レガシィグランドワゴン――。この名前を知っている人は、よほどのスバル通かRV好き(当時はSUVをこう呼んだ)でしょう。 それもそのはず、たったの3年しか使われなかったモデル名なのですから。 でも、「レガシィグランドワゴン」が、今に続く重要な役割を果たしたモデルであることは間違いありません。 その姿から想像がつく人もいるでしょう。 そう、現在の「アウトバック」の原型となるモデルなのです。 ▲1995年「レガシィグランドワゴン」 ■ハリアーやフォレスターの誕生より前に セダンの「レガシィB4」が国内市場から姿を消した今、スバルのフラッグシップとしての位置づけを担うアウトバック。 先代まではレガシィB4も存在しており、その姿からも“レガシィの派生モデル”であることは、容易に想像がつきます。 では、いつレガシィから派生し、そして独立したモデルへとなっていったのでしょうか。 その起源を辿っていったときに行き着くのが、1995年に誕生したレガシィグランドワゴンです。 レガシィグランドワゴンは、レガシィツーリングワゴンをベースに車高(最低地上高)をあげ、大型フォグランプを埋め込む専用デザインのフロントマスクと2トーンボディカラー、オールシーズンタイヤの装着によりRV仕様としたもの。 エンジンは、レガシィよりも余裕をもたせた2.5リッターを搭載し、「フォレスター」誕生以前のスバルでオフロード色を強めたモデルとして登場しました。 ▲インテリアも専用のシート生地などを採用 1995年という時代は、1980年代後半から巻起こったRVブームの余波が残っていた時代。 前年の1994年にはホンダ「オデッセイ」が誕生し、レガシィツーリングワゴンGTが開拓したステーションワゴンの台頭もあったものの、街中では三菱「パジェロ」やトヨタ「ランドクルーザープラド」、日産「テラノ」、いすず「ビッグホーン」といったRV車が数多く走っていたものです。 レガシィツーリングワゴンGTによって“走りのワゴン”というジャンルを確立したスバルがRVをラインナップに加えたかったことは、想像にかたくありません。 実際に、いすずからビッグホーンのOEM供給をうけ、スバル ビッグホーンとして販売していたこともあります。 ▲スバル「ビッグホーン ハンドリング・バイ・ロータス」 しかし、スバル ビッグホーンは、いすず ビッグホーンのエンブレムを六連星に変えただけのクルマ。 スバルらしさは皆無で、“売れるクルマ”となるわけはなく、1993年に販売を終了します。 グランドワゴンが実質的なビッグホーンの後継者だと言うと少し乱暴ですが、スバルとしては待望の自社製RVだったのです(余談ですが、グランドワゴンと同じ1995年には同じ手法でインプレッサベースのインプレッサグラベルEXを発売しています)。 ■ランカスター、そしてアウトバックへ なぜ、レガシィグランドワゴンを「名車&迷車」として取り上げるのか。 それは、クルマそのもののデキや希少性などではなく、ネーミングにあります。 レガシィグランドワゴンという名称は、わずか3年しか使われなかったのです。 しかも、グランドワゴンからすぐに現在のアウトバックへと改称したわけではなく、なんとマイナーチェンジで名称変更されたのですから、不遇な話。 新名称は、イングランド北部、ランカシャー州北西部の都市名に由来する「レガシィランカスター」となりました(改称後、わずか1年でフルモデルチェンジを実施するので、BG型ランカスターもなかなかの不遇モデルに……)。 ▲わずか1年の販売となったBG型「レガシィランカスター」 とはいえ、レガシィグランドワゴンが残した功績は、小さくありません。 実はアウトバックの名で販売された北米でこのクルマはヒット。 1998年にはボルボが「V70XC」を発売し、1999年にはアウディが「オールロードクワトロ」を投入するなど、多くの追随車を生み出しました。 初代トヨタ「ハリアー」が誕生したのも、グランドワゴン登場以後の1997年です(フォレスターも1997年に登場)。 この流れは現在も続き、今ヨーロッパのワゴンモデルを見てみると、メルセデス・ベンツ「C/Eクラス オールテレーン」にフォルクスワーゲン「ゴルフ/パサート オールトラック」、ボルボ「V60/V90クロスカントリー」と、ステーションワゴンベースのクロスオーバーSUVのラインナップは多岐にわたります。 ▲2023年ボルボ「V60クロスカントリー」 その元祖がレガシィグランドワゴンだったと考えると、存在感は希薄でも残した功績は非常に大きなものだったと言えるのではないでしょうか。 なお、レガシィグランドワゴンはランカスターへと改称後、レガシィシリーズは3代目へとフルモデルチェンジ。そして、次のフルモデルチェンジで4代目となるとともにグローバルネームである「アウトバック」を名乗るようになり、現在へと至ります。 ▲BH型「レガシィランカスター」 ▲BP型「レガシィアウトバック L.L.Bean EDITION」 個人的には、BH型ランカスターに追加された水平対向6気筒エンジン搭載モデル(ランカスター6と名乗った)や、BP型アウトバックに設定された「L.L.Bean EDITION」も気になりますが、レガシィツーリングワゴンのRV仕様であると同時に、2.5リッターエンジン搭載の上級仕様として大人の雰囲気をまとったグランドワゴンに大きな経緯を評したいと思います。 [画像:スバル・Volvo/ライター:木谷宗義]
名車といわれるクルマは、たくさんの人に愛されたヒットモデルであることが多いもの。 しかし、そのヒットに至るには多くのトライ&エラーがあり、ときにチャレンジが裏目に出てしまうこともあります。 「フィット」誕生以前にホンダのエントリーカーを担っていた「ロゴ」は、まさにトライ&エラーのなかで数奇な運命をたどったモデルだといえるでしょう。 愚直なまでに実用性を追求した結果、ホンダ車に求められる“おもしろさ”が削られてしまったのです。 ▲ロゴ(前期型) ■トールボーイとスポーティ ロゴを語るためには、まずその前身となる「シティ」を理解しておかなくてはいけません。 シティは、1981年に初代モデルが誕生したホンダのエントリーモデルとなるコンパクトカー。 “ワイド&ロー”がカッコいいクルマの条件であった当時、あえて背を高くした箱型デザイン(トールボーイと呼ばれた)としたユニークなクルマで、高い空間効率とクラスレスな魅力を備えてヒットしました。 ▲初代シティ しかし、1985年のモデルチェンジでコンセプトチェンジ。 1470mmの全高は1335mmまで低められ、室内空間よりも走りを重視したクルマとなりました。 ▲2代目シティ このスタイルチェンジは「シティ ターボII」によるワンメイクレース(その名もシティブルドックレース!)が開催されたことなどもあっての判断でしたが、ユーザーの多くは戸惑いを隠せず、“みんなの楽しいクルマ”から“走りが好きな人のためのクルマ”に。 おりしも1980年代後半から1990年代前半はRV(今でいうSUV)ブームで、背の低いクルマへのニーズは相対的に低くなり、結果としてシティは、この2代目をもって日本国内市場から姿を消すことになります。 1995年のことでした。 そして1996年に今回のテーマ車、ロゴが発売となるわけです。 ■“実用車の鑑”のようなスペックで登場 では、ロゴとはどんなクルマだったのでしょうか。 ひと目でわかるように、全高が高く親しみやすい丸みを帯びたスタイリングを持つ、合理的なパッケージングのコンパクトカーです。 全長3750mm(前期型)×全幅1645mmのサイズは、トヨタ「スターレット」、日産「マーチ」、三菱「ミラージュ」、ダイハツ「シャレード」といったライバルたちと同等ながら、1470mmの全高(初代シティより20mm高い)は他車が1400mm程度であるなかで圧倒的に高く、それだけでも室内空間に余裕を持っていたことが想像できます。 ▲ロゴ3ドア エンジンは、1.3リッターのSOHCで最高出力66ps、最大トルク11.3kgm。ホンダのエンジンといえば「高回転高出力」のイメージが強かったなかで、最高出力や最大トルクの数値を追い求めず、街乗りでの使いやすいさを重視した中低速型のトルク特性を持たせていました。 トランスミッションは5速MT、3速AT、そして「ホンダマルチマチック」と呼ばれたCVTの3種類をラインナップ。 今、多くのコンパクトカーが採用しているCVTは、当時まだ“特別な変速機”という位置づけで、通常のステップATと同時に設定されることも多く、3種ものトランスミッションが選べる設定となっていました。 燃費は10・15モードで5速MTが19.8km/L、3速ATが17.2km/L、ホンダマルチマチックが18.0km/L。 価格は、5速MT車がもっとも安く、3速ATはその5万円高、ホンダマルチマチックは8万円高でしたから、安価で走り味に馴染みのあった3速ATが主力となったことは想像に難くないでしょう。 ▲ロゴ5ドア 価格は3ドア「B」の77万円から5ドア「L」の108万8000円まで(いずれも5速MT価格)。主力となる5ドア「G」でも、94.8万円という手頃な価格が打ち出されていました。 このようにロゴは実直で合理的、さらに経済性も高い“実用車の鑑”のようなスペックを持って登場したのです。当時のプレスリリースでも「オートマチック車で100万円を切る価格設定とするなど、これからの時代に求められるタウンカーを具体化しました」とありました。 ■なぜ“数奇な運命”を辿ってしまったのか スペックやプライスを見れば、ロゴは街乗り用コンパクトカーとして十分に魅力的なクルマです。 それでもロゴは、ライバルに打ち勝つことはできませんでした。 そこには、2つの理由があります。 1つ目は“質感”です。 実直に仕上げたスタイリングはシンプルすぎて大きな特徴がなく、シンプルに使い勝手が追求されたインテリアも、商用車のようなヘッドレスト一体のハイバックシートなどにより、“それなりのクルマ”にしか見られなかったのです。 ▲前期型のインストルメントパネル ▲前期型のシートはハイバックタイプ また、街乗りを重視するあまりスタビライザーを省いたサスペンションが、「安定感に欠ける」と受け取られ、総じて高い評価を得ることができませんでした。 1998年には、衝突安全性の向上を目的とした大掛かりなマイナーチェンジを実施し、同時にフロントまわりのデザインを変更。 さらに、16バルブ化した高出力エンジンにエアロパーツなどを装着したスポーツグレード「TS」と4WD仕様を追加するなど、ラインナップも拡充し、魅力アップを図ります。 ▲中期型で登場したTS さらに2000年にもフロントマスクのデザイン変更をともなうマイナーチェンジを行った他、モデルライフのなかではいくつものお買い得な特別仕様車を設定し、商品力アップや商品性の維持が行われましたが、決定的なヒット要因は生み出せず。 ▲後期型はグリルのあるデザインに ■デミオやキューブの登場でハイトワゴン時代へ 2つ目に“トレンドの変化“という大きな波もありました。 ロゴがデビューした1996年は、初代マツダ「デミオ」が誕生した年でもあります。 デミオは、フォード「フェスティバミニワゴン」という名の兄弟車を持っていたように、小さなワゴンのようなスタイリングを特徴とし、RVやステーションワゴン(筆頭はスバル レガシィ)が売れていた当時の世相にフィット。 瞬く間にヒットモデルとなりました。 ▲初代デミオ また、日産は初代「キューブ」を1998年に発売。 デミオの(1500mm)を超えた1610mmの全高を持ち、室内空間の広さと楽しさ(イチロー出演のCMも)をアピールし、ヒットします。 ▲初代キューブ 考えてみれば、軽自動車市場はスズキ「ワゴンR」とダイハツ「ムーヴ」というハイトワゴン2強の時代。 コンパクトカーにもワゴン的なスタイリングと高い全高による室内空間の広さが求められたのは、当然でした。 トレンドは“トールボーイ”どころではなくなっていたのです。 ホンダはロゴのプラットフォームを大幅に改良してハイトワゴンの「キャパ」(とクロスオーバーのHR-V)を1998年に発売し、ライバルに対抗。 一定の成果は得ますが、一方で1997年に発売した軽ハイトワゴン「ライフ」のヒットや、「CR-V」「S-MX」「ステップワゴン」といったRV&ワゴンのラインナップ拡充によりロゴの存在感が強まることはなく、フェードアウトするように2001年をもって生産終了となりました。 ▲キャパ およそ5年のモデルライフのなかで、ロゴが販売台数でベスト10に入ることはなく、1997年のマイナーチェンジ時に6000台を掲げられていた販売計画台数も、4000台、3000台とマイナーチェンジのたびに減少。 まさに“フェードアウト”といった幕引きでした。 ■名車「フィット」誕生を支えた迷車 Wikipediaによればロゴの「新車登録台数の累計」は、20万2601台。 販売期間は約5年でしたから、年間販売台数を平均すればおよそ4万台です。 1998年の年間販売台数を見ると、キューブとデミオが10万台、マーチとスターレットが9万台を販売していますから、ロゴの窮境がわかります。 しかし、ロゴの苦境を黙って見ているホンダではありませんでした。 ロゴと入れ替わる形で「フィット」を2001年に発売したのです。 ▲初代フィット フィットは、コンパクトなボディに広い室内空間、フットワークのいい足回り、燃費のいいパワートレイン、そして安っぽさを感じないお洒落な内外装を持って、発売するやいなや大ヒット。 わずか1ヶ月で、ロゴの1年分を上回る4万8000台を受注します。 その勢いは衰えず、2002年にはそれまで33年にわたり“不動の1位”であり続けたトヨタ「カローラ」を抜き、年間販売台数ナンバーワンに輝いたのです。 以後、フィットがホンダのコンパクトカーとして定着し、現在4代目が販売中なのはご存知のとおり(N-BOXに押され気味ですが……)。 トールボーイの初代シティ、スポーティな2代目シティ、実直さを追求したロゴと、さまざまなトライ&エラーののちにフィットの大ヒットがあるのだとすれば、ロゴが追い求めた姿も決して無駄ではなかったといえるでしょう。 ホンダの歴史のなかでロゴは“迷車”かもしれませんが、フィットという“名車”を生み出すためにたしかな足跡を残したことは、間違いありません。 [画像:ホンダ/ライター:木谷宗義]
1990年代は「RV」の時代でもありました。RVとは「レクリエーショナル・ヴィークル」の略で、今で言うSUVのこと。 1980年代に登場した「パジェロ」や「ビッグホーン」、「ランドクルーザープラド」などがヒットし、街の至るところで見られました。 まだ「ハリアー」が生まれる前、こうしたオフロード4WDを都会で乗るのが、カッコよかったのです。 パジェロは三菱、ビッグホーンはいすゞ(この話もまたいつか)、プラドはトヨタ。では、日産はどんなRVをラインナップしていたでしょうか? 答えは2つ、「サファリ」と「テラノ」です。 サファリが「ランドクルーザー(当時は80系)」と同等のラージサイズ、テラノがパジェロなどに近いミドルサイズです。 ▲テラノ(ワイドボディ) 販売の主力は、テラノのほう。 アーバンでアメリカンな雰囲気のあるテラノは、そのスタイリングからヒットモデルの1つになりました。 でも、どうしてもライバルには、叶わない決定的な欠点があったのです。 それは、「7人乗り」がないこと。 パジェロもビッグホーンもプラドも、5ドアモデルは3列シートの7人乗りが中心でした。 トヨタには5人乗りRVの「ハイラックスサーフ」あり、こちらもよく売れていましたが、このクラスに7人乗りがないのは、大きな痛手。 そこで日産は1994年、欧州から7人乗りRVの輸入販売を開始します。 それが今回の名車&迷車、「ミストラル」です。 ■Made By Nissan Motor Iberica 近年ではコンパクトカーの「マーチ」がタイからの輸入モデルとなって話題を呼びましたが、ミストラルはスペインからの輸入モデルでした。 生産は、日産の欧州市場向けモデルを担当していた「日産モトール・イベリカ」。 ▲ミストラルType-X イギリスの「NETC(ニッサン・ヨーロピアン・テクノロジー・センター)」で開発された欧州市場のためのモデルで、日本発表時のプレスリリースにも「欧州生まれ、欧州育ちのピュア・ヨーロピアン・オールローダー」であることが謳われていました。 1994年に発売されたのは、テラノと同様の2.7リッターディーゼルターボ(OHVだった)に4速ATが組み合わされた5ドアの7人乗り仕様。 「Type-S」「Type-X」の2グレードで、価格は261万円と279万円(オーテックジャパンのキャンピングカー仕様も発売された)。 ▲ミストラルType-Xのインテリア このクラスに7人乗りを投入した日産の目論見は成功。当初、月販目標1000台だったところ、最初の3カ月で約7000台を受注し、すぐに日本向けミストラルの増産を決定。 生産台数を月2000台としました。 1996年には、2ドアショートボディも導入します(グレード名はType-R!)。 こちらは、モノトーンのボディカラーにブラックのパーツを用いたインテリアでスポーティさを強調。 229万円という戦略的価格で、若者をターゲットとしていました(ライバルはいすゞ・ミュー)。 ピチカート・ファイヴが出演し『2人のベイビィ・ミストラル~♪』と歌ったCMを覚えている人も、いるかもしれません。 ▲ミストラルType-R アメリカンなテラノとヨーロピアンなミストラルは、当時のハイラックスサーフとランドクルーザープラド(今ならハリアーとRAV4)のような関係で、RVニーズを網羅。 ミストラルも、テラノとともに町中でもよく見かける存在となりました。 ■欧州モデルゆえの難しさ ところで当時、絶好調だった日産は、なぜ売れ筋のRVをわざわざスペインから輸入したのでしょうか? ここにミストラルが名車&迷車たる所以があります。 実はミストラルは、もともと「テラノⅡ」として欧州向けに開発されたモデルで、「マーベリック」の名でフォードへもOEM供給。 ランドローバー「ディスカバリー」などに対抗するモデルとして開発された、戦略的モデルだったのです。 実際、欧州ではディスカバリーを超え、クラストップシェアを獲得しています。 では、どうして「名車&迷車」として取り上げたのか。 ▲ランドローバー「ディスカバリー」 それは、1代限りで終わったしまったこと、欧州生まれならではの良さがあった反面、それが裏目に出てしまった“難しさ”があるからです。 イタリアのデザイン会社「I.DE.A」によるスタイリングは、直線的なデザインが多かった日本のライバルたちとは一線を画したものでした。 足回りも欧州テイストのテラノとは異なるもので、さらに日本向けにかなりの部分に手を入れていたようです。 しかし、欧州市場をメインとしていただけに、変わりゆく日本のRV市場に追いつけなかったのも事実。 日本国内ではビッグホーンやパジェロが、200馬力を超えるV6DOHCガソリンエンジン(当時としては超絶ハイパワー!)を搭載するなか、ミストラルは1999年に販売を終了するまで2.7リッターのディーゼルターボのみ。 また、レザーシートを装備するなど高級化が進むなかでも、ミストラルは当初の路線を変えることができず・・・。 そればかりかマイナーチェンジによりメッキパーツの使用が抑えられ、ヘッドライトが丸型4灯となるなど、日本のニーズと逆行するような形になってしまうのです。 ▲ミストラルType-X後期型 このころには月販目標台数も700台まで下降。 実際に、丸型4灯ヘッドライトとなった後期型を見た記憶はあまりなく(特に2ドアは見なかった)、モデル末期にどれだけ売れたかは未知数です。 ■時代が変わりゆくハザマに生まれた「儚さ」 欧州生まれ・欧州テイストのRVミストラルが、クルマとして悪くなかったことは明らか。 しかし、ミストラルが販売された1994~1999年といえば、「オデッセイ」や「ステップワゴン」「イプサム」「グランディス」といったミニバンが誕生し、RVは「CR-V」や「RAV4」など、ラダーフレームを捨てモノコックボディとなった乗用車ライクなモデルに変化。 さらに「キューブ」や「デミオ」といったコンパクトカーの人気が高まった激動の5年間でした。 1980年代に端を発するRVが下火になっていくことは、承知のうえでのミストラル国内導入だったのかもしれません。 国内総販売台数は、4万台あまり。 決して多くはありませんが、1990年代半ばの日産ラインナップのなかで、明確や役割を果たしたことは間違いないでしょう。 こうした「儚さ」こそが、“名車&迷車を愛すべき理由”であると思わずにいられないのです。 [画像:日産自動車、Land Rover/ライター:木谷宗義]
1990年代は、クルマの世界が大きく変わった年代でした。 たとえば、安全性能や環境性能がまだそれほど厳しくなかった1990年代前半には、シトロエン「2CV」やサーブ「900」といった、20~30年以上も前にデビューしたクルマがまだまだ現役だったと思ったら、1990年代後半には今のミニバンブームにつながる日産「セレナ」や「エルグランド」が登場し、量産車初のハイブリッドカー、トヨタ「プリウス」も生まれています。 エンジニアリングの面でもユーザーニーズの面でも、20世紀から21世紀へと向かう、一大転換期だったのです。 そのため、この10年の間にはメーカーのチャレンジと試行錯誤によって生まれた、さまざまなモデルが登場しました。 とはいえ、そのすべてが成功し、名車と呼ばれるようになったわけではありません。 なかには、あまり日が当たらず、忘れられかけているクルマもあるものです。 前置きが長くなりましたが「1990年代 名車&迷車 烈伝」では、この時代に生まれた少々マイナーな名車&迷車にスポットを当てていきます。 第1回は、1991年に登場した三菱4代目「ランサー」です。 ■1.3~2.0リッター、商用車からエボリューションまで ランサーは、トヨタ「カローラ」や日産「サニー」ホンダ「シビック」など同じ1.3~1.5リッタークラスのコンパクトセダン。 3ドアハッチバックや2ドアクーペも用意された「ミラージュ」の兄弟車です。 4代目ランサーは、先代の5ドアハッチバックスタイルからセダンに変わった世代で、ランエボの愛称で親しまれるエボリューションシリーズが誕生したのもこのころ。 ▲MX SALOON ▲MX LIMITED 1991年デビューといえば、その設計や開発がバブル期の真っ只中。 4代目ランサーも、実に贅沢に設計され、また多彩なバリエーションを誇っていました。 まずは、「そんなにあってどうするの?」と思うほどのエンジンバリエーションを見てみましょう。 ・1.3リッターSOHC・1.5リッターSOHC MVV(リーンバーン)・1.5リッターDOHC(電子キャブレター)・1.5リッターDOHC(インジェクション)・1.6リッターDOHC MIVEC・1.6リッターDOHC MIVEC-MD(気筒休止)・1.6リッターV6 DOHC・1.8リッターターボ・2.0リッターターボ(エボリューション向け)・1.8リッターディーゼルターボ(のちに2.0リッター化) 当時はまだほとんどのグレードでMT/ATが選べた時代。 ▲1.6リッターV6 DOHCエンジンをはじめ、さまざまなバリエーションがあった また4WD仕様もあり、パワートレインのバリエーションだけでも相当なものでしたが、さらに商用仕様、乗用仕様、スポーツモデル、競技向けモデルまで用意されたのですから、ラインナップの数は半端ではなく、これもこのクルマの名車&迷車性を物語っています。 ▲RS この時代のランサー/ミラージュのトピックとして、世界最小の排気量を持つ1.6リッターのV6エンジンがよく語られますが、ホンダのVTECと似た可変バルブタイミング機構を持つ「MIVEC:マイベック」や、それに気筒休止機構をつけた「MIVEC-MD」、リーンバーン(希薄燃焼)を追求した「MVV:Mitsubishi Vertical Vortex」も、このとき生まれた注目すべきパワートレイン。 MVVは、存在感こそ薄かったものの、のちのGDI(ガソリン筒内直噴)エンジンにつながる技術の1つでした。 ■ディアマンテなみの豪華装備 バブル期の設計といえば、作りのよさがよくいわれます。 メカニズム面では、リアサスペンションがマルチリンクの独立懸架で、4速ATには当時、このクルマではまだ珍しかった電子制御式(ファジィシフトと呼ばれた)、4WDにはVCU(ビスカスカップリング)センターデフ式が採用されていました。 一体成型のインストルメントパネルや贅沢にシート生地が貼られたドアトリムのインテリアも、当時の気前のよさを感じさせるもの。 フルオートエアコン車には「ディアマンテ」と同様に、作動状況を表示するカラー液晶のディスプレイがついていました。 ▲ROYALのインパネ 1.8リッターターボを搭載する「GSR」は、MOMO製ステアリングやRECAROシートで装い、ラグジュアリーグレードの「ROYAL」にはパワーシートや空気清浄機、植毛ピラーなどを装備。 ▲ROYALのインテリア グレードによって、まったく異なるキャラクターを持たせていたのも、特徴でした。黒バンパーにビニールシート、パワステ・パワーウィンドウがオプションというグレードがあったのも、おもしろいところです。 ▲GSRのインパネ ▲MVVのインパネ これだけグレードの幅が広いモデルだけあって、価格レンジも90万~240万円台ほどと広く、廉価グレード、普及グレード、ラグジュアリーグレード、スポーツグレードはそれぞれ、形が同じだけで別のクルマと言っても過言ではないかもしれません。 さらに「GSRエボリューション」は270万円以上と、「ギャランVR-4」に迫るプライスタグがつけられていました。 ■気合い十分も販売は・・・ 贅を尽くして開発された4代目ランサー。 しかし、気合い十分で臨めば売れるかというと、そううまくいかないのがクルマの世界というものです。 ここで、1992年の乗用車販売台数ランキングを見てみましょう。 1位:トヨタ カローラ2位:トヨタ マークII3位:トヨタ クラウン4位:ホンダ シビック5位:日産 サニー6位:トヨタ スターレット7位;トヨタ カリーナ8位:トヨタ コロナ9位:日産 マーチ10位:トヨタ スプリンター なんと、ベスト10にも入っていなかったのですね。 当時を知っている人なら、「知ってはいるけれど、あまり見かけないクルマ」という印象を持っているかもしれません。 ▲MR 世界最小のV6エンジンなど話題性はありましたし、WRC(世界ラリー選手権)で活躍したエボリューションはクルマ好きを心酔させる魅力を持っていましたが、カローラクラスのセダンとしては決してメジャーな存在とはなりませんでした。 だからこそ、名車かつ迷車として取り上げたかったのです。 2022年12月現在、中古車情報サイトに載るランサーは、エボリューションを除くと十数台。 ▲GSRエボリューション そのなかで、この4代目はわずか1台しかありません。 それも、GSRのエボ仕様です。 MXサルーンをはじめとしたノーマルモデルは、ほぼ絶滅状態となってしまいました。 まさに1990年代の悲哀に満ちた名車&迷車だったといえるでしょう。 [画像:三菱自動車/ライター:木谷宗義]
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