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3ドアコンパクトカーでありながらミッドシップレイアウトを採用した、ルノーのサンクターボ。WRCのホモロゲーション取得のため大衆車のサンクをベースに1980年代に開発されました。 本記事では、個性的なレイアウトと外観、レースで勝てる確かな性能を備えたサンクターボについて詳しく解説します。 WRCで勝つために生まれたルノー 5ターボ ルノー 5(サンク)は、先進的なデザインと高い実用性によって欧州でベストセラーになった大衆車です。サンクをベースに開発されたサンクターボは、レースで勝つことを目的に生まれました。 大胆な設計変更を加えて開発された、サンクターボの誕生を振り返ってみましょう。 ベース車輌の後席を取り払ってエンジンを搭載 サンクターボは、ベース車輌のサンク発売から8年後の1980年に登場しました。サンクはもともとFFの大衆車でしたが、サンクターボでは後輪駆動、しかもMRに変更されています。3ドアハッチバックの後席を取り払ったスペースにエンジンを搭載するという、思い切った設計によって実現しました。WRCで勝つという、ルノーの強い意志を感じるレイアウトです。 エンジンには、5アルピーヌのエンジンをベースに開発した、水冷式直列4気筒 1397cc OHVユニットを採用。ギャレット製インタークーラー付ターボチャージャーを搭載し、最高出力160ps/6,000rpm、最大トルク22.5kgm/3,250rpmを発揮します。 しっかりと作り込まれた基本設計 サンクターボの特徴は、個性的なエンジンの搭載位置だけではありません。WRCでしっかりと戦えるよう、基本設計もしっかりと詰められていました。サスペンションにはダブルウィッシュボーン方式を採用し、タイヤは前後でサイズが異なり、フロント190/55VR340、リア220/55VR365を装着します。 また、ルーフやドア、テールゲートがアルミ製で、そのほかのパネルにも薄い鋼板が使われている点も、ルノーがレースでの勝利にこだわっていたことがうかがえるポイントです。もともとコンパクトなサンクに、さらなる軽量化が施されました。 ターボ車としてのWRC初勝利を飾る サンクターボは、WRC史上初めてターボ車が勝利を挙げたモデルです。WRCでの勝利を目指して開発され、タイトルこそ獲得できなかったものの、歴史に名を残す活躍をしました。 まず、グループ4時代の1981年開幕戦モンテカルロで、いきなりの初優勝。翌年の1982年ツール・ド・コルスでは、2勝目をあげて実力の高さを証明します。さらに、グループB時代に突入後も、1985年のツール・ド・コルス、1986年のポルトガルでそれぞれ勝利を挙げ、合計4勝を挙げました。 性能面以外も個性的だった WRCで実力を証明したサンクターボですが、ロードカーとしても魅力あふれるモデルです。迫力のある外観、有名デザイナーによる内装など、個性的で特別感のある1台に仕上げられました。 ここからは、性能面以外でのサンクターボの魅力をみていきましょう。 大衆車がベースとは思えない迫力ある外観 サンクターボで真っ先に目を奪われるのは、リアの大きく張り出したフェンダーです。フロント、リアともにブリスターフェンダーではありますが、リア形状が醸し出す迫力は唯一無二だといえるでしょう。また、フェンダー前部に設けられたエアインテークも、戦うマシンであることを主張しています。 一方で、フロント周りを中心に、サンクのイメージを踏襲している点もサンクターボのアイデンティティです。大衆コンパクトカーのスタイリングを維持しながら、戦闘力をあげる工夫が随所に凝らされています。 マリオ・ベリーニが担当した内装 ホモロゲーション取得のために開発されたサンクターボですが、市販車としての質感にも徹底的にこだわっています。内装デザインを担当したのは、イタリアの有名デザイナーマリオ・ベリーニです。 独特の真っ赤なシートやダッシュボードが大きな話題を呼びました。性能や外観に負けない内装のデザイン性の高さも、サンクターボの大きな魅力です。 こだわりのターボ1とコスパのターボ2 サンクターボには、ターボ1とターボ2の2種類があります。ターボ1は、最初に開発されたモデルということもあり、マリオ・ベリーニが手掛けた内装も含めて性能だけでなく質感も高められています。 一方のターボ2は、実用的な内装を組み合わせて生産性をあげることで、ターボ1よりも25%も安価な価格設定を実現したコスパの高いモデルです。 ターボ1が1,820台、ターボ2は3,167台が生産されました。価格が安かったため生産台数が伸びたターボ2ですが、中古車で入手するのであれば質感の高いターボ1がおすすめです。 輸入車ということもあって流通台数は少ない サンクターボは、ターボ1、2合わせても5,000台ほどしか販売されていないため、残存数はわずかです。しかも、正規輸入された台数は限られていたため、日本国内ではあまり流通していません。 希少性の高さから、新車時には安価に設定されたターボ2も、価値ある1台として評価されています。 【まとめ】サンクターボを売却するなら修理・修復の仕組みのある買取業者に サンクターボの歴史と魅力について紹介しました。 WRCの歴史に功績を残した名誉あるモデルでありながら、現存数は少なく、年々希少価値が高まっています。また、40年前のクルマであるために、ダメージが蓄積された個体が多いのが現状です。 希少性が高いクルマであるにもかかわらず、コンディションが理由で査定額が下がってしまうのは大変もったいないことです。サンクターボを売却をご検討されているのであれば、古いクルマを修理・修復する仕組みが整っている業者に依頼しましょう。自社でクルマのコンディションを蘇らせることができる会社であれば、故障している個体であっても査定額が下がりにくい傾向にあります。 レース史に名を刻んだ名車であるからこそ、慎重な売却先の選定をおすすめします。 なお、本メディアの運営元である「旧車王」では、10年以上経過したクルマに特化して買取を行っているのみならず、お客様からお譲りいただいたクルマを修理・修復して市場へ再流通させています。長年乗り続けて故障しているクルマであっても丁寧に査定いたしますので、売却先にお悩みの方はぜひご相談ください。
一般的な2ボックスのホットハッチというフォルムながら、ミッドシップ4WDという個性的なドライブトレインをもつプジョー 205 ターボ16。WRCで勝つために開発され、圧倒的な速さで期待に応えたプジョーの歴史のなかで燦然と輝く名車です。 そこで今回は、プジョー 205 ターボ16が誕生した背景とWRCでの活躍について詳しく紹介します。 プジョーの歴史を作り上げた205 ターボ16 205 ターボ16は2年連続でタイトル獲得を成し遂げ、プジョーの実力の高さを見せつけたモデルです。WRCにおいて、プジョーは1970年代の限定的な活躍に留まっていましたが、205 ターボ16が歴史を大きく変えました。 あのジャン・トッドをトップに迎えたプジョー・タルボ・スポールが開発した205 ターボ16の概要を振り返ってみましょう。 空前の大ヒットモデル・205の人気を支えたターボ16 205 ターボ16は、同時期に登場した205をベースに開発されました。「新型ラリーカーは、開発中の205に似ていなければいけない」と、当時のプジョー社長、ボワローから要求されていたためです。 205 ターボ16の開発には、プジョーのモータースポーツ部門として設立されたプジョー・タルボ・スポールがあたりました。WRCで勝つべく中身はまったくの別物でしたが、社長の要求通り205の外観イメージを踏襲したマシンに仕上げられています。205が熱い支持を得た理由の1つが、圧倒的なパフォーマンスを誇る205 ターボ16の存在だと言ってもよいかもしれません。 プジョー・タルボ・スポールを設立したジャン・トッド 205 ターボ16の誕生に欠かせなかった人物が、ジャン・トッドです。のちにF1でのフェラーリ躍進の立役者となり、FIAの9代目会長まで務めた彼が、プジョー・タルボ・スポールを設立しました。 205 ターボ16の開発にあたって、ジャン・トッドは大胆なアプローチを行います。左右のドアと前後ウィンドウ、ルーフの前部を205と共有しつつ、パワーユニットをミッドシップに搭載する4WD仕様への変更を成し遂げました。 WRCで圧倒的な強さを証明 当時のWRCでは、アウディ クアトロが4WDで圧倒的な速さを誇っていました。しかし、205 ターボ16は、1984年の投入初年度から早速実力の高さを証明します。デビュー戦こそリタイヤに終わるものの、シーズン半ばから1000湖ラリー、サンレモラリー、RACラリーで3連勝を飾りました。 翌1985年シーズンでは、マニュファクチャラーとドライバータイトルをダブル獲得。さらに、続く1986年にも猛追するランチア デルタS4を制して、2年連続でダブルタイトルを手にしました。 WRCで勝つべく磨き上げられた205 ターボ16 205 ターボ16は、WRCで勝つために作られたモデルです。一方で、ベース車の見た目を踏襲するという限られた条件も課せられていました。 圧倒的なパワーと個性的な外装を備えた、205 ターボ16の魅力をみていきましょう。 圧倒的な戦闘力を発揮したパワートレイン 運転席後方に横置きで配置された直列4気筒DOHCエンジンは、一般発売された公道仕様でも最高出力200ps、最大トルク26.0kg・mを発揮。KKK製ターボチャージャー、ボッシュ製Kジェトロニック、空冷インタークーラーを備え、レース仕様では205T16エボリューション1で350ps、エボリューション2で450psを発生したともいわれています。 生み出された強大なパワーは、5MTのギアボックスからフルタイム4WDのトルク配分を司るファーガソン・システムに至ります。トルクを余すことなく路面に伝達するため、足回りは4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションで固められました。 専用設計された個性的な外装 205の外観イメージを踏襲している一方で、205 ターボ16専用の外装パーツも数々装備されています。もっとも目を引くのが、前後に大きく張り出したブリスターフェンダーです。特にリアフェンダーには大型のエアインテークがデザインされ、ミッドシップレイアウトを象徴しています。 ボンネットに開けられた大型のエアアウトレットやリアスポイラーも、レーシーな雰囲気を高めるポイントです。左右のドアはベース車輌を踏襲した標準的なデザインだけに、モデファイされた部分がさらに際立ちます。 グループB終焉のきっかけにもなったモンスターマシン 205 ターボ16は見た目こそ市販車と同じですが、中身は全く別物のモンスターマシンです。当時のWRC グループBでは、プジョーに限らず、ランチアやアウディも同様のアプローチでマシン製作を行っていて、最高出力は500psを大きく上回っていたともいわれています。 市販車ベースに強大なパワーユニットを搭載することで、レースがエキサイティングになるのと同時に、ドライバーの危険性が高まります。実際、1985年のアルゼンチンでは、プジョーのエースドライバーがアクシデントで大怪我を負っています。さらに、1986年には、プジョーと死闘を繰り広げていたランチアの若きエースドライバーであったヘンリ・トイヴォネンが事故により他界しました。WRCは多くの痛ましい事故の発生を重く受け止め、グループBの廃止を決定します。 結果的に、205 ターボ16は、プジョーが持てる技術を最大限詰め込んで開発した最後のモンスターマシンになりました。グループB時代を締めくくる象徴として、205 ターボ16は今後も語り継がれていくことでしょう。
元祖和製スーパーカーともいわれる、ホンダ NSX。自然吸気ながらハイパワーを発揮するVTECエンジンをミッドシップに搭載し、独特のスタイリングの軽量高剛性ボディで圧倒的なパフォーマンスを誇りました。 世界のスポーツカーメーカーにまで影響を与えたNSXについて、全日本GT選手権での活躍を中心に振り返ってみましょう。 世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディの国産スーパーカー NSXは、量産車として世界初発のオールアルミ製ボディを採用したスーパーカーです。ハイパワーエンジンをあえて不慣れなミッドシップに搭載し、「新しい時代のスポーツカー」を目指して開発されました。 あのF1ドライバーのアドバイスが完成のきっかけになったともいわれる、NSXの誕生背景を振り返ってみましょう。 アイルトン・セナの一言で完成を迎えた 国産スーパーカーの代表ともいわれるNSXは、アイルトン・セナの一言によって最終的な方向性が決まったといわれています。NSX登場直前の1989年に、アイルトン・セナがプロトタイプのステアリングを握りました。テスト走行の感想として、ボディ剛性を高めたほうがよいというアドバイスをホンダ開発陣に伝えたそうです。この発言をきっかけに、ホンダはドイツのニュルブルクリンクでの徹底的な走り込みを決断しました。 今でこそ市販車開発のテストコースとして有名なニュルブルクリンクですが、当時は現地に長期滞在してテストを実施する日本のメーカーはいませんでした。数ヶ月に及ぶテスト走行で、セナが指摘したボディ剛性を50%も高めることに成功します。ボディ剛性の向上により、スポーツカーとしての運動性能を高めつつ、高級車としての乗り心地も両立させました。結果として、ホンダが目指した「新しい時代のスポーツカー」というコンセプトを体現したモデルになりました。 VTECエンジンをミッドシップ搭載 ミッドシップに搭載されたV6エンジンには、ホンダを象徴する可変バルブ機構のVTECを採用。自然吸気エンジンながら、最高出力は自主規制いっぱいの280psを発揮します。 また、FFの開発を得意としていたホンダですが、NSXではミッドシップレイアウトを採用しています。誰もがドライビングを楽しめる、新時代のスポーツカーを提示したかったためです。 全日本GT選手権で発揮した高い実力 スーパーGTの前身である全日本GT選手権(以下JGTC)で、NSXは13年間の参戦期間で37勝という成績を残しています。参戦自体が後発となってしまったことや、トヨタ スープラ、日産 GT-Rといった競合がひしめいていた時代だったことを考えると輝かしい実績です。 JGTCでのNSXの活躍を、順を追ってみていきましょう。 本格参戦2年目で初優勝を達成 NSXがJGTCに本格的に参戦したのは、選手権発足3年後の1997年です。多くのライバルがハイパワーターボ車だったなかで自然吸気エンジンだったため、空力を中心とした運動性能でカバーする方針を打ち出して開発されました。 参戦初年度は多くのトラブルに見舞われつつも、第5戦のMINE、第6戦のSUGOで連続して2位表彰台を獲得。優勝こそ獲得できませんでしたが、参戦初年度から実力の片鱗を感じさせました。 続く1998年は、開幕戦鈴鹿の予選で上位3位を独占すると、毎戦ポールポジションを獲得します。そして、第4戦の富士で念願の初優勝を成し遂げた後、最終戦までの4戦とも勝ち続け、見事5連勝を飾ります。前半に勝利を重ねられなかったことでタイトルこそ逃したものの、全戦でポールポジションを獲得するという圧倒的な速さをみせつけました。 ランボルギーニと同じ方式の縦置きMR JGTC参戦時は、市販車と同様の横置きのMRレイアウトでした。しかし、2003年に自由なエンジンレイアウトが認められたことで、利点の多い縦置きへの変更に踏み切ります。 しかも、ただの縦置きではなく、ランボルギーニと同じ前後を逆に配置してトランスミッションが前方にくるレイアウトを採用。ウェイトハンデや実質的な空力規制といったミッドシップに不利な規制改定がされるなか、少しでも前後重量バランスを改善することが目的でした。 苦心の末に獲得した最後のタイトル NSXは参戦全105戦中、5割弱に及ぶ50回ものポールポジションを獲得しました。また、優勝を37回も数えていることからも、NSXの実力の高さがうかがえます。しかし、意外にもタイトルの獲得は、2000年と2007年の2度のみに終わりました。 特に2000年のタイトル初獲得以降は、度重なる仕様変更に苦心していたことがわかります。先のエンジンレイアウトの変更、自然吸気へのこだわりを捨ててターボエンジンを投入するといった多くの対策を講じたものの、思うような結果にはつながりませんでした。 しかし、最終的には自然吸気エンジンに回帰した結果、2007年シーズン開幕戦ではNSX勢が予選で上位4位を独占。シーズンを通じて速さを発揮し、2度目となるタイトルを獲得しました。 スポーツカーの時代を変えたNSX NSXの登場は、フェラーリやポルシェといった名だたるスポーツカーメーカーのアプローチを変えたともいわれています。オールアルミ製ボディの採用、アイルトン・セナの発言をきっかけに突き詰められた高剛性化によって、ミッドシップ本来の運動性能の高さを最大限に発揮するモデルとして誕生したNSX。 スポーツカーらしい人馬一体の操作感に加え、乗る人を選ばない運転のしやすさと乗り心地を両立しました。従来のスポーツカーは乗り手の技術を要求する存在でしたが、誰でも運転できるという新ジャンルを切り開いたのがNSXです。高性能で速いのに乗りやすいという現代のスポーツカーは、NSXの存在がなければ実現していなかったのかも知れません。
特徴的な大型リアウィングと左右に大きく張り出したフェンダーが特徴的な三菱 パジェロ エボリューション。外観だけでなく、チューニングされたV6エンジンによる高いパフォーマンスも高く評価されているモデルです。 今回は、三菱の開発陣がダカール・ラリーで勝つためにこだわって作り込んだ、パジェロ エボリューションの誕生背景と魅力を紹介します。 1レースに勝つためだけに誕生したパジェロ エボリューション 三菱の「エボリューション」といえば、WRCを戦ったランサー エボリューション(通称:ランエボ)があります。同じくレースを制するために開発されたモデルが、パジェロ エボリューションです。しかし、ランエボがシリーズ戦での勝利を目的としていたのに対して、パジェロ エボリューションはダカールラリーただ1戦に勝つために開発されました。 たった1つのレースにかけた三菱の情熱がつまった、パジェロ エボリューションの誕生背景を振り返ってみましょう。 新レギュレーション対応のために開発 パジェロ エボリューションが登場した1997年から主催者が規定を変更し、メーカーは市販車ベースで改造範囲の狭いT2車輌でのみ参戦可能となりました。また、ガソリンエンジンの過給機使用が全面的に禁止されます。三菱は規定内の改造を施したパジェロを1997年のレースに投入すると同時に、翌年以降のホモロゲーション取得のためにパジェロ エボリューションを開発しました。 改造範囲が限られるため、パジェロは市販車の段階で強くレースを意識した仕様になっていました。例えば、当時のクロスカントリー車のリアサスペンションとして一般的だったリジット式ではなく、4輪独立懸架のダブルウィッシュボーン式を採用しています。また、エンジンには可変バルブタイミング機構を備え、全域でのトルクフルな加速を実現しました。 投入初年度から圧倒的な速さをみせた パジェロ エボリューションは、投入初年度の1998年に期待通りの成績を残します。優勝を飾ったJ-P. フォントネを筆頭に、3位まで表彰台を独占。前年にパジェロで日本人で初めてダカール・ラリーを制した篠塚氏も2位を獲得しています。 翌1999年は優勝こそ逃したものの、2位から4位までの上位を独占して存在感を示しました。また、優勝したのはプロトタイプのシュレッサーバギーだったことを考えると、パジェロ エボリューションが市販車ベースとしては無類の速さを誇っていたことがわかります。 市販モデルも抜群の個性と存在感を発揮 レースで輝かしい実績を残したパジェロ エボリューションですが、単に市販車としてみても個性的で魅力あふれるSUVです。 続いて、パジェロ エボリューションの魅力を紹介します。 NAながら280psを発揮したMIVECエンジン パジェロ エボリューションの圧倒的なパフォーマンスを支えたのは、三菱の可変バルブ技術MIVECを搭載した6G74型3.5LのV型6気筒エンジンです。過給機禁止のレギュレーションへの対応で、自然吸気エンジンながら最高出力は自主規制いっぱいの280ps、最大トルクは35.5kgmを発揮します。 また、過酷なラリーでの信頼性を高めるため、チタン製バルブリテーナー、中空吸気バルブ、ナトリウム封入排気バルブといった細かい点まで突き詰められました。さらに、エンジンの高出力化に対応するため、トランスミッションも剛性強化とセッティング変更が施されています。 空力性能を追求した迫力のエアロボディ レースでの空力性能を強く意識したエアロボディもパジェロ エボリューションの特徴です。WRCに参戦していたランサー エボリューションのように、個性的なエアロパーツを備えています。 大幅に広げられた前後のフェンダー、エアロバンパー、大型の個性的なリアスポイラーが「エボリューション」を主張するポイントです。さらに、フロント部の開口部と大型のボンネットエアインテークは、エンジンの冷却効率を追求した結果の機能美だといえます。 フラッグシップモデルにふさわしいインテリア ダカール・ラリーで勝つために開発されたものの、パジェロシリーズのフラッグシップモデルという肩書きにふさわしい内装もパジェロ エボリューションの特徴です。本革巻きのステアリングやメーターベゼルやエアコンの吹出口などに配されたカーボン調のパネルといった装備は、所有するドライバーの満足度を高めます。 また、フルオートエアコンやキーレスエントリーに加え、フロントにはホールド性の高いレカロ社製のシートが装備されるなど、日常使いからロングドライブまで快適にこなせる1台に仕上がっています。 初代限りの生産だった希少性の高いモデル パジェロ エボリューションは、1997年に発売された初代のみで生産を終了しました。もともとホモロゲーション取得のために販売されたということもあり、生産台数もわずか2,693台といわれています。パジェロシリーズのなかでも、特に希少性の高いモデルです。 新車価格は374万円(5MT車)という、優れた性能と現在のSUVの価格水準から考えると大変コストパフォーマンスに優れたモデルでした。しかし、その希少性の高さから、現在の中古車市場ではプレミア化しつつあり、高値で取引されるケースが増えているようです。ダカール・ラリーで残した輝かしい実績も影響して、今後価値がさらに高まっていくかもしれません。
トヨタ 86は、2代目の現行型の受注が一時停止になっていたほどの人気のスポーツカーです。車名の由来が名車「AE86」であることやスバルとの共同開発といった話題性の高さから、発売前から注目を集めていました。 スバルの水平対向エンジンにトヨタの燃料直噴技術を組み込むという、形だけではない真の共同開発によって生まれた名車の開発ストーリーを紐解いていきましょう。 両社の思惑が見事に融合して実現 初代86は、トヨタとスバルの業務提携を受けて開発されました。しかし、開発が決定した当初は、トヨタの掲げるコンセプトに対してスバル側が違和感を感じていた場面もあったようです。 最終的には両社の開発陣が強力なタッグを組んで完成させた、初代ZN6型86の開発時の状況を改めて振り返ってみましょう。 決め手となった1台の試作車 2012年に初代が発売された86の開発起源は、2005年のスバルとの業務提携にまで遡ります。両社の提携のシンボルとなり得る車種の開発を目指して、スバルの水平対向エンジンを搭載したFRスポーツという大枠のコンセプトが決定されました。 しかし、トヨタが提示した2Lの自然吸気エンジンのFRスポーツという企画に対して、スバル開発陣は当初は温度差を感じたそうです。長年ターボを装備したハイパワー水平対向エンジンと4WDという最強の組み合わせに価値を見出していたため、トヨタの開発哲学に違和感があったのかもしれません。 両社が一歩を踏み出すきっかけになったのは、レガシィをベースに製作したFRの試作車です。水平対向エンジン+FRスポーツの可能性を探るために、手作りともいえる手法で製作されました。実際に形にしたことで水平対向エンジンが新しい領域を切り開く可能性をスバルが感じたため、プロジェクトは一気に本格的な開発フェーズに移行します。 コンセプトカーを段階的に公開 車輌デザインを担当していたトヨタは、2009年の東京モーターショーで「FT-86 コンセプト」を発表します。このコンセプトカーの時点で、スバル製の2Lの水平対向エンジンを採用することも発表されました。 続く2010年の東京オートサロンでは、「FT-86 G スポーツコンセプト」を公開。東京モーターショーで発表したFT-86 コンセプトに、エアロやターボチャージャーでカスタマイズが施されていました。 さらに2011年のスイス・ジュネーブモーターショーでは、市販化に向けたデザインスタディとして「FT-86 II コンセプト」を発表します。また、同モーターショーでスバルが公開した「BOXERスポーツカーアーキテクチャ」も話題を呼びました。水平対向エンジンとFRのメカニズムをスケルトンの車体に搭載するという、技術コンセプトモデルとしての展示でした。トヨタのFT-86 II コンセプトとスバルのBOXERスポーツカーアーキテクチャを合わせると新車の全体像が見えてくるという、共同開発ならではの心にくい演出です。 スタートダッシュを決めて地位を確立 発売前から段階的にコンセプトカーが公開されて期待が高まっていたこともあり、86は発売直後から一気に注目を集めます。また、発売直後のレースで結果を残したことで、スポーツカーとしての実力を強烈に印象付けました。 続いて、86の人気と実力の高さをうかがうことができる、当初の販売台数とレースでの結果を紹介します。 計画の7倍にも達した販売台数 86発売当初の目標では、月間販売台数は1,000台だったといわれています。しかし、発売初月には約7,000台を売り上げ、年間での販売台数は2万2,510台にも達しました。翌年の2013年にも、1万2,400台を販売しています。 86が発売された2012年ごろは、多くのメーカーのラインナップからスポーツカーが消えていました。歴史のあるGT-Rのように従来からファンのついているモデルならまだしも、まったくの新車種が市場でユーザーを掴んだのは驚異的なことです。 発売翌月のレースで早くも結果を残す 86が発売されたのは2012年の4月ですが、5月にドイツのニュルブルクリンクで開催された24時間耐久レースでいきなりクラス優勝を果たします。記念すべき第40回大会という歴史あるレースで、新型車が優勝したことで世界からも注目を集めました。 また、全日本ラリーや全日本ジムカーナなどでも数々の優勝を果たしており、基本性能の高さをうかがい知れます。過酷なレースの世界での活躍によって、86のスポーツカーとしての評価をさらに高めました。 トヨタとしてのアイデンティティも表現 業務提携というビジネス上の思惑ありきではなく、2社の開発陣が文字通り「共同」で開発したことで86の完成度は高まりました。一方で、トヨタが販売する86には、AE86のDNAも組み込まれています。 基本設計は共同開発ながら、サスペンションや細部の最終的なチューニングは各メーカに委ねられました。トヨタは、AE86を彷彿とさせる、FRらしい旋回性能重視の乗り味に調整。また、極端な味付けをせず、ユーザーが好みにチューニングして仕上げていくという点もAE86と同様です。 スポーツカー不遇の時代に風穴を開けた初代ZN6型86は、現行型が進化し続けても特別な存在であり続けるでしょう。
マツダ FD3S型RX-7は、「ワイド&ロー」「ロングノーズショートデッキ」といったスポーツカーに欠かせない外観要素を備えたモデルです。しかし、RX-7の本当の魅力は、個性的な外観ではなく磨き上げられた運動性能にあります。 そこで今回は、FD3S型RX-7が誕生した背景と進化の軌跡を紹介します。 登場後も進化し続けたRX-7 FD3S型RX-7は、12年の販売期間の間、1度もフルモデルチェンジをしませんでした。製品サイクルの短くなりつつあった1990年代以降のモデルとしては、かなり珍しいことです。 基本設計がしっかりしていたからこそロングライフが実現した、FD3Sの開発の背景を振り返ってみましょう。 先代から正統進化を遂げた 3代目RX-7のFD3S型は、6年ぶりのフルモデルチェンジを果たして1991年に登場します。初代から続いた「サバンナ」の呼称がなくなり、当時の販売チャネルを冠した「アンフィニ RX-7」という名称に改められました。 「世界最速のハンドリングマシン」というコンセプトで開発されたモデルで、先代のFC3S型で強めたピュアスポーツという性格を完成の域にまで高めています。 なお、1997年にはマツダの販売チャネルが統合されたこと受け、「マツダ RX-7」に改められました。 意欲的にマイナーチェンジを重ねた FD3Sには、1〜6型までの合計6種類があります。さらに大きく3つの時期に分類され、1~3型が前期型、4型が中期型、5~6型が後期型です。また、各モデルで数多くの特別仕様車も投入されました。 初期モデルの販売台数が思うように伸びなかったなか、発売2年後の1993年に登場したのが2型です。内外装の改良に加え、タイプR2という2シーターモデルも投入されました。バブル崩壊の影響が色濃い1995年に誕生した3型では、大幅なプライスダウンが決行されます。これまでは400万円を超えるモデルもラインナップされていましたが、3型では全モデルが300万円台に抑えられました。 中期型と呼ばれる4型は、6種類のモデルでもっとも長く生産されました。デザイン面での大きな変更点は、テールランプがFD3S型を象徴する3連丸型に変更されたことです。また、エンジン周りでも、16ビットECUの採用やエアインテークパイプの材質変更といったアップデートが加えられています。 後期型の5型では、フルモデルチェンジ並みの大幅な変更が加えられました。特に目立ったのは、エンジン出力がついに国内自主規制いっぱいの280psにまで高められたことです。デザイン面では、開口部の大きなフロントバンパーに変更することでクーリングの解決が図られています。さらに、フロントのウィンカー部がコンビネーションランプに変わり、より現代的で洗練されたデザインになりました。最終の6型では、5型で洗練された箇所や仕様をさらに高める形で、内外装とグレード体系に手が加えられています。 ピュアスポーツを追求したRX-7 1980年代後半から、スポーティな走りにラグジュアリー要素を加えたスペシャルティカーの開発に自動車各社は傾倒していきました。しかし、マツダはRX-7の位置づけをピュアスポーツとして、運動性能を徹底的に磨き上げます。 マツダがこだわり抜いた、FD3Sの運動性能の高さについてみていきましょう。 ロータリーエンジンはモデルごとに進化 FD3Sに搭載されたロータリーエンジンの最高出力は、当初は255psでした。1990年初頭だったとはいえ、GT-RやNSXが自主規制いっぱいの280psを達成していたことを考えるとやや物足りない印象です。 しかし、初代登場以降も意欲的にエンジン開発は続けられ、16ビットECUを採用した4型(中期型)では265psにまで引き上げられます。さらに、後期型の5型では、ついに自主規制いっぱいの280psに到達しました。 脅威のパワーウェイトレシオが実現したハンドリング性能 パワーこそライバル車にやや劣っていましたが、FD3Sの魅力はエンジン搭載位置の最適化と軽量化によって実現した高い運動性能でした。徹底的な軽量化を図った結果、1型登場時の最高出力255psでもパワー・ウェイト・レシオ5.0kg/ps以下という難しい指標をクリアしています。 また、エンジンをフロントミッドシップに搭載し、50:50という理想的な前後重量配分を実現しました。さらに、エンジン搭載位置をFC3Sから25mmも下げ、安定したコーナリング性能も手に入れています。 スーパーGTでも証明したロータリーエンジンの実力 ロータリーエンジンのレースでの活躍といえば、1991年の日本メーカー初のルマン優勝です。それから10年以上の時を経て、FD3Sも日本最高峰のツーリングカーレース、スーパーGTでシリーズタイトルを獲得しています。 すでに販売を終了していた2006年のシリーズで、RE雨宮のRX-7がついにシリーズチャンピオンに輝きました。シリーズ2位のRE雨宮RX-7は最終戦の富士での逆転を目指しましたが、途中スピンを喫したこともあり、最終ラップまで逆転でのタイトル獲得は難しい位置でした。しかし、最終ラップのゴール直前で前走車がガス欠になったことで1つ順位が繰り上がり、ポイントでトップチームと並びます。結果的に、規定によってシリーズチャンピオンを獲得しました。 色褪せない個性的なスタイリング フロントからテールエンドまで、流れるような曲線で描かれたボディライン。FD3S型RX-7は、現代のスポーツカーと比較しても見劣りしない、美しさと圧倒的な個性を兼ね備えたモデルです。 また、FD3Sの個性的なデザインは、世界で唯一量産ロータリーエンジンを搭載できるマツダだからこそ実現しました。ハイパワーながら小型という特徴を活かすことで、他メーカーでは真似できない低重心化を成し遂げたのです。ピュアスポーツとしての性能を追い求めたために、長く愛されるスタイリングが生まれたのかもしれません。
新しいクルマへと乗り換える。新車であればボディカラーやオプションなども、予算が許す限り自分好みに仕立てることが可能だ。 いざ納車されたら、安全装備やハードウェアの進化など、最新モデルならではの劇的なアップデートに驚き、戸惑うかもしれない。 これに加えて、新型車のメーターパネルを占める面積の多くが液晶パネルになった。スピードメーターやタコメーターの針もデジタル表示だ。さらに、ステアリングにあるボタンひとつで表示パターンが切り替えられるという。10年後、あるいは20年後、液晶モニターが壊れて部品が製廃だとしたらどうなるんだろうと懸念しているのは筆者だけだろうか…。 また中古車であれば、探しに探して、ついに理想の1台が見つかったときの高揚感は何ものにも代えがたい。たまたま見つけたのが深夜で、当然ながら掲載店は営業時間外。「朝イチで連絡するにしても、その前に他の人に買われてしまわないか」と、浮き足だって夜も寝られないほどだ。 ■長年一緒に暮らした愛車から乗り換えるとなれば話は違ってくる 翻って、10年または20年、あるいはそれ以上、一緒に暮らした愛車から乗り換えるとなれば話は違ってくる。すっかり馴染んだ「愛車」だけに、多くの場合、できるなら手元に置いておきたいというのが本音ではないだろうか。 もし、いま現在「一大決心をして長年一緒に暮らした愛車を手放そうか迷っている段階」だとしたら…よくよく考えてからの方がいいかもしれない。これまで積み上げてきたありとあらゆることがリセットされる可能性があるからだ。これが趣味車であればなおさらだ。 ■愛車に関するノウハウが(ほぼ)リセットされる 例えば、スカイラインGT-R(R32)からスカイラインGT-R(R34)に乗り換えたとしよう。この2台のエンジンの形式は同じだし、それぞれ「第2世代GT-R」というカテゴリーに属している以上、ある程度はこれまでのノウハウが活かせる可能性がある。しかし、仮にR32GT-Rからポルシェ911GT3(991型)に乗り換えたとしたら…。これはもうまったく別枠のクルマだ。 クルマそのものの乗り方や、想定されるトラブルのウィークポイントなど、これまで積み上げてきたありとあらゆるノウハウがいったん「リセット」される。 もしも、911GT3が人生初の左ハンドル仕様だとしたら、左ハンドルの運転から覚える必要がある。たいていはすぐに慣れるとはいえ、若葉マークの頃を思い出すほど緊張しても不思議ではない。 これに加えてMT車だった場合、右手でシフトチェンジする必要がある。さらに交差点で右折するときも思いのほか苦労するかもしれない。この経験を新鮮と感じられるか否か…。慣れるまで時間が掛かったり、いつまで経っても違和感が消えず、せっかく手に入れた愛車を運転すること自体がストレスになりかねない。 ■人間関係もリセットされる(かもしれない) クルマが変われば人間関係も変わる。スカイラインGT-Rをこよなく愛する仲間と、ポルシェ911にシンパシーを抱く人たち。それぞれに好みのクルマが異なる分、話題がかみ合わない。これに加えてクルマ+周辺の話題も異なる。そして何より、オーナー像も変わってくるに違いない。 かといって、もともとのグループに戻ろうとしても、すでに「見えない壁」がある。スカイラインGT-Rのツーリングに911GT3で参加したとして、1度くらいなら大目に見てくれるだろうが、2回、3回と続くうちにお互いに気まずい雰囲気になる可能性がある。 このように、まったくの別カテゴリーのクルマに乗り換えるとなれば、これまで積み上げてきた人間関係をもう1度再構築する可能性が高いことを認識しておいた方がいいかもしれない。 ■そして、主治医との関係もリセットされる クルマが変われば当然ながら主治医も変わる。困ったときは夜遅くでもLINEで連絡できたり、出先で故障したときはわざわざキャリアカーで迎えに来てくれたり。たまに主治医の工場に足を運んで、コーヒーを飲みながら他愛ない話をしたり…。そんな「ざっくばらんな関係」はゆっくりと時間を掛けて醸成させるものだ。 新たに知り合った主治医は、その界隈ではよく知られた「名医」だけれど、どうもソリが合わない。話していて気を遣う…。そういった微妙な距離感は相手にも伝わる。お客だからひとまず愛車の面倒を見てくれるが、できれば他に行ってくれないかな…と密かに思われているかもしれない。もしそうなってしまっては悲劇だ。もっと気の合う主治医がいないものかと密かに動いてみたりするが、主治医同士の横(水面下)のつながりで筒抜けということもありえるので、慎重に行動すべきだと思う。 ■まとめ:すべてをいちから再構築する気力があるかが問われる まったく別ジャンルの趣味車に乗り換えたら…これまで積み上げてきたノウハウや人間関係をすべて断ち切るくらいの覚悟で、新たなコミュニティを創りあげる。40代よりは50代、50代よりは60代、60代よりは70代と、年齢を重ねるごとにそのハードルが高くなっていく。首尾良く継続できたら、それはラッキーくらいに思っておいた方がいいかもしれない。 新たなコミュニティで、自分の子どもか、下手をすると孫くらいの年齢のクルマ好きから「そんなことも知らないんスか?」と突っ込まれ、屈辱を味わう可能性だってある。 とはいえ、そこで相手に噛みついた時点でアウトだ。結果として新たなコミュニティに馴染めず、孤立していくようになるとさすがに辛い。そしてはたと気づくのだ。「やっぱり売らなきゃよかった」と。しかし、長い年月をともにしてきた愛車は戻ってこない。昔の仲間とも疎遠になってしまった。気がつくと帰る場所がない。そのときに気づいても遅いのだ。 学生時代の友人のように気の置けない仲間との関係、頼れる主治医、そしてガレージにあるだけで気持ちが満たされる愛車の存在…。いずれも長い年月を掛けて少しずつ積み上げてきた歴史そのものだ。もし、いま、愛車(趣味車)を手放してでも乗り換えたいクルマあるとしたら…。 そして「新たな愛車(趣味車)を迎えることで得られるもの < 愛車(趣味車)を手放すことで失うもの」の公式が成り立つとしたら、よくよく考えた方がいいかもしれない。リセットボタンを押してしまってからでは遅いのだ。 [画像:日産,PORSCHE,Adobe Stock・ライター/松村透]
軽自動車スポーツカーの先駆者として2002年に登場し、多くの人気を博したダイハツ コペン。そのコペンの中古車価格がここ数年で値上がりしているように感じている方もいるのではないでしょうか。 そこで今回は、旧型のコペン(L880K型)に焦点を当て、中古車価格が高騰しているのか、現在の相場はいくらくらいなのかについて解説します。 旧型コペンの中古価格はいまだに高値 旧型コペンは現在も高値を維持しており、状態次第では新車価格を超える個体もあります。 また、旧型コペンは2027年にアメリカの25年ルールの対象となります。25年ルールとは、原則として右ハンドル車の輸入を禁止しているアメリカで、新規登録から25年経過したクルマに限り輸入が許可されるという緩和措置です。25年ルールの対象に含まれると、多くの個体がアメリカに輸出されて国内での希少性が高まってさらに値上がりする可能性があります。 ▼アメリカの25年ルールについてはこちらで詳しく解説しています。アメリカ「25年ルール」とは?名車の中古相場が急騰するしくみ 旧型コペンの現在の価格 旧型コペンの中古価格相場は、80万〜150万円程度です。安くても新車価格の半値ほどで販売されており、走行距離が5万km以下の低走行車や、特別仕様車のアルティメットエディションⅡやアルティメットエディションSの場合は200万円を超えることもあります。 旧型コペンの特徴・魅力 ここで旧型コペンの特徴・魅力について改めて振り返っておきましょう。 コペンは2002年にダイハツから発売された、軽自動車規格のオープンスポーツカーです。旧型のL880K型は2012年まで製造・販売されていました。 最高出力64psを発生させる直列4気筒ツインスクロールターボエンジンを搭載し、低重心なボディに15インチ大径ホイールが装着され、軽自動車ながらもスポーツカーとしての十分なスペックを誇るモデルです。 標準仕様のアクティブトップのほか、ディタッチャブルトップがラインナップされました。簡単操作で電動式ルーフを開閉できるアクティブトップに対し、ディタッチャブルトップは軽量かつ着脱式の樹脂製ルーフを採用し、よりスポーティに仕上がっています。 トランスミッションはスーパー5速MTかスーパーアクティブシフト付4速ATから選択可能です。AT車であってもMT車と同じような操作感覚を味わえることで、多くのユーザーの注目を集めました。 まとめ 旧型コペンの価格動向について解説しました。 手軽にスポーツ走行を楽しめるモデルとして人気のコペン。中古車市場では依然として高値で取引されており、3年後に迫る25年ルールの解禁でまた値上がりするかもしれません。購入を検討されている方は、こまめに市場の動向をチェックするとよいでしょう。
シビックタイプRはタイプRシリーズの第3弾として開発されたスポーツモデルです。シビック本来の性能を発揮させるためのチューニングが施され、発売当時から走りを楽しむ多くのユーザーの心を掴みました。ホンダを代表する車種として名高く、現在でも販売を継続しています。憧れを抱き、購入を検討している方も多いのではないでしょうか。 しかし、人気車種であるために中古車であっても近年価格が高騰しています。ほしいと思っていても価格を理由になかなか購入に踏み切れない方も少なくないはずです。そこで本記事では、シビックタイプRの初代(EK9)、2代目(EP3)、3代目(FD2)にスポットをあて、直近の価格動向について解説します。 シビックタイプRとは シビックタイプRとは1997年に登場した、NSX-R、インテグラタイプRに続くタイプRシリーズの第3弾モデルです。運転する楽しさを追求する、エンジンや足回り、ボディ剛性にいたるまでさまざまな箇所にホンダのこだわりが詰め込まれています。 初代のEK9からホンダの名機であるVTECエンジンを採用し、2代目であるEP3からはさらに進化したi-VTECエンジンに変更。EK9が185ps、EP3が215ps、FD2が225psと最高出力の数値を更新するとともに、時代にあわせた低燃費とクリーン性能の向上を実現しました。 サーキット走行において欠かせないコーナリング性能にも秀でています。EP3では先代に比べてボディ剛性が強化されたほか、コーナリングの際に前下がりの姿勢をキープできるサスペンションジオメトリーを設定しました。続くFD2では、さらなるボディ剛性の強化が図られ、18インチタイヤのパフォーマンスを最大限引き出すサスペンションの採用が可能となり、より安定して旋回できるモデルへと進化を遂げています。 初代から3代目のDNAは現在でも受け継がれており、中古車、現行モデル問わず絶大な人気を博しているのがシビックタイプRです。 シビックタイプRは現在も高騰中!500万近い個体もある シビックタイプRはその人気の高さが顕著に価格に影響しており、現在も中古車市場での値上がりが続いています。ここではEK9、EP3、FD2の3世代の価格動向について解説します。 大手中古車販売サイトを確認したところ、EP3は少々価格が安いものの、EK9とFD2に関しては走行距離が10万km未満だと400万〜500万円近い価格で販売されているケースが多く見られました。10万kmを超えていても300万〜350万円ほどの価格帯で、新車価格をゆうに超えています。 そのほか、ボディカラーでいうとシビックタイプRの象徴ともいえる「チャンピオンシップホワイト」に特に高値がついており、スポーツ性能をさらに高めるカスタマイズがされている個体も500万円近い価格で販売されています。 ※2024年9月時点の情報です。 安く買うならEP3が狙い目 状態を問わずおおむね新車価格を超える値がついているシビックタイプR。そのなかでも、比較的安く購入できるのが2代目のEP3です。 EK9だと500万円近い価格で販売されていることもありますが、EP3の価格帯は140万〜150万円程度です。EK9やFD2とあまり性能の違いはないものの、発売当時3ドアハッチバックのデザインの人気が低迷したために販売台数が伸び悩んだ過去があります。現在でも、EP3よりも他の世代のデザインに支持が集まっているために目立って値上がりしていません。 世代を問わずシビックタイプRというクルマに乗りたいという方にとってはEP3が狙い目だといえるでしょう。 まとめ シビックタイプRの価格動向について解説しました。 ホンダを代表するスポーツモデルであるだけに、シビックタイプRの価格は依然として高騰中です。長年にわたって高い人気を維持しているため、急な値下がりは見込めないかもしれません。ただし、世代によっては比較的安く購入できるため、特定のモデルへのこだわりがない方は選択肢を広げて検討してみてもよいでしょう。 中古車の価格はユーザーの需要と供給によって決まるため、常に流動的に変化しています。シビックタイプRをなるべくお得に購入したい場合には、こまめに価格動向をチェックすることをおすすめします。
日本が誇る名車「スカイライン」。数々のレースで勝利を量産してきたポテンシャルは世界中の多くのファンを魅了しています。そんなスカイラインの中古価格を気にされている方も多いのではないでしょうか。今回は、最新の中古車市場の動向を踏まえてスカイラインの価格について解説します。 スカイラインとは スカイラインは、日産のスポーツセダンです。日本を代表する名車として国内外を問わずに高い人気を誇っています。初代は元航空技術者を数多く擁した富士精密工業(後のプリンス自動車工業)で誕生しており、レースでの活躍を目指して開発されました。その結果、第1回日本アルペンラリーで優勝するなど輝かしいスタートを切っています。2代目のGTは通称「スカG」と呼ばれ、第2回日本グランプリでポルシェ904を抜き去る場面を見せています。続く3代目は新たに設定されたGT-Rがレースで圧倒的な強さを見せて伝説化し、絶大な人気を獲得しました。しかし、排ガス規制の影響もあり、後に続く4代目のGT-Rがわずか3ヶ月間で販売を終えてしまい、その後の16年間はGT-Rの名が途絶えます。 1989年のR32でGT-Rは復活します。4WDシステムなど当時最新の技術を搭載して再びレースで圧倒的な強さを誇り、以降は現行型に至るまでGT‐Rグレードが設定されました。現行のR35GT-Rはこれまでの伝統を引き継いでいますが、車名からスカイラインの名称が外れています。 スカイラインの価格は高騰している? スカイラインの価格は、2024年3月からなだらかに上昇しています。スカイラインには60年以上の歴史があり、長年にわたり安定した人気を誇っているため、中古車市場で一定の需要があります。(2024年9月時点の情報) スポーティーなデザインと高性能なエンジンが魅力で、ファンからの人気が根強いことも中古車市場で需要がある理由の1つです。特に、旧車や限定モデルは希少性から価格が高くなる傾向にあります。 スカイラインの現在の買取相場 スカイラインの買取相場は下記のとおりです(2024年9月時点)。 モデル 買取相場価格 R30スカイライン 5万~350万円 R31スカイライン 5万~450万円 R32スカイライン 10万~220万円 R32スカイライン GT-R 150万~1,500万円 R33スカイライン 5万~320万円 R33スカイライン GT-R 200万~1,500万円 R34スカイライン 5万~650万円 R34スカイライン GT-R 2,000万~5,000万円 スカイライン ハコスカ 5万~800万円 スカイライン ケンメリ・ヨンメリ 100万~900万円 スカイライン ケンメリ・ヨンメリ2000GT-R 1,000万~6,000万円 スカイライン ジャパン 50万~400万円 スカイラインは、下記のクラシックモデルで高値傾向が続いています。 ハコスカ ハコスカとは、1968年に発売された3代目スカイラインのことです。4代目スカイラインが登場した後に、角ばった4代目と区別するため、ハコスカと呼ばれるようになりました。 ケンメリ ケンメリは、1972年9月に発売された4代目スカイラインの愛称で、ヨンメリ(4ドアのケンメリ)とも呼ばれています。 ジャパン ジャパンは、1977年に発売された5代目スカイラインに該当します。「日本の風土が生んだ日本の名車」を目指して生産されたため、ジャパンと名付けられました。 GT-R GT-Rモデルも高値で取引されており「R34スカイラインGT-R」は、1,000万円以上で売却できるケースも少なくありません。 ただし、スカイラインの買取相場は大きく変動する特徴があります。タイミングを慎重に見極めて、スカイラインを売却しましょう。 スカイラインを高く売るにはどうすればよい? スカイラインは世代によって価格差があり、高値がつく理由もそれぞれ異なります。そのため、スカイラインを高く売るためには、高値がつく理由に着目し、査定時にアピールすることが大切です。 スカイラインを高く売却する際にアピールしたい内容について、詳しく見ていきましょう。 「R32」は希少性と圧倒的な人気をアピールする R32は、1989年に誕生した8代目です。このモデルで16年ぶりに復活した3代目GT-Rは、レースで勝つために開発されました。1990年にレースデビューすると異次元の強さで世界中を席巻し、GT-R伝説を神話に変えたとも言われています。現在でもその人気は衰えず当時の新車価格を上回る価格で取引きされ、状態によっては1,000万円を超えるほどの高値がつくこともあります。 ハコスカ「C10型」は根強いファンがいることをアピール C10型は、1968年から1972年に販売された3代目で通称「ハコスカ」と呼ばれています。ワークス活動を休止するまでに49連勝を含む通算52勝の記録を残したGT-Rは伝説として語り継がれており、現在のスカイラインの礎となったといえます。絶大な人気があり、高値で取引されているモデルです。 根強いファンがいることを理解している業者に相談したうえで、その人気の高さをアピールするとよいでしょう。 ハードトップ2000GT-R(KPGC110型)は195台しか販売されていないことをアピール KPGC110型は、4代目となる通称「ケンメリ」をベースとしています。販売は1973年の3ヶ月間だけで195台のみという極少数のため、市場に出回ると6,000万円の値がつくといわれています。GT-Rとしては2代目となりますが、レースへの投入はなく不遇な存在として名を残しています。 スカイラインを売るなら実績・知識豊富な業者へ 日本が世界に誇る名車であるスカイライン。長い歴史の中で数多くのモデルがリリースされました。世代ごとに特徴が異なり、市場価値にも差があります。 売却を検討する際には、モデルごとの価値の違いをしっかりと理解している業者を選びましょう。どんな歴史をもち、それぞれどういった部分が長年愛されているのかを知っている買取業者であれば高額買取に期待できます。スカイラインはもちろん、さまざまな車、特に古いクルマに特化したサービスに査定を依頼するのがおすすめです。