旧車の魅力

空冷よりもポルシェらしい!?初の水冷エンジンを搭載した996型ポルシェ911
旧車の魅力 2022.05.11

空冷よりもポルシェらしい!?初の水冷エンジンを搭載した996型ポルシェ911

ポルシェ911初となる水冷エンジンを搭載した996型ポルシェ911。自然吸気エンジンとしてシリーズで初めて300psを突破したにもかかわらず、発売当時はユーザーから不評だった不遇のモデルでもあります。 しかし、高いポテンシャルとポルシェ開発陣のこだわりが詰まったモデルであることが見直され、ポルシェ人気の高まりとともに再評価。ポルシェ911シリーズのなかではお買い得感のある996型ポルシェ911の魅力と実力を、ぜひチェックしてみてください。 初のフルモデルチェンジと初の水冷エンジン 996型ポルシェは、5代目911として1997年に登場。ポルシェ911が登場して以来、全面的に新設計された初のフルモデルチェンジでした。また、ポルシェ911初となる水冷エンジンは、当時のシリーズ最高出力にまで高性能化されています。 一方で、コストカットの目的で格下モデルである986型ボクスターと部品が共用され、ユーザーの不評を買いました。しかし、ボディ剛性や空力性能などを詳しく見ていくと、エンジン性能以外もポルシェ911の名に恥じない完成度となっています。 シリーズ初の水冷エンジンは300psを発生 996型ポルシェのもっとも大きな変更点は、水冷エンジンの採用です。空冷エンジンはポルシェ911のアイデンティティの1つでしたが、欧州をはじめ世界的に環境基準が厳しくなったことに対応するため初めて水冷化されました。 新開発のエンジンは、ただ水冷化して環境性能に対応しただけではありません。3.4L水冷6気筒DOHCエンジンは、自然吸気モデルのポルシェ911として初めて300psを発生。小排気量化して環境性能に対応しつつ、ポルシェエンジンにふさわしいスペックに仕上げられています。 クランクケースやシリンダーヘッドを刷新し、圧縮比を11.3まで引き上げました。さらに可変バルブ機構(バリオカム)と吸気管切り替え機構(バリオラム)を採用するなど、徹底的に性能を追求したエンジンです。 ボクスターと共用部品は多くても性能はアップ 996型で最も不評だったのは、986型ボクスターと共用パーツが数多く使用されていたことです。ヘッドライトやフロントフェンダー、バンパーなど車両前方部分を中心に多くのパーツが共有化されていました。 しかし、実はシャシーも含めて一新された996型ポルシェ911は、大幅にボディ性能も向上しています。各種補強でボディ剛性を高めたにもかかわらず、車両総重量は50kgも軽量化。(初期モデル 2輪駆動モデル同士の比較) さらに、フロントウインドシールドを寝かせることで空気抵抗を示すCd値は0.3となり、先代から10%も改善しました。(993は0.33)また、足回りもフロントこそ986型ボクスターと共通ですが、リアは完全に新設計のマルチリンク式サスペンションが装備されています。 評価が高まりつつある今狙い目の996型 伝統の空冷を捨てたうえ、格下のボクスターとの部品共用によって発売当時は評価が低かった996型ポルシェ911。しかし、月日を経ることで評価は見直され、もともともっていた高いポテンシャルとあわせて今人気が高まっています。 空冷ポルシェ911以上にポルシェらしい996型は、実は開発陣がこだわり抜いて仕上げたモデルでした。 問題の涙目ヘッドライトも再評価 ボクスターとの部品共用でもっとも不評を買ったのが、「涙目」と呼ばれるヘッドライトです。ヘッドライトはクルマの印象を決定する部分だけに、格下のボクスターと同じという点は大きなマイナスポイントでした。 しかし、発売から20年以上が経過し、現在では当時と評価が変わってきています。1990年代に生み出されたスポーツカーが持つ独特の高揚感は、「ヤングタイマー・クラシック」とも呼ばれて独自の個性として再評価されるようになりました。 ポルシェらしさを追求した996 エンジンの水冷化に際して、「ポルシェらしさが失われた」と批判されることが大きな懸念でした。そこで、ポルシェ開発陣は、徹底的にポルシェらしさにこだわります。 「ポルシェを着る」とも評されるほどに一体感のあるドライブフィールと、往年のレーシングポルシェを連想させる甲高いエキゾーストノート。いまでは、空冷最終モデルとなった993よりもポルシェらしいという意見も少なくありません。 まとめ 996型ポルシェ911は発売当時に不評だったことで、高騰している911のなかでもまだ比較的手頃な価格で入手できます。状態にもよりますが中古車価格は、400〜500万円前後です。 また、価格の高騰は買取価格に徐々に反映されつつあり、旧車王での買取事例をみるとカレラ4Sで410万円もの価格がついたものもありました。 996型ポルシェ911を購入する際は1点注意点があります。通称「インタミ問題」と呼ばれるトラブルです。 インターミディエイトシャフトとは、簡単に言えばクランクシャフトの回転を、左右のカムシャフトに伝える部品のひとつ。走行中に破損すると、最悪の場合走行不能になるばかりか、エンジンの大掛かりな修理が必要になってしまいます。ポルシェが無料点検・交換プログラムもおこなっていたので、インターミディエイトシャフト破損に対する修理や対策がおこなわれている車両を選びましょう。 ※価格は2022年4月現在

一般市場だけじゃなくレースでも無敵!日本の大衆車市場を切り開いた日産 サニー
旧車の魅力 2022.05.09

一般市場だけじゃなくレースでも無敵!日本の大衆車市場を切り開いた日産 サニー

日本を代表する大衆車として時代を切り開いた日産 サニー。また、ただの大衆車におさまらず、レースシーンでの長期に渡る活躍や派生モデルがサニトラという愛称で大人気となるなど、日本の自動車史を語るうえで外せない大名跡です。日産開発陣の粘りによって誕生した名車、サニーの歴史を振り返ります。 40年近くも続いたロングラン大衆車 サニーは1966年から2004年まで、実に38年にも渡って販売された日本を代表する大衆車です。高度成長期に高まった大衆のマイカー需要に応え、日本の大衆車市場を牽引しました。 コンパクトなボディとエンジンで大ヒットとなった日産 サニーの開発背景を詳しくご紹介します。 トヨタ カローラと大衆車の双璧をなしたサニー 日産 サニー(4代目まではダットサン)の初代登場は、50年以上前となる1966年でトヨタ カローラの登場と同じ年でした。800万通以上の公募のなかから選ばれた車名とともに、大衆の心をしっかりと掴んで爆発的ヒット。ライバルであるトヨタ カローラと大衆車の双璧を成す存在でした。 実は開発陣が半ば無理やりリリースした 1,000ccクラスだったブルーバードが1,200cc以上のクラスに主力を移したことで、同クラスが空席でした。しかし、経営陣はブルーバードとの同志討ちを懸念し、開発には消極的。商用車開発という名目で開発陣がなんとか説き伏せ、サニーの開発に漕ぎ着けたという逸話が残っています。 高度成長期だった1960年代後半は、大衆が徐々にマイカーを手にし始めていた時代。空席となっていた1,000ccのエントリークラスを埋めたことで、時代背景を追い風にサニーは成功を手にします。 その後38年も続く日本を代表する大衆車は、当時の開発陣の粘りがなければ登場していなかったかもしれません。 初代に搭載されたA型エンジンは30年も使用された 初代サニーに搭載されたエンジンは、新開発の直4OHVの1,000cc A10型エンジン。小型で実用的なA型エンジンは、その後30年にも渡って生産され続けます。 また、小型車向けのエンジンとして経済性に優れていただけではなく、低回転から高回転まで軽快にまわる特性のよさから、チューニングエンジンとしてのポテンシャルが高かったのも特徴。シンプルな構造かつ軽量で、低重心だった点も評価されました。 エンジンのポテンシャルの高さは、モータースポーツの舞台で証明されます。OHVエンジンながら10,000rpmで175psという驚異的なポテンシャルを発揮し、「サニーのライバルはサニー」といわれるほど、国内のツーリングカーレースを席巻。とくに2代目となるB110型サニーは、1970年から1980年代初頭までの長きに渡って多くのチューナーやプライベーターからの支持を集めます。また、全日本FJ1300選手権など、フォーミュラカーの世界でも一大勢力を築きあげました。 日産 サニー歴代全9モデルを紹介 38年間もの間製造された日産 サニーは、トヨタ カローラを強く意識し合計9モデルをリリース。サニーのモデル変遷を追いかけると、日本の自動車業界の発展も見えてきます。 初代B10型系(1966-1970) サニーは初代をはじめ、4代目まではダットサン名義で販売されました。当時のクルマとしては珍しく、登場前年からティザーキャンペーンを展開。コンパクトで経済的という大衆車の市場を切り開いたモデルです。 2代目B110型系(1970-1973) 2代目となるB110型は、サニーの地位を確立したモデルです。エンジンは初代サニーから200ccアップの1,200ccA12型エンジンを搭載。1,000ccエンジンで販売を続けていたトヨタ カローラに対し、「隣のクルマが小さく見えます」という挑発的なコピーを展開したことでも有名です。 モータースポーツシーンでも多くの実績を残し、生産終了後もレースシーンでその地位を保ち続けました。エンジンだけではなく、空気抵抗が少なく軽量で高い運動性を発揮していたことも高く評価されています。 また、「サニトラ」の愛称で親しまれているピックアップトラック(B120型)は、国内向けが1994年。海外向けにいたっては。2008年まで同型(マイナーチェンジは実施)で販売され続けます。 3代目B210型系(1973-1977) 3代目のB210型の大きな変更はデザインです。曲線を多用したデザインは、北米市場を強く意識。ボディバリエーションは、先代以前と変わらず2ドアセダン、4ドアセダン、クーペの3タイプが用意されます。ただし、先代の評価があまりに高かったこともあり、大型化したことはユーザーの不満につながりました。 4代目B310型系(1977-1981) 4代目サニーは、3代目の不評から再びボディラインが直線的なものに変更されます。1979年に追加されたサニーカリフォルニアは、ボディサイドのウッドパネルが特徴的で、現代のステーションワゴンの元祖ともいえるモデルです。 4代目サニーは、ダットサン名義のサニーとしては最後のモデルとなり、ファンの間では「ラストダット」とも呼ばれています。 5代目B11型系(1981-1985) サニーは、5代目にして大きな転換点を向かいます。1つは日産名義になったこと、もう1つは駆動方式がFFに変更された点です。ライバルのカローラより2年先んじての変更で、技術力が必要なもののスペース効率に優れたFFレイアウトは、小型大衆車にとって大きなメリットになりました。 6代目B12型系(1985-1990) 6代目サニーは、「トラッド・サニー」の愛称で親しまれたモデルです。サニー初となる4WDの追加やDOHCエンジンの投入など、やや高年齢化していたユーザー層の若返りに成功しました。 7代目B13型系(1990-1994) バブル期に登場したB13型系サニーはガソリンエンジンをすべてDOHC化し、一気に現代のクルマへと進化。また、カローラにはなかった1,800ccエンジンを投入し、初代登場から常にカローラを意識していたことがうかがえます。1,800ccエンジンを搭載する4WDモデルは、国内ラリーやダートトライアルでも活躍しました。 8代目B14型系(1994-1998) 8代目サニーとなるB14型は、「クラスを超えた機能の実現」を目指して開発されました。先代でいったんサニーのラインナップからはずれた2ドアクーペを「サニー・ルキノ」として復活させるなど、再度ユーザーの若返りを図ったモデルです。 9代目B15型系(1998-2004) サニーとして最後のモデルとなる9代目B15型サニーは、意欲的なモデルでした。「新・世界基準セダン Sunny」というコンセプトのもと、燃費向上や排ガスの有害物質を低減した仕様のモデルをラインナップ。さらに、可変バルブタイミング機構を備えた、サニー史上最強スペックのSR16VE型エンジンを搭載するスポーツグレードも設定されました。 まとめ 発売期間が長く、9代ものモデルチェンジをしたサニーの中古車動向は、モデルによって大きく異なります。ただ、最終型の販売終了から、すでに20年近くが経過しているので、全体として台数は少なくなる傾向。大手中古車情報サイトでも登録台数は60台ほどでした。とくに、1966年発売の初代や人気の2代目B110型系は、ほとんど市場に出回っていません。 発売当時はユーザーからは不評だったB210型モデルで、300〜400万円ほどが中心価格帯。一方で最終型となるB15型は市場での販売台数も一定数あり、50~100万円ほどで取り引きされています。 ※価格は2022年4月現在

シビックはtypeRだけじゃない!EG6シビックSiRの底力!
旧車の魅力 2022.05.02

シビックはtypeRだけじゃない!EG6シビックSiRの底力!

シビックのスポーツグレードとして、すっかりお馴染みの「typeR」。赤いヘッドカバーにチューニングが施されたエンジンやサスペンションなど、中でもVTEC機構は国内から海外まで多くのファンを魅了しています。 しかし、実はtypeRじゃないのにツウなファンが好むシビックが存在します。それがEG6シビックSiRです。今回はEK9シビックの先代、typeRを先駆けともなったEG6シビックSiRについてご紹介します。 EG6シビックの歴史 EG6シビックは1991年に登場し、シビックとして2度目の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。 ボディタイプは「3ドアハッチバック」、「4ドアセダン」「2ドアクーペ」の3種類。2ドアクーペは日本では生産されておらず、「ホンダ・オブ・アメリカ」で生産され、1993年に日本に輸入されました。 グレードは6種類あり、その内VTEC仕様が3種類。「ETi」は新開発のVTECである「VTEC-E」という低燃費志向のエンジン。「VTi」はSOHCで吸気のみ可変するVTEC。そして、SiRはDOHCの吸気と排気が両方可変するVTECとなっています。 このSiRこそ、当時のJTC(全日本ツーリングカー選手権)でライバルのトヨタ・カローラに勝つために開発されたスポーツグレードなのです。 格上車とも戦える!軽量・高出力・旋回能力の高さ EG6シビック(SiR)のB16A型は、最高出力が170ps/7,800rpmというハイパワーエンジンで、足回りには4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用。車両重量はパワステなどの快適装備がないSiRで「1,040kg」、快適装備付きのSiRⅡで「1,050kg」という当時の1,600ccクラスでは軽量な上にパワーも別格だった為、格上車とも同等に戦えるスペックを有していました。 ここからは、エンジン、重量、サスペンションについて細かく紹介していきます。 クラス最強レベルの高回転ハイパワーエンジンと軽量ボディ B16A型エンジンのスペックは、排気量1,595cc、最高出力125kw(170ps)/7,800rpm、最大トルク156.9N.m(16.0kgf.m)/7,300rpmとなっています。 他の1,600ccクラスと比べれば一目瞭然で、当時のJTCで活躍していたライバルでもあるAE101カローラ GT APEXの4A-GEは、排気量1,587cc、最高出力118Kw(160ps)/7,400rpm、最大トルク161.8N.m(16.5kgf.m)/5,200rpmというエンジンスペック。 最大トルクではやや劣っていますが、カローラの車両重量は「1,140kg」。シビックSiRの車両重量は「1,040kg」と100kg程シビックの方が軽量です。ウエイトレシオで見るとシビックの方がハイスペックで当時の1,600ccクラスで考えるとなかなかのモンスターマシンだと言うことがわかると思います。 先代から改良され進化した4輪ダブルウィッシュボーン EG6シビックの4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションは、先代のEF9から採用されていました。しかし、EF9では贅沢な方式を採用したにも関わらず、サスペンションのストロークが不足。高いスピードで大きな段差を踏むと姿勢を崩す、コーナリング中のインリフトなど、リアのグリップ力が低下することが多くありました。 一方、EG6ではストロークを多くとり、ホイールベースを延長したことにより、路面追従性を大幅に向上させ、コーナリング中の段差などにも対応させました。この改良により、ライバルであるカローラのスーパーストラットサスペンションにも引けを取らないコーナリング性能を実現します。 現在主流となっているトーションビーム(車軸懸架式)に比べ、部品数が多く高コストで重量も増えます。ですが、剛性の高さや安定性、さらに細かなセッティングなどが可能で、JTCに勝つために開発されたEG6にはダブルウィッシュボーンが採用されました。 シビックEG6の中古車&買取相場 旧車王で確認してみると、SiRⅡの最低買取額「50万円」(2020年買取、走行距離20万km)で、最高買取額「200万円」(2021年買取、走行距離9万km)。車体の状態で変動するため、大体「50万円〜200万円」で、年式を考えればかなり高額であることが分かります。 続いて、シビックEG6の中古車市場は、SiRⅡが多くフルノーマルの個体はほとんどありません。現在(2022年4月)の中古販売車両を調べると、150万円〜400万円で販売されています。こちらも車両の状態で価格が変動しますが、やはり程度が良いほど高額で売買されているため、本気で購入を考えているのであれば300万円以上の予算を用意しておくと安心です。 まとめ シビックEG6は、後継車のEK9や現行型のFK8などのtypeRと比べると、やや目立たない存在です。しかし、EG6の軽量な車重や4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションなど、もともと持っている戦闘力はかなり高め。ややハード目に固めた足で、高回転エンジンを回しきる快感は、ダウンサイジングターボや電動化が主流となってしまった最新車種では味わえない感覚です。 当時のJTCに勝つという想いがこもったホンダの最高傑作は、ツウなファンが多く存在し、今後の中古相場も高騰することが予想されます。気になる方は是非今のうちに所有して、当時のホンダのレース魂を感じてみてはいかかでしょうか。

80万円で買えるMT車は実力派ぞろい!?初心者から上級者まで楽しめるMT車5選
旧車の魅力 2022.04.06

80万円で買えるMT車は実力派ぞろい!?初心者から上級者まで楽しめるMT車5選

車を操る楽しみを味わえるのは、やはりMT(マニュアルトランスミッション)車です。速度域やエンジンの回転数にあわせてシフトチェンジをすれば、思い通りに車を走らせることができます。 今回は、初心者にもおすすめで、手頃な価格で入手可能なMT車をご紹介します。運転する楽しみと実用性を兼ね備えた車種ばかりなので、MT車選びの参考にしてください。 MT車はコンパクトカーが狙い目 MT車を中古車で探すのならコンパクトカーがおすすめ。コンパクトカーのMT車の多くはスポーティモデルとなっており、走行性能が高く十分に走りを楽しめます。さらに、手頃な価格帯で販売されている上、実用的で日常の使い勝手も申し分ありません。 近年MTの設定がある車は減少している 近年MTの設定のある車はスポーツカーが中心となっていて、全体として選択肢は少なくなっています。ワンボックスや軽トラなどの実用車を除くと、そもそもMTの設定がない車種も珍しくありません。 また、新車時の価格設定も高くなる傾向にあります。かつては同モデルであればMT車の方が安く設定されていましたが、走行性能をより重視したモデルに設定されることが多いためです。 コンパクトカーが狙い目の理由 MT車はスポーツカーが中心ですが、現在スポーツカーは年式の古いものでも価格が高止まりしています。理由は、海外で日本製スポーツカーの人気が高まっているためです。 そこで、おすすめなのがコンパクトカー。コンパクトカーでもMTの設定があるグレードはスポーツモデルが多くなっています。WRCなどラリーカーのベース車両になっている車種もあるので、コンパクトカーでも十分な走行性能が備えられています。 80万円で買えるMT車5選 予算80万円でも十分に走りを楽しめるMT車を購入できます。日常使いに便利なコンパクトカーですが、MTが設定されているモデルはどの車種もスポーツモデルが中心で、高い走行性能を備えています。 コンプリートカー並みの性能を持った車種や、人気のプレミアムカーも含まれているので、初心者だけでなくこだわりのある上級者にもおすすめです。 GRヤリスにつながる最終型トヨタ ヴィッツRS 2010年に登場した3代目トヨタ ヴィッツは、スタイリッシュなデザインが特徴のコンパクトカー。コンパクトカーながら見た目以上に車内は広く、上質なインテリアに仕上げられています。 5MTが設定されているグレード「RS」は、ヴィッツのスポーティグレードです。109ps を発生する1.5L直列4気筒エンジンは、控えめなパワーながら気持ちよく回ります。さらに、通常のモデルより、足回りが硬めの設定になっているのもRSの特徴。軽量な車重とあわせて軽快な走りを楽しめます。また、バンパーやルーフスポイラーなどが専用デザインとなっている点も特別感があるのでおすすめのモデルです。 3代目ヴィッツRSの中古車価格は39.8〜139.8万円。たとえば「ヴィッツRS 2015年式、5MT、1.6万km」の中古車は79.8万円で販売されていました。(2022年4月現在) モデル末期には現在のGRヤリスにつながるGRスポーツモデルも販売されているので気になるかたはチェックしてみてください。 スイスポの名前を定着させた2代目スズキ スイフトスポーツ 2005年に登場した2代目スズキ スイフト。新たに世界戦略車という位置付けになり、高い走行性能とデザインが好評を博したスズキを代表するコンパクトカーです。とくにスポーツモデルとなるスイフト スポーツは、「スイスポ」という略語もうまれるほど通常モデル以上に評価されています。 1.6L直列4気筒エンジンは6,800回転で125psを発生。車重わずか1,070kgの車体を軽快に走らせます。足回りにはモンロー製ショックアブソーバーや前後ディスクブレーキなどスポーツグレードにふさわしい装備となっているのも通常モデルとは異なる特徴です。 中古車価格は19.8〜119万円。たとえば「スイフトスポーツ 2008年式、5MT、走行距離5.7万km」で79.8万円という個体もあります。(2022年4月現在) 日常使いも便利な2代目ホンダ フィットRS 2代目フィットは2007年に登場しました。フィットの特徴は、インテリアの高い質感と使い勝手のよさです。広い荷室が確保されていることはもちろん、シート周りにも収納スペースが豊富に設けられています。ホンダならではの走行性能の高さもあり、通常モデルでも日常使いだけではなく運転をする楽しさも味わえるモデルに仕上がっているのが特徴です。 5MTが設定されているRSは、フィットの使い勝手のよさはそのままに、より走行性能が高められています。120psを発生する1.5L直列4気筒エンジンは、i-VTEC仕様で低回転から高回転までスムーズに吹け上がります。また、最大トルクは145Nmと十分で、低速走行の多い街乗りでもストレスを感じません。また、さらに走りを楽しめる6MTモデルもあります。 中古車価格は19〜118万円で、中心価格帯は80万円以下です。たとえば「フィットRS 2013年式、6MT、6.7万km」の中古車は79.9万円でした。(2022年4月現在) コンプリートカー並みの完成度だった三菱 コルト ラリーアート バージョンR ベース車両の三菱コルトは、2002年の登場から2013年までの11年間、大きなモデルチェンジをおこなうことなく販売された三菱を代表するコンパクトカーです。販売期間が長かったため、多くのグレードや派生モデルが登場しました。 コルト ラリーアート バージョンRは、コルトをベース車両として開発されたスポーツモデル。もともとあったコルトラリーアートに専用のエアロバンパーやオーバーフェンダーを装着し、ランサーエボリューションを思わせる外観になっています。 性能面では、163psを発生する1.5L直列4気筒ターボMIVECエンジンが最大の特徴です。わずか1,100kgほどの車重を考えるとかなりハイスペックで、スポーツ走行も十分楽しめます。足回りやホイールが強化されていることに加えて、MT車には横滑り防止装置まで装備されていてこのままラリーに出場できそうな仕様です。 中古車価格は28〜238万円で、中心価格帯は80万円以下です。「コルト ラリーアート バージョンR 2009年式、5MT、10.7万km」が79.9万円で販売されていました。(2022年4月現在)ただし、走行性能重視のスポーツモデルだけあって走行距離が多めの中古車が多く、実際に購入する場合は、きちんと車を見極める力が必要です。 毎日特別な気分で運転できる2代目BMW ミニ クーパー BMW社が商標を獲得し、2007年に登場した2代目となるBMWミニ。プレミアムコンパクトカーとして人気の高いミニも、先代であれば80万円の射程圏内です。 ミニ独特の内外装のデザインは、所有しているだけで特別感を味わえます。また、走行性能の高さもミニの特徴。1.6L直列4気筒エンジンは最高出力120ps、最大トルク160Nmを発生します。バルブトロニックという技術によって、バルブのリフト量とタイミングを無段階で精密にコントロール。低域から高域までストレスのないエンジンフィールを実現しています。 中古車価格は35〜163.5万円。「ミニ クーパー 2010年式、6MT、5.3万km」のモデルが79.8万円で販売されていました。(2022年4月現在)また、175psを発生するターボモデル「クーパーS」もほぼ同価格帯で販売されています。 まとめ MT車であれば、高性能スポーツカーでなくても運転を楽しめます。 そして、MT車を低価格で購入したいのであれば、コンパクトカーがおすすめ。多くが走行性能を重視したスポーツグレードなので、小柄なボディをきびきびと走らせる爽快感が味わえます。 また、最近のコンパクトカーであればインテリアも上質で見た目以上に車内も広いので日常使いの車としても最適です。年式や走行距離には注意が必要ですが、こだわりの特別仕様車なども予算80万円で見つかるかも知れません。 [ライター/増田真吾]

いすゞ117クーペは「カーデザイン」の革命児
旧車の魅力 2022.03.31

いすゞ117クーペは「カーデザイン」の革命児

流麗なファストバックスタイルの117クーペは、1968年7月から1981年4月までいすゞが販売していた2ドア4シータークーペです。発売から50年以上経った今もなお「世界で最も美しいスポーツカー」と評され、スポーツカーとしての性能よりも、そのスタイルだけで多くの車ファンを魅了してきました。日伊合作による自動車開発の成功例として、日本の自動車殿堂の歴史遺産車にも認定される117クーペは、まさにカーデザインの革命児なのです。 走る芸術品とも称された117クーペの魅力 1960年代、いすゞでは国産乗用車のイメージアップを図るべく、社運をかけたフラッグシップカーの開発が行われていました。 この開発でデザインを手掛けたのはイタリア・デザイン界が誇る美の巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。そして1966年、彼がデザインしたプロトタイプがジュネーブショーで「コンクール・ド・エレガンス賞」を受賞。さらにイタリアで開催された「国際自動車デザイン・ビエンナーレ」でも、名誉大賞を受賞しました。 その後、このプロトタイプは正式に117クーペと命名。その美しさから「走る芸術品」とも称され、多くの人にとっての憧れの車となったのです。 ジウジアーロといすゞのタッグが生まれた背景 1960年代中頃の日本車市場は、イタリアのカロッツェリア(デザイン工房)と提携してカーデザインを起こすのがブーム。ダイハツの「コンパーノ・バン」、日産の「410型ブルーバード」、マツダの「ファミリア」など、ヨーロッパテイストを取り入れた車で賑わっていました。 そしていすゞも同様にフラッグシップモデルとなるべく117クーペのデザインをイタリアに求め、カロッツェリア・ギア社と委託契約を結びます。そのギア社に在籍していたのがジウジアーロだったのです。 天才ジウジアーロが手掛けた流麗なデザイン(初期型) ジウジアーロが考えた117クーペのエクステリアコンセプトは、滑らかな流線型のファストバックスタイル。当時のイタリアンデザインに見られたホイールアーチに沿ったフェンダーライン、大きなガラスエリアに細いピラーなど斬新なデザインが随所に見られます。 フロントフェイスは、一体型のバンパーに丸目4灯のヘッドライト。センターには獅子のエンブレムを備えます。ジウジアーロの最大の拘りは、ボディの溶接面やガラスの接合面を見せない配慮。スッキリと1枚の面で構成されたフォルムになっています。 そしてインテリアにも、ジウジアーロならではのセンスが散りばめられています。インパネやステアリング、シフトノブに本物の木材を使うなど随所で高級感を演出。そして7連メーターでスポーティさもしっかりアピールしています。 ちなみに117クーペが発売された1968年当初、いすゞにはこの美しい造形を量産化する機械技術がなかったため、ボディの板金製作や装備は全てハンドメイドで行っていました。そのため月間の生産台数は30台前後、価格は172万円で、現在の価値に換算すると大体620万円(消費者物価指数で換算)と高価。それでも当時は作れば作るだけ赤字を計上していたと言われています。 高級なハンドメイドから量産化により爆発的にヒット 117クーペは1968年から1981年まで間に、2度のマイナーチェンジが行われています。初期型と呼ばれるモデルはハンドメイドで製造されましたが、1973年の中期型では製造方法がライン生産に変わり、生産台数が飛躍的に向上しました。 また高すぎるコストの削減にも成功し、初期型と比べ車両価格を抑えた117クーペは爆発的にヒット。販売開始以降、初の黒字化を達成。一方で中期型では内装の素材が木材から金属やウレタンに変わり、初期型独特のエレガンスな雰囲気が損なわれてしまいました。 さらに、1977年に登場した後期型では、特徴的だった丸目のヘッドライトが角目に変更。また、内外装に樹脂パーツが多く使われるなど、さらになるコストカットが図られました。そして117クーペはフルモデルチェンジをせずに1981年に生産終了。総生産台数は86,192台でした。 いすゞ117クーペの中古車市場 初期型の117クーペの新車価格は172万円。当時の大卒初任給は平均で3万950円だったと考えると、かなりの高級車であったことは間違いありません。しかし、マイナーチェンジによるコストダウンにより、新車価格も廉価版では100万円前後まで抑えられます。 そんな117クーペの中古車市場(3月15日現在)を覗いてみると、取引台数は16台。最高値はハンドメイド製法の初期型で685万円、最安値は後期型で148万円と共に新車価格を上回っています。 続いて買取り相場ですが、歴史的価値の高い117クーペは一般査定なら95万円、旧車王ならおよそ120万円と高額査定も期待できます。もちろん希少価値の高いハンドメイドなら高額買取も望めます。 まとめ まさに「魅せる」という1点張りで名車の仲間入りを果たした117クーペ。ジウジアーロ自身も「最高傑作」と称するほどのスタイリングに、現在もコレクターを中心に高い人気を誇っています。 いすゞが赤字採算を覚悟してまで世に出したフラッグシップカーは、それまでの日本のカーデザインの概念を変えたと言っても過言ではありません。 日本とイタリアの技術が融合して生み出された117クーペと言う名の超傑作、もし機会があれば、一度は手にしてみたいですね。 [ライター/増田真吾]

唯我独尊のステンレスボディ!バックトゥザフューチャーで脚光を浴びたデロリアン DMC-12を振り返る
旧車の魅力 2022.03.16

唯我独尊のステンレスボディ!バックトゥザフューチャーで脚光を浴びたデロリアン DMC-12を振り返る

「デロリアン」。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85’)で一躍、有名なった “あの車”です。直線基調のステンレスボディにガルウィングを備えた独特なフォルムで時空を駆け巡る「デロリアン」は、当時まさに唯一無二の存在でした。そして映画の公開から40年近く経った今もカルト的な人気を博しています。でも「デロリアン」の魅力はそれだけではありません。それはまさに1人の男の人生をも変えた車だったのです。 わずか1車種しか販売できなかった自動車メーカーデロリアンとDMC-12 デロリアンの正式名称は「DMC-12」。1981年1月から翌年の12月まで、デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)が製造・販売していたスポーツカーです。 DMC は1975年当時、ゼネラルモーターズの副社長だったジョン・ザッカリー・デロリアン氏が自分の理想とする本格的なGTカーを作るために独立し、デトロイトに設立しました。 それからなんと6年もの開発期間を経て完成したのがDMC-12です。「あのデロリアンが作った車」ということもあり、発売開始直後から予約が殺到。しかし、初期型のクオリティがあまりにも低かったことでキャンセルが相次ぎ、同社は経営難に。さらにデロリアン氏の不正経理やコカイン所持容疑での逮捕など、度重なるトラブルに見舞われ、1982年10月に「DMC」社は倒産してしまいます。 念願叶ったDMC-12も、僅か2年でおよそ9,000台が生産されただけにとどまり、後継車開発も断念。DMC-12は、僅か1世代で幕を閉じた不遇な車となってしまいました。ところが、1985年に公開され世界的大ヒットを記録した「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場すると一躍脚光を浴び、現在もコレクション的な車として高い人気を誇ります。 他に類を見ないデロリアン DMC-12独自のメカニズム DMC-12を生み出したDMC社の実態は、理想は高い一方で技術力が圧倒的に足りない自動車メーカーでした。開発部門もなく製造スタッフも経験不足という状況で、最初から理想の車作りを断念したジョン・デロリアン氏。そこで彼はなんと、ヨーロッパの名車のエッセンスを寄せ集めてDMC-12を生み出しました。 そうこれはイギリス、フランス、ドイツ、そしてイタリアの風味漂う、一粒で4度おいしい多国籍車なのです。 ステンレスボディにガルウイングはまさにイタリアン! DMC-12最大の特徴は、メンテナンスフリーでサビないステンレスボディとガルウイングでしょう。 無塗装のステンレスボディは、加工時に付くサンドペーパーの傷がそのまま残ったヘアライン仕上げ。そして、スーパーカーを彷彿とさせるガルウイングとなれば、注目を集めないはずがありません。 このデザインを担当したのがイタリア・カーデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。日本でも117クーペやスバル・アルシオーネSVXのデザイナーとしてお馴染みのジウジアーロは、象徴的なステンレスボディに樹脂製のバンパーを組み合わせ、エッジの効いた近未来的なデザインに仕上げました。ちなみに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の発明家「ドク」によると「ステンレスボディはタイムマシンには好都合」だったそうです。 その後「DMC-12」は純金パネル仕様の追加やターボ車、4人乗り&4枚ガルウイングドア仕様も計画されていましたが、残念ながらDMCの倒産で実現には至りませんでした。 エンジンや足回りも多国籍!? 「DMC-12」に搭載されているエンジンは、プジョー(仏)ルノー(英)ボルボ(独)の多国籍軍が作った合弁会社「PRV」製の2.8L・V型6気筒SOHCエンジン。元々アルピーヌ・A310に搭載されていたエンジンを改良し搭載されました。 最大出力は135ps、最大トルク22.9kgm、最高速度は209km/h。変速機はルノー製(英)の5MTと3ATがラインアップされました。 シャーシを手掛けたのはコーリン・チャップマンが率いるロータス社(英)です。足回りはロータス・エスプリ、サスペンションの一部はロータス・エラン、リアブレーキ・キャリパーはフォード・コルチナからの流用。 このようにヨーロッパ各国で生まれた名車の部品を寄せ集め、イタリア・カロッツェリアのデザインを取り入れ、イギリスの工場で組立てられたのが、アメリカの自動車メーカー「DMC」から発売されたDMC-12です。 デロリアン DMC-12の中古車市場 1981年当時、DMC-12の新車価格はおよそ700万円と高額でした。それから40年経った現在は一体、幾らで取引されているのでしょうか? 2022年3月現在、大手中古車情報サイトで中古市場を見てみるとDMC-12の取引は2件。どちらも1,480万円ほどの高価格で掲載されています。走行距離は3,000キロ、もう一方も13,000キロと低走行車です。 続いては買い取り相場ですが、こちらは非常に希少な車のため残念ながら確認できません。ただその希少性故、コンディション次第では高額査定も望めます。しかし、こういったコレクション性の高い車種の場合、過走行になると査定額が大幅に下がってしまう可能性もあります。 まとめ 自動車メーカーの革命児として名を馳せたデロリアン氏が人生を賭けて作り上げた「DMC-12」。わずか2年という短命でその幕を閉じましたが、40年が経った今もコレクターを中心に高い人気を誇っています。 2022年8月に後継車として「デロリアンEV」がお披露目されると噂されていますが、果たして初代の魅力を継承できているのか。ヨーロッパの風味が漂い、時空をも駆け巡る近未来カー。 多くの人を虜にする一方で、1人の男の人生までを狂わせた「DMC-12」の魅力は、まさに唯一無二の存在といっても過言ではありません。 [ライター/増田真吾]

ヤリスWRCに繋がるトヨタのスポーツ4WDグレード「GT-FOUR」を振り返る
旧車の魅力 2022.03.08

ヤリスWRCに繋がるトヨタのスポーツ4WDグレード「GT-FOUR」を振り返る

トヨタのスポーツ4WDの歴史は、「GT-FOUR」の登場と共に幕を開けました。高い走行性能とスタイリッシュな外観で若者の心を掴みつつ、WRCという世界最高峰のステージで着実に結果を重ねていきます。現在WRCで活躍しているGRヤリスにもつながる、GT-FOURの歴史と魅力を振り返っていきましょう。 トヨタWRCの歴史とともに歩んだGT-FOUR 「GT-FOUR」はトヨタのスポーツ4WD最高グレードとして受け継がれてきた称号です。2車種4世代に渡って使用されたグレードで、その時代の最新技術が投入されていました。 トヨタのスポーツ4WDの礎を築いたGT-FOURは、最終型の3代目カルディナの販売終了まで実に20年以上も使用された伝統のグレード名称です。 トヨタ初のスポーツ4WDとして登場 初代のGT-FOURは4代目セリカ(160系)の追加グレードとして1986年に登場しました。トヨタ初のスポーツ4WDとなり、以降「GT-FOUR」という名称はトヨタのスポーツ4WDを象徴する称号として受け継がれることになります。 GT-FOURはセリカとして3代、別車種カルディナで1代の合計4世代に渡ってトヨタのスポーツ4WD最高峰グレードとして君臨。WRCのベース車両ともなった高い走行性能が魅力でした。 WRCでトヨタ黄金時代を築く 初代160系セリカGT-FOURは、1986年の登場の2年後となる1988年からWRCに参戦します。5,000台販売というWRC参戦規定のクリアを待ったためです。参戦初年度こそランチアに苦戦を強いられますが、翌年には初優勝。さらに1990年には、ドライバーズタイトル獲得と目覚ましい活躍をします。 続く2代目ST185系セリカでは、トヨタのラリー黄金期を築き上げます。1992年から1994年にわたってドライバーズタイトルを3年連続で獲得。さらに1993年と1994年についてはマニュファクチャラーズタイトルも獲得し2冠に輝きました。トヨタのマニュファクチャラーズタイトル獲得は、日本車初という快挙です。 後継となるST205では車両規定違反があったこともあり、GT-FOURによるWRCの歴史は1995年で終了します。 歴代GT-FOUR トヨタのスポーツ4WDとして一時代を築き、トヨタのみならず日本の自動車史に残るGT-FOUR。ここからは、4代目セリカから3代目カルディナまで、歴代GT-FOURについて振り返ってみたいと思います。 映画でも話題になったST165 初代GT-FOURは、185psを発生する2Lターボ3S-GTEエンジンにトヨタ初となるフルタイム4WD車として1986年に登場。すでに販売されていたST160系セリカの追加モデルとして発表されました。 高いスペックとリトラクタブルライトという先進の外観から、若者を中心に注目を集めます。当時はスタイリッシュに乗れる高性能車が人気で、ホンダ プレリュード、日産 シルビアと並んで3大デートカーとも呼ばれました。 また、映画「私をスキーに連れてって」にも登場。劇中で雪道のカーアクションシーンがあり、当時ブームとなりつつあったスキー用の車としても人気が高まりました。 WRC黄金時を築いたST185 ST165の後継車種として投入されたST185型GT-FOUR。エンジンの型式こそ先代と同様の3S-GTEながら、セラミックタービンと空冷インタークーラーによって、40psアップとなる225psを実現しました。走行性能も随所に先進技術が投入され、日本初のトルセン式リミテッドスリップデフ、油圧制御式アクティブサスペンション(限定車)などが装備されています。 WRCには1992年から参戦。6連覇中のランチアを抑えて日本車初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得するなどトヨタWRCの歴史のなかでも輝かしい黄金期を築き上げました。 車としての完成度は高かったST205 1993年のセリカモデルチェンジから1年遅れで登場したのが、ST205型GT-FOURです。セリカ最終型のT230系セリカにはGT-FOURの設定はなかったので、セリカとして最後のGT-FOURとなります。 インジェクター容量の増加やメタルガスケットの採用など、改良された3S-GTEエンジンの出力は255psに到達。対向4ポッド(後輪は2ポット)アルミ製キャリパーを採用したブレーキをはじめ、当時のWRカーとしては完成の域に達していました。リトラクタブルヘッドライトを廃止し丸目4灯式ヘッドライトになった点が外観上の大きな変更点です。さらに大型のリアスポイラーを装備し、WRCでの活躍も期待されました。 しかし、ST205型GT-FOURは参戦翌年の1995年シーズン途中で車両規定違反が見つかり、トヨタはWRCから遠ざかることになってしまします。1998年にWRCに復帰する際は車両をカローラに変更していたため、GT-FOURでのWRC参戦はST205型セリカで幕を閉じることになりました。 GT-FOURの称号を復活させた3代目カルディナ ST205型GT-FOURの販売終了から3年後となる2002年、GT-FOURの称号が別車種で復活します。3代目カルディナ(T240系)のターボモデルのグレードにGT-FOURの名が冠されました。 260psまで高められた3S-GTE型エンジンと高い走行性能が魅力で、ニュルブルクリンクでは80型スープラよりも速いタイムを記録したという逸話まで残っています。この逸話には多くの説があり真偽は不明ですが、3Lツインターボのスープラと比較されるほどの高性能であったことは間違いありません。 ただし、用意された設定は4速ATのみということでWRC等のレース参戦車両となることもなくカルディナの販売終了と共に2007年にGT-FOURの名称は終了しました。 まとめ 現在GT-FOURの名称は使われていませんが、GT-FOURの名称を受け継いだ「GR-FOUR」という名称が使用されています。WRCで第2の黄金期を築きつつあるGRヤリスの4WDシステムの名称です。 トヨタ初となるスポーツ4WDに冠されたGT-FOURは、トヨタのWRC参戦の歴史に輝く最初の黄金期を築きました。GT-FOUR以来のスポーツ4WDとなるGRヤリスに搭載されたGR-FOURは、新開発された画期的な4WDシステムです。 GR-FOURもGT-FOUR同様、トヨタ最高の技術が投入された証でもあります。WRCでのGRヤリスの活躍とともに、GR-FOURの今後からも目が離せません。 [ライター/増田真吾]

創設者“エンツォ・フェラーリ”が生んだ最後のスーパーカー!フェラーリ F40の魅力を解説
旧車の魅力 2022.02.22

創設者“エンツォ・フェラーリ”が生んだ最後のスーパーカー!フェラーリ F40の魅力を解説

メーカーが製作するスペシャルカーは数多く存在します。そのなかでもフェラーリ F40(エフフォーティー)は、創業者のエンツォ・フェラーリ存命中最後のスーパーカーということもあり、ファンの間でも特別な存在です。 今回は「そのままレースに出られる市販車」をコンセプトに、外観、素材、走行性能、そのすべてに一切の妥協なく生み出された「F40」を、中古車市場も踏まえてご紹介します。 当時の国内最高値は2億5000万円!?F40は価格も性能も異次元 フェラーリ創業40周年を記念して製作されたF40は、1987年7月21日、エンツォ・フェラーリ自らのスピーチによって大々的に発表されました。 F40は同社の「288 GTO」をベースとした後輪駆動の2シーターで、エンジンはリアミッドシップに搭載。「そのままレースに出られる市販車」をコンセプトに掲げるだけあり、走行性能は非常に高く、発売当時の市販車世界最速となる324km/hと発表されています。 発表当時の生産台数は400台を予定していましたが、顧客からの人気は非常に高く注文が殺到したため急遽増産となり、1992年の生産終了までに1,311台が生産されました。また、日本での新車価格は4650万円でしたが、当時がバブル景気真っ只中ということも手伝って投機目的での購入が増え、高額の個体では2億5000万円というプレミア価格がつくほどでした。 一般人には踏み切れない暴力的なエンジンパワー 最高速が324km/hに達するとされるF40には、2.9LのV型8気筒ツインターボエンジンが搭載されており、最高出力は478PS、最大トルクは58.8kgmという大パワーを放出。そのスペックの高さもさることながら、F40最大の魅力はツインターボのスリリングな急加速にあります。 俗にいう「ドッカンターボ」というもので、アクセルを踏んでから一定のエンジン回転数に達すると急激な加速を始めるという、その当時のスポーツカーにはよく見られた特性です。F40の高出力エンジンが生み出すドッカンターボは強烈かつスリル満点であり、その痛快な加速は多くのファンを唸らせました。 反面、その急加速ゆえに扱いは難しく、フェラーリのF1ドライバーであるゲルハルト・ベルガーには「雨の日には絶対に乗りたくない」と言わせるほど。価格はもちろんのこと、その性能を発揮させるためには、常人離れした運転技術と度胸が必要な、まさしく“スーパーカー”です。 世界の自動車業界に影響を与えた大型ウイング F40はエクステリアも高く評価されており、ボディはイタリアのピニンファリーナが担当しています。 ロングノーズ、スモールキャビンというスーパーカーらしい造形とともに、リアカウルと一体型になっている大型のリアウイングは斬新かつダイナミック。もちろん見た目だけではなく、走行時は効果的なダウンフォースを発生させ「そのままレースに出られる」というコンセプトに恥じない走りを見せてくれます。 このリアウイングは大きな反響を呼び、アフターパーツメーカーでは同型のウイングが次々製作され、F40のエクステリアで語るに外せない要素です。 快適装備は一切なし!徹底したレーシング仕様 「そのままレースに出られる市販車」がコンセプトなだけあり、装備面で無駄が一切排除されています。レーシングカーの操作感に近付けるため、ABSやパワステ、ブレーキのマスターバックといった補助装置や快適装備は一切ありません。通常どんな車にもあるドアトリムはおろか、ドアハンドルすら存在せず、ワイヤーを引っ張ってドアを開閉するという徹底ぶりです。 また、シャシーや外装パネルには、当時流行していたカーボンがふんだんに使われ、室内にもむき出しの状態で取付。それほどまで軽量化に力を入れた結果、F40の車重は1100kgとまさにレーシングカーにも匹敵する軽さを実現しています。 そのパワーウエイトレシオは2.3 kg/PSで、同時期に発売されたR32スカイラインGT-Rが、5.1 kg/PSであることを考えれば、どれほど軽快でパワフルであったかがお分かりいただけると思います。 フェラーリ F40の中古車市場 市販車としてはこれ以上ないほどの完成度を誇り、フェラーリ車のなかでも特別な存在といえるF40ですが、意外にも国内には在庫が残っていました。2022年1月時点での大手中古車サイトで調べたところ、F40は5台の在庫がありましたが、そのどれもが車体価格の欄は「応談」となっています。 F40は発売当時の新車価格が4650万円、現在でもオークションでは2億円を超えることもあるため、各ショップとも値付けできないというのが正直なところでしょう。 各個体0.9万kmから2.5万kmという低走行車で、フェラーリ正規ディーラーの認定を受けた「クラシケ」を持った車両もあります。そして、もともとコレクション目的で購入された個体が多いため、車両状態は悪くありません。 まとめ 40周年記念モデルかつ、エンツォ・フェラーリ時代最後のスーパーカーであるF40は、多くの人に強烈な印象を与えました。 市販車でありながらレーシングカーのようなスタイリング、カーボンを惜しみなく使用した軽量ボディ、そして一般人では扱い切れない強烈な加速力。「そのままレースに出られる市販車」というコンセプトは伊達ではなく、他のスーパーカーとは違った別格の魅力があります。 中古市場では簡単に値段が出ないほどの存在となっていますが、国内に在庫は残っているので、一度見てみるだけでもF40の貫録は十分に感じ取ることができるでしょう。 [ライター/増田真吾]

GT-Rだけがスカイラインではない! ケンメリCMや[西部警察]DR30型スカイラインRSターボなど
旧車の魅力 2022.02.10

GT-Rだけがスカイラインではない! ケンメリCMや[西部警察]DR30型スカイラインRSターボなど

スカイラインと聞いて、ハコスカやR32のGT-Rを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか?しかし、GT-R以外にもケンメリ、ジャパン、DR30など、スカイラインには長らく愛され続けている名車が沢山存在するのです。 スカイラインの歴史 スカイラインの歴史は非常に長く1964年に開催された「第2回日本グランプリ」でドイツから参戦したポルシェ904を抜き去るという偉業を成し遂げた2000GT-Bからはじまり、国内レース49連勝という伝説的な偉業を成し遂げたハコスカスカイライン、テレビCMの影響で67万台を売り上げるヒット車となったケンメリスカイライン、「西部警察」で大活躍したスカイラインジャパンとR30型スカイライン、全日本ツーリングカー選手権において無敗の29連勝という新たな伝説を刻んだR32型スカイライン、そして第二世代GT-Rの集大成モデルであるR34型スカイラインまで、数々の苦難を乗り越え受け継がれてきました。 残念ながらR34型以降のスカイラインについては賛否両論が分かれるところですが、スカイラインのDNAは2007年登場のR35 GT-Rへとしっかりと継承されています。 スカイラインはなぜ旧車業界の重鎮なのか? スカイラインが、なぜ旧車業界の重鎮と言われるのか?それは、その時代時代の社会的ニーズに応えるように社会現象と言われるような人気モデルを次々と登場させてきたからではないでしょうか?スカイラインは言うまでもなく非常に歴史のある車です。いまだにどのモデルが一番かは、自動車マニアの間でも熱い議論を呼ぶ話題となりますが、とくに10代目モデルのR34型 (1998~2001年)までは、意見分かれるところです。 具体的には、2度に渡るツーリングカーレースでの歴史的な活躍はもちろんこと、「愛のスカイライン」CMでケンとメリーが国民的な愛称になった4代目モデルのC110型 (1972~1977年)や伝説的なアクション刑事ドラマである「西部警察」に登場した6代目モデルのR30型(1981~1990年)などが挙げらます。そして、その全てが世代を超えて語り継がれ、空前の旧車ブームとともにスカイラインにおける中古車価格の高騰に繋がっているのです。 実はGT-Rである必要はない? スカイラインは、実はGT-Rである必要はないことをご存知でしょうか?もちろん、サーキットでのタイムアタックが目的であればR34型のGT-Rを手に入れることが一番の近道です。しかし、1972年から1977年の間に歴代最高の670365台を売り上げたケンメリスカイラインは、ごくごく普通のファミリーカーでした。そのケンメリスカイラインの人気の秘密はボディサイドのサーフィンラインと4灯式の丸型テールランプと言われており、「丸型4灯テールランプでなければスカイラインではない」と言い切るファンがいるほど、長らくスカイラインの象徴的なデザインとされてきました。 つまり、ツーリングカーレースの活躍でとかく走行性能が求められがちなスカイラインですが、ケンメリの人気を紐解くことでデザインが主な要因であったことがわかります。また、走りを重視したモデルでも唯一の4気筒と言われたDOHC 4バルブのFJ20を搭載したR30型のRSターボやD1グランプリの野村謙選手の活躍で人気を博したR34型の後輪駆動モデルであるER34が有名です。そして、それらのモデルの買取相場の高さがスカイラインがGT-Rだけではないことをはっきりと証明しているのです。 スカイラインは高く売れるのか? スカイラインは高く売れるのかの問いに対しては、10代目モデルであるR34型(1998~2001年)までは、全てプレミアが付いていて高く売れますという応えになります。もちろん、そこにはモデルごとの差があるのは確かですが、どのモデルも当時の新車価格を上回っているのは当たり前といえる状況になっています。中には、1000万円をはるかに超える個体も現れていて、ちょっとしたバブルが到来していると言っても過言ではありません。 しかし、車の評価や売却のタイミングは非常にシビアです。理由は、旧車であるスカイラインを求めるユーザーは多種多様で、買取相場にも一定のパターンがないからです。したがって、査定には相当な専門知識が求められます。旧車王では旧車に特化した確かなノウハウと豊富な買取実績でお客様にご満足いただける査定額をご提示できていると自負しております。スカイライン買取は是非、旧車・ネオクラ専門買取の旧車王にお任せください。 [ライター/旧車王編集部]

オークションでは1億円越えで落札!国内最高峰のスーパースポーツカー、レクサス LFAとは?
旧車の魅力 2022.02.10

オークションでは1億円越えで落札!国内最高峰のスーパースポーツカー、レクサス LFAとは?

トヨタのプレミアムブランドとして、クオリティの高い自動車を展開するレクサス。そんな中、2010年に限定生産されたスポーツモデル「LFA」は日本国内の自動車で最高額となる、3,750万円という驚きの価格で発売されました。 今回は、国内最高額というだけのスペックを有するLFAの魅力と、中古市場について紹介します。 トヨタグループが本気でつくったスーパースポーツカー レクサス LFAはスポーツモデル「F」の最上級モデルとして、2010年12月からの2年間、500台限定(日本販売分は165台)の抽選というかたちで販売されました。 「世界超一級レベルの運動性能と超一流の感性と官能を持ち合わせるスーパースポーツカー」というキャッチコピーのもと、LFAはトヨタグループが総力を上げて開発に取り組み、一切妥協のない車に仕上がっています。 新規開発のV10エンジンや、カーボンをふんだんに使ったシャシーなどの性能面のほかにも、外観や内装、果てには走行音にまで開発の手が入っているというこだわりぶりです。 巨額のコストで売るたびに赤字? LFAの開発は2000年から10年もの期間を経て行われましたが、莫大なコストをかけたことで販売価格は3,750万円という前代未聞の価格に膨れ上がります。 しかし、それほど破格な販売価格にも関わらず、LFAの反響は予想以上に大きく、購入希望者が殺到。もともと半年を予定していた抽選予約期間は、4か月に短縮して締め切られる事態が発生しました。また、その人気は海外にまで及び、アメリカのセレブ、パリス・ヒルトンはLFAを2台乗り継ぐほど気に入っていたとのことです。 そんなLFAですが、1台売るたびにトヨタが赤字を切っていたという噂もあり、3,750万円という販売価格以上のパフォーマンスが詰め込められた車だといわれています。 パワーもサウンドもすごいV10エンジン LFAはコンセプトカーの段階からニュルブルクリンクのレースに参戦しており、走行面には多大な技術が注ぎ込まれています。 F1参戦の想定で新規設計されたヤマハ製4.8LV10エンジン(1LR-GEU型)は、最高出力560PS /8,700rpm、最大トルク48.9kgf·m /6,800rpmを発生し、0-100km/h加速は3.7秒。そして、最高速度325km/hというスピードは国産車のなかでは最高の数値を誇り、これは未だに破られていません。 さらに、V10エンジンの排気音は音声学に基づいて研究されており、マフラーには専用のバルブを装着。ドライバーを高揚させる官能的なサウンドは「天使の咆哮」とも呼ばれ、スーパースポーツカーを目指したLFAならではのこだわりポイントといえます。 さらに洗練されたニュルブルクリンクパッケージ スポーツカーとして十分すぎるほどの性能を持つLFAですが、生産された500台のうちの約50台はサーキット走行向けの「ニュルブルクリンクパッケージ」という、さらに過激なモデルも存在します。 エンジンの最高出力は560psから11psアップの571psまで引き上げられ、タイヤ、サスペンション、大型スポイラーなどの専用部品を装着。ニュルブルクリンク北コースを中心に手の込んだセットアップ施した非常に人気が高いモデルで、ひとたびオーディションに出品されれば1億円以上の金額が動きます。 LFAの中古車相場とオークションでの評価 原稿執筆時の2021年9月、LFAの市場価格を大手中古車サイトで調べたところ、低走行車の在庫が2台のみ存在しましたが、どちらの個体も価格は「応談」となっていました。 新車価格で3,750万円もするLFAは、購入が決まれば大きな金額が動くことになるので、店側としては慎重になる必要があります。冷やかし客の来店や、他店に価格を参考されてしまうことを防ぐためにも、あえて価格を伏せている可能性が高いです。 一方、海外のオークションでは、ベースグレードが81万9000ドル(約8950万円)、ニュルブルクリンクパッケージは160万ドル(約1億7650万円)といった驚きの値段で落札されています。近年は在庫台数も少ないこともあり、LFAの価値はさらに上昇傾向にあるので、個人での購入は非現実的かもしれません。 まとめ 長い開発期間と膨大な費用をかけ誕生した、レクサスのフラッグシップモデルLFA。 LFAはただ「速い」だけではなく、エンジンの排気音などを筆頭に、それまで誰も気にしないような箇所まで徹底的にコストがかけて開発されています。すべての面で妥協せず造られたスーパーカーは、十分すぎるほどの満足感と高揚感をユーザーに与え、全世界にLFAの名を轟かせました。 3,750万円という価格で販売しても赤字になってしまうLFAですが、1億円越えの個体が現れている現状は、ある意味正当な評価額がつけられていると考えてもよいのかもしれません。 [ライター/増田真吾]

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