旧車の魅力

プジョー 205GTI/CTIがホットハッチの名車に上り詰めた理由とは? 開発背景と独特の魅力を徹底考察
旧車の魅力 2023.10.18

プジョー 205GTI/CTIがホットハッチの名車に上り詰めた理由とは? 開発背景と独特の魅力を徹底考察

胸のすく軽快な走りと3ドアハッチバックという独特のスタイリングで、現在でも高い人気を誇るプジョー 205GTI/CTI。デザイン、性能ともに完成度が高く、ライバル車よりも後発ながら、ホットハッチの代表的な1台に挙げられるほどの地位を獲得しました。 発売から30年以上が経過しても、古さを感じさせないプジョー 205GTI/CTIの魅力をたっぷりと紹介します。 後発ながらホットハッチの名車となった プジョー 205GTI/CTIは今でこそホットハッチの名車の1台に数えられますが、同カテゴリーでの地位はライバルに遅れをとっていました。 プジョーのブランドそのものにも大きな影響を与えた、205GTI/CTIの開発背景を振り返ってみましょう。 ライバル車ゴルフ GTIを倒すために開発された205GTI 1984年に登場した205GTI/CTIは、実は1970年代に発売されたゴルフ GTIをベンチマークとして開発されました。なお、「CTI」はカブリオレモデルで、GTIと基本性能は同一ながら、フルオープンの開放感を味わえるモデルです。 「GTI」というグレード名も含めてホットハッチの元祖ともいわれるゴルフ GTIは、1976年の初代発売から欧州で絶大な支持を集めていました。当時のプジョーは、ルノーやシトロエンに比べるとマイナーな存在だったこともあり、「打倒・ゴルフ GTI」を至上命題にGTIを投入します。 プジョーのホットハッチへのこだわりはボディバリエーションにも現れており、205のメインモデルに位置づけられたGTIでは5ドアをラインナップから排除。3ドアハッチバックのみの発売という、徹底した「打倒・ゴルフ GTI」戦略をとりました。 プジョーを世界ブランドに押し上げた1台 205GTI/CTIの発売は、プジョーのブランドイメージを世界レベルに押し上げました。高性能モデルという普及モデルではないグレードにも関わらず、GTIの販売台数は30万台を記録。GTIが205全体の人気をけん引し、世界での販売台数はシリーズ累計で527万台にも達しました。 軽量ボディによる高い走行性能だけではなく、ゴルフ GTIにはないプジョー独特の内外装の高いデザイン性も評価されました。1970年代に発売されたゴルフ GTIに対して、1980年代に開発された点も先進性という意味で有利に働いたのかもしれません。 WRCで示した高い実力 ライバル車に対して後発だったプジョーは、デザイン性だけではなく高い性能をアピールする必要もありました。そこで、「205」の名を冠したモデルでのWRC(世界ラリー選手権)勝利を目指します。結果的にプジョーは世界ラリーチャンピオンの称号を手に入れ、高い性能と信頼を世界にアピールすることに成功しました。 WRCに投入された車輌は、205GTIとほぼ同じ外観をもつ「205ターボ16」。ただし、構造や性能は205GTIとは全くの別物で、レース参戦のためにわずか200台だけ生産されたモデルです。 現在でも205GTI/CTIが人気の理由 欧州のコンパクトカーで、旧車として人気を維持し続けている車種はあまり多くありません。しかし、205GTI/CTIは日本への輸入がホットハッチブームと重なった影響もあり、現在でも高い人気を保っています。 205GTI/CTIが人気の理由を探ってみましょう。 ライバルを意識して進化したエンジン 205GTIに搭載されたエンジンは、1.6Lで最高出力105psを発生させます。3ドアで軽量に作られた車体を考えると、当時としては十分な性能でした。しかし、205GTIの発売翌年である1985年に、同じフランスの自動車メーカールノーが1.4Lながらターボを備えて115psを発生する「ルノースーパー5GTターボ」を開発。プジョーは、メーカーとして国内のライバルであるルノーの性能アップにすぐさま反応します。 ルノーのエンジン開発の翌年、205GTIのオプションとして「205 GTI 1.6 115」を追加します。吸排気システムをアップグレードした専用エンジンで対抗しました。 さらに、同年には「205 GTI 1.9」をリリースし、ライバルとのさらなる差別化を図ります。新たに開発された1.9Lエンジンは、最大出力130ps、最大トルク161Nmを発生。重量わずか910kgと1tを切る車重と相まって、最強のホットハッチといえる走りを楽しめるようになりました。 プジョーらしい高いデザイン性 205GTIをさらに魅力的なクルマに押し上げているのは、プジョーらしい内外装の高いデザイン性です。1970年代の開発ということもあり、直線的で無骨なイメージのライバル車ゴルフ GTIに対して、ボンネットの先端部やリアハッチの後端、ボディラインへ適度に曲線を取り入れたおしゃれなデザインは、フランスの自動車メーカーならではの特徴といえるでしょう。 さらにインテリアも秀逸で、スポーティな印象を与える洗練されたダッシュボードは、エアコン吹き出し口やコントロールパネルといった各部が統一感のあるレイアウトで配置されており、現代でも古さを感じさせません。 また、コンパクトカーでありながら、ヘッドクリアランスと足元のスペースがしっかりと確保されるなど、居住性の高さも205GTIがホットハッチとして優れている点です。ホールド性の高いバケットシートも含めて、ロングドライブの疲労を軽減してくれます。 GTIの楽しさをそのままに開放感を味わえるCTI カブリオレモデルの205CTIは、エンジンをアップグレードした1986年に登場しました。高性能車のオープンモデルでは、ボディ剛性の低下といった理由から性能面を犠牲にするケースも少なくありません。しかし、205CTIは、オープンであること以外はほぼ205GTIと同仕様で発売されました。 ボディ剛性の観点でロールバーは追加されているものの、内外装ともに205GTIを踏襲しています。軽快な走りに開放感も加わった205CTIは、205の魅力を最大限に引き出したモデルといえるでしょう。 古さを感じさせない旧車だけに高い人気を維持 プジョー 205GTI/CTIは、洗練された内装や当時としてはワイドに設計されたボディデザインから、現在でもあまり古さを感じません。旧車でありながら普段使いしても全く違和感がないため、旧車ファンのみならず一般の人にまで幅広い層から支持されています。 また、シリーズとしては500万台以上が販売された205ですが、GTI/CTIに限ると生産台数は世界で30万台。発売年からの経過年数が増えるごとに希少性も高まりつつあります。 ただし、いかに見た目が現代的でも、30年以上前の旧車であることは事実です。中古車を購入する際は、しっかりと整備された個体を探しましょう。売却する際は、205GTI/CTIの人気を理解している専門業者への相談をおすすめします。年式や走行距離などの情報だけで査定するような業者に依頼すると、実際の価値よりも低く見積もられてしまうかもしれません。旧車の真の価値を把握している、古いクルマに強い買取業者を選びましょう。

1990年代名車&迷車烈伝Vol.09 三菱「2代目RVR」新ジャンルの開拓者もキープコンセプトが仇に
旧車の魅力 2023.10.17

1990年代名車&迷車烈伝Vol.09 三菱「2代目RVR」新ジャンルの開拓者もキープコンセプトが仇に

「パジェロ」や「デリカスターワゴン」のヒットにより、RVブームの先陣を切ってきた1980年代の三菱。 RVが一般に浸透するとともに、高級化や乗用車化が求められるようになります。 そこで三菱は、RVテイストの外観を持つコンパクトなワゴンを誕生させました。 1991年に登場した「RVR」です。 3列シートワゴン「シャリオ」のボディを短縮し、パジェロのような2トーンボディカラーと小さなグリルガードで外観を仕上げたこのモデルは、価格が手頃なこともあり、たちまちヒットモデルとなります。 ▲2代目RVRスポーツギア しかし、今回の1990年代名車&迷車烈伝で取り上げるのは、この初代ではなく、1997年にフルモデルチェンジした2代目のほう。 この2代目、なんとも迷車性が高いのです。 ■乗用車ライクなパジェロ風ワゴン 1991年に登場した初代RVRは、カープラザ店のみの扱いだったにも関わらず(当時はギャラン店とカープラザ店の2系列があった)、他社ユーザーも誘引し、一躍ヒットモデルとなりました。 どこかパジェロを思わせるアクティブな外観と、4,280mmの全長に片側スライドドア、2列シート(しかも主力は4人乗り)というユニークなパッケージングは新しく、楽しく豊かなカーライフを想起させてくれたものです(バックスバニーが登場したCMも楽しさを感じさせてくれた)。 ▲初代RVRスポーツギア さらにRVテイストを強めた「RVRスポーツギア」に加え、「ギャランVR-4」や「ランサーエボリューション」とベースを同じくする4G63ターボエンジンのハイパワーモデル、さらにはオープンルーフ仕様の「RVRオープンギア」を追加するなど、初代RVRのモデルライフは“乗りに乗った”ものでありました。 ■キープコンセプトで登場した2代目はしかし…… 件の2代目RVRは登場するのは、1997年。 大ヒットしたパジェロや「デリカ・スペースギア」が後期型になり、「RAV4」や「CR-V」がヒットしていたころのことです。 RVRは5ナンバーサイズのボディに片側スライドドアという基本パッケージングを変えず、キープコンセプトで作られました(シャリオはこのとき3ナンバーのシャリオグランディスに進化)。 ▲2代目RVR(GDI RVR) ▲シャリオグランディス 標準車(新たにGDI RVRと名乗った)とRVテイストを強めたRVRスポーツギアの2本立てであることも、初代を踏襲。 オーバーフェンダーにより3ナンバーサイズとなるスポーツギアには、新たに2.4リッターGDIエンジンが搭載されました。 では、なぜ迷車となっていったのでしょうか? この連載でたびたびお伝えしている「ヒット車の次の難しさ」がここにあります。 初代RVRは、シンプルなスタイリングがヒットの一因でした(シンプルだからこそスポーツギアも際立った)。 それが、先代よりスポーティに仕立てられた2代目は、凝った造形が裏目に出てやや中途半端な印象に……。 特にモノトーンカラーとした標準車Xは、ホイールベースやトレッドが狭く見え(実際には大きく変わっていないのに)、スポーツギアは衝突安全性の高まりから大型グリルガードを廃止したことで、「らしさ」が薄れてしまったのです。 シャリオグランディスと同形状のインストルメントパネルは、高級感と使い勝手をうまく両立させたデザインである一方、RVRに求められる(今でいう)ギア感に乏しい印象となってしまいました。 ▲2代目RVRスポーツギアのインテリア ■RVも多種多様なカタチに変化 RVブームも一段落し、多様化が進んでいたことも、2代目 RVRを迷車の道へと導いた一因です。 それまでパジェロや「ハイラックスサーフ」を筆頭とする本格的なクロスカントリー4WDがRVの代表格だった時代は終わり、RAV4をはじめとしたライトクロカンや「レガシィグランドワゴン」のような乗用車派生のクロスオーバー、ワンボックスワゴンのドレスアップ仕様など、多種多様なRVが誕生。 RVRも当初は多様化するRVニーズの一翼を担っていたわけですが、キープコンセプトで戦えるほど1990年代後半の「ニーズの多様化」は甘くありませんでした。 同じ三菱の中に「パジェロイオ」や「チャレンジャー」が登場したことも、ニーズの多様化が表れています。 ▲チャレンジャー 同時に、RV一辺倒だったニーズの変化も起きていました。 RVとは真逆のローダウン/エアロパーツというスタイルも、徐々に浸透してきていたのです。 RVライクな乗用車というスタイルを浸透させたのはRVRでしたが、そのスタイルを守ったばかりに時代においていかれる状況となった、ともいえます。 ■RVからエアロ仕様に大胆チェンジ 変わりゆく時代を生き抜くために、2代目RVRはたびたび改良を行います。 1999年にはシャリオグランディスのようなラグジュアリーな仕立ての「スーパーエクシード」を加え、同年のマイナーチェンジでスポーツギアをエアロ仕様に一新。 このマイナーチェンジでは、グレード体系が見直された他、これまで片側のみだったスライドドアが両側に装着されました。 ▲RVRスポーツギアエアロ ▲RVRスーパーエクシード しかし、日産「キューブ」や「エルグランド」、トヨタ「ハリアー」、マツダ「デミオ」など、新しい価値観のクルマが続々と登場するなかで、RVRが再び注目を集めることは叶いませんでした。 以後は大きな改良を受けることなく、2001年に登場した「エアトレック」にバトンを渡すようにして、2002年に生産を終えることとなります。 なお、現在のRVRは2010年に登場した3代目。 約10年のブランクを経ての復活となったモデルです。 とはいえ、こちらもマイナーチェンジを繰り返し、10年以上も生産が続いています。 ▲現行RVR 「ASX」の名で販売されていた欧州仕様は、2022年にフルモデルチェンジし、なんとルノー「キャプチャー」のOEMとなりました。 日本国内で販売される現行RVRは、早くも迷車の匂いがしてきますね……。 ■RVR不遇の時代は今も? 販売面では成功しなかった2代目RVR。 しかし、クルマそのものをよく見てると、実にユニークなキャラクターを持っていることがわかります。 ネオクラシックの入口に差し掛かっている今、乗っていたらオシャレかもしれません……と、中古車情報サイトを見てみると、なんと掲載はわずか3台でした。 2002年まで作られていながら早くも絶滅危惧種とは、迷車度の高い迷車といえそうです。 4G63ターボを搭載するスポーツギアなんて、なかなか良さそうな気がしますけどね。 [ライター・木谷 宗義 / 画像・三菱自動車]

制約もあるが自由度も抜群!ドイツの駐車事情とは?
旧車の魅力 2023.10.17

制約もあるが自由度も抜群!ドイツの駐車事情とは?

クルマを運転する人、所有している人にとって、駐車問題は切り離せないものです。 ドイツに移住して本格的にクルマに乗るようになってから、とりわけ強く感じたことが、駐車環境が日本と大きく異なるということ。 それもあり、個人的に、国ごとの駐車事情の違いがどのようなものなのか興味のあるテーマでもありました。 そこで、この記事ではドイツでの駐車事情について、自宅や外出先での駐車事情を取り上げながら紹介します。 ■ドイツと日本の駐車事情の違い まず、一般的にドイツでの駐車の自由度は、比較的に高いといえます。 というのも、自宅での駐車に関しては、日本のようにクルマを登録する際の車庫証明の提出は求められず、基本的に自宅近くの空いている場所に停めることになります。 家によっては月極の駐車場の契約が必要になってくる場合もあります。 しかし、これも必須ではなくオーナー次第であり、駐車場代を節約したいと考える人は、多少自宅から離れていても停められる場所に自由に駐車している人が多いです。 ▲住宅地の道路の路肩にキャンピングカー・トレーラーなど大きな車輌が駐車していることも珍しくない ちなみに筆者の場合、住んでいるアパートに月極の駐車場がありますが、契約はしていません。 基本的にアパート周辺の空いている場所を探して駐車しています。 しかし、クルマが多すぎて停められないケースも少なくなく、運が良ければ自宅の目の前に停められますが、場合によっては徒歩15分ほどかかる場所まで離れることも珍しくありません。 正確な数を把握しているわけではありませんが、明らかにアパート全体に居住する世帯数をクルマの台数が上回っているといった感覚です。 しかし、出先での駐車となると状況が異なります。 都市部では、駐車の自由度が大幅に下がります。 筆者も都市部に隣接する地域に住んでいますが、自宅から近くであっても、クルマで出かけると自由に停められる場所が限られ、不便を感じることがよくあります。 都市部には有料の駐車スペースが多く存在しており、さらに大きな都市では駐車場の需要が極端に高まることから、巨大な立体駐車場も存在します。 ドイツの街中にある駐車スペースとは、日本で普及しているコインパーキングとは異なり、路肩に駐車できる区画が設定されていることが多いのです。 たいていは先に時間分の駐車料金を支払い、チケットをダッシュボードの見えやすい位置に置いておきます。 このように、路上に一定区画整備された駐車場は空いていることが珍しいくらいで、都市部では駐車場を探すのにかなり苦労することがよくあります。 この点は、日本の都市部の駐車場事情とも似ているかもしれません。 ■自由度高すぎ?ドイツの地方の駐車事情 一方、取材で訪れた地方では、駐車事情が大きく異なっていて驚きました。 地方での駐車の自由度には目を見張るものがあります。 先述したように、都市部では基本的に駐車向けにスペースが整備されていることがほとんどです。 対して地方では、そのような整備された駐車区間に加え、駐車禁止であることが示されてさえいなければ、どこでも路上駐車ができてしまうことが多いのです。 自宅付近のみならず、レストランやお店の近くでも自由に駐車できます。 スーパーマーケットやレストランには専用の駐車場が完備されていることも多いのですが、仮に満車になっても、近くの空いている場所に駐車して、時間を気にすることなく買い物などを楽しむことができるのです。 逆にいえば、スーパーの駐車場に長時間駐車をし、ほかの用事でクルマを残して出かけていく人もいます。 余談ですが、都市部ではこのような状況を避け、買い物客が困らないよう駐車の制限時間を設けているスーパーや商業施設が多い傾向にあります。 時間をどのように計るのかというと、クルマを降りる前に駐車した時間を示す表示を車内に置いていきます。 管理人がその表示を確認し、制限時間を超えている場合はペナルティを課せられることがあります。 ▲無料駐車に制限時間が設けられている場合、このように到着時刻 / 駐車開始時刻を示しダッシュボードに置いてクルマを離れる 話を戻しますが、地方では標識さえない場所では遠慮なく駐車して、通行するクルマが駐車車輌を避けることや、対向車が来た場合は待機を強いられるといったことも珍しくありません。 それくらい日常的なことであり、人々に受け入れられているということでもあるのだと思います。 ▲駐車車輌を避けて走るドライバーたち ここまでお伝えしてきたような環境ですので、長期間にわたり路上駐車で停め続けることもできてしまうわけです。 ただし、今まで駐車可能だった場所が、ある日突然駐車禁止になることもあるので注意が必要です。 例えば引っ越しや荷物の搬出入、工事などにより、一定の区間が駐車禁止になる場合です。 基本的には数日前には告知され、いつからいつまで駐車禁止になるのかを把握することができます。 しかし、もしその知らせに気づかないまま駐車し続けてしまうと、罰金を課せられるか、場合によってはレッカー移動されてしまうことになります。 ▲事前に告知された駐車禁止の標識。10月9日の7時~19時までは駐車禁止であることを示している ■おわりに いかがでしょうか。 日本とドイツを比較してみると、駐車事情一つとっても、似ているところもあればだいぶ違っている側面もあり、なかなか面白いと思います。 今後も、クルマそのもののみならず、今回のように交通事情のドイツあるあるを発見したら、紹介していきたいと思います。 [ライター・画像 / Shima]

絶版車の人気が上昇中!?その理由と魅力を解説します。
旧車の魅力 2023.10.16

絶版車の人気が上昇中!?その理由と魅力を解説します。

国内外を問わず絶版車の人気が高まっています。絶版車の新車は手に入らないため、走行距離が短かったりメンテナンスが行われていたりする車の価値が高騰しています。絶版車とは何か、その魅力と特徴、購入方法なども合わせて解説します。絶版者をお持ちの方やこれから購入を検討されている方はぜひ参考にしてください。 絶版車とは 絶版車とはメーカーでの生産・販売が終了した車両のことです。アフターサービスそのものも終了している場合もあります。さらに市場での流通数も極めて少なくなっている車両のことを意味します。 絶版車が人気の理由 現在の車にはないノスタルジーに愛着を持っているユーザーが希少な絶版車に情熱をかけています。また、車のメンテナンスや改造に手間暇をかけることが趣味のユーザーや、絶版車になる以前から憧れを抱いているユーザーが大勢います。その中から特に注目されていることをご紹介しましょう。 プレミアム感がある 絶版車の魅力は価格以上の存在感があることです。数ある車の中でも当時大きな話題を呼んだ車が現在希少となりプレミアム価格がついています。 スポーツカーブーム 1960年~1970年を中心にレーシングカーとして活躍したクラシックカーと、1980年~1990年に人気を博したネオクラシックカーと呼ばれている国産スポーツカーがブームとなっています。 コレクションしたい 希少な車であるからこそ手にしたい、車の存在が自身のアイデンティティであると思うユーザーは、絶版車をコレクトすることを強く望む傾向があります。特にクラシカルで他にはないデザインを好む人が多いでしょう。 人気の絶版車の特徴 続いて絶版車として人気が出る特徴をご紹介します。 状態が良好 絶版車として特に重要視されるのがメンテナンスの状態です。外装や内装などオリジナルの状態が良好に維持されている車両は、価値がより高くなり人気が出ます。その上できちんと走れるコンディションにあることが重要です。一番要となるのは数少ないオリジナルパーツをどのように手に入れるかにかかっています。主な入手先は旧車や絶版車が集まるイベントなどで物々交換を行ったり、ネットで落札するなどの方法があります。また大手ディーラーでは絶版車の復刻部品を取り扱っています。 流通数が少ない 国内において極めて流通数が少ない絶版車は、非常にレアリティが高く注目の的です。旧車イベントなどでは、人だかりができるほど珍しい車があります。普段見る事ができない絶版車ならではの魅力です。また絶版車のオーナー同士で交流する機会もあり、新たな出会いがあるのも流通数の少ない絶版車の特徴です。 馬力があるスポーツカー 人気のある絶版車の中でも車の性能が飛びぬけて良いスポーツカーの存在があります。特に注目されるのはエンジン性能と走行性能です。最高出力や最大トルク、足回りの良さなどが評価されます。その魅力は数十年経過しても変わることがなく続いています。その中にはコミックスなどのメディアで取り上げられてカルト的な人気を博したモデルなどがあります。 人気のある絶版車7選 絶版車の中から厳選して人気のある国産車7台をご紹介します。絶版車の購入を検討されている方や特徴を知りたい方はぜひ参考にしてください。 AE86 トヨタ自動車が1983年に発売したカローラレビンとスプリンタートレノはFRスポーツクーペです。1600cc4A₋GEU型エンジンは出力130馬力をマークし、1500cc3A‐Uエンジンは83馬力となっています。エンジンや足回りのチューニングのしやすさ、応答性の高い走行性能で一躍人気となりました。 アルテッツァ(RS200) トヨタ自動車から1998年に発売されたスポーツセダンです。直列4気筒6速マニュアルを採用しています。FRの操縦特性を求めるスポーツ愛好家の間で人気となりました。3S‐GE型エンジンは出力210馬力をマークします。(AT車は200馬力) スカイラインGT₋R(BNR34) 5代目スカイラインとして1999年に発売された2ドアクーペです。大幅なボディ剛性を施し、フロント、サイド、リヤのすべてにエアロパーツを装備しました。直列6気筒ツインターボ付きRB26DRTT型エンジンを搭載し、最高出力は280馬力を発揮します。 RX₋7(FD3S) マツダから3代目として1991年に発売されたスポーツクーペです。サバンナの名称を外し、アンフィニ・ブランドとなりました。シーケンシャルターボ付き2ローターの13B型ロータリーエンジンを搭載しています。最高出力は255馬力です。 コロナ(RT40系) トヨタ自動車から1964年に3代目コロナとして発売されました。1代目、2代目から得た製造技術をふんだんに詰め込み、ユーザーの求める快適性と高速走行の性能向上を実現しました。ボディを拡張したことで居住性が向上し、5人が搭乗してもゆとりがあります。 シルビア(S13型) 日産自動車から1988年に発売された2ドアノッチバッククーペです。丸みを帯びたふくよかなボディラインを特徴とし、ノーズの低さを生かすプロジェクターヘッドライトを採用しました。エンジンは1800ccCA18DE型とターボ付きCA18DET型を搭載しています。 ランドクルーザー40 トヨタ自動車から1960年に発売されたクロスカントリー車です。20系の発展型として高速走行の快適性と乗用車としてのデザインを追求しました。1984年まで国内外で24年間販売され、トヨタ自動車のロングセラーモデルとなりました。 絶版車の購入方法 ここでは絶版車の代表的な購入方法をご紹介します。大きく分けて中古販売業者とオークションとの二つの方法がありますので、参考にしてください。 中古車販売業者から購入する。 実際に現車の状態を調べてくれた上で購入できる点が中古車販売業者の最大のメリットです。車の状態をしっかりと確認した上で購入したいと言う方にオススメです。購入価格は一般的に高いかもしれませんが、購入後の保証やアフターケアも付帯する専門業者もいますので一考すべき所です。 オークションで競り落とす。 専門業者に預託する場合と個人間で行うふたつがあります。オークション専門業者は古物商登録など販売資格を持った方です。専門業者に預託する場合は、必要に応じて保証金を用意します。次にオークションで落札する値段の上限を決めておく必要があります。予想よりも高い金額で落札される可能もありますので予算には余裕を持った方がよいでしょう。 消費税がかからず、必要な手数料も最低限で済むのが個人オークションです。インターネットでのオークションなので取引がスピーディなのも魅力のひとつです。出品者の申告通りの車であり、購入希望者の希望通りなら購入をおすすめします。現車の確認がオークション関係者だけですのでエンジンや足回りの状態までは確認が難しいでしょう。購入後のアフターケアは自己責任となる場合があります。なお個人間オークションに参加する場合は、本人確認書類が必要な場合がありますので事前にオークションサイトなどに確認が必要です。

昨今の業界の問題について|本物のクルマ屋とは
旧車の魅力 2023.10.12

昨今の業界の問題について|本物のクルマ屋とは

  中古車業界は、昔からあまりにも不正が多い業界です。 販売においては、メーター巻き戻し問題に始まって、事故歴や修復歴を隠したまま、もしくは見抜けないまま店頭に並べる、おとり広告で架空の車を掲載して集客して別の車を広告とは違う価格で販売する、法外な諸費用をとる、売却では買取契約後に大幅に減額する(いわゆる二重査定)、お客様がキャンセルしたいというと法外な違約金を請求する、そして今回の保険金水増し請求という問題。 なぜ中古車業界で不正が横行しているのでしょうか。 実は、中古車売買事業は参入障壁が非常に低く、古物商許可を取得すれば簡単に開業できます。さらに資金さえあれば、現在はオートオークションが発達しているので仕入れも容易です。 車に関する知識・ノウハウ・技術がなくても、誰でも足を踏み入れられる業界。極端な話、車を一度も触ったことがない人でも始められる事業です。   しかし、「車」は本当にそんなに簡単に取扱いできる存在でしょうか。   車は、約3万点以上もの機械と電子部品が複雑に組み合わさって構成されています。部品の役割も知らない、触ったこともない人が取扱いできる代物ではありません。 中古車になれば、さらにハードルが上がります。 雨風、猛暑や雪や台風のなかを、車体が振動を受け、人や荷物を載せて、何万キロも走行し、時には擦ったりぶつけてしまったりもする、そんな過酷な状況を走ってきたのが中古車です。 ただでさえ複雑だというのに、中古車は長年のダメージを負っています。どの部品をどのように直したらいいのか、もともとどのくらいの価値があったのか、見極めなければならないポイントは多岐に渡ります。正しく取扱うには、豊富な知識、訓練、磨いた技術が必要不可欠です。 瑕疵をプロの眼で見極め、プロの技術で修理し、プロとして流通させるのが、本来の中古車事業です。 技術力を無視して成立させようとするから、不正をしなければ事業運営ができないのです。 そして悲しいことに、中古車業界はそうした会社で溢れかえっています。   しかし、私たちは不正をはたらく会社とは、決して違うと断言します。   私たちは複雑な中古車を取扱うことに誇りをもっています。 不正のはびこる業界体制をどうにかして変えたいと本気で考えています。 旧車王を運営するカレント自動車は、20年以上に渡って数十年前の古いクルマから、世界にわずかしか残っていない希少車、カスタムされたスポーツカー、事故現状車、不動車、故障車などありとあらゆる車輌を取扱いしてきました。本気で車を愛し、そして本気でお客様に寄り添って鑑定します。   中古車を取扱うことに誇りをもつ、私たちこそが本物の「クルマ屋」だと確信しています。 中古車業界の悪しき習慣を変えるべく、これからも真のプロとして邁進して参ります。   2023年9月カレント自動車株式会社

ウインカー音もデザイン?フランス車の「サウンドデザイナー」の仕事とは
旧車の魅力 2023.10.12

ウインカー音もデザイン?フランス車の「サウンドデザイナー」の仕事とは

夫の友人のベンが、あるフランス車メーカー(仮にA社とします)のサウンドデザインチームと仕事をしていることを知りました。 秘密保持契約があって話せないことも多いようですが、教えてもらえる範囲でいくつかの質問をさせてもらうことにしました。 ミュージシャンであるベンは、現在は大学の講師として学生にレコーディングの際に必要となるミキシングやマスタリングなど、スタジオのサウンドエンジニアとして必要なテクニックを教えています。 その傍らで、アーティストやパフォーマーがショーをする際の、音響を制作する会社でも働いています。 数ヶ月前に始まったA社のプロジェクトは、ベンの学生時代の友人が、現在A社にてサウンドデザイナーとして指揮を取っていたもの。 その彼がオーディオプログラミングの技術が必要になったことがきっかけで、ベンもグループに参入することになったようです。 この話を聞いてから、私たちはA社のクルマをレンタルする際、普段なら気にしていなかった車内の効果音が気になるようになっていました。 エンジンをかけたときや、ウインカー、クラクション、オーディオを可動するとき、「ベンはこういう音も作っているんだね」と意識をして探してみると、たくさんの音に気付くことができました。 ■遠くない未来の自動車 当初、このプロジェクトは特定の車輌のために制作されたものではなく、数年間社内で使われるイメージの試作品としての音だったそうです。 しかし最終的に、ウェルカムシーケンスという「クルマに近づいてドアを開け、座席に座る」際の音響が、les futures voitures(近未来タイプの車輌)で使用されることとなったようです。 近未来タイプといわれると、なんだか映画のなかのクルマのイメージをしてしまいますが、開発をしている人たちにとってはすでに現在の話なんですね。 今も街中で走っている電気自動車や、自動運転機能がついているクルマもこの類でしょう。 2ヶ月以上を費やしたこのプロジェクトでは、音の設計、プログラミング、機器への設置などさまざまな作業にそれぞれの専門家が関わっており、ベンが主に関わったオーディオプログラミングでは2週間ほどで完成しなければならないスケジュールだったようです。 各箇所ごとに何種類の音を提案をしたのか聞いたところ、一番最初に提案した「one shot(一発録り)」がすぐA社に受け入れられたようで、以降は例えば「サウンドが攻撃的すぎる」「音が明確ではなく聴こえにくい」など、細かなフィードバックを受けて修正・置き換えをしたそうです。 それだけを聞くと割とスムーズに進んでいたように感じましたが、やはりそんなことはなく、その一発録りまでに「この音では没入感が足りない」「サウンドが次々続くのが速すぎる」など、何度もグループ内での確認と変更を繰り返したのだとか。 音に関する注文は、「遅い・早い」「聴こえる・聴こえにくい」などの数値的な修正ですと分かりやすいですが、「没入感」や「よりエモーショナルに」といった抽象的な言葉をいわれると、私のような素人には、それってどんな音でしょう?と悩んでしまいます。 しかし、ベンにとっては新しいジャンルの作業で、難しくもあり刺激的な仕事だったようです。この仕事をきっかけに自身が運転する際や他社のクルマに乗車中、車内の効果音が気になってしまわなかったのでしょうか? すると、「正直にいうと、僕にとってクルマは純粋に実用的なものだから、騒音は少なければ少ないほどベストかな」との返答が。 だからこそ日常で使用しているクルマのイメージを広げて、自分の理想と異なるまったく別の音楽をも作れているのかもしれません。 ■サウンドエンジニアが影響を受けてきた音楽とは 私の夫とベンは、若い時にお互いがバンド活動をしていたころに出会っています。 当時はロックやダークメタルを演奏しており、その時代を通って現在彼はHIP-HOP、実験的なエレクトロ、ミニマルテクノなど、本当に様々なジャンルを聴いています。 共通していえるのは、ジャンルはバラバラでも何か「特別」な、攻めたポイントがある音楽に惹かれる点です。 友人同士が集まると、最近ではJAZZの話をよくしていて、ベンはアメリカのチャールズ・ミンガスから影響を受けているアーティストを特に気に入っています。 日本の音楽は知っているのか聞いてみると、かの有名なモグワイとも繋がりがあるハードコアバンド「envy」も好きだと教えてくれました。 そして私も愛聴している、ブロンドレッドヘッドとディアフーフ(ともにヴォーカルは日本人)の名前も。 さすがはミュージシャンゆえ、ベンに音楽の好みの話を聞くと本当にたくさんのお勧めを教えてくれるのですが、これ以上書くとクルマの記事から音楽の記事になってしまいそうなので割愛します。 ■身近な音にも込められるエンジニアのエスプリ プライベートでは双子の男の子のお父さんでもあるベンは、本当に穏やかな雰囲気。 今回も、「秘密なことが多くて記事にするのが難しいだろうから、混乱しないといいんだけど面白い記事になるといいね」と快く質問に答えてくれました。 「次のA社の仕事の報酬は、バスルームのリフォーム費用にするぞ」と、次回のプロジェクトの話も少し匂わせていたので、そのときまた新しい話が聞けるのが楽しみです。 ベンが携わっているフランス車に限らず、世界各国でハイピッチに開発が進められている未来のクルマ。 どんな機能でどんな造形をしているのか考えただけでもワクワクしますが、その際には使われているサウンドにも耳を傾けたいなと思いました。 [ライター・スミ / 画像・Freepik, photoAC, Pexels]

アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾・日産編~
旧車の魅力 2023.10.11

アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾・日産編~

■日本から近い国、異なるニーズと仕様 どんなに世界中でSUVやMPVがファミリーカーの覇権を握る時代が来ようとも、旧車ファンにとってはファミリーカー、オーナーカーとしてのセダンの存在を忘れることは、なかなかできないのではないだろうか。 クルマがやっと一家に一台になったころ、所有することに憧れ続けてきたオーナーの眼差しを叶えるかのごとく、非常に威厳の高いデザインが数多く採用された。 特にアジア地域では、パールホワイトやブラックのボディカラーにボンネットマスコット、大きなメッキのグリルに本革シートなどなど...。 そんな装備を3BOXのセダンが纏えば、パーソナルな高級車像が出来上がってくる。 90年代の序盤ごろ、アジアの多くの地域ではまだまだRV車=商用車やクロカンからの派生モデルといった認識が抜けきらず、ユーザーの趣向は全高のさほど高くないセダンやハードトップモデルを好んでいる流れが多かった。 メーカーもその流れを汲み、バジェットカーからハイエンドまで、ラインナップの多くに細やかなニーズを取り込んだモデルが存在している。 日本のメーカーからは特に、日本国内や米国で生産されているモデルを、ほぼそのまま持ち込んだような車種も多く存在している。 だがよく見ると、装備差は現地法人のリサーチの力を発揮してか、さまざまな差異を見ることができて面白い。  前回の記事(https://www.qsha-oh.com/historia/article/taiwan-asian-three-box-sedan-classics/)でも紹介したが、台湾での日本メーカーと現地法人がもたらしたラインナップはとても興味深く、そのすべてを洗い出すにはかなり大変で奥深い。 今回もほんの一部ではあるが、90年代から00年代の日産車について着目していこうと思う。 ■現地にフィットしてデラックスになっていくセダンたち 台湾における日産自動車は、現地法人である「裕隆(ユーロン)日産汽車股份有限公司」といい、そのスタートは1959年からと、歴史あるものだ。 日産車のノックダウン製造や輸入・販売を長らくおこなっていた裕隆だが、1986年からは当時ノックダウン生産をしていたスタンザFXをベースとした、オリジナルモデル“飛羚101”を発表した。 ▲80年代の裕隆汽車 勝利 90年代の裕隆は台湾のトヨタと同じく、日本のオリジナルモデルをベースとしながらも独自に開発され、生産されていたケースと、日本やその他の国から輸入されていたケースの2つがある。 例えば日産の末っ子モデルだったマーチには、台湾独自の需要を狙い、幅広く世界中で売られていたなかでも唯一セダンモデルを有していた。 1994年から販売が開始され、後部を300ミリ延長したボディにオリジナルデザインのリアランプが取り付けられる。 ▲なんと前期・後期で2種類のデザインが存在する ベースとなるマーチのハッチバックと同じように、数多くの特別仕様車やボディカラーが存在し、バリエーションは数多あるようだ。 一つ上のクラスにはセントラ(日本名:サニー)が存在する。 90年代の日産 セントラは、北米仕様のB13型と仕様が似ており、ラグジュアリーというよりはシンプル&スポーティーな仕立てとなっている。 対して次期型のB14型はどちらかというと高級志向。 木目パネルや本革シートが装備されるほか、リアランプの造形などは同社のシーマなどを想起させるような構成となっており、日本や北米とは大きく異なる仕様だ。 外観のうえで日本仕様との差異が大きいのは、B15型のセントラだ。 日本のブルーバード・シルフィをベースとしたモデルへとバトンタッチしており、日本国内でも1.8Lエンジンの搭載や本革シートが装備される“小さな高級車”的な立ち位置だったB15型。 前期型はほぼ同一の外観を持つが、後期型では日本、そしてほかの国々とも異なるフロントフェイスへと一新。 より若々しい性格の高級車像を手に入れている。 B15型のセントラでとても印象的だったのは、街中ですれ違うサンルーフ装着車の多さ。 温暖なお国柄もあるのかもしれないが、コンパクトセダンでも快適性を忘れず“イイクルマ”であることを楽しんでいるようで素晴らしいと感じた。 U13型のブルーバードは、名称すらも米国と同一のアルティマを名乗っている。 当時放映されていたCMも米国のレクサス LS400を髣髴させる内容で、それまでのブルーバードが持っていたスポーティーセダン的な像だけではなく、輸入車らしいクオリティを強調するものとなっている。 街中ですれ違ったアルティマが日本のブルーバードと少し印象が異なるように感じられるのは、きっとサイドマーカーだけではないはずだ。 ■大幅なアップデートが施される独自仕様 日本ではセドリックやシーマ、プレジデントなどといった、ショーファードリブンの取り揃えが数多くあった90年代~00年代の日産。 だが、台湾でトップを飾る車種でY30セドリックの立ち位置を後継したのはY32型のセフィーロだった。 当時、韓国でもルノーサムスンがセフィーロをベースとして販売していたSM5。 韓国におけるモータリゼーションのなかでもそれらは高級車であることをしっかりと印象づけていたが、台湾仕様のセフィーロの豪華さには敵わないのではないかと思う。 台湾のセフィーロは、最上級グレードの名前こそセドリック等と同一の“ブロアム VIP”が冠されるが、その名に恥じない高級装備が奢られる。 後期型は大型のフロントグリルにオリジナルデザインのバンパーを装備。 A33型にモデルチェンジすると、ナビシステムやリアのマッサージ付き電動リクライニング本革シート、フリップダウンモニターまで盛られていた。 ドアサンシェードにリアのエアコン吹き出し口などなど……セドリックどころか、シーマを飛び越えてしまいそうなほどのショーファーカーに仕上がっていたのだ。 そんな台湾だから、街中を歩いていると沢山の3BOXとすれ違うこととなり、セダンが欲しくて欲しくてむずむずしてくる(笑)。 ギラついたボディにはバシっとコーティングが乗り、堂々とした構え(もちろんオーナーの手入れにもよるが...)。 メルセデスもBMWももちろん最高ではあるのだが、“日本のセダン”が輝いて見えたあの道を、筆者は推しまくりたいと感じたのだった。 ちなみに、当記事の写真を撮影したのは2018年ごろで、少し前の時代になる。 今でも現地のSNSを見ると、今回紹介したような車種が取引されているのを見ることができる。 しかし、そのバリエーションは年々減っていっていることもまた事実だ。 日本よりも古いクルマを数多く見かけていた台湾だが、環境対応車などの台数も増えている昨今、これらのクルマを街中で見かける回数はますます少なくなっていくことだろう。 そんなクルマたちを助けるために、ガス検をとって日本へ輸入...といきたいところだが、台湾の場合は欧米とルールが異なり、輸入へのハードルはかなり高いと聞いたことがある。 まずはそれらの存在を目に焼き付けるために、もう一度台湾行きのチケット購入を検討する時期が近づいているのかも...しれない。 筆者の異国の地におけるネオ・クラシックカー探訪は、まだしばらくやめられなさそうにない。 [ライター・撮影 / TUNA]

エビスサーキット東コースを攻める!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.7
旧車の魅力 2023.10.10

エビスサーキット東コースを攻める!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.7

今年の4月にエビスサーキット西コースを走ってからおよそ半年。ようやく連日の猛暑日から解放されつつあった9月下旬のある日、手作りの6輪F1タイレルP34がふたたびエビスサーキットを走るということで現地に向かった。 エビスサーキットがある福島県二本松市の天気は予報では曇り。直前まで雨が予想されていたが、綿引氏曰く「俺は晴れ男だから大丈夫!」と自信たっぷり。 事実、多少雨には降られたものの、走行会終了まで何とか天気は崩れずに済んだ。綿引氏の晴れ男パワー恐るべし!!(笑) ■今回の舞台となったのはエビスサーキット東コース 綿引氏にとって半年ぶりのエビスサーキットだが、前回は西コース、今回は東コースで走るという。同日に開催される走行会が東コースで行われることになっており、当日のタイムスケジュールのなかにタイレルがコースを占有できる枠が組み込まれていた。 ちなみにエビスサーキット東コースは、綿引氏が若いころに2輪のレースに参戦していたときによく走っていた馴染みのある場所でもあるという。 若かりし頃の綿引氏が、まさか数十年後に自身で製作したF1マシンのコクピットに収まり、エビスサーキット東コースを攻めているとは夢にも思わなかっただろう。 ■この日のタイレルP34の走行枠は全3回/計90分 午前9時からミーティングがはじまり、9時10分から慣熟走行、そして9時30分から45分ほど参加者の方たちのフリー走行の枠となる。タイレルの1回目の走行枠は10時15分から30分間。 サポートメンバーの皆さんの手により、キャリアカーからタイレルを降ろし、ピットまで運ぶ。フロントカウルをボディフレームに装着。 各部のチェック、そしてタイヤの空気圧チェックが行われ、やがてタイレルP34のエンジンに火が入るとピット内の空気が一気にと引き締まる。 なお、今回のタイレルに搭載されるハヤブサのエンジンは、半年前に西コースで走らせたときとは別モノだという。 ■今回、フロントホイールとサスペンションのマウント位置を変更 今回のサーキット走行におけるハイライトのひとつが、フロントに装着した4本のアルミホイール。電子部品を作る機械の製造販売を主軸に、自動車の部品加工なども手がける株式会社中村機械(本社は富山県氷見市)によって特注した逸品だ。 そしてリアのサスペンションの取り付け位置も変更されている。これまでよりも取り付け箇所が一段上げられた。 ■まずは1回目のフリー走行! 各部の様子見も兼ねて1回目のフリー走行はスローペースでスタート。数周してピットインし、この日は、綿引氏の若かりし頃からの先輩だというO氏が応援に駆けつけ、タイヤの空気圧チェックなどを行う。 ひととおりのチェックが完了し、問題なしと判断して再度コースイン!少しずつペースをあげていく綿引氏。晴れ男の"面目躍如"で、心配していた雨もどうにか回避できそうだ。 しかし、何度かのピットインののち、デフ付近からわずかながらオイル漏れが判明。そこで綿引氏自らタイレルの下に潜り込み、腕を伸ばしてスマートフォンで気になる箇所を撮影しながら状況を確認。その結果、周回に問題なしと判断し、ふたたびコースへ。ハードに攻め込んでいるからこそ判明するウィークポイントともいえるだろう。 ■2回目/3回目のフリー走行では安定した周回を重ねる 昼食をはさんで午後から2回目のフリー走行に入る。コース上でスピンすることも、スローダウンすることもなく、安定した状態を維持したまま周回を重ねて行く綿引氏。筆者も撮影のあいまにギャラリーに混じり、ホームストレート上でスマートフォンで動画撮影を試みるも、1回目は速さのあまり追い掛けきれなかったほどだ。 この日、乗用車でエントリーしたメンバーの皆さんが決して遅いわけではない。それを上回る速さでタイレルP34がラップを重ねているということだ(撮影も大変でした)。 ■エントリー車のなかでトップタイムをマーク! 今回、エントリーした車輌のなかでは唯一のフォーミュラマシンとはいえ、トップタイムをたたき出した綿引氏とタイレルP34! 「フォーミュラカーなんだから乗用車より速くて当然じゃん」と思う人がいるかもしれない。しかし、そこは敢えて異を唱えたい。この連載では何度も繰り返してきていることだが、綿引氏のタイレルP34はコンプリートモデルではない。ハンドメイドなのだ。ホームセンターなどで売られているアルミの板や角材を切り貼りして、叩いて形作られたモノなのだ。この1年、本業のあいまに実走行でトライアンドエラーを繰り返し、完成度を高めてきたのだ。 そして何より、ハヤブサのエンジン他、綿引氏が試行錯誤して選んだ部品の集合体でもある。製作段階で精度が低い状態だとしたら、サーキットを攻めた時点で溶接がはがれてしまうことも考えられる(長野ノスタルジックカーショーにタイレルを展示した際、ドラッグマシンのレーシングカーを製作した経験を持つアートレーシングの村手氏からにお墨付きをもらうほど、このタイレルは強靱なボディを誇っている)。 しかし現地ではそんな心配などまったく無用で(綿引氏に対してそんな心配をするのが失礼に思えてしまうほどだ)、むしろラップタイムや連続してサーキットを周回できるタフさにただただ驚くしかなかった。 ■熟成が進みつつある手作りの6輪F1タイレルP34! このタイレルP34は単なるスポーツ走行を楽しむためにエビスサーキット東コースを走っているのではない。マシンのセッティング、そして各部の熟成、ウィークポイントの洗い出し、それはまさにレーシングカー、ひいてはフォーミュラマシンが本番のレースに向けてマシンのセッティングを煮詰めるのと何ら変わりはない。もはやデモ走行の域を完全に超えているのだ。 つまり、このタイレルP34はサーキットを「攻められる」フォーミュラマシンだ。この日も、トータルで1時間を超える周回を重ねてもリタイヤすることなく、無事に走行を終えることができた。綿引氏自身も、タイレルP34のセッティングおよび熟成が進んできている手応えをつかんだようだ。 なかには口さがない読者もいるかもしれないが、このマシンがサーキットを攻めている光景を目のあたりして同じことがいえるだろうか。おそらくは全員が脱帽(そして感激)するに違いない。その実感を1人でも多くの読者の皆さんに伝われば幸いだ。 なお、この日の模様はCBR WATAHIKI YouTubeチャンネルでも公開されているので、ぜひチェックを! ●Six Wheeler Drift | Handmade Formula One in Japan | Tyrrell P34 | CBR WATAHIKIhttps://www.youtube.com/watch?v=5HF7BgqPNdI ●エビスサーキット東コース外部映像、テロップ説明付版https://www.youtube.com/watch?v=I5WlBnvTadU 余談だが、実はこの日、ちょっとしたサプライズがあった。綿引氏が当日、現地で決めたという。それは別の記事でご紹介したい。 ■手作りの6輪F1タイレルP34とは? 茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI(以下、CBR WATAHIKI)」代表の綿引雄司氏が、仕事の合間を縫って手作りで製作している、6輪が特徴的なF1マシン「タイレルP34」。 その完成度の高さから、ネット上ではタイレルP34のコンプリートマシンを綿引氏が所有していると誤解されることもしばしばだ。 また「タイレルP34のレプリカ」と評されることもあるが、綿引氏独自の解釈で製作された箇所も少なからずある。 そのため、忠実なレプリカというわけではない。 つまり、この「レプリカ」という表現がこのマシンに当てはまるかどうかは人それぞれの解釈に委ねたい。 製作者である綿引氏によると、このF1マシンが存在することは、タイレルのルーツでもあるケン・ティレル氏のご子息、ボブ・ティレル氏も把握しているという。 しかも、ボブ・ティレル氏は好意的に受け止めてくれているとのことだ。 ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA ■Special Thanks! エビスサーキット ●営業時間8:30~17:00(GATE OPEN8:30)/*冬期間9:00~16:30(GATE OPEN9:00)*大会やイベントで変更になる場合もあり●定休日:毎週水曜日 *水曜日が祝日の場合、G.Wの場合、お盆休みの場合などは営業する日もあり ●住所:〒964-0088 福島県二本松市沢松倉1番地*案内図:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.ebisu-circuit.com/images/ebisu_syuhen.pdf●TEL/FAX:TEL:0243-24-2972/FAX:0243-24-2936●E-Mail:autoland81@techno-as.com●URL:https://www.ebisu-circuit.com/●Twitter:https://twitter.com/ebisu_circuit●Facebookページ:https://www.facebook.com/EBISUCIRCUIT.JP/●YouTubeページ:https://www.youtube.com/user/ebisucircuit●LINE:https://page.line.me/whe3251y?openQrModal=true 株式会社中村機械(今回、タイレルP34のフロントホイールを製作) ●URL:https://nakamurakikai.co.jp 氷見本社/機械加工部品製造工場●住所:〒935-0037 富山県氷見市上泉145-1●TEL.0766-91-5585●FAX.0766-91-1855 射水 Factory/機械装置開発・設計・製造工場●住所:〒939-0281 富山県射水市北高木465-1●TEL.0766-95-5755 [ライター・カメラ/松村 透]

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた
旧車の魅力 2023.10.09

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた

みなさんは、フェラーリがどんな街で生まれたかをご存知ですか? フェラーリの車名、575Mマラネロにも起用されているため、フェラーリの誕生地がマラネッロということは周知されているかもしれませんね。 今回はマラネッロってどんな街?どんなことができるの?という点についてご紹介いたします。 ■フェラーリ博物館は必見!マラネッロへのアクセスは? マラネッロは国際空港があるミラノから南東に約150km、モデナという街からの16kmほどの離れたところに位置しています。 人口は約17,000人で、典型的なイタリアの田舎街という感じです。 マラネッロへは、モデナ駅からバスでアクセスすることが可能です。 ちなみに、ランボルギーニの本社はサンターガタ・ボロニェーゼという街にあり、マラネッロからクルマで約30分の場所に位置しています。 マラネッロでもちろん有名なのはフェラーリ博物館。 その博物館の周りには、以下写真のようにフェラーリや、その他高級車のテストドライビングができる施設などが多く立ち並んでいます。 博物館を訪れた後、そのカッコよさと迫力に感化され、ついつい運転してみたい!という気持ちが高まること間違いありません。 イタリアで高級車のテストドライビングをやってみたい!という方は、日本で国際免許証の取得をお忘れなく! 車種や走行距離にもよりますが、最低でも100ユーロからの費用になるようです。 博物館には観光バスも多く停まっており、結構混み合っていました。 個人的に、他の自動車博物館に比べて展示台数が少ないという印象でしたが、なかなかお目にかかることができない車輌が展示されているので、フェラーリファンの方にはたまらないことでしょう! 私はこの博物館で、初めて触れる距離でF1レースカーを観たのですが、想像の3倍くらいの大きさがあり、そのスケールに超圧巻でした! 写真は博物館入り口です。 ■街中のいたるところで「フェラーリ」が感じられる マラネッロの街を散策するために、博物館から街中へ歩いて移動しました。 街中へと繋がっている参道には、フェラーリの歴史が書かれた看板が約50m間隔ごとに配置されており、それを読みながら進むのも面白かったです。 さて、徒歩10分ほどで街中へ到着しました。 早速ランナバウトの中心にフェラーリのエンブレムの跳ね馬が! その右手には跳ね馬がデザインされた花壇があり、その少し先にはフェラーリのサインが銅像化されているのを発見しました。 さすがフェラーリ一色な街だな、というのが第一印象でした。 そしてこちらのカフェの入り口では、2台のフェラーリがお客さんを出迎えてくれます。 こちらのカフェの裏側にもフェラーリが。 もはや博物館に行かなくても、マラネッロの街を散策するだけで良かったのでは?!と思ってしまうほど、フェラーリがあちこちに点在しています。 (でも限定グッズやお土産も豊富なので、マラネッロへ来たからにはやっぱり博物館はマストです!) カフェのコンセプトはもちろんフェラーリ。 また別のカフェではレースの実況を放映しており、地元民であろう方々が盛り上がっていて、やはりフェラーリ愛にあふれた街であることは間違いなさそうです。 ■突然鳴る鐘は何事?!なんと市役所にもフェラーリの秘密が… イタリアでは12時など、きりの良い時間に教会の鐘が鳴るのですが、マラネッロでは何でもない時間帯に鐘が鳴ることがあります。この鐘の正体を近くにいた警備員さんに聞いてみました。 すると、「フェラーリがF1で優勝すると鐘が鳴るんだ」と教えてくれました。 ちょうど立ち寄ったカフェの前に市役所があり、日曜日にも関わらず空いていたので、入ってみることに。 なんと入口がフェラーリのミニ博物館になっていました! 創設者の「エンツォ・フェラーリ」の写真をはじめ、博物館では展示されていないフェラーリの歴史についての展示物がいくつかありましたので、ご紹介したいと思います。 フェラーリファンの方では有名な話かもしれませんが、なぜフェラーリは跳ね馬がエンブレムに選ばれたか、ご存知でしょうか。 まず、下記の写真について説明少し説明させてください。 写真左手がフェラーリが残した跳ね馬について語った羊皮紙、中央の左手ははがきで使われた跳ね馬デザイン、中央右手に現在のフェラーリのエンブレム、写真右手がフランチェスコのお母様(フランチェスコについては下で説明します)、そして中央がフランチェスコ・バラッカの写真です。 フェラーリが残した馬について語った羊皮紙には、下記の文章が書いてあります。 “跳ね馬の物語はシンプルで魅力的なんだ。 この小さな馬は、第一次世界大戦のエース中のエース、モンテッロで墜落した英雄的飛行家フランチェスコ・バラッカの戦闘機の機体に描かれていたものだ。 私が23年にラヴェンナで開催された第1回サヴィオサーキットで優勝したとき、その英雄の父エンリコ・バラッカと母パオリーナにお会いし、知り合うことができた。 そしてある日のこと、彼らが私にこう言ったのだ。 「フェラーリ、息子の跳ね馬をあなたのクルマに乗せてください。それはあなたに幸運をもたらすでしょう」と。 そのエンブレムを私に託してくれたご両親の献辞とともに、私は今でもバラッカの写真を大切に保管している。 小さな馬は昔も今も黒色のままであるが、私はモデナの象徴色である黄色を背景に加えたのだ。” これがフェラーリが残した跳ね馬の物語なんですね。 実際の写真の展示はなかったですが、フランチェスコ・バラッカが乗っていた機体の絵の展示がありました。 確かにフェラーリと同じ跳ね馬が機体に描かれているのがわかります。 市役所は決して展示物が多いわけではありませんが、フェラーリの歴史について触れることができ、面白かったです。 帰り際にはこちらのハガキを好きなだけ持って帰っていいよいってくださり、一枚ずついただいて帰ってきました。 ■おわりに フェラーリが誕生した街は、フェラーリ愛に溢れたのんびりとした街でした。 ぜひフェラーリファンの方、イタリア旅行の際、足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと、生誕の地ならではのオーラを感じられるはずです。 [ライター・画像 / PINO]

欧州市場から撤退した日産GT-R!その理由とは?
旧車の魅力 2023.10.03

欧州市場から撤退した日産GT-R!その理由とは?

日本が世界に誇るスーパーカーといえば、真っ先に思い浮かぶのが「日産GT-R」という方も多いのではないだろうか? 日産GT-Rといえば、数々のレースでタイトルを獲得し、過去にはニュルブルクリンクで量産車史上最速タイムを叩き出した、日本を代表するスーパースポーツカーだ。 また、映画「ワイルドスピード」などでも起用されたことから、その名を世界中へと轟かせた。 現行モデルにあたるR35型は、2007年に登場して以来、日本、イギリス、アメリカ、中東など、世界中でカー・オブ・ザ・イヤーを獲得した、もはや伝説となりつつクルマといえる。 今もなお世界中で愛され続けるR35型GT-Rだが、2022年3月に欧州市場から撤退し、15年の歴史に幕を閉じた。 当然、ヨーロッパにもGT-Rファンは多く存在し、今でも度々自動車関連記事に出てくるほど人気のあるモデルだが、なぜ、このクルマが欧州市場から撤退することになったのか。 またドイツではどのように評価されているのか。 今回はドイツから現地調査をおこなった。 ■日産GT-Rは欧州で生産中止  日本が誇るスーパースポーツモデルは長年にわたり、ヨーロッパで多くのファンを獲得してきた。 そのなかの代表的なモデルが日産GT-Rだ。 欧州市場では2008年に発売され、フェラーリやランボルギーニなどと比べると……ではあるが、比較的手頃なスーパーカーとして成功を収めた。 そして、多くのファンがR35の後継モデルを期待していたなか、2022年3月に欧州市場から撤退することとなった。 その理由は、EUとイギリスの間で施行された、騒音をさらに削減することを目的とした通行騒音規制によるものだ。 象徴的なスポーツカーをヨーロッパ向けに改良し、音響規制を施すことはもはや価値がない。 ゆえに、多くのファンが待ち望んでいたR35の後継者を、ヨーロッパで入手することは今後できなくなってしまったのだ。 ■R35の愛称は「ゴジラ」 日産スカイラインGT-R(R34)の生産終了から5年、2007年に開催された第40回東京モーターショーにおいて、生産型のR35型GT-Rが初公開された。 このときから、GT-Rはスカイラインのいちモデルとしてではなく、「日産GT-R」として新たなスタートを切ったのだ。 初めて、日本やイギリスなどの右ハンドル市場だけでなく、左ハンドルの国でも販売された。 怪物級の車輌スペックであることから、海外での愛称は「ゴジラ」と呼ばれている。 欧州市場での販売時は、GT-R(81,800ユーロ)、GT-Rプレミアムエディション(83,500ユーロ)、GT-Rブラックエディション(85,200ユーロ)が用意されていた。 当初のGT-Rは3.8リッターV6エンジン ツインターボを搭載し、最高出力は485馬力を発揮。 現行モデルではさらに改良が加えられ、最高出力570馬力、「ニスモ」バージョンでは600馬力を発揮し、最高速度は315km/h、0〜100km/hはわずか2.8秒という驚異的なスペックを誇っていた。 また、イギリスの自動車雑誌「トップギア」では、485馬力を発揮する初代日産GT-Rが、シリーズ専用テストコースであるダンスフォール飛行場を周回し、シボレー コルベットC6、フォード GT、ポルシェ 911カレラGT、ランボルギーニ ムルシエラゴなどの、並み居る競合車を抑えて最速タイムで周回したと発表した。 ■ドイツでの評価とは? 欧州における日産GT-Rの生産終了というニュースは、ドイツ人にとって衝撃のニュースとなった。 ドイツ国内のサイトでは、度々GT-Rに関する記事が取り上げられており、名実ともスーパーカーとして非常に高い評価を得ている。 この国では、古くからGT-Rファンが存在する。 なぜなら、その歴史は1964年にまで遡る。 当時、日本のグランプリで4ドアの日産2000GTがポルシェ904からリードを奪ったことにより、多くのモータースポーツファンに衝撃を与えた。 1988年のR32型スカイラインGT-Rからは、「ゴジラ」の愛称でトップカテゴリーのスポーツカーとしての地位を確立した。 世界中で長年愛され続けてきたR35型GT-Rが、伝説の名車となるのもそう遠くはないだろう。 [ライター・高岡 ケン / 画像・Dreamstime]

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