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旧車の魅力と知識

1990年代名車&迷車烈伝Vol.09 三菱「2代目RVR」新ジャンルの開拓者もキープコンセプトが仇に
旧車の魅力と知識 2023.10.11

1990年代名車&迷車烈伝Vol.09 三菱「2代目RVR」新ジャンルの開拓者もキープコンセプトが仇に

「パジェロ」や「デリカスターワゴン」のヒットにより、RVブームの先陣を切ってきた1980年代の三菱。 RVが一般に浸透するとともに、高級化や乗用車化が求められるようになります。 そこで三菱は、RVテイストの外観を持つコンパクトなワゴンを誕生させました。 1991年に登場した「RVR」です。 3列シートワゴン「シャリオ」のボディを短縮し、パジェロのような2トーンボディカラーと小さなグリルガードで外観を仕上げたこのモデルは、価格が手頃なこともあり、たちまちヒットモデルとなります。 ▲2代目RVRスポーツギア しかし、今回の1990年代名車&迷車烈伝で取り上げるのは、この初代ではなく、1997年にフルモデルチェンジした2代目のほう。 この2代目、なんとも迷車性が高いのです。 ■乗用車ライクなパジェロ風ワゴン 1991年に登場した初代RVRは、カープラザ店のみの扱いだったにも関わらず(当時はギャラン店とカープラザ店の2系列があった)、他社ユーザーも誘引し、一躍ヒットモデルとなりました。 どこかパジェロを思わせるアクティブな外観と、4,280mmの全長に片側スライドドア、2列シート(しかも主力は4人乗り)というユニークなパッケージングは新しく、楽しく豊かなカーライフを想起させてくれたものです(バックスバニーが登場したCMも楽しさを感じさせてくれた)。 ▲初代RVRスポーツギア さらにRVテイストを強めた「RVRスポーツギア」に加え、「ギャランVR-4」や「ランサーエボリューション」とベースを同じくする4G63ターボエンジンのハイパワーモデル、さらにはオープンルーフ仕様の「RVRオープンギア」を追加するなど、初代RVRのモデルライフは“乗りに乗った”ものでありました。 ■キープコンセプトで登場した2代目はしかし…… 件の2代目RVRは登場するのは、1997年。 大ヒットしたパジェロや「デリカ・スペースギア」が後期型になり、「RAV4」や「CR-V」がヒットしていたころのことです。 RVRは5ナンバーサイズのボディに片側スライドドアという基本パッケージングを変えず、キープコンセプトで作られました(シャリオはこのとき3ナンバーのシャリオグランディスに進化)。 ▲2代目RVR(GDI RVR) ▲シャリオグランディス 標準車(新たにGDI RVRと名乗った)とRVテイストを強めたRVRスポーツギアの2本立てであることも、初代を踏襲。 オーバーフェンダーにより3ナンバーサイズとなるスポーツギアには、新たに2.4リッターGDIエンジンが搭載されました。 では、なぜ迷車となっていったのでしょうか? この連載でたびたびお伝えしている「ヒット車の次の難しさ」がここにあります。 初代RVRは、シンプルなスタイリングがヒットの一因でした(シンプルだからこそスポーツギアも際立った)。 それが、先代よりスポーティに仕立てられた2代目は、凝った造形が裏目に出てやや中途半端な印象に……。 特にモノトーンカラーとした標準車Xは、ホイールベースやトレッドが狭く見え(実際には大きく変わっていないのに)、スポーツギアは衝突安全性の高まりから大型グリルガードを廃止したことで、「らしさ」が薄れてしまったのです。 シャリオグランディスと同形状のインストルメントパネルは、高級感と使い勝手をうまく両立させたデザインである一方、RVRに求められる(今でいう)ギア感に乏しい印象となってしまいました。 ▲2代目RVRスポーツギアのインテリア ■RVも多種多様なカタチに変化 RVブームも一段落し、多様化が進んでいたことも、2代目 RVRを迷車の道へと導いた一因です。 それまでパジェロや「ハイラックスサーフ」を筆頭とする本格的なクロスカントリー4WDがRVの代表格だった時代は終わり、RAV4をはじめとしたライトクロカンや「レガシィグランドワゴン」のような乗用車派生のクロスオーバー、ワンボックスワゴンのドレスアップ仕様など、多種多様なRVが誕生。 RVRも当初は多様化するRVニーズの一翼を担っていたわけですが、キープコンセプトで戦えるほど1990年代後半の「ニーズの多様化」は甘くありませんでした。 同じ三菱の中に「パジェロイオ」や「チャレンジャー」が登場したことも、ニーズの多様化が表れています。 ▲チャレンジャー 同時に、RV一辺倒だったニーズの変化も起きていました。 RVとは真逆のローダウン/エアロパーツというスタイルも、徐々に浸透してきていたのです。 RVライクな乗用車というスタイルを浸透させたのはRVRでしたが、そのスタイルを守ったばかりに時代においていかれる状況となった、ともいえます。 ■RVからエアロ仕様に大胆チェンジ 変わりゆく時代を生き抜くために、2代目RVRはたびたび改良を行います。 1999年にはシャリオグランディスのようなラグジュアリーな仕立ての「スーパーエクシード」を加え、同年のマイナーチェンジでスポーツギアをエアロ仕様に一新。 このマイナーチェンジでは、グレード体系が見直された他、これまで片側のみだったスライドドアが両側に装着されました。 ▲RVRスポーツギアエアロ ▲RVRスーパーエクシード しかし、日産「キューブ」や「エルグランド」、トヨタ「ハリアー」、マツダ「デミオ」など、新しい価値観のクルマが続々と登場するなかで、RVRが再び注目を集めることは叶いませんでした。 以後は大きな改良を受けることなく、2001年に登場した「エアトレック」にバトンを渡すようにして、2002年に生産を終えることとなります。 なお、現在のRVRは2010年に登場した3代目。 約10年のブランクを経ての復活となったモデルです。 とはいえ、こちらもマイナーチェンジを繰り返し、10年以上も生産が続いています。 ▲現行RVR 「ASX」の名で販売されていた欧州仕様は、2022年にフルモデルチェンジし、なんとルノー「キャプチャー」のOEMとなりました。 日本国内で販売される現行RVRは、早くも迷車の匂いがしてきますね……。 ■RVR不遇の時代は今も? 販売面では成功しなかった2代目RVR。 しかし、クルマそのものをよく見てると、実にユニークなキャラクターを持っていることがわかります。 ネオクラシックの入口に差し掛かっている今、乗っていたらオシャレかもしれません……と、中古車情報サイトを見てみると、なんと掲載はわずか3台でした。 2002年まで作られていながら早くも絶滅危惧種とは、迷車度の高い迷車といえそうです。 4G63ターボを搭載するスポーツギアなんて、なかなか良さそうな気がしますけどね。 [ライター・木谷 宗義 / 画像・三菱自動車]

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた
旧車の魅力と知識 2023.10.09

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた

みなさんは、フェラーリがどんな街で生まれたかをご存知ですか? フェラーリの車名、575Mマラネロにも起用されているため、フェラーリの誕生地がマラネッロということは周知されているかもしれませんね。 今回はマラネッロってどんな街?どんなことができるの?という点についてご紹介いたします。 ■フェラーリ博物館は必見!マラネッロへのアクセスは? マラネッロは国際空港があるミラノから南東に約150km、モデナという街からの16kmほどの離れたところに位置しています。 人口は約17,000人で、典型的なイタリアの田舎街という感じです。 マラネッロへは、モデナ駅からバスでアクセスすることが可能です。 ちなみに、ランボルギーニの本社はサンターガタ・ボロニェーゼという街にあり、マラネッロからクルマで約30分の場所に位置しています。 マラネッロでもちろん有名なのはフェラーリ博物館。 その博物館の周りには、以下写真のようにフェラーリや、その他高級車のテストドライビングができる施設などが多く立ち並んでいます。 博物館を訪れた後、そのカッコよさと迫力に感化され、ついつい運転してみたい!という気持ちが高まること間違いありません。 イタリアで高級車のテストドライビングをやってみたい!という方は、日本で国際免許証の取得をお忘れなく! 車種や走行距離にもよりますが、最低でも100ユーロからの費用になるようです。 博物館には観光バスも多く停まっており、結構混み合っていました。 個人的に、他の自動車博物館に比べて展示台数が少ないという印象でしたが、なかなかお目にかかることができない車輌が展示されているので、フェラーリファンの方にはたまらないことでしょう! 私はこの博物館で、初めて触れる距離でF1レースカーを観たのですが、想像の3倍くらいの大きさがあり、そのスケールに超圧巻でした! 写真は博物館入り口です。 ■街中のいたるところで「フェラーリ」が感じられる マラネッロの街を散策するために、博物館から街中へ歩いて移動しました。 街中へと繋がっている参道には、フェラーリの歴史が書かれた看板が約50m間隔ごとに配置されており、それを読みながら進むのも面白かったです。 さて、徒歩10分ほどで街中へ到着しました。 早速ランナバウトの中心にフェラーリのエンブレムの跳ね馬が! その右手には跳ね馬がデザインされた花壇があり、その少し先にはフェラーリのサインが銅像化されているのを発見しました。 さすがフェラーリ一色な街だな、というのが第一印象でした。 そしてこちらのカフェの入り口では、2台のフェラーリがお客さんを出迎えてくれます。 こちらのカフェの裏側にもフェラーリが。 もはや博物館に行かなくても、マラネッロの街を散策するだけで良かったのでは?!と思ってしまうほど、フェラーリがあちこちに点在しています。 (でも限定グッズやお土産も豊富なので、マラネッロへ来たからにはやっぱり博物館はマストです!) カフェのコンセプトはもちろんフェラーリ。 また別のカフェではレースの実況を放映しており、地元民であろう方々が盛り上がっていて、やはりフェラーリ愛にあふれた街であることは間違いなさそうです。 ■突然鳴る鐘は何事?!なんと市役所にもフェラーリの秘密が… イタリアでは12時など、きりの良い時間に教会の鐘が鳴るのですが、マラネッロでは何でもない時間帯に鐘が鳴ることがあります。この鐘の正体を近くにいた警備員さんに聞いてみました。 すると、「フェラーリがF1で優勝すると鐘が鳴るんだ」と教えてくれました。 ちょうど立ち寄ったカフェの前に市役所があり、日曜日にも関わらず空いていたので、入ってみることに。 なんと入口がフェラーリのミニ博物館になっていました! 創設者の「エンツォ・フェラーリ」の写真をはじめ、博物館では展示されていないフェラーリの歴史についての展示物がいくつかありましたので、ご紹介したいと思います。 フェラーリファンの方では有名な話かもしれませんが、なぜフェラーリは跳ね馬がエンブレムに選ばれたか、ご存知でしょうか。 まず、下記の写真について説明少し説明させてください。 写真左手がフェラーリが残した跳ね馬について語った羊皮紙、中央の左手ははがきで使われた跳ね馬デザイン、中央右手に現在のフェラーリのエンブレム、写真右手がフランチェスコのお母様(フランチェスコについては下で説明します)、そして中央がフランチェスコ・バラッカの写真です。 フェラーリが残した馬について語った羊皮紙には、下記の文章が書いてあります。 “跳ね馬の物語はシンプルで魅力的なんだ。 この小さな馬は、第一次世界大戦のエース中のエース、モンテッロで墜落した英雄的飛行家フランチェスコ・バラッカの戦闘機の機体に描かれていたものだ。 私が23年にラヴェンナで開催された第1回サヴィオサーキットで優勝したとき、その英雄の父エンリコ・バラッカと母パオリーナにお会いし、知り合うことができた。 そしてある日のこと、彼らが私にこう言ったのだ。 「フェラーリ、息子の跳ね馬をあなたのクルマに乗せてください。それはあなたに幸運をもたらすでしょう」と。 そのエンブレムを私に託してくれたご両親の献辞とともに、私は今でもバラッカの写真を大切に保管している。 小さな馬は昔も今も黒色のままであるが、私はモデナの象徴色である黄色を背景に加えたのだ。” これがフェラーリが残した跳ね馬の物語なんですね。 実際の写真の展示はなかったですが、フランチェスコ・バラッカが乗っていた機体の絵の展示がありました。 確かにフェラーリと同じ跳ね馬が機体に描かれているのがわかります。 市役所は決して展示物が多いわけではありませんが、フェラーリの歴史について触れることができ、面白かったです。 帰り際にはこちらのハガキを好きなだけ持って帰っていいよいってくださり、一枚ずついただいて帰ってきました。 ■おわりに フェラーリが誕生した街は、フェラーリ愛に溢れたのんびりとした街でした。 ぜひフェラーリファンの方、イタリア旅行の際、足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと、生誕の地ならではのオーラを感じられるはずです。 [ライター・画像 / PINO]

欧州市場から撤退した日産GT-R!その理由とは?
旧車の魅力と知識 2023.10.03

欧州市場から撤退した日産GT-R!その理由とは?

日本が世界に誇るスーパーカーといえば、真っ先に思い浮かぶのが「日産GT-R」という方も多いのではないだろうか? 日産GT-Rといえば、数々のレースでタイトルを獲得し、過去にはニュルブルクリンクで量産車史上最速タイムを叩き出した、日本を代表するスーパースポーツカーだ。 また、映画「ワイルドスピード」などでも起用されたことから、その名を世界中へと轟かせた。 現行モデルにあたるR35型は、2007年に登場して以来、日本、イギリス、アメリカ、中東など、世界中でカー・オブ・ザ・イヤーを獲得した、もはや伝説となりつつクルマといえる。 今もなお世界中で愛され続けるR35型GT-Rだが、2022年3月に欧州市場から撤退し、15年の歴史に幕を閉じた。 当然、ヨーロッパにもGT-Rファンは多く存在し、今でも度々自動車関連記事に出てくるほど人気のあるモデルだが、なぜ、このクルマが欧州市場から撤退することになったのか。 またドイツではどのように評価されているのか。 今回はドイツから現地調査をおこなった。 ■日産GT-Rは欧州で生産中止  日本が誇るスーパースポーツモデルは長年にわたり、ヨーロッパで多くのファンを獲得してきた。 そのなかの代表的なモデルが日産GT-Rだ。 欧州市場では2008年に発売され、フェラーリやランボルギーニなどと比べると……ではあるが、比較的手頃なスーパーカーとして成功を収めた。 そして、多くのファンがR35の後継モデルを期待していたなか、2022年3月に欧州市場から撤退することとなった。 その理由は、EUとイギリスの間で施行された、騒音をさらに削減することを目的とした通行騒音規制によるものだ。 象徴的なスポーツカーをヨーロッパ向けに改良し、音響規制を施すことはもはや価値がない。 ゆえに、多くのファンが待ち望んでいたR35の後継者を、ヨーロッパで入手することは今後できなくなってしまったのだ。 ■R35の愛称は「ゴジラ」 日産スカイラインGT-R(R34)の生産終了から5年、2007年に開催された第40回東京モーターショーにおいて、生産型のR35型GT-Rが初公開された。 このときから、GT-Rはスカイラインのいちモデルとしてではなく、「日産GT-R」として新たなスタートを切ったのだ。 初めて、日本やイギリスなどの右ハンドル市場だけでなく、左ハンドルの国でも販売された。 怪物級の車輌スペックであることから、海外での愛称は「ゴジラ」と呼ばれている。 欧州市場での販売時は、GT-R(81,800ユーロ)、GT-Rプレミアムエディション(83,500ユーロ)、GT-Rブラックエディション(85,200ユーロ)が用意されていた。 当初のGT-Rは3.8リッターV6エンジン ツインターボを搭載し、最高出力は485馬力を発揮。 現行モデルではさらに改良が加えられ、最高出力570馬力、「ニスモ」バージョンでは600馬力を発揮し、最高速度は315km/h、0〜100km/hはわずか2.8秒という驚異的なスペックを誇っていた。 また、イギリスの自動車雑誌「トップギア」では、485馬力を発揮する初代日産GT-Rが、シリーズ専用テストコースであるダンスフォール飛行場を周回し、シボレー コルベットC6、フォード GT、ポルシェ 911カレラGT、ランボルギーニ ムルシエラゴなどの、並み居る競合車を抑えて最速タイムで周回したと発表した。 ■ドイツでの評価とは? 欧州における日産GT-Rの生産終了というニュースは、ドイツ人にとって衝撃のニュースとなった。 ドイツ国内のサイトでは、度々GT-Rに関する記事が取り上げられており、名実ともスーパーカーとして非常に高い評価を得ている。 この国では、古くからGT-Rファンが存在する。 なぜなら、その歴史は1964年にまで遡る。 当時、日本のグランプリで4ドアの日産2000GTがポルシェ904からリードを奪ったことにより、多くのモータースポーツファンに衝撃を与えた。 1988年のR32型スカイラインGT-Rからは、「ゴジラ」の愛称でトップカテゴリーのスポーツカーとしての地位を確立した。 世界中で長年愛され続けてきたR35型GT-Rが、伝説の名車となるのもそう遠くはないだろう。 [ライター・高岡 ケン / 画像・Dreamstime]

「コンパクト」カテゴリーの開拓者、初代フィットは新たな国民車となった![開拓者シリーズ:第3回]
旧車の魅力と知識 2023.10.02

「コンパクト」カテゴリーの開拓者、初代フィットは新たな国民車となった![開拓者シリーズ:第3回]

寿司の世界には、握り、巻物、押し、炙り…といった種類(カテゴリー)があり、「まずは中トロの握りで!」と食べる順番すら楽しみであったりする。 冒頭から日本の食文化を語るつもりはないが(汗)、クルマ購入の際、まずはカテゴリーを念頭に置いておくことが第一歩といえ、そのカテゴリーを築いていったパイオニア(開拓者)にスポットを当てるシリーズ企画。 最終回となる3回目は、「コンパクト」カテゴリーを世間へ広く認知させていった、立役者にして開拓者の、ホンダ初代フィットの真の魅力に迫ってみたい。 今振り返っても、まさに「小さなスーパースター」である! ■今や月販1万台を超える超人気車もある「コンパクト」カテゴリー。現行4代目フィットの先祖が広く認知させていく トヨタならヤリスやルーミー、日産はノート、スズキはスイフト。そしてホンダはフィット(上写真。左はフィットクロスター)……など。 2023年現在、手軽に使える&乗れるクルマとして日本のユーザーに浸透したカテゴリーが「コンパクト」。  月販台数が1万台を超える超人気車もあり、ヤリスクロスやヴェゼルなど、コンパクトモデルのプラットフォームをベースに人気のSUVに仕上げたクルマもある。  この「巨大マーケット・カテゴリー」を築いた先駆者が、2001年に登場したホンダ初代フィットと言っていいだろう。 しかし、それ以前、小さなクルマが国産車になかったかといえばそうではない。 トヨタ スターレットや日産 チェリー、日産 マーチ、ホンダ シビック、ホンダ シティ、三菱 ミラージュなど、軽自動車とは一線を画す、登録車としての小さなクルマは人気が高かった。 思えばシビックはホンダのコンパクトカーの代名詞だった。 世代を重ねるたびに少しずつ巨大化し、現行モデルは全長4595mmもあるセダンクーペというカテゴリーに属している。 ……立派な姿になりましたね。 ■「MM思想」を体感できる室内。キャパでやってきたことは間違いではなかった…という証だ   前項で述べたように、少しずつ変化し、巨大化していくシビックに成り代わる、魅力的なコンパクトカーの開発が、ホンダには求められていた。 それを受け、1996年にはロゴ(上の写真)が誕生し、そのプラットフォームを流用したキャパが1998年に誕生。 ……が、いずれも人気を得ることはできず、残念ながら数年期間の販売という短命に終わった。 キャパは「キャパシティ」(許容範囲)という英語から取った名前のとおり、コンパクトサイズなのに室内が広いという部分が自慢だったが、コンパクトカーのわりには値付けがやや高めというマイナス面が行き渡り、販売面は厳しかった……。 が、それら2台の「イマイチな空気感」を断ち切ったのが、2001年登場の初代フィットだ。 ロゴ後継車とされるが、21世紀に入ったばかりのなか、ブランニューモデルの輝きが実に新鮮だった。 なんといっても最大の特色は「室内の広さ」。 ホンダの4輪モデルの根底に流れる「MM思想」(MMとはマンマキシマム・メカニズムミニマムを意味する)がここにあり!というパッケージング。 それは、スペース効率に優れたグローバル・スモールプラットフォームを採用した功績が大きく、コンパクトカーとは思えない広さに専門家も、ユーザーも驚いたものだ。 初代フィットを横から見ると、エンジンルームをできるだけ狭くした分、室内を広くとっていることがわかる。 MM思想の典型といえよう。 当時、筆者も乗り込み、「レジェンドより広いんじゃないの!?」と思ったほど(いや、マジです)。 世間に室内の広さでインパクトを与えたこの事実は、キャパでやってきたことは間違いではなかったということだろう。 ■日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2002年は年間販売台数で登録車1位という快挙! もちろん、見た目のインパクトも絶大で、それまでのハッチバック・コンパクトカーとはベクトルが違う丸みがあり、どこか親しみが湧くデザイン。 女性ウケもよかった。 燃焼効率を高めた新開発の1.3Lエンジンで燃費もよく、シートアレンジも多彩。 普段の買い物はもちろん遠乗りでもストレスはなし。 「このクルマ、いいね!」 そう感じさせる出来映え。 さらに、筆者的には3連メーターが気に入っている。 デジタルメーター旺盛な今、改めて見ると、どこかスポーティな雰囲気にワクワクしますね! 初代フィット登場前にもトヨタ ヴィッツやマツダ デミオなどのコンパクトカーは多数あったが、フィット人気は絶大。 その2001年、日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞という快挙も成し遂げた。 2002年以降、トヨタ ist (イスト)や日産 マーチの新型が発売されるなど、各メーカーはコンパクトカー・カテゴリーにも重きを置く戦略を敷く。 それでもフィットは売れまくり、2002年の年間国内販売台数は、なんと25万790台。 33年間トップを維持していたトヨタ カローラを抜き、登録車1位になった。 「新しい時代の国民車」といっていい存在となった瞬間である。 ■初代の魅力をしっかり受け継いだ2代目と3代目。「コンパクトカーの顔」となっていくフィット 室内パッケージングに革命をもたらし、年間販売台数1位を記録。 さらに日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞と、数多くの勲章を得た初代フィット。 コンパクトカー・カテゴリーのベンチマーク的存在となり、その後、誕生する日本のコンパクトカーたちに多大なる影響を与えたクルマであったことは間違いない。 まさに「コンパクトカー・カテゴリーの開拓者」である。 そして、ホンダ フィットの2代目(2007年誕生・上写真)は初代のDNAを受け継ぎ、2世代続けて日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ハイブリッドモデルも追加される。 3代目(2013年誕生・下写真)はグローバル市場でも最量販車となることを目標にしたモデルで、顔つきがシャープに変わったことが話題を呼んだ。 現行4代目(2020年誕生)は、クロスターという時代のニーズに合わせたクロスオーバーモデルも設定するなど、バリエーションの妙が実にユニーク。 目(ヘッドライト)が初代のように丸っこいものに戻ったのもエクステリアの特徴だ。 正直、売れゆきはいまひとつの現行4代目モデルだが、筆者は好きである。 「この室内の広さにはやっぱり驚く!」 初代が生み出した「賜物」は、4代目でもしっかりと体感できる。 [ライター・柴太郎 / 画像・photoAC、Dreamstime、Honda]

エリザベス女王に愛されたLand Roverについて
旧車の魅力と知識 2023.09.29

エリザベス女王に愛されたLand Roverについて

■クイーンの生涯とともに歩むLand Rover 1948年、女王エリザベスは21歳という若さでクイーンとなりました。 あの美しさからは想像できませんが、若いころから冒険家で好奇心旺盛、家のなかより外へ出て活動することを好んでいたそうです。 自らメカニックについて勉強し、クルマの知識も一般人よりはあったといいます。 第二次世界大戦中は、軍用車を運転していたほどです。 クルマ好きのクイーンが所有していた車輌は、アストンマーティンをはじめ、ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、GM、フォルクスワーゲンなどさまざまですが、そのなかで彼女にもっとも愛され、生涯乗り続けたクルマが、ランドローバーでした。 21歳のころクイーン憲章を受けたとき、憲章と一緒に父が所有していランドローバーも受け継ぐことになりました。 数々のクイーンを写す映像や写真はいつもランドローバーと一緒で、このクルマに乗ってパレードをしていたこともありました。 クイーンの住むバッキンガムパレスはロンドンにがありますが、ノーフォークという田舎町にも家があり、ほとんどの時間はそこで過ごしていたようです。 王室の仕事以外は、シカを追って銃ハンティングしたり、山でのピクニック、馬の世話と乗馬など、趣味も多岐に渡っていました。 そんな趣味のためにはこのクルマは必須であったようで、彼女にとってフィールドを走るのにランドローバーが最適だったのでしょう。 ■Land Roverと英国皇室の長い歴史 ランドローバーが製造されたのは1948年で、オリジナルのLand Rover社によってこの世に出始めました。 皇室との結びつきは約70年に及び、Land Rover社がクイーンの父ジョージ6世に献上したことから、王室との付き合いが始まりました。 1951年、Land Rover社は王室から勲章を与えられ、王室の特別な自動車ブランドとなったのです。 またクイーンの夫であったエディンバラ公フィリップ王配もランドローバーの大ファンであり、彼もまたアウトドア派であったため、夫婦ともにランドローバーが生活にかかせないものでありました。 王室パレードの際は、必ずといっていいほどランドローバーでのお目見えでしたので、英国民誰もが知っているほど、クイーンとランドローバーの付き合いは深いものでした。 何台かのランドローバーのうち、クイーンが好んで運転していたのは、ランドローバー ディフェンダー110でした。 初代のランドローバーは普通サイズで見た目もかっこよくなく、贅沢さが一切ないオフロード用、すなわち山道やでこぼこ道を走るためのものでした。 しかし1984年にディフェンダーシリーズができ始めてから、ディフェンダー90、その後110、127、130などが製造され、外見や性能なども磨かれていきました。 ■ランドローバーはそもそもオフロード用に製造されたクルマ クイーンや王室にはとっても好かれていたランドローバーですが、その乗り心地はどうなのでしょう。 まず、最初にいわれるのがサスペンション。次に大きくて重ステ、足元は飛行機のエコノミークラスと同じくらい狭い、エンジン音が大きい、外見がかっこよくない、故障しやすわりに簡単に修理ができない、などなど…。 ランドローバーはそもそもオフロード用に製造されたため、農家のクルマなどと呼ばれていたこともありました。 一般の国民にとって日常生活に必須のクルマであれば、あえて農家のクルマなど選択しないでしょう。 逆に少数派ランドローバーファンにとってのこのクルマの魅力は、象徴的なデザインと四駆ならではのパフォーマンスであるといいます。 デコボコの山道を走る際、サスペンションの悪さゆえに体が上下にゆれたり、沼地にはまったときのランドローバーの見せどころなど、これらを楽しむ人もいるのです。 また車体の各パーツは頑丈で、強度の高いもが使用されていたり、クルマのフレームはアルミニウムを使った梯子型に作られており、剛性を増しています。 エンジンは、初期の1948年製は1.6Lガソリンエンジン、1958年には2Lエンジンができ、その後は徐々に大きさを増していって、ディーゼルエンジンも使用されるようになりました。 他にも、4シリンダーエンジンから、さらにV6エンジン搭載となり、馬力も徐々にアップされていきました。 ちなみに、初期のまだそれほど馬力がないオリジナルランドローバーは、第二次世界大戦中にはジープ同様、軍用車としても活躍していたのです。 ■Land Rover は、いまやセレブリティ車 クイーンはランドローバーの他にも、いくつかのクラシックなレンジローバーも所持していました。 特にお気に入りなのは、2004年製レンジローバー ヴォーグでした。 レンジローバーはランドローバー社のラインアップのひとつであり、1970年代からフラッグシップモデルとして認識されています。 2013年にJager Land Rover社に代わってから、莫大な数のレンジローバーを世に売りだしてきました。 ランドローバーの各モデルはオフロード向け、そしてレンジローバーは、もっとゆったり感と贅沢さを加えたSUVという位置付け。 この贅沢なレンジローバーが、一般層にも人気が出てくるようになりました。 それはセレブリティ達が乗るようになってきたからです。 キーンの名曲「Somewhere only we know」をカヴァーしたことでも有名な歌手リリー・アレン、映画「アンブレイカブル」シリーズに出演しているサミュエル・L・ジャクソン、映画「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」で数々の主演女優賞に輝いたリース・ウィザースプーンなどが所有しています。 最近ではランドローバー車全体がブラッシュアップされ、外見もスマートになり、品格を感じさせる方向性へシフトされました。 乗り心地のよい贅沢さや洗練さを追求するために、もちろんサスペンションのコイルも変え、ハンドルを軽くし、もっと静かに、そして車内には広いスペースを確保。 インテリアにもこだわりの素材を使用して、一般人が憧れるクルマへと進化していきました。 現在では、クイーンもよく運転していたディフェンダー110のニューモデルが発売されています。 かなりのお値段ですが、こちらも現代的かつ贅沢さを備えている素敵なクルマです。 70年以上の年月とともに、農家のクルマが贅沢な高級車へと変化してきた理由の根源にあるものは、やはりこのクルマが王室から始まり、クイーンに溺愛されてきたからだと思います。 クイーンが亡くなった今も息子のチャールズ現国王へと受け継がれ、ロイヤルファミリー全員に可愛がられています。 そのためクラシックランドローバーは、今後ますます希少なものとなるでしょう。 もし機会があるのならば、私は「とっても乗り心地が悪い」と指摘されることもある、初期のランドローバーに乗ってみたいと思いました。 [ライター・SANAE / 画像・Land Rover]

日産・フェアレディZの系譜とその魅力【S30系・中級編】
旧車の魅力と知識 2023.09.27

日産・フェアレディZの系譜とその魅力【S30系・中級編】

前回、旧車界のアイドル「S30型 フェアレディZ」の魅力をお伝えする「基本編」をお送りしました。 今回はその続きとなる「中級編」をお届けしようと思います。 みなさんは初代のフェアレディZというと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか? 近年の旧車ブームから旧車に興味を持った人や、マンガの「悪魔のZ」が好きな人は、ショートノーズのスタイルを想像するでしょう。 その一方で、私のようにスーパーカーブームのころZに出会ったという人や、タミヤなどの模型で知ったという人などは、ノーズ先端が流線型に尖った「Gノーズ」を装着した「240Z」のスタイルを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 この、どちらがS30型のフェアレディZっぽいのか?というイメージは前述のように人それぞれで、おそらくそのまま好きなZの姿と一致しているのではないかと思います。 ちなみに私は「どちらも好き」です(笑)。 初めて見て心を奪われたのは240Zの流麗な姿でした。 前回お伝えしましたが、スーパーカーブームの時に、大判のスーパーカーの写真集に堂々と載っていたのがマルーン(あずき色)の「240z」でした。 ランボルギーニやフェラーリ、マセラティなどのスーパーカーに魅了されていた同級生達と写真集を囲みながら「おれはカウンタック!」「じゃあボクは512BBもらう!」なんてワイワイいい合っていたなか、それらのイタリアン・スーパーカーに後ろ髪を引かれつつ、「日本のフェアレディZもかっこいいよ!」と言った私に対して、周囲の反応は真っ二つに分かれたのを覚えています。 赤や黄色など華やかなボディカラーをまとった、いかにもエキセントリックな形のスーパーカー達に比べると、わりと身近な感じがするZのデザインとマルーンの地味なカラーは、少年達の心を奪うにはいささか物足りなかったのかもしれません。 ただその当時、そんな友達といっしょに自転車で走っているときにZとすれ違えば、やっぱり他の乗用車とは異なる存在感と、走る姿のカッコ良さに、しばらくみんなで見とれていたシーンも忘れられません(淡い記憶では、白の240Zだったと思います)。 そして時が経ち、オトナになってから改めて出会ったZは、ショートノーズでした。 オトナになった私の、子供時代からのZに対する印象をガラッと塗り替えてしまった車輌は、ゼロヨンのコースで現行車に負けない迫力の走りを見せつけていました。 その迫力と共に、ノーズの短いスッキリとしたスタイルリングが、私の心にしっかりその存在感を刻みつけたのでした。 ■Gノーズ装着の「240Z」の誕生と根強い人気のワケ 「240Z」はS30系・フェアレディZの派生モデルの一つで、流線型のノーズカウルとリヤゲート後端のスポイラー、そしてリベット止めのオーバーフェンダーが装着された性能上位モデルとして、初期の発表から2年後にラインナップされました。 旧車ファンの間では「240(ニーヨンマル)」または「240Z」といえばGノーズ装着のモデルを指しますが、正式名は「フェアレディ240Z-G」となります。 さらにいうとこの「240Z」の元祖は、北米輸出仕様の「ダットサン240Z」です。 排気量が大きく広い土地を突っ走るアメリカ車の市場に食い込むため、1,998ccのL20型エンジンのボア&ストロークをアップして、2,393ccに拡大したL24型エンジンを搭載した左ハンドル仕様の車です。 意外と知らない人もいるかもしれませんが、「240Z-G」と同じ時期に、「ダットサン240Z」を逆輸入したようなショートノーズの「フェアレディ240Z」も併売されていました。 このGノーズは見掛けだけのものではなく、れっきとした空力パーツとして開発されたものです。 「240Z」同士でショートノーズの車両と最高速度(カタログ値)を比べると、ショートノーズ車の205km/hに対して、「240Z-G」は210km/hと5km/hアップしています。 参考までに、L20型搭載の初代フェアレディZの最高速は185km/hです。 当時は、カタログや雑誌で発表される最高速の数値を見てはスポーツカーのファン達が一喜一憂していた時代なので、この5km/hの差はけっこう大きいものでしたが、近年の300km/hオーバーが当たり前の時代では誤差のような数値でしかありません。 しかし、今の旧車ファンの心を捉えている要素はもはやそこではなく、やっぱりあの流麗なシルエットに惹かれて憧れたという人が多いのではないでしょうか。 ■もうひとつの派生モデル「Z432」がいかに特別だったのか 当時の日産が力を入れていたのがレースで勝利することでした。 日本でもツーリングカーレースの観覧席が毎回満席になるほどの盛り上がりを見せていた時代で、フェアレディZのイメージアップのためにレースで勝つという目的で高性能モデルの「Z432」を投入しました。 レースで勝つための最大のポイントとなるエンジンは、当時合併したばかりのプリンス自動車が開発した、レース用エンジンとほぼ同じ設計である「S20型」が搭載されました。 「432」の由来は4バルブ・3キャブレター・2カムシャフトという意味で、今風に言うとDOHCの高性能設計エンジンに、競技用のスポーツ・キャブレターを装着、という感じです。 当時の国産車で4バルブ機構を持つエンジンは他に無く、160馬力というパワーは2000ccクラスのエンジンとしてはぶっちぎりの性能でした。 そのため、市販車を改造した車輌にもかかわらず、ほぼレース専用設計の車輌(ポルシェ908やフォードGT40など)とレースで互角に渡り合い、狙った以上のイメージアップを達成しました。 実物の「Z432」を見掛ける機会が何度かありましたが、そんな素性にもかかわらず、低回転での排気音は意外なほど静かで、「さすがに市販車はいろいろ規制されているんだな」と思いました。 しかし、エンジンの回転を上げたときにその印象はガラッと変わり、精密な部品が高回転でキレイに作動したときに生まれるキレイな高音を響かせていたのが印象に残っています。 ■当時と今では人気の度合いがまるで逆!?4シーターの「2by2」 初代の発売から4年後に施行された「48年排出ガス規制」によって、高出力なモデルが直撃を受け、「240z」や「Z432」がカタログから姿を消していきました。 そんななかで追加されたのが、ボディ中程を延長して4シーターにした「2by2」です。 イメージリーダーだった高性能モデルが無くなり、活気が削がれた感のある販売状況でしたが、この「2by2」がカンフル剤として効き、フェアレディZの売り上げをV字回復させました。 当時のフェアレディZは2シーターだたっため、一部の限られた層にしか需要がありませんでしたが、この4シーター化によってファミリー層にも需要が広がったのです。 その結果、S30系全体で最も多くの販売台数を記録したモデルとなったそうです。 しかしこの人気は近年の旧車ブームになると真逆といって良い状況になってしまいます。 美しいフォルムを持つ昔のスポーツカーというイメージで見たときに、「2by2」の長いフォルムが野暮ったく受け取られ、一転して不人気車扱いになってしまったのです。 昨今に目を向けると、フェラーリやポルシェの4シーターモデルがひとつのジャンルを確立している状況もありますが、趣味のクルマとしてのS30系・フェアレディZはやっぱりカッコ良さが第一、ということなのでしょう。 ちなみに、ここ数年の旧車ブームの様子を見ていると、徐々に「2by2」の人気が上向いてきた気配を感じます。 運転席に収まってしまえば2シーターのZと何ら景色は変わりませんし、趣味と実用性を兼ねて1台持ち、というスタイルの旧車ファンが「2by2」を求めるようになってきたようです。 ■おわりに この後は、昭和51(1978)年に施行され、さらに基準が厳しくなった「51年排出ガス規制」に対応させるため、キャブレターだった燃料供給装置がインジェクションに置き換わったり、触媒の装着など排気ガス規制対策デバイスが追加されました。 さらにパワーウインドウの導入などの電動化が始まったりと、細部に変更が加えられましたが、昭和53年に次期モデルの「S130系」にバトンタッチされ、生産が終了となりました。 世界全体では55万台もの数が生産されて、歴代のZの中でもトップと言われるS30系・フェアレディZですが、現存する台数は見る影もありません。 昨今は、手に入らないといわれていた外装パーツのリビルド品も増えてきたようで、ダメージを受けても修理が容易になってきたようです。 とはいえ、まだまだ替えが効かないパーツも多くあります。 ドライブに出掛けた後は水分を飛ばしてやるなど、できるだけケアをおこない、末永く一緒に過ごせるように目を掛けてあげてください。 次回はフェアレディZの系譜とその魅力【S30系・マニアック編】をお届けする予定です。 お楽しみに。 [ライター・往 機人 / 画像・日産]

おおきいオトモダチのみなさま、ミニカーは好きでせう?
旧車の魅力と知識 2023.09.25

おおきいオトモダチのみなさま、ミニカーは好きでせう?

■男のコはミニカーが好きである 男のコはナゼかミニカーが好きである。 それはほとんど本能といえるかもしれない。 とにかく、ほとんどの男のコはミニカーで遊ぶ。 もしも家の近くに鉄道が走ってたら「鉄っちゃん」に走るかもしれないが、そんな子たちでも「ミニカー遊び」は避けることのできない、男のコの儀式のようなモノなのだ。 このジェンダーフリーの世の中で「男のコ」だなんていうのもアレだが、それでも仕方がない。 カレーライスが好き、ハンバーグが好き、というのと同じレベルで、男のコはミニカーが好きなのだ。 みなさんはミニカーというと、何を思い出す? 国産だったら「トミカ」とか「ダイヤペット」かな。 英国製の「コーギー」とか「マッチボックス」なんかも有名どころ。 米国製だと「マテル」とか「ホットホイール」とか。 スーパーなどでは「マジョレット」など見かけるし、模型店だと「ブラーゴ」とか「シュコー」とか、ちょっと高級なモデルを見かけたりする。 そんなミニカーではあるけれど、多くの「男のコ」たちは、大人になる前にミニカーの多くを手放してしまう。 ナゼかわからないが、オトナになるにしたがって、自分の周りからミニカーがなくなってゆくのだ・・・・・。 ■オトナになってもミニカーが好きである さて、前置き(笑)はこのくらいにして、そうして育った「男のコ」たちの一部は、オトナになると、またミニカーを集め始める種類のヒトが現れる。 あるいは、旧いミニカーを実家の押し入れの中から発掘して、ノスタルジーにとらわれつつ、なんとなく手元に置いておいたり、机の上に飾ったりしたりしてしまうヒトたちもいる。 そして、そのなかの何人かは「自分の乗っているクルマ」や「自分の乗っていたクルマ」のミニカーを手に入れ、眺めてニヤニヤする、という性癖に陥る人たちもいたりするのだ。 ヤバいぜ。 またはミニカー繋がりで、プラスティックモデルに走る人もいるだろう。 いずれにせよ、ミニカーというのは、オトナになってしまった「男のコ」たちの郷愁を誘ったりするモノなのだ。 それが「旧い」モノであればなおさら。 いやはや、そういうワタクシも発掘してしまったわけですよ、ミニカーを。 いつ買ったのか?買ってもらったのか?なんでこんなの持ってるんだ?みたいなのが出てきて、自分でもびっくり。 今回はそんな「自慢(笑)」のミニカーを、ムリやりご覧いただこうと思う。 ■旧車のミニカー(あるいは)ミニカーが旧車 ●日産ディーゼルのダンプカー 「男のコはダンプだろ!」ということで、多分みんな持ってたダンプカー。 昭和生まれなので昭和っぽい日産ディーゼルのダンプだが、ゴツい感じがダンプっぽくって良いね。 ダイナマイトどんどん! もちろん荷台はダンプ可能。 ●トヨタメールカート って、車体の裏に書いてあるんだもん。 よく知らんけどこんな車あったんでしょうかね。 クラウンか何かの特装車なのかもしれません。 荷物室のドアが開くギミックがついてるです。 フロント周り見るとコロナっぽい気も。 ●トヨタセリカ(初代) スペシャリティカーのご先祖セリカ。 2ドアクーペでカッコいいスね。 このミニカーはちょっとぼてっとした感じだけど、まあ、誰が見ても「セリカ」だってワカるのがすてき。 コレは外せない1台。 ●メルセデス・ベンツ 300SL リアルで買ったら1億円オーバーのガルウイングも、小さな男の子の憧れかも。 ちゃんとガルウイングが開閉するのもカッコいいな。 色はシルバーに決まっている。 うむー、かっこいいなあ。 ●ランチア ストラトス スパーカーブームの中でも、ちょっと異端派のストラトスだけど、こうしてみるとシャープでなかなかイカす。 ボンネットのアミアミが黒くなってるのは、マジックで塗ったからかな? 元々そうだったのか全然覚えてないデス。 ●ランボルギーニ カウンタック コレは多分だいぶ後に手に入れたやつだろうか、傷ついてないから。 ブルーのカウンタックって正直似合わねーとおもって、あまり遊ばなかったのかもしれない。 だからキレイなのかも。 ホイールがストラトスと同じだ。 ●タダノクレーン車 ナゼかみんな持ってるクレーン車。 クレーンがちょっとだけ伸びたりするギミックで、いろんなもの釣り上げたりして遊ぶんだよなあ。 こうしてみると、なかなかいい造形ではないか。 というわけで、なんで持ってるんだかワカらない車種の数々だが、よく残ってたもので(笑)。 ■本命のミニカーは別にある そして、ここからあとは「積極的に自分で集めた」というより、自分が乗ってるクルマだから手に入れたというミニカーをご紹介。 そう、その車種はモチのロン、シトロエン2CVであります。 ●ブリキのシトロエン(赤) ワタクシがまだ2CVを手に入れる20年以上前に千駄ヶ谷あたりの雑貨屋で売ってた2CV。 中国製でプルバックゼンマイが内蔵されている「走るヤツ」だ。 たしか900円くらいで手に入れた。 プロポーションはまあまあだが、細かい部分の造形がやや甘い。 とはいえ、フランスの農民車らしい安っぽい感じがとても気に入っている。 安くて頑丈なのは本物の2CVと同じ。 ●ダイキャストのシトロエン そらいろの2CVは銀座の教文館で発見。 クリスマスプレゼント用に年末に売りに出されていて、こちらも980円とお手頃価格。 とはいえ、値段の割にはムッチャ出来がいい。 プロポーションも細部の作りも手抜きなしのGOODモデル。 自分の持ってる2CVに近い色なので即購入。 赤い2CVよりも一回り小さいけれど、コレもお気に入り。 とても良い買い物でありましたことよ。 ■やっぱりミニカーすきでせう? という感じで、歳を重ねてもヤング・アット・ハート(笑)。 男のコの時代からずっと付き合ってきたミニカーは、いまだに本棚の端っこにゴチャって固まって置かれていたりするのです。 さてみなさんいかが? 実は1台や2台や3台くらい、ミニカー持ってたりするでしょ? 自慢の1台、あるんじゃないすか? 捨てられないやつがあったりしませんか? 男のコだったら身に覚え、あるでしょう? うひひひ。 [ライター・画像 / まつばらあつし]

軍用車キューベルワーゲンはあのビートル?! フォルクスワーゲンの名車が図った生き残り戦略
旧車の魅力と知識 2023.09.22

軍用車キューベルワーゲンはあのビートル?! フォルクスワーゲンの名車が図った生き残り戦略

第2次世界大戦中にドイツ軍が使用した軍用車、キューベルワーゲン。かわいらしいフォルムから「ビートル」と呼ばれた、フォルクスワーゲン タイプ1をベースに開発されたモデルです。後にポルシェの創業者となる博士が手掛けたことでも知られています。 時代に翻弄されつつも、高い技術と確固たる信念で開発されたキューベルワーゲンについて、フォルクスワーゲン社やタイプ1の歴史とともに振り返ってみましょう。 数奇な運命をたどった名車「ビートル」 国民のための乗用車として、量産化を目指して開発されたタイプ1。今でこそ「ビートル」の愛称で知られる世界的な人気車ですが、第二次世界大戦中は、軍用車として活躍していた時期もありました。 数奇な運命をたどった名車ビートル。ビートル(=タイプ1)を生み出したドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンが設立されたきっかけと、タイプ1をベースに作られた軍用車「キューベルワーゲン」の誕生秘話を紹介します。 ヒトラーによる国策企業として始まったフォルクスワーゲン フォルクスワーゲンは、「ドイツ国民車準備会社」として1937年にドイツのヴォルフスブルクで設立されました。当時の首相アドルフ・ヒトラーが、全国民に自動車を普及する目的で立ち上げたのが始まりです。 フォルクスワーゲンの設立から遡ること4年、1933年のベルリンモーターショーで演壇に立ったヒトラーは、「我々は今こそ【国民のための車】を持つべきである!」という演説で国民車構想を披露。自動車の開発には、後にポルシェを設立するフェルディナント・ポルシェ博士を任命し、大衆車の開発を加速させました。 厳しい条件をクリアして誕生した「歓喜力行団の車」ビートル 国民車の開発は、フォルクスワーゲン社設立前の1934年から始まりました。なお、開発にあたっては、5つの条件が開発担当のポルシェ博士につきつけられます。「大人2名、子ども2名の定員」「空冷式エンジン」「7Lで100km以上の走行」「時速100km/h以上の達成」「価格は1,000ドイツマルク以下」と、当時の小型車の水準としてはいずれもかなり厳しい条件でした。 しかし、開発着手からわずか2年後の1936年、ポルシェ博士はついにプロトタイプの「VW3」を完成させます。すべての条件をクリアし、5万kmのテスト走行を経て開発を次の段階に進めました。 続く1937年にはプロトタイプ「VW30」(後に「VW60」に改変)を完成させました。30台が生産され、延べ240万km以上に及ぶテスト走行が行われます。起こりうる運転ミスの想定や耐久性など、200名ものナチス親衛隊を動員して徹底的にテストされました。 そして完成したのが、後のタイプ1、プロトタイプの最終形「VW38」です。VW38の完成度の高さに満足したヒトラーは、この車に「KdF-Wagen(歓喜力行団の車)」と命名。「KdF 」は「Kraft durch Freude」の略で、国民に余暇活動を推進した組織名として使用されていて、まさに国民車を象徴する名称として名付けられました。 「年間100万台を作れる工場」という号令で生産体制も整えられ、いよいよ量産に踏み切ろうとした1939年、ドイツはポーランドに侵攻します。第二次世界大戦の火ぶたが落とされたことで、VW38の生産はストップしました。「歓喜力行団の車」は、戦場へ送られる軍用車に姿を変えることになります。 軍用車として登場したキューベルワーゲン 「キューベルワーゲン」は、タイプ1をベースに開発された軍用車両です。量産間近だったVW38をベースに、Type62といった試作車を経て最終的にType82と呼ばれるモデルが量産車として正式採用されました。駆動方式はリアにエンジンを搭載するRRを採用し、車体底部にドライブシャフトなどが通らないシンプルな作りになっています。 「バケットシート自動車」を意味するキューベルワーゲンという愛称の通り、ベンチシートが一般的だった当時としては珍しく独立したバケットシートを備えていました。また、4名がしっかり座れるサイズでありながら、わずか725kgと軽量だった点は湿地などで高い走破性を求められる軍用車として使い勝手のよいポイントです。 軽量なアルミ製エンジン、RRレイアウトやセミモノコックフレームの採用など、キューベルワーゲンの基本構造にはタイプ1の開発で得たノウハウが随所にいかされていました。 戦後も愛され続けるキューベルワーゲン 軍事目的のためだけに作られたキューベルワーゲンは、終戦とともに姿を消します。しかし、戦後にデザイン性や機能性の高さから人気が高まり、レプリカモデルも製造されました。 戦後も愛され続けるキューベルワーゲンの魅力と、現代に蘇ったレプリカモデルについてみていきましょう。 キューベルワーゲンは世界初のSUV キューベルワーゲンはシンプルな箱型デザインながら、多くの点で現在のSUVに通じる部分があります。軍用車としての性能を追求した結果、当時としては完成度の高い車輌に仕上がっていることが現在の人気にもつながっているのでしょう。 キューベルワーゲンの堅牢性以外に目を移すと、高い居住性と多様性が印象的です。前列は左右独立したバケットシートで、後席もベンチシートで十分な座先を確保。乗降性のよい4ドアを装備していた点も含めて、乗用車としてみても高い居住性だったことがわかります。 さらに驚くべきことに、リアシートの背面は可倒式で、シート自体も蝶ネジで外せるなど多彩なシートアレンジも実現していました。広いトランクルームまでつなげると、負傷兵を寝かせて収容することや2名で野営といった使い方もできます。 「悪路走破性」「乗員の居住性」「多彩なシートアレンジ」という言葉だけを並べると、まるで現代の最新SUVのカタログのようです。 人気の高さからレプリカも製造された キューベルワーゲンには、現代の技術で製作されたレプリカモデルが存在しています。カナダの自動車メーカー、インターメカニカ製の「IM-TYP82」です。キューベルワーゲンのモデル番号を想起させる名称で販売されたレプリカは、外観ではオリジナルと見分けがつかないほど精巧に作られています。 一方で、各部は現代の道路事情に合わせて改良され、排ガス規制や日本の保安基準にも適合するなどオリジナルよりも扱いやすく作られている点も大きな特徴です。また、エンジンは新品のフォルクスワーゲン製空冷水平対向4気筒エンジンを搭載しています。 さらに特筆すべきは、オリジナルよりも足回りなどが強化されているにもかかわらず、車重はわずか750kgに抑えられている点です。 ただし、残念ながらインターメカニカ社は廃業したため、現在は新車でIM-TYP82を購入できません。 キューベルワーゲンは生産台数5万2,000台の希少車種 世界初の量産軍用車として生産されたキューベルワーゲンですが、大戦末期には空襲などで工場の稼働が落ち、最終的にはわずか5万2,000台しか生産されませんでした。軍用車という特殊な用途ではありますが、アメリカ軍のジープが36万台生産されたことを考えるとかなり少ない数字です。 中古車を購入する際は、海外も含めて専門業者を中心に根気強く探しましょう。また、レプリカモデルも視野に入れると、多少選択肢が広くなるかもしれません。 一方で、キューベルワーゲンのような特殊な車輌は、手放したくても買取ってくれる業者が少ないのが実情です。旧車王では、1953年式ウィリスM38A1の買取実績があるなど、軍用車のような特殊な車輌も買取っています。売却をご検討の際には、ぜひご相談ください。

スバルの代名詞「水平対向エンジン」は理想的?! メリットとデメリットを徹底解説
旧車の魅力と知識 2023.09.22

スバルの代名詞「水平対向エンジン」は理想的?! メリットとデメリットを徹底解説

シリンダーの動きがパンチを打ち合うボクサーの様子に似ていることから、「ボクサーエンジン」とも呼ばれる水平対向エンジン。高性能を誇るスバルの代名詞ともいえるエンジンで、現在でもなお新型車に搭載されています。 一方で、実はデメリットも多く開発が難しいために、量産車に水平対向エンジンを搭載しているのはスバルを含めて世界にたった2社しかありません。 水平対向エンジンの特性や開発の難しさについて、わかりやすく紹介します。 水平対向エンジンは理想的なスポーツエンジン 低重心で低振動、しかもコンパクトに設計できる水平対向エンジンは、運動性能を求めるスポーツカーにとっては理想的なエンジンです。 水平対向エンジンはどういった点で優れているのかを詳しく解説します。 物理特性に優れた水平対向エンジン 水平対向エンジンの最大のメリットは、エンジンの振動が理論上少ない点です。左右対称に配置されたピストンは対になっており、互いの振動を打ち消す方向に動きます。エンジンの振動は乗り心地を悪化させるだけでなく、コーナリング時の微妙なハンドリングにも影響するため、スポーツ走行をするうえでは重要なポイントです。 また、水平対向エンジンはコンパクトな設計が可能で、車自体を低重心化できます。シリンダーを横に寝かせるため、直列エンジンのようにストローク長分の高さが必要ありません。車輌のパーツ単体としては最も重いエンジンを、より低い位置に搭載することで安定性と運動性能が向上します。 さらに、シリンダーを左右互い違いに配置するため、エンジンの前後方向がコンパクトになり、スポーツカーにおいては大変有利にはたらきます。重量物であるエンジンは、できるだけ車体の中央に寄せて搭載したほうが運動性能が向上します。前後方向のサイズの小さい水平対向エンジンなら、直列エンジンよりも理想的な配置に近いレイアウトが可能です。 量産車に採用するのは世界で2社 水平対向エンジンといえば、スバルのイメージが強い方も多いでしょう。しかし、世界では、もう1社量産車に水平対向エンジンを搭載している自動車メーカーがあります。ドイツの老舗高級スポーツカーメーカー、ポルシェです。しかも、水平対向エンジンは、ポルシェが実質的な元祖といわれています。 リアエンジンという独特のレイアウトを採用するポルシェにとって、コンパクトに設計できる水平対向エンジンは不可欠でした。エンジンを後部に搭載することで、後輪のトラクションが得やすくなる一方、重心が高くなると走行安定性に悪影響をおよぼすためです。また、スペースの限られる車体後部に収めるという意味でも、水平対向エンジンはポルシェにとって理想的なエンジンでした。 実は万能ではない水平対向エンジン 性能面ではメリットばかりの水平対向エンジンですが、世界でも2社しか量産していないことには理由があります。最も大きな理由は、製造コストが高いことです。また、エンジン全体で見るとコンパクトではあるものの、横幅がサイズ面での足かせになり、どんな車種でも搭載できるわけではありません。 メリットが大きい反面、開発の難しい水平対向エンジンのデメリットについて解説します。 部品点数が多くコストが高い 水平対向エンジン最大のデメリットは、直列エンジンに比べて部品点数が多いことです。まず単純に、シリンダーヘッド、左右それぞれに部品を用意する必要があります。当然部品数が2倍になるため、開発が困難なうえコストの増加は避けられません。 車の開発は車格によって程度の差こそあれ、コストとのせめぎ合いです。いくら性能面で有利でも、搭載できる車種はおのずと限られてしまいます。 横幅の問題で搭載できる車種が限られる 低重心、コンパクトに設計できる水平対向エンジンですが、実は幅が直列エンジンよりも大きくなってしまいます。シリンダーとヘッド部分が左右それぞれに設置されているためです。 水平対向エンジンを搭載するには十分な車幅の確保が必要なため、回転半径の小さなコンパクトカーなどには向きません。また、排気ガスをマフラーへと流すエキゾーストマニホールドの取り回しや補機類の設置など、設計上さまざまな制約が伴います。 低速トルクと燃費面が弱点 水平対向エンジンは、低速トルクと燃費面で開発上の制約があります。低速トルクの発揮には不利なショートストロークのうえ、燃費面においてデメリットの大きいビッグボアという形状を取らざるを得ないためです。 横幅の制約から、水平対向エンジンのシリンダー長(ストローク)は、直列エンジンやV型エンジンに比べて短く設計する必要があります。また、ショートストローク化によって減少する排気量をシリンダー直径(ボア)で補う必要があり、結果的にショートストローク・ビッグボアという高回転型エンジンになってしまうのです。 世界でも貴重な水平対向エンジン搭載車 スバルの高い技術力を世界に示す水平対向エンジン。高出力で低重心という理想的な性能を誇る一方、コストや設計上の制約も多いのが実情です。高コストを吸収できる高級車メーカーのポルシェはともかく、スバルは一般的な価格で購入できる車種に水平対向エンジンを搭載しています。 しかも、初代GC型インプレッサ WRX STiでは、5ナンバーサイズという制約もあるなかで、ハイスペックのEJ20型エンジンを搭載していました。また、レガシィB4といった純粋なスポーツカーではないモデルにも、水平対向エンジンを展開しています。最近では、ピュアスポーツとしてトヨタと共同開発したBRZに、FA20型水平対向エンジンが採用されました。 スバルの水平対向エンジンには根強いファンも多く、低年式車でも一定の人気があります。もし水平対向エンジン搭載車を売却するのであれば、エンジンの歴史や価値までしっかりと見極められる業者に依頼するのがベストでしょう。

車を相続する際の名義変更の代行費用は?依頼するメリットやデメリットも紹介
旧車の魅力と知識 2023.09.22

車を相続する際の名義変更の代行費用は?依頼するメリットやデメリットも紹介

車の相続時の名義変更は、ディーラーや自動車販売店、行政書士などに代行を依頼できます。高額な代行費用がかかるのではないか、少しでも安くならないかなど、さまざまなことが気になる方も多いでしょう。この記事では、車を相続する際の名義変更の代行費用の目安、依頼するメリットやデメリットなどを紹介します。 車を相続する際の名義変更の代行費用の目安 車を相続する際の名義変更の代行費用は、業者によって異なります。まずは、各業者の代行費用の目安を紹介します。 ディーラーは3~8万円 ディーラーの代行費用の目安は「3〜8万円」です。ディーラーは、車の手続きのプロのため、安心して代行を依頼できます。陸運局での相続手続きのほか、必要書類である「車庫証明書」の取得の代行も可能です。 また、依頼するディーラーのメーカーによって以下のように代行費用が異なり、外車ディーラーの方が高い傾向にあります。 ・国産ディーラー 3〜6万円・外車ディーラー 5〜8万円 なお、取り扱っていないメーカーの相続手続きを依頼すると、目安以上の代行費用が発生する可能性もあります。たとえば、トヨタ車の相続手続きをフォルクスワーゲンディーラーに依頼するケースです。費用を抑えたい場合は、相続する車のメーカーのディーラーで手続きを代行してもらうとよいでしょう。 自動車販売店・整備工場は3~5万円 自動車販売店や整備工場の代行費用の目安は「3〜5万円」です。ディーラーと同様に車庫証明書を代わりに取得してくれるほか、車の手続きのプロのため安心して代行を依頼できます。陸運局での相続手続きのみであれば、代行費用は3万円程度です。費用を抑えて相続手続きを代行して欲しい場合は、自分で車庫証明書を取得しましょう。 なお、相続手続きの代行自体を行っていない自動車販売店や整備工場もあります。まずは代行してもらえるのかを、問い合わせてみてください。 行政書士は1万5,000~6万円 行政書士の代行費用の目安は「1万5,000〜6万円」です。行政書士は相続手続きのプロのため、スムーズに手続きしてもらえます。また、陸運局での相続手続きや車庫証明の取得を代行してもらえるほか、必要書類である「戸籍謄本」や「印鑑証明書」などの取り寄せも依頼できます。代行費用は以下のように設定されており、依頼事項が多いほど支払う料金が高くなる仕組みです。 ・陸運局での相続手続き 1万円・車庫証明書の申請〜受け取り 1万円・必要書類の取り寄せ 5,000円・希望ナンバー申請 1万円 ただし、上記はあくまでも一例であり、行政書士によって料金設定が異なります。費用を抑えたい場合は、比較的安い料金で代行してくれる行政書士を探してみましょう。 名義変更の代行費用を安くする方法はある? 基本的に名義変更の代行費用を安くする方法はありません。ただし、車の購入を条件に安くできないか交渉する余地はあります。相続した車に乗る予定がなく、乗り換えを予定している場合は、購入を検討している販売店に交渉してみましょう。 また、無料で名義変更の代行を実施している買取店もあります。相続した車を売却したい場合は、名義変更の代行を無料で実施している買取店へ手放すとよいでしょう。 車の名義変更の代行を依頼するメリット 名義変更を代行してもらうと、手続きの手間と時間を削減できるほか、書類の不備のリスクがないためスムーズに車を相続できます。続いて、車の名義変更の代行を依頼するメリットを紹介します。 手続きの手間と時間を削減できる 相続した車の名義変更の代行を依頼すると、手続きにかかる手間と時間を削減できます。名義変更は運輸支局で行う必要があり、変更後の車検証を発行してもらうほか、窓口で印紙を購入したり税申告をしたりしなければなりません。運輸支局内は窓口がいくつもあるため、車の手続きに慣れていないと建物内で迷うことがほとんどです。 また、運輸支局の営業時間は「平日8時45分〜16時」のため、仕事で都合がつかず出向けない方もいるでしょう。必要書類である車庫証明書は平日に警察署で申請する必要があり、3営業日程度で発行されます。後日、営業時間内に受け取りに出向く必要があるため、車庫証明書を取得するには手間や時間がかかります。手続きにかかる手間や時間を削減したい場合は、車の手続きや相続のプロに代行を依頼しましょう。 書類の不備のリスクがない 車の手続きや相続のプロに代行を依頼すると、書類の不備のリスクがないため、スムーズに相続手続きが完了します。車の相続手続きに慣れていないと、必要書類の漏れや記入方法を間違えることもあるでしょう。 車の相続手続きは必要書類が多いほか、不備があると名義変更できません。不備があった場合は、必要書類を完璧にした状態で再度運輸支局に出向く必要があるため、さらに手間や時間がかかります。代行業者は車の手続きのプロであり、書類の不備のリスクがないため、スムーズに車を相続できます。 車の名義変更の代行を依頼するデメリット 車の名義変更の代行を依頼する際は、もちろんデメリットもあります。続いて、車の名義変更の代行を依頼するデメリットを紹介します。 数日かかることがほとんど 相続した車の名義変更の代行は、必要書類が揃っていても手続きに数日かかることがほとんどです。たとえば、管轄の運輸支局が業者の事業所から遠い場合、人員の関係により、すぐに手続きできない可能性があります。 名義変更と同時に、ナンバープレートの数字を自由に選択できる「希望ナンバー」を申請する場合も、手続きまでに数日かかることがほとんどです。希望ナンバーは申請されてからナンバープレートを製作するため、予約から交付まで4〜5日程度かかります。「・・・1」や「・・・8」、「・777」などの人気ナンバーは抽選となり、当選するまで製作されないため、さらに日数を要します。 なお、車検が切れていると名義変更できないため、再度取得してから代行を依頼しなければなりません。代行を依頼しても、状況によっては相続手続きが完了するまで、数日かかることを把握しておきましょう。 車の値引き分が打ち消される恐れがある 車の名義変更の代行を依頼すると、本来できたはずの車の値引き分が、代行費用で打ち消される恐れがあります。 たとえば、ディーラーで新たに車を購入する際に、相続手続きをついでに代行してもらうケースです。数万円の交渉に成功したとしても、代行費用が発生するため、値引き分は打ち消されます。 車の名義変更の代行の流れ 相続した車の名義変更の代行の流れは、以下のとおりです。 1.業者に代行を依頼2.必要書類を揃える3.必要書類を業者に渡す4.業者が運輸支局で相続手続きを行う5.名義変更後の車検証を業者から受け取る ただし、上記はあくまでも一例であり、業者によって代行の流れが異なるケースもあります。正確な流れについては、依頼する業者に確認してみてください。 車の名義変更の代行の必要書類 車の名義変更の代行の必要書類は、相続方法によって異なります。 車を1人で相続する場合は、以下の書類が必要です。 【単独相続】・被相続人の戸籍謄本※死亡したことや相続人全員を確認できるもの・遺産分割協議書※遺言書がある場合は不要・新所有者の委任状※実印を押印・新所有者の印鑑証明書・車庫証明書※保管場所が変わらない場合は不要・車検証・手数料納付書・申請書(OCRシート第1号様式)・自動車税申告書 車を複数人で相続する場合は、以下の書類を揃えて代行業者に渡します。 【共同相続】・被相続人の戸籍謄本※死亡したことや相続人全員を確認できるもの・遺産分割協議書※遺言書がある場合は不要・相続人全員の委任状・相続人全員の印鑑証明書・新所有者(代表相続人)以外の相続人の譲渡証明書・車庫証明書※保管場所が変わらない場合は不要・車検証・手数料納付書・申請書(OCRシート第1号様式)・自動車税申告書 また、軽自動車は普通車とは異なり必要書類が少ないため、容易に手続きの代行を依頼できます。 【軽自動車】・被相続人の戸籍謄本※死亡したことや相続人全員を確認できるもの・新所有者の住民票・車検証・申請依頼書・自動車検査証記入申請書(軽第1号様式) なお、相続方法を問わず、管轄の運輸支局や軽自動車検査協会に変更がある場合は「ナンバープレート」も必要です。たとえば、相続前は「足立ナンバー」であっても、新所有者が埼玉県のさいたま市に住んでいる場合は「大宮ナンバー」になるため、ナンバープレートを交換しなければなりません。普通車はナンバープレートに「封印」をする必要もあるため、運輸支局に必ず車を持ち込みましょう。 まとめ 車を相続する際の名義変更は、ディーラーや自動車販売店、行政書士に代行を依頼できます。各業者の代行費用の目安は、以下のとおりです。 ・ディーラー 3〜8万円・自動車販売店や整備工場 3〜5万円・行政書士 1万5,000〜6万円 代行費用は、車の購入を条件に安くできないか交渉する余地があります。手続きの代行を無料で実施している買取店もあるため、相続した車を売却する場合は、一旦相談してみるとよいでしょう。

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