エディターズノート

ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー
エディターズノート 23.02.23

ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー

松本零士先生の訃報といい、ショッキングなニュースが相次いでいる2023年。 先日、何気にスマニュー(SmartNews)のアプリを開き、スポニチの記事に釘付けになった。 それは「タモリ倶楽部が3月末で終了する」という衝撃的な見出しだった。 これぞまさに青天の霹靂。不意打ち。想定外だった。 タモリ倶楽部、なかでも筆者は生粋(?)の空耳アワーフリークだと自認している。気づけば空耳歴は30年近い。人生の半分以上を空耳アワーに捧げてきたわけだ(かなり大げさ)。 空耳アワーとの出会いはまだ筆者が10代だったころだ。 あるとき、友人が2本のビデオテープを貸してくれた。「とにかく観てくれ」と。2本ともタイトルが書かれたラベルシールがない。確か、ビデオテープのツメが折られていたように思う(意味が分からない若い世代の方はご両親に聞いてみてください)。 ラベルシールなし&ツメ折り済みのビデオテープ、そして「とにかく観てくれ」という意味深なメッセージ。それが何を意味するのか?男性諸氏であれば「言わずもがな」だろう。多くは語るまい。あれしかない。"Audio Visual"ではない方の「アレ」だ。中3のとき、我が家が上映会場になり大変だった・・・ことは別の機会にしよう。 男性陣が几帳面な家庭だと「ルーブル美術館」とか「日本の四季。長良川の美」といった、比較的手に取られにくい、巧妙な方法(?)でカムフラージュされていることもある。 しかし、ついうっかり本人以外の家族が誤って手に取って再生しまうと、我が家の三大ニュース(黒歴史編)として、きっと末代まで語り継がれる事件になりかねない映像が収められていることが多く、まさに諸刃の剣だ。 ま、それはさておき、高まる期待を胸に、ビデオテープをデッキに押し込みいざ再生!・・・してみると、そこにはタモリと長髪の男性が。肩すかしをくらった。なんじゃこりゃ。何を隠そう、それが空耳アワーとの出会いだった。 つまり、友人は「タモリ倶楽部のコーナーに空耳アワーという名物企画があるから観てみろよ」と、2本のビデオテープを筆者に貸してくれたのだった。それならばはじめからそういってくれよ(笑)。期待して損した。 落胆するモヤモヤな気持ちを抑えつつ、気を取り直して友人が編集した「空耳アワー初期の傑作集(豪華2本立て)」を観てみることにした。 こじつけとしか思えない強引な空耳、当時から映像の暴力(笑)といわれた絶妙な再現映像。その面白さに魅了されてしまった。 以来、筆者の人生にタモリ倶楽部、そして空耳アワーは欠かせないものとなってしまった。年に1度くらいの頻度で行われる「空耳アワード」がオンエアされるときは、ビデオデッキのタイマー予約をしつつ、オンタイムで観たものだ。周囲の友人知人にも知らせまくり、喜びを分かち合った(笑)。 マイケル・ジャクソンやクィーン、メタリカ、ジプシー・キングスなど、FMラジオでお馴染みのあの名曲も、空耳アワーの格好の餌食(?)となった。不意にスピーカーから流れてくると笑いが止まらなくなり、まともに聴けない時期もあったほどだ。 メタリカが来日したときのコンサートを観に行ったが、空耳作品のオンパレードで笑ってしまった記憶がある。メタリカといえば空耳アワーの名作が目白押し。空耳アワーとの出会いがなければメタリカを聴くこともなかったし、ましてやコンサートに行くなんて想像もつかない。 マイケル・ジャクソンやクィーンの名曲の多くも、空耳アワーが引き合わせてくれた気がする。もしかしたら、熱狂的なファンからすれば動機が不純だと怒られるかもしれないが、新たなファンを獲得するために、空耳アワーが一役買っていることは間違いない。 マイケル・ジャクソン「スムーズ・クリミナル」といえば『パン 茶 宿直』だし、プリンス「バットダンス」といえば『農協牛乳』といった具合に、空耳アワーの金字塔ともいえる名作(ジャンパー作品)も数多く生まれた。また、深夜番組ということもあり、下ネタのオンパレードであることはいうまでもない。企業コンプライアンスが厳格化された現代では、モザイク加工しない限り地上波で再生不可能な作品も数多い。 個人的に好きな空耳作品は数多くあるが、最近の目下のお気に入りはヴァン・マッコイの「ハッスル/上越」だ。有名な曲なのでラジオでもオンエアされる機会が多い。フルコーラスで聴くと「上越」を連呼する(実際にはしてないけれど)ので、笑いを堪えるのに必死だ。運転中にこの曲が流れてくるとあぶない。 そんな空耳アワー、そしてタモリ倶楽部があと1ヶ月で終わりを迎える。4月以降、マニアックな企画も、しょうもない空耳作品の新作を観ることができなくなる。 来年で笑っていいとも!が終わりを迎えて10年になる。会社員時代、お昼時に飲食店に入れると、テレビチャンネルはフジテレビが選ばれ、当たり前のように笑っていいとも!がオンエアされていた。いまだに復活を望む声が聞こえてくるけれど、おそらくあの空気感は2度と戻らない。 仮に空耳アワーだけを独立させ、新たな司会者を呼んできて、ソラミミストの安西氏とコンビを組んで番組として継続しても、おそらく面白くもなんともないだろう。安西氏もタモリがいるから活きるのだろう。 笑っていいとも!と同様に、タモリ倶楽部も、ヘタに延命処置をしてグダグダになるよりも、美しい思い出としてスパッと終わりにするのが妥当なのかもしれない。 当たり前のように続いてきたものであっても、いつか終わりを迎える。改めて思う。やはり永遠はないのだ。 まだまだ朝起きてからメチャクチャ寒いし、そんなときこそゲー!早く起きなきゃ!だし、なんとか起きられたらまずは農協牛乳だ。来週の避難訓練ではバケツリレー、水よこせー!って怒鳴ることになりそうで今から気が重い。今夜も締め切りに追われてアハハハ・・・お~頭痛いってなるのも確実だ。パン茶宿直を覚悟しつつ、お客さんに嫌われるぞーっていわれない程度に仕事を頑張りたいと思う。 ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

欲しいクルマが買える人と買えない人の決定的な差とは?という話
エディターズノート 23.01.24

欲しいクルマが買える人と買えない人の決定的な差とは?という話

欲しいクルマがあるとしよう。なぜだか分からないけれど、たいがいは「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」だったりする。 フェラーリ250GTOに憧れても、人生を賭けて本気で欲しいと思う人は稀だろう。 何らかのきっかけで大金が転がり込んできたとしても手が届く存在ではないし、このクルマに相応しい生活や保管環境がある。 さらにいえば人格だって求められるかもしれない。 それはさておき、「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を手に入れるには? いまより所得を上げるか、何らかの形で大金を手に入れる(用意する)必要がある。 仮にAさんとしよう。憧れのクルマを手に入れるべく、転職して、ゆくゆくは起業するという。 それも夢物語ではなく具体的なプランとして進めている。夢を現実にしようと行動を起こしているのだ。 あくまでも直感だが、Aさんは憧れのクルマを手に入れることができるような気がするし、実際にそうであってほしい。 そして、Bさんという人にも憧れのクルマがある。 周囲がお膳立てしても、あれこれと理由をつけて「自分には無理」と決めつけてしまっているフシがある。 それでいて欲しいという気持ちに変わりはないし、いまの愛車にも結構なお金をつぎこんでいる。 そんなお金があれば本当に欲しいクルマを買えばいいのに・・・と周囲の誰もが思っている。 結局、それだけの覚悟がないのだろう。 「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を手に入れるのは、それなりのリスクが伴う。 貯金をすべて使うか、転職や起業して稼ぎを増やすか、どこかの誰かに貢いでもらうか。日々、ただ漫然と過ごしているだけでは手に入らない。 どこかで覚悟を決め、一念発起するしかないのだ。それが分かっていて行動に移せないのだから、やがて「結局、アイツは買う気がないんだな」と思われてしまう。 そして、いくつもの「いい話」が目の前を過ぎ去り、結局チャンスを逃す。 「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を何としても手に入れたいのなら・・・人生を賭けるくらいの覚悟があってもいいかもしれない。 湾岸ミッドナイトに登場する「ブラックバード」こと島達也が、主治医である北見淳との会話のなかで「じゃ、なんでお前はこんなの乗れんだ?」と聞かれ、「カンタンですヨ。全部つぎこんでいるからですヨ」と答える場面がある。 欲しいクルマが買える人と買えない人の決定的な差とは? 貯金をゼロにしてでも買うべきなんてとてもいえないけれど、それに近い『覚悟』がなければ「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」は手元にやってきてくれない。 それはいつの時代も変わらないのかもしれない。 [ライター・撮影/松村透]

プロフェッショナル仕事の流儀「校正者・大西寿男」編を観て思うこと
エディターズノート 23.01.17

プロフェッショナル仕事の流儀「校正者・大西寿男」編を観て思うこと

最近、あまりテレビを観る機会がなくなりつつあるのだが、久しぶりに楽しみな番組を見つけた。 去る1月13日にオンエアされた、NHK プロフェッショナル仕事の流儀「縁の下の幸福論 〜校正者・大西寿男〜」編だ。 仕事柄、大西氏のお名前は存じ上げていたけれど、詳しいことまでは把握していなかった。 果たしてオンエア当日、子どもと一緒に寝てしまい、目が覚めたのは放送終了後。 タイマー予約録画も忘れていたので、後日、NHK+で視聴した。 拝見してみて、大西氏の真摯かつ誠実な仕事ぶりと、秘めた情熱のようなものを垣間見た気がする。 文章は数式とは異なり、正解は1つではない。 それが仕事をするうえでやりやすくもあり、時にやっかいだ。 半ば勢いで原稿を仕上げ、何度も何度も推敲するけれど、一晩寝てふたたび目をとおすと気になる箇所が100%の確率で見つかる。 毎回、その繰り返しだ。 結局、どこかで妥協(この表現は好きではないけれど)して納品したり、公開することとなる。 第三者の視点や赤入れ、事実確認をしたうえで公開されたらどんなにラクだろうと思うこともしばしばだ。(事実、案件によっては校正の方に加わっていただいており、これが本当にこころづよいのです) 書き手によっては、校正者がチェックを入れることに対して猛烈に反発する人もいると聞いたことがある。 こんな心強くて、しかも拙い自分の表現に磨きを掛けてくださる存在を無下にする感覚が理解できない。 そういえば、校正者ではないけれど、かつてある輸入車の取扱説明書を制作していたとき、翻訳家の方が表現にこだわるタイプだった。 ドアグリップを握るのか、掴むのか?入稿が近いのに、そんな言い回しを延々と議論した記憶がある。 当時はそんなことより早く仕事を終わらせたかった(笑)ので、正直めんどうだなぁと思うこともしばしばあった。 しかし、あのときの経験がいまの仕事で活きているのだから、人生何が起こるか分からない。 面倒だけどじっくり取り組んでよかった、と、今さらながらに思っている。 ひとつ、予言をすると、いまの編集長業務、さらにいうとマネジメント業務があと10年くらいしたら活きるのではないかという気がしている。 正直、めんどくさい。 実際にやっていて、これならライター(受け身)に徹している方があきらかに楽だ。 締め切りに原稿が届かず、モヤモヤする。 もう関わりたくないなぁと思うこともたまにだけど正直いってある。 思わず感情的な返信をしてしまいそうなときは、少し時間をあけてから返すようにしている(笑)。 日々、(ありがたいことに)いくつもの締め切りと納期に追われて休む暇もないし、気持ちの余裕がなくなりかけることもしばしばだけど、大西氏の仕事に対する誠実な姿勢は忘れないようにしたいと改めて思った次第だ。 ●NHK プロフェッショナル仕事の流儀「縁の下の幸福論 〜校正者・大西寿男〜」編https://www.nhk.jp/p/professional/ts/8X88ZVMGV5/episode/te/8XW78LPXYG/ [画像/Adobe Stock ライター/松村透]  

成人式・・・といえば自慢の愛車で出撃ですよね?
エディターズノート 23.01.12

成人式・・・といえば自慢の愛車で出撃ですよね?

昨日、今日と成人式を開催した自治体も多いと思う(現在は「二十歳のつどい」など名称が異なるケースもあるようだ)。 成人式といえば・・・少なくとも自分の頃は自慢の愛車で"乗りつける"一大イベントだった。 かつてのクラスメートや同級生と数年ぶりに再会するにあたり、先輩や身内などからタダ同然で譲ってもらったクルマでは意味がない。 やはりそれなりのクルマでないとカッコがつかない。 要するに見栄ってやつだ。 ウン十年前、R32GT-RやZ32フェアレディZで成人式に乗りつけたら、それはもう羨望と嫉妬の視線を集めることになっただろう。 二十歳そこそこでこれらのクルマに乗って成人式に現れるとしたら、高校を卒業して、就職して、必死に頭金を貯めて鬼ローンを組んでも手が届かない。 例え中古であってもだ。 両車ともに人気があったので、中古車といえども300万円を優に超える価格で売られていたからだ。 残る手段は親に買ってもらうか、親ローンか、これまでお金をすべてつぎ込み、現金一括しかない。 そこで、実際にはどんなに背伸びしても中古のRX-7(FC3S)や、スカイラインGTS-TタイプMあたりが双璧となるのだが、それでもインパクトは充分だったように思う。 ハチロクで乗りつけるような同級生がいたかもしれないが、現代のように崇められる存在ではなく、どちらかというと地味で、マニア寄りな印象だった気がする。 1月5日に、ソニー損保から年明け恒例の「20歳のカーライフ意識調査」が発表された。 1,000名の有効回答のうち 「自分のクルマを持っている」19.6%「クルマを購入するつもりはない」23.6%「若者のクルマ離れとは自分自身のことだと思う」32.4%「クルマに乗る必要性を感じない」25.3%「クルマを所有する経済的な余裕がない」57.9%「クルマを購入する際の予算の上限額は平均201.3万円 ・・・などなど、興味深いデータがいくつも掲載されている。 リンクを張っておくので、ぜひ目を通してみてほしい。 ●ソニー損保「2023年 20歳のカーライフ意識調査」https://from.sonysonpo.co.jp/topics/pr/2023/01/20230105_01.html 今回、旧車王ヒストリア的にも特に興味深かったのが 「最新装備を搭載した車に乗りたい」79.8%「ネオクラシックカーに乗りたい」33.7%、「クラシックカー、ビンテージカーに乗りたい」30.2% という項目だ。 ソニー損保の記事をそのまま引用すると 男女別にみると、男性では『乗りたいと思う』は≪ネオクラシックカー≫では38.8%、≪クラシックカー、ビンテージカー≫では36.4%と、女性(順に28.6%、24.0%)と比べて10ポイント以上高くなりました。男性には、“旧車ブーム”を背景に、ネオクラシックカーやクラシックカーに対し最新モデルにはない魅力を感じる方が多いのではないでしょうか。 とのことだ。この結果にはかなり驚いた。 今年、二十歳を迎えた多くの人たちが産まれたのは平成14年(2002年)4月2日から平成15年(2003年)4月1日までの期間だ。 それはつまり、日韓ワールドカップが開催された年(!)に産まれたことを意味する。 国産スポーツカーでいうなら、初代NSXやR34GT-R、RX-7がギリギリ発売されていた頃だ。 確かに、取材していて20代のクルマ好きの方はとにかく熱い。 これにはいくつかの要因があるだろうが、ひとつはご両親がバブル期にクルマでデートを楽しみ、チューニングに勤しんだ世代なのではないかという気がしている。 成長過程で親御さんからクルマの楽しさを教わり、幼少期にはグランツーリスモや頭文字D、ワイルドスピードなどの作品に恵まれた結果、次の世代を担うクルマ好きが増えてきたような気がしてならない。 いずれにせよ、20代のときだから楽しめる、乗っておくと幸せになるクルマがあることを知っていただけたらいいなぁと願うばかりだ。 翻って自分は成人式の頃はというと、学生だったということもあり、とても自分のクルマを買える状態ではなかった。 ・・・で、どうしたかというと、親父のクルマを借りて成人式に行ったのだ。 クルマは確かチェイサーツアラーS(JZX90)だったように思う。 それなりにインパクトはあったように思えるが、それでも親父のクルマ(借り物)だけに、今の表現でいうならあまりドヤれなかったあたり、我ながら情けない。 成人式といえば・・・夜の部も忘れてはならない。 今ごろは同窓会も兼ね、居酒屋で飲んだくれている新成人も多いだろう。 自分はというと・・・なぜかその日の夜に高熱を出し、震えながら眠りについた記憶しかない。 それはさておき、今年、めでたく二十歳を迎えた皆さま、本当におめでとうございます。 これからは思う存分、堂々と(?)飲んだくれてください。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

東京都青梅市「ガレージ・カフェ&バー モノコック」に行ってみた!
エディターズノート 22.12.29

東京都青梅市「ガレージ・カフェ&バー モノコック」に行ってみた!

趣味車を走らせるとき、トイレなどの緊急事態でもないかぎり、1度エンジンを掛けたら帰宅するまでクルマから降りないというタイプの人がときどきいる。 かくいう、自分もそのタイプだ。 自宅から1時間以内で、気兼ねなく趣味車を駐車できて、美味しいコーヒーが飲めて(さらには食事もできて)、お店の方や常連さんと他愛ないクルマ談義で盛り上がり、リフレッシュして帰宅する・・・みたいな飲食店があればなぁ、とは常々思っていた。 しかし、そんなに都合よくいくわけがない。 1度、エンジンを始動したら、あとは帰宅するまで走り回ればいいのだ。そう考えていた。 そんなある日、取材を通じて懇意にしていただいているオーナーさんから「クルマ好きの人が楽しめる飲食店があるよ」というメッセージが届いた。 Google Mapで検索してみると、自宅から40分くらいのところにあり、ちょっとしたドライブの目的地としては行きやすい場所にあるではないか! Instagramのアカウントがあるとのことで、さっそくフォローしてみたところ、フォローバックしていただけた。 御礼方々メッセージを送ってみると、きちんとした内容の返信がかえってきた。 その後、オーナーインタビューをする機会があり、インタビュー場所に件の飲食店がいいかもしれないということで、ご相談のメッセージをお送りしたところ、快くokしてくださったのだ。 この時期、屋外でインタビューするには寒すぎて風邪を引いてしまう。 かといってファミレスでは不安だ。 スターバックスのようなカフェでもいいのだが、店内から愛車の様子が見られないケースが多く、オーナーさんも気が気でないのだ。 取材日が近づいてきたある日、オーナーさんの事情で取材日変更の連絡が入った。 しかし、件の飲食店は予約済み、しかも貸切にしてくださったという。 そのままキャンセルではあまりにも申し訳ないし、事情を伝え、ご挨拶方々、趣味車でお邪魔することにした。 そこはまさに「クルマ好きによる、クルマ好きのための」飲食店、カフェ&バーであった。 愛車を眺めながらお店の方や他のお客さんとのんびり話してもいいし、仕事で近くに来たときに立ち寄ってもいい。 マスターによると「かなりのシャコタンでもスムーズに入れる」ように配慮されているから、段差を気にする必要もない。 もちろん料理も絶品だ。 ここまで書くと掲載料でももらっているじゃないかと思われそうだが、個人的な雑記なのでもちろんノーギャラだ(笑)。 さらに、嬉しいことに今日(29日)から、年末年始は休まず1/4までお店が開いている(AM11:00〜PM11:00)という。 年末年始休暇で暇をもてあましているお父さんたちにも朗報だろう。 私も、年内にもう1度お邪魔する予定だ。 ●Garage, Café and BAR monocoque(ガレージ・カフェ&バー モノコック) Instagram:https://www.instagram.com/monocoque.cafebar/営業時間:11:00〜23:00定休日:不定休(Instagramに情報あり)住所:東京都青梅市畑中1-126-1電話:0428-84-0644 [ライター・撮影/松村透&Tさん]  

「クリスマスキャロルの頃には」が大ヒットしたあの頃
エディターズノート 22.12.25

「クリスマスキャロルの頃には」が大ヒットしたあの頃

今夜はクリスマス・イブ。 BIGLOBEが全国の20代~50代の男女1,000人を対象に、年末年始の過ごし方に関する意識調査を実施したところによると「クリスマスの予定」についての質問に57.8%が「予定はない」と回答したという。 また、「クリスマスをひとりで過ごすことについて」は、全体の74.2%が「あまり気にしない/気にしない」と回答したそうだ。年代が上がるにつれ、上記の回答をする人の割合は多くなるものの、20代に限定しても約6割が気にしていない、とのことだ。 いまでこそ「クリぼっち」は市民権を得たような気がするけれど、当時は数々の恋愛ドラマやクリスマスに関係するヒットソング、そしてトドメのJR東海のクリスマスエクスプレスの影響もあってか「クリスマスは恋人と過ごすのが勝者で、それ以外は敗者」だったように思う。 その証拠に、いまはなき「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルでクリスマス・イブを過ごしたいと思ったら、1年前から予約しないと部屋を押さえられないんていわれた時代だ。 ちょうど30年前の今日。 1992年12月24日。 オリコンの1992年12月の月間シングルCDランキングによると、第1位は稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」だった。 そして、1988年から5年間続いたJR東海の名作CM「クリスマス・エクスプレス」シリーズ最後の年でもあった。 当時は高校生だった自分にとっては、多感な時期に嫌というほど「クリスマスは恋人と過ごすのが勝者で、それ以外は敗者」という強烈な刷り込みを脳裏に焼き付けられたのだ。 それはまさに呪縛だった。 そんなわけで、自分だってキラキラしたクリスマス・イブの夜の街でデートがしてみたい(笑)と思わない方が無理なハナシだ。 で・・・どうしたかというと、このとき彼女はいなかったので、前日にクラスで比較的仲が良かった女子の家に電話をして、デートに誘ってみることにしたのだ。 爆発的にポケベルや携帯電話が普及するのはここから数年先の話しで、当時気になる相手に連絡をするには直接話すか、手紙か家電するしかなかった。 この時点では「家電」が唯一の選択肢だった。 あまり時間が遅くなるとさすがに迷惑だ。 意を決して「家電」したところ、家族の誰かが出たのだろう。 学校の宿題だか何だかの理由(口実)で電話したことを伝え、本人につないでもらった。 それなりに仲が良かったとはいえ、普段から家電で話すような間柄ではなかったので、相手も驚いたはずだ。 先ほどの用件を伝えつつ、イチかバチか明日(つまりクリスマス・イブだ)、一緒に出掛けようよ、と誘ってみた。 夜遅くならなければokということで、翌日、放課後(久しぶりにこのキーワードを使った気がする)に駅で待ち合わせ、電車に乗り、一緒に渋谷へ向かうことになった。 なんで原宿でなくて渋谷だったのかはよく覚えていない。 原宿より渋谷の方が大人の街(笑)だと思い込んでいたのかもしれない。 郊外に住んでいたので、地元の駅を出発して、渋谷駅に着いたころには日が暮れてきていた。 そのときの渋谷駅周辺はというと・・・いまのハロウィンほどではないが、それでも人で溢れかえっていたように思う。 ムスカ大佐の言葉を借りるとすれば「人がゴ○のようだ」そのものの光景がひろがっていた。 そういえば、夜の渋谷の街を歩くのはこのときが初めてだったかもしれない。 日中の渋谷とは違う大人びた雰囲気にちょっと気圧されてしまった。 しかも今夜はクリスマス・イブ。 どの店も超満員だ。 結局、ただ何となく2人で夜の渋谷の街を歩き、東急ハンズあたりでUターンしてふたたび渋谷駅に戻って超満員の山手線に乗り、私鉄に乗り換え、最寄り駅まで彼女を送り、クリスマス・イブのデートは終わった。 あれってデートだったのか?いまでも分からない。 とはいえ、こうして振り返ってみると、何だかんだでこの30年間のクリスマス・イブでも思い出深い夜となったかもしれない。 件の彼女はその後紆余曲折を経て、クラスメートだった友人と結婚して子どもを授かった。 数年前、彼女に会ったときに当時のことを聞いてみたら、向こうも覚えているとのことだった。 さすがに野暮なので、当時なんでデートしてくれたのかは聞かないでおいた。 自分はこのときのことを友人には話してないけれど、彼女はどうしたんだろう。 そして、今夜の渋谷の街は、あのときのように混んでいるのだろうか? 検索してみたら、渋谷スクランブル交差点のライブカメラの映像を見つけた。 意外と空いているような・・・。 【LIVE】渋谷スクランブル交差点 Shibuya Scramble Crossing Live Camera https://www.youtube.com/watch?v=3kPH7kTphnE それはさておき、皆さまもどうか素敵なクリスマスをお過ごしください。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からないという話
エディターズノート 22.11.20

解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からないという話

最近、TwitterやAmazonの社員に対して人員削減の報道を目にした人も多いだろう。 Twitterにいたっては、新たに同社のオーナーとなったイーロン・マスク氏が社員に向けて「激務か退職か」の選択を迫るメールを送信したとして話題となった。 額面通りに受け取れば、会社に残れば激務が待っているし、退職をすれば(3ヶ月分の給与を受け取れるとはいえ無職だ。 企業のトップとしてはしごく真っ当な判断なんだろう・・・ということは、頭では理解できる。 しかし、これぞまさに現代における踏み絵に思えてならないのだ。 解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からない。 解雇された本人はもちろんのこと、その家族も路頭に迷うことになりかねない。 恥を忍んで告白すると、何を隠そう、私自身、リストラされた経験がある。 だから「身に染みて分かる」のだ。この辛さや絶望が。 それは忘れもしないリーマンショックが日本経済を直撃し、その余波が色濃く残る2009年の春だった。 当時、勤めていた会社にいつものように出社した。 その日は4月下旬に差し掛かった、ゴールデンウィークも間近の金曜日だった。 社内でとくに親しく、そしていまでも付き合いのある上司が昼食に誘ってくれた。 これまで何度も一緒にランチに出掛けたし、それは日常の一コマにすぎないと思っていた。 少なくともこのときまでは・・・。 上司オススメの日替わりランチを食べ終えたころ、不意に「このあと、おそらくリストラされるから」といわれた。 この日の朝、社長を含めた上長会議の際に伝えられたのだという。 いきなりではしんどいだろうから、いまのうちに心の準備だけはしておいてねという、上司なりの配慮だったんだと思う(実際、心の準備ができて良かった)。 事実、前日の木曜日にも解雇予告をされ、この会社を去って行った同僚が数人いた。 それから一日経ち、まさか自分もターゲットになろうとは・・・。 この日も自分を含め、中途採用組の何人かがリストラされるという。 そしてランチから自席に戻り、ほどなくして社長室に呼ばれた。 案の定、解雇予告の通知が差し出され、いますぐサインしろというのだ。 いまとなれば、(ストレートにいうと)刺し違えるだけの度胸も、徹底抗戦する悪知恵も働くのだが、覚悟していたとはいえ、やはり動揺した。 まぁ、もともとこの会社には長くいるつもりはなかったし、遅かれ早かれかなと思い、あっさりとサインをした。 いきなり退職が決まったこともあり、また新規プロジェクトだったため、会社も後任あてがう時間がなかったのだろう。 大した仕事の引き継ぎもできないまま、デスクまわりの片付けをはじめた。 すると件の上司が話し掛けてきて、階段の踊り場で少し雑談をした。 上司のいうとおりにリストラされたこと、新規プロジェクトはいったん凍結されたことを知った。 退職しても付き合いが続くことを約束し、ふたたび自席に戻った(この上司とはいまでも付き合いがあり、数年前にNDロードスターを手に入れたのも完全に自分のせいだといわれた)。 そして定時になり、もうここへも来ることもないだろうし、「短い間でしたがお世話になりました」と挨拶するまでもなく(そこまでお人好しになる必要はもはやないだろうということで)、静かに退社した。 なにしろいきなりのリストラだったこともあり、無理やり押し込められた荷物で、通勤用の鞄はまるで腹を膨らませたフグのようにパンパンに膨らんでいた。 会社都合で退職したのですぐに失業手当が出るとはいえ、30才をすぎていきなりの無職。 しかも、奇しくもこの日は他界した母親の誕生日だった。 そんなわけで、母親の誕生日=リストラ記念日(?)となってしまったのだ。 あー、また転職活動しなきゃだなぁ(このときはまだ独立しようなんて考えはまったくなかった)、リーマンショックで仕事が見つかるかなぁ。 世間は花金で、さらにゴールデンウィーク間近で浮き足立っているなか、不安と絶望に苛まれつつ、電車に揺られて帰宅した。 この年のゴールデンウィークをどう過ごしたのかはまったく覚えていない。 ひとつ、強烈な印象として残っているのは、失業手当を申請するべく、ハローワークに向かったときのことだ。 自分のように失業者が殺到するかもしれない・・・。 そう考えて、早めに自宅を出た。 そしてハローワークに到着すると、失業手当申請待ちの行列ができていた。 すでに15人くらいは並んでいたように思う。 自分が列に並んだあとも続々と失業者が集まりはじめ、最終的には50人を超えたんじゃないかと思う。 無事、失業手当の申請は受理されたのだが、手続きを終えてふとあたりを見回してみると、自分を含めたその場にいる誰もが俯き、そして苛立っていた。 好んでこの場にいる人は誰ひとりとしていない。 誰もが早くこの場から立ち去りたいと思っていることは明白だった。 後にも先にもこれほど負のオーラが蔓延した場に遭遇したことはない。 自分も、早くこの場から逃げだしたかった。 と同時に、このときの光景を目に焼き付けておこうと努めた。 この先、どれほど仕事で嫌なことがあっても、これほどしんどい経験はそうはないだろうと感じたからだ。 リストラされてからわずか半月後、父が病で体調を崩し、入院することとなった。 結果論ではあるが、失業中ということもあって、頻繁に見舞うことができた。 就職活動も並行して行っていたが、思うような結果が出ず、悶々とする日々を過ごしたことを覚えている。 しかし、同じ年の秋に、父が退院して自宅に戻ることはぼほ不可能だと担当医師から告げられた。 その宣告を受けているとき、たまたま電話してきたのが、かつてお世話になった会社の社長だった。 久しぶりの会話だったが、こちらの事情を伝えるとかなり驚いていた。 「とにかく1度会おう」。 こうして久しぶりに社長と再会することとなった。 リストラされ、失業中であることを伝えると、別会社を立ち上げたからそっちを手伝ってくれないかという。 こうしてあれよあれよという間に仕事が決まり、そして父は天国へと旅立っていった。 奇しくも、明日が父の命日だ。 ここから数年間、ラジオ番組制作という、未知の世界に足を踏み入れることとなる。 そして、この数年後に別会社を閉じることになり、勢いだけで独立することになるのだから、人生何が起こるか分からない。 今年の秋、フリーランスから法人成りし、一企業の代表となった(一人親方だけど)。 日本の制度では社員のクビを簡単に切れないことになっているが、仮に切れるようになったとしても、従業員をリストラできるだけの冷酷さが自分にはないような気がする。 繰り返そう。 解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からない・・・。 [余談] 後で知ったのだが、自分がリストラされ、ハローワークで絶望の淵をさまよっていたそのとき、通りを隔てたわずか数百メートル先の建物で妻は仕事をしていたのだという(ハローワークとはまったく別の仕事だ)。 知り合う10年近く前のことだから、お互いの存在など知るよしもない頃だ。 美空ひばりの愛燦燦の歌詞を引用するならば、人生って不思議なものですね。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]        

夜型になったのは「テレホーダイ」のせいかもしれないという話
エディターズノート 22.11.17

夜型になったのは「テレホーダイ」のせいかもしれないという話

もはや公私ともにインターネットがないと生活できないようになって早20年以上が経った。 たしか1995年頃、当時よく聴いていたラジオ番組で、パーソナリティがしばしば「インターネット」という聞き慣れないキーワードを発していた。 憶えている限りでは、これがインターネットとの出逢いだったように思う。 このときは「何のことやらサッパリ」だった。 それからしばらくして、はじめてインターネットに触れたのは1996年頃だったと思う。 小学生の頃から付き合いのある親友が自力で自宅にインターネット回線を引くというので、配線工事を手伝った。 屋根裏に潜って配線を引き、無事、インターネットが繋がった。 いまやすっかり懐かしいモデムによるダイヤルアップ。 「ピー、プププププププププププププププ」の呼び出し音とともに、ブラウザ上にホームページが表示された。 確かブラウザはいまでは完全に死語となった「Netscape Navigator(略して「ネスケ」)」だった。懐かしい! モニターの画面に映し出されたれたページはYahoo!JAPANだったと思う。 こちらがぽかんとしているうちに文字ばかりのページが表示された。 ここで調べたいキーワードを入力して検索すると、探している情報を調べて表示してくれるのだという。 インターネットのことはよく分からないけれど、調べ物をするには便利だとその親友から教わった。 親友は慣れた手つきでキーボードをたたき、何だか忘れたがクルマのページを検索していた。 ずっと接続していると通話料がかかるとかで、探していた情報を確認すると、すぐにブラウザを閉じた。 おそらくは初の定額プランであろう「テレホーダイ」というサービスを知るのはここから1年以上あとの話だ。 翌年・・・だから1997年だったと思う。 社会人になって、勤め先にもインターネットに接続できるパソコンが1台だけ置かれていた。 いまでもハッキリと憶えているのは、モノは試しと、はじめて検索したのはJ-WAVE(FM局だ)のホームページに番組で流れたオンエアリストを羅列したページを見るためだった。 それまでは、探している曲を調べる方法は皆無に近く、テレビやラジオなどで偶然流れた時間帯を記憶し、局に電話で問い合わせて教えてもらうという、超アナログなやり方だった。 こうして手間ひまを掛けて、ようやくお目当ての曲が収録されたCDを手に入れることができた時代だった。 それがJ-WAVEのホームページには曲名やアーティスト名が表示されており、そのメモを元にCDショップで探すか、分からなければ店員さんに声を掛ければ、喜んで探してくれた。 あまりのお手軽さに感激した記憶がある。 その一方で、1990年代半ばといえば、一時期、各FM局がFM文字多重放送を実施していた。 オンエア中に流れる曲名とアーティスト名が分かるサービスが行われていた。 これぞ求めていた機能に思えた。 しかし、FM文字多重放送に対応した専用ラジオ端末を購入しなければならず、それが1万円を優に超す金額だったので断念したのだった。 FM文字多重放送とは比較にならないくらいインターネットは便利そうだ。 自宅にも回線を引こう。 こうして自宅にインターネットが導入されたのはたしか1997年末頃だったと思う。 当時、PCはデスクトップが主流で、モニターも分厚いブラウン管しかなかった。 液晶モニターもちらほらではじめてはいたが、まだまだ高価だったし、ブラウン管に比べると発色も今ひとつだった。 新品のPCは高くて買えないので、秋葉原のPC専門店で売られていたアウトレット品を購入した。 どのPCを買えばよいか分からなかったので、先述の親友に見立ててもらった。 彼が選んだPCは、当時としては珍しい、CD-Rドライブ付きの富士通FM-Vだった。 何だかんだで20万円を優に超えていた気がする。 痛い出費となったが、インターネットだけでなく、これからはついに自分好みのCDを作ることができると狂喜乱舞したのを憶えている。 その後、専門の業者が自宅に来て配線工事を行い、ついにインターネットが使えるようになった。 またもや親友のアドバイスにより、当時としては主流だったモデムによるダイヤルアップを使わず、奮発してISDN回線を導入した記憶がある。 当時を知る人であれば憶えていると思うが、当時はいまのように常時接続はあたりまえではなかった。 もちろん無線LANなんてありえない。 PCに有線ケーブルを接続しないとインターネットが観られなかった。 さらに、利用料金を気にせずインターネットを使うには、23時から「テレホーダイ(23時〜翌日8時まで)」まで待たなければならなかった。 それまで時間帯は、使用時間に応じて料金が加算される仕組み(通常の電話と同じ)だったからだ。 自宅にインターネットが導入されてからというもの、23時までに用事を済ませてPCの前に陣取るようになった。 おそらく、他の人たちもそうだったのだろう。 日本中のユーザーが23時になった瞬間に同時接続をするものだから、とにかく回線が遅い。 1997年当時のインターネット人口普及率はわずか9.2%だったというが、それでも回線の奪い合いだったことは確かだ。 まともに使えるようになるころには深夜1時を過ぎ・・・なんてことが日常茶飯事だった。 オンライン飲み会とか、YouTubeの動画をガンガン流したり、1GBものファイルを何の躊躇もなくアップロードできるなんて、夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢くらい別次元のことだった。 そんなわけで、当時のネットサーファー(死語)だった人たちは、必然的に夜型にならざるを得なかったように思う。 もちろん、自分も例外ではない。 それから数年経ち、ようやく常時接続が可能となった。 最初のうちは真っ昼間にインターネットを使っても料金が加算されないことに違和感があったのだが、そんなことはすぐに忘れた。 今や、自宅のインターネット環境はWi-Fi接続があたりまえとなり、YouTubeでISSのライブ配信の動画を作業用BGM代わりに流しっぱなしにして作業している。 ●Earth Views: Earth From Space Seen From The ISShttps://www.youtube.com/watch?v=Y1qQZbTF8iQ いつも利用しているファイルのストレージサービスも300GBまでokとのことだ。 ・・・もしかしたら、いま「テレホーダイ」の時代に戻ったらまともに仕事ができないかもしれない。 余談:調べてみたら、テレホーダイのサービスはいまも存在していた。2024年1月にサービスの提供を終了とのことだ。https://web116.jp/shop/waribiki/th/th_00.html [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

取材時や原稿を書く際に気をつけている話[その2]
エディターズノート 22.11.15

取材時や原稿を書く際に気をつけている話[その2]

思うところがあったので前回のつづきを。 取材時や原稿を書く際に気をつけていることといえば・・・そう「コメント対策」だ。 メディアのFacebookページやヤ○コメなど、想定外な書き込みは日常茶飯事。 こればっかりはメディアの記事として世に配信する以上、洗礼というか、避けてとおれない道だと思う。 コラム記事ならフルボッコにされるのは自分だけで済むことが多いのでまだいいのだが、これがオーナーインタビューやイベント、ショップなどの取材記事だと本当に気を遣う。 取材を受けてようやく記事となり、世に出たことが逆効果になってしまってはあまりにも申し訳ないからだ。 ある日気づいたのだが、好意的なコメントが多いときはネガティブなものは書き込まれにくい。 不思議なもので、仮に書き込まれたとしても見知らぬ誰かがフォローしてくれたり・・・と、大事にならず沈静化する。 やっかいなのはネガティブコメントが蔓延したときだ。 これまた不思議なもので、後から後からネガティブなコメントが書き込まれていく。 好意的なコメントはかき消され、罵詈雑言の嵐と化す。 まさに負の連鎖だ。 これを世の中では「炎上」というのかもしれない。 こうなると、経験上はスルーに徹し、沈静化するのを待つのが得策だと思う。 仮に執筆者が出て行って申し開きをしたとしても、対応を誤ると火に油を注ぎかねない。 この記事はコメント欄が荒れるだろうなということは、記事のタイトルなどで概ね察しがつく(当然ながら、自分の意に反して依頼された原稿を書かなければならないこともあるわけで)。 最近公開されたある記事も、オーナーがやむを得ない事情で愛車を手放さなければならないというケースを取材した内容だった。 「結局、そこまで愛情がなかったんでしょ」といった類いのコメントが書き込まれることを予想して、文中に迎撃態勢をとっておいた。 それでもというか、やはりというか、予想していたネガティブコメントが書き込まれた。 この種の書き込みをする人は「オーナーがこのコメントを読むかもしれない」ということが慮れないのだろうか・・・。 なかには「よく読めば分かるだろうよ・・・」とツッコミたくなるようなコメントも少なくないのだが、もちろん静観する。 ライターによって考え方はさまざまだろうが、個人的には自分が書いた記事のコメントは読まない方が精神衛生上は健全でいられるような気がしている。 たしかに、コメントを読むことで思わぬ発見や気づきがあることも事実だが、それ以上の返り血を浴びることもしばしばだ。 ヤ○コメなんてこの世から消えてしまえ!といいたいところだけど、これがガス抜きになっている人もいるだろうし・・・。 なくてはならない、文字どおりの必要悪(あ、いっちゃった)なのかもしれない。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]      

取材時や原稿を書く際に気をつけている話[その1]
エディターズノート 22.11.06

取材時や原稿を書く際に気をつけている話[その1]

多少前後するが、月に20本前後の原稿を書いている。 多いのか少ないのかは正直いって分からない。 メディアに載せるための原稿なので、いろいろと気をつけなければならないことが多い。 自身のブログ(やってないけど)やnoteなどに公開するのとはワケが違う。 このご時世、ちょっと油断すると「車検非対応のクルマの記事をメーカーが載せるんですね」というコメントやダイレクトメッセージが届きかねない。 ホンの些細なところを突いてくる人がゴマンといるからだ。 例えば、メーカー系の案件であれば取材対象車が「車検対応であるかどうか」が非常に重要視される。 実は取材当日になって「ここ、アウト(車検非対応)じゃん」なんてことはしょっちゅうではないけれど、それなりの頻度で起こっていることも事実だ。 ステアリングにホーンボタンがないとか、MT車であればシフトパターン示す情報が見当たらないとか・・・。 実は挙げたらキリがない。 もちろん、その状態では車検には通らないことは事実だが、オーナーもそこまでは知らないということも少なくないのだ。 ・・・車検非対応となると、掲載不可なのでその場でお帰りいただく・・・なんてことはありえないので、こちらでどうにか知恵を絞ってリカバリーするしかない。 苦労した甲斐あって、このあたりの経験値はこの5,6年でかなり鍛えられたと思う。 これもノウハウのひとつ・・・なのかもしれない。 そして、原稿を書く際にも気をつけることがいろいろとある。 そのポイントは誰も教えてくれないし、自分で勘所を押さえるしかない。 ひとつ、例を挙げると、タイトルに「女性オーナーであること」を強調しないようにしている。 事実「女性オーナー」の文言が入るだけで、より多くのPVが獲得できる。 20代前半の女性オーナーなんて入れたら(PV獲得には)さらに効果的だ。 「ジェンダーフリー」というキーワードを目にしてからずいぶんと時間が経ったように思うが、たとえば「女性がMT車のスポーツカーに乗る」ことを強調するのは現代の風潮にはあわないかな・・・という気がしているだからだ。 車検対応、ジェンダーフリー、ちょっとした言い回し・・・などなど。 1つの記事の裏にはさまざまな配慮や自主規制など、読者の方のほとんどが気がつかない、目に見えない微調整が密かに行われている。 そういった視点で公開されている記事を読んでみると新たな発見があるかもしれない。 [ライター・撮影/松村透]  

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