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高いパフォーマンスとラグジュアリーさを兼ね備えた、最上級スポーティーカーにつけられている「GT」という名称。日本で初めて名前に「GT」を採用したメーカーは、意外にもいすゞでした。2ドアクーペとして開発された、ベレットGTです。 今回は、流麗なボディに最高の性能を備えていたベレットGTと最上位モデルのGTRについて紹介します。ベレットGTの魅力を紐解き、今もなお高い人気を誇る理由に迫ってみましょう。 GTの意味を体現していたベレットGT 現在ではトラックやバスといったイメージの強いいすゞですが、当時はレースにも参戦するなど高性能車の開発に力を注いでいました。 その流れを汲んで、いすゞはセダンタイプのベレットをベースに、2ドアクーペのベレットGTを発売。「GT」本来の意味を体現する、完成度の高いクルマでした。いすゞ ベレットGTの誕生背景とそもそも「GT」とはどういう意味なのか詳しく解説します。 東京オリンピックとともに登場したいすゞ ベレットGT いすゞベレットGTは、東京オリンピックが開催される1964年4月に登場。前年1963年に発売された、セダンタイプのベレットをベースに開発されました。首都高速が整備され、高い走行性能のクルマを求める機運のなか、ベレットGTは誕生します。 実はこの頃のいすゞは、ワークス体制でレースに参戦しており、ベレットGTにはレースで獲得したノウハウが惜しみなく注がれていました。 スポーツカーを中心に使われるGTの本当の意味 GTとは、イタリア語のGranTurismo(グランツーリスモ)の略称です。もともとは、大旅行を意味する「グランドツーリング」から派生した言葉で、長距離ドライブもこなせる高い性能とラグジュアリー感を備えたクルマを指します。 いすゞベレットGTも、ベースとなったセダンタイプのラグジュアリー感を活かしつつ、走行性能をとことん高めたモデルでした。 ペレットGTには「R」モデルも存在していた ベレットGTの発売から3年後の1969年、さらにパフォーマンスを高めたベレットGTRが誕生します。ベレットGTRは、レース車輌として活躍していたGTXをベースに、ロードカー仕様にチューンされ、極限まで走行性能を高めたモデルに仕上がりました。 なお、ベレットGTRは1970年に行ったマイナーチェンジの際に、ベレットGT typeRと名称を改めています。GTR、TypeRともに、現在では走行性能の高い国産車の象徴ともいえるグレード名です。どちらの名前も1960年代に使用していたいすゞは、先見の明があったのかもしれません。 GTの名にふさわしい走行性能を誇ったベレットGT ベレットGTは、GTの名前にふさわしく、ベース車輌のセダンタイプとは別のクルマといっていいほど充実した装備が盛り込まれていました。 さらに特別感を高めたGTRとともに、ベレットGTの装備を見ていきましょう。 走行性能を高めるために注ぎ込まれた先進技術 ベレットGTに搭載されたG160型1.6L水冷4気筒OHVエンジンは、最高出力88ps/rpm、最大トルク12.5kgm/4,200rpmを発揮。わずか940kgの車体を軽快にドライブしました。 さらにベレットGTには、当時の市販車としては最新とも呼べる技術によって、高い走行性能を実現します。サスペンションは4輪独立懸架、ステアリング機構はラック&ピニオン式、ディスクブレーキ(フロントのみ)、4速MTなど、名称だけであれば現在のクルマとほぼ遜色のない技術と装備が投入されました。 Rの名前は伊達じゃない ベレットGTRに搭載されたG161W型1.6L水冷直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力120ps/6,400rpm、最大トルク14.5kgm/5,000rpmを発生。GTRの名に恥じない最高峰の性能を誇っていました。 ベレットGTRはGTカーのラグジュアリーの側面を満たすべく、内外装でも特別感のある仕様になっています。 外装面では、ダクトの開いた専用ボンネットにリムにメッキを施したホイール(スチール製)、そしてフロントにはベレットGTRの象徴の大型フォグランプが備えられていました。さらに、マイナーチェンジ後のGT TypeRでは、スカイラインGT-Rを想起させるような「R」のエンブレムがボディサイドにあしらわれています。 内装は本革巻き3本スポークステアリング、木目シフトノブといった高級感のあるアイテムが特別装備されていました。一方、インパネには220km/hのスピードメーター、センターコンソールには水温系、電圧計、燃料計の3連メーターを備えるなどレーシーな雰囲気がいかにもGTRらしさを演出しています。さらに、シートはヘッドレスト一体型のバケットシートでした。 名前だけではなく日本の自動車史に残る性能を誇っていた ベレットGTとGTRが、登場から50年以上経った今も高い人気を保っている理由は、単に日本で初めて「GT」の名を冠したクルマだったからというわけではありません。レースからのフィードバックを、ロードカーに詰め込んだ高性能マシンだったからです。ちなみに、日本で初めて「発売」されたGTとなると、発売日の関係でスカイラインGTにその座を譲っています。 半世紀を超えるクルマだけに、中古車の売買は慎重に行いたいところです。仮に程度のいい車輌を探し出しても、維持するためにはメンテナンスは欠かせません。専門の知識をしっかりともった業者と取引をしましょう。
私は、Z32専門店を営む店主ですが、オーナーの一人でもあります。 私自身が、このクルマに乗ることで、お客さまにもその楽しさをお伝えしています。 長年乗っていますが、不思議と他車に乗りたいと思ったことがありません。 どんなにクルマが進化しても興味が湧かず、Z32に乗っていきたいのです。 では、その醍醐味とは何でしょうか? 改めて、考えてみました。 ■醍醐味1:とにかくカッコイイ!他車に目移りしない! これは手前味噌ですが(笑)、とにかくZ32がカッコいいのです! もちろん仕事抜きで! 何らかの魅力がなければ、ましてやカッコ悪ければとっくに乗り換えていますよね? その魅力がいつまで経っても変わることがなく、他車に目移りしないのは私自身も不思議です。 と同時に、いつまでも飽きることがなく、そして魅力が色褪せない存在(私にとってのZ32)に巡り逢えた幸運に感謝しています。 ■醍醐味2:自分だけの愛車!所有欲や優越感が半端ない! 自分だけのクルマという実感があります。 豊田章男氏が「クルマは“愛”がつく工業製品である」と語っていましたが、まさに「愛車」です。 毎日のように接する冷蔵庫や洗濯機などの「白物家電」に愛着があっても、それとは別の感情のように思えます。 しいていえば、愛用のカメラや自転車、オーディオなどの趣味の世界と同じカテゴリーではないでしょうか。 しかし、買い替えたり、数が増えていったり‥と、ひとつのものだけを長く使うケースは意外に稀のように感じます。 こんな所有物はなかなかありませんよね? その感覚がいつまでも色あせず、所有欲や優越感が継続するのは不思議です。 ■醍醐味3:クルマであってクルマじゃない!いつまでも連れ添いたい! クルマであってクルマでない感覚があります。 ポルシェを語る際に「最新は最良」という表現がよく使われますが、これは他のクルマにも当てはまると思っています。 機械として進化したものがベストであり、最新モデルに乗りつづける、乗りつづけたいという欲求は(ステータス云々はさておき)至極真っ当です。 しかし、最新モデルに魅力を感じない、敢えて不便で、最新モデルと比較していつ故障するかも分からない旧車にこそ魅力を感じる方がいます。 機械である以上、それは気のせいでしかないのですが、ときにまるで意思を持っているかのような錯覚に陥ることがあります。 デジタルではなく、機械というより、どこか人間味がある。 ハイレゾオーディオより、レコード(または蓄音機)が奏でる音に魅力を感じる方と似ているかもしれません。 その雰囲気がいつまでも失せないからこそ、連れ添っていきたいと思うのです。 ■醍醐味4:大事に乗らなきゃ!オーナーとしての志が高まる! オーナー次第でクルマのコンディションが大きく変わるのが旧車の世界。 それだけに「大事に乗らなきゃ」という愛車精神のようなものが自然と生まれます。 これぞ旧車の醍醐味と感じるか、煩わしいと感じるかによって、古いクルマに対する向き不向きが見えてきます。 私の場合、その気持ちがいつまでも失せず、オーナーとしての志が高まっていくのを実感する日々です。 ■醍醐味5:同じクルマを乗る仲間との出会いも!連帯感が生まれる! クルマはコミュニケーションツールとおっしゃるお客様がいらっしゃいます。 Z32を所有していなければ、Z32を生業とするような仕事を選んでいなかった確率が高いでしょう。 仕事であっても、同じクルマを乗る仲間と出会いが嬉しいです。 年齢を重ねるに連れて、友だちが作りづらくなりがちです。 しかしクルマという共通言語があるおかげで、年齢や世代を問わず、それぞれに人生を歩んできた方たちと知り合うことができます。 そして、クルマを介して知りあった仲間たちとは、一生の友だちになれるほどの連帯感が生まれるのが不思議です。 ■まとめ 一期一会で出会ったクルマを愛し、大事に乗ってゆく。 その価値感こそが、最大の醍醐味ではないでしょうか。 旧車は、今のクルマにないスタイル、雰囲気、味わいが堪能でき、一生飽きることのない素晴らしい存在です! ・ホームページhttp://www.Z32-Zone.com/ ・Facebookhttps://www.facebook.com/pages/Fairlady-Z32-Proshop-Zone/286263454768481 ・Instagramhttps://www.instagram.com/Z32_Zone.omura/ ・YouTubehttps://www.youtube.com/user/ZoneZ32 [ライター・撮影/小村英樹(Zone代表)]
マツダの販売チャンネル名にもなった「アンフィニ」という名称で真っ先に思いつくのは、3代目RX-7のFD3S型です。しかし、実は2代目RX-7のFC3S型にはアンフィニシリーズという限定モデルが存在していました。初代から劇的に進化したFC3S型に、さらにファインチューニングを施した限定車輌、マツダ サバンナ RX-7 アンフィニシリーズを振り返ってみましょう。 性能だけでなく取り組みも画期的だったFC3S 1980年代中盤に登場した2代目サバンナ RX-7。型式名もFC3S型と改められた2代目サバンナは、ピュアスポーツとして初代から大きく生まれ変わりました。 さらに、FC3S型には、限定販売されたマツダ純正のチューニングモデルが存在します。「アンフィニ」と名付けられたシリーズは、合計4世代も開発するという意欲的な取り組みでした。アンフィニシリーズがいかに画期的なアプローチだったかも含めて、FC3Sの概要を紹介します。 初代サバンナを昇華させたFC3S型RX-7 1985年10月、2代目サバンナ RX-7としてFC3S型が発売されます。1978年の登場から、7年間もの長きにわたって販売されていたRX-7初のフルモデルチェンジでした。ロングノーズショートデッキにリトラクタブルヘッドライトというスタイリングは先代を踏襲しつつ、バンパー形状を一体型とするなど現代的なアプローチでデザインされています。 プラットフォームも刷新され、独立懸架に変更されたリアサスペンションに、国産車初の対抗4ピストンのアルミキャリパーを採用するなど性能面で大幅な進化を遂げました。さらに、エンジンは3代目FD3S型にも受け継がれる13B型ターボエンジンを搭載。初代サバンナ RX-7を、FC3S型でピュアスポーツに昇華させました。 メーカー純正のチューニングカー「アンフィニ」シリーズ FC3S型サバンナ RX-7には、「アンフィニ」の名を冠した限定のチューニングモデルが存在します。シリーズ累計でわずか3,000台という限定生産ながら、スポーツカーファンの人気を集めました。FC3Sアンフィニシリーズの成功が、後にマツダの販売チャネル名に採用されることにつながったのでしょう。アンフィニシリーズは、1986年のアンフィニIを皮切りに合計4世代が投入されました。 日本のチューニングカー市場は1995年の規制緩和で大幅に拡大しますが、アンフィニシリーズの登場ははるか10年近く前。ただでさえチューニングカーの販売が難しかった時代に、メーカー純正のチューニングカーが生産されたことは画期的なことでした。 限定生産ながら4世代も投入されたサバンナ RX-7アンフィニシリーズ 2代目マツダ サバンナ RX-7のメーカー純正チューニングカーとして限定販売されたアンフィニシリーズは、ピュアスポーツとして徹底的にこだわって開発されました。 全モデル2シーター化され、ボンネットは専用のアルミ製、BBS鍛造ホイールに加え、専用ダンパーまで備えています。さらに、エンジンや足回りもそれぞれの世代でチューニングされていて、スポーツカーファンにはたまらない仕上がりでした。アンフィニシリーズの全4モデルの特徴を一気に紹介します。 専用設計パーツ満載で登場したアンフィニI(1986年) アンフィニシリーズの記念すべき初代は、FC3S型発売の1年後、1986年8月に登場した「アンフィニI」です。当初限定300台で発売されましたが、翌年にはさらに300台追加販売されました。内外装、さらに性能面で多くのパーツが専用開発され、単なる特別仕様車の枠を超えたメーカー純正チューニングカーとして話題を呼びます。アンフィニIの基本仕様は、アンフィニII以降のシリーズにも踏襲されました。 販売価格:278万8,000円〜 <性能面の主な専用装備>・専用開発の低圧ガスダンパー・リミテッドスリップデフ <外装の主な専用装備>・BBS製鍛造アルミホイール・ボディ同色リアスポイラー・ブロンズペンガラス・アルミ製ボンネット・アルミ製スペアタイヤホイール <内装の主な専用装備>・2シーター化(リアには小物入れ=ストレージボックス)・MOMO社製本革ステアリングホイール及びシフトノブ・ニット製専用ハイバックスポーツシート&ドアトリム・防眩電動ドアミラー・助手席フットレストバー・新色外板色(ノーブルホワイト) 初代同様に追加販売までされたアンフィニII(1988年) 1988年1月に限定300台として登場したアンフィニIIは、発売からわずか7ヶ月後の8月にさらに300台を追加販売します。初代から大幅な変更はなかったにもかかわらず限定台数が完売してしまう事実から、いかにアンフィニシリーズがファンから支持されていたかがうかがい知れます。 販売価格:281万8,000円〜 <性能面の主な変更点>・最終減速比の変更(4.100→4.300)・ステアリング/シフトレバーなどの剛性向上 <外装の主な変更点>・新設計リアスポイラー(ウイングタイプ)の採用・新色外板色(クリスタルホワイト)・ブロンズ色サンシールド採用 <内装の主な変更点>・ドア内張りとシート地をグレーからブラックに変更 価格が下がったのに性能向上を果たしたアニフィニIII アンフィニIIIは1989年8月に登場。限定台数は600台でしたが、歴代アンフィニシリーズ同様に600台が追加販売されました。エンジン性能の向上やタワーバーの標準装備化、16インチホイールの採用など性能も装備も先代から大幅に向上したにもかかわらず、販売価格は約10万円も引き下げられています。 販売価格:270万4,000円〜 <性能面の主な変更点>・エンジン性能の向上・ストラットタワーバーの標準装備・ショックアブソーバとブッシュ類のファインチューニング <外装の主な変更点>・BBS製16インチ鍛造アルミホイールの採用(205/55R16タイヤ)・新デザインのエアロパーツキット採用・新色外板色(シェイドグリーン) <内装の主な変更点>・専用バケットシート・運転席/助手席ニーパッド 最後までアップデートの手を緩めなかったアニフィニIV アンフィニシリーズ最後のモデル、アンフィニIVは1990年に登場。600台の当初限定台数に追加300台を加えた合計900台が販売されました。シリーズ最終モデルながら、日本車初のトルセンLSDやハンドメイドのフルバケットシートの採用など最後まで意欲的に開発。メーカー純正チューニングモデル、アンフィニシリーズの名に恥じない仕様に仕上げられました。 販売価格:284万3,000円〜 <性能面の主な変更点>・トルセンLSD採用・ブレーキマスターシリンダーのサイズアップ・ブレーキパッド材質変更・ショックアブソーバー&ブッシュのファインチューニング <外装の主な変更点>・専用仕様のピレリP-ZEROタイヤ採用(205/55R16) <内装の主な変更点>・レーシングタイプフルバケットシート(ハンドメイド:運転席)採用 FD3Sにも引き継がれたアンフィニシリーズの手法 FC3S型マツダ サバンナ RX-7のアンフィニシリーズで培われた専用チューニング車を限定生産する販売手法は、続くFD3S型アンフィニ RX-7でも引き継がれます。タイプRZ、バサーストなどさまざまな限定車が販売され、それぞれ人気を集めました。 中古車でFC3Sアンフィニシリーズを入手する際は、信頼のできる中古車業者に依頼しましょう。特殊なロータリーエンジンのメンテナンスには、専門知識とノウハウが欠かせません。最終型のアンフィニIVの追加販売からでもすでに30年以上が経過する旧車のため、しっかりと整備された個体かどうかの見極めが重要です。 また、売却時には、価値のわかる専門業者に正しく査定してもらいましょう。シリーズ合計でわずか3,000台しか販売されなかった希少性の高い車種だけに、単なるFC3Sと査定されてしまうと損をしてしまう可能性もあります。※経過年数は2023年6月執筆当時
1981年8月1日。12時10分に放送を開始したミュージックビデオ専門局「MTV(music television)」で、開局一番で最初にオンエアされたのが、バグルズの「ラジオ・スターの悲劇(Video Killed the Radio Star)」。 という情報なら、多くの皆さんは(おおむねWikipediaなどで)ご存知のことと思います。 1981年当時のミュージックシーンでは、MTVの開局で、多くの人がこの曲で唄われているように、音楽はビデオでの再生がメインになり、ラジオは廃れてゆくのだろう、と考えていたような気がします。 ▲ダイヤル回してチューニング。ボタンはよく聴く局をプリセットできましたよね 当時ハタチそこそこのワタクシたちは、このムーブメントの真っ最中にありました。 ニューウエイヴとかテクノと呼ばれていた、新しいサウンドに夢中になっていた(ような気がしてた)ワケで。 多分リアルタイムではないけれど、夜中のテレビで「ラジオ・スターの悲劇」のミュージックビデオを観て、直立不動で機械的なアクションをするヴォーカルの不思議な魅力に夢中だったのであります。 そして時は巡り2020年代。 すなわちアレから40年経った今、果たしてラジオスターは居なくなったんだろうか? ▲シンプルで「手探り」でも操作できるインターフェイスは、今考えても秀逸 確かにメディアとしては、ラジオはメインストリームではないにせよ、未だ多くの人はラジオを聴いていますよね。 というか、リスナーの数はデジタル化やポッドキャストなどでの配信、あるいは地域を超えての聴取が可能になるなどの広がりもあり、増えているとはいえないものの、radikoなどのネット系ラジオやコミュニティFM局などのリスナーはまだまだたくさんという感じ。 すなわち、ラジオ・スターは「まだ」死んでない、のではないかと思うのです。 というわけでクルマの話でしたね。 相変わらず前置きが長くて申し訳ない。 このままだと前置きだけで終わっちゃうんじゃないかと思ったりするひともいるかもしれませんが(笑)。 さて、クルマ。車内でのメディアといえば、オールドタイマーの我々からすれば、ソレは当然「ラジオ」であり、クルマを走らせながら「ラジオ」から流れてくる音楽やおしゃべりに「耳を傾けていた」時代が、ありましたよね? あったでしょう? 特に夜中なんかに高速道路流してると、ちょっとスカした洋楽ファンの人なんかは「FEN」なんかにダイヤル合わせたりして。 ▲ダッシュボード一体型の「インダッシュ(笑)」タイプのカーコンポの一例 その頃のカーラジオって、すんげー無骨なボタンが6個ぐらいついてて。 ボタン押すと「ガシャッ」という、いかにも「機械押しましたよ」的な感触とともに、しょぼいスピーカーから流れてくる音楽が心地よかったんじゃないかと思います。 そう、あの頃のカーラジオは、無骨でシンプルでわかりやすかったですよ。 付いてるのは、大きなボタン数個とチューニング用のぐるぐる回すダイヤル。 うすボンヤリした透明なガラスかプラスティックには周波数が書かれてあって、オレンジ色の針が目的のラジオ局を指す。 クルマのラジオってのは免許取り立ての初心者からジイさんバアさんまでが安心して使えたシンプルなインターフェイスで、それは単なるノスタルジイではなく、今でもそうあって欲しいと思ったりする使いやすさがあったハズです。 ▲お金持ってない人は「コンポ」じゃなくて「カーステレオ」止まりだったか そういや、初めて所有した中古のトヨタ カリーナは、ラジオのダイヤルをグって押すと電源がONになり、ボンネットのロッドアンテナが「グワチャッッ」ってでかい音を立てて飛び出したりして。 何と半分くらいが飛び出すだけで、その後は手動で「っつつーっ」と、アンテナ伸ばしてあげないと、綺麗に受信できなかったりしたシロモノだったのです。 そうしてしばらく経つと、こんどは「カセットテープ」という媒体がクルマに侵入してきて、80年代とか90年代は「カーステレオ」とか「カーコンポ」にお金をかける奴が続出しましたね。 クルマの中は最上の音楽空間だとか言ったりしてたメーカーもあり、カーステレオが超豪華な、しかもグラフィックイコライザがチャラチャラ光ったりして、何やら賑やかな「コックピット」でクルマ走らせる、そんな時代だったわけで・・・・。 ▲カセットテープは「縦」に入れるタイプと「横」に入れるタイプがありましたね 正直、デジタル化が進んだ今は、そんな豪華なカーコンポなんて誰も積んでませんわね。 トランクにCDチェンジャーがあって、12枚も連続再生!なんて時代もあったけれど、元々「ラジオ」だった車内スペースは、時代とともに変化していき、今では小さなディスプレイであらゆる情報を(もちろんラジオも)伝えてくれます。 いや、いい時代になったもんです。 と、思いつつも、ワタクシの2馬力の助手席の下にある(そうだ!吊り下げ式だぜ!)、ガチャンと押せるボタンがついたラジオから、その、たったひとつしかない安物のスピーカーから、ときどきチューニングがズレるようなラジオの音が聞こえてくる。 すると、DJやパーソナリティの声もなんとなくノスタルジックな感じがして、そこから80年代の旧い曲なんかかかってきたら、おっさんハンドル握りながら泣いちゃいますよ(笑)。 ▲というわけで、ワタクシの2馬力は「吊り下げ型」。すなわち後付けタイプ あ、アンテナ伸ばさないとよく聞こえないんだよね。 いや、FMだって入りますよFM。当時はFM東京とNHKFMしかなかったし、ときどきNHKFMヨコハマが紛れ込んだり。 AMでいえばニッポン放送のすぐ脇に、ちょっとチューニングずらすとモスクワ放送が入ってきてたなあ、 みたいな昔話も、なかなかできなくなっちゃいましたが。 ▲ラジオのアンテナは手で伸ばす必要アリ。伸ばさないとラジオがちゃんと聞こえないっス とりあえず、ラジオ・スターは「未だ」ビデオに殺されなくて済んだようです。 [画像/Pixabay・ライター/まつばらあつし]
オープン2シーターにスポーティなボディデザイン、現代でも通用しそうなスタイリングが魅力のホンダ S360。ホンダが世の中に初めて発表した4輪乗用車です。S360は残念ながら市販には至らなかったものの、Sシリーズはホンダスポーツモデルの象徴として絶大な人気を誇りつつ進化。意欲的に開発され、毎年のようにモデルチェンジが繰り返されました。 S360から市販モデルS500を経て、S800に至るSシリーズのすべてを紹介します。今なお色褪せないホンダ・スピリットの詰まったSシリーズを一緒に振り返ってみましょう。 世界一を目指したホンダ初の4輪乗用車Sシリーズ 2輪での成功を受けて、ホンダはかねてからの目標だった4輪自動車の開発に乗り出します。しかし、初の4輪開発にもかかわらず命題は「世界一」。期待の高まりから開発を急ぐ技術陣に、本田宗一郎氏は「早く出すよりも、世界一のモノにすることに重点を置かなければなりません」と語り、最初から最高のクルマ作りをすることを目指しました。 世界一を目指して作られた、ホンダ4輪の起源「ホンダ スポーツ360」(以下S360)と続くSシリーズの開発について紹介します。 商用車全盛の時代にスポーツカー開発に着手 S360が発表された1962年当時の日本の自動車事情は、商用車が中心的存在でした。しかし、本田宗一郎氏はレースでの活躍も見越して、スポーツカーの開発から着手します。「乗ることが愉快であって、誇りでなければ自動車の価値はない」と、現在にも通じる理念のもとS360は開発されました。 実際には、専務だった藤澤氏の市場を見据えた進言によって、軽トラックT360も同時開発されたものの、初めての4輪開発でいきなりスポーツカーにチャレンジするあたりに、ホンダ・スピリットを感じます。(市販されたのはT360が先) S360が市販されなかった理由 1962年6月、建設途中の鈴鹿サーキットでS360は華々しくお披露目されます。その後、第9回全日本自動車ショー(現東京モーターショー)でも、T360と同時に展示されました。しかし、T360がホンダ初の4輪車として発売された一方、S360は市販には至りませんでした。 理由は諸説ありますが、開発車両バリエーションを軽自動車だけではなく普通車にも広げたかった説が有力です。最終的には廃案になりましたが、1961年に当時の通商産業省が発表した「特定産業振興臨時措置法案」によって、国内自動車メーカーの統廃合が進められる懸念が生じました。軽自動車のみの生産実績では、今後の開発に制限がかかるおそれがあったためです。 また、本田宗一郎氏はすでに世界を見ていて、世界に通用するボディサイズで作ろうと急遽変更されたといった逸話も残っています。いずれにせよ、本田宗一郎氏が迷いなく作り上げたクルマがこの世に送り出されなかったことは、今となっては残念でなりません。 毎年のようにリリースされた歴代Sシリーズ列伝 Sシリーズは他社にはない、特徴的な機構を採用しています。また、ホンダらしい高回転型エンジンは今でもその輝きを失っていません。ここでは歴代Sシリーズのユニークな装備と魅力的なエンジンを紹介します。 超高回転型の4気筒DOHCエンジンを搭載した幻のS360 S360の排気量はわずか354ccながら、4気筒DOHC機構を採用した本格的なスポーツエンジンを搭載していました。最高出力の33psを9,000回転で発生する超高回転型エンジンで、2輪車開発で培ってきたノウハウが活かされています。 また、S360の残した功績は性能面だけではありません。本田宗一郎氏が乗り込んで颯爽と登場したボディカラーの「赤」も、実は時代を切り開いた結果でした。当時日本では、緊急車両との混同の問題から「赤」の使用が法律で規制されていました。しかし、本田宗一郎氏が世論に訴え、担当者が運輸省と度重なる交渉を重ねた結果、ついに赤色の使用を勝ち取ります。 世界を見据えたS500を市場投入 S360発表のわずか1年後の1963年に、ボディとエンジンを拡大したS500をついに発売します。先に販売されていたT360はあくまでも商用車という位置付けのため、S500がホンダ乗用車の幕開けでした。 エンジンは、S360のコンセプトを忠実に踏襲。531cc直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力44PS/8,000rpm、リッター当たり約83PSを誇りました。量産車としては当時珍しかったDOHC機構、さらには小排気量ながら4気筒を採用した本格スポーツエンジンは自動車業界を驚かせます。 わずか1年後に正統進化のS600を発売 ホンダ初の乗用車S500の発売からわずか1年後の1964年、後継のS600が発売されます。エンジンは606ccへ排気量アップされ、最高出力は57PS/8,500rpmまで引き上げられました。リッターあたりの出力は94psで、ハイパフォーマンスカーの目安のリッターあたり100psに迫る数値を叩き出しています。 最高速度は約145km/hで、倍以上の排気量を持つ他車種と肩を並べるまでに到達しました。S600は本田宗一郎氏が目指したレースの世界でも、高い実績を残します。発売から2ヶ月後に開催された第2回日本グランプリ GT-1クラスでいきなり優勝。さらに同年、ドイツのニュルブルクリンク500km耐久レースに挑み、1,200cc以下クラスで優勝を飾りました。 モナコ公妃も愛したS800 1966年には、さらに791ccまで排気量アップしたS800がデビュー。この頃には、Sシリーズの半数はヨーロッパやアメリカなどの海外へ輸出されていました。著名人でもS800を選ぶ人が出てきて、特に有名なのはモナコのグレース・ケリー公妃です。アメリカの女優出身でモナコの公妃へ華麗なる転身を遂げた彼女は、アイボリーカラーのS800をこよなく愛したとされています。 本田宗一郎氏が当初目指した「世界に通用するクルマ」を、コンセプトモデル発表からわずか4年で成し遂げました。 50年以上が経過するSシリーズ 「世界のホンダ」「ホンダ・スピリット」を体現したSシリーズ。初の乗用車開発でこれだけ魅力的なクルマを生み出したメーカーは、世界的にみてもあまり例がありません。Sシリーズの基本コンセプトは、現代のS2000やS660にも受け継がれています。 ただし、Sシリーズを中古車で取引する際には注意が必要です。最終型のS800の発売からでも50年以上が経過しているため、車両の状態が万全とは限りません。一方で、残存台数の減少から希少価値は高まる傾向にあるため、売却する際は正しく価値を評価してくれる専門業者への相談をおすすめします。
購入時や保有段階で複数の税金が課される自動車。日本は高年式で環境性能が優れている自動車ほど優遇される税制度です。海外でも自動車税は存在し、税金額は各国によって異なります。この記事では、海外で課される自動車の税金額や、輸入車の税金に関する注意点などを紹介します。 日本の自動車に関する税金の種類 日本の自動車に関する税金は、毎年課せられる「自動車税(種別割)」や車検時に支払う「自動車重量税」などです。車の自動車税(種別割)は排気量が上がるほどに税金額が高くなるほか、初度登録から13年経過すると15%、18年を超えるとさらに重課される仕組みです。 車検時に支払う「自動車重量税」は、車両重量に応じて税金額が決まります。自動車税(種別割)と同様に初度登録から13年、18年を超えるとさらに重課され、古い車ほど税金額が高くなります。 一方、環境性能が優れている高年式車には「エコカー減税」や「グリーン化特列」などの減免制度があるため、税金額を抑えることが可能です。なお、購入時には「自動車取得税(環境性能割)」や、燃料を給油するときに発生する「ガソリン税」、修理や部品代には10%の消費税がかかります。 海外における自動車に関する税金額はどれぐらい? 海外では各国によって税制度が異なり、日本より税金額が低い国もあります。続いて、海外で課せられる車の税金を紹介します。 アメリカ・カナダ アメリカとカナダは、日本に比べて車にかかる税金の種類が少なく、「車両登録税」のみを年に一度納税します。「車両登録税」とは、日本で例えるとナンバープレート発行料のような税です。税金額は州や連邦ごとに異なり、以下に応じて決められ、日本円にすると「1,000円〜15,000円」程度です。 ・車両総重量・年式・車両価格 また、ガソリンも日本に比べて価格が低く、少ない維持費で車を所有できるため、大型SUVやピックアップトラックなどの排気量が大きい車の需要が高い国です。 ドイツ ドイツは取得段階では課税しておらず、年に一度「自動車税」を納税する必要があります。税金額は排気量やCO2排出量に応じて決まり、以下が課税されます。(1ユーロ:148円※2023年6月1日時点) ■排気量基準・ガソリン車 100ccあたり2ユーロ ・ディーゼル車 100ccあたり9.5ユーロ ■CO2排出量基準 1g/kmあたり2ユーロ 走行1kmあたりのCO2排出量が100g未満の場合は、免除になる制度もあるため、環境性能が優れている車は税金額を抑えることが可能です。ただしガソリン税は、日本が1Lあたり「0.4ユーロ」である一方、ドイツでは「0.66ユーロ」と、高めに設定されています。 また、以下の条件を満たす車は「旧車優遇制度」が適用され、年間の自動車税が一律191ユーロになります。1.生産されてから30年以上経過している2.オリジナルの状態が保たれている3.走行に支障をきたす欠陥がないと判断された車 出典:外車王『意外?納得?ドイツにおける「Hナンバーの取得をあえて行わない」その理由とは』 ドイツは、古い車ほど重税される日本とは異なり、クラシックカーが優遇されている国です。なお、旧車優遇制度が適用された車は、ドイツ語で「歴史的(ヒストリック)」を表す「Hナンバー」が付与されます。 イギリス イギリスは、年に一度「自動車税」を支払う必要があり、CO2排出量に応じて税金額が決まります。A〜Mまで車両クラスが設定されており、1km走行時のCO2排出量が多いほど、税金額が高くなる仕組みです。 Gクラス以降は「初年度」と「標準(2回目以降)」でも税額が異なります。具体的な車両クラスごとの税金額は以下のとおりです。 ※1ポンド=173円 (2023年6月1日時点) 車輌クラス(CO2排出量) 初年度 標準 A 〜100g/km 0ポンド 0ポンド B 101〜110g/km 0ポンド 20ポンド C 111〜120g/km 0ポンド 30ポンド D 121〜130g/km 0ポンド 90ポンド E 131〜140g/km 110ポンド 110ポンド F 141〜150g/km 125ポンド 125ポンド G 151〜165g/km 155ポンド 155ポンド H 161〜175g/km 250ポンド 180ポンド I 176〜185g/km 300ポンド 200ポンド J 186〜200g/km 425ポンド 235ポンド K 201〜225g/km 550ポンド 245ポンド L 226〜255g/km 750ポンド 425ポンド M 255g/km〜 950ポンド 435ポンド 引用元:総務省公式Webサイト「イギリスのVEDの税率」 また、2001年3月以前に登録された車はCO2排出量ではなく、排気量で税金額が設定され、以下の自動車税を支払う必要があります。 ・1,549cc未満 135ポンド・1,549cc以上 220ポンド なお、1973年1月1日以前に登録された車は自動車税が免除されるため、ドイツと同様にクラシックカーが優遇されている国です。 フランス フランスでは、取得時に27〜46ユーロ程度の「車両登録税」が発生します。(1ユーロ:148円※2023年6月1日時点)税額は馬力や地域によって異なり、パワーがある車ほど税金額が高い仕組みです。 また、取得時にCO2排出量が多い車に対しては重課、少ない車の場合は国から補助金が支給される「Bounus/Malus制度」もあります。「Bounus/Malus制度」は、環境性能が優れた車への買い替えを促進することを目的として、2008年1月に導入されました。 フランスは、日本と同様に環境性能が優れていない車に対して多く課税する国です。なお、車を所有している企業に対しては「自動車税」が課税され、税金額はCO2排出量によって決まります。 海外の車の税金に関する注意点 海外の車を日本で利用する場合は、国産車と同様の税金を納める必要があり、購入時も10%の消費税がかかります。続いて、海外の車の税金に関する注意点を紹介します。 輸入車の税金は国産車と同じ 輸入車も国産車と同様に、日本の税制度が適用されます。年に一度の自動車税や車検時の自動車重量税はもちろん、購入時の取得税も国産車と同様に納税する必要があります。輸入車が生産されている国の税制度が適用されるわけではない点に注意してください。 輸入車に関税はかからない 日本では輸入車に関税はかからないため、10%の消費税のみで購入できます。関税とは輸入品に課される税金のことで、自国の産業を保護するために定められています。 外国から安い商品が多く輸入されてしまうと、国産品が売れなくなることを避けるため、輸入品に関税をかけている国がほとんどです。例えば、他国が国産乗用車を輸入する場合、アメリカは「2.5%」中国では「15%」の関税がかかります。 日本では、車や車関連部品に関税がかからないことを把握しておきましょう。
■幕張メッセで目を奪われた、どこか見覚えがあるクルマ 4月に開催されたオートモビルカウンシル2023の会場で、多くのマニアが釘付けとなっていたマツダ・MX-81。 直線的でありつつも有機的なデザインを纏った古のコンセプトカーは、どこか見覚えがある佇まいをしていました。 ホイールには「design BERTONE」の文字。イタリアの名門カロッツェリア「ベルト一ネ」によってデザインされたことを主張する、楔形をした金色のボディは、私が好きな「ボルボ・ツンドラ(Tundra)」というコンセプトカーによく似たものでした。 しかし、マツダブースにボルボ車が展示されているはずがありません。 ボディ後部に回り込むと、ナンバープレートには「MX-81」と書かれていました。 私はそこではじめて、マツダ・MX-81というコンセプトカーの存在を知ったのです。 スポットライトに照らされた、ソリッドな面質が美しいボディラインに目を奪われて、何度もマツダブースを訪れました。 今日はそんなスタイリッシュなコンセプトカー、MX-81とベルト一ネ・デザインについて、少し考察してみようと思います。 ■大胆なデザインを纏った「10年後のファミリア」 まず、マツダ・MX-81について簡単にご紹介しましょう。 「10年後のファミリアはどうなっているか」をコンセプトとして制作されたのが、「マツダ・MX-81」です。当時のベルト一ネのチーフデザイナーであったマルク・デュシャンによるデザインは非常に先鋭的で、非常に低いベルトラインと広大なグラスエリア、ポップアップ式のヘッドライト、さらにはリアガラスに大きく沿うテールランプを備えた楔形のボディは、多くの人の記憶に残るものでした。 しかし、この大胆なデザインは、市販化に至ることはありませんでした。 内装はさらにエキセントリックで、運転席の目の前にそびえるのは大きなブラウン管のモニター。 幼い頃に実家のリビングルームにあった、大きな箱型のテレビを彷彿とさせるモニターをぐるっと囲むように配置されているのが、キャタピラ状のステアリング。画面を確認する視線を遮らない斬新な形状のステアリングは、MX-81の最大の特徴です。 ひし形の模様が入った布地のシートは回転式で、さらには助手席の前には大きな箱型の収納が備わり、機能的かつ大胆なインテリアが特徴的だったといえるでしょう。 ■ボルボ・ツンドラ、シトロエン・BX・・・。MX-81には「兄弟」がいる 私がマツダ・MX-81をはじめて見たときに脳裏に浮かんだコンセプトカーが、ボルボ・ツンドラ。1979年にベルト一ネによって製作されたコンセプトカーです。 ゴールドの塗色が目を引く楔型のボディラインは、当時のベルト一ネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニによってデザインされたもので、リアサイドの上端が引き下げられたウィンドウが特徴的でした。 インテリアには、当時としては非常に珍しいデジタルパネルを横長に配置したダッシュボードが採用されました。 ガンディーニが提案した未来的なコンセプトカーは、積み木やレンガのように真四角なデザインが特徴的だった当時のボルボにとって、あまりに先鋭的であったといえるでしょう。 結果として、ボルボがタンドラの市販化にゴーサインを出すことはありませんでした。 しかし、この楔形をした金色のコンセプトカーは、後にさまざまな「兄弟」へと派生していくのです。 そのひとつが、今回の話題の中心でもあるマツダ・MX-81。 このコンセプトカーのデザイナーは、先ほどご紹介した通り、マルク・デュシャンという人物です。 デュシャンはマルチェロ・ガンディーニのアシスタントとして、ツンドラの制作過程を目の当たりにしていました。 1979年にガンディーニがベルト一ネから離れてフリーランスへと転ずる際に、その後任としてチーフへと昇格したデュシャン。 まもなくして開発が始まったのが、MX-81でした。 ゴールドの塗色が印象的な楔型のボディだけではなく、ボディを上下に二分する彫りの深いプレスライン、華奢なAピラー、ポップアップ式のヘッドライト、モニターを積極的に採用した未来的なダッシュボードなど、多くの共通項を持つツンドラとMX-81。 シャープで先鋭的なコンセプトカーを制作するうえで、デュシャンが先輩(ガンディーニ)から多くのインスピレーションを得ていたことは疑いようがありません。 そしてツンドラとMX-81は、ともに先鋭的過ぎるが故に、市販化が叶わなかった2台でもありました。 近い時期に同じカロッツェリアで制作されたこともあり、共通したDNAを数多く有している、MX-81とツンドラ。 その一方で、2台を見比べてみると、デザイン意図が大きく異なっている箇所を見つけることもできます。 もっとも大きな差異は、サイドウィンドウの形状。 ベルトラインが低く、非常に広大なグラスエリアを有するMX-81に対して、ツンドラはリア部分のウィンドウの上端が低く、天地が狭められているのです。 この特徴的なツンドラのCピラーは、また別の「異母兄弟」に引き継がれました。 それが、ガンディーニがベルトーネ在籍時代に最後に手掛けた、シトロエン・BX(1982年発売)です。 ボルボがツンドラの量産化に対して「ノー」を突き付けたのち、ガンディーニは“ベルト一ネ的インスピレーション”に満ちたツンドラのデザインを、シトロエン・BXのデザインに積極的に盛り込んだといわれています。 2台を見比べてみると、特徴的なリアサイドのウィンドウデザインだけではなく、丸みを排除した直線的なボディラインや平面的なフロントフード、華奢なAピラーにスクエアなフェンダーアーチ、大きく寝たリアウィンドウに「く」の字に折れ曲がったリアゲートなど、たくさんの共通したデザイン要素が見て取れます。 日の目を見なかったボルボ・タンドラの先鋭的なデザインは、シトロエンのもとで5ドアに引き延ばされ、多少の変更が加えられたのちに、遂に量産にありついたのです。 シトロエンは、革新的でエキセントリックで、常に独自の哲学を貫いてきた自動車メーカーです。 だからこそ、“ベルト一ネ的インスピレーション”に満ちた大胆なデザインを量産車に落とし込み、12年間で230万台以上を販売することができたのでしょう。 さて、ボルボで量産化されることがなかったツンドラですが、後にボルボは「ちょっとだけツンドラっぽい」クルマを販売していました。 それが、1985年に発売されたボルボ・480です。 ボルボで唯一リトラクタブル・ヘッドライトを備えているモデルとして知られています。 480の最終的なスタイリングを担当したのは、ダッチ(オランダ)・ボルボのデザインスタジオに所属していたデザイナー。 そのため、480は「ボルボ内製デザイン」のクルマであり、ベルト一ネ・デザインを纏っているわけではありません。 しかし、480の楔形のボディを特徴づける低いノーズや、フロントバンパー下部に配置されたグリル・エンブレム、そしてリアウィンドウの下に横長に伸びるテールランプなどの随所から、480のデザインが、ツンドラからインスピレーションを受けたものであることが伺えます。 480のデザインの成り立ちについて、正確には、「ベルト一ネがボルボ・スウェーデン本社と練ったデザインをベースに、オランダのデザイナーがスタイリングを完成させた」といわれています。 広義で捉えれば、480は(BXと並んで)“量産化したツンドラの姿”のひとつであり、マツダ・MX-81の遠い親戚のひとりであるともいえるでしょう。 ■マツダ・MX-81をさらにモダンにしたコンセプト⁉ シトロエン・ザブリュ(Zabrus) ここまで、マツダ・MX-81を起点にして、デザインの源流をボルボ・ツンドラまで遡り、MX-81の「兄弟」と“ベルト一ネ的インスピレーション”について綴ってきました。 最後にご紹介するのは、ベルト一ネが1986年に設計した、シトロエン・ザブリュというコンセプトカー。 デザイナーは、MX-81と同じくマルク・デュシャンです。 このクルマ、どことなくMX-81の雰囲気を受け継いでいるように思えます。 全体のボディラインはMX-81よりもはるかに曲線的で未来感に溢れているものですが、細部に着目してみると、MX-81のDNAを随所に感じることができるのです。 楔形のボディを上下に分かつ深いプレスラインや、回転式のフロントシート、大きなモニターディスプレイを採用したダッシュボードなどMX-81に見られる特徴を“踏襲”しているザブリュ。 Cピラーをぐるっと囲むように配置された細長いウィンドウの形状は、MX-81のテールランプの形状とよく似ています。 その佇まいは、まるで「未来版・MX-81」のようだといいたくなります。 シトロエン・ザブリュをデザインする際に、デュシャンがMX-81のことをどれだけ意識したか、それは知る由もないことです。 しかし、未来的で大胆な “ベルト一ネ的インスピレーション”に溢れるクルマたちは、コンセプトカーや量産車を問わず、乗員への思いやりに溢れていることに気が付かされます。 乗降性に配慮した回転型のシートや、大きなモニターを採用した計器類、モニターを見る際に妨げとならないように設計されたステアリング、さらには大きなウィンドウガラスなど、“機能をデザインする”ことに対する挑戦の姿勢が窺えるのです。 だからこそ、マツダがオートモビルカウンシル2023にMX-81を出展したことには、大いなる意義があるのではないかと考えています。 美しく機能的なクルマを作ることへの挑戦の姿勢と、それに対する覚悟が垣間見える気がするのです。 [画像/VOLVO、Citroen、RENAULT・撮影/ライター 林 哲也]
車好きに人気の映画作品・TAXiシリーズ。フランスの道をプジョー406が暴走するシーンに胸が高鳴った人も多いのではないでしょうか。他にもラリーカーやネオクラシックベンツ、国産スポーツカーも活躍します。この記事では映画TAXiシリーズのなかでも、特にカーアクションが多い作品に登場した名車を紹介します。 映画TAXiとは TAXiはフランスの人気映画監督リュック・ベッソンが脚本・製作を務めたアクション・コメディ映画です。スピード狂のタクシー運転手・ダニエルとダメ刑事・エミリアンが手を組み、大迫力のカーアクションを繰り広げながら事件を解決していく様子が描かれています。1998年に1作目が公開され、世界中でヒットしシリーズ化しました。リュック・ベッソンは1〜5作目までの脚本を手掛けており、車好きにはカーアクションのシーンが多く登場する1〜3作目がおすすめです。 映画TAXiで活躍した名車を紹介 ここからは映画に登場し活躍をした名車を紹介します。 プジョー406 まず紹介するのは、主人公ダニエルが1〜3作目で乗るプジョー406です。作中ではスイッチ操作によって車高が下がりエアロパーツが現れて変身します。普段はどこにでもあるTAXiですが、ダニエルが本気を出す時はレーシングカーのような姿に変形します。さらにシリーズが進むにつれてカスタムの幅は広がり、雪山仕様やニトロの搭載、空中での姿勢制御までできるようになるところも見所です。 ベース車輌のプジョー406はフランスのミドルクラスセダン。エンジンは2.2Lの直4で最高出力は158psと普通な印象ですが、映画で暴走するTAXiにはどのような改造を施したのか気になるところですね。 しかし、TAXiをハイパーカーにしてしまうアイデアには驚嘆した方も多いのではないでしょうか。映画公開後、日本国内では一部にしか知られていなかったプジョーの知名度が一気に高まりました。 メルセデス・ベンツ500E(W124) 次に紹介するクルマは1作目の敵役、強盗団が乗っていたメルセデス・ベンツ500E(W124)です。500EはW124の中でも特別中の特別モデルであり、ポルシェが作ったベンツとして知られています。 1991年〜1995年にかけて製造された500Eでは、ポルシェがベンツから供給されたボディパーツを使って開発・製造を行い、最終的な塗装をベンツの工場で行った後、再度ポルシェでエンジン等を取り付けました。両工場間を行ったり来たりして完成されたコスト度外視のコラボ作品がメルセデス・ベンツ 500Eです。5LのV8エンジンを搭載し、ワイドフェンダーなどの専用装備が施され、異彩を放っています。 ポルシェが開発・製造を手掛けた500Eは別格の人気があり、中古市場では状態のよいもので1,000万円以上のプライスタグがついています。スペック上では最大出力326ps、0-100km/h加速は6.1秒と現代の車と比較するとさほど差はありませんが、車づくりに込められた想いから今でも熱狂的なファンに支持される程の人気を誇っています。 三菱 ランサーエボリューションⅥ シリーズ2作目の敵として登場した暴力団のクルマが、ランサーエボリューション(通称ランエボ)Ⅵです。作中で使用された車輌についていたナンバープレートが千葉ナンバーだったため話題になりました。フランスのオシャレな街中を千葉ナンバーのランエボが駆け抜けるシーンには多くの日本人が歓喜したでしょう。 ランエボシリーズも500E同様に熱狂的なファンが多く存在する車輌の一つであり、人気の理由はなんといってもWRCでの活躍です。5ナンバーサイズの4ドアセダンがベースのハイパフォーマンスカーで、日常での使い勝手の良さもありながら、ラリーでも輝かしい成績を残しています。ラリードライバーの名前を冠した特別仕様車トミーマキネンエディションは、2021年にイギリスで開催されたオークションに出品された際、日本円換算1,500万円以上で落札されました。 プジョー306MAXI 2作目の序盤に登場したのは、プジョーのラリーカー306MAXI。ダニエルの運転するプジョー406がラリーカー306MAXIを煽って追い抜くシーンが印象的です。ダニエルのTAXiが異次元の速度を出すため目立ちませんが、プジョー306MAXIも1998年のモンテカルロラリーを制する程、実は凄まじく速いクルマです。中古市場にレプリカが稀に出回っており、300万円以上の値がつきます。 三菱 ランサーエボリューションVI シリーズ3作目に登場するパトカーにはランサーエボリューション(通称ランエボ)VIが使用されました。高速道路を爆走するダニエルのプジョー406を追尾して一度は追いつくものの、最終的にニトロスイッチを使われて引き離されてしまいました。2作目までのプジョー406なら勝てていたかもしれないといわれるクルマがランエボVIです。 このモデルからランエボ初のATが設定されました。MTモデルより車重が160kg増加(RSグレードとの比較)し最大出力が若干下がり272psと変化しましたが、本格的なラリーカーを手軽に操作できると人気を集めました。 ランエボVIはデビューから20年以上経過しましたが、中古市場では今でも高値で取り引きされています。10万km以上走行した車輌であっても200万円以上の値段がつくものが多く存在しています。
筆者(ライターのtomato)は、現在、ニュージーランドのオークランドに在住している。 気づけば、かれこれ7年目。 日本からの長期滞在者/永住者のなかでも中堅グループに入りつつある。 さて「ニュージーランド」という国名から、皆さんが連想するモノは一体何だろうか? ぜひ、数十秒ほど考えていただけないだろうか。 一般的には、「羊がいっぱい」、「ハチミツのマヌカハニー」、「チーズなどの乳製品」、「ワイン」、「キーウィフルーツ」、「ラグビーのオールブラックス」、「先住民のマオリ族」、「壮大な映画のロケ地」といったところだろうか。 正直なところ、ワーキングホリデーや留学などで渡航した経験がない限り、そもそもの地理的位置を含め、あまり認知されていないのが現実ではないだろうか。 ▲オークランド(出典: Pexels) ▲マウントクック(出典: Adobe Stock) ■島国「ニュージーランド」とはどのような国? ニュージーランドという島国について、簡単に概要をまとめてみた。 日本から南南東、およそ9,300㎞離れた南半球にニュージーランドは位置している。 おもに北島と南島の2つから縦長に構成され、日本との時差は+3時間(夏時間は+4時間)となっている。国土面積はおよそ27万平方キロメートルで、日本の7割ほどだ。 人口は、2022年時点で510万人強で、移民により右肩上がりで成長しているが、それでも日本人口と比較してわずか4%ほどと少ない。 最大都市は北島のオークランドで、実に人口の1/3が暮らしている。 自然豊かな国土をテコとした酪農、木材、果実などが主要産業だ。 自動車関連の真面目な話としては、季節が真逆であることを利用し、世界に名だたる自動車およびタイヤメーカーが、北半球の冬を待たずに冬季テストを行う民間試験場が南島クイーンズタウン近郊の山頂にある。 各社の要望に合わせ、「圧雪路」や「氷盤路」などを用意してくれるのだ。 開発期間を短縮できるのだから、とても重要な施設なのはいうまでもない。 なお、冗談みたいな本当の話で、稀に「オーストラリアのすぐ脇にある島国」という誤解があるが、それはオーストラリアのタスマニア島だ。 同国の東海岸とニュージーランドとの時差は2時間であり、それはタイと日本の時差と同じといえば、その距離感をご理解いただけるだろう。 少し乱暴ではあるが、「日本の本州サイズの国土に、福岡県民だけが在住し、その1/3にあたる福岡市民だけが東京都で暮らし、どの主要国からも遠い島国」というアナロジーが成立するように思う。 ■ニュージーランドのクルマ事情について そんななかで、どんな「自動車事情」を想起されるのだろうか。自動車メーカーが存在する日本やアメリカやドイツなどとは異なり、情報が極端に少ないというのが実情だ。特徴を幾つかお伝えしたい。 日本からの直行便が就航するオークランド国際空港に到着し、道路をものの5分も走ればすぐに、多くの日本人は、「何か懐かしい」とても不思議な感覚を抱くだろう。 1. 右ハンドル/左側通行 大きな要因は、第一にそもそもコモンウェルス(イギリス連邦)加盟国であるため、日本と同じく、世界では少数派といえる右ハンドル/左側通行であるためだろう。 実際、日本の運転免許証の書き換えは優遇されている。 ▲高速道路(State Highway 1) 唯一、多くの日本人が戸惑うのは、日本国内にはほとんどない円形の環状交差点「ランダバウト」が当たり前のようにあることぐらいだろう。 さまざまな意見があるだろうが、これは欧州に住んでいた頃に初めて経験したが、個人的には非常にシンプルで頭の良いシステムだと思っている。 一番のメリットは高い安全性だろう。通行車輌はどれも同じ進行方向へ走ろうとするため、理論的に(相対速度が大きくなる危険な)正面衝突が発生しえない。 信号機がないから停電にも強い。 ただ、クルマを旋回させるスペースを必要とするのと、一定の交通量を超えると、信号機の交差点に効率面で負けるのがデメリットのようだ。 ▲ランダバウト/Roundabout 2. 旧車天国(別名「日本車の墓場」とも) もうひとつ要因は、懐かしめの日本車が普通に元気に走っているためだろう。 日本とは異なり、地場メーカーや現地生産拠点が存在しないため、すべてが海を渡ってくる高価な輸入車となる。 ところが日本のような立派な鉄道網はないため、主に日本国内で5~10年ほど使用され、十分に安価になった中古車(JDM = Japanese Domestic Marketと呼称される)を大量に輸入することで、貧弱な公共交通を埋め合わせ、「国民の足」とするという構図になっている。 ▲スーパーマーケット駐車場-1(スズキ「イグニス」、フォード「レンジャー」、日産「デュアリス」、マツダ「MX-5/ロードスター」、トヨタ「プリウス」ほか) ▲スーパーマーケット駐車場-2 (マツダ「626/カペラ」、トヨタ「ラクティス」ほか) その裏付けとして、下表にある通り、日本の中古車の輸出先として、ニュージーランドはお得意様になっている。 ロシア/UAEは第三国への経由地も兼ねているのに対して、島国であるニュージーランドは終着駅だ。 したがって、10年落ち/走行距離10万キロ越えのクルマは至って普通で、誰も驚きはしない。 ある意味、日本では買い替えの目安にもなっているのだから、まさに「所変われば品変わる」だ。 なお、2022年にニュージーランドに陸揚げされた輸入新車と輸入中古車の台数比率は、車輌登録実績で、およそ60:40となっている。 その結果、ピックアップトラックや電気自動車を含めた最新の自動車と並び、多くの旧車が元気に走る独特な風景が広がっている。 さらには、イギリスの「バックヤードビルダー」文化も継承されていて、週末になるとレストアされたクラシックカーがどこからともなく湧いて出てくるのも興味深い。 ▲スーパーマーケット駐車場-3 (ホンダ「クロスロード」、トヨタ「セリカコンバーチブル」、ホンダ「シビックタイプR」ほか) ▲ぺトロールステーション (フォード「モデルAクーペ(1930年式)」) 3. ニュージーランドにおいて、クルマは「1人1台」 近年、日本では、「(特に若者の)クルマ離れ」がいわれているが、ここニュージーランドでは、起きていないように思う。それを証明する世界ランキングを2つご紹介しよう。 1つ目はクルマの保有率だ。ニュージーランドは、2022年における1,000人あたりのクルマ保有率で堂々の世界第5位に入る。 スマホ同様、ほぼ1人1台の国と解釈できる。 ちなみに、自動車検査登録情報協会「自動車保有台数(2021年)」によれば、日本は500台に満たない。 だが、裏を返せば、公共交通が貧弱なニュージーランドは、「クルマがないと不便」ということになる。 2つ目は、Confused.comというサイトが最近行った調査で、「世界でもっともクルマに頼る国」ランキングで、少し不名誉ではあるが、世界一に輝いている。 とはいえ、結果的には、ありがたいことに維持費(税金/車検)も安く抑えられている。 また、車庫証明も必要なく、複数台持つのもまったく苦にならないので、個人的には素晴らしい国だと感じている。 ■ニュージーランドで懐かしい日本車と感動の再会 以上のことから、ニュージーランドは「クルマ好きが大好きになる国」だと筆者は自負している。 これを機に「ドライブ旅行してみたいな」と思っていただけたのなら、嬉しい限りだ。 日本ではあまり見かけない旧車に会えるのはもちろん、日本から大量の中古車を輸入しているのだから、皆さん自身や両親や友人が所有していたクルマたちは、かなりの高い確率でニュージーランドに来ているはずだ。 「愛車に再会できるかもしれない」。 そんな楽しみを持って、ニュージーランドに渡航されるのはいかがだろうか。 [画像/Pexels、Adobe Stock・ライター・撮影/tomato]
アメリカでは現在日本の旧車が大人気です。80スープラやスカイラインGT-Rなど、映画「ワイルド・スピード」をきっかけにブームに火がついたモデルも存在します。ところで洋画では他にどんな日本車が活躍したかご存じでしょうか。この記事では、洋画によって人気に火がついた日本車5台をピックアップして紹介します。 トヨタ ハイラックス4x4 SR5 Xtra Cab(バック・トゥー・ザ・フューチャー) バック・トゥー・ザ・フューチャーといえばデロリアン(DMC-12)という印象ですが、ハイラックス4x4 SR5 Xtra Cabも忘れてはいけない存在です。1983年11月に登場した4代目のハイラックスは主人公マーティが憧れていたクルマとして登場します。 漆黒のカクカクしたピックアップトラックは今見ても惚れ惚れする美しさです。もし手に入れることができたらリフトアップしてKCフォグランプを装着し、映画に登場した個体の見た目に近づけたいですね。 スバル インプレッサWRX(ベイビー・ドライバー) 次は2017年公開の映画「ベイビー・ドライバー」で大活躍したスバル インプレッサ WRXです。劇中では2006年式のモデルが使用されています。 主人公の「ベイビー」は逃がし屋として犯罪組織に雇われ、華麗なドライビングテクニックで強盗を警察から逃がします。冒頭のシーンで活躍するクルマが真っ赤なインプレッサWRXです。アトランタの街を音楽に合わせて踊るように暴走しながらカーチェイスを繰り広げるシーンには目を奪われます。 2006年式のインプレッサWRXは程度が良い個体が多く存在し、価格的にも手が出しやすいです。赤い個体を手に入れてジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのBellbottomsを聴きながらドライブしたくなります。 マツダ FD3S RX-7 VeilSide Fortune Model(ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT) 日本車が大活躍する映画といえばワイルド・スピードシリーズを挙げる方も多いのではないでしょうか。その中でも一際目立つモデルがFD3S RX-7 VeilSide Fortune Modelです。 マツダのRX−7(FD3S)を日本のカスタムメーカー「VeilSide(ヴェイルサイド)」が仕上げたコンプリートカーで、映画の登場をきっかけに世界的に人気を博しました。まるでスーパーカーのような見た目で、車好きでもベース車輌がFDだとすぐに気づく人は少ないかもしれません。 ヴェイルサイドは東京オートサロンにも出展しており、ブースにはなかなか車輌に近づけないほどの人だかりができます。 トヨタ 2000GT(007は二度死ぬ) 007シリーズのボンドカーとして日本車が採用されたことがあります。それは、トヨタが世界に誇る名車「2000GT」です。 2000GTはトヨタとヤマハが共同で開発したスポーツカーです。1967年にデビューし、当時は2Lエンジンとして世界でもトップクラスの最高速度220km/hを叩き出しました。スポーツカーでありながら内装には豪華なウッドがふんだんに使用され、その加工にはヤマハのピアノ製造技術を活かしています。 新車価格は大卒初任給が26,000円程度であった時代で、なんと238万円でした。現在の価値に換算すると2,000万円程度です。なお、現在の中古車市場では1億円以上の超プレミア価格で取り引きされています。 ホンダ NSX(パルプ・フィクション) キル・ビルシリーズで有名なクエンティン・タランティーノ監督の出世作といえば「パルプ・フィクション」が挙げられます。この作品の登場人物「掃除屋のウルフ」の愛車がホンダの初代NSXです。 初代NSXは量産車として世界初のオールアルミ・モノコックボディが採用され、軽量化が図られたホンダのスーパーカーです。デビューはバブル期真っ只中の1990年で、当時国産車最高額だったNSXは3年先まで予約の入る人気っぷりでした。開発にはF1ドライバーの故アイルトン・セナのフィードバックも反映され、その完成度にはフェラーリも驚いたほどです。 中古市場では現在もほとんどの個体で1,000万円以上の値が付けられています。 旧車専門の業者なら名車の買取実績あり 今回紹介した日本車はどれも世界に誇る日本の宝です。あまりにも貴重でなかなか見る機会のないクルマもあります。取り扱いの難しい名車・希少車は一般買取店では査定をお断りされるケースがあります。しかし旧車専門の業者であればクルマを熟知したスタッフがクルマの価値を適正に評価して納得の価格を提示します。