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轟くようなV8サウンドのマッスルカーに誰しも一度は憧れるものです。より大きなパワーを求めて開発競争を行っていた1950年代に登場した、OHV式エンジンのヘミエンジンは、現代の車にも搭載されるほど息の長いエンジンとなりました。 今回は、エンジンの方式の解説とともに、マッスルカーを支えたヘミエンジンの特徴に迫ります。 ヘミ(HEMI)エンジンはアメリカ車の象徴 ヘミ(HEMI)エンジンは、1950年代以降に、アメリカクライスラー社が開発、製造を行った半球型の燃焼室を持つV8ハイパフォーマンスエンジンです。 ヘミとは、半球状を意味する「ヘミスフェリカル(Hemispherical)」の短縮系で、燃焼室の形状がそのままエンジンの呼称になりました。 マッスルカー全盛期のパワー競争を戦った ヘミエンジンは機構上、高出力化が容易だったため、マッスルカー全盛期に巻き起こった自動車メーカー各社のパワー競争において優位性を発揮。特に、1964年に第二世代としてヘミエンジンが復活すると、NASCARレースでも活躍し、1970年代初頭まで人気を博しました。 NASCARレースでヘミエンジンが活躍したことで、アメ車の象徴であるV8ハイパワーエンジンというイメージを作り上げたと言っても過言ではありません。 エンジンの歴史とヘミエンジンの魅力 ヘミエンジン登場の背景には、高出力化を求める時代背景がありました。 1950年代に入ると、いわゆるビッグ3と言われるGM(ゼネラルモーターズ)、フォード、クライスラーで、仁義なきパワー競争が勃発します。 これまでのエンジンの高出力化が困難になっていたことから、各社新型のエンジンの投入を余儀なくされたのです。 高出力化に対応できなかったサイドバルブ式エンジン ヘミエンジンの登場までは、サイドバルブ式のエンジンが主流でした。 サイドバルブ式エンジンとは、給排気バルブがシリンダーヘッドではなく、シリンダーと並んで配置され、バルブの傘も上向きに取り付けられていました。 燃焼室が横に長い構造で、圧縮比を高めづらく、燃焼効率も良くなかったため、高出力化が難しいという構造的な問題を抱えていました。 OHVの登場とOHVの弱点を見事に克服したヘミエンジン OHVのメリットは、バルブを燃焼室上部に取り付けることにより、燃焼室をシンプルでコンパクトな円筒状の形状にできることです。ピストンの運動方向である上下方向に圧縮と給排気ができることで、より圧縮と燃焼の効率を高めることができます。 一方で、通常のOHVの大きなデメリットとして、給排気バルブの直径が限定されているため、エンジンの高出力化に欠かせない、バルブの大口径化ができないという弱点がありました。 燃焼室上部にバルブが配置されるということは、バルブの配置スペースは、シリンダー直径が最大となります。このスペースに、少なくとも給排気2つのバルブを収める必要があり、バルブの直径が制限されてしまうのです。 そこでヘミエンジンは、燃焼室上部が半球状にすることで、シリンダーの直径以上にバルブの取り付け面積を稼ぐことができ、バルブの大口径化が可能にし、OHVの最大の弱点を克服しました。 また、バルブに角度をつけて配置することで、燃焼室内の気流をスムーズに動かすことができるという効果があり、バルブの大口径化と併せて給排気効率を劇的に向上。結果として、それまで以上の高出力化に成功しました。 高回転型DOHCエンジンとの戦い 自動車史において大きな影響を与えたヘミエンジンですが、高回転化しにくいという弱点があります。 これは、OHVエンジン全般に言えるデメリットですが、プッシュロッドでカムシャフトの動きをエンジン上部のバルブに伝えるため、高回転になると、動作の遅延やプッシュロッドそのものの重量が問題になってしまいます。 一方で、バルブを作動させるカムが上部にあり、ピストンの開閉を直接行う(ロッカーアームタイプを除く)DOHCは、慣性によるロスが少なく高回転化しやすくまります。 ヘミエンジンがアメリカで進化したのは、ストップ&ゴーが多く、高回転化することで高出力を得るDOHCエンジンよりも、比較的低中速でのパワフルな走りを要求するアメリカの道路事情もあったのかも知れません。 ヘミエンジン搭載の代表的車種の紹介 ヘミエンジン搭載の車種は、ザ・アメ車といった骨太な車種が多いのが特徴です。 マッスルカーブームを支えた名車など、ヘミエンジン搭載の代表車種を紹介します。 クライスラー・ニューヨーカー 1939年に登場したクライスラーの高級車で、2代目のモデルから、第一世代と呼ばれる、「FirePower Hemi」V8ヘミエンジンを搭載していました。 0-60マイル加速で10秒をマークするなど、パワーアップ競争の先頭に立ち、1950年代末には、350馬力もの出力のエンジンを搭載。名実ともに大型・豪華・ハイパワーを競うアメリカ車全盛期のモデルでした。 ダッジ チャージャー マッスルカーの火付け役となったクライスラーが、GM、フォードのマッスルカーのヒットを横目に、1966年に満を持して発売したのが、第二世代のヘミエンジン搭載のマッスルカーです。 最上位グレードには、400馬力オーバーの426Hemiエンジンが搭載され、0-60マイル加速はわずか6秒弱という俊足ぶりでした。 クライスラー300 SRT-8 最後に紹介するのは、新世代のヘミエンジンを搭載した、クライスラー300 SRT-8です。2005年に登場したクライスラー300 SRT-8は、クライスラー社が誇る高級車で、最上位グレードにヘミエンジンが搭載されています。 ただし、新世代ヘミエンジンのシリンダーヘッドは、ヘミエンジンの代名詞とも言える、半球状のシリンダーヘッドではありません。 しかしながら、1立法インチあたり1馬力と言われる高出力は維持しており、さらに、軽負荷時に4気筒を休止させる可変シリンダーシステムを採用するなど、さらに進化したヘミエンジンとなっています。 まとめ 大型で低中速域からパワーを発揮するV8エンジンは、国土が広大なアメリカだからこそ進化したとも言えます。 サイドバルブの弱点を補うOHVエンジンが登場し、さらにそのデメリットを克服して開発されたヘミエンジンは、1950年代のパワー競争の波にも乗り進化を続けました。 1970年代のオイルショックの影響で、一度姿を消すことになりますが、近年、新たな環境性能を追加。誕生から60年以上経った今でも、最上級モデルに搭載されるヘミエンジンが今後はどう進化していくのか注目したいところです。 [ライター/増田真吾]
2021年8月に待望の新型車が発表されることが正式に決まった日産 フェアレディZ。1969年に登場した初代となるS30型は、日本のみならず、北米市場も席巻し、日産を世界的企業へと押し上げた1台となりました。 日産の高い技術力と個性的なデザインが融合したフェアレディZは、どのモデルも常に独創的で、日産ファンのみならず、全ての自動車ファンが注目するモデルのひとつ。今回は、日産の地位を世界的なものにしたフェアレディZの歴史と、中古車価格から見る現在のZシリーズの人気についてご紹介します。 新型が登場する日産 フェアレディZの歴史 2021年8月に新型車の発表をすると正式にアナウンスがあった日産 フェアレディZ。 初代の登場は半世紀以上前となる1969年で、現在まで発売されたモデルは全6世代です。 どのモデルも個性的で人気の高いフェアレディZの初代から現行の6代目までの特徴を順にご紹介します。 S30型(初代:1969年~1978年) 初代フェアレディZが登場したのは1969年。登場から10年に渡り、世界累計55万台を売り上げるロングヒットモデルとなりました。 特徴的な、ロングノーズ・ショートデッキの独特のフォルムは、海外でも人気が高く、高い走行性能に対して価格の安い、いわゆるコスパのいいことも手伝って、海外、特に北米での売上を伸ばし、日産の名前を世界に知らしめた1台です。 S130型(2代目:1978年~1983年) 国産車初のTバールーフ車となった2代目Zは、初代のフォルムを引き継ぎながらややワイド化したモデルでした。 ド派手な爆破シーンとカーアクションで大人気の刑事ドラマ、西部警察で大門刑事(渡哲也)が乗るスーパーZとして活躍したのが記憶に残っています。 Z31型(3代目:1983年~1989年) ロングノーズ、ショートデッキという基本的なフォルムは継承しつつ、2代目までとはイメージが大きく異なるモデルです。 フェアレディZシリーズ唯一のリトラクタブルヘッドライトが特徴的で、エンジンもハイパワーのターボエンジンVG30ETを搭載するなど、ハイパフォーマンススポーツカーという新しいZの方向性を決めたモデルになりました。 Z32型(4代目:1989年~2000年) 先代からスーパースポーツカーへと変更した方向性を、より発展させたモデルとなりました。 一番大きな変更点は、フェアレディZの外観上の特徴だった、ロングノーズ・ショートデッキを改め、スポーツカーの象徴であるワイド&ローにデザイン変更したこと。 これによって、主要マーケットであった北米で、ポルシェなどと同等の高級スポーツカーの地位を確立しました。 Z33型(5代目:2002年~2008年) 1969年の初代登場から途切れる事がなかったフェアレディZの歴史上、唯一の空白となった2年間を経て登場したのが5代目となるZ33型です。 ボディタイプは、クーペとロードスターの2種類で、伝統の2by2モデルを排して、2シーターのみの設定でした。日産リバイバルプランの目玉の一つとして登場したのも記憶に新しいところです。 Z34型(6代目/現行型:2008年~) 現行型となるフェアレディZ6代目のZ34型は、Z33型を正統に進化させたと言えるモデルです。 フォルムは前作を引き継ぎつつ、エンジンは排気量を200cc増加させて最大355馬力を発生するV型6気筒3.7Lエンジンを搭載。ドライブトレインやボディ・シャシー設計の見直しを行うなど、性能面を徹底的に煮詰めたモデルとなりました。 歴代フェアレディZの中古車相場について 現行車種が販売中にも関わらず、歴代モデルも人気の高いフェアレディZの中古車相場を調べてみました。 歴代のフェアレディZは、古いモデルほど相対的に高値で取引されている傾向があります。特に初代となるS30型の価格は高値となっていて、中古車価格は軒並み500万円以上で、中には1000万円を超えるものもあるほどの人気車種です。 一方で、Z31型以降は100万円台から400万円程度と、今のところ常識的な価格で推移しています。 30年以上経過していても100万円以上の買取実績も しかし、旧車王での買取実績を見ると、新車登場からすでに30年以上が経過しているZ31でさえ、100万円での買取実績もあり、Zシリーズはやはり人気の高いモデルであることは間違い有りません。 フェアレディZシリーズは、特に海外では安定した人気があり、今後海外での価格動向次第で、国内での中古車価格が上がる可能性もあり、今後の動向に注目です。 フェアレディZは空冷ポルシェ911のようになれるか 2010年代半ばから起こったポルシェ911の価格が、世界的に暴騰したことをご存知でしょうか。 ポルシェ911はアメリカ市場において、2010年台に入るまで徐々に価格が上昇していたものの、日本円換算約500万円以下で取引されていました。 しかし、2010年代に入り、約650万円を超えたあたりで、車のコレクターだけではなく投機家の注目も集め、2015年には約1300万円と2倍に高騰。特に保存状態が良いという理由で、日本で流通していた993型以前の空冷モデルは海外のバイヤーから注目されたこともあり、日本の中古車市場相場を押し上げる要因となりました。 アメリカ市場で急騰するフェアレディZ!今後の価格動向に注目 元々海外での人気が高く、比較的高値で取引されることの多かったフェアレディZシリーズは、近年、ポルシェと同じ様な値動きをしています。 特に初代となるS30系は、2020年の300万円前後から2021年には、400万円弱まで急騰していて、アメリカ市場といえども今後の値動きから目を話せない状況です。 海外での日産の地位を確立したフェアレディZは現代でも健在 独特のデザインと、バーゲン価格というべき驚きの低価格設定で、日産の技術力を世界に知らしめたS30型、そしてポルシェなどと同等の高級スポーツカーとしての地位を海外で確立したZ32型。 フェアレディZの歴史は、日産を世界企業にした歴史と言っても過言ではありません。 初代S30系Zの登場から半世紀以上経った現在でも、新型が発表されるという点からも、フェアレディZの存在が日産にとって特別であることが分かります。 [ライター/増田真吾]
メルセデス・ベンツとポルシェ、どちらもドイツを本拠地とした人気メーカーですが、この2社が共同製作した「500E」というモデルが存在したのをご存知でしょうか。500Eは今でいうEクラスと呼ばれる車体に、大パワーのV型8気筒エンジンや強化された足回りなどを装備したポルシェ仕込みのチューニングが施された奇跡の1台です。「ポルシェライン」とも呼ばれる500Eは、いったいどんな車なのか、詳しく解説していきます。 W124のフラッグシップモデルとして誕生 当時500Eは、メルセデス・ベンツのミディアムセダン「W124型」の高性能グレードとして1991年春に販売されました。全長×全幅×全高は4755×1795×1410mmと、車幅はベースのW124よりも広く、フェンダー部は大きく張り出しているのが特徴です。 しかし、E500のキャッチコピー「炎の情熱 絹の優美」のように、元々の優美な外観デザインはキープされており、まさに羊の皮を被った狼といえます。1995年4月までに10479台が生産され、日本でも1184台が販売。ポルシェが作ったW124として、人気を獲得したモデルでした。 高貴なボディに隠されたハイパワーエンジン エンジンはW124のボディに、当時の2ドアクーペ「R129型 500SL」のV型8気筒5.0L自然吸気エンジン「M119E50型」を搭載しています。 最大出力は330PS/5,700rpm、最大トルクは50kgm/3,900rpmという強大なパワーとトルクを発揮し、4速ATながら0~100km/h 加速は6.1 秒をマーク。大パワーゆえにこの大柄なV8エンジンは、W124のボディにはそのまま搭載することはできず、車体の前半部分はほぼ作り直されています。 500E開発が困難だったメルセデス・ベンツ 1989年、V型8気筒エンジンを搭載した500SLが人気を博したことで、メルセデス・ベンツはW124に同エンジンを積んだハイパワーモデル、500Eの製作を決定。しかし、当時のメルセデス・ベンツはR129やW140の開発や製作で手一杯になっており、500Eに人員と場所を割く余裕はありませんでした。 そんな中、メルセデス・ベンツが500Eの開発を委託したのは、同郷でありつつも資本提携などは全くなかったポルシェだったのです。 経営危機を迎えていたポルシェ 一方のポルシェは、1980年代後半からの経営不振真っ只中。主力商品である「911」の売り上げが北米マーケットでは伸び悩み、その状況を一転させるような新型車も生み出せない状態でした。 そんな経営危機の中、メルセデス・ベンツからの救済の手ともとれる500Eの開発依頼にポルシェは応じ、自社のバイザッハ研究所にて開発を開始。ポルシェは開発だけでなく、500Eの前期モデルが販売されていた92年までは、ツッフェンハウゼン工場にて車体の生産も請け負っていました。 その後、名前を変更した後期モデル「E500」が全てメルセデス・ベンツの生産に変わったことから、前期モデルが“ポルシェライン”と呼び分けられるようになったのです。 V8エンジンを搭載するためにボディを大幅加工 ベースの車体にV8エンジンを移植するには、その大パワーを受け止める強靭なボディと十分なスペースが必要でした。そこで、バイザッハ研究所では3.0Lエンジン搭載の「300E」のボディを使い、各部の剛性を強化し、エンジンベイやバルクヘッドの拡大を行ったのです。 くわえて、エンジン移植の際には排気経路の変更が必要となり、モノコック底面のセンタートンネルも拡大する必要がありました。その結果、後席中央のシートはオミットされ、左右が独立したリアシートに変更。500Eの乗員定数は、それまでの5人乗りから4人乗りに変更されています。 各部にあしらわれた強化パーツ エンジンのほか、足回りのパーツも500SLから移植されており、ブレーキローターはフロント300mm、リア275mmの大型のものを、キャリパーはブレンボ製が採用されています。 それにより、タイヤサイズは225/55R16へ拡大し、ボディはオーバーフェンダー化され、500Eとその他のグレードを見分ける最大のポイントともなりました。他にもバンパー形状の変更、ヘッドライト部にはドライビングライトの増設など、細かな追加箇所もあります。 まとめ メルセデス・ベンツとポルシェ、それぞれの事情を抱え、お互いが助け合うことで誕生した500E。 ポルシェの高い技術力により完成した500Eは出荷台数こそ多くなかったものの、1550万円という新車価格ながら日本でも大きな反響を呼びました。 それから30年経過した今でも、メルセデス・ベンツとポルシェの共同開発車は500Eの他に存在していません。おそらく最初で最後ともいえる2大メーカー夢の競演で誕生した500Eのような車の存在は、これからも語り継がれ、人々の記憶から消えることはないでしょう。 [ライター/増田真吾]
1980年、一般車ではFF、ラリーではFRが全盛の時代に、革新的な4WD車が発表されました。それが世界初のフルタイム4WD車、“Audi Quattro(アウディ クワトロ)”です。 アウディクワトロの登場は、レースシーンやその後の自動車業界に大きな影響を与えました。今回は、アウディ初の四輪駆動、しかも世界初のフルタイム4WDとなるアウディクワトロは、なぜ開発されたのか、どんな点で革新的だったのかについて、当時の自動車事情と合わせてご紹介します。 アウディ初の四輪駆動システムを搭載した “Audi Quattro”の歴史 1970年代から1980年代初頭は、自動車の性能向上において過渡期とも言える時期でした。 エンジン性能や車体の軽量化が進む一方で、タイヤ性能などまだ開発が追いつかない部分もあり、より高性能な車を開発するため、各メーカーが苦心していた時期でもあります。そんな中、革新的なフルタイム4WDとして誕生したのが、“Audi Quattro”です。 自動車性能向上の過渡期だった “Audi Quattro”の登場した1980年当時、一般車の主流はFF(前輪駆動)でした。 その理由は、車重の軽量化は進んでいたものの、タイヤのグリップ力がまだ低かった時代。エンジンパワーを逃さず路面に伝えるには、フロントヘビーにして前輪をしっかりと接地させて駆動する必要がありました。また、センタートンネルを持たないFF車派スペース効率に優れ、車内空間を広くしやすいこともFFが重宝された要因のひとつです。 しかし、FFは優れたエンジンレイアウトであるものの、コーナリング性能ではFRに及ばず、向上しつつあったエンジン性能を活かし切ることはメーカーの課題の一つ。一方エンジンパワーを的確に路面に伝える四輪駆動は、オフロード目的のパートタイム4WDが主流で、一般車に装着するには大きく重たいことがネックで敬遠されていました。 向上したエンジン性能を「技術による先進」で活かす 1970年代以降、自動車エンジンの開発は日進月歩で進み、性能は格段に向上します。 高性能化したエンジンパワーを最大限活用する方法を各メーカーが模索する中、「技術による先進」をスローガンとしていたアウディは、四輪駆動の開発しかないと結論づけ、世界初のフルタイム4WDの開発に踏み切ったのです。そうして誕生したフルタイム4WD“Audi Quattro”は、当時としては革新的な車でした。 重量、大きさがネックとなっていた4WDシステムをコンパクトなボディに収め、増加した重量を補って余りあるハイパワーエンジンを搭載したのです。 WRCでの活躍 アウディクワトロが発売された1980年当時、4WDは一般的ではなく、大型化しがちな傾向から特にスポーツカーではネガティブなイメージさえありました。 アウディが新型車クワトロのプロモーションを成功させるには、レースシーンでその速さや信頼性をアピールするしかありません。そこで、特別仕様車を開発し、ラリーカー選手権の最高峰であるWRCに参戦することになります。 アウディクワトロのWRCでの成功は、車のプロモーションとしての成功だけではなく、ラリーに4WD車を使用するという現在まで続く歴史の礎となったのです。 ネガティブなイメージの4WDで参戦 1980年当時の4WDといえば、オフロード車に搭載されたパートタイム4WDがほとんどで、大きい、重いといったネガティブなイメージが先行。一般的な駆動方式ではなく、限られた場面で使う特殊な駆動方式というのが世間の認識でした。 WRCにおいても、当時は軽量で運動性能の高いミッドシップカーやFRが席巻。車重や大きさで不利な4WDでは勝負にならないと言われていました。しかし、アウディにとって初のフルタイム4WD車であるクワトロのプロモーションには、WRCに参戦し結果を残すことは必要不可欠だったのです。 短命だったが現代も続く4WDの歴史を作った アウディ クワトロのWRCデビューは、1981年の開幕戦。新開発の直列5気筒+ターボエンジンというグループ4仕様で、デビュー戦こそ結果を残せなかったものの、2戦目で早くも初優勝を飾ります。 そして、参戦2年目となる1982年には、初期のメカニカルトラブルも解決し、念願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。アウディはその後も、マニュファクチャラーズタイトル1回(1984年)とドライバーズタイトル2回(1983年、1984年)を獲得するものの、1984年までのわずか3年の短命に終わります。 なぜなら、アウディ クワトロの成功によって、各メーカーがこぞって4WD車を投入してきたためです。しかも、より運動性能の高いミッドシップ4WDで武装し、グループBマシンであるランチア ラリー037が台頭してきたため、フロントエンジンのアウディクワトロでは対抗出来ませんでした。 しかし、「ラリーカーと言えば4WD」が常識となったのは、間違いなくアウディクワトロの成功によるもので、“Audi Quattro”の登場は、WRCの歴史上もっとも大きな出来事の一つです。 最新モデルにも受け継がれるクワトロシステム 1980年にアウディ初のフルタイム4WDとして登場した“Quattro”は、車種名の「クワトロ」から、アウディの4WDシステムの名称として、現在に至るまで使用されています。“Audi Quattro”は、それだけアウディにとって重要な車種だったのです。 特に、現在の上位モデルに搭載されているクワトロシステムは、車種によって前後のトルク配分を変えるなど、多少味付けに違いはありますが、当初のフルタイム4WDの設計思想を守っています。 最新モデルでは、1000分の数秒で前後のトルク配分を最適化や、横滑り防止機構との組み合わせなど、先進の技術を組み込んでさらに進化させ、「技術による先進」を掲げるアウディらしいところです。 ちなみに、ご紹介してきた1980年に登場した車種としての“Quattro”は、クワトロシステムとの違いを表現するため、現在では“Ur-Quattro”(Urはドイツ語で「オリジナル」という意味)と称されることもあります。 アウディの地位だけではなく、業界全体にも影響を与えた 現在のアウディの地位を確立したのは、間違いなく“Audi Quattro”です。 当時の常識を覆すフルタイム4WDの開発と、WRCでの成功は、「技術による先進」を掲げるアウディの技術力と信頼性を世の中に知らしめました。また、アウディクワトロの成功は、メーカーの地位確立だけではなく、WRC、自動車業界全体にも大きな影響を与える出来事となったのです。 現在WRCの主流が4WDであることはご存じの通り。高性能化するエンジンパワーを余すことなく路面に伝える駆動方式として、フルタイム4WDは多くの車種で採用され、高性能4WDスポーツカーというジャンルを生み出しました。 今やフルタイム4WDは軽自動車にも搭載されるほど一般化されています。“Audi Quattro”の登場が無ければ、ひょっとしたら4WDは特殊な駆動方式のままだったかも知れません。 [ライター/増田真吾]
メーカー初の市販レーシングカーとして、1954年に登場したポルシェ 550スパイダー。その軽さを活かした走行性能は当時のレースでも好成績を残し、かつての名優「ジェームズ・ディーン」が愛した車としても有名です。 その人気は今でも衰えず、550スパイダーを忠実に再現したレプリカモデルが造られているほど。今回はそんな550スパイダーの歴史と、レプリカモデルの「ベック550スパイダー」ついてご紹介します。 その価値6億円!ポルシェ初の市販レーシングカー 1954年に発売した550スパイダーは市販車でありながら、レーシングカーに準じた仕様でプロレーサーからも評判の高かった車です。 販売期間の1954年から1956年に生産された台数は約100台で、そのうち今でも現存しているのはわずか30台のみといわれています。いざ550スパイダーのオークションが開かれれば、約6億円で落札されるほどです。 ジェームス・ディーンも惚れ込んだ550スパイダー 往年のスター「ジェームス・ディーン」も550スパイダーの魅力に憑りつかれた1人であり「リトル・バスタード」の愛称で呼んでしまう程のめり込んでいました。 しかし1955年9月、ジェームスは自慢のリトル・バスタードでレースに参加するために会場に向かっていたところ、目の前を横切ろうとしていた対向車と衝突。550スパイダーの納車から1か月もしないうちに、彼は24歳の若さでこの世を去ってしまいます。 映画俳優としてまさにこれからといった彼の死は、米国中にショックを与え、550スパイダーを語る上でも外せない出来事にもなりました。 そのままレースに参加できるほどの本気仕様 550スパイダーでまず特筆すべき点は、その車体の軽さです。梯子型鋼管フレームに、軽量なアルミボディを装着。乾燥重量(オイルや冷却水などを入れていない重量)は550kgとかなりライトウェイトで、車名の「550」もこの車体の軽さを表したものであります。 そこに排気量1,498cc、最高出力110ps/6,200rpmの空冷水平対向4気筒エンジン、通称「フールマン・エンジン」をリアミッドシップレイアウトで搭載。最高速度は220km/h、100km/hまでの加速は10秒以内と、軽量ボディも相まって運動性は非常に高く、当時の若者の憧れの車でもありました。 ポルシェの上級グレード“カレラ”の由縁 市販車ながらレーシングカー仕様でもあった550スパイダーは、レースでも活躍していました。1954年、ミッレ・ミリアで初登場の550スパイダーは6位入賞し、ル・マンでは総合4位かつ、1.5L以下のクラスでは優勝するなど、当時まだ歴史の浅かったポルシェはその存在感を見せつけていきます。 そして、全長3,113kmのルートを5日かけ完走するというメキシコで行われていた過酷な公道レース「カレラ・パナメリカーナ」にも参戦。550スパイダーはキャデラックやメルセデス・ベンツ、フェラーリなどの強力なライバルが参加するなか、総合3位という好成績を残します。 そんな550スパイダーの活躍ぶりから、その後のポルシェ「356」や「911」の高性能モデルには栄光の意を込めて「カレラ」の名が使われるようになりました。 新車で買えるクラシックカー ベック550スパイダーとは? 他の車にはない魅力で1950年代を賑わせた550スパイダーですが、なんと今でも新車として購入できる可能性があります。それが、姿かたちそのまんまのベック 550スパイダーです。 ベック 550スパイダーは、アメリカインディアナ州のBECK社が製作する550スパイダーのレプリカモデル。1986年から製作されているこのレプリカモデルは、約6億円の本家550スパイダーに比べ、700万円からという手に入れやすい価格になっています。 しかし、年間で生産できる台数は約5台と少なく、レプリカでありながら購入希望者が後を絶たないため、資金があっても購入は難しいかもしれません。 見た目そのままにエンジンをパワーアップ 見た目は550スパイダーの形でありながら、内部は現代の自動車のパーツを使用。フォルクスワーゲン製エンジンをミッドシップに搭載し、排気量は1600cc、1900cc、2160ccの3種類から選択可能です。 1900ccでは最高出力が125ps、2200ccでは155psという本家を超えたパワーを発揮します。ほかにも、スバル レガシィなどにも使われたEJ25エンジンを載せた仕様もあるなど、メーカーの枠を超えた試みがされているのも面白いポイントです。 快適に550スパイダーを乗りたい人にはうってつけ ベースモデルの車両重量は800kgほどですが、よりライトウェイトの仕様だと600kgまで絞り込んでおり、本家さながらの俊足ぶりを体感することができます。 また、現代の保安基準に適合するよう、ボディはアルミから厚みのあるFRPを採用し、パイプフレームも強度の高いものに変更。そして、安全性を高めるためのロールバーや快適装備のエアコンもオーダー次第で装着することができるので、特にネガティブな要素がなく550スパイダーを楽しめます。 まとめ レースでは数々の優勝を果たし、伝説のスターをも虜にした550スパイダーは、現在のポルシェを築き上げた一因ともいえる車です。 550スパイダーは、現在でもわずかに世界のどこかで存在しているようですが、車両状態の良し悪しと金額の面から見ても手に入れることはほぼ不可能でしょう。 対して、ベック550スパイダーなら年間5台生産の狭き門とは言え、中古車市場ではわずかながら流通しています。レプリカモデルではありますが、往年の超ライトウェイトスポーツカーの雰囲気を味わうにはこれほどの車はないかもしれません。 [ライター/増田真吾]
轟くV8エンジンサウンドと、ワイド&ローな特徴的なフォルムで、今もアメ車好きを魅了し続けるコルベット。そんなコルベットの地位を現在の地位にまで押し上げたのは、2代目となるコルベットC2と言っても良いかもしれません。 リトラクタブルヘッドライトによって尖ったフロントノーズ、今なおマニアの間で人気の「スプリットウィンドウ」を備えた個性的なリアビュー。当時としては、かなり先鋭的なデザインと大排気量V8エンジンで欧州のファンまでも納得させました。 今回は、今や名車と呼ばれるまでになったコルベットC2の魅力に迫ります。 まさにアメリカンスポーツの代名詞!コルベットC2とは シボレー コルベットと聞けば、アメリカンスポーツカーの代表格と言って差し支えないでしょう。しかし、1953年に初代コルベットが発表された当時、見た目もさることながら、性能でも欧州車には全く歯が立ちませんでした。 そんなコルベットの地位を一気に押し上げたのは、初代登場から10年となる1963年に登場した2代目コルベットC2です。 シボレー コルベットは当初はV8エンジンではなかった シボレー コルベットは、シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカーとして、当時遅れを取っていた欧州のスポーツカーに対抗すべく、1954年に登場しました。 現在ではコルベットの代名詞とも言える大排気量V8エンジンですが、意外なことに初代販売当初は直列6気筒エンジンで、最高速度はわずか102マイル/h(約163km/h)ほど。ほぼ同サイズだったジャガーは、120マイル/h(192km/h)を容易に達成していたため、欧州車との実力差は圧倒的でした。 その後、欧州のスポーツカーに対しての遅れを打破すべく、翌年の1955年にオプションとして搭載されたのが、専用チューンされたセダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジン。その後、1956年から標準ラインナップに追加され、現在のコルベットのイメージ通り、大排気量、パワー至上路線を歩むことになります。 名車としての地位を確立したC2 欧州のスポーツカーに対抗すべく開発されたコルベットは、2代目となるC2の登場によりその地位を確立します。2020年に登場した最新C8にも採用されたスティングレイ(アカエイ)の名称が最初に使用され、アカエイという名の通り、C1とは異なるシャープで前衛的なデザインが特徴でした。 欧州車に引けを取らないフォルムとV8エンジンの圧倒的なパワーには、当時のシボレーも自信を持っており、初お披露目の舞台に敢えてパリのサロンを選んだほどです。 そして、その自信の通り、目の肥えた欧州のユーザーはもちろん、多くのスポーツカーファンの支持を集め、アメリカンスポーツカーとしての地位を確立していきました。 大排気量V型8気筒OHVの有り余るパワー コルベットC2のエンジンは、大排気量化の流れの中で開発されました。 これぞアメ車という、5Lを超える大排気量で300馬力以上を発生するV8エンジンは、C2が名車と呼ばれる理由の一つです。 いかにもアメリカらしい大排気量エンジン C2の初期モデルに搭載されたエンジンは、基本構造はC1から引き継いだV8OHVエンジンでしたが、排気量は5,358ccへと大幅に拡大されました。 その後、レーシングスペックZ06では、ビッグブロックとも呼ばれる6,489ccのエンジンが搭載され、最終的には6,997ccまで拡大。大排気量+ハイパワーという、いかにもアメ車らしい進化を遂げます。 わずか20台のみ販売されたL88型 コルベットC2末期には、L88型と呼ばれるレーシングエンジンをデチューンしたモデルを追加。わずか20台の販売にとどまりましたが、公称430馬力というカタログスペックは、監督官庁の懸念やパワーによって決められていた保険料などの問題で伏せていただけで、実際には500馬力以上だったとも言われるモンスターマシンでした。 現在では、7,000万円以上の価格で取引されたこともあるほど、希少性と人気の高いモデルです。 C2は後世コルベットのデザインを決定づけた C2という名称よりも、スタイリングからついた、コルベットスティングレイという名前の方の知っているという方も多いでしょう。 コルベットC2は、その後のコルベットのデザインの基礎となったとも言えるモデルです。 試作車を元に開発した先鋭的な外観 コルベットC2は、試作車であるスティングレイレーサーを原型にデザインされた為、コルベットスティングレイと呼ばれます。 エッジに曲線を組み合わせたデザインは、当時としてはかなり先鋭的な外観でした。さらに初年度のモデルでは、ルーフからテールエンドを繋ぐフレームによってリアウインドウが二分割された「スプリットウィンドウ」を採用。この特徴的なリアウインドウは、今でも人気のポイントです。 伝統のリトラクタブルヘッドライト コルベットC2の外観的特徴のもう一つが、リトラクタブルヘッドライトの採用。「アカエイ」という意味であるスティングレイの名のごとく、平たいワイド感とシャープな印象を生み出しています。 リトラクタブルヘッドライトは、この後コルベットC5まで装備され、コルベットの外観を表す特徴の一つとなりました。 アメ車の伝統 今回は、アメリカンスポーツカーの金字塔ともいうべき名車、コルベットC2をご紹介してきました。 速さと操る楽しさを追い求めるスポーツカーの世界では、欧州車が世界を席巻していた1950年代。そんな伝統と格式を持った欧州勢に対し、これぞアメリカのスポーツカーともいうべき骨太なV8サウンドを轟かせ、1963年に登場したコルベットC2の功績は、とても大きなものです。 先鋭的なデザインに加え、FRPの採用で1.3tという軽さを実現したボディ。さらに300馬力以上のパワーを誇るコルベットC2は、50年以上経過した今でも色あせることの無い魅力的な車の一つです。 [ライター/増田真吾]
三菱を代表する車種といえば何を思い浮かべるでしょうか。パジェロやランサーエボリューションという人もいるでしょう。しかし両車種とも現在は販売終了しています。今の三菱を代表する車種といえばデリカD:5ではないでしょうか。 驚くべきことに、発売から17年経った今でも好調な販売をキープしています。途中何度も改良を加えつつも、17年という長きに渡って愛されてきた理由は何だったんでしょうか。その理由を紐解いていきます。 デリカD:5の歴史 デリカD:5は2007年にデリカシリーズの5代目としてデビューしました。D:5がこれまでのデリカシリーズと大きく異なる点は、パジェロベースからD:5専用設計となったことです。専用設計となったことである程度のオフロード性能は保ちつつ、大部分を占めるであろう市街地走行での快適性が大幅に向上しました。 さらに2013年には、新たにクリーンディーゼルを投入したことで燃費やトルクも向上し、結果として商品力にも磨きがかかりました。実際、追加後は過半数以上の人がより高価なディーゼルを購入していることからもその人気がうかがえます。 そしてその後も堅調に販売を続け、2018年には主にフロントフェイスなど大幅な改良を施したビッグマイナーチェンジ版が発売されました。外見が大きく変わっただけでなくディーゼルエンジンがより改良されたものになったりと機関面でも様々な変更点があることも特徴です。 クリーンディーゼルのメリットとデメリット 従来の排気ガスがもくもくと出るディーゼルエンジンとは違い、排気ガスが綺麗なことがD:5に搭載されたクリーンディーゼルの利点です。そして生まれ変わったディーゼルエンジンを積んだD:5では、環境面に優れているだけでなく、販売面からみても主力エンジンになりました。 そこで、もはやD:5のメインエンジンとなったディーゼルモデルについて詳しくみていきます。 メリット メリットの一つ目はガソリン車と比べて、燃費やパワーが優れていることです。もちろんガソリン車との価格差はありますし、燃料代だけでそれをペイすることは厳しいでしょう。しかし、発進時から大トルクによる余裕の加速力を感じられ、ロングドライブ時も低い回転数で快適に巡行できます。また7~8人乗車や荷物が満載といったD:5ならではの場面でも、パワー不足を感じることもないでしょう。 そして、売却時もガソリン車よりも大幅に高いリセールバリューが期待できます。燃費の差と買取金額の差を足せば、ガソリン車との車体価格差も大きく縮むかもしれません。 デメリット デメリットのひとつめはやはりガソリン車と比べ価格が高いことでしょう。中古車で買うとなると約30万円以上の価格差があります。もちろん多少燃費や売却時の価格も優れていますが、そうは言っても最初に払う金額が多いのは確かです。 また、ビッグマイナーチェンジ後の車両は排ガスを綺麗にするためにアドブルーという水溶液を補給する必要があります。これはエンジンオイルとは全く別ものであり、かつタンクが空になってしまうとエンジンの再始動ができなくなります。補給するタイミングは大体1万キロごととなりますが、一回で約5,000円ほど費用もかかります。 数あるミニバンの中からデリカD:5を選ぶ理由 デリカD:5の個性といえば、家族も荷物もみんなで乗れるミニバンでありながらオフロードや雪道も難なく走れる四駆性能をもっていることに尽きるでしょう。これは他メーカーにはない、デリカD:5だけの唯一無二の個性です。 車においての個性は、ある意味そのままセールスポイントになる場合があります。デリカD:5はその最たる例といえるでしょう。例えば、家族でスキーなどのアウトドアに行っても、または昨今多く発生している異常気象の中でも、優れた四駆性能をもつデリカなら安心です。もちろん基本はミニバンなのでユーティリティも兼ね備えています。 昔ディーラーのセールスマンにこんなことを聞いたことがあります。それは「デリカを一度買うと、デリカを乗り継ぐ人が多い」という話でした。実際、豊富なカスタムパーツやデリカの専門店があることからも人気の高さが分かります。 デリカシリーズはこのようにファンが多いことも特徴です。一度乗ってみると、その魅力に気づき、虜になるかもしれません。 デリカD:5を売るなら旧車王に査定を依頼する デリカD:5を高価で売却したい場合は旧車王がおすすめです。デリカD:5に精通した専門スタッフは特徴及びセールスポイントを正確に把握しています。そのため17年以上経過した初期型などの、一般買取店では評価が難しい状態でも高額査定を実現します。 ディーラーでの下取り金額では不満な方、一括査定の鳴り止まない電話にうんざりの方などは、高価査定の旧車王にぜひともお任せください。 [ライター/旧車王編集部]
1981年に登場したリンカーン タウンカーは、5.0mを超える全長と大排気量のV8エンジンといった“これぞアメ車!”という魅力を持った高級セダンです。 過去には大統領専用車としても使われ、まさに強いアメリカを象徴するリンカーン タウンカーの歴史と、さまざまなカスタムについてご紹介していきます。 当初はコンチネンタルのグレードのひとつだった タウンカーとは、アメリカの自動車メーカー、フォード・モーターのリンカーンブランドより1981年から2011年まで販売されていた大型高級セダン。アメリカ車の中でも特に大きなフルサイズセダンに属し、全長は約5.5m、全幅は約2mとその存在感は圧倒的です。 発売以前はリンカーンの最上級セダン、コンチネンタルの最上位グレードとして、タウンカーの名前が存在していましたが、1981年には独立した名前で発売開始。以後はリンカーンのフラッグシップモデルとして売り上げを伸ばしていきました。 ラダーフレームはリムジン製作にうってつけ タウンカーは業務使用を前提として設計されたため、フレームの耐久性は非常に高く、補修なども容易にできるよう工夫されています。そして、スズキ ジムニーやトヨタ ランドクルーザーなどと同じ、ラダーフレームを採用。耐久性が高く、自由度の高い特性ゆえに、モノコック構造に比べリムジンや霊柩車といった特殊な形状の車体にも改造が容易です。 購買層は主にこういった業務使用や、カスタムを目的としたローライダー、さらにラゲッジが広いことからファミリーカーとして一般家庭でも所有されています。 30年にもわたるタウンカーの歴史 そんな幅広い目的で使われているタウンカーですが、2011年までの販売の中で2度のモデルチェンジが行われています。 初代、2代目、3代目と、それぞれ違った個性をもつ各モデルを紹介していきましょう。 大統領専用車を務めたことのある初代モデル 5.0リッターV型8気筒エンジンを搭載し、それまでのコンチネンタルタウンカーに代わる高級セダンとして、1980年に発売した初代タウンカー。 競合メーカーのキャデラックやクライスラーなどは、1970年代の2度のオイルショックの影響により車体は小型化し、駆動系統はFFへとスタイルを変えていきます。しかし、タウンカーは従来通りのFRを継承し、全長×全幅×全高は5,570×1,985×1,420mmという堂々たるサイズで発売され、往年のファンから好感を得ました。 また、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領の専用リムジンとして使われていたことでも有名なモデルです。 2代目モデルはローライダーカスタムが人気 1989年に販売開始した2代目は、プラットフォームは初代と変わらないものの、新規の購買層を取り込むため内外装ともに曲面を使ったデザインにチェンジ。1985年から1989年にかけて6億5000万ドルもの開発費用をかけたモデルだけあり、デジタルメーターを始めとした先進技術と安全装備も充実しています。 膨大なコストをかけた2代目タウンカーは大成功をおさめ、現在でもカスタムカーのベースとして使われる人気のモデルとなりました。 リムジンなど今でも前線で活躍する3代目モデル エクステリアは2代目以上に曲線を増やし、柔らかい印象へと変わった3代目は1998年に発売を開始。内装は木目調パネルの追加や、ラジオなどの各機器類を一新して高級感を増しています。セダンとしては珍しく、フロントシートはベンチ仕様となったことで乗車定員が6名となっているのも特徴です。 初代から数えて20年近く経った3代目でも、プラットフォームは初代と同じものを使用。このモデルはリムジンのベース車として現在も使われており、古いながらも信頼のおける車体構造であることが分かります。 多種多様なタウンカーのカスタム さまざまなカスタムが存在しているのもタウンカーが持つ魅力の一つ。王道なものとしては、小径ホイールを履かせ、油圧式の車高長で車高を落とし、車体を大きく見せるというローライダー仕様のカスタムです。 さらに、油圧ポンプとシリンダーを車体に装着し、増設した複数のバッテリーで作動することで、車体を連続して跳ね上げさせるという「ハイドロ」というアグレッシブなカスタムも存在します。 VIP仕様から全長8mを超えるリムジン仕様も ローライダーとは逆に、扁平タイヤを装着した大径ホイールをはめ、ネガティブキャンバー状態にしたVIPカー仕様のタウンカーも存在します。全長5.0m超えというボディサイズのタウンカーには、VIPカーらしい大口径のマフラーがよく似合います。 そして、リムジン仕様のタウンカーはフレームとボディを真ん中あたりで分断し、新たなフレーム材とボディパネルを溶接する形で全長がストレッチされ、広大な車室空間を作り上げています。全長8mを越えるビッグサイズと、タウンカーが持つシックな雰囲気が合わさり、ラグジュアリーなサルーンから洋型霊柩車まで、さまざまなシーンで使用されています。 まとめ 大統領専用車にも使用されるタウンカーの真骨頂は、後部座席に要人を乗せ快適な移動空間を提供すること。しかし、ローライダーのハイドロ機構で派手に跳ねてもへこたれない強固で頑丈な構造も魅力のひとつです。 エコで使いやすいことが重宝される現代において、5.0m超えの巨体と大排気量エンジンというパッケージングは時代錯誤かもしれません。とは言え、その強さと豪快さはアメ車ならでは、リンカーンならではの魅力と言えるのではないでしょうか。 [ライター/増田真吾]
日本のスポーツカーの認知度を北米の一般層、さらに世界全土にまで広げた車をご存知ですか。国内ではフェアレディZの名前で人気を博した、ダットサン 240Zです。 空前の大ヒットとなった240Zは、ただかっこよいクーペタイプのスポーツカーがたまたまヒットしたのではなく、その裏には確かな車づくりと的確なユーザー戦略がありました。今回は、ダットサン240Zの人気の秘密を紐解いてご紹介します。 ダットサン 240Zの歴史 ダットサン 240Zは、日産がダットサンブランドから発売したクーペタイプのスポーツカーで、フェアレディZの名前で日本でも人気を博していた同型車の、北米向け輸出モデルです。 高級GT車に匹敵する高い性能とスタイリングを持っていながら、価格設定が安価であったため、北米を中心に大ヒット。1969年の販売開始から1978年までの10年間で、販売台数55万台を記録しました。 Zの起源は1960年代まで遡る ダットサン 240Zの元となったモデルは、ダットサン フェアレディです。初めてフェアレディの名前を冠したのは、1960年に発売された「フェアレデー1200」(当時の表記はフェアレディではなくフェアレデー)でした。 フェアレディの名前は、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」が由来で、当時の日産社長が、ブロードウェイで同ミュージカルから感銘を受けたことで命名されました。 ラリーでの活躍が240Zの評価をさらに押し上げた ラリーと言えば、今ではスバルや三菱、若しくはトヨタが思い浮かびますが、実は日産は1950年代からラリーに参加しており、当時は、お家芸とも言える活躍をしていました。 240Zもラリーに投入され、期待通りの活躍を見せます。1971年の第19回東アフリカサファリラリーで優勝し、翌年の第41回モンテカルロラリーでは3位に入賞をすると、続いて1973年の伝統の第21回サファリラリーでも優勝。 信頼性や耐久性のアピールとともに、特に注目を集めたのはモンテカルロラリーで、FRは雪道で不利と言われながら入賞を果たしたことで、240Zの評価を一気に高めることになります。 ダットサン240Zの人気の理由 長いノーズが特徴的なダットサン 240Zは、当時としては先進的なスタイリングであることが注目されました。しかし、信頼性の高いエンジンと、ワンランク上のスポーツカーに匹敵する動力性能を兼ね備えた点が評価され、絶大な人気を集めたのです。 唯一無二のロングノーズ ダットサン240Zの特徴といえば、なんといってもロングノーズです。横から見ると、運転席はほぼ後輪の上に位置するほどで、デザイン的なインパクトは抜群でした。 このスタイリングは空力特性にも優れ、軽量なモノコックボディと併せてワンランク上のスポーツカーに肉薄する性能を発揮する要因の一つです。 堅牢なエンジンとワンランク上の足回り 搭載された2.4リットル直列6気筒エンジンの通称L型エンジンは、SOHC機構を備える最新式のエンジンであるものの、シンプルな構造で壊れにくく、整備も容易だったことが、北米市場での信頼性の獲得に繋がります。また、2.4リットルというサイズで、十分なトルク性能を発揮していたことも、V8エンジンなどで低中速域の豊かなトルクを好むアメリカのユーザーを十分に満足させました。 足回りに採用された前後共にストラット式の4輪独立懸架サスペンションは、当時の大衆車クラスにとっては高度で贅沢なシロモノ。ワンランク上の高級スポーツカーにも引けを取らない運動性能と、上質な乗り心地を実現していました。 ダットサン240ZとS30の違い 初代Zとして、日本で「フェアレディZ」の名前で親しまれているのは、S30型と呼ばれるモデルです。ダットサン240Zは同モデルではあるものの、北米で販売された240Zは、S30型と根本的な違いがあります。 エンジン排気量を大幅アップ ダットサン240Zは、S30型に搭載された2リットルのエンジンを、2.4リットルに大幅にサイズアップしたエンジンを搭載していました。 北米では、V8エンジンに象徴されるように、低中速域からトルクフルな大型エンジンを好む傾向にあるため、この対策として、大幅に排気量アップをしてトルクを向上させたのです。結果的にこの戦略は当たり、空前のヒットに繋がりました。 相場について ダットサン 240Zの大ヒットは、当時空前の販売台数を記録したことを紹介しましたが、今でもその高い人気は続いています。最終モデルでも40年以上前経っていますが、北米では5万ドル以上(日本円で500万円以上)の値がつくことも珍しくありません。 日本でもエンジン載せ替えモデルなどは、1,000万円近くの値段がつくなど、現在でも高値で取引される人気車種です。 まとめ スタイリングだけではなく、ラリーでの活躍によって信頼を獲得。また、堅牢なエンジンとワンクラス上の足回りを装備し、北米で大ヒットしました。そして、大排気量エンジンが支持されてきた北米のニーズを汲み取り、トルクフルな2.4リットルエンジン仕様で販売したことも55万台という空前の販売台数に繋がりました。 初代の販売から50年以上が経過する現在でも高い人気を誇りますが、年々台数は減少しています。国産スポーツカーの認知度だけでなく、日産の知名度を北米や世界に広げ、ダットサン240Zの功績はとても大きいのです。 [ライター/増田真吾]
惜しまれつつも、2022年3月に生産終了を発表したホンダのオープンスポーツカー S660。軽自動車でありながら、ピュアスポーツを体現したドライビングは多くのファンを獲得し、生産終了発表後は注文が殺到したことで、瞬く間に受注が終了してしまいました。今回は、ルーツともいえる「Sシリーズ」について触れつつ、S660の誕生から生産終了までを振り返っていきたいと思います。 目指したのは速さよりも運転の楽しさ S660が誕生したのは、ホンダの創立50周年記念の新商品提案コンペにて提案された軽スポーツカー「ゆるすぽ」がきっかけでした。速さよりも運転する楽しさを重視し、誰でも乗れる車というコンセプトのゆるすぽはコンペのグランプリを獲得。当時22歳の若さで開発責任者に抜擢された椋本陵氏は、苦難を乗り越えながらもミッドシップの軽オープンカー、S660を完成させます。 ホンダのミッドシップと言えば、1991年に登場したビートを思い浮かべる方も少なくないでしょう。S660はそんなビートの後継モデルと思われがちですが、それは違います。ビートに搭載されていたE07A型エンジンは、NAでありながら自主規制いっぱいの64psを発生しつつも、最大トルクは6.1kgmと決して高くありません。そのため絶対的な速さよりも、ノンパワステのステアリングを握り、運転そのものを楽しむゴーカートのような性格です。 その点、2015年4月に発売されたS660は、上まで回るハイパワーな高回転ターボエンジンと痛快なハンドリング性能、さらに質感の高い内装が話題を呼び、納車が1年待ちになるほどの大ヒットを記録。しかし、騒音や燃料蒸発ガスなど新しい法規制への対応が困難になり、S660は2022年3月には生産を終了する旨を公表したのです。 最後のModulo Xを発売するも即完売 2021年3月の生産終了発表と同時に、特別仕様車として「S660 Modulo X Version Z」を発売。ドリキンの愛称で親しまれる元レーシングドライバー、土屋圭市氏の監修のもと製作されるModulo Xは、走行性能と空力性能を向上させた人気のコンプリートカー仕様です。 Version ZはModulo Xの最終バージョンということと、生産終了のアナウンスが入ったこともあり、販売終了間近ながらS660の注文は殺到。その結果、標準モデルとModulo Xを含めた全てのS660のが、生産終了発表からわずか3週間ほどで完売し、2022年3月までの生産予定分が全て埋まってしまいました。 S660にも流れるS(スポーツ)の系譜 高回転エンジンとクイックなハンドリングが魅力のS660ですが、これは1960年代から脈々と受け継がれてきたホンダスポーツのDNAを継承したものです。ここからはホンダが生みだしてきた高回転型オープンカー「Sシリーズ」について紹介していきます。 S500 1963年、ホンダ初の4輪自動車として発売されたS500は、全長3,300mm×全幅1,430mm×全高1,200mmのFRオープンカーとして若者を中心に人気を獲得。ホンダの二輪技術を応用した排気量500ccのDOHC4気筒エンジンは、最高出力44ps を8000回転で発揮し、当時の車にしては異例の高回転型マシンでした。 S600 エンジンの排気量をアップしたS500はS600と名前を変え、1964年に発売されました。見た目の変化はほとんどなく、排気量は500ccから606ccに拡大し、最高出力は8500回転で57psを絞り出します。 パワーアップしたエンジンは最高時速145km/hを叩きだし、当時の同クラスの車では到達できない性能を持っていました。そして、ホンダはこのS600でモータースポーツに進出し、1964年9月のドイツ ニュルブルクリンクの500kmレースでは見事優勝を果たしています。 S800 1966年には、S600のエンジンの排気量をさらに拡大したS800が発売されます。排気量は791cc、最高出力は8000回転で70psまで発揮。710kgという軽量ボディと相まって、最高時速は160km/hに達します。160km/hという最高速は、当時のイギリス車が1300cc以上のエンジンを搭載して実現していた数字であり、ホンダ S800がいかに高性能だったかがうかがい知れます。 S2000 S800生産終了から29年後の1999年、本田技研創立50周年を記念して、S2000は発売されました。車体と2000ccのエンジン排気量も大型化しましたが、ホンダのFRオープンカーとしてS800以来の登場であるため、“S”の名が与えられました。 2.0LのDOHC VTECのF20Cエンジンは、最高出力250 ps を8,300回転で発生し、レブリミットは市販車として驚異的な9,000回転。さらに、1.3トンを下回る軽量で軽快なハンドリング性も持ち合わせ、S2000はまさに究極のSシリーズといえるでしょう。 新車難民の発生により中古車市場が高騰 生産終了発表後、現在新車で購入することができないS660は中古車価格が急騰。上位グレードのアルファ、廉価グレードのベータ、Modulo Xを合わせた市場での平均価格は202万円と、軽自動車の中古車でありながら、新車時と変わらない値付けがされています。 数万km走行した個体でもこのようなプライスがついていることが多く、より低走行な個体となると300万円越すものも珍しくありません。需要が高いほど価格が高騰する中古車市場の特性ゆえ、いかにS660が求め続けられているのかがうかがえます。 まとめ 生産予約分を完売させ、中古車市場では価格が急騰するほどの盛況ぶりを見せるS660。それはS660が多くのユーザーの心を掴んでいたという証であり、ミッドシップでありながらも、歴代のSシリーズで培われてきたライトオープンスポーツの楽しさが受け入れられたという証拠でもあります。 Sシリーズはここで一旦終了してしまいますが、S660の需要が伸び続ける以上、ホンダがS(スポーツ)の名を冠したオープンスポーツを復活させてくれるのを願わずにはいられません。