口は約17,000人で、典型的なイタリアの田舎街という感じです。 マラネッロへは、モデナ駅からバスでアクセスすることが可能です。 ちなみに、ランボルギーニの本社はサンターガタ・ボロニェーゼという街にあり、マラネッロからクルマで約30分の場所に位置しています。 マラネッロでもちろん有名なのはフェラーリ博物館。 その博物館の周りには、以下写真のようにフェラーリや、その他高級車のテストドライビングができる施設などが多く立ち並んでいます。 博物館を訪れた後、そのカッコよさと迫力に感化され、ついつい運転してみたい!という気持ちが高まること間違いありません。 イタリアで高級車のテストドライビングをやってみたい!という方は、日本で国際免許証の取得をお忘れなく! 車種や走行距離にもよりますが、最低でも100ユーロからの費用になるようです。 博物館には観光バスも多く停まっており、結構混み合っていました。 個人的に、他の自動車博物館に比べて展示台数が少ないという印象でしたが、なかなかお目にかかることができない車輌が展示されているので、フェラーリファンの方にはたまらないことでしょう! 私はこの博物館で、初めて触れる距離でF1レースカーを観たのですが、想像の3倍くらいの大きさがあり、そのスケールに超圧巻でした! 写真は博物館入り口です。 ■街中のいたるところで「フェラーリ」が感じられる マラネッロの街を散策するために、博物館から街中へ歩いて移動しました。 街中へと繋がっている参道には、フェラーリの歴史が書かれた看板が約50m間隔ごとに配置されており、それを読みながら進むのも面白かったです。 さて、徒歩10分ほどで街中へ到着しました。 早速ランナバウトの中心にフェラーリのエンブレムの跳ね馬が! その右手には跳ね馬がデザインされた花壇があり、その少し先にはフェラーリのサインが銅像化されているのを発見しました。 さすがフェラーリ一色な街だな、というのが第一印象でした。 そしてこちらのカフェの入り口では、2台のフェラーリがお客さんを出迎えてくれます。 こちらのカフェの裏側にもフェラーリが。 もはや博物館に行かなくても、マラネッロの街を散策するだけで良かったのでは?!と思ってしまうほど、フェラーリがあちこちに点在しています。 (でも限定グッズやお土産も豊富なので、マラネッロへ来たからにはやっぱり博物館はマストです!) カフェのコンセプトはもちろんフェラーリ。 また別のカフェではレースの実況を放映しており、地元民であろう方々が盛り上がっていて、やはりフェラーリ愛にあふれた街であることは間違いなさそうです。 ■突然鳴る鐘は何事?!なんと市役所にもフェラーリの秘密が… イタリアでは12時など、きりの良い時間に教会の鐘が鳴るのですが、マラネッロでは何でもない時間帯に鐘が鳴ることがあります。この鐘の正体を近くにいた警備員さんに聞いてみました。 すると、「フェラーリがF1で優勝すると鐘が鳴るんだ」と教えてくれました。 ちょうど立ち寄ったカフェの前に市役所があり、日曜日にも関わらず空いていたので、入ってみることに。 なんと入口がフェラーリのミニ博物館になっていました! 創設者の「エンツォ・フェラーリ」の写真をはじめ、博物館では展示されていないフェラーリの歴史についての展示物がいくつかありましたので、ご紹介したいと思います。 フェラーリファンの方では有名な話かもしれませんが、なぜフェラーリは跳ね馬がエンブレムに選ばれたか、ご存知でしょうか。 まず、下記の写真について説明少し説明させてください。 写真左手がフェラーリが残した跳ね馬について語った羊皮紙、中央の左手ははがきで使われた跳ね馬デザイン、中央右手に現在のフェラーリのエンブレム、写真右手がフランチェスコのお母様(フランチェスコについては下で説明します)、そして中央がフランチェスコ・バラッカの写真です。 フェラーリが残した馬について語った羊皮紙には、下記の文章が書いてあります。 “跳ね馬の物語はシンプルで魅力的なんだ。 この小さな馬は、第一次世界大戦のエース中のエース、モンテッロで墜落した英雄的飛行家フランチェスコ・バラッカの戦闘機の機体に描かれていたものだ。 私が23年にラヴェンナで開催された第1回サヴィオサーキットで優勝したとき、その英雄の父エンリコ・バラッカと母パオリーナにお会いし、知り合うことができた。 そしてある日のこと、彼らが私にこう言ったのだ。 「フェラーリ、息子の跳ね馬をあなたのクルマに乗せてください。それはあなたに幸運をもたらすでしょう」と。 そのエンブレムを私に託してくれたご両親の献辞とともに、私は今でもバラッカの写真を大切に保管している。 小さな馬は昔も今も黒色のままであるが、私はモデナの象徴色である黄色を背景に加えたのだ。” これがフェラーリが残した跳ね馬の物語なんですね。 実際の写真の展示はなかったですが、フランチェスコ・バラッカが乗っていた機体の絵の展示がありました。 確かにフェラーリと同じ跳ね馬が機体に描かれているのがわかります。 市役所は決して展示物が多いわけではありませんが、フェラーリの歴史について触れることができ、面白かったです。 帰り際にはこちらのハガキを好きなだけ持って帰っていいよいってくださり、一枚ずついただいて帰ってきました。 ■おわりに フェラーリが誕生した街は、フェラーリ愛に溢れたのんびりとした街でした。 ぜひフェラーリファンの方、イタリア旅行の際、足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと、生誕の地ならではのオーラを感じられるはずです。 [ライター・画像 / PINO]

憧れはやっぱり3BOX?アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾編~
海外現地レポ 2023.09.14

憧れはやっぱり3BOX?アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾編~

■台湾で独自進化したセダン達 クルマは一家に一台! そんな感覚も日本ではもはや過去のものになりつつあるが、海外を見ればまだやっとクルマを初めて手に入れることができる家庭も少なくない。 かつての日本も、高度経済成長期のころはクルマの存在は高嶺の花であり、憧れの対象だった。 それを象徴するかのように、各車のグレード名も”スーパーデラックス”や”ロイヤルサルーン”などなど…。 とにかく凄く良いクルマを所有することができたことを実感できる、そんなネーミングが多かったように思える。 ほんの20年位前まで、あるいはまだ進行形なのかもしれないが、アジアの国々で良いクルマの象徴といえば、セダンという見方がまだ強かったと思う。 上を見ればショーファードリブンなクルマたちもいるが、オーナーカーとして手に入れられるクルマで、高級さやスポーティーさの雰囲気を味わうことができるのは嬉しいことだ。 特にそれらが凝縮された3BOXの車種には、色濃く現れていると感じる。 アジア各国の90年代から00年代にリリースされた車種を振り返ってみても、そのラインナップの豊富さは市場を席巻していたことをありありと示しているし、何よりその国々のクルマにまつわるトレンドが見えてくるかのようで興味深い。 今回は、日本からアジアの国々に輸出されていたセダンにフォーカスして紹介してみたいと思う。 といってもその車種群は幅広く、あまりにも数が多いので、少しづつピックアップしていこうと思う。 今回は台湾を走っていたトヨタのセダンを、ごく一部だが取り上げてみよう。 ■小さくてもラグジュアリーに...異なる仕立ての雰囲気! まじめな作りの、壊れない日本車の代名詞といえばやはりトヨタのブランド力は強い。 それは台湾という国の市場でも同じだ。 日本では90年代当時、100万円以下で購入できたエントリーセダンのひとつに、トヨタ ターセルがある。 北米でもバジェットカーとして、まるでゲタ感覚で乗りつぶされることも多かったが、20年以上が経過した今でも時折その姿を見ることができる。 その生命力はシンプルな装備類と頑丈なエンジンの組み合わせの賜物であるが、便利で飽きの来ない実直さもオーナーに愛される理由の一つだろう。 台湾仕様のターセルといえば、日本や北米の仕様よりは少しグレードの高いものだ。 現地法人の国瑞汽車で生産されていた台湾仕様のターセルは、フェイスリフト時にメッキのフロントグリルが装着されたり、専用のバンパーやレザーシート、LEDメーターパネル、木目調パネルの採用などグレード感漂うものだ。 日本国内では1999年に生産を終了しているが、台湾仕様は2003年まで生産を続け、需要に合わせた独自進化をしていったといえるのではないだろうか。 似たように、独自進化っぷりで興味深いのはコロナ・プレミオだ。 日本でいうところのT210型、6代目コロナは名前こそ同一であるが、外観の差異は小さくない。 先述のターセルと同じように、マイナーチェンジが進むほど豪華さを増していったプレミオは、フロントグリルやバンパー、リアランプのメッキモールの縁取りをこさえ、もはやクラスを越えて日本のクラウンのような印象すら感じる。 近年ではだいぶ街中ですれ違う機会も少なくなりつつあるが、それでも当時の販売台数が少なくなかったことを感じさせるものだ。 ■これはUSDM?アジアですれ違う意外な仕様 では、ターセルとコロナ・プレミオの中間を担うカローラも、物凄くリッチな仕様なのでは...?と想像していると、意外な姿を見かけることになる。 例えば日本の90系、100系、110系に相当する台湾仕様のカローラは、北米仕様をほぼそのまま販売していたのである。 そのため、サイドマーカーに5マイルバンパー、90系や100系ではマイルメーターまで装備されている時代もあり、台湾にありながらもアメリカのベーシックカーらしい雰囲気がさらに強まっている。 もちろん台湾独自のグレードも存在しているのだが、車種自体がよりアジアらしい雰囲気が強まるのは、2000年代に入って120系のカローラ・アルティスがリリースされてからといえよう。 この現象は、上位車種のカムリにも同様のことがおきている。 特に筆者がカッコいいと思うのは、日本名トヨタ セプターセダンが、そのままカムリとして台湾市場では販売されていたことだ。(当時、北米では台湾と同じようにカムリとして販売されていた) どちらの車種も、2018年ころの渡航時にはまだ街中で見ることができ、ゴージャスないでたちのトヨタ車と北米ベーシックな雰囲気のセダンが、同じブランドのショールームから販売されていたことを考えるとかなり面白い。 この現象は実はトヨタに限ったことではなく、現地法人が力を入れて生産する車種と、海外からそのまま輸入してくる車種が入り乱れた結果が現れている。 近年でも、独自進化系の車種をラインナップを有するブランドは継続して台湾に存在しているので、もし渡航する際は調べてみると面白いだろう。 [ライター・撮影/TUNA]

日本ではあり得ない!イタリアの交通事情について
海外現地レポ 2023.09.13

日本ではあり得ない!イタリアの交通事情について

イタリアは古代ローマの歴史と山と海に囲まれた自然豊かなとても美しい国で、古今多くの旅行客を魅了させてきました。 日本からもイタリアに旅行される方は多いと思いますが、ツアーや電車、バスの移動ではなく、クルマでしかアクセスできないビーチや湖、スキー場など、自由に回りたいと思われたことはありませんか? そこで今回は、イタリアをクルマで旅行する際に是非知っておいて頂きたい、日本人からしたらそんなことあり得るの?!という常識をシェアしたいと思います。 まずは基本情報から。 イタリアでは日本の運転免許証を所有している方ならば、日本で「国際運転免許証」を発行すれば誰でも運転することができます。 クルマは左ハンドルで右側通行。 そのため高速道路は日本とは逆で、左側が追い越し車線になっています。 また、イタリアでは大半がMT車になるので、レンタカーもAT車を見つけることが困難、もしくは値段が高い可能性があります。 超基本的なことはそのくらいで、以下はもう少しディープな内容をお届けします! ■あり得ない!?日本人には理解不能なイタリアの道路事情 ●ランナバウトが多すぎる 基本的にどこへいっても信号機の代わりにランナバウト…しかしこのランナバウトがかなりやばい…。 街中にあるランナバウトの場合、写真のようにランナバウトを抜けたすぐ先に横断歩道があり、ランナバウトを抜けたからといって安心してスピードを上げると超危険。 特に南イタリアのはランナバウト内で渋滞が発生しクラクションの音が鳴り響き、えらいこっちゃになっていました。 もはや信号機設置すれば?と突っ込みたくなります。 ●一般道路でも追い越しは当たり前 高速道路での追い越しは当たり前ですが、一般道路でも安全な速度で走っていると、よく後方車に追い越されます。 危険な追い越しをする人も多いので、のろのろではなく、追い越しされないような適切な速度で走ることも、イタリアでは大切です。 ●信号のない横断歩道が沢山! 日本と比較すると、イタリアは歩行者用横断歩道の信号機が付いていないことが多いので、横断歩道手前に歩行者や自転車が待っていたら必ず止まりましょう。 歩行者用の信号がない故か、イタリアでは日本より歩行者優先が根付いていると感じます。 ●ウィンカーを使わない人が多い 面倒なのでしょう、ウィンカーを使わない人が多すぎます! そのため、予期しないところでいきなり右左折するクルマが多いので、気を付けてください。 また一般道路だけではなく、高速道路の車線変更時にもウィンカーを使わないクルマが散見されますので、「周囲のクルマはもしかしたら右左折、車線変更をするかも」と常に念頭に置いて運転すると良いと思います。(南に行けば行くほどウィンカーの使用頻度は下がります…) ●荷物はクルマの中に置きっぱなしにしない トランクにトノカバーが付いていれば、荷物をそちらに隠せばよいですが、外から荷物が見えてしまう場合は必ず荷物はホテルに置くか、持ち歩くようにしましょう。 窓ガラスを割られ、荷物を取らる危険性があります。 私の友人は昼中であったにもかかわらず、窓ガラスを割られ、パスポートなどが入ったカバンとカメラを持っていかれたことがあります。 ■怖そう?でも優れている点だってちゃんとある! ここまでイタリアの悪口のようになってしまいましたが、良いところも少し紹介したいです! ●渋滞の時は日本と同じでハザードランプで後方車に知らせる 規則としてはどこにも載っていないですが、日本と同様、前方に渋滞が確認できた場合はハザードランプで後方車に知らせます。 ●イタリア人は皆縦列駐車のプロ イタリアは建物を建てようとしたら遺跡が発掘され、工事ができない等という話をよく聞きます。 そのため地下駐車場や立体駐車場はなかなか見つけることが困難です。 そこでイタリア人は路駐をすることが多いため、自然と縦列駐車が得意になるのでしょう。 時には車間距離が数センチで駐車されているクルマもあり、どうやってここから出るんだ…と真相は謎につつまれたまま。 イタリアで運転する予定がある方は、縦列駐車を事前に練習すると良いと思います。 イタリアのアパートメントには駐車場がないところも多く、以下写真のようにアパートの横に路駐というのが一般的です。 さらにこちらは両側に路駐しているので、道幅がかなり狭まってしまっています。 イタリアでは道路も立派な駐車場です(笑) ●駐車スペースの色分けには意味がある! さて、イタリアでは駐車スペースが3色に分けられています。 黄色:そこの建物に住んでる方限定の駐車場(駐車禁止です) 青:お金を払えばだれでも駐車可能。ただし祝日や週末、時間帯によっては無料になる場合がある 白:誰でも無料で利用可能な駐車スペース というふうに、3色に分けられています。 白の駐車スペースを見つけることができれば一番無難ですが、青しかない場合は、下記画像の機械を使って駐車チケットを購入し、チケットは車のフロントガラスから見える位置に置きましょう。 もし警察が見回りに来た際にチケットがないと、罰金を課せられてしまいます。 ●ゲートの前や、出入り口には絶対に駐車しない ウィンカーは使わないのに、これだけは徹底しているイタリア人。 縁石ブロックが一段低くなっているところには、家のゲートやお店の出入り口があるので「縁石ブロックが一段低くなっている=車の出入りが予想される」ということで、縁石ブロックが一段低くなっているところには駐車しないのが基本です。 ラッキー空いている!と思って駐車する前に、縁石ブロックが一段低くなっていないか確認してみてください。 ●初心者の見分け方 例の日本の初心者マークは存在しませんが、いわゆる初心者、あるいはまだ免許は取得していないけど、実道路で練習中の場合、「Principiante」(初心者)の頭文字をとった「P」が手書きされた紙を車輌に貼り付けることになっています。 なので、下記の画像のように「P」が貼られたクルマを見つけた場合は、手加減してあげてくださいね。 ■Boun viaggio! イタリアで運転予定のあなたへエールを さて、現地の生々しい交通事情を包み隠さずお伝えしましたが、イタリアで運転する勇気は湧きましたでしょうか。 イタリアはもちろん有名な都市同士は公共交通機関でスムーズな移動が可能ですが、ツアーではなかなか行けない地に不自由なく気軽に行きたい場合、クルマは必需品となります。 イタリア旅行で運転される際、上記の内容をもとに事前にイメージトレーニングをし、安全な旅行になるように祈っています! Boun viaggio!  [ライター・画像 / PINO]

今でもフランス人に愛される「シトロエン2CV」の魅力に触れてみた!
海外現地レポ 2023.09.06

今でもフランス人に愛される「シトロエン2CV」の魅力に触れてみた!

7月の中旬、フランスでは「le14 juillet(7月14日の意・パリ祭り)」と呼ばれる祝日がありました。 この日は、さかのぼること1789年、大騒乱に包まれていたパリが、国民によってバスチーユ牢獄を奪取した日。 フランスの絶対王政の終わりを祝した大切な祝日です。 午前中から軍隊によるパレードや航空ショー、夜にはエッフェル塔付近で花火の打ち上げがあり、フランスのバカンスの始まりも意味します。 そんななか私はというと、フランスとスイスの国境付近にある夫の実家で数日間過ごしてきました。 テラスで座ってのんびりとしていたとき、一台のクルマが通過。 すぐに彼が「2CVだ!」と。 そうです、フランス人が愛してやまないシトロエン2CVでした。 しかもお隣さんということで、すぐに義兄が見学の交渉に。 すんなりと承諾をいただけたため、翌日伺うことになりました。 ■家族から譲り受けた大事なクルマ お隣に住むフレデリックさんが所有しているクラシックカーは、シトロエンの2CV special 4vitesse 1987年式です。 29馬力のこのクルマを、2011年より奥様のご家族から譲っていただいたそうです。 ちなみに、彼にとって初めてのクラシックカーだとか。 まったく動かない状態でガレージに保管されていましたが、すべてのパーツを探して取り寄せて修理をされたエピソードを、とても楽しかった思い出としてお話ししてくれました。 やはり長いこと国民に愛されているシトロエンです。 フランスには、現在廃盤となっているシトロエン社の古い型を買い取って、修理用のパーツを製造販売している会社があるようです。 フランス人はクルマの修理だけではなく、家の修繕やキッチン・トイレの配管など、できる範囲は自分たちで直して長く愛用する人が多いのです。 フレデリックさんももちろん、このクルマをこうした会社やサイトで何年もパーツを探して走れるまでに修理をされました。 外装の素敵な赤色は完全にオリジナルで、「年季が入って色褪せてきても絶対に変えたくはない」と語るその少しオレンジがかった赤色は、本当にかっこ良かったです! 逆に内装はすべて変更していて、奥様が作られたデニムのカバーで覆われたシートや小さなフィギュア、ところどころに貼られているステッカーが、フレデリックさんの個性とクルマへの愛着を感じさせてくれました。 ■レッツ ドライブ!!! 話を聞いていると、なんとフレデリックさんがドライブの提案をしてくれました。 天気がよかったので、くるくると屋根を開けて、さあ出発です! 私にとって初めての2CVでしたが、サスペンションが効いていてビックリするほど良い乗り心地。 正直、くねくねの田舎道にクラシックカーは、そんなに相性が良いものではないだろうと考えていました。 しかしスピードを保ったまま回るたび、小坂を上がるたびに、体の振動や歪みを吸収してくれたので、たいへん快適で本当に楽しくドライブができました。 このクルマのお気に入りポイントを伺ったところ、田舎のデコボコ道でも安定していて転ばないところとおっしゃっていたのが納得です。 10年以上大事にお手入れをして、現役で走っているこのクルマとの思い出を聞いてみたところ、毎年一緒にbottes de paille(刈り取った藁の束)の横で家族写真を撮っていることだと教えてくれました。 お子様たちが成長しても、変わらず愛着のあるクルマと生活をしている姿がたいへん素敵です。 前のトラクターが積んでいるのかbottes de paille(藁束)です。 この横にクルマを置いて家族写真とは、想像しただけでも絵になります。 その日の夕方、テラスでアペロ(夕飯前のお酒)をしていると、フレデリックさん家族が2CVに乗って外出されていきました。 おそらく祝日の花火を観に行かれたのでしょう。 クラシックカーだからといってガレージの中で眺めるだけではなく、自分で修理をして、このように家族と過ごすためにいろいろな場所へ行くことが醍醐味なのだと感じました。 快くクルマを紹介してくれたフレデリックさん家族には、感謝でいっぱいです。 ■2CVと一緒にめぐるパリの街並み 今回の滞在から帰るために鉄道に乗っていたとき、車窓から2CVを発見。 パリではなかなかクラシックカーを見かけないので嬉しくなりました。 現在パリでは「PARIS AUTHENTIC」という会社が、観光客向けに2CVを使ってパリの観光ルートを巡るサービスを始めています。 ▲オリジナルではありませんが、シトロエンの型を使って作られたクルマです タクシーを使うよりも気分が上がるかもしれませんし、フランスらしい良い思い出になるのでは? ぜひ、パリに訪れた際に乗車してみるのをお勧めします! [ライター・画像 / スミ]

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