エディターズノート

雨が降るかもしれない日は取材を諦めて・・・の話
エディターズノート 2022.08.21

雨が降るかもしれない日は取材を諦めて・・・の話

雑誌やweb記事などを合わせると、何だかんだで年間100人くらいの方にオーナーインタビューをしている。 案件によって異なるが、人物やクルマの撮影をプロカメラマンさんに任せ、自分はインタビューに専念するケース、撮影からインタビューまですべて自分1人で行うケース、さまざまな「大人の事情」でメールやLINEでのやり取りというケースもある。 いずれの案件も、その取材対象の方にお声掛けし、コーディネートするのも自分の役目だ。 メーカーの広報車であれば、たいていは最新モデルだから雨の日でも撮影ができる。 汚れてしまった場合でも、内外装ともにきちんと洗車して、ガソリンを満タン返しにすれば大丈夫だ。 しかしオーナーが所有するクルマ、ましてや旧車およびネオクラシックカーを取材させていただく場合、そうはいかない。 雨の日はクルマ(趣味車)には乗らない、乗りたいくないというオーナーさんが少なくないからだ。 そういえば、以前こんなことがあった。 とあるネオクラシックカーをフルレストアしたオーナーさんを取材したときのことだ。 カメラマンさんと待ち合わせした場所は曇りだったのだが、撮影場所に近づくにつれて雲行きが怪しくなっていった。 道中、カメラマンさんに「もしかしたら、今日の撮影、延期になるかも・・・」とお詫びをしておいた。 事情が分かっているカメラマンさんは理解してくれたが、無駄足を踏ませることになるかもしれないのだ(事実そうなってしまった)。 そして、現地に到着した頃にはいつ雨が降り出してもおかしくないような天候だった。 待ち合わせ場所に現れたレストア完了後のネオクラシックカーは、見るからにコンクールコンディションといっていいほど、細部にいたるまでピカピカだった。 オーナーさんのこだわりと愛情が痛いほど伝わってきた。 ひととおりの挨拶を済ませ、ふと、オーナーさんに目を向けてみると、いつ雨が降らないかとソワソワしていることが分かった。 とても撮影を含めた取材に集中できるような雰囲気ではなかった。 そこで「今日は撮影を断念して、いったんオーナーさんの車庫に愛車を停めて、インタビューだけやりましょう。撮影は後日。雨が降らない日に!」 と提案すると、オーナーさんもほっとしたようだった。 無駄足を踏ませてしまったカメラマンさんには申し訳ないけれど、雨雲レーダーをにらみつつ、とにかく急いでオーナーさんの自宅に向かった。 その後、どうにか雨を回避でき、愛車を車庫に停めたあとに近くのファミレスでインタビューを行った。 オーナーさんも、愛車を雨に濡らすことなく、無事帰宅できたことに安堵しているようだった。 そして後日、快晴の日に撮影を行い、無事にオーナーインタビュー記事として公開することができた。 実は今日(8月21日)も、本来であれば、あるネオクラシックカーとそのオーナーさんを取材させていただく予定だった。 週間天気予報では晴れマークだったのに、2日前くらいから急に雨の予報へと変わった。 そこからあらゆる天気予報のサイトをチェックして、取材実施か、それとも延期かの判断をすることとなった。 オーナーさんの本音としては、今日の取材を希望されているようだった。 基本的に前日の夜に取材実施か、延期かを決めることが多いが、今回は判断が難しい予報だったため、当日朝に決定とした。 できるならばその希望を叶えたい反面、これまで無理やり雨天時に取材して、結果的に雑な撮影になってしまったことが過去に何度もあったのだ。 アナログ人間といわれてしまいそうだが、最終判断の目安は「NHKの天気予報」と決めている。 お天気キャスターの解説や雨雲レーダーや時系列予報などを見て、取材できそうかどうかの判断をする。 今朝も、目覚ましを午前5時45分にセットして、NHKの天気予報をチェックした。 総合的に判断した結果、今日の取材は雨天延期とした。 撮影中に雨が降る可能性が高いと踏んだのだ。 申し訳ないなあと思いつつ、オーナーさんとカメラマンさんにその旨を伝えた。 しかし、あくまでも天気「予報」なので、この予想が外れることがある。 今日の天気がまさにそれだった。 気象レーダーや時系列予報でも雨だったのに、現時点(13時15分)で、気象レーダーを見る限り、撮影場所は曇りのようだ。 結果論ではあるが、おそらくは雨に降られることなく取材できただろう。 さすがにオーナーさんやカメラマンさんから苦情の連絡が入ることはなかったが「雨が降るかもしれない日は取材を諦めて・・・」と簡単に気持ちが切り替わるものでもない。 まるで今日の天気のように、モヤモヤした日曜日の午後を過ごしてもいいことがないので、締め切りが迫っているいくつかの原稿(*この原稿もそうだが)を一気に書き上げて気を紛らせた。 じっとしているより、動いている方が楽なのだ。 これまで何度も経験しているが、本当に、これだけは慣れることがない。 そして、可能な限りの情報とこれまでの経験則から答えを導きだしても予想が外れる。 悲しいかな、今回もそのなかの1回に過ぎないのかもしれない・・・。 余談だが、NHKの天気予報以外にチェックしている天気予報のサービスをまとめてみた。 独断と偏見で所感も追記しておく。ご参考になれば幸いだ。 ・NHKニュース防災アプリ:手堅い予報なので迷ったときの最終判断はここ・Yahoo!天気アプリ:良くも悪くも予報がコロコロ変わる。直前(向こう数時間)の天気を予想する際には有用・tenki.jpアプリ:大胆な予報が多く、大当たりか大ハズレのどちらか・ウェザーニューズアプリ:個人的は判断材料のひとつにしているサービス(有料会員)・気象庁アプリ:本家の情報なので、1週間先の予報の目安として利用 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

「"買えば何とかなる"という悪魔の囁き」を真に受けてはいけない話
エディターズノート 2022.08.15

「"買えば何とかなる"という悪魔の囁き」を真に受けてはいけない話

クルマ好きのあいだでたびたび交わされる常套句のひとつに「買えばなんとかなる」がある。 購入を迷っている友人・知人に対して、ドスンと背中を押す(殺し文句?)ともなりえる破壊力を秘めている。 「買えば何とかなる」。 いやはや、実に何とも無責任な発言だ(笑)。 この言葉に乗せられて購入を決めてしまった当の本人は「買えば何とかなる」のではなく、「買ったら何とかするしかない」のが現実だ。 迂闊に口走ると、その人の人生を狂わせかねない。 実は「買えば何とかなる」の文字(言葉)の裏には隠れているメッセージがある。 「買えば何とかなる(※ただし、勢いだけで手を出していなければ)」がコトの真相だ。 「買えば何とかなる」で買おうとしているクルマは、たいていの場合、ちょっと、もしくはかなり無理をしないと手が出せない存在だったりする。 虎の子の貯金や埋蔵金(へそくり)、定期預金などを解約して軍資金に充てることも少なくないだろう。 そしてここからが本題であり、運命の別れ道だ。 「買えば何とかなるクルマを買う行為そのもの」が目的なのか、「買えば何とかなるクルマを買ってからの未来予想図が描けるか」。 これをご自身でじっくりと、それも短時間のうちに見極める必要がある。 一見すると相反しており、矛盾していることに気づくだろう。 では、なぜ「じっくりと、それも短時間のうち」なのか? それはモタモタしていると、突如現れたライバルが「横からあっさりとかっさらっていく」可能性があるからだ。 つまり、迷っている時間はないと思った方がいい。 直観的に前者だと感じた場合「勇気ある撤退」を勧める。 買うことが目的だと気づいた場合、納車された瞬間にその想いは冷める。 そしてこう思うのだ。 「オレ、なんでこんなの買っちゃったんだろう」と。 衝動買いしたクルマへの想い入れが希薄なだけに、おのずと扱いも雑になる。 その結果、多少の不具合が気になっても先送りしてしまう。 軽い気持ちで手に入れたのだから仕方がない。 そして、決定的なトラブルや、車検のときに膨大な費用が伴うことが判明して、二束三文でも構わないと手放してしまう。 これではオーナーも、嫁いできたクルマも不幸だ。 それゆえ、もっとも避けておきたい「悲劇」といえるだろう。 逆に後者だった場合、費用面の算段がつくのなら「清水ダイブもあり」だ。 このクルマとこんな場所を走ってみたい、自分ならココに手を入れてみたいといった、「購入したあとのカーライフ」が描けるとしたら・・・それはきっと、幸運の女神が微笑んでくれたと信じていいはずだ。 さらにもうひとつ、何としても避けておきたいケースがある。 授業中なら「ココ、テストに出るぞ!」といいたくなるほど重要なポイントだ。 それは「迷っているうちに他の誰かにかっさわられる」というオチだ。 経験がある方は分かると思うが、これはかなりダメージが大きく、意外なほど尾を引く。 その理由として「あと一息だったのに!それならもっと程度の良い個体を見つけてやる!」と、このときの悔しさを打ち消すこと自体が目的となり、その後の判断や行動を大きく狂わせる可能性を秘めているからだ。 そんなわけで、自分で決断を下すのではなく、外的要因、つまり強制終了となってしまう事態だけは何としても避けたい。 「ぜったいに手に入れてやる!」という、「買うことが目的」のトリガーになりかねないからだ。 数十万、下手をすると一千万円単位の出費が伴うこともあるだろう。 プラモデルやミニカーを買うのとはワケが違うのだ。 多くの場合、失敗すると日常生活に影響をおよぼしかねないからだ。 普段から何となく気になっているクルマが、突如、現実的な選択肢として目の前に現れることがある。 周囲の友人・知人に相談すれば十中八九「買えば何とかなる」といわれるに決まっているし、当の本人もどこかでそれを望んでいるはずだ。 繰り返しになるが、この「悪魔の囁き」を真に受けてはならない。 重大な決断を下すのも、そして引導を渡すのも「周囲惑わされず、自ら決断を下す」ようにしたいものだ。 もちろん、自分自身への戒めも込めて。 [ライター・撮影/松村透]        

主治医のセカンドオピニオン問題について考える
エディターズノート 2022.08.11

主治医のセカンドオピニオン問題について考える

人間や一緒に暮らしている動物と同様に、古いクルマを楽しむためにも主治医の存在は不可欠だ。 主治医と知り合うきっかけは人それぞれ。 口コミやネットなどで評判を聞きつけてオーナー自ら主治医のガレージを訪ねる人、友人や仲間の紹介というケースもあるだろう。 誰よりも愛車のコンディションを把握していて、トラブルが起これば根気強く直してくれる。 出先でクルマが動かなくなったときは、休みの日でも積車で駆けつけくれる主治医もいる。 多くのオーナーにとってこれほど心強い存在はいない。 その主治医は1人でなくても構わない。 セカンドオピニオンとしてもう1人(あるいはそれ以上の)主治医がいてもいいのだ。 事実、車検はAさん、重整備はBさん・・・といった具合に、用途や目的に応じて主治医を使い分けている(こういう表現は好きではないけれど)オーナーさんも実在する。 ここから先はあくまでの個人的な考えだが、こちらの記事でも触れたように、主治医のセカンドオピニオンについては反対というスタンスだ。 ■突然の愛猫の主治医探しに奔走して痛感した「古いクルマの主治医の大切さ」の話 https://www.qsha-oh.com/historia/article/personal-doctor/ それには理由がある。 古いクルマのメカニックというと、広告はもちろん、工場の目立つところに看板すら出さずに1人で黙々と、少しだけシャッターを開けてその奥で作業しているなんてことが少なくない。 自社のホームページやSNS、YouTubeチャンネルを持っている(自ら更新している)人もおそらく少数派だろう。 商売っ気がないともいえるし、自分のペースで黙々と納得のいくまで、自分の技術を信頼し、愛車を託してくれるオーナーのクルマだけ面倒を見たいという職人気質の人も少なくない。 そんなわけで、傍目にはぶっきらぼうだし、無愛想に映るかもしれない。 場合よっては怖い人…に映るかもしれない。 けれど、それはあくまでも表面的なことだ。 いちど心を許せば案外饒舌だったり、さまざまなアドバイスもくれたりする。 つまり、不器用なだけで「根は優しい人」が多いような気がしている。 セカンドオピニオンということは、自分の技術を信頼してもらえていないと思われても仕方ない。 と同時に、他のメカニックが整備した箇所をいじりたくないと考える人も多い。 人それぞれやり方があるからだ。 セカンドオピニオンをする必要があるくらい不安なら、安心して任せられる主治医を新たに見つけるか、どちらか1人にしぼるか、いっそのこと古いクルマを手放した方がいいかもしれない。 1台の古いクルマと徹底的に付き合う。 それはイコール、1人の主治医を信じ抜くことと同義ではないか? そんな気がしてならない。 [ライター・撮影/松村透]

徹夜2日目深夜にスタミナラーメンを食べにいった末路・・・の話
エディターズノート 2022.08.07

徹夜2日目深夜にスタミナラーメンを食べにいった末路・・・の話

働き方改革とか、ライフワークバランスなんて言葉を耳にするようになって久しい。 しかし、ホンの少し前まではそんな悠長なことはいってられなかった。 期限や納期までに間に合わない・・・。 どうすれば・・・。 四の五のいわず徹夜するしかなかったんである。 ■かつて徹夜はあたりまえだった? 俗にいう「クリエイティブ」な業界に身を置いていた。 デザイナーとか、ライターとか、アカウントエグゼクティブとか、とにかく横文字の職業や肩書きが氾濫していた。 パソコンはもちろんMacだった。 別に格好をつけていたわけじゃない。 フォントやアプリケーションといった製作環境が印刷会社とほぼ連動していて、それがたまたまMacだったのだ。 スターバックスでMacBook Airを広げてWi-fiに接続して優雅に仕事・・・なんてつい最近のことだ。 それはさておき、一見すると華やかな世界に映るかもしれないが、基本的にはクライアントからの無理難題な修正と納期に追われる泥臭い世界だった。 納期に間に合わせるには・・・繰り返しになるが徹夜するしかないんである。 深夜、急な修正が入り、納期待ったなし。 印刷会社の担当営業さんと2人でクルマに乗り込み、帰宅寸前の女性デザイナーを拉致して会社まで連れ帰ったこともあった。 自宅が目の前というタイミング、しかも深夜に会社へ強制送還されて徹夜・・・。 気の毒としかいいようがない。 ■徹夜のお供・・・それはサザンオールスターズだった いま、8月4日の23:51。 会社員時代、徹夜を決め込んでコンビニでカップラーメンを買って食べていた時間帯とちょうど重なる。 昼間は打ち合わせやらメールの対応等々でなかなか仕事がはかどらないので、結構な頻度で徹夜をしていた。 社内に1人だとたまに心細くなるので、BGMをかけた。 いまのようにYouTubeで「仕事用BGMが選び放題」なんて時代じゃない。 「サザンオールスターズ茅ヶ崎ライブ2000(wowow独占)」を録画した映像がBGM代わりだった。 深夜0時にスタートして明け方5時手前くらいで終わるので、夜食を食べる頃にビデオを再生するとあとはノンストップでokだ。 茅ヶ崎ライブが終盤にさしかかるとそろそろ帰り自宅の準備に取り掛かる。 いったん帰宅して着替えてまた出社するためだ。 準備するための目安となる曲は「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」だった。 いまでもラジオなどでこの曲を聴くたびに「あ、そろそろ帰る準備しないとな」と考えてしまう。 ■徹夜2日目深夜にスタミナラーメンを食べにいった末路 いまから20数年前、某自動車メーカーの取扱説明書の納期に追われていたとき、2日連続で徹夜となった。 2日目の深夜。疲労はピークに達していた。 当時の上司、そしていまでも外車王SOKENおよび旧車王ヒストリアでご一緒している北沢氏と3人で深夜営業のスタミナラーメンを食べに行こうという話になった。 社用車に乗り込み、上司がオススメするスタミナノリラーメンを食べた。 場所は四谷だったと思う。 ラーメン通を任ずる上司オススメのスタミナノリラーメン! 濃い目のスープとニンニクが効いて元気100倍。 これなら朝まで乗り切れそうだ。 一気にHP(ヒットポイント)を回復して会社に戻った。 ・・・と、ここまではよかった。 空腹が満たされたことで、いつの間にか寝てしまったんである。 自分でもアホとしかいいようがない。 ハッと目が覚めると3時間くらいは寝ていたことに気づいた。 北沢さんも寝落ちしていたように思う。 スタミナラーメンの効果なのか、いちばん年上の上司だけは黙々と作業していた。 目が合い、ジロリとにらまれた。 なんてタフな人なんだ。 いえ、すいません。仕事します・・・。 ■徹夜自慢は時代遅れ? 最近は業界を問わず徹夜を禁ずる企業が増えてきたようだ。 いい傾向だと思う。 徹夜したことによる弊害は予想以上に大きい。 徹夜したからといって、夜7時から翌朝7時まで12時間フル稼働なんて不可能に近い。 かくゆう自分も、独立してから1度も徹夜をしたことがない。 正確いうとできないんである。 途中で寝落ちしてしまうのだ。 おじさん世代は飲みの席で「徹夜自慢」の話題になると妙に盛りあがる。 と同時に、若い世代の方をドン引きさせてしまう。 徹夜自慢なんてもはや時代遅れ。 早く死語になってほしいと思う。 そういえば、20数年前の深夜に訪れたラーメン屋さん、調べてみたら東京都新宿区四谷にある「一心ラーメン」だった。 いまも変わらず営業しているようだ。 久しぶりにスタミナノリラーメン食べてみたくなった。 深夜のドライブの合間に・・・が理想だが、食べたあと寝落ちしない時間帯にしておこう・・・というと、いつ行けばよいんだ? [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

免許取得当時、親父が所有していたクルマのカタログを入手して思うこと
エディターズノート 2022.08.07

免許取得当時、親父が所有していたクルマのカタログを入手して思うこと

■父親がかつて所有していたクルマのカタログを入手 先日、かつて親父が初めて新車で手に入れたクルマのカタログを「ようやく」入手することができた。 それはAE100型のトヨタ スプリンターのカタログ。 バブル絶頂期に発売されたモデルで、歴代モデルにおいていまだに「オーバークオリティ」と称されているモデルだ。 売れに売れたモデルだけに、ヤフオクやメルカリなどで検索すれば割と簡単に手に入る・・・かと思いきや、なんだかんだで1年くらい掛かった気がする。 ■メルセデス・ベンツからクレームがついて「SEL」から「SE-Limited」に改称 たしか、親父が手に入れたグレードは「1500SE-Limited」。 この型のカローラ/スプリンターでは最量販モデルと記憶している。 デビュー当時は「SEL」というグレード名だったのが、メルセデス・ベンツからクレームがついたらしく「SE-Limited」に改称されたタイミングで手に入れた。 ボディーカラーは両親が好きだったグリーン系の「グレーイッシュグリーンメタリック」だった。     この色も、AE100型では定番のボディーカラーだったように思う。 筆者が運転免許を取得したとき、親父が乗っていたのがこのスプリンターだったこともあり、必然的に運転の練習をこのクルマで行うことになった。 当時の筆者はスポーツカー、そしてMT車に乗りたくて仕方がない時期だった。 それだけに、スプリンターのような「ごく普通のセダン」にはまったく興味が持てなかった。 とはいえ、高校を卒業したばかりの学生の身分で理想のクルマを所有するのはかなり無理があった。 それとたまたま周囲から「タダであげる」とか「5万円でどう?」みたいな話が舞い込んでこなかったのだ。 その後、ハタチのときに、アルバイト先で「ゴルフII GTIを30万円で買わない?」という話をいただいた。 当時はゴルフの良さを知らず、この魅力的なオファーを蹴ったのだ。 左ハンドルの3ドア、黒のゴルフ2 GTI、5速MT。30万。 今ならプレミアモノの仕様だ。何やってたんだ当時のオレは。 ■ハタチ前の自分にはスプリンターは苦痛でしかなかった 話を戻そう。 待ちに待った運転免許の取得だっただけに、運転する行為は楽しいけれど、スプリンターでは退屈でつまらない・・・。 ステアリング越しに伝わってくるフィーリングはあいまいそのもので、シャープさとは無縁。 乗り心地もいかにも大衆車然としていてスポーティーさのカケラもない。 そう、カローラ/スプリンターの魅力が当時はまったくといっていいほど分からなかったのだ。 そんなある日、恩師のご厚意で当時所有していたユーノスロードスターを1日貸してもらえることになった。 シャープなハンドリング、小気味よいシフトチェンジ。 そして何より人生初のオープンカー体験。 寝る間も惜しんで無我夢中に走ったのは懐かしい思い出だ。 それから数日後、親父のスプリンターを運転してみると、あまりのだるさにストレスマックスだった。 早く自分のクルマが欲しい・・・。 しかし現実は・・・。 自動車誌を読むたびに鬱屈とした日々を送る羽目になってしまった。 結局、初めての愛車を手に入れたのは24才のときだった。 このときのことは長くなるので別の機会に譲るが、いま考えてもとんでもない暴挙にでたと思う。 ・・・とまぁ、AE100型スプリンターのカタログを読み返しながら、当時の記憶が怒濤の如くに甦ってきた。 若いときに聴いていたヒット曲を耳にするだけで、当時の記憶が甦るという経験はあるが、クルマのカタログでも同じ現象が起こるとは・・・。 筆者はここで次のアクションを起こした。 クルマ好きの方であれば「やっぱりな」と思われるかもしれない。 カーセンサーでAE100型スプリンターの売り物件を調べてみたのだ(やはりそうか・・・と思われたはず)。 8月3日現在、全国でスプリンターの売り物件はわずか10台。 月に数万台も売れたはずのに10台しかないのである。 AE100型にしぼった場合、わずか2台・・・いずれも後期型だ。 AE100型カローラにいたってはなんと「0台」。 オイオイマジか・・・。 ■売れに売れたクルマが後世に残るとは限らない あれだけ街中を走っていたAE100型、その多くが廃車になったり、海外へと旅立っていったのだろう。 AE100型カローラ/スプリンターと同年代のスポーツ系ネオクラシックカーがとんでもない相場で取り引きされている反面、大衆車はひっそりと日本の路上から姿を消していく運命にあることを改めて痛感した。 方や新車以上のプレミア価格、方や絶滅危惧種・・・。 AE100型スプリンターのレスキュー案件が舞い込んできたら、思わず「買いますよ」といってしまうかもしれない。 これは余談だが、義父がカローラアクシオを所有していて、運転させてもらう機会がしばしばある。 ステアリング越しに伝わる印象は適度に情報量があって疲れない。 乗り心地も特別良質というわけではないけれど、これはこれで充分と思わせてくれる。 そして何より、タフであり、乗っていく時と場所を選ばない。 老若男女問わず扱いやすく、疲れない。そして壊れる心配がない。 さらには実用的で現実的な価格。 カローラ/スプリンターよりも高級で、高性能なクルマはいくらでもある。 しかし、クルマとして、機械としてこれほど優れたハードウェアはなかなか存在しないように思う。 全方位スキがないのだ。 「クルマなんてこれで充分でしょ」と改めて教わった気がする。 カローラ/スプリンターの機械としての優秀さ、そして偉大さに少しだけ気づくことができるようになったってことは、少しは自分も大人になれたのかもしれない。 [画像/トヨタ・松村透 ライター/松村透]  

「夏が来れば思い出す・・・」の話
エディターズノート 2022.07.31

「夏が来れば思い出す・・・」の話

夏の思い出は人それぞれだと思うが、自分自身のことを振り返ると「急に独立することになった」9年前の夏を振り返ってしまう。 確かお盆明け、事務所に行くと突然社長から「9月末でここの事務所を閉じるから、親会社に戻るか独立するか決めなさい」といわれたのだ。 これぞ青天の霹靂というべきか、あまりにも急な展開で驚いた。 「あと1カ月しかないじゃん・・・」 困惑しなかったといえばうそになる。 いや、困惑をとおりこして混乱したというのが正直なところかもしれない。 だからこそ、強烈な記憶としていまでも脳裏に刻まれているんだと思う。 その後、どういう経緯だかは忘れてしまったが、会社の顧問が面談することととなった。 顧問の方は自動車業界に携わる人であれば誰でも知っているであろう、Y社の副社長まで勤め上げたキレ者という印象があった。 単に副社長まで出世したからという話ではない。 洞察力に優れた方という印象が強かったのだ。 で、キレ者の顧問と面接することになった。 事務所を閉じることになった経緯をひととおり聞いたあと、「親会社に戻るか独立するか」のファイナルアンサーを求められた。 そのときなぜか「独立します」と答えてしまったのだ。 なぜそう答えたのか自分でも分からない。 せっかくの機会だからやってみようと思ってしまったのだ。 当時は独身で、誰にも迷惑を掛けるわけではないことも大きな理由だった。 しかし、小さな事務所だったので、9月末までにリース品を返却したり、不要な什器を処分してもらう手配など・・・。 社長と手分けをしてでもやることは山のようにあった。 そんなことをしているうちに9月末を迎えてしまったのである。 一応、開業届を出し、銀行口座を開設したりはしたが独立したときに「今後ともよろしくお願い申し上げます」的なハガキやメールでの案内や、挨拶回りなども一切やっていなかった。 いま思えばどんだけ呑気だったのだろう。 そして9月30日。 人が4,5人も入れば満杯になる狭い事務所も、撤収が完了したがらんとした状態であれば広く見えるから不思議なものだ。 この日で最後となる事務所の電気を消し、扉の鍵を閉めた瞬間から「自由の身」となった。 明日からはここには来なくていい。 何時に寝ようが、何時に起きようが自由だ。 とりあえず、電車に揺られていつものように帰宅した。 だいぶ自宅まで近づいてきたとき、昔の職場の同僚がこちらの事情を察して「いまから飲まない?」とメールをくれた。 ここからだとずいぶん引き返すことになるが、明日は早起きをしなくていいし、何だかこのまま帰宅しても・・・という気分だったので、上りの電車に飛び乗った。 で、ここぞとばかりに飲んだんである。 それも終電近くまで。 明日からは早起きして通勤電車に揺られなくていいからではない。 少しでもこれから先の不安を紛らわせたかったんだと思う。 泥酔状態で帰宅して、それでもなんとかシャワーを浴びて横になったんだと思う。 翌朝、朝ドラを観ながら「これからどうしよう・・・」と不安でならなかった。 なにしろ、収入の宛てがほとんどないのだ。 フリーランスといえば聞こえはいいが、仕事がなければニートと紙一重だ。 今日からは「食い扶持は自分で見つけてこなければならない」という、重い現実がのし掛かってきた。 それからしばらくは「平日に家にいる」ことが慣れなかった。 仕事のメールも急に届かなくなった。 それはつまり、収入源となる仕事がないことを意味した。 で、必死になって仕事を探した。 が、大してキャリアのない人間がいきなり連絡をしてもなしのつぶて。 これはまずい。 幸い、会社員時代に担当していた仕事を社長がこちらに振り分けてくれたこと、別の職場の元上司が独立後初のなる仕事の紹介をあっせんしてくれたことで、何とか0スタートは回避できた。 とはいえ、毎月の定期案件ではなかったので、売り上げが0円の月もあった。 いま振り返っても本当にあのときは辛かった。 「黙っていても毎月確実に決まった額の給与が振り込まれる」ありがたみをこのとき改めて痛感したように思う。 2007年にこの世を去った植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌っていたが、生活が保障される安心感がそのまま精神の安定につながることは紛れもない事実だと知った。 あれから9年。 おかげさまでいまでは休む暇もないほどお仕事をいただけるようになった。 ときどき、せめて半日くらいはのんびりしたいなぁと思うことはあるが、予定がスカスカの日々より、締め切りに追われて考えるヒマもないほどの方が精神的には落ち着く。 この原稿にしたって、朝4時に起きて、これから取材というタイミングで書いている。 ボーッとするくらいなら仕事をしていた方が精神的にも落ち着く。 9年前のあのとき、親会社に転籍していれば生活は安定したはずだ。 土日もゆっくり過ごせたに違いない。 でも、これでよかったんじゃないかとようやく思えるようになってきた。 その理由として「他の人には任せられない案件なので・・・」とご指名いただける機会が増えてきたからだ。 会社員時代に「君の代わりはいくらでもいる」といわれて悔しい思いをした身からすればウソみたいであり、実にありがたい話しだ。 近頃の唯一の息抜き。 それは子どもたちと遊ぶ時間と、2週間に1度、わずか1時間程度だが愛車をドライブすることだろうか。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

旧車の主治医とライターの納期の遅れに悩まされる話
エディターズノート 2022.07.17

旧車の主治医とライターの納期の遅れに悩まされる話

古いクルマに乗る人の多くが「頼れる主治医がいてこそ成立している」ように思う。 なかには車検はもちろんのこと、エンジン載せ換えやオーバーホールなどの重整備をオーナー自ら行う方もいて、(その環境と技術スキルの高さに)驚きと羨望のまなざしを送ることもしばしば。 とはいえ、いざというときに主治医がいると心強いのは確か。出先で故障したら、休みの日なのにわざわざセーフティーローダーで迎えに来てくれたり、儲け度外視で愛車の面倒を診てくれたり・・・。オーナー以上に愛車のコンディションを把握しているというケースも少なくないように思う。 古いクルマの点検整備を専門とする主治医に共通する事柄のひとつに「1人親方」であることが挙げられる。市街地から外れて、畑の真ん中や山の麓など、看板すら掲げずにシャッターを少しだけ開けて黙々と作業している方が多いような気がするのは気のせいだろうか。 で、いくつかある共通する事柄のひとつに「納期が守られないこと」ように思う。よくいえばとことんまで面倒を診てくれているとも解釈できるのだが、オーナーが希望する納期を守ってくれる方が少ない(笑)。ディーラーのような対応を期待してはまずいけない。それで怒り出すようなら組織だって(つまり、社員を雇って)店舗を構えているようなショップを選んだ方がいいと思う。納期の問題も改善される可能性が高い。 古いクルマに乗る以上、オーナー側に求められる素養として、ある程度のおおらかさ、寛容さが必須条件だ。主治医が計画通りに作業してくれなくても、怒らず、焦らず、そして泣き崩れず(笑)。これはクルマのコンディションについても同様かもしれない。パーフェクトを求めていたら、愛車の経年劣化よりも先にオーナーの方が疲弊してしまうだろう。 話は変わるが、編集長という立場上、各ライターさんに原稿執筆の依頼をするわけだが、そこにも(当然ながら)納期がある。きっちりと納期までに納品してくれる方、毎回遅れる方、面白いくらいハッキリと分かれている。 いまからライター業を目指すとするなら「毎回きっちりと納期守る」だけで、それなりに仕事の依頼があるように思う。それほど納期を守らないライターさんが多いということだ。 なかには確信犯的に遅れてくるライターさんもいて、本当は「納期は一昨日だ!早くしろボケー!」といいたいところをグッと堪えてにこやかに(?)対応している。編集長業務にもある程度のおおらかさ、寛容さが必須条件なのかもしれない(泣)。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

普段は「3ペダルMTより楽なクルマがいい」と気づいてしまった話
エディターズノート 2022.07.10

普段は「3ペダルMTより楽なクルマがいい」と気づいてしまった話

先日、これまでの愛車遍歴はすべてMT車という40代のオーナーさんを取材する機会があった。 1台のクルマを長く、大切に乗る方なので、愛車遍歴はどちらかと少ない方(現在の愛車を含めて4台)だと思う。 自分自身、MT車の方が、さらに厳密にいうと「3ペダルMT車」が理想の愛車だと信じて疑わなかった。 その昔、フェラーリ社のトップだったルカ・モンテゼーモロ氏が何らかのインタビューだが、ワールドプレミアの壇上で「これからのフェラーリはF1マチックが主流になる」といった趣旨の発言をしてひどく憤慨した記憶がある。 フェラーリといえばあのシフトゲートを操作するのが至高なのに、何てことをしてくれるんだ!と。その後、フェラーリF355F1からはじまったF1マチックはあっという間に各モデルへと波及し、いつしか3ペダルMT車は絶滅してしまった。 3ペダルMTの絶滅だけが理由ではないが、気がつけば自分も「いつかフェラーリを自分のモノにしよう、したい」という情熱が消えつつある(訳あって、現行モデルで手に入れてみたい1台があるのだが、非現実的なのはいうまでもない)。 先日、自分の愛車(趣味車)で参加したイベントの取材を兼ねて、自宅から100キロほど離れた場所へ向かった。奇しくも当日は猛暑日であり、しかも全国でもトップ3に入るような最高気温を記録する場所へエアコンレス&3ペダルMT車で出掛ける羽目になってしまった。 エアコン(もちろんクーラーも)レスなので、扇風機を車内に据え付けて出掛けたのだが、熱風しか出てこない。途中で止めてしまった。暑いだけではない。古いクルマなので、オーバーヒートのことも気にしなければならない。幸い、高速道路は渋滞もなく、5速で淡々と巡航したので問題なく現地に到着。取材することができた。 問題は帰路だ。炎天下のなか取材を続けているうちにイベントは終了。現地でお開きとなった。Google mapで帰路のルートを調べてみると高速道路はすでに渋滞。夕暮れどきとはいえ、30度を優に超える気温のなかの渋滞に飛び込む勇気はない。というか正直いって嫌だ(笑)。諦めて下道で帰ることにした。途中、渋滞に巻き込まれたときは油温が100度近くまで上昇した。そんなこんだで、油温計をにらめっこしながら自宅に着く頃にはぐったりしてしまった。 そういえば、運転免許を取得した当時、アルバイト先で配達に使っていたハイゼットもエアコンレスだった。もっというとラジオすらついていなかった。パワステやパワーウインドウもない。そこで私は「ハイゼットLM(ル・マンの略)」と命名して、炎天下の配達を楽しんだものだ。当時はまだ10代。エアコンがあろうとなかろうと、3ペダルMT車を運転できることが何より嬉しく、そして楽しかった。ヒール・アンド・トゥーの真似事もこのクルマで覚えた。 そろそろアラフィフに差し掛かる私にとって、いつでもどこでも3ペダルMT車で出掛けるのは苦痛になってしまっていたのだ。いつの間にか「楽なクルマがいい」と考えている自分に気づいてしまった。 セイラさんに「軟弱者!」とひっぱたかれようが、ブライト・ノア館長に「それが甘ったれなんだ!(引用が古い)」とぶん殴られようが、フェラーリを買えるほどの財力があったとしたら迷わずF1マチックを選んでいると思う。でも、マツダロードスターなら迷わず3ペダルMTを選ぶけれど。 子どもが大きくなったら・・・とか、定年退職後の楽しみに・・・なんて思う方がいらっしゃるかもしれない。健康なのうちに、気力があるうちに、可能な限りの3ペダルMTを楽しんでいただきたいと思う。 [ライター・撮影/松村透]

旧車王ヒストリアとは?ご挨拶に代えて
エディターズノート 2022.06.22

旧車王ヒストリアとは?ご挨拶に代えて

外車王SOKENに引き続き、この「旧車王ヒストリア」の編集長を兼務することになった。現在、このメディアを軌道に乗せるべく、日々奮闘中だ。 20代の頃、未経験なのを承知でいくつかの自動車雑誌編集部の門を叩き、文字どおり「門前払い」を食らった身としては夢のような話だ。あれから20数年・・・。媒体のコンテンツや依頼するライターさんまで、いち自動車メディア全体をコントロールできる編集長という立場(というか権限)を与えられたのだから、人生何が起こるか分からない。 そこでふと我に返った。「媒体全体をコントロールできる立場(というか権限)」ということは、自分のさじ加減ひとつで(もちろん制約はあるにせよ)どうにでもできる事実に気づいてしまった。その気になれば暴君になってなれる。かなり責任重大なのだ。 その気になれば「お友だち内閣」にすることもたやすい。気心の知れた各ライターの皆さんと、楽しく、和気あいあいとこの「旧車王ヒストリア」を運営しても、おそらくある程度は形になると思う。しかし、それでは読者の方にとってオモシロイと感じていただける記事はお届けできないだろう。 メディアに携わるうえの持論として「この仕事はサービス業」だと考えている。自己満足では意味がない。そのためにも、あらゆる手段を尽くして読者の方に「楽しんでいただく」必要がある。そのためには時にライター陣の皆さんと衝突することもあるだろう。袂を分かつことだってあるかもしれない。 前置きが長くなってしまったが「旧車王ヒストリア」とは、運営母体であるカレント自動車(株)が展開する買い取り事業「旧車王」を広く周知するための「オウンドメディア」だ。オウンドメディア・・・つまりはメジャーバンドに対するインディーズバンドのようなものだ。 オウンドメディアの利点のひとつに、広告主の顔色をうかがう必要がなく、その分、発信する情報の自由度が高い点が挙げられる。買い取り事業「旧車王」の買取り案件を増やすためのコンテンツを大量に投下してもいいわけだ。しかし、それでは単なる自己満足になってしまう。 2010年以前の車を旧車と定義し、旧車にまつわる過去・現在・未来の事象、そして何より魅力をさまざまな切り口から、その道に精通したライターの皆さんの力をお借りしていくつもりで準備を進めている。 そのなかのコンテンツのひとつとして、編集長である私の雑多なつぶやきを週に何回かお届けできればと思っている次第だ。 「この仕事はサービス業である」ことを忘れず、少しでも読者の方に楽しんでいただける記事・情報を配信していきたいと思う。 各ライターさんへのお声掛け、コンテンツの煮詰め・・・等々、ありとあらゆることがまだまだ手探りの状態。走りながら考えていかざるを得ない点も少なからずありそうだ。しばらくは試行錯誤の状態が続くと思われるが、ご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。 [ライター・撮影/松村透]

突然の愛猫の主治医探しに奔走して痛感した「古いクルマの主治医の大切さ」の話
エディターズノート 2022.05.25

突然の愛猫の主治医探しに奔走して痛感した「古いクルマの主治医の大切さ」の話

私の家には、先日、8才になったばかりの雌猫がいる。この子との出会いは、2014年に近所のスーパーで見掛けた「猫の里親募集」のチラシがきっかけだった。 スーパーからほど近いとある動物病院で保護されていた「元野良猫」だ。 この猫との初めての出会いはいまでもよく覚えている。すぐに連絡を取り、里親募集をしていた動物病院に行ってみた。 あいにくチラシに載っていた子はすでに引き取り手が決まっており、たまたまその場に居たのがウチの子だった。この子は里親募集のチラシには載せていなかったという。その理由を聞きそびれてしまったので、いまとなっては永遠の謎のままだ。 ウチの子のきょうだいを含めて何匹かの里親待ちの猫がいたのだが、見初めたのは、いわゆる雑種(キジトラ)の女の子だった。 他の子よりもひときわ鳴き、全開でかまってちゃんアピールをする子だった。このとき撮影をした動画をいまでも見返すことがあるのだが、本当にミーミーとよく鳴く子だった。そんな愛らしい素振りもあり、動物病院のスタッフさんたちは、私がこの子を気に入るに違いないと思っていたらしい。 この時点で生後1ヶ月半くらいだったので、もう少し成長してから・・・ということで、お迎えは初対面の日から半月くらい後に決まった。その間にケージやトイレなど、あらゆる猫グッズを取り揃え、万全の体制でお迎えする日を指折り数えて待ちわびた。 こうして引き取ってきた子猫を撮影したのが冒頭の画像というわけだ。この時点で生後2ヶ月くらい。「キトンブルー」と呼ばれるブルーの瞳が子猫である何よりの証だ。名前はリリィと名づけた。特に深い理由はない。入浴中に名前を考えていたとき「ふと降りてきた」のがこの名前だったのだ。 アメリカの独立記念日に我が家にやってきたリリィはとにかくよく動き回った。心配なので、家を空けるときはケージに入れておいた。ケージ生活が長くなると、不満を訴えてきたので、外に出してあげることにした。手のひらサイズだったリリィはあっという間に大きくなり、いまや体重5kgを超えるまでに成長した。幸いメタボではないが、典型的な家ネコのぽっちゃり体型となった。 それから年1回のワクチン接種、3泊以上の外出のときはこの病院が猫にとってのかかりつけ医であり、里帰り先(実家代わり)でもあった。 しかし、Xデーは突然訪れた。実家代わりだったこの動物病院が、院長先生の高齢化により閉院してしまったのだ。 時を同じくして、1週間ほど家を空ける予定があり、どこかに猫を預ける必要に迫られた。幸い、自宅から徒歩圏内にある動物病院で受け容れてくれることになり、無理やりケージに猫を押し込み、預けることができた。 新しい主治医(実家)となった動物病院のスタッフさんからは「何かあればご連絡しますよ」とおっしゃっていただいた。ありがたいなと思いつつ、預けてから1週間、とうとう1度も連絡がくることなく、お迎えの日となった。果たして1週間振りに再会したリリィは牢屋のようなケージの奥でうずくまり、買い主である私が来ても怯えているようだった。 それでも何とかケージに押し込み、自宅に連れ帰った。1週間頑張ってくれたご褒美にスペシャルご飯(ウェットフード)をあげたところ、一気に完食してしまった。しかし、帰宅してからずっとうなり続けていた。私のことを威嚇したり「シャー」をやるわけではないのだが、それでもずっと唸っていた。 突然見知らぬ新たな「実家」に連れて行かれ、狭い部屋に1週間も軟禁されていたのだから当然だろう。こうして、リリィが本来の落ち着きを取り戻すまで数日を要した。 翻って、旧車にも主治医の存在は欠かせないことはいまさらいうまでもない。近い将来訪れるであろう、交換部品の詳細や優先度、その個体特有の持病など、オーナー以上に愛車のコンディションを把握している唯一の人物だ。多くのオーナーにとって主治医なくして旧車との暮らしは成立しないといっても大げさではない。 そんな主治医が突然、工場を閉めるといったら・・・これは死活問題だ。個人的に「主治医のセカンドオピニオン」は反対なのだが、同じクルマを所有する仲間たちとのコミュニケーションを密にして「もしかしたら起こりうるかもしれない新たな主治医探し」への自衛策を普段から取っておくのが得策といえるだろう。なにしろ「Xデー」は突然訪れる。それも「よりにもよって」というタイミングに限って・・・。 [ライター・撮影/松村透]  

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