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2021年8月2日に新型300系を発売したトヨタ ランドクルーザー。現在も世界中で愛され続けているその歴史を語る上で、高い悪路走破性はそのままに、見た目も中身もファミリーユースに特化させたFJ55系の存在は外せません。今回はそんなステーションワゴン系の初代モデル、ランドクルーザー FJ55系の魅力や中古市場について紹介していきましょう。 半世紀以上前に誕生したFJ55系とは? 1967年8月に発売されたFJ55系は、レジャー利用を目的とした北米市場向けに開発されたランドクルーザー初のステーションワゴンです。 シリーズ初の社内デザイナーによる曲線を使った近代的なエクステリアに、室内にはウレタン製の保護パッドや発砲レザーのシートを採用。乗用車向けの多くの工夫を凝らし、アメリカのファミリー層から高い人気を獲得しました。 全長4,675mm×全幅1,735mm×全高1,865mm、パワートレインはそれまでの40系を引き継いでおり、最高出力は125馬力の3.9リッター直列6気筒OHVの「F型」エンジンを搭載。トランスミッションはコラムシフトの3速MTを基本とし、パートタイムの4輪駆動が装備されていました。 FJ55のマイナーチェンジにあたるFJ56 1975年、新たに定められた排ガス規制に適合させるため、FJ55系のエンジンは4.2リッター直列6気筒OHVの「2F型」となり、日本モデルのみ型式名もFJ56へと変更。エンジンの最高出力は140psまでアップし、トランスミッションも3速のコラムシフトから4速のフロアシフトへと改良されています。 最新の300系まで続く歴代ステーションワゴン系ランドクルーザー ヒットモデルを生み出し続けているランドクルーザーシリーズ。ここではFJ55系を始めとしたステーションワゴンタイプの各モデルを紹介していきます。 55系(初代:1967年~1980年) 上の項でも紹介したとおり、55系はランドクルーザーシリーズ初のステーションワゴンモデルです。それまでの武骨なデザインから脱したキャッチーな見た目と、居住性が向上したインテリアは北米市場で高い評価を得ました。 60系(2代目:1980年~1989年) 従来までの4.2リッターガソリンエンジンにくわえ、新たに3.4リッター直列4気筒ディーゼルエンジンも選択できるようになった60系。ハイルーフタイプやリアゲートの開閉方法、オーバーフェンダーの有無に角目ヘッドライトなど、モデルやグレード毎に多くのバリエーションが存在するのが特徴です。 80系(3代目:1989年~1998年) 80系はオンロードも快適に走ることができるというコンセプトのもと開発され、サスペンションも60系の板バネ式からコイルスプリング式に変更するなど、大幅な改良が加えられました。 エクステリア、インテリア共に高級感を感じさせ、ワゴンとしての使いやすさだけではなく上質さもプラス。以降最新の300系まで続く、ラグジュアリー性を持った革新的なモデルです。 100系(4代目:1998年~2007年) 新開発の4.7リッターV型8気筒ガソリンエンジンと、80系でも採用されていた4.2リッター・直6ディーゼルターボエンジンを搭載した100系。車体幅を拡大したことにより、車両安定性の向上と、広大な車内空間が得られ、高級4WDとしてのプレステージ性も高めたモデルです。 200系(5代目:2007年~2021年) 200系となりボディサイズは全長60mm、全幅30mとさらに拡大。2007年発売当時の国内仕様には、新たに吸気VVT-iを採用した2UZ-FE型を搭載し、100系の頃に比べ最高出力は53psアップされています。 車体は大きくなったものの、最小回転半径は100系と変わらないなど、運転のしやすさにも力を入れられています。 300系(6代目/現行型:2021年~) 2021年8月から待望の新型として登場した300系は、伝統のラダーフレームを継承しつつトヨタの新TNGAプラットフォーム「GA-F」を採用。軽量化や低重心、高剛性化などさまざまな改良が施されました。 エンジンは3.5リッターV6ガソリン、3.3リッターV6ディーゼルが選べ、どちらもツインターボを搭載。正式発表前となる2021年7月中旬の段階で受注停止になるほどの人気で、同年8月2日の発売日以降に購入した場合、納車は1年以上とアナウンスされています。 FJ55の中古市場と購入の際にチェックしておきたいポイント 2021年7月の執筆時点で、大手中古車サイトのFJ55の在庫はわずか2台のみ。本体価格は消費税込みでそれぞれ398万円と458万円でした。 FJ55系は車自体の耐久性はあるものの、年数の経過もあり、ルーフやフェンダーにサビが発生しやすいので、購入を検討するならば現車確認が必須です。また、修理や交換部品が必要になった場合に備え、メンテナンスを任せられるショップを探しておくことも重要になってくるでしょう。 まとめ FJ55系は現在の300系まで続く、ステーションワゴン系ランドクルーザーの源流ともいえるモデルです。それまでは悪路を走行する作業車というイメージの強かったランドクルーザーでしたが、デザイナーによる先進的な外観、過ごしやすさを追求した室内空間は、アメリカ市場で広く受け入れられました。 ファミリーユースとしての可能性を大きく広げたFJ55系は、ランドクルーザーシリーズの立役者として、これからも歴史に残り続けるでしょう。
令和のいま、特にアメリカで80年代~90年代に発売された日本のスポーツカーが人気ということをご存じの方も多いのではないでしょうか。実は、スポーツカー以外でも今海外で注目されている日本車があります。 それは、軽トラの愛称で親しまれている軽自動車規格のトラックをはじめとした実用車です。日本では特に人気という訳でもなく、希少性もスポーツカーほどは高くない軽トラが「kei truck」と呼ばれ、なぜ今海外で人気なのか、その理由を探ります。 日本の実用車はコンパクトで使い勝手が良い 日本では一定の台数は走っているものの、年々製造するメーカーや車種が減少している軽トラですが、海外では人気が高まっています。海外ではあまり販売されていない軽自動車という規格のコンパクトなサイズ感、取り回しがしやすく、実用的な上に低燃費。特に広大な農地での作業従事者が多い農村部のユーザーを中心に支持を集めています。 農作業従事者からの支持される実用車としての実力 軽トラと言えば日本でも農村部で多く見かけますが、やはり海外でも農作業に従事する人々からの支持を集めています。<>海外の農地は広大なため、車での移動が欠かせません。また、逆に畑の中では小回りが利くに越したことはないため、燃費が良くコンパクトな日本の軽トラは最適なのです。 海外でも1~2人の移動という点では、ATV、いわゆるバギーがありますが、軽トラと違い屋根もエアコンもありません。さらに、軽トラとバギーの決定的な違いは、荷物の積載量です。軽トラはコンパクトであるにも関わらず、荷台はしっかりと確保されているため、かなりの荷物を積むことができます。 燃費の悪い大型のピックアップトラックを動かさなくても必要な荷物が積めて、ATVなどと違い快適性が確保されている軽トラは、女性でも気軽に取り回せるので人気が高いのです。 さらに近年では、低燃費で実用性が高いことから、アメリカの消防署や警察機関でも軽トラが使われ始めているとの話もあるほど。ちなみに、日本国内の米軍基地でも軽トラが使用されています。 シンプルで頑丈な構造と軽自動車という海外にはない規格が魅力 軽トラは小型ではあるものの、日本で自動車として販売されているので当然堅牢性は十分。その上シンプルな構造なので、メンテナンスもしやすく壊れにくい。農村などでのヘビーユースに加えて、カスタムカーベースとしても人気があります。 小型なので、ドレスアップでも比較的手軽にカスタムでき、シンプルで軽量なため用途に合わせてリフトアップや大型のフロントガードを装着するなど、目的に合わせたカスタムも盛んです。 デリカなどのオフロード車も人気 日本の実用車人気は、軽トラックだけはありません。普通車サイズの旧車オフロード車も人気です。 例えば、1986年発売の三菱 デリカスターワゴン。頑丈なオフロード車構造の4WD車でありながら小回りが利き、内装は豪華に仕上げてある点に魅力を感じるアメリカ人もいるようです。 アメリカのピックアップトラックなどは、基本的に内装に気を使って開発されていないため、フロアマット1つでさえ、高い評価を得ています。また、この手のオフロード車に乗る層は自分でメンテナンスをするユーザーが多いのも特徴で、コンピュータ制御となって素人が手を出せなくなった現代の車に比べて、自分でメンテナンスが出来る点も支持を集める理由の1つです。 新車としてはほとんど販売されていない アメリカにおいて、新車で正規輸入販売されていない日本の軽トラは、25年ルール適用による規制緩和によって現在輸入熱が高まっています。 スポーツカー人気と同じく、旧車としてのコレクター的需要ももちろん、軽トラの場合は、実用車としての需要が高いことがスポーツカー人気との大きな違いです。さらに、25年ルール以外で輸入されている場合もあります。 25年ルール適用で輸入が自由に 80~90年代の日本車人気が海外で高まった大きな理由は、アメリカの通称「25年ルール」と呼ばれる輸入規制緩和のルールです。 通常、新車時に正規輸入されていない車をアメリカへ輸入するためには、厳しい安全基準をクリアしなければなりません。しかし、発売から25年経過した車は、この規制が大幅に緩和され、事実上自由に輸入と販売が可能になります。 特に、軽自動車規格の軽トラや実用車は、ほとんどアメリカで正規販売されていないため、この25年ルールの解禁をきっかけに、一気に需要が高まっているのです。 オフロード車登録という裏技もある ほとんど新車販売されていない軽自動車ですが、25年ルール以外にもう一つ輸入する方法があります。それが、オフロード車登録です。 オフロード車として登録をすると、アメリカの安全基準の規制対象から外れ、25年を待たずに輸入が可能になります。オフロードといっても、山や砂利のような道なき道での走行限定という意味ではありません。「舗装された高速道路以外での走行」という広い意味合いなので、高速道路が走れない最高速度など、州によっていくつかの制限項目はありますが、日常的には問題なく使用することができます。 また、オフロード車登録以外にも、LSV(LOW SPEED Vehicle)という登録手段もあって、具体的には制限速度35マイル(約56km)以下の道路のみ走行ができるという登録方法です。 これらの登録方法も25年ルールに縛られず、比較的新しく状態の良い軽トラを輸入できることから、最近注目を集めています。 まとめ 海外での日本車人気は、今やスポーツカーだけに留まらず、軽トラ、実用車にまで広がっています。 1990年代後半から2000年代へと25年ルールの適用範囲になる車種が増加すると、軽トラの需要は、今後さらに高まるかも知れません。さらに、オフロード車登録という手段もあるので、発売から25年経たない比較的新しい車種にも需要が集まる可能性があるのも注目ポイントです。 コレクターや投機目的だけではなく、実用車として実体を伴った人気であるだけに、今後の価格動向から目が離せません。 決して希少車ではない日本の軽トラが、トラック大国アメリカで評価されているというのは、どこか誇らしい気持ちにもなります。 [ライター/増田真吾]
ワイド&ローな出で立ちに曲線と直線が調和したスタイリング。そして、ミッドシップレイアウトを採用したフェラーリ ディーノ246GTは、現在では歴史的な名車と呼ばれる1台です。しかし、フェラーリらしい特徴を備えていたにも関わらず、販売当初はフェラーリのブランド名は与えられず、ユーザーからの人気も薄いという不遇の時代もありました。 今回は、現在のフェラーリへの橋渡し役になったとも言える、ディーノ246GTの歴史を振り返ります。 現在まで続くフェラーリの基礎となった F40、F50、F430、488GTB、F8トリブート。名だたるフェラーリの人気車種に共通しているのが、ミッドシップレイアウト(MR)という点です。フェラーリと言えばMRというイメージすらあります。(実際はFR車も数多く生産) このフェラーリの象徴とも言えるミッドシップレイアウトを市販車モデルで初めて採用したのが、ディーノ246GTです。 フェラーリ市販車初のミッドシップレイアウト ディーノ246GTは、先代となった206GTも含めて、現在のフェラーリの基礎を築いたとも言える歴史的なモデルです。現代までフェラーリの名車に数多く採用され続けているミッドシップレイアウト(リア駆動:MR)を初めて市販モデルで採用したのが206GTでした。 しかし、F2参戦のエンジン生産数条件をクリアすることを目的に開発された206GTは、実用性に乏しく生産台数も約150台とわずかで、純粋な市販モデルとは言えません。その点から、フェラーリ初の市販MRモデルは246GTと言えるのです。 そして、ディーノにはもう1つ、名前の由来ともなった大きな特徴があります。ミッドシップレイアウトでは縦置き配置がほとんどだったエンジンを、横置きにレイアウトした点です。この横置きレイアウトは、フェラーリ創業車エンツォ・フェラーリの息子、アルフレードが考案したため、その愛称から「ディーノ」という名が与えられました。 課題だったパワーを克服した246GT 最初に発売されたディーノ206GTのエンジンは、8,000回転で最高出力185馬力を発生。さらに、高回転型すぎたため扱いにくく、当時としても非力なパワーが課題でした。 しかし、F2参戦条件のエンジン生産数をクリアしたことで、2,000ccという排気量にこだわる必要がなくなり、排気量2,400ccにアップした246GTが登場します。 排気量を20%増加させたことで、最高出力が195馬力に向上。さらに最高出力発生回転数も低回転化し、誰でもスムーズな加速が味わえる車に進化しました。登場当初こそ、206GTのイメージから評価は低かったものの、特徴的なスタイリングと性能の高さから、その後年々評価を上げることになります。 人気の上昇とともに3モデルが発売された ディーノ発売当時は、V12エンジンこそがフェラーリというイメージが主流でした。そのため、小型で非力なV6エンジン搭載のディーノは、当初フェラーリのブランド名が与えられなかっただけではなく、ユーザーからもフェラーリとみなされませんでした。 しかし、課題だったパワーを克服した246GTの登場で徐々に世間の見方が変わり、現在では名車と呼ばれるほどの高い評価を得ることになります。 スタイリングは、曲線基調だった1950~60年代のフェラーリから、Origami(折り紙)スタイルとも言われるより直線的な1970年代後半以降のデザインのちょうど中間とも言えるデザインで、結果的に現代のフェラーリへの橋渡し的存在になりました。 1代限り、1969年から1974年のわずか5年しか生産されなかったディーノ246GTですが、人気の上昇に後押しされるように、発売後も細かな変更を重ねていて、3モデルが存在します。 ティーポL 1969年~1970年の約2年弱生産。246GT初期モデルで、元となった206GTと多くの共通点を持ちつつ、2,400ccとなったエンジン以外の大きな変更点は、コストダウンと市販車としての扱いやすさ向上のため、モノコックがアルミ製から鉄製に変更された点です。ただ、ボディ、ドアなどはアルミ製(一部のモデル)で、ホイールも206GTと同じセンターロック式(ノックオフ式センタースピンナー)のホイールを採用していました。 ティーポM 1971年初頭のわずかな期間のみ生産。大きな変更点は、206GTから続いていたセンターロックのホイールナットが、5穴仕様に変更された点です。また、リアのトレッド幅が30mm拡幅されました。 ティーポE 1971年のティーポM生産終了以降1974年まで生産。246GTの中で最も生産期間が長く、生産台数も多いのがティーポEです。エンジン、トランスミッションにさらなる改良が加えられ、246GTの完成形とも言えるモデルとなりました。また、タルガトップ(屋根が開けられる)モデルとなる246GTSもこのティーポEで加えられます。 まとめ 単純なクラシックカーとしてだけではなく、現在にも通じるスポーツカーとして魅力的なディーノ246GTですが、欲しいと思っても入手するのは困難です。 最初のティーポL発売から既に50年以上が経過していることと、総生産台数もわずか4,000台弱のため、状態の良い個体を市場で見つけることはほぼ不可能。それでも欲しい方は、国内の中古車業者だけではなく、海外のオークション等にも幅広くアンテナを貼って、粘り強く探すことが重要です。 ちなみに、状態のいい車体は3,800万円弱で取引されており、平均価格も2,800万円程度という情報(2021年9月現在)もあるので、予算は余裕を持って用意しておいた方が良いかもしれません。 [ライター/増田真吾]
トヨタのプレミアムブランドとして、クオリティの高い自動車を展開するレクサス。そんな中、2010年に限定生産されたスポーツモデル「LFA」は日本国内の自動車で最高額となる、3,750万円という驚きの価格で発売されました。 今回は、国内最高額というだけのスペックを有するLFAの魅力と、中古市場について紹介します。 トヨタグループが本気でつくったスーパースポーツカー レクサス LFAはスポーツモデル「F」の最上級モデルとして、2010年12月からの2年間、500台限定(日本販売分は165台)の抽選というかたちで販売されました。 「世界超一級レベルの運動性能と超一流の感性と官能を持ち合わせるスーパースポーツカー」というキャッチコピーのもと、LFAはトヨタグループが総力を上げて開発に取り組み、一切妥協のない車に仕上がっています。 新規開発のV10エンジンや、カーボンをふんだんに使ったシャシーなどの性能面のほかにも、外観や内装、果てには走行音にまで開発の手が入っているというこだわりぶりです。 巨額のコストで売るたびに赤字? LFAの開発は2000年から10年もの期間を経て行われましたが、莫大なコストをかけたことで販売価格は3,750万円という前代未聞の価格に膨れ上がります。 しかし、それほど破格な販売価格にも関わらず、LFAの反響は予想以上に大きく、購入希望者が殺到。もともと半年を予定していた抽選予約期間は、4か月に短縮して締め切られる事態が発生しました。また、その人気は海外にまで及び、アメリカのセレブ、パリス・ヒルトンはLFAを2台乗り継ぐほど気に入っていたとのことです。 そんなLFAですが、1台売るたびにトヨタが赤字を切っていたという噂もあり、3,750万円という販売価格以上のパフォーマンスが詰め込められた車だといわれています。 パワーもサウンドもすごいV10エンジン LFAはコンセプトカーの段階からニュルブルクリンクのレースに参戦しており、走行面には多大な技術が注ぎ込まれています。 F1参戦の想定で新規設計されたヤマハ製4.8LV10エンジン(1LR-GEU型)は、最高出力560PS /8,700rpm、最大トルク48.9kgf·m /6,800rpmを発生し、0-100km/h加速は3.7秒。そして、最高速度325km/hというスピードは国産車のなかでは最高の数値を誇り、これは未だに破られていません。 さらに、V10エンジンの排気音は音声学に基づいて研究されており、マフラーには専用のバルブを装着。ドライバーを高揚させる官能的なサウンドは「天使の咆哮」とも呼ばれ、スーパースポーツカーを目指したLFAならではのこだわりポイントといえます。 さらに洗練されたニュルブルクリンクパッケージ スポーツカーとして十分すぎるほどの性能を持つLFAですが、生産された500台のうちの約50台はサーキット走行向けの「ニュルブルクリンクパッケージ」という、さらに過激なモデルも存在します。 エンジンの最高出力は560psから11psアップの571psまで引き上げられ、タイヤ、サスペンション、大型スポイラーなどの専用部品を装着。ニュルブルクリンク北コースを中心に手の込んだセットアップ施した非常に人気が高いモデルで、ひとたびオーディションに出品されれば1億円以上の金額が動きます。 LFAの中古車相場とオークションでの評価 原稿執筆時の2021年9月、LFAの市場価格を大手中古車サイトで調べたところ、低走行車の在庫が2台のみ存在しましたが、どちらの個体も価格は「応談」となっていました。 新車価格で3,750万円もするLFAは、購入が決まれば大きな金額が動くことになるので、店側としては慎重になる必要があります。冷やかし客の来店や、他店に価格を参考されてしまうことを防ぐためにも、あえて価格を伏せている可能性が高いです。 一方、海外のオークションでは、ベースグレードが81万9000ドル(約8950万円)、ニュルブルクリンクパッケージは160万ドル(約1億7650万円)といった驚きの値段で落札されています。近年は在庫台数も少ないこともあり、LFAの価値はさらに上昇傾向にあるので、個人での購入は非現実的かもしれません。 まとめ 長い開発期間と膨大な費用をかけ誕生した、レクサスのフラッグシップモデルLFA。 LFAはただ「速い」だけではなく、エンジンの排気音などを筆頭に、それまで誰も気にしないような箇所まで徹底的にコストがかけて開発されています。すべての面で妥協せず造られたスーパーカーは、十分すぎるほどの満足感と高揚感をユーザーに与え、全世界にLFAの名を轟かせました。 3,750万円という価格で販売しても赤字になってしまうLFAですが、1億円越えの個体が現れている現状は、ある意味正当な評価額がつけられていると考えてもよいのかもしれません。 [ライター/増田真吾]
モータースポーツの技術が惜しみなく注ぎ込まれたBMWのコンプリートカーモデル「Mシリーズ」。そんなMシリーズの原点であり、BMW初のミッドシップとして登場したM1は、高い走行性能とスタイリッシュなデザインで非常に人気の車でもあります。 しかし、販売までには紆余曲折あり、そのスペックの高さとは裏腹に、十分な日の目を見ることができなかった悲運の車としても有名です。今回は、そんなBMW M1の魅力と中古市場についても解説していきましょう。 当初はランボルギーニとの共同開発だったM1 1970年代後半、レースでの結果が振るわず、ライバルのポルシェに遅れを取っていたBMWは、ミッドシップのスポーツカーM1の開発を決断します。 ミッドシップのノウハウがなかったBMWは、当時経営難に瀕していたランボルギーニと提携を結び、1976年に共同開発という形でプロジェクトに着手しました。しかし、開発計画中でもランボルギーニの経営悪化は進み、一任していたシャシー関連の開発が大幅に遅れたことからM1の計画は難航し、ランボルギーニとの提携を解消せざるを得なくなってしまいます。 その結果、ドイツのバウア社でシャシーを製造したあと、イタリアのイタルデザイン社でボディの組み立てとペイント。そして、最終的にドイツのBMWでサスペンションやブレーキ関連のパーツが組み上げられるという、なんとも非効率な生産体制となっていました。 ワンメイクレースの開催で起死回生を狙う 提携先を失ったBMWは、M1をなんとか1979年春の正式発表に間に合わせたものの、プロジェクト変更による生産コストの増加で、販売価格は計画よりも大幅に上昇。レース参戦のためのホモロゲーションを取得するには、年間400台を販売する必要がありましたが、それも難しくなってしまいます。 そこでBMWは苦肉の策として、F1グランプリの前座でワンメイクレースを自社開催し、最高出力を470psにアップしたグループ4仕様のM1プロカーでアピールの場を作ったのです。 悲運のスーパーカーと呼ばれた所以 ワンメイクレースの効果とFIA(国際自動車連名)の救済もあり、M1はホモロゲーションを取得し、見事1981年からレースへの参戦が許されました。 同年のニュルブルクリンク1000kmレースでは優勝を果たすなど好成績を収めますが、1982年にはM1が属する「グループ4」が終了。新たに「グループC」が設立され、M1は参戦の場を失ってしまいます。 こういったことから、M1は悲運のスーパーカーと呼ばれ、人々の記憶に強く刻まれました。 ポルシェに勝つためのミッドシップエンジン 活躍の場に恵まれなかったM1ですが、BMW M社初のミッドシップというだけでなく、打倒ポルシェを掲げたそのスペックは、まさに本気仕様と言えるものでした。 リアアクスル前部に縦置きされた3.5L直列6気筒DOHCエンジンは、最高出力で277ps/6500rpmを発生。最高時速は262km/h、0~100km/h加速は5.6秒をマークしました。また、レース用では470psのグループ4仕様、850psのグループ5仕様も存在し、まさにライバルのポルシェを圧倒せんと言わんばかりの大出力です。 ジウジアーロデザインによるスタイリッシュなFRPボディ M1の特筆すべき点はエンジンだけでなく、ボディのフレームや外板、さらにはそのデザインにも手を抜いていないところです。 ボディフレームは、当時のフォーミュラーカーと同様の鋼管を使用したスペースフレーム構造で、外板にFRPを採用することで、車重は1300kgと軽量。エクステリアデザインはイタリアの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインが担当しました。 くさび形のシャープなフォルムや、BMWではあまり見ないリトラクタブルヘッドライトなど、スーパーカー要素が満載のデザインは今でも高い人気を誇っています。 オークションでは数千万円の取引が当たり前 M1はオークションでも人気が高く、近年では566,000ドル(約6200万円)のプライスで落札されました。さらに、走行距離2,700kmの個体が798,900ユーロ(約1億300万円)で落札というさらに高額な事例があるほどで、M1の人気がとても高いことが伺えます。 M1はレースに参戦するためのホモロゲーションモデルということもあり、生産台数は市販車と競技仕様のものを含め、約450台しか生産されていません。そんな希少性の高いBMWのクラシックカーに、コレクターが食いつかないはずもなく、M1の価値は現在も高まり続けています。 BMW M1の中古車市場 そんなM1ですが、2021年9月時点の大手中古車サイトで相場を調べてみたところ、残念ながら国内での在庫は残っていないようでした。 上の項でも述べたとおりM1は生産数が少なく人気が高いので、ひとたび中古市場に上がるようなことがあれば、まずニュースサイトで取り上げられるのがお決まりです。 そして、M1は事故車の場合でもすぐに買い手がつき、高額で取引された事例もあるほど競争率が高く、国内の中古車サイトでの購入はまず不可能と言って良いでしょう。もし購入を考えているのであれば、数千万円に及ぶ資金と、M1が市場に上がった瞬間に即決できる決断力が必要です。 まとめ ポルシェに打ち勝つために、さまざまな問題を抱えつつも完成したM1は、見た目、性能ともに申し分なく、まさに誰もが望んだスーパーカーでした。 悲運のスーパーカーと呼ばれつつも、M1の研ぎ澄まされたDNAは現在も続くMシリーズに脈々と受け継がれています。 M1の人気の高さは市場価格にも現れていますが、そのプライスは決して大げさなものではなく、元祖BMW Mシリーズとしての正当な評価なのではないでしょうか。 [ライター/増田真吾]
多くの人々を魅了するホンダのスポーツカーは歴史が長く、1964年に発売されたオープンカー、S600は市販車でありながら、9500回転まで回せる超高回転型エンジンを搭載していました。上まで回るエンジンと、荷室が広々使える革新的な技術で当時は話題を呼び、今でも根強い人気がある車です。 今回はホンダのスポーツカーS600のレーシーな性能と、中古車相場についてご紹介します。 S600は世界を目指したオープンスポーツ ホンダ S600はFR駆動のオープンカーとして、1964年3月に発売。もともとは自動車産業発展のために、そして「世界一でなければ意味がない」という本田宗一郎氏の言葉のもと、スポーツカーを開発したのが始まりでした。 1962年、ホンダは第9回全日本自動車ショーにて排気量354ccのDOHCエンジンを搭載したスポーツカーS360を出展。2シーターオープンのスポーツカーは話題を呼び、市販化が期待されましたが、当時制定された法案によりS360は発売に至りませんでした。 しかし、翌1963年10月には、水冷直列4気筒DOHCエンジンを搭載した2シーターオープンカーS500を発売。最高出力44PSというS500のパワー不足を補うため、そのわずか5か月後には排気量を531ccから606ccにアップしたS600を登場させます。 S660まで続いたSシリーズ 二輪で培ったホンダの技術が注ぎ込まれたS600は、小排気量でありながら、高回転・高出力なエンジンを搭載し、当時のドライバーには「エスロク」の愛称で親しまれました。 その後は1965年にクーペモデルを追加、排気量を791ccまでアップしたS800を1966年に発売。そして2リッターVTECエンジンを搭載したS2000、2022年3月に販売を終了するS660と、これまでホンダは、オープンカー「Sシリーズ」を展開してきました。 当時のリッターカーにも負けない走行性能 当時はOHVが当たり前のなか、S600は直列4気筒DOHCエンジンを採用。4連キャブレーター、各部専用パーツを使用するなど、当時の市販車としてはレーシーかつ革新的な機構を採用していました。 見た目こそS500とほとんど変わりませんが、エンジンシリンダーのボア、ストロークは拡大され、最高出力は13psアップの57PS/8,500rpm。最高速度145㎞/hという数字は、当時の1200ccクラスにも匹敵するほどのスピードを誇ります。 そして、当時のユーザーから「時計のように精密」と評され、9,500rpmまで回るエンジンは、驚くほど精密に組まれていました。 革新的なチェーン駆動システムで荷室は広々 ほかの車にはないS600の特徴的な部分として、リアのチェーン駆動システムが有名です。 S600の荷室スペースを広くとりたかったホンダは、収納を妨げる後軸付近の機構を移設することを考えます。 まず、後軸付近にある燃料タンク、デフなどを後部座席の後ろに移動。デフから横方向に伸びる2本の駆動シャフトは、後軸中心を避けるようにリアタイヤ内側のアルミケースへと繋がっています。そして、アルミケース内部の油浸チェーンがデフからの駆動力を受けることで、リアタイヤを回転させるという仕組みです。 結果、後軸中心にスペースが空き、当時の小型車としては広く、機能的な荷室空間を確保することに成功しました。 海外でも人気のS600は価格高騰傾向? S600は50年以上前に販売されたクラシックカーですが、海外のオークションではまだまだ熱が冷めやらず、高騰の一途を辿っています。 あるオークションでは50回以上入札されたのち、76,125ドル、日本円で約840万円(執筆時点のレート)という価格で落札されたほど。これはオークションの最低落札価格の54,600ドル(約602万円)よりも40%近く上昇しており、S600の価値が上昇していることがわかります。 中古車である以上、S600の車体在庫はこれからますます減っていき、それと同時に希少価値も上がっていくので、今後のオークションでの落札価格は10万ドル(約1,100万円)を超える可能性があるかもしれません。 S600の中古車相場と買取価格 S600の市場価格を国内の大手中古車サイトで調べたところ、2020年9月時点で走行距離不明の1966年式の個体が333万円。最高値のものだと、同じく走行距離不明の1965年式、クーペタイプのボディで458万円となっていました。 国内での在庫は9台ありましたが、走行距離が不明の個体が多く、購入を考えている場合は実車確認が必須になってくるでしょう。一方、旧車王での買取価格はオープンタイプ、クーペタイプどちらも100~300万円となっています。 S600は半世紀以上前の車ということもあり、各箇所のサビや電装系の不具合など、さまざま問題が考えられるので、売却の際はショップなどで一度点検してもらうのが良いでしょう。 まとめ 「世界一でなければ意味がない」という本田宗一郎氏の言葉にあるとおり、妥協のないクオリティで登場したS600は、国内だけでなく海外にもその名を轟かせました。 超高回転型エンジンは、その後の可変バルブタイミング機構「VTEC」によってさらに進化を遂げ、ホンダ製スポーツカーの印象を世に知らしめることとなります。 そんなS600は今や国内に残っているのはごくわずかであり、海外需要が高まれば価格高騰もあり得るので、購入の際は早めに動くのが吉かもしれません。 [ライター/増田真吾]
昨今90年代の国産スポーツカーに新車価格以上の値がつき、日本国外に輸出されていることをご存知でしょうか。今回ご紹介する日産 R34スカイラインGT-Rはまさにその煽りを受け、2021年7月に行われたオークションで、なんと約6,000万円で落札されました。第2世代GT-Rの最終モデルとして名高いR34 GT-Rがここまで高騰している理由とはなんなのか、中古市場も踏まえて解説していきましょう。 第2世代GT-Rの集大成 「人に翼を」というキャッチコピーのもと、1999年1月に発売を開始した日産 BNR34型 スカイラインGT-R。 R32、R33を含めた第2世代最後のGT-RとしてデビューしたR34 GT-Rは、前モデルで不評だったボディサイズの見直しを筆頭に、各部性能の底上げが行われました。 ボディは全長4,600mm×全幅1,785mm×全高1,360mmとなり、先代のR33と比べ、全長は75mm、ホイールベースは55mmダウンすることで車体をリファイン。そして車体剛性の向上や前後重量バランスを55:45に調整するなど、ドライビング性能はより熟成され、多くのファンを唸らせました。 GT-Rを極限まで突き詰めたスペック R34 GT-Rのエンジンは、R32から代々使用されているツインターボ搭載の2.6リッター直列6気筒 RB26DETT型。最高出力こそ自主規制いっぱいの280psのままですが、ターボの改良で最大トルクを40.0kgmまで引き上げ、低速回転域からの立ち上がり性能をアップしました。 トランスミッションはゲトラグ社と共同開発したGT-R初の6速マニュアルや耐久性強化と軽量化を施したアルミ鍛造製の足回りを採用。R34 スカイラインGT-Rが第2世代GT-Rの中で最強であるのはもちろん、モータースポーツやチューニングの世界でも大活躍しました。 価格上昇が止まらないR34 GT-R そんなR34 スカイラインGT-Rは、BHオークションとヤフオクがコラボレーションして開催したオーディションに走行距離10kmの「VスペックⅡ Nur」が出品され、最終的には約6,000万円という驚愕の価格で落札されています。 新車同然の走行距離と限定生産グレードということを踏まえても、新車価格の10倍近いプライスで落札されるというのは異常事態と言ってもいいかもしれません。 このオークションの個体は少々特殊な一例ですが、現在の国内の中古車市場でも1,000万円スタートは当たり前となっており、R34スカイラインGT-Rの価値は上がり続けています。 高騰の原因である25年ルールとは? ではなぜ、そこまでR34スカイラインGT-Rが高騰しているのか、それはアメリカで制定されている「25年ルール」が大いに関係しています。 アメリカでは、通常右ハンドル車の輸入は認められていませんが、生産から25年経過した自動車は「クラシックカー」とみなされ、輸入はもちろん公道を走ることも認められているのです。 それにくわえ、映画「ワイルドスピード」の影響でアメリカにおけるGT-R人気は凄まじいものがあります。先代のR32やR33なども高額で取引されているなか、当然R34もその枠組みに入っているということです。 R34スカイラインGT-Rの初期モデルは1999年製造なので、25年ルールが適用されるのは2024年以降ですが、それを見越しての輸出・輸入の準備は既に始まっており、バイヤ―たちの間では激しい競争が発生。その結果、ただでさえ数が少ないR34スカイラインGT-Rの在庫は減少し、この先もさらに価値が上がっていく可能性が高い状況なのです 手に入れるなら今が最後?R34スカイラインGT-Rの中古車相場と買取価格 R34 GT-Rの価格高騰がいかほどのものか、2021年7月執筆時点の大手中古車サイトで中古車相場を調べてみると、1999年式の最安値の個体ですら1,180万円というプライスでした。 最高額のものとなると、2002年式のVスペックⅡ Nurグレードが3,580万円の価格で売り出されています。また、中古車販売相場の上昇に伴い、買取価格も上昇傾向。旧車王での買取価格はベースグレードが500~1,000万円、VスペックⅡ NurやMスペック Nurとなってくると1,500~3,000万円と一気に上昇しています。 購入、買取ともに新車価格以上の価格になっているのは当たり前で、VスペックⅡ Nurなどの限定生産モデルに至っては、もはや個人レベルでは手の出ない価格帯と言わざるを得ません。 R34スカイラインGT-Rは25年ルール適用の2024年に向けてさらなる価格の高騰が予想されます。購入を検討している方はすぐに決断を固める、そして売却を考えている方は慎重に様子を見た方がよいかもしれません。 まとめ 第2世代GT-Rというブランドの集大成、そして最後のRB26DETTエンジン搭載車ということもあって、R34スカイラインGT-Rの存在は特別。その人気は、現行のR35GT-Rと人気を二分するほどです。 国内外を問わない人気と、わずか3年というモデルライフで総生産台数が約1万2,000台と少ないこともあり、市場価格は上がり続けています。 2021年現在で、約6,000万円という価格で落札されるという現状と、25年ルールが刻々と迫るなか、1億円越えのR34 GT-Rが現れるのもそう遠くないかもしれません。 [ライター/増田真吾]
ロングノーズのワイドボディ、リトラクタブルヘッドライトによるワイド&ローデザイン。いかにもスポーツカーという風格を漂わせるトヨタ A70スープラは、初期モデル発売から30年以上が経過した今でも素直にカッコいいと見とれてしまう車のひとつです。海外で80年代以降のスポーツカー人気が高まっている現在、A70スープラも例外ではなく注目を集めています。今回は、今でも車好きを魅了するA70スープラの詳細と、現在の中古車相場についてご紹介します。 A70スープラはトヨタスポーツカーの歴史の礎 トヨタ スープラは、トヨタを代表するスポーツカーシリーズです。その中でも1986年から1993年まで販売されたA70スープラは、現在に続くスープラの歴史の基礎と言っても過言ではありません。 A70スープラはどんな車だったのか、開発時の状況や進化の歴史を振り返ってみましょう。 セリカを脱却しピュアスポーツへの転換 A70スープラは、それまで海外で「SUPRA」の名称で販売されていた、A60型セリカXXの後継車として開発されました。 Z20ソアラと共通のプラットフォームを採用し、セリカから脱却。国内販売の車名もスープラに統一され、先代から続くスポーツ路線をより明確にしたモデルとして登場しました。 エンジンは全グレード直列6気筒エンジンを採用し、最上位モデルとなる3L 6気筒ターボエンジン7M-GTEUでは230psを発生。これは、当時国内最強だったZ31型フェアレディZに搭載されたVG30ETエンジンと同等の出力で、トヨタがスポーツカーとしての地位確立を強く意識していたことがうかがえます。 高級スポーツカーの名に恥じないスタイリング スタイリングは、先進的でスポーツカーライクなデザインを採用し、スポーツカー路線へと舵を切った先代A60で採用されたリトラクタブルヘッドライトを踏襲。ロングノーズショートデッキというスタイリングは、スポーツカーとしての戦闘力の高さを期待させ、当時としては先進的なデザインでした。 一方で、内装は高級車ソアラの兄弟車ということもあり、高級感溢れるデザインと快適性も注目ポイント。例えば、当時まだほとんど馴染みのなかった人間工学に基づいて設計されたシートは、電動の調整機能も含む各種調整機能を持ち、ワンランク上の乗り心地を実現しました。 エンジン含め数々のマイナーチェンジを繰り返した7年間 A70スープラは、発売後も精力的に開発が続け、販売されていた7年の間に、ボディバリエーションの追加、マイナーチェンジなど数々の仕様変更を繰り返しています。特にエンジンは、グレード別も含めてNA、ターボ合わせて実に9種ものエンジンを搭載しました。 外装で特に大きな変更は、1988年の3L車の全車ワイドボディ化と、1989年のツインターボ版1G-GTEへのワイドボディ仕様の追加。輸出仕様と同様のワイドボディによって、より堂々とした風格を醸し出しました。 エンジンでは、1988年にターボエンジンのハイオク仕様への変更を行ったのが最初の大きな進化です。2Lの1G-GTEUが185psから210psに、3Lの7M-GTEUが230psから240psに進化しました。 モデル末期となる1990年の最後のマイナーチェンジでは、2.5Lながら国内自主規制いっぱいの280psを発生する1JZ-GTE型エンジンを最上位グレード「2.5GTツインターボ」に採用。まさにトヨタだけでなく、日本を代表するスポーツカーとなったのです。 A70スープラの中古車相場について 大手中古車サイトでA70スープラの現在の中古車価格を調べたところ、2020年8月の原稿執筆時点で、走行距離が30万km近くの最安値の2Lツインターボでも130万円以上。低走行でほぼ純正仕様のままという2.5Lツインターボで、なんと1,000万円近くの価格の車両もありました。 もちろん、旧車王での買取価格もA70スープラの人気を表しています。発売から既に30年以上が経っているにも関わらず、2Lのモデルでも最高200万円、2.5Lや3Lモデルでは、最高900万円もの買取価格がつくほどの人気ぶり。今後も高値が続くことが予想されますが、中古車相場は水物です。 また古い車であることには違いないため、保存状態や経年劣化の具合で査定が下がってしまう可能性も否定できません。もしA70がお手元にあるなら、高値が続く今こそ、一度見積もりだけでも出してみることをおすすめします。 まとめ 作るからにはジャンルを問わず他社より優れた車を作る。A70スープラはトヨタの自動車メーカーとしてのプライドを感じるモデルです。 先進的なデザインに、当時としては珍しい人間工学まで取り入れた高級感溢れる内装、そして素性のいいエンジンが生み出す高い運動性能。細部にこだわって作り込んだ車種だからこそ、30年以上が経った今でも人気で、高値がつくのも頷けます。 今後、高値が続くことも予想されていますので、手に入れたい方はぜひ早めに探してみてはいかがでしょうか。
ホンダが設定するスポーツグレード「タイプR」は、1992年に発売された初代NSXにはじめて設定されました。しかし、当時900万円を超える価格に、なかなか手が出づらいものでした。そんな中、222万円という価格ながら、1.8Lの排気量で最高出力200psを8000回転で絞り出す本気仕様のマシン、インテグラタイプRが登場します。 今回は、大衆車から一躍スポーツカーに躍り出たインテグラタイプRのスペックと、中古車相場について紹介していきましょう。 価格は控えめなのにスペックは本格派 インテグラタイプRは「もっと身近なレーシングスポーツが欲しい」というユーザーの声に応えるべく、1995年8月に発売されました。 3代目インテグラをベースとした初代インテグラタイプRは、超高回転型エンジンをはじめ、専用の足回りやLSDの採用でハンドリングを徹底的に追求。さらに、ボディ剛性の強化も施され、まさにメーカーチューンドと呼ぶにふさわしいスペックが与えられました。 それにも関わらず車体価格は222万8000円と、NSXタイプRに比べるとかなりリーズナブル。ボディは3ドアクーペの他に4ドアハードトップも設定され、スポーツモデルながらパワステやパワーウィンドウも装備されるなど、家族での使用も想定されていたことが特徴的です。 性能がさらに強化された98spec、99spec 1998年1月には通称「98spec」と呼ばれる後期型へとマイナーチェンジし、各部の性能が強化されました。 ECUの見直しやエキゾーストマニホールドのステンレス化、さらに、タイヤは16インチへ拡大し、ホイール穴も5穴仕様に変更など、大幅なアップデートが実施されています。 その後の1999年7月のマイナーチェンジでは「99spec(00specとも呼ばれる)」が登場。基本的な性能は98specと変わりませんが、電動格納ミラーやキーレスエントリーなどの快適装備が追加されたほか、99spec特別ボディカラーとして「サンライトイエロー」が設定されています。 サンライトイエローを選択するとボディと同じ黄色のレカロシートが選べたため、それ以外に変更点はないものの、特別感を味わうことができました。 レーシングカー並みのスペックでも価格は200万円台前半! 搭載される1.8L直列4気筒DOHC VTEC(B18C型)エンジンは、Spec Rと名付けられたスペシャルモデル。最高出力200psを8,000rpmで発生し、8,400rpmを許容するレーシングエンジン並みのスペックが与えられました。 今の市販車ではまず採用されることの無い限界まで踏んで回すタイプのエンジンに、1060kgという軽量なボディが組み合わさることで、スペック以上のレーシーぶりを発揮してくれます。 専用部品を各部に惜しみなく使用 インテグラタイプRの特筆すべき点はエンジンだけでなく、各部細かい箇所まで徹底的にチューンナップされていることです。 4輪ダブルウイッシュボーンの専用サスペンションは、標準車に比べ車高を15mmダウン。さらにヘリカルLSDを採用し、エンジンやダンパーなどの各部マウント部も強化品に交換されています。 このタイプR用に開発された新規パーツ60点に及ぶにも関わらず、販売価格はベースモデルよりも約12万円高い222万8000円。20年以上前とは言え、メーカーチューンドといっても良いスペックであることを考えれば、まさにバーゲンプライスと言っても良い価格でした。 インテグラ タイプRの中古車相場と買取価格 そんな本格スポーツ仕様のインテグラタイプRですが、2021年8月時点で大手中古車サイトの相場は最安で1997年式の128万円。最高値は1999年式の98specが589万円と、当時の新車価格の2.5倍ほどのプライスがついており、インテグラタイプRの人気の高さが伺えます。 一方、旧車王での買取相場は3ドアクーペ、4ドアハードトップともに50~250万円。マイナーチェンジ後の98spec、99specとなると、3ドアクーペのみ50~300万円と買取り相場がアップします。 インテグラタイプRはジムカーナやターマックラリーなど、モータースポーツのベース車としての海外での需要も高く、市場での相場は新車価格越えが当たり前となっている現状です。 まとめ タイプRシリーズ第2弾として登場したインテグラタイプRは、NSXのときには味わえなかったスポーツカーの楽しさを身近なものにしてくれました。 新車価格は控えめにしながら、超高回転型エンジンを搭載するなど振り切った仕様にしたことで多くのファンを生み、タイプRシリーズはのちのシビックにも受け継がれていきます。 刺激的かつ、誰にでも乗ることのできるスポーツカーの楽しさを提供してくれたインテグラ タイプRは、ホンダのスポーツカー展開に大きな影響を与えた車であることは間違いありません。
かつてフェラーリ348やホンダ NSXより速いと言われた国産車がありました。それが国産ミッドシップスポーツカーの扉を開いた、トヨタSW20型MR2です。しかも新車価格はたった300万円。 販売当初は、過敏なハンドリングが不評だったものの、トヨタ開発陣は市場投入後も改良を続け、国産ミッドシップスーパーカーと言っても過言ではないレベルにまで昇華させました。今回は、SW20の特徴と進化について詳しくご紹介します。 トヨタが手掛けた本格ミッドシップスポーツカー2代目MR2(SW20型) 初代MR2であるAW11は、FF車であるカローラをベースに開発され、安価なミッドシップスポーツカーということで、一定の成功をおさめます。 このAW11の成功を元に、本格的ミッドシップスポーツカーとして開発されたのが、2代目MR2であるSW20です。 先代AW11からの大幅アップグレード SW20型のMR2は、初代となるAW11からのアップグレードをテーマに開発されました。 特に力を入れて改善されたのが、スタイリングと居住性。結果、ミッドシップレイアウトを存分に活かし、イタリアンテイストとも言えるスタイリングを実現しました。 大型化による居住性の改善と共に、バブル景気を背景にした豪華な内装が施し、1989年~1999年の10年間販売される国産ミッドシップスーパーカーが誕生します。 伝統の名機3S-Gを搭載 SW20のエンジンは、車格に合わせてアップグレード。セリカGT-FOURにも搭載され、当時トヨタのレースシーンで欠かせなかった3S-Gを採用し、2Lという排気量ながらターボ搭載の3S-GTEは、最高出力225馬力を発生させました。 大型化したにも関わらず、当時としては優秀な、0-60mph加速(約96km/h)6.1秒を記録しています。さらに1993年のマイナーチェンジで、最高出力は245馬力にアップ。フェラーリ348やNSXに勝るタイムを叩き出すまでに進化します。 乗り手を選ぶじゃじゃ馬から誰でも乗れるスポーツカーへ SW20登場時は、デザイン面でAW11の弱点を補えていたものの、スポーツカーとしての評価は決して高くありませんでした。 各部の性能がダイレクトに走行性能に反映されるミッドシップレイアウトは、ミッドシップスポーツカー開発ノウハウの乏しいトヨタにとっては大きな挑戦だったのです。しかし、トヨタ開発陣は改良を続け、SW20がミッドシップスーパーカーとしての地位を確立するまでに高めました。 登場初期のハンドリングはピーキー SW20登場時、もっとも不評を買ったのは、ピーキーなハンドリング性能。元々FF用に開発された重心の高い3S型エンジンに貧弱な足回り、ハイトの高い14インチタイヤと、腕に自信のあるドライバーでさえ、手に汗握るハンドリング特性でした。 ミッドシップレイアウトは、スポーツカーとしては理想的なレイアウトとという印象がありますが、他のレイアウトに比べ荷重移動が激しいという欠点があります。そのため、重心バランス、足回りの設計などが伴わなければ、操りにくい特性に仕上がってしまうのです。 AW11の開発経験があったとはいえ、FFレイアウトを基本に開発をしてきたトヨタにとって、ミッドシップレイアウトの本格スポーツカーの開発は挑戦の連続でした。 10年間の間に4度もマイナーチェンジ SW20には、通称I型からV型と呼ばれる5つのモデルが存在します。 トヨタ開発陣は、度重なるマイナーチェンジで、I型販売当初未成熟だったミッドシップレイアウトを完成の域にまで高めたのです。 如何に現在でも高い人気を誇るスーパーカーに仕上がっていったのか、SW20の各モデルの変遷と特徴をご紹介します。 II型(1991年~) 最初のモデルチェンジでは、まずピーキーなハンドリングの改善に取り組みます。 タイヤを14インチから15インチにサイズアップし、フロントサスペンションの改良。スタビライザーの大型化と、足回りを中心に見直し、ハンドリングの安定性向上を図りました。 III型(1993年11月~) 2度目のマイナーチェンジでは、マイナーチェンジとは思えないほどの変更が加えられます。 まず最大の変更はエンジンの大幅なパワーアップ。LジェトロからDジェトロへの変更し、ターボチャージャーの改良、燃料ポンプの大型化などで20psアップとなる245psを獲得します。(NAモデルは15psアップの180ps) また、外観もリアスポイラーやテールランプのデザインを変更、サイドモールやボディ下部の塗装をボディ同色にするなど、内外装共に大幅な変更が加えられました。 IV型(1996年6月~) 三度目のマイナーチェンジは、小幅な変更に留まります。前回のマイナーチェンジで搭載したスポーツABSを4輪独立制御に変更し、トラクションコントロールシステムにも変更が加えられました。 V型(1997年12月) 最後のマイナーチェンジとなる、4度目の変更では、いよいよ完成形とも言える進化を遂げます。 NAエンジンは、吸排気の見直しにより、排気量1Lあたり100馬力となる200馬力まで最高出力が高められました。外観ではタイヤハウス下部にエアスパッツが追加され、リアには可変式大型スポイラーを装備。空力性能が高められると共に、見た目も完成形と呼ぶに相応しい仕上がりとなります。 また、内装もシート、ステアリング、シフトノブ、メーターの目盛り色に至るまで細かく見直され、スポーツカーのコクピットとして機能美に溢れた仕上がりになりました。 SW20の中古車相場について SW20型MR2の中古車価格は、マイナーチェンジの世代、グレードによって大きく開きがあるのが特徴です。 安価なものは80万円ほどから購入可能な一方で、最終V型の限定車は480万円ほどに高騰しているので、世代、グレードをよく確認して予算に合わせて選ぶと良いでしょう。 海外での日本車スポーツカー人気の追い風もあり、買取価格は最大150万円ほどと、年式を考えると高値で安定しています。 まとめ 国産ミッドシップスポーツカーのパイオニアとも言えるSW20型MR2は、トヨタの開発陣の粘り強い挑戦によって、名車と呼ばれる域に達しました。 各世代とも特徴があるので、中古車を選ぶ際は求める性能やデザインによって、選ぶモデルが変わってきます。同じ型式の車種で世代によってこれだけのバリエーションのある車種も珍しいので、是非自分好みの一台を探してみてください。 [ライター/増田真吾]