旧車の魅力

EVで復活?! ファイナルミニでもっとも人気の高かったポールスミス・ミニの魅力に迫る
旧車の魅力 2024.01.16

EVで復活?! ファイナルミニでもっとも人気の高かったポールスミス・ミニの魅力に迫る

2022年10月に開催された「MINI×Paul Smith in東京」でEVバージョンが展示されたことで、再び脚光を浴びたポールスミス・ミニ。伝統のスタイリングを守りながら、ポール・スミス氏のデザインが随所に光る特別仕様車は、当時はもちろん現在でも人気の高いモデルです。 今回は、オールドファンの心をつかんで離さないミニの誕生秘話と、特別仕様車ポールスミス・ミニの魅力をたっぷりと紹介します。 革新的なコンパクトカー「ミニ」 1950年代に登場したミニは、当時としては画期的なコンパクトカーでした。しかも、40年以上に渡って基本的なスタイリングを一切変えなかった珍しい車種です。 ブリティッシュ・モーター・コーポレーションの技術者、アレック・イシゴニス氏が作り上げたミニの開発背景と魅力を改めて振り返りましょう。 ミニの開発は矛盾した挑戦だった 初代ミニが登場したのは、イギリスが石油危機にさらされていた1959年でした。各社が燃費の改善に躍起になるなか、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が発売したコンパクトカーがミニです。 ミニの開発にあたって、BMCの技術者アレック・イシゴニス氏は、「広々とした4人乗りの座席を確保したままで、車体サイズはできるだけコンパクトにする」というテーマを掲げます。車体サイズを小さくするのに、車内のサイズは変えないという大きな矛盾を抱えた挑戦でした。 しかし、ミニは当時としては画期的な方法で、「ボディサイズの縮小」と「居住空間の確保」という相反する2つの要件を満たします。当時は一般的だった縦置きエンジンのFRではなく、ミニは横置きエンジンのFFレイアウトを採用することで、エンジンルームの大幅な縮小に成功。さらに、当時BMCが生産していたエンジンのなかで最小の850ccクラスのAシリーズエンジンを搭載し、コンパクトサイズでありながら居住空間は広い画期的なミニが生まれました。 ミニの名を世界に知らしめたレース参戦 ミニにはいくつかの呼び名がありますが、「ミニ・クーパー」という名で覚えている方も多いのではないでしょうか。「クーパー」は、正確にはミニのスポーツグレード名で車名ではありません。しかし、ミニの存在を世界に知らしめた存在として「クーパー」とミニは切り離せない歴史があります。 ミニの開発当時、テストドライバーとしてステアリングを握っていたジョン・クーパー氏は、開発者のアレック・イシゴニス氏にレース参戦を持ちかけます。あくまでも経済車として開発を進めていたミニのレース参戦に当初は難色を示していたものの、ミニ発売から2年後の1961年についにレース参戦を決定しました。 そして、レース参戦から3年経過した1964年のモンテカルロラリーで、真っ赤なボディカラーの「ミニ クーパーS」が見事に初優勝を飾ります。レースでの活躍によってミニは一気に注目を集め、初代のMK-1は販売台数100万台超という大成功をおさめました。 ポール・スミス・ミニは英国の最強コラボレーション 1998年に限定1,500台で販売された、ポール・スミス・ミニ。イギリスのファッションデザイナー、ポール・スミス氏がデザインを手がけた特別仕様車です。多くの人から愛されるデザインで、40年の販売実績をもつミニに、ポール・スミス氏のデザインが加わるというイギリス最強のデザインコラボレーションが実現したモデルです。 内外装の至るところにポール・スミス氏の遊び心が光るポール・スミス・ミニは、ベース車両のミニ最終型のなかでも圧倒的な人気を誇りました。 ミニのスタイリングに取り込まれたポール・スミス氏の遊び心 ポールスミス・ミニは、ボディデザインが大幅に変わっているわけではありません。歴代のミニ同様、1959年に登場したスタイリングを忠実に踏襲したモデルです。 一方で、専用カラーの設定やエンブレム、ホイール、内装など多くの箇所にポール・スミス氏のデザインが盛り込まれています。オリジナルの良さをスポイルすることなく、新たなデザインを施したことで一気に人気が高まりました。 ポール・スミス・ミニの特徴をさらに詳しく紹介します。 特別感あふれるインテリア ポールスミス・ミニの内装は、ボディカラーに関係なくブラックレザーで統一されています。ドアの内張りといったボディ側だけではなく、シートまでブラックレザーで高級感ある仕上がりです。 一方で、インストゥルメントパネルはボディカラーと同色でペイント。気に入ったボディカラーを選んでも運転をしていると見ることができません。しかし、インテリアにボディカラーを取り入れることで内外装の統一感をもたせるとともに、ドライバーの満足度も向上します。 また、さすがイギリスを代表する有名デザイナーであるがゆえの細部に渡るこだわりも見逃せません。たとえば、グローブボックス内にも塗装が施され、車載ジャッキをいれる工具袋はジーンズ生地で作られるなど遊び心あふれるデザインです。 キラリと光る外装デザイン ポールスミス・ミニのボディ全体のデザインは、歴代のミニと大きくは変わりません。しかし、随所にポール・スミス氏のデザインが光ります。基本的なスタイリングを守っていたことも、オールドファンからの人気を集めた理由かもしれません。 外装面でもっとも大きなポイントは、専用カラー「ポールスミス・ブルー」の設定です。標準車にはないカラーリングを楽しめます。また、チャコールブラックの8本スポークホイールも足回りを引き締め、外観上の印象に大きく影響を与えるポイントです。 一方で、遠目に見ても大きく印象がかわらないものの、エンブレム類には強いこだわりがみられます。ボンネットエンブレムは、ポール・スミス氏が手がけたデザインを宝石職人が七宝焼きで仕上げたものを採用。グリルにはグレート・ブリテン島をかたどったエンブレムもあしらわれています。 リアエンブレムもグレートブリテン島をテーマにしたものを使用。極め付けはリアウィンドウに洋服のタグを思わせるポール・スミスのロゴが施されています。 現在でも色褪せないポール・スミス・ミニ ポールスミス・ミニは、最終型がベースだったとはいえ登場からすでに25年が経過しています。しかし、クラシックミニのスタイリングとともに当時の人気は今も変わらず続いているようです。 ただし、設計の古いミニを中古車で売買する場合は注意が必要です。車輌状態の確認など、専門業者でないと正しく判断ができません。とくに1,500台という限定販売だったポールスミス・ミニは希少車で、正しい査定をするためにはベース車両以上の知識が必要です。 ポールスミス・ミニの売却を検討する際は、名車・希少車・旧車の専門業者に一度ご相談ください。

日産 サファリY60の魅力!ワイルドな風貌で悪路を走破する、クロカンブームを支えた実力派!
旧車の魅力 2024.01.16

日産 サファリY60の魅力!ワイルドな風貌で悪路を走破する、クロカンブームを支えた実力派!

どっしりとしたスタイリングと大型グリルガードが演出するワイルドな風貌が印象的な、日産 Y60型サファリ。販売台数こそトヨタ ランドクルーザーに及ばなかったものの、ラダーフレームによる頑丈な作りと、高い悪路走破性は本格クロカン車として引けをとりません。 Y60型 サファリの本格クロカンとしてのこだわりを、歴代モデルも交えながら振り返ってみましょう。 軍用から民間用へ変化をとげたクロカン車 日産 Y60型サファリは、屈強な四輪駆動車として君臨しました。どんなに厳しいロード環境でも難なく切り抜けるそのタフさは、かつて自衛隊車両として製作された「パトロール」譲りといえます。 パトロールからサファリへ変化をとげたクロスカントリー車の歴史と開発背景を紐解いていきます。 サファリの起源は軍用車輌として開発された4W60 サファリの起源は1950年に登場した4W60です。開発されたきっかけは、日産が警察予備隊(現在の自衛隊)から車輌納品の要請を受けたことです。最終的に採用されたのは三菱 ジープでしたが、サファリはランドクルーザーと並んで国家警察(現在の警視庁)に納車されました。 日産は培ってきたトラック生産の経験に加え、ジープやダッジの下請け修理から学んだ経験をいかし、4W60を独自開発。「パトロール」の愛称で呼ばれた4W60は国家警察に納品後も改良を重ね、消防や医療、建設といった業務用車両として販路を拡大しました。 初代サファリを大きく刷新して地位を確立した2代目Y60型 パトロールと呼ばれた4W60は、業務用車輌としては高い信頼性を得ましたが、個人用としてはランドクルーザーに大きく遅れをとっていました。そこで日産は、国内の一般ユーザー向けにパトロールを一新することを決断。1980年に初代サファリ160型が誕生しました。 サファリの地位を確立したのは、1987年に登場した2代目Y60型です。シャシーと足回りを刷新し、新設計のエンジンも搭載。さらに、現代的な曲線を取り入れた、迫力のあるスタイリングに生まれ変わりました。 骨太設計が光るY60型サファリ ライバル、ランドクルーザーがSUV路線へと舵を切るなか、2代目サファリはあくまでもクロカン車としての性能を追求します。 クロカンとして高い性能を誇っていたY60型サファリの魅力を紹介します。 足回りを中心に悪路走破性を飛躍的に向上 Y60型でのもっとも大きな進化は足回りです。歴代のリーフリジッドサスペンションから、スタビライザー解除装置付きコイルリジッドへ変更。ストロークの長いコイルリジットによって、オフロードでの走破性を格段に向上させました。 さらに、タイヤの動きを制限しないタイヤハウス、障害物の影響を受けにくいボディ形状、頑強なラダーフレームを採用し、徹底的に悪路走破性を追求しました。本格クロカンとして最高の性能を備えたモデルといえるでしょう。 悪路で実力を発揮する大排気量エンジン Y60型の標準モデルに搭載されたエンジンは、TD42型4.2L直列6気筒ディーゼルエンジンです。最高出力135ps、最大トルク28.5kgm・fを発生しました。また、吸気方式をNAとしたことで扱いやすいエンジンに仕上がっています。 さらに1991年には、輸出モデルのみに搭載されていた最高出力175ps最大トルク32.6kgm・fを発揮するTB42E型4.2L直列6気筒ガソリンエンジンを国内向けモデルに追加しました。ライバル車にも引けを取らないスペックを誇るモデルです。 個人ユーザーも強く意識したモデル展開 Y60型サファリは、歴代で初めて4速ATを1988年に追加したモデルです。ほかにも、1991年には3ナンバーサイズのワゴンを追加するなど、ヘビーデューティ目的の特定ユーザーだけではなく個人ユーザーの幅広いニーズにこたえるモデルを展開しました。 ロングボディ、ショートボディ、欧州仕様のディーゼルターボの投入といったバリエーションが多彩にある点もY60サファリの魅力です。 中古車の売買は旧車専門業者に相談が全体条件 本格クロカンとしてさまざまな場面で酷使されやすいY60型サファリ。購入後の思わぬ故障やトラブルを避けるためにも専門業者からの購入をおすすめします。 また、売却する場合も注意が必要です。Y60サファリの本当の価値を評価してもらえない買取業者に査定を依頼すると、経年劣化やヘビーデューティによる傷みから過小評価される恐れもあります。 Y60型サファリは販売台数こそランドクルーザーに及ばなかったものの、高い悪路走破性と風格のあるボディデザインが魅力のクルマです。購入時も売却時もぜひ専門店に相談しましょう。

限定800台のレアモデル! ランクル70をベースに40を復刻したネオクラシックPX10
旧車の魅力 2024.01.16

限定800台のレアモデル! ランクル70をベースに40を復刻したネオクラシックPX10

ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランドクルーザー70系(以下ランクル70)をベースに40系(以下ランクル40)のスタイリングを復刻したカスタムカーです。ランクル40の復活を強く望むファンの声に応えるため、1997年に800台限定で生産されました。 実質的にトヨタ純正のカスタムカーとして開発されたPX10の魅力と、ベース車輌のランクル70と40の歴史を振り返ります。 ロングセラーモデルをかけ合わせたPX10 ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランクル40をモチーフにランクル70をカスタマイズする形で開発されました。ランドクルーザーのなかでも販売期間の長かった2車種をかけ合わせた魅力的なモデルです。 両車の歴史とPX10誕生について振り返ってみましょう。 レトロスタイリングが魅力的なランクル40 ランクル40は、3代目ランドクルーザーとして1960年に発売されました。北米で人気の高かった先代ランクル20を踏襲しつつ、乗用車としての快適性や高速安定性を重視して開発されたモデルです。 ランクル40は、国内のみならず海外からも高い評価を受け、1984年のモデルチェンジまで24年も生産され続けました。 本格クロカン車としての信頼性とデザイン性の高さから、世界で100万台もの売上を記録。ランクル40発売終了後も、特徴的な丸目ライトに挟まれたグリル、左右独立して張り出したフェンダーというスタイリングにコアなファンは魅了され続けました。 世界でもっとも活躍しているサバイバルカーランクル70 ランクル70は、ランクル40のフルモデルチェンジで1984年に発売。2004年に国内での販売は終了したものの、オーストラリアでは現在も販売され続けているロングセラーモデルです。さらに、国内でも人気の高さから2014年に1年限定で再販されました。 高い悪路走破性を誇るランクル70は、世界でもっとも活躍しているサバイバルカーとして、現在も世界各国で走り続けています。 一方スタイリングは、ランクル40から大幅に現代的に変更されました。独立したフロントフェンダーは残っているものの、大幅にサイズが縮小されています。また、2007年のモデルチェンジでは、特徴の1つだった独立フェンダーそのものが廃止されました。 トヨタ純正のカスタムカーPX10の誕生 PX10の製作は、トヨタのボディ組み立てメーカーである「アラコ」の、創業50周年記念事業として企画されたのがきっかけです。販売終了後も根強い人気のあった、ランクル40の復刻版を製作しようと計画されました。 ランクル40のスタイリングを忠実に再現するため、当初は保存されていたランクル40の金型を再利用して完全復刻する予定でしたが、コスト面などの事情により、ランクル70のミドルサイズ(HZJ-73V)のシャシーを利用して開発されます。 結果的に、ランクル史上もっともモデルライフの長い2車種のかけ合わせという、ファン垂涎のカスタマイズモデルが完成しました。 アラコと同じくトヨタ系列の架装メーカー、モデリスタがPX10としてリリース。90年代のクロカンブームの最中ということもあり、ランクルファンのみならず、幅広い顧客から支持されました。 ランクルマニアの心をくすぐるネオクラシック PX10の魅力 2ドアミドルサイズのランクル70(HZJ73V)をベースにカスタマイズしたPX10。 メーカー直系のカスタマイズモデルだけあって、ドアとリアゲート以外のほとんどを新たに製作するなど、ランクル40ファンを裏切らない忠実な復刻を実現しました。 PX10の魅力を再確認してみましょう。 細かな点まで徹底的にランクル40を再現 PX10の魅力は、なんといってもフロントフェイスです。丸目ヘッドライトに挟まれたグリルやフロントバンパー、フロントフェンダーはランクル40を完璧に再現しています。また、ウインカーやミラー、サイドエンブレムといった細かな点も忠実に復刻され、ランクル40の息づかいを感じられます。 さらに、インテリアでは、初期のランクル40で特徴的だった三角窓とCピラーのリアクオーターガラスを復活。内装面は、保安基準の問題から鉄板むき出しにはできなかったものの、オプションで鉄板風パネルを用意するほどのランクル40へのこだわりをみせました。 70系の馬力と足回りはそのままに ボディデザインや架装はランクル40を再現しているものの、走行性能は最新のランクル70と同等です。エンジンは、1HZ型4.2リッター直列6気筒OHCディーゼルを搭載。最高出力135PS/最大トルク28.5kgmを発生し、レトロ感溢れる見た目とは裏腹に力強い走りを実現しました。 また、足回りも前後共にリーフスプリングとリジッドアクスルを組み合わせたランクル70のものを採用。高い悪路走破性と搭乗者の快適性を確保しました。 人気モデルだからこそ専門業者に相談したい PX10は、ランクル80にランクル60顔を移植するといったユーザーレベルのカスタマイズではなく、メーカー直系のコンプリートモデルです。こだわりをもって開発されただけに、現在でも多くのランクルファンからの支持を集めています。 しかし、PX10は800台限定で生産されたことから、中古車市場でもほとんど見かけません。希少車の場合、専門の業者でないと正しい価値判断ができなかったり、販売力の問題で取り扱いできなかったりすることもあるので注意が必要です。 売却を検討する際には、1990年代の車種を取り扱う旧車専門の業者に相談されることをおすすめします。

ホンダ 1300 クーペは本当に失敗作だったのか? わずか2年しか生産されなかった理由と旧車としての魅力に迫る
旧車の魅力 2024.01.15

ホンダ 1300 クーペは本当に失敗作だったのか? わずか2年しか生産されなかった理由と旧車としての魅力に迫る

ホンダ初の小型乗用車の追加モデルとして登場したホンダ 1300 クーペは、1970年からわずか2年しか生産されませんでした。しかし、世界初の方式を採用した空冷エンジンや創業者の引退といった逸話も生まれるなどホンダの歴史において重要な1台です。 近年その価値が再評価されつつある、ホンダ 1300 クーペの歴史を紐解いていきましょう。 ホンダ初の小型乗用車は歴史的な1台になった ホンダ 1300は、二輪車と軽自動車の製造を続けてきたホンダが初めて販売した小型乗用車です。1968年の東京モーターショーで発表され、翌年の1969年にまずはセダンタイプを発売。さらに、翌1970年には2ドアクーペが追加されます。 2ドアクーペは内外装ともに専用設計されたパーツが盛り込まれたスポーティーカーで、ホンダ 1300の高い性能を象徴するモデルでした。 画期的な空冷システムを搭載 ホンダ 1300最大の特徴は、DDAC(Duo Dyna Air Cooling system)と名付けられた画期的な空冷エンジンを採用したことです。冷却効率を高めるためにシリンダーブロックの外壁を二重構造にするという、空冷エンジンへのホンダの挑戦でした。 通常の空冷システムは、エンジン外側に風を当てて冷やします。しかし、DDACエンジンは、さらに二重構造の内側に設けた空気の通り道に、冷却ファンで強制的に空気を送り込んで内外から冷やすという独創的な発想の空冷エンジンでした。 しかし、冷却性能を優先して複雑な構造としたことで、水冷エンジンの強みである軽量さが完全にスポイルされてしまうという大きな欠点がありました。結果的に、水冷化するきっかけになり、ホンダ最後の4輪用空冷エンジンという皮肉な側面も持ち合わせています。 ニーズに合わせた細かいグレード設定 グレード展開の豊富さからも、1300がホンダにとって重要な車種だったことがうかがい知れます。まず、シングルキャブレターの「ホンダ 1300 クーペ7」と4キャブレターの「ホンダ 1300 クーペ9」という2車種をラインナップ。さらに、クーペ7は「スタンダード」「デラックス」「カスタム」「S」、クーペ9は「デラックス」「カスタム」「S」のグレードに分かれ、クーペだけで合計7モデルも存在していました。 ユーザーの嗜好性に合わせたラインナップの広さは、車が単なる移動手段ではなくなってきていた時代背景を色濃く反映しています。 販売台数は思うように伸びなかった ホンダ 1300の販売台数は月間3,000台程度と当初伸び悩んだものの、クーペの追加によって5,000台まで引き上げられます。当時は月間5,000台を超える販売台数を記録する車種は限られていて、決して悪いというほどの数字ではありませんでした。 一方で、小型車開発で先行するトヨタ カローラや日産 サニーは月間1万台以上を販売しており、マツダ ファミリアでも8,000台だったためか、ホンダ内では販売不振という評価だったようです。 結果的に本田宗一郎を引退に追い込んだ ホンダ創業者の本田宗一郎氏らしい独創的な空冷エンジンDDACでしたが、皮肉にも同氏を経営の一線から退けるきっかけにもなりました。販売台数の伸び悩みに呼応するように、1970年頃にホンダ技術者は水冷エンジンへの転換を主張し、空冷へのこだわりをみせる本田氏と真っ向から対立。後にホンダの3代目社長に就任する久米是志氏が辞表を出すほどにまで、社内での議論は加熱したようです。 そこで、設立以来共に経営を担ってきた副社長の藤沢武夫氏が「あなたは社長なのか技術者なのか、どちらなんだ?」と本田氏に問いただします。結局、盟友藤沢氏の説得に本田氏は折れ、ついに水冷エンジンへの転換が図られました。1973年に藤沢氏と同時に引退をした本田氏ですが、空冷水冷問題が決定打だったといわれています。 販売不振でも魅力たっぷりのホンダ 1300 クーペ 販売不振で早期に生産終了を迎えたホンダ 1300 クーペですが、今振り返ると実はかなり魅力的なクルマです。社内でのエンジン論争が引退のきっかけにはなったものの、本田宗一郎氏のこだわりが詰まっていることが伝わってきます。 ホンダ 1300 クーペの魅力はたくさんありますが、特徴的な2点に絞って紹介します。 流麗なボディライン ホンダ 1300 クーペ最大の魅力は、複雑な曲線の組み合わせによる流麗なボディラインです。また、小型車ながらマッスルカーを思わせる精悍なフロントマスクも、他車との違いを主張しています。 しかも、ただデザイン性が高いだけでなく性能面の向上を図った結果だったからこそ、余計に美しさを感じるのかもしれません。空気力学に基づいて設計された複雑な曲線は、超大型のプレス鋼板でモノコック構造を実現。空力とボディ剛性両面で、スポーツモデルにふさわしい性能に仕上げられています。 機能性と豪華さを兼ね備えたコックピット 「フライトコックピット」と呼ばれるドライバーズシートも、ホンダ 1300 クーペの特徴です。立体成形されたインパネによって大型メーターやスイッチ類がすべてドライバーに向けて配置され、スポーツカーらしい操作性と豪華さを演出しています。 また、スペシャルティとしての性格を明確するため、内装全体もセダンから一新されました。 ホンダ 1300は価値が見直されつつある旧車 旧車の魅力は、絶対的な性能の高さだけではありません。現代の車にはないボディラインや独創的な装備、さらに背景にあるストーリーなどさまざまな要素が旧車の価値を決定づけます。大衆車とは一線を画すスポーティーな外観にDDACという個性あふれる空冷エンジン、さらに本田宗一郎氏の引退のきっかけにもなったというストーリー性と、まさにホンダ 1300 クーペは旧車ならではの魅力のつまった1台です。 また、そもそも販売期間がわずか2年ほどと短かったうえ、販売台数も伸び悩んでいたことから中古車市場に出回る台数は限られています。しかも、生産終了からでもすでに50年以上が経過し、希少性が高まっていることも評価が見直されつつある要因の1つです。 ホンダ 1300を売買されたい方は、新車販売当時の評価ではなく旧車としての正しい価値のわかる専門業者に相談することをおすすめします。

名車「テスタロッサ」を継承するV型12気筒エンジン! フェラーリ 512TRの魅力を紹介!
旧車の魅力 2024.01.05

名車「テスタロッサ」を継承するV型12気筒エンジン! フェラーリ 512TRの魅力を紹介!

名車「テスタロッサ」の後継車種として1991年に発表されたフェラーリ 512TR。ボディデザインが似ていることから、テスタロッサのマイナーチェンジモデルと思われることも少なくありません。 しかし、512TRは正真正銘の後継モデルです。エンジンからフレーム、そして似ているといわれる外観デザインに至るまでフラッグシップモデルに相応しく徹底的にこだわって作られました。テスタロッサの弱点を補って余りある進化を遂げた512TRの魅力を紹介します。 名車テスタロッサの後継車として開発された512TR 512TRの前身、テスタロッサは実に8年間に渡って大きな変更がないまま販売されました。その間、エンツォ・フェラーリの死去など社内体制が落ち着かなかったこともありますが、もともとそれだけ完成度が高かったということです。 512TRは、名実ともにフラッグシップモデルに君臨していたテスタロッサを超える必要がありました。まずは、前身テスタロッサの概要と512TRの開発背景を振り返ってみましょう。 新たなフラッグシップモデルとして登場したテスタロッサ 512TRの前身の名車「テスタロッサ」は、1984年の秋にモンディアル・ド・ロトモビルで初披露されました。フェラーリの新たなフラッグシップモデルとして、MRレイアウトに180度V型12気筒エンジンを搭載。フェラーリ製の180度 V12として初めて4バルブヘッドが採用され、最高出力は390psを発揮しました。 「テスタロッサ」は「赤い頭」という意味のイタリア語で、1960年代にフェラーリのレースカーとして活躍したシリーズでも同じ名称が使われています。ヘッドカバーが赤く塗られていたことから名付けられました。 1992年に512TRにバトンを渡すまでの8年間で、合計7,177台が製造されました。スーパーカーという特殊なモデルを考えると、大成功といえる生産台数です。 テスタロッサと同じ「赤い頭」を持つ512TR フェラーリ社内が落ち着いてきた、1988年に512TRの開発はスタートします。そして、開発から3年後の1991年秋、ついにテスタロッサの後継「512TR」が発表されました。 テスタロッサの後継であることを示す「TR」の文字が冠された512TR。先代同様の赤色のヘッドカバーを持つ、5L180度V型12気筒エンジンを搭載しています。ちなみにモデル名の「512」は、「5L」「12気筒」を示す数字です。 最高出力428psを誇るエンジンを新設計のシャーシに搭載し、名門フェラーリのフラッグシップモデルらしい進化を遂げました。課題だった重心の高さとボディ剛性を改善するなど、大幅な性能アップを果たしていて、史上最高の「テスタロッサ」と評価されることもあります。 テスタロッサのデザイン的要素を踏襲 512TRのエクステリアデザインは、基本的にテスタロッサを踏襲しています。外観上の特徴であるリトラクタブルヘッドライトはもちろん、ボディサイドのフィンなど多くの点が共通していました。 一方で、フロントバンパーを一体型にしグリルも変更、エンジンフードの形状もシンプルなものに見直すなど、8年の時代変化を取り入れたデザインも随所に見られます。エンジンやシャーシの進化だけではなく、大幅な変更はなかったものの実はエクステリアも正統進化しているのです。 先代の弱点を解消してさらなる進化を遂げた512TR 512TRは、先代テスタロッサの抱えていた課題を徹底的に解消します。しかも、パワーアップをしにくいNAエンジンながら、約10%のパワーアップにも成功しました。 512TRの進化について、一つ一つ紐解いていきましょう。 テスタロッサの課題を徹底解決 先代テスタロッサの課題は、居住性の確保に伴ってエンジン搭載位置が後方よりになったことにより、前後重量配分と重心の高さが失われた点です。また、ハイパワーエンジンを支える車体のボディ剛性の弱さも問題でした。 512TRでは、テスタロッサの弱点を徹底的に解消しました。まず重心の高さの問題は、オイル循環方式をドライサンプに変更、ブラケットの改良などによってエンジンアッセンブリの搭載位置を30mmほど下げることに成功します。 課題のボディ剛性は、各所に補強を施して向上させます。フレームそのものはテスタロッサを踏襲していましたが、ねじ止めだった床を溶接に変更、荷室やエンジンルームとの隔壁にも鉄板を張り込むといった改良でボディ剛性を高めました。 同排気量のまま大幅にパワーアップしたエンジン 512TRに搭載されたのは、先代と同じ5LV型12気筒エンジンです。しかし、最高出力は先代の390psに対して428psを発揮、38psものパワーアップに成功しました。 新形状の吸入ポートの採用、バルブ径の拡大による吸排気効率の向上。さらに圧縮比10.0を達成した新設計ピストンやカムのプロフィール変更といった、細かい改良の積み上げで大幅なパワーアップを達成しました。 テスタロッサの課題だった重量バランスと剛性の改善とあわせて、当時のフェラーリ最強のマシンに仕上がっています。 世界で2,200台あまりの希少車種 512TRはテスタロッサと比べて販売期間が短かったこともあり、世界でわずか2,200台あまりしか生産されなかった希少車種です。大手中古車サイトで検索したところ、わずか1台しかなく、しかも価格は公開されていませんでした。 希少車でも精力的に買い取る旧車王では、1993年式の512TRを1,600万円で買い取りました。512TRの売却を検討している方は是非、旧車王へご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時  

圧倒的な存在感と個性!今なお高い人気を誇るアメ車シボレー インパラ
旧車の魅力 2024.01.04

圧倒的な存在感と個性!今なお高い人気を誇るアメ車シボレー インパラ

全長5mを超える大型のボディに5LオーバーのV8エンジン。大きさと力強さというアメリカの象徴ともいえるクルマがシボレー インパラです。初代発売から60年以上も市場に投入され続けているインパラの歴史を振り返ります。 力強いアメリカを象徴するインパラ アメリカが1番元気だったとも言われる1960年代の直前、シボレー インパラは登場しました。インパラは新時代の到来に期待が高まるなか、時代に呼応するようにシボレーが最上級グレード車として市場に投入したパーソナルカーす。 最上級グレードのスポーツモデルとして登場したインパラ 初代インパラの登場は1958年。当時シボレーの最上級グレードだった「ベルエア」のスポーツグレード、「ベルエア・インパラ・スポーツパッケージ」としてデビューしました。1958年はアメリカが初めて人工衛星の打ち上げに成功した年で、公民権運動など負の側面も含めてアメリカ全体にエネルギーが満ち溢れつつあった時代です。 初代インパラは2ドアクーペとコンバーチブルのみの設定でしたが、翌年の1959年のモデルチェンジで4ドアモデルも追加。ベルエアがややダウングレードされたことで、名実ともにシボレー最上級グレードとなりました。ちなみに、インパラという名前はアフリカのサバンナに生息するレイヨウというカモシカに似た動物の名前です。 アメリカらしい大型で個性的なデザイン インパラの特徴は、5mを超える全長に2m近い車幅の大柄なボディと個性的なデザイン。大柄なボディをドライブするエンジンもパワフルで、初代モデルから最大で5.7LのV8エンジンを搭載し、大きくて力強いアメリカを象徴するクルマの1つです。 大幅なモデルチェンジをおこなった7代目以降は、ややダウンサイジングされたものの、インパラの伝統は現在も受け継がれています。4ドアセダンの現行型は、エンジンこそ3.6LのV6エンジンとやや迫力不足ながら、ボディサイズは全長5m以上と存在感は抜群です。 6代目が節目となった歴代インパラ インパラは2度の販売中止期間があり、その前後でクルマとしての性格が大きく異なります。 とくに人気なのは、初代から6代目までのモデル。初代登場から60年以上が経過するインパラのモデル変遷を紐解くと、時代背景が浮かび上がってきます。 インパラらしさを追求した初代〜6代目 インパラがもっともインパラらしかったのは6代目までで、ボディサイズ、エンジンともに大型化の一途をたどりました。1965年に登場した4代目インパラには、7.0LのV型8気筒ターボジェットエンジンを採用。また、経済的に豊かになっていったアメリカの勢いを象徴するかのように、この頃のインパラは同世代でもほぼ毎年違う仕様のモデルが発売されていた点も特徴です。 しかし、1970年代に入ると安全性や環境性能に対する意識の高まりとともに、自動車市場は大きな変革期を迎えます。さらにオイルショックの影響もあったことから、安全で経済的なクルマに方向転換せざるを得なかったのです。 そんな中1977年に登場した6代目モデルでは、全長が短くコンパクトになり、エンジンサイズも初代同様の5.7Lという経済性を優先した仕様となりました。6代目の販売が終了する1985年に30年近く続いたインパラの歴史に一旦幕を下ろすことになります。 限定車扱いで復活した7代目 6代目インパラの販売終了から9年が経過した1994年、限定車という扱いながらインパラが7代目インパラSSとして復活します。 コンパクト化した6代目を引き継ぐ形で設計され、エンジンは、カマロやコルベット、ポンティアック・ファイアーバードに搭載されていたV型8気筒5.7LのLT1型エンジンを採用。LT1型エンジンはスポーツモデル用のエンジンですが、大型車のインパラをにあわせてトルク重視に仕様変更されていました。 7代目インパラは1996年までのわずか2年間だけ販売され、インパラの名前は再び姿を消すことになります。 大幅にコンセプトを変えた8代目〜10代目 インパラの名が次に復活したのは、4年後の2000年。8代目となるインパラは大きくコンセプトを変更して登場しました。初代から40年近く続いていた駆動方式を、FRからFFに変更。ラインナップは4ドアセダンのみとなり、クルマとしての立ち位置はスポーツモデルから高級ファミリーセダンになりました。そして、8代目インパラは、2004年に29万台を超える売り上げを記録し、シボレーはこの大幅なコンセプト変更を成功させます。高級車でありながらも、ただの嗜好品ではなく実用的だったことが時代背景とマッチしていました。 2014年に発売された10代目モデルもFFの4ドアセダンで、エンジンはV型6気筒3.6Lを搭載。7.0Lエンジンの頃から比べると約半分の排気量になってはいるものの、5mを超えるボディサイズは健在でアメリカ車らしいどっしりとしたスタイリングです。 まとめ オールドアメリカを体感できるインパラは、今でも人気の高いアメリカ車の1つです。とくに人気の高いのはやはり初代〜2代目。1958年の初代モデルで約3,000万円という価格がついているものもありました。一方で、3代目以降は1964年モデルで380万円など500万円を切るクルマも複数あるので現実的に入手可能な金額です。さらに7代目のインパラSSは100万円を切る価格のものあります。 ただし、現在インパラは日本で正式販売されていないこともあり、2000年以降のFF化されたモデルは日本の中古車市場ではほとんど見かけることがありません。※価格は2022年6月現在

これぞ名機!根強い人気を保つ日産「L型」エンジンの魅力に迫る
旧車の魅力 2024.01.04

これぞ名機!根強い人気を保つ日産「L型」エンジンの魅力に迫る

いまや日産の直列6気筒エンジンといえば「R32型GT-R」などに搭載された「RB型」が有名ですが、マニアの間では「RB型」以前に一斉を風靡した「L型」こそを象徴とする傾向があります。そこで、名機の誉れ高い「L型」直列6気筒エンジンの魅力についてご紹介していきましょう。 「技術の日産」というイメージを決定づけた傑作ユニット 海外製自動車をお手本に設計されていたいわば亜流時代を経て、日本独自のアイディアや機構を盛り込んだ新時代エンジンが登場し始めた1960年代に日産は「L型」エンジンを開発。汎用性と耐久性に長けていただけでなく、滑らかな回転をもつシルキー&パワフルなその直列6気筒は世界中で高く評価され、長きに渡って日産の主流ユニットであり続けました。 生産性の向上を目指して開発されたエンジンだけあって、日産が大量生産するエンジンの基本コンポーネンツが共通化されており、幅広い互換性を持っていたのが最大の特徴。4気筒のL型や1965年に「セドリックスペシャル6(130型)」に搭載された旧L20型エンジンを含めれば、1960年代中盤から1980年代前半まで約20年間もフル活用されていたのです。 耐久性と汎用性がチューニングするにはもってこい 直列6気筒ならではのスムーズな回転フィーリングは、このエンジンが出回り始めた当時のまさしく高級車の味わい。直列4気筒よりも6気筒、SOHC(シングル・オーバーヘッド・カムシャフト)よりもDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト)、NA(自然吸気)よりもターボ装着車の方が格上。メカニズム的なことを語るより、単純明快な理解こそが当時の自動車のあり方を如実に示しています。 しかし、冒頭で触れた「RB型」にも脈々と受け継がれている基本設計コンセプトが証明するように、スピード至上主義者=チューナーの目からみてもすこぶる魅力的なエンジンでした。 一定以上の燃費性能が求められる現在、多くのエンジンは軽量化のためにアルミ製のブロックを使用しています。しかし、L型エンジンのブロックは鋳鉄製で、重い代わりに耐久性に優れているという特徴があります。 耐久性と汎用性が高いということは、耐久性=チューニング、汎用性=使いまわしが効く、と言い換えていいでしょう。極端なことを言えば、4気筒ユニットの部品や派生版のディーゼルユニットの部品を自在に組み合わせて、自分好みのエンジンに育てることができました。そして、日本各地に点在していたチューナーが紆余曲折、試行錯誤を重ねた結果にたどり着いたのが、かの「L28改」という名高きモンスターユニットだったのです。 チューニング次第では公道最強を誇るL28改ユニット L型エンジン最大の特長は生産期間においてターンフロー型であり続けたこと。ターンフローとはレシプロエンジンにおけるシリンダーヘッドの排気形態を指しており、吸気口と排気口をエンジンヘッドの片側にセットで設置することで空気の流れを一体化。最新型のエンジンに比べまだまだ低出力だった時代には、低回転域において出力を向上させることができる方式でした。 現在は左右に吸気口と排気口を置くクロスフロー型が主流ですが、ターンフロー型はエンジン加工やしやすく、さらには高回転・高出力が望めるツインカム化もしやすいというメリットもあります。 1.3Lから2.8Lディーゼルまである豊富なバリエーション さらなるパワーとトルクを獲得するべく、より口径が大きいピストンを組み込んで排気量を拡大するボアアップ、前述したツインカム化、あるいはターボチャージャーの装着。耐久性と汎用性が高いL型エンジンは、4気筒1.3〜1.8リッターはもちろん、6気筒2.0〜2.8リッターまで、ほとんどのモデルのジャーナル径やピッチが共通化されています。 そのため、クランクやコンロッドの自由な組み合わせが可能で、強度の高い鋳鉄製のエンジンブロックはチューニングを施すうえで特別な補強を施す必要もありません。 排気量アップやターボチューンも可能 そんな、魅惑の「L型」エンジンの最大排気量版である2753cc のL28型をベースにしたのがいわゆる「L28改」です。 基本的な方法は3mmボアの大きい「FJ20型」エンジンの純正ピストンとストロークの長いLD28型ディーゼルエンジン用の純正クランクシャフトを流用。さらに、L14型のコンロッドを流用しつつ、わずかな加工を施すことで3.1リッター化を目指します。 次いで、社外品の88.5mmピストンと85mmクランクを用いつつ、強度がもっとも高いとされる「N42」に刻印があるエンジンブロックを下敷きにして3.2リッターへ。そのうえでヘッド面研やポート加工、クランク後端短縮加工などを施せば、自然吸気にして300馬力オーバーも可能です。 手間は掛かるが反応をダイレクトに感じられたキャブチューン そんなL型エンジンの定番チューンである排気量アップですが、排気量が増えれば当然燃料の量、つまりより口径の大きなキャブレターへの交換やセッティングが必要になります。世のチューナーたちは点火プラグの焼けを確認しながら、燃料の量が適量なのかを判断していました。 ものすごく簡単に言えば、点火プラグが焼け気味なら番手の大きなジェット(燃料増)へ、かぶり気味なら番手の小さなジェット(燃料減)に交換。もちろん調整する際はエンジンを止め、交換する際は毎回キャブレターを外さなくてはいけません。 ただ、現代の電子制御に比べ、チューンへの反応はダイレクト。それは仕組みが単純であると同時に“平凡”だった「L型エンジン+キャブレター」の組み合わせだからこそなしえたことなのかもしれません。 存在そのものがプレミア化したL型エンジン そんなL型エンジンをネットオークションで検索してみると、個別のパーツやシリンダーブロックのみなど、単体部品での販売がほとんど。チューニングされたNA3.0リッター仕様のコンプリートエンジンともなれば、100万円を下回る落札価格はまずあり得ない状況です。専門ショップ謹製のコンプリートエンジンならいざ知らず、いわゆる中古エンジンはオーバーホールを施すことが大前提。 エンジンを搭載された車両をまるごと購入するという手も残っていますが、既に生産されていないエンジンであるため入手性は極めてよくありません。これからL型エンジンを購入するなら、軽自動車が新車で買える程度の予算は覚悟しましょう。また、解体屋を回りつつネットオークションをこまめにチェックは当然として、あらゆることを相談できる専門店に相談するのがおすすめです。 偉大な余白を持ったベーシックエンジン L型エンジンが名機と呼ばれる理由は、幅広い車種に搭載されてきたことと、長年主力エンジンであり続けたことに尽きます。一部にはスポーツエンジンとして開発されたL型も存在しますが、L型エンジン本来の姿は低い生産コストと汎用性。そのいかにもベーシックなテーマで開発されたからこそ多くのバリエーションが誕生し、それは結果として純正パーツの組み合わせで排気量アップできるという副産物をもたらしました。 そしてベーシックだからこそ、チューニングによって鍛え上げられる“余白”が残っています。リッター100馬力が当たり前、そして軽量で燃費の良い現代のエンジンにはないその余白もL型エンジンの大きな魅力なのです。 [ライター/増田真吾]

日産が誇る4気筒の名機!SR20型エンジンの魅力とは
旧車の魅力 2024.01.04

日産が誇る4気筒の名機!SR20型エンジンの魅力とは

SR20型エンジンは、日産製の直列4気筒エンジンでシルビアや180SXなどさまざまな車種に搭載されてきました。このエンジンは今でも多くのファンに愛され、熱い要望によって2022年9月には30機限定で新品エンジンの再販が決定したほどです。そこまで愛されるSR20型エンジンとは、どのようなエンジンなのでしょうか。今回はSR20型エンジンの歴史とその魅力を紹介します。 SR20型エンジンを記憶に残る名機押し上げたシルビア&180SX SR20型エンジンは、パルサー GTI-R(RNN14型)や初代エクストレイル(T30型)などの高出力モデル、さらにセレナやアベニール、ブルーバードなど、日産車に幅広く採用されてきました。まさに日産の主力エンジンといえるでしょう。 そのなかでもSR20型エンジンを一躍有名にした車種といえば、多くのスポーツカー好きに愛されるシルビア&180SXです。S13シルビアには通称S13と呼ばれる5代目の後期(PS13型)以降、180SXは中期以降(RPS13型)に、SR20型エンジンが搭載されています。そこで、まずはシルビア&180SXの歴史を振り返るとともにSR20型エンジンについて紹介します。 デートカーとして開発されるもスポーツカーとしてヒットしたS13型シルビア S13型シルビアが発売された1988年といえば、デートカー全盛の時代です。中でも一際高い人気を博したプレリュードの牙城を崩すべく、S13型シルビアもデートカーとして開発が進められました。 FF車のプレリュードに対し、日産はフロントエンジン後輪駆動のFRを採用。S13型シルビアがデビューした頃は、トヨタのカローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)が生産中止となり、コンパクトでスポーティなFR車が存在しない時期でした。その結果、当初はデートカーとしての開発されたS13型シルビアでしたが、日産の思惑とは裏腹にコンパクトFRスポーツカーとしての人気を伸ばします。 CA18型エンジンからSR20型エンジンへ 発売当初、S13型シルビアにはCA18型という1,800ccのエンジンが採用されていました。しかし、1991年のマイナーチェンジで2,000ccのSR20型へ変更されます。 ターボ仕様のCA18型エンジンは最高出力175psを発生し、当時としては十分なパワーをもっていましたが、設計自体が古く鋳鉄製で重量があるという点が問題視されていました。そこで、CA18型エンジンに代わって採用されたのがSR20型エンジンです。アルミブロック製で軽量コンパクト、出力もターボ仕様で205psと大幅なパワーアップを果たしました。 S14型・S15型シルビアのSR20型エンジン S14型シルビアのターボモデルで最高出力は220ps、さらに1999年に発売されたS15型シルビアではSR20型エンジンの最高点とも言える250psに到達しました。 S14型シルビアに比べてコンパクトなS15型シルビアは、走り好きなドライバーには評価されましたが、当時のミニバンブームに押されて販売台数が伸び悩みました。流通台数の少ないS15型シルビアに搭載されたSR20型エンジンは、現在は大変希少なエンジンといわれています。 SR20型エンジンの特徴とウィークポイント 発売当初から走りにこだわるドライバーに支持されたSR20型エンジンですが、発売終了から20年経った今でもその人気は衰えていません。 快適な街乗りを叶えるだけではなく、峠やサーキットでの爽快なドリフト走行でも活躍するSR20型エンジン。ここからはさらに詳しく魅力を紹介するとともに、弱点についても解説します。 チューニングベースとして優秀なSR20型エンジン シルビアと180SXのヒットにより、SR20型エンジンのチューニングパーツが多く出回りました。こうした背景があり、チューニングベースのエンジンとして確かな地位を手に入れます。 ターボであるSR20DET型は、マフラーやエアクリーナーを交換するだけで比較的簡単にパワーアップでき、さまざまなチューニングメニューがラインナップされています。エンジン内部にまで手を入れれば、500㎰以上を狙うことも不可能ではありません。 ライトにチューニングを楽しみたいドライバーから、とことんパワーにこだわるドライバーまで幅広い層が楽しめるという点もSR20型エンジンの魅力の一つです。 また、S13型からS15型まで仕様は違うものの、FRレイアウトでターボモデルというパッケージ自体は変わりません。カスタムパーツの開発が長い期間続けられたことも、チューニングベースとして人気を集める理由です。 SR20型エンジンのウィークポイント 軽量コンパクトを狙ったアルミ製エンジンブロックなので、鋳鉄製のブロックに比べると強度や耐久性が劣ります。流通量の多いSR20型エンジンですが、中には手荒に使用されてきた個体も多く、中古のエンジンを使用する場合は注意しましょう。 また、ロッカーアームを介してカムを駆動しているため、直打式に比べ高回転に不向きです。さらに、「ロッカーアーム飛び」という高回転高負荷時にロッカーアームが外れる(破損する)SR20型エンジンならではの不具合も発生しやすくなっています。特にドリフトなど過酷な条件で使用されたエンジンは、アイドリングの安定性や異音など、注意深く確認する必要があるでしょう。 SR20エンジンが30機限定で再販決定! 八王子のチューニング&中古車販売を行うマーキュリーが、2022年9月にSR20型エンジンを再販しました。これはマーキュリーの代表が2年に渡り日産と交渉を続け、再販を依頼したこと。そして、再販を希望する多くのファンの声が届いたこともあり、台数限定で再生産されることになりました。 再販が決まったのはSR20DET型です。S15型シルビア用のターボエンジンで30機限定で販売されます。価格はで133万円(税抜)です。販売元はマーキュリー富士森店で、2022年9月26日10時〜から予約を開始し11月から納品開始予定となっています。しかし、販売される台数も少なく、かなりの人気が予想されるため、気になる方はすぐに問い合わせてみましょう。 まとめ SR20型エンジンはさまざまなカスタマイズやチューニングが可能で、自分好みに仕上げる楽しみがあります。そんなSR20型エンジンを搭載しているからこそ、シルビアと180SXが人気車になったといっても過言ではないでしょう。人気は未だに衰えず、ファンの熱い要望にメーカーが動かされ再販にも繋がりました。 省燃費性能をはじめとして、今は環境性能が求められる時代です。今後、純粋な内燃機関のスポーツエンジンが登場する可能性は低いといえます。純粋なスポーツエンジンを楽しみたいならSR20型エンジンを搭載した中古車を探しましょう。昨今シルビアや180SXの中古車価格は高騰し続けているため、今が購入のラストチャンスかもしれません。  

世界に誇るミニオフローダー!スズキ ジムニーJA11・JA12・JA22の違いを徹底紹介
旧車の魅力 2023.12.29

世界に誇るミニオフローダー!スズキ ジムニーJA11・JA12・JA22の違いを徹底紹介

スズキ ジムニーは、軽自動車でありながら本格的な悪路走破性能とレトロなデザインが支持され、半世紀以上高い人気を維持しています。 今回はそんな歴代ジムニーの中でも根強いファンが多い、2代目ジムニー「JA11型」「JA12型」「JA22型」について紹介します。 半世紀の歴史を持つ名車!スズキのジムニーとは 今でも幅広い年代に愛されいているジム二ーですが、歴史をたどると初代ジム二―が発売されたのは1970年。ジムニーは2022年現在からすると、50年以上前から販売されている歴史のあるモデルです。 ジムニーの一番の特徴は、ラダーフレームを採用していること。ラダーフレームとは、梯子上のフレームを持つ構造のことで、居住空間であるボディと分けることで、悪路でもへこたれない高い剛性を実現します。その剛性は本格的で、一般的な車では到底走ることができないような荒れた路面を走行しても、ボディが歪むことはありません。 そんな硬派でオフローダーとして、本格的な走行性能を持ったジムニーですが、最近では街乗りをメインとしたライトユーザーが多くなってきました。その結果、現行型のJB64型では、使い勝手や乗り心地をより乗用に適したものに改良されています。 そんな、日常使いでの扱いやすさを取り入れるきっかけとなったのが、2代目の第3期に当たるJA11型ジムニーなのです。 ATモデルが登場し乗用車志向になったJA11型 1990年に発売されたJA11型ジムニーは、1992年の3型からモデル初の3速AT(オートマチックトランスミッション)を採用。ATモデルが登場したことにより、これまでよりも気軽に乗ることができるようになり、ジムニー愛用者が増加するきっかけになりました。そして、JA11型の特筆すべきポイントは、F6A型エンジンとローギヤードというパワートレイン。 F6Aエンジンは、スズキがモータースポーツでの使用を前提に開発を行ったエンジンで、鋳鉄製シリンダーブロックを採用した高い耐久性が特徴。また、ローギヤードの変速比設定は、極低速での操作性を向上させ、悪路走破性に大きく寄与します。 ただし、鋳鉄製のエンジンとローギヤードの変速比は、オフロードでちからを発揮する一方、オンロードでの日常使いではデメリットになることもあります。 重量が重くなりやすく、走行時のエンジン回転数が高くなってしまうため、どうしても燃費性能は悪くなりがちです。また、3速ATで高速道路を80km/hで走行した場合、回転数は約4,500rpmとなり、それなりの騒音を覚悟しなければなりません。 見た目はそのままに時代に合わせて進化したJA22型 1995年から販売が開始されたJA22型ジムニーは、JA11型の外観的な特徴をしっかりと残しつつ、中身を時代に合わせたモデルです。 JA11型ジムニーとの大きな違いは、エンジンがF6A型からK6A型に変わったことと、コイルスプリングを採用したこと。 低回転での使いやすさを重視し耐久性に優れたF6A型に対し、K6A型はアルミ製シリンダーブロックを採用し、特性もやや高回転よりにシフトしています。また、やや高い変速比を採用したことと合わせて、これまでJA11型が苦手だった高速走行の快適性と燃費が格段に向上しています。 そして、スプリングをリーフからコイルに変更したことでマイルドな乗り味となり、JA11型よりもさらに乗用車としての性能が向上。JA11型までは貨物車の「4ナンバー」しかありませんでしたが、乗用車である「5ナンバー」が採用されました。 より硬派なユーザー向けのJA12型 JA12型はJA22型と同じタイミングで発売された、2代目ジム二ーの最後のモデルです。高回転型のK6Aとハイギヤードの変速比を採用したJA22型に対し、本来のオフロード性能を求めるユーザーに向け、JA12型にはJA11型と同じF6A型エンジンを搭載しています。また、JA22型は動力ロスの少ない電動パワステを初採用していますが、JA12型ではエンジンによってパワステポンプを回す従来通りの油圧式。(※バンと幌は設定なし) これらの違いを見ても分かる通り、時代のトレンドに合わせ乗用車的な方向に進化したJA22型と、熟成した従来パーツを使用し信頼性を確保したJA12型とで大別することができます。 まとめ もともとジムニーは、コンパクトな車体と高い悪路走破性をもったオフローダーとして、林業をはじめとした悪路を走らざるを得ない職業の方たちをメインターゲットとしてきました。 しかし、今回ご紹介したJA11型から、徐々に乗用車としての価値観を取り入れはじめ、3代目となるJB23型、そして現行型であるJB64型へ進化。いまでは、お洒落に使える日々の足として、幅広いユーザーから人気を獲得しています。 そんな今のジムニーに繋がる2代目ですが、やはり本格オフローダーとしての素性は、現行型よりも重視されているため、より本格的な乗り味を求める方は、JA11型、JA22型、JA12型の購入を検討してみてはいかがでしょうか。  

グランツーリスモの意味とは?スポーツカーとの違いも解説!
旧車の魅力 2023.12.29

グランツーリスモの意味とは?スポーツカーとの違いも解説!

「グランツーリスモ」と聞いてレースゲームや世界の名だたるGTカーを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。しかし、「グランツーリスモ」の生い立ちは、まだ移動手段としてまだ馬車が当たり前だった19世紀イギリスのビクトリア朝時代にまでさかのぼります。 ここでは、「グランツーリスモ」の由来や「グランツーリスモ」と「スポーツカー」の違いついて紹介しますので、参考にしてください。 グランツーリスモとは? 車乗りなら誰でも知っている「GT」という言葉ありますが、実は多くの場合で誤った意味が使われており、本来の意味はあまり理解されていないのが実情です。 「GT」は、正式には「グランツーリスモ」というイタリア語になりますが、その「グランツーリスモ」は自動車のカテゴリのひとつであって、一般的に快適に長距離ドライブをこなすことのできる動力性能と操縦安定性が優れた車のことを言います。 日本でも「GT」がグレード名に付いたモデル数多く発売されてきましたが、その中でもトヨタ2000GTと日産スカイライン(ハコスカ・ケンメリ)は特に有名です。 「グランツーリスモ」の由来と起源 「グランツーリスモ」の起源は19世紀のイギリスにおける貴族階級の教育にあります。19世紀の貴族は子弟の教育のために家庭教師を雇って学問や教養を身に着けさせることが一般的でしたが、その最終プロセスとしてヨーロッパで2~3年に及ぶ修学旅行を行うことがありました。 そして、この旅行を「グランドツアー」と呼んだことが「グランツーリスモ」の由来と言われています。修学旅行で使う馬車は長期旅行に耐えうる丈夫さが必要でしたが、その馬車の制作の多くをイタリアのカロッツェリア(イタリア語で馬車や自動車の車体を製造する会社)に依頼したため、イタリア語の「グランツーリスモ」が使われるようになったと言われています。 「グランツーリスモ」と似た意味の言葉 「グランツーリスモ」は大旅行を意味する「グランドツーリング」から派生した言葉であり、元々は長距離走行に適した高性能な自動車を意味する言葉でした。 日本では意味こそ変わらないもの「GT」という呼び名で、独自の文化を歩んできました。 グランドツーリング(グランドツアラー) 日本では昔から高性能車のことを「グランドツーリング」と呼んでいました。そして、「グランドツーリング」を略した「GT」というグレード名が1960年代から1970年のスポーツセダンやクーペに数多く使われました。 つまり、「グランツーリスモ」と似た意味の言葉というよりも、英語の「グランドツーリング」の方が日本人にとって親しみやすかったということなのかもしれません。 「グランツーリスモ」と「スポーツカー」の違い 「グランツーリスモ」と「スポーツカー」の違いは、実はこの2つのカテゴリーには非常に被るところがあり、一概には言えないというのが正直なところです。 ただひとつ言えることは、由来の「グランドツアー」という言葉があるように、人と荷物をしっかり乗せられることが「グランツーリスモ」条件なのかもしれません。 「スポーツカー」の定義 「スポーツカー」の定義は、ざっくりと言うと運転自体を楽しむ車です。したがって、「グランツーリスモ」のように長距離移動は考えておらず、例え快適性が損なわれても走行性能に特化して車が開発されています。具体的には、ミッドシップレイアウトやそれに伴うラゲッジスペースの制限などです。 2019年7月に発表されたコルベットが、フルモデルチェンジを機にエンジンレイアウトがFRからミッドシップに変わりましたが、コルベットの新旧の比較が最もわかりやすい例かもしれません。もちろん、新型コルベットはスポーツカーの部類に入ります。 「GT」という車名は必ずしも「グランツーリスモ」ではない 国際自動車連盟(FIA)や日本自動車連盟(JAF)では、2シーターまたは2+2シーターのクーペのことを「グランドツーリングカー」と定義しています。具体的には、国内モータースポーツのトップカテゴリーであるスーパーGTやル・マン 24時間レースのGTE Proクラスで使用されている競技車両です。 つまり、「GT」という車名は必ずしも「グランツーリスモ」ではないと言えるのです。 まとめ ここまで、「グランツーリスモ」の長い歴史や言葉の意味について解説してきましたが、「グランツーリスモ」の由来や起源に驚いたユーザーも多いのではないでしょうか。 しかし、様々な解釈が存在する今日では、ユーザー自身の価値観で「グランツーリスモ」と呼ぶに相応しいモデルを選択すれば良いのかもしれません。 [ライター/旧車王編集部]

旧車王ヒストリアは
旧車買取20年以上の旧車王
が運営しています

旧車売るなら旧車王

旧車王は、「自動車文化遺産を次世代へ」という信念のもと、旧車・クラシックカーに特化して23年、年間11,000台以上の査定申込をいただいております。改造車から希少車まで、適正価格を見極めて買取させていただきます。弊社所属の鑑定士が最短当日で全国無料出張査定いたします。ご契約後の買取額の減額や不当なキャンセル料を請求する二重査定は一切ありません。特別なそして価値ある希少車の買取こそ、確かなノウハウと実績を持つ旧車王にお任せください!

すぐ査定依頼が可能!

旧車王サイトはこちら

まずは車について気軽に相談したい

どんな相談ができるの?

カテゴリ一覧

# 旧車コラム # 旧車の魅力 # 旧車売買の豆知識 # 旧車市場動向 # 旧車メンテナンス # エディターズノート # ライタープロフィール # イベントレポート # ライフスタイル # 加藤久美子&博人の見識 # ドイツ現地レポ # ライター愛車レポート # タイレルP34を追え! # オーナーインタビュー # 名車&迷車烈伝 # マツド・デラックスの世界 # 海外現地レポ