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● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
さまざまなオーナーインタビューを経験してきて思うのは「このクルマは一生モノ」といい切るオーナーが本当に多いことだ。仕事柄、たまたま熱量の高いオーナーばかりを取材しているだけで、実際には少数派なんだと思う。 ましてや、いまや残価設定ローン、サブスクリプションでクルマを所有する時代だ。期間が満了すれば新しいクルマに乗り換える。クルマではないが、筆者が普段使っているiPhoneとMacintoshのノートパソコンがこれだ。毎日使うものだし、いざというときに故障されては困る。この原稿を書くために使っているMacintoshだって、つい2日前に新しいモデルに換えたばかりだ。 翻って、一生モノとはいうけれど、悲しいかな愛車を墓場まで持って行くことはできない。骨壺にお骨といっしょに愛車に使っていたキーホルダーも収めてもらうとか、せいぜいそれくらいだ。 いつか必ず別れる日が訪れるという、誰もが逃れられない事実に想いを馳せつつ、長年所有した「愛車の卒業」について考えてみた。 ■人は1日に最大で3万5000回の決断を下している(らしい) 確率100%、誰にでも確実に訪れるできごとってそうそうあるものではない。 ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人は1日に最大で3万5000回の決断を下しているのだという。 朝、目が覚める。まず最初に何をするか?まだ眠いので2度寝するという選択肢もあるだろう。休日の2度寝はまさに至福だ。そういったさまざまな決断を下していくうちに、なんだかんだで1日あたり数万回というカウントになっていく。 万歩計(いまならApple Watchのようなウェアラブル端末か?)をつけて歩いてみると、いつの間にかに1万歩くらいの歩数を稼いでしまうこともあるわけだし、「1日で最大で3万5000回」という数字もあながち間違っていないように思えてくる。 ■誰もがいつか愛車と別れる日が必ず訪れる そして、確率100%、誰にでも確実に訪れるできごとのひとつに「死」がある。筆者自身はもちろんのこと、この記事に読んでくださっているそこの貴方も、確実にその瞬間に向かって突き進んでいる。 さらに「クルマを所有している人」という条件付きにはなるが「いつか愛車と別れる日が必ず訪れる」ことも事実だ。他に欲しいクルマが見つかった、家庭環境の変化、運転免許を返納してクルマに乗ることを止めるから、故障してしまい、膨大な修理費用が掛かることが判明したから、事故を起こして廃車になってしまったから…。理由はさまざまだろう。 筆者自身も、一生モノと決めて所有している愛車がある。このクルマとも、遅かれ早かれ別れる日が訪れるのは避けられない…なんてと書いてしまうとさすがに悲観的すぎる気がする。ならばいっそ「いつか手放すときまで、楽しめるだけ楽しんでおこう」と思考を切り替えた方が前向きでいいかもしれない。 ■一時の衝動や感情で「卒業」するべきではない 「いつか愛車と別れる日」の「いつ」を設定するかはオーナーの自由だが、さまざまな取材を通じてかなりの確率で失敗する例を挙げておく。 それは「なんとなく」とか「衝動的に」といった、後先考えずに、そのときの気分で愛車を手放す行為だ。 憧れのクルマが納車された当日は「フワフワした気分で、なんだか自分のクルマとは思えない」といった具合に、現実味がないほど有頂天になりがちだ。 憧れのクルマが愛車となり、ガレージや駐車場にあるのが日常となっていく。そのうち目が慣れてくる。そして冷静になるにつれ、少しずつアラが見えてくるようになる。ここで「まぁ、そんなもんさね」と割り切れるか、耐えられなくなるか。ここでふと思った。これって結婚生活に似ているかもしれない…。ただし、こちらは相手がいることなので、お互い様なのだろうけど。 そのうち、そこに「在る」のがあたりまえになってしまう。と同時にありがたみも薄れていく。「手に入れたときの感動なんてすっかり忘れてしまった」。こうなったら要注意だ。ふとしたときに魔が差してしまう。 不思議なもので、こういうときに限って「隣の芝生は青く」見えてしまうようなクルマが目の前に現れる。しかも、厄介なことに、いまの愛車を手放せばなんとか買えそうなところにあったりする。さらに、よせばいいのに商品車を観に行ってしまうのである。「見るだけ見るだけ」と自分にいいきかせながら。 この先の展開はおおよそ見当がつくだろう。一時の衝動や感情で「卒業」してしまい、やがてまた同じように魔が差して乗り換えてしまう。こうして同じことを繰り返す。浮気性は不治の病なのだ。 ■「○○○が起こったら卒業」と決めておくという手もある なかには「手放すタイミングを逸し、惰性で所有している」といったオーナーもいる。そろそろ卒業してもいいかなと思いつつ、手放すほど気持ちは冷めていないし、他に欲しいクルマも見つからない。さらに、長年連れ添った愛車を手放したあと、自分がどういった心境になるのか分からないといった怖さも秘めているようだ(と同時に、どういった心境になるのか知りたいといった矛盾を抱えているケースもあった)。 もしもいま、卒業するタイミングを探しているとしたら…、何らかの目標を決め、それが達せられたら決断するというのはどうだろうか。例えば、愛読してきた雑誌の表紙を飾ったら、主治医が引退したら、子どもが免許を取得して、クルマの運転に慣れてきたら…。 自分自身が納得できるものであればなんでもいい。卒業するポイントを決めて、その日から来たるべきXデーに向けて心の準備をしておくのだ。見事にその目標が達せられたらめでたく卒業だし、それで未練があると感じたらもう少し結論を先延ばしにしたっていい。大切なことは、どう折り合いをつけるか?あとは尾を引かないようにすることではないかと思う。 ■まとめ:自らの手で葬るというケースも・・・ これはオーナーにしか許されないことだが…。他の人の手に渡るくらいなら、いっそこの世から愛車の存在を消してしまうという方法もある。つまり「廃車」にしてしまうのだ。 この世から完全に愛車を消去してしまえば、「今ごろどうしているのか…」などと案ずることもなくなる。割り切るにはもっとも確実な方法かもしれない。ただ、1台の貴重なクルマがこの世から姿を消してしまう(しかもコンディションもそれなりに良いはずだ)としたら、あまりにも悲しい。 クルマをどう処分しようとオーナーの自由だ!といわれたたらそれまでだが、ある意味では究極のエゴ、自己中かもしれない。 あくまでも個人的な意見だが、コンディションが良い個体であれば家族に譲るなり、どこかのエンスージアストに託してもいい。動かすのが困難であれば、ドナー、つまりは部品取り車として他の誰かの愛車が延命できるようにしてみてもいいのではないかと思えるのだ。 [撮影&ライター・松村透]
筆者だけの思い込みかもしれないが、ハンドルの位置が右から左になるだけでずいぶんと景色が変わるものだと驚くことがある。 さらにMTともなれば、右ハンドルのときは左手で操作していたものが、左ハンドルになると右手に変わる。たったそれだけのことでも、運転する行為そのものが新鮮に思えてくるから不思議だ。 右ハンドル+MT車の選択肢が減りつつあるなか(それでもシビックRSのようにMTのみのモデルがいまだに発売されたりする)、左ハンドル+MT車ともなればもはや絶滅危惧種だ。 それなら、乗れるうちに乗っておいてもいいかも…。今回はそんな話だ。 ■初めて運転した左ハンドル+MT車の思い出 人生初の左ハンドル+MT車はというと、当時、最新モデルとして販売されていた993型のポルシェ911だ。当時ハタチ。なんでそんなクルマに乗れるんだ!と突っ込まれそうなので先に白状しておくと、当時の正規ディーラーに、友人と連れ立って「運転させてください」と乗り込んだんである。いま考えると、若葉マークがようやく外れたばかりの若者によく試乗させてくれたと思う。 「準備するので中で待っててください」と、ショールームに案内され、色っぽい美人のお姉さんが出してくれたディーラー物(?)のコーヒーを味わっていると、メカニック氏が「準備できました。どうぞ!」と、ポルシェ911をショールームの前に横付けしてくれていた。 自分から乗りたいといってショールームまで来てみたものの、クラッチミートが難しいとさんざん聞かされてきた911、果たして自分に運転できるのか!? ここまで来たら後には引けない。 覚悟を決めて運転席に乗り込み、シートポジションを調整する。左手でキーを捻り、背後で空冷エンジンがウォン!!と目覚める。クラッチペダルを踏み、おそるおそる右手でギアを1速に入れた。なんじゃこのガッシリしたシフトノブは!サイドブレーキを下ろし、いろいろクラッチミート。911はアイドリングのままクラッチミートするんだっけ…。するするっと…正しくはおそるおそる左足を床から離す。すると…動いた!エンストせずに発進できた! 2,30分くらいだったか、夢中で911を走らせた。実はこのとき、実はいろいろあって、結果としてホロ苦い思い出となってしまったのだけど…。 ■30万円のゴルフ2 GTIを買い逃した話 都内でウィンドウフィルムを施工するアルバイトをしていたおよそ30年前、勤め先の専務から「ゴルフ2 GTIのMTの売り物があるんだけど、買わない?3ドアの左ハンドル。30万円でどう?」と話を持ち掛けられた。 いまなら飛びつきたいくらいの話だけど、当時はまだ「ゴルフはダサい(すいません)」というイメージしかなかった。どうもハッチバックのクルマが好きになれなかったし、この時点でゴルフを運転したことがなかったことも関係していたように思う。このときハタチ。まだまだ頭でっかちだった時代だ。 アルバイト先であるフィルムの施工場に入庫してくるのは、メルセデス・ベンツやアウディ、当時流行りのボルボのエステート、たまにポルシェやジャガーといった高級車ばかり(在籍中、なぜかゴルフのフィルム施工は機会がなかった)。そんなわけで、仕事とはいえ高級車に触れる日々。だからこそ、余計にゴルフがチープに思えたのかもしれない。…というわけで、30万円のゴルフ2 GTIを手にすることはなかった。 それからおよそ4年後、就職した会社の社長が発売されたばかりのゴルフ4 GTI(MT)の新車を手に入れ、打ち合わせに同行した際には運転させもらった。このとき、初めて実際にゴルフを運転したことでようやくその魅力に気づいた。その後、ゴルフ4ワゴンを手に入れて以来、現在のゴルフ トゥーランまで都合6台のゴルフに乗ることになろうとは。 ■身近なところに左ハンドル+MT車があった! これまで、仕事を通じてさまざまな左ハンドル+MT車を運転する機会に恵まれた。ちなみに、現在、趣味車として所有しているクルマも左ハンドル+MT車だ。ふと思うのは、若いときのホロ苦い経験を埋め合わせたかったのかもしれない。 いまや、プライベートでもたびたびお邪魔している、東京都青梅市にある「Garage, Café and BAR monocoque/ガレージ・カフェ&バー モノコック」の駐車場に1台のハッチバックモデルが目に留まった。 店舗を訪れた人であれば「あぁ。あのクルマね」となるかもしれない。 2011年式 ルノー トゥインゴ ゴルディーニ ルノー・スポール。まさに「左ハンドル+MT車」そのものだ。 同店のマスターであるRYOさんに伺ったところ、走行距離は約10万キロ、価格はASKとのことだが、100万円前後(車検2年付き)を考えているらしい。 内装はというと、エアバッグ付きの純正ステアリングの代わりにOMP製のディープコーンステアリングが、運転席にはスパルコ製のフルバケットシートが装着される他、リアシートやカーペット類が取り外されており、実にスパルタンだ。また、タコメーターの隣にはPIVOT製のdigital monitorが装着され、水温・エンジンの回転数・電圧を表示することができる。 アラフィフ世代以上のクルマ好きにとっては、どこかで見覚えのある仕立てではないだろうか。かつて、スターレットやマーチ、シビック、CR-Xなど、国産ホットハッチで愛車をこんな感じに仕上げて峠道を攻めたり、朝から晩まで(翌日の明け方まで?)乗り回していた人も少なくないはずだ。 折からの旧車人気の影響を受けて、いずれのクルマは信じられないような価格帯になってしまった。オリジナルが是とされ、おいそれとカリカリにチューニングができない雰囲気ができつつある。そもそも、いじりたくても部品そのものがレアになり、安価に仕上げること自体が夢物語になってしまった感がある。 その代わり…ひと昔の輸入車が手頃な価格で手に入るようになってきた。その代わり、かつて高嶺の花だった「ガイシャ」が手頃な価格帯となり、一時期は「タダ同然で引き取ってきた」国産旧車がとんでもない相場で取り引きされる時代となった。 であれば、比較的手が届きやすい輸入車、しかも左ハンドル+MT車がその枠に含まれるのなら…これは楽しんだ者勝ちだと思う。特に、若い世代の方たちにとっては「左ハンドル+MT車+内燃機関のクルマを安価で楽しめる」またとない機会かもしれない。 ●2011年式 ルノー トゥインゴ ゴルディーニ ルノー・スポール ・価格:ASK(100万円前後を予定)・走行距離:約10万キロ・左ハンドル/5速MT・車検2年付き・BS Speedline ホイール・Pro Racing サブコン・BC Racing 車高調・PIVOT digital monitor・ブレーキ冷却ダクト・ボディ補強・アーシング・DIXCEL 特注スリットローター/Zタイプ ブレーキパッド・実測160馬力 ●問い合わせ先:クルマ&バイク好きのオアシス「Garage, Café and BAR monocoque/ガレージ・カフェ&バー モノコック」 ・Facebook:https://www.facebook.com/monocoquecafebar・Instagram:https://www.instagram.com/monocoque.cafebar/・営業時間:11:00〜23:00・定休日:不定休(facebook、Instagramに情報あり)・住所:東京都青梅市畑中1-126-1・TEL:0428-84-0644 ■まとめ:愛車遍歴の1台が左ハンドル+MTっていいかも 新車で買える左ハンドル+MTというと、基本的には輸入車、または逆輸入車だ。正規ディーラーで販売されているクルマで見ていくと、アバルトF595(448万円)あたりが現実的なところだが、それでもコミコミで500万円コースだ。正直いって決して安いクルマとはいえない。 しかし、中古車であれば、それこそピンからキリまである。カーセンサーで調べてみたら、もっとも高価な左ハンドル+MT車は1996年式のフェラーリF512M(RKスペシャル)の1億5千512万円(!)。そういえばこのフェラーリ、某ミュージシャンの元愛車だった個体のはず。反対に、もっとも安いクルマは、2004年式フィアットパンダの33万2千円(いずれも支払総額)だった。 欧州車を中心に、コミコミ100万円以下で買える左ハンドル+MT車もそれなりに選べる。安く買える分、低年式や過走行の個体も含まれている。そこはある程度割り切って「壊れたら、その都度直していく」くらいの心持ちの方がいいかもしれない。 2024年の時点で、新車で購入できる左ハンドル+MT車が限られている以上、10年後にはいまよりも確実に選択肢が限られていることは間違いない。交差点の右折が大変(特に対向車の右折待ちがいる場合)、駐車場などの料金所が左ハンドルに対応していない等、不便に感じることも少なくない。 しかし、左ハンドル+MT車には、それを補って余りある魅力があると個人的には感じている。右ハンドル+MT車も充分に楽しいけれど、ちょっと変化が欲しいと感じたら、左ハンドル+MT車を選択肢に入れてみてほしい。初めてMT車を運転したときのような、新鮮な感覚、そしてワクワクする気持ちが蘇ってくることは間違いない。 そして、行きつけのカフェに立ち寄って居合わせた人たちとクルマ談義を楽しむ…。きっと充実した時間を過ごせるはずだ。 [画像・Porsche、Volkswagen/撮影&ライター・松村透]
生きていると「運命としか思えない」できごとに遭遇することがある。単なる偶然かもしれないし、本当に運命だったのかもしれない。 日本語に訳すと「幸運は用意された心のみに宿る」と説いたのは、フランスの細菌学者であるルイ・パスツールだった。 起こるべくして起こる。これこそ運命だといえる。 しかし「起こるべくして起こる」ことが幸運なエピソードだとは限らない。自分の意思とは無関係に不本意な運命に出くわしてしまうことだって(少なからず)ある。 ■誰にでも「不本意な運命が起こるかもしれない」という事実 年間、100人単位でオーナーインタビューを行っていると、良い方と悪い方、それぞれの「起こるべくして起こった」エピソードに接することになる。 1度は金銭的な事情で手放し、必死に働いて見事にカムバックしたオーナー、コツコツ仕上げてきた愛車がもらい事故で廃車になってしまったオーナー、愛娘の中学受験の費用を捻出するために愛車を手放したオーナー。起業するためあえて退路を断つべく、相棒ともいえる愛車を手放したオーナー。そして高齢のため、クラシックカーの運転が厳しくなり、最新モデルに乗り替えるべく断腸の思いで手放したオーナー…。 このように、ざっと挙げただけでもこれだけある。まさに、人それぞれにエピソードがあることに気づかされる。 そして、改めて振り返ってみると、不本意な理由で愛車を手放した経験があるオーナーが思った以上に多かった。特に多かったのが結婚や出産を機に泣く泣く…というパターンだったように思う。なかにはこの段階でクルマ趣味を諦めたという方もいた。 そう考えてみると、20年、30年、あるいはそれ以上、1台のクルマととことん付き合っているオーナーの存在が奇跡かもしれないとすら思えてくる。 ■親友が所有していたマツダ RX-7の話 もう数十年前のことだが、学生時代の親友がマツダ RX-7(FC3S型)で気になる中古車があるから一緒に観に行って欲しいと頼まれた。最寄り駅から徒歩で20分くらい掛けてバイパス沿いにある小さな中古車販売店に2人で足を運んだ記憶がある。 ずっと欲しいと思っていたクルマ(FC3Sの限定モデル)が手頃な価格で売り出されていたこともあり、親友はその場で即決。確か納車のときも一緒に行ったと思う。平成1ケタ、1990年代前半といえば、スポーツ系モデルのチューニングが盛りあがっていた時期だ。親友もご多分に漏れず、手に入れたRX-7をチューニングしていったことはいうまでもない。 それから1年ほど経ったある日、深夜の湾岸線でエンジンブローを起こしたのを機に、その後はゼロヨンの世界へと傾倒していく。やがて、いまでは完全に絶滅した街道ゼロヨンにも参戦するようになった。その頃には当時としては珍しい13B型の2ローターエンジンにブリッジポート加工が施され、親友のRX-7は独得のアイドリング音を轟かせていた。いまでも「ドッドッドッ」という心臓の鼓動のように一定のリズムで刻むアイドリング音、そして走り去る際の残り香のような濃い生ガスの匂い(※臭いではない)を思い出すことがある。 まさに親友のこだわりと熱量と給料がこれでもかと注がれたRX-7、あるとき再びエンジンブロー。今度ばかりは直そうにも資金が捻出できない。親友としては不本意だったと思うが、結局、最後はそのRX-7も手放した。 それから数年後。たまたま2人でいるとき、偶然このRX-7と再会することになった。親友が青春と当時の給与をほぼすべてつぎ込んだRX-7は別のオーナーが所有し、まったく別の姿になっていた。それでも、そこかしこに当時装着していた部品が残されていたのでお互いすぐに分かった。 何とも複雑な心境ではあったが、せっかくだからということで親友と元愛車であるRX-7とのツーショット写真を撮った。このときのデータはいまでも手元に残されているが、撮影しておいてよかったと思う。結果として、このときがRX-7との最後の対面となってしまったからだ。その後、このRX-7がどうなったのかは分からない。 ■「いっそこの世から葬ってしまった方が引きずらなくて済む」という選択 壊れて修理に高額な費用が掛かることが分かり、「知らない誰かのところに嫁いでいじくり倒されるくらいなら、いっそこの世から葬ってしまった方が引きずらなくて済む」という涙の決断を下した方もいた。 一部の方には反発を食らうかもしれないが、事あるたびに「あのクルマいまどうしているのかな」と思い悩むくらいなら、いっそスクラップ、廃車にしてしまおう。この方が気持ちに区切りがつけられる。終わりを見届けたことで(クルマには申し訳ないけれど)諦めがつくということなのだろう。 なかにはスクラップ場まで同行し、愛車との最後の別れを惜しんだという方もいる。ちなみにこのオーナー、せめてもの思い出として、2度と使うことはない愛車のキーを手元に残し、大切に保管しているそうだ。 ■「あえて愛車に深入りをしない」という接し方もある 取材した方のなかには「失ったときのショックが計り知れないから、あえて愛車に深入りしない」と考えているケースもあった。それはそれでありかもしれないと思った記憶がある。 よくよく話を伺っていくと「若い頃、憧れのクルマを手に入れて楽しんでいたある日、ふと浮気心が芽生えてしまい、別のクルマに乗り換えてしまった」のだという。いわゆる魔が差したというやつだ。 この先の展開はクルマ好きの方であればおおかた予想がつくだろう。 新たに迎え入れたクルマにはすぐに飽きてしまい、買い戻そうにも元愛車は売約済みで別のオーナーが所有しているという。結局、二束三文で売り飛ばすことになり、「つなぎのつもりで」手に入れたアシ車に乗り替えてからずるずると10年以上が経過…。現在の愛車にはそれほど想い入れがない分、飽きることもなければ、わざわざ手を加えようとも思わないそうだ。 ただ…、ときどきふと思い出したようにネットで検索して元愛車がどうなっているか調べてしまうのだという。どこかの誰かが所有しているのか、廃車になってしまったのか、それとも海外へと流れたのか…。しかし、いまだに手掛かりはつかめずにいるそうだ。 この呪縛から逃れるためには元愛車よりも惚れ込めるクルマを見つけるしかないのだが、こればかりは「運命の出会い」次第なのでジタバタしたところでどうなるものでもない。そんな堂々巡りを繰り返しているうちに「あえて愛車には深入りしない」という悟りに近い境地に達してしまったのだという。 ■まとめ:「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」は若いうちに経験すべき? 多くの辛い経験がそうであるように、最終的には時間が解決、あるいは忘れさせてくれるような気がする。時が経つにつれて美しい思い出へと補正されることもあるだろうし、リベンジするべく、奮起する時間的な余裕もある。 しかし、ある程度年齢を重ねてからの「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」は予想外にダメージが大きい。所有していた愛車との時間が長ければ長いほどダメージの度合いも大きくなる。それならば、いっそこの世から葬ってしまった方が…と思ってしまいたくなる気持ちも理解できる。 老いも若きも、遅かれ早かれいずれ愛車との別れの日が必ず訪れる。来るべき日が訪れてしまったとき、できることなら運命とやらに翻弄されるのではなく、自分の意思とタイミングでその日を迎えたいものだと思う。 [撮影/松村透、画像/Mazda,Mercedes-Benz、ライター/松村透]
企業に勤める方の定年退職の年齢は、60歳以上であれば各社ごとに任意に決定できるのだという。現実的には65歳で定年退職という流れが多いのだろうか。 私自身、自営業なので定年はない。気力と体力があれば90歳まで働いてもいいし、極論をいえば明日にでも定年してしまってもいいくらいだ(実際にはできないけれど)。 時短やワークライフバランスといったことが叫ばれて久しいが、実際にはいまだに夜遅くまで残業している方も少なくないはずだ。なかには残業代が稼げるから、遅くまで働くのは苦じゃないという方もいるだろう。こうして、家族のため、そして自分自身のため、文字どおり身を粉にして働いてきた方も多いと思う。 ■ポルシェ911が欲しいと語る仕事関係で知り合ったKさん(64歳) もうすぐ定年退職を迎え、これから先は少し時間に余裕ができる。生活に余裕があれば憧れの世界に足を踏み入れてもいいだろう。仕事関係で知り合ったKさん(64歳)と打ち合わせで顔を合わせたとき「時間に少し余裕ができるし、退職金を少し使わせてもらって憧れだったポルシェを買ってみたいんだけどどう思う?」と相談を受けた。 Kさんに「予算はいくらくらいですか?」と尋ねると「600万円くらいかな」とのこと。 予算が600万円ということは、キャッシュで新車のポルシェを買うのは厳しい。ただ、この600万円を頭金にして会社員であるうちにローンを組めば新車のポルシェが手に入るかもしれない。さすがに新車は高すぎるというのであれば、高年式の認定中古車という手もあるだろう。 以前からKさんからクルマ好きと伺っていたので、すでにモデル名を決めているかもしれないと思い「ポルシェのなかで、どのモデルはが欲しいんですか?」と尋ねてみた。すると「そりゃあキミ、911に決まってるじゃないか」とのこと。やはりそうか。多少なりともスーパーカーブームの洗礼を受けているだろうし、「ポルシェといえば911」という強烈な刷り込みを受け続けてきた世代でもある。 「ボクスターやケイマンはいかがですか?」とKさんに問うてみると「オレは911一択」といい切った。もはや打ち合わせはどこへやら。普段の取材(オーナーインタビューモード)みたいだなと思いつつ、Kさんにこれまでの愛車遍歴について伺ってみると…。「KP61型スターレットや、A70型スープラ、FD3S型RX-7などを経て、家族して子どもが産まれてからは日産ラルゴやエルグランド、トヨタ エスティマ」などを乗り継いできたということを初めて知った。 都内在住でさすがにセカンドカーは持つのは厳しく、家族のために事実上クルマの趣味を封印してきたのだという。現在は子どもたちも独立して手が離れ、Kさんご自身も定年間近。奧さんに「退職金を少し使わせてもらって憧れだったポルシェが欲しいんだけど」と、それとなく相談してみたところ「あなたが欲しいなら好きにすれば」といった具合に好意的な回答が得られたそうだ。最大の難関をクリアし、いよいよ本腰を入れて理想の911を探してみようと思っていたところなのだという。 ■ポルシェ911の認定中古車は1500万円〜という現実 ここでふと気づいた。Kさんはこれまで国産スポーツカー、そしてミニバンを乗り継いできている。つまり、1度も輸入車を所有したことがない。それならば少しでもリスクが低いと思われる認定中古車がいいのだろうか…と思い、スマホを取り出し、カーセンサーで調べてみた。 すると…600万円〜700万円の枠で911の認定中古車を調べてみたところ、なんと1台もヒットしない。上限を800万円に引き上げてみてようやく1台といったありさま。さらに、思い切ってリミッター(?)を解除してみると、ほぼ1000万円スタートだということが判明。そこから画面をスクロールしていくと…、事実上1500万円以下ではほとんど選択肢がないことを思い知らされた。これにはさすがのKさんもガックリ。 仮に600万円の予算をほぼすべて頭金としてつぎ込み、車両本体価格が約1500万円のポルシェ911カレラ(991.2)を手に入れるとしよう。60回ボーナス払いなし、均等払いの残価設定ローンで組んだとして、月々の支払いが約95,000円と算出された。 「残価設定ローンで組んでも毎月約10万かぁー」とKさん。どうやら勤めている企業を定年退職したあと、収入が減るのは避けられないようだ。すでに住宅ローンは完済しているというKさんだが、ため息をつくのも無理はない。虎の子の600万円を頭金に充て、さらに残価設定ローンで毎月約10万円。しかも60回で完済ではなく、5年後には残債分をどうするのか決断しなければならない。残債をさらにローンを組んで乗りつづけるか、新しいクルマに入れ替えるか、売却して残債をゼロにするか、そして一括返済するかの4択だ。 ■予算600万円で買えるポルシェ911といえば 気を取り直して600万円前後で買える911を探してみると、996型の上限と997型の最安値の個体がクロスする価格帯だということが分かってきた。 ここでKさんに「911のどのモデルが欲しいのですか?」と尋ねてみた。すると「本当はカレラ2のMT(964型)が欲しいんだけど、空冷911が手が届かない価格帯になっていることは何となく知っていた」という。「自分の買える範疇でいいので、人生において1度はポルシェ911に乗ってみたい」というのが本音だそうだ。 600万円の予算をすべてつぎこんで、997型であれば15年落ち前後、996型であればほぼ20年落ちのポルシェ911を手に入れることになる。購入後、整備費用の予算が0円ではあまりにも心もとない。仮にトラブルに見舞われなかったとしても、1点点検や車検時に「予防整備」としてさまざまな部品を交換することになる確率が高い。ましてや、ディーラーに整備や車検を依頼したら、天文学的な見積もり額にKさんが泡を吹きかねない。 ■結局、どうしたかというと・・・ つい1時間ほど前のハイテンションはどこへやら。すっかり意気消沈してしまったKさんから「どうすればいいと思う?」と、あまりにも直球過ぎる問いに、思わず言葉に詰まった。「買えばなんとかなりますヨ」なんて無責任なことはいえない。かといって「さすがに厳しいものがありますよね・・・」と、ここで引導を渡してしまうのもいかがなものか。 改めてKさんに問うた。「ボクスターやケイマンはアリですか?」と。するとKさん「いや、911に乗りたい!」と、ここだけはどうしても譲れないポイントらしい。 結局、どうしたかというと“911に乗りたいという意思は譲れないわけですし、「600万円(プラス整備費用の予備予算)で買える911」を選ぶか「600万円を頭金にして、残価設定ローンで認定中古車を買うか」。まずはKさんご自身でソロバンをはじいてみて、導きだした結論を奧さんに話して相談してみたらどうですか?”と伝えることにした。 いやー、これは厳しいですよと伝えるのは簡単だ。しかし「乗らないで後悔するより、乗ってみて後悔する」方が、少なくともKさんにとってシアワセな第二の人生が送れるのではないかと感じたからだ。 たとえ1年、もしくはわずか半年の所有期間であったとしても「ポルシェ911を所有できた」という事実は変わらない。売却するときに損をしてしまうかもしれないが、そのリスクを怖がっていたら永遠に欲しいクルマは手に入らない。かといって、ここから数年間貯金をして多少なりとも頭金を増やせたとしても、その分、いまよりは体力や身体能力が衰えているだろう。 せっかく念願のポルシェ911を手に入れたのに、体がついていかないとしたらそれこそ悲劇だ。さらに、長年勤めた企業を定年退職しているのだから、そもそもローンが通らない可能性も高い。 その後、Kさんから「ポルシェ911を買った」という連絡はない。SNSにもアップされている様子がないので、いまだに迷っているのだろうか。それとも奧さんが止めたのかもしれない。Kさんがいずれ運転免許を返納するとき「納得のいく終わりかた」になることを願うばかりだ。 *Kさんには許可をもらって記事にしています。 [画像・Porsche ライター・撮影/松村透]
現代よりもはるかに年功序列が厳しかった昭和の時代。社長がクラウンであれば、管理職はマークIIに、そして平社員はカローラ乗るべき(またはそれぞれのクラスに属するモデル)といった暗黙のルールがあった。 会社のゴルフコンペに上司より高級なクルマに乗っていこうものなら非常識呼ばわりされ、その後もネチネチと嫌味をいわれた。 終身雇用かつ企業戦士が是とされた昭和の時代を生き抜き、無事に定年退職した父から聞いた話だ。この話を聞いたときはまだ学生だったので、その意味がきちんと理解できなかったように思う。 ■社長、ポルシェ911が欲しいんですけど・・・ やがて社会人になり、勤め先の社長の愛車はメルセデス・ベンツ190Eディーゼルターボだった。当時は「なんでベンツなのにディーゼルなの?」と聞かれることも多かったそうだ。 かつてウィンドウフィルムを施工するショップでアルバイトした際に、納引き(納車引き取り)で何度もメルセデス・ベンツを運転したが、ディーゼルエンジン仕様は1度もなかった。それだけに、とても新鮮だった記憶がある。 打ち合わせなどのお供で何度も社長の190Dを運転させてもらったが、バブル期に「小ベンツ」なんて揶揄されていたのが不思議なくらい心地良いクルマだった。 あるとき「キミは何のクルマが欲しいの?」と社長に尋ねられ、ついうっかり「ポルシェ911が欲しいです」と答えてしまった。自動車関連業の職場とはいえ、かつて父から聞かされた「平社員はカローラ(またはそのクラスに属するモデル)という暗黙のルール」が不意に蘇った。まずい。怒られるかな…。 すると社長は「それはいい!買いなよ!」と背中を押してきた。おいおい、いいのかよ。あとで知ったのだが、当時の勤め先の社長は自分よりも社員が「イイクルマ」に乗ることについてとても寛容な人だった。そして、その言葉を真に受けて、20代半ばで60回ローンを組んでナローポルシェを手に入れてしまった。 いまでこそ価格が高騰してしまったが、25年くらい前は国産スポーツカー並み(またはそれ以下)の価格で買えたのだった。先のことはともかく、とりあえず「買うだけなら何とかなる」時代だった。それがいまや…。とはいえ、月々のローンは5万円を超えたので、薄給の身には結構きつかったけれど。 昭和の時代の「平社員はカローラという暗黙のルール」なんてとうの昔に崩壊したと思いきや、令和6年となった2024年現在でも「ダメなものはダメ」らしい。つまり、一部の世界では根本的に何も変わっていないということだ。 ■どうしても欲しいなら完全プライベートで 勤め先の社長や上司が理解ある人であれば問題はないのだが、そうでない場合、あるいは業界の慣習的に許されないこともあると思う。電車通勤が可能な職場であれば「クルマは趣味」に徹することもできるだろう。しかし、クルマ通勤でなければ通えない場所に職場がある場合、「足車」が必要になってくる。 5万円で友人知人から譲り受けた10万キロオーバーの軽自動車でも何でもいい。そこから中古パーツを駆使して自分好みに仕上げたり、痛んだところを直していく過程も楽しかったりする。もともと安く買ったクルマだけに、趣味車では躊躇してしまうようなDIYも楽しめる。そして、気軽に手を加えられる点が何よりの魅力だ。 そして本命の趣味車だが、もし所有している事実を職場の人に知られたくないなら、SNSにアップするのは気をつけた方がいい。どこで誰が見ているか分からない。鍵アカウントは必須かもしれない。可能であればクルマ関連の投稿は避けた方が無難だ。面倒だけど、それくらい万全の態勢で臨まないとうっかり誰かに知られてしまうからだ。 とはいえ、現実の世界でも気を抜けない。出先でばったり職場の同僚や上司に会ってしまう可能性だってある。もはやこれはもう運の世界だが…。もしばったり遭遇したとき、例えば「○○○くん、ベンツ乗ってんの?」と聞かれ、咄嗟に「いえいえこれは親のクルマを借りてます」と返せるよう、日頃から頭のなかでシミュレートしておいてもいいかもしれない。 ■とはいえ、若いときにしか乗れないクルマがある なかには「そこまでしてでも乗りたいのかよ」と思う人がいるかもしれない。そこまでしてでも乗りたいのよ。足まわりガチガチ、ロールバー&フルバケットシート、エアコンレスのクルマなんて若いときでなければ楽しめない。アラフォー世代にでもなれば、フルバケットシートのままで仮眠なんてできなくなる(どうしても眠いときは別だが、起きたあとがツラい)。 あとは時間の使いかたもそうだ。仕事が終わり、夜「ふとドライブしようかな」と、あてもなく走るなんて行為もいずれおっくうになる。ましてや、家庭を持ったら若くしても夜な夜なドライブなんてほぼ不可能だと思った方がいい。 湾岸ミッドナイト3巻で平本洸一が妻である恵に発した 「も…ッ、もう一度、もう一度走っちゃダメか…?あの金使っちゃダメか…?本当にこれで最後だから…ゴメ…ン。ずっとふりきれて…なかったんだ」 のセリフを知っている人もいるだろう。どうやら作品のなかで2人は離婚しなかったようだが、現実はそうは甘くない。身重の妻がいるにもかかわらず、貯金に手を出して数百万円単位のクルマの買うなんてもってのほかだ。ましてや、そのクルマで最高速トライアル(バトル)をするわけだから、何の見返りもない単なるハイリスクな行為でしかない。無事にバトルを終えて帰宅できたとしても、不安のあまり妻が流産してしまう可能性だってある。 この時点で三行半を突きつけられるか、どうにか離婚を回避できたとしても、奧さんに一生頭が上がらなくなる(むしろ、その程度で済めば御の字だ)。 ■まとめ:いちばん怖いのは男の嫉妬かもしれない SNSなどで「20代でフェラーリ買っちゃいました。界隈の皆さんよろしくお願いします」という投稿を見つけて、コメントこそしないけれど、心のなかで頑張れーというエールを送っている。そのいっぽうで、聖人君子ではないので、正直うらやましいし、一部は親ローンでしょ?みたいな嫉妬心がないわけ…ではない。 ただ、その心境をありのままコメントする行為はまったく別の話だ。「それをいってしまったらおしまいよ」というやつだ。 昭和の時代の「平社員はカローラ」も、俺の方が偉い、立場が上という事実を内外にアピールするための手段にすぎない。社員が上司よりイイクルマに乗れるほど高給なんだと知らしめることにもなると思うのだが…。いつの時代も、いちばん怖いのは男の嫉妬かもしれない。 [ライター&撮影/松村透・画像/Mercedes-Benz、Porsche、AdobeStock]
「愛車」と呼びたくなるクルマって何かと気を遣うよな…と思うのは自分だけだろうか。 汚れたり、傷がイヤであれば「乗らないに限る」となってしまう。それでも皮肉なもので、ガレージで眠らせたままでもクルマは傷んでいく。 見た目の程度は極上車であっても、長期間にわたって塩漬けにしていてれば、タイヤが硬化してブレーキも固着する。エンジンまわりや燃料ホースなどの機関系も総点検(大がかりな整備)が必要になるだろう。 オーナーの考え方や年代、モデルによって差があるにせよ、あれこれ気にしはじめたら本当にキリがない(自分の場合)。 どう転んでも、工場からラインオフした瞬間のコンディションを維持するのは不可能なのだ。 そんなことは頭ではそれは分かっている。分かっているのだけど…。「いい落としどころ」や「妥協点」が見出せず、気づけば30年近く、ずっとモヤモヤしてきた。 ■師はコンクールコンディションで3度ウィナーになった人 少年時代に強い影響を受けた人がいた。10代後半から20代前半に掛けてお世話になったアルバイト先の社長さんだ。ポルシェ911をこよなく愛する方だった。過去形なのは、数年前に病に侵され、すでにこの世を去ってしまったからだ。 アルバイトスタッフとしてお世話になっていた当時、社長さんの愛車はその年に新車で手に入れた1992年式ポルシェ911カレラ2だった。タイプ964の5速MT、グランプリホワイトのボディカラーに内装はブラックレザー。オプションで17インチカップホイール、スペシャルシャーシ、スライディングルーフを選択。スポーツシートやリアワイパー、さらにはその気になれば手に入れることもできた964RSはあえて選ばなかったそうだ(後に964RS用純正リアバンパーに交換している)。 車検を含めたメンテナンスはミツワ自動車のみ。当時定番の組み合わせだが、ポイントを押さえた仕様だと思う。 仕事が終わったあとの30分くらいではあるのだが、ときどき社長さんがドライブに連れだしてくれた。当時はまだ高校生。本来であれば、自分の日常とは別世界にいるはずの964カレラ2に乗せてもらう時間が至福のひとときだった。その結果、自分自身もポルシェ911という「底なし沼」にどっぷりとハマることになり、後に現在の愛車となる「プラレール号」こと1970年式ポルシェ911Sを所有することとなる。 結局、その964カレラ2は2005年末に納車された997カレラSに乗り替えるまで、社長さんが保有するガレージに収まっていた。この964カレラ2、ガレージで保管しているときは時間が止まっているのかと錯覚してしまうくらい、常に新車同然のコンディションを保っていた。こっそり17インチカップホイールの内側を指でなぞってみてもブレーキパッドの粉が付着しないのだ。 「964カレラ2にはあまり乗らず、ガレージで塩漬けにしていたんでしょ?」と思われるかもしれない。いやいやとんでもない。旧ポルシェオーナーズクラブに所属し、クラブの走行会では雨の日でも富士スピードウェイをガンガンに攻めていたし、高速道路では「ポルシェらしい走り(察してください)」で3.6リッターの空冷フラットシックスを思う存分に「吠えさせて」いた。 ひとしきり走り終えてガレージに戻ってくると、夜遅い場合はホイールやフロントバンパーに付着した虫を拭き取る程度で済ませていた。そして後日、エンジンルームやホイールの内側までたんねんに汚れを落としていた。その積み重ねが新車同然のコンディションを生み出していたと思う。 964カレラ2の前に所有していたのが1984年式の911カレラで、こちらはクラブ主催のコンクールデレガンスで3度も優勝したというから、その実力は折り紙つきだ。こんな人が身近にいたら、影響を受けない方がどうかしている。社長さんのようなコンディションは維持できないけれど、洗車に関してはそれなりの流儀が身についてしまった。 洗車するときは風が弱い曇りの日。ボディの汚れを落とすときはスポンジを使いつつ、常に水を流しながらゆっくとていねいに。ワックスはSoft99の半練り一択。1パネルごとに新品のスポンジを1個ずつ使って練り込む。スポンジは使い捨てだ。仕上げはネルクロスだったと思う。洗車が終わると、水を飛ばすために近所をひとまわり。もちろん油温が安定するまで走る。端から見る限り、特別なことは何もしていない。ただ、洗車を終えると、そこに新車同然の964カレラ2がたたずんでいるのだ。その後、自分の愛車を洗車する際、いくら真似をしても社長さんのような仕上がりにはならなかった。 ■意識しすぎて乗るのが辛くなったという、あるロードスターオーナーの話 数年前、とある媒体の案件で、マツダ ユーノスロードスターオーナーを取材する機会があった。シリーズ2のVスペシャルIIは惚れ惚れするほどのコンディションで思わず「譲ってください!」と口から出かかってしまったほどだ。 ちなみに、VスペシャルIIの前にはM2 1001に乗っていたという。取材中に「レアモデルゆえの緊張感が、いつのまにか負担になっていたようです。例えば、ちょっとした用事でクルマから降りるときも目が離せなかったり、壊したくないと“貴重品”のように扱っているうち、自分のものではないような感覚になってしまっていました」とオーナーがおっしゃった。 M2 1001といえば、販売当時から争奪戦が繰り広げられ、いまでは市場にもめったに姿を現さない。300台のうちの何台かは海外に流失しているという話も耳にする。貴重であるがゆえに目が離せないという緊張感は、やがてストレスに変わる。せっかくのM2 1001をドライブするのが苦痛になってしまってはあまりにも辛い。そこでオーナーはM2 1001を手放し、VスペシャルIIに乗り替えたそうだ。貴重なモデルを所有していた方ならではのエピソードだけに、とても説得力があった。 ■あるハチロクオーナーを取材したときに気づいたこと また別の取材では、28年間、ハチロクを所有しているという女性オーナーの方にお会いする機会があった。集合場所にやってきたハチロクは、年式相応に使い込まれた「いいヤレ具合」を醸し出していた。 取材した日は、冬晴れの、風が強い日だったと思う。インタビューをしているあいだ、オーナーさんはフロントガラスをサンシェードで覆い、車内に日差しが入らないように愛車を保護していた。たとえ数時間であっても、少しでも紫外線によるダメージを防ぎたいのだと思った。 取材中、車内の様子を拝見させてもらうと、ナルディのステアリングのグリップの一部が劣化していたり、純正シートのサイドサポートも少しクタッとしていた。まさに1人のオーナーが使い込んできたからこそ刻まれた年輪のようだった。 さらに取材を進めていくうちに、ハチロクのエンジンや足まわりなどの機関系のメンテナンス、そして愛車の異変を察知する嗅覚の鋭さには驚かされた。些細な異変も敏感に察知し、主治医に診てもらうと、確かに不具合が生じていたそうだ。 この2つの取材が自分にとってのターニングポイントとなった。愛車の傷や劣化に一喜一憂していたら辛くなるいっぽうだ。走らせる以上、汚れもするし傷もつく。それはもう「オーナーだけの特権であり、勲章」として受け止め、機関系のコンディション維持に注力しようという、至極あたりまえな結論にようやくたどり着いた。 ■まとめ:30年近い苦悩の果てに「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」と気づく 沖縄や奄美地方はすでに梅雨入りしているが、本州地方もそろそろだろうか。愛車を所有するオーナーの方たちも、春先から続いたイベントやツーリングのお誘いなどが一段落した頃だろう。 古いクルマを所有するオーナーにとって、秋から冬に掛けての出番に備え、ここ数ヶ月は愛車のメンテナンスや、冬眠ならぬ夏眠(?)の時期に入るんだと思う(いっぽうで、降雪地帯にお住まいの方は冬場もガレージで眠らせるのだろうから、思う存分に愛車との時間を楽しめるのは年に半分くらいという方もいるかもしれない)。 エントリーしているイベント、あるいは仲間同士で出かけるツーリングなど。雨天延期、あるいは中止であればいいのだが…。問題は「朝、集合する時点では晴れか曇りでも、出先でほぼ確実に雨が降る」場合だ。いわゆる「微妙な天気」というやつだ。お天気アプリの時系列予報をチェックすると雨マークがしっかりと表示されている。ゲリラ豪雨などがいい例だ。 自分の愛車も錆対策が施されていないので、本音をいえば足車で参加したい。しかし、それでは他のメンバーに申し訳ない気がする。クルマを濡らしたくないというのが本音だ。事実、イベントの参加を断念したこともあった。そのときの後味の悪さといったら…。 しかし、ユーノスロードスターやハチロクのオーナーのおふたりから話を伺ってからは少し考え方を変えた。わざわざ雨のなかを走ろうとは思わないが、多少濡れても仕方がない。おふたりのおかげで、少し時間が掛かったけれど、ようやく愛車との適度な距離感がつかめたのかもしれない。 投機目的で愛車を所有しているわけではないし、コレクターズカーにするつもりもない。ふとした空き時間に走りを楽しむために手に入れ、いままで所有してきたのだ。至極あたりまえだが、走れば汚れるし、傷もつく。それに対して一喜一憂していたら身が持たない。 少年時代のアルバイト先の社長さんを師と仰いでからすでに30年以上の年月が経った。遅まきながら、ようやく「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」という結論にたどり着けた気がする。 [画像・TOYOTA,Mazda ライター・撮影/松村透]
つい最近、20代のクルマ好きから「ユーノスロードスター乗りたいんですけどどう思いますか?」とアドバイスを求められ、真剣に悩んでしまった。 ■かつて自分も乗っていたユーノスロードスター かつて自分も、中古(しかも格安)で手に入れたユーノスロードスターに乗っていた時期があった。古いクルマ相応のトラブルや出費に泣かされつつも、いまでも手に入れて良かったと心から思える1台だ。 自分が1991年式ユーノスロードスター Vスペシャルの中古車を手に入れたのは2011年。つまり東日本大震災があった年だ。当時住んでいた地域は震源地から比較的離れていた場所にあり、自宅にも大きな被害はなかった。 困ったことといえば、度重なる計画停電やガソリンの入手に悩まされたくらいだ。実際に被災した方たちと比べたら、この程度は苦労したうちに入らない。 やがて少しずつ周囲が落ち着きはじめた頃、「この先、いつ何時、どうなるか分からないから、せめて欲しいと思うクルマを手に入れよう」と心に決めた。こうして手に入れたのが先述のユーノスロードスターだ。 車輌本体価格が29万円のVスペシャル。2オーナーの1.6リッター、5速MT、車検切れ、ほぼノーマル。下地処理が雑な板金処理が施され、純正色のネオグリーンに全塗装されていた。何しろ車輌本体価格29万円だ。良好なコンディションを期待すること自体に無理がある。 納車当日にミッションとクラッチの不具合が発覚。近所のマツダディーラーに駆け込んだところ、エンジンからオイル漏れも起こしているという。結局、そのままディーラーで修理が決定。クラッチは新品に交換、エンジンもガスケット交換するなど、最低限まともに走れるよう、ひととおりの作業をお願いした。ミッションはリビルト品にすることで出費を抑えてもらったが、それでもトータルで50万円くらいは優に掛かった記憶がある。 その後も雨漏りに悩まされたり、内装を中心にドレスアップを楽しんだり…。総額でいくら掛かったんだろう。100万円を超えたあたりから恐ろしくなって計算するのをやめた。それでも努力の甲斐あって、気づけば29万円で手に入れたとは思えないクルマに仕上がった。 その後、訳あってこのユーノスロードスターは泣く泣く手放した。某エンスー系個人売買を介して試乗に来た20代の男性が、試乗するなりその場で即決した瞬間、このクルマとの別れが決まった。風が強い、冬晴れの土曜日だった。 ちなみに、その彼はこのユーノスロードスターが人生初の愛車だという。それならば、ということで、ロードスターを引き渡す際に、ノーマルパーツを含めて可能な限り手持ちの部品を含めて譲り渡した。結局手元に残ったのは、ナルディのホーンボタンと愛用していたキーホルダーくらいだ。 早いもので、あれから10年が経った。当時、20代だった次のオーナーも、いまでは30代半ばくらいになっているのだろうか。あのときのユーノスロードスター、いまでも乗ってくれているといいのだけど…。 ■ふと横を見ればNDの中古車も買える カーセンサーによると、2024年5月現在のユーノスロードスターの平均価格は168.5万円。もっとも安い個体の車輌本体価格でも55万円だという。下限でこれだ。自分が手に入れたときは10万円を切るような、誰が買うんだといいたくなるような、ボロボロ・くたくたの個体も売られていた。 その反面、コンディションの良さそうな個体は、2011年当時でも100万円を超えてきてはいた。しかし、200万円台ともなれば、新車同様の限定モデルやM2など、ごく少数だった。そこまで高いお金を払って買おうという人が少なかったんだと思う。 それがいまや、200万円台を大きく突破して300万円台後半の領域にまで達している。もはや新車以上の値段だ。正直、現行モデルであるND型の中古車も充分に狙える価格帯でもある。 自分がユーノスロードスターを存分に楽しんだ(同時に痛い目にあった)ということもあるが、いまなら迷わず現行モデルであるND型の中古車を選ぶだろう。 もし、ふたたびユーノスロードスターを手に入れるとしたら、フルレストア&オリジナルの状態にして所有したい。本気になってしまったら前回以上の出費になることは確実だ。それに、コンディションが良すぎて気軽に楽しめない(持っていることがプレッシャーになる)気がする。 ■止めるべきか、背中を押すべきか? 20代のクルマ好きの彼は、ユーノスロードスターに狙いを定める前段階として、ND型ロードスターも比較対象として考えたはずだ。それを前提に考えると「NA型を買うならND型も狙えるよ」といったアドバイスは、当の本人からすれば「んなこと、いわれなくとももう分かってます」だろう。 ポルシェ911のように、現行モデルである992型の中古車が手に入るのに、あえて964カレラ2(MT)を狙いにいくのと少し似ているかもしれない。新しいクルマの方が壊れないし、エアコンも効くし、日常の足としても使いやすい。さらにいえば、家族の理解も(少しは)得られる。そんなことは百も承知でユーノスロードスターを買おうというのだから、正論が通じるはずもない。 しかし、無責任に「どうせならばNA型買っちゃいなよ」とせきたてることで、20代のクルマ好きの友人に確実に降りかかるであろう、さまざまな苦悩と苦痛と、多額の出費という「高負荷」を掛けてしまっていいのか悩むこととなった。 ■結局、どうしたかというと・・・ で、結局「ユーノスロードスターに乗りたいんですけどどう思いますか?」という問いに対してどう答えたのか? 今回に限った話でいうと「彼は答えは出ていて、誰かに背中を押して欲しいはずだ」と判断した。 そこで「コンディションの良い個体は今後さらに数が減るだろうし、相場もさらに上昇するはず。年齢を重ねてから悔やむことのないように、思い切って手に入れてみたら?」と伝えた。これに「信頼できるロードスターオーナーを見つけて主治医を紹介してもらい、同じクルマを持つ仲間と1人でも多く知り合ってみて」とつけ加えた。 それこそ、当の本人からすれば「んなこと、いわれなくとも分かってます」だろう。ただ、特に後者は念を押しておく必要があると感じていた。 主治医選びを間違えると、せっかく手に入れた念願のユーノスロードスターとのカーライフが早々に破綻しかねない。いい加減な整備でクルマを壊されることもあるからだ。そして何より、主治医との相性も重要だ。何となくソリが合わない、信頼できない…という直感には従った方がいいと思う。そのモヤモヤが蓄積され、何らかのきっかけでいずれ爆発するからだ。 最近、ライフスタイル系の雑誌で旧車やネオクラシックカーとそのオーナーを取材した特集記事を目にする機会があった。愛車選びに多少のヒネリが加えられ、どことなくおしゃれに映るのかもしれない。しかし、その裏ではたびたび壊れる、クーラーが効かないなどの「やせ我慢」を強いられるオーナーも少なからずいるはずだ。 20年、30年、あるいはそれ以上の年数が経過したクルマが現代のそれと比較して確実にヤレているし、我慢を強いられることも多い。「買えばなんとかなる」とはいかない場面も多々ある。そういったもろもろのリスクを背負えるだけの覚悟だけは持っていた方がいいのかもしれない。 [画像・Mazda ライター・撮影/松村透]
これまで何百人という方に愛車にまつわるお話を伺ってきた。そのなかには「愛車を維持するために人生を掛けている」あるいは「愛車がなくなったら自分は廃人になってしまうかもしれない」と本気でいい切るオーナーも少なくない。 ■愛車がすべて。その気持ちは痛いほど分かる 憧れのクルマを手に入れてから今日まで、惜しみない愛情と時間、そして多額の費用を投じて所有してきたのだから、もうあとには引けないという思いもあるのかもしれない。 筆者自身、一生モノと固く心に誓って維持している愛車がある。仕事が忙しいときには車庫にある愛車を眺め、運転席に座るだけでも気持ちが落ち着く。ある意味、精神安定剤的な役割も担っているのかもしれない。乗れなくてもいい。そこにあるだけで満たされる。 そしてふと思うことがある「このクルマがなくなってしまったら自分はどうなってしまうんだろう」と。そんなこと考えたくもないし、あえて考えないようにしているフシもある。それはなぜか。結末がどうなるか。自分がいちばんよく分かっているからだ。 ■「代わりになるものが存在しない」という怖さ せっかくの機会なので、(ちょっと怖いけれど)自分自身の気持ちを掘り下げてみる。愛車を手放したことで、とてつもない喪失感に襲われ、仕事が手につかなくなるだろう。「仕事は最大の逃げ場」という人もいるが、幸か不幸か自分の場合はクルマに関することを生業にしている以上、逃げ場がない。 おそらく、気晴らしにWebカーセンサーやGoo-netあたりで代わりになるクルマを探してみるはずだ。ものすごく前向きに考えると(対象となったクルマには申し訳ないが)リハビリ用として「以前からなんとなく欲しいと思っていた」クルマを選び、あまり深く考えずに買うんだと思う。あくまでもリハビリ目的として。 このとき「元」となってしまった愛車と似たようなジャンルのクルマを選ぶと、無意識のうちに比較して落ち込みそうだ。そこで、あえてまったく別のモデルを選ぶべきかもしれない。こうしてリハビリをしつつ「時間が解決してくれる」のを静かに待つしかなさそうだ。 ■逃げ道が女性という思考は危険かもしれない 自分の人生のすべてを掛けて愛車に捧げる行為は尊いことだと個人的に思う。ただ、どれほど大切にしていても、いつかは自分の手元を離れるときが必ずやってくる。それが「いつか」であって、「いつなのか」は分からない。もしかしたら、Xデーは明日かもしれない。 少し前にNSXとNRを手放してまで1人の女性に捧げたすえ、最悪の結果となってしまった事件があった。コトの是非はともかく、容疑者が手塩に掛けたであろう2台の愛車を手放し、それでも想いを寄せた女性に拒絶されたときの絶望感を想像したクルマ好きの人も多いと思う。 クルマやバイクに興味がない、あるいはそれほどのめり込む対象がない人にとってはとうてい理解しがたい、というか理解不能だろう。しかし、大げさでも何でもなく「生きる糧」を失ってしまうくらいの喪失感があることも事実だ。 もっとも、容疑者が一方的に想いを寄せていたようなので、本人からすれば「可愛さ余って憎さが百倍」となったことが今回の結末を招いてしまったとしたら…何ともいたたまれない。 おそらくは盲目的にNSXとNRを大切にしていたであろうし、同じように被害者の女性にも想いを寄せていたのかもしれない。ただ、クルマやバイクはその想いを受け止めてくれるけれど、相手が人間(ましてや異性)ともなればそうはいかないことの方が多い。 ましてや、被害者の女性は水商売だし、どれほどの大金を貢いだとしても振り向いてもらえる確率は限りなくゼロに近いと考えてしまうのは、悲しいかな他人事であり、当の容疑者だって、そんなことはいわれるまでもなく頭では分かっていたはずだ。 ■それでも逃げ道はあった方がいい 正直、自分でもいいことだとは思っていないのだが、公私ともにクルマ漬けの日々だ。いざというときに潰しが効かない。好きなことを仕事にできていいねといわれることもあるし、自分でもそうだと思うこともある。 以前、仕事と割り切ってあまり興味のないジャンルを扱う企業に入社し、勤務中はもちろん、雑談のときにクルマのクの字も出てこなかったことがあった。そもそもクルマに興味がある人が周囲に誰も居なかった。ストレスが限界に達すると、勤め先のビルの地下駐車場に行って停まっているクルマを眺めて気持ちを落ち着かせていた。 とはいえ、いまの仕事も当然ながら楽しいことばかりではない。クライアントから無理難題をふっかけられることだって(よく)ある。ふと、目の前からクルマという存在を消してしまいたくなるのだが、現実にはそうはいかない。生活が掛かっているからだ。休んだ分、確実に収入が減る。 そんなとき、旅行やスポーツ観戦に行くとか、バンド活動に勤しむとか。クルマから離れてまったく別ジャンルの世界で楽しみを見つければいいのだが…。なぜかクルマ以上に夢中になれるものがいまのところ見つからない。これはこれで意外と辛い。 あるとき気づいたのが、無理にのめり込むものを見つけようとせず、近くの温泉に行ったり、ふらりと旅行をしてみるなど、「なんとなく逃避できる場所やジャンル」をそのときの気分で探せばいいのではないかと思うようになった。無理矢理逃げ場を見つけようとせずに、こちらも「時間が解決してくれる」くらいがいいのかもしれない。 自分自身への戒めを込めて、いざというときのために逃げ道を作っておいた方がいいのかもしれない。 [画像・Porsche,Alfaromeo,Jaguar,Honda,Mazda,Adobestock ライター・撮影/松村透]
仕事柄、国産車および輸入車、そして新旧問わずさまざまなクルマのイベントの取材を行ってきました。 そこでふと気づいたことを備忘録的にまとめてみます。 ■いうまでもなく「イベントやオフ会ごとにカラーが違う」 「マツダ ロードスター」を例に挙げると、現行モデルを含めて4世代、さらに前期・後期モデル、限定車といった具合に細分化していくと際限がないほどに分けることができます。 ロードスターなんだからどれも同じでない?と思うなかれ。参加するクルマや人、テーマ、場所によって明確に違いがあります。もちろん、これはロードスターに限った話ではありません。ある程度までは似た傾向はあるものの、まったく同じということは公私ともにイベントに参加してみてみてなかったように感じます。 参加してみたいけれど、知り合いはいないし、自称"コミュ障"の人もいるはず。それであれば、ひとまず顔を出してみて、なにか違うと感じたらスッと帰ればいいのです。 そのうち気の合う人と知り合える可能性もあります。さらには自分で気になったイベントに参加するだけでなく、会場で知り合った人から誘ってもらえることだって実際にありますよ! ■主催者の「人となり」で決まるのかもしれない すでに常連メンバーが形成されていて、そこへ単独で乗り込んでいくのは相当な勇気がいります。歓迎してもらえるか、素っ気ない対応をされるのか。こればかりは人と人の相性もあるから、実際に現地に行ってみるまで誰にも分かりません。 じゃあ、どうすれば? とにかく足を運んでみる。これに尽きます。 そこで肌感覚にあうと感じたのであれば、少しずつ距離を詰めていけばいいだろうし、しっくりこないと思えば「フェードアウト」すればいいのです。ここで「ドロップアウト」すると遺恨を残してしまう可能性があるので、「フェードアウトしていく」ことがポイントです。 さらに、フェードアウトしていく際に気をつけなければならないことがひとつあります。腹いせにSNSなどで「あのイベント(またはクラブ)は最悪」といった毒吐きをすることは厳禁です。 不思議と、あっという間に関係者の目に留まることになる可能性が高いからです。今後、どこでどのような接点があるか分からない。自ら出入り禁止になるような行為は避けたいところです。 ■あえて深入りしないのも一興 イベントやオフ会に参加してみたら思った以上に楽しい!充実した休日を過ごせた。こうなったらしめたもの。足しげく通うことで、他のメンバーとの距離もグッと近くなっていきます。 やがて気の合う仲間と忘新年会を開いたり、泊まりがけでツーリングに行くほど親密になっているかもしれません。さらにはメンバーのお宅にお呼ばれしてBBQなんて機会もあるでしょう。こうなると、次なるステップとして「親しいなりの距離感のつかみかた」を考える時期です。 もともと「クルマ」という共通のキーワードで親しくなっていった仲間です。幼なじみや学生時代の友人たちのように「なんとなくウマが合う」から仲良くなったときとは意味合いが違います。さらには人格形成ができてから(つまり大人になってから)知り合った者同士。人生の黒歴史のひとつやふたつ誰もが経験してきているだけに、敢えて触れてほしくないデリケートな部分だってあるでしょう。 さらには一緒に居て楽しいけれど、深く付き合ってみると意外な一面を垣間見たり、酒ぐせが悪かったり(笑)、実は訳ありの人だったり…といったケースはいくらでもあります。お互いのプライベートなところは干渉せず(というかあえて触れずに)、クルマという共通の話題のところで踏みとどまるのも一興かもしれません。「親しき仲にも礼儀あり」です。 ■いかなるジャンルにも「上には上がいる」と思った方がラク いかなるジャンルにも「上には上がいる」ものですが、それはクルマの趣味においても同じ。自他ともに認めるほど詳しいと思っていたはずなのに、「なんでそんなことまで知ってるんだ!?」とツッコミたくなるようなとんでもない「ヘンタイ」がいるのも事実です。そこで変な負けん気を出してマウンティングしても疲弊するだけ。そんなときは、潔く「あの人には到底かなわない」と思うのが得策です。 例外があるにせよ、人が集まってくるところに顔を出す「ヘンタイ(ほめ言葉)」は、総じて面倒見の良い人が多いように感じます。ネットで調べても分からない、あるいは確証が持てないような情報やノウハウを惜しげもなく提供してくれたりします。しかも、見返りを求めません。「自分が苦労してきたから、同じ思いをしてほしくない(嫌なことがあっても手放さないでほしい)」と本気で考えてくれます。当然ながらこの種の「ヘンタイ(ほめ言葉)」は非常に人望があります。それでいて、年齢や乗っているクルマなどで差別せず、誰とでも分け隔てなく接してくれます。「あ、あの人がまさにそうだ!」。まわりを見回してみると、こんなヘンタイ(※繰り返しますがほめ言葉)、いませんか? ■まとめ:リアルな友だちとは違う人間関係が構築できるだけでもクルマ趣味に没頭する価値があるかもしれない 欲しいクルマを手に入れた瞬間はゴールではなく、スタート、プロローグです。「仕事じゃなく、趣味なんだから誰にも干渉されることなく自分だけで楽しみたい」という人もいるでしょう。そういった人のカーライフを否定したり、変えようとは考えていません。今回はあくまでも「自分の立ち位置が揺れ動いている人」向けの話し、です。 知らない世界に飛び込むのだから思うようにいかないことだってあるだろうし、理不尽な経験をする可能性もゼロではありません。しかし、そこで得られた人間関係が「大人になってから友だちができない」と悩んでいる人に風穴を通すきっかけになることは確かです。 「クルマはコミュニケーションツール」なんていいますが、憧れのクルマを手に入れたからこそ知り合える人、足を踏み入れることができる世界が必ずありまます。休日に洗車をして何となくドライブして「それはそれで楽しいんだけど、何かものたりなさ」を感じているとしたら、思い切ってイベントに参加したり、足車でこっそり見学に行ってみるのもいいかもしれませんよ! [ライター・撮影/松村透、画像・Adobe Stock]
なぜか筆者の周囲には「若者のクルママニア」が多い。 そのなかには、もはや「ヘンタイ」の領域に達している方も少なくない。筆者がまったく知らないようなディープな情報を持っている方もいれば、カツカツのローンを組んでクルマエンゲル係数高めな生活を送ったり、ローンを組んでガレージ付きの家を建ててしまう猛者も。 「どうせ実家が太いんでしょ」とツッコミが入りそうなので先にお伝えしておくと、そんなことはなく(知る限りでは割と平均的)、大手企業に就職したことで有利であることは事実かもしれない。 ディープなカーライフを送る彼らから話しを聞いていると、ある共通点があることに気づいた。それは「クルマ好きの父親(しかもディープな)」の存在だ。 ■父親がクルマ好き(しかもディープ)だった やはり「血は争えない」のか、物心ついたときには父親と同じクルマ好きだという自覚があったそう。クルマ好きの父親のおかげ(せい?)で、家のいたるところに自動車関連の雑誌があり、物置には工具類やゴミ同然(?)のクルマの部品が山積みに…。そして休日はクルマいじりに没頭。 夫婦喧嘩のきっかけが「奥さんが勝手に本を捨てた」とか「休みの日はいつもクルマいじりばかり」とか「海外からワケの分からない大きな荷物が届いている」…などなど、クルマにまつわるものが多いのも特徴。それでも子どもの視点では「遊んでくれないときもあったけど、なんだかパパが楽しそうにしてた」という記憶が鮮明に残っているそう。 ■幼少期に洗車やクルマいじりの手伝いをしている 幼心に「パパが休みの日には何だか楽しそうなことしてる」と感じたのか、それとも水遊びがしたいだけだったのか!? 父親のクルマの洗車を手伝ったことを覚えている(楽しい思い出)そうだ。子どもが小さいころは水遊びの延長線でもあるし、おのずとクルマに水を掛ける担当になるのだとか。 確かに、洗車スポンジでゴシゴシとボディをこするな!なんていわれても、お子さんには分からないし……。お子さんがもう少し大きくなり、小学校3〜4年生頃になると洗車ができるようになったり、スタッドレスタイヤに交換する作業を手伝うようになったそうだ。そしてこの経験が後々クルマいじりの原体験となっていたりする。 ■父親が運転するクルマの助手席に乗り、その光景を鮮明に覚えている 鮮明に覚えている幼少期の記憶があるなか、不思議と「父親が運転するクルマの助手席に乗り、その光景を鮮明に覚えている」ケースが多いことも特徴のひとつ。そのとき乗っていた車種、走っていた場所、その日の天気、車内で流れていた音楽…等々。 既に3日前の夕飯が何だったか思い出せないけれど、幼少期の何気ない日常のひとコマが忘れられないのだとか。また、車内で聴いていた音楽を覚えていて、大人になってから運転中にヘビーローテーションするケースも多い(事実、影響を受けるらしい)。 ■父親の愛車遍歴で忘れられないクルマがある 車種やメーカーを問わず、父親が溺愛していたり、家族の一員だったり…。新しいクルマが納車された日のこと、長年乗り継いだ愛車が去って行ったときのこと。そのクルマが原体験となり、自分が運転免許を取得して愛車を選ぶときに大きな影響をおよぼすこともしばしば。 なかには父親が若いときに乗っていたと聞いたクルマや、結婚や出産などで泣く泣く手放したクルマを俺が代わりに手に入れよう。そして親父に乗ってもらおう、そんなことを本気で思っていて、ついに手に入れてしまうことも。 ■まとめ:たとえスーパーカーを手に入れたとしても、原体験の感動は超えられないのかもしれない 父親におねだりして「今日は特別だぞ」と運転席に座らせてもらったときの記憶。運転席に座ってハンドルを握った記憶。MT車のシフトノブをいじった記憶。シートに座ってはみたものの、アクセルやクラッチペダルが届かなくて、足を無理矢理伸ばして踏み込んだ記憶。いまでは当たり前のことでも、幼少期にはそのいずれも天にも昇る体験。幼少期の原体験はそれだけ重要なんだと思う。 幼少期の子どもにとって運転席はまさに「聖域」。大人になり、たとえ成功して誰もがうらやむスーパーカーを手に入れたとしても、原体験の感動は超えられないのかもしれない。 [画像/Adobe Stock、ライター・撮影/松村透]