旧車の魅力

206 WRCでプジョーは3連覇を達成! 圧倒的強さを誇った秘密に迫る
旧車の魅力 2024.04.08

206 WRCでプジョーは3連覇を達成! 圧倒的強さを誇った秘密に迫る

プジョー 206 WRCは、2000年という区切りの年からWRCでマニュファクチャラーズタイトル3連覇を果たしたWRカーです。1980年代にWRCを席巻したプジョーが、新たな規定の制定をきっかけに206 WRCで再び功績を残しました。 圧倒的な強さを誇った206 WRCが誕生した背景と、輝かしい戦績を振り返ってみましょう。 ラリーで勝利するために生まれた206 WRC 206 WRCは、残念ながら市販モデルではありません。WRCが新たに定めた規定によって、市販車をレース専用に改造した特別なマシンです。 プジョーのWRC復帰の直接のきっかけでもあるWRカー規定も含めて、206 WRCについて詳しくみていきましょう。 WRカー規定の制定に勝機を求めた206 WRC 1998年にプジョーは、10年以上離れていたWRCへの復帰と参戦車輌である206 WRCを発表しました。1986年のグループB規定の廃止によってプジョーはWRCから撤退していましたが、1997年に新しくWRカー規定が生まれたために復帰を決意します。 グループB廃止後にメイン規定となったグループA規定では改造範囲が限られていたため、ベースの市販車の性能を大幅に向上させる必要がありました。しかも、12ヶ月間で5,000台の生産という厳しい条件も課せられていたため、メーカーにとっては大きな負担だったといえます。 WRカー規定は、グループAへの参戦が難しいメーカーへの救済措置として制定されました。骨格が市販車ベースという点はグループAと同様ですが、改造範囲が大幅に拡大されています。そのほか、高性能車を何千台も生産するという厳しい条件も撤廃。新たに生まれ変わったWRカー規定が、プジョーのWRC復帰の大きなきっかけとなりました。 同じくWRCで活躍した205の後継車206がベース車輌 プジョーが再びWRCに参戦するにあたって選んだクルマは、同年に発表された新型車206でした。206の先代205は、グループB時代のWRCを席巻したモデルです。プジョーが撤退した1986年にも、ライバルのランチアを抑えてマニュファクチャラータイトルを獲得しました。 そして、15年ぶりのモデルチェンジを果たして、1998年に206が登場します。奇しくも、WRカー規定が制定された翌年でした。再びプジョーがWRCの舞台に戻ってくるタイミングとして運命的なものを感じます。 高い技術力で完成した206 WRC 改造範囲の広いWRカー規定に則って制作された206 WRCは、ベース車輌の206から大幅な改造が施されています。搭載する2.0Lターボエンジンの最高出力は300ps、最大トルクは535N・mにも達し、わずか1,230kgという軽量コンパクトなパッケージングに圧倒的な戦闘力をもたせました。 さらに、6速シーケンシャルミッションを備えるXトラック製のギアヤボックスを縦置き配置し、駆動方式を4WDに変更。外観こそ206ですが、中身にはFFコンパクトカーの痕跡はまったくありません。 スペックだけを羅列すると単純に高性能なパーツを搭載しただけに思えますが、コンパクトな206の骨格にすべてを収めるのは至難の業だったはずです。206 WRCが実現したのは、プジョーの高い技術力があったからこそでしょう。 WRCで再度黄金時代を築いたプジョー 206 WRCで再びラリーの舞台に戻ってきたプジョーは、参戦翌年からいきなりドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。 プジョーのWRCでの活躍と、参戦へのこだわりをみせた特別モデルについて紹介します。 マニュファクチャラーズタイトル3連覇を果たす 206 WRCは1999年にスポット参戦で投入されると、翌2000年には早くも実力の高さを証明します。フィンランドのマーカス・グロンホルムの成長もあって、マニュファクチャラーズタイトルとドライバーズタイトルをダブル獲得しました。 2001年にはドライバーズタイトルこそ惜しくも逃すものの、マニュファクチャラーズタイトルを獲得して2連覇を果たします。さらに、2002年にはマーカス・グロンホルムが圧倒的な実力で王者に返り咲き、再びダブルタイトルを獲得するとともに、マニュファクチャラーズタイトル3連覇を達成しました。 規定をクリアするための特別モデル 206 WRCの正式なベース車輌は、限定生産された206GTです。実はベースグレードの206は、最低全長4,000mmとするWRカー規定を満たしていませんでした。そこでプジョーは、最低全長をクリアするために206 S16のバンパーを延長した206GTを発売したのです。 生産台数2,500台(当時)という規定を満たすため、全世界4,000台が限定販売されました。日本国内では50台が販売されたことが、当時のカタログに残っています。 限定車を生産するほどWRCに力をいれていたプジョーですが、マーケティング的な成功につながりました。WRCで無類の強さを誇っていた2002年には206の日本国内の販売台数は8,234台にも達し、翌2003年には累計販売台数3万台を達成しています。 206 WRCの成功は以降のモデルにも影響を与えた 206 WRCの成功は、以降のプジョーのラインアップにも大きな影響を与えます。プジョーの最小モデルは、1.2Lで100㎰足らずと今でこそ大人しいキャラクターですが、2世代後の208までは200psオーバーの1.6L・直列4気筒直噴ターボエンジンに6速MTを組み合わせたハイパフォーマンスモデル、208GTiが設定されていました。1998年に生まれた206 WRCのDNAが、2010年代後半まで続いていたということです。 また、「206 WRC」は、ルールこそ違うものの現在の「Rally1」にも通じるものがあります。普通に街を走っているコンパクトカーが、ラリーで活躍するという新たな常識を作ったクルマです。

RE雨宮が手掛けたロータリーエンジン搭載のマツダ シャンテの衝撃とは?! 今も語り継がれる伝説に迫る
旧車の魅力 2024.03.28

RE雨宮が手掛けたロータリーエンジン搭載のマツダ シャンテの衝撃とは?! 今も語り継がれる伝説に迫る

レトロデザインがかわいらしいマツダ シャンテにロータリーエンジンを載せた「RE雨宮ロータリーシャンテ」。軽量でコンパクトなロータリーエンジンを車重の軽い軽自動車に搭載した、大排気量の欧州スポーツカーとも渡り合えるマシンです。 RE雨宮の伝説の1つでもあるロータリーシャンテの魅力を振り返ってみましょう。 RE雨宮がチューニングした史上初のロータリー軽自動車シャンテ レシプロエンジンに比べて軽量でコンパクトに設計されているロータリーエンジンですが、ロータリーシャンテが製作された当時は軽自動車に搭載した例はありませんでした。現在でさえ、軽自動車へのロータリーエンジン搭載例はわずかしかありません。 史上初のロータリー軽自動車となったシャンテと、RE雨宮の高い技術力について詳しく紹介します。 軽自動車なのに最高速度240.48km/hを記録 ノーマル車輌の車重480kgのシャンテにマツダが誇る12A型ロータリーエンジンを搭載したロータリーシャンテは、最高速トライアルで有名な谷田部テストコースでなんと最高速度240.48km/hを記録しました。 ロータリーエンジン専門のチューニングショップだったRE雨宮は、遊び心で軽自動車のシャンテのロータリー化を計画。そして、ついに1981年に世界初のロータリーエンジン搭載軽自動車、ロータリーシャンテを完成させます。 軽くて小型なロータリーエンジンとはいえ、軽自動車規格のなかでもコンパクトなシャンテに搭載するのはかなり大変だったようです。しかし、RX-3のフロントメンバーを移植、サイズの小さい10A型のトランスミッションを使用するなど、RE雨宮が技術力を尽くして見事に実現させました。 また、油圧式クラッチへの変更、RX-7用のトルクロッドの追加、ゼロヨン用のタイヤの採用など、180psといわれる高出力に耐えられるようさまざまな工夫もされています。 すべてにおいてオンリーワンだったRE雨宮 RE雨宮は、国内のみならず世界的にもほとんど例のないロータリーエンジン専門のチューニングメーカーです。さらに、RE雨宮が創業した1974年当時は現在よりも改造車に対する規制が厳しく、個人経営のチューニングショップはまだ少ない時代でした。 世界初のロータリーエンジン搭載車コスモスポーツをマツダが発売してからわずか7年で、完成度の高いチューニング車を制作していたのは驚くべきことです。日本のチューニングショップ黎明期に、ロータリーエンジン専門店として登場したRE雨宮は、まさにオンリーワンの存在でした。 ポテンシャルは十分あったマツダ シャンテ ロータリーシャンテが成功したのは、シャンテがクルマとしての十分なポテンシャルを秘めていたためだといわれています。実際、マツダもシャンテにロータリーエンジンを搭載する計画を立てていました。 当時の軽自動車の多くには、開発技術の問題もあってRR(リアエンジン・リアドライブ)のレイアウトが採用されていました。先代キャロルもRRでしたが、マツダはシャンテでFR(フロントエンジン・リアドライブ)を採用。また、ロングホイールベースとしたことで、安定性も向上させました。 軽量でコンパクト、FR、ロングホイールベースというスポーツカーにとって重要な要素を併せもったクルマだったことが、ロータリーエンジンの力を最大限に引き出す大きな要因でした。 現在も根強いファンに支持されるロータリー シャンテ RE雨宮が製作したロータリー シャンテは、登場当時はもちろん現在も多くのファンから根強い人気を集めるチューニングカーです。 当時の人気アニメにも登場した、ロータリー シャンテへの注目度の高さを紹介します。 人気アニメ「よろしくメカドック」に登場 ロータリーシャンテは、人気アニメ「よろしくメカドック」にも登場したことでも有名です。「よろしくメカドック」は、チューニングカーへの関心の高まりを背景に子ども向けアニメとして放送されていました。しかも、劇中に少し登場というわけではなく、1話分のエピソードとしてロータリーシャンテが取り上げられています。 個人経営のチューニングショップが製作したロータリーシャンテですが、アニメの題材にまで取り上げられているのには驚きです。なお、RE雨宮を創業した雨宮 勇美氏も「霜宮 勇美」という名前で登場しています。 最近の東京オートサロンにも出展された ロータリーシャンテの登場は今から40年以上前ですが、新しく製作された車輌が現在でも東京オートサロンに出展されています。まず、2016年にオリジナルを製作したRE雨宮が、実質3号機としてイチから製作したロータリーシャンテが出展されて話題になりました。 さらに、2023年には郷田板金が製作した、13B型エンジン搭載のロータリー シャンテも出展されました。オリジナルを製作した雨宮氏のアドバイスを受けながら、極端なオーバーフェンダーの個性的なロータリーシャンテに仕上げてられています。 芸人の佐田正樹さんは現役でシャンテに乗る レトロデザインが魅力のマツダ シャンテは、オリジナルモデルも多くのファンに愛されています。クルマ好きで知られるお笑いコンビ・バッドボーイズの佐田正樹さんは、自身が所有するシャンテのカスタマイズをYoutubeで公開。また、郷田板金が製作したロータリーシャンテも、同氏のYoutubeチャンネルで紹介されています。 佐田さんが所有するシャンテは、実際に公道を走行できる状態に仕上げられている点が素晴らしいポイントです。オリジナルの外観を保ちつつ、40年以上が経過した今も現役で走行している姿からシャンテの完成度の高さがうかがえます。 マツダ シャンテはRE雨宮によって完成された 前述のとおり、シャンテは当初ロータリーエンジンを搭載する前提で開発されていました。しかし、排気量に制限のある軽自動車で、ロータリーエンジンの排気量換算が問題になって計画は頓挫します。同排気量のレシプロエンジンでは及ばない高出力化が可能なロータリーエンジンだっただけに、ライバル社からの圧力もあったのかもしれません。 販売終了後にはなったものの、RE雨宮がロータリーエンジンを搭載したことでシャンテはようやく完成したといえます。しかも、マツダはシングルローターの搭載を予定したため、2ローターの12Aは当初計画を上回るハイスペックマシンに仕上がりました。

てんかんの発作があると免許は返納しなければならないのか解説
旧車の魅力 2024.03.22

てんかんの発作があると免許は返納しなければならないのか解説

突然意識を失ったり、痙攣したりすることがある「てんかん」の方は、運転免許の取得ができないのでしょうか。また、既に免許を取得していて、てんかん発作が再発するようになった場合、免許の返納が必要なのでしょうか。今回は、てんかんの症状がある方の運転免許について解説します。 そもそも「てんかん」とは? てんかんとは、脳の神経細胞の過剰な電気活動が原因で起こる発作です。てんかんの症状には、意識を失う、全身の痙攣、突然倒れるなどがあります。また、てんかんの発作はいつ、どこで起きるかわかりません。そのため、運転免許を取得できない場合があります。ただし、発作が再発するおそれがない場合は、運転免許の取得が可能です。また、発作が再発しても、意識障害や運動障害とならない場合や睡眠中に限り発作が再発する場合は、運転免許の取得ができます。ただし、てんかんの人が運転してもよいかどうかは医師が判断します。 てんかんのある人は免許返納が必要? てんかんの症状がある人は、運転免許の返納を希望するのであれば、返納した方がよいでしょう。警察庁のホームページによると、てんかんのような意識障害や運動障害をもたらす病気を持つ方は、免許の拒否や留保、拒否や取り消しの対象になると公表されています。運転中に意識障害や運動障害になると、交通事故を起こしたり、車を暴走させたりする可能性が高いです。そのため、てんかんの発作が再発するようになったら医師の診断を受け、運転を継続して問題ないか相談し、必要に応じて自主返納を検討するとよいでしょう。 免許取消後に再取得はできる? てんかんを理由に免許が取り消された場合は、再取得が可能です。警察庁が公表している情報によると、てんかんを理由に免許を取り消された人が、その後、病気の回復などにより免許を再取得しようとした場合、免許が取り消された日から3年以内であれば試験の一部が免除されると公表されています。ただし、免許の再取得をしようとする人が、免許を取り消された日の直近に提出した質問票等について、虚偽の記載をして提出した場合は試験の一部免除の対象外となります。 違反した場合はどうなる? てんかんの症状や発作があるにもかかわらず、質問票に虚偽の申告をして免許を取得したり、てんかんの発作があることを知りながら事故を起こしたりした場合、罰則が科せられることがあります。また、死傷事故を起こすと、刑罰が重くなります。そのため、質問票には正しく回答しましょう。また、過去にてんかんの発作を起こしたことがある人は、医師や警察の窓口で事前に相談することをおすすめします。 てんかんがある状態で運転することの問題点 てんかんの症状がある状態で運転すると、交通事故を起こすリスクが高まったり、自分の周りの人に迷惑をかけてしまったりすることがあります。ここからは、てんかんの症状や発作があると運転にどのような影響を及ぼすのか解説します。 事故を起こすリスクが非常に高い 運転中に意識障害や運動障害などのてんかん発作が起きると、交通事故を起こしてしまう可能性があります。てんかんの発作が起きているときは、本人の意識がないことがほとんどであるため、発作が落ち着いたときには、取り返しのつかない状態になっていることが多いでしょう。自分の身を守るだけでなく、周囲の人の安全のためにも、てんかんの症状や発作がある時は運転を控えるようにしましょう。 人の命を奪うこともある てんかん発作は、痙攣や脱力などが起き、運動能力が正しく機能しないことが多いです。意識が失くなると車の操作が正しく行われず、周囲の車やバイク、自転車や歩行者を巻き込む事故に発展する可能性もあります。また、運動障害により車が暴走すると、死傷者を出してしまう大事故になりかねません。てんかん発作があったり、頻繁に症状が現れたりしているときは、運転をしないようにしましょう。 関係者が二次被害を受ける恐れがある てんかんであることを知りながら、車の運転をして事故を起こしてしまった場合、職場や家族などの関係者に迷惑がかかります。自分に関係する人に心配と迷惑をかけないためにも、てんかんがあることを隠さずに申告しておきましょう。また、てんかんの症状や発作が再発したときは、速やかに関係者に報告しておくことが大切です。

メルセデス・ベンツの歴代Sクラスでもっとも売れたW126型! バブル時代の象徴560SELの魅力に迫る
旧車の魅力 2024.03.19

メルセデス・ベンツの歴代Sクラスでもっとも売れたW126型! バブル時代の象徴560SELの魅力に迫る

バブル景気に日本中がわいていた1980年代に、成功者の象徴として誰もが憧れたメルセデス・ベンツ 560SEL。Sクラスのフルモデルチェンジによって投入された最上位グレードの560SELは、見た目、性能面ともに文字通り世界最高のサルーンでした。 Sクラスとしてもっとも売れたW126型とともに、560SELについて詳しく紹介します。 560SELを含む2代目Sクラスはメルセデス・ベンツ史上に残るモデル Sクラス初のフルモデルチェンジで登場した560SELを含むW126型は、販売台数、モデルライフともにメルセデス・ベンツ史上に残る記録を残しました。 2代目Sクラスとともに、560SELの誕生の歴史を振り返ってみましょう。 登場から12年間も販売されたW126型 メルセデス・ベンツは、1979年に2代目のSクラスとしてW126型を投入します。最高峰のエグゼクティブサルーンとして1972年に初代が誕生して以来、実に7年ぶりとなるフルモデルチェンジでした。W126型は完成度の高さから広く人気を集め、1991年の販売終了まで12年間も販売されるロングセラーモデルに成長。日本国内では途中のマイナーチェンジを経ていわゆる後期型として、3L直6エンジンの300SE、4.2L V8エンジンの420SEL、そして5.6L V8エンジンを積む最高峰の560SELの3モデルが販売されました。 先代のW116型で世界の富裕層から支持を集めたSクラスですが、2代目のW126型は高い評価を確固たるものにしたモデルです。高級車というユーザーの限られるモデルにも関わらず、89万2,123台というSクラス歴代最高の販売台数を記録しました。 迫力の5.6Lエンジンを搭載する最高峰モデル560SEL 高級車であるSクラスのなかでも、最高峰に位置づけられていたのが560SELです。搭載される5,546ccもの大排気量のV8エンジンは、最高出力285psを発揮。(当初は245ps)大型エンジン特有のトルクフルな加速感とロードホールディング性能の高さによって、大柄なボディながら爽快感のある安定した走りを誰もが楽しめました。 560SELは成功者だけが手にできるプレミアムカー 560SELの当時の新車価格は、なんと1,300万円以上。バブル景気で豊かになってきていた時期だったとはいえ、日本国内でも限られた成功者を象徴する憧れのクルマだったようです。 ここからは、Sクラスの最上位グレードに位置する560SELの魅力に迫ります。 マイナーチェンジのタイミングがバブルと合致 W126型Sクラスは、1985年に最初で最後のマイナーチェンジを実施します。折しも日本はバブル景気の真っ只中だったということもあり、成功者が手にするクルマとしてさらに注目が集まりました。 日本国内において、このマイナーチェンジのインパクトが大きかった理由は、大幅なエンジンの出力アップです。排ガス規制の関係で当初は245psに抑えられていた最高出力が、マイナーチェンジによって285psにまで引き上げられました。 最高出力の向上も含めて、全体的に高級感をさらに増す方向で各部が変更されています。当時のメルセデス・ベンツの象徴でもあった「サッコプレート」と呼ばれるボディ下部の樹脂パネルのデザインを前後バンパーの形状と合わせて変更。さらに、ホイールサイズを14インチから15インチにアップし、クルマとしての価値が高められました。 高級感だけでなく燃費性能と安全性能にもこだわっていた 高級車にふさわしい重厚感のあるW126ですが、実はW116よりも全幅が縮小されています。縮小した理由は、軽量化も含めて燃費性能の向上です。さらに、デザインの変更は空力特性にまで及び、空気抵抗を表すCd値は当時としてはかなり低い0.36を実現していました。 また、W126では、安全性を高める工夫も随所に凝らされています。先代のモデル末期に採用したABSに加えて、運転席のエアバッグを市販車として世界で初めて装備。現在では世界標準ともいえる仕様ですが、当時は最先端の安全装備でした。ただ高級に作られただけではなく、燃費や安全性といった面でも世界最高水準で開発されていたことがわかります。 最高峰をさらに特別にするチューニングモデルも存在 560SELはメルセデス・ベンツ最高峰のSクラスの最上位グレードということで、名実ともに当時世界最高のクルマです。しかし、さらに特別感のあるモデルとして販売されていた560SELがありました。ドイツの有名チューニングメーカー、AMG、ケーニッヒ、ロリンザーがそれぞれ発売した、560SELのチューニングモデルです。 特に人気が高かったのは、メルセデス・ベンツとの関係性が深かったAMGのモデルです。専用開発のフロントバンパーは、ローダウンスプリングで下げられた車高と相まって迫力十分。サイドスカートなど細部にわたってチューニングが施されていて、AMGの560SELは今でも高い価値を保っています。AMG 560SEL 6.0-4Vに、600万円もの買取価格がつけられた実績もあるほどです。 当時の憧れもあって人気の衰えない560SEL 当時世界最高峰を誇った560SELは、AMGやケーニッヒといった特別なチューニングモデルのみならず、現在でもネオクラシックカーとして市場からの人気を集めています。メルセデス・ベンツの誇る最高の技術が投入されているだけあって、40年前に設計されたとは思えない作りのよさも魅力です。 当時は高くて購入できなかった方も、中古車であれば手の届く個体もあるかもしれません。ぜひ憧れの560SELを探してみてはいかがでしょうか。ただし、いかに精巧に作られている560SELでも、新車発売から40年以上が経過しているため少なからず不具合のあることもあります。特に低年式の560SELを購入する際は、車の状態に十分注意しましょう。 また、560SELを売却する際は、旧車専門の業者に査定してもらうことをおすすめします。前後期の違いやチューニングの仕様など細かな違いを正しく評価できる業者であれば、適正価格を提示してもらえるでしょう。

歴史を作ったトヨタ TE27の魅力とは? レビンとトレノの違いや開発背景を徹底紹介
旧車の魅力 2024.03.14

歴史を作ったトヨタ TE27の魅力とは? レビンとトレノの違いや開発背景を徹底紹介

ハチロクの通称で知られ、自動車ファンのみならず幅広い層の支持を集める昭和の名車トヨタ AE86。大ヒットを記録したAE86につながったのが、レビン/トレノの初代モデルであるTE27です。 絶対的なパワーや性能はないのに、ドライバーに走る楽しさを教えてくれるというAE86の素性は、TE27ですでに実現されていました。高度経済成長期真っ只中に誕生したTE27レビントレノの歴史を振り返ってみましょう。 テンロクスポーツというジャンルを切り開いたTE27 トヨタ TE27 レビン/トレノ(以下TE27)は、“テンロクスポーツ”の先駆け的な存在です。テンロクスポーツとは、軽量コンパクトながら高効率の1.6Lエンジンを搭載し、胸のすくような走りを楽しめるスポーツモデル。特に1980年代後半〜1990年代にかけて、自動車メーカー各社の競争が激化していたカテゴリーです。 TE27の開発背景とレビン、トレノの違いやラインナップなどを詳しく紹介します。 大衆でも手の届くスポーツカー TE27が登場したのは、高度経済成長末期の1972年です。庶民でも自動車を購入できる時代に入り、大衆車として地位を確立したカローラ/スプリンターの2代目を発売するにあたって、同車種のスポーツモデルとして開発されました。 豊かになったとはいえ、用途の限られる本格的スポーツカーは高嶺の花。若者でも手の届く価格に抑えた小型車サイズで、手軽に楽しめる“スポーツカー”としてTE27は人気を集めました。 レビンとトレノの違いは見た目だけではない TE27 レビンとトレノは、姉妹車として多くの共通コンポーネントが使用されており、違いはそれほど大きくありません。主な違いは、前後ライト周りの形状やフロントマスクの意匠です。しかし、トヨタはそれぞれに明確な個性をもたせて開発しています。 実際、全長3,955mmのレビンに対してトレノは3,970mmと15mm長くなっています。さらに、車重もレビンは855kgで、トレノは10kg重い865kgです。実はボンネットやフロントフェンダーは別物で、さらにエアダクト裏のスリットもレビンとトレノで別形状です。 また、設定されたボディカラーもトレノとレビンで異なります。「モンテローザオレンジ」と「インディアナポリスオリーブ」と呼ばれるダークグリーンの2色がレビン。トレノには「ヘイトアッシュベリーオレンジ」と「デイトナオリーブ」のレビンと同系色ながら別のボディカラーが設定されました。 幅広い層に届けるため下位グレードも設定 TE27は発売の翌年に、「レビンJ」と「トレノJ」を追加します。いずれもエンジンやサスペンションなどの低コスト化を図った下位グレードながら、オーバーフェンダーなどの外観は受け継いだモデルです。 性能を追求しないユーザーでも、スポーツモデルのスタイリングを比較的安価に楽しめるように設計されました。下位グレードを設定する手法は、実はAE86以降のレビン/トレノでも採用されており、レビトレの伝統の一つでもあります。たとえば、名機4A-G型エンジンを搭載するAE86に対して、廉価版のAE85には3Aエンジンが搭載されていました。 レビトレらしさとして定着した爽快な走り レビン/トレノのイメージは、軽量な車重と高回転型エンジンによるきびきびとした走りです。実はこのイメージは初代TE27によって決定づけられ、レビトレの伝統とされました。 高性能エンジンとチューニングカーを思わせるオーバーフェンダー、さらには締め上げられた足回りと、TE27はシリーズ初代にもかかわらず徹底して作り込まれたモデルです。その魅力の一部を紹介しましょう。 上位車から移植した2TーGエンジン TE27のエンジンに採用されたのは、セリカ1600GTに搭載され評価の高かった1.6Lの2T-G型エンジンでした。トヨタの量産DOHCエンジンの先駆けだった2T-G型は、最高出力115ps、最大トルク14.5kgmを発揮する高回転型の高性能エンジンです。セリカよりボディサイズが小さく車重の軽いTE27では、最高時速190km/h(メーカー発表)の高いパフォーマンスを発揮しました。 軽い車重によく回るエンジンを搭載しドライバーの意のままに操るレビン/トレノ伝統の爽快な走りは、初代のTE27から続く系譜だったのです。英語(古語)で「稲妻」を意味する「LEVIN(レビン)」、スペイン語で「雷鳴」を意味する「TRUENO(トレノ)」のイメージにふさわしい、爽快な走りを楽しめました。 トヨタ市販車史上初のオーバーフェンダー TE27の外観上で最大の特徴は、4輪全てに装着されたオーバーフェンダーです。しかも、FRP製というチューニングカーさながらの仕様を、トヨタ市販車で初めて採用しました。 純正でも当時としては幅広い175/70HR13のタイヤを装着していましたが、さらに幅広いタイヤの使用も視野にいれていたのでしょう。スタイリングのインパクトだけではなく、幅広いタイヤで2T-Gエンジンのパワーを余すことなく路面に伝え、大衆車カローラ/スプリンターのスポーツモデルとは思えないほどの力強い走りを実現しました。 50年以上が経過してもなお高い人気 TE27 レビン/トレノの登場からすでに50年以上が経過していますが、今もなお高い人気を集めるモデルの一つです。AE86の人気の高さはいうまでもありませんが、シリーズの性格を決定づけたTE27にも根強いファンが存在しています。 また、ドリフトやサーキット走行などで酷使されたAE86に比べ、TE27は比較的状態の良い個体も残っています。中古車市場では、絶対的な残存数が減少し希少性が高まっていることもあり、AE86よりも高い評価になるケースも少なくありません。 ただし、50年以上前のクルマということを考えると、TE27の購入や売却を検討する際は専門性の高い業者の選定をおすすめします。特に売却する際は、仕様や状態を正しく見極められないと、正当な買取額にならないケースも少なくありません。旧車の取り扱いに慣れている業者に相談して、TE27本来の価値を査定してもらいましょう。 ※経過年数などは2023年8月執筆当時

日産 スカイライン 2000GTターボはGT-Rの再来!? 西部警察にも登場した懐かしいモデルを振り返る
旧車の魅力 2024.03.12

日産 スカイライン 2000GTターボはGT-Rの再来!? 西部警察にも登場した懐かしいモデルを振り返る

環境規制に適合しつつ、圧倒的なハイパフォーマンスを誇ったスカイライン 2000GTターボ。5代目スカイラインの追加モデルとして、当時の日産が満を持して投入しました。 性能面で遅れをとっていた5代目スカイラインの評判を一気に挽回した、スカイライン 2000GTターボについて詳しく振り返ってみましょう。 「ジャパン」の愛称で呼ばれた5代目スカイライン スカイライン 2000GTは、5代目スカイラインの上位モデルとして1977年に登場しました。「日本の風土が生んだ名車」としての誇りを込めた「SKYLINE JAPAN」の名を冠していたことから、世間では「ジャパン」の愛称で親しまれるようになります。 しかし、実はフルモデルチェンジを行った1977年にはラインナップにターボモデルはありませんでした。5代目スカイラインの真打ちともいえる、スカイライン 2000GTターボの誕生について振り返ってみましょう。 GT-Rの再来と呼ばれたスカイライン 2000GTターボ スカイライン 2000GTターボがラインナップに追加されたのは、マイナーチェンジを行った翌年の1980年です。5代目スカイラインでは高性能グレード「GT-R」が設定されていなかったため、ターボモデルの追加はGT-Rの再来を感じさせました。 また、前年のマイナーチェンジで大きく変更された外観も、スカイライン2000GTターボの魅力をより際立たせています。歴代スカイラインで受け継がれてきた丸目4灯のヘッドライトを、現代的で洗練された角目2灯に刷新。性能、デザインともに国産最高峰のGTカーと呼べる存在でした。 日産3車種目のターボ車として充実したラインナップ スカイライン 2000GTターボは、日産にとって3車種目の量産ターボ車です。しかも、量産車としてはターボチャージャーはまだ特別な存在でしたが、一部のスポーツモデルだけでなく幅広いラインナップが用意されます。特に、AT車にターボを搭載したのは、国産車で初めての試みでした。 まず、セダンとハードトップの2タイプのボディを用意し、それぞれGT-E、GT-E L、GT-E・X、GT-E・Sの4グレードを設定。合計8モデルもライナップしたところから、日産にとってスカイライン 2000GTターボが重要だったことがわかります。ターボの高い性能を存分に発揮するのは、2ドアハードトップのスポーツグレードGT-E・Sですが、さまざまなユーザーがスカイライン 2000GTターボの力強い走りを堪能しました。 燃費とハイパフォーマンスを両立 スカイライン 2000GTターボは、高出力だけでなく「低燃費」「低公害」も掲げていました。当時世界一厳しいといわれた昭和53年(1978年)の排ガス規制が施行されるなど、時代背景として環境性能は重要なポイントだったためです。実際、5代目スカイラインに当初高性能モデルが投入できなかったのは、排ガス規制への対応が難しかったことも一因といわれています。 「“省燃費”と“高性能”を両立させた夢のエンジニアリング」というキャッチコピーで、日産はターボの魅力をアピール。従来捨てていた排気ガスの圧力を高出力化に利用するターボエンジンは、環境性能との両立を図るうえで理想的な機構でした。 圧倒的な個性を放っていたスカイライン 2000GTターボ 直接のライバル車だったトヨタ セリカが、「名ばかりのGT達は、道を開ける。」というキャッチコピーを掲げるほど5代目スカイラインは性能面で水をあけられていました。しかし、ターボ車の登場で、スカイラインは本来の輝きを取り戻します。 当時の大人気ドラマ「西部警察」にも登場した、スカイライン 2000GTターボの魅力をみていきましょう。 レーシングカー開発の経験がフィードバックされたターボ スカイライン 2000GTターボのエンジンが高性能だったのは、日産が開発にあたっていたレーシングカーR383の技術が盛り込まれていたためです。自然吸気だったL20E型エンジンにターボを搭載したL20E-T型エンジンは、最高出力145ps、最大トルクに至ってはライバルのセリカを圧倒的に凌駕する21.0kg・mを発揮します。 点火時期を最適化する電子制御式のノックセンサーや専用設定のニッサンEGI(電子制御燃料噴射装置)など、先進の技術が注ぎ込まれていました。 スパルタンな印象のインパネがかっこいい インパネとメーターパネルは、スカイライン 2000GTターボ用に刷新されました。デザイン上の最大の特徴は、水平ゼロ指針に統一された各種メーターです。速度計や回転計に加えて、ターボ搭載モデルであることを象徴するブースト計などの4つのメーター全てが水平ゼロ指針で整然と並ぶデザインは、よりスパルタンな印象を演出しています。 西部警察の劇中車として登場 スカイライン 2000GTターボの話題として外せないのが、当時の大ヒットドラマ「西部警察」の劇中車として登場した特別車です。マシンXと呼ばれたこの車輌には、渡哲也のこだわりが詰まっています。犯人追跡用のペイント弾発射装置やリモコン操作可能な大型サーチライトなどの劇中の特別装備だけでなく、カンパニョーロ製スカイライン専用ホイール、レカロシート、ナルディステアリングを装備し、単純なカスタムカーとしても高い完成度を誇っていました。 「ジャパン」のなかでも人気の高いターボシリーズ モデルチェンジ当初は高性能車を投入できず、不遇だった5代目スカイラインジャパン。しかし、スカイライン 2000GTターボの登場によってライバル車の挑発や世間の評価をひっくり返しました。現在でも高い人気を誇る旧車の1つで、旧車王でも、2ドアハードトップの2000ターボGT-E・Sを280万円で買取しました。2000GTターボは西部警察の劇中車だったというだけでなく、旧車としても高い価値のあるモデルといえます。 ただし、発売から40年以上が経過したクルマのため、市場での流通量は年々減少している点に注意が必要です。流動性の低い車種は正しく査定されないこともあるため、売却する際は旧車専門の買取業者に相談することをおすすめします。

メルセデスベンツ SLクラスの方向性を決定づけた? 旧車世代のR107・R129・R230を振り返る
旧車の魅力 2024.02.28

メルセデスベンツ SLクラスの方向性を決定づけた? 旧車世代のR107・R129・R230を振り返る

R129を始めとする旧車世代のメルセデスベンツ SLクラスは、オープン2シーターというスポーツカテゴリのクルマながら、クラシックカー独特の優雅さも兼ね備えたモデルです。 現在でも7代目が販売されている人気のSLクラスですが、実は1971年以降に登場したモデルによって今の方向性が決定づけられました。 SLクラスの大きな転機となった旧車世代のR107・R129・R230について振り返ってみましょう。 70年以上前に登場したSLクラス メルセデスベンツ SLクラスは、今から70年以上前に登場しました。プロトタイプレーシングカーとして開発された300SLに対して、アメリカの輸入車ディーラーが熱心に説得して市販化を実現したのがSLシリーズの始まりです。 当初「軽量スポーツカー」という位置づけで登場したSLクラスが、時代の変遷とともにラグジュアリー方向に転換していった歴史を振り返ってみましょう。 2シーターオープンスポーツ最高峰モデルのSLクラス メルセデスベンツ SLクラスは、2シーターオープンスポーツの最高峰モデルとして1954年に誕生しました。「SL」とは「Sport Leicht(シュポルト・ライヒト)」の頭文字で、ドイツ語で軽量スポーツカーという意味です。特に初代の300SLは、ガルウィングを備えたスポーティーで先進的なスタイリングでした。 1963年のフルモデルチェンジで2代目となっていたSLクラスですが、1971年に登場した3代目のR107型で大きな路線変更が果たされました。2シーターオープンスポーツという本来のコンセプトは継承しつつ、より大柄で豪華な風貌に生まれ変わります。「Sport Leicht」から「Sport Laxualy」への転換が図られたのです。 旧車世代と呼ばれるSLクラスは3世代 1971年のフルモデルチェンジで大きな路線変更を果たしたSLクラスは、旧車世代と呼ばれる2000年代初頭までに合計3モデルが登場しました。 スポーツラグジュアリーへの方向転換とともに、3モデルとも当時最先端の技術を取り入れながら世界最高峰のロードスターと呼ぶにふさわしい進化を遂げます。特にイタリア人デザイナー、ブルーノ・サッコ氏の最高傑作とも呼ばれる1989年に登場した4代目SLのR129は、数々の先進装備が搭載されており人気の高いモデルです。 個性はそれぞれ違う旧車世代のSL ラグジュアリー方向へと舵を切ったSLクラスの方向性を決定づけたのが、1971年から2001年までに登場した旧車世代の3モデルです。 R107・R129・R230それぞれの魅力を紹介します。 コストプラス方式で開発されたR129 R129は、モデルライフが比較的長かったR107の後継モデルとして1989年に登場しました。SLクラスとしては4世代目のR129は、コストプラス方式で開発された最後のモデルといわれています。コストプラス方式とは、従来モデルよりも大幅な価格上昇を伴う開発方式です。世界最高峰を目指すべく、性能面、機能面ともに過剰なほどの技術と装備が投入されました。 また、ブルーノ・サッコ氏による流麗で機能的なボディデザインもR129の魅力の1つです。空力効率まで考えたウェッジシェイプデザインとしたことで、スポーツとラグジュアリーを見事に融合させました。さらに、5種類のモーターを使用するパワーシートや、標準装備された電動格納式のソフトトップなどラグジュアリー車にふさわしく快適性を高める装備も充実しています。 安全装備の面では、車輌が姿勢を崩した際にわずか0.3秒でポップアップして乗員を守る、「オートマチック・ロールバー」が目玉の1つです。耐荷重5トンのU字型のスチールチューブに加え、ボディ側にも3層の高強度材を使用してオープンモデルで課題になる安全性を高めています。 スポーツラグジュアリー車ということで、走行性能に関連する装備にも手抜かりはありません。ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)やトラクションコントロールといった電子デバイスに加え、スポーツ走行に欠かせない電子制御式のLSD(リミテッドスリップ・ディファレンシャル)まで備えています。 販売期間の長かったR107 ボディを大型化し、モデルの方向性を大きく変更したR107は、1971年の登場からR129の登場まで実に18年間も販売されました。 一般的にオープン2シーターは、大きくわけて2つの方向性のモデルがあります。マツダ ロードスターのようにスポーツカーとしての運動性能を重視したモデルと、運動性能よりもオープンであることのゆとりや開放感、優雅さを求めるモデルです。 それまでのSLクラスは、前者のように運動性能を重視して小型軽量に作られていました。しかし、R107では後者の方向性へと転換し、エレガントさを追い求める性格へと進化。ホイールベースは先代よりも60mmほど拡張されるなど、全体にゆとりのある優雅さのあるスタイリングに仕上がっています。 全長は4,380mmと現代の基準から考えるとコンパクトではありますが、以後のSLクラスの方向性に大きな影響を与えた重要なモデルです。 現代的に進化したR230 2001年にSLクラス5代目として登場したR230は、R129の方向性にならって正統進化したモデルです。大型の楕円を組み合わせた特徴的なフロントフェイスに変更されているものの、優雅さのあるウェッジシェイプは踏襲されています。 装備面では、バリオルーフと呼ばれる電動格納式のハードトップが話題になりました。R129でラインナップされていた、ソフトトップと着脱式のハードトップは廃止されています。SLクラスはオープンスタイルが基本ですが、電動格納式のハードトップを閉めたクーペスタイルもエレガントです。 旧車世代のSLクラスに乗るなら慎重に探したい 当時のメルセデスベンツ SLクラスは、比較的日本国内でも流通していました。特にR129の販売時期はバブル景気にわいていた頃だったため、本来なら十分な個体が国内にも残っているはずです。しかし、状態の良い車輌はバブル崩壊とともに海外に流出したとの話もあり、中古車を購入する際には状態の慎重な確認をおすすめします。 一方で、売却の際には、正しく査定してもらうことで思わぬ価格で買い取ってもらえる可能性もあります。ただし、年式や走行距離だけでなく、車としての価値や状態まで正確に見極められる経験豊富な専門業者にご相談ください。

トヨタ 150系 ランドクルーザープラドは15年前に誕生したのにかっこいい! 魅力と人気の秘密に迫る
旧車の魅力 2024.02.27

トヨタ 150系 ランドクルーザープラドは15年前に誕生したのにかっこいい! 魅力と人気の秘密に迫る

15年前のモデルであるにも関わらず、いまだに洗練されたかっこよさを感じるトヨタ 150系ランドクルーザープラド。派生元のランドクルーザーが本格的なクロスカントリー車なのに対して、オンロードでの使用を意識した高級SUVという位置づけのモデルです。 一方で、ランドクルーザー譲りの堅牢性と、高い悪路走破性もしっかりと備えています。新モデル「ランドクルーザー250」の発表によって注目の集まる、150系ランドクルーザープラドの魅力を詳しく紹介します。 同一モデルのまま10年以上も作られ続けたランドクルーザープラド 150系ランドクルーザープラドは、デビューから15年間(※)もフルモデルチェンジをしていません。選択肢が少なく技術革新も遅かった数十年前ならまだしも、顧客ニーズが変化しやすくなってきた2000年代では驚異的なことです。 長年ユーザーから愛され続けている150系ランドクルーザープラドについて、プラド誕生の歴史も含めて振り返ってみましょう。 ※2024年2月原稿執筆時点 ライトデューティー車としてランドクルーザーから派生 ランドクルーザープラドの起源は、1984年にランドクルーザーのライトデューティー車として登場したランドクルーザーワゴンです。そして、ワゴンのフルモデルチェンジという形で、1990年に初代ランドクルーザープラドが誕生しました。 その後もプラドは市場からの高い支持を受けて、モデルチェンジを重ねて進化し続けます。そして、4代目として2009年に登場したのが、150系ランドクルーザープラドです。完成度が非常に高く、2009年の登場から実に14年間も同一モデルのまま販売され続けています。 マイナーチェンジモデルとの違い 一度もフルモデルチェンジをしていない150系ランドクルーザープラドですが、実は大幅改良、いわゆるマイナーチェンジを二度ほど実施しています。初期モデルから、それぞれ前期、中期、後期と呼ばれています。 最初のマイナーチェンジは、発売から4年経過した2013年でした。外観上でのもっとも大きな変更点は、フロントグリルとヘッドライトのデザインです。前期型では6本だったフロントグリル内の柱が、5本に変わりました。また、ヘッドライトの形状もよりシャープに変更されています。 後期型は、中期型へのマイナーチェンジから4年後の2017年に登場しました。後期型では、ボンネット中央に凹みが設けられた点が大きな違いです。また、前、中期型とヘッドライトの形状が異なります。 ランドクルーザープラドはとにかくかっこいい 150系 ランドクルーザープラドが長期間支持され続けている理由の1つは、多くのユーザーから「かっこいい」と評価されているためです。いかに完成度の高い車でも、販売台数が伸びなければ継続して作られることはありません。 15年間も愛され続けている、150系ランドクルーザープラドの魅力とかっこいいと評価される理由について解説します。 ランドクルーザー譲りの高い悪路走破性 ランドクルーザープラドは、本家ヘビーデューティーのランドクルーザーと基本構造は変わりません。市場を賑わわせているクロスオーバーSUVにありがちな乗用車と同様のモノコックボディではなく、堅牢なラダーフレームによって悪条件下でもダメージを受けにくくなっています。 また、悪路走破性を高めるための装備が充実していて、ランドクルーザーと同様に走行シーンを選びません。スタビライザーを制御して凹凸のある路面へのタイヤの追従性を高めるKDSS(キネティックダイナミックサスペンションシステム)や、アクセルとブレーキ操作をせずステアリング操作だけで極低速走行ができるクロールコントロールといった装備で悪路走破性を高めています。 トヨタ最高峰SUVにふさわしい質感 本格クロスカントリー車顔負けのオフロード装備をもつ150系ランドクルーザープラドですが、ポジションはトヨタの誇る最高級SUVです。ヘビーデューティー車との大きな違いは、都市部でも違和感なく溶け込む高級感のあるボディデザインです。オフロードを意識したボックス型のスタイリングながら、曲面をうまく取り入れたデザインとしています。 また、高級セダンのような上質さを感じさせる内装も、150系ランドクルーザープラドの魅力の1つです。特に、上位グレードの「TX“Lパッケージ”」や「TZ-G」ではシートやステアリング、シフトノブなどに本革を使用するなど、さらに高級感を高めています。 取り回しやすいサイズ感など高い実用性 150系ランドクルーザープラドは迫力のあるボディデザインから大型に見えますが、実はトヨタを代表するミニバンのアルファードとそれほどサイズは変わりません。幅はわずか3cmほど広いものの、全長は約12cm、全高は約10cmコンパクトなため、むしろミニバンよりも取り回しやすいかもしれません。 また、7人乗りの3列シートも選択可能なため、日常生活での実用性も十分です。3列目を格納すれば大容量の荷室が確保できますし、大人数の移動やゆったりとした長距離移動などあらゆる場面でランドクルーザープラドの使いやすさを感じるはずです。 後継モデルの発表によって市場に変化が起きる可能性 15年間販売され続けてきた150系ランドクルーザー プラドですが、フルモデルチェンジを迎える可能性が高まっています。後継車種と目される、ランドクルーザー250の発売が発表されたためです。旧モデルの買取価格は、モデルチェンジをすると引き下げられる傾向にあります。150系ランドクルーザー、特に前期型をお持ちの方は今が売却する最後のチャンスかも知れません。 2013年のマイナーチェンジを迎える前の前期型は、もっとも新しい年式でもすでに新車販売から10年以上が経過しています。新モデルとまではいかないまでも、中期型や後期型への乗り換え需要が高まると、市場に流通する前期型が増えて価格が下がってしまうことも大きな懸念です。 150系 ランドクルーザープラドを売却する際は、車そのものの価値がわかる旧車の取扱い経験豊富な専門業者に相談することをおすすめします。

第15回ノスタルジックデイズ2024会場に展示!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.9
旧車の魅力 2024.02.27

第15回ノスタルジックデイズ2024会場に展示!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.9

去る2024年2月17日~18日、パシフィコ横浜展示ホールB.C.Dにて「第15回ノスタルジック2デイズ2024」が開催され、旧車王ヒストリアでもその模様を取材してきた。 その模様はこちらの記事にまとめてあるので、併せてご一読いただければ幸いだ。 ●2日間で4万人以上が来場!第15回ノスタルジック2デイズ2024イベントレポートhttps://www.qsha-oh.com/historia/article/nostalgic-2days-2024-report/ 10月14日~15日に新潟県妙高市で開催された「妙高ヒルクライムHILL G.P2023」においてクラッシュしたタイレルP34は、なんと1ヶ月後には1977年仕様のカウルをまとって無事復活を遂げた。 2024年に入り、富士スピードウェイで開催されたK1GPのレース会場(富士スピードウェイのピット内)に展示されたりしてきたが、今回は「第15回ノスタルジック2デイズ2024」のBilsブースの一角にタイレルP34が展示されることとなったと綿引氏から連絡があり、パシフィコ横浜に向かった。 ■改めて「手作りの6輪F1タイレルP34」の注目度の高さを実感 CBR WATAHIKI公式YouTubeチャンネルで事前に告知されていたこともあり、また会場でタイレルP34の展示に気づいたと思われる人たちがマシンを眺めている。常に人垣ができており、改めて注目度の高さを実感した。 取材中も「あった!!やっとタイレルP34が観られた!」という声が聞かれた。 特に、CBR WATAHIKI公式YouTubeチャンネルの動画を普段からチェックしているとおぼしきファンの人たちは、ようやく実車が観られたことに感激していたようだ。 「ホントに手作りかよ。信じられん!」。取材をしているとそんな声も聞かれた。製作段階から取材を続けてきた筆者ですら、こうしてノスタルジック2デイズ会場の一角に置かれているタイレルP34を眺めていると「あのアルミ素材のマシンがこうなるの!? 信じられん」と思ってしまうくらいだから無理はない(*製作段階の画像を載せておきます)。 熱心にタイレルP34をチェックする来場者の方が多く、「そろそろ撮らせてもらってもいいですか?」ともいえず、撮影がひと苦労だったのも事実(笑)。 ■開催2日目には綿引氏も会場入り 筆者は仕事の都合で開催初日(17日)に取材を行ったのだが、開催2日目には綿引氏も会場入りし、多くのファンや著名人との交流を楽しんだという。その模様はCBR WATAHIKI公式のYouTubeの動画にて公開されているので、ぜひチェックしてみてほしい。 ●ノスタルジック2Days ウドちゃん!トミタクさんに会ってきた!https://www.youtube.com/watch?v=YT4mngS6Jgc ■まとめ:ノスタルジック2デイズ出展で確実に新たなファンを獲得 取材中、会場内にポンと置かれたタイレルP34の正体が分からず「これホンモノ?レプリカ?」などと会話している人もいた。たしかに、この日はじめてこのマシンの存在を知った人もいても不思議ではない。 余計なことかなと思いつつ、「このタイレル、綿引さんという方がアルミ板を叩いて造った手作りのマシンなんですって」と話掛けてみた。 見知らぬ人からいきなり話掛けられて相手の方も戸惑ったと思う。そこで首から掛けていたプレスパスを見せて、このマシンをずっと取材している者だと伝えてみた。 すると「エッ、マジ!? これ手作りなの!?」と目を見開き、タイレルの細部を食い入るように再チェックしていた。このイベントがきっかけで、さらに認知度が高まったことは確かだ。 たしかに、いわれなければこのタイレルP34が手作りで造られたなんて分からないほどの自然な仕上がりだから無理はない。しかも、サーキットを「攻められるマシン」なのだ。来年は「選ばれし10台」のなかの1台として展示されてもいいのではないかと思う。 ■手作りの6輪F1タイレルP34展示予定スケジュール ・3月24日(日)茨城空港にて ・4月13(土)〜14日(日)幕張メッセにて開催される『アソモビ2024』(*同日・同施設でオートモビルカウンシルも開催されていますのでこちらにもぜひ!) ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki"※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA [ライター・撮影/松村透]

NSX遣いがサーキットで初ドライブ!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.8
旧車の魅力 2024.02.25

NSX遣いがサーキットで初ドライブ!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.8

今年の4月にエビスサーキット西コースを走ってからおよそ半年。9月下旬のある日、手作りの6輪F1タイレルP34がふたたびエビスサーキットを走るということで、取材班も現地へ向かうことに。 現地の天気予報は曇り一時雨。ゲートオープン前の午前7時頃に現地に到着した時点では小雨。多少、雨は降ったものの、当日は何とか持ち堪えてくれた。 当日の模様はこちらの記事をご覧いただきたい。 ■エビスサーキット東コースを攻める!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.7https://www.qsha-oh.com/historia/article/tyrell-p34-vol7/ 実はこの日、行われたエビスサーキット東コースでは、筆者も予想外のサプライズが用意されていた(想定外というべきかも?)。 ■初の試み!ハンドメイドのタイレルP34を綿引氏以外のドライバーがドライブ! 2回目の周回を終えて、マシンから降りた綿引氏が「走行会に参加していたNSX乗りのT氏にタイレルに乗ってもらおうと思うんだ」とつぶやいた。 この時点でT氏はまだ何も知らない。何しろ「ついさっき」決まったばかりだ。 綿引氏が丹精込めて造り上げたハンドメイドのタイレルP34を、他のドライバーに託して走らせる。 なかなか決断できるものではないように思う。 何しろ、T氏にとってはぶっつけ本番。まさに青天の霹靂ともいえるサプライズなのだ。 驚いた筆者が綿引氏に問うと「TさんはあちこちのサーキットをNSXで走っているし、運転もていねいだから大丈夫」と語る。 そして茶目っ気たっぷりに「俺もタイレルP34が走っているところを観たいし(笑)」と付け加える。 たしかに、誰かにタイレルP34のステアリングを託さない限り、綿引氏が走行シーンを見ることは不可能なのだが・・・。 ■NSX乗りのT氏、タイレルP34を鮮やかにドライブ! 綿引氏の突然のオファー(無茶振り?)に驚きつつも、タイレルP34のドライブを決意したT氏。 たしかに、こんな機会はまたとないことは確かだ。筆者も、正直いってめちゃくちゃうらやましい。 それはさておき、走行前にまずタイレルP34のコクピットに潜り込み、綿引氏からコクピットドリルを受けるT氏。 そしていよいよT氏がフルフェイスのヘルメットを被り、レーシンググローブをはめてタイレルP34のコクピットへ。 隼エンジンがうなりをあげ、エンジンスタート! クラッチをミートし、スムーズにタイレルP34を動かすT氏。まったくギクシャクすることなく、スムーズにピットロードを走らせ、コースイン! 1周目はスローペースに終始し、タイレルP34の感触を確かめるT氏。 そのままホームストレートを掛け抜け、2周目に突入。 とても初めてのドライブとは思えないほどスムーズだ。 その後、いったんピットロードに戻り、再度コースイン! 少しずつマシンの慣れてきたのだろう。先ほどよりもあきらかにペースが速い! この日、走行会に参加していたメンバーもその様子を見守る。 とはいえ「大丈夫かな。壊さないかな・・・」といった雰囲気ではない。 安心して観ていられるのだ。 そして、周回を重ねるにつれて、綿引氏がドライブするときのペースに近づいていっていることが分かる。 事実、わずか3周の周回で1'10"520をマークしたという。 その後、綿引氏がドライブしたときのラップタイムが1'08"646(ベストラップが1'07"174)だったことを考えると、T氏がさらにタイレルP34を走り込めば(綿引氏には失礼かもしれないが)綿引氏よりも速いタイムを叩き出す可能性も充分に考えられる。 やはり綿引氏の人選は的確だったのだ。そして、その場にいた誰もがT氏の鮮やかなドライビングテクニックに舌を巻いたことだろう。 ■タイレルP34をドライブしたT氏のコメント 今回、貴重かつ大変光栄な体験の機会を頂いた綿引さんにとても感謝しています。私のような素人がいきなり乗っても、何の問題もなく普通に走行できたのは、タイレルの完成度が高いことの証なんだと感じました。 レーシングカーと言うとクセや気難しさをイメージしてしまいますが、そんなことは一切なく、どのコーナーでもニュートラルなハンドリング、エンジンや各操作系レスポンスの鋭さ、ブレーキの効きやバランスも抜群に素晴らしく、綿引さんの匠の業にとても感動しました。 いきなりのオファーだったとはいえ、T氏にとっても貴重な体験となったようだ。 このときの模様は、CBR WATAHIKIのYouTubeチャンネルでも公開されているので、ぜひご覧いただきたい。 ■ハンドメイドF1ドライバーチェンジ!https://www.youtube.com/watch?v=moXX1l510Hw ■タイレルのその後について その後、10月14日~15日に新潟県妙高市で開催された「妙高ヒルクライムHILL G.P2023」においてクラッシュしたタイレルP34だが、それから1ヶ月後には1977年仕様のカウルをまとって無事復活! さらにReynard製のF3000「MF308」を新たに入手!タイレルP34との2台体勢となり、今度どのように活躍していくのか?2024年も目が離せない。 綿引氏が撮影した画像をお借りすることができたので、こちらもご覧いただきたい。今後も継続して取材していくのでお楽しみに! ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA ■Special Thanks! エビスサーキット ●営業時間8:30~17:00(GATE OPEN8:30)/*冬期間9:00~16:30(GATE OPEN9:00)*大会やイベントで変更になる場合もあり●定休日:毎週水曜日 *水曜日が祝日の場合、G.Wの場合、お盆休みの場合などは営業する日もあり ●住所:〒964-0088 福島県二本松市沢松倉1番地*案内図:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.ebisu-circuit.com/images/ebisu_syuhen.pdf●TEL/FAX:TEL:0243-24-2972/FAX:0243-24-2936●E-Mail:autoland81@techno-as.com●URL:https://www.ebisu-circuit.com/●Twitter:https://twitter.com/ebisu_circuit●Facebookページ:https://www.facebook.com/EBISUCIRCUIT.JP/●YouTubeページ:https://www.youtube.com/user/ebisucircuit●LINE:https://page.line.me/whe3251y?openQrModal=true [ライター・カメラ/松村 透 画像提供:綿引雄司氏]

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