旧車の魅力

唯我独尊!日本の技術者集団「マツダ」が作り出したコスモの歴史を振り返る
旧車の魅力 2023.11.14

唯我独尊!日本の技術者集団「マツダ」が作り出したコスモの歴史を振り返る

RX-7をはじめとするRXシリーズが有名ですが、はじめてロータリーエンジンを採用した車は1967年発売のコスモスポーツです。マツダコスモは時代の流れとともにエンジンやデザインを変え、各モデルともに魅力的な車となっています。そんなマツダコスモの歴史を振り返りましょう。 初代マツダ コスモスポーツ(1967年~1972年) レシプロエンジンは、ピストンの上下運動をクランクシャフトにより回転運動に替えています。それに対し、ロータリーエンジンはハウジングの中でおむすび型ローターを回転させ、すべてを回転運動で完結させるというのが大きな特徴です。。ロータリーエンジンは理想のエンジンと呼ばれながらも、技術的課題が多く、長らく「エンジニアの夢」と言われたエンジンでした。 1951年、ドイツのフェリックスヴァンケル博士(Felix Wankel:1902−1988)がロータリーエンジンの原理を確立したものの、量産化には多くの課題が存在しました。そのため、ロールスロイスや日産を始め、世界中のメーカーが開発に着手したものの量産化には至りませんでした。 そんな中、1964年の東京モーターショーでロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツコンセプトが鮮烈なデビューを飾ります。 名前の由来はイタリア語で宇宙を意味するCosmo(コスモ)。「宇宙時代にふさわしいエンジンを」という願いが込められていました。 1967年5月30日、モーターショーでのデビューから3年、マツダはついにコスモスポーツの販売を開始。搭載された12A型ロータリーエンジンは、総排気量491cc×2、最高出力110PS、最高速度185km/h、0-400m加速16.3秒というスペックを持ち、当時のスポーツカーとしては十分な性能を持っています。 さらに、上下に分割されたテールランプやボディ全体の厚みを抑えたデザインは、航空機や宇宙船を彷彿とさせ「走るというより、飛ぶ感じ」という言葉を具現化した車でした。 2代目マツダ コスモ(1975年~1981年) コスモスポーツの生産終了から3年後、1975年に発売された車がコスモAPです。マツダのフラッグシップとして高級路線にシフトされました。欧米市場を意識した2代目コスモは、順調に販売台数を伸ばし、発売から1年半で10万台を達成します。1977年にはバリエーション違いのコスモLを追加し、これも同じく市場から高い評価を得ます。6年にわたり販売された2代目コスモは、コスモ史上最も売れたコスモとなりました。 コスモAP 1973年に発生したオイルショックの影響で燃費の悪いロータリーエンジンは嫌煙され、販売台数は悪化してしまいます。そんな中、1975年に他社に先駆け昭和51年排ガス規制をクリアし発売されたのがコスモAPです。 APは「反汚染」を意味するアンチポリューション(Anti Pollution)の略で、搭載された13B型 654cc×2ローターのロータリーエンジンは、51年排出ガス規制をクリアしながら最高出力は135ps/6000rpmを達成。コスモAPのイメージアップに一役買うことになります。 デザイン面ではアメリカを意識したスペシャリティカーへ進化を遂げ、メッキ仕上げの大型フロントグリルを持つファストバックスタイルとなります。特徴的なBピラーにはピラーにウィンドウを配置し、手動式レギュレーターで全開が可能でした。 コスモL コスモLは1977年7月に追加された2代目コスモの高級仕様です。単に部品を変えただけの仕様違いではなく、ノッチバックスタイルを持つこだわりの一台となっています。コスモLの「L」は、ランドートップ(上級馬車)の頭文字から取ったもので、ルーフ後端は高級感のある革調の素材を採用。2ドアクーペでありながら、高級リムジンのような雰囲気を醸し出しています。 後部座席はゆったりとしており、5人乗車が可能。見るからに小さい後部座席の窓は、すべての景色が見えなくとも、ラグジュアリーな時間を車内で過ごしてほしいという意図により採用されました。上質でありながらどこかかわいらしさも感じる内装は、旧車ファンの心を掴んで離しません。 初代コスモスポーツから受け継ぐ走行性能を持ち、環境性能も満足させながら、独特の世界観を持つ2代目コスモは、マツダの名作と言って間違いないでしょう。 3代目マツダ コスモ(1981年~1990年) 1981年9月、マツダは車名をシンプルなもの変更した3代目コスモを発売します。同時期にフルモデルチェンジを受けたルーチェの姉妹車となり、ボディバリエーションも複数用意されました。2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、なんとピラー付き4ドアセダンまでラインナップを広げています。(コスモの社名を有する4ドアボディはこのモデルが最初で最後)多様化する需要に応えるように選択肢を広げた3代目コスモは、マツダの意欲作でしたが、その期待とは裏腹に販売台数は伸び悩みます。 エンジンはロータリー・レシプロ・ディーゼルの3本立てとなっており、ロータリーエンジンを持つマツダならではのユニークなバリエーションです。デザイン面でもコスモらしい個性的なもので、直線基調のインテリア、カセットテープを正面から見せるオーディオなど、当時のファンを驚かせます。エクステリアでは先代のAPと同様にBピラーに小さな窓を備え、ウエストラインを下げてグラスエリアが拡大されました。さらに、角4灯のリトラクタブルヘッドライトという個性的なものとなっています。 しかしながら、発売当初搭載されたロータリーエンジンは、先代の13B型ではなく排気量の小さい12A型を採用しています。数値的には130ps/7000rpmと先代と同等でしたが、頼りないフィーリングはコスモファンを満足させることは出来ませんでした。 そこで、同年10月には初のロータリーターボを採用。160ps/6500rpmの最高出力と23.0kgm/4000rpmで当時最高速213.33kmに達しています。そして、1983年10月のマイナーチェンジでは、固定式ヘッドライトに変更された4ドアハードトップにインジェクション化された13B型(最高出力160㎰)を搭載したグレードが設定されました。 人気は2代目には及ばないものの、当時最高レベルの走行性能を持つ3代目コスモも魅力的な一台です。  4代目ユーノス コスモ(1990年~1996年) 1990年4月発売、4代目コスモはユーノスコスモとして登場。先代とは対照的にボディバリエーションは2ドアクーペのみで、ロータリーエンジンに一本化されました。 ラグジュアリーさを漂わせるそのフォルムに搭載されるエンジンは、20B-REW型の3ローターターボエンジンです。V12に匹敵するなめらかさを持ち、当時300ps以上と言われた出力は自主規制により280psにデチューンされています。 内装に目を向けるとオーストリア製の本革シートやイタリア製の天然目パネルに加え、世界初のGPSカーナビが搭載されています。至れり尽くせりの至高の高級車となっていましたが、販売台数は思うように伸びませんでした。 その理由は533万円からという高額なプライスと、街乗りでは3km/Lにもなると言われた極悪な燃費にほかなりません。バブル時代の当時でもライバルとなるR32スカイラインGT-Rが445〜529万円となっており、それほど理解を得られなかったのです。 ユーノスコスモ誕生から6年、マツダはユーノスコスモの販売を終了し、長いコスモの歴史に終止符を打つことなります。 モータリゼーションの長い歴史の中でも3ローターターボを採用した車は後にも先にもこのユーノスコスモだけであり、今後このような車が世に出ることは難しいでしょう。そのため、旧車界でもユーノスコスモは多くのファンを獲得しています。 まとめ マツダのコスモシリーズは、市販化が難しいとされたロータリーエンジンをはじめ、ユニークで洗練されたデザインなど、自動車好きの記憶に色濃く残る存在感を放ってきました。 一方、ロータリーエンジンの宿命とも言える燃費の悪さや、先を行き過ぎたデザインなど、失敗作と酷評されることも少なくありません。 しかし、明と暗がクッキリしたコントラストのある歴史こそが、難しい課題も豊富なアイデアで解決する技術者集団「マツダ」のイメージリーダーである証拠なのです。

レガシィS401 STiバージョンは不人気車?! 当時売れなかったことでより希少性の高まった名車
旧車の魅力 2023.11.13

レガシィS401 STiバージョンは不人気車?! 当時売れなかったことでより希少性の高まった名車

専用パーツによるチューニングで高い走行性能を発揮する、レガシィS401 STiバージョン。スポーツセダンの代表車種ともいわれるレガシィB4を、スバルのスポーツ部門STi(現在は大文字のIを使用した「STI」だが、文中は小文字の「STi」を使用)がコンプリートカーとして製作したモデルです。 バランス取りまで施されたこだわりのエンジンを搭載するレガシィS401 STiバージョンについて、開発背景と魅力をたっぷりと紹介します。 <h2>人気のSTiモデルなのに売れなかったレガシィ   初代レガシィB4(レガシィとしては3代目)をベースに開発された、レガシィS401 STiバージョン。スバルファンに人気のSTi仕様車にも関わらず、登場した当時の販売台数は限定販売数にさえ届きませんでした。 しかし、ベースのレガシィB4、レガシィS401 STiバージョンともにスバルとSTiがブランドの転換を図った重要なモデルです。まずは、レガシィB4とSTiについて詳しく説明します。 スポーツセダンとしての地位を確立したレガシィB4 1989年から販売されていたレガシィは、1998年の3代目へのモデルチェンジで「B4」という新たなブランドを打ち出します。ステーションワゴンとセダンという2種のボディタイプのうち、セダンをレガシィB4と改めました。 初代レガシィB4は、RSとRSKというスポーツグレードのみを展開します。車としての性格を明確にしたことが、スポーツセダンとしての地位の確立につながりました。 スバルのスポーツブランドSTi STiは「SUBARU TECNICA INTERNATIONAL」の略で、スバルのモータースポーツ参戦母体です。また、同社のスポーツモデルブランドとして、レース経験で培ったノウハウを市販車にフィードバック。「STi」の名を冠した、数々のモデルが市場に投入されています。 なかでも、コンプリートカーと呼ばれるモデルはSTiの技術が存分に詰め込まれていて、メーカー公認のチューニングカーともいえる特別な存在です。レガシィS401 STiバージョンは、レガシィB4をベースにしたコンプリートカーとしてモデル末期の2002年に登場しました。 STiによるコンプリートカーは以前からありましたが、レガシィS401 STiバージョンは従来の戦闘力重視からプレミアム路線への転換を目指したモデルです。レガシィB4という新たなブランド戦略をとるスバル本体と、STiの新たな方向性の打ち出しは奇しくも同じタイミングでした。 限定販売だったのに伸びなかった販売台数 現在のSTiモデルはプレミアムカーとして定着していますが、当初は性能重視のブランディングでした。レガシィS401 STiバージョンからプレミアム路線に切り替えたことが、価格面も含めて当時のスバルファンにはあまり受け入れられなかったのかもしれません。同年に発売されたインプレッサのコンプリートカーS202がベース車輌から約65万円アップだったのに対して、レガシィS401 STiバージョンは約170万円も高い435万円という価格設定でした。 STiの名に相応しい名車レガシィS401 STiバージョン プレミアム路線に切り替えたといっても、レガシィS401 STiバージョンは「STi」の名に相応しい高い戦闘力を備えていました。 専用チューニングされたエンジンは手作業で組み立て レガシィS401 STiバージョンのエンジンは、専用ECUによる制御や吸排気系の変更で最高出力が293psまで高められています。エンジンの最大の特徴は、レーシングカーのように手組みされている点です。 ピストン、コンロッド、クランクシャフトの重量を1つずつ計測して、誤差がほぼゼロになるようバランスをとって組み上げられています。エンジンのバランス取りは極限の性能を求めるレーシングカーのチューニング手法で、量産型の車では限られた車種でしか採用されていません。 妥協のない足回りの作り込み かつてはWRCでも活躍したレガシィのコンプリートカーだけに、STiは走行性能にもこだわって開発されたようです。ベース車輌のレガシィB4 RSK自体もスポーティモデルとして高性能な足回りを備えていましたが、リアサスペンションのピロボールリンク化やバネ長の変更を加えてさらなる走行性能の向上が図られました。ほかにも、スタビライザーにも専用品を使用するなど、細部にわたって徹底したチューニングが施されています。 STiの性能へのこだわりといえば、専用に用意されたブレーキが象徴的です。ブレーキの高性能化に伴ってベース車輌から流用できなくなったリアブレーキのバックプレートを、なんと1,000万円もかけて金型から製作しました。ブレーキ自体は、ブレンボ製の17インチローターに4ポッドキャリパー(フロント)を備え、ステンメッシュホースを採用しています。 プレミアム感あふれる内外装デザイン プレミアム路線への切り替えを感じさせるのが、インテリアとエクステリアデザインです。エクステリアでは、フロントバンパーやボンネットのエアインテークが性能向上を目的に大型化された一方、カスタムカーにありがちな派手なエアロなどの装備はありません。プレミアムカーとして、大人が乗るのに相応しい外観をSTiが目指した結果といえるでしょう。 インテリアでは、つや消しのトリムが全体の雰囲気をシックにまとめています。また、バケットシートには、運転席のみ8wayの電動調節機構を装備。スポーツ走行時の性能面だけでなく、快適性にも配慮して作られていることがわかります。 販売台数の少なさが希少性をより高めた レガシィS401 STiバージョンは、数多くの専用パーツや手組みのエンジンなどSTiらしいこだわりの仕様でしたが販売台数は伸びなかったようです。正確な販売台数は不明なものの、400台の限定に対して300台弱といわれています。 プレミアム路線への切り替えが、価格面も含めて当時のスバルファンには受け入れられなかったかもしれません。また、販売当時はリセール市場もあまり成熟しておらず、ベースのレガシィB4 RSKから約170万円も高い435万円という販売価格も少なからず影響していたと考えられます。 しかし、販売台数が伸び悩んだことが、結果的にレガシィS401 STiバージョンの希少性を高める要因になりました。大手中古車サイトでも掲載台数はほんのわずかで、入手が困難な状況が続いています。 流通台数の少ない車種を売却する際は、注意深く依頼先を決めましょう。あまり流通していない車種だと販売見込みを立てるのが難しいため、一般的な中古車買取業者では買取してもらえないケースもあります。 しかし、旧車を専門的に買取っている旧車王では、レガシィS401 STiバージョンのような希少車も買取可能です。

ナンパなSUVに物申す!三菱 パジェロの偉業を振り返る
旧車の魅力 2023.11.13

ナンパなSUVに物申す!三菱 パジェロの偉業を振り返る

ラダーフレーム構造にこだわり、硬派な本格クロカンとしての地位を築き上げたパジェロ。モデルチェンジを繰り返しても、最初の開発ポリシーは最終モデルまで受け継がれました。トヨタ ランドクルーザーと双璧をなす日本が誇るオフローダー、三菱 パジェロのこだわりと魅力に迫ります。 トラックベースの硬派仕様【初代:1982年~1991年】 マイナーチェンジを含めて9年もの長きにわたり、さまざまなモデルやエンジンを投入した初代パジェロ。三菱が世界に誇る看板車種となったパジェロですが、実は発売当初はあまり話題になりませんでした。しかし、本格クロカン車としてこだわって開発したことで市場のパイオニアともいえる名車となっていくのです。 あまり注目されなかった初代パジェロ誕生 初代パジェロが登場したのは1982年です。ノックダウン方式で生産していたジープに代わるモデルとして開発されました。後に本格クロカン車として三菱を代表する車種となったパジェロですが、当時は主力車種という位置付けではなかったため限られた予算で開発されます。 発売当初の販売台数は月間数百台程度だったという情報もあり、あまり注目されたクルマではありませんでした。 本格クロカンとして高い性能を誇ったパジェロ 初代登場時、パジェロは主力車種ではなかったものの、フレームやエンジンなど、三菱の開発陣はしっかりと作り込んでいました。結果的にクルマとしてのポテンシャルの高さがその後のパジェロ人気につながります。 まず、車体にはトラックでも使用されるラダーフレームを採用しました。ラダーフレームは構造がシンプルで信頼性が高く、堅牢なプラットフォームです。さらに、駆動方式をFRベースのパートタイム4WDとしたことで高い悪路走破性を実現します。 エンジンは4WD車として国産初となるディーゼルターボエンジンを搭載。発売翌年には145psを誇るG63B型2.0L 直列4気筒ガソリンターボエンジンも追加され、「国産クロカン4WD最速」とも称されました。 パジェロ旋風を巻き起こしたパリダカ パジェロが転機を迎えたのは、発売から5年後の1987年です。もっとも過酷なラリーとして知られるパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)で、プロトタイプのパジェロを駆る篠塚建次郎氏が3位という成績を残します。その模様は連日NHKで中継されていたこともあり、瞬く間にパジェロ旋風が巻き起こりました。 また、バブル景気によるアウトドアレジャーブームの後押しもあり、最盛期には年間8万台以上の注文を記録しました。ここから、パジェロは本格クロカンとしての地位を確立していきます。 RVブームを巻き起こした歴史的モデル【2代目:1991年~1999年】 初代で確立した国産クロカン車としての地位をより強固なものにしたのが、2代目パジェロです。世界初の画期的な4WD機構やハイパフォーマンスエンジンを投入して基本性能を向上させたことで、RVブームの火付け役になるとともにブームを牽引する存在となりました。 初代の成功を背景にフルモデルチェンジ 2代目パジェロの登場は1991年です。バブル景気まっただなかでの登場でした。初代で評価の高かった本格クロカンとしての性能と乗用車としての乗り味を両立させた三菱開発陣の強いこだわりが詰め込まれたモデルです。 より多くのユーザーに、本格クロカンを届けたいという三菱の狙いは見事に的中しました。高まりつつあったRV車への人気に火をつけ、RVブームを巻き起こすきっかけとなる車種になりました。 また、より多くのユーザー取り込みを狙って、軽自動車規格のパジェロミニと1.1Lモデルのパジェロジュニアが投入されたのも2代目パジェロです。どちらも小型ながら本格的なつくりで高い人気を集めました。 世界初搭載のスーパーセレクト4WD 2代目パジェロに搭載された4WDは、世界初搭載となる「スーパーセレクト4WD」です。スーパーセレクト4WDは、フルタイム4WDとパートタイム4WDの長所を兼ね備えた仕組みで、時速100km/h以内なら2WDと4WDの切り替えをセレクトレバーで簡単に行えるという画期的な機構でした。 ハイパフォーマンスエンジン 2代目パジェロには、初代から出力を155psまで引き上げた6G72型 2,972 cc V型6気筒SOHC12バルブエンジンを投入しました。この6G72型エンジンは改良を重ね、最終的には最高出力を185psまで引き上げられるとともに、4代目パジェロでも使用される長寿命エンジンとなります。 また、モデル末期となる1997年には、3.5Lの6G74型が追加されました。最高出力は245psを発生しつつ、V型6気筒エンジンとして世界初となるガソリン直噴(GDI)を採用することで、高出力と環境性能を両立しています。 さらに、同年にハイパフォーマンスエンジンを搭載したパジェロエボリューションがラリーのベース車両として投入されます。搭載された6G74型V型6気筒3.5Lエンジンは、新開発の可変バルブタイミング機構「MIVEC」を採用し、当時の自主規制上限である280psを発生させました。  クロカン系から高級路線に変貌【3代目:1999年-2006年】 本格的な悪路走破性能をもちつつ、普段使用を意識した変化を取り入れてきたパジェロ。3代目へと進化する過程で、より使いやすさと快適性追求し、ラグジュアリー志向のSUVへと大きな転換点を迎えることになります。 初代発売から17年目の大幅な路線変更 1999年に登場した3代目パジェロは、高級路線へと大きな方向転換を図ったモデルです。国内では1997年に登場した高級クロスオーバーSUVのハリアーが大ヒット。世界中の自動車メーカーが、乗用車としての乗り心地や高級感を重視したクロスオーバーモデルに舵を切り始めていました。その流れを受け、パジェロも高級路線になったものの、本格クロカンとしての性格は色濃く残すことで、他社のクロスオーバーSUVとは一線を画す存在でした。 フレーム構造をモノコックベースに変更 3代目パジェロは、乗り心地を重視しフレーム構造が大きく変更されました。ラダーフレーム構造から、モノコックフレームにラダーフレームを溶接したビルトイン構造を採用。高級路線で内装を豪華にしたことや安全性の強化などの重量増の要因があるにもかかわらず、軽量なモノコックフレームとすることで、約100kgの軽量化を実現しました。 一方で、ビルトイン構造のためラダーフレームの堅牢さも確保されており、本格クロカンという矜持は維持しています。 より安定性と操作性の向上が図られたパワートレイン 3代目パジェロには、2代目パジェロの末期に追加された6G74 V型6気筒3.5Lエンジンが引き続き搭載されました。最高出力こそ220psとややおさえられているものの、制御の問題点を改善。高級車にふさわしく安定性が高められています。 また、2代目から搭載されたスーパーセレクト4WDも「スーパーセレクト4WDⅡ」に進化しました。センターデフをプラネタリーギアに変更し、前後トルク配分を33:67とリアよりとすることでオンロードでの操縦性向上が図られています。 改良を続けその魂を貫いた【4代目:2006年~2019年】 結果的にパジェロの最終モデルとなった4代目パジェロ。販売最終年には、特別仕様車「ファイナルエディション」を投入し、惜しまれつつその歴史に幕を閉じることとなります。  本格クロカンにこだわり続けた4代目 4代目パジェロは、3代目の高級路線を踏襲する形で開発されました。本格クロカンへのこだわりでもあった、ビルトイン構造のフレームやハイパフォーマンスエンジン、スーパーセレクト4WDⅡを軸にした駆動系にも改良が加えられています。 シャーシに関しては、ビルトイン構造を継承しつつ、高張力鋼板や構造用接着剤の使用によって、先代以上のボディ剛性を実現。高級車としながらも、最後までオフロードでの走破性にこだわりました。 販売最終年となる2019年には、「ファイナルエディション」として特別仕様車を投入しました。三菱がいかにパジェロを大切にしてきたかがうかがえます。 初代から一貫してこだわった高い基本性能 4代目パジェロには、252psを発生する6G75 V型6気筒3.8Lエンジンが搭載されました。さらに2010年には新環境基準をクリアしつつ、パジェロ史上最大トルクとなる45.0 kgf・mを発生する新型のクリーンディーゼルエンジンが投入されたことも注目したいポイントです。 走行性能についても、3代目から採用しているスーパーセレクト4WDⅡに加えてさらなる安定化を図る機能を装備しています。独立したブレーキ制御をおこなうアクティブスタビリティコントロール(ASC)とエンジン出力制御によるアクティブトラクションコントロール(ATC)を組み合わせたASTC(アクティブスタビリティ&トラクションコントロール)を全車に標準装備しました。滑りやすい路面や急ハンドルでも安定した走行を実現し、クロカン車としての機能が向上しています。 時代を作り時代に飲み込まれたパジェロ 4代目パジェロは、初代を超える13年という長期間販売されました。しかし、2019年の4代目生産終了とともに、パジェロは37年の歴史に幕をおろすことになります。 市場がクロスオーバーSUVへシフトしていったことで、本格クロカンにこだわり続けたパジェロの存在感は徐々に薄れていきました。RVブームのきっかけとなり市場を作り出したパジェロ。しかし、最後はその市場の動向やニーズの変化に飲み込まれるという皮肉な形で生産終了となりました。 まとめ クロスオーバーSUVの台頭という波に飲み込まれたパジェロですが、中古車市場では現在でも人気の高い車種の1つです。 大手中古車サイトでは、年式の古いものであれば60万円台から販売されていますが、4代目最終モデルの低走行車なら600万円程度と幅広い価格で販売されています。 対して旧車王での買取価格を見てみると、走行距離113,700kmの1999年式2代目パジェロGEバンが55万円。そして、2019年式、走行距離25,200kmのファイナルエディションで400万円の値が付けられています。(2022年8月原稿執筆時) 一部の国産スポーツカーのように、非現実的な価格で取引されているわけではありません。しかし、25年以上前の年式でも400万円を超えるような中古車も販売されており、パジェロも全体的には徐々に相場が上がりつつあると言えます。 電動化や自動運転など、悪路走行とは別の性能が重視されているいま、今後パジェロのような本格クロカンモデルが新たに登場する可能性はほぼありません。そのため、ハイパワーなエンジンと堅牢なシャシーを備えた硬派な存在のパジェロは、今後その相場が上昇する可能性も十分にあるのです。

詰め込まれた最新技術と豪華な内装がスゴイ!日産 430型セドリック
旧車の魅力 2023.10.31

詰め込まれた最新技術と豪華な内装がスゴイ!日産 430型セドリック

日産 430型セドリックは、センターピラーを持たない4ドアハードトップセダン。安全性と剛性の問題から今ではなくなってしまった4ドアハードトップですが、かつては高級セダンのあかしでした。直線的でスタイリッシュなボディには、当時の先進技術が詰め込み、その姿はまさに高度経済成長の集大成。先進的で豪華な見た目と装備を備えた、日産430型セドリックの魅力に迫ります。 時代の最先端だった430型セドリック 日産 430型セドリックは、40年以上販売が続いたセドリックの5代目として1979年に登場しました。高級セダンとして豪華な内装はもちろん、性能面でも先進の技術が詰め込まれた1台です。 とくに車の核となるエンジンやドライブトレインは、ハイブリッド車登場以前、現代車の基本形がすでに完成していました。 国産市販車初のターボ車はセドリックだった 430型セドリックは、高度経済成長を遂げた1970年代末の車だけあり、革新的な技術や装備が随所に盛り込まれています。 とくに革新的だったのが、国産市販車初となるターボエンジンL20ET。環境性能への要求が高まるなか、高性能と低燃費を実現する切り札として登場しました。その後多くの国産車にターボエンジンは搭載されますが、430型セドリックから国産ターボ車の歴史が始まったのです。また、国産乗用車初の6気筒ディーゼルエンジンであるLD28型もラインナップされていました。 次世代車の基本形となった430型セドリック 430型セドリックに投入された先進技術は、国産市販車初のターボエンジンだけではありません。世界初となる電子制御OD(オーバードライブ)付きフルロックアップ機構4速ATも投入されました。 フルロックアップ機構とは、MT車のように物理的にクラッチ板をつないでしまう仕組みのこと。多くのAT車で使用されていたトルクコンバーターは、液体によって動力を伝達するためどうしても回転ロスが出てしまい、パワーロスとともに燃費が悪化するという点が大きなデメリットでした。 しかし、フルロックアップ機構でクラッチを物理的につなぐことでデメリットを最小限に抑え、燃費性能を向上させました。電子制御フルロックアップ機構は、現在トルクコンバーターを採用するATでは多くの車に備えられている技術です。 そのほかにも、日産初のエンジン集中電子制御システム(ECCS)が採用されるなど、次世代の車を支えるさまざまな技術が430型セドリックで初めて投入されています。 贅を尽くした内装と装備 1970年代後半からバブルにつながる当時の車の特徴は、とにかく内装が豪華なこと。とくにセドリックは、高級セダンのトップに君臨していたトヨタ クラウンを意識して作られたため、贅沢な内装に可能な限りの装備が詰め込まれていました。 応接室のように仕上げられた内装 430型セドリックのインテリアは昭和の応接室がそのまま再現されたかのようなデザインです。インパネは全て深い色の木目調で、車内のいたる所に同様の木目調パネルが使用されています。シートやドアパネルなどは全てベロア調素材でまとめられていていました。 また、オーナーカーでありながら後席の居住性も追求して開発されています。ラジオチューナーやエアコンのコントローラーも木目調パネルに収められていて、天井には後席用の冷房の吹き出し口も完備。 そして、さらに秀逸なのが後席の乗客が足を伸ばせるシートアレンジです。助手席のシート背面部の一部をくり抜くように倒すことでオットマンのようになり、後席から助手席に足を伸ばすことができました。 あらゆる機能が詰め込まれていた 430型セドリックの運転席に座ると、無数のボタンやツマミに目がいきます。各種警告灯や照明を備えたオーバーヘッドコンソールとあわせて、まるで飛行機のコックピットかのような印象。可能な限りの技術を詰め込でいることも、当時の高級車にとって重要なステータスの1つだったのです。 中には、本当に意味があるのか分からない機能まで装備されていました。たとえば、テンキーを備えたドライブコンピューター。カーナビの元祖のような存在ではありますが、走行距離と時間(速度)の計算ができるだけという今となってはおもちゃのような装備です。 他にも、画面もないのにテレビチューナーだけはラジオとは別途備えられていて、専用のコントロールツマミまで用意されていました。 まとめ 1970年代末に新時代の到来を予感させた430型セドリック。販売台数ではライバル車トヨタ S110型クラウンには及びませんでしたが、先進性と独創性から今でも根強いファンがいます。 中古車価格は高いもので300万円を超えるものもある一方、買い取り価格は現在のところ100万円前後。ただし、状態が良ければ相場の倍額での買い取りとなるケースもあります。残存台数は年々減少しているため高騰する可能性もあり、今後の価格動向から目が離せません。 ※価格はいずれも2022年3月現在

ディフェンダー90の魅力はスペックじゃない?! ランドローバーのロマンあふれる希少車を徹底紹介
旧車の魅力 2023.10.25

ディフェンダー90の魅力はスペックじゃない?! ランドローバーのロマンあふれる希少車を徹底紹介

イギリスに本拠を置く、ランドローバー社のディフェンダー90。特に初代モデルはヘビーデューティーのクロスカントリー車として、現在も多くのファンを魅了し続けています。 現代のSUVのような高い利便性やスペックを持ち合わせていないにも関わらず、なぜディフェンダー90が人を惹きつけるのでしょうか。ルーツをたどりながら、ディフェンダー90本来の魅力を徹底的に解説します。 伝統の外観を踏襲した初代ディフェンダー90 1990年に登場したディフェンダー90ですが、実は1983年に行われたランドローバーⅢのマイナーチェンジが事実上の初登場です。さらに、外観も含め硬派なオフロード車輌という面では、ローバー社最初のモデルがルーツともいえます。 まずは、ディフェンダー90の開発背景と、日本国内での人気ぶりを紹介します。 由緒正しいランドローバーシリーズがルーツ ディフェンダー90のルーツは、1948年に製造が始まったランドローバーシリーズです。1983年のマイナーチェンジによりランドローバー90/110と改称されたモデルが、直接的にディフェンダー90につながっています。最初のモデルを開発した当時のローバー社が、オフロードに特化したクルマとして「ランドローバー」と名付けました。 「ディフェンダー90」(110/130)の名称に変わったのは1990年。「ランドローバー ディスカバリー」という新モデルの登場に合わせて、混乱を避けるために命名されました。なお、数字の「90」はホイールベースのインチ表記を表しており、ランドローバー90が最も短いモデルです。 ちなみに、ディフェンダー90をはじめ、ランドローバーのアイデンティティとも呼べるアルミ製のボディは、意図して狙ったわけではなく時代背景によって生まれたという逸話が残っています。第二次世界大戦直後の1948年当時、戦争の影響で鉄が不足していた影響からアルミボディが採用されたそうです。 国内ファンが待ちわびた正規輸入の開始 ディフェンダー90の日本国内での正規販売は、登場から7年後の1997年です。限定輸入された500台は、わずか1年足らずで完売。いかに日本のファンが、ディフェンダー90の輸入を待ちわびていたかがわかります。なお、最初の輸入モデルは、左ハンドル車でトランスミッションはATのみでした。 翌年の1998年には、ランドローバー50周年記念の限定モデル450台が追加輸入されました。数百台単位と聞くと、それほど多く感じないかもしれません。しかし、日本国内では実用面での需要がほとんどない、オフロードに特化したクルマという点を考慮すると驚異的な数字です。 便利で高性能ではないのになぜか魅力のある初代ディフェンダー90 初代ディフェンダー90の販売は1990年〜2016年ですが、外観のルーツは1948年まで遡るなど、当時としても最新装備を身にまとったクルマとはいえません。しかし、ディフェンダー90のもつ魅力は、仕様やスペックだけでは語れない部分に詰まっています。 ここからは、ディフェンダー90の魅力を詳しく紐解いていきましょう。 英国の気品漂う外観 緑豊かなイギリスの大地に映える、初代ディフェンダー。オフロードカーらしいシンプルな直線基調のボディにリベット留めと無骨なデザインですが、どこかイギリスの気品が漂っています。 初代ディフェンダー90の外観は、最初のランドローバーが登場した1948年から受け継がれ続けたものです。ヘッドライト位置の変更などモデルによって異なる部分もありますが、大枠は踏襲しています。ディフェンダー90も2007年と2012年に二度のマイナーチェンジを実施しましたが、外観に関しては2016年の販売終了までほぼ手を加えられることはありませんでした。 ローバー社が「ランドローバー」を世に送り出したコンセプトを、初代ディフェンダー90は忠実に踏襲しています。1948年当時の空気感を感じられる点も、ディフェンダー90が人気の理由なのかもしれません。 特徴的なリアシートは一部から不評を買った ディフェンダー90のリアシートは、左右対面式のベンチシートです。対面になっているシートを折りたたむと広大なラゲッジスペースが生まれるため、ヘビーユースに適した形状として採用されたのでしょう。また、兵員輸送車のような硬派な雰囲気を醸し出すという点で、ディフェンダー90を特別なクルマに昇華させている一因です。 一方で、ファミリー層からは、乗り心地の悪さや乗降のしにくさから不評を買いました。リアシートの形状に我慢できず、ディフェンダー90を手放したという話も珍しくなかったようです。 高性能車ではないがロマンという言葉がしっくりくる ディフェンダー90は、今の基準でみると決して性能の高いクルマではありません。正規輸入されたモデルには、4LのV8ガソリンエンジンを搭載。スペックも最高出力182ps、最大トルク32.2kgmを絞り出すという、数字上は迫力のあるエンジンです。しかし、アルミ製の軽量ボディながら2tを超える車体を、俊敏なSUV車のように加速させるには力不足が否めません。 また、オフロード車としての堅牢性を実現するラダーフレームと、構造がシンプルな前後リジッドサスペンションは、お世辞にも乗り心地がよいとはいえず古臭さを感じます。 それでもなおディフェンダー90に魅了されるのは、終戦直後から脈々と受け継がれてきたランドローバーへのリスペクトとロマンなのかもしれません。 新型車が出てもなお人気の初代ディフェンダー90 ディフェンダー90は、2020年のモデルチェンジで2代目に移行しました。長年継承されてきた外観は一新され、課題だったパワーや装備面も克服し、現代に相応しい仕様で販売されています。しかし、新車かつ現行型が買えるにもかかわらず、初代ディフェンダー90の根強い人気は衰えません。 人気の高さは価格にも表れており、状態によっては当時の新車価格よりも高値で取引されるケースもあります。ただし、初代ディフェンダー90を中古車で売買する際は、必ず旧車専門業者に相談しましょう。1990年代のクルマとはいえ各部の設計が古いため、適切なメンテナンスがされていないと、購入しても故障に悩まされかねません。また、正規輸入車輌は台数限定だったため、現在では希少車です。希少車の買取に慣れた業者でないと、実際の価値を正しく査定してもらえない可能性があります。 ロマンのあるクルマが少なくなった現代だからこそ、ディフェンダー90は貴重な一台です。売却の際には、慎重に業者を選びましょう。

ランクル70のトゥループキャリアは隠れた人気車種?! 海外限定モデルの全貌に迫る
旧車の魅力 2023.10.20

ランクル70のトゥループキャリアは隠れた人気車種?! 海外限定モデルの全貌に迫る

高級SUV路線のモデルも発売されるなかで、硬派な出で立ちのヘビーデューティー仕様を貫くトヨタ 70系ランドクルーザー。通称「ランクル70」とも呼ばれるこのモデルは、販売終了後に再販されるなど、現在でも高い人気を誇っています。 数あるランクル70のモデルのなかでも、マニアを中心に注目を集めているのがオーストラリアや中東を中心に販売されている「トゥループキャリア」です。「トゥルーピー」という通称で呼ばれるほどファンが多く、日本国内では販売されていないものの、並行輸入で入手する人もいるほどの人気を誇ります。今回は、隠れた人気モデルであるランドクルーザー トゥループキャリアの魅力に迫ります。 国内販売終了後も世界で作り続けられたランクル70 ランドクルーザー70は、日本国内での販売が終了した後も、中東やオーストラリアといった需要の高い一部の地域で生産され続けています。しかも、ただ同モデルを生産するだけでなく、精力的な年次改良やバリエーションの追加までされるほどの人気車種です。 まずは現在のランドクルーザー70の事情について紹介します。 今もなお人気の70系ランドクルーザー 70系ランドクルーザーは、ロングライフだった40系の後を受ける形で1984年にリリースされました。ヘビーデューティー系と呼ばれる、ランドクルーザー本来のオフロードユースを想定したモデルで、高い走破性と耐久性から人気を集めます。2004年に日本国内での販売が終了するまで、わずかなマイナーチェンジのみで20年間も販売されました。 一方で、国内販売が終了した後も、オーストラリア向けを中心に70系ランドクルーザーは生産され続けます。日本国内でも2014年に限定で再販されましたが、2023年に再度の再販が決定したことも報じられました。 オーストラリアで販売されているトゥループキャリア ランドクルーザーは、用途に応じてさまざまなボディタイプが用意されています。「トゥループキャリア」は、「一団、軍隊」などを意味する英語の「troop」に由来し、人員を輸送することに特化したモデルです。 ロングタイプボディのリアシートは、前後ではなくボディ左右に対面式のシートが設置され、より多くの人員を輸送できるようになっています。 並行輸入という形で国内入手も可能 ランドクルーザー70は、日本国内では販売されていません。(新型車の国内再販は2023年に発表済)しかし、現在も販売の続くオーストラリアのモデルを、並行輸入品として取り扱う専門店もあります。 また、並行輸入モデルは、国内販売されていないエンジンが搭載されている点も大きな魅力です。現行型のトゥループキャリアは、最高出力205ps、最大トルク430Nmを発揮する4.5L V型8気筒のディーゼルターボエンジンを搭載。大柄なボディに見合ったビッグサイズエンジンは、国内販売車にはない迫力を感じさせてくれます。 ただし、公道で乗るためには、排気システムや架装を国内登録可能な仕様に変更する必要があるため注意しましょう。多くの場合は、取扱い業者で対応してくれます。 国内版では見られない個性的なランクル オーストラリアで販売されているトゥループキャリアは、国内のランドクルーザー70にはない個性的なモデルです。法令的な問題はあるものの、広大な自然のあるオーストラリアだからこそ生まれたモデルといえるでしょう。 今すぐにでもアウトドアに出かけたくなるランドクルーザー70 トゥループキャリアの魅力に迫ります。 横向き対面式に配置されたリアシート トゥループキャリア最大の魅力は、後席の対面式シートです。通常は前後に配置される座席が、通勤電車のようにボディサイドに沿って左右に配置され、多くの人々が乗車できます。約5.2mというロングボディということもあり、リア部分は広々としていて使い勝手も抜群です。 日本国内では新規の登録ができない影響から、新しく購入した場合は前席の3名乗車ですが、広大な荷室はアウトドアや車中泊といった場面で大活躍します。 質実剛健を地で行く力強いデザイン もともとヘビーデューティ仕様として開発されたランドクルーザー70は、車高、全高ともに高く、全体に直線基調の機能性を重視したデザインが採用されています。さらにトゥループキャリアは、車輌側面に後席のドアがありません。開口部が最小限のデザインは、ランドクルーザーの力強さをより強調しています。 後席の乗員は後部に設置された観音開きのドアから乗降するという、まさに兵員輸送車のようなデザイン。デザイン性はもちろん、実使用時の堅牢性という面でもランドクルーザー70のコンセプトを体現しています。 国内正規販売されていない希少車 トヨタ 70型ランドクルーザー トゥループキャリアは、国内で正規販売されていないだけに流通量の少ない希少車です。また、根強いファンからの人気が高く、状態次第では通常のランクル70の2倍近い価格がつくこともあります。 一方で、流通量の少ない車種は、どの中古車業者でも買取ってもらえるわけではありません。特にトゥループキャリアのように特殊な車輌の場合、取り扱いに慣れている業者でなければ正確に査定することさえ難しいでしょう。旧車や希少車の売却を検討する際は、取扱い経験が豊富な専門業者への相談がおすすめです。 例えば、多くの旧車や希少車を取り扱う旧車王では、今回紹介したトゥループキャリアを最近買取しました。高い専門性を持っているからこそ、大切に乗ってきた愛車に正しい査定額の提示が可能です。

世界初の2ローター市販車マツダ コスモスポーツは社運をかけて開発!? 誕生秘話と魅力を全力紹介
旧車の魅力 2023.10.18

世界初の2ローター市販車マツダ コスモスポーツは社運をかけて開発!? 誕生秘話と魅力を全力紹介

世界初の2ローターが搭載された市販車マツダ コスモスポーツ。流麗なボディデザインも含め、現在でも高い人気を誇るモデルです。しかし、量産車へのロータリーエンジンの搭載は、決して簡単ではありませんでした。 ロータリースポーツのルーツ、さらには日本の自動車開発力を世界に示したコスモスポーツの開発秘話と魅力をたっぷりと紹介します。 世界初の量産ロータリーエンジン搭載車コスモスポーツ コスモスポーツは、ロータリーエンジン搭載車として世界で初めて量産されたモデルです。「マツダの技術力のみならず、日本の自動車開発力を世界に示した功績は計り知れません。 ロータリーエンジンの開発を中心に、コスモスポーツの誕生背景を振り返ってみましょう。 会社の生き残りをかけたコスモスポーツの開発 1990年代後半まで製造・販売が続いたコスモシリーズですが、初代のコスモスポーツはマツダの社運をかけて開発されました。シリーズ初代のコスモスポーツが登場したのは1967年。1960年代に入り、国内自動車メーカーが競争の激化にさらされていたなかで、社長の松田恒次氏は「会社が生き残るためには独自の技術が必要だ」と考えます。そこで、「夢のエンジン」といわれながらも実用化できていなかったロータリーエンジンに白羽の矢を立てました。 実用化の目途がたった1964年、発売に先立ち東京モーターショーで、コスモスポーツはお披露目されます。技術的な問題から各社が実用化できずにいたロータリーエンジンの量産車の発表は、国内のみならず世界中に衝撃を与えました。 世界初の量産車への搭載に成功したマツダの高い技術力 ロータリーエンジンを初めて市販車に搭載したのは、実はマツダではありません。ドイツの自動車メーカーNSU社が、マツダのロータリーエンジンの元にもなった「バンケル・ロータリーエンジン」を既に市販車へ搭載していました。 しかし、ロータリーエンジンを量産車に搭載するには機構上避けられない大きな課題があったため、NSU社の市販車はわずかな生産台数に留まります。量産の大きな壁となっていたのは、アペックスシールと呼ばれるエンジン内の気密性を確保するための部品です。ローターの頂点に取り付けられたアペックスシールは、ハウジング内部を削ってしまうという決定的な欠点がありました。「悪魔の爪痕」とも呼ばれる傷によって、気密性が損なわれると同時にエンジンそのものの耐久性も落としてしまいます。 ロータリーエンジンの実用化に向けてマツダ開発陣は、アペックスシールの改善に心血を注ぎました。開発は困難を極めたようで、素材に馬や牛の骨を試したといった逸話まで残っています。ようやく解決策にたどりついたのは、社内からも「予算の無駄遣い」との声が聞かれ始めた1963年。1つのアイディアをきっかけに形状と素材に工夫を凝らし、実用化の目途を立てます。 2ローターは市販車としても世界初 コスモスポーツに搭載されたロータリーエンジンは、2つのローターを持つ世界初の多気筒ロータリーエンジンです。ドイツNSU社が世界で初めて市販車に搭載したロータリーエンジンは、シングルローター。2ローターエンジンの市販車への搭載は、「量産車」という条件をつけなくても正真正銘の世界初でした。 ゼロからロータリーエンジンの開発を始めたにも関わらず、初の市販車搭載モデルが2ローターというのは驚きです。マツダの技術力の高さと粘り強さが実現したといえるでしょう。 モデル初代なのに完成度の高かったコスモスポーツ コスモスポーツは、4世代にわたって製造されたコスモシリーズの初代モデルです。シリーズ化によって長年製造される車種は、後発モデルのほうが性能が高いため初代が注目されないケースも珍しくありません。 しかし、3ローターを搭載する4代目ユーノスコスモといった後発の高性能モデルと比較しても、コスモスポーツの存在感は別格です。初代から高い完成度を誇っていた、コスモスポーツの魅力を紹介します。 フロントミッドシップの高い運動性能 コスモスポーツのエンジンは、FR車輌としては理想的なフロントミッドシップに配置されています。初めて開発したエンジンにも関わらず、軽量コンパクトなロータリーエンジンの特徴を最大限活かす方法を、マツダ開発陣はしっかりと理解していたということでしょう。 また、コスモスポーツの最高速度は、なんと185km/h。高出力エンジンとはいえ、当時の最高出力がわずか110psだったことを考えると驚異的な数字です。最高速度はギア比さえ調整すれば、ある程度は高められます。しかし、市販車という点を考えると、車のポテンシャル以上に最高速度を上げるのは危険です。1tを切る軽量な車重と、フロントミッドシップによる安定性の高さにより実現した結果といえるでしょう。 独自の世界観をもつシャープなフォルム 世界初の2ローターエンジンという点を抜いても、コスモスポーツはクルマとして魅力的なモデルです。日本車離れした個性的なボディデザインは、多くのファンを魅了しました。当時の自動車で多く採用されていた直線基調のデザインとは一線を画し、コスモスポーツは随所に曲線を取り入れた流線型の美しいフォルムです。 全体に低く抑えられたスタイリングは、運動性能の高いスポーツカーらしさを最大限に演出。コンパクトなロータリーエンジン車だからこそ実現できたデザインといえるでしょう。現在でも「鼓動デザイン」という独自の世界観を展開するマツダですが、1960年代からすでに他メーカーとは異なるデザインを展開していたことがうかがえます。 スポーツモデルは初代コスモスポーツのみ コスモスポーツは、シリーズとして1996年まで生産されましたが、流線型デザインの純粋なスポーツモデルといえるのは、初代コスモスポーツのみです。しかも、1967年に登場し1972年までの約5年間しか生産されなかったため、現在ではあまり台数も残っていません。 加えて、クルマとしての魅力と希少性の高さから、コスモスポーツはかなり人気の高い車種です。中古車の購入を検討する際は、常に広くアンテナを張っておくとよいでしょう。 一方で、希少車の取扱いは、どの中古車業者でも簡単にできるわけではありません。専門の業者に依頼しないと、購入時も売却時も損をしてしまう可能性があります。良好な車輌や妥当な査定額で安心して取引するために、コスモスポーツの購入や売却をする際は旧車専門の業者に相談することをおすすめします。

アルテッツァは打倒欧州車目指して徹底的に鍛え上げられた入魂のFRスポーツセダン
旧車の魅力 2023.10.18

アルテッツァは打倒欧州車目指して徹底的に鍛え上げられた入魂のFRスポーツセダン

高い運動性能と、欧州でも通用する高級感を兼ね備えたアルテッツァ。トヨタ入魂のFRスポーツセダンであり、エンジンをフロントミッドシップに配置する本格的なFRレイアウトを採用しています。一方で、発売当時の評価はあまり高くなく、不遇なモデルでもありました。 打倒欧州車を掲げて開発したトヨタの意地を感じるアルテッツァは、近年評価が見直されつつあります。開発背景と魅力を改めて振り返ってみましょう。 1代限りながら7年間も販売されたアルテッツァ アルテッツァは結果的にモデルチェンジすることなく、1代限りで姿を消しました。しかし、7年間にも及ぶ販売期間からは、その完成度の高さがうかがえます。 実際にアルテッツァとはどのようなクルマだったのでしょうか。まずは開発背景やグレードについて詳しく紹介します。 欧州に通用するFRスポーツセダン 1998年に登場したアルテッツァは、欧州で通用するFRスポーツセダンを目指して開発されました。BMWの3シリーズやメルセデス・ベンツのCクラスといった、競合各社が力を入れるDセグメント市場を強く意識したモデルです。海外では、レクサスブランドのエントリーモデルである「IS」の初代として投入されます。 ベースは、当時のトヨタ プログレに採用されていた「FRマルチプラットフォーム」を徹底的に改良。ショートオーバーハングでホイールベースも短縮し取り回しやすいスタイリングにする一方、トレッド幅を広げて安定性を高め、FRスポーツセダンにふさわしいハンドリング性能を備えていました。 開発では、ニュルブルクリンクでの走り込みや公道での走行テストを繰り返し、2年間以上の年月をかけて走行性能が徹底的に煮詰められます。欧州のFRスポーツセダンと肩を並べるため、アルテッツァは限界まで鍛え抜かれました。 グレードは大きく2種類を用意 アルテッツァに用意されたグレードは、大きく2種類。ラグジュアリー志向のAS200と、高い走行性能を誇るRS200です。 AS200のエンジンは、2L直列6気筒の1G-FE型で最高出力が160ps。一方のRS200には、MR-2にも搭載されたトヨタのスポーツエンジンとして十分な実績をもつ2L直列4気筒3S-GE型エンジンを搭載し、最高出力は実に210psを発揮しました。 おすすめのグレードはやはりRS200です。トヨタがこだわり抜いたアルテッツァの高い走行性能を最大限発揮します。 スポーツセダンを突き詰めたアルテッツァ アルテッツァの魅力を紐解いていくと、細部に渡ってとことんこだわって開発されているのがよくわかります。ライバルが強力で、要求の高い欧州のスポーツセダンファンを納得させる性能を兼ね備えたモデルだといえるでしょう。 アルテッツァのこだわり、そして高性能を突き詰めたトヨタが限定で投入した280Tについて紹介します。 とことんこだわった運動性能 エンジンに名機3S-GEを採用するだけでなく、アルテッツァは運動性能にとことんこだわりました。軽快なハンドリングを実現するために、エンジンをフロントミッドシップに搭載。切り詰めたオーバーハングと相まって、FRスポーツセダンにふさわしい前後重量バランスに仕上げられています。 足回りも前後ダブルウィッシュボーンに加え、車輌重量がはるかに重いアリストと同クラスのブレーキを採用しました。さらに、徹底的な走り込みによって、減衰力からブッシュ特性に至るまで細かく調整。パワフルなエンジンで単に速いだけではなく、曲がる、止まるといったスポーツモデルに欠かせない要素をとことん取り入れています。 セダンとしての風格も一級品 高い走行性能を誇るアルテッツァですが、セダンのもつラグジュアリーな面にもとことんこだわって開発されました。 エクステリアには、フロント部に風格を与える大きな開口部と低くレイアウトされたグリル。さらに、ボディサイドは流麗で抑揚のあるラインを形成しています。 インテリアに目を移すと、スポーティで視認性の高いインパネメーター類には電圧計、水温計、油圧計まで配置され、スポーツ腕時計のクロノグラフを彷彿させる高級感を演出。ドライバーズカーとして機能性を重視しつつも、全体を黒でまとめてセダンならではのモダンシックな印象を与えました。 また、スポーツカーではなく、あくまでもセダンというコンセプトを表現しているのが後席です。十分に確保されたヘッドクリアランスや足元のスペースによって、スポーツモデルとは思えない快適な居住性を実現しています。独立したトランクスペースとともに、日常使いでの利便性も強く意識されました。 コンプリートカー280Tまでリリース アルテッツァには、トムスが専用チューニングを施した「アルテッツァ TOM'S 280T」という限定生産車が存在します。生産台数はわずか100台ながら、アルテッツァの本来もつ実力を極限まで引き出した魅力的なモデルです。 最大の特徴はターボ化されたコンプリートエンジンで、当時の自主規制限界である280psを発揮します。専用設計のタービンやインタークーラー、エキゾーストマニホールドを備え、インジェクターなど細部に至るまでチューニングされたエンジンをTOM'S製ECU(エンジンコンピュータ)で制御していました。 高出力エンジンのパワーをしっかりと受け止めるべく、クラッチはOS技研製のツインプレートクラッチ、足回りはAdvox製に交換され、サーキット走行にも耐えうる仕様に仕上げられています。 また、外装面でも専用のエアロパーツが装着され、標準車とは違うアルテッツァのスポーティな面が全面に押し出されました。 発売当時は不評だったものの再評価されつつある 限界まで鍛え上げられた走行性能と欧州車並の高級感を兼ね備えたアルテッツァですが、発売当時の評価は高いとはいえませんでした。。実際、モデルチェンジせずに1代限りで開発を中止している点からも、当時の不人気ぶりがわかります。 スポーツカーにしては重く、大排気量でゆったり乗りたいセダンにしては非力という見識が先行し、当時の日本ではどっちつかずのイメージがついてしまったのかもしれません。 しかし、スポーツセダンというジャンルが確立し多くのユーザーから支持を集める現在、アルテッツァの評価は高まりつつあります。特に評価の高いモデルは、名機3S-GEが搭載されたRS200です。限定販売の希少車、280Tはさらに高い評価を受けています。 一方で、時代を先取りしたアルテッツァが市場へ投入されたのは1998年。販売開始からすでに25年が経過しています。セダンであるため比較的状態の良い個体が残っているものの、購入する際は専門業者でしっかり整備された車輌を選びましょう。 また、売却する際は近年の評価をしっかりと査定に反映してくれる、旧車取り扱いに慣れた業者の選定をおすすめします。

RX-7のロータリーエンジンを新品で買える!? マツダが旧車パーツ供給を重視する理由
旧車の魅力 2023.10.18

RX-7のロータリーエンジンを新品で買える!? マツダが旧車パーツ供給を重視する理由

独特のスタイリングと優れた走行性能から、現在でも高い人気を誇るRX-7。維持や補修が困難になりがちな旧車であるにも関わらず、現在でも多くの補修部品が供給されています。特にRX-7の核であるロータリーエンジンは、現在でも新品の購入が可能です。 今回は、ロータリーエンジンという視点から、RX-7の魅力とマツダの取り組みを詳しく紹介します。なぜマツダが現在もなおロータリーエンジンの製造を続けているのか、その理由からRX-7の魅力を紐解いていきましょう。 世界で唯一ロータリーエンジンを量産したマツダ 量産ロータリーエンジンが世界で初めて採用されたのは、1967年発売のマツダ コスモスポーツでした。その後もマツダは数々の車種にロータリーエンジンを搭載し、世界で唯一無二の量産ロータリーエンジン生産メーカーとして技術を磨いていきます。コツコツと積み上げてきたノウハウを投入して作られたのがRX-7です。 ロータリーエンジンの実力を示した名車RX-7 マツダが作り続けてきたロータリーエンジンの実力を世界に知らしめたのはRX-7といえるでしょう。特に、2代目FC3S型、3代目FD3S型は現在でも多くのファンを魅了する人気車種です。 1985年のFC3S型RX-7のリリースによって、マツダが突き詰めてきたロータリーエンジンの実力が一気に開花しました。軽量でコンパクトなのに高出力というロータリーエンジン最大の武器を活かしたスポーツカーとして、低重心化と最適な前後重量配分を実現。世界のスポーツカーファンを魅了する、高い走行性能を発揮しました。 先鋭的なスタイリングも魅力 RX-7の魅力は、高い走行性能と他車とは異なる独特のスタイリングです。FC3S型でワイド&ロー、ロングノーズショートデッキというスポーツカーとして理想的なスタイリングを確立。さらにFD3S型では、曲線を取り入れた流線型で戦闘機を彷彿させる先鋭的なデザインに昇華させました。 ロータリーエンジンはコンパクトでレイアウトの自由度が高かったためにデザイン上の制約が少なく、マツダならではの独特の世界観をもつスタイリングの実現に至りました。 ロータリーエンジンを今でも購入できる理由 生産終了からかなり年月の経つRX-7ですが、現在でも補修用ロータリーエンジンを始め多くの部品が入手可能です。生産効率を考えると、旧車のパーツをいつまでも供給するのは無駄とも思えますが、これにはRX-7ならではの事情とマツダの企業思想が大きく影響しています。 ロータリーエンジンがなぜ作り続けられているのか、理由を紐解いていきましょう。 RX-7は現存台数が多い 補修用のロータリーエンジンが現在も入手可能な最大の理由は、RX-7の残存台数が多く高い需要があるためです。FC3S型RX-7が投入された1985年からは35年以上が経過し、最終のFD3S型の販売終了からもすでに20年が経ちますが、現在でもRX-7はかなりの台数が残っています。FD3S型なら16,000台、さらに古いFC3S型でも8,000台が残っているとの情報もありました。 スポーツモデルだけに酷使された個体もありますが、一方で多くの根強いファンが大切に乗っていることが要因といえるでしょう。また、高い走行性能と独自のスタイリングによって、新車販売自体も好調だった点も残存台数が多い理由です。 唯一無二のロータリーエンジンの評価の高さは世界規模 ロータリーエンジン車を所有するユーザーは日本国内のみにとどまりません。とくにクルマとしての完成度の高かったRX-7は、世界のスポーツカーファンから愛されています。独特のロータリーサウンドを味わいたいのであれば、マツダのRX-7に乗るしかありません。 マツダが展開するCLASSIC MAZDA ロータリーエンジンを始めとする旧車のパーツが供給され続けている理由は、マツダの企業としての思想による影響も少なくありません。「新しいクルマだけではなく、古いクルマをも大切にできる社会を育みたい」「世の中の自動車文化に貢献したい」として、マツダはCLASSIC MAZDAという取り組みを通じ、旧型車のレストアやパーツの復刻に取り組んでいます。 CLASSIC MAZDAの取り組みが始まったのは近年ですが、おそらくマツダそのものの企業文化として同様の考え方は以前からあったのでしょう。実際CLASSIC MAZDAの一環として2020年から取り組んでいるRX-7の復刻パーツはわずか91種類(FD3S用、FC3S用)ですが、そもそも全体の7割程度の部品が以前から継続供給されていたという情報もあります。 新型車で新たな活路を見出したロータリーエンジン 実は、燃費面では不利といわれていたロータリーエンジンが、新時代のプラグインハイブリッド車で復活すると最近発表されました。軽量かつコンパクトで高出力という特性が、プラグインハイブリット車の発電用エンジンに最適だったのです。 欧州で発表された「MX-30 e-SKYACTIV R-EV」は、発電用にロータリーエンジンを搭載。EV車と同様にモーターで駆動するため、大型の駆動用バッテリーを搭載するプラグインハイブリッド車にとって、システム全体をいかにコンパクトな設計にできるかは大きな課題です。ロータリーエンジンであれば、同出力のレシプロエンジンに比べて圧倒的に小型化できます。さらに、ピストンの往復運動がない分振動を抑えられるため、モーター駆動ならではの乗り心地も犠牲にしません。 マツダがこだわって作り続けてきたロータリーエンジンのノウハウは、決して過去の技術ではなく現在も生き続けていると証明しました。 人気のRX-7は今も安心して乗れる旧車 核であるロータリーエンジンを始め、多くのパーツが現在も供給され続けているRX-7は、旧車ながら購入後もメンテナンスについて心配しなくてもよい珍しい車種です。一方で、スポーツカーという特性からサーキットなど過酷な状況で使用されていた中古車もあるため、購入時には入念に状態を確認しましょう。 ロータリーエンジンは特殊なエンジンのため、整備ノウハウのある専門業者に相談することを強くおすすめします。 一方で、売却する際は旧車の取り扱い経験が豊富な業者を選びましょう。部品が供給されていると知らない業者に相談してしまった場合、故障箇所を指摘されて必要以上に減額される恐れがあります。さらに、RX-7は限定車が数多く販売されました。グレードや年式から、正しい価値判断をしてもらえる業者を選ぶと安心です。

フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナは世界でわずか448台しか販売されなかった超希少車
旧車の魅力 2023.10.18

フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナは世界でわずか448台しか販売されなかった超希少車

日本国内でわずか24台しか販売されなかったフェラーリの特別限定車、550 バルケッタ ピニンファリーナ。フェラーリ車でありながら、提携会社の名称をわざわざ冠して作られた特別なオープン2シーターです。ごく限られたオーナーしか手に入れられませんでした。。今回は、希少性の高い550 バルケッタ ピニンファリーナが製造された背景と限定車としての魅力を徹底的に掘り下げます。 フラッグシップモデルを記念車に採用 2000年に登場した550 バルケッタ ピニンファリーナは、長らくフラッグシップにミッドシップレイアウトを採用してきたフェラーリが、久々にFRレイアウトを採用した550 マラネロをベースに製造されました。 フラッグシップモデルに名前をつけられるほど、深い関係性を築いていたフェラーリとピニンファリーナ社。その繋がりの重要性を含めて、550 バルケッタ ピニンファリーナの誕生背景を解説します。 創業70周年モデルとして台数限定生産 550 バルケッタ ピニンファリーナは、2000年のパリサロンでお披露目されました。「バルケッタ」とは「2人乗りのオープンカー」を意味し、ピニンファリーナ社の創業70周年を記念して制作されたオープン2シーターの限定モデルです。 日本に割り当てられた販売台数は、わずか24台という新車販売時から希少価値の高いモデルでした。なお、生産台数は当初444台の予定でしたが、アジア圏からの「不吉」という声を受け、448台に増台されたという逸話も残っています。 フェラーリの美しいボディラインを作り続けるピニンファリーナ モデル名にも採用されている「ピニンファリーナ社」は、フェラーリ車のデザイン全般を1951年から手がける会社です。創業70周年の記念モデルとして、550 バルケッタ ピニンファリーナをフェラーリよりリリースしました。メーカーのアニバーサリーイヤーではないにも関わらず、特別限定車を製造・販売したことから関係性の深さがうかがえます。 250GT ベルリネッタ、365 GTB/4 デイトナ、512 BB、テスタロッサと数多くの名車をピニンファリーナ社はデザインしました。そして、550 バルケッタ ピニンファリーナのベース車輌の550 マラネロもピニンファリーナ社がデザインを手がけたモデルです。 ベースはFRに回帰した550 マラネロ 550 バルケッタ ピニンファリーナのベース車輌は、1996年発売の550 マラネロです。長年フェラーリのフラッグシップモデルはミッドシップレイアウトでしたが、365 GTB/4 デイトナ以来23年ぶりにFRレイアウトを採用したモデルとして話題を呼びました。 エンジンは車名のナンバリング通り5.5LのV型12気筒DOHCで、最高出力は485psを発揮。高出力エンジンを支える足回りには、フラッグシップにふさわしい先進装備の電子制御可変ショックアブソーバーを採用し、超高速域でも安定した走りを実現したモデルです。 記念車として別の車輌を用意するのではなく、メーカーの顔であるフラッグシップモデル、しかも久々に採用したFRレイアウトのクルマをベースとできたのも、フェラーリのピニンファリーナ社への厚い信頼からでしょう。 フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナの魅力 550 バルケッタ ピニンファリーナは、エアロや内装を少しモデファイした程度の特別仕様車ではありません。ピニンファリーナ社がフェラーリのデザインを手がける威信をかけて、細部までこだわって作ったモデルです。 ここからはそんな550 バルケッタ ピニンファリーナの魅力を紹介します。 オープンモデルとしてリデザイン 550 バルケッタ ピニンファリーナは、単に550 マラネロの天井を切り取っただけのモデルではありません。デザイン全般を手がけるピニンファリーナ社らしく、細部にこだわってリデザインされました。 まず外観上の大きなポイントは、550 マラネロよりも10cmほど短くしたフロントガラスです。さらにAピラー上部の塗装を黒にすることで、全体的に低さを強調したデザインに仕上がっています。 内装のデザインでは、コノリーレザーのレーシングタイプのシート、レザー張りのロールバー、メーターナセルとトンネルコンソールはスウェード調とするなど記念モデルにふさわしいデザインと質感が特徴的です。さらに、センターコンソール、メーターパネルにはカーボンパネルを使用して、レーシーな雰囲気を高めました。 走行性能は550マラネロを踏襲 550 バルケッタ ピニンファリーナの走行性能は、基本的に550 マラネロを踏襲しています。ただし、オープン形状のため抵抗係数が悪化し、最高速度は550 マラネロより20km/h遅い300km/hでした。 オープン化に伴って、ボディ剛性の強化や安全面での装備も追加。万が一の転倒に備えてAピラーの強化とロールバー、ボディの補強など走行性能には不利な重量増につながるチューニングが施されます。しかし、ボディワークを含めてデザインを一手に引き受けたピニンファリーナ社だけあって、車体重量は550 マラネロと同様の1,690kgに抑えました。 パッケージング自体はベースモデルとまったく同様で、FRレイアウトに置かれた485psを発揮する5.5LのV型12気筒DOHCエンジンに6速MTが組み合わされています。記念のオープンモデルだからといって性能を犠牲にしなかった点は、フェラーリと二人三脚で歩んできたピニンファリーナ社へのリスペクトがあらわれています。 記念モデルだけあって別格の価値を誇る550 バルケッタ ピニンファリーナ 発売が1996年と比較的新しいことと5年間という販売期間の長さから、550 マラネロ自体はそれほど希少性の高い車種ではありません。しかし、550 バルケッタ ピニンファリーナは、全世界でわずか448台、日本国内では24台しか販売されなかったため、限られたオーナーしか手にできなかった希少車です。 ただし、希少車だからといって高く売却できるとは限りません。極端な希少車の場合、かえって値段がつけにくくなるため、誤った査定をされてしまう場合もあります。550 バルケッタ ピニンファリーナのように、ほとんど取引のないクルマを売却する際は、必ず旧車や希少車の取り扱い実績のある専門業者に依頼しましょう。

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