旧車の魅力と知識

絶対楽しい旧車ライフ超入門!!その4 旧車仲間の見つけかたとは?
旧車の魅力と知識 2022.12.16

絶対楽しい旧車ライフ超入門!!その4 旧車仲間の見つけかたとは?

■旧車といってもイロイロ。まずは愛車のカテゴリーを理解しよう 旧車といっても、そのボディタイプやエンジン形式、使用燃料や駆動方式、年代、メーカー、生産国など、イロイロな分類基準がある。 このページで扱うのは国産車なので日本車限定だが、国内生産車と海外生産車、輸出国からの逆輸入車などに分類することもできるから意外と複雑だ。 特に逆輸入車の場合、国内モデルと仕様が大きく異なるものも少なくない。 例えばフェアレディ2000。 1967年から70年まで生産されたクルマで、大多数がアメリカに輸出されている。 ボクのフェアレディもアメリカからの帰国子女だから当然左ハンドル。 だけど国内仕様との差はそれだけではない。 輸出モデルでは、キャブレターがソレックスからSUに変更され、オイルパンも大容量7リットルのアルミ製フィン付きではなく、SP時代と同様フィンのない4リットルの鉄製であり、カムの仕様も異なる。 ノーマル状態のUS仕様SRL311は、スポーツカーのスタイルを持ちながら普通の乗用車のような乗り味。 逆に日本国内仕様のSR311は、当時の言葉で表現するなら「レーシー」な乗り味に溢れるスパルタンなジャジャ馬というセッティングだ。 ▲ミクニ製ソレックスツインキャブレターは、国内仕様SR311に標準装備されている。独特の吸気音はマニアにとってたまらない魅力。US仕様では、扱いやすさに優れるSUツインキャブが標準だ ▲国内仕様に標準のアルミ製フィン付オイルパン。7リットル級の大容量で、ホットな走りを支えてくれる。US仕様の標準は、SPと同じオイルパンで、フィンを持たない鉄製。容量も4リットルになる つまり、ノーマル状態前提で乗り味を基準に分類するなら、同じフェアレディ2000でも、SRL311とSR311は異なるグループになるといえるわけだ。 ちなみにボクのはUS仕様のSRL311だが、エンジン仕様はオイルパンも含め国内仕様に変更しているので、SRLグループではなくSRグループといえるだろう。 これらをふまえて仲間を探すなら、キーワードはオープン2シーター、60’sカー、ダットサン、スポーツカー、フェアレディ、クラシックカーなど。 少々話がズレてしまったが、細かく分類し、それに近いカテゴリーのグループとの接点を含めて考えれば、どういう車種が仲間となるのかが見えてくる。 さらにはそのオーナーも指向にも共通点が見出せるはずだ。 まぁ、この分類ってのは文字にするとややこしいし堅苦しいものだけど、一般的には感覚的に分類を捉え、やがてその「ニオイ」を嗅ぎ分けるようにグループを形成していくわけだ。 ■具体的な仲間探し。インターネット・バージョン ではどのように仲間を探すのか? 今の時代でもっとも手軽で有効な方法はインターネットの活用だろう。 ボク自身も、最近手に入れた83年型フェアレディZターボ2by2に関しては、元々興味を持っていないクルマだったから、知り合いもいなければ同好の仲間もいない。 そこで最初に起こした行動は、facebookでのグループ探しだ。 まずは、S130型フェアレディZで検索。 この車種に特定したグループだから迷いがない。 すると3件のグループが登録されていた。 その中で唯一の国内サイトである「Firlady S130 Owner’s Netwaork」にアクセスし、参加申請したわけだ。 そこで愛車の写真とともに初投稿のご挨拶を済ませたのだが、 圧倒的少数だと思っていた2by2で逆マンハッタンカラーのターボ車オーナーを、あっという間に2名確認することができた。 S130Zミーティングの案内もあり、参加すれば、ネット上のバーチャルワールドではなく、リアルワールドでの仲間と出会えるはずだ。 また、実用上不便を感じていた欠品パーツについて問い合わせたら、その日のうちに何人もの仲間から純正パーツの代用品情報が得られ問題解決。 信頼している、旧い日産車を得意とするメインテナンスショップでも、社外品の流用パーツに関する情報はなかっただけに、同好の仲間達との繋がりの大切さを痛感したことは記憶に新しい。 ボクが検索したのはfacebook内のグループだけだけど、他のバーチャルワールドでも、検索してみればイロイロ出てくるに違いない。 ■具体的な仲間探し。リアルワールド・バージョン リアルワールドで仲間と出会うなら、愛車に参加資格がある各種イベントに参加するのが一番。 そのためにも、愛車のカテゴリーをシッカリ確認しておきたい。 ここでは、ボクが最近手にいれ、日常のアシとして活用中のデカレディこと83年型フェアレディZターボ2by2(GS130型)を例に、一緒に考えてみよう。 まず、S130型フェアレディZの経歴と特徴を確認する。 1.デビューは1978年。当初のエンジンは、電子制御燃料噴射装置を採用したL20E型とL28E型だった。 2.大きく重くなったボディには、L28E型エンジン車がベストマッチだったが、当時の日本では3ナンバー車となると、自動車税が5ナンバー2リッター車の約2倍となるため、国内の主力はL20E型。ノーマル状態では、パワー、トルク共に非力さが目立った。 3.エンジンは非力だが、大容量80リットルのガソリンタンクを持ち、高速巡行なら800km級の航続距離を誇っていた。 4.1980年には、国産車初のTバールーフ車を追加。81年秋にマイナーチェンジ。82年10月には国産初の超ワイドタイヤ「215/60R15」を標準としたL20ET型ターボエンジン車を追加し、83年9月のモデルチェンジによりZ31型へとバトンを渡した。 5.なお、対米輸出モデルには、81年から、2800ccのL28ET型ターボエンジンが追加されたが、国内には導入されていない。 6.全輪ディスクブレーキの採用、セミトレーリングアーム式リアサスペンションに変更、一部グレードだが、パワーステアリングやパワーウインドウの採用、そしてセンターピラー付とするなど剛性を強化したボディ、サッシュレスのドアなど、S30型から総合的に進化している。 これがS130型フェアレディZの大雑把な経歴と特徴。 生産年次が70年代末から80年代初期のモデルだから、ネオクラシックカーと呼ばれるカテゴリーに属するクルマといえる。 ▲「旧いクルマ」という緩い縛りの展示型イベント。この日は、50’sカーから90’sまで、多様な車種で賑わっていた クラシックカー関係のイベントで、「79年までに生産されたクルマ、またはその同型車」という参加資格を見かけるが、S130型フェアレディZはそのあたりに該当するわけだ。 また、フェアレディ一族であるから、当然、オールフェアレディといったイベントにも参加できるだろう。 もちろん、もっと緩い、自動車趣味人なら誰でもどうぞ、みたいな集まりも各地で開催されている。 こうしたイベントは、マイカーとともに参加するのが一番だ。 しかし、見学に行くだけでも、仲間を見つけたり、同時開催のフリマなどでパーツやアクセサリーを見つけたりするチャンスなので、積極的に参加したいものだ。 ▲展示型のイベントは、見学者も多数いるので出会いのチャンスが多い。参加するのが一番だけど、見に行くだけでも楽しめる ■愛車で走り回るだけでも出会いがある! 仲間を見つける目的ではなくても、単純に愛車で走り回ることも仲間の輪を広げるために有効な方法といえる。 走行中に同好の趣味人とすれ違ったり、信号待ちで声をかけられたり、なんてケースも少なくないからだ。 実際、たまたま寄ったコンビニとか、高速道路のSAやPAで話しかけられ、一緒にツーリングしたり、まったく別のイベント会場で再会、なんてことも少なくない。 ▲たまたま寄ったコンビニで偶然一緒になった旧車たち。こういう出会いは意外と多い さらにいえば、乗っていたクルマを譲って欲しいと懇願され、譲ったこともある。 よくクルマ好きが集まる喫茶店や、ワインディングロードに近いレストランなど・・・。 旧車ファンに人気のスポットに行くのも、出会いのチャンスを広げる効果的な方法だ。 それがどこにあるかは、事前にインターネットで調べればよい。 リアルワールドの出会いは外に出ることが大切だ。 さらに行動に高効率を求めるなら、インターネット検索などバーチャルワールドを活用する、ハイブリッド方式が有効といえるだろう。 と、ほぼ原稿を書き終えた時点で、デカレディに乗り、公共料金を払いにコンビニに寄ったら、フィガロとラシーンをアシに使う趣味人に声をかけられ名刺交換(笑)。 旧車に乗って走り回ると、必然的に同好の仲間や、昭和世代に憧れる人々を寄せ付けてしまうようだ。 [撮影&ライター/島田和也]

嫁いできた三菱トッポBJは家計の救世主⁉ 5台目増車も懐は大助かり?
旧車の魅力と知識 2022.12.14

嫁いできた三菱トッポBJは家計の救世主⁉ 5台目増車も懐は大助かり?

■最初は預かっただけ。そのときに良さを実感! クルマを買う際、新車なら各種メディアで情報収集、ディーラーへ出向いて試乗をされると思う。 中古車ならば、お店で現車確認を行うことが多いと思う。 思い返せば、筆者の場合、エクストレイル以外は友人から譲り受けている。 縁談をいただいた際、特に現車を確認せずに購入を決め、引き取るタイミングで現車を確認している状態だった。 全く未確認だったわけではなく、前オーナーが乗っている間に何度か拝見や試乗をさせていただいたことがあったため、信用して購入をしていた。 今回入手した三菱 トッポBJ(以下トッポ)は、今までのパターンとは異なる形であった。 トッポの前々オーナーは学生時代から付き合いが続いている部活の後輩である。 仕事の都合で転勤となり、置き場所の関係で手放す話が舞い込んできた。 そこで手を挙げたのは、部活の先輩であった。 奥様がMTで運転免許を取得されたため、練習車として役割が回ってきた。 しかし、マイホームを建設中につき、置き場所がない。 そのタイミングで、筆者のパルサーが長期レストアに出ており、車庫が空いていたため預かることとなったのだ。 結果として、約半年間トッポを日常的に乗り、使用して過ごした。 実は、それまでNA(自然吸気)の軽自動車に乗ったことはほとんどなかった。 所有しているコペンはターボであり、勝手な想像でNAだと力不足を感じると思っていた。 預かったトッポは5速MTということもあり、乗ると小気味良くシフトチェンジを行えた。 エンジンを気持ち回し気味に乗ると軽快に走り、楽しかったのだ。 山坂道や高速道路も走らせたが、想像していたよりも問題なく流れに乗り、十分に走ることができた。 今までのイメージは打ち破られた。 本当にクルマは乗らなくてはわからない、いわば「食わず嫌い」というやつだった。 また、このトッポの使い勝手の部分では、ラゲッジのドアにガラスハッチが組み込まれている。 幼いころにガラスハッチを見てから、筆者としては大好きな装備だったので、これも大いに活用して楽しんだ。 預かり期間が終わり、引き渡し時に冗談半分で「手放す時には声をかけてくださいね」と告げていた。 オイル交換や気になる箇所の修理を行い、少し情が湧いていたので出た言葉であった(笑)。 しかし、別れを告げた半年後に「トッポを手放すけど、乗らない?」とまさかの連絡が入ったのだった。 ■伏線回収⁉ 急遽引き取ることに 昨今のコロナ禍で感染予防も含め、電車通勤からクルマ通勤に切り替えることにした。 ブルーバードで通勤をしていたのだが、通勤補助を差し引いても毎月1万円の赤字になっていることに気が付いたのだ。 そのタイミングでトッポの縁談がやってきた。 預かっているときに、燃費の良さも知っていた。 通勤にかかるガソリン代は補助内で足りる点、維持費は今までの赤字分で賄えると判断して増車することとした。 実際に乗り始めたら予想通り、燃費の良さから無事補助内で賄える結果となった。 引き取ることが決まったら善は急げと、受け渡し日調整の連絡が来たその日の夜、高速バスに乗り隣県へ引き取りに行ったのだった(笑)。 因みに今回手放された理由は、ご実家からATの軽自動車を譲り受けることとなり、家族が増えてMTよりもATの方が奥様も運転し易いということだった。 念のため記載させていただく(笑)。 今度は愛車となったトッポ。 付き合う大前提は「お金をかけ過ぎない」をテーマと決めた。 ■そのまま乗れるかと思いきや 今回、引き取ってすぐに車検が控えていた。 特に問題なく、車検は通過できる見込みだった。 引き取ってから乗り出し、少し気になる音がしていた。 マフラーからときどきカラカラ音がしていたのだ。 最初は発進時に半クラッチを当てたときに出る程度の音だった。 しかし、音が気になりだし、車検前の事前点検も兼ねて下回りを確認した。 そしたら、タイコ部分との溶接個所に亀裂が入っているのを発見した。 発見した際、ちょっと触れたところ亀裂が進行してしまい、ほぼ折れた状態となってしまった。 溶接でもしない限り、完璧な補修は無理と判断した。 「お金をかけ過ぎない」がテーマのため、中古部品で対処しようと考えた。 しかし、損傷状況から構造上同じ壊れ方をする可能性が想定できた。 また脳裏で「長い付き合いになりそう」と思ってしまった。 ここは新品部品を使用することとした。 純正もまだ手に入るが“節約”のため、純正相当の社外品を選択した。 ■部品の安さに感謝 今回車検整備として、下回りを中心に確認を行った。 ロアアームのブーツに亀裂が入っていたため、ブーツ交換も行った。 こちらは純正部品をオーダーした。 単品での部品設定もあり、入手が安易だったためである。 注文する際、各ドアの開閉を感知するスイッチも併せて発注した。 スイッチをカバーするブーツも破けていたためである。 ブーツ単品の設定はなく、スイッチASSYとなることが分かった。 そのため、部品価格が高価かと思ったが1つ数百円と安価だったので、思わず全ドア分オーダーをしてしまった(笑)。 今回部品番号を調べたところ、後継車であるekワゴンと共通部品が多いことが分かった。 さらにekワゴンのOEM車であるオッティとも共通であることも分かった。 そのため、いつもお世話になっている日産ディーラーで部品をお願いすることができた。 因みにだが、日産で部品を注文したところ三菱の部品番号の上に日産の部品番号が記されたシールがキレイに貼られていた(笑)。 車検とは関係はないが、気になる箇所を補修するために部品価格を調べると、比較的安価なことが分かった。 この価格ならば・・・と、ついつい部品交換をして改善をしてしまいたくなってしまう。 そんな姿を見て、友人からは「沼にハマっているじゃん」といわれてしまう始末である(笑)。 ■まとめ:果たしてトータルで得したのか? 今回「通勤費の節約」という重要命題を背負ってやってきたトッポ。 その命題は無事クリアした。 日々乗っていると、良さが光る場面が多いことに気づく。 小回りが利くことによる、運転のしやすさと機動性の良さ。 家族に貸し出すこともあるが、同意見である。 トッポだけでほとんどをこなすことができ、世の中軽自動車が売れている理由がよく分かった。 ただ、勝手の良さからついつい乗ってしまうという弊害が起きている。 総括すると、今回いろいろと整備をする費用は掛かっているが、通勤以外にも大活躍しており得していると思っている。 もうそろそろタイミングベルト交換の必要性も出てくる。 それでも・・・たぶん・・・得しているはずだ。 イヤ、乗って楽しんでいるのでそれだけでも得である! そう思っておこうと思った(笑)。 [ライター・撮影/お杉]

レギュラー1L/約320円!? ドイツでプリウスαタクシーが急増!
旧車の魅力と知識 2022.12.12

レギュラー1L/約320円!? ドイツでプリウスαタクシーが急増!

最近のドイツではタクシー業界にある変化が起きている。 ドイツのタクシーといえば、ご存知の方も多いと思うがメルセデス・ベンツが大多数を占める。 著者が在住しているドイツのシュツットガルトでも、タクシーの9割近くはメルセデス・ベンツが使われている。 そんななか、最近のドイツタクシー業界で日本のあるクルマが人気である。 それは「トヨタ プリウスα」だ。 実際にベルリンやフランクフルトなどの大都市を訪れると、プリウスのタクシーを多く見かけることがある。 ではなぜ、トヨタのプリウス、しかもプリウスαがドイツのタクシーで人気なのか? 今回はその理由について解説していこう。 ■メルセデス・ベンツのタクシーが大多数を占めているドイツ 前述でもお伝えしたとおり、ドイツのタクシーはメルセデス・ベンツEクラスが圧倒的シェアを占めている。 その背景として、メルセデス・ベンツは一般のカスタマーに販売する車両とは別に、法人向けのタクシー専用車両の販売も行っている。 これは一般の車両とは異なり、必要最低限の装備だけを残し、通常の販売価格から2〜3割程安く設定されているからだ。 加えてタクシー業務に必要な料金メーターなどが標準装備されているため、他社のクルマを購入し「イチから」タクシー車両に改造していくよりも圧倒的にコストが抑えられるようになっている。 さらにメルセデス・ベンツの強みは「快適な乗り心地と安全性」を重視した作りとなっている。 つまり「乗客を目的地まで移動するためにもっとも適したクルマ」ということもあり、結果的にヨーロッパ全体でタクシー車両として選ばれているのだ。 ■日本のタクシー事情はというと 日本では主にトヨタ車がタクシーとして起用されており、一昔前まではクラウンが大多数を占めていた。 これはドイツでいうメルセデス・ベンツEクラスと同じ立ち位置になるだろう。 しかし日本も同様にここ数年でプリウスのタクシーが急増している。 トヨタは2017年にLPガスを燃料とするタクシー車両の生産を中止すると発表しており、加えてエコカーへの注目も高まってきたことから、コストなプリウスが採用されるケースもしばしばだ。 最近では、タクシー車両はクラウンからJPNタクシーやプリウスαへと置き換わりつつあるようだ。 ■プリウスはタクシー車両に最適なクルマ? プリウスαの初代は2011年5月から販売開始され、3代目プリウスのプラットフォームを採用したモデルだ。 ホイールベースは80mm延長され、後部座席はかなりゆとりある空間が確保されている。 タクシー車両として選ばれるクルマにはいくつかの共通点がある。 第一に重要視されるのは車両価格だろう。 プリウスαは比較的安価でありながら、十分な装備と乗り心地の良さを誇っている。 さらに価格帯の割に高級感があり、富裕層を乗せても違和感がなくタクシーとしては申し分ないスペックといっていいだろう。 次に重要視されるのがランニングコストである。 タクシーは当然個人で使用するクルマよりも遥かに長い距離を走行するため、かなりのランニングコストが掛かってくる。 ガソリン代は特に多額の費用が必要となるため、低燃費なクルマが重宝されている。 プリウスαはハイブリッドカーであるため航続可能距離も長く、加えて数年に一度のハイブリッド専用バッテリーの交換を除けば交換部品代もそこまで高額にはならないだろう。 ■ドイツのタクシーでプリウスαが人気の理由 ではなぜ、ドイツにはタクシー専用のメルセデス・ベンツがあるにも関わらずプリウスαがここ数年で選ばれるようになったのか。 ここでドイツで生活をする著者も常々感じていることだが、急激なガソリン代の高騰である。 2022年12月現在のドイツでは、レギュラーガソリンが1L当たり(約320円)、ディーゼル(軽油)はさらに高く、1L当たり(約340円)となっている。 これは日本の約2倍の金額である。 ドイツのタクシー車両はディーゼルエンジンのクルマが多く、燃料代がこの価格ではかなりの痛手であることは間違いない。 加えてロシア・ウクライナ問題の影響もあり、収束の見通しが立たないなか、先行きが不安な状況が続いている。 こうした理由を背景に、低価格でありながら低燃費で乗り心地が良く、ランニングコストも非常に抑えられるトヨタのプリウスαが選ばれているのだ。 現状はヨーロッパ全体でガス代の高騰や電力の削減など生活に必要な公共料金の値上がりが激しさを増しており、今後とも厳しい状況が続くとされている。 数年後にはさらに多くの日本車タクシーを見かけることになるだろう。 果たしてこれが喜ばしいことなのかどうかは分からない。 しかし、日本車が世界でも絶大な信用を得ていることの裏付けだといえるのでは?と筆者は考えている。 [ライター・撮影/高岡ケン]

日本アルミ弁当箱協会会長の「ちょっと斜めから見た旧車たち」Vol.6
旧車の魅力と知識 2022.12.09

日本アルミ弁当箱協会会長の「ちょっと斜めから見た旧車たち」Vol.6

■第6回 ~アルミ弁当箱と旧車の意外な関係~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 「旧車王」連載6回目となりました今回も「アルミ弁当箱と旧車の意外な関係」を語って行きたいと思います! ■アルミ弁当箱に描かれない車両たち その2 アルミ弁当箱には、特撮やアニメ、漫画などたくさんのヒーローが描かれます。 そして、そのヒーローを助ける人間たちの武器や戦闘用のメカ等も描かれるわけです。 そのなかでも比較的多いのは空を飛ぶ戦闘機。 しかし、活躍が地味(?)な車両は描かれていることが少ないようです。 今回もあえてそんな車両たちに注目して行きたいと思います。 前回冒頭で少しだけ紹介した「帰ってきたウルトラマン」に登場する「マットビハイクル号」に今回はスポットを当ててみましょう。 ▲写真提供/城井康史氏 ■生まれて来たときからすでに特撮車両のようなスタイリング~ ウルトラシリーズのアルミ弁当箱のスタートは、意外にも「帰ってきたウルトラマン」です。 「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」のアルミ弁当箱は私自身、いまだに見たことがありません。 なぜそうなったか?さえも今となっては知る人もほとんどいません。 そのため、私が会長を務める「日本アルミ弁当箱協会」お得意の「想像と妄想」で語るしかないのです。 それはさておき「帰ってきたウルトラマン」で登場した「コスモスポーツ」は、当時の子どもたちにとって「特撮用」のクルマと思っていたほどスタイリッシュかつカッコイイと映っていたのではないでしょうか 「帰ってきたウルトラマン」のアルミ弁当箱は5種類ほど確認されており、90年代に「駅弁」として販売されたものも加えると6種類あります。 しかし、そのどの図柄にも「マットビハイクル」は描かれていません。 そういえば、現存するお弁当箱の描かれている車両は「オペルマンタ(レッドバロン)」と「フィアットX1-9(ジャッカー電撃隊)」は輸入車です。 また「バロム1(SR311)」は原型がわからないほどの改造車両。 「ストラダ5(トライシャーク)」に至ってはベース車両すらわかっていないことを考えると、ベース車両が国産の一般車両とわかることが「版権」等に関わってしまい、当時アルミ弁当箱に描かれなかったのかもしれません。 当時のアルミ弁当箱を製造・販売する企業は、子どもたちの熱望するものと「大人の事情」で図柄にできなかったものを狭間で考え、工夫をしたうえで私たちに楽しいお弁当時間を提供してくれていたのかも知れませんね。 ▲写真提供/城井康史 そんなことを想像させてくれたのが今回の「コスモスポーツ」だったような気がします。 次回もアルミ弁当箱を通し斜めから見た旧車をお送りいたします。 ■12月11日(日)「アメイジング商店街5 and すーぱーレトロEXPO 出張版」にてアルミ弁当箱展示予定! まったく脈絡のないコラムではありますが、「旧車王」ともども「マツドデラックスコレクション アルミ弁当箱図鑑」もよろしくお願いいたします。 また、アルミ弁当箱を並べて欲しい等とご要望のある方もぜひお声をかけてください。 次回はイベントは12月11日(日)に開催される「アメイジング商店街5」です。場所は「東京都立産業貿易センター浜松町館」にて展示予定です。 よろしくお願いいたします! ●「アメイジング商店街5 and すーぱーレトロEXPO 出張版」 開催日:2022年12月11日(日) 会場:東京都産業貿易センター浜松町館2F(東京都港区海岸1-7-1/竹芝駅[西口]から徒歩約3分)時間:10:30(先行入場) 11:00〜16:00主催:マクラウド 代表:白石知聖https://www.macleod.jp/amezing5form/ ●日本アルミ弁当箱協会会長「アルミ弁当箱図鑑 厳選50 」出版への道https://www.qsha-oh.com/historia/article/matsudo-bangai-1/ ※アルミ弁当箱を並べて欲しい等とご要望のある方も是非お声をかけてください。 ●日本アルミ弁当箱協会ホームページhttps://kyokai.fans.ne.jp/arumibenntou/ ●Twitterhttps://twitter.com/keisuke38922 [撮影/ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]

自動車大国・ドイツで人気の日本車8選
旧車の魅力と知識 2022.12.07

自動車大国・ドイツで人気の日本車8選

ドイツで日本の旧車が人気の理由について。 ドイツではメルセデス・ベンツやBMWをはじめとした、世界的にも有名な自動車メーカーが数多く存在する。 そんな自動車大国のドイツでも一昔前からJDM(日本国内市場)ブームがあったのはご存じだろうか。 JDMとは「Japanese domestic market」といわれる日本国内市場の頭文字を取った言葉である。 正確には日本国内に流通する車体や自動車部品のことを指すが、海外では日本仕様にカスタマイズされたクルマも同様に「JDM」と呼ばれている。 ■なぜJDMがドイツでも人気があるのか? その火付け役となったのは映画「ワイルド・スピード」であることは間違いないだろう。 主役の今は亡き故ポール・ウォーカーは大のクルマ好きで知られており、プライベートの愛車は日産スカイラインGT-Rやトヨタ スープラなど日本を代表するスポーツカーを所有していたという。 その他にも日本車は低価格で壊れにくいなどの理由から現在でも多くのドイツ人に愛されている。 今回はそんな自動車大国ドイツで特に人気を博した日本車について解説していこうと思う。 ■自動車大国のドイツで人気の日本車8選 8.日産スカイライン 2000 RS-X ターボC 史上最強のスカイラインと謳われた伝説の名車。最高出力205馬力を発揮する最も強力かつ軽量なモデル。またツーリングカーレースでの活躍もあり一躍人気のクルマとなった。なにより比類なき80年代のスポーツカーを代表するルックスが多くの自動車ファンを虜にした。 7.日産ブルーバード ブルーバードは、真のJDMを代表するクルマである。アメリカではダットサン 510として、ヨーロッパではダットサン 1600として、国際的な成功を収めた。当時、日本ではヨーロッパの競合他社BMWへ対抗するため、強い個性を持つスポーツセダンの開発に力を入れていた。そんななか、誕生したのが優れた走行性能とキレのあるハンドリング、加えて低価格のブルーバードである。 6.ホンダ シビック タイプR 現在でも多くの日本車ファンから絶大な人気を誇り、長年愛され続けている名車。1998年にEK9型シビックが登場した当時、ホンダは小型高回転エンジンの製造において世界トップクラスの実力を誇っていた。FFの代表的なスポーツカーといえば間違いなくこのクルマだろう。総重量1070kgという超軽量でディファレンシャルロック、レーストラックに適したシャシーに加えて最高出力185馬力を引き出した。排気量1600ccのVTECエンジンを搭載。 5.トヨタ アルテッツァ RS200 アルテッツァとはイタリア語で「高貴」という意味。1998年に発表されたこのクルマは開発当時コンパクトなボディでFRのセダンというコンセプトだったが、欧州車に対抗する為スポーツセダンとプレミアムセダンの双方で展開されることとなった。プレミアムセダンはレクサスのエントリーモデル「IS」として発売されたがこの2つのモデルは外見が大きく異なる。 4.ホンダ NSX-R 世界に通用するスーパーカーというコンセプトで開発された2シーターのスポーツカー。車名の由来は「New Sportscar X」の略で、Xは未知数を表している。ノーマルモデルと違いタイプRでは軽量化と同時にボディとシャーシの剛性を高めている。なお、販売当初の価格は車両本体価格971万円となっており、これは当時の国産乗用車のなかでは市場最高額での販売となった。 3.マツダ オートザム AZ-1 世界最小のスポーツカーと呼ばれたクルマ。スズキ製のエンジンを使っておりマツダによって開発されたAZ-1は車両重量720kg、全長3,295mmという超小型ながら2シーターのガルウィングドアというスポーツカーらしさも兼ね備えた特徴的な車だ。しかし実用性が低く高価であったため販売台数は伸び悩み、わずか2年で販売終了となった。 2.マツダ ユーノスコスモ コスモはマツダの最後の主要なグランツーリスモである。マツダのホームラグジュアリーブランドであるユーノスを通じて販売されていた。ユーノスコスモ自体はロータリーエンジンのみを動力源としており、量産車としては初の3ローターエンジンを搭載していた。このエンジンはチャンバー容積が2リットルで、後にRX-7で採用された過給のコンセプトを採用し、同じサイズのターボを2つ直列に配置している。 1.三菱ランサーエボリューションIX 栄えある第1位に輝いたのは世界中の自動車ファンを魅了した日本を代表するスポーツカー。1990年代に世界ラリー選手権において数々の好成績を収めランエボの愛称で親しまれる伝説の名車である。映画「ワイルド・スピード」やアニメ「頭文字D」などで起用されたことから今でも熱狂的なファンを抱えている。 ■ドイツでも日本車愛好家の集会が数多く開催されている 若者のクルマ離れといわれる最近の世のなかでドイツでは現在でも多くの自動車愛好家がいることは間違いない。 毎週末にはドイツの各地で様々な車種の集会が開かれている。 なかでも日本車愛好家の集会が数多く開催されている。 ドイツではヨーロッパのなかでも特に自動車に関連するイベントが多く、日本車のイメージについて現地のドイツ人と話していると皆が口を揃えてこういうのだ。 「日本車は壊れにくいから安心して出掛けることができる」と。 ■まとめ:ドイツ人がクルマに求めるものを日本車が有している ドイツには速度無制限の高速道路「アウトバーン」があるのはご存知だろう。 総延長は13,000kmにも及び、ドイツ人の生活には欠かせない道路となっている。 とにかく1日の移動距離が長く、ドイツ連邦自動車局の調べによると年間の総走行距離は約15,000kmだそうだ。 これは日本の1.5倍。 つまり、ドイツ人が本当に求めるクルマは壊れにくく安心して長く乗れるクルマだということだ。 まさに日本車が愛される理由がここにあった、ということではないだろうか? [ライター・撮影/高岡ケン]

25年使って感じた「インターネットがカーライフにもたらしたもの」とは
旧車の魅力と知識 2022.11.27

25年使って感じた「インターネットがカーライフにもたらしたもの」とは

早いもので、インターネットが一般に普及してから20年以上経過した。 自分自身、はじめてインターネットに触れたのがたしか1996年。もう四半世紀以上の前のことだ(愕然)。 これは面白そうだと、秋葉原でアウトレット品の富士通FM-VデスクトップPCを購入し、自宅にインターネット回線を引いたのが1997年の末。 常時接続はもう数年先のことであり、YouTubeで動画を再生しながらダラダラと過ごすなんて想像すらできない時代だ。 当時「テレホーダイ」というサービスを利用しないと通話料金が青天井で加算されていった。 しかし、このテレホーダイを利用することで、23時から翌朝8時まではインターネット使い放題になるという、当時としては夢のようなプランだった。 その結果、夜11時になると日本中のネットユーザーがいっせいに回線にアクセスして、ページの表示が遅くなるのでイライラ・・・みたいな毎日だった。 20代の方にとっては「?????」かもしれないが、お父さん世代の人たちはこんな感じだったのだ。 なるほど、インターネット老人会などとという言葉が生まれるわけだ。 ■20数年間でインターネットがカーライフにもたらしたものとは? 2000年代に入り、職場はもちろん、自宅にもインターネット回線を引く人が増えてきた。 そのうち、自分でホームページを立ち上げ、自慢の愛車やカーライフを紹介する人も増えていった。 「ホームページビルダー」というホームページ作成ソフトの存在が知られるようになると、さらにその流れが加速していったように思う。 ネットユーザーが増えていくにつれて、自然とコミュニティが生まれる。 mixiのようなSNSが普及するまで、ML(メーリングリスト)がコミュニティの形成によく使われていたように思う。 現在でいうところのLINEグループの原形のようなものかもしれない。 参加を許されたMLメンバー間のみでメールの中身を見ることができたり、やり取りが可能であった。 こうして、インターネットがなければ知り合うことができなかった人、と同時に「名前も顔もよく分からない人」との接点が生まれる。 次に行われたのが、いまでも続く「オフラインミーティング(通称オフ会)」だ。 ここで初めて・・・というか、ようやくMLメンバー同士が顔を合わせることになる。 初対面だけど、これまでのMLのやりとりで関係はできているだけに、既になんだか妙に気心が知れた間柄・・・という不思議な感覚を味わった人も多いと思う。 インターネットが普及したことで知り合えた人、手に入れたクルマや部品、果ては仕事まで・・・さまざまな恩恵が受けられたはずだ。 しかし、そこは世の常。そんなきれいごとばかりではない。 そこにはメリットはある一方で、同時にデメリットも存在する。 キリがないので5つに絞ったが、どれか1つか身に覚えがあるかもしれない。 ■インターネットがカーライフにもたらしたメリットとは? 1.端末ひとつあれば世界中から買い物ができる ひと昔前ならパソコンで、いまならタブレットやスマホさえあれば、検索して欲しいものが探せたり、購入できようになった。あまり語学力がなかったとしても、Google翻訳などを駆使すれば意外と何とかなることも多い。一例として、利用する・しないはともかく、eBayとはどんなものか?いちど見てみる価値はあると思う。 2.本来であれば出会えなかった人と知り合える 現在所有している愛車の前オーナーだったり、ファーストオーナーだったり、同じ趣味を持つ海外に住む外国人であったり・・・。例を挙げればキリがないが、インターネットがなければ知り合える、あるいは出会える確率がグッと低くなる(またはほぼ不可能)ことは間違いない。誰がいったか「愛車はコミュニケーションツール」は本当なのかもしれない。 3.探している情報が飛躍的に見つけやすくなった インターネットがなかった頃、使えない環境を想像してみてほしい。AE86レビン(前期)のGT-APEXとGTVってタイヤサイズ違うんだっけ?といった疑問にぶつかったとする。インターネットがあれば検索すれば一発で解決だが、ない場合は・・・カタログなどの資料を探すところからはじめなければならない。自宅になければ友人宅か図書館か・・・。ネット検索と同じゴールにたどり着くまで時間が掛かりそうだ。 4.自分のカーライフを気軽に発信できるようになった 自身で作成したホームページに加えて、ブログやSNS、YouTubeなど、あらゆる方法で自慢の愛車や自身のカーライフを発信できるようになった。その結果、これまでの情報源は雑誌か口コミだったものが、爆発的に情報量が増えた。そのなかにはメディアでは発信不可能なネタも含まれる。 5.旧車オーナーの駆け込み寺・セーフティーネットの確立 旧車およびネオクラシックカーオーナーを取材すると、純正部品の欠品や製造廃止で悩んでいる方が本当に多い。そんなオーナーたちのよりどころが、YAHOO!オークションをはじめとするネットオークションや、メルカリなどのフリマサイトだ。ただ、考えることはみな同じなので、争奪戦&共食いであることもしばしば・・・なのが辛い。 ■インターネットがカーライフにもたらしたデメリットとは? 1.世の中が非寛容になった? 「ネット文化=揚げ足取りの文化」という経験をしたことがあるかもしれない。ちょっとした間違いやミスを徹底的に攻撃したり、ひと昔なら「これくらいは・・・いいよね」といった投稿を許容しない風潮が年々強まっているように思えてならない。今後も刻々と変化するグレーゾーンを見極める必要がありそうだ。 2.情報の精度を見極めるスキルが求められる インターネットが普及する以前とは比較にならないくらい情報量が増えた分、「ホントかよ」と思うものも増えた。メンテナンス系の情報など、鵜呑みにすると危ないこともある。迷ったときはプレスリリースやカタログ、取扱説明書(インナー向け専門書も含む)、オフィシャルサイトで確かめるのがいいかもしれない。 3.コミュニケーション力が問われる? 日常的にSNSを利用している方であれば想像できるかもしれないが、「どこの誰かよく分からない相手と文字だけでコミュニケーションをとる」ことも少なくない。そのため、自分の意図したこととは違う意味で解釈されてしまうことも充分にありえる。日常生活以上にコミュニケーション力や空気を読むスキルが問われる世界だ。 4.良くも悪くも情報が拡散する 友人・知人を問わず、時事ネタ、SNSを通じて、涙なしにはいられないイイ話しもあれば、テメーコノー!*●$〒〆◆・・・(*自主規制)なものまで。日々、ありとあらゆる情報が怒濤の如く押し寄せてくる。1億総ジャーナリスト、総監視社会・・・挙げればキリがない。そういえば自分の記事も良くも悪くも拡散することがあり、フルボッコされることもしばしば・・・。 5.個人情報がダダ漏れになる可能性あり SNSなどに旅行先で撮影した画像をアップしたり、行動パターンが読める投稿をしたり・・・と思わぬカタチで個人情報がダダ漏れになることがある。どうしても発信したい!という人もいるだろうから、鍵アカウントにするなど、公開範囲を限定するのが得策だと思われる。 ■まとめ:25年使って感じた「インターネットがカーライフにもたらしたもの」とは 気づけばこの25年間、ほぼ毎日インターネットに接続してきたように思う(改めて愕然)。 もはや生活の一部であり、なくなってしまったらどうなるんだろうとすら思うこともある(意外と何とかなるかもしれない)。 25年使って感じた「インターネットがカーライフにもたらしたもの」。 答えをひとつに絞るとしたら、それは「人との出会い」に尽きるような気がする。 ■余談:ヤフオクはもはや旧車オーナーの駆け込み寺? そして、旧車オーナー、ネオクラシックカーオーナーを含め「絶版車」を所有する方であれば、1度はヤフオクやメルカリ、eBayなどを利用したことがあるかもしれない。 今も昔も主戦場、駆け込み寺であることは確かだ。 しかし・・・車両本体の高騰に呼応するかのように、中古部品の相場も同様だ。 さらには仲間内で共食いになっているケースも少なからずあると聞く。 今後は同じクルマを愛する人たちのコミュニティに属し、有益な情報やお互いの部品のトレードするのが懸命かもしれない。 それにはまず「ギブ・アンド・テイク」の精神が不可欠といえるだろう。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]    

旧車をEVカーに改造?アメリカでじわじわ人気のコンバージョンEV
旧車の魅力と知識 2022.11.28

旧車をEVカーに改造?アメリカでじわじわ人気のコンバージョンEV

■世界最大の改造車ショーで旧車EVが続々登場 ▲シボレーブースに展示された1957年型ベル・エア アメリカでは今、「コンバージョンEV」がアツい。 昨今の環境意識の高まりによるEVブームは新車のみならず、「旧車」を未来へのこしていく手段としても注目されている。 今回は毎年11月上旬に開催される世界最大級のアフターマーケット・カスタムカー見本市「SEMAショー」にて見つけたコンバージョンEVたちを簡単に紹介してみたい。 SEMAショーではアフターマーケットのメーカーやチューニングショップのみならず、自動車メーカーも積極的に出展している。 なかでも目をひいたのが、シボレーブースに展示された1957年型ベル・エアだ。 派手なイエローのボディカラーに、「ジェット時代」の流行を反映させたスタイルは典型的なアメリカ車のイメージをまとう。 だが、V型8気筒のLSエンジンを搭載するために広く設けられたエンジンルームの中にはエンジンが見当たらない。 その代わりに鎮座するのが、シボレーが開発した実験用の電動モーターとバッテリーである。 このユニットはモジュール化も行われており、シボレーは使用者の要望に応えて、より大型のバッテリーを搭載することも可能としている。 とりあえず搭載されているプロトタイプのスペックは400Vのユニットで、容量は30kWhとなる。 元々搭載されていたエンジンほどのパワーは出ないし、シボレー自身も街乗りぐらいにしか使えないと紹介しているが、これも今後の開発でより「パフォーマンス寄り」に進化していくことが期待される。 ■自動車メーカーが旧車の電動化を提案  ▲初代ランドクルーザーもEV化で半永久的に乗れる? メーカーによる電動化の提案は、シボレーとともに「ビッグ3」を形成するフォードでも見られた。 毎年お馴染みの巨大なフォードブースの目玉の一つが、フォードのパフォーマンス部門「フォード・パフォーマンス」が開発した電動ユニット「イルミネーター(Eluminator)だ。 出力210kW(281hp)、ピークトルクは430 N・mを誇るイルミネーターは重さたったの93kgの電動ユニットで、元々はフォードの純電動SUV「マスタング マッハE」に搭載されていたものをベースに開発されている。 今回の展示にはユニット本体とともに、実際にそれを1978年型F-100に搭載させた「F-100 イルミネーター」をお披露目。 イルミネーターのユニットは3900ドルで実際に販売されたが、販売開始後わずか一週間で完売したとのこと。 SEMAショーでは例年、電動化に特化した「SEMA Electrified」のブースが設けられるが、そのスペースは年々拡大されている。 なかでも印象深かったのがパステルブルーをまとった初代フォード ブロンコだ。 1966年から1977年まで生産された「アーリー・ブロンコ」と呼ばれるこのブロンコも電動モーターとバッテリーを搭載するコンバージョンEVとなる。 製作はフォードより正式にライセンスを取得し、初代ブロンコのフレームを生産している「Kincer Chassis」が担当。 サイドのドアを除去したり、エンジンルームは目隠し用の木目調パネルで綺麗に埋められていたりと、ミニマリスティックなカスタムが非常に特徴的である。 ここまではどれもアメリカ車のコンバージョンEVを紹介してきたが、この流行はなにもアメリカ車に限るものではない。 同じ「SEMA Electrified」のブースにはトヨタの伝説的な四輪駆動車「初代ランドクルーザー(J40型)」や、フォルクスワーゲン タイプ181のコンバージョンEVなども展示されていた。 また、外のブースにはまだ新しめのクルマであるホンダ S2000をEV化した個体も来場者の注目を集めていた。 ■デロリアンをEV化したオーナーが日本にもいた! ▲デロリアンの美しいシルエットそのままにEV化 ▲2年の歳月をかけて仲間たちとデロリアンのEV化に成功 ところで、日本にも旧車をEVにコンバートして乗り続けているパイオニア的存在のEVオーナーがいるのをご存じだろうか? 日本EVクラブ広島支部の藤井智康さんがDMCデロリアンのEV化をスタートしたのはなんと2007年!2年の歳月をかけて完成したのが2009年だった。  「当時、デロリアンに乗りたいという気持ちが強かったのですが、80年代前半のクルマですし壊れやすく、修理するのも大変という話を耳にしていました。維持していくのが大変だろうなと。そんななか、環境問題を勉強しているときにEVのことを知りました。そこでデロリアンをEVにしてみるのはどうだろうかと考え始めたのです。 旧車はオリジナルの状態で維持することがクルマにとっても最高であることは間違いないのですが、長く乗り続けていくうちに部品が入手できなくて直せない…、また完璧に直せる人もどんどん減っていく…という状況になってきます。 クルマを直さず放置しておくのか?それとも廃車にして捨ててしまうのか?これまではそのような選択肢しかなかったわけですが、“パワーユニットを電気にかえればEVとして長く乗り続けられるのでは?“という考えに到達したのです」 クルマを買い替えることがエコではなく、ずっと乗り続けることが一番のエコであること。EVにコンバートすることでそれが実現できることを藤井さんは自らのデロリアンで証明している。 しかし、藤井さんいわく、なんでもかんでも「EV化」するのが良いわけではないとのことだ。 「クルマにはデザインは素晴らしいけどエンジンがいま一つの『ボディエンゲル係数』が高いクルマと、逆に、デザインは今一つだけどエンジンが素晴らしい『エンジンエンゲル係数』が高いクルマが存在します。そのあたりを見極めていくのがポイントかもしれないですね」 ■今後「旧車のEV化はあり」なのか? 急進的なEVシフトが進む昨今の情勢を鑑みれば、いつかはガソリン車に乗れなくなる時代が来るのかもしれない。 旧車という技術的にも文化的にも貴重な存在を、未来永劫のこしていく一つの手段として「旧車のEV化」は「あり得る」選択肢の一つかもしれない。 また、ガソリン車として残していくためのパーツの供給も同様に盛んなアメリカのアフターマーケット事情にはどことなく羨ましさも感じる。 旧車の保存に関しては数歩先を進んでいるアメリカでのノウハウを、数多くの名車を生み出している日本でもメジャーになっていくことに期待したい。 [ライター・カメラ/加藤ヒロト]  

クルマには「それぞれの時代が反映された魅力と楽しさがある」と思う
旧車の魅力と知識 2022.11.25

クルマには「それぞれの時代が反映された魅力と楽しさがある」と思う

皆さーん! 大好きな愛車の、あるいは欲しい旧車のどこが好きー!? 僕はねー、格好いいとこと、身軽なとこと、適度にゆるいとこと、なにより乗ってて楽しいとこー! いや、ここのところ「旧車は不便を受け入れて乗るものよ」など、ネガティブな発言を続けてしまったので、ここらでポジティブな内容をお送りしたいなと。 というわけで、今回は実際に所有し、数年間、乗り続けたクルマの好きなとこ語りです。 いずれも現愛車S15以前のクルマなので、旧車とみなしても問題ないかと。 ■加速とアクセルレスポンスは、現行車にもひけを取らない3代目プレリュード 免許証を取得後、お仕事の先輩から5万円で購入した、記念すべき最初のクルマである3代目プレリュード。 デートカーとしてあまりに有名ですが、助手席に母親以外の女性を乗せたことはありません。 あとクルマに詳しい方からは、挨拶のように「後輪を曲げてみせて」と話しかけられました。 グレードは廉価の2リッターSOHCモデル。 このSOHC、本気でナメちゃいけません。 1トンちょっとしかない車重もあって、加速とアクセルレスポンスは鋭いことこの上なし。 雨の日に荒っぽい発進をすると、たちまちタイヤは空転します。 このプレリュードに乗ったおかげで「クルマのエンジンはSOHCで十分。むしろエンジンフィールの気持ちよさを売りにするならSOHCが最良だ」という信念が生まれました。 「エンジンのホンダ」の真価と、のちにホンダ車の主流がFFである理由を気付かせてくれた一台でした。 ■運転が楽しいクルマの最高峰! 2代目マーチ 親から譲ってもらった2代目マーチ。 今でも十分に通用する完成されたデザインとインテリアで、累計100万台も売れた、(当時の)日産の救世主。 グレードは廉価の1リッター、ウインドウレギュレーターハンドルくるくるモデル。 個人的に、これまで乗ってきたクルマの中で、1、2位を争うほど運転と操作が楽しかったクルマです。 ちゃんと操作すればMTもスコスコと入るし、1トンを切る車重により出足も良好。 当時のコンパクトカーは上り坂や高速で息をつくものでしたが、MTのおかげで、どんな場面でもパワー不足を感じたことはありません。 道を選ぶことなくキュンキュン走ってくれました。 軽すぎてカーブを曲がっている最中、真横に飛ぶこともあったけど、それもまた楽しかったなぁ(まだ親が乗ることもあったので、急ぎ、タイヤを格上ブランドものに交換しました)。 楽しく運転や操作、高回転まできっちりと回し、適切な回転数で走行することを学ばせてくれた、僕にとって教官的なクルマ。 もし駐車場とかの住居環境が許すなら、今からでも再購入したい一台です。 ■クルマいじりや正しい運転を学ぶのに最適だった古典的FR、6代目シルビア はじめて新車で購入した6代目シルビア。 通称“ツリ目”でグレードはNAエンジンのQ‘sモデル。 シルビアは素人でも色々と手を加えられる、シンプルな古典的FR。 クルマいじりための教本が山ほど売られていました。 くわえてネットオークションの普及により、地方であっても手軽にパーツが購入できるようになった時代。 私も実家の庭の一角を占有し、様々なパーツを付け替えては遊んでいました。 交換したパーツの効果を知るには、正しい運転や操縦の知識が必要と、運転の教本も読みあさっては、試行錯誤をしたころでもあります。 ドライバーとクルマは対話をしながら操作するもので、特にFRはドライバーが我を押し通すと、たやすく関係が破綻すること。 振り返ってプレリュードやマーチが持っていた、ドライバーの技量を受け止めるFFならではの懐の広さを知ることもできました。 S14は移動だけでなく、クルマの知識、クルマいじることによる変化、正しい運転や操作を行うことで、気持ちのいい手応えが返ってくることなど、基礎を学ぶための教材として大いに活躍してくれました。 ■長く乗り続けることで嬉しいことが増えた7代目シルビア 最後に現愛車である7代目シルビア。 グレードはNAエンジンのSpec_Sモデル。 S14よりボディサイズがちょっと小さくなっただけで、ずっと運転しやすくなったことを最初に感じました。 事実、S14のバンパーの四隅には、無数の小傷を作っちゃってましたし。 さっきも記しましたが基本的にはS14と一緒なので、大きな衝撃はなかったのですが、乗っているうちに「乗りやすくなった」ことを実感。 また短期間ですがS13Q‘sを所有していた経験も生きて、“熟成を重ねる意味”を知ることができましたね。 ただ、いいとこばかりではなく、バブル崩壊の影響なのでしょう。 いたるところにコストカット跡があることも分かっちゃったわけですが……。 あと、S15を目にする機会が少なくなったこともあってか、お子さんに「あ、シルビアだ」って指さされることが増えました。 またシルビア系のオーナー間の連帯感も強くなり、すれ違うときに挨拶しあうことも多くなりましたね。 これは地味に嬉しく、楽しい変化です。 ■その時代のクルマならではの魅力が見つけられる 興味はもちろん仕事柄もあり、最新車種を運転する機会もあります。 最新車種は完成度の高さと多くの新しい技術により、さまざまな衝撃や「欲しいな」という意欲を抱かせてくれます。 けれど自身のS15に戻ると「まだまだ、これでいいじゃん。いや、“これが”いいじゃん!」と、あらためてこの時代のクルマが持つ楽しさを再確認させてくれるんですね。 プレリュードから始まりS15まで、それぞれのクルマが持っていた魅力は、クルマを取り巻く環境的な問題により、もう再現できないものだと思っています。 楽しい思い出とともに、それぞれの魅力を知ることができたのは、とてもいい経験でした。 こちらをごらんの皆さんの好きなクルマや欲しいクルマは、必ず、そのクルマだけが持つ魅力や所有することで得られる楽しさ、そして生産された時代の香り秘めています。 それを色濃く感じられるのは、実際に購入を果たしたオーナーだけです。 この記事が、購入を迷うあなたの背を押す力になれば、幸いです。 [画像/日産・ホンダ ライター・カメラ/糸井賢一]

突如やってきた押しかけ女房「デカレディ」!快適装備の実用旧車ライフ
旧車の魅力と知識 2022.11.23

突如やってきた押しかけ女房「デカレディ」!快適装備の実用旧車ライフ

■旧車マニアというけれど ボクは一見、ディープな旧車ライフを楽しんでいる人、に見えるらしい。 事実、所有するクルマはどれも旧い。 フォーマルな席にも使えるようにと考えて選んだ、メルセデスベンツCLKコンプレッサーがボクにとっての最新モデルだが、それでも2008年式だから、一般的には旧いモデルに属するだろう。 でもね、旧いクルマだから好き、というわけではなく、今、魅力を感じるクルマの年式が「旧い」というだけなのだ。 年式やブランド、生産国へのこだわりより、個々のクルマが持つ固有の個性を楽しむのがボク流の趣味人生活。 常時数台のクルマを所有するスタイルを続けているけど、最近ではなぜか旧いのが集まってきているわけだ。 ただ、若いはずだったボクも古希に近づき、そろそろジャンル別に最後のクルマを決める時期。 そこで、お気に入りの80年式サニークーペGX(HB310)と83年式ブルーバードバン(VJ910)を手放し、憧れの1台を迎えるためのプロジェクトを進行しているのだ。 ■なんとなくやってきた「新しい旧車」 ▲逆マンハッタンカラーでノーマルルーフの2by2はかなり少ないと思う。このカラーリングのシルバーとブラックを入れ替わったのがマンハッタンカラーだ そんなとき、突然舞い込んできたのが、ワンオーナー車のGS130型フェアレディ情報だ。 以前、仕事のアシとしてHGS130(280Z)のオートマ車を愛用していた時期があったが、今回のは2000のターボでマニュアル、しかもノーマルルーフの逆マンハッタンカラーでノンレストア車ということ。 本来の計画においての最終追加車は、実用性の高い小型セダンだったが、セダンではないものの2by2だから荷物の置き場に困ることもない。 さらに、他のダットサン系モデルならともかく、フェアレディ属だからムラムラくる。 資金繰りには大きな問題があったが、進行中のプロジェクト完了時に下取りに出す予定のサニークーペとブルーバードバンを先に渡すことを条件に、支払いは後で良いという…。 なんとも甘い悪魔の囁だ。 ということで、資金問題に猶予が与えられてしまったことで気が大きくなったのか、悪魔の囁きに翻弄されたのか不明だが、気がつくとウチには、構想外の「新しい旧車」、83年式フェアレディ2by2 2000ターボ(Z200-T)が、悠然と鎮座していたのだ。 このグレード、日本初のワイドタイヤ215/60-R15を標準としたことでも知られるが、当時サラリーマンだったボクは、その時点での衝撃は覚えていない。 ▲初年度登録1983年8月のワンオーナー車。超ワイドタイヤの元祖らしい ■初期状態の問題点チェックを改善しながらドロ沼へ 1994~97年頃、AT車の79年型280Z 2by2を仕事のアシとして愛用していたボクだが、久々にS130型フェアレディを入手しての第一印象は、過去の記憶からのイメージ以上に「デカイ!!」だった。 5ナンバーサイズだから車幅は1690ミリだけど、長さは4620ミリもある。 少し大きいと感じていた910バンより、50ミリ広く、180ミリ長いだけに存在感もデカイ。 そこで、新参の愛車を「デカレディ」と名付け、ジワジワと状態をチェックする。 購入時、外装は仕上げたのでキレイではあるが、窓枠やドア周りをはじめ、ほぼすべてのゴムが傷んでいることが目につく。 これが最初に見つけた要改善ポイントだ。 さらに、全般にキレイではあるけど、運転席サイドサポート上部が少し擦り切れ、乗り降りの際、中の金属部に触れることも少々気になる。 また、予想はしていたが、リアゲートのダンパーがアウト!! まぁ、根本的な欠陥ではないので、乗りながら、少しずつ改善していけば良いのだが、これが実はドロ沼への入り口なのだ。 ■まずはリアゲートのダンパーとシートの問題から リアゲートは驚異的に重く、ダンパーがアウトでは実用性ゼロなので、モノタロウの汎用品ダンパーでサイズの近いモノを選び、即交換してもらった。 でもね、長さの関係から純正より開口部が狭いし、パワーが強すぎて、リモートオープナーで開けると勢いよく跳ね上がり、閉じる時には大きな力が要求される。 まぁ、我慢すれば使えるけどどうにかできないものかと考えていたとき、フェイスブックで「Fairlady S130 Owner’s Network」というグループを発見したのですぐに入会を申請し、皆さんの対策を教えてもらったわけだ。 そこで得た情報がスバラシイもの。 「テンポイント」というショップで純正タイプの新品が買えるという第1報があり、続いて、アメリカの「Tuff Support」で直輸入がオトクという情報もいただいたのだ。 ボクは、万が一の返品などの手間を考え、国内で対処できるテンポイントに発注。 たまたま在庫切れで、納期には3週間ほどかかったが、到着した商品を見てビックリ!! アメリカのTuff Support社製のダンパーだったからだ。 つまり、どちらに頼んでも同じモノを手にする結果となるわけ。 価格には多少は差があるのだろうけれど、手間とリスクを思えば、国内調達が正解だったとボクは感じている。 で、この商品、手抜きのない純正タイプであり、なんの加工も調整も必要なく、ボルトオンで交換できるから嬉しくなる。 ▲純正タイプのRゲート用ダンパー。アメリカのTuff Support製だが、日本国内にある「テ ンポイント」で扱っている。ボクは楽天市場で見つけた ▲装着作業中…加工の必要がなく、ボルトオンで装着できる ■次のステップはシート 純正シートはかなりソフトタッチだ。 S130型フェアレディは、スポーツカーというより、ゆったりタイプのツーリングカーというイメージが強いクルマなので、それにマッチした仕様にしたのだろう。 だから、代えるのではなく、張り替えるか、穴部分の補修がベストかもしれないが、ボクは硬めのタッチが好きなので、スパルコのセミバケットシートを選択した。 これ、左右両サイドのレバーでリクライニングできるので、車中での仮眠にも便利。 ただ、レールのせいか、ヒップポイントが随分と高くなってしまった。 当然アイポイントも高くなるので、走行中や駐車時の周辺確認は楽。 普段使いの実用車なのだから、むしろ美点といえるかもしれない。 唯一の欠点はシートベルトのショルダー部が安定しないこと。 純正のシートにはシートベルトのサポートみたいなのが付いていたようだけど、ボクのは最初からそれが折れていたので工夫&加工しての流用も不可能。 まぁ、そのうち良いアイデアが湧いてくるでしょう。 ▲ほんの小さな穴だけど、中の金属に時々引っかかるので気になるのだ。スパルコのセミバケットに交換した ■大きな問題のひとつがゴム系パーツ これは、購入時のチェックでわかっていた問題点ではあるけど、現時点で未対策。 強い雨の日に乗ったとき、一時的ではあるものの、結構な水の侵入があったので、早期に対策しないとまずい。 2シーター用のウエザーストリップは、まだ純正が出るようだけど2by2用はなしとのこと。 まぁ何用であれ、加工して置き換えてしまえば機能的解決はできるでしょう。 ■自分のモノにしてみてのファーストインプレッション 新車から39年間ワンオーナーの個体で、走行距離は約13万キロ弱という、ステアリングがモモ製になっていただけの、フルノーマル&ノンレストア車両。 さすがにショックアブソーバは交換歴があるだろうけど、ブッシュやマウントは交換していないらしく、ユッタリとした乗り心地ながら、強めの突き上げを感じることも少なくない。 エンジンはターボチャージャー付きのL20ET型で、Z200-Tというグレードだ。 まだ黎明期だった時代の電子制御インジェクション付きだけど、エンジン始動はイグニッションを捻るだけの「儀式レス」だし、即安定したアイドリング状態を保つから近代的なクルマだ。 そういえば、エアコンもバッチリ効くし、パワーステアリングやパワーウインドウ、リモコンミラーという快適装備も満載。 なんとまぁ楽チンなクルマなんでしょう!! 一歩足を踏み入れたドロ沼は、すぐにズルズルとボクを深みに引き寄せる。 そこで、デカレディを、長距離出張を含めた冬場のメイン車両に任命した。 冬場はもちろんスタッドレスタイヤにするが、サイズは、ボクのデカレディの標準である215/60-R15ではなく、冬用は、他のグレードの標準サイズとなる195/70-14インチを選択した。 以前乗っていた280Zは、3速オートマではあったがトルクフルで、ストップ&ゴーを繰り返す渋滞路でも違和感なく快適だった記憶がある。 今回の2000ターボってやつは、ターボが効きはじめるまでの極低回転域でのトルクが細く、チョロチョロ走るのは苦手なんだなと感じる。 3000回転弱あたりからターボがジンワリと効きはじめるけど、決して速くない。 ヒュイーンという過給機独特の音はするけど、最新ターボ車のようなインパクトはない。 あっ、そういえば、ボクの個体はターボメーターが動かない、交換しなくちゃね。 ■改良はするけれど、機械的にはノーマル状態を保つ予定 まぁ、このGS130型フェアレディは、ボクのファミリーになってまだ2ヶ月。 これから少しずつ改善しながら、ボクにとって、より快適なデカレディに仕上げていく予定だ。 スポーツカーとはいえないけど、乗っているだけでなんとなく頬が緩む可愛いヤツ。 ノーマルルーフのGS130型フェアレディとニヤけた顔のコンビネーションは、これからが本番なのだ。 ▲真横から見ると随分と長い。2by2はカッコ悪いという人が多いようだけど、スポーツワゴンと考えるとカッコイイ! ▲誇らしげなTURBOのエンブレム。ヒューンという独特のターボサウンドを発しながら、重厚な走りを提供してくれる [画像/ボルボ 撮影&ライター/島田和也]

解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からないという話
旧車の魅力と知識 2022.11.20

解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からないという話

最近、TwitterやAmazonの社員に対して人員削減の報道を目にした人も多いだろう。 Twitterにいたっては、新たに同社のオーナーとなったイーロン・マスク氏が社員に向けて「激務か退職か」の選択を迫るメールを送信したとして話題となった。 額面通りに受け取れば、会社に残れば激務が待っているし、退職をすれば(3ヶ月分の給与を受け取れるとはいえ無職だ。 企業のトップとしてはしごく真っ当な判断なんだろう・・・ということは、頭では理解できる。 しかし、これぞまさに現代における踏み絵に思えてならないのだ。 解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からない。 解雇された本人はもちろんのこと、その家族も路頭に迷うことになりかねない。 恥を忍んで告白すると、何を隠そう、私自身、リストラされた経験がある。 だから「身に染みて分かる」のだ。この辛さや絶望が。 それは忘れもしないリーマンショックが日本経済を直撃し、その余波が色濃く残る2009年の春だった。 当時、勤めていた会社にいつものように出社した。 その日は4月下旬に差し掛かった、ゴールデンウィークも間近の金曜日だった。 社内でとくに親しく、そしていまでも付き合いのある上司が昼食に誘ってくれた。 これまで何度も一緒にランチに出掛けたし、それは日常の一コマにすぎないと思っていた。 少なくともこのときまでは・・・。 上司オススメの日替わりランチを食べ終えたころ、不意に「このあと、おそらくリストラされるから」といわれた。 この日の朝、社長を含めた上長会議の際に伝えられたのだという。 いきなりではしんどいだろうから、いまのうちに心の準備だけはしておいてねという、上司なりの配慮だったんだと思う(実際、心の準備ができて良かった)。 事実、前日の木曜日にも解雇予告をされ、この会社を去って行った同僚が数人いた。 それから一日経ち、まさか自分もターゲットになろうとは・・・。 この日も自分を含め、中途採用組の何人かがリストラされるという。 そしてランチから自席に戻り、ほどなくして社長室に呼ばれた。 案の定、解雇予告の通知が差し出され、いますぐサインしろというのだ。 いまとなれば、(ストレートにいうと)刺し違えるだけの度胸も、徹底抗戦する悪知恵も働くのだが、覚悟していたとはいえ、やはり動揺した。 まぁ、もともとこの会社には長くいるつもりはなかったし、遅かれ早かれかなと思い、あっさりとサインをした。 いきなり退職が決まったこともあり、また新規プロジェクトだったため、会社も後任あてがう時間がなかったのだろう。 大した仕事の引き継ぎもできないまま、デスクまわりの片付けをはじめた。 すると件の上司が話し掛けてきて、階段の踊り場で少し雑談をした。 上司のいうとおりにリストラされたこと、新規プロジェクトはいったん凍結されたことを知った。 退職しても付き合いが続くことを約束し、ふたたび自席に戻った(この上司とはいまでも付き合いがあり、数年前にNDロードスターを手に入れたのも完全に自分のせいだといわれた)。 そして定時になり、もうここへも来ることもないだろうし、「短い間でしたがお世話になりました」と挨拶するまでもなく(そこまでお人好しになる必要はもはやないだろうということで)、静かに退社した。 なにしろいきなりのリストラだったこともあり、無理やり押し込められた荷物で、通勤用の鞄はまるで腹を膨らませたフグのようにパンパンに膨らんでいた。 会社都合で退職したのですぐに失業手当が出るとはいえ、30才をすぎていきなりの無職。 しかも、奇しくもこの日は他界した母親の誕生日だった。 そんなわけで、母親の誕生日=リストラ記念日(?)となってしまったのだ。 あー、また転職活動しなきゃだなぁ(このときはまだ独立しようなんて考えはまったくなかった)、リーマンショックで仕事が見つかるかなぁ。 世間は花金で、さらにゴールデンウィーク間近で浮き足立っているなか、不安と絶望に苛まれつつ、電車に揺られて帰宅した。 この年のゴールデンウィークをどう過ごしたのかはまったく覚えていない。 ひとつ、強烈な印象として残っているのは、失業手当を申請するべく、ハローワークに向かったときのことだ。 自分のように失業者が殺到するかもしれない・・・。 そう考えて、早めに自宅を出た。 そしてハローワークに到着すると、失業手当申請待ちの行列ができていた。 すでに15人くらいは並んでいたように思う。 自分が列に並んだあとも続々と失業者が集まりはじめ、最終的には50人を超えたんじゃないかと思う。 無事、失業手当の申請は受理されたのだが、手続きを終えてふとあたりを見回してみると、自分を含めたその場にいる誰もが俯き、そして苛立っていた。 好んでこの場にいる人は誰ひとりとしていない。 誰もが早くこの場から立ち去りたいと思っていることは明白だった。 後にも先にもこれほど負のオーラが蔓延した場に遭遇したことはない。 自分も、早くこの場から逃げだしたかった。 と同時に、このときの光景を目に焼き付けておこうと努めた。 この先、どれほど仕事で嫌なことがあっても、これほどしんどい経験はそうはないだろうと感じたからだ。 リストラされてからわずか半月後、父が病で体調を崩し、入院することとなった。 結果論ではあるが、失業中ということもあって、頻繁に見舞うことができた。 就職活動も並行して行っていたが、思うような結果が出ず、悶々とする日々を過ごしたことを覚えている。 しかし、同じ年の秋に、父が退院して自宅に戻ることはぼほ不可能だと担当医師から告げられた。 その宣告を受けているとき、たまたま電話してきたのが、かつてお世話になった会社の社長だった。 久しぶりの会話だったが、こちらの事情を伝えるとかなり驚いていた。 「とにかく1度会おう」。 こうして久しぶりに社長と再会することとなった。 リストラされ、失業中であることを伝えると、別会社を立ち上げたからそっちを手伝ってくれないかという。 こうしてあれよあれよという間に仕事が決まり、そして父は天国へと旅立っていった。 奇しくも、明日が父の命日だ。 ここから数年間、ラジオ番組制作という、未知の世界に足を踏み入れることとなる。 そして、この数年後に別会社を閉じることになり、勢いだけで独立することになるのだから、人生何が起こるか分からない。 今年の秋、フリーランスから法人成りし、一企業の代表となった(一人親方だけど)。 日本の制度では社員のクビを簡単に切れないことになっているが、仮に切れるようになったとしても、従業員をリストラできるだけの冷酷さが自分にはないような気がする。 繰り返そう。 解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からない・・・。 [余談] 後で知ったのだが、自分がリストラされ、ハローワークで絶望の淵をさまよっていたそのとき、通りを隔てたわずか数百メートル先の建物で妻は仕事をしていたのだという(ハローワークとはまったく別の仕事だ)。 知り合う10年近く前のことだから、お互いの存在など知るよしもない頃だ。 美空ひばりの愛燦燦の歌詞を引用するならば、人生って不思議なものですね。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]        

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