旧車の魅力と知識

旧車バブルは崩壊が始まった!?中古車の価格高騰が終わりを迎える理由とは
旧車の魅力と知識 2023.03.27

旧車バブルは崩壊が始まった!?中古車の価格高騰が終わりを迎える理由とは

2020年頃より1980年代以降のスポーツカーを中心に旧車の価格が高騰していました。なかには1,000万円を超える価格で取引されるモデルもあり、所謂“旧車バブル”として市場が賑わっていたのはまだ記憶に新しいところです。 しかし、社会情勢の変化に伴い、そんな旧車バブルもついに終わりを迎えたといわれています。コロナ禍で盛り上がりをみせていた中古車市場は今後どのように変動していくのか、なぜ旧車の値下がりが見込まれるのか、その理由・背景を解説します。 高年式車両の価格が下がっている 旧車は未だに高価格で取引されているモデルも多く、値下がりするといわれてもあまり実感が湧かない方も多いかもしれません。しかし、中古車市場はすでに変化しており、高年式車両から価格が下がり始めています。 ・約1ヶ月前と比較して値下がりしている高年式車両の例アルファード(2.5S Cパッケージ):586万→575万 -1.87%Cクラス(C220dアバンギャルドAMGライン):600万→498万 -17%CX-8(XD Lパッケージ):320万→281万 -12.2%ランクル300(ZX):1,367万→1,302万 -4.75%※2023年1月13日時点のデータ※オートオークションでの価格をもとに算出 高級車として人気の高いベンツCクラスもわずか1ヶ月で17%も価格が下がっているほか、世界的に多くのファンをもつランクルも値下がりしています。これまでのように手放しで「中古車全体の価格が高騰している」とは言い難い状況です。現時点で目に見えて下降傾向にあるのは高年式車両が中心ですが、その波は旧車にも徐々に押し寄せています。今は驚くほど価格が高騰しているモデルでも、一気に値下がりしてしまうかもしれません。 腕時計・骨董品など高級品の需要低下 旧車の価格が高騰した背景に2020年からの新型コロナウイルスの流行があります。世界的な外出自粛要請に伴い、海外への渡航は禁止・規制されました。外出や旅行を趣味としていた方々はその反動とばかりに、旧車や腕時計、骨董品など、自宅でも楽しめる名品に投資し始めたのです。結果として、多くの高級品の価格が跳ね上がりました。しかし昨今では新型コロナウイルスに対する規制も緩和されつつあります。長期休暇や年末年始で旅行する方が増え、この社会情勢の変化に伴って高級品の需要も低下しているのが現状です。 腕時計に関してはすでに価格相場が下降しています。需要が低下する一方で、供給量が上がってきていることも大きく影響しているようです。スイスからの海外向け輸出量は2022年6月時点で対前年比で6.9%増、2022年全体では前年比11.9%増加しています。 中古車市場も同様に、高額な旧車を購入する層が減っています。あわせて、コロナ禍での半導体不足も少しずつ回復傾向にあるため、新車の納期の遅れも徐々に解決されるでしょう。腕時計と同様に中古車のニーズがどんどん薄くなり、価格も下がっていくことが予想されます。 アメリカでのマンハイム指数の低下 国内での中古車市場・社会情勢の変化について解説しましたが、アメリカの自動車市場も大きな転換期を迎えています。 アメリカの中古車価格の指標であるマンハイム指数が直近1年で大きく変動しています。2022年1月には257.5だった数値が12月には219.3にまで下降。14.9%も落ち込んでいます。国内での所有車の割合は新車が70%、中古車が30%であるのに対し、アメリカでは新車が30%、中古車が70%と真逆です。中古車ユーザーがメインである状況下でのマンハイム指数の低下は、アメリカにおける大変深刻な問題と言えるでしょう。 ※画像引用元:https://publish.manheim.com/en/services/consulting/used-vehicle-value-index.html アメリカ中古車販売大手「​​カーバナ(Carvana)」の株価下落 マンハイム指数の低下に加え、もう一つ見過ごせない問題があります。アメリカ中古車販売の大手「​​カーバナ(Carvana)」の株価の下落です。新型コロナウイルス流行初期に急激に高騰し、一時期370ドルにまで上がった株価は、2022年12月に3.95ドルに落ち込みました。なんと99%もの下落です。前述の通り中古車ユーザーが圧倒的に多い中での大手販売店の落ち込みからも、やはり市場そのものが下降傾向にあることがわかります。 「ウィズコロナ」の時代の訪れとともに株価が変動したと捉えられるこの状況は、日本としても対岸の火事とはいえません。 歴史が証明——フェラーリ・F40価格暴落の例 昨今の社会情勢を踏まえて旧車の値下がりについて解説しましたが、実際に大幅に価格が下がってしまったクルマがあります。フェラーリが40周年を記念して製作したリアミッドシップのスポーツカー・F40です。 1987年に発売され、新車価格は4,650万円でした。いわゆるバブル経済の影響もあり、その価格は1990年に驚愕の約2億5,000万円にまで高騰。当時の羽振りの良さを象徴する「走る不動産」とも言われました。 しかし、バブル崩壊後の値下がりもまた驚くべきものでした。2007年9月には約4,300万円にまで暴落しました。この例からわかるように、高価格が延々と続くわけではありません。クルマの価格は青天井ではなく、上がりきってしまうと必ず下降に入ってしまうのです。 バブル崩壊、大きく価値が落ちる前に旧車の売却を! 旧車バブル崩壊について、中古車市場の動向を解説しました。 未だに「旧車は売るのも買うのも高い」と認識されている方も多いかと思いますが、すでに値下がりは始まっています。クルマ、特に旧車を売却するならとにかく早め、まさに“今”がチャンスです。「あの時に売っておけば良かった」と後悔しても、時間も価格も戻りません。 売却する際にはぜひ旧車王にお問い合わせください。古いクルマ、なかでも2004年以前のモデルなら他社よりも高価格で買取できます。旧車に関する知識が豊富な“鑑定士”(査定士)があなたの愛車の価値を見極めます。どんなに古くても、たとえ動かなくても、査定におうかがいします。私たちにお任せください!   ———   参考記事https://news.yahoo.co.jp/articles/ca847618bbfea82cc1b1d28cbbcc8d510107f3ab?page=1https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000047.000055849.htmlhttps://forbesjapan.com/articles/detail/52671    

マイカー紹介 〜910型ブルーバードバンの巻〜
旧車の魅力と知識 2023.03.27

マイカー紹介 〜910型ブルーバードバンの巻〜

1983年型だから、タクシー仕様を除くとシリーズ最終モデルとなった910型ブルーバード。 ボクのはバンなので、丸目4灯が特徴。ブルーバードシリーズ最後のFR車である。 FRの小型4ドア車を買うはずが何故かブルバン ■毎度のことだけど、購入候補にないクルマを買っちゃった それは2020年夏のことだった。 この10年ほど、常時数台の公道走行可能なクルマと暮らしているのだが、その当時は、フェアレディSRL311・ポルシェ964・サニークーペ・ミニ1300i・初代フィットという非常にバランスに優れたラインアップ。 充実したカーライフをエンジョイしていたのだ。 でもね、ラインアップが完成形となると、何故か崩したくなってくるのがへそ曲りの性。 そこで、4ドアであること、マニュアルミッション車であること、フィットと同等程度までのボディサイズであることを条件に、売り物情報との睨めっこを始めたわけだ。 具体的なターゲットとしてイメージしたのは、国産車では、R411型ブルーバード・B110型サニー・RT100系コロナ・TA40系カリーナなど。 輸入車では、ADO16系各モデル・シトロエン2CV・ルノー4あたりだ。 そんなとき、クルマ屋を経営している友人から、210型サニーバンの情報が入ってきた。 210型は他のサニーより安いし、素材としては悪くない。 そこで、早速問い合わせてもらったのだが、情報を得た時点で商談中だったようで、現車を見ることもなく破談となった。 もともと興味の対象ではなかったからどうってことはない。 ただし、ボクには悪いクセがあって、縁がなかったクルマと似たタイプのクルマまで見るようになってしまい、約1ヶ月後、910型ブルーバードバンを発見してしまったわけ。 見つけた後は迷う間もなくトントン拍子。 イメージしたクルマより随分とデカイし、素の状態ではカッコイイとはいえないけど、まぁなんとかなるでしょう、ってな感じだった。 ■実物を見てのファーストインプレッション&作業開始 荷物の運搬にも使われた商用車だけど、ガンガン使った感はない。 一番気になる荷室も、想像以上に傷みが少ないし、リアゲートのダンパーも生きている。 運転席シートの座面右側が破れていたけど、新車登録から37年間で実走行約8万4000キロと走行距離も少なく、意外と程度は良さそうだ。 ボディカラーはシルバーメタリックで、左右の前ドアに看板を消した跡があるが、そもそも全塗装前提だったので問題なしだ。 色は、スズキ・ジムニーの純正色「ミディアムグレー」を選択した。 ということで、約10センチ車高を落とし、ボディはマスキングによる全塗装、ウインドウには濃いブラックでフィルム貼りを依頼。 ホイールは、以前街乗りのフェアレディSRLで使っていたロナール製の鉄風アルミを夏タイヤ用に、レース車両で使っていたスピードスター製RSワタナベタイプの3ピースアルミをスタッドレス用に決定した。 また、ステアリングはナルディのウッド。 後は、すべてのオイルの交換とラジエター内&ガソリンタンク内の洗浄という作業を依頼。 マイカー仕様のブルバン・プロジェクトのスタートだ。 ■自分で買った誕生日&クリスマスプレゼント プロジェクトスタートから約2ヶ月後、完成の連絡を受け、2020年12月22日に引き取りに行った。 ジャジャ~ン!! である。 ジムニーのミディアムグレーとなったボディカラーは、フロントと前席左右以外のウインドウをブラックフィルム貼り仕上げとしたことで、ビシッと締まった感じ。 ローダウンの効果もあって、フツーのライトバンだった910ブルバンを、クールなチョイ悪スタイルに変身させることに成功した。 まぁ、ドアを開けると顔をだすピラーの内側やステップ付近などは元色のまま、という仕上げには不満があるものの、パッと見は充分にカッコイイ。 最初はフェアレディのレース車両用として購入し、後に310サニーのセダンでも使ったRSワタナベタイプのスピードスター製ホイールも似合っている。 インテリアは、ステアリングをナルディのウッドに替えただけだからごくフツー。 タコメーターもなく、ヒールアンドトゥなんてまったく考えていないペダル配置も笑えてくる。 エンジンはZ16型だが、乗用車用のツインプラグとは異なり、フツーのシングルプラグ。 これは、当時の乗用車に厳しく商用車には緩い排出ガス規制により、商用エンジンは希薄燃焼化しなくても規制値におさまるのでツインプラグの必要性がなかったから。 ツインプラグのZ型エンジンは酷評されていたが、商用エンジンの仕様ならマシなはずだ。 っつうことで、ほぼ誕生日に手に入れてプロジェクトをスタートした910バンは、クリスマスイブの2日前に完成。 予算は大幅にオーバーしてしまったが、自分で買った誕生日兼クリスマスプレゼントとなったのだ。 ▲ボディカラーは現行ジムニー用のミディアムグレー かなり濃いブラックフィルムの効果もあって引き締まったスタイルに見える。 ■アッという間に工場へ!? 納車時の走行距離は8万4542km。 非力だし遅いけど、運転していて意外と楽しい。 こういうクルマに美点を見出せる年齢になったんだなぁ、とか、ボクも大人に近づいてきたのさ。 なんて思い、ニヤけながらのドライブだ。 ところが12月30日。 ワインディングをそれなりに攻めていたら、しばしば燃料供給不良の症状が!!  で、いつものコンビニまで辿り着いて工場に電話。 指示に従って対処してみたけど、結局JAFのお世話になり、自宅前まで運んでもらった。 翌日引き取りにきてもらい、一緒に工場へ。 原因はキャブレターで、オーバーホールが必要とのこと。 困ったなぁ、なんて考えていたそのとき、「どうせオーバーホールするならツインキャブ化しちゃいなさい!!」という声が聞こえたような……。 それが神様の声なのか悪魔の囁きなのかは不明だが、ボクはその声に従うことにしたのだ。 ■ウェーバーツインの吸気音が快感!! エンジンはノーマルのままなので、ツイン化するといっても口径は小さめにしたい。 そこで選んだのが、現在入手しやすいキャブレター中、最も小口径である40φのウェーバーだ。 マニホールドはL型用と共通のようで、部品の手配に苦労はなかった。 ついでにタコメーターの装着も依頼した。 作業が完了して取りに行ったのが1月16日。 停止時に頻発していたエンジンストールも解消したし、なによりもツインウェーバーが奏でる吸気サウンドが心地よい。 パワーはないけど、その気にさせるサウンドに陶酔するボク。 絶対的な走行性能も大切ではあるけど、吸気音や排気音などのサウンドもファン・トゥ・ドライブには欠かせない要素なのだ。 ▲キャブレターを2連装のウェーバー40に変更 Z型エンジンはクロスフローに進化しているので、夏場のパーコレーション発生も少ないはずだ。 エンジンチューンはしていないのでパワーはないが、ミュージックといえる官能的な吸気音は格別だ。 ■高速移動中に初体験のトラブル発生!! キャブレターの問題も解決し、ウェーバーサウンドを楽しめるツアラーとして存在感を高めていった910バン。 1月の岡山国際サーキット遠征のパートナーとして連れ出し、仲間達に披露。 そして、翌月の東京出張にも連れ出した。 パワーはないけどサウンドは快適。 深夜の高速道路を80〜100km/hの速度でユッタリと流す。 ブルバンは4速ミッションでオーバードライブが付いていないから、タコメーターの針は、だいたい3000~3500回転を示している。 新東名に入り、静岡SAに近づいた頃、突然落下物でも拾ったような音に続いてガラガラ音が!! 慎重にスローダウンし、SAに入る。 それまで中央の位置でピタッと止まっていた水温計が急に動き出した。 近い駐車スペースに停める頃には、不凍液が焼ける匂いとともにボンネット付近から白煙。 オーバーヒートの症状だ。 とにかく冷ましてからじゃないと何もできない。 仲間に連絡したいけど時間は午前2時過ぎだし、電話のバッテリーも残量がヤバイ。 とりあえずスタンドに行って充電器を借り、電話を充電しながらiPadを開き、SNSでピンチに立たされている現状を発信した。 すると、それに気がついた大阪の仲間が、代車を積んでヘルプにきてくれるという。 長いことクルマと付き合っているけど、この事象は初体験だ。 ヘルプの到着を待っている間、ボクは、最悪エンジンのオーバーホールまで必要になるかもしれないと危惧していた。 そのとき頭をよぎったのは、すでに大幅に予算オーバーしていたにもかかわらず、エンジンのチューンアップとか、積み替えのこと。 どうせ積み替えるなら、日産製エンジンに拘らず、ケントユニットとかアメリカンV8なんてのもアリかな、なんてね。 まったくもってノーテンキなのだ。 ▲ナルディのウッドステアリングは現在デカレディに転用している ステアリングコラムカバーに貼り付けたタコメーターは、明るくて見やすく気に入っていた。 ■長く付き合う予感はあったけど・・・ イロイロなことがあったけど、ウェーバーツイン装着以来、かなりボクのイロが濃厚になってきた910バン。 TSM(高雄サンデーミーティング)では特別賞をいただいたし、ほとんど効果はなかったけど、台湾製の汎用クーラーを入れて快適性向上チャレンジもしてみた。 イメージとしては長く付き合う感じだったけど、ヒョンなことから立ち上がった「車種未発表の極秘プロジェクト」によって、運命は大きく変わってしまった。 前回の愛車紹介に登場したサニークーペとともに下取りに出すことになったのだ。 1回目の車検を終えてすぐの2021年12月のことである。 プロジェクト完了時に渡すので、残された時間を積極的にともに過ごし、たくさんの想い出を作るつもりだった。 本来なら現在も手元にあり、計画中の北陸から始まる東北一周ドライブも910バンで行くはずだった。 でもね、昨年8月、突如やってきた「デカレディ」ことGS130型フェアレディの購入資金捻出のため、プロジェクト完成後に下取りに出すはずだったサニーとブルバンを先に差し出すことに……。 ブルバンとの想い出は、トラブルが中心の波乱万丈スタイルになってしまったけど、ボクの趣味人ライフに大きな足跡を残してくれたことは事実。 特に、パワー不足で遅いクルマだから、速度違反を気にすることなく、ウェーバーの奏でる吸気音を楽しめた安心感は格別だった。 お金をかけてしまったし、それなりに気に入っていたブルバンだが、デカレディ出現により、別れの時期が早まってしまった。 なお、奥にあるムーブは、フィットを手放した後に入手したもので、当時のボクにとって唯一の快適エアコン号だった。 [撮影&ライター/島田和也]

改めて思う「2ドアのセダン」って、カッコいいよね
旧車の魅力と知識 2023.03.25

改めて思う「2ドアのセダン」って、カッコいいよね

■2ドアセダンってイイよな、って思う 「セダン」とか「クーペ」の正しいカテゴリわけって、正直アイマイというか、わかりにくい気はするんだけど、要は「ハコみたいなドンくさそうなクルマでドア2枚」ってのが2ドアセダンかな。 ▲トヨタ カリーナ(1977年)2ドアセダン。リアクォーターパネルあたりがスクエアなセダン的 ▲トヨタ カリーナ(1974年)2ドアセダン。リアクォーターパネルあたりがクーペっぽい滑らかさ そんな2ドアセダンって、ちょいと髪の毛に白髪が混ざったオジサンとか、上品すぎるワケではないカジュアルでラフな服装のオバサンの乗り物、という感じかなあ。 あるいは、ちょっとボロい感じの2ドアセダンに、お金持ってなさそうなワカモノが何人かで、窓を開けて腕を出しながら楽しそうにどこかに出かけてゆく、そんなイメージがありますね(現在空想モード)。 冷静に見ればハコのクルマならドア4枚の方がずっと便利だし使いやすいのはわかっております。 ■現代の多くのクルマは4ドア なので、最近の多くのクルマはドアが4枚がフツーになってきてますよね? いわゆる「スポーツカー的なやつ=すなわち走るのが目的=以外」は、ほとんどがドア4枚。 今や、ポルシェやフェラーリでさえ4枚ドアがあるんだから、現代の基本はドア4枚と考えて宜しかろうと思います。 なので、最近というか、ここしばらくは2ドアのセダンなんてまず見かけないです。 若い人たちは「その存在を知らない」人も多かろうと思うのです。 ところがココは「旧車王ヒストリア」です。 旧車には2ドアセダンという、今では絶滅しかけたスタイルのクルマがいた(←ここ過去形)のであります。 ■懐かしの2ドアセダンたち ▲スバル1000(1965年)。60年代の典型的な2ドアセダン。すっきりしている ちょっと思い起こしてみましょうか。 BMWの02シリーズなんていかが? サニーとかカローラの2ドアセダンなんて、今見ても魅力的。 VWジェッタなんかも良さそうですね。 サーブ90なんてのも、このカテゴリかもしれませんね。 FIATの850なんて今見てもシャレオツ! ▲BMW 02シリーズ(1975年)。まさにハコのクルマ感 ▲トヨタ カローラ(1966年)2ドアセダン。60年代のベストセラー ▲日産 サニー(1966年)2ドアセダン。同じく60年代のベストセラー ▲VW ジェッタ(1979年)2ドアセダン。70年代後期の2ドアセダン絶滅期に近いクルマ ▲サーブ 90(1984年)2ドアセダンというよりは、クーペかハードトップに近いスタイルかな ▲フィアット 850(1964年)2ドアセダン。60年代のイタリア車はみんなカワイイ ■かつて、日本車は2ドアセダンの宝庫? さて、我が国ジャパン。 実は2ドアセダンの宝庫だった時代があります。 上記で挙げた出始めのトヨタ カローラや日産 サニーなんかは、最初にリリースされるのは2ドアセダンというパターンが多かった。 当時の感覚からすると、同じボディならドア4枚より2枚の方が安上がりってなもんで、単にコストの問題もあったような感じです。 また開口部が少ない方が強度が保てる、みたいな理由もあったかもしれません。 いや、もちろんこれらは推測ですが、こうしてみると実際1960年代〜80年代のファミリーカーは「2ドアセダン」「4ドアセダン」「ハードトップ」「クーペ」というカテゴリがほとんどだったような気がします。 ▲トヨタ カローラ(1970年)2ドアセダン。70年代になっても基本は変わらないスタイル ▲日産 サニー(1970年)2ドアセダン。ちょっとカローラ的な雰囲気も出てきた70年代サニー おっと、ハードトップってナンだよ?と思う人もおりましょう。 ま、旧車王ヒストリアの記事を読んでいる方々であれば、それが「オープンカーのようにサイドのサッシュ・ピラーのない大きな窓のある、いわゆるオープンカーの屋根が固定の金属バージョン」だから「ハードトップ」というのはおわかりでしょうから、説明は省いておきます(笑)。   ▲日産 ローレル(1968年)2ドアハードトップ。屋根が別塗装でスペシャルな雰囲気 ということで、今ではアタリマエの4枚ドアのハコ型クルマのドアの数が、単に2枚のヤツが2ドアセダン。ほんと今では見かけませんが、実際に使ってみると、ドアの数が少ないからちょっと不便かもしれません。なにしろ後ろの席に乗り込むときは・・・・ 1:ドアを開ける2:前席の脇にあるレバーを操作する3:すると前席のシートバックが前に倒れ、同時にシート全体が前方にスライドする4:そうしてできたスキマに体を滑り込ませ、後ろのシートに乗り込む5:もう一度レバーを操作して、前席のシートを下の位置に戻す6:ドアを閉める というような「手順」が必要だったワケです。 いやメンドクサイですね。 しかも後ろのシートに座った人は、ほぼ「軟禁」状態になるので、イザというときに脱出するのも難しいという。 実用面では「4人乗れる」けれど、普段は「2人で乗る」のがメイン、という感じなのが2ドアセダンではなかろうかと。 ▲リアシートへのアクセスは手順が必要。出入りがメンドイのは2ドアモデルの宿命 さて、あらたまって写真とか眺めてみると、2ドアセダンってやっぱカッコ良くないですか?カッコいいですよね。 でも、上記のようにその実用面から姿を消したと思われる2ドアセダン。 姿勢を正して(笑)考え直してみましょう。 ▲BMW 02シリーズ(1967年)。シンプルなデザインはいまの時代でもかっこいいっス ■実はリアシートを使う機会って少ないかも? 現在、実用性をメインにクルマを選ぶ、というのはトラックとかタクシーとか、クルマを仕事に使う人たちであって、いわゆる「自家用車」を選ぶ場合、絶対的な実用面をメインに選ぶことってあまりないのではないか?と思うのです。 街中を走っていても、田舎道を走っても、高速道路を走っても、周りを見てみると、ほら、ほとんどのクルマに乗っている人たちの数はひとりかふたりじゃないですか? まあ、時折りレジャーにゆくのか、獅子舞みたいなデザインのでっかいワンボックスカーにたくさん乗っていたりしますけど、タクシーでさえ乗せているお客さんの数は1人か2人、多くて3人って感じですよね? 自家用車ならなおさら!普段はあまり使うことのない後部のドアがなくても、実際あまり困らないんじゃないかと思うのです。 ▲ルノー アヴァンタイム(2001年)。やたらデカくてこのデザインで2ドア。ダブルヒンジで狭いところでもドアの開閉ができる変態構造(笑) なので、ここらでですね、2ドアセダンをもう一度見直してもいいんじゃないかって思うのです。 特に理由もなく「かっこいい」っていっててもしょうがないんですけど、ハコクルマのドアが2枚って、ストイックな潔さというか、とっつぁんグルマのような野暮ったさがありつつも、ときには1人で夜の高速を流したり、山道で細いタイヤ鳴かせながら上がったり下がったり。 いざとなったら後ろにもヒト乗せることできますよ、ええ……みたいな感じで、何となく旧い映画とかドラマの主人公的な「生き方」というか「過ごし方」ができそうな気がするじゃありませんか(笑)。 まあ、気がするだけかもしれませんけどね(再び空想モード)。 実用面からすれば少々使いにくい。 滑らかなスピード感あふれるシャープな造形でもない。 すなわちカクカクしてて少々やぼったいデザイン。 走らせてみると特に速いワケではない。 けれど何となく頑丈そうでなかは結構広い。 その気になれば荷物積めちゃうしヒトもたくさん乗ることができる。 ▲トヨタ カローラ(1970年)2ドアセダン。人数少なければ大変実用的なコミューター。今でも通用するんじゃないかと そんな2ドアセダンにカッコよく乗れるオトナになりたいな、と思うのは、ちょっとオジサン入っちゃってますかね?いや充分にオジサンなんですけど、その辺はちょっとしたノスタル爺ってことで、そんなオトナになりたいものです。 ▲スバル レオーネ(1986年)2ドアセダン。セダンなのにかなり戦闘的。もうやる気まんまん的な80年代を体現しているかのようで これ読んで旧いサニーとかコロナやカリーナの2ドアセダン、検索してみてね。 「あれ?結構高いな」なんて思ったりしますよ。 [ライター/まつばらあつし]

日本初の実車ドリフト映画「アライブフーン」が世界で絶賛される理由とは
旧車の魅力と知識 2023.03.22

日本初の実車ドリフト映画「アライブフーン」が世界で絶賛される理由とは

■2022年6月に公開された映画「アライブフーン」 『ALIVEHOON アライブフーン』(監督 下山天)は、日本初の本格ドリフト映画である。 FIA公認のモータースポーツであり、世界数十カ国で競技としても開催されているドリフトだが、その始まりは日本だ。 しかし、日本で生まれたにもかかわらず、これまで本格的な実写のドリフト映画は作られてこなかった。 日本を舞台にしたワイルド・スピード『TOKYO DRIFT』(2006年)はハリウッド映画だし、実写版映画『頭文字D』(2005年)も香港映画である。 アライブフーンのすごいところは監督、スタッフ、俳優陣、そしてクルマに、ロケ地に至るまですべてが純日本製。 土屋圭市氏監修のもと、CGは一切なく、中村直樹、久保川澄花、横井昌志、北岡裕輔、齋藤太吾、川畑真人のトップレーサーたちがド迫力のリアルなドリフトを披露している。 また、土屋圭市氏とレーシングドライバー織戸学氏も本人役で出演している。 映画はレースゲームに驚異的な才能を持つ若きゲーマー、大羽紘一(野村周平)が解散の危機に瀕するドリフトチームにスカウトされたところから始まる。 リアルのドリフトレースに挑戦し仲間たちに支えられ、その才能をさらに昇華させていくストーリーだ。 日光サーキットを除くロケのほとんどはドリフトの聖地「エビスサーキット」をはじめ福島県内各地で行われており、登場する競技車両は日産シルビアS15(エンジンは2JZ)、トヨタMarkII(2JZ)、トヨタチェイサーなど海外でも人気急上昇中の旧車が中心となっている。 ■海外で快進撃!その勢いは日本に「逆輸入」 2022年6月に日本で公開された際も非常に評価が高く、「フォーラム福島」では11週にもわたるロングラン上映となった。 だが、高評価のわりには全国的な盛り上がりにはやや至らない部分もあった。 しかし、その後、8月末頃からスタートした海外での上映で日本を大きく上回る快進撃が始まる。 2022年末までに世界15カ国で劇場公開されシンガポール、タイ、台湾ではTOP10入りしてタイの映画サイト人気ランキング1位を獲得。 台湾では6週間のロングラン、フィリピンでは25万人を動員した。 9月に米国シカゴで開催された映画祭【Asian Pop-Up Cinema】では最高栄誉である《Audience Choice Award/観客賞》を受賞。 オランダの映画祭では観客投票3位を獲得した。 そして2月半ばには、世界最大の映画評価サイト『IMDb』における米国在住者からの評価の平均が、日本映画史上最高点の「9.0」を記録した。 アメリカでの本格上映は始まっておらず、シカゴで開催されたアジア映画の祭典【Asian Pop-Up Cinema】の2回だけでこの高評価である。 アメリカでの日本車旧車の人気は留まるところを知らないし、ドリフト人気も日本をはるかに上回る。 アメリカでの公開が実に楽しみである。 いち早く配信が始まった台湾でもすこぶる高評価だ。 台湾では『AliveDrift 極速甩尾』とのタイトルで配信が始まり、前宣伝ゼロの状態でスタートしたものの、直後に春節連休期間を迎え、視聴ランキングは堂々の1位を獲得している。 台湾にも熱狂的なファンが多数存在している。 1月14日には日本映画の歴史を変えるできごともあった。 この日、米軍三沢基地(青森県)にてアライブフーンが上映されたのである。 日本映画が米軍基地で上映されるのは前代未聞。 全国各地にある米軍基地の映画館ではアメリカと同じ映画が上映されるのが基本だからだ。 70年に及ぶ米軍基地の歴史の中で純然たる日本映画が上映されたことはこれまでなかった。 ■日本でも今、全国各地で再上映が行われている!東京では4月2日に上映 そして海外の勢いは日本に「逆輸入」されつつある。 昨年12月にはドリパス(一般登録者から要望のあった上映リクエストを元に、上映イベントを開催するためのサービス。株式会社インコムが運営)の再上映リクエスト「もう一度映画館で観たい映画」において、1位となったことで再上映が決定。 1月15日のTOHOシネマズ日本橋から再上映がスタートしており、これまで、東京、栃木、茨城、大阪、福岡、仙台、そして3月4-5日の福島で上映された。 福島は当初3月4日だけの予定だったのだが、あまりにも希望者が多く、急遽、5日の上映も行われた。 すでに上映した青森(3月10‐11日)、尼崎(3月17日)に続き、今後は苫小牧(3月25日)での上映が予定されており、4月2日(日)には再び東京(秋葉原UDXシアター)で上映される。すでにチケットは発売開始となっているが、限定170枚で売り切れ次第販売終了となるので、見たい方はお早めに。 3月4日にはアライブフーンの聖地巡礼ツアーが福島県内で開催され、遠くは何と台湾からの参加者含めて選ばれた約20名が下山監督とともに映画の舞台を回った。 福島県相馬市の相馬港や松川浦、伊達市梁川町のナプロアース、二本松市のチューニングショップRGF、福島市の福島日産自動車福島郷野目店など。 なお、福島郷野目店の倉庫は主人公の部屋として最初から何度か登場する印象的な場所だ。 非常に好評だった「聖地巡礼ツアー」だが、今後はアライブフーンのファン有志によって開催される可能性もあるとのこと。 ■下山天監督からのメッセージ 「自動車を取り巻く環境が激変する中で、本作で描いた《クルマと人間の熱い関係》が、将来寓話にならないように、まだまだ世界中の皆さんにアライブフーンを観ていただきたいですね」 『ハリウッドが100億円かけても作れない奇跡のドリフト映画』と絶賛されるアライブフーン。 クルマ好き、旧車好きならぜひとも見て欲しい映画である。 [ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]

ドイツ人が選ぶ、一度は乗ってみたい日本のクラシックカーとは?
旧車の魅力と知識 2023.03.20

ドイツ人が選ぶ、一度は乗ってみたい日本のクラシックカーとは?

著者がドイツで生活を始めて8ヶ月。 この国に来て感じたことは、日本と比べても圧倒的にクラシックカーが多い。 街を歩けばメルセデス・ベンツやポルシェのクラシックカーを度々見かける。 それも1日に何十台も。 著者が生活をしているのはドイツの南にあるシュツットガルトという街だが、この街はメルセデス・ベンツとポルシェの本社があるので有名だ。 特にドイツではクラシックカーを大事にしようという考えが強く、年式の古いクルマでもある一定の条件を満たせば自動車税が安くなることもあるそうだ。 そんなドイツで日本車のクラシックカーははたして人気があるのか? ドイツ人はどんな日本車のクラシックカーに興味があるのか? 今回は日本のクラシックカーについて現地調査を行なってみた。 ■第5位: トヨタ スープラ 1993年に発表されたこのモデルは、歴史こそ浅いものの、世界中の日本車愛好家から絶大な人気を誇っている。 3リッター、直6ツインターボエンジンを搭載し、330馬力を発揮する。 当時ドイツで人気のあったポルシェ911ターボをターゲットにして開発された。 長旅でも疲れにくい快適なシートと、比較的低い運転席で走る楽しみを感じることができる。 ドイツでは1996年に約500台が登録され、その後販売停止となった。 左ハンドルのスープラは非常に在庫が少なく、ドイツの中古車市場ではあまり出回っておらず希少価値の高いモデルとなっている。 ■第4位: 日産 300ZX TWIN TURBO 日産 300ZX TWIN TURBO、モデルコードZ32がドイツに導入されたのは1990年。 3リッター、V6ツインターボエンジンを搭載しておりHONDA NSXよりも強力な283馬力を発揮する。 車両重量は1627kgとやや重めだが、0-100km/hは6.2秒、最高速度は250km/hと力強い走りを実現する。 米国市場での成功を狙って開発されたこのモデルは、取り外し可能なTバールーフを備えており、太陽の光と風を存分に感じることができるようになっている。 ■第3位: ホンダ NSX 1990年に、6年間の開発期間を経て誕生したホンダの頂点に君臨するモデル。 当時の新車価格は130,000マルク(約958万円〜)となっており、フェラーリのライバルとして世に送り出された。 シャーシやボディはアルミ製で当時のホンダの技術を最大限に使った日本初のスーパーカーである。 開発には当時のF1ドライバーであるアイルトン・セナが関わっており、当時は非常に注目を集めたクルマだ。 2005年までに約18,000台が販売されたが、開発段階で莫大なコストがかかってしまい利益があまり上がらなかったといわれる。 ■第2位: トヨタ 2000GT トヨタとヤマハが共同開発したスポーツカー。 1967年から1970年まで販売されており、総生産台数はわずか337台。 その生産台数の少なさと知名度の高さから現在ではプレミアが付いており、1億円を超える高値でオークションで取引されている。 まさに日本を代表する伝説のクラシックカーだ。 当時のトヨタはまだ世界では無名の自動車メーカーであったが、トヨタの先進技術をすべて搭載し、世界でも通用するスポーツカーとして開発された。 実際にこのクルマは多くの注目を集め、結果的にトヨタの名を世界中に知らしめるきっかけとなった。 ■第1位: 日産 スカイライン2000 GT-R(ハコスカ) 日本のスポーツカーといえば日産スカイライン GT-Rほど有名なクルマは他にないだろう。 箱型のボディが特徴的で、箱型のスカイラインからハコスカと呼ばれるようになった。 海外では日本を代表するスポーツカーであることからゴジラと名付けられた。 2リッター、直6エンジンを搭載しており、最高出力は160馬力となっている。 このモデルは海外に輸出されておらず、世界中のクルマコレクターの間では非常に高値で取引されている。 ■まとめ:自動車大国ドイツでも、日本車人気は非常に高い ドイツ人が一度は乗ってみたい日本のクラシックカー、特に1990年代のモデルは非常に人気が高く、今でも日本車愛好家のなかで注目の存在である。 週末になるとドイツ各地で日本車オフ会なるものが開催されているだけに、この国でも日本車人気は非常に高いといえるだろう。 著者も稀にドイツで日本のクラシックカーを見かけることがある。 日本から遠く離れたこの国で日本のクラシックカーを見かけると、日本人であることを誇りに思う。 ここドイツに限らず、これからも世界中で日本のスポーツカーが愛され続けることを切実に願っている。 [ライター/高岡ケン]

自動車大国ドイツではシェア9%の日本車、オフ会は開催されているのか?
旧車の魅力と知識 2023.03.08

自動車大国ドイツではシェア9%の日本車、オフ会は開催されているのか?

日本には世界的にも高い人気を誇る名車は数多く存在する。 特にアメリカをはじめとした欧米諸国では、未だなお多くの日本車愛好家が存在し、定期的にいたるところで日本車オフ会が開催されているという。 日本の自動車の歴史は100年以上にものぼり、そのなかで世界中から愛されるクルマを数々と世に送り出してきた。 同じく自動車大国で知られるドイツでは日本車人気があるのか? また日本車オフ会は開催されているのか? 今回はドイツの日本車オフ会について現地調査を行ってみた。 ■ドイツ人の日本車に対するイメージとは? まずはじめに、ドイツではどのくらい日本車が走っているのか? 国際自動車製造協会(VDIK)の調べによると、日本車のドイツでの市場シェアは過去20年間で12%から9%へと低下した。 また2022年度の年間販売台数で日本車のなかでトップであるトヨタは約78,000台で、市場シェアはわずか3%となっている。 つまり、この数字を見ると、ドイツにおける日本車の人気は決して高いとはいえない結果である。 実際に著者が生活しているドイツのシュツットガルトでは、メルセデス・ベンツとポルシェの本社があるためか、街中で見かけるクルマはほぼドイツ車であり、日本車を見かけることがほとんどない。 一昔前までは日本車といえば、コストパフォーマンスに優れており、安くて壊れにくいという理由からドイツでも評判があったそうだ。 しかし、現在では韓国のヒュンダイやキア、チェコのシュコダなどがさらに安い価格設定で販売されており、なおかつ技術の向上により壊れにくいクルマを提供している。 それ以前に、ドイツではフォルクスワーゲンをはじめとした国内ブランドが圧倒的なシェアを誇っており、市場の約3分の2はドイツのブランドが占めている。 従ってドイツにおける日本車市場は減少傾向にあり、今後も非常に厳しい競争となるだろう。 ■日本のクラシックカーはドイツでも人気が高い? 前述では主に日本車の新車販売台数について解説したが、果たして日本のクラシックカーも同じくドイツでの人気は低いのか? 調べていく過程である答えに辿り着いた。 JDM(Japan Domestic Market)といわれる日本車をメインとした中古車販売店はドイツ全土に何十件もあり、チューニング専門店やパーツショップなど、日本車に関連するお店を含めるとかなりの数が存在していることが分かった。 つまり、日本車愛好家もドイツ全土に存在するということだ。 ■日本車オフ会がドイツ各地で行われていた! ドイツではコロナ関連の規制もほぼなくなりつつあり、2023年度は全国各地でさまざまな自動車メーカーのオフ会が開催予定である。 そのなかでも比較的規模が大きい日本車関連のオフ会はが3つあり、東ドイツにある「ラウジッツリンク」というレース会場では、今年で19回目となるヨーロッパ最大規模の日本車オフ会が開かれているそうだ。 その名も「ライズブレーネン(REISBRENNEN)」。 去年の入場者数は1万2,000人以上にものぼり、総台数が300台を超えるドイツの一大イベントだ。 毎年3日間だけ開催されるこのイベントは、日本車のみとオフ会となり、4分の1マイルレースやタイムアタック、ドリフトグランプリといった数々のプログラムが組み込まれている。 中にはセクシー洗車というドイツ人モデルがビキニ姿で洗車をするユニークなプラグラムも用意されているそうだ。 ■まとめ 日本から遠く離れたヨーロッパ最大の自動車大国ドイツでも大小さまざまな日本車オフ会が各地で開催されており、この国ではいまだなお日本車ブームが衰えていなかった。 年に数回開催される大きな日本車オフ会が開催されると、ヨーロッパ各国から日本車愛好家が集まって大きな盛り上がりを見せているようだ。 我々日本人としてはとても誇らしく、今後も日本車オフ会を続けていってほしいと願うばかりだ。 [ライター/高岡ケン]    

のべ1000人のオーナーを取材して気づいた「強烈な原体験の重要性」とは?
旧車の魅力と知識 2023.02.26

のべ1000人のオーナーを取材して気づいた「強烈な原体験の重要性」とは?

国産車および輸入車を問わず、これまで多くのオーナーさんにお会いし、取材する機会に恵まれた。 気づけばのべ1000人近い方にお会いして、愛車に対する想いをお聞きしてきた。 いずれも「自他ともに認めるクルマ好き」に位置付けられる方たちばかりだ。 老若男女問わず、愛車への想い入れがケタ違いに強く、そして深い。 取材を終えたあるとき、これだけの熱量を帯びている方には共通する理由があることに気づいた。 それは「強烈な原体験」が、現在の愛車を手に入れる動機となり、さまざまな困難に直面しても、心変わりすることなく維持するモチベーションにつながっている方が本当に多いのだ(実は、筆者もそのひとりだ)。 そこで今回、「強烈な原体験の重要性」について紐解いてみたいと思う。 ■「強烈な原体験」がその後のカーライフを大きく左右する オーナーインタビューをしていると、幼少期の頃「父親がクルマ好きで自宅のリビングにクルマのカタログや自動車雑誌が何冊も置いてあった」あるいは「祖父母の家に遊びにいくたびに買ってくれたトミカ。こんなにたくさんのクルマがあることを知り、興味を持った」などなど、置かれていた環境が大きく影響していることが多いように思う。 なかでもアラフィフ世代の方にインタビューすると、スーパーカーブームが強烈な原体験となり、クルマが好きになったというエピソードを伺う機会がとても多い。 これが20代〜30代前半くらいの方であれば、頭文字Dや湾岸ミッドナイト、グランツーリスモ、ワイルド・スピードシリーズといった、漫画やゲーム、映画などが原体験になっている人が多いように思う。 また、成人になってから強烈な原体験をした方ももちろん存在する。 たとえばこんなエピソードを伺ったことがある。 「仕事帰り、バス停のところに立っていたら、黒い2ドアのクルマがサーッととおり過ぎて、リアガーニッシュに『MR2』の文字が見えた。そこから夢中で調べ、実際にMR2を手に入れた」といった具合に、突然の出会いが、その後のカーライフを大きく変えることになった方も実在する。 強烈な原体験のエピソードは本当に人それぞれ。 たとえ、それが兄弟であってもだ。 いずれも「そのときのできごとを鮮明に記憶している」点は、驚くほど共通している。 ■原体験が強烈であればあるほど上書きが難しい 私事で恐縮だが、筆者が17才・高校3年生のときに体験した「ポルシェショック」が、その後のカーライフはおろか、人生まで変えてしまった。 要約すると、ある方のご厚意で、当時のポルシェの正規ディーラーで試乗車に同乗走行させてもらう機会があった。 自分にとっては、30分弱の試乗で、その後で人生が変わってしまうほどの強烈な原体験だった。 それだけに、30年以上経ったいまでも、当時の記憶が強烈に残っている。 ディーラーの試乗車は964型のカレラ2(MT)、ボディカラーはルビーストーンレッド。 後に、漫画「彼女のカレラ」にも登場するボディカラーのそのものだ。 ディーラーのメカニック氏がサービス精神旺盛な方だったのか、空冷エンジンをブン回し、蹴飛ばすようにブレーキを踏んでくれたのだ。 それまでスポーツカーというクルマに同乗したことがなかったので、余計に強烈な体験になったのかもしれない。 そして帰り際、ポルシェのカタログをいただいた。 帰宅してから改めて読んでみた。 身分不相応極まりないが、不覚にも「自分も欲しい」と思ってしまったのだ。 しかし、新車価格が1000万円以上、当時、時給750円でアルバイトしていた身にはあまりにも別次元の存在だった。 その後、運転免許を取得し、成人して年齢を重ねていっても「いつか自分の911を所有してみたいという」想いが消えることはなかった。 深夜、ママチャリに乗って30kmくらい離れたショールームまで何度も観に行ったこともあったし、911の特集が組まれた雑誌は片っ端から手に入れた。 CGTV(カーグラフィックTV)で911が特集された回にオンエアされた曲名が知りたくなり、制作会社の方に頼み込んでオンエアリストを送ってもらったこともあった(笑)。 その後、紆余曲折あって、自動車関連業に従事するようになった。 仕事をつうじて国内外のさまざまなクルマに触れる機会に恵まれたが、とうとうポルシェ911を超える存在に出会えなかった。 で、どうしたかというと、空冷バブルが起こる寸前に、ボロボロのナローポルシェを手に入れ、復元し、どうにかこうにか現在も所有している。 一念岩をも通したのだ。 ■原体験はできるだけ幼少期の方がいい? これは筆者の持論だが「原体験はできるだけ早い方がいい」と思う。 もちろん、それには理由がある。 「いわゆる『禁欲期間』が長ければ長いほど、達せられたときの喜びが大きい点」と「憧れのクルマを手に入れるべく頑張ろうという明確な目標がひとつ定まる」の2点が挙げられる。 毎日を漫然と過ごすよりも、明確な目標を決めた方が生活にもハリがでるはずだ。 ただ、これには思わぬ落とし穴がある。 長年の想いが成就した瞬間、気持ちが冷めてしまう方が一定数いるのだ。 また、理想と現実との違いに直面し、何かのアクシデントに遭遇して一気に冷めてしまうケースもままある。 もしかしたら、手に入れることが目的で、その先のことを描いていなかったのかもしれない。 あるいは、憧れを美化しすぎてしまった、ということもあるだろう。 「憧れのクルマを手に入れることはゴールではなく、スタート」だということを認識し、手に入れてからのカーライフをイメージしていおく必要があるのかもしれない。 ■まとめ:のべ1000人のオーナーを取材して気づいた「強烈な原体験の大切さ」とは? 人それぞれ、いま置かれているさまざまな境遇があるし、そう簡単にコトが進まないことも現実問題としてあるだろう。 いっぽうで、冷静に考えてみると、人生を変えるほど・・・は大げさとしても、寝ても覚めても忘れられない、いつか自分のモノにしよう、したいと思える存在って、生きているうちにそう出会えない気がする。 「憧れは憧れのままでいい」というのであれば、すでに自分の気持ちに決着がついているので問題はないが、いまこの瞬間も「強烈な原体験が忘れられずモヤモヤしている」としたら・・・。 どんな形でもいい、夢の実現に向けてまずは一歩踏み出してみることで「きっと何かが動き出す」はずだ。 原体験が強烈であればあるほど、勇気ある一歩の大きな起爆剤となってくれるに違いない。 この記事が、そんな方が一歩踏み出す動機付けとなれば幸いだ。 [ライター・撮影/松村透]    

本家カーナビより使える!? 旧車でナビアプリの利用はアリかナシか
旧車の魅力と知識 2023.02.24

本家カーナビより使える!? 旧車でナビアプリの利用はアリかナシか

昨年、愛車S15で使用していたカーナビが壊れまして。 購入したのが2004年。3~4年おきにデータを更新しながら18年間の使用なので、よく働いてくれたと思います。 仕事柄、初見の地に出向くことが多いので、なんらかのナビゲーションシステムは必須。 当初はネットオークションで中古の同一機種を落札し、配線はそのままに本体だけ交換しようと考えていたのですが、これが思いのほか高価なこと。 ちょっと足せば、新品のポータブルカーナビが買えちゃう額。 「なら、スマートフォンのナビアプリを使ってみよう。不都合があったら、あらためてカーナビを買えばいいし」 そんな顛末があってカーナビを外し、現在、ナビアプリを利用しています。 旧車を所有し、「車内の雰囲気を壊さないため、カーナビは取り付けたくない。 けれどナビは使いたい。 スマートフォンのナビアプリはどうなんだ?」と、考えている方は、意外に多いようです。 今回は実体験に基づいたカーナビとナビアプリの違いを記してみたいと思います。 ■ダッシュボード設置型のカーナビは取り外しが大変! 中古品を落札する案はなくなったので、まずはカーナビの取り外しから。 壊れたカーナビはダッシュボード上に両面テープで土台を固定するタイプ。 簡単に取り除けるかと思ったら、実際はかなり面倒な作業でした。 土台を引っ張るものの(貼り付けから20年近くを経ているにもかかわらず)両面テープはびくともせず、ダッシュボードの表皮が浮き上がってしまう事態に。 いやいや、強力過ぎだろ! 本来ならドライヤーで温めて剥がすのがいいのでしょうが、非コンセント型のドライヤーを所有していません。 接着はがし剤を使用しますが、正直なところ効果はなし。 結局、力で少しだけ浮かべて土台とダッシュボードのすき間を作り、慎重にカッターで切って剥がす方法を取りました。 土台は取れたのですが、ダッシュボード上に両面テープが残ってしまったので、時間をかけてチマチマと剥がします。 信号待ち中にもチマチマ。渋滞にはまって停車中にもチマチマ。車内で妻を待っている間にもチマチマ。チマチマチマチマ……。 3日ほどで剥がし終えたのですが、どうしてもノリは除去しきれませんでした。 ダッシュボードの色あせもあって、両面テープが貼ってあった場所がクッキリと分かる状態に。 個人的にはカーナビの取り付け位置は、視線移動の少ないダッシュボード上がベストだとは思います。 思いますが、旧車を綺麗な状態で維持したいのなら、カーオーディオスペースを活用するDINタイプにすべきだなと感じました。 ■ナビアプリの使用感に問題なし。ただ、トンネル内では位置を示してくれず さて、近場のホームセンターでスマートフォンスタンドを購入し、ダッシュボード上に両面テープで取り付け。 今度は範囲も狭いですし、両面テープもチープなので、不要になった際、そこまで苦労せずに剥がせるでしょう。多分……。 ちなみにスマートフォンを吸盤等でフロントウィンドウに貼り付けるのは道交法違反にあたるので注意が必要です。 そういった製品が販売されているのは、小売店や個人が合法である国から輸入し、日本の道交法を確認していないから、ではないでしょうか。 選択したナビアプリは、無料の『yahoo! カーナビ』。 選んだ理由は、基本の地図データにゼンリンを使用しているところ。 不満が出たら、有料版の『ゼンリンのいつもNAVI』に変えればいいかなと。 かつての廉価モデルスマートフォンだと性能や機能が足りず、ナビアプリが正常に動作しないこともあったそうです。 ですが、いまどきのスマートフォンなら廉価モデルでも問題なく作動します。 実際、私のスマートフォンも3年前の廉価モデルですが、一点を除いて動作に問題はでていません。 この一点については、のちほど記します。 使用してみた感じ(それまで使用していたカーナビが古くてシンプルなのもあって)特に不満はありませんでした。カーナビと比べると誤差は大きく、また位置ズレも頻繁に発生していますが、走行しているうちに補正してくれますし、慣れの範疇だと考えています。 データ通信量も思っていたほどではなく、月に2~3回、使うくらいなら、2~3Gの契約でも事足りるのではないでしょうか。 そして問題点。 クルマから車速信号を取ることのできないスマートフォンだから仕方がないのですが、トンネル内では自車の位置を拾ってくれません。 アプリの表示は、地下道やトンネルの入り口付近で停止している状態です。 分岐のある高速道路だった場合、致命的な間違いに繋がります。 ただ『yahoo! カーナビ』、本来ならばスマートフォンのジャイロ機能に対応し、地下道やトンネルでも現在地を表示できるそう。 これは私のスマートフォンの問題なのかもしれません。 ハイエンドモデルやミドルレンジモデルのスマートフォンで、リリースからしばらく時間が経っているモデルなら、アプリも対応しているのではないでしょうか。 ■事前に所有するスマートフォンとナビアプリとの相性を確認 スマートフォンのナビアプリ。個人的には十分にカーナビの代わりになると感じています。 不足な点は多々ありますが、不足をオーナーの知恵と経験で補うのは、旧車に乗られる皆さんの得意技でしょうし。 ダッシュボードに両面テープや吸盤用のシールを貼りたくない。 あるいは美観からダッシュボード上にスマートフォンスタンドを設置したくないのなら、取り付けに工夫が必要になると思います。 念のためスマートフォンスタンドを購入する前に、所有されるスマートフォンにジャイロ機能があるか、ないか。くわえてトンネル内で案内してくれるかを調べておくと失敗せずに済みます。 当面、ナビアプリを利用するつもりです。 今後、スマートフォンを買い替えてトンネル内の案内に変化が出たら、またお伝えしたいと思います。 [ライター・カメラ/糸井賢一]  

ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー
旧車の魅力と知識 2023.02.23

ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー

松本零士先生の訃報といい、ショッキングなニュースが相次いでいる2023年。 先日、何気にスマニュー(SmartNews)のアプリを開き、スポニチの記事に釘付けになった。 それは「タモリ倶楽部が3月末で終了する」という衝撃的な見出しだった。 これぞまさに青天の霹靂。不意打ち。想定外だった。 タモリ倶楽部、なかでも筆者は生粋(?)の空耳アワーフリークだと自認している。気づけば空耳歴は30年近い。人生の半分以上を空耳アワーに捧げてきたわけだ(かなり大げさ)。 空耳アワーとの出会いはまだ筆者が10代だったころだ。 あるとき、友人が2本のビデオテープを貸してくれた。「とにかく観てくれ」と。2本ともタイトルが書かれたラベルシールがない。確か、ビデオテープのツメが折られていたように思う(意味が分からない若い世代の方はご両親に聞いてみてください)。 ラベルシールなし&ツメ折り済みのビデオテープ、そして「とにかく観てくれ」という意味深なメッセージ。それが何を意味するのか?男性諸氏であれば「言わずもがな」だろう。多くは語るまい。あれしかない。"Audio Visual"ではない方の「アレ」だ。中3のとき、我が家が上映会場になり大変だった・・・ことは別の機会にしよう。 男性陣が几帳面な家庭だと「ルーブル美術館」とか「日本の四季。長良川の美」といった、比較的手に取られにくい、巧妙な方法(?)でカムフラージュされていることもある。 しかし、ついうっかり本人以外の家族が誤って手に取って再生しまうと、我が家の三大ニュース(黒歴史編)として、きっと末代まで語り継がれる事件になりかねない映像が収められていることが多く、まさに諸刃の剣だ。 ま、それはさておき、高まる期待を胸に、ビデオテープをデッキに押し込みいざ再生!・・・してみると、そこにはタモリと長髪の男性が。肩すかしをくらった。なんじゃこりゃ。何を隠そう、それが空耳アワーとの出会いだった。 つまり、友人は「タモリ倶楽部のコーナーに空耳アワーという名物企画があるから観てみろよ」と、2本のビデオテープを筆者に貸してくれたのだった。それならばはじめからそういってくれよ(笑)。期待して損した。 落胆するモヤモヤな気持ちを抑えつつ、気を取り直して友人が編集した「空耳アワー初期の傑作集(豪華2本立て)」を観てみることにした。 こじつけとしか思えない強引な空耳、当時から映像の暴力(笑)といわれた絶妙な再現映像。その面白さに魅了されてしまった。 以来、筆者の人生にタモリ倶楽部、そして空耳アワーは欠かせないものとなってしまった。年に1度くらいの頻度で行われる「空耳アワード」がオンエアされるときは、ビデオデッキのタイマー予約をしつつ、オンタイムで観たものだ。周囲の友人知人にも知らせまくり、喜びを分かち合った(笑)。 マイケル・ジャクソンやクィーン、メタリカ、ジプシー・キングスなど、FMラジオでお馴染みのあの名曲も、空耳アワーの格好の餌食(?)となった。不意にスピーカーから流れてくると笑いが止まらなくなり、まともに聴けない時期もあったほどだ。 メタリカが来日したときのコンサートを観に行ったが、空耳作品のオンパレードで笑ってしまった記憶がある。メタリカといえば空耳アワーの名作が目白押し。空耳アワーとの出会いがなければメタリカを聴くこともなかったし、ましてやコンサートに行くなんて想像もつかない。 マイケル・ジャクソンやクィーンの名曲の多くも、空耳アワーが引き合わせてくれた気がする。もしかしたら、熱狂的なファンからすれば動機が不純だと怒られるかもしれないが、新たなファンを獲得するために、空耳アワーが一役買っていることは間違いない。 マイケル・ジャクソン「スムーズ・クリミナル」といえば『パン 茶 宿直』だし、プリンス「バットダンス」といえば『農協牛乳』といった具合に、空耳アワーの金字塔ともいえる名作(ジャンパー作品)も数多く生まれた。また、深夜番組ということもあり、下ネタのオンパレードであることはいうまでもない。企業コンプライアンスが厳格化された現代では、モザイク加工しない限り地上波で再生不可能な作品も数多い。 個人的に好きな空耳作品は数多くあるが、最近の目下のお気に入りはヴァン・マッコイの「ハッスル/上越」だ。有名な曲なのでラジオでもオンエアされる機会が多い。フルコーラスで聴くと「上越」を連呼する(実際にはしてないけれど)ので、笑いを堪えるのに必死だ。運転中にこの曲が流れてくるとあぶない。 そんな空耳アワー、そしてタモリ倶楽部があと1ヶ月で終わりを迎える。4月以降、マニアックな企画も、しょうもない空耳作品の新作を観ることができなくなる。 来年で笑っていいとも!が終わりを迎えて10年になる。会社員時代、お昼時に飲食店に入れると、テレビチャンネルはフジテレビが選ばれ、当たり前のように笑っていいとも!がオンエアされていた。いまだに復活を望む声が聞こえてくるけれど、おそらくあの空気感は2度と戻らない。 仮に空耳アワーだけを独立させ、新たな司会者を呼んできて、ソラミミストの安西氏とコンビを組んで番組として継続しても、おそらく面白くもなんともないだろう。安西氏もタモリがいるから活きるのだろう。 笑っていいとも!と同様に、タモリ倶楽部も、ヘタに延命処置をしてグダグダになるよりも、美しい思い出としてスパッと終わりにするのが妥当なのかもしれない。 当たり前のように続いてきたものであっても、いつか終わりを迎える。改めて思う。やはり永遠はないのだ。 まだまだ朝起きてからメチャクチャ寒いし、そんなときこそゲー!早く起きなきゃ!だし、なんとか起きられたらまずは農協牛乳だ。来週の避難訓練ではバケツリレー、水よこせー!って怒鳴ることになりそうで今から気が重い。今夜も締め切りに追われてアハハハ・・・お~頭痛いってなるのも確実だ。パン茶宿直を覚悟しつつ、お客さんに嫌われるぞーっていわれない程度に仕事を頑張りたいと思う。 ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

1990年代 名車&迷車 烈伝 Vol.03 ホンダ「ロゴ」
旧車の魅力と知識 2023.02.22

1990年代 名車&迷車 烈伝 Vol.03 ホンダ「ロゴ」

名車といわれるクルマは、たくさんの人に愛されたヒットモデルであることが多いもの。 しかし、そのヒットに至るには多くのトライ&エラーがあり、ときにチャレンジが裏目に出てしまうこともあります。 「フィット」誕生以前にホンダのエントリーカーを担っていた「ロゴ」は、まさにトライ&エラーのなかで数奇な運命をたどったモデルだといえるでしょう。 愚直なまでに実用性を追求した結果、ホンダ車に求められる“おもしろさ”が削られてしまったのです。 ▲ロゴ(前期型) ■トールボーイとスポーティ ロゴを語るためには、まずその前身となる「シティ」を理解しておかなくてはいけません。 シティは、1981年に初代モデルが誕生したホンダのエントリーモデルとなるコンパクトカー。 “ワイド&ロー”がカッコいいクルマの条件であった当時、あえて背を高くした箱型デザイン(トールボーイと呼ばれた)としたユニークなクルマで、高い空間効率とクラスレスな魅力を備えてヒットしました。 ▲初代シティ しかし、1985年のモデルチェンジでコンセプトチェンジ。 1470mmの全高は1335mmまで低められ、室内空間よりも走りを重視したクルマとなりました。 ▲2代目シティ このスタイルチェンジは「シティ ターボII」によるワンメイクレース(その名もシティブルドックレース!)が開催されたことなどもあっての判断でしたが、ユーザーの多くは戸惑いを隠せず、“みんなの楽しいクルマ”から“走りが好きな人のためのクルマ”に。 おりしも1980年代後半から1990年代前半はRV(今でいうSUV)ブームで、背の低いクルマへのニーズは相対的に低くなり、結果としてシティは、この2代目をもって日本国内市場から姿を消すことになります。 1995年のことでした。 そして1996年に今回のテーマ車、ロゴが発売となるわけです。 ■“実用車の鑑”のようなスペックで登場 では、ロゴとはどんなクルマだったのでしょうか。 ひと目でわかるように、全高が高く親しみやすい丸みを帯びたスタイリングを持つ、合理的なパッケージングのコンパクトカーです。 全長3750mm(前期型)×全幅1645mmのサイズは、トヨタ「スターレット」、日産「マーチ」、三菱「ミラージュ」、ダイハツ「シャレード」といったライバルたちと同等ながら、1470mmの全高(初代シティより20mm高い)は他車が1400mm程度であるなかで圧倒的に高く、それだけでも室内空間に余裕を持っていたことが想像できます。 ▲ロゴ3ドア エンジンは、1.3リッターのSOHCで最高出力66ps、最大トルク11.3kgm。ホンダのエンジンといえば「高回転高出力」のイメージが強かったなかで、最高出力や最大トルクの数値を追い求めず、街乗りでの使いやすいさを重視した中低速型のトルク特性を持たせていました。 トランスミッションは5速MT、3速AT、そして「ホンダマルチマチック」と呼ばれたCVTの3種類をラインナップ。 今、多くのコンパクトカーが採用しているCVTは、当時まだ“特別な変速機”という位置づけで、通常のステップATと同時に設定されることも多く、3種ものトランスミッションが選べる設定となっていました。 燃費は10・15モードで5速MTが19.8km/L、3速ATが17.2km/L、ホンダマルチマチックが18.0km/L。 価格は、5速MT車がもっとも安く、3速ATはその5万円高、ホンダマルチマチックは8万円高でしたから、安価で走り味に馴染みのあった3速ATが主力となったことは想像に難くないでしょう。 ▲ロゴ5ドア 価格は3ドア「B」の77万円から5ドア「L」の108万8000円まで(いずれも5速MT価格)。主力となる5ドア「G」でも、94.8万円という手頃な価格が打ち出されていました。 このようにロゴは実直で合理的、さらに経済性も高い“実用車の鑑”のようなスペックを持って登場したのです。当時のプレスリリースでも「オートマチック車で100万円を切る価格設定とするなど、これからの時代に求められるタウンカーを具体化しました」とありました。 ■なぜ“数奇な運命”を辿ってしまったのか スペックやプライスを見れば、ロゴは街乗り用コンパクトカーとして十分に魅力的なクルマです。 それでもロゴは、ライバルに打ち勝つことはできませんでした。 そこには、2つの理由があります。 1つ目は“質感”です。 実直に仕上げたスタイリングはシンプルすぎて大きな特徴がなく、シンプルに使い勝手が追求されたインテリアも、商用車のようなヘッドレスト一体のハイバックシートなどにより、“それなりのクルマ”にしか見られなかったのです。 ▲前期型のインストルメントパネル ▲前期型のシートはハイバックタイプ また、街乗りを重視するあまりスタビライザーを省いたサスペンションが、「安定感に欠ける」と受け取られ、総じて高い評価を得ることができませんでした。 1998年には、衝突安全性の向上を目的とした大掛かりなマイナーチェンジを実施し、同時にフロントまわりのデザインを変更。 さらに、16バルブ化した高出力エンジンにエアロパーツなどを装着したスポーツグレード「TS」と4WD仕様を追加するなど、ラインナップも拡充し、魅力アップを図ります。 ▲中期型で登場したTS さらに2000年にもフロントマスクのデザイン変更をともなうマイナーチェンジを行った他、モデルライフのなかではいくつものお買い得な特別仕様車を設定し、商品力アップや商品性の維持が行われましたが、決定的なヒット要因は生み出せず。 ▲後期型はグリルのあるデザインに ■デミオやキューブの登場でハイトワゴン時代へ 2つ目に“トレンドの変化“という大きな波もありました。 ロゴがデビューした1996年は、初代マツダ「デミオ」が誕生した年でもあります。 デミオは、フォード「フェスティバミニワゴン」という名の兄弟車を持っていたように、小さなワゴンのようなスタイリングを特徴とし、RVやステーションワゴン(筆頭はスバル レガシィ)が売れていた当時の世相にフィット。 瞬く間にヒットモデルとなりました。 ▲初代デミオ また、日産は初代「キューブ」を1998年に発売。 デミオの(1500mm)を超えた1610mmの全高を持ち、室内空間の広さと楽しさ(イチロー出演のCMも)をアピールし、ヒットします。 ▲初代キューブ 考えてみれば、軽自動車市場はスズキ「ワゴンR」とダイハツ「ムーヴ」というハイトワゴン2強の時代。 コンパクトカーにもワゴン的なスタイリングと高い全高による室内空間の広さが求められたのは、当然でした。 トレンドは“トールボーイ”どころではなくなっていたのです。 ホンダはロゴのプラットフォームを大幅に改良してハイトワゴンの「キャパ」(とクロスオーバーのHR-V)を1998年に発売し、ライバルに対抗。 一定の成果は得ますが、一方で1997年に発売した軽ハイトワゴン「ライフ」のヒットや、「CR-V」「S-MX」「ステップワゴン」といったRV&ワゴンのラインナップ拡充によりロゴの存在感が強まることはなく、フェードアウトするように2001年をもって生産終了となりました。 ▲キャパ およそ5年のモデルライフのなかで、ロゴが販売台数でベスト10に入ることはなく、1997年のマイナーチェンジ時に6000台を掲げられていた販売計画台数も、4000台、3000台とマイナーチェンジのたびに減少。 まさに“フェードアウト”といった幕引きでした。 ■名車「フィット」誕生を支えた迷車 Wikipediaによればロゴの「新車登録台数の累計」は、20万2601台。 販売期間は約5年でしたから、年間販売台数を平均すればおよそ4万台です。 1998年の年間販売台数を見ると、キューブとデミオが10万台、マーチとスターレットが9万台を販売していますから、ロゴの窮境がわかります。 しかし、ロゴの苦境を黙って見ているホンダではありませんでした。 ロゴと入れ替わる形で「フィット」を2001年に発売したのです。 ▲初代フィット フィットは、コンパクトなボディに広い室内空間、フットワークのいい足回り、燃費のいいパワートレイン、そして安っぽさを感じないお洒落な内外装を持って、発売するやいなや大ヒット。 わずか1ヶ月で、ロゴの1年分を上回る4万8000台を受注します。 その勢いは衰えず、2002年にはそれまで33年にわたり“不動の1位”であり続けたトヨタ「カローラ」を抜き、年間販売台数ナンバーワンに輝いたのです。 以後、フィットがホンダのコンパクトカーとして定着し、現在4代目が販売中なのはご存知のとおり(N-BOXに押され気味ですが……)。 トールボーイの初代シティ、スポーティな2代目シティ、実直さを追求したロゴと、さまざまなトライ&エラーののちにフィットの大ヒットがあるのだとすれば、ロゴが追い求めた姿も決して無駄ではなかったといえるでしょう。 ホンダの歴史のなかでロゴは“迷車”かもしれませんが、フィットという“名車”を生み出すためにたしかな足跡を残したことは、間違いありません。 [画像:ホンダ/ライター:木谷宗義]

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