「車売却ってそもそもどんな流れなのか」「車の相続について相談したい」など車売却をご検討の際に出てくる悩みに無料でお答えいたします!
【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
昨夜は中秋の名月だったそうだ。 お月見を楽しまれた方も多いと思う。 ここ最近、熱帯夜からも開放されつつあるし、せっかくだから月を眺めつつあてもなくドライブ・・・。 用賀インターから首都高3号線で都心へ。 渋谷を過ぎ、青山トンネルを通過すると右手に六本木ヒルズが見えてくる。 土曜日の夜だ。 オフィスと思われる部屋の照明が落とされ、六本木ヒルズの照明はまばらだ。 どことなく寂しさすら感じさせる。 流れに乗り、谷町ジャンクションまできた。 右に曲がれば東京タワーを左手に眺めながら都心環状線内回りコース。 左に曲がれば高低差の多いコーナーが続く都心環状線外回りコース。 今回は右折して都心環状線内回りコースにしよう。 都心環状線に合流したらすぐ右手に見えるのがロッソスクーデリアのディーラーだ。 どんなフェラーリが置いてあるか素早くチェック。 向かいはミツワ六本木営業所だったが・・・いまやAPAホテルだ。 時代の流れとともにここはかつてポルシェのディーラーだったと知る人も減ってくるに違いない・・・。 ちょっとセンチメンタルな気分になったので気持ちを切り替えていこう。 東京タワーの付近に住んでいる人は間近で観られるのだろうが、移動する車内からチラッと眺めるそれもまた、オツなもの。 その後、右手に見えるコーンズサービス工場のターンテーブルに鎮座するマシンをチェックしてコーナーをクリアすれば、まもなく浜崎橋ジャンクションが見えてくる。 右折すれば横羽線コースか、レインボーブリッジコースかを選ぶことができる。 いまの気分でレインボーブリッジコースをチョイス。 視界の先にはレインボーブリッジ。 お月様もよく見える。 ものすごい勢いでR35GT-Rがカッ飛んでいったが、それ以外のクルマの流れは淡々としたもの。 レインボーブリッジをわたりそのまま首都高9号線を走っていると、右手にはお台場周辺の景色が、左手には晴海方面を一望できる。 有明ジャンクションで右折。 そのまま湾岸線に合流して東京港トンネルに入り、横浜方面へ・・・。 ただただ流れに乗り、ガソリンと、気力と、時間が許す限り、ここから先はどこへ向かおうと自由だ。 いっそ横横経由で鎌倉あたりまで行ってみようか・・・。 ・・・・・・・・・・・・実はこれ、妄想だ。ごめんなさい。 そもそも目の前に片付けなければならない仕事があり、家族があるいまの自分には、こんなアテのない深夜のドライブ自体がかなりハードルが高い、同時にとても優雅な過ごし方となった。 そしてそもそも「なんでわざわざ深夜に目的もなくドライブしなきゃならんのよ」と考えている自分がいる。 おそらく、仕事に余裕があり、独身で自由に使える時間があったとしても出掛けていないと思う。 それよりは、ウイスキー片手にようやく配信がスタートしたトップガン マーヴェリックでも観ながらのんびりと過ごしたい・・・。 要は億劫になってしまったのだ。 そう思えてしまう自分が悲しい。 高校生の頃、夜のドライブは未知の世界であり、憧れの時間だった。 そして運転免許を取得し、ある程度運転に慣れてくると、夜の都内を走り回った。 首都高は怖かったし、当時は700円だったけれど、馬鹿にならない出費だったから下道を走るしかなかったのだ。 カーナビなんて一部のクルマにオプション設定されているか、カー用品店で売られているモデルも安くて20万円以上、発売されたばかりのDVDナビなんて40万円近くもザラ。 ガソリン代で手いっぱいの貧乏学生にはとても手が出ない。 カロッツェリアからカーナビが発売されたばかりの頃、元F1ドライバーのジャン・アレジがフェラーリテスタロッサをドライブさせながら「道は星に聞け」なんてCMがあったっけ・・・。 「星(要はGPS受信)に道を聞く」こと自体がえらくコストが掛かった時代だ。 だから、道は昭文社の地図と身体で憶えた。 努力の甲斐あって少しずつ点と線がつながり、未知の世界だった都内の道を憶えていったときの手応えは感動モノだった。 あれから20数年。 目的地はGoogle mapが最短コースを案内してくれる。 Google先生はときどきとんでもないルートを平然と案内することがあるので、Yahoo!カーナビと併用だ。 渋滞していれば瞬時に迂回ルートも案内してくれる。 新しく造られた道路の情報も反映してくれる。 もう気張って道を憶える必要もなくなった。 聞くかどうか分からないけれど、とにかくたくさんのCDやカセットテープを車内に持ち込んだこともあったが、いまやスマホ1台あれば音楽も聴き放題だ。 夜景が撮りたくなったら、最新のiPhoneで撮影すればびっくりするほどきれいに撮れる。 ドライブに必要な道具や情報の多くがスマホ1台でカバーできるようになってしまった。 首都高の道の整備され、さまざまなルートを選べるようになり、ドライブ自体も格段に便利になったはずなのに・・・。 わざわざ深夜にドライブに行こうなんて思わなくなったし、そもそも思えなくなった。 家族がいる、仕事が忙しい・・・なんていうのは口実に過ぎない。 繰り返しになるが要は億劫になってしまったのだ。 あてもなく夜のドライブができるってすごく優雅で贅沢な時間だったんだな・・・と思うようになったのはつい最近のことだ。 自由な時間、体力と気力、無性に運転したくなる愛車、どれかひとつ欠けるだけで成立しなくなる。 ありがたいことに、当時は喉から手が出るほど欲しかった「無性に運転したくなる愛車」は手元にある。 しかし、この愛車を走らせるべく、自由な時間とちょっとひとっ走りしようと思えるタイミングはさまざまな偶然が重ならないと起こらない。 それこそ、まさに奇跡のようなできことになってしまった。 行くあてもなく深夜の都内や首都高をクルージングしていたのあの頃・・・。 それがあたりまえのことであり、特別なことではなかったあの頃・・・。 当時の自分にガツンといってやりたい。 「意外と楽しめる時間は短いよ」と。 しかし、過ぎ去った時間は2度と戻らない。 気づいたときにはいつも遅すぎるのだ。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
旧車の盗難は相変わらず多いのだが、特に今年6月以降、目立って増えているのが神奈川県だ。 ■2022年6月以降、神奈川県内で盗難被害が急増 自動車盗難情報局(jidoushatounan.com)に登録されたものや、TwitterなどのSNSで盗難が拡散されているものをピックアップしてみた。 ※盗難に関する内容は登録時点での情報です 神奈川県においては2021年の1年間で4台(うち1台は発見)の旧車が盗まれているが、2022年は6月半ばまではゼロ。 しかしその後、急増しており6月16日から9月11日まで報告されているだけで15台(未遂1台含む)!異常な数字である。 スカイラインGT-R(10台)と80スープラ(3台)の盗難が目立っている。 ■2022年6月〜9月にかけて神奈川県内で盗難された国産車 車種やボディカラー、盗まれた日、時間帯、場所、クルマのナンバーや特徴、そしてどのような盗難対策をしていたのか?などをお伝えしておく。 ●6月16日(0時~6時15分) ・車種:平成2年式 スカイラインGT-R NISMO(ガンメタ)・場所:神奈川県 横浜市 綱島駅付近の駐車場(自宅人近い月ぎめ駐車場)・ナンバー:横浜 330 や 2632・盗難対策:ハンドルロックとタイヤロック装着。月極駐車場のフェンスと繋いでいたチェーンロック。車カバー。*車部品の散乱は無し。タイヤロック破壊。車カバーを剥がされていた。右リアから出ている牽引フックに取り付けていたチェーンロックを外されていた。隣接している工場から延長コードを使用して電源を取り、エンジンを始動させたと思われる。 ●6月24日(5時~18時頃) ・車種:BCNR33 スカイラインGT-R(白)・場所:・場所:横須賀市スカイマンション下の駐車場・ナンバー:横浜 302 ひ 8681・盗難対策:ハンドルロックバー使用*マフラーの近くに溶けたあとがあり。HKSのスーパーターボマフラー。ホイールはボルクの17インチのアルミ金色。塗装はクリアが剥げていてまだらになっています ●6月26日(時間は不明) ・車種:日産スカイライン BNR32GT-R(スパークシルバー)・場所:神奈川県 横浜市泉区下飯田付近の駐車場・ナンバー:横浜 33 ら 4219・盗難対策:なし*純正16インチ ボンネット塗装ハゲあり フロントバンパー右ライト下擦り傷あり*ADVAN FREVA装着 GT-Rエンブレムは盗まれて接着部分のみ残っている ●7月17日11時半~18日3時 ・車種:平成9年式 マツダRX-7(ホワイト系)・場所:神奈川県 横浜市戸塚区 契約していた月ぎめ駐車場・ナンバー:横浜 303 る 7005*現場にはガラスの破片などはなし。フロントとサイドにC-WESTのエアロがついており、リアはノーマルでGTウィングがついているRX-7となります。フロントのエアロ右寄りの場所が割れ始めてきております。給油口には「全財産 inside」のステッカーが貼ってあります。 ●8月10日7時10分~17時8分 ・車種:日産スカイライン BNR32 GT-R(ブラック)・場所:神奈川県 藤沢市遠藤 勤務先駐車場 勤務先社屋から2~300M離れた社員専用駐車場内です。お昼頃、不審な車が駐車場から出て行く所が目撃されています。・ナンバー:相模 33 の 6426・盗難対策:対策なし。施錠のみ*エンジンはN1用に換装。外観はニスモ仕様。リアにカーボン製の旧ロゴのニスモマークのエンブレム。HKS関西のロールバー装着。リアウィンドウにカロッェリアのテレビアンテナあり。NISMO(ベルディな)マフラー。オーリンズの車高調サスです。右側のリアホイールアーチ後方下側に錆による穴あり。ドアノブにニスモマークのついた保護パットが付けられています。後輪のみN1用穴無しディスクを装着 ●8月13日20時頃~8月14日9時50分頃 ・車種:日産スカイラインGT-R(ブラック)・場所:神奈川県 海老名市中新田 自宅駐車場・ナンバー:相模 301 た 9420・盗難対策:ハンドルロック使用*R33GT-R純正のホイール、ニスモバンパー、柿本Rのマフラー、ARCのインタークーラー付き。車の部品の散乱はなし。 ●8月16日19時~17日5時頃 ・車種:80スープラ(グレー)・場所:横浜市緑区マンション駐車場機械式上段・ナンバー:横浜 35 に 1360・盗難対策:なし*色はグレー系ですがカタログ記載はグレイッシュグリーンマイカメタリックとなっていますフロントバンパー右わきにかすれ傷あり。運転席側ドアミラーそばに『猫バンバン』のマグネットステッカー貼っています。(ただし経年劣化で真っ白に)新車購入から20年以上乗っています。人生の半分以上はこの車と一緒に過ごしてきました再塗装していないのでボンネットは一部剥げている部分ありますフロントガラス(助手席側)に傷あり。特にカスタムしていないので特徴はノーマル仕様です ●8月16日朝 ・車種:80スープラ(白)・場所:横浜市緑区・ナンバー:横浜331す8320・盗難対策:バイパーセキュリティとラフィックスを付けていたがバイパーは1年前から不調で、ラフィックスもハンドルを外していなかった。 ●9月1日 ・車種:トヨタ スープラ(赤)・場所:川崎市宮前区野川自宅前の月ぎめ駐車場・ナンバー:川崎301 す 7717・盗難対策:タイヤロック前後輪に使用 ●9月3日19時~9月6日16時 ・車種:平成14年式 レガシィB4(青)・場所:神奈川県 厚木市三田・ナンバー:春日井 500 そ 86・盗難対策:なし*アパート前露天駐車場に駐車、数日間運転しなかった間に盗まれました ●9月8日未明から朝 ・車種:日産 スカイラインGT-R(ブラック系)・場所:横浜市金沢区 集合住宅敷地内の駐車場・ナンバー:横浜 33 ぬ 9482・盗難対策:タイヤにチェーンロックを掛けていた ■旧車およびネオクラシックオーナーは早急に「本気で盗まれないための対策」を! わずか3か月弱で未遂1台含む15台が盗難されているが、気になるのは『盗難対策:なし』が目立っていることだ。 またタイヤロックやハンドルロックなどを装備していても、実際はほんの数分で切断される(時間稼ぎにはなると思われるが)。 盗む方が悪いのは当然だが、盗まれやすい旧車のオーナーは、一刻も早く「本気で盗まれないための対策」をする状況にあることは間違いない。 特にスカイラインやスープラ、RX-7など人気の旧車スポーツカーにはお金がかかっても(20-30万円前後)、誤報ゼロのカーセキュリティを装着することをお勧めしたい。 たしかに痛い出費だと思うが、必要経費と割り切り、決断するときだと思う。 取り急ぎ何かやっておきたい、という場合はアップル社のエアタグなどを応急的に取り付けておくのもよいだろう。 神奈川県が急増している理由は・盗難多発の千葉、茨城、埼玉、愛知、三重の5県で導入されている『ヤード条例』が施行されておらず、解体ヤードに関する規制がとても緩い。・これまで旧車盗難がほとんどなく、盗難対策をせず簡単に盗める旧車が豊富 等が考えられる。スカイライン、80スープラのオーナーは特に注意してほしい。 ■9月12日夜に「国産スポーツカー窃盗未遂で男二人逮捕 神奈川県」の報道 [9月12日追記]なお、この原稿を書き終わった後、9月12日夜に「国産スポーツカー窃盗未遂で男二人逮捕 神奈川県」のニュースが流れた。 報道によると暴力団関係者と無職の男2名は6月以降、スープラやスカイラインなど合計20台(被害総額は1億円超)を盗んだとのことである。 自動車窃盗における検挙率は盗難の多い関東地方の場合、平均して3割前後。 旧車はさらに低いが、よく逮捕されたものだ。 [車両写真:自動車盗難情報局(jidoushatounan.com)から引用、画像/Adobe Stock、ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
独立する前に勤めていた会社でラジオ番組の制作をしていた。 ・・・といってもTOKYO FMやTBSラジオのような「キー局」ではなく、「コミュニティFM」という、いわばミニFMの番組の制作だ。 あまり知られていないことかもしれないが、個人や企業で「コミュニティFMの番組枠」を買えば、誰でも自分のラジオ番組を持つことができる。 1枠で30分とか、1時間とか・・・。 このあたりの区切り方は、コミュニティFM局によって異なるかもしれない。 さらに番組枠の金額についても、1時間で数万円〜(1ヶ月/毎週)など・・・。 雑誌やフリーペーパーの広告枠と同じで、相場はあってないようなものだ。 ラジオ局によってルールが異なるかもしれないが、お世話になったコミュニティFM局は3ヶ月ごとの更新と決められていた。 つまり3ヶ月限定で、自分のラジオ番組を持てるわけだ(短期間すぎて局の人は困るだろうが)。 毎週、気になるゲストを呼んでトークしてもよし。 トークはそこそこに、好きな音楽を流してもいい。 カネの目処さえつければ、クルマを増車する感覚で自分のラジオ番組を持つことも夢ではないのだ。 しかし、いまではYouTubeチャンネルのように、もっと手軽に、自由に自分自身で考えたコンテンツを発信できるようになった。 その結果、個人のチャンネルの地位や存在価値が飛躍的に向上したように思う。 公共の電波に自分の声や考えを乗せるか、YouTubeで自由に動画コンテンツを配信するか。 このあたりの価値観は人それぞれだろう。 筆者がラジオ番組を制作していた10数年前は「自分の声を公共の電波に乗せる」ことの価値や意義は今以上に大きかった。 自分自身(・・・の勤めている会社)がスポンサーなのだから、「常識の範囲内であれば」番組構成も自由だ。 筆者はその企画制作をすべて任されていた(社員が少ないので)、というのがコトの真相だ。 担当していたのは2時間と1時間の生放送を週に1本ずつ。 生放送の番組の企画構成から取材、出演交渉、音源の編集まで・・・番組パーソナリティ以外の仕事をほぼ1人で行っていた。 もともとラジオを聴くのは好きだったけれど、ラジオ番組の制作なんてそれまでまったくの未経験であり素人だ。 当然のことながらすべてが手探りだった。 最初に携わったとき、番組の構成が完成したのはオンエア当日の朝だった。 さらに、生放送の最中は番組ディレクターとしてパーソナリティの皆さんと一緒にスタジオに入らなければならない。 音源の再生はラジオ局の人が担当してくれたが、番組の進行役はディレクターである自分が行う必要がある。 しかも生放送なので、やり直しや編集ができない。 慣れないうちはこれが憂鬱で仕方なかった(生放送の雰囲気に慣れてくると収録では物足らなくなるのだが)。 ゲストの方があまりに饒舌でトークの時間を「割愛」したり、企業広報の人が原稿を棒読みして時間が余ってしまい、フリートークでどうにか間を持たせたり・・・(企業の看板を背負っているので迂闊なことがいえないのだ)。 そんなこんなで常にハプニングの連続だった。 さらに生放送なので、盆暮れ正月も関係ない。 いつだったか、元旦だか、2日にオンエア日がぶつかってしまい、年末休み返上で番組の構成を考えたこともあった。 お正月のオンエアは特番を組み、有名な噺家さんをゲストに呼んでそれなりに盛りあがったし、リスナーからの反響もあったので良しとしよう。 筆者は2本のラジオ番組の制作を担当していたので、それぞれのパーソナリティの人たちと必然的に密に連絡を取り合うことになる。 何を隠そう、番組のパーソナリティをしてくだったなかのお一人が「おぎやはぎの愛車遍歴」でお馴染みのモータージャーナリスト、竹岡圭さんだった。 別の番組の中継コーナーで竹岡圭さんにご出演いただく機会があり、2本目の番組を立ち上げるときに「ダメもと」でパーソナリティをお願いしたら引き受けてくださったのだ。 竹岡圭さん、自分たちは「圭さん」と呼んでいたけれど、とにかく一緒に仕事していて楽しいし、よい意味で「ラク」なのだ。 こちらが1いうことを10理解してくれる(逆にガチガチに決められた原稿読みは苦手らしい)。 勘が良くて、頼みやすくて、話しやすい、そして誰に対してもフェア。 業界の有名人だろうと、自分のようないち会社員だろうと平等に接してくれる。 そして、こちらがダメなところはダメときちんと指摘してくれる。 圭さんに次々と仕事が舞い込むのも当然だ。 (実際にはなかなかうまくいかないけれど)独立してからというもの、圭さんの人との接し方をお手本にさせてもらっている。 今振り返っても竹岡圭さんと男性ミュージシャンと3人で創り上げた番組は、毎週の生放送の時間が本当に楽しかった。 その雰囲気が電波に乗って、良い雰囲気で番組をお届けできたと思う。 そういえば、最終回では圭さんが生放送中に泣いてたっけ・・・(いつも明るい圭さんが・・・と、男性ミュージシャンと2人でびっくりした記憶がある)。 もう1度ラジオ番組を作ってみたい・・・と思えるのはこのお二人のおかげだ。 毎週2本のラジオ番組の企画構成を考えていたので、楽しいことがあれば、当然ながら辛いこともあった。 もう1本の番組は辛いことの方が多かった気がする。 こちらの番組には「主」がいた。 仮にAさんとしておこう。 当時は60歳前後だったように思う。 あらゆる分野に精通し、話題も豊富。 一見すると親しみやすい方だ。 たまに顔を合わせる知り合い程度の距離感なら「博識で親しみやすいおじさん」という印象で済んだかもしれない。 しかし、仕事で関わるとなると状況がまったく異なる。 仕事で関わるありとあらゆるメンバーとトラブルを起こす人だったのだ。 同じチームとして加わっていただいた女性ライターさんが「長年仕事をしてきたけど、はじめて一緒に仕事ができない人に会った」とギブアップ宣言をしてきたほどだ。 その結果、人間関係が壊れる。 それも修復不可能なレベルで。 当然、自分もターゲットになった。 そして人間関係も修復不能になった(それでもいいと思っている)。 この「主」が自分にとっての反面教師でもある。 どれほど博識で、ラジオパーソナリティとして有能であったとしても、関わる人たちの人間関係を破壊するような人は仕事を失うのだということをこのとき学んだ気がする。 それはさておき、ラジオ番組に関わるありとあらゆる人たちと衝突した結果、とうとう勤め先の社長ともトラブルになった。 誰もがAさんを避けるようになり、その怒りの矛先を向ける相手が当時の勤め先の社長だけになってしまったのだ。 社長は温厚な人だったが、Aさんの度重なる理不尽な要求についに堪忍袋の緒が切れた。 大鉈を振るい、改変時期(3ヶ月ごとに更新時期)に合わせて番組を強制終了させてしまったのだ。 それでも、最終回のときはセレモニー的なことも行い、花束も用意した。 そして翌週、この「主」が仕切る(スポンサーとして)形で新たな番組がスタートした。 しかも同じ番組名で、ペアを組んでいた女性パーソナリティとともに。 これには自分も社長もずっこけた。 リスナーからすれば、最終回を迎えたはずの番組とパーソナリティが、まったく同じカタチで翌週から新番組としてスタートしたのだから混乱したに違いない。 いきなりラジオ番組を始められるわけがないから、水面下で交渉していたことを知らせてくれてもいいものだ。 ラジオ局のスタッフも人が悪い。 ラジオ番組、ひいては生放送だとスタッフとパーソナリティがギクシャクしていると、なんとなく電波を通じて伝わってしまう。 友だちではないから仲良しグループでいる必要はないけれど、いい雰囲気で番組作りをするのは極めて重要だとこのとき学んだ気がする。 そのいい例が笑点だと思う。 いまとなっては懐かしい、歌丸師匠と円楽師匠の不毛な掛け合い(?)も、揺るぎない信頼関係があってこそできる(と断言できる)。 本当に不仲だったらこうはいかない。 二代目林家三平がわずか5年で自ら番組を降板したのも、他のメンバーや番組スタッフとの溝ができてしまったのではないかと推察している。 笑点の例はいうにおよばず、仕事のプロジェクトメンバーや、クルマ好き同士のグループなど、良好な関係を維持するのは個人的にはとても重要だと思う。 そのお手本となりうる竹岡圭さんと、反面教師のAさん。 同時期、それも独立する数年前にこのお二人と出会えたのは、後々、良い経験となったことは確かだ。 「この人と一緒に仕事がしたい」と思ってもらえるように努めたいと思う反面「この人と関わりたくない」と思われたらおしまいだ。 もちろん、自分自身への戒めを込めて・・・。 余談だが、この「主」であるAさんのラジオ番組はいまでも続いている。 オンエア開始からもう10年以上経つから、いまや立派な長寿番組だ。 ふと思い出して仕事のあいまにたまに聴いてみると、主であるAさん主導でやりたい放題やってるなあ(それはつまり、リスナーを置いてきぼりにしているなぁという意味だ)と思う。 そうそう、ひとつ思い出した。 自分のお金でラジオの番組枠を買っているのだから、(常識の範囲内であれば)何をやっても自由なのはたしかだ。 しかし、リスナーが置いてきぼりになってしまっては本末転倒だ。 リスナーを楽しませるサービス精神を忘れずにラジオ番組を作ろうと、あるとき心に誓ったことをふと、思い出した。 ラジオからクルマ関連のコンテンツ配信へと形態は変化したが、その想いは変わらない。 現在の仕事は「サービス業」だと思えるようになったのも、このときのラジオの仕事がきっかけとなっていることは間違いない。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
■第3回 ~アルミ弁当箱協会のこれから~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 「旧車王」に連載3回目となりました今回は、「アルミ弁当箱協会のこれから」を熱く語らせていただきます! ■コレクターはアーティストにはなれないと気づく 今年の「ノスタルジック2DAYS」や「アメイジング商店街」そして有楽町マルイでの「のなかみのると仲間たち」に参加させていただき、改めて認識したことがありました。 それは「コレクター」は「アーティスト」にはなれないということです。 人によっては当たり前のことかもしれませんね。 「何を今さら?」と思われても不思議ではないかもしれません。 私はとこかで勘違いをしていたところがあったと思っています。 「他人のやっていないことをやるのだから・・・・的な考え」がそう思わせたのかもしれません。 しかし、本物の「アーティスト」の方たちに囲まれたときに、ちっぽけなプライドがすっ飛びました。 ■コレクターを極めようと決めた日 コレクターを極めるために、ただひたすら「アルミ弁当箱」を集める・・・。 それでは「日本アルミ弁当箱協会」などという団体を作っても意味がないのです。 そこには、旧車の不人気車を愛するような愛情と、「その子たち」をどうやって後世に伝えるかということも使命のひとつだと思っています。 アルミ弁当箱から伝わる世相や歴史観について「アルミ弁当箱コレクターだから発信できること」がたくさんあると思っています。 「日本アルミ弁当箱協会」を通して、斜めからの角度で独特の方法で伝えることが「コレクターの極み」ではないかと再認識しました。 ■昭和の伝道師に俺はなる! 「旧車王」が自動車文化を通して「昭和」を伝えていくよう、これからの「日本アルミ弁当箱協会」はアルミ弁当箱を通し「昭和」の文化や世相を伝えていきたいという想いがあります。 いつの日か「アルミ弁当箱ミュージアム」を作り、これまではスポットライトが当たることなく消えて行くものから新たな力を生み出し、皆さまに少しでもお役に立つような「昭和の伝道師になりうるコレクター」になりたいと思います! ■今回の斜めから見た旧車「パルサーエクサ(1982年)」 さてまたまたやってきましたこのコーナーは、本当に無理矢理アルミ弁当箱からの「斜め」から見た旧車コーナーです。 今回は「パルサーエクサ」です。 ではなぜ今回「パルサーエクサ」なのか? それにはあるアルミ弁当箱が関係しています。そのアルミ弁当箱とは?1977年に放映された「ジャッカー電撃隊」です! こちらに描かれている「スペードマシーン」。 もう旧車王の読者の皆様にはベース車両が何かおわかりでしょう。 そうです!秀逸のデザインで未だに根強い人気を持っている「フィアットX1-9」です。 また個人的な話になってしまいますが、私も「1300」と「1500」の2台所有したことがあります(無類のタルガ好きです)。 特撮車両になっても、ほとんど手を加えることがなかった斬新なデザインがたまりませんでした。 それから5年後「パルサーエクサ」が発売となります。 そのときに私は「ジャパニーズX1-9」といった佇まいにときめき、日産のディーラーにカタログをもらいに行ったことを覚えております。 ジャッカー電撃隊のスペードマシーンから「パルサーエクサ」を紹介するという暴挙と妄想をお許しください。 それほどこの「エクサ」は当時の日本車としてはぶっ飛んだ1台だったので、アルミ弁当箱とコラボさせて頂きました! こんな感じで「ゆる~く」また旧車を紹介していきますのでよろしくお願いいたします。 そしてここでお知らせを・・・・・。 私のコレクター本「アルミ弁当箱図鑑 マニアック編」が9月1日からアマゾンにて予約開始となりました。発売は9月17日です。 オールカラーの100ページに様々なジャンルのアルミ弁当箱を詰め込んでおります。是非、読んで頂ければありがたいです!よろしくお願いいたします。 ◎アルミ弁当箱図鑑 厳選50 ーマニア編ー マツドデラックスコレクション (ヴァンタス) 単行本 – 2022/9/17https://www.amazon.co.jp/dp/4907061471/ [撮影/ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]
去る2022年7月15日、トヨタ自動車が新型クラウンを発表しました。 1955年に登場したこのクルマ、16代目となる新型クラウンは、あまりにもそれまでとは様子が違うクルマになっていました。 正直、初めて見た瞬間、とても大きな衝撃を受けたほどです。 今回はそんな新しいクラウンの誕生を受けて、私が抱いた第一印象から、そもそも「クラウンとは?」について、少し考えてみたいと思います。 ■新しいクラウンを目にしたとき、もうクルマ好きを辞めようかと思った 第一印象で私がどう思ったか。 それはそれはもうショックでした。 この国で生きてきて、何か「絶対に変わらないもの」がクラウンである。 そんなふうに思ってきたのかもしれません。 それも私の勝手な解釈ではあったのですが、そんな身勝手な決めつけは「クラウンに裏切られた」とさえ感じさせたものでした。 そして思ったのが「あんなクラウン、もうクラウンではない。もういっそクルマ好きなんて辞めてしまおうか」そう思ったほどです。 こんなにシャープに、そして明確にそんなことを思ったクラウンは初めてでした。 お役人が運転手付きで乗る。 パトカーに採用される。 日本の社会では、ある種の信用を示す証のようにも受け止められることがあるクルマ。 クラウンに乗っている人は信用しても良い。 この国特有のクルマがクラウンでした。 けれども私が今までこのクルマに抱いてきたそんなイメージを、綺麗にそして大胆に崩しさるだけのものを、新型クラウンは持っていました。 ご実家がタクシー会社だった自動車評論家の故・徳大寺有恒さんもこんなことをおっしゃっていたように記憶しています。 「幼少期から新しいクラウンが登場するとそれがやがてタクシーのフリートとしてとても身近な存在。自動車評論家をしているのは、新しいクラウンをキャッチアップするため」と。 徳大寺さん、ご自身の愛車にはいつも輸入車を乗り継いでこられ、ともすると「クラウンの対局」のようなクルマがお好きという印象があります。 好みは好みとして、ご自身の歩幅と、日本の自動車とどういう位置で歩き続けるかをしっかりと意識されていた言葉という風に感じられてとても印象的な記述でした。 いつも服装初め身につけるものも洒落ていて、ファッションも大切にする。 そういう人がこう口にしたことも、私に「クラウンは信頼のブランド」と認識させてきた大きな理由となってきました。 そんなクラウンの変わりようには正直相当ショックを受けた。 これが正直私の16代目クラウンに対する率直な第一印象でした。 「膝から崩れ落ちるような」ト書きにそう書かれていても多分ピンと来ないでしょう。 しかし、あのときそれがどういうものかわかった気がしました。 私はいっそ、クルマ好きを金輪際やめよう、そう思ったほどの衝撃を受けたのでした。 ■「変貌」はしたが、「変容」はしたか?ブロンズのボディカラーに撃ちのめされた ただしかし、そんな衝撃は半日と経たずに、撤回を強いられることになるのです。 四つのボディタイプ。その中でも「クロスオーバー」と呼ばれる4ドアクーペでやや車高を上げたようなボディ。 この手の「変わり種」はもともと嫌いではありません。 ネット上を飛び交う写真をいろいろみていたら、これのブロンズのボディカラーが目につき「もしかしてとても良いかも」と思えてきたのです。 これは1980年代頃のザガートのデザインを受け入れていく過程にとても似た現象だと思いました。 第一印象、怒りを帯び、半ば嫌悪感さえ感じるようなあの感覚。 しかしながらそれらを眺めていて「あれ?もしかして秀逸かも」と、ちょっと好感を持ちはじめ、ちょっと気に入ってしまったら最後。 その魅力に取り憑かれ、自分が最初に下したイメージさえ、綺麗さっぱり切り捨てて忘れ去り、その魅力の虜になってしまうものです。 この時点で、クルマ好きを辞めるのを止めることにしたのはもちろんのこと、むしろすっかり「新しいおじさんグルマ」で欲しい車種リストの方に名を連ねる始末。 この優柔不断な感じは我ながらいかがなものかと思いますが、いやいや、柔軟性と呼んでほしいという自分もいたりして。 少なくとも今までに感じたことのない「新型クラウン」の誕生を迎えたのでした。 見た目の新奇さはしかし、4代目クジラクラウンの現代的解釈?と取れなくもないものですが、それ以上に「クラウンの有り様」の面で変革を打ち出したように感じるのです。 「変貌にも勝る変容」それが16代目の本分なのでは?そんな気がしているのです。 ■消える伝統と生き延びる革新 ボディタイプは4種類、最上位に6気筒エンジン搭載グレードを据えて、FRレイアウトを、というのはいつの時代の話だ、ということなのではないでしょうか。 私の幼少期からこの世に存在するクラウンも、景気が右肩上がりで成長していた頃は4年に一度実施されていてモデルチェンジで現れる新型クラウンも、いつでもそんな構成でした。 よって、もはやそれが常識、自然現象、抗うことのできないこの世の重力のように受け止めてしまっている自分を、改めてこの16代目のクラウンは自覚させるのでした。 しかし、そうでなくてはならない理由などどこにもないのです。 「伝統のクラウン」はこちらの勝手な決めつけであり、初代はトヨダ謹製「純国産乗用車」むしろ大いにチャレンジの旗手であったし、常に新時代の門を開けてきたのがクラウンだったのです。 確かに長いこと変わらなかった部分もあって、初代から、基本となっていたドライビングポジションなどはペダル・ステアリング・着座位置などで初代から相当最近のモデルまで守っていたのかもしれません。 ただ、日本人も食生活も生活様式も変わりました。 平均身長も手足の長さも、ちょっとした外国人のようになった部分があります。 あの佇まい以外にも、いわゆるぼんやりと、なんとなくムードで世の中の要請に応え続けてきたクラウン。 それで良いのか果たして?という部分もあったのではないでしょうか。 白い、コンサバティブなフォルムと佇まいのクラウン。 それを踏襲し続けて「市場よ!果たしてそれで本当に君たちは買うのか?このクラウンを!」とかなり声高に問いかけ、そうはいかないだろう!ならば、そういう声に翻弄されない!という一つの決心のようなものをこのクルマから感じるのです。 語られる「伝統」は往々にしてすでに「過去のこと」であります。 しかし、実は立ち位置を踏まえて、いろいろと試行錯誤を繰り返して、もちろん悩み、迷ったうえででも変革したモノが、後からその足跡を振り返ったときに「伝統」のブランドと呼ぶに足る継続と歴史を積み上げているということなのではないでしょうか。 クラウンとスカイライン。 この国において「伝統」という言葉に緊張感を持って向き合っているクルマだと思います。 それぞれに守るものと捨てるものの間で葛藤し、市場の声に翻弄され続けてきた歴史を持つクルマだと思うのです。 とにかく作り手としての「私はこう行く」というプリンシプルをここまで強く貫いている新型車の登場は、あまり記憶にありません。 ■「クラウンである意味」とは? ここまでの変わりようを目の当たりにすると、ここまで変わるなら「クラウンである意味あるの?」という疑問も出てきます。 実際にそんな意見SNSでは見られました。 しかし私が思うにクラウンだから意味があったのではないか、ということです。 おそらく、過去に囚われないクルマ作りはされているかもしれません。 おそらく色んな要素が盛り込まれているでしょう。 その意味では「キャラクター設定」みたいなものもはあったにせよ、その中での自由は案外あったかもしれません(この部分は是非一度実際に乗ってみたい。そして判断したいところです)。 ただ、クラウン自体のあり様に関しては、かなり掘り起こして、読み解き、矛盾も違和感も伴わない再定義のようなことはかなり綿密かつ厳格にやったのではないでしょうか。 「誰が観ても未だかつて観たことのないクラウン」にして「一度乗ればこれが令和のクラウンだと感じることができる」のような匙加減について、そのバランスは、結局未だに一度も実物を見れていないのですが、かなり楽しみなところです。 などなど、考えていくと、クラウンでなくても良いのかもしれないが、やはり「それをクラウンでやる」からこその意味があるのかも、という気がするのです。 ■ブレシア森さんにとっても原点はクラウン 先日、宇都宮で古くは戦前車から整備修理を手がけるクラシックカー専門ガレージ「スクーデリア・ブレシア」を訪れた際、リフトの上で一台の古いクラウンが整備中でした。 これはなんでも、代表の森さんのお父様が購入されたクラウンとのこと。 「購入してすぐに亡くなってしまったので父の片身でもあるんです。子供の頃空き地でこれを動かしたりしていたもんだから、クルマの道に進むことになったようなもんですね。この音!聞いてみて!塗装は一度やりましたが、そのほかは基本的にフルオリジナル。これがクラウンのクオリティですね」 と話しながら、ドアを開け閉めしてくれました。 厚手な鉄板で作られて、チリも綺麗に整い、半世紀以上経ってもブレのない重厚に整った開閉音。 モノづくりの威光のようなものを感じさせます。 おそらく、日本車の第二章が今からはじまるのではないか。 そのくらいのエポックメイキングさが16代目のクラウンには感じます。 ブレシアの森さんも、新しいクラウン「面白そうだね」と興味あるご様子。 もちろん普段昔のクルマを扱っているからという面もあるでしょう。 反動と言いますか。 しかし、決して「一蹴」しない見立て、筆者のような若輩の身がこういう新登場に心揺さぶられないことはなんだか恥ずかしいことのようにさえ感じたものでした。 同時に、私が受けた衝撃からの心惹かれていく過程。 なかなか今までにないセンセーショナルな一台が登場した、とまでは間違いないように感じるのです。 今まではどこかの国のどこかのクルマ目指してで来た日本車。 今ここにようやくそういうものとは決別した「我が道」で行くクルマづくり、そのスタートラインに立てたのかもしれない。 そんな気持ちにさせる一台、それが新しいクラウンなのではないか。そんなふうに感じたのです。 みなさんは新しいクラウン、どう思われました? 路上でこのクルマを見る日がいまから待ち遠しい。 そしてできればアルプスを超えてヒスイ海岸くらいまでドライブに行きたい。 そんな気持ちでいっぱいなのですが。 [画像/トヨタ ライター・撮影/中込健太郎]
日本では「ヤングタイマー」への注目度が日に日に増している。 それは筆者が暮らすドイツにおいても同じ現象が起こっている。 ヤングタイマーの線引きは難しいが、1970年代以前のいわゆる「クラシックカー」ほど古くはない、「1980年代から2000年代にかけてのクルマ」を指すことが多い。 ヤングタイマーへの注目度の高さはドイツにおいても例外ではなく、クラシックカー専門誌の兄弟誌として新たに「ヤングタイマー専門誌」が創刊されるほどだ。 今回は「今、ドイツで人気上昇中!5台の日本車ヤングタイマーとは」と題して、ドイツでじりじりと価格が上昇している国産ヤングタイマーを紹介する。 読者の方がかつて乗っていたクルマや、これから購入しようとしているクルマもあるかもしれない。 ■豪快な乗り味が人気! 日産・フェアレディZ(Z33型) まず紹介するのが、Z33型の日産・フェアレディZだ。ドイツではシンプルに「Nissan 350Z」の名前で販売されていた。 製造期間は2002年から2008年と、ヤングタイマーとして扱う中でもかなり新しい部類だが、ドイツでの注目度はとても高い。 ドイツではアウトバーンの速度無制限区間を日常的に走行するため、単純にエンジン出力の大きいクルマが好まれる。 走行時の余裕につながるからだ。 その点、350Zはもっとも初期のモデルで280馬力、後期にいたっては300馬力を超える出力を発揮するため「高速走行時にも余裕を感じられる」と評価されている。 350Zが人気の理由は、ロードスターモデルが存在することと、豪快なエンジンフィーリング、そしてメンテナンスに手がかからないこと、などが挙げられる。 ドイツ人は老若男女問わず、とにかくオープンカーが大好き。 自然吸気の3.5リッターV6エンジンによる低回転からトルクフルな出力特性は「近年の小排気量ターボからは得られないフィーリングだ」と評価されている。 ドイツでの取引相場は、状態の良い個体で1万6千ユーロ(約219万円)からとなっている。 ■純粋主義者を虜にする! ホンダ・S2000 ドイツではオープンカーの人気が高い、と書いたが、どちらかといえば「のんびりと楽しむ」あるいは「余裕を持って楽しむ」という感覚が主流だ。 つまり、武闘派のスポーツカー・ドライバーにとって、オープンカーはあまり選択肢の内には入らない。 さらに「屋根がないクルマに乗るくらいなら、俺はバイクに乗る。その方が爽快でスポーティだ」という考えの人も少なくない。 そんなドイツにおいて、硬派なバイク乗りや武闘派スポーツカー・ドライバーを納得させる唯一のクルマ、と呼ばれているのが、ホンダ・S2000である。 レブリミットが9000回転に設定されたエンジンは、自然吸気ながら2リッターの排気量から240馬力を発生(ドイツ国内仕様。ドイツでは2リッターモデルのみが販売された)。 オープンボディでありながら高いボディ剛性を誇り、コアなスポーツカー・ファンをも納得させる俊敏な走りは「バイク乗りにとって、四輪車における唯一の代替手段」と高く評価されている。 中古車の人気は非常に高く、状態の良い個体で2万5千ユーロ(約345万円)以上の相場となっているが、今後さらに値上がりすると言われている。 ■心臓のルーツはドイツにある! マツダ・RX-7(FD3S) 日本のスポーツカー・ファンにとって、マツダのRX-7シリーズは特別な存在だが、それはドイツにおいても同様だ。 その理由はやはり、マツダが長年熟成を重ねてきたロータリーエンジンにある。 ロータリーエンジンは、ドイツにおいては一般的に「ヴァンケル・モーター」と呼ばれている。 そのネーミングは、ロータリーエンジンの発明者でドイツ人のフェリックス・ヴァンケルに由来する。 彼は世界初のロータリーエンジン搭載市販車、NSU・ヴァンケルスパイダーを世に送り出したことで知られている。 ところが、マツダが初代コスモスポーツを経て初代RX-7を登場させると、ドイツ製のロータリーエンジンは文字通り終焉を迎えた。 マツダのロータリーエンジンは、NSU製のそれより機構が進化していたにもかかわらず、信頼性が高く、走行時の振動も抑制されていたからである。 ドイツにおいて、3代目RX-7(FD3S型)は排気ガス規制のため1992年から1996年のわずかな期間しか販売されなかった。 スタイリングやクルマの完成度は高く評価されていたにもかかわらず、である。 したがって、ドイツの中古車市場での希少性は非常に高く、どんなに状態が悪くても4万ユーロ(約552万円)を下回ることはない。 ある程度良い状態の個体を探すとなると、5万5千ユーロ(約759万円)は必要となる。 ここでは3代目のFD3Sを取り上げたが、初代モデル、2代目モデルの人気も非常に高い。 こちらはまだ庶民でも手が届く範囲の値札(およそ1万2千ユーロ、約165万円から)が付けられているが、いずれ上昇するのは時間の問題と見られている。 ■今こそ乗りたいセダンの筆頭! レクサス・LS400 ここまでスポーツカーばかりを取り上げてしまったが、一般的なセダンとなると、人気のある日本産ヤングタイマーの名前はドイツにおいてはなかなか挙がってこない。 しかし、その中でも別格の存在として今も扱われているのが、トヨタ・初代セルシオ、ドイツでは「レクサス・LS400」として知られるクルマである。 打倒・世界の高級車を目標に生まれたLS400は、ドイツの高級車メーカーにはっきりと打撃を与えた。 静粛性、乗り心地、信頼性、それらすべてが抜群に優れた日本産のクルマが、メルセデス・ベンツ、アウディ、BMWよりもずっと安価で手に入ったからである。 メルセデス・ベンツは1991年に新型Sクラスを販売する予定だったが、LS400の登場により発売直前になって改良を余儀なくされた。 結局それはコストの超過を招き、主任開発者のウォルフガング・ペーターが解雇される事態となっている。 今ドイツで乗ろうと思うと、1万ユーロ(約138万円)の出費で比較的良い状態の個体が手に入る。 走行距離が25万キロを超えても信頼性に問題はない、というのが現地での評価だ。 ■ラリー好きにはたまらない! 三菱・ランサーエボリューションIII ドイツ人はラリー好きだ。 そして彼らは口を揃えて、ラリーのベース車両に乗れた時代が懐かしい、と振り返る。 いや、それを言うのはまだ早い。 むしろ今が最後のチャンスかもしれない。 三菱・ランサーエボリューションは、スバル・インプレッサWRCと並んでドイツで人気のあるモデルだ。 特に「ランエボIII」は、三菱に初めて世界ラリー選手権制覇のトロフィーをもたらしたモデルとして、ドイツでも高く評価されている。 もちろん「現役のレース車両」のベースとして利用しようとする人は少ないが、軽量でコンパクトな4ドアセダン、それでいてパワフルな4輪駆動ターボのマニュアル車、ということで「このクルマでなきゃ!」という人は一定数存在する。 ドイツでの現在の相場は2万ユーロ(約276万円)から。 ただし、1995年から1996年の間にしか生産されていないため、ほとんどの人は「III」にこだわらず、状態の良い個体であれば購入を検討する、というスタンスのようだ。 ■国産ヤングタイマーの価格は今後も上昇傾向か? ここまで、ドイツで人気上昇中のヤングタイマーを5台厳選してお伝えしてきた。 いかがだっただろうか。 意外だと思う方も、順当だと思う方もいたかもしれない。 ドイツの自動車ファンは、日本の技術やクルマの歴史について詳しく、とても敬意を持っている。 それゆえ、みな一様に「古い日本のクルマの部品が、もっと簡単に手に入ればいいのに」と嘆く。 ドイツでは特に、ドイツ産クラシックカーの部品が簡単に手に入るため、その差はより大きく感じられるようだ。 日本の国産旧車人気の盛り上がりを機に、国産旧車のパーツがドイツなどの海外でもより簡単に手に入るようになれば、ドイツの日本産ヤングタイマー人気も一過性ではなく定着するようになると思うのだが……。 今後の国内メーカーの奮起に期待したいところだ。 [画像/トヨタ、日産、マツダ、ホンダ、三菱・ライター/守屋健]
■まずは自動車誕生の時代からの歴史を振り返ってみよう ●蒸気自動車の誕生から技術の確立 最初の自動車は、重量級の荷物を運ぶため、頑強な台車の先端に馬の代わりに蒸気エンジンを付けたもので、1769年に誕生した。 その後、ワットは蒸気機関をさらに改良、高効率化と著しい信頼性の向上に成功している。 さらに、ピストンの上下運動を回転運動に変える技術で特許を取得。 こうした新技術の確率により、1700年代後半になると、人間用の馬車も蒸気自動車へと移行していったわけだ。 ●対抗する動力源の出現 第1号はバッテリー&モーター!? その後、蒸気機関は技術を進化させながら、100年以上も自動車の主力動力として君臨するのだが、同時期に別の動力源を模索する流れもあった。 最初に頭角を現したのは電気自動車だったという。 おそらく、廃バッテリーの処理問題や、電解液漏れ防止の難しさなどの扱いにくさ、充電時間や航続距離などの問題が多々あったと思われるが、蒸気自動車の一角を崩すことには成功したようだ。 ●次世代の主力、ガソリンエンジンの誕生と乗用車の普及 ガソリンエンジンの登場は1886年のこと。 それは、G・ダイムラーの四輪車と、C・ベンツの三輪車だ。 上の画像は1889年のダイムラーだ。自転車のような細いタイヤに時代を感じる。 1900年代初頭の段階では、高速性能面も含め、蒸気自動車優位の状態でスタートしたようだが、自動車産業界にアメリカが参入したことで大きく変貌を遂げることになる。 そう、大衆化の潮流である。 ヨーロッパでの自動車は、上流社会のステータスという存在だったが、アメリカでは馬車に代わる一般大衆の長距離移動手段。 オールズ・モビルは量産化によるコストダウンに成功、フォードは当初より大衆車を目指して構造の簡素化とイージードライブに徹したT型フォードを開発し、自動車の普及に大きく貢献した。 上の画像は1909年式 Ford Model T Town Car。この時点でのスターターはまだ手動式だった。 加えて、セルスターターシステムの発明も大きなポイントである。 手動でクランクを回してエンジンをかける従来方式から解放された事で、非力な女性オーナーにも容易に扱える道具となったわけだ。 ■日本での自動車産業黎明期 日本での自動車生産は、1904年の山羽式蒸気自動車に始まるが、実用上の国産一号車は、1907年の純国産ガソリンエンジン車である、吉田式「タクリー号」だった。 ただし、残念ながら当時、日本の工業技術は未熟で、多くのチャレンジはあったものの、成功を遂げたモデルはなかった。 やがて、GMとフォードがノックダウン生産を始めると、国産メーカーは解散。 その後、1932年に、現在の日産自動車の前身「ダットサン商会」が、翌33年には現在のトヨタ自動車の前身となる「豊田自動織機製作所自動車部」が設立され、国産自動車開発にチャレンジを始めたが、第二次世界大戦前には軍需用トラック製造が優先されることになる。 ■国産乗用車生産の実質的スタートは第二次世界大戦後 日本国内での自動車生産が自由にできるようになったのは、1949年に、GHQによる自動車生産制限が解除されてから。 上の画像は、純国産を貫いたトヨタのトヨペットクラウン。1955年に発売された。 創業以来、純国産を貫いてきたトヨタはそのフィロソフィを貫いたが、1951年に東日本重工(現三菱自動車)がカイザー・フレイザー社製「フレイザーJ」のノックダウン生産を開始したことを皮切りに、53年頃から、日産はオースチンのA40、日野はルノーの4CV、いすゞはルーツのヒルマンのノックダウン生産をスタートしている。 その後も多くのメーカーが自動車メーカーとして名乗りを上げ、自家用車普及を目的とした1955年の国民車構想政策にも後押しされ、日本独自のユニークなクルマが数多く誕生した。 そして、1964年のオリンピック開催地が東京に決まると、高速道路などのインフラも急速に充実し、クルマの高性能化競争や価格競争が激化。 現在も愛され続ける、数々の名車が誕生したのだ。 ■国産旧車、年代別の特徴と魅力 ●1960年代以前 最初から純国産を貫いたトヨタを除けば、アメリカ、イギリス、フランス製車両のノックダウン生産車から国産乗用車はスタートした。 特に、日産が生産したオースチンA40&A50は、本家バージョンの熱狂的愛好者が多いだけに、古いわりにパーツ供給の不安は少ない。 上の画像は、日産がノックダウン生産したオースチンA50ケンブリッジ。今見るとなかなか洒落ている。 また、初のダットサンとして知られる、ダットサン110型が登場したのもこの時代だ。 純国産を貫いたトヨタからは、観音開きが特徴で、現在でも優れた実用性を持つ初代のトヨペット・クラウン&トヨペット・マスター、初代コロナ(ST10型)などがリリースされている。 その他では、プリンス・スカイライン&グロリア、スバル360、ダイハツ・ミゼット、そしてダットサン・ブルーバード(310型)が誕生している。 この年代のクルマ達はまさに文化遺産。 日本の産業文化史に残る個体を動態保存しているのだ、と、誇りを持って楽しんでいただきたい。 ●1960年代 ある意味、最も輝いていた時代が1960年代だ。 1964年に開催される東京オリンピックに向け、道路の舗装、高速道路建設などのインフラも急速に整備され、各メーカーの開発競争、販売競争も激化。 多くのニューモデルが誕生しただけでなく、従来車のモデルチェンジやマイナーチェンジサイクルが短かった時代だ。 また、二輪の世界で大成功をおさめたホンダが、初の四輪車としてS500&S360を発表している。 実際に発売されたのはS500だけだったが、S360用に開発したドライブトレーンを搭載した軽トラック、T360を発売。 スポーツカー用エンジンを搭載した軽トラであり、農道のフェラーリなどと呼ばれ、趣味人にも人気が高いモデルである。 ホンダがF1レースに初参戦したのもT360発売と同時期、1963年8月のことである。 マツダが四輪車市場に参入したことも大きなニュース。 この画像は、マツダ初の四輪自動車として1960年に発売されたR360クーペ。62年にはファミリーセダンのキャロル360を加え、日本のモータリゼーションに貢献した。 R360クーペ、キャロル360の発売から、初代ファミリア、ルーチェ、そしてコスモスポーツに始まるロータリーエンジン搭載車シリーズの発売まで、一気にトップブランド総合自動車メーカーの一角を担うまでに成長した。 逆に、高度な技術をウリにしていた名門であるプリンス自動車が、日産自動車に吸収合併されたのもこの時代の出来事。 また、通産省による自動車産業再編構想の影響もあって、日野自動車とダイハツはトヨタグループとなり、日野は乗用車事業から撤退している。 この年代のクルマは、個性に溢れるモデルの宝庫であり、我が国におけるクラシックカー趣味の主役といえる年代。 特に東京オリンピック以降に誕生したクルマ達の強い個性は別格。 そのクルマのオーナーになったその日から、メーカーや設計者の理念を感じるに違いない。 自分好みにモディファイするのも良いが、できることならノーマル状態を知り、設計者との時空を越えた対話を楽しんでもらいたい。 いや、そうすることが先人に対する礼儀であり、クラシックカー趣味道入門の心得だと思う。 ●1970年代 70年代は激動の時代となった。 アメリカのマスキー法施行によって、排出ガス中に含まれるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の量を1/10以下にすることが決定されたことを受け、日本でも排出ガス規制を強化することになったのだ。 日本では、本家が施行を延期する中、より厳しい規制値を定め、それをクリアするべく全メーカーが生き残りをかけて開発に注力することになる。 そのため、70年代のクルマは、規制強化前で60年代の余韻が残る70~73年、段階的に強化される規制値クリアに四苦八苦していた73~77年、目標規制値達成後の78年以降と、大きく3パターンに分けられ、それぞれの時代背景を感じるクルマが誕生している。 特に興味深いのが、公害対策をクリアしながら生き続けたトヨタのツインカム・エンジン車たち。 カタログから消えた時期もあったし、対策前よりパワーダウンはしているが、2T-G型や18R-G型搭載車の存在は、当時も現在も趣味人を刺激する。 この画像は、セリカLB2000GT。排出ガス規制をクリアした18RGE-U型エンジンを搭載している。 なお、JCCA(日本クラシックカー協会)主催のイベントでは、レースについては1975年以前に生産されたクルマ、展示イベントの場合は、基本的に79年までに発売されたクルマ、またはその同型車と規定されている。 つまり、旧車の中でもクラシックカーの世界を楽しみたいのであれば、70年代までの車両にこだわった方が賢明だろう。 ●1980年代 この時代の特徴は、多くの国産車が、FRからFWDへと移行したことだ。 そんな中、時の流れに抵抗するようにFRを貫いたAE86やFC型RX-7などは、人気アニメ「イニシャルD」の影響もあって、世界中に熱狂的ファンが生まれている。 もちろん、FWD車にも魅力的なモデルが多く誕生しているが、FR車が華やかだった最後の時代という風潮が強いためか、この時代に生まれたFWD車は、中古車市場での人気が低い。 たとえば、FRの310型サニーとFWDになってからのB11型サニーでは、市場価格に数倍の差が出てしまうし、他の車種でも同様の傾向があるのだ。 失われたパワーをカバーするターボ車が注目されるようになったのも80年代の特徴。 ただし、初期のターボ車は、3000回転を越えたあたりから急に目覚める「ドッカン・ターボ」だったので、回転を上げれば強いGを感じる強力な加速を楽しめるものの、低回転域でのトルクはNAモデルより小さく、街中では扱いにくいことを知っておくべきだろう。 この画像は、日本初のターボ搭載車となった430型セドリック。グロリアとともに、1981年に発売された。 全体を見ると、インパクトの強いモデルが少ないように思えるが、80年代半ば以降に誕生したモデルの多くはエアコンも装備されているだけに、日常的に使いやすい旧車として狙ってみたくなってしまう。 主にヨーロッパの市場で高く評価された、1978年発売のプレリュードに始まるパーソナルカー市場も、80年代の大きな特徴だが、その極め付けは81年に発売されたトヨタ・ソアラだ。 当時の最先端技術を惜しみなく投入した高級パーソナルカーであり、動力性能、快適性能共にライバルを寄せ付けないクルマだった。 80年代も後半になると、バブル景気で日本経済全体が急成長する。 クルマの世界でも、輸入車が爆発的に売れ、特に人気が高かったBMW320iに代表される3シリーズBMWは、六本木カローラの愛称(?)で、若者の間に浸透した。 本来はハイソサエティカーとして誕生した、日産のシーマも予想以上に若者の人気が高くなった。 シーマ現象と呼ばれる不思議な傾向で、ただ所有し優雅に乗るだけでなく、大胆なシャコタンとキンキラのモールやオーナメントを基本とするVIPカーという世界が確立したのだ。 まぁ、楽しみ方はイロイロだが、80年代半ば以降に生産されたクルマなら、快適装備も問題なく、日常的な使用もノープロブレムという点も魅力。 旧車の香りと現在の快適性がうまく調合されたモデルが多いので、旧車入門にもオススメの年代だ。 ●1990年代以降 80年代後半から90年代前半までの数年間は、まだバブル景気の勢いがあったためか、ユニークなクルマが多く誕生している。 日産のBe-1、パオ、フィガロ、エスカルゴ、そしてトヨタのオリジン、クラシック、WILLシリーズ、ダイハツのミゼット2など、いわゆるパイクカーが大量発生したのだ。 こうした、シリーズとしての継続性がない、いわばメーカー純正のカスタム車両は、比較的新しい旧車といえる90年代車両独自の世界かもしれない。 国産車としては約20年ぶりとなるオープン2シーター、89年発売のマツダ(ユーノス)ロードスターも90年代を代表する趣味人御用達実用車。 この画像は、ミアータの名で先行発売された輸出仕様のロードスター。軽快な運動性能で、スポーツドライビングを満喫できる。 ミッドシップのホンダビート&トヨタMR2、FWDのホンダCR-X、FRのマツダロードスター、日産シルビア&スカイライン、ホンダS2000と、各駆動方式ごとにワクワクするモデルが誕生している。 さらに、98年にはFRの4ドアセダン、トヨタはアルテッツァを発売。 ドライビングを楽しめる正統派スポーツセダンとして、人気上昇中のようだ。 旧いといってもまだ新しい年代なだけに、残存する絶対数は多いはずだが、かなりの数がアメリカに輸出されていることも事実だ。 これは、製造から25年以上経過した車両はクラシックカー扱いとなり、ハンドルが右であっても、アメリカに持ち込むことが可能となるルールがあるから。 国内の旧車ファンにとっては、価格高騰に直結するだけに迷惑な話しだ。 アルテッツアも間もなく25年ルール適用となるので、興味があるなら、早めに動いたほうが良さそうだ。 ■まとめ:旧車の世界は奥が深い ここまで、クルマ誕生の歴史から、国産乗用車誕生にふれ、大雑把であるが各年代の時代背景を確認してみた。 本当はもっと深く考察し、その時代を疑似体験できるほど掘り下げ、そのクルマが生まれた年代の社会環境を感じてほしい。 要するに、あなたが選んだそのクルマとの生活を楽しみながら、当時の空気感というか、イメージというものに理解を深めていっていただきたいのだ。 そうすれば、多くの旧車ファンが敬遠する、近代的な色への塗り替えや、最新の超扁平タイヤなど、時代に合わない手法でのモディファイを選択することもなくなるだろう。 時代というものにこだわるのは、クルマは道具であると同時に、その時代が生んだ文化遺産だからだ。 でもね、ボディだけを活かして、エンジンは別のクルマからスワップするのも一つの楽しみ方だし、時代は合わないけど夜間走行の安全性優先でヘッドライトをLED化するのもアリ。 まぁ、イロイロ言ったところで、楽しみ方は千差万別なのだ。 [画像/トヨタ・日産・マツダ ライター/島田和也]
2021年4月5日、TGR(トヨタ・ガズー・レーシング)のグローバルモデル第二弾として、大々的に公開された「GR86」。ユーザーが待ち望んでいた新型の86でしたが、エンジンは従来通りの自然吸気となり、先代から要望の多かったターボの搭載は見送られました。 ユーザーの要望を蹴ってでも、あえて自然吸気を選んだトヨタのこだわりとは一体!? 走る楽しさを継承した新型86 「直感ハンドリングFR」として業界を賑わせた先代86のコンセプトを引き継ぎ、「スポーツ性能に特化した、さらなる高い次元でのダイレクトで気持ちのいい走り」を目指したGR86。新型でも水平対向エンジンの低重心はそのままに、排気量は2.4Lにアップされました。 ボディサイズは全長4,265mm×全幅1,775mm×全高1,310mmと、先代の全長4,240mm×全幅1,775mm×全高1,320mmと比べ、全幅は変わらずに全長は25mm延長し、全高は10mmダウンしています。 外見はよりたくましくなり空力性能もアップ エクステリアは全体的に先代のスポーティな姿から、膨らみをもったマッシブな印象へと変化。フロントフェイスはGRカーシリーズではおなじみの「ファンクショナルマトリックスグリル」を採用し、先代よりも開口の広いグリルがダイナミックさをより強調しています。 そして、新たに追加されたフロントフェンダーのエアーアウトレットは、タイヤハウス内で起こる空気の乱流を防ぎ、走行安定性を向上。リアスポイラーレスのトランクリッドはダックテール形状に変更され、印象を変えたとともに効率の良いダウンフォースを得ることができます。 剛性を上げたフレームとアルミ材で軽量化を図ったボディ GR86のプラットフォームは先代から変わりませんが、スバルの技術を取り入れたスポット溶接や、フレームの組み立て方法を変更したことで、フロント曲げ剛性は60%、ねじり剛性は50%向上しています。 フレームの剛性はアップしつつも、ボンネットやフロントフェンダー、ルーフに至ってはアルミ素材を使用し、車両重量は約40kg増の1,270kgに抑えています。 スポーティな雰囲気を高めつつも、快適性を増したインテリア スピードメーターは先代のアナログ仕様から7インチTFT液晶ディスプレイに変更し、始動時はGR86のロゴのオープニングアニメーションを表示。インパネ上部はドライバーの広い視野を確保するために、水平なデザインに変更されました。 ホールド性が増したシートは、長距離ドライブでも疲れにくくなった本革とウルトラスエードのコンビシート、左右独立調整式のオートエアコンなど、インテリアの先進性と快適性は先代よりも向上しています。 なぜ新型にはターボが搭載されなかったのか 先代86ではパワーへの不満が多く、ターボ化の要望は尽きることはありませんでした。しかし、GR86は先代の2.0Lから2.4Lまで排気量を上げた水平対向型の自然吸気エンジンを採用し、あくまでターボは搭載しない姿勢を貫きます。 その理由は複数あり、そもそも86は速さだけを求める車ではなく、高回転まで回して性能を限界まで引き出す車であること。そして今回の「ダイレクトで気持ちのいい走り」というGR86のコンセプトにもヒントがあります。 エンジンストロークは変えずにボアのみを拡大 GR86は昨今のエンジンとしては珍しく、排気量アップにはボアアップのみを施し、ストロークは従来のままとしました。ボアを86.0mmから94.0mmへ拡大し、86.0mmのストロークはそのままとすることで排気量は2.4Lにアップ。ストロークを伸延することなく、ボアの拡大のみとたことで、NAエンジンの気持ち良い吹け上りはそのまま継承されました。 NAの素直な挙動を徹底的に追い求めた 排気量を2.4Lまで上げたことにより、最高出力は235psにアップ。0-100km加速は、先代の7.4秒から6.3秒まで短縮されました。さらに最大トルクは212Nmから250Nmアップし、発生回転数も3,700回転まで落とされています。つまり、「低回転がモッサリしている」という先代86の弱点を、排気量アップと発生回転数をダウンすることで、よりトルクフルで扱いエンジンになったということです。走行の気持ちよさを最優先したGR86は、先代の課題となっていたパワー不足も補ったことで、もはやターボは無用の長物になってしまったと言えるのかもしれません。 ターボは構造的にも向いていない もうひとつ、GR86の構造的にターボの装着が難しいという点もあります。前後重量配分を限界まで突き詰めたGR86のプラットフォームには、バランスを維持したままタービンを装着できるスペースがありません。また、極限まで軽量化を施しているため、その大パワーを受け止めるには耐久性の面でもいささか不安があります。 ターボを装着するための剛性強化や構造の変更を行ったとしても、それに伴う重量増はハイパワー志向ではないGR86のコンセプトに反するのです。 まとめ 2021年夏に発売のBRZに対し、セッティング期間も含め、2021年秋ごろに予定しているGR86ですが、今後も通常モデルにターボが装着される可能性は低いでしょう。ハイパワーを求めるのならば、サーキットやドリフト仕様のタービンキットが各チューニングメーカーから発売される可能性が高いので、そちらに期待することになりそうです。 直感的に操れる低重心で軽量コンパクトというコンセプトを貫き、ターボに頼らない道を選んだ新型GR86。先代86だけでなくAE86にも通ずるこの素直で軽快なドライビングこそ、新型GR86の持つ最大の特徴であり魅力と言えるでしょう。 [ライター/増田真吾]
雑誌やweb記事などを合わせると、何だかんだで年間100人くらいの方にオーナーインタビューをしている。 案件によって異なるが、人物やクルマの撮影をプロカメラマンさんに任せ、自分はインタビューに専念するケース、撮影からインタビューまですべて自分1人で行うケース、さまざまな「大人の事情」でメールやLINEでのやり取りというケースもある。 いずれの案件も、その取材対象の方にお声掛けし、コーディネートするのも自分の役目だ。 メーカーの広報車であれば、たいていは最新モデルだから雨の日でも撮影ができる。 汚れてしまった場合でも、内外装ともにきちんと洗車して、ガソリンを満タン返しにすれば大丈夫だ。 しかしオーナーが所有するクルマ、ましてや旧車およびネオクラシックカーを取材させていただく場合、そうはいかない。 雨の日はクルマ(趣味車)には乗らない、乗りたいくないというオーナーさんが少なくないからだ。 そういえば、以前こんなことがあった。 とあるネオクラシックカーをフルレストアしたオーナーさんを取材したときのことだ。 カメラマンさんと待ち合わせした場所は曇りだったのだが、撮影場所に近づくにつれて雲行きが怪しくなっていった。 道中、カメラマンさんに「もしかしたら、今日の撮影、延期になるかも・・・」とお詫びをしておいた。 事情が分かっているカメラマンさんは理解してくれたが、無駄足を踏ませることになるかもしれないのだ(事実そうなってしまった)。 そして、現地に到着した頃にはいつ雨が降り出してもおかしくないような天候だった。 待ち合わせ場所に現れたレストア完了後のネオクラシックカーは、見るからにコンクールコンディションといっていいほど、細部にいたるまでピカピカだった。 オーナーさんのこだわりと愛情が痛いほど伝わってきた。 ひととおりの挨拶を済ませ、ふと、オーナーさんに目を向けてみると、いつ雨が降らないかとソワソワしていることが分かった。 とても撮影を含めた取材に集中できるような雰囲気ではなかった。 そこで「今日は撮影を断念して、いったんオーナーさんの車庫に愛車を停めて、インタビューだけやりましょう。撮影は後日。雨が降らない日に!」 と提案すると、オーナーさんもほっとしたようだった。 無駄足を踏ませてしまったカメラマンさんには申し訳ないけれど、雨雲レーダーをにらみつつ、とにかく急いでオーナーさんの自宅に向かった。 その後、どうにか雨を回避でき、愛車を車庫に停めたあとに近くのファミレスでインタビューを行った。 オーナーさんも、愛車を雨に濡らすことなく、無事帰宅できたことに安堵しているようだった。 そして後日、快晴の日に撮影を行い、無事にオーナーインタビュー記事として公開することができた。 実は今日(8月21日)も、本来であれば、あるネオクラシックカーとそのオーナーさんを取材させていただく予定だった。 週間天気予報では晴れマークだったのに、2日前くらいから急に雨の予報へと変わった。 そこからあらゆる天気予報のサイトをチェックして、取材実施か、それとも延期かの判断をすることとなった。 オーナーさんの本音としては、今日の取材を希望されているようだった。 基本的に前日の夜に取材実施か、延期かを決めることが多いが、今回は判断が難しい予報だったため、当日朝に決定とした。 できるならばその希望を叶えたい反面、これまで無理やり雨天時に取材して、結果的に雑な撮影になってしまったことが過去に何度もあったのだ。 アナログ人間といわれてしまいそうだが、最終判断の目安は「NHKの天気予報」と決めている。 お天気キャスターの解説や雨雲レーダーや時系列予報などを見て、取材できそうかどうかの判断をする。 今朝も、目覚ましを午前5時45分にセットして、NHKの天気予報をチェックした。 総合的に判断した結果、今日の取材は雨天延期とした。 撮影中に雨が降る可能性が高いと踏んだのだ。 申し訳ないなあと思いつつ、オーナーさんとカメラマンさんにその旨を伝えた。 しかし、あくまでも天気「予報」なので、この予想が外れることがある。 今日の天気がまさにそれだった。 気象レーダーや時系列予報でも雨だったのに、現時点(13時15分)で、気象レーダーを見る限り、撮影場所は曇りのようだ。 結果論ではあるが、おそらくは雨に降られることなく取材できただろう。 さすがにオーナーさんやカメラマンさんから苦情の連絡が入ることはなかったが「雨が降るかもしれない日は取材を諦めて・・・」と簡単に気持ちが切り替わるものでもない。 まるで今日の天気のように、モヤモヤした日曜日の午後を過ごしてもいいことがないので、締め切りが迫っているいくつかの原稿(*この原稿もそうだが)を一気に書き上げて気を紛らせた。 じっとしているより、動いている方が楽なのだ。 これまで何度も経験しているが、本当に、これだけは慣れることがない。 そして、可能な限りの情報とこれまでの経験則から答えを導きだしても予想が外れる。 悲しいかな、今回もそのなかの1回に過ぎないのかもしれない・・・。 余談だが、NHKの天気予報以外にチェックしている天気予報のサービスをまとめてみた。 独断と偏見で所感も追記しておく。ご参考になれば幸いだ。 ・NHKニュース防災アプリ:手堅い予報なので迷ったときの最終判断はここ・Yahoo!天気アプリ:良くも悪くも予報がコロコロ変わる。直前(向こう数時間)の天気を予想する際には有用・tenki.jpアプリ:大胆な予報が多く、大当たりか大ハズレのどちらか・ウェザーニューズアプリ:個人的は判断材料のひとつにしているサービス(有料会員)・気象庁アプリ:本家の情報なので、1週間先の予報の目安として利用 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
愛車との付き合い方は千差万別である。 多くのユーザーは購入したクルマを一定期間乗って買い替える、いわば「消耗品感覚」で接していることが大半である。 最近では、カーシェアやレンタカーを利用することで、愛車を持たないスタイルも出てきている。 この記事を読んでくださっているクルマ好きの皆さまは、愛車を文字通り「愛している」に違いない。 ■1.旧車オーナーに増えている複数台所有の現状 愛車との時間を長く、より密に、すべての情熱を注ぎたいと思っているだろう。 そして旧車に関しては「不必要な消耗」を減らしたいというのが本音だと思う。 通勤や買物といった日常使いの多くは「不必要な消耗」と考えても良いと思っている。 無駄に(あえてこのように表現するが)増えてしまう走行距離、買物先での駐車中のトラブル・・・などなど。 現行車にとって、これらは大きなリスクにはならないが、旧車にとってはそうではない。 近年では外装部品はもちろん、走行に必要な部品も入手困難になっている車種も発生している。 そんな環境のためか、旧車オーナーのあいだでは複数台所有の方が増えているそうだ。 今回実際に複数所有オーナーたちの話も交えメリット•デメリットを紹介していきたい。 ■2.メリット:気分や目的に合わせて選べる! 多くの複数台所有オーナーは、違う車種やジャンルのクルマを所有していることがほとんどである。 ・走りを楽しむクルマ・快適に出かけるためのクルマ・アウトドアレジャーを楽しむクルマ・お買い物や通勤と機動性の高いクルマ・・・などなど 筆者の周りにいる複数台所有のオーナーはそれぞれ好みの車種選定を行っているため、その日の目的や気分に合わせて選び出かける楽しみがある。 ごく稀に、同一車種や同一ジャンルのクルマを複数台所有するオーナーもいる。 すべて同じクルマだと一般ユーザーからは思われることもあるそうだ。 しかし実は、ミッションやエンジンなど仕様が異なっているため、オーナーはその日の気分で選び、違いを楽しみ乗っていることもあったりする。 これはかなりのツワモノである(笑)。 ■3.メリット-1:クルマとおサイフへの負担を分散 一台のクルマで通勤、買い物、レジャーと使用していた場合、自ずと走行距離は増えてしまう。 特に通勤で使用すると、驚くほど走行距離は増えていく。 ハイオク指定や、燃費の悪いクルマに乗っているとガソリン代とダブルパンチだ。 筆者の友人がスポーツカーばかり所有していたとき、その一台でサーキット走行から買い物、アウトドアレジャーまですべての用事をこなしていた。 燃費があまり良くなく、高速を使用しても燃費は10km/Lに届かないと聞いて驚いたことがあった。 さすがに燃費の悪さと消耗品の交換頻度を考慮して、中古の軽自動車を導入した。 驚いたことに、中古の軽自動車を導入した結果、浮いたガソリン代で維持費が賄えたとのことだった。 元々運転が好きな友人なので、購入した軽自動車はMTを選択し、操る楽しさも妥協せずガマンしないカーライフを送っている。 ■4.メリット-2: 壊れた時の救世主⁉自己代車利用 旧車オーナーにとっての悩みは愛車の急な故障だったりする。 故障とまではいかなくとも不調がある場合、無理に動かし悪化はさせたくないものだ。 過保護でなくとも、気候によっては稼働させたくないこともあると思う。 だからといって、カーシェアやレンタカーが普及したとはいえ、都度借りるのは面倒であり、急用の際は手間が気になる。 しかし、愛車が増えることにより、不安や手間もなんと解消されるではないか! 急な故障だけでなく、長期にわたる大がかりなレストアや修理の際も代車を用意してもらう必要もない。 「余計な心配をせずに作業に専念できること」は、旧車趣味を楽しむオーナーにとっては実は大事なことだと筆者は思う。 ■5.デメリット-1:クルマの数だけ増える備品 クルマの備品のなかで1番かさばるものは何か?と考えた際、真っ先に思い浮かぶのはタイヤである。 多くはスタッドレスタイヤだったり、サーキット走行を楽しむ人は走行用のタイヤだったりする。 筆者の場合、スタッドレスタイヤが3台分あるため、置き場所をどうにか工面している。 旧車オーナーとしてはストックパーツを持っている方も多いかと思う。 周りにいる旧車オーナーは多かれ少なかれ何かしらのパーツを保管していると聞く。 小物もあれば外装パーツといった大物部品もあり、予防整備で交換した際に元々装着されている部品を予備として残しておくケースもある。 メインの愛車だけで済めば良いのだが、複数台所有しそれぞれの部品が増えだすと置き場所で困るのは筆者の実体験である。 部品単体で置いておくと邪魔で仕方ないため「動く部品取り」としてもう一台同車種を所有する友人がいる。 しかし友人はその車種が好きでたまらないので、結局は「動く部品取り」もきれいにしてしまったのである(笑)。 ■6.デメリット-2:乗るのに準備が必要!? 所有する愛車を自宅に置くことができる環境であれば理想的だ。 屋根付きガレージであればベストだろう。 さらに、並列に駐車できる環境であれば最高だが、なかなかそこまでの条件をクリアするのは難しいことも多い。 一軒家で自宅に複数台止められるお宅でも、縦列で止めるスタイルが多いと思う。 その場合、乗りたいクルマを出しやすいように並べ替えが必要になる。 また、駐車場を借りている場合は入れ替えに行かなくてはならない。 乗る頻度が少ない場合、保護のためのボディカバー、バッテリー上がりを防ぐためにバッテリー端子を外す対策も必要になる。 この手間に関して一番の解決策は、日頃こまめにローテーションで乗ることである。 ■7.まとめ:あると便利で心強い存在! 旧車オーナーにとって一台の愛車に全力で愛情を注ぐことは素敵なことだと思う。 その愛車と末永く過ごすためにも、さらに愛車を増やすことで、一台にかかる負荷を分散させるメリットがある点をご理解いただければ幸いである。 実は筆者自身、最近新たに軽自動車を手にすることになった。 旧車といえる年代の軽自動車だが、この機動力の高さに驚いている次第だ。 一般的に複数台所有は理解されがたいこともあるが、可能であれば新たなクルマの楽しみや驚きにも触れられるので、ぜひおすすめしたいと思っている。 [画像・AdobeStock/撮影&ライター・お杉]