ニュージーランド・インタビュー「2Degrees」 ~ トヨタセリカを持ち込んだ、前代未聞の「駐在員」

目次
1.■過去(前期): 孤独なクルマ少年  2.■過去(後期):人生の転機「アメリカ駐在」 3.■東京都と千葉県の「2拠点生活」 4.■現在:驚きの旧車コレクション 5.■未来:旧車仲間との継続的「つながり」 6.■取材後記

「六次の隔たり」(6 Degrees of Separation)をご存知だろうか。

この地球上では、相手が誰であろうが、最大でもたった6人の「知り合い」をたどれば「つながる」ことができるという説がある。

人口が僅か500万人ほどの島国であるニュージーランドは「六次ではなく二次(2 Degrees)の国」であるというのが一般的な理解で、国内にはその名を冠した携帯キャリアが存在するほどだ。

事実「小学校が同じ」、「兄弟と知り合い」などといったことは日常茶飯事だから面白い。

そんな「みんなが知り合い」という特色を利用して、旧車オーナーや業界人を次々とご紹介いただき、「つながる」ことを実感しようというシリーズ。

それがこのインタビュー「2 Degrees」だ。

オークランド在住のtomatoです。

第3弾となる今回は、第1弾*のご夫婦を通じて知り合った方で、日本の大手金融機関からニュージーランドに派遣された、日本人駐在員である「トム(Tom)さん」をご紹介します。

 (*) ●ニュージーランド・インタビュー「2Degrees」~マツダ RX-7を完全制覇したご夫婦~ 
https://www.qsha-oh.com/historia/article/2degrees-mazda-rx7-newzealand/

何を聞くにしても話すにしても、クルマのこととなると目を輝かせるトムさん。

旧車ミーティングで、見ず知らずの方々とつぎつぎに仲良くなっていく姿はとても印象的です。

トムさんのクルマに対するこの真っ直ぐな情熱と社交性は、一体どこから来るのだろうかと純粋に興味を抱いていました。

彼のプライベートライフは旧車で満ち溢れています。

この記事を読み終えたあと、筆者がそうであったように、きっと多くの読者の方々が「こんな駐在員は見たことも、聞いたこともない」と思われることでしょう。

■過去(前期): 孤独なクルマ少年 

●最初に「クルマ」に興味を持ったキッカケを教えてください

トムさん(以下トム)「それがよく分からないんですよね。とにかく、見るクルマ、見るクルマの名前を覚える子だったようですよ。きょうだいのなかで唯一の男の子だったから、ミニカーとかプラモデルとかたくさん買ってもらいましたね。今考えても甘やかされて育ったと思います」

3歳のときに作った、マツダ「コスモスポーツ」のゼンマイで動くプラモデルを、今でも鮮明に覚えているそう。

父方のおじいさまが「これからはエンジニアの時代だ」と、そのプラモデル以降もたくさんのミニカーを買ってくれたのだといいます。

ミニカーといっても、1/64サイズの「トミカ」ではなく、1/43サイズの「DINKY (ディンキー)」や「CORGI (コーギー)」といった外国メーカーが中心であったこと、昭和40年代でまだまだ「日本車はこれから」という時代であったことから、輸入車が大半。

小学校に入ると、トム少年は、「タミヤ」、「オオタキ」、「ハセガワ」といった、本格的なプラモデル遊びへとステップアップしていきました。

そして、ときは昭和50年代前半(1970年代後半)、いよいよ池沢さとし氏(現池沢早人師氏)の「サーキットの狼」をきっかけとした、「スーパーカーブーム」がやって来ます。

ですが、当時の子供たちがフェラーリやランボルギーニに狂喜乱舞した時代だというのに、ずっとひとりで遊ぶ少年だったそうで、今の社交的なトムさんからはとても想像ができません。

一方の母方のおじいさまの「甘やかしぶり」も負けてはおらず、アメリカ出張のお土産では、「Cars In Profile(カーズ イン プロファイル)」というハードカバーの洋書を渡されたそう。

まだ小学校高学年だった彼が、辞書片手に読破したというのだから驚きです。

●その洋書に関して、何か記憶に残っていることはありますか?

(トム)「実は、高級2ドアクーペ特集にあったフランスの『ファセル ヴェガ』が、今でもボクのドリームカーですね。このクルマね、5リッターのクライスラーエンジンを搭載してるんですよ。この『無駄使いっぷり』や『場違い』なところが、たまらなく愛おしいんです」

▲ファセル ヴェガHK500

中高校生になっても、彼のクルマへの興味と情熱は変わることはなかった様子。

1978年9月に発行された日本版「カー・アンド・ドライバー」の創刊号を購入したことを覚えているというのです。

さらに、カー・アンド・ドライバー誌がおもに新車を扱うのに対して、旧車を扱う1979年10月に創刊された「ザ・スクランブル・カー・マガジン」(現「カー・マガジン」)も購入していて、創刊号の付録だったホンダ ステップバンのペーパークラフトを作ったそう。

その後、両親の勧めでキリスト教系の大学に進学したトム青年は、家のクルマであった1977年式のマツダ ルーチェレガートで通学することになりました。

ところが、残念なことにその大学には自動車部がなく、そこでも孤独の日々が続いたといいます。

最終学年では、ミシガン工科大学へ留学。

アメリカのビッグ3(GM、フォード、クライスラー)のお膝元だけあって日本車は少なかったのですが、降雪地であることを理由にスバル車だけはよく見かけたそう。

そして日本に帰国。

大学を卒業した彼は、現在も在籍している大手金融機関に就職するのでした。

●では、その金融機関に就職してから現在のように社交的になったのですね?

(トム)「いいえ。まだ変わりませんね(笑)。就職してからは、社宅で整備書を片手に、独学でクルマのクラッチ交換をする奇妙な青年として映っていたと思いますよ」 

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■過去(後期):人生の転機「アメリカ駐在」

1995年、ロサンゼルスへ赴任することになったトムさん。

ボーイング、ロッキードマーチン、AMDなど名だたるアメリカ大手企業を顧客とした業務を行なっていました。

驚いたことに、現地での愛車は、中古の日産 300ZX(Z31型2シーター)とメルセデスベンツ Sクラス280SE(W126)だったそう。

●駐在員といったら、新車を購入されるのが普通ですよね?

(トム)「ですね。周りは当時のベストセラー3強のホンダ アコード、トヨタ カムリ、フォード トーラス、マネージャークラスの人達は、アキュラ レジェンドとかレクサス ESとかの新車でしたからね(笑)」 

しばらくして、トムさんは(今でも所有されている)オレンジ色の日産 240Zを買うことに。

そう、あの「悪魔のZ」でもおなじみのS30型です。

これを機に、Zのオーナーズクラブである「グループZ」に入るのですが、ここから彼の人生が急激に変わり始めます。

1998年は、北米各地域にあるさまざまなZカークラブが集結する祭典「Zカー コンベンション」(https://zcca.org/convention-info/)がニューメキシコ州で開催されるということで、所属クラブの企画で、トムさんの240Zを含めて7~8台のZでLAから現地に向かったそう。

その道中、なんと彼の240Zがオーバーヒートで立ち往生してしまう事態に。

しかし、ここでクラブのメンバー達に助けられ、なんとか全車揃ってイベント会場へ辿り着くというドラマチックな出来事があったのでした。

▲Zカー コンベンション 

●これは新しい発見だったんじゃないですか? 

(トム)「これまでは独学で、ひとりでの『クルマいじり』がすべてだったんで、この『共通の趣味を持つ仲間との絆や交流』というものにひどく感動しましたね」

●その後、トムさんの人生に具体的な変化はありましたか?

(トム)「2000年にはミスターKさん、つまり、故・片山豊さんと日米の『Z CARクラブ』の交流をキッカケにして、日産自動車の援助で日本の『Z CARクラブ』の有志が20数台のフェアレディZを日本から運び、LAからラスベガス(同年の『Zカー コンベンション』会場)まで乗っていく企画をやりました。また、2001年には日産自動車が全面的にバックアップするカタチで、日本でも同様の祭典『Zカー フェスタ』を始めるまでに成長しました」

ここでついに「社交家トムさん」の誕生となったのです。

▲Zカー フェスタ

■東京都と千葉県の「2拠点生活」

アメリカから帰任したトムさんは、会社の制度により、2001年にフランスへ留学することに。

パリからクルマで1時間ほどのフォンテーヌブローという街にある、世界有数のビジネススクールINSEADにてMBA(経営学修士号)を1年で取得しました。

これでアメリカに加えて、欧州での実体験を得たことになったトムさん。

フランスから帰国した彼は、吉祥寺の実家に置いていた「人生を変えたオレンジ色の240Z」を移す必要に迫られ、2002年に千葉県に家を購入。

純粋にクルマのためでした。

そして、平日は賃貸住居を拠点とし、週末や長期休暇は別荘で暮らすという「2拠点生活」がスタートしたのです。

別荘には整備場を設け、さらには既成の4台用カーポートをDIYで、2~3年かけて9台用にまで拡張していきました。

スペースができて、いざクルマを買っていくと、分かったことがあるといいます。

自分は「ずれたクルマ」、「売れないクルマ」、「不人気なクルマ」が好きなのだと。

●でも、「フェアレディZ」は王道のスポーツカーデザインではありませんか?

(トム)「Zは目(ヘッドライト)が窪んでて変でしょ?」

なるほど。

そんな彼はある日、オークションに出てきた「スバル レオーネRX-A」が、アメリカ留学時代にミシガン州で見たスバル車の思い出と重なり、衝動買いをしてしまいます。

これが「スバル愛」が始まったキッカケとなり、別荘にあるスバル車は計8台にまでにふくれあがることに。

その結果、今ではスバル車のコレクションを介した「つながり」で、スバルの現役/OBエンジニアを中心とした方々が定期的に集まる「憩いの場」になっているそうです。

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■現在:驚きの旧車コレクション

2021年2月、トムさんはニュージーランドへ赴任しました。

おもに自動車ローンなどを事業の柱としている、ニュージーランド国内のとあるファイナンス会社を100%子会社したことに伴い、そのマネジメントチームの一員に加わったことが理由です。

記事冒頭のトヨタセリカGTVは、前述の別荘の旧車コレクションの1台で、プライベートの顔の「名刺代わりに」と赴任する際に日本から持ち込んだものですが…。

驚くことに、2023年10月執筆時点で所有する旧車が、ここニュージーランドでもすでに10台にまでにふくれあがっておりました。

まずは日系4台からご覧ください。

▲日本車#1 トヨタ セリカGTV(1975年)

▲日本車#2 スバル レオーネGFT(1978年)

▲日本車#3 スバル ブランビー(1981年)

▲日本車#4 スバル ブランビー(1985年)

そして、欧州系6台がこちらです。

▲欧州車#1 ヒルマン インプ(1969年)

▲欧州車#2 シュコダ サブレMB1000(1969年)

▲欧州車#3 オースチン 3リッター・バンデンプラ仕様(1972年)

▲欧州車#4 ジャガー XJ6シリーズ1(1973年)

▲欧州車#5 ボクスホール シェベット(1978年)

▲欧州車#6 オースチン モンテゴ(1988年)

驚くのはこれだけではありません。

駐在を始めて1年も経たずに、なんと、あるニュージーランド人と意気投合し、旧車のレストア事業を「サイドビジネス」で立ち上げていて、今では商品化した旧車を日本へ輸出販売しているのです。

■未来:旧車仲間との継続的「つながり」

●今後の夢をお話いただけますか?

(トム)「たくさんの旧車を介して世界中のみんなと遊ぶのが、現在進行形で楽しくてしょうがないんです。これをどうしたらサステナブル(継続的)に長く続けれらるか。それが今の夢ですね」

嬉しそうにそう語る姿から、人生を大いに豊かにしてくれた日本や世界のクルマ仲間との「つながり」をさらに発展させていくことに、トムさんが心底喜びを感じていることがひしひしと伝わってきました。

だからこそ、前述のレストアビジネスを軌道に乗せ、日本とニュージーランド両国の旧車業界を繋げる役割を果たしていきたいそうで、ニュージーランドの旧車社会を視察するツアーの企画、日本の整備学校との提携を通した旧車レストア技術の維持、旧車イベントやミーティングの開催など、やりたいことが山ほどあるのだとか。

旧車社会にとって、とても貴重な人材であるともいえるトムさんを、これからも応援していきたいです。

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■取材後記

トムさんは任期を終えれば日本へ帰国する駐在員です。

にもかかわらず次々に旧車を増車していき、さらには旧車のレストアビジネスまで立ち上げてしまうのですから、その規模やスピード感にとても驚きました。

しかしながら、インタビューを通じてわかったのは、彼にとってはそのいずれもが驚くようなことではなく、仲間との「つながり」を発展していくために必要な手段、ロジカルな行為ということでした。

事実、ニュージーランドで収集した旧車はサイドビジネスで作り上げた商流を使えば日本の別荘に難なく運搬できるのですから、理にかなっていることがわかります。

最後に、筆者が「前代未聞」だと感じたのは、目の前で起きている結果よりも、内面から彼自身を突き動かす「その一途な情熱」だったのかもしれません。

 [ライター・tomato / 画像・トムさん, Dreamstime]

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