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海外赴任が決定したことにより、所有している車や保険をどのようにすればよいのか、不安に思う方もいるでしょう。自動車保険には中断制度があるため、帰国した際も今までの等級を引き継ぐことが可能です。ただし、利用するには中断証明書を発行してもらう必要があり、発行条件をクリアしなければなりません。 この記事では、海外赴任の際に保険を中断する方法や条件、帰国後の再開手続きなどについて紹介します。 海外赴任の際は中断制度で車の保険を中断する 海外赴任の際は、中断制度で車の保険を中断しておくと、再会時も今までの等級を引き継いで契約できます。自動車保険には「等級制度」があり、等級によって割引率や割増率が異なります。無事故の場合は等級が上がり、高いほど保険料を抑えられる仕組みです。渡航前に中断しておけば、帰国した際も今までの等級が適用されるため、同様の割引率で保険を契約できます。 中断制度は海外赴任や、やむを得ない事情と保険会社に判断された場合に利用でき、日本を出発した翌日から「10年間」は等級が維持されます。契約している保険会社に問い合わせると、中断制度の利用方法を案内してもらえるでしょう。 保険の中断制度を利用しない問題点 保険の中断制度を利用せずに海外赴任すると、今までの等級が無効になるため、帰国後に車を利用する予定がなくても念のため発行しておいた方がよいでしょう。たとえば、20等級(事故なし)だった場合、保険料の割引率は63%です。一方、帰国した際に新規で加入し直すと、割引率が13%の「6等級」から再スタートしなければなりません。 つまり、中断制度を利用せずに海外赴任すると今までの等級ではなく、6等級の割引率が適用されるため、本来の保険料より多く支払うことになります。帰国後も今までの保険を引き継ぎたい場合は、保険会社に「中断証明書」を発行してもらいましょう。 自動車保険の中断証明書の発行条件 自動車保険の中断証明書を発行してもらうには、定められた条件をクリアする必要があります。発行条件は、各保険会社によって異なるケースがあるため、加入している会社へ問い合わせましょう。保険会社の発行条件の一例を紹介します。 ■中断時の等級が7等級以上■以下のうち1つに該当・車を売却や譲渡もしくは廃車にした・車検が切れている・ナンバープレートを返納した・車を盗難された・災害によって車が滅失した・海外赴任する場合■満期日から5年以内に中断証明書の発行手続きをしている 自動車保険は新規で加入し直すと6等級からスタートするため、7等級以上ないと中断制度を利用する意味がありません。たとえば、3等級の場合は「38%割増」されるため、13%割引される6等級で加入し直した方が保険料を抑えられます。ただし、前契約の満期日から13ヶ月経過しないと、6等級で加入し直せない点に注意しましょう。 また、中断証明書は海外赴任以外の事由でも発行してもらえます。事由によっては「車検証」や、抹消後に発行される「登録識別情報等通知書」の提出を求められるケースがあるため、保険会社に確認しておきましょう。 自動車保険を再開するときの手続き 帰国した翌日から1年以内に「中断証明書」を保険会社に提出し、自動車保険を再開させます。必ずしも中断前の保険会社で契約する必要がないため、他社へ乗り換えることも可能です。ただし、中断証明書の期限である「10年以内」に手続きしないと、今までの等級は引き継げません。新たに契約する保険と中断前で、以下の事項が異なる場合も同様です。 ・記名被保険者・車の所有者・車の用途・車種 たとえば、中断前は自分名義、帰国後は別居している息子名義の車での契約ができない点に注意してください。また、中断前と新たに契約する保険では、自分名義であれば同じ車である必要がありません。月極駐車場を契約していると海外赴任中も駐車料金が発生するため、帰国後に車を利用する予定がない場合は、一旦売却しておく手段もあります。 なお、中断証明書を紛失した場合、保険会社で中断した履歴を確認できれば再発行しなくても自動車保険を再開できます。他社に乗り換える場合は中断証明書の提出を求められるケースがあるため、中断前の保険会社で再発行の手続きをしましょう。 まとめ 海外赴任する場合、自動車保険の中断制度を利用すると今ある等級を一定期間保存できます。スタートである6等級で加入し直す必要がなく、今までの割引率を引き継げるため、保険料を抑えることが可能です。海外赴任が決まった場合は、加入している保険会社に問い合わせて、中断証明書を発行してもらいましょう。 また、自動車保険を再開する際は、中断前と同じ車である必要がありません。月極駐車場を利用している場合は、海外赴任中も駐車料金が発生するため、帰国後すぐに車を利用する予定がなければ渡航前に車を売却しておくとよいでしょう。
世界初の2ローターが搭載された市販車マツダ コスモスポーツ。流麗なボディデザインも含め、現在でも高い人気を誇るモデルです。しかし、量産車へのロータリーエンジンの搭載は、決して簡単ではありませんでした。 ロータリースポーツのルーツ、さらには日本の自動車開発力を世界に示したコスモスポーツの開発秘話と魅力をたっぷりと紹介します。 世界初の量産ロータリーエンジン搭載車コスモスポーツ コスモスポーツは、ロータリーエンジン搭載車として世界で初めて量産されたモデルです。「マツダの技術力のみならず、日本の自動車開発力を世界に示した功績は計り知れません。 ロータリーエンジンの開発を中心に、コスモスポーツの誕生背景を振り返ってみましょう。 会社の生き残りをかけたコスモスポーツの開発 1990年代後半まで製造・販売が続いたコスモシリーズですが、初代のコスモスポーツはマツダの社運をかけて開発されました。シリーズ初代のコスモスポーツが登場したのは1967年。1960年代に入り、国内自動車メーカーが競争の激化にさらされていたなかで、社長の松田恒次氏は「会社が生き残るためには独自の技術が必要だ」と考えます。そこで、「夢のエンジン」といわれながらも実用化できていなかったロータリーエンジンに白羽の矢を立てました。 実用化の目途がたった1964年、発売に先立ち東京モーターショーで、コスモスポーツはお披露目されます。技術的な問題から各社が実用化できずにいたロータリーエンジンの量産車の発表は、国内のみならず世界中に衝撃を与えました。 世界初の量産車への搭載に成功したマツダの高い技術力 ロータリーエンジンを初めて市販車に搭載したのは、実はマツダではありません。ドイツの自動車メーカーNSU社が、マツダのロータリーエンジンの元にもなった「バンケル・ロータリーエンジン」を既に市販車へ搭載していました。 しかし、ロータリーエンジンを量産車に搭載するには機構上避けられない大きな課題があったため、NSU社の市販車はわずかな生産台数に留まります。量産の大きな壁となっていたのは、アペックスシールと呼ばれるエンジン内の気密性を確保するための部品です。ローターの頂点に取り付けられたアペックスシールは、ハウジング内部を削ってしまうという決定的な欠点がありました。「悪魔の爪痕」とも呼ばれる傷によって、気密性が損なわれると同時にエンジンそのものの耐久性も落としてしまいます。 ロータリーエンジンの実用化に向けてマツダ開発陣は、アペックスシールの改善に心血を注ぎました。開発は困難を極めたようで、素材に馬や牛の骨を試したといった逸話まで残っています。ようやく解決策にたどりついたのは、社内からも「予算の無駄遣い」との声が聞かれ始めた1963年。1つのアイディアをきっかけに形状と素材に工夫を凝らし、実用化の目途を立てます。 2ローターは市販車としても世界初 コスモスポーツに搭載されたロータリーエンジンは、2つのローターを持つ世界初の多気筒ロータリーエンジンです。ドイツNSU社が世界で初めて市販車に搭載したロータリーエンジンは、シングルローター。2ローターエンジンの市販車への搭載は、「量産車」という条件をつけなくても正真正銘の世界初でした。 ゼロからロータリーエンジンの開発を始めたにも関わらず、初の市販車搭載モデルが2ローターというのは驚きです。マツダの技術力の高さと粘り強さが実現したといえるでしょう。 モデル初代なのに完成度の高かったコスモスポーツ コスモスポーツは、4世代にわたって製造されたコスモシリーズの初代モデルです。シリーズ化によって長年製造される車種は、後発モデルのほうが性能が高いため初代が注目されないケースも珍しくありません。 しかし、3ローターを搭載する4代目ユーノスコスモといった後発の高性能モデルと比較しても、コスモスポーツの存在感は別格です。初代から高い完成度を誇っていた、コスモスポーツの魅力を紹介します。 フロントミッドシップの高い運動性能 コスモスポーツのエンジンは、FR車輌としては理想的なフロントミッドシップに配置されています。初めて開発したエンジンにも関わらず、軽量コンパクトなロータリーエンジンの特徴を最大限活かす方法を、マツダ開発陣はしっかりと理解していたということでしょう。 また、コスモスポーツの最高速度は、なんと185km/h。高出力エンジンとはいえ、当時の最高出力がわずか110psだったことを考えると驚異的な数字です。最高速度はギア比さえ調整すれば、ある程度は高められます。しかし、市販車という点を考えると、車のポテンシャル以上に最高速度を上げるのは危険です。1tを切る軽量な車重と、フロントミッドシップによる安定性の高さにより実現した結果といえるでしょう。 独自の世界観をもつシャープなフォルム 世界初の2ローターエンジンという点を抜いても、コスモスポーツはクルマとして魅力的なモデルです。日本車離れした個性的なボディデザインは、多くのファンを魅了しました。当時の自動車で多く採用されていた直線基調のデザインとは一線を画し、コスモスポーツは随所に曲線を取り入れた流線型の美しいフォルムです。 全体に低く抑えられたスタイリングは、運動性能の高いスポーツカーらしさを最大限に演出。コンパクトなロータリーエンジン車だからこそ実現できたデザインといえるでしょう。現在でも「鼓動デザイン」という独自の世界観を展開するマツダですが、1960年代からすでに他メーカーとは異なるデザインを展開していたことがうかがえます。 スポーツモデルは初代コスモスポーツのみ コスモスポーツは、シリーズとして1996年まで生産されましたが、流線型デザインの純粋なスポーツモデルといえるのは、初代コスモスポーツのみです。しかも、1967年に登場し1972年までの約5年間しか生産されなかったため、現在ではあまり台数も残っていません。 加えて、クルマとしての魅力と希少性の高さから、コスモスポーツはかなり人気の高い車種です。中古車の購入を検討する際は、常に広くアンテナを張っておくとよいでしょう。 一方で、希少車の取扱いは、どの中古車業者でも簡単にできるわけではありません。専門の業者に依頼しないと、購入時も売却時も損をしてしまう可能性があります。良好な車輌や妥当な査定額で安心して取引するために、コスモスポーツの購入や売却をする際は旧車専門の業者に相談することをおすすめします。
これまで、S30系・フェアレディZを題材に【初級編】、【中級編】とお送りしてきました。 締めとなる今回の【マニアック編】では、そのタイトルの通りにS30系・フェアレディZのもっと深いところを掘り下げていきましょう。 そのメカニズムやシャーシの特徴などを踏まえて、S30系・フェアレディZが走行性能の面でどれだけ優れたポテンシャルを秘めているのかを、ヒモ解いていこうと思います。 Z好きの人も、旧車全体が好きな人も、知っておいて損は無い内容だと思います。 シンプルなのに実力派、ストラット方式の足まわり 発売当時、240ZベースでWRC(世界ラリー選手権)に出場し、サファリラリーで圧勝したのは有名な話です。 この勝利の裏には販売戦略的な狙いも含まれると思いますが、実はZの足まわりの素性の良さが貢献していたようなのです。 S30系・フェアレディZの足まわり(サスペンション)は、4輪とも“ストラット式”の懸架方式です。 ストラット式とは、車軸のハブの下側をロアアームで支えて、上側はダンパーユニット一体式のストラット(直訳:支柱)が受け持つ方式のサスペンションのこと。 その特徴は何といってもシンプルなところ。 オーソドックスな“ダブルウイッシュボーン”方式の場合は、上下のアームを置く場所と、取り付けるフレームの受け、そしてダンパーのマウント部が必要になりますが、ストラット式の場合はロアアームのフレーム側の受けと、上部のストラットアッパーマウントがあれば事足りるので、構造的にシンプルで、スペース効率も自由度が高い方式となります。 デメリットは、負荷が高い車輌には向かないことです。 車重や速度による負荷が上部のストラットを曲げる方向に働いてしまう構造のため、あまり重量があるクルマや、超ハイグリップタイヤの使用には向きません。 その点、軽量でグリップがそれほど高くないタイヤを履いたZにはデメリットが少なく、適した方式と言えるでしょう。 レースでの勝利にはこのサスペンション方式が効いたと言っていいと思います。 そして、そのストラット式サスペンションの秘めた実力が引き出されていったのが、1980年代のゼロヨンブームのときでした。 当時は、思い思いに気に入った車種に自力でチューニングしたエンジンを搭載して、ゼロヨンを競い合っていました。 しかしレベルが上がるにつれ、同じくらいの馬力のエンジンなのに、例えば同じ日産車のスカイラインよりもZの方が速いということが浮き彫りになっていったのです。 Zの方が軽量に出来るという大きなアドバンテージはあったものの、実は足まわりの素性の良さが効いているのではないかと注目され始めました。 これはレベルが極まった近年のドラッグレースでも同じで、ドラッグ専用の大径タイヤと、靴が脱げるほどグリップする路面による超グリップの負荷にも、ほぼ純正のままで耐える足として使われ続けていることでも証明されています。 また、ステージを移して周回レースに目を向けても強さが際立っているのが分かります。 昨今一部で人気の「JCCA」などの旧車レースでも、同じL型エンジンを積む車種の中で頭ひとつふたつ抜け出た速さを魅せています。 タイヤは今どきのSタイヤを含むハイグリップタイヤを使い、300馬力以上にチューニングされたL型エンジンを搭載したモンスターなマシンでも、足まわりの基本的な部分はノーマルのまま通用しているのです。 さすがにダンパーは車高調に換え、アームの支持部はピロボールに等々、かなりモディファイは加えられていますが、基本的なストラット式を変更する車輌は見たことがありません。 これもストラット式の良さを証明する事実といえるでしょう。 ちなみにサーキットでは、レース向けに改造されたS30系・フェアレディZが、ノーマル+αの34GT-Rを追い回しているシーンをちょくちょく見掛けます。 もちろんドライバーの腕によりますが、充分以上な戦闘力を秘めていると言っても過言ではありません。 車体の軽さが運動性能の良さに大貢献 50年も前の旧い設計のクルマで、今のように樹脂や軽合金などはまだ多用されていない時代に生産されたZ。 けっこう重いんじゃないかと思っている人も少なくないのではないでしょうか。 自分もそんな一人でしたが、実際は思ったよりもかなり軽量な車輌なんです。 カタログ値では、最も軽い初期モデルで975kg。 最後期の重い2by2モデルでも1100kg台という数値です。 現行車と比べれば、ダイハツ タントとホンダ フィットの中間くらいですね。 2リットルクラスの車格を考えるとかなり軽いと思います。 ネガティブな話をしてしまうと、この軽量さはコストダウンの産物によるところという側面があります。 北米向けの低価格帯スポーツカーを開発するにあたって、構造をシンプルにして部材を少なく済ませるというテーマを盛り込んで設計された結果、ローコストで軽量なシャーシができあがりました。 しかし、さすがに旧い設計でローコストを狙ったため、一部にしわ寄せが出る部分もあったようです。 ルーフと後部のCピラーを繋ぐ箇所に、走行や屋根への衝撃の負荷でわずかなシワが寄る個体がチラホラあるよという話は、その筋では比較的有名です。 とはいえ、軽さは運動性能の追求には最優位なポイントであることには違いありません。 実際に乗ってみてもそれは感じられますし、旧車同士でおこなわれるレースでは、大きなアドバンテージだと捉えている人がほとんどでしょう。 実際の勝率やタイムにも、事実として現れています。 ちなみに、ボディ剛性が周回レース車輌ほど必要とされないゼロヨン車輌での例ですが、最も軽量な初期モデルをベースにすると、800kg台まで軽くすることが可能だそうです。 驚きですね。 ステアリング方式にも注目 これはかなりマニアックなポイントですが、S30系・フェアレディZのステアリング方式も、スポーツ性能に良く働いているという話を聞きます。 S30系・フェアレディZのステアリング方式は、今ではほとんどのクルマに採用されている「ラック&ピニオン式」。 ステアリングシャフトの先に付いたギヤで、歯が付いたシャフトを左右に動かす方式です。 こんな普通な方式のどこがアドバンテージなの?と思うでしょう。 それは、この時期の日産車の主流が「ボール&ナット方式」だったからなんです。 これには、当時の日産車、特にプリンス系の流れを汲むスカイラインやグロリアなどがお手本にした、ヨーロッパのGTカーがこの方式を採用していたという背景がありました。 当時は「“あの”ボール&ナット式」を採用、とアピールできた時代でしたが、路面の凸凹を拾ってハンドルにショックが来たり、調整しないとガタが大きくなって直進安定性に問題が出たりと、デメリットも多い方式でした。 その点、ラック&ピニオン式ならダイレクト感が高いわりに路面のキックバックも少なく、操作が軽くてシンプル、という良いことずくめ。 当時は認知度が低くアピール弱めだったのですが、次第に浸透して今は主流になっていることからも、優れている方式なのが分かると思います。 余談ですが、サーキット走行が好きな人の中には、スカイラインをラック&ピニオンに改造してしまう人もいるほどです。 S30系・フェアレディZの素性の良さを堪能してみよう ハイパフォーマンスなモディファイにも対応できる素性の高さを秘めたS30系・フェアレディZのシャーシですが、フルノーマルでもその良さは充分堪能できる味わいを備えています。 まずは車体の軽さ。 クラッチをつないで走り出すと、2リッターのやや頼りないトルクでも、スルスルと前に進んでくれます。 ここからアクセルを踏み込むと、グッとタメを見せた後にグゥーーっと勢いがノッていくのが楽しめます。 エンジンの特性的に決して鋭い加速とはいえませんが、アクセルに対する車体の追従感は鈍くありません。 交差点を曲がる際も、適度な外向きロールを出しつつ、軽やかな印象を感じさせながら曲がっていくのも楽しめるでしょう。 ストラット式サスペンションのダンパーは結構ストロークが多めなので、ゆったり走るのに向いていると思います。 路面の段差を乗り越えるときは、今どきのクルマのように足だけで衝撃を逃がす感じとはまったく異なるフィーリング。 まずタイヤが持ち上がった感じが伝わってきて、ダンパーが縮みます。 そのとき車体がわずかに持ち上がる感じがあって、少し耐えた後にバネの力で足が伸びようとするのを感じながら、弱めの減衰力で車体のハネが抑えられているのも同時に感じ、車体が元の位置に落ち着く…という印象です。 当時はスポーティな味付けだったと思いますが、今の感覚で見ると、波を乗り越える船のような感覚を連想する足まわり。 まさにゆったりと走るのが気持ち良く感じられるでしょう。 気が付くと、セカセカと急ぐ気分が身を潜めていくのが不思議です。 山道で少しペースを上げて走ってみると、街中のゆったり感の印象が払拭され、意外とキビキビと走れるのに驚きます。 さすがにロールは大きめですが、カーブのアールに合わせて荷重を意識しながら曲がっていくと、思ったよりも足が踏ん張ってくれるのを感じられます。 キツめの登りはエンジンパワー的に厳しいですが、Zに適したペースで走る山道は、今のクルマでは味わえない醍醐味を感じさせてくれるでしょう。 もしこれに味を占めて山道を頻繁に走るなら、ブレーキだけは強化しておくことをオススメします。 スポーツ系のパッドに交換するだけでも違いますし、ボルトオンで交換できる4ポッドキャリパーに交換するとより安心だと思います。 あと、個人的には純正のプロファイルに近いサイズの185/60R14タイヤくらいが、当時の乗り味をより堪能できるのでオススメです。 見た目に関しても、このサイドウォールが広めなタイヤのバランスが、ノーマルルックのZにマッチすると思っています。 S30系・フェアレディZといえば「悪魔のZ」。その実現度を想定してみる このように、50年前に作られたクルマとは思えないくらいに高いポテンシャルを秘めていることが、各方面で証明されているS30系・フェアレディZ。 実際に、あのマンガで有名な「悪魔のZ」のように300キロの世界でバトルが出来るのでしょうか? そこ、かなり気になりますね。 実は私、「湾岸ミッドナイト」を夢中で読んでいた頃は、まだ実際のS30系・フェアレディZの性能についてまったく知りませんでした。 しかし、読み進むにつれて「なんか妙にリアリティがあるなぁ」とぼんやり感じていたのも事実です。 それが、改めてS30系・フェアレディZの、カスタムベース車としてのポテンシャルを知ることになってから、「楠先生はけっこうしっかりリサーチしてるなー」と関心すると同時に、やっぱりこの人はこのテのジャンルが根っから好きなんだと感じました。 まず、エンジンのチューニングから見ていきましょう。 L28改の3.1リットル仕様というのはベストチョイスかと思います。 ボアアップの3リットル仕様では下のトルクが足りず、ボア&ストロークアップの3.2リットル仕様では発熱量の面で厳しいのではないかと思います。 ピストンはマーレ製との表記がありました。 純正流用でないのは、圧縮比とピストントップ形状を追い込みたかったからでしょう。 超ハイブーストを狙っているなら鍛造は必須なので、その線でも純正はナシですね。 コンロッドはチタンだそうで、ちょっと時代を感じますが、形状次第で耐えるでしょう。 クランクはワンオフのフルカウンター。 LD28流用は強度の面で不安がありますので、これも説得力があります。 タービンはTD06とあります。 最大サイズを選べばツインのフルブーストで700馬力は狙える風量ですが、サイズを落として500馬力程度に抑えれば、街乗りもなんとかこなせそうです。 問題はキャブだという点。 燃調の安全マージンや温度変化への追従などを考えると、だいぶ厳しいのでは?と感じます。 追加インジェクターを打っても相当苦労したという話をいくつも聞きました。 その点だけは“スゴ腕チューナー”のミラクルに期待する部分ですね。 車体と足まわりはどうでしょうか? ボディに関しては、フルスポット増しと室内のロールバー程度では、超高速のバトルに追従するのは至難の業だと思います。 「身をよじるような」が例えでは済まないでしょう。 劇中でもクラッシュしたのをきっかけに大改修していますので、その点は改善できたと思って良いのでしょう。 足まわりに関しては記述が見付けられませんでしたが、剛性のある車高調にしてリヤのアームを強化品に替えれば、足がヨレるということにはならないと思います。 駆動系の記述は見当たりませんでしたが、さすがに純正では強度が不安です。 R32スカイラインなど、250馬力以上の設計の車種からの流用が必須でしょう。 シャーシ関連での不安はブレーキです。 純正のローター径ではまずお話になりません。 320mmは欲しいところですが、劇中で履いている「エイトスポーク」は16インチでも収まりきらないでしょう。 ローターが収まるサイズに留めるとフェードするという不安が残りますが、そちらはアキオくんの神テクでカバーできるに違いありません。 そうだと信じましょう…。 とまあ、ちょっといじわるに細かくツッ込んでしまいましたが、ここまでツッ込めるほどに設定がしっかりしているマンガはかなり珍しいといえます。 正直な感想は、これだけ設定がしっかりしてるからこそ、読者目線でも首都高バトルに入り込めたんだと思いました。 今見直しても楽しめるすばらしい作品だと思います。 おわりに ローコストをテーマに開発された車輌が、50年以上経った今でもその性能の良さを認められているという事実は、開発車冥利に尽きるのではないかと思います。 これは個人的な見解ですが、同じコンセプトを持つトヨタ「AE86」が後年まで人気を維持して、モータースポーツの世界でも一線級の戦闘力を披露している点に妙な共通点を感じています。 モディファイしてサーキット走行を楽しむも良し、フルノーマルで当時の乗り味を堪能するも良し、それぞれの想いを受け止めて輝き続けるS30系・フェアレディZは、紛れもなく日本の誇る名車と言って良いと思います。 [ライター・往 機人 / 画像・日産]
クルマを運転する人、所有している人にとって、駐車問題は切り離せないものです。 ドイツに移住して本格的にクルマに乗るようになってから、とりわけ強く感じたことが、駐車環境が日本と大きく異なるということ。 それもあり、個人的に、国ごとの駐車事情の違いがどのようなものなのか興味のあるテーマでもありました。 そこで、この記事ではドイツでの駐車事情について、自宅や外出先での駐車事情を取り上げながら紹介します。 ■ドイツと日本の駐車事情の違い まず、一般的にドイツでの駐車の自由度は、比較的に高いといえます。 というのも、自宅での駐車に関しては、日本のようにクルマを登録する際の車庫証明の提出は求められず、基本的に自宅近くの空いている場所に停めることになります。 家によっては月極の駐車場の契約が必要になってくる場合もあります。 しかし、これも必須ではなくオーナー次第であり、駐車場代を節約したいと考える人は、多少自宅から離れていても停められる場所に自由に駐車している人が多いです。 ▲住宅地の道路の路肩にキャンピングカー・トレーラーなど大きな車輌が駐車していることも珍しくない ちなみに筆者の場合、住んでいるアパートに月極の駐車場がありますが、契約はしていません。 基本的にアパート周辺の空いている場所を探して駐車しています。 しかし、クルマが多すぎて停められないケースも少なくなく、運が良ければ自宅の目の前に停められますが、場合によっては徒歩15分ほどかかる場所まで離れることも珍しくありません。 正確な数を把握しているわけではありませんが、明らかにアパート全体に居住する世帯数をクルマの台数が上回っているといった感覚です。 しかし、出先での駐車となると状況が異なります。 都市部では、駐車の自由度が大幅に下がります。 筆者も都市部に隣接する地域に住んでいますが、自宅から近くであっても、クルマで出かけると自由に停められる場所が限られ、不便を感じることがよくあります。 都市部には有料の駐車スペースが多く存在しており、さらに大きな都市では駐車場の需要が極端に高まることから、巨大な立体駐車場も存在します。 ドイツの街中にある駐車スペースとは、日本で普及しているコインパーキングとは異なり、路肩に駐車できる区画が設定されていることが多いのです。 たいていは先に時間分の駐車料金を支払い、チケットをダッシュボードの見えやすい位置に置いておきます。 このように、路上に一定区画整備された駐車場は空いていることが珍しいくらいで、都市部では駐車場を探すのにかなり苦労することがよくあります。 この点は、日本の都市部の駐車場事情とも似ているかもしれません。 ■自由度高すぎ?ドイツの地方の駐車事情 一方、取材で訪れた地方では、駐車事情が大きく異なっていて驚きました。 地方での駐車の自由度には目を見張るものがあります。 先述したように、都市部では基本的に駐車向けにスペースが整備されていることがほとんどです。 対して地方では、そのような整備された駐車区間に加え、駐車禁止であることが示されてさえいなければ、どこでも路上駐車ができてしまうことが多いのです。 自宅付近のみならず、レストランやお店の近くでも自由に駐車できます。 スーパーマーケットやレストランには専用の駐車場が完備されていることも多いのですが、仮に満車になっても、近くの空いている場所に駐車して、時間を気にすることなく買い物などを楽しむことができるのです。 逆にいえば、スーパーの駐車場に長時間駐車をし、ほかの用事でクルマを残して出かけていく人もいます。 余談ですが、都市部ではこのような状況を避け、買い物客が困らないよう駐車の制限時間を設けているスーパーや商業施設が多い傾向にあります。 時間をどのように計るのかというと、クルマを降りる前に駐車した時間を示す表示を車内に置いていきます。 管理人がその表示を確認し、制限時間を超えている場合はペナルティを課せられることがあります。 ▲無料駐車に制限時間が設けられている場合、このように到着時刻 / 駐車開始時刻を示しダッシュボードに置いてクルマを離れる 話を戻しますが、地方では標識さえない場所では遠慮なく駐車して、通行するクルマが駐車車輌を避けることや、対向車が来た場合は待機を強いられるといったことも珍しくありません。 それくらい日常的なことであり、人々に受け入れられているということでもあるのだと思います。 ▲駐車車輌を避けて走るドライバーたち ここまでお伝えしてきたような環境ですので、長期間にわたり路上駐車で停め続けることもできてしまうわけです。 ただし、今まで駐車可能だった場所が、ある日突然駐車禁止になることもあるので注意が必要です。 例えば引っ越しや荷物の搬出入、工事などにより、一定の区間が駐車禁止になる場合です。 基本的には数日前には告知され、いつからいつまで駐車禁止になるのかを把握することができます。 しかし、もしその知らせに気づかないまま駐車し続けてしまうと、罰金を課せられるか、場合によってはレッカー移動されてしまうことになります。 ▲事前に告知された駐車禁止の標識。10月9日の7時~19時までは駐車禁止であることを示している ■おわりに いかがでしょうか。 日本とドイツを比較してみると、駐車事情一つとっても、似ているところもあればだいぶ違っている側面もあり、なかなか面白いと思います。 今後も、クルマそのもののみならず、今回のように交通事情のドイツあるあるを発見したら、紹介していきたいと思います。 [ライター・画像 / Shima]
海外への赴任が決まったとき、今まで日本で乗っていた車を海外の赴任先へ持っていくか悩むことがあるのではないでしょうか。今回は、海外赴任の際の車の扱いについて判断できるようになるために、車を現地に持っていくメリットやデメリット、海外の赴任先へ車を輸送する判断基準について紹介します。 海外の赴任先へ車を持っていくメリット 赴任先(現地)に車を持っていくメリットは、日本で乗り慣れていた車を使い続けられることです。長期にわたって滞在する場合は、現地に車を持っていくとよいでしょう。 海外の赴任先へ車を持っていくデメリット 輸送に高額な費用がかかってしまう点は、海外の赴任先に車を持っていくデメリットです。 輸送にかかる費用を気にする場合は、日本で車を売却して現地で新たに車を購入することも視野にいれるとよいでしょう。 また、国や地域によって、ハンドルの位置が逆だったり、右ハンドルの車の輸入が禁止されている場合もあります。 車を持っていく以外の選択肢 ここからは、車を持っていく以外の選択肢について紹介します。 車を日本に置いていく 日本に車を置いていくのも方法の1つです。海外赴任の期間が1年程度と短い場合や家族を日本に残して単身で海外赴任する場合は、車を持っていかない方がよいでしょう。帰国後も車検までの期間が残っていたり、持って行くメリットよりも手続きの手間のほうが大きい可能性があります。 車を売却する 海外での赴任期間が長く、帰国がしばらく先になる場合は、日本で車を売却してから海外へ行くとよいでしょう。 車は、所有しているだけでも維持費がかかります。また、長期間にわたり車を動かさないと、車に不具合が起きる可能性があります。このようなことから、海外に赴任するときは車の売却も選択肢の1つとして覚えておくとよいでしょう。 車を知人に貸す 日本に帰国する予定がわかっている場合や海外での赴任期間が短い場合は、信頼できる友人や知人に車を貸すのも1つの手段です。 あらかじめ、洗車やメンテナンスなども行うことを条件に友人や知人に貸せば、コンディションの維持が可能です。日本に戻ってきたときに車検やメンテナンスなどをしなくても、すぐに運転できるでしょう。ただし、信頼できる人に預けなければ、傷ついたり故障したりする可能性があるため、貸し出す人は慎重に選ぶ必要があります。 海外赴任時の車をどうするのかの判断基準 海外赴任するときに車をどうするか悩んだとき、何を判断基準としたらよいのでしょうか。具体的なポイントを紹介します。 期間 海外への赴任期間が長く、日本に帰国する予定がしばらく先になる場合は、車を売却してから赴任したり、車を現地に持っていったりするとよいでしょう。 海外赴任の期間が短い場合や家族を日本に残して単身で海外に行く場合は、家族や知人に預けることをおすすめします。 費用 車は保有しているだけで、自動車税、メンテナンス費、駐車場代などの費用がかかります。このような費用(維持費)を気にするのであれば、車を売却してから海外に行くほうがよいでしょう。 現地の環境 赴任先の環境によっては、ハンドルの位置が逆になることがあります。また、現地の法基準を満たしていない可能性もあります。そのため、現地の道路環境や交通事情にあわせて、車を持っていくか、日本に置いていくか、売却するか決めましょう。 まとめ 海外へ赴任するときに日本で乗っていた車をどうするかは悩むポイントの1つです。海外の赴任先(現地)に車を持っていくかどうかは、海外赴任の期間や家庭の事情など、総合的に考えて判断しましょう。
海外赴任しているときの車検は、どうすればよいのでしょうか。今回は、海外赴任中の車検について解説します。海外赴任をするときや海外赴任中の方は参考にしてみてください。 海外赴任中に車検を受けたい場合は第三者に依頼する 海外赴任する際に車を日本へ置いていき、その車が車検満了日を迎えたとき、第三者に車検を受けてもらうようお願いする方法があります。 車検は、書類が揃っていれば名義人でなくても受けられます。そのため、日本に置いていった車の車検(継続検査)を家族・知人・友人に依頼すれば、海外赴任から帰国してすぐに車に乗ることが可能です。 海外赴任中に車検切れになったときは? 海外赴任中に日本に置いていった車の車検が切れた(車検満了日を迎えた)場合は、帰国後にディーラー・販売店・整備工場などに相談し、仮ナンバーの発行やレッカー移動をして車検を受ける必要があります。 車検切れの車を公道で運転すると違法とみなされるため注意しましょう。 海外赴任から日本に戻ってきたときは、その車が車検切れになっていないか確認してください。また、海外赴任中に車検満了日を迎える可能性がある場合は、赴任前に売却や一時抹消登録をするなどの対策をしておくことをおすすめします。 車検切れが気になる場合の対応方法 海外赴任中に車の車検切れが心配なときは、海外赴任先に車を持っていく、売却するといった対策をしましょう。ここからは、車検切れが気になる場合の対応方法について紹介します。 海外赴任先に持っていく 海外赴任先に車を持っていくことも1つの方法です。 ただし、赴任先に車を持っていくためには、手続きや輸送費用などがかかります。そのため、長期滞在になるときや帰国がしばらく先になるときにおすすめの方法です。 売却する 海外赴任の前に車を売却をすれば、車検切れや車検費用だけではなく、税金やメンテナンス費など維持費の心配をする必要がなくなります。 日本に車を置いて海外赴任をしても、車の維持費(自動車税、車検・メンテナンス、駐車場代など)はかかります。このような維持費の心配をすることなく海外赴任したいのであれば、車を売却してから海外に赴任するとよいでしょう。 まとめ 海外赴任中に車検満了日を迎える車を保有している場合、あらかじめ車検の対策をしておくことをおすすめします。 具体的な方法としては、家族・友人・知人に依頼するという方法が挙げられます。また、車検費用や維持費の心配もしたくないのであれば、売却してから海外赴任するという方法も有効です。もし、長期にわたり海外赴任するのであれば、車を赴任先に持っていくのもよいでしょう。 海外赴任をする際は、赴任期間や家庭環境などに応じて適切な方法を選択することが大切です。
胸のすく軽快な走りと3ドアハッチバックという独特のスタイリングで、現在でも高い人気を誇るプジョー 205GTI/CTI。デザイン、性能ともに完成度が高く、ライバル車よりも後発ながら、ホットハッチの代表的な1台に挙げられるほどの地位を獲得しました。 発売から30年以上が経過しても、古さを感じさせないプジョー 205GTI/CTIの魅力をたっぷりと紹介します。 後発ながらホットハッチの名車となった プジョー 205GTI/CTIは今でこそホットハッチの名車の1台に数えられますが、同カテゴリーでの地位はライバルに遅れをとっていました。 プジョーのブランドそのものにも大きな影響を与えた、205GTI/CTIの開発背景を振り返ってみましょう。 ライバル車ゴルフ GTIを倒すために開発された205GTI 1984年に登場した205GTI/CTIは、実は1970年代に発売されたゴルフ GTIをベンチマークとして開発されました。なお、「CTI」はカブリオレモデルで、GTIと基本性能は同一ながら、フルオープンの開放感を味わえるモデルです。 「GTI」というグレード名も含めてホットハッチの元祖ともいわれるゴルフ GTIは、1976年の初代発売から欧州で絶大な支持を集めていました。当時のプジョーは、ルノーやシトロエンに比べるとマイナーな存在だったこともあり、「打倒・ゴルフ GTI」を至上命題にGTIを投入します。 プジョーのホットハッチへのこだわりはボディバリエーションにも現れており、205のメインモデルに位置づけられたGTIでは5ドアをラインナップから排除。3ドアハッチバックのみの発売という、徹底した「打倒・ゴルフ GTI」戦略をとりました。 プジョーを世界ブランドに押し上げた1台 205GTI/CTIの発売は、プジョーのブランドイメージを世界レベルに押し上げました。高性能モデルという普及モデルではないグレードにも関わらず、GTIの販売台数は30万台を記録。GTIが205全体の人気をけん引し、世界での販売台数はシリーズ累計で527万台にも達しました。 軽量ボディによる高い走行性能だけではなく、ゴルフ GTIにはないプジョー独特の内外装の高いデザイン性も評価されました。1970年代に発売されたゴルフ GTIに対して、1980年代に開発された点も先進性という意味で有利に働いたのかもしれません。 WRCで示した高い実力 ライバル車に対して後発だったプジョーは、デザイン性だけではなく高い性能をアピールする必要もありました。そこで、「205」の名を冠したモデルでのWRC(世界ラリー選手権)勝利を目指します。結果的にプジョーは世界ラリーチャンピオンの称号を手に入れ、高い性能と信頼を世界にアピールすることに成功しました。 WRCに投入された車輌は、205GTIとほぼ同じ外観をもつ「205ターボ16」。ただし、構造や性能は205GTIとは全くの別物で、レース参戦のためにわずか200台だけ生産されたモデルです。 現在でも205GTI/CTIが人気の理由 欧州のコンパクトカーで、旧車として人気を維持し続けている車種はあまり多くありません。しかし、205GTI/CTIは日本への輸入がホットハッチブームと重なった影響もあり、現在でも高い人気を保っています。 205GTI/CTIが人気の理由を探ってみましょう。 ライバルを意識して進化したエンジン 205GTIに搭載されたエンジンは、1.6Lで最高出力105psを発生させます。3ドアで軽量に作られた車体を考えると、当時としては十分な性能でした。しかし、205GTIの発売翌年である1985年に、同じフランスの自動車メーカールノーが1.4Lながらターボを備えて115psを発生する「ルノースーパー5GTターボ」を開発。プジョーは、メーカーとして国内のライバルであるルノーの性能アップにすぐさま反応します。 ルノーのエンジン開発の翌年、205GTIのオプションとして「205 GTI 1.6 115」を追加します。吸排気システムをアップグレードした専用エンジンで対抗しました。 さらに、同年には「205 GTI 1.9」をリリースし、ライバルとのさらなる差別化を図ります。新たに開発された1.9Lエンジンは、最大出力130ps、最大トルク161Nmを発生。重量わずか910kgと1tを切る車重と相まって、最強のホットハッチといえる走りを楽しめるようになりました。 プジョーらしい高いデザイン性 205GTIをさらに魅力的なクルマに押し上げているのは、プジョーらしい内外装の高いデザイン性です。1970年代の開発ということもあり、直線的で無骨なイメージのライバル車ゴルフ GTIに対して、ボンネットの先端部やリアハッチの後端、ボディラインへ適度に曲線を取り入れたおしゃれなデザインは、フランスの自動車メーカーならではの特徴といえるでしょう。 さらにインテリアも秀逸で、スポーティな印象を与える洗練されたダッシュボードは、エアコン吹き出し口やコントロールパネルといった各部が統一感のあるレイアウトで配置されており、現代でも古さを感じさせません。 また、コンパクトカーでありながら、ヘッドクリアランスと足元のスペースがしっかりと確保されるなど、居住性の高さも205GTIがホットハッチとして優れている点です。ホールド性の高いバケットシートも含めて、ロングドライブの疲労を軽減してくれます。 GTIの楽しさをそのままに開放感を味わえるCTI カブリオレモデルの205CTIは、エンジンをアップグレードした1986年に登場しました。高性能車のオープンモデルでは、ボディ剛性の低下といった理由から性能面を犠牲にするケースも少なくありません。しかし、205CTIは、オープンであること以外はほぼ205GTIと同仕様で発売されました。 ボディ剛性の観点でロールバーは追加されているものの、内外装ともに205GTIを踏襲しています。軽快な走りに開放感も加わった205CTIは、205の魅力を最大限に引き出したモデルといえるでしょう。 古さを感じさせない旧車だけに高い人気を維持 プジョー 205GTI/CTIは、洗練された内装や当時としてはワイドに設計されたボディデザインから、現在でもあまり古さを感じません。旧車でありながら普段使いしても全く違和感がないため、旧車ファンのみならず一般の人にまで幅広い層から支持されています。 また、シリーズとしては500万台以上が販売された205ですが、GTI/CTIに限ると生産台数は世界で30万台。発売年からの経過年数が増えるごとに希少性も高まりつつあります。 ただし、いかに見た目が現代的でも、30年以上前の旧車であることは事実です。中古車を購入する際は、しっかりと整備された個体を探しましょう。売却する際は、205GTI/CTIの人気を理解している専門業者への相談をおすすめします。年式や走行距離などの情報だけで査定するような業者に依頼すると、実際の価値よりも低く見積もられてしまうかもしれません。旧車の真の価値を把握している、古いクルマに強い買取業者を選びましょう。
■日本から近い国、異なるニーズと仕様 どんなに世界中でSUVやMPVがファミリーカーの覇権を握る時代が来ようとも、旧車ファンにとってはファミリーカー、オーナーカーとしてのセダンの存在を忘れることは、なかなかできないのではないだろうか。 クルマがやっと一家に一台になったころ、所有することに憧れ続けてきたオーナーの眼差しを叶えるかのごとく、非常に威厳の高いデザインが数多く採用された。 特にアジア地域では、パールホワイトやブラックのボディカラーにボンネットマスコット、大きなメッキのグリルに本革シートなどなど...。 そんな装備を3BOXのセダンが纏えば、パーソナルな高級車像が出来上がってくる。 90年代の序盤ごろ、アジアの多くの地域ではまだまだRV車=商用車やクロカンからの派生モデルといった認識が抜けきらず、ユーザーの趣向は全高のさほど高くないセダンやハードトップモデルを好んでいる流れが多かった。 メーカーもその流れを汲み、バジェットカーからハイエンドまで、ラインナップの多くに細やかなニーズを取り込んだモデルが存在している。 日本のメーカーからは特に、日本国内や米国で生産されているモデルを、ほぼそのまま持ち込んだような車種も多く存在している。 だがよく見ると、装備差は現地法人のリサーチの力を発揮してか、さまざまな差異を見ることができて面白い。 前回の記事(https://www.qsha-oh.com/historia/article/taiwan-asian-three-box-sedan-classics/)でも紹介したが、台湾での日本メーカーと現地法人がもたらしたラインナップはとても興味深く、そのすべてを洗い出すにはかなり大変で奥深い。 今回もほんの一部ではあるが、90年代から00年代の日産車について着目していこうと思う。 ■現地にフィットしてデラックスになっていくセダンたち 台湾における日産自動車は、現地法人である「裕隆(ユーロン)日産汽車股份有限公司」といい、そのスタートは1959年からと、歴史あるものだ。 日産車のノックダウン製造や輸入・販売を長らくおこなっていた裕隆だが、1986年からは当時ノックダウン生産をしていたスタンザFXをベースとした、オリジナルモデル“飛羚101”を発表した。 90年代の裕隆は台湾のトヨタと同じく、日本のオリジナルモデルをベースとしながらも独自に開発され、生産されていたケースと、日本やその他の国から輸入されていたケースの2つがある。 例えば日産の末っ子モデルだったマーチには、台湾独自の需要を狙い、幅広く世界中で売られていたなかでも唯一セダンモデルを有していた。 1994年から販売が開始され、後部を300ミリ延長したボディにオリジナルデザインのリアランプが取り付けられる。 ベースとなるマーチのハッチバックと同じように、数多くの特別仕様車やボディカラーが存在し、バリエーションは数多あるようだ。 一つ上のクラスにはセントラ(日本名:サニー)が存在する。 90年代の日産 セントラは、北米仕様のB13型と仕様が似ており、ラグジュアリーというよりはシンプル&スポーティーな仕立てとなっている。 対して次期型のB14型はどちらかというと高級志向。 木目パネルや本革シートが装備されるほか、リアランプの造形などは同社のシーマなどを想起させるような構成となっており、日本や北米とは大きく異なる仕様だ。 外観のうえで日本仕様との差異が大きいのは、B15型のセントラだ。 日本のブルーバード・シルフィをベースとしたモデルへとバトンタッチしており、日本国内でも1.8Lエンジンの搭載や本革シートが装備される“小さな高級車”的な立ち位置だったB15型。 前期型はほぼ同一の外観を持つが、後期型では日本、そしてほかの国々とも異なるフロントフェイスへと一新。 より若々しい性格の高級車像を手に入れている。 B15型のセントラでとても印象的だったのは、街中ですれ違うサンルーフ装着車の多さ。 温暖なお国柄もあるのかもしれないが、コンパクトセダンでも快適性を忘れず“イイクルマ”であることを楽しんでいるようで素晴らしいと感じた。 U13型のブルーバードは、名称すらも米国と同一のアルティマを名乗っている。 当時放映されていたCMも米国のレクサス LS400を髣髴させる内容で、それまでのブルーバードが持っていたスポーティーセダン的な像だけではなく、輸入車らしいクオリティを強調するものとなっている。 街中ですれ違ったアルティマが日本のブルーバードと少し印象が異なるように感じられるのは、きっとサイドマーカーだけではないはずだ。 ■大幅なアップデートが施される独自仕様 日本ではセドリックやシーマ、プレジデントなどといった、ショーファードリブンの取り揃えが数多くあった90年代~00年代の日産。 だが、台湾でトップを飾る車種でY30セドリックの立ち位置を後継したのはY32型のセフィーロだった。 当時、韓国でもルノーサムスンがセフィーロをベースとして販売していたSM5。 韓国におけるモータリゼーションのなかでもそれらは高級車であることをしっかりと印象づけていたが、台湾仕様のセフィーロの豪華さには敵わないのではないかと思う。 台湾のセフィーロは、最上級グレードの名前こそセドリック等と同一の“ブロアム VIP”が冠されるが、その名に恥じない高級装備が奢られる。 後期型は大型のフロントグリルにオリジナルデザインのバンパーを装備。 A33型にモデルチェンジすると、ナビシステムやリアのマッサージ付き電動リクライニング本革シート、フリップダウンモニターまで盛られていた。 ドアサンシェードにリアのエアコン吹き出し口などなど……セドリックどころか、シーマを飛び越えてしまいそうなほどのショーファーカーに仕上がっていたのだ。 そんな台湾だから、街中を歩いていると沢山の3BOXとすれ違うこととなり、セダンが欲しくて欲しくてむずむずしてくる(笑)。 ギラついたボディにはバシっとコーティングが乗り、堂々とした構え(もちろんオーナーの手入れにもよるが...)。 メルセデスもBMWももちろん最高ではあるのだが、“日本のセダン”が輝いて見えたあの道を、筆者は推しまくりたいと感じたのだった。 ちなみに、当記事の写真を撮影したのは2018年ごろで、少し前の時代になる。 今でも現地のSNSを見ると、今回紹介したような車種が取引されているのを見ることができる。 しかし、そのバリエーションは年々減っていっていることもまた事実だ。 日本よりも古いクルマを数多く見かけていた台湾だが、環境対応車などの台数も増えている昨今、これらのクルマを街中で見かける回数はますます少なくなっていくことだろう。 そんなクルマたちを助けるために、ガス検をとって日本へ輸入...といきたいところだが、台湾の場合は欧米とルールが異なり、輸入へのハードルはかなり高いと聞いたことがある。 まずはそれらの存在を目に焼き付けるために、もう一度台湾行きのチケット購入を検討する時期が近づいているのかも...しれない。 筆者の異国の地におけるネオ・クラシックカー探訪は、まだしばらくやめられなさそうにない。 [ライター・撮影 / TUNA]
「パジェロ」や「デリカスターワゴン」のヒットにより、RVブームの先陣を切ってきた1980年代の三菱。 RVが一般に浸透するとともに、高級化や乗用車化が求められるようになります。 そこで三菱は、RVテイストの外観を持つコンパクトなワゴンを誕生させました。 1991年に登場した「RVR」です。 3列シートワゴン「シャリオ」のボディを短縮し、パジェロのような2トーンボディカラーと小さなグリルガードで外観を仕上げたこのモデルは、価格が手頃なこともあり、たちまちヒットモデルとなります。 ▲2代目RVRスポーツギア しかし、今回の1990年代名車&迷車烈伝で取り上げるのは、この初代ではなく、1997年にフルモデルチェンジした2代目のほう。 この2代目、なんとも迷車性が高いのです。 乗用車ライクなパジェロ風ワゴン 1991年に登場した初代RVRは、カープラザ店のみの扱いだったにも関わらず(当時はギャラン店とカープラザ店の2系列があった)、他社ユーザーも誘引し、一躍ヒットモデルとなりました。 どこかパジェロを思わせるアクティブな外観と、4,280mmの全長に片側スライドドア、2列シート(しかも主力は4人乗り)というユニークなパッケージングは新しく、楽しく豊かなカーライフを想起させてくれたものです(バックスバニーが登場したCMも楽しさを感じさせてくれた)。 ▲初代RVRスポーツギア さらにRVテイストを強めた「RVRスポーツギア」に加え、「ギャランVR-4」や「ランサーエボリューション」とベースを同じくする4G63ターボエンジンのハイパワーモデル、さらにはオープンルーフ仕様の「RVRオープンギア」を追加するなど、初代RVRのモデルライフは“乗りに乗った”ものでありました。 キープコンセプトで登場した2代目はしかし…… 件の2代目RVRは登場するのは、1997年。 大ヒットしたパジェロや「デリカ・スペースギア」が後期型になり、「RAV4」や「CR-V」がヒットしていたころのことです。 RVRは5ナンバーサイズのボディに片側スライドドアという基本パッケージングを変えず、キープコンセプトで作られました(シャリオはこのとき3ナンバーのシャリオグランディスに進化)。 ▲2代目RVR(GDI RVR) ▲シャリオグランディス 標準車(新たにGDI RVRと名乗った)とRVテイストを強めたRVRスポーツギアの2本立てであることも、初代を踏襲。 オーバーフェンダーにより3ナンバーサイズとなるスポーツギアには、新たに2.4リッターGDIエンジンが搭載されました。 では、なぜ迷車となっていったのでしょうか? この連載でたびたびお伝えしている「ヒット車の次の難しさ」がここにあります。 初代RVRは、シンプルなスタイリングがヒットの一因でした(シンプルだからこそスポーツギアも際立った)。 それが、先代よりスポーティに仕立てられた2代目は、凝った造形が裏目に出てやや中途半端な印象に……。 特にモノトーンカラーとした標準車Xは、ホイールベースやトレッドが狭く見え(実際には大きく変わっていないのに)、スポーツギアは衝突安全性の高まりから大型グリルガードを廃止したことで、「らしさ」が薄れてしまったのです。 シャリオグランディスと同形状のインストルメントパネルは、高級感と使い勝手をうまく両立させたデザインである一方、RVRに求められる(今でいう)ギア感に乏しい印象となってしまいました。 ▲2代目RVRスポーツギアのインテリア RVも多種多様なカタチに変化 RVブームも一段落し、多様化が進んでいたことも、2代目 RVRを迷車の道へと導いた一因です。 それまでパジェロや「ハイラックスサーフ」を筆頭とする本格的なクロスカントリー4WDがRVの代表格だった時代は終わり、RAV4をはじめとしたライトクロカンや「レガシィグランドワゴン」のような乗用車派生のクロスオーバー、ワンボックスワゴンのドレスアップ仕様など、多種多様なRVが誕生。 RVRも当初は多様化するRVニーズの一翼を担っていたわけですが、キープコンセプトで戦えるほど1990年代後半の「ニーズの多様化」は甘くありませんでした。 同じ三菱の中に「パジェロイオ」や「チャレンジャー」が登場したことも、ニーズの多様化が表れています。 ▲チャレンジャー 同時に、RV一辺倒だったニーズの変化も起きていました。 RVとは真逆のローダウン/エアロパーツというスタイルも、徐々に浸透してきていたのです。 RVライクな乗用車というスタイルを浸透させたのはRVRでしたが、そのスタイルを守ったばかりに時代においていかれる状況となった、ともいえます。 RVからエアロ仕様に大胆チェンジ 変わりゆく時代を生き抜くために、2代目RVRはたびたび改良を行います。 1999年にはシャリオグランディスのようなラグジュアリーな仕立ての「スーパーエクシード」を加え、同年のマイナーチェンジでスポーツギアをエアロ仕様に一新。 このマイナーチェンジでは、グレード体系が見直された他、これまで片側のみだったスライドドアが両側に装着されました。 ▲RVRスポーツギアエアロ ▲RVRスーパーエクシード しかし、日産「キューブ」や「エルグランド」、トヨタ「ハリアー」、マツダ「デミオ」など、新しい価値観のクルマが続々と登場するなかで、RVRが再び注目を集めることは叶いませんでした。 以後は大きな改良を受けることなく、2001年に登場した「エアトレック」にバトンを渡すようにして、2002年に生産を終えることとなります。 なお、現在のRVRは2010年に登場した3代目。 約10年のブランクを経ての復活となったモデルです。 とはいえ、こちらもマイナーチェンジを繰り返し、10年以上も生産が続いています。 ▲現行RVR 「ASX」の名で販売されていた欧州仕様は、2022年にフルモデルチェンジし、なんとルノー「キャプチャー」のOEMとなりました。 日本国内で販売される現行RVRは、早くも迷車の匂いがしてきますね……。 RVR不遇の時代は今も? 販売面では成功しなかった2代目RVR。 しかし、クルマそのものをよく見てると、実にユニークなキャラクターを持っていることがわかります。 ネオクラシックの入口に差し掛かっている今、乗っていたらオシャレかもしれません……と、中古車情報サイトを見てみると、なんと掲載はわずか3台でした。 2002年まで作られていながら早くも絶滅危惧種とは、迷車度の高い迷車といえそうです。 4G63ターボを搭載するスポーツギアなんて、なかなか良さそうな気がしますけどね。 [ライター・木谷 宗義 / 画像・三菱自動車]
みなさんは、フェラーリがどんな街で生まれたかをご存知ですか? フェラーリの車名、575Mマラネロにも起用されているため、フェラーリの誕生地がマラネッロということは周知されているかもしれませんね。 今回はマラネッロってどんな街?どんなことができるの?という点についてご紹介いたします。 ■フェラーリ博物館は必見!マラネッロへのアクセスは? マラネッロは国際空港があるミラノから南東に約150km、モデナという街からの16kmほどの離れたところに位置しています。 人口は約17,000人で、典型的なイタリアの田舎街という感じです。 マラネッロへは、モデナ駅からバスでアクセスすることが可能です。 ちなみに、ランボルギーニの本社はサンターガタ・ボロニェーゼという街にあり、マラネッロからクルマで約30分の場所に位置しています。 マラネッロでもちろん有名なのはフェラーリ博物館。 その博物館の周りには、以下写真のようにフェラーリや、その他高級車のテストドライビングができる施設などが多く立ち並んでいます。 博物館を訪れた後、そのカッコよさと迫力に感化され、ついつい運転してみたい!という気持ちが高まること間違いありません。 イタリアで高級車のテストドライビングをやってみたい!という方は、日本で国際免許証の取得をお忘れなく! 車種や走行距離にもよりますが、最低でも100ユーロからの費用になるようです。 博物館には観光バスも多く停まっており、結構混み合っていました。 個人的に、他の自動車博物館に比べて展示台数が少ないという印象でしたが、なかなかお目にかかることができない車輌が展示されているので、フェラーリファンの方にはたまらないことでしょう! 私はこの博物館で、初めて触れる距離でF1レースカーを観たのですが、想像の3倍くらいの大きさがあり、そのスケールに超圧巻でした! 写真は博物館入り口です。 ■街中のいたるところで「フェラーリ」が感じられる マラネッロの街を散策するために、博物館から街中へ歩いて移動しました。 街中へと繋がっている参道には、フェラーリの歴史が書かれた看板が約50m間隔ごとに配置されており、それを読みながら進むのも面白かったです。 さて、徒歩10分ほどで街中へ到着しました。 早速ランナバウトの中心にフェラーリのエンブレムの跳ね馬が! その右手には跳ね馬がデザインされた花壇があり、その少し先にはフェラーリのサインが銅像化されているのを発見しました。 さすがフェラーリ一色な街だな、というのが第一印象でした。 そしてこちらのカフェの入り口では、2台のフェラーリがお客さんを出迎えてくれます。 こちらのカフェの裏側にもフェラーリが。 もはや博物館に行かなくても、マラネッロの街を散策するだけで良かったのでは?!と思ってしまうほど、フェラーリがあちこちに点在しています。 (でも限定グッズやお土産も豊富なので、マラネッロへ来たからにはやっぱり博物館はマストです!) カフェのコンセプトはもちろんフェラーリ。 また別のカフェではレースの実況を放映しており、地元民であろう方々が盛り上がっていて、やはりフェラーリ愛にあふれた街であることは間違いなさそうです。 ■突然鳴る鐘は何事?!なんと市役所にもフェラーリの秘密が… イタリアでは12時など、きりの良い時間に教会の鐘が鳴るのですが、マラネッロでは何でもない時間帯に鐘が鳴ることがあります。この鐘の正体を近くにいた警備員さんに聞いてみました。 すると、「フェラーリがF1で優勝すると鐘が鳴るんだ」と教えてくれました。 ちょうど立ち寄ったカフェの前に市役所があり、日曜日にも関わらず空いていたので、入ってみることに。 なんと入口がフェラーリのミニ博物館になっていました! 創設者の「エンツォ・フェラーリ」の写真をはじめ、博物館では展示されていないフェラーリの歴史についての展示物がいくつかありましたので、ご紹介したいと思います。 フェラーリファンの方では有名な話かもしれませんが、なぜフェラーリは跳ね馬がエンブレムに選ばれたか、ご存知でしょうか。 まず、下記の写真について説明少し説明させてください。 写真左手がフェラーリが残した跳ね馬について語った羊皮紙、中央の左手ははがきで使われた跳ね馬デザイン、中央右手に現在のフェラーリのエンブレム、写真右手がフランチェスコのお母様(フランチェスコについては下で説明します)、そして中央がフランチェスコ・バラッカの写真です。 フェラーリが残した馬について語った羊皮紙には、下記の文章が書いてあります。 “跳ね馬の物語はシンプルで魅力的なんだ。 この小さな馬は、第一次世界大戦のエース中のエース、モンテッロで墜落した英雄的飛行家フランチェスコ・バラッカの戦闘機の機体に描かれていたものだ。 私が23年にラヴェンナで開催された第1回サヴィオサーキットで優勝したとき、その英雄の父エンリコ・バラッカと母パオリーナにお会いし、知り合うことができた。 そしてある日のこと、彼らが私にこう言ったのだ。 「フェラーリ、息子の跳ね馬をあなたのクルマに乗せてください。それはあなたに幸運をもたらすでしょう」と。 そのエンブレムを私に託してくれたご両親の献辞とともに、私は今でもバラッカの写真を大切に保管している。 小さな馬は昔も今も黒色のままであるが、私はモデナの象徴色である黄色を背景に加えたのだ。” これがフェラーリが残した跳ね馬の物語なんですね。 実際の写真の展示はなかったですが、フランチェスコ・バラッカが乗っていた機体の絵の展示がありました。 確かにフェラーリと同じ跳ね馬が機体に描かれているのがわかります。 市役所は決して展示物が多いわけではありませんが、フェラーリの歴史について触れることができ、面白かったです。 帰り際にはこちらのハガキを好きなだけ持って帰っていいよいってくださり、一枚ずついただいて帰ってきました。 ■おわりに フェラーリが誕生した街は、フェラーリ愛に溢れたのんびりとした街でした。 ぜひフェラーリファンの方、イタリア旅行の際、足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと、生誕の地ならではのオーラを感じられるはずです。 [ライター・画像 / PINO]