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アラカン筆者がまだ若葉マークだった頃の思い出話など 令和の今ではまったく想像できないような世界があった。 当時の道路交通法に抵触する部分もあるが、そこはもう時効ということでお許しいただきたい。 若くて、免許取り立てで、特に裕福でもない場合、昭和末期の若者は知り合いから譲ってもらったりしてクルマを入手していた。 当然、親に新車を買ってもらえる人もいたかもしれないが、少なくとも筆者の周囲には皆無だった。 友人のお父さんが買い替えるということで放出されたクルマを、縁あって破格(ヒトケタ万円とか)で譲ってもらったりしていた。 トヨタでいえばマークIIやクレスタ、日産でいえばグロリアやブルーバードあたりが定番だったように思う。 そういった安く手に入れたクルマを思い思いにいじっていた。 とはいえ、ほとんどのことは性能向上には貢献せず、カッコに関することばかりだった。 今回、その当時、カッコ優先でいじっていた5つのエピソードを振り返ってみたい。 ■1.鉄チンからアルミへ!インチアップも! 当時もアルミホイールは存在していたものの、多くの激安車はスチールホイールだった。 ホイールカバーがついていればまだマシな方で、実際には「ない」方が多かった。 そのため「鉄チン」と呼んでいた。 それにしても、なんで「チン」なんだろう?(笑)。 鉄チンじゃカッコ悪いので(当時ね)、まずは足元から引き締めて、ということでアルミホイールへの交換にチャレンジすることが多かった。 今のようにドライバーズスタンドがたくさんあったり、専門の店が多いわけでもなかった。 そして、新品を買うというアイディアはなかったようにも思う。 そこで街の解体屋さんや部品屋さんへ行って、サイズの合う、タイヤ付きのホイールを探した。 運が良ければ掘り出し物があって、インチアップもできた。 「インチアップ」とは、タイヤの外周のサイズは同じだが、ホイールの直径を大きなものに交換するということだ。 ホイールが大きいと何がいいのか? まず、何がいいってカッコがいい(笑)。 カッコ以外にもメリットはあって、重たいゴム(タイヤ)の量が減り、ホイール自身も軽くなる。 さらに足下のバネ下重量が軽減されるため、バタつき感がなくなり乗り心地が良くなる。 また、タイヤの左右のたわみも減るので、カチっとしたコーナーリングが可能になる。 カッコばかりでなく性能の向上にも貢献するのだ。 ■2.車高を調整する カッコいいアルミホイールに交換したら、次にタイヤとフェンダーの隙間が気になりだすのは当然の流れだと思う。 げんこつが入るほど隙間が開いていたら、ちょっと悲しい気持ちになってしまう。 かといって、スポーツショックや、ショートスプリングを買うお金もないが、スプリングコンプレッサーを買うくらいのお金だけはなぜか持っていたりした。 というわけで、若者はバネを切って車高を調整することになる。 その状態で車検を通るかどうか微妙なことになるし、乗り心地も悪くなる。 段差や障害物でサスペンションが深く沈んだあとの反発で伸びるときに、スプリングが外れるなんてリスクもあるし、アライメントもずれるので、再調整も必要になる。 いいことなんてないことはわかっているが、唯一いいのは「カッコいい」ことだけだ。 車種によっては、ジャッキで持ち上げてタイヤをはずし、スプリングコンプレッサーをかませておけば、グラインダーでバネを切ることができてしまうものもあった。 いま思えばありがたい時代だった。 少しでも臆病な若者は半巻または一巻きカットしたところで一度ジャッキから下ろし、調整の具合を確認するが、気の短い若者はいきなり二巻カットしたりする。 バネを切って、タイヤを着け、ジャッキを抜こうとするが、ジャッキをかける部分が下がり過ぎて、ジャッキが抜けなくなることがあった。 もう大バカものである。 しかし、当時の若者は「ジャッキが抜けなくなるほどバネを切った」ことが自慢話にもなった。 そんなバカなところも含めて昭和のカッコよさはちょっとおかしかった・・・のかもしれない。 ■3.カーフィルム(プライバシー保護は重要) 当時のクルマは今のクルマに比べて、ガラスの面積が広く、車外から車内の様子が比較的よく見えた。 エアバッグが入ったり、構造が強化されて太くなってしまったピラーがまだ細かったこともあるのかもしれない。 プライバシー保護のため、若者はガラスへカーフィルムを貼ることになる。 これはもう、必然なのだ。 夏の日差し対策でもあるが、車外から車内が見えない方が都合がいいことが多かったのだ。 ほら、シートを倒して助手席のカノジョ・・・まぁ、詳細は割愛することとしよう(笑)。 サイドガラスはたいていのクルマの場合、ほぼ平面だったが、リアガラスはクルマごとに差はあるものの、複雑な曲面になっている。 おかげでフィルムを貼る際に苦労したものだ。 失敗するとフィルムがシワシワになって縞状の模様になってしまい、これは一番ダサいとされたものだった。 何度かこのリアガラスの局面にフィルムを貼ってコツを掴んでくると、友人のクルマのフィルム貼りに駆り出されてさらに経験値があがって、回数を重ねるごとにみるみる上手になっていく「フィルム職人」が友だちにひとりくらいはいたものだ。 そして、透過度(フォルムの黒さ)は濃ければ濃いほどカッコいいとされていたようだ。 前列のサイドガラスには、透過度の低いフィルムを貼るのは違反ではあったが、おかまいなしの無法者も少なくなかったように記憶している(時効ね)。 ちなみにこのカーフィルム、通常は車内側から貼るものだが、併せて外側からも貼ると、もう、本当に真っ黒になる。 いわゆる「2重貼り」だ。 特に気合の入った一部の人は採用していたようだ。 良い子はもちろん、そうでない子も決して真似をしないように。 夜、何も見えなくなります。 ■4.チカチカハイフラ! ウインカーの点滅のタイミングは道路交通法に定められているが、点滅間隔をそれよりも短くして速い周期で点滅させる改造部品が存在していた。 当時の配線はアナログで単純な構造だったので、通常のリレーと入れ替えるだけで取り付けられ、運転席に点滅の速さ調整をするつまみをつけられるものもあった。 いざというとき、普通の間隔に戻せるように、だ。 これはあんまりカッコいいとは思えなかったので、筆者はチャレンジしなかったが、街中で見たことはあった。 そんな世代の筆者が最近驚いたのは、スローウインカーの存在だ。 ものすごくゆっくり点滅するので、これは危険なことこの上ない。 ウインカーもつけずに車線変更する大型車がいるなーと思ってみてたら、そのトラックは超スロー点滅のウインカーだったりすることがある。 これは危険だし、まずカッコ悪いと思う。 今すぐに止めていただきたい。 ■5.ハイマウントストップランプを後付け 今となっては、製造時から標準で装備されているハイマウントストップランプ。 昭和末期のそこそこ年式のいってしまった中古車には装着されていないものの方がまだ多かった。 新車についているハイマウントストップランプを旧型の自車にもつけようと思うのは、まあ、理解はしやすい。 リアガラスの内側に貼り付けるもの、トランクにくっつけるもの、屋根にくっつけるものなど、いろいろなタイプがあった。 確か、カーステレオの据え置き型スピーカーにストップランプが内蔵されているものまであったように記憶している、 ただ、このブレーキランプの増設のためには、ブレーキランプまわりの配線をいじる必要があった。 これは安全面で重要な制動灯の配線に関わるモノという観点で、無資格者の取り付けは禁止されていたはずだ。 なんてことおかまいなしに取り付けていたのは・・・、いま思えば昭和末期だからこそ許されそうな雰囲気と誤解していたからなのかもしれない。 ■まとめ:自ら手を動かし、汚すことで見える世界がある(はず) いろいろな改造をするのは、自分のクルマのことをよく知るには一番の近道だ。 足回りの構造、ダッシュボードの配線、ドアの構造を知り、内装をはがしたりと、一向に性能の向上には貢献しないにも関わらず汗だくで作業をしていたことを思い出す。 自分ではもう何もいじれなくなってしまった最近のクルマに魅力を感じなくなってしまったのは、そういうこともあるのではないか、と思う。 これから「アガリのクルマ」選びをする予定のアラカン筆者としては、どうしても若いころのこんな改造を思い出してしまう。 あの頃のクルマもいいなあ、と考えたりしてしまうが、今度選ぶクルマはせめてエアコンが装着されたクルマにしよう、とは思っている。 [画像/Adobe Stock ライター/ryoshr]
最近「旧車」という言葉をよく耳にするが、そもそも旧車って、どういうクルマなのだろうか? 字面をそのまま解釈するなら「旧車=旧いクルマ」だから、モデルチェンジされれば、それまでのモデルは旧型となって、旧車の仲間入りと考えることもできる。 でも、イメージとして感じるのは、ある年代以前に生産されたクルマ。 またイギリスのミニのように、1959年の誕生から2000年に生産完了するまで、基本的なデザインを変更することなく生産されていた特例もあった。 90年代末期には、ミニは新車で買えるクラシックカーだと表現する人もいた。 ▲1998年発売の限定モデル、スポーツパックリミテッド。ボディカラーは塗り替えられている では、ある年代とはいつなのか? これは線引きが困難なテーマだ。 例えばR32型スカイライン。 ボクの感覚だと新世代モデルの部類であるが、デビューは89年だから旧車といってもおかしくないのかもしれない。 そこで考えたのが下記に示す旧車の世代分類だ。 分類することで旧車の話をする上で的が絞りやすくなるし、これから旧車道(?)に足を踏み入れようとする人にもイメージしやすいと思うからだ。 ■旧車第一世代:公害対策以前のクルマ 基本的に1973年までに生産されたモデルを示す。 ▲1969年型の対米輸出モデルで、国内ではフェアレディ2000、現地ではDATSUN 2000と呼ばれていた。我々愛好家は、型式であるSR311またはSRL311(輸出仕様)と呼ぶことが多い 日本の自動車産業が、自動車先進国である欧米に追いつき追い越そうと躍起になっていた時代だ。 1964年の東京オリンピック開催を目指し、道路をはじめとするインフラが急速に充実。 1963年には鈴鹿サーキットで第一回日本グランプリが開催されたことにも刺激を受け、国産自動車の高性能化に拍車がかかった。 各社の開発競争も激化し、その結果、今でも魅力に溢れる多くの名車が誕生している。 トヨタ2000GT、1600GT、S800、スカイライン2000GTR、S54型スカイライン2000GTA&B、510型ブルーバード、初代シルビア、フェアレディ1600&2000、ホンダS600&800、コスモスポーツ、ベレットGT&GTR、117クーペ、そして初代のサニー&カローラなど、時代を超えて輝く魅力的なモデルの宝庫だ。 ■旧車第二世代:公害対策初期から、パワー復活のきざしが感じられるようになった時代までのクルマ 概ね、1973年〜80年代初期頃までのモデルだ。 ▲は80年型サニークーペGX。旧車といってもかなり新しく感じる後期型の310サニーである。パワーステアリングやパワーウインドウなどの便利装備はないが、エアコンさえ装着すれば近代的モデルとほぼ同じ感覚で楽しめる 大気汚染防止のために自動車の排出ガス規制が強化されたことから、1973年以降、華やかだった国産スポーツカーは牙を抜かれ、自動車趣味人にとって暗黒の時代に突入する。 点火時期を遅らせたり、酸化触媒コンバーターを装着することで排出ガスを抑えることから始まったのだが、メーカーは年々強化される規制値に対応しなくてはならなかった。 目標としていた規制値を完全に達成できたのは1978年施行の昭和53年規制から。 三元触媒コンバーターの実用化によって達成できたのだ。 規制クリア後は、再び高性能化の流れが戻り、元気で楽しいクルマが復活。 今でも高人気のAE86型レビン&トレノや、KP60系スターレット、「マッチのマーチ」で知られる初代マーチ、直列3気筒エンジンを実用化したシャレードなど走りが楽しいクルマが数多く誕生している。 また、デートカー的イメージが強かったが、当時としては高いボディ剛性とバランスの良い軽量ボディで、FFながらFRに近い挙動を示す軽快な走りが魅力の初代プレリュード誕生もこの時代だ。 ■旧車第三世代:基本的に80年代中期から20世紀末(2000年)までに誕生したモデル 80年代半ばをすぎると、世の中はバブル景気で大賑わい。 ▲走行会仕様にモディファイされたホンダS2000。1999年に発売され2009年をもって絶版となった。イメージとしてはまだ新しいが、後継モデルのない絶版車であり、生産終了が発表された時点で旧車と同等以上に珍重されているモデルだ 旧車第二世代に誕生した初代ソアラが83年のマイナーチェンジ以降販売台数が増え続けていたが、86年に2代目にモデルチェンジするとさらなる大ヒット車となる。 日産の高級セダン「シーマ」と共に、ハイソサエティカーブームを巻き起こした。 スポーツモデルも元気いっぱいで、R32〜R34スカイライン、S13〜S15シルビア、アルテッツァ、SW20型MR2、EF型シビック&CR-X、インプレッサSTi、ランサーエボリューション、そして初代マツダ(ユーノス)ロードスターなど、各社の力作が次々に誕生している。 日産Be-1やパオ、フィガロ、エスカルゴといった限定生産車両や、異業種とのコラボレーションによるトヨタのWILLプロジェクトなど、個性に溢れるクルマが数多く出現したのも旧車第三世代だ。 旧車というより、ネオクラシックな絶版車という感じだけど実用性は高く、気軽に付き合える近代的旧車としての存在感は格別だ。 ■迷ったら「自分が興味を持つクルマの世代を確認」するといいかもしれない 大雑把な分類だし、各世代とも、世代をまたぐ車種もある。 しかし、自分が興味を持つクルマがどの世代付近にあるかを再確認することで、当時のライバル車が見えてくるからワクワク感もヒートアップしてくるのではないだろうか。 「何年式の〇〇が欲しい」とターゲットが決まっているならまっしぐらに進めば良いが、まだターゲットが決まっていないのであれば、世代ごとに魅力を感じるクルマをピックアップするといいかもしれない。 さらに予算を加味しながら少しずつ絞り込んでいくと良いだろう。 実際、ボクの初マイカーもこの方式で選択した。 もっともその当時はまだ旧車という概念がなく、モデルチェンジによって人気が出た旧型モデルや、公害対策等の理由で消滅した絶版車が注目されはじめた頃。 ネットなんてない時代だったから雑誌広告が大きな情報源で、興味あるクルマを見つけるとショップの住所&電話番号をメモし、並べ替えて効率良い訪問方法を考えて見に行ったことが懐かしい。 ■ピンポイントで狙うなら、辛抱強く、ジックリ構えることが大切 具体的な車種が決まったら、いよいよクルマ探しだ。 ターゲットとなるクルマが、旧車の中では新しい旧車第三世代のモデルであれば、情報も多く見つけやすいだろうけど、旧車第一世代&第二世代となると簡単には見つからない。 ・・・となると焦ってしまい、別の車種で妥協したくなってくる。 これは、「あのクルマが欲しい」から「あのクルマが」がするりと抜けおち「欲しい」だけが大きく主張してくる恐ろしい症状だ。 ボクも何度かこの症状に支配され、見に行った販売店で、ターゲットはすでに売れてしまってなかったけど、その時たまたま在庫にあった別のクルマを買っている。 でもね、不思議なもので、しばらくすると最初に狙っていたクルマがポロッと現れてくる。 もちろん、偶然の出会いの結果がすべて失敗だったわけではないけど、ピンポイントで狙うなら、辛抱強く、ジックリ構えることが大切だと思う。 ■「買いたい」と思えるクルマに出会えたら、コンディションチェックは必須! ボクの場合、まずボディ全般を観察したのち、下回りを覗き込む。 見たところで状態はよくわからないが、腐食部分や下回りのサビが目立つ場合は評価が下がる。 次にエンジンルーム、トランクルーム、そして室内をチェックする。 最後にエンジンをかけ、試乗できる場合は試乗して、その個体を感じとるようにしている。 このときのチェックポイントは音やクラッチの状態、ミッションの感覚、手を離しても真っ直ぐ走るかどうかなど。 オートマ車の場合は、停止した状態でブレーキを踏みながらニュートラルからリバース、ニュートラルからドライブとシフトして、シフトショックやシフトタイミングの遅れをチェックする。 旧車第三世代のモデルの場合、エアコンの効きやパワステの動きなどの快適装備も重要なチェックポイントだ。 まぁ、ボクが魅力を感じるのは40年以上前のクルマ、つまり旧車第二世代以前のクルマが大部分。 少々の問題は仕方がないことなので、大きくイメージと乖離している場合は別として、基本的にはさほど気にしないようにしている。 ただし、そのままで普通に乗ろうと思って買ったクルマでも、いざ自分のモノとなると、どうしてももっと良くしたくなってくる。 現車の観察は、購入後にかかる改善費用を想定する時間ともいえるかもしれない。 旧車と初めて付き合うという人にとって、購入時に、購入後にかかる改善費用を想定する感覚は理解できないかもしれない。 でもね、どんなに良いコンディションのクルマであっても、経年劣化という現象からは逃れられないわけ。 例えばタイヤ。 まだ山が充分に残っていたとしても、数年以上前のタイヤではいつトラブルが起きてもおかしくない。 安全で快適な旧車ライフを楽しむためにも、交換を前提に考えた方が良いと思う。 また、個人売買やオークションなどの現状販売車両であれば、購入直後に、すべてのオイル交換に加え、オイルフィルターや燃料フィルターなどの交換もやっておくべきだろう。 ■まとめ:積極的に出会いを求めていこう! いろいろな注意点はあるものの、魅力を感じたクルマを特定したなら現在の豊富な情報量を駆使して積極的に出会いを求めること。 そして、予算面がなんとかクリアできるなら、勇気を持って旧車ライフをスタートすると良い。 オイルレベルや水のチェックなどの古典的走行前点検作業に始まるクルマとの対話も楽しいし、走行中のサウンドや独特の匂いもたまらない。 旧車ライフは、手をかければかけるほど、ともに過ごす時間が長ければ長いほど、愛車とのキズナが深まるのだ。 そして、いつの日か心が通じ合い、愛車のちょっとした不調でもすぐに感じ取れるようになる。 そんなときは、「変だと思ったらすぐ工場」を励行すること。 そうすれば、意外なほどフツーに旧車ライフをエンジョイできるはずだ。 クルマとの出会いは偶然と思えても実は必然。 チャンスを逃さず一歩を踏み出し、ディープな旧車の世界を堪能していただきたい。 [ライター・撮影/島田和也]
去る2021年の4月1日、エイプリルフールに契約をしたS660。 今年の2月にようやく納車され、これまで2000キロを走破しました。 割と公私ともに古いクルマに縁がある筆者にとって、久しぶりの新車ではありますが、それでもこのクルマには旧車の魅力が多く詰まっていると感じるのです。 今日はそんな、まったく旧車ではないホンダS660に乗って懐かしい気持ちになった、という話です。 ■「最後の旧車」がそもそもの購入理由 約10ヶ月待ったすえに納車されたS660。 これまで、雑誌の取材で何度も広報車に乗ったことがあるクルマだったはずですが、マイカーとしてお迎えすると意外な発見や気づきも多いものです。 そして「よくもまあここまで頑張って作り続けてきました」と思います。 軽自動車規格で作って、世の中的にはやれ「高い」だ、「こんな使えないクルマによくもまあ!」といった評価もよく耳にしました。 しかし、エンジニアさん的にいいこと思いついたかもしれませんが、スペース効率を最優先し、今や大人気のNシリーズ向け、要はFF車用の極めて幅(前後方向)に薄いエンジンをミッドシップ。 色々手も込んでるし、あまり効率的ではないなあと感じる箇所も多々見受けられるこのクルマ。 これでは多分作ってもそれほど利益にはつながらないでしょう。 ホンダのような量販自動車メーカーが作り続けてきた姿勢には一定の評価を下してもいいと思いますし、また、それありきで企業運営が制限されるとなれば、それもそれで由々しきこと。 生産終了も当然のことと思うのです。 ただ、それだけに生産終了のニュースを聞いたときは「なんとなく一目置いていてチャンスがあれば欲しかったクルマ、また買いそびれたか」という気持ちが強かったものでした。 「みんな持ってて僕だけ持ってないんだ」と駄々をこねる子どもではないけれど、自動車メディア関係者で比較的近しい人が立て続けに契約書にハンコを押し出したことは、当時(2021年春)に私をディーラーへと誘ったことに少なからず影響しました。 「もう永遠に新車で買うことができないのではないか」という、ある種の「危機感」が話だけでも聞きに行こうと思わせ、予算オーバーというか、具体的な予算目算は「組んですらいなかった」ものの、わずか30分で購入を決めることになろうとは。 「エイプリルフールであってほしい」と自分自身思ったのもまた事実であります。 車重830kg、絶対的にはそこそこありますが、今となってはなかなか軽量な部類です。 内燃機関だけで動き、ツーシーターで屋根を脱着できることを、安全装備などへの忖度に屈することなく実現する。 乗って爽快感があるマニュアル車、ホンダも2度と作らないだろうし、日本車ばかりか、欧州車でさえ、この手の話では最後の楽園であるように感じるロータスでさえ怪しい雲行き。 生産資源の有効活用を考えたら、常識的に、金輪際2度と登場もしない可能性が高い。 すなわち、ラインオフすることはないのではないか、という確信に近い予感がしたのでした。 旧弊かもしれないけれど、私たちが慣れ親しみ、憧れてワクワクした、あのクルマたちの魅力を持った最新のクルマ、最後の旧車がS660なのではないか。 そう思ったのが私がそもそも商談のテーブルに座ってみようと思った理由だったのです。 ■パワーウエイトレシオでは幻のS360に近い 660ccの3気筒エンジンで64馬力、数字で見ればそんなに力はありません。 乗ってもなかなかマイルドです。 でも小ぶりな1300cc以下のコンパクトカーなどと比べたらそれでも元気に回ります。 十分に身軽な感じ。 これは表現されているわけです。 ターボで過給されるのでトルクもあります。 あとは、重量物が車体中央に集中していますので、回頭性も高く、加減速も十分に機敏。 どちらが速いか、でいえば大きな排気量のクルマや、本格的にチューニングしてあるクルマには敵わないかもしれません。 でも、「軽快さ」、パワーで重さを解決していきますという乱暴なものではなくて、車重を少なく抑えています。 曲がったりするときのねじり、モーメントなど重力や遠心力の影響が少ない感じ。 今時のパフォーマンスカーにはない、これもクラシカルな良さではないかと思うのです。 ツインリンクもてぎに行った際、ホンダコレクションホールに立ち寄り、展示してあったS360(実際には販売はされなかった幻のモデルのレプリカ)を見る機会がありました。 排気量360ccで33馬力。 その車重が510kg。 パワーも車重もS660の方が重いもののの、技術レベルも違う当時としては相当頑張っていてんじゃないか。 そしてそれを当時のホンダの、とにかく高回転型のエンジンで、というのは興味深いところです。 いずれにしても、余分なことは排除して、思いっきり走る。 重さもパワーも、ホンダスポーツの「原点の2倍弱」というところ。 パワーウエイトレシオではそこそこ近いのではないか。 この感じこそ、クルマで味わう爽快感の原点?そしてホンダの原点?そんな気がしていたところでした。 ■この国の自動車の往来を想定していない旧街道で風土に浸る とうに売り切れになって自分には関係ないと思っていたクルマが買えてしまった。 これは達成感とかとは別の、通常はむしろ一物一価で厳密には2台と同じクルマはないはずの中古車選びなどで感じることが多い、一言では言い表せないような「縁」のありがたさなどを感じるのです。 そうなると、出かけた先で神社仏閣など、案外近所にもいいところが少なくないので、お参りをする機会も増えたように感じます。 こういう施設は古くからその地域を守っていたりして、その関係で、位置関係が今の都市計画の区画ではなく、旧道、旧街道の辻などに位置していることが少なくありません。 近くまではいい道が整備されているが、真前はクルマの往来を想定していない時代の道だったりということもしばしばあるものです。 昔の五街道などといっても、今の道幅で言うと路地レベルの道幅だったりする箇所も少なくありません。 そんな場所を走るのに、安全装備ダクダクの今時の自動車は大いに持て余すことでしょう。 こういうところでは、断然旧規格の古いクルマ、せいぜい軽自動車といったレベルがちょうどいいと感じさせてくれるものです。 ちょっと役所に行った帰り、銀行や買い物のついで。 そんな日常の合間で近所のパワースポットを再発見できる。 これ自体妙に嬉しいものです。 「ん?なんだかお導きかな?」こんなふうに思えてきたりして。 実は自分の暮らし、すぐ周りにこんなスポットがあったのか。 小さなくるまはそういうものを教え気づかせてくれたりもするのですね。 昔の車は小さかった。 だからこそ地に足がついた日々の暮らし。 地域に根ざしたカーライフ。 出かけた先々にある「軽自動車専用」という駐車スペースなど、小さなクルマのアドバンテージ、S660は、誇り高く「軽自動車」を堪能させてくれています。 ■アイドリングストップはなくていい S660にはアイドリングストップ機構がありません。 セルモーターへの負荷も小さくないですので、そこにゆとりを持たせ、対応の巨大なバッテリーを搭載する選択肢はなかったのかもしれません。 窒素酸化物等の有害物質も、始動時の排出がかなりの割合を占めます。 ストップアンドゴーを繰り返す都市部の路上で、いちいちアイドリングストップをすることが果たして環境にやさいいことなのかは実に議論の別れるところでしょう。 最新のクルマのなかにはあえてアイドリングストップ機能を省いているモデルもまた出てきています。 そもそも低燃費なクルマは、走行時にその好燃費を叩き出し、停車中はもったいないから止めてるだけ。 10秒以内に再びエンジン始動は正直燃費貢献の観点でも「瑣末なこと」なのでしょう。 大体S660も燃費を意識せず、しっかり回して走って、街中メインでリッターあたり17キロほど。 今時「燃費がいい」と声を大きくするレベルではないのかもしれませんが、まあ不満はないレベル。 あの小気味よい感じは、繰り返しますが、昔からあるライトウェイトなクルマの爽快感と、エンジンの奏でるビート感を楽しみつつ燃費も諦めない。 停止したら、鳥の囀りや風とともに歌う。 むしろ、そんな「内燃機関のが寄り添いつつ主張する」という感じも自動車往年の自動車の面影のように感じるのです。 ■そもそもクルマは「雨風凌げる+アルファ」だったはず 今の世の中にもっとも欠けているいること。 それは「許容すること」ではないか、と思うことがあります。 ボーダーレスとか、非常に幅広い視座が求められる世の中でありながら、すべての課題が解決すべき高いハードルとして積み上げられていくばかりで。 困難を「乗り越えることが成長」という旗印のもと、他者にも、自分にさえ追い込みをかける。 自動車もそういう面は少なくないでしょう。 安全、低環境負荷、人に優しいモビリティ。 確かに新しいクルマは優れているし快適。 けれど、それでなければならないか?と冷静になってみればそうでもない機能がとても多いということはないでしょうか? もちろん、それほどまでに快適なクルマが当然に買えて、昔の贅沢装備が最低レベルなものとして、標準装備で用意されたりしている。 それはとてもありがたいこと。 そういうものを利用できることには、どれだけ感謝しても、し尽くしたということはないでしょう。 しかし、そういう機能は未来永劫担保されるのでしょうか。 あらゆる便利な機能がコンパクトになっている。 当然「電気仕掛け」。 独立配線がハーネス化されて、いるわけではありませんね。 さまざまな可動部分がプリント基盤で繋げられる。 もちろん耐久試験はしているでしょうが、果たして何年持つのか。 そして壊れた時にはいくらかかるのか。 部分補修はできるのか。 考えると個人的には結構深刻になってしまいます。 それでいうと「小さく完結していた昔のクルマ」から、自動車はどのくらい進歩したのか?時々わからなくなるのです。 この下りは前にも書いたかもしれませんが、「もっと安全にしないと」とボディを大きくすると、重たくなる。 動力性能も、燃費も悪化する。 構成部品も大きく重たくなる。 当然ブレーキ・タイヤなどもすべて大きくなる。 今度は性能が向上したので、さらに、安全なものにしなくては、と、ボディが大型化するし、さまざまな機能や運転支援装置などが付加される。 この悪循環の直中に自動車の「進化だと我々が思ってきたこと」はあるのではないか。 この考えを覆すに十分な発見や感動は今のところない、というのが個人的には率直なところなのです。 クルマに多くを求めすぎているのではないか。 そう、反省を含めて感じることがあります。 昔は雨風凌げる「馬なし馬車」だったはずなのではないか、自動車とは。 もちろん、この手のものは富裕層が導入して広まり出しますので、ある種社会的地位や、富の象徴的記号という役割も、黎明期からあったでしょう。 贅沢装備を盛り込むという要素自体、それ自体を否定するつもりはありません。 それでも、大量生産大量消費的なプロダクトというのは、自動車のあり方として考えるべきもの。 博物館へ行って思うのは、カローラ、クラウンの初代モデルの作りのていねいさ。 世に出すならこのくらいは、というメーカーとしての節度というか、メーカーからオーナーへの「メッセージ」のようなものを、例えば窓の周りのモールや、ボディの作り込みに感じるのです。 これは「世の中に出す以上はちゃんとしないと」という、何か「よそ行きの緊張感」に近いものかもしれません。 機能や装備はシンプルであっても風格はある。 それが見映えとなり、やがて路上で人の目に止まる。 クルマへ羨望を集めなくてもよいが、作り手の魂が眼差しを集めるのではないか。 その点、S660はぱっと見は今時のクルマにはなってしまっています。 二人乗りの軽自動車で800キログラムオーバーの車重、絶対的には決して軽量ではありません。 それでも、今時のクルマとしては器としても、機能としても最低限。 そこに清々しさを感じたものでした。 そして、オーバーな言い方をすれば、こういうクルマが新車で販売されることは未来永劫ないだろうと。 ホンダのような量産量販メーカーで、何かが間違って、魔が差せばはんこを押せるレベルの価格で販売されることは私が生きている間では2度とない、と断言に近い予感がしたので購入したというのが正直なところでした。 実はこのクルマ、涼しい夕方に幌を外してというのもいいですが、雨の日のドライブも楽しいものなのです。 赤い幌のルーフトップで駐車場に待っているのを見るのも楽しいですし、乗り込むと、パラパラとその屋根を叩く音がするのです。 幌をしているとそんなに広くはないものの、妙に居心地の良い狭さ。 広い駐車場のコンビニに停めてしばらくその雨音を楽しんだりして。 「クルマは傘だ、雨風しのげて、ホントありがたいよね」トランクもない。 こんな「色々不便なクルマ」です。でもそのクルマが私に「ありがとう」と感謝の念を抱かせてくれるなど、どうして2021年4月1日、私がその販売会社で押さえていた最後一台のモデューロXバージョンZを縁あって注文した時点で思ったでしょうか。 エアコンとナビ、シートヒーターなんかついているのです。 これ以上期待してはバチが当たる。 クルマの装備、これでも十分すぎと思うほどなのです。 このクルマにはクルマ本来の「ありがたさ」が生きていて、どんなクルマも買ってみると見えてくることがあるものです。 ほんとこの二点、クルマ選び、クルマ購入の本質だと思います。 だから、タッチアンドゴーで九州往復、2,500キロのグランドツーリングから帰ってきても「30分だけで、ちょっと一回りしますか」という気持ちになれるのです。 出かけるのではなく「ただいま!をいう代わりのちょっとした挨拶ドライブ」乗るとホッとして、少し元気がもらえる。 なかなか良いものです。 だから、オドメーターは納車5ヶ月すぎて2000キロ強。 中込の所有車としてはものすごく遅々たる歩みのようですが、距離の積み増しの「密度」が今までの他のクルマとは違う。 やはりクルマのプリミティブな魅力、何事にも替え難い相棒感のようなものを感じています。 納車から約半年、全く旧車ではありませんが、S660を通してクルマ本来の魅力楽しさ、そして価値を噛み締めているのです。 しかし、雨の日も楽しくなるのはこのコーティングのおかげもあるでしょう。 江戸川区のアクティブガレージ阿部さんに薦めていただいたXPELのフュージョンプラス。 塗装面を強化に保護することに加えて、水弾きもよく、何より汚れが沈着しにくい。 このおかげで、S660を傘としてもとっても気に入って使えています。 [ライター・画像/中込健太郎]
■気づけば遠い「13年」という年月 ▲トヨタポルテの初代型は2004年発売。発売から18年が経過し、すっかり「MODERN CLASSIC」の世代の仲間入りだ。 欧州のエンスージアストたちの間では90年代から00年代のクルマの愛好家が増え、現地の自動車雑誌では「MODERN CLASSIC」を掲げた専門誌や特集を見ることも少なくない。 内容を眺めるとケイマン(987)やランサーエボリューションⅨなど、2000年代後半にかけての車両にもフォーカスが当たる時代だ。 まだまだ最近だと思っていた00年代から13年が経過した。 「すでにiPhoneがある時代」と聞けばさほど昔には感じないが、「アナログ放送が停波していない」ことや「東京スカイツリーがまだ途中までしかできていない」と捉えると、令和がすでに4年目である事実を感じられる。 「13年」というキーワードを聞いて、古いクルマが大好きな読者様がつい意識させられるのは、自動車税の15%増税タイミングだったりしないだろうか。 ■まだ旧車ではない?将来に残るか今が正念場の旧車予備軍たち 今回紹介するトヨタ・ポルテは2007年車。 「街でまだまだ見かけるじゃないか」と言う声も聞こえてくるような気もするが、すでに新規登録から13年を軽く越えた車両だ。 旧車王ヒストリアの読者様ならば、「まだまだいけるぞ!」と強気にいえるかもしれないが、一般的なユーザーならば「そろそろ潮時…」と、感じてもおかしくない位の年代のクルマであると思う。 だからこそ、これらの車両たちが本当の旧車になるには今が正念場だと筆者は考える。 ちょうど13年前の2009年、日本でも欧州の国々に習い、自動車の買い替えを促す各種優遇政策の「スクラップ・インセンティブ」を導入した。 環境対応車への買い替えにおける減税や補助金と引き換えに、それまで所有していた車両を引き取り、スクラップにすると言うものだ。 2009年頃の新車ディーラーでは、工場脇にかなりの台数の旧型車が並べられていた。 その多くが中古車市場などに再度流通することなく、この世から姿を消していった。 今となっては自動車雑誌やイベントで注目される80年代、90年代車達もヤードの奥に随分と並んでいたことを忘れていない。 筆者もディーラーの方に許可をとって「せめて写真だけでも…」と、撮影させてもらったことを記憶している。 とはいえ、現在スクラップ・インセンティブが実行されているわけでもなければ、廃車によって優遇措置を受けられるわけでもない。 筆者が伝えたいのはそのクルマを役目を終えたとして捉えるか、それともこれから価値を帯びるクルマとして楽しむかで、随分未来が変わると感じているのだ。 ■気軽に味わうレンタカーという選択肢! そんな「旧車予備軍」の車両を気軽に楽しめたらいいな、と思い立った時にふと「どこかでレンタルできないだろうか」と考えた。 スポーツカーや趣味性の高いモデルならば専門のレンタカーショップなどでも借りることができるが、いざカジュアルなモデルを味わおうとすると、街中ではよくすれ違っても借りるとなるとハードルが少し高くなる。 筆者が行き着いたのはニコニコレンタカーだった。 比較的新しい車両に力を入れてリーズナブルに貸し出しを行っている同サービスだが、中古車をベースとしたレンタカーも多く、探せば店舗によって古い年式のモデルを借りることも可能である。 前置きが長くなってしまったが、そんな旧車予備軍のなかから今回はエポックメイキングな車両をレンタルしたく、この初代ポルテに触れてみることにした。 ■生活に根ざしたエポックメイキングなレイアウト ▲オーディオ、空調類だけでなくスライドドアのスイッチまでも中央に集約した操作系。配慮は運転者だけでない部分が設計思想に見え隠れする スライドドアを採用したモデルという点であれば、3代目アルトのスライドドアスリムやプジョーの1007が存在する。 両側スライドドア、もしくは助手席側のみヒンジドアとなっており今回紹介するポルテとは異なるレイアウトを採用している。 初代ポルテは運転席側にヒンジドアとリアハッチ、助手席側に大開口の電動スライドドアを備える3ドアハッチバックだ。 全長は現行ノートと同じく3990mmとコンパクトではあるものの、全高は1720mmとスーパーハイトワゴン系のダイハツタントより30mm低い程度で室内の広々感はかなりのものだ。 イタリア語で「扉」の意味を表すポルテの通り、とにかくその助手席ドアの印象は大きい。 インパネの真ん中にあるパワードアのボタンを長押しすれば、運転席からでも助手席からでもドアの開閉が可能だ(もちろん助手席ドアからでも可能である)。 ナビはトヨタ純正のDVD方式で、MDは長時間録音形式の「MDLP」に対応している。 ▲当時、トヨタのコンパクトカーの多くはまだエンジン始動までボタンで行えるスマートキーではなく、鍵の施錠のみが可能なスマートドアロックを採用。エンジン始動用の鍵と共にキーフォブを携行する必要があった ▲レイアウトだけでなく、それぞれのシートや物入れなどいたるところに工夫が見える。限られた空間をいかに有効活用できるかも日本車のお家芸といえよう 巨大なドアを開けると、シートスライド不要で助手席、リア席どちらにも乗り込むことが可能だ。 まず乗り込んで目につくのはその収納の多さだ。 カップホルダーや収納をできるだけドアやインパネ内に納め、左右座席へのウォークスルーが容易なレイアウトになっている。 撮影車はオプションの大容量センターコンソールが取り付けられていたが、標準状態ではフロント席からリア席への移動も余裕のある天井高のおかげで容易だ。 助手席は背面をパタンと前に倒しシートバックをテーブルにすることも可能だ。 このあたりは近年の軽自動車にも見られる装備ではあるが、ここまでしっかりしたシートを2000年代中盤から真剣に作り込んでいる点は流石である。 ■まったりした乗り味が魅力のワゴン...いや、ハッチバック!? 着座位置は高く、最近の軽ワゴンなどとも似た雰囲気だが、比較するとフロントウインドウの上端が寝ているためゆったりした居心地の良さがある。 ハイウェイクルーズやワインディングをキビキビと攻めたくなるタイプのクルマではないが、ミニバンなどともまた一味違うまったりとした乗り心地が魅力だ。 リアシートに移動してみよう。 シートのクッションがフロント席とは大きく異なり柔らかく沈み込むのが印象的だ。 フロント席が肘付きのちょっと良いオフィスチェアだとすれば、リア席はリビングのソファだ。 座り込んだ瞬間もっちりとした感触に心奪われる。 特に、運転席の後ろにドアがない分、リア席右側はカップホルダーや物入れスペースがかなり充実。 シートの周りになんでも揃っている雰囲気、どこかで見たことあるなと思ったら国際線のビジネスクラスのシートとなんだか似ているような気がするのだ(残念ながら筆者はビジネスクラスに乗ったことがないが)。 リア席はもっちりしているだけが芸ではない。 座面を跳ね上げれば大型の荷物がすっぽりと収まるようになっている。 背の高い折りたたみ式のベビーカーや小型の自転車なら収まってしまうと言うのがメーカーの触れ込みだ。 リア席もシートバックを前側に倒すことが可能で、助手席も同時に倒せば長尺物が余裕で入ってしまうのも魅力だ。 これらの機能は最近のハイトワゴンではできることも多いのだが、あくまで2004年に発売された3ドアハッチバックの話である。 搭載されるエンジンは1.3リッターの2NZ。 車両総重量は1090kgと、電動スライドドアを装備した乗用車としては意外と軽いような気もするが、全体的なまとまり含めてどっしりとした走りをもたらしている。 タイヤは175/70R14と程よいサイズ感で、足回りからはマイルドな感触が伝わってくる。 前方視界はすこぶる良好だが、後方視界にも不安は少なく「家族で乗りたいけど3列シートはちょっと長すぎて不安」という人にも候補に入れてほしくなる一台だ。 ■「ユニバーサルデザイン」の体現 数あるクルマの選択肢からどんなクルマを選ぶのか、ライフステージに合わせてさまざまであると思う。 そんななか、ポルテというクルマの存在は乗る人の生活を中心とした優しさを感じさせる。 90年代後半以降、ユニバーサルデザインを自動車作りにも反映させ、研究していたトヨタ自動車。 その活動は初代ラウムで結実し、以降幅広い車種に波及していく。 まさにポルテもそういった視点が盛り込まれた車両で、福祉車両のウェルキャブシリーズには助手席シートの仕様だけでもかなりの種類がある。 また、助手席シートだけに止まらず、運転席シートがそのまま自走式電動車椅子になるウェルドライブ「タイプI」なども設定されていた。 ■選べるうちに味わう00年台車の味 「移動」というニーズへと、細やかに対応しながら作られたポルテ。 気の置けない仲間とのんびりとした遠出を楽しんだり、子供一人目くらいまでのファミリーには今でも大変重宝されそうだ。 何より、この世代のクルマはとにかく今の相場価格がかなり安い。 今回はレンタカーでその良さを味わうことができたが、つい日常生活のなかでポルテの良さを知りたくなってしまう。 中古車でまだ色やグレードが選べるうちに、このエポックメイキングな00年代車を味わってみるのはいかがだろうか? [ライター・撮影/TUNA]
ハマーはアメリカのAMゼネラルが発売した軍用車ハンヴィーの民間仕様車として、1992年にハマーH1の販売を開始したフルサイズSUV。1999年以降はAMゼネラルから販売権を買い取ったゼネラルモーターズがハマーを生産・販売していましたが、惜しくも2010年に販売を終了しました。 しかし、2022年にEV(電気自動車)として復活することが発表され、本国アメリカのならず世界中から再び注目されています。今回は、そんな販売終了後も人気があるハマーの歴史やラインナップ、さらに中古市場相場が現在どのようになっているかをご紹介していきます。 軍用車ベースで開発されたハマーH1 ハマーH1は、俳優アーノルド・シュワルツェネッガー氏の要望により、軍用車のハンヴィーを民間仕様車に改良したSUVとして、1992年から2006年までの14年間販売されていました。 全長約4.7m、全幅約2.2m、全高約2mという大型ボディに6.2Lの大排気量ディーゼルエンジンを搭載し、サスペンションは前後ダブルウィッシュボーン式を採用しています。 民間仕様と言ってもスペックは軍用車のハンヴィーとほぼ変わらず、1994年モデルから排気量を6.2Lから6.5Lに拡大。1995年には5.7Lのガソリンエンジンを搭載したモデル、1996年にはディーゼルターボエンジン搭載モデルも追加といったように、年々その仕様を変更、向上させていきました。 そして、2005年にはいすゞ製の8GF1型ディーゼルエンジンになり、車名は「H1アルファ」に変更。しかし、2006年のガソリン値上げによる売れ行き悪化と、2007年の排ガス規制に対する対策の目処が立たず2006年に販売終了となります。 カスタムベースで人気なハマーH2 ハマーH2は、軍用車と関係のない民間車としてシボレー タホをベースに開発。先代H1のイメージをできるだけ継承して制作され、2002年から2010年までの8年間販売されていました。 全長約5.1m、全幅約2.1m、全高約2mというH1同様迫力あるボディに、排気量6Lのガソリンエンジンを搭載。H1のような無骨さを残しつつ、より民間利用を意識したSUVに仕上がっています。 H1から大きく変わったのはサスペンションで、フロントにダブルウィッシュボーン、リアに5リンク式リジットを採用。アクスルはハブリダクションではなくノーマルアクスルとし、ごく一般的な足回りとなったため、一部のマニアからは不評をかってしまいます。しかし、H1と比べて広くなった室内や、乗り心地などが富裕層のニーズにマッチし、発売当初から好調な売れ行きを記録したのです。 また、アフターパーツも豊富で、オフロード仕様やラグジュアリー仕様といった、自分だけの1台を作ることができ、販売終了後の現在でもカスタムベースとして人気があります。 小型化が日本にマッチしたハマーH3 ハマーH3はシボレーのコロラドのシャーシをベースに開発され、H2同様に軍用車との関係はなく、2006年~2010年の4年間の販売されていました。 全長約4.7m、全幅約1.9m、全高約1.9mのボディに排気量3.5Lの直列5気筒エンジンを搭載。排気量は小さく、直列エンジンのため、ややアメ車らしいインパクトに欠けます。2007年モデルから排気量が3.7Lにアップされたもののトルク感は薄く、アメ車らしいフィーリングが感じにくいことで、発売当初アメリカではあまり評判がよくありませんでした。 そこで、2007年9月に5.3LのV8エンジンを搭載したH3 ALPHAが登場。最大トルクが31.0kg・mから44.3kg・mにアップしたことで、それまでのトルク不足は解消されます。 H2と比べてコンパクトなボディのため、室内空間はやや狭いものの、ハンドルの切れ角が大きく最小回転半径は5.6m(H2は6.8m)と向上。アメ車っぽいワイルドなデザインを持ちつつ、その適度なサイズ感と取り回しの良さは、かえって道が狭い日本のユーザーから好まれています。 いまハマーを売るなら?買うなら? 2022年6月の原稿執筆時点で、ハマーを中古車相場(大手中古車情報サイト)と買取相場(旧車王)をH1、H2、H3別に紹介します。 まずはH1から、中古車相場は548万円~980万円で掲載台数は10台。しかし、価格が提示されている車両は少なくほとんどが「応談」と表示されています。新車価格が約1,900万円のため、妥当な中古車相場といえるかもしれませんが、価格がはっきりしないことで手が出しにくいかもしれません。また、買取価格はサンプルが少なく最大買取価格750万円となっています。 次にH2、中古車相場は192万円~819万円で掲載台数は100台以上と探しやすく、多くの台数が国内で流通していることがわかりあす。買取価格はこちらもサンプルが少なく、最大買取価格が650万円。ただしH2はカスタムベースとして人気のため、新車の最上級グレード956万円と比べてもかなり高値で取引されているといえます。 最後にH3、中古車相場は160万円~340万円で掲載台数は約50台とやや少なめ。買取価格は130万円~250万円でした。SUV市場が車種を問わず人気であることを勘案すると、特別高騰しているわけではありませんが、今後、ハマー全体の台数が少なくなっていくにつれて高騰していく可能性は十分にあります。 まとめ 軍用車のハンヴィーを祖先に持つハマーは、市場での人気によって受けて時を経るごとに様々なモデルが生み出されてきました。H1は軍用車と遜色ないハマー、H2はカスタムベースのラグジュアリーなハマー、H3はコンパクトで日本でも乗りやすいハマーという認識で、自分に合ったハマーを選べるのもハマーならではの魅力かもしれません。 そして、ゼネラルモーターズは2022年にピックアップのハマーEV、2023年にSUVのハマーEVを市場に投入すると発表しています。これまでハマーが培ってきた迫力とワイルドな魅力に、最先端EVの技術やラグジュアリーな内装をどう融合してくるのか、ハマーファンならずともぜひ注目していきたいところです。
旧車趣味は、ハード面やソフト面を問わず「ハードルが高い」というイメージを持たれている方が多いはず。 ・・・と同時に、強い憧れを抱いている方も少なくないと想像します。 今回、ポンコツ愛好家というハードウェア中心になりそうな筆者が、ソフトウェア的な観点(例えば、対人間)など、多くの方たちに旧車適性があることをお伝えし、前述のような方たちの背中を少しでも押すきっかけとなれば幸いです。 ■ポンコツ愛好家からみた、最先端の旧車ライフとは? ▲旧車関係では空冷のフォルクスワーゲンについて、イベントに参加した際の動画を配信しています。「■旧車イベント フラバグ・ファイナルに行ってきた」 こんにちは!はじめまして。 私『ポンコツ修理系YouTubeチャンネル・ベアマンチャンネルのクマダトシロー』と申します。 主に、ヤフオクやメルカリにて一ケタ万円で取引されるようなポンコツ(?)車を中心に、ちょっとした修理やカスタムをメインにした動画を配信しております。 旧車と呼ぶ・・・までには至らない、ネオクラシックな年代の車両が動画のネタとなっておりますが、筆者であるクマダはもともと旧いクルマやバイクが大好物なのです。 例えば私自身が20年近く乗っている愛車は空冷のフォルクスワーゲンです。 さまざまなご縁があり、こちらで記事を執筆させていただくことになりましたが、今回のテーマは「あなたの旧車ライフ適性」についてです。 さっそくですが「旧車」と聞いて皆さまは、どのようなイメージを持たれますか? 当然この記事をご覧になっている皆さまは、少なからず旧車のある生活に興味をお持ちであることと思います。 旧車といえば、古い機械ものであるゆえの不具合や故障など、ネガティブなイメージがあるでしょう。 また、維持管理が難しそうな側面から、なかなか手を出しづらいといった方も多いことかと思います。 確かに、旧車を現代の車両とまったく同じように維持管理できるかといえば、それはかなり厳しいといえることでしょう。 では、まるで専門家のような知識や技術を持ち合わせたうえで、血と汗と涙を流すような努力が必要かといえば、まったくそんな必要はありません。 筆者(クマダ)は、ここ十数年で非常に旧車の維持管理がしやすくなったと感じております。 その要因は「インターネットおよび、SNSの普及」です。 世間では「空前の旧車ブーム」といわれておりますが、事実、以前に比べて確実に旧車に関する情報量が圧倒的に増えました。 筆者が学生であった20数年前は、旧車の情報といえば、数少ない専門誌が頼みの綱でした。 古本屋で当時物の雑誌や専門誌のバックナンバーを棚からほじくり出したあげく、ページに穴があくほど読みこんだりしたものです。 しかし現在ではスマホ検索一発で欲しい情報を得ることが可能です。 かつては、当時物の部品をそろえたいと考えたとき、自動車専門誌の発売日に「売りたし買いたし欄」に目を光らせる必要がありました。 ライバルに先を越されぬように、いち早くオーナーに連絡する必要があったのです。 また、全国各地で日も昇らぬ時間から催される、部品交換会といったフリーマーケットに懐中電灯を持って参加したりしたものですが、現代では自宅から一歩も出なくとも「ヤフオク!」や「メルカリ」でことが足ります。 極めつけは、翻訳ソフトの精度や利便性が向上したことで、海外サイトからも情報を得ることもたやすくなり、その気になれば、海外のオークションサイトでのレアパーツの発掘も可能になってきました。 昨今では、ショップ主催のイベントやミーティングのみならず、SNSを介しての同車種の仲間同志での全国レベルの情報交換も活発化しています。 各メーカーも旧車用のドレスアップパーツや、旧パターン&旧サイズのラジアルタイヤの復刻、旧車用のアルミホイールの販売されるようになってきました。 選ぶ側としても、以前では想像がつかないほどに選択肢が増え、旧車界隈がいままでになく盛り上がっているように感じています。 ■老若男女関係なし!意外と幅が広い「旧車に対する適性」とは? ▲1990年代の車両も今やネオクラシックカーとして旧車の一ジャンルを構成している。「AMG 190E 3.2(W201)」 インターネットの普及(というより定着)が、旧車趣味のハードルを一気に引き下げてくれたのは紛れもない事実です。 「旧車」という言葉自体も定義づけがあいまいなこともあり、非常に幅広い年代の車両を指す言葉になってきています。 ひとつ例を挙げると、以前は旧車と呼ぶには時期尚早とも言われた1980~1990年代のモデルも、昨今は「ネオクラシック」と呼ばれ、立派な旧車のいちジャンルとして定着しつつあります。 よくよく考えてみると、現時点で20代前半の方々にとって、バブル時代の名残が感じられるこの年代の車両は、いわば生まれる前のクルマです。 新鮮このうえないことでしょう。 逆に、アラフォー世代の筆者からすれば、運転免許を取りたての頃にお世話になった、懐かしいクルマばかりです。 このように、旧車といえどもさまざまな種類やジャンルがあり、そのクルマ一台一台への感じ方や趣の持ち方は各個人で異なります。 「旧車」という言葉が、よくいえば「幅広く」、繰り返しになりますが「あいまい」でもあります。 専門知識を持ったうえで、ピンポイントで特定の車種やジャンルのみを取扱うプロショップが増えたように思います。 その結果、専門店が扱う特定のモデルの維持管理において、的確なアドバイスやサポートを受けることができるようになってきました。 これは初心者にとっては、とても心強いことと思います。 さらにインターネットで検索すれば、このような専門店を見つけだすことができるようになりました。 旧車が好きというだけで、どなたでも旧車ライフにのめりこめる環境が整いつつあるともいえます。 もはや旧車は一部のマニアのものではなくなりつつあります。 肩ひじ張らなくとも、乗ってみたい気持ちひとつあれば、誰でもオーナーになれる適性を持っているともいえるのです! ■実は旧車の維持に向いていない方、特有の「3つの特徴」とは? ▲クラシックミニは旧車入門としては最適な車種の一つである。女性オーナーも多い 乗ってみたい気持ちひとつあれば、誰でもオーナーになれる環境が整いつつある旧車界隈。 筆者の20年来の経験上、クルマの知識があるとかないとかにかかわらず、こんな方は旧車維持に向いていないかもしれません。 ここでは筆者の偏った主観で第3位までを発表させていただきます。 ●第3位:クルマに対して現代車の利便性を求める方 旧車とは基本的に不便である。 これは紛れもない事実です。 現代車では当たり前のように装備される機能であっても、旧車には備わらない機能が多々あります。 一例をあげれば、リモコンドアロック。 バブル期真っ盛りに製造されたネオクラシックカーは別として、70年代以前のクルマにはリモコンドアロックが装備されていることはまず考えられません。 それがフェラーリやポルシェなど高級車であってもです。 旧車には近年では死語となりつつある「フル装備(パワステ・エアコン・パワーウインドウ)」が備わらない車種も数多くあります。 なかにはクーラーなど後付けできる車種もありますが、それなりに費用がかかります。 どうしても快適装備が欲しい!という方は、先述の1980年代以降のネオクラシックカーを選択することをおすすめいたします。 ●第2位:他人の意見が極端に気になってしまう方 旧車ライフを満喫し、イベントやミーティングなど仲間で集うようになってくると、当然愛車の情報交換や意見を交わす機会が増えていきます。 さまざまな意見や考え方があると思いますが、なかには○○は××が王道だ!といった意見や、○○は絶対に××であるべきだ!・・・などなど。 具体的な内容はこの場では控えますが、熱意をもった威勢のいいオーナーのなかには、信念が強すぎる限定された意見や、場合によっては排他的な意見を持つ方もいらっしゃいます。 「いってくれるうちが華」という考え方もありますが、あくまでも論客として接しましょう。 このような他人の根拠のない意見を、真剣に協調性をもって聞いていると、自分で気に入って購入したクルマに対して、モヤモヤとした不思議な感情を抱いてしまうかもしれません。 周囲の価値観に影響されて「一生乗り続けます!」なんて言わずに、自分のペースで維持管理していけばよいと思います。 現に筆者の身の回りにも、インスタで一生もの!なんて熱意をもって活動しつつも1年でお乗り換え!なんて方がおりました。 旧車趣味は十人十色です。(注:当然メカニックの維持管理のアドバイスとは異なります) ●第1位:クルマに対してせっかちになってしまう方 旧車を所有するとあらゆる場面で、都度ちょっとした時間を消費します。 例えば、朝一のエンジン始動と暖機運転。 キャブレター車の場合、冬場の冷え込んだ朝には、儀式とまではいきませんが、エンジン始動には若干のコツが必要です。 さらに、エンジン始動後も、暖まって走り出せるようになるまでに少し時間が必要です。 ここでせっかちに暖機運転をせずに無理やり走りだしてしまうと、エンジン他、各部の寿命を縮めてしまう原因になるといっても過言ではありません。 インジェクションの車両であれば、すぐに走り出すことが可能ですが、長い目でみれば触媒にダメージをあたえる原因ともなるため、やはり暖機運転は必要だと思います。 他にも、このような例があります。比較的現代車に近い感覚で乗れるネオクラシックカーのパワーウィンドウスイッチを想像してみてください。 どんなに新しくとも新車で納車されてから20年~30年が経過しています。 プラスチック部品は経年による劣化が進んでおり、少しレスポンスが悪いからとせっかちになって乱暴に操作すれば、すぐに壊れてしまうことでしょう。 部品供給に比較的余裕がある車種であれば、交換すれば事なきを得ますが、いつまで新品の部品が購入できるかは、まったくもって不明です。 そして、すでに絶版部品となっている場合もあります。 これがオートエアコンのスイッチパネルだったりすると、たいへんな苦労をする場合があります。 スイッチ操作一つでも、ワンクッション置いた操作が旧い部品ひとつひとつの寿命を延ばします。 旧車は予期せぬ故障や不具合が発生することがありますが、普段のメンテナンスが重要であり、クルマに乗っていたい一心でメンテナンスをおろそかにしてはいけません。 普段乗りをするクルマであればなおさらです。 やはりメンテナンスでも現代車より時間を消費しますが、ちょっとした故障や不具合を後回しにすると、いつまでたっても完調にならないばかりか、致命的な故障の原因となり、大きな出費になる場合もあります。 「気持ちよく旧車に乗るためには、せっかちになってはいけない」。 クルマ、とくに旧車を自分に合わせるといろいろうまく行きません。 自分をクルマに合わせる努力が必要です。 あくまでもクルマが優先。 思いやりをもって旧車に接することが重要です。 ■まとめ:手間の部分を旧車特有の趣としてとらえ、楽しめるようになれば・・・ ▲軽自動車だって立派な旧車趣味だ。チューニングパーツは現代でも存在する。「スズキ カプチーノ」 ここまで文中で述べてきましたが、インターネットやSNSの普及により、旧車を維持するオーナーにとって必要な情報量が増え、もはや旧車は一部のマニアのものではなくなりました。 あなたが旧車に興味があり、所有したいという気持ちただ一つがあれば、旧車ライフを踏み出すことは決してむずかしいことではない時代になってきました。 旧車専門のプロショップの門をたたけば、維持管理において、的確なアドバイスやサポートを受けることができることでしょう。 確かに旧車は現代のクルマと異なり、所有維持するにあたってその都度手間がかかりますが、この手間の部分を旧車特有の趣としてとらえ、楽しめるようになれば、あなたは立派な旧車オーナーです。 クルマにまったく興味がない人から見れば「旧車=ポンコツ」に見えるかもしれませんが、時代は変わりつつあります。 「旧車=皆の憧れのクルマ」となるように、私たちで旧車ライフをさらに盛り上げていきませんか?皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。 [YouTube]BEARMAN's チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCTSqWZgEnLSfT8Lvl923p1g [ライター・撮影/クマダトシロー]
令和のいま、特にアメリカで80年代~90年代に発売された日本のスポーツカーが人気ということをご存じの方も多いのではないでしょうか。実は、スポーツカー以外でも今海外で注目されている日本車があります。 それは、軽トラの愛称で親しまれている軽自動車規格のトラックをはじめとした実用車です。日本では特に人気という訳でもなく、希少性もスポーツカーほどは高くない軽トラが「kei truck」と呼ばれ、なぜ今海外で人気なのか、その理由を探ります。 日本の実用車はコンパクトで使い勝手が良い 日本では一定の台数は走っているものの、年々製造するメーカーや車種が減少している軽トラですが、海外では人気が高まっています。海外ではあまり販売されていない軽自動車という規格のコンパクトなサイズ感、取り回しがしやすく、実用的な上に低燃費。特に広大な農地での作業従事者が多い農村部のユーザーを中心に支持を集めています。 農作業従事者からの支持される実用車としての実力 軽トラと言えば日本でも農村部で多く見かけますが、やはり海外でも農作業に従事する人々からの支持を集めています。<>海外の農地は広大なため、車での移動が欠かせません。また、逆に畑の中では小回りが利くに越したことはないため、燃費が良くコンパクトな日本の軽トラは最適なのです。 海外でも1~2人の移動という点では、ATV、いわゆるバギーがありますが、軽トラと違い屋根もエアコンもありません。さらに、軽トラとバギーの決定的な違いは、荷物の積載量です。軽トラはコンパクトであるにも関わらず、荷台はしっかりと確保されているため、かなりの荷物を積むことができます。 燃費の悪い大型のピックアップトラックを動かさなくても必要な荷物が積めて、ATVなどと違い快適性が確保されている軽トラは、女性でも気軽に取り回せるので人気が高いのです。 さらに近年では、低燃費で実用性が高いことから、アメリカの消防署や警察機関でも軽トラが使われ始めているとの話もあるほど。ちなみに、日本国内の米軍基地でも軽トラが使用されています。 シンプルで頑丈な構造と軽自動車という海外にはない規格が魅力 軽トラは小型ではあるものの、日本で自動車として販売されているので当然堅牢性は十分。その上シンプルな構造なので、メンテナンスもしやすく壊れにくい。農村などでのヘビーユースに加えて、カスタムカーベースとしても人気があります。 小型なので、ドレスアップでも比較的手軽にカスタムでき、シンプルで軽量なため用途に合わせてリフトアップや大型のフロントガードを装着するなど、目的に合わせたカスタムも盛んです。 デリカなどのオフロード車も人気 日本の実用車人気は、軽トラックだけはありません。普通車サイズの旧車オフロード車も人気です。 例えば、1986年発売の三菱 デリカスターワゴン。頑丈なオフロード車構造の4WD車でありながら小回りが利き、内装は豪華に仕上げてある点に魅力を感じるアメリカ人もいるようです。 アメリカのピックアップトラックなどは、基本的に内装に気を使って開発されていないため、フロアマット1つでさえ、高い評価を得ています。また、この手のオフロード車に乗る層は自分でメンテナンスをするユーザーが多いのも特徴で、コンピュータ制御となって素人が手を出せなくなった現代の車に比べて、自分でメンテナンスが出来る点も支持を集める理由の1つです。 新車としてはほとんど販売されていない アメリカにおいて、新車で正規輸入販売されていない日本の軽トラは、25年ルール適用による規制緩和によって現在輸入熱が高まっています。 スポーツカー人気と同じく、旧車としてのコレクター的需要ももちろん、軽トラの場合は、実用車としての需要が高いことがスポーツカー人気との大きな違いです。さらに、25年ルール以外で輸入されている場合もあります。 25年ルール適用で輸入が自由に 80~90年代の日本車人気が海外で高まった大きな理由は、アメリカの通称「25年ルール」と呼ばれる輸入規制緩和のルールです。 通常、新車時に正規輸入されていない車をアメリカへ輸入するためには、厳しい安全基準をクリアしなければなりません。しかし、発売から25年経過した車は、この規制が大幅に緩和され、事実上自由に輸入と販売が可能になります。 特に、軽自動車規格の軽トラや実用車は、ほとんどアメリカで正規販売されていないため、この25年ルールの解禁をきっかけに、一気に需要が高まっているのです。 オフロード車登録という裏技もある ほとんど新車販売されていない軽自動車ですが、25年ルール以外にもう一つ輸入する方法があります。それが、オフロード車登録です。 オフロード車として登録をすると、アメリカの安全基準の規制対象から外れ、25年を待たずに輸入が可能になります。オフロードといっても、山や砂利のような道なき道での走行限定という意味ではありません。「舗装された高速道路以外での走行」という広い意味合いなので、高速道路が走れない最高速度など、州によっていくつかの制限項目はありますが、日常的には問題なく使用することができます。 また、オフロード車登録以外にも、LSV(LOW SPEED Vehicle)という登録手段もあって、具体的には制限速度35マイル(約56km)以下の道路のみ走行ができるという登録方法です。 これらの登録方法も25年ルールに縛られず、比較的新しく状態の良い軽トラを輸入できることから、最近注目を集めています。 まとめ 海外での日本車人気は、今やスポーツカーだけに留まらず、軽トラ、実用車にまで広がっています。 1990年代後半から2000年代へと25年ルールの適用範囲になる車種が増加すると、軽トラの需要は、今後さらに高まるかも知れません。さらに、オフロード車登録という手段もあるので、発売から25年経たない比較的新しい車種にも需要が集まる可能性があるのも注目ポイントです。 コレクターや投機目的だけではなく、実用車として実体を伴った人気であるだけに、今後の価格動向から目が離せません。 決して希少車ではない日本の軽トラが、トラック大国アメリカで評価されているというのは、どこか誇らしい気持ちにもなります。 [ライター/増田真吾]
近年、旧車の世界においては何かと話題にあがる「25年ルール」。 多くの人がこのワードを聞いて連想するのは「国産スポーツカー」や「海外輸出」、「価格高騰」、「JDM」などだろうか。 自動車メディアが「25年ルール」について触れる機会も増えているようだが、制定された経緯や歴史、本来の目的など詳しいところまでは触れていない。 そこで今回は「25年ルール」について正確な情報をお伝えしたいと思う。 ■「25年ルール」は、規制ではなく、例外 日本では「25年ルール」と呼ばれている法律の正式名称は “Imported Vehicle Safety Compliance Act of 1988, Pub. L. 100-562, 102 Stat. 2812” となる。 前半部分は直訳すると「1988年輸入車安全適合法」となり、アメリカの法律ではよくある「一般名称」だ。 後半の “Pub. L.” とはこの法律が「公法律」、“100-562” とは「第100議会において562番目に成立した公法律」であることを指す。 最後の “102 Stat. 2812” とは、「制定順法律集(Statutes at Large)」の「第102巻2812ページ以降に掲載されている」と説明している。 だが、いちいち長ったらしい名前で引用するのは大変なので、“Imported Vehicle Safety Compliance Act (IVSCA)” と呼ばれることが一般的だ。 ▲LAで毎年秋に開催されている「日本旧車集会」は2021年10月で16回目を迎えた 実際に法律の内容を見ていこう。 内容を要約すると、「連邦自動車安全基準に適合しないクルマは輸入できない」とするもの。 アメリカ合衆国国土安全保障省(DHS)のうちの、税関や国境警備を担当する部門「アメリカ合衆国税関・国境警備局(CBP)」によれば、適合しない輸入車は適合作業、再輸出、もしくは破壊のいずれかを施さなければならないと案内している。 だが、ここで肝心なのがこの法律に規定されている「例外」だ。 ここでは「連邦自動車安全基準に適合しない外国製自動車でも、製造から25年経過していればこの法律による規制の対象外とする」と書かれており、これが俗にいわれる「25年ルール」となる。 つまり、「25年ルール」は「規制」ではなく、「例外」なのだ。 ■1988年に「25年ルール」が制定されるまでの経緯とは? 次に知っておくべきなのが、「運輸省道路交通安全局(NHTSA)」の「連邦自動車安全基準(FMVSS)」という存在で、日本でいう「道路運送車両法」で定められている「道路運送車両の保安基準」と同様、アメリカ合衆国内で登録されるクルマの技術仕様のルールだ。 ▲日本のナンバーを展示用につけたクルマも急増 これは日本で米軍関係者がプライベートで乗っていたクルマのナンバー 日本車ともっとも大きく関わるのは「アメリカ合衆国で登録するクルマは左ハンドルでなければならない」の部分。 先述の「例外」は、このFMVSSに適合しなくても良いとしているので、つまりは「右ハンドルでも輸入・登録が可能」となる。 25年ルールは1988年に制定された。それ以前のアメリカ合衆国はFMVSSに適合しないヨーロッパ製の自動車を並行輸入で登録するのがポピュラーで、1985年には約6万9000台が並行輸入車としてアメリカに入ってきていた。 並行輸入はアメリカに正規で輸入されていないモデルが手に入るだけでなく、アメリカのディーラーが販売している価格よりもはるかに安く買うことができるため人気が高かった。 たとえば、1985年モデルのメルセデス・ベンツ 500 SELを米国内の正規ディーラーで購入すると5万3000ドルであったが、並行輸入だとそこから1万1000ドルほど安く手に入るという現象がしばしばあったのだ。 だが、この事態を重く見たのがメルセデス・ベンツの米国法人だ。1988年の法律が制定される以前よりもFMVSSへの適合は必須であったが、当時は書類の提出だけで済んでおり、そのクルマが本当に必要な適合作業を行なったかはほとんど確認されなかった。 メルセデス・ベンツの米国法人が数台の並行輸入車を実際に購入して調査したところ、マフラーの触媒がまったく異なる場所に装着されていたり、側面衝突時に乗員を保護するための補強が錆びた鉄パイプであったりと、ずさんな適合作業の痕跡を目の当たりにしたのだ。 そして彼らは恐れた。 これらずさんな作業を施したクルマが事故を起こし、その責任がまったく関係のない自分たち米国法人に向けられるかもしれないということを。 もちろん適切な適合作業を行なって販売する輸入業者も存在したが、適切か適切でないかを確認するのは困難である。 そこで「並行輸入車をすべて輸入禁止にしてしまえばいい」という大胆な施策の実行を思いつく。 メルセデス・ベンツが行った「反・並行輸入車」キャンペーンは他の自動車メーカーをも巻き込んで、法律制定へのロビー活動へと発展。彼らの思惑通り、無事にこの法律が誕生したのである。 つまりは、この「25年経つまでは憧れの日本車が手に入れられない」という足枷をアメリカ人にはめたのも、「憧れの90年代スポーツカーが製造後25年経過目前で急激に高騰して手に入れられない」という状況を日本の中古市場に作り出したのも、すべてメルセデス・ベンツの米国法人であったといってもあながち間違いではない。 ■日本で「25年ルール」が話題となったのは2014年以降 並行輸入を排除するキャンペーンは「安全」という大義名分で語ることもできるが、別の見方をすれば「現地法人の収益が減るから」という理由も見えるはず。 そしてこの「25年ルール」が日本の旧車界隈で大きな話題となったのは、2014年以降である。 1989年に発売された日産 スカイライン GT-R(BNR32)が製造から25年経過した年だ。 つまり、25年ルール発動によって32GT-Rがアメリカで合法的に輸入できるようになった。 ▲アメリカへの船積みを待つ25年ルールで解禁になったクルマたち そこから、数々のゲームや映画、漫画で見た「憧れの日本製90年代スポーツカー」がグッと近くなったとアメリカの人々は実感した。 製造年月から25年経過した個体はどんどんアメリカへ輸出され、毎年、新たな日本製90年代スポーツカーが「解禁」されていくという現象になっている。 今年は2022年なので、三菱 パジェロエボリューションや2代目トヨタ センチュリー、5代目ホンダ プレリュード、初代ホンダ シビックタイプRなどの、1997年から製造が始まった日本車が解禁されている状況だ。 ちなみに、1999年から製造が始まった日産 スカイラインGT-R(BNR34)は2024年に解禁予定だが、そのあまりにも高い人気で中古市場ではすでに爆発的な値段高騰に見舞われている。 ■実は製造後25年未満でもアメリカに輸入する方法が他にもある? なお、製造後25年を待たないでアメリカに輸入する方法も実はいくつかある。なかでも最も合法的手段なのがFMVSSで定められている特例、 “Show or Display” だ。 この手法はNHTSAが認めた「歴史的もしくは技術的価値のあるクルマ」を特別に輸入し、展示や整備に必要な走行に限って年間2500マイル(4000km)まで公道を走行可能とするもの。 これなら製造後25年経過していなくても、歴史的もしくは技術的に貴重と認められたクルマなら走ることが可能となる。 NHTSAに特別に認可された自動車のリストはNHTSAのウェブサイトで公開されている。 これを見ると、アストン マーティン DB7ザガートクーペや、アストン マーティン One-77、フェラーリ J50、マクラーレン スピードテイルなどのスーパーカー以外に、日産 スカイライン GT-R M-spec Nür、日産 スカイライン GT-R V-spec ミッドナイトパープルII、スバル インプレッサ 22B-STiバージョンなどの「超レア」な限定車も含まれる。 ■アメリカには「21年ルール」も存在する ちなみに、アメリカには「25年ルール」ともう一つ、「21年ルール」というものが存在する。 この背景には1963年に制定された “Clean Air Act(大気浄化法)” なる法律が存在している。 アメリカ合衆国環境保護庁の定める基準に適合しないエンジン、そしてそれを搭載する自動車の輸入を禁じているというもの。 そして例外規定として、工場出荷時の状態と同じ仕様のエンジンを搭載しており、なおかつ「製造後21年経過」している場合は、輸入して良いというものだ。 「25年ルール」ほど知られていないのは、そもそも「自動車の登録」の時点で製造後25年経過している必要があり、25年経過しているということはEPAの21年ルールも自然と経過しているからだ。 先述の “Show or Display” の場合、たとえ製造後25年経過していなくても、EPAの21年ルールは適用されるので要注意。 ■まとめ:「25年ルール」に関わる旧車バブルによる弊害とは? 「25年ルール」に関わる旧車バブルによって、映画やゲーム、漫画でかつて憧れた90年代スポーツカーは今後も高騰が続くだろう。 比例して旧車の盗難もますます増えていくと思われる。 しかし、だからといって健全な方法で「憧れの日本車」を手に入れたアメリカのクルマ好きをバッシングして良い理由にはならない。 ここ最近の価格高騰、そして多発する盗難事件の責任をそれらアメリカ人になすりつけるような批判がよく見られるのは、とても悲しいことだと筆者は思う。 [ライター・カメラ/加藤ヒロト]
窃盗団が旧車を盗む前に行う「準備」を知って対策を施そう! ■ネットオークションへの出品が急増! コロナ禍で少し、盗難台数は減少傾向にあったものの、昨年夏頃から再び、80~90年代の国産スポーツカーを中心として旧車の盗難が増えています。 ▲実際に盗まれた80スープラのパーツ。盗難された2日後には早くもヤフオクに出品 旧車は盗まれるとその多くは、即座に解体ヤードに持ち込まれ、1-2日以内に解体されてしまいます。その後は、ヤフーオークションなどのネットオークションに出品されるか? もしくは海外に「自動車部品」として違法に輸出されてしまいます。 ▲盗まれた旧車は解体ヤードに持ち込まれ即座に解体される(写真はヤードのイメージです) 以前はほぼすべてが自動車部品として違法輸出されていましたが、最近ではネットオークションを利用して国内で完結させるパターンが増えています。 その理由は簡単に言うと、「国内ネットオークションの方が素早く、ラクに換金できるから」ということなのです。 海外における日本の旧車パーツは日本より高額な値段で取引されていますが、輸出は手間と時間が掛かり、コンテナに積んで船が出るまでに発覚するリスクもゼロとは言えません。 また、たびたび日本からの不正輸出が発覚しているアメリカでは近年、日本車の輸入に対して完成車も部品もチェックが強化されている現状があります。 しかし、ネットオークションやフリマサイトでは匿名で気軽に出品ができ、またヤフオクもメルカリも、なぜか出品者を保護する傾向にあります。 住所や名前が虚偽のものでも出品や取引が可能で、さらに盗難品だと証明されるまで時間も掛かります。 運よく、警察が介入できたとしても出品者と直接連絡が取れたり、盗んだ犯人が特定されたりすることは困難で、稀に特定できたとしてもオーナーのもとにパーツが全部戻ってくる可能性は非常に低いのです。 なお、もともと日本車の中古部品を大量に輸出している会社であれば、その中に盗んだ旧車のパーツを紛れ込ませてもまずバレることはほとんどありません。 部品輸出ルートが整っている状況であれば、海外に持ち出されることも相変わらずでしょう。 盗難された旧車が行きつくところは海外なのか?日本国内の別のオーナーなのか? 確実に言えることはアシが付きにくいネットオークションで捌かれるケースが増えているということです。 ▲日本で盗まれた旧車が解体されてアメリカの専門店で販売されていたことが発覚(2020年6月) ■旧車はなぜ盗まれやすい? ではなぜ、旧車は盗まれやすいのでしょうか? ・日本の旧車は海外でも国内でも人気が高いので、高額で売ることができる・多くは盗難に対応できる車両保険に入っておらず、またセキュリティ対策も甘い・保管場所が屋外の駐車場であることが多いので盗む側にとっては好都合・解体ヤードに持ち込みさえすれば、最近の電子部品が多いクルマに比べるとごく短時間で解体できる このように、国産旧車は盗みやすく解体しやすく高く売れる…窃盗団にとって都合がよいことだらけなのです。 しかし、旧車はもう2度と生産されることがない文化遺産ともいえる存在。 何とかして盗まれることがないよう守ってあげなくてはなりません。 筆者は過去2年間で約100台以上の旧車盗について取材をしてきました。 盗難被害に遭った人々の話から、大切な旧車を盗まれないためにオーナーが知っておきたいことを以下にまとめます。 ●1.旧車は狙いを定めて盗まれる。必ず下見をしている 旧車を専門に盗んでいる窃盗団は海外で高く売れる、または国内でも高価格で流通できる80-90年代の日本製スポーツカーに狙いを定めて盗みに来ます。 では、そこに旧車がある、ということをどうやって知るのでしょうか? さまざまな手段がありますが、その一つに旧車イベントに参加して狙いを定めた旧車オーナーと親しくなって自宅の場所を聞き出して盗みに行く…という方法があります。 親しげに話しかけてくる外国人(特にパキスタン、スリランカ国籍には注意)には気を付けてください。 また、狙いを定めたクルマの近辺に似たような旧車がないか? 一緒に盗めるなら効率が良い…と周辺の様子をGoogleストリートビューを見ながら駐車場に停まっていないか?探し出してマークします。 旧車は一度購入したら長い間乗るオーナーが多いため、ストリートビューの写真が2〜3年前のものであっても、比較的今もそのまま乗り続けているというパターンが多いのです。 せめてカバーをかけるなどして車種の特定を防ぎましょう。 ●2.狙った旧車のある場所が特定できたなら、今度は下見。下見でやることは以下 ・周辺の防犯カメラの状況・逃走ルートの確保(Nシステムなどがない道を選ぶ)・対象となる旧車のセキュリティ状況をチェック(ハンドルやバッテリーを外していないか?どのようなアラームがついているか?ハンドルロックやタイヤロックの有無など)・オーナーが住む場所を探す(オーナーのアパートの部屋まで特定します)・オーナーはどれくらいの頻度で旧車に乗っているか?をチェック・オーナーの生活時間(朝何時におきて何時に出勤し、帰宅時間や就寝時間などもチェック)・周辺に他に盗めそうな旧車はないか? ・・・などなど。 まだまだありますが、盗みを決行する2-3週間前に入念に下見をして、想像をはるかに上回る細かな事前確認を行っています。 ●3.「高価買取」のチラシや名刺には要注意 「高価買取の名刺やチラシ」がワイパーに挟まれたら盗難に注意! ▲筆者宅の旧車にもこのようなチラシが挟まれていた。稀にまともな業者もいるようだが… 昔からよく、「高価買取の名刺やチラシ」がワイパーに挟まれたら盗難に注意すべし!と言われてきました。 これは現在でも同様です。 ワイパーに名刺やチラシを挟んでいき、オーナーがどれくらいの頻度でクルマに乗っているのか?などもチェックします。 また、ユピテルのパンテーラやゴルゴなどの高級カーセキュリティはクルマに乗らない期間が2週間以上続くと、電源が切れる仕組みになっていることが多く、買取チラシや名刺を挟んで2〜3週間動いていないことを確認し、さらにセキュリティが切れていることを確認してから盗むという手口もあります。 この記事では旧車盗難の現状をお伝えしました。 次回は旧車を窃盗犯から確実に守るための、より具体的な方法をご紹介します。 [撮影・加藤ヒロト/ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
第1回 ~アルミ弁当箱芸人とアルミ弁当箱協会とは?~ 皆様、はじめまして!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスこと山本圭亮でございます。 今回から「旧車王」のライターの一員として参加させていただくことになりました!よろしくお願いいたします! ・・・と、挨拶をさせていただきましたが、読者の皆様には「?」が浮かんでいるのではないでしょうか? なぜ「旧車」にアルミ弁当箱なの?と思われる方が多くいらっしゃるかと。 そこで、まずは「アルミ弁当箱芸人 & アルミ弁当箱協会」についてお話いたします。 ■それは偶然の連続からはじまった! 私とアルミ弁当箱の出会いは1つの特撮作品からでした。その名は「スーパーロボット レッドバロン」。この作品がなければ、私とアルミ弁当箱、もちろんアルミ弁当箱協会等の設立していなかったはずです。 これがすべてのはじまりでした。これだけをご覧になってもまだわからないと思います。中央に描かれている車種にご注目ください。 それは、特撮車両「アイアンホーク」号。 ベース車両は私が所有しているマイナーな名車‼(迷車ともいう)「オペル マンタSR」なんです。そうなんです。自分の愛車が描かれていたのです。 以前から「レッドバロン」にオペル マンタが登場しているのは知っていました。 まさか「自分のクルマがアルミ弁当箱に描かれているなんて!」と、感激してつい手に入れてしまったことがすべてのはじまりだったのです。 ここで、多くの方は「レッドバロン」関連のコレクションに走るはずです。 しかし、私は「アルミ弁当箱」をコレクションするという「暴挙」に出てしまいます。 ■コレクターからアルミ弁当箱芸人へ コレクションがどんどん増えて行くにつれて周囲に見せびらかしたくなるのはコレクターの「性」かもしれません。 私も例外ではなく、旧車ミーティングでアルミ弁当箱を展示したりしていきます。 すると、そこには意外な反応がありました。 「懐かしい!」「これ使ってました!」「初めて見ました!」といった声を老若男女問わずたくさんいただいたのです! そこで私は考えました。 アルミ弁当箱の楽しさやそれにまつわる昭和の歴史を語る「語り部」になろう!と。 「アルミ弁当箱芸人」マツド・デラックスが誕生した瞬間です。 しかし、どうやって「語り部」になればいいのだろうか・・・? その想いを語ると長文の記事となってしまいそうです。 次回はアルミ弁当箱協会設立を中心にお届けします。 ■斜めから見た旧車:マツダ ルーチェロータリークーペ(1969年) 旧車を軸にした媒体なので、最後に(無理やり?)クルマのことにも触れておきましょう(笑)。 「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスが斜めから見た旧車。 今回は「ルーチェロータリークーペ」です。 1969年〜1972年まで976台が製造された水冷2ローター(655×2CC)です。 何故このクルマが今回の「斜め」なのか? それは、私の「オペルマンタSR」が一番間違えられるクルマだからなのです。 なんだそれは?と思われる方、その通りです。これが「斜め」なんですね。 私のマンタ同様「残存率」が極めて少ないクルマではないでしょうか? よく似ているこの2台。 「オペルマニア」には都市伝説があります。 マンタ乗りとしては、「ルーチェロータリークーペ」やっちゃったんじゃないの?なんて思っていました。 しかし、ルーチェがデビューしたのは1969年、そしてオペル マンタが1970年。 もちろん、モーターショーでの出品等もありますが、デザインはマツダの方が先のようです。 そして、当時のオペルには日本人デザイナーの「児玉英雄」氏も参加していたことは有名な話なのですが、他にマツダからもデザイナーがオペルに派遣されていたという話があります。 これがこの2台のフォルムに関係があるかないかは、アルミ弁当箱同様「想像と妄想の世界」なのかもしれません。 こんな感じで「ゆる~く」旧車を紹介していきますので、今後ともよろしくお願いいたします! [ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]