旧車の魅力と知識

ベテラン勢は決断の時!? 一念発起して膨大なコレクションを処分するべし!
旧車の魅力と知識 2024.10.31

ベテラン勢は決断の時!? 一念発起して膨大なコレクションを処分するべし!

年に数回「コレクションの一部を引き取ってほしいんだけど・・・」と相談を受けるのは筆者だけだろうか。 気持ちが分かるだけに引き取りたいのはヤマヤマだが・・・実はこちらも断捨離のまっ最中。ここでふたたびコレクションが増えたら・・・家族に何をいわれるか分かったものではない。 そうこうしているうちに、なんだかんだで今年も残り2ヶ月となってしまった。そろそろ忘年会シーズンに突入だ。そして、年末の大掃除のことも考えなくてはならない時期でもある。 そこで今回は「ベテランコレクターは決断の時!? 一念発起して膨大なコレクションを処分するべし!」と題してまとめてみた。 言わずもがなだと思うが、自他ともに認めるコレクターであれば、遅かれ早かれ決断しなければならないときが「必ず」訪れる。迷っているベテランコレクターの背中を押すきっかけになれば幸いだ。 ■寒い&暑い時期が来る前に覚悟を決める  コレクションの多くは屋根裏部屋や押し入れ、倉庫など、空調設備が整っていないところに保管されていることが多い。それはつまり「暑いか、寒いか、暗いか。はたまた埃っぽいか」。そのいずれか(いずれにも)該当すると思われる。 筆者自身も経験があるのだが、暑くもなく、寒くもない気候のいい時期にコレクションを整理しないと、汗だく(または凍えながら)片付けをした記憶がフラッシュバックして、次に行うときにさらに腰が重くなる。2月に入るとスギ花粉に悩まされる人も多いだろうから、今の時期がベストかもしれない。 ■ヤフオクやメルカリに出品する  コレクションの放出先として王道中の王道といえるのがネットオークション、主にヤフオクやメルカリに出品することだろう。多くのクルマ好きのセーフティーネット、そして駆け込み寺となっているのは知ってのとおりだ。 落札者とのやり取りや梱包および発送といった手間は掛かるが、思いがけず高値で落札されることもあり、苦労に見合う価値はあると思う。時間的な余裕があり、手間を惜しまないマメさがあるのであれば膨大なコレクションを資産に変えるもっとも有効な手段であることは確かだ。  ■友人や知人に代行して出品もらう  膨大なコレクションをどうにか処分したいけれど、ちょっと小遣い稼ぎもしたい。でもフリマは面倒。しかしヤフオクやメルカリに出品する方法が分からない・・・という人もいるだろう。それならば、パソコンやスマートフォンの操作に強い友人に代理出品してもらうという手もある。もちろん多少の謝礼を渡すことをお忘れなく。 そして、せめて落札後の梱包や発送くらいは自分でやろう(もしも、すべてを丸投げするなら、その分の謝礼も加算して渡したいところだ)。 ■フリマに出店してみる  1度にコレクションを処分するのは難しいかもしれないが、フリマに出店してみるのもありだ。梱包や発送の手間が省けて、ちょっとした小遣い稼ぎにもなる。「こんなの売れるのかな・・・」と思って出品したものが実は掘り出しもので買い手にめちゃくちゃ喜ばれたり、逆に秘蔵コレクションだと思っていた自慢の逸品が最後まで売れ残ったりするから不思議だ。 「これで一儲けしよう」と気負わなければゆるく楽しめるのでおすすめだ。ひとつ気をつけたいのは、他の出品者のモノを買わないこと。せっかくコレクションを減らしに来ているのにこれでは本末転倒だし(笑)。 ■コレクター気質の友人や知人に譲る ヤフオクやメルカリなどのネットオークションに出品してもいいのだが、同じ趣味を持つ友人や知人に譲るという方法も有効ではないだろうか。無償で譲るか多少のイロをつけるかは状況によるだろうが、相手も喜んでくれるに違いない(喜んでくれると思われるコレクションを譲る必要がありそうだ)。 ここぞとばかりにゴミ同然の不要品を紛れ込ませて押しつける人がいるが、それは御法度。このとき、誰が見ても不要なものを渡さないように心掛けたい。 ■手元に残すコレクションは5点以内  すべてのコレクションを放出するのはあまりにも忍びない。そこで、文字どおり「墓場まで持っていきたいコレクション」だけを残して、あとは処分するという作戦だ。ただし、5点以内など、厳格なルールを決めた方がいい。10点まで増やしてやってしまうとキリがないからだ。あれもこれもとなって結局絞りきれなくなってしまいかねない。 さらに、うっすらお気づきだと思うが、中途半端に残すとふたたびコレクションが増えていくことは間違いない。これは断言できる。自ら蒐集欲を完膚なきまでになくすことがそもそもの目的なのだから。 「ギリギリのギリ」までコレクションを減らし、厳選に厳選を重ねて3〜5点くらいにする。そして、これ以上増やさない。あれほど心血を注いだコレクションの大半を手放したショックでしばらくはかなり辛いと思うが、少しずつ慣れてくる(はずだ)。時間が解決してくれるのは失恋と同じ(はず)だ。 ■まとめ:一気に処分しようとするから辛いのよ 膨大なコレクションを一気にまとめて処分しようとしても1日で終わることはほぼないだろう。もしあるとしたら、全コレクションを友人知人にまとめて引き取ってもらうか、住まいがある市区町村のゴミ集積場に持ち込み、「ゴミとして」一気に処分してもらう方法くらいしかない。 処分すると決めた以上、早くすっきりさせたいと思う気持ちは分からなくもないが、段階的にコレクションを減らしていくことで、せっかくの貴重なアイテムを投げ売りせずに済むかもしれない。 いずれにしても、押し入れや倉庫の奥で眠っていたコレクションを、いまこの瞬間も血眼になって探している人が日本、あるいは世界のどこかに必ずいることを気に留めてみてほしい。捨てれば単なるゴミだが、しかるべきコレクターのところに嫁げば、立派な資産であり、資料やコレクションとなりうるのだから。 [ライター・撮影/松村透]

終わりのはじまり!? オーナーズクラブが空中分解する5つの前兆とは
旧車の魅力と知識 2024.10.31

終わりのはじまり!? オーナーズクラブが空中分解する5つの前兆とは

これまで、幾多のオーナーズクラブが生まれては消えることを繰り返してきた。そしてこの瞬間も「現在進行形」であり、10年後も、下手をしたら50年経ってもそれほど変わらないのかもしれない。 よくよく考えてみれば、人間が2人以上集まれば揉めごとが起こらないわけがない。共通のキーワードは、多くの場合「クルマのみ」という、非常に希薄な関係ともいえる。気がつけば疎遠になっていたり、自然消滅ということも少なくない。何しろ「苗字は分かるけど名前は知らない」といった程度の関係だからだ。 よくいえば絶妙な、裏を返せば実に危うい人間関係で形成されているオーナーズクラブ。今回は「不穏な空気は終わりのはじまり!? オーナーズクラブが空中分解する5つの前兆とは?」と題して、その前兆を考察してみた。 ■1.メンバー全員が参加しているLINEグループの投稿が減る NTTドコモ モバイル社会研究所が2023年4月17日に発表した統計によると、スマホ・ケータイ所有者のうち、LINEの利用率が83.7%に達するという。しかも、10~60代で8~9割以上が利用しているとのことで、もはやライフラインに近い。LINEアプリをインストールしていない人を探すのが難しいくらいだ。 そうなると、仲間同士の連絡網もLINEを介して行うのがもっともスムーズだ。さらにメンバーのみが閲覧・投稿できる非公開グループを作成すれば、普段の他愛ないやり取りからイベント等の業務連絡まで済ませることができてしまう。オーナーズクラブ管理者としては必須ツールだろう。 こうして作られたメンバー限定のLINEグループ。付き合いだしたばかりのカップルのように、クラブ創設直後はメンバー同士のやり取りが止まらず、日常生活が差し支えるほど(笑)。しかし、急速に熱せられたものは冷めるのも早いのが世の常。ある時期を境に倦怠期となり、気づけば1週間に数件。便りがないのは元気な証拠だとはいうけれど・・・。 ■2.内部分裂して別のグループが出来上がったうわさがたつ 本家LINEグループが妙に「過疎ってきている」場合、別のLINEグループが秘密裏に立ち上がり、そちらの方が盛り上がっている可能性もありうる。これこそが内部分裂、すなわち「空中分解」の初期段階ともいえるかもしれない。もちろん、メンバー同士で気の合う仲間同士が個別にLINEグループを作成し、よりフランクなやり取りをしている場合も大いにありうるだろう。 それくらいで収まれば何の問題もないのだが、メンバーの誰かが「本家のLINEグループがつまらないから」とか「いつも仕切る奴がいてうざい」などと愚痴りはじめたときは要注意だ。同じように思うメンバーが他にもいて、ヒミツのLINEグループになだれ込んでくる。そしていつしか、その噂は本家LINEグループでも話題になり・・・この時点で空中分解がかなり進行していると思っていいだろう。 ■3.リーダーの暴走 リーダーである本人にしてみれば「クラブの存続と発展のため」に身を粉にして頑張っているつもりかもしれない。しかし端から見れば単なるスタンドプレイ、つまり暴走しているとしか映らないこともある。人の話に耳をかたむけない、アドバイスを無視する、独断で決めてしまう。反対派をすみに追いやる。こうなると「裸の王様」そして「空中分解」の道へまっしぐらだ。 クラブ内の内部分裂が深刻化し、事実上「リーダー派」と「反リーダー派」に分裂してしまう。この時点で双方の関係修復はかなり困難な段階となり、定例MTGや忘新年会など「可能な限りメンバーは参加が好ましい」集まりが成立しなくなる。 ■4.自分の商売を持ち込む 参加しているクラブにその道のプロ(整備士やコーティングショップ経営者など)が参加していると、お友達価格で請け負ってくれたりと、かゆいところに手が届き、何かと頼りになることがある。相手も商売だし、このくらいの距離感で収まれば何の問題もない"Win-Win"な関係となりうる。 問題は「メンバーのクルマの整備は●●、コーティングは■■」といった具合に、なかば強制的に預けざるを得ない決まりができたときだ。メンバーそれぞれに付き合いやネットワークがあるだろう。その選択肢が奪われることは得策ではないといいきれる。しかし、これが分からないというべきか、自分の都合(商売)を優先してしまう人がいるのだから、困ったものである。 ■5.メンバー同士の男女関係のもつれ いわゆる修復不可能な遺恨を残す典型的な例が「メンバー同士の男女関係」だ。女性オーナーが増えきているとはいえ、クルマの趣味の世界はまだまだ男性の比率が高い。男性メンバー(さらには独身)ばかりの集まりのなかに、若い女性メンバーが加入してきたら・・・。「自分にもワンチャンあるかも」と期待しない方が無理というものだ。 こうしてメンバーの多くが、新入りの若い女性メンバーに対してアプローチを試みていたある日のこと、メンバーのひとりと女性メンバーが密会しているという噂が流れる。噂が噂を呼び、もはや犯人探し状態と化したすえ、女性メンバーに手を出したのが既婚者であるメンバーだと判明する。怒りが頂点に達したほかの男性メンバーたちは、そのまま勢いでクラブを脱退。こうして空中分解の悲劇が繰り返される。 ■まとめ:あえてどのクラブに入らないという選択肢も 同じクルマに憧れ、オーナーとなった者同士、思うところが一緒である以上、話があうのは当然のことかもしれない。しかし、冒頭にも記したとおり共通のキーワードは多くの場合「クルマのみ」という、非常に希薄な関係だからだ。関係がより親密になり、深入りするからこそ、あつれきが生まれることだってある。ならば無理に深入りせず、「苗字は知っているけどフルネームは分からない」くらいの距離感がいいのかもしれない。 繰り返しになるが、人が集まる以上、衝突は避けられない。揉めごとを避けたいのであれば、あえてクラブに入らないという選択肢もあるように思う。団体に属さず、気の合う人と個別に付き合うことで得られることもあるはずだ。 [画像・Mercedes-Benz,Adobestock ライター・松村透]

ホンダ インテグラ タイプRはFFは曲がらないという常識を覆した! Specによる違いも紹介
旧車の魅力と知識 2024.10.29

ホンダ インテグラ タイプRはFFは曲がらないという常識を覆した! Specによる違いも紹介

軽量なのに剛性の高いボディと追従性の高い足回りによって、FFながらハンドリングマシンと称されることもあるホンダ DC2型 インテグラ タイプR。NSXに続く、タイプRシリーズ第2弾として誕生しました。 NSXとは価格帯が全く異なる車種にも関わらず、FFピュアスポーツとして高い完成度を誇るモデルです。インテグラ タイプRのアイデンティティともいえる、高いハンドリング性能の秘密とモデルによる違いを詳しく紹介します。 タイプRという称号にふさわしい完成度 DC2型 インテグラ タイプRは、わずか1.8Lのエンジンで駆動方式はFFという点ではベース車輌と同様です。タイプR第1弾として登場したNSXを考えると、ピュアスポーツと呼ぶにはやや迫力不足に感じます。 しかし、タイプRという称号にふさわしく、ピュアスポーツとしての性能を徹底的に追求したモデルです。インテグラ タイプRの開発陣がこだわったポイントを詳しくみていきましょう。 FFとは思えないハンドリング性能 1995年に登場したDC2型 インテグラ タイプRは、動力性能以上にFFとは思えないハンドリング性能に注目されました。駆動輪が前輪のFFは、元来アンダーステアリングといわれています。しかし、インテグラ タイプRのコーナリング性能は、後輪駆動車よりも曲がると評されるほどでした。 足回りはダンパー、スプリング、スタビライザーをそれぞれ強化。特に、リアのスプリングレートは、1.25倍~2.2倍にまで引き上げられています。車高をノーマル車輌から15mm下げたことと合わせて、余計なロールを発生させないダイレクトなハンドリング性能を実現しました。 また、パフォーマンスロッドの追加や板厚の増加などによって、各部のボディ剛性が徹底的に高められているのもタイプRの特徴です。ドライバーのステアリング操作に対するクルマ全体のレスポンスが、細部にわたって徹底的に追求されています。 60点以上もの新設計パーツを使った「B18C 96 spec R」エンジン 200馬力の大台を実現したタイプRの「B18C 96 spec R」エンジンには、60点以上もの新開発された専用パーツが使われています。リッター当たり100馬力を超え、自然吸気エンジンとして最高ともいえるB18Cエンジンの性能を極限まで引き出しました。 B18C 96 spec Rのチューニング内容は、単に吸排気の見直しといった表面的な部分にとどまりません。ピストンの形状変更による圧縮比アップ、バルブの軽量化といった内部も徹底的に見直されました。さらに、高回転型エンジンの特性を最大限発揮できるよう、トランスミッションもクロスレシオのものに更新されています。 初の「庶民が買えるタイプR」 インテグラ タイプRが人気を集めた理由は、実はもう1つあります。わずか222万8,000円(3ドア)という、一般的なクルマと変わらない価格設定です。タイプRとして最初に登場したNSXの価格は、1,000万円を超えていました。性能面を考えると十分バーゲン価格なのですが、庶民の手の届く価格ではありません。 しかし、インテグラ タイプRはNSXと同様にこだわり抜いた設計思想でありながら、多くの人が手にできる価格で発売されました。また、3ドアタイプだけでなくDB8型の4ドアハードトップが用意されていたことも、インテグラ タイプRが一般層に支持された理由です。単純に性能面だけを考えるとドアの枚数が少ないほうが有利ですが、日常的な使い勝手を考えると4ドアに軍配があがります。実は、同車種のタイプRで複数のボディタイプが用意されていたのは、現在のところDC2型/DB8型だけです。多くの人に高性能車を届けたい、というホンダの思いがあったのかもしれません。 好みのわかれる3つのスペック DC2型(DB8型)インテグラ タイプRは、登場時の初期型も含めて合計3モデルが作られました。基本的には後発モデルのほうが性能や装備は向上しているのですが、初期型のピーキーな乗り心地を好むドライバーも一定数います。 96Spec、98Spec、00Spec(99Spec)それぞれの違いをみていきましょう。 世間を驚かせた初期型の96Spec エンジンはベース車輌と同型のB18C型ながら、最高出力は180psから200psにまで高められています。ターボのように劇的なパワーアップさせるのが難しい自然吸気エンジンで、10%以上もの出力向上は驚くべきことです。 FFとは思えないハンドリング性能、2L未満の自然吸気エンジンとは思えない高出力、そして価格とあらゆる面で世間を驚かせました。 安定性を高めた98Spec 98Specは、1998年にマイナーチェンジで登場しました。エンジン出力こそ変わらないものの、エキゾーストマニホールドやHIDヘッドライトなど、細部にわたって見直しが図られています。特に大きな変更点は、走行安定性に関わる部分です。 タイヤ幅を195mmから215mmワイド化しつつ、ホイールサイズも15インチから16インチに大径化されました。また、ブレーキローターも同じく大径化され、ホイールハブは4穴から5穴に変更されています。モノコックのさらなる剛性向上やファイナルギアレシオ、ECUも変更され、走行安定性が向上しました。 数字には現れない部分での性能向上が図られましたが、安定性よりも軽くキビキビとしたハンドリング性能を好むユーザーからは不評だったともいわれています。 内外装が拡充された00Spec(99Spec) 最終型として1999年末に登場したのが、00Spec(99Spec)です。性能面ではほぼ98Specと変わらないものの、内外装の充実が図られています。 まず、インテグラ タイプRだけの個性ともいえる、サンライトイエローが外装色に追加されました。また、内装も、外装色に合わせて黄色シート仕様が追加されています。 さらに、「タイプR・X」という、タイプRの上位グレードともいえるモデルが追加されました。スポーツペダルや専用カーボンパネルといった内装が追加されただけでなく、快適性を向上させる装備が数多く追加されているのもタイプR・Xの特徴です。キーレスエントリー、デジタルクロック、オートアンテナ、AM/FM電子チューナー&CDステレオ+6スピーカー、プライバシーガラス、電動格納式ドアミラーといった当時としては高級セダンなみともいえる快適装備が標準装備されていました。なお、サンライトイエローはタイプR・X専用カラーと誤解されがちですが、00SpecのタイプR全モデルで選択可能です。 実はあのシビック タイプRよりも売れた インテグラ タイプR登場の2年後に発売されたEK9型 シビックタイプRは、「タイプR」のモデルではもっともなじみ深いモデルです。しかし、実際の販売台数はEK9型 シビック タイプRの約1万5,900台に対して、DC2型/DB8型 インテグラ タイプRは2倍以上の約3万4,500台に達しました。RV車の台頭でスポーツカーの販売台数が落ち込みつつあったことも考えると、驚異的な販売台数です。 200万円あまりという破格の価格設定と、FFピュアスポーツとしての性能の高さが多くのユーザーの心を掴んだのでしょう。また、現在でも、DC2型/DB8型 インテグラ タイプRの人気は衰えていません。特に00Specで追加されたサンライトイエローは人気で、他色よりも100万円高く買い取られることもあるようです。

トヨタ AE86は単なるドリフト車ではない?! クルマとしての高い実力を再評価
旧車の魅力と知識 2024.10.23

トヨタ AE86は単なるドリフト車ではない?! クルマとしての高い実力を再評価

FRレイアウトと高効率エンジンという組み合わせで、軽量コンパクトながら本格的なFRスポーツとして人気を集めたAE86。絶対的なパワーをもたないにも関わらず、格上車種を相手にレースで結果を残すほど高い実力を秘めたモデルでした。 ドリフトというイメージが先行するAE86ですが、本記事ではクルマとしてのポテンシャルの高さと人気の秘密を紹介します。 ドリフト車というイメージの強いAE86 AE86は、長年ドリフトシーンで活躍しているモデルの1つです。軽量で思い通りにコントロールしやすく、構造的にリアをスライドさせやすいことがドリフトに活用されている理由だといわれています。 一方で、1.6LのDOHCエンジンとFRというパッケージングは、レーシングカーとしても高い完成度に達していました。 ここからは、AE86の知名度があがったきっかけと、レースでの活躍を詳しく紹介します。 AE86人気を押し上げた「頭文字D」と土屋圭市氏の存在 AE86の知名度が一般層にまで広まったきっかけは、しげの秀一氏原作の「頭文字D」(イニシャルD)という漫画のヒットです。非力なAE86 トレノで、主人公がハイパワーマシンに勝利していく姿が人気を呼びました。 しかし、「頭文字D」の連載開始は、AE86販売終了後の1995年です。1983年から1987年の販売当時、AE86の高い実力を示したのはレーシングドライバーの土屋圭市氏でした。峠で腕を磨いてプロドライバーに転向した土屋氏は、ドリフトを多用するドライビングスタイルから「ドリフトキング(ドリキン)」と呼ばれて人気を集めます。 ドリフトだけでなくレースシーンでも大活躍したAE86 土屋圭市氏とAE86の名を一躍広めたのは、1984年のフレッシュマンレースです。AE86 トレノのステアリングを握った土屋氏は、開幕6連勝という圧倒的な速さを見せつけました。 翌年の1985年から始まった全日本ツーリングカー選手権には、レビンに乗り換えてフル参戦。そのうちの1戦として開催されたインターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)では、大排気量が占める上位陣の一角に食い込む総合6位という成績を収めました。 また、星野薫氏がドライブするトランピオレビンも、1985年と1986年のスポーツランドSUGOで総合優勝を果たしました。格上の日産 スカイラインや三菱 スタリオンが相手だったことを考えると、驚くべき結果です。 レビンとトレノの甲乙はつけがたい AE86には、カローラ レビンとスプリンター トレノという2種の兄弟車があります。基本構造は変わらないものの、それぞれにファンが存在しています。 販売台数や特別仕様車の存在など、レビンとトレノの違いをみていきましょう。 基本性能はどちらも同様 レビンとトレノの基本性能は、どちらも同じです。ボディタイプは、2ドアクーペと3ドアハッチバックが双方に用意されていました。心臓部も共通で、130psを発揮する4A-GEU型エンジンは後に名機として評価されます。 足回りは、フロントにストラット方式、リアにリジット方式を採用。エンジンの耐久性の高さと、改造が容易だったことも多くのユーザーから愛された理由です。 一方で、レビンとトレノの大きく異なる点は、ヘッドライトの形状です。一般的な角目形状のレビンに対し、トレノはリトラクタブルヘッドライトを採用しています。 販売台数が多かったのはレビン 人気漫画「頭文字D」の主人公が乗っていたこと、土屋圭市氏が個人所有していることからトレノのほうが露出が多く人気が高いと思われがちです。しかし、実際の販売台数は、レビンが約6万6000台、トレノが3万5000台と2倍近くレビンのほうが多く売れています。 1985年に始まった全日本ツーリングカー選手権での活躍がレビンの販売台数増加につながったのかも知れません。また、大衆車としてすでに地位を築いていた、カローラブランドだったという点も影響したのでしょう。 トレノにのみ設定されたブラックリミテッド 販売台数では大きくレビンに水を開けられたトレノですが、実はトレノのみに設定された特別仕様車がありました。1986年に最上級グレードのGT APEXをベースに開発された、ブラックエディションです。 ゴールド塗装を施した専用の14インチホイールをはじめ、ボディサイドの「BLACK LIMITED」ステッカーやフロントグリルのエンブレムなど、ブラックのモノトーンにまとめられたボディにゴールドの装飾が特別感を演出しています。 また、内装では、オレンジ色の専用メーターパネルやステアリングの「TWINCAM16」の文字、シートバックレストの「APEX」の刺繍など随所に専用の装飾が施されていました。 40年近くが経過した現在も進化し続けるAE86 AE86は販売終了して40年近く経過する現在もなお、多くのファンから愛されています。AE86はチューニングベースとして優秀なクルマで、アフターパーツメーカーから毎年のように新パーツがリリースされており、ユーザーは自分なりのチューニングを楽しんでいます。 現行車種でさえチューニングパーツは減少傾向にあることを考えると、AE86のアフターパーツの進化は驚異的です。クルマとしての古さは否めませんが、シンプルな構造がカスタマイズ性の高さにつながっているのでしょう。今後も、さらなる進化と人気の高まりが予想されます。

日産 Z33型フェアレディZは初代の設計思想を踏襲?! 低予算で楽しめる最高のスポーツカー
旧車の魅力と知識 2024.10.17

日産 Z33型フェアレディZは初代の設計思想を踏襲?! 低予算で楽しめる最高のスポーツカー

フロントから後端まで流れるようなデザインに回帰した、日産 Z33型 フェアレディZ。初代を思い起こさせるデザインですが、実はほかにも意外な共通点がありました。 Z33型は。製造コストの削減に迫られるなかで生まれたモデルであり、他の世代と比べるとあまり評価されていません。しかし、実際にはスポーツカーとして高いポテンシャルをもつ、魅力的なクルマです。 Z33型 フェアレディZの魅力と実力を、開発背景も含めて振り返ってみましょう。 世界進出の活路を開いたフェアレディZ フェアレディZは、日産が世界に進出するきっかけになったモデルです。名門スポーツカーに迫る性能と価格の安さから、北米を中心に大ヒットを記録しました。 初代から30年余り経ってから、5代目フェアレディZとして登場したZ33型の開発背景と性能を振り返ってみましょう。 奇しくも初代と同じ組み合わせで開発されたZ33 Z32型の販売終了から2年後の2002年、日産リバイバルプランの一環としてZ33型 フェアレディZが登場しました。GT-Rの開発責任者でもある水野和敏氏が開発した「FMプラットフォーム」と呼ばれるプラットフォームを採用し、V6エンジンをフロントミッドシップに搭載することで、抜群の運動性能を発揮します。 一方、でコストダウンの影響で、エンジンはエルグランドと共通のVQ35DE型が採用されました。自然吸気エンジンとして実用的で優れたエンジンではあるものの、スポーツカーと考えると物足りなさを感じます。 しかし、実は優れたプラットフォームと実用的なエンジンという組み合わせは、初代フェアレディZに通じるものがあります。1969年に登場したS30型初代フェアレディZは、ポルシェやジャガーに迫る軽量モノコックボディに実用的なL型エンジンというパッケージングで北米で高い評価を得ました。 フェアレディZは毎年進化している Z33型 フェアレディZは、2002年の登場以降も毎年のように改良が重ねられました。特に大きく進化をしたのはエンジンです。 エルグランドと共通のエンジンはトルクフルで扱いやすい一方、6,600rpmに抑えられた最高回転数ではスポーツカーらしい伸びやかさを発揮できません。しかし、2005年の改良で、最高回転数は7,000rpmにまで引き上げられます。トルクはやや犠牲になったものの、最高出力は294psを発揮するエンジンに生まれ変わりました。 さらに2007年には、後発のV36型スカイラインセダンのエンジンであるVQ35HR型に変更されます。最高出力は313ps、最大回転数は7,500rpmという、まさにスポーツカーらしいエンジンです。もともと素性のよかったFMプラットフォームと合わせて、スポーツカーとして魅力的なモデルに進化しました。 コストダウンの影響を最小限に抑えたスポーツカーとしての高い実力 Z33型 フェアレディZは、バブル崩壊の煽りを受けたモデルと評されています。バブル景気が終焉した1990年初頭以降、徐々に経済活動が縮小されていきました。自動車開発も例外ではなく、影響は2000年初頭あたりまで続いたといわれています。Z33の開発も必要最低限にとどめられ、性能に直接影響する専用エンジンでさえ開発されませんでした。 しかし、高性能なプラットフォームやボディデザインによって、スポーツカーらしい高い走行性能を備えたモデルです。Z33の高い実力について詳しく紹介します。 トップクラスの空力性能 先代のZ32型から大きく印象を変えたボディデザインは、見た目だけでなく性能を追求した機能美が光るスタイリングです。空力性能を示すCd値は0.3で、当時としてはトップクラスの数値を記録しました。 現代でも0.3が目指すべき数値として捉えられていることを考えると、20年以上前に達成していたという事実に驚かざるを得ません。前後スポイラー装着車では、0.29にまで達していたといわれています。 市販車ベースの車輌でレースタイトル獲得 Z33型 フェアレディZは、JGTC(全日本GT選手権)最終年に、ドライバーとチームタイトルをW獲得しています。また、翌年にスタートしたスーパーGT初年度もチームタイトルを獲得しています。続く2006、2007年はタイトルこそ逃したものの、安定した走りをみせて、チーム2位という結果を残しました。 当時は市販車のモノコックボディがベースのため、クルマとしての基本性能がレース結果に大きく影響を与える時代です。空力性能の高いボディ、GT-R譲りのFMプラットフォームの作りのよさによって、Z33型 フェアレディZは圧倒的な速さをみせつけました。 100万前後から購入可能な本格FRスポーツ Z33型 フェアレディZは、前後のZ32型、Z34型に比べると決して評価の高いモデルではありません。現在の中古車価格をみると、状態にもよりますが100万円前後から購入できます。1990年代から2000年前後のスポーツカーの価格が高騰している近年においては、驚くべきバーゲンプライスです。 価格が安いからといって、性能面で他モデルに大きく劣っているわけではありません。初期モデルこそミニバンのエルグランドと共通のエンジンですが、年式によっては300psオーバーのモデルもあります。憧れのFRスポーツを手にしたい方にとって、Z33型 フェアレディZは狙い目の車種かもしれません。

シビックタイプRの資産価値はどのくらい?旧車専門店が現在の価値を解説
旧車の魅力と知識 2024.10.15

シビックタイプRの資産価値はどのくらい?旧車専門店が現在の価値を解説

シビックタイプRは1997年に初代が誕生したホンダのFFライトウェイトスポーツカーです。当時の人気ジャンルでもあった「ホットハッチ」を牽引し、2021年7月に終了となった5代目に至るまで、ホンダの代表的なスポーツカーと言える存在でした。 長年にわたって多くのファンから愛されているシビックタイプRですが、現在の価値や価格はどの程度なのでしょうか。本記事では初代〜3代目、タイプRユーロ、無限RRの資産価値と、シビックタイプRの価値をさらに高めるためのポイントについて解説します。 シビックタイプRとは シビックタイプRは、NSXタイプR、インテグラタイプRに次ぐ「タイプR」シリーズの第3弾として発売されたスポーツカーです。安価な大衆車をベースに高出力型のVTECエンジンを搭載し、リーズナブルながらもハイパフォーマンスなモデルとして圧倒的な支持を得てきました。 キビキビと曲がり、高い走行安定性を誇るのは歴代の共通点といえます。同時に量産車としての実用性を損なわせないというメーカーのこだわりが詰まっている点もシビックタイプRの特徴です。 シビックタイプRの現在の価値 シビックタイプRは発売から20年以上多くのファンから愛され続けています。それでは、現在の市場価値はどの程度なのでしょうか。初代〜3代目、タイプRユーロ、無限RRの発売当時の価格と現在の買取相場を紹介します。※2024年10月時点の情報 初代 EK9型(1997年〜2001年) 最初のシビックタイプRであるEK9型の新車価格と現在の買取相場は下記のとおりです。 グレード 発売当時の新車価格 現在の買取相場 ベースグレード 199万8,000円 30万~450万円 レースベース車 169万8,000円 30万~300万円 タイプR・X 219万8,000円 30万~450万円 EK9型の資産価値は大変高いといえるでしょう。状態次第では新車価格をはるかに超える値がつく場合があります。 2代目 EP3型(2001年〜2005年) 2001年に発売された2代目のEP3型の新車価格と現在の買取相場は下記のとおりです。 グレード 発売当時の新車価格 現在の買取相場 ベースグレード 220万円 5万~170万円 他の世代よりは買取相場が低いものの、状態がよければ新車価格ほどの値がつきます。発売から20年以上経過しているモデルだと考えると、かなり資産価値が高いといえるでしょう。 3代目 FD2型(2007年〜2010年) 次に、2007年に発売された3代目のFD2型の新車価格と現在の買取相場を紹介します。 グレード 発売当時の新車価格 現在の買取相場 ベースグレード 283万5,000円 50万~430万円 ワンメイクレースベース車 169万500円 50万~300万円 FD2型にも状態次第では新車価格を大幅に上回る値がつくため、資産価値が高いといえます。 タイプRユーロ(2009年〜2012年) タイプRユーロとは、ヨーロッパで発売された4代目のFN2型を日本仕様にして逆輸入したモデルです。新車価格と現在の買取相場をみていきましょう。 グレード 発売当時の新車価格 現在の買取相場 ベースグレード 298万円 5万~200万円 買取相場が新車価格の7割近い値に迫っており、タイプRユーロも十分に価値のあるモデルです。 無限RR(2007年) 無限RRは2007年に発売されたホンダ初のコンプリートカーで、300台限定で発売されました。新車価格と現在の買取相場は下記のとおりです。 グレード 発売当時の新車価格 現在の買取相場 無限RR 477万7,500円 500万~1,100万円 その希少性と優れたパフォーマンス性により、他のモデルよりも飛び抜けて買取相場が高いです。大変貴重な資産の1つであるといえるでしょう。 資産価値の高いシビックタイプRの特徴 続いて、資産価値の高いシビックタイプRについて詳しく紹介します。 初代 EK9型 EK9型は、1997年に発売された初代シビックタイプRです。自然吸気エンジンとしては驚異的な高出力を誇り、専用チューンされた足回りは高い走行安定性とスポーティな走りを実現しています。新車価格は約170万〜200万円程度と性能を考えると安価な設定でしたが、現在は400万以上の取引がされるほどに高い人気を誇ります。 ホンダ初のコンプリートカー 無限RR 無限RRは2007年に発売された特別仕様車です。ホンダの念願が叶って生まれた初のコンプリートカーで、デュアルエキゾーストシステムや専用タイヤ「ポテンザ RE070 RRスペック」など、数々の特別装備があしらわれています。 生産台数わずか300台だったため現在の市場では滅多に見かけません。走行性能の高さと実用性のバランスのよさ、そして希少性によってシビックタイプRのなかでも軍を抜いて高い価値がついているモデルです。 ボディカラー チャンピオンシップホワイト チャンピオンシップホワイトは「タイプR」シリーズ限定の特別カラーです。1965年にホンダがF1で初優勝を獲得した純日本製F1マシン「RA272」に使用されたカラーで、速さへの探究心を具現化した一色といってもよいでしょう。 「タイプRに乗るならチャンピオンシップホワイトがよい」というファンも大変多いため、市場価値も高くなっています。 シビックタイプRの価値をさらに上げるには? 現在所有しているシビックタイプRの価値をさらに上げたいと考えている方もいるでしょう。ここでは、シビックタイプRの価値を高めるためのポイントを2つ紹介します。 こまめにメンテナンスをする クルマの状態の良し悪しは、故障しているパーツがないか、外装と内装に傷や汚れがないかどうかで決まります。こまめにメンテナンスされていて、不具合なく綺麗な状態を維持しているシビックタイプRであれば、市場でさらに高く評価されるでしょう。 所有しているシビックタイプRの価値を上げたい場合は、メーカーが推奨している時期に各パーツを交換し、こまめな洗車と掃除で外装も内装も綺麗にしておくことをおすすめします。 走行距離を抑える シビックタイプRのようにスポーツ走行を楽しむモデルだと、サーキットで走り込む方も多いですが、あまりにも走行距離が伸びるとその分各パーツにダメージが蓄積します。万が一走行に関わる機関が故障してしまうと一気に価値が下がるかもしれません。所有しているシビックタイプRの価値を上げたいのであれば、日常的な移動での使用を控えるなど、走行距離を抑える工夫をするとよいでしょう。 ただし、まったくクルマを動かさないとバッテリーが上がって動かなくなってしまうため、あまり極端に使用を控えずに適度に走らせるようにしてください。 まとめ シビックタイプRの資産価値について解説しました。 どの世代も価値が高く、なかには新車価格をはるかに超える価格で取引されているモデルもあります。カスタマイズしていたり、こまめにメンテナンスをしたりするとさらに価値が上がるかもしれません。 しかし、中古車市場はユーザーの需要と供給で成り立っているため、価格は日々変動しています。今価値が高くても数年後には状況が変わっている可能性もあります。もし売却を検討するのであれば、こまめに中古車の価格変動をチェックしておきましょう。

免許返納する時の手続きとは?免許返納するメリットについて解説
旧車の魅力と知識 2024.10.11

免許返納する時の手続きとは?免許返納するメリットについて解説

「あまり運転する機会がない」「高齢者になったから免許を返納したい」と免許の返納を検討している方は多いのではないでしょうか。免許証を返納するときは、どのような手続きが必要なのでしょうか。今回は、免許返納する方法や免許返納のメリットなどを紹介します。 免許返納の手続き方法 運転免許証の返納には年齢制限がありません。そのため、不要になったときや加齢によって身体機能が低下し、運転への不安を感じるようになったときなど、いつでも免許証を返納できます。一度、免許を返納して免許を再び取得したい場合には、再度試験に合格する必要がある点に注意しましょう。 一般的に、以下の条件に当てはまる人は自主返納ができません。 ・運転免許の取消基準に該当している・運転免許停止中、もしくは停止の基準に該当している※違反者講習の対象となり、受講した場合は申請可・初心運転者制度における再試験の基準に該当している ここでは、東京都での免許を返納する時の申請方法について解説します。東京都以外の地域でも手続き内容はほぼ同じですので、参考にしてください。 手続きの場所 免許返納をする場所は、主に「運転免許試験場」「運転免許更新センター」「警察署」です。それぞれの受付時間や注意点などについて紹介します。  運転免許試験場                               ・受付日時平日:8:30~16:30日曜:8:30~12:00、13:00~PM16:30 ・場所     府中運転免許試験場鮫洲運転免許試験場江東運転免許試験場 ※休み:土曜・祝休日・年末年始(12/29〜1/3)※運転経歴証明書は即日交付が可能(作成に時間がかかります)※運転経歴証明書の交付を希望する場合には、「持参した申請用写真」もしくは、「試験場で撮影したもの」のどちらかを選択 運転免許更新センター ・受付日時平日:8:30〜16:30   ・場所     神田運転免許更新センター新宿運転免許更新センター ※休み:土曜・日曜・祝休日・年末年始(12/29〜1/3)※運転経歴証明書の受け取りまでにかかる期間は2週間程度※運転経歴証明書の交付を希望する場合には、申請用写真を持参する 警察署 ・受付日時平日:8:30〜16:30   ・場所警察署一覧 ※休み:土曜・日曜・祝休日・年末年始(12/29〜1/3)※運転経歴証明書の受け取りまでにかかる期間は2週間程度(島部警察署では4週間程度)※運転経歴証明書の交付を希望する場合には、申請用写真を持参する ▼免許返納の手続き場所についてはこちらでも解説しています。免許返納できる場所は?調べ方やあわせて知っておきたいことも解説! 必要書類 免許返納の際の必要書類を紹介します。 本人が申請する場合  必要書類   ・運転免許証・申請用写真(1枚)  ※紛失等で運転免許証がない場合、「運転免許試験場のみ」での受付可。運転免許証の代わりに住所・氏名・生年月日が確認できるものを持参する。■住民票の写し(コピー不可、個人番号未記載のもの)、マイナンバーカード(通知カード不可)、健康保険証、旅券(パスポート)、在留カードなど ※返納する免許証の住所が現住所と異なる場合、現住所が分かるものを持参する。■住民票の写し(コピー不可、個人番号未記載のもの)、マイナンバーカード(通知カード不可)、健康保険証、消印付郵便物など 代理人が申請する場合  必要書類 ・本人の運転免許証・申請用写真(1枚)・委任状・代理人の住所・氏名・生年月日が確認できるもの ※紛失等で運転免許証がない場合、「運転免許試験場のみ」での受付可。運転免許証の代わりに住所・氏名・生年月日が確認できるものを持参する。■住民票の写し(コピー不可、個人番号未記載のもの)、マイナンバーカード(通知カード不可)、健康保険証、旅券(パスポート)、在留カードなど ※返納する免許証の住所が現住所と異なる場合、以下のいずれかで現住所が分かるものを持参する。■住民票の写し(コピー不可、個人番号未記載のもの)、マイナンバーカード(通知カード不可)、健康保険証、消印付郵便物など ※代理人の住所・氏名・生年月日が確認できるものは以下のとおりです。■運転免許証、住民票の写し(コピー不可、個人番号未記載のもの)、マイナンバーカード(通知カード不可)、健康保険証、旅券(パスポート)、在留カードなど ▼免許返納の代理申請についてはこちらでも解説しています。免許返納の代理申請は可能?手続きの場所や必要なものも解説   参考:運転免許証の自主返納と同時に運転経歴証明書の交付申請をする方 運転経歴証明書の申請写真「免許写真判断基準」の要件 運転経歴証明書の申請用写真については、次のようなポイントがあります。ご自身で写真を持参する場合には、「申請用写真及び持参写真のご案内」で確認しましょう。 ・縦3センチメートル×横2.4センチメートル(国外運転免許証申請時に添付する写真サイズ:縦4.5センチメートル×横3.5センチメートル)・無帽、正面、上三分身、無背景(宗教上、医療上の理由により帽子や布などを使用する場合、個人識別の容易性が確保できる範囲であれば可能です。事前に相談しましょう。)・申請前6か月以内に撮影したもの・個人識別が容易にできるもの・免許証が適正に作成できるもの 申請書に添付された写真を基に運転経歴証明書を作成するため、「免許写真判断基準」の要件を満たした写真を用意しましょう。 運転免許試験場で申請する場合には、運転免許試験場で撮影も可能です。不適切な場合、お断りされる場合があるので、写真判断基準表等で確認をするか、申請当日に撮影してもらうことをおすすめします。 ▼運転経歴証明書の写真についてはこちらでも解説しています。免許返納の申請には写真が必要?写真の規格や悪い例も紹介 また、運転経歴証明書をその場で受け取らず、郵送での受け取りを希望の方は、レターパックライト(青色)を購入し、申請する際に持参しましょう。 手数料 運転免許証を返納するだけであれば無料ですが、運転経歴証明書を取得する際に手数料1,100円がかかります。 郵送による免許返納手続き方法 郵送で免許返納できるかどうかは、各都道府県によって異なります。そのため、事前のお住まいの地域の管轄部署に問い合わせて確認しておきましょう。 たとえば、東京都では郵送での手続きは不可ですが、愛知県では電話で事前申込すれば手続きできます。※2023年12月15日時点 免許返納の手続き完了後について 運転免許証の返納手続きが完了した後は、どのようになるのでしょうか。具体的には、以下3点が挙げられます。 車の運転は一切できなくなる 運転免許を返納しているので、車の運転はできません。地方自治体によって異なりますが、公共の交通機関を割引・無料で利用できる場合があります。その他、宿泊施設・観光スポット、レジャー施設などの料金割引やデパート、小売店の購入代金の割引などの「支援制度」などもあるので、お住いの地域で利用できるサービスについて確認しておきましょう。 運転経歴証明書を受け取れる 運転経歴証明書は、「自主的に免許を返納したことを証明する」書類です。自主的にすべての免許返納手続きをした方に交付されます。運転免許証の代わりになる公的な本人確認書類をして利用できます。(平成24年4月1日以降に交付された運転経歴証明書のみ) 以下の人は運転経歴証明書を交付してもらえません。交通違反等もしくは、認知機能検査で免許が取り消しになっている ・交通違反等もしくは、認知機能検査で免許が取り消しになっている・免許失効後5年以上が経過している・自主返納後5年以上が経過している・所有する免許の一部のみ返納する場合(普通自動車免許のみ返納し、言動付自転車の免許は返納しないなどの状態) ▼運転経歴証明書についてはこちらでも解説しています。免許返納をした後の証明書「運転経歴証明書」の交付方法やメリットを解説 特典を受けられる 運転経歴証明書を提示すると、割引や無料サービスなどの特典を受けられます。病院や買い物などへ行けなくなってしまうときの移動手段に困らないよう、各自治体や事業者などが特典を提供しています。 原則として65歳以上の方が対象です。「高齢者運転免許自主返納ロゴマーク」というマークのある店舗では、運転経歴証明書を提示することで受けられます。(詳しくは、高齢者運転免許自主返納サポート協議会をご覧ください。) ▼免許返納後の特典についてはこちらでも解説しています。免許返納後の特典は?知っておきたいポイントから特典の一例まで紹介免許返納をしたらタクシーの特典を受けられるのか解説   ------------------------------------------- ▼免許返納に関する記事一覧免許返納できる場所は?調べ方やあわせて知っておきたいことも解説!免許返納の代理申請は可能?手続きの場所や必要なものも解説免許返納をした後の証明書「運転経歴証明書」の交付方法やメリットを解説免許返納の申請には写真が必要?写真の規格や悪い例も紹介免許返納後の特典は?知っておきたいポイントから特典の一例まで紹介免許返納をしたらタクシーの特典を受けられるのか解説 -------------------------------------------

トヨタ 100系チェイサーの魅力に迫る! レースでも証明したスポーティモデルとしての実力も紹介
旧車の魅力と知識 2024.10.09

トヨタ 100系チェイサーの魅力に迫る! レースでも証明したスポーティモデルとしての実力も紹介

販売終了から20年以上が経過しているにも関わらず、現在でもプロドリフト競技でも活躍するJZX100 チェイサー。いわゆる100系チェイサーと呼ばれるこのモデルは、スポーツグレードのツアラーVを筆頭に、スポーツ性能の高さにより人気を集めました。 本記事では、ツアラーVを中心に100系チェイサーの特徴と魅力を紹介します。 フルモデルチェンジでマークⅡと人気を二分した100系チェイサー マークⅡ3兄弟と呼ばれるように、90系までのシリーズの中心はマークⅡでした。チェイサーは、3兄弟のなかでもっとも人気が低かったといわれていますが、100系では、マークⅡと人気を二分するほどの存在感を放ちました。 マークⅡやクレスタとは違う性格をもたせて成功した、チェイサーの開発背景について振り返ってみましょう。 チェイサー最後のモデルはスポーティーさを意識して開発された チェイサーは1996年に100系へとフルモデルチェンジし、明確なスポーティーモデルに進化しました。また、マークⅡの次モデルでは3兄弟体制が解体されて発売されなかったため、結果的に100系がチェイサー最後のモデルになりました。 マークⅡやクレスタとのもっとも大きな違いは、前後のオーバーハングが切り詰められている点です。オーバーハングが長く安心感を与える2台に対して、運転のしやすさや俊敏性につながる設計にしたことでスポーティモデルという位置づけを明確にしています。 また、BMW E36型3シリーズに似ているといわれる4灯ヘッドライトの形状やリアスポイラーなどが取り付けられた端正な見た目も、100系チェイサーを象徴するポイントです。 上級モデルという車格にふさわしい装備 高級サルーンとしての充実した装備も、100系のマークⅡ3兄弟の魅力です。100系が登場したのは「セダン・イノベーション」を掲げてトヨタがセダンの充実に取り組んでいた時期で、従来よりも装備が豪華になっていました。 エアコンのルーバーが自動で左右に動くオートスイング機構や、自発光するオプティトロンメーターといった上位モデルの装備までも盛り込まれていました。さらに、トヨタ車初となるディスチャージヘッドライト(HID)やシリーズで初めて衝突安全ボディ「GOA」を採用するなど、先進性も高められています。 100系チェイサーの性格がもっとも色濃く反映されたツアラーV 数あるチェイサーのグレードのなかで、「ツアラーV」がスポーティさをもっとも反映したモデルです。名機と呼ばれる1JZ-GTEエンジンを搭載し、レースでも輝かしい実績を残しました。 ここでは、100系チェイサーを代表するグレード、ツアラーVの魅力を掘り下げます。 90系から性能アップを遂げた1JZ-GTE 100系チェイサーのエンジンは、先代90系に引き続き1JZ-GTEでした。しかし、型式こそ同様ですが、100系に搭載されたエンジンは大幅な進化を遂げています。 最高出力は自主規制いっぱいの280psのままですが、ツインターボからシングルタービンに変更したことで最大トルクを37.0kgmから38.5kgmにまで向上させました。さらに、シリンダーヘッドにはVVT-iと呼ばれる可変バルブタイミング機構を搭載。全回転域で連続して吸気バルブのオーバーラップ量を変化させることで、出力特性と燃費性能の向上が図られています。 セダンなのにLSDまで装備 チェイサー ツアラーVには、トルセン型LSDまで装備されていました。(AT車はメーカーオプション)LSDとは、ディファレンシャルギアの差動を制御する装置です。 ディファレンシャルギアはコーナリングで生じる内輪と外輪の回転差を吸収できる一方、吸収した回転差分のトルクは失われてしまいます。常にクルマを前に進めたいスポーツ走行において、トルクのロスが発生するのは致命的です。そこで、LSDでディファレンシャルギアの動作を抑えることで、トルクロスを低減させます。 一方、ディファレンシャルギアの働きを抑制するため、通常走行時の回頭性や乗り心地が犠牲になってしまう点がLSDのデメリットです。乗り心地を重視する高級セダンなのにLSDが装備されている点からも、チェイサー ツアラーVがいかに運動性能を重視していたのかがわかります。 ドリフトだけでなくレースでも示した高いポテンシャル 100系チェイサーに対して、ドリフト車というイメージを持つ方も少なくありません。事実、多くのドリフトユーザーから愛されて、現在でも競技で使用されています。最近では、フォーミュラドリフトジャパン2023で、チームオレンジのKANTA選手(柳杭田貫太選手)がチャンピオンの座に輝きました。 一方で、短期間しか参戦していないためにあまり語られませんが、レーシングカーとしても高い実力をもつモデルです。1997年からわずか2年間しか参戦していないものの、JTCC最終年の1998年にチャンピオンを獲得しています。1997年シーズンの最終戦、インターTECでは、つちやエンジニアリングのチェイサーのステアリングを、土屋圭市氏がステアリングを握りました。 人気モデルだけに中古車購入時には注意が必要 100系チェイサーは、販売台数が多かったため中古車で比較的入手しやすいモデルです。特にツアラーVはセダンにも関わらず販売台数の3割がMTともいわれていて、ドリフトをはじめとするスポーツ走行目的で購入する方も少なくありません。 しかし、ツアラーVを中心にドリフト競技で酷使された個体も少なくないため、中古車を購入する際は注意が必要です。特にMT車を選ぶ方は、クルマの状態を細かく確認してください。AT車であれば比較的状態のいい個体も残っているため、あえてAT車を選ぶというのも選択肢の1つです。 100系チェイサーは、スポーティセダンという3兄弟のなかで明確な立ち位置を確立しました。チェイサー最終モデルということも相まって、今後も高い人気を保ち続けるでしょう。

ホンダ ビートが実現した軽ミッドシップオープンの衝撃! 小さなボディーに大きなこだわりが満載だった
旧車の魅力と知識 2024.10.09

ホンダ ビートが実現した軽ミッドシップオープンの衝撃! 小さなボディーに大きなこだわりが満載だった

風を切りながら走る爽快感を、軽自動車ながら存分に味わえるホンダ ビート。わずか一世代しか生産されなかったにも関わらず、現在でも多くのファンの心を掴んでいるクルマです。 そこで今回は、ビートに込められたホンダ開発陣のこだわりと、今も愛される理由を徹底的に紹介します。 ビートは初物づくしのすごい軽自動車 1990年代に登場したビートは、「初」という冠のつく仕様が多数盛り込まれた画期的なモデルでした。しかし、初採用の仕様の数々は決して奇をてらったものではなく、ホンダがこだわり抜いて開発した結果です。 まずは、ビートの仕様を改めて振り返ってみましょう。 世界初のミッドシップフルオープンモノコックボディ 1991年に発売されたビートは、量産車として世界で初めてミッドシップレイアウトとフルオープンモノコックボディを採用したモデルです。普通車でも存在しなかった世界初の仕様を、軽自動車で実現した点にホンダの高い技術力がうかがえます。 まず、ミッドシップレイアウトを軽自動車で設計するのは、容易なことではありません。ボディサイズが規格で決められているため、限られたスペースのなかで座席後部にエンジンを配置する必要があります。 さらに、フルオープンという仕様も、本格スポーツという方向性の軽自動車で実現するのは困難です。排気量の小さなエンジンで十分な走行性能を発揮するには、ボディの軽量化は欠かせません。しかし、ボディ剛性を確保しておかないと、キビキビとしたハンドリング性能が犠牲になってしまいます。そこでホンダは、主要なボディパーツの板厚をアップしつつ入力部分に効果的に補強材をいれることで、ビートの高い剛性を実現しました。 軽自動車で初めての仕様を詰め込んだ、ホンダのこだわり ビートには、軽自動車初の仕様が数多く採用されました。なかでも注目したいのは、フロント13インチとリア14インチの異径ホイールです。ミッドシップレイアウトによってリア側の重量が増した分、ホイールサイズを前後で変えることで重量バランスの最適化が図られています。 なお、ミッドシップレイアウトを軽自動車に採用したのもビートが初めてです。さらに、4輪ディスクブレーキ、SRSエアバックも軽自動車としては初の装備でした。 また、単なる軽自動車ではない、本格スポーツとしてのこだわりも随所にみられます。例えば、トランスミッションは5速MTのみが設定されています。日常の足という軽自動車本来の利便性を考えるとATを用意したほうが販売台数を伸ばせたはずですが、あえて5MTのみに限定し、走りを最大限に楽しめるモデルとしてリリースされました。 他にも、エンジン出力が犠牲になるパワーステアリングは装備しておらず、万人受けする利便性より走行性能を重視していたことがわかります。 ビートが今も愛されている理由 軽自動車初の仕様が数多く採用されたビートですが、他の高性能スポーツカーに比べて特別優位な点はあまり見当たりません。しかし、現在も中古車市場では活発に取引され、多くの人が大切に乗り続けています。 ビートがなぜ今も愛されているのか、2つのポイントで探っていきましょう。 F1の技術がフィードバックされた自然吸気エンジン ビートに搭載されているE07A型エンジンは、トゥデイやライフなどにも搭載される汎用エンジンです。しかし、ビートに搭載するにあたって、F1のテクノロジーを応用した技術で徹底的なチューニングが施されました。自然吸気エンジンながら、軽自動車の自主規制いっぱいの64psを発揮します。 E07A型エンジンで特筆すべきは、普通車でもあまり採用されていない3連スロットルです。気筒ごとに独立したスロットルを設けることで、吸気効率を高めています。さらに、レスポンスとアイドリングを両立するために、2つの燃料噴射制御マップを切り換える方式が採用されました。このホンダ独自のエンジンシステムは、「MTREC」(Multi Throttle Responsive Engine Control System)と呼ばれています。 ミッドシップレイアウトというスペース的な問題もあったのかもしれませんが、ターボに頼らないというホンダのエンジンへのこだわりは、ビートが愛されている理由の1つでしょう。 クルマを操る楽しさを追求 ビートは、実際に運転してみるとそれほど速いと感じるクルマではありません。最高出力の64psを発生するのは8,100rpmと極めて高い回転数で、ターボ車のような爆発的な加速力はないためです。 しかし、軽自動車というサイズとミッドシップレイアウトを活かした、キビキビとしたハンドリング性能はビートでなければ味わえません。また、8,000回転以上まで到達するエンジンは、スポーツカーに乗っているという感覚を満足させるには十分です。 絶対的な速さではなく、手足のようにクルマを扱える感覚こそが人々を惹きつける魅力なのでしょう。 残存台数の多さから今も愛されていることがわかる ビートは1991年から1996年の1世代しか生産されず、販売台数はそれほど伸びませんでした。デビュー当時は、前年発売されたNSXと同様のミッドシップレイアウトというイメージ戦略と138万8,000円という手頃な価格から予約が殺到。しかし、1990年代の「RVブーム」のあおりを受けて販売台数が伸び悩み、最終的な生産台数は3万3,892台にとどまりました。 一方で、2021年12月時点で日本全国に残るビートは、1万7,072台にものぼるという情報もあります。生産終了から30年近くを経ても、なお半数以上が残っているのは驚異的です。軽自動車規格の2シーターという日常的には使い勝手の悪いパッケージのうえ、5MTでパワステはなしという快適性もないモデルですが、今も多くの人に愛されていることを残存台数が証明しています。

日産 R32型GT-Rが速かった理由とは? レースで勝つという目的をストレートに体現したモデル
旧車の魅力と知識 2024.10.09

日産 R32型GT-Rが速かった理由とは? レースで勝つという目的をストレートに体現したモデル

「スパルタン」とも評される日産 R32型GT-R。無駄が削ぎ落とされたボディデザインや大型のリアウィングなど見た目の印象が強いクルマですが、世間での評価通り機能性を追求した末に生まれた高性能スポーツカーです。 レース仕様を意識して開発されたエンジンなど、勝つための工夫が随所に凝らされたR32型GT-Rの誕生背景と実力を振り返ってみましょう。 レースで勝つために作られたR32型GT-R 1985年に始まった日本国内のグループA規定のレース、JTC(Japan Touringcar Championship)で思うような結果が残せていなかった日産は、「サーキットレースで勝てなければスカイラインの存在価値はない」とGT-R復活への決意を固めます。 スカイライン 2000GT-R以来16年ぶりに登場した、R32型GT-Rの誕生背景を振り返ってみましょう。 16年ぶりに復活したGT-Rの称号 スカイラインは、1989年にR32型へのフルモデルチェンジを果たします。同時に、1973年以来16年ぶりにGT-Rのグレードが復活しました。このタイミングでのGT-Rの復活には、単なる最上位グレードの設定ではなく、「レースで勝つ」という明確な目的がありました。 「GT-R」とは、「GrandTouring」と「Race」を意味しているといわれています。しかし、直接的にレースを意識して開発されたGT-Rは、初代PGC/KPGC10型とR32型の2モデルのみです。 あらゆる造形がグループAを意識していた グループA規定は市販車からの改造範囲が狭く、性能向上のために基本構造を変更することができません。そこで、R32型GT-Rは、あらゆる部分がレースへの参戦を前提に設計されました。特に外装部分の造形は、スポーツカーとしての見た目ではなく機能性に重点が置かれています。 例えば、フロントの大きな開口部とバンパーの特徴的なエアインレットは、冷却性能を最大限に高めることが目的です。加えて、ワイドホイールを使用する目的で採用されたブリスターフェンダーの存在もR32型GT-Rの魅力を語るうえで欠かせません。大径ホイールの装着が実現したためにグリップ力が向上し、走行性能にさらなる磨きがかかりました。。 圧倒的な速さを実現した2つの要素 R32型GT-Rは、当初の開発目的どおりレースで無類の速さを見せつけます。高い戦闘力に直接的に影響したのは、エンジンと先進的な駆動システムです。 レースでの結果も交えて、R32型GT-Rの実力を再確認してみましょう。 速すぎたRB26DETT R32型GT-Rに搭載されたのは、新開発のRB26DETTエンジンです。市販車の最高出力は、自主規制いっぱいの280ps。さらにレース仕様では、600ps+αのパワーを発揮したといわれています。 R32型がいかにレースを意識して設計されていたのかがわかるポイントが、エンジンの燃焼室の形状です。実は、RB26DETTの燃焼室は、市販車に適した形状ではありません。レースで高過給圧仕様にして圧縮比を下げた際に、最適になるように設計されています。 さらに、このエンジンの実力の高さをうかがわせるエピソードが残っています。当初、レース仕様の過給圧は1.6kgf/cm2を想定していました。しかし、他車が相手にならないほどの圧倒的な速さになることが判明し、何らかのハンディを課せられることをおそれた日産は過給圧の引き下げを決断したそうです。最終的な過給圧は、1.4kgf/cm2まで下げられました。 直線でもコーナリングでもライバルを引き離すアテーサET-S 高出力エンジンのパワーを余すことなく地面に伝えるアテーサET-Sも、GT-Rの圧倒的な速さを支えました。GT-Rの駆動方式は一般的に4WDだと認識されていますが、正確には後輪駆動がベースのパートタイム4WDです。 アテーサET-Sは、後輪のトルクが過大になるシチュエーションで湿式クラッチを介して前輪にもトルクを配分します。湿式クラッチを電子制御することで、0:100〜50:50の広範囲でシチュエーションに応じた最適なトルク配分を実現しました。 4年間負けなしの29連勝という大記録を樹立 R32型GT-Rは、開発の目的通りレース参戦直後から無類の強さを発揮します。市販の翌年にJTCに投入されると、1990年から1993年の4シーズンにわたって負け知らずの29連勝という大記録を打ち立てました。 最終年の1993年には7〜8台のGT-Rが出場していましたが他車を寄せ付けない速さだったため、GT-R同士の熾烈な順位争いが常に繰り広げられました。同型車同士の争いだっただけに、クルマとしての速さはあってもなかなか表彰台を獲得できないチームもありました。 特に1992年のRd.3 SUGOでのレースは、GT-Rを擁するチーム間での争いがいかに過酷だったのかがわかります。師と仰ぐ高橋国光氏とSTPタイサンGT-Rでチームを組む土屋圭市氏は、念願の3位表彰台を獲得しました。高橋氏の他界後に「オレが国さんをグループAの表彰台に上げる!」という固い決意をもってレースに臨んだことを土屋氏は語っています。 販売台数からわかる圧倒的な人気ぶり レースでの速さだけではなく、R32型GT-Rは商業的にも成功したモデルです。最上位グレードという位置づけにも関わらず、販売台数は4万3,934台にものぼりました。後継のR33型が1万6,422台、R34型が1万1,345台に留まったことからも、いかに驚異的な販売台数だったのかがわかります。 GT-Rには数々のモデルがありますが、初代と同等かそれ以上に特別視されているのがR32型です。エンジンのスペックやニュルブルクリンクでのタイムなど絶対的な性能は後発モデルのほうが向上していますが、R32型GT-Rにこだわるユーザーは少なくありません。販売終了からでもすでに30年以上が経過し年々残存台数は減ってきていますが、不滅の記録を打ち立てた歴史的なクルマとして後世に永く語り継がれていくでしょう。

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