旧車の魅力

V8エンジン搭載!130クラウンロイヤルサルーンGこそバブルの申し子!
旧車の魅力 2024.02.01

V8エンジン搭載!130クラウンロイヤルサルーンGこそバブルの申し子!

シリーズ史上最高傑作と言われる通称130系クラウンの中でも、特別な存在が4リッターV8エンジンを搭載するロイヤルサルーンGです。中古車価格も高い状態をキープしており、発売から30年以上が経過した今でも、200万円を超える個体も珍しくありません。ここでは、130系クラウンロイヤルサルーンGの人気の秘密を紹介します。 クラウン史上もっとも売れた130系8代目クラウン クラウンはセルシオが登場するまで、トヨタを代表する最高級車という位置付けでした。ショーファーカーであるセンチュリーを除き、フラッグシップとして君臨したクラウンの中でも、歴代最高販売台数を記録した130系8代目クラウンの概要を紹介します。 バブル時代に登場したクラウン 130系クラウンは、1987年9月、所謂バブル経済がまさに始まった景気の良い時代に誕生しました。4ドアセダンは後席重視の法人向けで、4ドアハードトップは個人向けのドライバーズカーです。 今回紹介するロイヤルシリーズは4ドアハードトップとセダンがあり、ハードトップには1,755mmの全幅を持つワイドボディが設定されています。ワイドで伸びやかなシルエットに迫力のあるグリルを装備し、3ナンバーボディの威風堂々とした佇まいはフラッグシップを名乗るにふさわしいものでした。 マイナーチェンジと合わせてロイヤルサルーンGが誕生 1989年8月のマイナーチェンジに合わせて登場したのが、ロイヤルサルーンGです。新開発の4リッターV8(1UZ-FE型)が搭載され、トヨタのフラッグシップとしてさらに魅力と存在感が増しました。 その後の1989年10月には、当時レクサスLSとして北米で販売されていたセルシオが日本でも発売され、同車にも同様の4リッターV8エンジンが採用されています。 V8エンジンを搭載したセダン及びハードトップのロイヤルサルーンGを含め、130系クラウンのハードトップは1991年10月に販売を終了。セダンとステーションワゴン、バンは継続して販売されますが、ハードトップは140系(9代目)へフルモデルチェンジされ、V8エンジン搭載車は、初代クラウンマジェスタとして登場することになります。 高級ブランド「レクサス」に繋がる4リッターV8 1UZ-FE型エンジン 130系クラウンロイヤルサルーンGの一番の特徴は、4リッターV8の1UZ-FE型エンジンです。このV8エンジンはのちに多くの車種に搭載され、名機と呼ばれることとなります。ここからは、4リッターV8 1UZ-FE型エンジンが名機と言われる理由を解説します。 後のレクサスにも採用された1UZ-FE型エンジン 派生車種であるクラウン・エイトを除き、クラウンに搭載されることになった1UZ-FE型エンジンは、130系クラウンロイヤルサルーンGに搭載された後に、初代セルシオにも搭載されます。このセルシオは1989年にアメリカでレクサスLSの名でも販売され、ライバルであるメルセデスベンツやBMWの同クラスよりも200万円以上安いにも関わらず、その性能とクオリティは圧倒的でアメリカ高級車市場を席巻しました。 動力性能も高く、同車の最高速度は250km/hを達成。これは排気量の近いエンジンを積むベンツ420SEやBMW735iを超える数値です。1UZ-FE型エンジンを搭載した初代レクサスLSは世界に衝撃を与え、後のレクサスブランドの成功を支えました。 静粛性を極めた4リッターV8エンジン 1UZ-FE型エンジンの一番の特徴は、何といってもその静粛性です。スペックは最高出力260ps、最大トルク36.0kgmと、現代の同クラスの排気量を持つエンジンと比べると目を見張る数値ではないものの、静粛性では他を圧倒していました。 静粛性を高めるために、クランクシャフトやピストンなどの精度をレーシングエンジン並みに高め、不快な振動やノイズを徹底的に排除しています。他社が消音材でごまかしていた雑音も徹底的に源流対策を行い、音の発生源をつぶしていったのです。1UZ-FE型エンジンのなめらかさと静粛性はV12に並ぶとも言われ、今でも一級品の性能を誇っています。 最上級モデルらしく最新機能を満載した130系クラウン 最上級モデルのロイヤルサルーンGにはもちろん、130系クラウンにはバブル期を象徴するような装備が満載でした。ここでは、当時最新鋭だった豪華装備を振り返ります。 ハイテク技術満載のメカニズム クラウンロイヤルサルーンGには、あらゆる走行条件で常にスムーズな変速を行うV8専用のオートマチックトランスミッション「ECT-i」が採用され、なめらかな変速を実現しています。足回りには電子制御エアサスをクラウンとして初めて搭載し、乗り心地と安定性を向上させました。 そのほか、130系クラウンは日本初となるトラクションコントロール(TRC)を採用したことでも知られています。日本初・トヨタ初など時代の最先端の技術を詰め込んでいる点も、初代以降トヨタが常に力を入れて開発してきたクラウンらしいポイントです。 バブルを感じさせる魅力的な豪華装備 130系クラウンには、バブル期ならではの豪華な装備が豊富に搭載されています。 運転席にはエレクトロマルチビジョンが設置され、クルーズコントロールや電動のステアリング調整機構、プリセット機能付き電動シートを装備。また、当時は最新鋭で高額だったCD-ROM式のカーナビを搭載したグレードも設定されていました。 そして、V8のロイヤルサルーンGには、左右分割の電動リアシート、アームレストにはカセットデッキやマッサージ機能も用意され、高級車らしいおもてなしを演出しています。バブルを感じさせる至れり尽くせりの豪華装備は、ロイヤルサルーンGならではの魅力でしょう。 まとめ 2022年7月に、往年のクラウンとは一線を画した新型クラウンが発表されました。新型クラウンはクロスオーバーSUVスタイルへと変貌を遂げ、大きな話題を読んでいます。 しかし、130系の伝統的なスリーボックススタイルは、今見ても決して色褪せることがありません。130系クラウンロイヤルサルーンGは、ビデオカタログの中で「クラウンの新たなるロイヤルプレステージへ」と紹介されています。「プレステージ=威厳」という、現代のクルマにはあまり用いられないフレーズが似合うのは、トップグレードである130系クラウンロイヤルサルーンGならではです。 2022年11月の原稿執筆時点で、大手中古車情報サイトに掲載されている130系クラウンロイヤルサルーンGの中古車相場は170万円から210万円です。また買取では、旧車王で12万km超えの130系クラウンロイヤルサルーンGを100万円で買い取っています。 130系クラウンロイヤルサルーンGは決して高騰している車種ではないものの、いまだに高い人気を誇っています。今後、130系クラウンロイヤルサルーンGのような豪華さにこだわったバブルを象徴する高級車が発売される見込みはないといっていいでしょう。また、V8エンジンを搭載したクルマが製造される可能性も限りなく低いと予想できます。そのため、130系クラウンロイヤルサルーンGの価値が上がることはあっても、これ以上下がることはほぼないでしょう。程度によっては、さらなる高値で買取ってもらえる可能性が十分あります。

旧車好きがこだわる「キャブレター」ってなに?今さら聞けない仕組みを解説
旧車の魅力 2024.02.01

旧車好きがこだわる「キャブレター」ってなに?今さら聞けない仕組みを解説

旧車好きの間では、近年のクルマに採用されているインジェクションによる燃料噴射システムではなく、キャブレターの方が好まれます。キャブレターとは、電子制御の燃料噴射装置が登場する以前に採用されていた燃料噴射方式のことです。 見かたによっては、時代遅れとも言えるキャブレターがなぜ旧車好きから愛されているのか?その仕組みや長所、短所を改めてご紹介します。 キャブレターの仕組み キャブレターは電気を使わず、エンジンの負圧を利用して燃料を噴射します。 キャブレターの中にベンチュリーという吸入空気の道を絞った場所を設け、吸入空気の流速を上げることにより負圧を発生。ベンチュリーの中にあるジェットから燃料が吸い出され、霧状になります。 燃料を霧状にするのは、気化を促進して空気と混ざりやすくするため。空気と燃料が混ざった“混合気”は、そのインテークマニホールドを通ってエンジンの吸気側へと送られ、燃焼室に入ります。 性能特性に大きく影響する「ジェット」とは ここでは、クルマのエンジンに使用される一般的なキャブレターについて、もう少し深く解説します。 キャブレターとエンジンの性能特性を左右するのが“ジェット”です。燃料を霧状にするジェットは、「メインジェット」「スロージェット」「ニードルジェット」の3種類。アイドリング時(アクセル全閉時)はスロージェット、アクセル全開時はメインジェット、全閉と全開の中間時はメインジェットに刺さっているニードルジェットが燃料噴射量をコントロールしています。 メインジェットとスロージェットは、穴の大きさによって燃料噴射量が変化。メインジェットに刺さっているニードルジェットは、アクセル開度に応じてニードルジェットが持ち上げられ、メインジェットの穴の隙間が広がり燃料の噴射量が変化します。 一度知ったら病みつき!?「キャブ車」にしかない独特なフィーリング キャブレターの大きな特徴の一つが、インジェクションには無い吸気音です。キャブ車はアクセルオフにした際、キャブ車は独特な“シュッツ”という音がします。その音はノーマル状態でも耳を済ませば聞こえ、チューニングしていればさらに良く聞こえてきます。 そしてもう一つの特徴が、機械を操作していると実感できるダイレクト感です。キャブ車の場合、アクセルペダルの操作でバルブが開いて空気が流入し、そこにガゾリンが噴射されてエンジンに到達。そして、圧縮された混合気が一気に膨張(爆発)し、パワーが出るという一連の流れをダイレクトに感じることができます。 エンジンが空気を吸っている機械的な音や、ダイレクトで気持ち良いスロットルレスポンスこそ、キャブレターが好まれる理由です。 機械を操作していると実感できるダイレクト感 インジェクションでも一部のスポーツカーには、スロットルレスポンスが良いものもあります。しかし、電子制御である以上、ドライバーの意志が届かない領域でコンピューターの制御が入り、それが違和感やダイレクト感が希薄になる要因です。 また、キャブレターは物理的なジェット交換やスクリューを調整することでチューニングします。画面上の数値でしか確認できない電子制御インジェクションに比べシンプル。もちろん、最高のコンディションにチューニングするためには相応の経験と知識は必要ですが、目に見えるものを交換、または調整するというシンプルなチューニングも、キャブレターならではの魅力なのです。 キャブレターのデメリット 独特のダイレクト感でインジェクションには無い魅力を持つキャブ車ですが、インジェクションと比べるとデメリットもあります。一番大きなデメリットは、外気温度や標高などでエンジンの調子が変化することです。 エンジンに大切な三要素のひとつである“混合気”は、燃料の量と空気中の空気量(酸素密度)で決まります。インジェクションであれば、空燃比センサーを使ってリアルタイムに検知することで燃料の噴射量を調整し、酸素濃度の変化に対応できます。しかし、キャブ車の場合は空気の流速で燃料を噴射するため、酸素密度が変化しても同じ量の燃料を噴射します。 つまり、気温の変化や標高の変化で酸素密度が変わっても、同じ量の燃料を噴射することになり空燃比が変化。エンジンにとって大切な“混合気”の空燃比が変わってしまうことで、朝一などでエンジンが掛かりにくいと言ったような症状の原因になることもあります。 暑い日も寒い日も旅行先の高地でも、常に気兼ねなくエンジンをかけ走ることを優先にした場合、やはりキャブレターよりもインジェクションの方が圧倒的に有利です。 時代の流れに乗ることができなかった「キャブ車」 現在クルマに対する考えは、「排気ガスをクリーンにし、地球の環境を守ること」「自動車の燃費性能を向上させること」「気温や高度に関係なくスムーズに運転ができること」などです。 各自動車メーカーは日々研究や開発を進め、排気ガスはクリーンで燃費が良く、いつでも快適に使えるクルマが販売されています。 また、近年は昭和や平成初期に比べかなり車好きが減っていることもあり、燃費は購入するときの重要な検討材料という方がほとんど。そんな今の時代には、セッティングや乗り味、スロットルレスポンスを楽しむキャブ車より、燃費が良くいつでも快適な電子制御インジェクションの方が喜ばれるのは当然です。 自動車メーカーにとっても、性能が出しやすく万人に好まれるインジェクターに移行するのは当たり前で、2003年の三菱 リベロカーゴを最後に、キャブレターを持つ新型車は消えていきました。 まとめ 日本でも2035年には、内燃機関を備えた自動車の新車販売が禁止される可能性が濃厚になってきました。今後の自動車開発は、インジェクションどころか、BEV(電気自動車)やPHEV(プラグインハイブリッド)などの電動車がメインになるのは確実です。 そうなると、ガゾリンエンジンを搭載しているクルマの価格は、今以上に高騰することが十分考えられます。当然、年式が古くなったキャブ車はさらなる高騰が考えられるため、キャブ車の購入を考えているなら、早めに購入することをおすすめします。 しかし、前述したように、キャブレターは気温や標高など、さまざまな条件に合わせたチューニングが欠かせません。 本気で購入を考えているのなら、キャブレターについて学び自分でメンテナンスをしながら乗るか、キャブ車に強いショップで相談しつつ、できれば現車確認はショップの方に同行してもらうのが良いでしょう。

S14シルビアはもう不人気じゃない!前期・後期の違いや魅力を紐解く
旧車の魅力 2024.02.01

S14シルビアはもう不人気じゃない!前期・後期の違いや魅力を紐解く

日産 S14型シルビアは、フルモデルチェンジで不評を買った日産車としてR33スカイラインと並んで有名です。共通点は「大型化」と「丸みを帯びたデザイン」で、先代のもつスタイリッシュで軽快なイメージを壊したことが不人気につながりました。 しかし、国産スポーツカーの人気の高まりとともに、不遇の評価を受けていたS14の魅力が見直されつつあります。FRスポーツクーペとして確かな実力を備えていたS14。今回はS14の登場時の状況を振り返りつつ、本当の実力と魅力に迫ります。 販売当時は不人気だった不遇のシルビアS14 シルビアの地位を確立したS13に対してフルモデルチェンジしたS14は、登場から大きな批判を浴びます。大きくて丸みを帯びたボディデザインは、S13ファンを落胆させました。 結果的にS13の3割にも満たない販売台数になってしまった、S14の当時の様子を振り返ります。 デートカーとして一世を風靡したS13 初代シルビアの登場は1965年。商業的に大きな成功はしませんでしたが、精力的にモデルチェンジを繰り返しました。そして、1988年に5代目として登場したS13が、デートカーとして一世を風靡し大成功をおさめます。 近未来的でスタイリッシュなボディデザインと高い走行性能から販売台数は約30万台にも及び、5年間販売されました。 大型化が裏目に出たS14 5年ぶりのフルモデルチェンジを図ったS14シルビアの登場は1993年。S13の成功後だけに、大きな期待が寄せられていました。しかし、全体に大型化が図られ軽快さがスポイルされたことに加え、丸みを帯びたデザインが重たいイメージに拍車をかけたために批判を浴びます。 実はボディサイズの拡大にはメリットもあったのですが、エンジンとプラットフォームの基本部分が先代からの踏襲で、目玉となる変更点が外観だっただけに悪い点ばかりが目立ってしまいました。 マイナーチェンジで人気の回復を願うも時代にも見放される 振るわない販売台数を増やすべく、日産は1996年6月にマイナーチェンジが実施され、後期型が登場。タレ目で弱々しいと言われていたヘッドライトを直線基調のツリ目フェイスに変更したことに加え、ベースグレードとなるQ’sの新車販売価格を10万円値下げしました。 しかし、直線基調のヘッドライトともともとの丸みを帯びたリアデザインの前後バランスが悪く、かえってユーザーの不評を買ってしまいます。また、後のSUV人気にも発展するRV車の台頭によって、スペシャルティの人気が下がっていたことも逆風となって思うように販売台数は伸ばせませんでした。 その後も特別仕様車を投入するなど精力的に販売数の増加に取り組みますが、先代S13とほぼ同等の販売期間にもかかわらず、8万5千台あまりの販売でS14の生産は終了します。 大型化による恩恵がS14を見直すきっかけになった ボディを大型化したことが、S14が不人気となった大きな理由でした。しかし、魅力が見直された理由は、皮肉にもボディサイズの拡大と当時は不評を買った丸みを帯びたデザインです。また、悪い面ばかりが注目されたS14ですが、S13に比べて大幅な性能アップも果たされていました。 ここからは、S14のエンジンや評価されているポイントを紹介します。 ほぼ完成の域に近づいていたSR20型エンジン S14シルビアに搭載されたエンジンは、S13後期から引き続きSR20型でした。しかし、後継のS15に搭載されたSR20エンジンと比べても遜色のないほど、大幅なパワーアップが図られています。 自然吸気のSR20DEで160ps、ターボのSR20DETでは220psの最高出力を発揮。1997年に作られたオーテック特別仕様車は、250psとS15とまったく同じ出力です。 実は車重の増加に見合うポテンシャルの引き上げがしっかりと行われていたので、見た目のイメージほど走行性能は犠牲になっていません。 ドリフトシーンで高い評価を受けた大型化 S14シルビア不人気の理由となった、ボディサイズの大型化はクルマの運動性能という意味では決してマイナスではありませんでした。トレッド幅とホイールベースの拡大によって走行安定性が向上。限界領域でのコントロール性能も高かったことから、当時盛り上がりを見せていたドリフトシーンで注目を集めます。 また、ボディ剛性も曲げ剛性で約200%、捻り剛性で約150%とS13から大幅にスペックアップしていたことも、ボディに無理を生じさせるドリフトには有利な点でした。さらに足回りも。S13と共通ながらストローク量が確保されていて安定性が増しています。 いずれのポイントも、ボディの大型化によって実現した性能です。 魅力として見直されつつある当時のデザイン 当時の日産デザインを象徴するS14の丸みを帯びたやわらかなスタイリングと、大型のボディサイズによる高い居住性は現在では魅力の一つとして見直されています。 S14と同様に大型化で不評を買ったもう一つの日産車がR33型スカイラインです。しかし、R32の高騰を皮切りに大きく見直され、海外を中心に高い評価を得るようになったのはご存じの方も多いでしょう。 また、前期と後期でフロントマスクがまったく異なる点も、S14をファンが楽しんでいる理由です。前後期でフロント部分をスワップして、自分好みのスタイリングを楽しんでいます。 今なら状態の良い個体も見つけられるS14 人気のS13や販売台数の少なかったS15と比較すると入手しやすい価格ですが、価値が見直されていることから価格は徐々に高騰しつつあります。大手中古車サイトで探したところ、安いものは100万円前後から購入可能ですが、1993年式のK'sで455万円もの個体もありました。 ドリフト車として人気が高かった一方で、大柄でおとなしいデザインからノーマルのまま日常車として使用するオーナーも多かったため、状態の良い車両もまだ比較的市場に残っています。S14シルビアを手に入れたい方は早めに検討しましょう。 また、手元に状態の良いS14がある方は、価格が高騰している今が高値で販売できるチャンスです。状態が悪くなってしまう前に、ぜひ旧車王に一度ご相談ください。 ※中古車価格や経過年数は2023年3月記事執筆時

「鉄仮面」ことR30スカイラインとは?日産の技術力が光る名車の歴史を解説
旧車の魅力 2024.02.01

「鉄仮面」ことR30スカイラインとは?日産の技術力が光る名車の歴史を解説

「鉄仮面」の愛称で今もファンから根強い支持を集めるR30型スカイライン。日産の誇る高い技術力を投入して進化をし続けた結果登場したのが、R30後期型となる「鉄仮面」でした。特徴的なグリルレスデザインに、インタークーラーを備えた高出力ターボエンジンを搭載したR30型スカイライン「鉄仮面」の魅力をご紹介します。 排ガス規制など厳しい時代背景に一発回答したR30型スカイライン 6代目スカイラインとなるR30型スカイラインは、先代スカイラインが埋められなかった動力性能と環境性能のギャップを見事に埋めたモデルです。1970年代後半に一気に高まった環境意識は、高度経済成長を追い風に各メーカーが性能の向上を競っていたなかで突如押し寄せた逆風でした。 スーパーカーブームの名残からユーザーが求めるスカイラインに対する期待と、時代が求める環境性能を両立させたR30型スカイラインを振り返ります。 GT-Rの設定はなかったR30型スカイライン R30型スカイラインが発売された1981年は、石油危機や円相場の急騰などネガティブな要素がいくつも重なったことで高度経済成長期後の日本に暗い影を落とした時代。さらに、大気汚染が問題となり、排ガス規制が一層厳しくなっていきます。 先代となるC210型では、排ガス規制に対応したハイパフォーマンスモデルを作れなかったこともあり、GT-Rの設定はなし。R30型もその流れを引き継き、GT-Rの設定はありませんでした。 ユーザーの期待を裏切らない技術の日産 GT-Rの設定はありませんでしたが、R30型は登場直後に新開発のハイパワーエンジンが投入されます。 直列4気筒DOHCで4バルブを備えたFJ20E型エンジンは、排ガス規制をクリアしつつ150psを発生。GT-R伝統の6気筒ではなかったものの、スカイラインに対するユーザーの期待に日産が技術で応えた形です。 「2000RS」と名付けられたFJ20E 型モデルはその後も進化を続け、1983年にターボモデルの「2000ターボRS」を追加。さらに大幅なマイナーチェンジを経た後期モデルでは、空冷インタクーラーターボを搭載した「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」が登場します。 後期モデルのみを「鉄仮面」と呼ぶ スカイラインにつけられる愛称は基本的に1世代につき1つの愛称(愛称自体が複数ある場合もある)ですが、R30型スカイラインは前後期で異なる愛称で呼ばれています。 前期型はCMに俳優のポール・ニューマンが起用されていたことから「ニューマンスカイライン」。そして、後期型は特徴的な外見から「鉄仮面」と呼ばれています。 先鋭的なデザインに加えて国産車で初めて壁を破った「鉄仮面」 登場後も惜しみなく技術を投入し進化をさせ続けたR30型スカイライン。実際に1983年に実施されたマイナーチェンジ前後では、見た目も性能も大きく異なります。 「鉄仮面」という愛称で呼ばれたマイナーチェンジ後のR30型スカイラインは、日産の技術力と意地を感じるモデルです。 グリルレスという先鋭的なデザイン R30型スカイライン後期型最大の特徴はフロント部分のデザイン変更です。ラジエーターグリルレスに薄型のヘッドライト、大型の前後バンパーと前期型から大幅に意匠を変更。とくにスカイライン伝統のフロントグリルを廃した先鋭的なデザインは「鉄仮面」の愛称の由来になりました。 グリルレスに加えて薄型のヘッドライトという当時としては斬新なデザインは、のちのR32型スカイラインにもつながるデザインです。 また、ランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様の「2000ターボRS-X」も追加投入。当時の最新かつ豪華な装備を搭載しているあたり、いかに日産がスカイラインという車種を大事にしていたかが分かります。 リッターあたり100psの壁を国産車で初めて破った スカイラインに求める高い動力性能を実現したFJ20E型エンジンは、前期型の販売終了間際にはターボを搭載してFJ20ET型に進化。最高出力は190psまで高められ、「史上最強のスカイライン」と呼ばれました。 そして、後期型登場から半年後には、空冷インタークーラーを装備し205ps到達。2Lエンジンで200ps以上を発生し、ついに国産で初めて1Lあたり100psの壁を打ち破ったのです。 6気筒エンジンでなかったため、「GT-R」の称号は与えられませんでした。しかし、後期型の「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」は、ユーザーがスカイラインに求める性能を十分に満足させるモデルでした。 まとめ 1リッターあたり100psを達成したR30型スカイライン後期となる「鉄仮面」は、性能の高さとデザインから現在でも人気車種です。 大手中古車情報サイトを見ると、400万円台後半から500万円台後半の車が複数あります。(2022年4月原稿執筆時) 旧車王での買取価格も「2000ターボRS」で350万円を上限とした買取価格がつくなど、高値で取り引きされていて、不動車でも80万円もの価格がつく事例もあります。 発売から既に40年以上が経過、市場に出回る台数も年々減少していくことは確実です。現在所有している方も、今後あわよくば購入したいと思っている方も、今後さらに高騰する可能性もあるため、鉄仮面の市場価格から目が離せません。 ※価格は2022年4月現在

ローバー ミニって結局どのモデルを指している? モデル最後の10年間を振り返る
旧車の魅力 2024.01.30

ローバー ミニって結局どのモデルを指している? モデル最後の10年間を振り返る

イギリス生まれの小型大衆車「ミニ」には、さまざまな名称があります。「ローバー ミニ」は、比較的多くの方が認識している呼び名の1つです。しかし、ミニ自体は40年に渡って作り続けられたため、ローバー ミニがどのモデルを指すのか理解があいまいになっている人も少なくありません。 そこで、ローバー ミニとはどのモデルなのか、ミニの歴史を振り返りながら解説します。 オリジナルモデルの最後を飾ったローバー ミニ ローバー ミニは、長年製造されたミニの最後の10年間に販売されていたモデルです。ローバー社が開発したクルマではないものの、オリジナルの個性をしっかりと受け継いでいたために「ローバー ミニ」として広く定着したのでしょう。 まずは、登場からローバー社への引き継ぎまでのミニの歴史を紹介します。 ミニはBMC社が生み出した空前のロングセラーモデル そもそもミニは、イギリスの老舗自動車メーカーBMC(ブリティッシュモーターカンパニー)より1959年に発売された小型大衆車です。その後、ローバー ミニの最終モデルが発売される1999年まで、実に40年間も基本的には同一モデルとして生産され続けました。 販売当初の名前は、「オースチン セブン」と「モーリス ミニマイナー」です。販売網の違いから2つの名称がありましたが、「ミニ」の名称に統一が図られてそれぞれ「オースチン ミニ」「モーリス ミニ」になりました。 ローバー社がミニを引き継ぐ 正確な経緯については確かな情報がありませんが、当時のBLMC社(旧BMC社)からローバー社が分離する際にミニを引き継いだといわれています。そして、1989年にローバー ミニとして販売を開始。 そして、1999年に最終モデルである40周年記念モデルを投入するまで、ローバー ミニとして販売され続けます。つまり、モデル最後の10年間を支え、ミニ40年の歴史を締めくくったのがローバー社(正確には1994年からBMW社傘下)だったのです。 精力的なモデル展開をしたローバー社 1959年に販売開始された当初から、ミニの基本的なデザインは変わっていません。しかし、新技術の開発や時代背景に合わせて、細かなモデルチェンジは行われています。 他社から引き継いだブランドではあったものの、ローバー社は1970年代から低迷していたミニの人気を復活させるべく、積極的な開発を行いました。日本人の声も影響した、ローバー ミニのモデルを紹介します。 日本人の声で名車ミニクーパーが復活 ローバーがミニを引き継いだ際、ラインナップのなかにクーパーはありませんでした。しかし、日本市場からの復活を求める熱烈な声がローバー社に届き、1991年にミニ クーパー1.3として再びラインナップに加わりました。 ミニの長い歴史のなかで、性能の高さを世界にアピールしたモデルが「クーパー」です。クーパーカンパニーというレーシングモデルを手掛ける企業が、オリジナルのミニを改良し、レースカーのベース車輌として、「クーパー」を販売していました。 なお、ローバー社がラインナップに復活させたミニ クーパー1.3のうち、発売年の1991年モデルのみがミニ クーパー唯一のキャブレーター仕様です。1992年以降は、全車インジェクション化されました。 ローバー ミニには多様なモデルが存在 ローバー社が最初に販売したモデルは、1989年に登場したミニ1000と呼ばれるE-99Xです。スペックの面では1.3Lのクーパーに劣るものの、軽快な走りで根強い人気を集めています。 さらに、1991年にはターボを搭載したERAターボというモデルも投入。1.3LエンジンにSUキャブレター+とギャレット製ターボを搭載し、最高出力はクーパー1.3よりも34psも高い95psにまで引き上げられました。 数多く流通しているのは1997年以降の最終モデル 日本国内で巻き起こったミニブーム、1997年の消費税引き上げによる駆け込み需要、さらに自社の残価設定型クレジットの導入によって、ローバー ミニは売上台数を伸ばしました。 その影響は根強く、最終モデルが販売終了して20年以上経過した現在でも、中古車市場に多くのローバー ミニが流通しています。特に流通台数が多いのは、1997年発売の最終モデルです。エアバックの追加やシート形状の変更、メッキメーターベゼルの採用など現代的な装備で人気を博しています。 しかし、比較的入手しやすいとはいえ、ローバー ミニやミニ1000は今から30年以上前に販売されていたモデルです。 売買する際には、古いクルマの価値を正しく理解している業者を介して取引することをおすすめします。特に売却時には、その真価を見極めるスキル・経験をもつ旧車専門の業者に査定を依頼しましょう。

ホンダ・スピリットの象徴Sシリーズを振り返る! S360からS800まで歴代モデルをすべて紹介
旧車の魅力 2024.01.24

ホンダ・スピリットの象徴Sシリーズを振り返る! S360からS800まで歴代モデルをすべて紹介

オープン2シーターにスポーティなボディデザイン、現代でも通用しそうなスタイリングが魅力のホンダ S360。ホンダが世の中に初めて発表した4輪乗用車です。S360は残念ながら市販には至らなかったものの、Sシリーズはホンダスポーツモデルの象徴として絶大な人気を誇りつつ進化。意欲的に開発され、毎年のようにモデルチェンジが繰り返されました。 S360から市販モデルS500を経て、S800に至るSシリーズのすべてを紹介します。今なお色褪せないホンダ・スピリットの詰まったSシリーズを一緒に振り返ってみましょう。 世界一を目指したホンダ初の4輪乗用車Sシリーズ 2輪での成功を受けて、ホンダはかねてからの目標だった4輪自動車の開発に乗り出します。しかし、初の4輪開発にもかかわらず命題は「世界一」。期待の高まりから開発を急ぐ技術陣に、本田宗一郎氏は「早く出すよりも、世界一のモノにすることに重点を置かなければなりません」と語り、最初から最高のクルマ作りをすることを目指しました。 世界一を目指して作られた、ホンダ4輪の起源「ホンダ スポーツ360」(以下S360)と続くSシリーズの開発について紹介します。 商用車全盛の時代にスポーツカー開発に着手 S360が発表された1962年当時の日本の自動車事情は、商用車が中心的存在でした。しかし、本田宗一郎氏はレースでの活躍も見越して、スポーツカーの開発から着手します。「乗ることが愉快であって、誇りでなければ自動車の価値はない」と、現在にも通じる理念のもとS360は開発されました。 実際には、専務だった藤澤氏の市場を見据えた進言によって、軽トラックT360も同時開発されたものの、初めての4輪開発でいきなりスポーツカーにチャレンジするあたりに、ホンダ・スピリットを感じます。(市販されたのはT360が先) S360が市販されなかった理由 1962年6月、建設途中の鈴鹿サーキットでS360は華々しくお披露目されます。その後、第9回全日本自動車ショー(現東京モーターショー)でも、T360と同時に展示されました。しかし、T360がホンダ初の4輪車として発売された一方、S360は市販には至りませんでした。 理由は諸説ありますが、開発車両バリエーションを軽自動車だけではなく普通車にも広げたかった説が有力です。最終的には廃案になりましたが、1961年に当時の通商産業省が発表した「特定産業振興臨時措置法案」によって、国内自動車メーカーの統廃合が進められる懸念が生じました。軽自動車のみの生産実績では、今後の開発に制限がかかるおそれがあったためです。 また、本田宗一郎氏はすでに世界を見ていて、世界に通用するボディサイズで作ろうと急遽変更されたといった逸話も残っています。いずれにせよ、本田宗一郎氏が迷いなく作り上げたクルマがこの世に送り出されなかったことは、今となっては残念でなりません。 毎年のようにリリースされた歴代Sシリーズ列伝 Sシリーズは他社にはない、特徴的な機構を採用しています。また、ホンダらしい高回転型エンジンは今でもその輝きを失っていません。ここでは歴代Sシリーズのユニークな装備と魅力的なエンジンを紹介します。 超高回転型の4気筒DOHCエンジンを搭載した幻のS360 S360の排気量はわずか354ccながら、4気筒DOHC機構を採用した本格的なスポーツエンジンを搭載していました。最高出力の33psを9,000回転で発生する超高回転型エンジンで、2輪車開発で培ってきたノウハウが活かされています。 また、S360の残した功績は性能面だけではありません。本田宗一郎氏が乗り込んで颯爽と登場したボディカラーの「赤」も、実は時代を切り開いた結果でした。当時日本では、緊急車両との混同の問題から「赤」の使用が法律で規制されていました。しかし、本田宗一郎氏が世論に訴え、担当者が運輸省と度重なる交渉を重ねた結果、ついに赤色の使用を勝ち取ります。 世界を見据えたS500を市場投入 S360発表のわずか1年後の1963年に、ボディとエンジンを拡大したS500をついに発売します。先に販売されていたT360はあくまでも商用車という位置付けのため、S500がホンダ乗用車の幕開けでした。 エンジンは、S360のコンセプトを忠実に踏襲。531cc直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力44PS/8,000rpm、リッター当たり約83PSを誇りました。量産車としては当時珍しかったDOHC機構、さらには小排気量ながら4気筒を採用した本格スポーツエンジンは自動車業界を驚かせます。 わずか1年後に正統進化のS600を発売 ホンダ初の乗用車S500の発売からわずか1年後の1964年、後継のS600が発売されます。エンジンは606ccへ排気量アップされ、最高出力は57PS/8,500rpmまで引き上げられました。リッターあたりの出力は94psで、ハイパフォーマンスカーの目安のリッターあたり100psに迫る数値を叩き出しています。 最高速度は約145km/hで、倍以上の排気量を持つ他車種と肩を並べるまでに到達しました。S600は本田宗一郎氏が目指したレースの世界でも、高い実績を残します。発売から2ヶ月後に開催された第2回日本グランプリ GT-1クラスでいきなり優勝。さらに同年、ドイツのニュルブルクリンク500km耐久レースに挑み、1,200cc以下クラスで優勝を飾りました。 モナコ公妃も愛したS800 1966年には、さらに791ccまで排気量アップしたS800がデビュー。この頃には、Sシリーズの半数はヨーロッパやアメリカなどの海外へ輸出されていました。著名人でもS800を選ぶ人が出てきて、特に有名なのはモナコのグレース・ケリー公妃です。アメリカの女優出身でモナコの公妃へ華麗なる転身を遂げた彼女は、アイボリーカラーのS800をこよなく愛したとされています。 本田宗一郎氏が当初目指した「世界に通用するクルマ」を、コンセプトモデル発表からわずか4年で成し遂げました。 50年以上が経過するSシリーズ 「世界のホンダ」「ホンダ・スピリット」を体現したSシリーズ。初の乗用車開発でこれだけ魅力的なクルマを生み出したメーカーは、世界的にみてもあまり例がありません。Sシリーズの基本コンセプトは、現代のS2000やS660にも受け継がれています。 ただし、Sシリーズを中古車で取引する際には注意が必要です。最終型のS800の発売からでも50年以上が経過しているため、車両の状態が万全とは限りません。一方で、残存台数の減少から希少価値は高まる傾向にあるため、売却する際は正しく価値を評価してくれる専門業者への相談をおすすめします。

ランクル80系が人気で値上がり1500万円!?魅力と高価格の秘密に迫る!
旧車の魅力 2024.01.23

ランクル80系が人気で値上がり1500万円!?魅力と高価格の秘密に迫る!

2021年8月1日に新型の発売が決定したトヨタ ランドクルーザー。そんな中、アメリカのオークションにて出品された1994年製造のランドクルーザー(通称80系)が、日本円で約1500万円もの価格で落札されたというニュースがありました。 今回はそんな旧世代モデルながら、今でもなお根強い人気を誇るランクル80系の魅力、中古市場の相場についても紹介していきます。 悪路走破性能を残しつつ乗り心地を改善させた80系 1980年代当時、レジャー用としてますます高まっていく自動車需要もあり、1989年10月に販売開始されたランドクルーザー80系は、オンロードも快適に走れるコンセプトのもと、発売されました。 前身モデルの60系などとは違い、サスペンションも従来までの板バネ式からコイルスプリングを採用。オフロードでの性能は残しつつ、快適性を重視したランドクルーザーとして新たな境地を開拓したモデルといえます。 全長4,970mm×全幅1,930mm×全高1,860mmという大柄なボディには、4.5リッターの自然吸気ガソリンエンジンに加え、4.2リッターディーゼルエンジンの自然吸気とターボモデルをラインナップ。外観的にも曲線を多く取り入れ、都会的な要素を持った新世代SUVの風格を感じさせるものとなっています。 約1,500万円のプライスがついたランクル80系とは? そんなランドクルーザー80系は、2021年6月に行われたアメリカのオークション「BRING A TRAIJER」に出品され、141,000ドル(日本円で約1500万円)という高値で落札されました。 1994年式のその個体は製造から25年以上経っているにも関わらず、走行距離はわずか1005マイル(約1600km)という低走行車であり、外観内観どちらも劣化やキズなどは一切ないという極上車。ダークエメラルドパールのボディに4.5リッターDOHCガソリンエンジンを搭載しており、トランスミッションは4速AT、外観や機関部にはカスタムやチューニングなどは一切されていません。 エンジンの始動はもちろん、走行もまったく問題なく、ランクル80系の人気の高さにくわえ、この個体のコンディションの良さを組み合わせた1500万円という価格は、ランクルファンにとって納得のプライスと言えるかもしれません。 ランクルが古くなっても値崩れしない理由 上の事例のように、ランドクルーザーは製造から年数が経過していても、中古市場では高値で取引される傾向があります。それはオフロード性能が高く、車体も非常に丈夫であるために、世界中から需要があることが最たる理由です。 未舗装路の多い海外では丈夫なオフロード車の人気が高く、特にランドクルーザーが持つ悪路走破性能と信頼性の高さは、世界中から認められています。 日本車であることのメリットも 日本国内では舗装路を走ることが多いため、国内仕様のランクル80系は海外で使用されている個体に比べ故障や劣化が少ないという特徴があります。そのため、たとえ走行距離が10万kmを超えていたとしても、海外ユーザーにとって日本仕様のランドクルーザーは、大枚をはたいてでも手に入れたい車なのです。 特に80系からのモデルは、足回りなどの刷新で居住性が飛躍的に向上し、中古市場が特に値落ちしづらく、現在でも輸出が頻繁に行われています。 中古車相場と旧車王での買取価格は? 大手中古車サイトのランドクルーザーの相場を見てみると、80系の価格帯は約80~600万円(※執筆時点)と、個体によっては新車価格を上回るものも見受けられます。 最高額の600万円の個体は15000kmの低走行かつ、リフトアップというランドクルーザーならではのカスタムがされており、国内でも人気の仕様です。 一方、旧車王での買取価格はVXリミテッドグレード(ガソリン、ディーゼルターボ)が10~160万円、丸目&角目4灯フェイスモデル(ガソリン、ディーゼルターボ)が80~160万円。丸目&角目4灯フェイスというのは、80系の前身にあたる60系を意識した丸目ヘッドライトを装着した仕様で、レトロ感あふれる顔つきが人気のカスタムとなっています。 ヘビーデューティなクロカンから高級SUVへ 最大の強みである悪路走破性を残しつつ、走行安定性や車内での快適性を高めたランドクルーザー80系。その80系の革新的なクオリティに発売当時は「四駆のクラウン」と賞賛されました。ランドクルーザー80系の高級セダン顔負けの品質とクオリティは、のちの後継モデルに続く高級SUVの礎となったのです。 持ち前の頑丈さとともに、それまでの働くクルマとしてのイメージを塗り替えた80系は海外でも絶賛され、走行距離が30万kmを超えても当然のように各国で走り続けています。 そう考えると、今回落札された80系のような新車ともいえる極上品に1500万円という価格がつくのはそれほどおかしいことではなく、きちんとしたランドクルーザー特有の費用対効果を保証してくれるものだと思います。 ランドクルーザーを買い続けて20年以上納得の高価買取ならランド王https://www.qsha-oh.com/landcruiser/ [ライター/増田真吾]

3,000万円超えの名車! メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションⅡの歴史と魅力に迫る
旧車の魅力 2024.01.22

3,000万円超えの名車! メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションⅡの歴史と魅力に迫る

ドイツツーリングカー選手権(以下DTM)で連覇を成し遂げるなど、レース界で輝かしい戦績を残したメルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションⅡ。500台限定の生産台数で、日本国内にはわずか50台しかないともいわれる希少車です。 インパクトのある見た目と名門コスワースによるチューニングエンジンによる高い性能から、憧れる人が後を絶たない190E 2.5-16 エボリューションⅡの歴史と魅力を振り返ってみましょう。 DTMを席巻した190E 2.5-16 エボリューションⅡ メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションIIは、1990年のDTM投入翌年の1991年には、ドライバーズランキングこそ2位だったもののマニュファクチャラーズタイトルを早くも獲得します。さらに、翌年にはマニュファクチャラーズタイトル連覇と念願のドライバーズタイトルも手中に収め、圧倒的な強さを見せつけました。 日本国内でも多くの人に愛されたベース車輌の190Eについて解説するとともに、メルセデス・ベンツのレースにかける思いを詳しく紹介します。 ベース車輌は赤坂サニー ベース車輌の190Eは、特別希少価値の高いクルマではありませんでした。メルセデス最小という位置づけの、どちらかというと大衆向けの車種です。バブル景気を背景に高級車が売れた当時の日本では、「六本木のカローラ」と呼ばれたBMW E30と並んでメルセデス 190Eは「小ベンツ」「赤坂のサニー」と呼ばれるほどよく目にするクルマでした。 一方で、車としての質感はさすがメルセデス・ベンツといった仕上がりで、燃費や油量に加えて時計まで一望できる3連メーターやゲート式シフトレバーなどは上級車種と共通のスタイルを採用。シートをはじめとする内装にも、メルセデス・ベンツ特有の高級感のあるデザインが施されていました。 勝つためだけに製造された限定500台 190E 2.5-16 エボリューションⅡは、わずか500台しか生産されませんでした。当時のDTMに参戦するためのホモロゲーションを取得するために、市販車としての最低生産台数が500台だったためです。つまり、190E 2.5-16 エボリューションⅡは、モデルとしての商業的成功ではなくレースで勝つためだけに販売されました。 また、190E 2.5-16V エボリューションⅡが作られる前に、同じく2.5L 直列4気筒16バルブエンジンをベースに190E 2.5-16 エボリューション(通称:190E 2.5-16 Evo. I)が1989年に製造されていました。エンジンはチューニングされていたものの、外観的にはタイヤを太くしたことに伴うオーバーフェンダーの装着程度でベース車輌とあまり変わらず、レースでも苦戦を強いられます。 そこで翌年の1990年に投入されたのが、エンジンだけでなく外観にも大幅に手を入れた190E 2.5-16 エボリューションⅡです。500台の限定生産を2年続けてクリアしたあたりに、メルセデスがレースにかける思いがいかに強かったのかが伺い知れます。 空力性能を追い求めた迫力の外観 190E 2.5-16 エボリューションⅡの外観で真っ先に目につくのは、大型のリアウィングです。しかも、見た目だけの装備ではありません。重量増を抑えるためにアルミ合金製となっていて、しっかりとダウンフォースを稼ぎます。 また、大きく張り出したオーバーフェンダーやフロントリップスポイラー、サイドスポイラーと迫力のエアロパーツが特徴的です。この時代のベンツらしく角目で直線基調のボディラインということもあって、圧倒的な存在感と迫力を感じます。 突き詰められたチューニングエンジン 190E 2.5-16 エボリューションⅡのエンジンは、イギリスの名門エンジンメーカーコスワースの手によってとことんチューニングされています。カムシャフトやバルブ、ピストンといった各部には専用部品が用意され、クランクシャフトの重量にまでこだわって設計されました。 軽量な190Eには十分過ぎる235psを販売モデルで発揮。さらに、レース用エンジンでは375psまで高められていたようです。 手抜きのないインテリア レース参戦のホモローゲーション取得のために製造された190E 2.5-16 エボリューションⅡですが、内装面でもまったく手抜きはありません。上質で落ち着いたメルセデスらしい質感とともに、各種装備も充実していました。パワーウィンドウやエアコン、エアバッグ等を備え、4人乗りセダンとして普段使いできる仕様に仕上げられています。 整然と並んだメーターパネルや重厚なドアパネルによって、レースカーとは思えないほどの高級感が与えられています。 3,000万円を超える価格が証明する価値 190E 2.5-16 エボリューションⅡは、ほとんど市場に出回ることはありません。しかし、店頭に並ぶとほぼ確実に3,000万円を超える価格がつけられます。すでに30年以上前のモデルにはなりますが、メルセデス・ベンツがこだわって開発したことと希少性から、その評価は今後も衰えることはないでしょう。 一方で、希少性の高い車の価値を正しく見極めるのは大変困難です。ほとんど流通してない車だと、査定の参考になる価格もありません。歴史的な意味合いも含めて、クルマのもつ本当の価値を理解した価格をつけられるのは旧車王のように専門的に取り扱っている業者だけです。

日産が世界に影響を与えたパイクカーシリーズ第2弾! レトロデザインがかわいらしい日産 パオの魅力
旧車の魅力 2024.01.18

日産が世界に影響を与えたパイクカーシリーズ第2弾! レトロデザインがかわいらしい日産 パオの魅力

レトロデザインなのに、なぜか新しいかわいらしさを感じる日産 パオ。日産が世界に先駆けて開発に取り組んだパイクカーシリーズの、第2弾としてリリースされました。懐かしい三角窓や独立設置されたバンパーなど、とことんこだわったデザイン性の高さは今も色あせることがありません。 発売から30年以上が経過しても人気の高いパオの魅力をたっぷりと紹介します。 パイクカーシリーズの人気を不動のものにしたパオ パイクカーシリーズ第2弾のパオは第1弾Be-1をわずか2週間で上回る注文を受け、シリーズの人気を不動のものにしました。Be-1に端を発した日産のパイクカーシリーズ。常に最新・最先端を求める車業界の流れに逆行する、レトロ感あふれるデザインが高い人気を得ました。 まずはパイクカーの定義と、パオの発売経緯を振り返ってみましょう。 日産が世界の先駆者だったパイクカー 「パイク」とは「尖った」という意味の英語です。他にない特徴的なスタイリングの、文字通り「尖った」車をパイクカーと呼びます。パイクカー本来の意味では、三岡自動車のオロチのように先鋭的なスタイリングのクルマも含まれますが、全体としてはレトロ調のノスタルジックなデザインの車種が比較的多いです。 日産がパイクカーの開発に乗り出したのは、技術力の向上とともに激化していた性能競争の最中の1980年代です。各社がしのぎを削って、エンジン出力の向上や内外装含め現代的なアプローチの新型車を開発するなか、他社と一線を画すレトロチックなデザインを施したパイクカー第1弾のBe-1を発売。大ヒットを記録し、国内のみならず海外にも衝撃を与えました。 1990年代にビートルやミニといった名車が相次いでリバイバルされましたが、その源流は日産 Be-1の成功ともいわれています。 Be-1に間をあけず発表されたパオ 1987年の東京モーターショーで、第2弾パイクカーとしてパオが発表されました。この年は日産がパイクカーシリーズの第1弾として発表したBe-1の発売年。Be-1の発売中にも関わらず発表するほど、パオに力をいれていたことがわかります。ベース車輌はBe-1と同じK10型マーチでしたが、よりレトロ方向に踏み込んだスタイリングでした。 パオが発売されたのは、東京モーターショーでの発表から2年後の1989年の1月15日。平成元年になって最初に発売された国産車の1台です。(もう1台も日産車のC33型ローレル)Be-1以上にレトロデザインを全面に押し出したパオが、新しい時代の幕開けとともに登場というのも運命的なものを感じます。 受注期間わずか2週間でBe-1を超える受注 パオは、一定期間の予約受付後に予約分のみを生産するという販売方式をとります。予約期間わずか3ヶ月で、パイクカー第1弾のBe-1を超える5万1,657台もの申し込みを受けました。すべての注文分を納車するのに、1年半を要したというエピソードも残っています。 パオのかわいいレトロデザインは今見ても魅力的 ベース車輌がK10型マーチのパオは、車として特筆すべき性能を備えているわけではありません。それでも、現在でも人気の理由は圧倒的なデザイン性の高さでしょう。 何かを真似して作ったわけではないのに、懐かしさを感じるレトロ感。さらに、冒険というテーマをしっかりと表現していて、すぐにでもどこかに出かけたくなるデザインです。 パオのデザイン上の魅力を内外装それぞれ紹介します。 モチーフはサファリを旅する冒険者の衣類 ノスタルジックなデザインが魅力のパオですが、特定の車を真似したわけではありません。パオのデザインモチーフは、サファリを旅する冒険者の衣類です。ボディと独立した前後バンパーやルーフ部のモール、ボンネットやボディサイドのあしらいなど、レトロ感とアウトドア感溢れるデザインに仕上がっています。 また、むき出しになったドアヒンジやミラーや窓の取り付け部、三角窓に2分割のリアウィンドーと細部までこだわり抜いてデザインされました。当時はすでにパワーウィンドウが一般的でしたが、窓の開閉も手動という徹底っぷりです。パオの世界観を妥協することなく表現したクルマとして、見事に完成しました。。 また、ノーマルルーフに加えて、キャンバストップも用意されました。開放的なキャンバストップを開ければ、心ゆくまで冒険気分を味わえます。 パオの魅力は内装に詰まっている パオの魅力を最大限感じられるのは、外観よりも内装かもしれません。車内に乗り込むと外観は見えませんが、こだわりの内装によって常に特別な車に乗っていることを思い出させてくれます。 パオの特徴的な内装イメージを決定づけているのが、ボディと同色に塗装された鉄板むき出しのダッシュボードです。エアコンのコントロールパネルは現代車のインパネのように埋め込まれておらず、いわゆる「取り付けられた」状態。オーディオもインパネ下部に「取り付け」られていて、本当にオールドカーを感じさせる作りがシンプルで好印象です。 一方で、各種スイッチ類はオーディオユニットに至るまで統一されていて、単にシンプルに仕上げただけでなくデザイン性を追求した結果だとわかります。 コックピットもシンプルでかわいらしくまとめられており、大型の円形メーターパネルを1つだけ備え、白いレトロデザインに仕上げられた2本スポークのハンドルに目を惹かれます。自然とノスタルジックな気持ちに浸ってしまう、パオならではの特別な室内空間です。 すでに旧車として扱われ希少性が高まっているパオ レトロ基調のデザインを現代の車で再現したパイクカーのパオ。発売当時、古いのはあくまでもデザイン上の話でしたが、現在ではパオそのものが旧車にカテゴライズされています。発売からすでに30年以上が経過し、限定販売だった影響もあり状態のいい個体も徐々に減っていく時期です。 パオを売買するのであれば、古いクルマに特化した専門業者を探しましょう。特に売却する際は、単なる中古車として取り扱われないよう旧車の取り扱いが多い業者への査定をおすすめします。

GTの元祖は意外にもいすゞだった! 日本の自動車史に残るベレットGTが今なお人気の理由
旧車の魅力 2024.01.18

GTの元祖は意外にもいすゞだった! 日本の自動車史に残るベレットGTが今なお人気の理由

高いパフォーマンスとラグジュアリーさを兼ね備えた、最上級スポーティーカーにつけられている「GT」という名称。日本で初めて名前に「GT」を採用したメーカーは、意外にもいすゞでした。2ドアクーペとして開発された、ベレットGTです。 今回は、流麗なボディに最高の性能を備えていたベレットGTと最上位モデルのGTRについて紹介します。ベレットGTの魅力を紐解き、今もなお高い人気を誇る理由に迫ってみましょう。 GTの意味を体現していたベレットGT 現在ではトラックやバスといったイメージの強いいすゞですが、当時はレースにも参戦するなど高性能車の開発に力を注いでいました。 その流れを汲んで、いすゞはセダンタイプのベレットをベースに、2ドアクーペのベレットGTを発売。「GT」本来の意味を体現する、完成度の高いクルマでした。いすゞ ベレットGTの誕生背景とそもそも「GT」とはどういう意味なのか詳しく解説します。 東京オリンピックとともに登場したいすゞ ベレットGT いすゞベレットGTは、東京オリンピックが開催される1964年4月に登場。前年1963年に発売された、セダンタイプのベレットをベースに開発されました。首都高速が整備され、高い走行性能のクルマを求める機運のなか、ベレットGTは誕生します。 実はこの頃のいすゞは、ワークス体制でレースに参戦しており、ベレットGTにはレースで獲得したノウハウが惜しみなく注がれていました。 スポーツカーを中心に使われるGTの本当の意味 GTとは、イタリア語のGranTurismo(グランツーリスモ)の略称です。もともとは、大旅行を意味する「グランドツーリング」から派生した言葉で、長距離ドライブもこなせる高い性能とラグジュアリー感を備えたクルマを指します。 いすゞベレットGTも、ベースとなったセダンタイプのラグジュアリー感を活かしつつ、走行性能をとことん高めたモデルでした。 ペレットGTには「R」モデルも存在していた ベレットGTの発売から3年後の1969年、さらにパフォーマンスを高めたベレットGTRが誕生します。ベレットGTRは、レース車輌として活躍していたGTXをベースに、ロードカー仕様にチューンされ、極限まで走行性能を高めたモデルに仕上がりました。 なお、ベレットGTRは1970年に行ったマイナーチェンジの際に、ベレットGT typeRと名称を改めています。GTR、TypeRともに、現在では走行性能の高い国産車の象徴ともいえるグレード名です。どちらの名前も1960年代に使用していたいすゞは、先見の明があったのかもしれません。 GTの名にふさわしい走行性能を誇ったベレットGT ベレットGTは、GTの名前にふさわしく、ベース車輌のセダンタイプとは別のクルマといっていいほど充実した装備が盛り込まれていました。 さらに特別感を高めたGTRとともに、ベレットGTの装備を見ていきましょう。 走行性能を高めるために注ぎ込まれた先進技術 ベレットGTに搭載されたG160型1.6L水冷4気筒OHVエンジンは、最高出力88ps/rpm、最大トルク12.5kgm/4,200rpmを発揮。わずか940kgの車体を軽快にドライブしました。 さらにベレットGTには、当時の市販車としては最新とも呼べる技術によって、高い走行性能を実現します。サスペンションは4輪独立懸架、ステアリング機構はラック&ピニオン式、ディスクブレーキ(フロントのみ)、4速MTなど、名称だけであれば現在のクルマとほぼ遜色のない技術と装備が投入されました。 Rの名前は伊達じゃない ベレットGTRに搭載されたG161W型1.6L水冷直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力120ps/6,400rpm、最大トルク14.5kgm/5,000rpmを発生。GTRの名に恥じない最高峰の性能を誇っていました。 ベレットGTRはGTカーのラグジュアリーの側面を満たすべく、内外装でも特別感のある仕様になっています。 外装面では、ダクトの開いた専用ボンネットにリムにメッキを施したホイール(スチール製)、そしてフロントにはベレットGTRの象徴の大型フォグランプが備えられていました。さらに、マイナーチェンジ後のGT TypeRでは、スカイラインGT-Rを想起させるような「R」のエンブレムがボディサイドにあしらわれています。 内装は本革巻き3本スポークステアリング、木目シフトノブといった高級感のあるアイテムが特別装備されていました。一方、インパネには220km/hのスピードメーター、センターコンソールには水温系、電圧計、燃料計の3連メーターを備えるなどレーシーな雰囲気がいかにもGTRらしさを演出しています。さらに、シートはヘッドレスト一体型のバケットシートでした。 名前だけではなく日本の自動車史に残る性能を誇っていた ベレットGTとGTRが、登場から50年以上経った今も高い人気を保っている理由は、単に日本で初めて「GT」の名を冠したクルマだったからというわけではありません。レースからのフィードバックを、ロードカーに詰め込んだ高性能マシンだったからです。ちなみに、日本で初めて「発売」されたGTとなると、発売日の関係でスカイラインGTにその座を譲っています。 半世紀を超えるクルマだけに、中古車の売買は慎重に行いたいところです。仮に程度のいい車輌を探し出しても、維持するためにはメンテナンスは欠かせません。専門の知識をしっかりともった業者と取引をしましょう。

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