旧車の魅力

御年70歳でもまだまだ現役。小さなクラシックカーショーで見つけた1953年製の赤いMG
旧車の魅力 2023.10.24

御年70歳でもまだまだ現役。小さなクラシックカーショーで見つけた1953年製の赤いMG

イギリスでは、日照時間が長い夏時間(サマーマイム)というものがあります。 そしてこの時期にはいろいろな場所でクラッシクカーショーが毎週のように行われています。 そのなかのある田舎町の小さなクラッシックカーショーに行ってみました。 その日は晴天で、カーショーにはもってこいの日でした。 イギリス南西にあるウィギントンという小さな村ですが、カーショーの他に日本でいう遊園地の乗り物があったり、出店がでていたりと、ちょっとしたお祭りのような雰囲気でした。 様々な魅力的なクラッシクカーが芝生の上に並んでいましたが、そこで真っ先に目の飛び込んできたのが赤いMGでした。 何とも言えないボディーシェイプで可愛らしさがあり、一瞬で魅了させられました。 それは、1953年製のMG YB。 MG Y-タイプのYAが初めて世に出たのは1947年で、YBは初期のYAをさらに強化したもので、1951年から1953年の2年間で1300台ほど製造されました。 ■元は黒で錆がかかっていたMG YB オーナーであるジョンさんに話を聞いたところ、彼はこのMGを約20年前に格安で購入し、年月をかけてここまで素敵なクルマに変えていきました。 ジョンさんに古い写真を見せていただきましたが、画像を見てもお分かりのように庭におきっぱなしにされていて、元の黒いボディはさびて廃車に近い状態でした。 この廃車状態から赤いMGに生まれ変わるまでの時間と費用は相当だったそうです。 まず彼はクルマを解体しすべて、ひとつひとつのパーツにしたそうです。 そして、自ら持ち得たクルマの知識を活かし、少しづつ元通りに組み立てていきました。 そのなかで使えるパーツはそのまま使用したそうですが、中には入手困難なパーツもあり、その時はMG協会から譲ってもらったりしたそうです。 どうしても手に入らないときは、特別にオーダーしてオリジナルのもの作ってもらったとのこと。 黒に塗られていたボディは、一度すべて塗料を削ってはがしてから、新たに赤に塗っていきました。 これらの一つ一つに、当然相当な時間とお金を要しましたのはいうまでもありません。 実際の値段は聞きませんでしたが、「普通に家が買えるぐらい」と苦笑いしながら話していました。 ハンドルや内装はオリジナルのものをできるだけ使用しており、英国感を醸し出しています。 私もクルマに乗車させていただきましたが、一瞬ちょっと田舎のおばあちゃんちの家の匂いを思い出しました。 車内はわりと狭く、サルーンなのでバックシートもありますが、本当に4人も乗れるの?という感じでした。 でも、木製の大きなハンドルはとっても素敵で握りやすかったです。 ■1953年製の希少なMG YB 冒頭でも少し触れましたが、ここで改めてMG YBがどのようなクルマかを簡単に説明しましょう。 MG社のサルーンとして発売されたYタイプには、YA、YT(コンバーチブル)、YBと3つのモデルがありますが、1947年から1953年までの総生産は約8000台。 YBのみの場合、1951年から1953年までに製造されたのはトータルで1300台ほどでした。 エンジンスペックは1250cc(4シリンダー)、トップスピードは70mph(約112kmph)、加速スピードは60mphまで30秒。 約1300台作られたうち、現在もオーナーがいるYBは世界で141台のみ。 聞くところによれば、イギリス92台、アメリカ22台、オーストラリア3台、ヨーロッパ18台、カナダ3台、ニュージーランド1台、そして日本を含めたアジアにはたったの1台のみだそうです。 約1300台もあったクルマが、70年間の間に廃車となって消えていき、世界で141台のみが今だに生き残っていると思うと、なんて希少なんだと思わされますね。 当時のMG YBの車体値段は£635、税金が£354で計£989でした。 イギリスは税金が高い国ですが、当時の税金は60%で車体の値段の半分以上。 これには驚きです。 70年前の£989がどのくらいの価値があったかというと、今でいう£34,000(日本円で約620万円)。 この時代の平均収入は年間£100だったので、かなりの高価であることがわかります。 クルマを持つこと自体が贅沢だった時代ですから、税率が高いのも仕方なかったのかもしれません。 ■クラッシクカーを持つ本当の意味とは このクラシックカーショーでMGとジョンさんに出会い、素敵なお話も聞かせてもらいました。 なぜ家が買えるほどのお金と20年という年月をかけてまで、このMGを保持し大切にしているのでしょうか? ジョンさんがいうには、子供の頃に見ていた古いクルマの印象とその光景が彼にとっては当たり前で、時代が変わってもその光景が変わることなく、ずっと頭のなかにあったのだそう。 近代のクルマも素敵ではあるけれど、彼の子供心が続く限り、このクルマをかわいがるつもりだと話してくれました。 そんな彼を見て、いつまでも子供心を大事にしてほしいと思いました。 ちなみに彼はこのMGを週末だけ、しかも天気が晴れているときのみ運転するそうです。 田舎町でピクニックをしたり、もちろんロンドンにも行かれるそうです。 以前の記事でも述べましたが、このYBには車輌税やULEZなど一切の税金がかからないので、どこへでも行けますね。 ●クラッシックカーと超低排気量ゾーン(ULEZ)の税金 ~ロンドン事情~https://www.qsha-oh.com/historia/article/ulez-london-classic-cars/ それ以外はガレージに保管していて、時々磨いているそうです。 今回偶然出逢ったMG YBですが、どのクラッシクカーにも歴史とそのオーナーの思入れがあるようなので、それを探求するため今後も素敵なクラッシクカーを紹介していきたいと思います。 Thank you, John. *文中の車輌解説は、ジョン氏からお借りしたMG社のものと思われる資料より引用しました。 [ライター・画像 / SANAE]

次期愛車はキザシ?カーセンサーwebで一喜一憂する妄想の秋
旧車の魅力 2023.10.21

次期愛車はキザシ?カーセンサーwebで一喜一憂する妄想の秋

私ごとで恐縮だが、我が家は夫婦で別々のミニバンを所有している。筆者がフォルクスワーゲン ゴルフ トゥーラン、妻は先代の日産セレナだ。 郊外に住んでいるので、最低でも一家に1台はクルマがないと正直厳しい。事実、近隣の職場までクルマ通勤をしている人も多いエリアだ。我が家の周辺ではミニバンと軽自動車という組み合わせが定番なのだが、他のエリアはどうなのだろうか。 筆者の肌感覚では、トヨタ アルファードとホンダ N-BOXあたりが王道の組み合わせといえる。大事に乗ればリセールバリューも期待できるだろうし、両車ともに両側電動スライドドア。実用性とコスパ重視でファミリーカーを選んだとして、現時点では最強の組み合わせかもしれない。 ■なぜ我が家はミニバン2台体勢に「なってしまった」のか? そもそも、なぜ我が家はミニバン2台体勢に「なってしまった」のか?そして、なぜミニバン2台体勢という矛盾(?)が生じたのか。 もともと、我が家もミニバンと軽自動車という組み合わせだった。最大の要因はゴルフ トゥーランが電動スライドドアでなかった点が大きい。子どもを乗り降りさせるとき、一般的なヒンジドアでは不都合が生じる場面が増えてきたのだ。 子どもが生まれたのを機にゴルフ トゥーランを選んだのだが、郊外のスーパーやショッピングモールの駐車場のなかには1台分の駐車スペースが狭いところも少なくない。 で、これが予想以上に大変だった。となりのクルマにドアパンチしないかヒヤヒヤしながら子どもをチャイルドシートに乗せる。雨の日、屋根がない駐車場だと、これだけで親はずぶ濡れになる。それはつまり、夫婦喧嘩の要因が増えることを意味する。 子育て世代でSUVに乗っているご家庭は、このあたりの大変さを承知のうえで所有しているとしか思えない。たしかに子育て世代であっても(だからこそ、なのかも)ミニバンだと生活感があってイヤだという話をしばしば耳にする。この気持ちも分からなくはない。 話を戻すと、それまで妻はホンダN-ONE(初代)を所有していた。冒頭に記した「定番のミニバンと軽自動車の組み合わせ」だ。しかし、ある日突然「ワタシ、ミニバンを買う」といい出した。それが今から2年前。2021年の秋だった。 コロナ禍と半導体不足で新車の供給が遅れはじめていた時期だったが、そもそも新車はいらない(そして、そもそも高い)。それに、どうせ子どもたちが汚すに決まっているから、新古車か中古車にしよう、ということで話がまとまった。 とはいえ、なかなかいい売り物が見つからない。すったもんだの挙げ句、近隣の日産中古車センターで売られていた試乗車落ちのセレナをカーセンサーで見つけ、夫婦で実車確認に行った。すると妻はその場で即決してしまった。 「ええっ!? ひと晩考えないの?」と思ったが、クルマを買うのもお金を払うのも(ついでに名義も)妻だ。余計なことをいうと機嫌を損ねそうなので黙っていた。この決断力を見習いたいと心底思う。 こうして我が家はミニバン2台体勢となった、というか、なってしまった。以来、家族の移動時にゴルフ トゥーランの出番はほぼなくなり、妻のセレナが大活躍している。 この業界で仕事をしていると「ミニバン2台もいらないんだし、買い替えればいいじゃない?」といわれることも少なくない。ま、たしかにミニバン2台は無駄だ。 しかし、妻からは「トゥーランは壊れるまで乗りなさい」と厳命されているため、買い替えるという選択肢はありえない。それに、つい先日車検に通したばかりだ。ここで乗り換えたら、少なくとも向こう3ヶ月は口をきいてくれないだろう。 これといって故障もないし、不満もなければローンの残債もない。わざわざ買い替える理由が見つからないこともまた事実だ。 ただ……趣味車は一生モノだけど、普段用のクルマとなるとなかなかそうはいかない。いつかは買い替えの時期が訪れる(はずだ)。 ■いつかは訪れるであろう「Xデー」のために妄想する日々? いつかは訪れるであろうXデー(トゥーランとの別れ)は、考えるだけでも辛い。そんな後ろ髪を引かれつつ、原稿が煮詰まったときなど、普段用の愛車の次期候補をカーセンサーで探してみたりする習慣が身についてしまった。 現時点で気になっている5台のクルマをピックアップしてみた。なお、新車はありえない(すぐに過走行になってしまう)ので、中古車一択だ。 1.トヨタIQ デビュー以来、ずっと気になっているトヨタIQ。浅田真央ちゃんも赤いIQに乗ってたっけ。 今年の春に取材させていただいたときにじっくり拝見してさらに好きになってしまった(浅田真央ちゃんじゃなくてIQの方。念のため)。走行距離が5万キロ前後であれば車輌本体価格は50万円台もゴロゴロある。 ほぼ2シーターみたいなものだけれど、撮影機材と三脚が載せられるのであれば問題なし!それに、このデザインでこの価格は正直いってかなり魅力的だ。 6MTもあるけれど、妻はオートマ免許なのでAT一択。カーセンサーを観ていたらますます欲しくなってしまった。どうしよう。 2.スズキ キザシ 密かに気になっているスズキ キザシも検索してみた。当局が覆面パトカーとして運用していることでもお馴染み(?)のモデルだ。 どちらかというとマイナー車だし、きっと安く買えるだろう……と思ってタカをくくっていたら5万キロオーバーでも100万円近い。さらには100万円オーバーの個体も少なくない。これなら他にも選択肢がありそうだなぁ。高速道路を淡々と走るだけでも「覆面パトカーオーラ」を発することができていいかなと思ったのだが・・・。 3.スズキ ジムニー(シエラを含む) 次に、これは旧車王ヒストリアの枠からは外れてしまうけれど、現行ジムニー(シエラを含めた)の中古車だ。 某案件で一緒に仕事をしているカメラマンさんが現行ジムニー(軽の方)に乗っていて、撮影時に何度か運転させてもらっているうちに気に入ってしまった。以来、仕事机には常時「新型ジムニーのすべて」が置いてあるありさま。 しかし、新車をオーダーするといまだに納車まで1年待ちらしい。不意にXデーが訪れ、いざ次のクルマが必要になったらそんなに待っていられない。カーセンサーで調べてみると、安いモデルだとすでに10万キロオーバーの個体もあったりする。それでも車輌本体価格が135万円なのだからすごい。つまり、中古車としては全体的に「割高」なのだ。 4.メルセデス・ベンツ Eクラスワゴン(S212型) いかにもなチョイスだけれど、10数年前に日帰りで東京〜名古屋〜京都を往復してもまったく疲れなかったことに感激して以来、いまだに忘れられないのがS212型のメルセデス・ベンツEクラスワゴンだ。 かつて、メルセデス・ベンツのステーションワゴンの中古車といえば高値安定の代名詞だったけれど、近年は驚くほど寝落ちが早い。購入後の維持費はさておき、車輌本体価格100万円台がゴロゴロあり、ジムニーの中古車よりもハッキリいって割安感があるのは魅力的だ。 買えば何とかなるのかなあ、とか、メルセデスだとご近所さんに驚かれるかなあとか(まさか100万円台で買ったとは信じてもらえないだろう)、いろいろと妄想は尽きない。 5.マツダ ロードスター(ND型) かつてNAロードスターを所有したきっかけを作ってくれた恩師のイチオシがマツダ ロードスター(ND型)の中古車だ。恩師曰く「セレナがあるんだし、この際、2シーターオープンでもいいんじゃないの?」と、痛いところを突いてくる。 幕張で行われたデビューイベントも観に行っているし(仕事ではなくプライベートで!)、このデザインは本当に好み。先日のマイナーチェンジでも、外観の変更はほとんどなかった点からも「メーカーとしても完成されたデザイン」なんだと思う。 検索してみると、走行距離や年式にこだわらなければ100万円台の中古車もゴロゴロある。取材先にロードスターで乗りつけても困る場面はない。タマ数が豊富なうちに乗っておきたいのは偽らざる本心だ。 ■まとめ:ああでもないこうでもないとこねくり回しているときが一番楽しい? こんな風に、ああでもないこうでもないとこねくり回しているときが一番楽しいのかもしれない。ただ「今は買わないけど、タイミングがあえば絶対に契約しているよなあ」と、密かに思いを寄せていた個体が売れてしまうと正直かなり悔しい。 告白するほどの勇気はまだないけれど、何かの機会があればもっと仲良くなりたいと思っていた女の子に彼氏ができたことを知ったときのあのやりきれなさ。自分には手が届かない存在だと確定してしまったときに味わうあの悔しさ。このときの感情に少し近いかもしれない。 ふとそんなことを思いながら、妄想の秋の夜はふけていく。一向に進まない原稿書きという現実とともに。 [画像/TOYOTA,Nissan,Mercedes-Benz,Mazda,SUZUKI ライター・撮影/松村透]

ランクル70のトゥループキャリアは隠れた人気車種?! 海外限定モデルの全貌に迫る
旧車の魅力 2023.10.20

ランクル70のトゥループキャリアは隠れた人気車種?! 海外限定モデルの全貌に迫る

高級SUV路線のモデルも発売されるなかで、硬派な出で立ちのヘビーデューティー仕様を貫くトヨタ 70系ランドクルーザー。通称「ランクル70」とも呼ばれるこのモデルは、販売終了後に再販されるなど、現在でも高い人気を誇っています。 数あるランクル70のモデルのなかでも、マニアを中心に注目を集めているのがオーストラリアや中東を中心に販売されている「トゥループキャリア」です。「トゥルーピー」という通称で呼ばれるほどファンが多く、日本国内では販売されていないものの、並行輸入で入手する人もいるほどの人気を誇ります。今回は、隠れた人気モデルであるランドクルーザー トゥループキャリアの魅力に迫ります。 国内販売終了後も世界で作り続けられたランクル70 ランドクルーザー70は、日本国内での販売が終了した後も、中東やオーストラリアといった需要の高い一部の地域で生産され続けています。しかも、ただ同モデルを生産するだけでなく、精力的な年次改良やバリエーションの追加までされるほどの人気車種です。 まずは現在のランドクルーザー70の事情について紹介します。 今もなお人気の70系ランドクルーザー 70系ランドクルーザーは、ロングライフだった40系の後を受ける形で1984年にリリースされました。ヘビーデューティー系と呼ばれる、ランドクルーザー本来のオフロードユースを想定したモデルで、高い走破性と耐久性から人気を集めます。2004年に日本国内での販売が終了するまで、わずかなマイナーチェンジのみで20年間も販売されました。 一方で、国内販売が終了した後も、オーストラリア向けを中心に70系ランドクルーザーは生産され続けます。日本国内でも2014年に限定で再販されましたが、2023年に再度の再販が決定したことも報じられました。 オーストラリアで販売されているトゥループキャリア ランドクルーザーは、用途に応じてさまざまなボディタイプが用意されています。「トゥループキャリア」は、「一団、軍隊」などを意味する英語の「troop」に由来し、人員を輸送することに特化したモデルです。 ロングタイプボディのリアシートは、前後ではなくボディ左右に対面式のシートが設置され、より多くの人員を輸送できるようになっています。 並行輸入という形で国内入手も可能 ランドクルーザー70は、日本国内では販売されていません。(新型車の国内再販は2023年に発表済)しかし、現在も販売の続くオーストラリアのモデルを、並行輸入品として取り扱う専門店もあります。 また、並行輸入モデルは、国内販売されていないエンジンが搭載されている点も大きな魅力です。現行型のトゥループキャリアは、最高出力205ps、最大トルク430Nmを発揮する4.5L V型8気筒のディーゼルターボエンジンを搭載。大柄なボディに見合ったビッグサイズエンジンは、国内販売車にはない迫力を感じさせてくれます。 ただし、公道で乗るためには、排気システムや架装を国内登録可能な仕様に変更する必要があるため注意しましょう。多くの場合は、取扱い業者で対応してくれます。 国内版では見られない個性的なランクル オーストラリアで販売されているトゥループキャリアは、国内のランドクルーザー70にはない個性的なモデルです。法令的な問題はあるものの、広大な自然のあるオーストラリアだからこそ生まれたモデルといえるでしょう。 今すぐにでもアウトドアに出かけたくなるランドクルーザー70 トゥループキャリアの魅力に迫ります。 横向き対面式に配置されたリアシート トゥループキャリア最大の魅力は、後席の対面式シートです。通常は前後に配置される座席が、通勤電車のようにボディサイドに沿って左右に配置され、多くの人々が乗車できます。約5.2mというロングボディということもあり、リア部分は広々としていて使い勝手も抜群です。 日本国内では新規の登録ができない影響から、新しく購入した場合は前席の3名乗車ですが、広大な荷室はアウトドアや車中泊といった場面で大活躍します。 質実剛健を地で行く力強いデザイン もともとヘビーデューティ仕様として開発されたランドクルーザー70は、車高、全高ともに高く、全体に直線基調の機能性を重視したデザインが採用されています。さらにトゥループキャリアは、車輌側面に後席のドアがありません。開口部が最小限のデザインは、ランドクルーザーの力強さをより強調しています。 後席の乗員は後部に設置された観音開きのドアから乗降するという、まさに兵員輸送車のようなデザイン。デザイン性はもちろん、実使用時の堅牢性という面でもランドクルーザー70のコンセプトを体現しています。 国内正規販売されていない希少車 トヨタ 70型ランドクルーザー トゥループキャリアは、国内で正規販売されていないだけに流通量の少ない希少車です。また、根強いファンからの人気が高く、状態次第では通常のランクル70の2倍近い価格がつくこともあります。 一方で、流通量の少ない車種は、どの中古車業者でも買取ってもらえるわけではありません。特にトゥループキャリアのように特殊な車輌の場合、取り扱いに慣れている業者でなければ正確に査定することさえ難しいでしょう。旧車や希少車の売却を検討する際は、取扱い経験が豊富な専門業者への相談がおすすめです。 例えば、多くの旧車や希少車を取り扱う旧車王では、今回紹介したトゥループキャリアを最近買取しました。高い専門性を持っているからこそ、大切に乗ってきた愛車に正しい査定額の提示が可能です。

世界初の2ローター市販車マツダ コスモスポーツは社運をかけて開発!? 誕生秘話と魅力を全力紹介
旧車の魅力 2023.10.18

世界初の2ローター市販車マツダ コスモスポーツは社運をかけて開発!? 誕生秘話と魅力を全力紹介

世界初の2ローターが搭載された市販車マツダ コスモスポーツ。流麗なボディデザインも含め、現在でも高い人気を誇るモデルです。しかし、量産車へのロータリーエンジンの搭載は、決して簡単ではありませんでした。 ロータリースポーツのルーツ、さらには日本の自動車開発力を世界に示したコスモスポーツの開発秘話と魅力をたっぷりと紹介します。 世界初の量産ロータリーエンジン搭載車コスモスポーツ コスモスポーツは、ロータリーエンジン搭載車として世界で初めて量産されたモデルです。「マツダの技術力のみならず、日本の自動車開発力を世界に示した功績は計り知れません。 ロータリーエンジンの開発を中心に、コスモスポーツの誕生背景を振り返ってみましょう。 会社の生き残りをかけたコスモスポーツの開発 1990年代後半まで製造・販売が続いたコスモシリーズですが、初代のコスモスポーツはマツダの社運をかけて開発されました。シリーズ初代のコスモスポーツが登場したのは1967年。1960年代に入り、国内自動車メーカーが競争の激化にさらされていたなかで、社長の松田恒次氏は「会社が生き残るためには独自の技術が必要だ」と考えます。そこで、「夢のエンジン」といわれながらも実用化できていなかったロータリーエンジンに白羽の矢を立てました。 実用化の目途がたった1964年、発売に先立ち東京モーターショーで、コスモスポーツはお披露目されます。技術的な問題から各社が実用化できずにいたロータリーエンジンの量産車の発表は、国内のみならず世界中に衝撃を与えました。 世界初の量産車への搭載に成功したマツダの高い技術力 ロータリーエンジンを初めて市販車に搭載したのは、実はマツダではありません。ドイツの自動車メーカーNSU社が、マツダのロータリーエンジンの元にもなった「バンケル・ロータリーエンジン」を既に市販車へ搭載していました。 しかし、ロータリーエンジンを量産車に搭載するには機構上避けられない大きな課題があったため、NSU社の市販車はわずかな生産台数に留まります。量産の大きな壁となっていたのは、アペックスシールと呼ばれるエンジン内の気密性を確保するための部品です。ローターの頂点に取り付けられたアペックスシールは、ハウジング内部を削ってしまうという決定的な欠点がありました。「悪魔の爪痕」とも呼ばれる傷によって、気密性が損なわれると同時にエンジンそのものの耐久性も落としてしまいます。 ロータリーエンジンの実用化に向けてマツダ開発陣は、アペックスシールの改善に心血を注ぎました。開発は困難を極めたようで、素材に馬や牛の骨を試したといった逸話まで残っています。ようやく解決策にたどりついたのは、社内からも「予算の無駄遣い」との声が聞かれ始めた1963年。1つのアイディアをきっかけに形状と素材に工夫を凝らし、実用化の目途を立てます。 2ローターは市販車としても世界初 コスモスポーツに搭載されたロータリーエンジンは、2つのローターを持つ世界初の多気筒ロータリーエンジンです。ドイツNSU社が世界で初めて市販車に搭載したロータリーエンジンは、シングルローター。2ローターエンジンの市販車への搭載は、「量産車」という条件をつけなくても正真正銘の世界初でした。 ゼロからロータリーエンジンの開発を始めたにも関わらず、初の市販車搭載モデルが2ローターというのは驚きです。マツダの技術力の高さと粘り強さが実現したといえるでしょう。 モデル初代なのに完成度の高かったコスモスポーツ コスモスポーツは、4世代にわたって製造されたコスモシリーズの初代モデルです。シリーズ化によって長年製造される車種は、後発モデルのほうが性能が高いため初代が注目されないケースも珍しくありません。 しかし、3ローターを搭載する4代目ユーノスコスモといった後発の高性能モデルと比較しても、コスモスポーツの存在感は別格です。初代から高い完成度を誇っていた、コスモスポーツの魅力を紹介します。 フロントミッドシップの高い運動性能 コスモスポーツのエンジンは、FR車輌としては理想的なフロントミッドシップに配置されています。初めて開発したエンジンにも関わらず、軽量コンパクトなロータリーエンジンの特徴を最大限活かす方法を、マツダ開発陣はしっかりと理解していたということでしょう。 また、コスモスポーツの最高速度は、なんと185km/h。高出力エンジンとはいえ、当時の最高出力がわずか110psだったことを考えると驚異的な数字です。最高速度はギア比さえ調整すれば、ある程度は高められます。しかし、市販車という点を考えると、車のポテンシャル以上に最高速度を上げるのは危険です。1tを切る軽量な車重と、フロントミッドシップによる安定性の高さにより実現した結果といえるでしょう。 独自の世界観をもつシャープなフォルム 世界初の2ローターエンジンという点を抜いても、コスモスポーツはクルマとして魅力的なモデルです。日本車離れした個性的なボディデザインは、多くのファンを魅了しました。当時の自動車で多く採用されていた直線基調のデザインとは一線を画し、コスモスポーツは随所に曲線を取り入れた流線型の美しいフォルムです。 全体に低く抑えられたスタイリングは、運動性能の高いスポーツカーらしさを最大限に演出。コンパクトなロータリーエンジン車だからこそ実現できたデザインといえるでしょう。現在でも「鼓動デザイン」という独自の世界観を展開するマツダですが、1960年代からすでに他メーカーとは異なるデザインを展開していたことがうかがえます。 スポーツモデルは初代コスモスポーツのみ コスモスポーツは、シリーズとして1996年まで生産されましたが、流線型デザインの純粋なスポーツモデルといえるのは、初代コスモスポーツのみです。しかも、1967年に登場し1972年までの約5年間しか生産されなかったため、現在ではあまり台数も残っていません。 加えて、クルマとしての魅力と希少性の高さから、コスモスポーツはかなり人気の高い車種です。中古車の購入を検討する際は、常に広くアンテナを張っておくとよいでしょう。 一方で、希少車の取扱いは、どの中古車業者でも簡単にできるわけではありません。専門の業者に依頼しないと、購入時も売却時も損をしてしまう可能性があります。良好な車輌や妥当な査定額で安心して取引するために、コスモスポーツの購入や売却をする際は旧車専門の業者に相談することをおすすめします。

アルテッツァは打倒欧州車目指して徹底的に鍛え上げられた入魂のFRスポーツセダン
旧車の魅力 2023.10.18

アルテッツァは打倒欧州車目指して徹底的に鍛え上げられた入魂のFRスポーツセダン

高い運動性能と、欧州でも通用する高級感を兼ね備えたアルテッツァ。トヨタ入魂のFRスポーツセダンであり、エンジンをフロントミッドシップに配置する本格的なFRレイアウトを採用しています。一方で、発売当時の評価はあまり高くなく、不遇なモデルでもありました。 打倒欧州車を掲げて開発したトヨタの意地を感じるアルテッツァは、近年評価が見直されつつあります。開発背景と魅力を改めて振り返ってみましょう。 1代限りながら7年間も販売されたアルテッツァ アルテッツァは結果的にモデルチェンジすることなく、1代限りで姿を消しました。しかし、7年間にも及ぶ販売期間からは、その完成度の高さがうかがえます。 実際にアルテッツァとはどのようなクルマだったのでしょうか。まずは開発背景やグレードについて詳しく紹介します。 欧州に通用するFRスポーツセダン 1998年に登場したアルテッツァは、欧州で通用するFRスポーツセダンを目指して開発されました。BMWの3シリーズやメルセデス・ベンツのCクラスといった、競合各社が力を入れるDセグメント市場を強く意識したモデルです。海外では、レクサスブランドのエントリーモデルである「IS」の初代として投入されます。 ベースは、当時のトヨタ プログレに採用されていた「FRマルチプラットフォーム」を徹底的に改良。ショートオーバーハングでホイールベースも短縮し取り回しやすいスタイリングにする一方、トレッド幅を広げて安定性を高め、FRスポーツセダンにふさわしいハンドリング性能を備えていました。 開発では、ニュルブルクリンクでの走り込みや公道での走行テストを繰り返し、2年間以上の年月をかけて走行性能が徹底的に煮詰められます。欧州のFRスポーツセダンと肩を並べるため、アルテッツァは限界まで鍛え抜かれました。 グレードは大きく2種類を用意 アルテッツァに用意されたグレードは、大きく2種類。ラグジュアリー志向のAS200と、高い走行性能を誇るRS200です。 AS200のエンジンは、2L直列6気筒の1G-FE型で最高出力が160ps。一方のRS200には、MR-2にも搭載されたトヨタのスポーツエンジンとして十分な実績をもつ2L直列4気筒3S-GE型エンジンを搭載し、最高出力は実に210psを発揮しました。 おすすめのグレードはやはりRS200です。トヨタがこだわり抜いたアルテッツァの高い走行性能を最大限発揮します。 スポーツセダンを突き詰めたアルテッツァ アルテッツァの魅力を紐解いていくと、細部に渡ってとことんこだわって開発されているのがよくわかります。ライバルが強力で、要求の高い欧州のスポーツセダンファンを納得させる性能を兼ね備えたモデルだといえるでしょう。 アルテッツァのこだわり、そして高性能を突き詰めたトヨタが限定で投入した280Tについて紹介します。 とことんこだわった運動性能 エンジンに名機3S-GEを採用するだけでなく、アルテッツァは運動性能にとことんこだわりました。軽快なハンドリングを実現するために、エンジンをフロントミッドシップに搭載。切り詰めたオーバーハングと相まって、FRスポーツセダンにふさわしい前後重量バランスに仕上げられています。 足回りも前後ダブルウィッシュボーンに加え、車輌重量がはるかに重いアリストと同クラスのブレーキを採用しました。さらに、徹底的な走り込みによって、減衰力からブッシュ特性に至るまで細かく調整。パワフルなエンジンで単に速いだけではなく、曲がる、止まるといったスポーツモデルに欠かせない要素をとことん取り入れています。 セダンとしての風格も一級品 高い走行性能を誇るアルテッツァですが、セダンのもつラグジュアリーな面にもとことんこだわって開発されました。 エクステリアには、フロント部に風格を与える大きな開口部と低くレイアウトされたグリル。さらに、ボディサイドは流麗で抑揚のあるラインを形成しています。 インテリアに目を移すと、スポーティで視認性の高いインパネメーター類には電圧計、水温計、油圧計まで配置され、スポーツ腕時計のクロノグラフを彷彿させる高級感を演出。ドライバーズカーとして機能性を重視しつつも、全体を黒でまとめてセダンならではのモダンシックな印象を与えました。 また、スポーツカーではなく、あくまでもセダンというコンセプトを表現しているのが後席です。十分に確保されたヘッドクリアランスや足元のスペースによって、スポーツモデルとは思えない快適な居住性を実現しています。独立したトランクスペースとともに、日常使いでの利便性も強く意識されました。 コンプリートカー280Tまでリリース アルテッツァには、トムスが専用チューニングを施した「アルテッツァ TOM'S 280T」という限定生産車が存在します。生産台数はわずか100台ながら、アルテッツァの本来もつ実力を極限まで引き出した魅力的なモデルです。 最大の特徴はターボ化されたコンプリートエンジンで、当時の自主規制限界である280psを発揮します。専用設計のタービンやインタークーラー、エキゾーストマニホールドを備え、インジェクターなど細部に至るまでチューニングされたエンジンをTOM'S製ECU(エンジンコンピュータ)で制御していました。 高出力エンジンのパワーをしっかりと受け止めるべく、クラッチはOS技研製のツインプレートクラッチ、足回りはAdvox製に交換され、サーキット走行にも耐えうる仕様に仕上げられています。 また、外装面でも専用のエアロパーツが装着され、標準車とは違うアルテッツァのスポーティな面が全面に押し出されました。 発売当時は不評だったものの再評価されつつある 限界まで鍛え上げられた走行性能と欧州車並の高級感を兼ね備えたアルテッツァですが、発売当時の評価は高いとはいえませんでした。。実際、モデルチェンジせずに1代限りで開発を中止している点からも、当時の不人気ぶりがわかります。 スポーツカーにしては重く、大排気量でゆったり乗りたいセダンにしては非力という見識が先行し、当時の日本ではどっちつかずのイメージがついてしまったのかもしれません。 しかし、スポーツセダンというジャンルが確立し多くのユーザーから支持を集める現在、アルテッツァの評価は高まりつつあります。特に評価の高いモデルは、名機3S-GEが搭載されたRS200です。限定販売の希少車、280Tはさらに高い評価を受けています。 一方で、時代を先取りしたアルテッツァが市場へ投入されたのは1998年。販売開始からすでに25年が経過しています。セダンであるため比較的状態の良い個体が残っているものの、購入する際は専門業者でしっかり整備された車輌を選びましょう。 また、売却する際は近年の評価をしっかりと査定に反映してくれる、旧車取り扱いに慣れた業者の選定をおすすめします。

RX-7のロータリーエンジンを新品で買える!? マツダが旧車パーツ供給を重視する理由
旧車の魅力 2023.10.18

RX-7のロータリーエンジンを新品で買える!? マツダが旧車パーツ供給を重視する理由

独特のスタイリングと優れた走行性能から、現在でも高い人気を誇るRX-7。維持や補修が困難になりがちな旧車であるにも関わらず、現在でも多くの補修部品が供給されています。特にRX-7の核であるロータリーエンジンは、現在でも新品の購入が可能です。 今回は、ロータリーエンジンという視点から、RX-7の魅力とマツダの取り組みを詳しく紹介します。なぜマツダが現在もなおロータリーエンジンの製造を続けているのか、その理由からRX-7の魅力を紐解いていきましょう。 世界で唯一ロータリーエンジンを量産したマツダ 量産ロータリーエンジンが世界で初めて採用されたのは、1967年発売のマツダ コスモスポーツでした。その後もマツダは数々の車種にロータリーエンジンを搭載し、世界で唯一無二の量産ロータリーエンジン生産メーカーとして技術を磨いていきます。コツコツと積み上げてきたノウハウを投入して作られたのがRX-7です。 ロータリーエンジンの実力を示した名車RX-7 マツダが作り続けてきたロータリーエンジンの実力を世界に知らしめたのはRX-7といえるでしょう。特に、2代目FC3S型、3代目FD3S型は現在でも多くのファンを魅了する人気車種です。 1985年のFC3S型RX-7のリリースによって、マツダが突き詰めてきたロータリーエンジンの実力が一気に開花しました。軽量でコンパクトなのに高出力というロータリーエンジン最大の武器を活かしたスポーツカーとして、低重心化と最適な前後重量配分を実現。世界のスポーツカーファンを魅了する、高い走行性能を発揮しました。 先鋭的なスタイリングも魅力 RX-7の魅力は、高い走行性能と他車とは異なる独特のスタイリングです。FC3S型でワイド&ロー、ロングノーズショートデッキというスポーツカーとして理想的なスタイリングを確立。さらにFD3S型では、曲線を取り入れた流線型で戦闘機を彷彿させる先鋭的なデザインに昇華させました。 ロータリーエンジンはコンパクトでレイアウトの自由度が高かったためにデザイン上の制約が少なく、マツダならではの独特の世界観をもつスタイリングの実現に至りました。 ロータリーエンジンを今でも購入できる理由 生産終了からかなり年月の経つRX-7ですが、現在でも補修用ロータリーエンジンを始め多くの部品が入手可能です。生産効率を考えると、旧車のパーツをいつまでも供給するのは無駄とも思えますが、これにはRX-7ならではの事情とマツダの企業思想が大きく影響しています。 ロータリーエンジンがなぜ作り続けられているのか、理由を紐解いていきましょう。 RX-7は現存台数が多い 補修用のロータリーエンジンが現在も入手可能な最大の理由は、RX-7の残存台数が多く高い需要があるためです。FC3S型RX-7が投入された1985年からは35年以上が経過し、最終のFD3S型の販売終了からもすでに20年が経ちますが、現在でもRX-7はかなりの台数が残っています。FD3S型なら16,000台、さらに古いFC3S型でも8,000台が残っているとの情報もありました。 スポーツモデルだけに酷使された個体もありますが、一方で多くの根強いファンが大切に乗っていることが要因といえるでしょう。また、高い走行性能と独自のスタイリングによって、新車販売自体も好調だった点も残存台数が多い理由です。 唯一無二のロータリーエンジンの評価の高さは世界規模 ロータリーエンジン車を所有するユーザーは日本国内のみにとどまりません。とくにクルマとしての完成度の高かったRX-7は、世界のスポーツカーファンから愛されています。独特のロータリーサウンドを味わいたいのであれば、マツダのRX-7に乗るしかありません。 マツダが展開するCLASSIC MAZDA ロータリーエンジンを始めとする旧車のパーツが供給され続けている理由は、マツダの企業としての思想による影響も少なくありません。「新しいクルマだけではなく、古いクルマをも大切にできる社会を育みたい」「世の中の自動車文化に貢献したい」として、マツダはCLASSIC MAZDAという取り組みを通じ、旧型車のレストアやパーツの復刻に取り組んでいます。 CLASSIC MAZDAの取り組みが始まったのは近年ですが、おそらくマツダそのものの企業文化として同様の考え方は以前からあったのでしょう。実際CLASSIC MAZDAの一環として2020年から取り組んでいるRX-7の復刻パーツはわずか91種類(FD3S用、FC3S用)ですが、そもそも全体の7割程度の部品が以前から継続供給されていたという情報もあります。 新型車で新たな活路を見出したロータリーエンジン 実は、燃費面では不利といわれていたロータリーエンジンが、新時代のプラグインハイブリッド車で復活すると最近発表されました。軽量かつコンパクトで高出力という特性が、プラグインハイブリット車の発電用エンジンに最適だったのです。 欧州で発表された「MX-30 e-SKYACTIV R-EV」は、発電用にロータリーエンジンを搭載。EV車と同様にモーターで駆動するため、大型の駆動用バッテリーを搭載するプラグインハイブリッド車にとって、システム全体をいかにコンパクトな設計にできるかは大きな課題です。ロータリーエンジンであれば、同出力のレシプロエンジンに比べて圧倒的に小型化できます。さらに、ピストンの往復運動がない分振動を抑えられるため、モーター駆動ならではの乗り心地も犠牲にしません。 マツダがこだわって作り続けてきたロータリーエンジンのノウハウは、決して過去の技術ではなく現在も生き続けていると証明しました。 人気のRX-7は今も安心して乗れる旧車 核であるロータリーエンジンを始め、多くのパーツが現在も供給され続けているRX-7は、旧車ながら購入後もメンテナンスについて心配しなくてもよい珍しい車種です。一方で、スポーツカーという特性からサーキットなど過酷な状況で使用されていた中古車もあるため、購入時には入念に状態を確認しましょう。 ロータリーエンジンは特殊なエンジンのため、整備ノウハウのある専門業者に相談することを強くおすすめします。 一方で、売却する際は旧車の取り扱い経験が豊富な業者を選びましょう。部品が供給されていると知らない業者に相談してしまった場合、故障箇所を指摘されて必要以上に減額される恐れがあります。さらに、RX-7は限定車が数多く販売されました。グレードや年式から、正しい価値判断をしてもらえる業者を選ぶと安心です。

フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナは世界でわずか448台しか販売されなかった超希少車
旧車の魅力 2023.10.18

フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナは世界でわずか448台しか販売されなかった超希少車

日本国内でわずか24台しか販売されなかったフェラーリの特別限定車、550 バルケッタ ピニンファリーナ。フェラーリ車でありながら、提携会社の名称をわざわざ冠して作られた特別なオープン2シーターです。ごく限られたオーナーしか手に入れられませんでした。。今回は、希少性の高い550 バルケッタ ピニンファリーナが製造された背景と限定車としての魅力を徹底的に掘り下げます。 フラッグシップモデルを記念車に採用 2000年に登場した550 バルケッタ ピニンファリーナは、長らくフラッグシップにミッドシップレイアウトを採用してきたフェラーリが、久々にFRレイアウトを採用した550 マラネロをベースに製造されました。 フラッグシップモデルに名前をつけられるほど、深い関係性を築いていたフェラーリとピニンファリーナ社。その繋がりの重要性を含めて、550 バルケッタ ピニンファリーナの誕生背景を解説します。 創業70周年モデルとして台数限定生産 550 バルケッタ ピニンファリーナは、2000年のパリサロンでお披露目されました。「バルケッタ」とは「2人乗りのオープンカー」を意味し、ピニンファリーナ社の創業70周年を記念して制作されたオープン2シーターの限定モデルです。 日本に割り当てられた販売台数は、わずか24台という新車販売時から希少価値の高いモデルでした。なお、生産台数は当初444台の予定でしたが、アジア圏からの「不吉」という声を受け、448台に増台されたという逸話も残っています。 フェラーリの美しいボディラインを作り続けるピニンファリーナ モデル名にも採用されている「ピニンファリーナ社」は、フェラーリ車のデザイン全般を1951年から手がける会社です。創業70周年の記念モデルとして、550 バルケッタ ピニンファリーナをフェラーリよりリリースしました。メーカーのアニバーサリーイヤーではないにも関わらず、特別限定車を製造・販売したことから関係性の深さがうかがえます。 250GT ベルリネッタ、365 GTB/4 デイトナ、512 BB、テスタロッサと数多くの名車をピニンファリーナ社はデザインしました。そして、550 バルケッタ ピニンファリーナのベース車輌の550 マラネロもピニンファリーナ社がデザインを手がけたモデルです。 ベースはFRに回帰した550 マラネロ 550 バルケッタ ピニンファリーナのベース車輌は、1996年発売の550 マラネロです。長年フェラーリのフラッグシップモデルはミッドシップレイアウトでしたが、365 GTB/4 デイトナ以来23年ぶりにFRレイアウトを採用したモデルとして話題を呼びました。 エンジンは車名のナンバリング通り5.5LのV型12気筒DOHCで、最高出力は485psを発揮。高出力エンジンを支える足回りには、フラッグシップにふさわしい先進装備の電子制御可変ショックアブソーバーを採用し、超高速域でも安定した走りを実現したモデルです。 記念車として別の車輌を用意するのではなく、メーカーの顔であるフラッグシップモデル、しかも久々に採用したFRレイアウトのクルマをベースとできたのも、フェラーリのピニンファリーナ社への厚い信頼からでしょう。 フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナの魅力 550 バルケッタ ピニンファリーナは、エアロや内装を少しモデファイした程度の特別仕様車ではありません。ピニンファリーナ社がフェラーリのデザインを手がける威信をかけて、細部までこだわって作ったモデルです。 ここからはそんな550 バルケッタ ピニンファリーナの魅力を紹介します。 オープンモデルとしてリデザイン 550 バルケッタ ピニンファリーナは、単に550 マラネロの天井を切り取っただけのモデルではありません。デザイン全般を手がけるピニンファリーナ社らしく、細部にこだわってリデザインされました。 まず外観上の大きなポイントは、550 マラネロよりも10cmほど短くしたフロントガラスです。さらにAピラー上部の塗装を黒にすることで、全体的に低さを強調したデザインに仕上がっています。 内装のデザインでは、コノリーレザーのレーシングタイプのシート、レザー張りのロールバー、メーターナセルとトンネルコンソールはスウェード調とするなど記念モデルにふさわしいデザインと質感が特徴的です。さらに、センターコンソール、メーターパネルにはカーボンパネルを使用して、レーシーな雰囲気を高めました。 走行性能は550マラネロを踏襲 550 バルケッタ ピニンファリーナの走行性能は、基本的に550 マラネロを踏襲しています。ただし、オープン形状のため抵抗係数が悪化し、最高速度は550 マラネロより20km/h遅い300km/hでした。 オープン化に伴って、ボディ剛性の強化や安全面での装備も追加。万が一の転倒に備えてAピラーの強化とロールバー、ボディの補強など走行性能には不利な重量増につながるチューニングが施されます。しかし、ボディワークを含めてデザインを一手に引き受けたピニンファリーナ社だけあって、車体重量は550 マラネロと同様の1,690kgに抑えました。 パッケージング自体はベースモデルとまったく同様で、FRレイアウトに置かれた485psを発揮する5.5LのV型12気筒DOHCエンジンに6速MTが組み合わされています。記念のオープンモデルだからといって性能を犠牲にしなかった点は、フェラーリと二人三脚で歩んできたピニンファリーナ社へのリスペクトがあらわれています。 記念モデルだけあって別格の価値を誇る550 バルケッタ ピニンファリーナ 発売が1996年と比較的新しいことと5年間という販売期間の長さから、550 マラネロ自体はそれほど希少性の高い車種ではありません。しかし、550 バルケッタ ピニンファリーナは、全世界でわずか448台、日本国内では24台しか販売されなかったため、限られたオーナーしか手にできなかった希少車です。 ただし、希少車だからといって高く売却できるとは限りません。極端な希少車の場合、かえって値段がつけにくくなるため、誤った査定をされてしまう場合もあります。550 バルケッタ ピニンファリーナのように、ほとんど取引のないクルマを売却する際は、必ず旧車や希少車の取り扱い実績のある専門業者に依頼しましょう。

ベースがビートルとは思えない! 流麗なボディラインが魅力的なカルマンギア
旧車の魅力 2023.10.18

ベースがビートルとは思えない! 流麗なボディラインが魅力的なカルマンギア

ヘッドライトの形状に合わせて盛り上がったフロントから、リアエンドにかけての流麗なラインが魅力の名車・フォルクスワーゲン カルマンギア。70年近く前の1955年に登場したクルマにもかかわらず、現在でも人気が高いうえ、中古車市場での流通台数もそれなりにある珍しい旧車です。 フォルクスワーゲン社が戦後のブランド地位確立を目指して開発した、カルマンギアの開発背景と魅力をたっぷりと紹介します。 フォルクスワーゲンのブランドイメージを高める1台 フォルクスワーゲン社は、第2次世界大戦前に開発した「KdF Wagen」の車名を戦後「タイプ1」と改めて再生産します。「ビートル」の愛称で親しまれる、ヒット作を生み出すことに成功しました。 さらなるブランドイメージの向上を目指した経営陣は、新たに上級モデルのパーソナルカーの開発を考えます。当初は別のモデルが予定されていましたが、紆余曲折の末に生み出されたのがカルマンギアです。 カルマンギアの開発背景を振り返ってみましょう。 開発期間短縮のためにビートルをベースに開発 カルマンギアが登場したのは1955年。ビートルの成功後、早い段階で上位のパーソナルカーを考えていたフォルクスワーゲンは、当初はビートルの2シーターモデルをそのポジションにおく予定でした。しかし、生産拠点の火災の影響などもあって、ブランドイメージを構築できないまま1953年には生産が頓挫しました。 そこで、フォルクスワーゲン社は、ビートルの派生ではなく新たなモデルの開発を決断します。しかし、上級モデルの立ち上げは、すでに当初の予定から遅れていたため、できるだけ開発期間を短くする必要がありました。そこで、開発期間とコストを抑えつつ新たな車種を生み出すためには、主要コンポーネントの多くをビートルと共通にせざるを得なかったのです。 車名の由来となった開発2社 新たな車種の開発を決断するものの、残念ながらすんなりとは完成しません。カルマンギアの開発は、フォルクスワーゲンのカブリオレの生産を一手に引き受けていたカルマン社に依頼します。しかし、カルマン社のデザインしたプロトタイプは、フォルクスワーゲン首脳陣に採用されませんでした。 そこで、カルマン社はイタリアの代表的なボディデザイン会社、ギア社に相談を持ちかけます。ギア社の仕上げたプロトタイプは、左右が盛り上がったデザインのフロントノーズからルーフ、リアエンジンフードまで流れるような素晴らしいデザインでした。カルマン社のデザインに首を縦に振らなかったフォルクスワーゲン社の首脳陣は、感嘆とともにプロトタイプを承認。ボディ生産を担うカルマン社、車輌をデザインしたギア社の社名を合わせて、「カルマンギア」と名付けられました。 もし、当初提案したカルマン社のデザインが採用されていたら、車名は「カルマン」だったかもしれません。 ボディデザインの変更は失敗 1955年に発表したカルマンギアは、フォルクスワーゲン社の狙い通り成功を収めます。さらなる地位の確立を目指して、より豪華で速いモデルを発売しました。 タイプ3をベースに開発した、通称タイプ34と呼ばれるカルマンギアを1961年にリリースします。アメリカ市場や近代化を意識して、直線的なボディデザインを採用しますが、変更したボディデザインが裏目に出て、ユーザーからの支持を得られませんでした。結局、タイプ1(通称:タイプ14)のカルマンギアが1973年まで生産されたのに対して、タイプ34の生産は1969年に打ち切られました。 意欲的に改良が続けられたカルマンギア 市場に投入されたカルマンギアは、フォルクスワーゲン社経営陣の狙い通り販売台数を伸ばしていきます。しかし、販売台数と高まったブランドへの上昇機運をより高めるため、意欲的に開発を続けました。 1955年から1973年の18年間にも及ぶカルマンギアの生産期間中、性能の向上を図り続けたカルマンギアの歴史を振り返ってみましょう。 度重なる性能向上が図られたエンジン カルマンギアは、走る楽しさを追求したモデルだけに、エンジンの開発は精力的に行われました。カルマンギアに当初搭載されたエンジンは、1,192ccの水平対向4気筒OHVエンジンで、パワーは30hp。1961年には細かな仕様を見直し、同排気量ながら最高出力が34hpに引き上げられました。 さらに、1966年に排気量を1,285ccにアップし最高出力は40hpに向上、最高速度も128km/hを記録しました。1967年には、1,493ccにまで排気量が引き上げられると、最高出力は44hpで最高速度は136km/hに達します。 最終的には、1970年モデルで、排気量1,584cc、50hp、最高速度は実に140km/hにまで高められました。 市場ニーズを的確に取り入れた内外装 カルマンギアの発売2年後の1957年には、カブリオレモデルを発表します。また、標準モデルを含めた内装も、専用ステアリングやサンバイザー、オルガンペダルの装着といった改良が加えられました。 1960年には大幅なマイナーチェンジが図られます。とくに外観面の変更は大掛かりなもので、フロントフェンダーの形状、ヘッドライト位置の変更やクロームメッキのグリルの装着、テールランプを角型から三日月型に変更と、従来のスタイリングを踏襲しつつ徹底的に全体の設計が見直されました。 また、運転席のアームレストや助手席のフットレスト、ウィンドウウォッシャーの装備など快適性を高める装備も時代に合わせて追加されていきます。さらに、エンジン性能の向上にともなって、トランスミッションのフルシンクロ化や1960年代後半にはフロントディスクブレーキの装備といった形で走行性能に関連する装備も次々にグレードアップされていきました。 ビートル以上に一部ファンから人気を集める ビートルは独特なスタイリングから、今でも人高い人気を誇っています。カルマンギアもビートルと同様に、今もなお根強いファンの支持を集めるクルマです。むしろクルマの特殊性から、ビートル以上に熱狂的なファンも多くいます。 販売台数は44万台あまりにのぼり、1973年に生産終了したクルマとしては比較的入手しやすいです。しかし、状態の良い個体は一般的な旧車に比べて少なく、なおかつ意欲的に年次改良が重ねられて年式ごとに仕様がバラバラであるために、目当ての1台を見つけるまでにはかなりの根気が必要でしょう。 また、年式によって細かな違いがあるために、一般的な買取業者だと正しく査定してもらえないかもしれません。売却の際には、カルマンギアをはじめとした旧車を専門に取り扱っている業者に査定を依頼しましょう。旧車の知識が豊富な業者なら、年式や仕様に応じた適切な価格を提示してもらえます。

ハイソカーの代名詞GX71系マークⅡ3兄弟が成功した理由とは? 豪華な内装を始めとする魅力の全貌に迫る
旧車の魅力 2023.10.18

ハイソカーの代名詞GX71系マークⅡ3兄弟が成功した理由とは? 豪華な内装を始めとする魅力の全貌に迫る

トヨタ GX71系マークⅡ3兄弟は、日本の自動車史の一時代を築き上げたモデルです。当時の日本で巻き起こったハイソカーブームをけん引しました。 端正なフロントマスクに直線基調のボディライン、実用的で野暮ったい一般的なマイカーのイメージを一新。潤沢な予算を背景にメーカーが技術を惜しみなく注ぎ込み、ユーザーに新たなクルマの楽しみ方を与えたのがGX71系マークⅡ3兄弟です。 マークⅡ3兄弟が成功した理由とその魅力を、ハイソカーブームも含めて紐解いてみましょう。 時代の流れに乗って登場 1970年代の高度経済成長によって、庶民でもマイカーに手が届くようになりましたが、クルマはあくまでも実用品。「便利な道具」という域を出ない存在でした。そこに訪れたのが、戦後最大ともいわれるバブル景気です。経済的にゆとりが生まれ、「生活必需品以外は贅沢品」といった風潮から徐々に高級志向へと国民の意識が向き始めます。 そんな時代背景に見事にマッチして空前のブームを巻き起こしたのが、これまでにはないジャンルのクルマ「ハイソカー」でした。 経済的ゆとりから生まれたハイソカーブーム ハイソカーの「ハイソ」とは、上流社会や上流階級を意味する「ハイソサエティ(HighSociety)」の略語で、ハイソカーは「上流階級のクルマ」という意味です。80年代後半のバブル景気とともに一大ブームへ発展したカテゴリで、上質な内外装と高い性能が多くの人を魅了しました。 単なる乗り物としての側面が強かったクルマに、ラグジュアリー志向という新たな価値観を持ち込んだのがハイソカーです。経済的なゆとりを背景に、豪華な内装やパワフルなエンジン、現代では不必要とも思えるような先進装備を搭載し、実用面だけではなく所有欲も満足させる仕様のクルマが次々に登場しました。 ハイソカーの象徴にもなったマークⅡ3兄弟 ハイソカーブームを牽引したのは、トヨタのマークⅡ3兄弟です。前モデルまでは大衆車の派生車種「コロナ マークⅡ」として販売されていましたが、1984年に5代目へのフルモデルチェンジで「マークⅡ」として独立。共通のプラットフォームを使用する「チェイサー」「クレスタ」を含めたGX71系3車種が、多少の方向性の違いこそあれハイソカーの象徴的存在となりました。 当時のトヨタはハイソカーの一種ともいえるクラウンをすでに高級車として販売していましたが、単なる高級路線ではなく、庶民でも手の届くクルマが上質になった点がハイソカーブームのポイントです。 ハイソカーブーム以降もマークⅡ3兄弟としてモデルチェンジを重ねましたが、実は登場時期はそれぞれ異なります。最も古いモデルがマークⅡで、1968年に初代が登場しました。続いて1977年にマークⅡの姉妹車としてチェイサーが登場、さらに1980年の4代目マークⅡ投入時にクレスタが追加されます。つまり、チェイサーとクレスタはマークⅡの派生車種ということで、マークⅡ3兄弟と呼ばれるようになりました。 なお、共通プラットフォームの別車種は一般的に「姉妹車」と呼びますが、なぜか「マークⅡ3兄弟」だけは「兄弟」という呼び名がついているのも面白いポイントです。 当時の技術を詰め込んだ贅沢仕様のGX71系 GX71系のマークⅡ3兄弟には、スタイリッシュなハードトップ、豪華な内装、ハイパワーエンジンと当時の技術が惜しみなく投入されています。一方で、5ナンバーサイズという経済性も意識したパッケージングは、まさに庶民派の高級車でした。 ここからは、GX71系マークⅡ3兄弟の魅力をたっぷりと紹介します。 スタイリッシュな外観と豪華な内装 4ドアハードトップをベースにしたスタイリング(クレスタのみ4ドアセダン)にクローム調のモールを各部にあしらった華飾、直線基調のボディラインはエレガントそのものでした。内装面に目を移すと、たっぷりと厚みをもたせた光沢あるモケットのシートはリビングルームを彷彿とさせます。 さらに、デジタルメーターやフルオートエアコン、電子制御の足回り「TEMS」、独立したブレーキ制御を実現する4輪ESCまで装備。ボディカラーには、ソアラやクラウンで設定されていた「スーパーホワイト」も採用し、文字通りワンクラス上の上質さを実現しました。 日本初の技術が盛り込まれたハイパワーエンジン マークⅡ3兄弟のトップグレードには、160psを発生する2L直列6気筒DOHCエンジンが搭載されています。DOHCエンジンはまだ一部の車種にしか採用されていなかった当時、「Twincam24」のエンブレムは自動車ファンの憧れでした。 さらに、発売翌年の1985年には、日本初のツインターボを採用した1G-GTEU型エンジンが登場します。直列6気筒DOHCエンジンというだけでも十分なインパクトでしたが、最高出力を185psにまで高める日本初の技術を詰め込み、一気に人気が加速しました。 街道レーサーの走りにもなった マークⅡ3兄弟は「街道レーサー」と呼ばれる、レーシングカーのようにカスタマイズしたクルマを楽しむ層からも人気を集めました。1970年代に登場した街道レーサーは1990年代以降に盛んになった「走り屋」のルーツとも言われ、マークⅡ3兄弟は真っ盛りの時代に登場したのです。 大型のフロントスポイラーやリアスポイラー(ウィング)、サイドスカートを装着すると、低重心で直線基調のボディラインが強調され、よりスポーティな外観が手に入ります。また、エンジンについてもブーストアップやタービン交換、シリンダー直径を広げて排気量を増やすボアアップまでさまざまなチューニングエンジンが存在していました。 GX71系の人気が今も衰えない理由 ハイソカーと呼ばれる車輌のなかには、トヨタ クラウンやソアラ、日産 レパードなどもともと高級路線で開発されていた車種も含まれます。しかし、5ナンバーサイズや高すぎない価格といった条件のなか、豪華な内外装や先進技術を装備したという意味では、マークⅡ3兄弟は他車種とは異なる存在のハイソカーです。 特にGX71系のクルマが今も人気を集める理由は、コストカットの進む現在では考えられない豪華な内装と、一方で旧車然とした直線基調のスタイリングでしょう。角のある旧車を象徴するかのようなデザインでありながら、クロームメッキ調の華飾といった現代的要素も共存しているのは、後にも先にもGX71系だけです。2Lで185馬力を発生するハイパワーエンジンも魅力ですが、GX71系の車種がグレードを問わず人気を博している理由には、現在では決して真似できない“あの”時代だからこそ実現できた特別な仕様が強く影響しているのではないでしょうか。

軍用車キューベルワーゲンはあのビートル?! フォルクスワーゲンの名車が図った生き残り戦略
旧車の魅力 2023.10.18

軍用車キューベルワーゲンはあのビートル?! フォルクスワーゲンの名車が図った生き残り戦略

第2次世界大戦中にドイツ軍が使用した軍用車、キューベルワーゲン。かわいらしいフォルムから「ビートル」と呼ばれた、フォルクスワーゲン タイプ1をベースに開発されたモデルです。後にポルシェの創業者となる博士が手掛けたことでも知られています。 時代に翻弄されつつも、高い技術と確固たる信念で開発されたキューベルワーゲンについて、フォルクスワーゲン社やタイプ1の歴史とともに振り返ってみましょう。 数奇な運命をたどった名車「ビートル」 国民のための乗用車として、量産化を目指して開発されたタイプ1。今でこそ「ビートル」の愛称で知られる世界的な人気車ですが、第二次世界大戦中は、軍用車として活躍していた時期もありました。 数奇な運命をたどった名車ビートル。ビートル(=タイプ1)を生み出したドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンが設立されたきっかけと、タイプ1をベースに作られた軍用車「キューベルワーゲン」の誕生秘話を紹介します。 ヒトラーによる国策企業として始まったフォルクスワーゲン フォルクスワーゲンは、「ドイツ国民車準備会社」として1937年にドイツのヴォルフスブルクで設立されました。当時の首相アドルフ・ヒトラーが、全国民に自動車を普及する目的で立ち上げたのが始まりです。 フォルクスワーゲンの設立から遡ること4年、1933年のベルリンモーターショーで演壇に立ったヒトラーは、「我々は今こそ【国民のための車】を持つべきである!」という演説で国民車構想を披露。自動車の開発には、後にポルシェを設立するフェルディナント・ポルシェ博士を任命し、大衆車の開発を加速させました。 厳しい条件をクリアして誕生した「歓喜力行団の車」ビートル 国民車の開発は、フォルクスワーゲン社設立前の1934年から始まりました。なお、開発にあたっては、5つの条件が開発担当のポルシェ博士につきつけられます。「大人2名、子ども2名の定員」「空冷式エンジン」「7Lで100km以上の走行」「時速100km/h以上の達成」「価格は1,000ドイツマルク以下」と、当時の小型車の水準としてはいずれもかなり厳しい条件でした。 しかし、開発着手からわずか2年後の1936年、ポルシェ博士はついにプロトタイプの「VW3」を完成させます。すべての条件をクリアし、5万kmのテスト走行を経て開発を次の段階に進めました。 続く1937年にはプロトタイプ「VW30」(後に「VW60」に改変)を完成させました。30台が生産され、延べ240万km以上に及ぶテスト走行が行われます。起こりうる運転ミスの想定や耐久性など、200名ものナチス親衛隊を動員して徹底的にテストされました。 そして完成したのが、後のタイプ1、プロトタイプの最終形「VW38」です。VW38の完成度の高さに満足したヒトラーは、この車に「KdF-Wagen(歓喜力行団の車)」と命名。「KdF 」は「Kraft durch Freude」の略で、国民に余暇活動を推進した組織名として使用されていて、まさに国民車を象徴する名称として名付けられました。 「年間100万台を作れる工場」という号令で生産体制も整えられ、いよいよ量産に踏み切ろうとした1939年、ドイツはポーランドに侵攻します。第二次世界大戦の火ぶたが落とされたことで、VW38の生産はストップしました。「歓喜力行団の車」は、戦場へ送られる軍用車に姿を変えることになります。 軍用車として登場したキューベルワーゲン 「キューベルワーゲン」は、タイプ1をベースに開発された軍用車両です。量産間近だったVW38をベースに、Type62といった試作車を経て最終的にType82と呼ばれるモデルが量産車として正式採用されました。駆動方式はリアにエンジンを搭載するRRを採用し、車体底部にドライブシャフトなどが通らないシンプルな作りになっています。 「バケットシート自動車」を意味するキューベルワーゲンという愛称の通り、ベンチシートが一般的だった当時としては珍しく独立したバケットシートを備えていました。また、4名がしっかり座れるサイズでありながら、わずか725kgと軽量だった点は湿地などで高い走破性を求められる軍用車として使い勝手のよいポイントです。 軽量なアルミ製エンジン、RRレイアウトやセミモノコックフレームの採用など、キューベルワーゲンの基本構造にはタイプ1の開発で得たノウハウが随所にいかされていました。 戦後も愛され続けるキューベルワーゲン 軍事目的のためだけに作られたキューベルワーゲンは、終戦とともに姿を消します。しかし、戦後にデザイン性や機能性の高さから人気が高まり、レプリカモデルも製造されました。 戦後も愛され続けるキューベルワーゲンの魅力と、現代に蘇ったレプリカモデルについてみていきましょう。 キューベルワーゲンは世界初のSUV キューベルワーゲンはシンプルな箱型デザインながら、多くの点で現在のSUVに通じる部分があります。軍用車としての性能を追求した結果、当時としては完成度の高い車輌に仕上がっていることが現在の人気にもつながっているのでしょう。 キューベルワーゲンの堅牢性以外に目を移すと、高い居住性と多様性が印象的です。前列は左右独立したバケットシートで、後席もベンチシートで十分な座先を確保。乗降性のよい4ドアを装備していた点も含めて、乗用車としてみても高い居住性だったことがわかります。 さらに驚くべきことに、リアシートの背面は可倒式で、シート自体も蝶ネジで外せるなど多彩なシートアレンジも実現していました。広いトランクルームまでつなげると、負傷兵を寝かせて収容することや2名で野営といった使い方もできます。 「悪路走破性」「乗員の居住性」「多彩なシートアレンジ」という言葉だけを並べると、まるで現代の最新SUVのカタログのようです。 人気の高さからレプリカも製造された キューベルワーゲンには、現代の技術で製作されたレプリカモデルが存在しています。カナダの自動車メーカー、インターメカニカ製の「IM-TYP82」です。キューベルワーゲンのモデル番号を想起させる名称で販売されたレプリカは、外観ではオリジナルと見分けがつかないほど精巧に作られています。 一方で、各部は現代の道路事情に合わせて改良され、排ガス規制や日本の保安基準にも適合するなどオリジナルよりも扱いやすく作られている点も大きな特徴です。また、エンジンは新品のフォルクスワーゲン製空冷水平対向4気筒エンジンを搭載しています。 さらに特筆すべきは、オリジナルよりも足回りなどが強化されているにもかかわらず、車重はわずか750kgに抑えられている点です。 ただし、残念ながらインターメカニカ社は廃業したため、現在は新車でIM-TYP82を購入できません。 キューベルワーゲンは生産台数5万2,000台の希少車種 世界初の量産軍用車として生産されたキューベルワーゲンですが、大戦末期には空襲などで工場の稼働が落ち、最終的にはわずか5万2,000台しか生産されませんでした。軍用車という特殊な用途ではありますが、アメリカ軍のジープが36万台生産されたことを考えるとかなり少ない数字です。 中古車を購入する際は、海外も含めて専門業者を中心に根気強く探しましょう。また、レプリカモデルも視野に入れると、多少選択肢が広くなるかもしれません。 一方で、キューベルワーゲンのような特殊な車輌は、手放したくても買取ってくれる業者が少ないのが実情です。旧車王では、1953年式ウィリスM38A1の買取実績があるなど、軍用車のような特殊な車輌も買取っています。売却をご検討の際には、ぜひご相談ください。

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