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旧車の魅力と知識

日本アルミ弁当箱協会会長の「ちょっと斜めから見た旧車たち」Vol.3
旧車の魅力と知識 2022.09.05

日本アルミ弁当箱協会会長の「ちょっと斜めから見た旧車たち」Vol.3

■第3回 ~アルミ弁当箱協会のこれから~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 「旧車王」に連載3回目となりました今回は、「アルミ弁当箱協会のこれから」を熱く語らせていただきます! ■コレクターはアーティストにはなれないと気づく 今年の「ノスタルジック2DAYS」や「アメイジング商店街」そして有楽町マルイでの「のなかみのると仲間たち」に参加させていただき、改めて認識したことがありました。 それは「コレクター」は「アーティスト」にはなれないということです。 人によっては当たり前のことかもしれませんね。 「何を今さら?」と思われても不思議ではないかもしれません。 私はとこかで勘違いをしていたところがあったと思っています。 「他人のやっていないことをやるのだから・・・・的な考え」がそう思わせたのかもしれません。 しかし、本物の「アーティスト」の方たちに囲まれたときに、ちっぽけなプライドがすっ飛びました。 ■コレクターを極めようと決めた日 コレクターを極めるために、ただひたすら「アルミ弁当箱」を集める・・・。 それでは「日本アルミ弁当箱協会」などという団体を作っても意味がないのです。 そこには、旧車の不人気車を愛するような愛情と、「その子たち」をどうやって後世に伝えるかということも使命のひとつだと思っています。 アルミ弁当箱から伝わる世相や歴史観について「アルミ弁当箱コレクターだから発信できること」がたくさんあると思っています。 「日本アルミ弁当箱協会」を通して、斜めからの角度で独特の方法で伝えることが「コレクターの極み」ではないかと再認識しました。 ■昭和の伝道師に俺はなる! 「旧車王」が自動車文化を通して「昭和」を伝えていくよう、これからの「日本アルミ弁当箱協会」はアルミ弁当箱を通し「昭和」の文化や世相を伝えていきたいという想いがあります。 いつの日か「アルミ弁当箱ミュージアム」を作り、これまではスポットライトが当たることなく消えて行くものから新たな力を生み出し、皆さまに少しでもお役に立つような「昭和の伝道師になりうるコレクター」になりたいと思います! ■今回の斜めから見た旧車「パルサーエクサ(1982年)」 さてまたまたやってきましたこのコーナーは、本当に無理矢理アルミ弁当箱からの「斜め」から見た旧車コーナーです。 今回は「パルサーエクサ」です。 ではなぜ今回「パルサーエクサ」なのか? それにはあるアルミ弁当箱が関係しています。そのアルミ弁当箱とは?1977年に放映された「ジャッカー電撃隊」です! こちらに描かれている「スペードマシーン」。 もう旧車王の読者の皆様にはベース車両が何かおわかりでしょう。 そうです!秀逸のデザインで未だに根強い人気を持っている「フィアットX1-9」です。 また個人的な話になってしまいますが、私も「1300」と「1500」の2台所有したことがあります(無類のタルガ好きです)。 特撮車両になっても、ほとんど手を加えることがなかった斬新なデザインがたまりませんでした。 それから5年後「パルサーエクサ」が発売となります。 そのときに私は「ジャパニーズX1-9」といった佇まいにときめき、日産のディーラーにカタログをもらいに行ったことを覚えております。 ジャッカー電撃隊のスペードマシーンから「パルサーエクサ」を紹介するという暴挙と妄想をお許しください。 それほどこの「エクサ」は当時の日本車としてはぶっ飛んだ1台だったので、アルミ弁当箱とコラボさせて頂きました! こんな感じで「ゆる~く」また旧車を紹介していきますのでよろしくお願いいたします。 そしてここでお知らせを・・・・・。 私のコレクター本「アルミ弁当箱図鑑 マニアック編」が9月1日からアマゾンにて予約開始となりました。発売は9月17日です。 オールカラーの100ページに様々なジャンルのアルミ弁当箱を詰め込んでおります。是非、読んで頂ければありがたいです!よろしくお願いいたします。 ◎アルミ弁当箱図鑑 厳選50 ーマニア編ー マツドデラックスコレクション (ヴァンタス) 単行本 – 2022/9/17https://www.amazon.co.jp/dp/4907061471/ [撮影/ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]

日産のモータースポーツ魂を詰め込んだスペシャルな1台!フェアレディZ バージョン NISMO
旧車の魅力と知識 2022.09.05

日産のモータースポーツ魂を詰め込んだスペシャルな1台!フェアレディZ バージョン NISMO

2007年に登場したフェアレディZ バージョンNISMOは、2002年から2008年まで発売されていたZ33フェアレディZの限定モデルです。NISMOとオーテックが手を組んで開発し、当時の日産モータースポーツシーンを象徴するモデルでした。今回は、そんなフェアレディZバージョンNISMOの特徴と中古車相場、リセールバリューについて解説します。 日産車カスタマイズを司る“両雄”がタッグを組んだスペシャルモデル 2007年のマイナーチェンジと同時に発売されたのが、フェアレディZバージョン NISMOです。「バージョンNISMO」「バージョンNISMO タイプ380RS」「バージョンNISMO タイプ380RS コンペティション」という3種類のモデルが発売されました。いずれもニスモとオーテックジャパンが共同開発しており、モータースポーツのノウハウが詰め込まれたモデルです。 日産のモータースポーツ参戦と車両開発を担ってきたNISMO(ニスモ)と、日産車向けのカスタマイズパーツを開発・販売してきたオーテックジャパン。フェアレディZ バージョンNISMOは、そんな日産車カスタマイズを司る“両雄”がタッグを組んだスペシャルモデルなのです。 バージョンNISMO 3種類の限定モデルの中でも新車価格が低く、タマ数も多いことから一番入手しやすいモデルが「バージョンNISMO」です。新車販売当時の価格は、449.4万円でした。ノーマルモデルからの変更点はレイズ製鍛造アルミホイール、専用剛性アップボディ、専用サスペンション、YAMAHA製のパフォーマンスダンパーです。 内装に関しても、本革 / アルカンターラのコンビシートのほか専用装備を数多く搭載しています。本革巻ステアリングホイール、シフトノブ、パーキングブレーキレバー、ドアトリム、コンビネーションメーターなど、分かりやすい派手さはないものの、質感と走行性能を向上させるパーツが採用されています。 エンジンはノーマルモデルと同様ですが、同時に行われたマイナーチェンジによりVQ35DEからVQ35HRへ変更されました。出力は初めて300psを超え、313ps / 6,800rpm、36.5kgm / 4,800rpmの数字を誇ります。 VQ35HRはVQ35DEを高回転型に再設計しており、そのフィーリングは別物です。VQ35HR搭載のフェアレディZは販売期間が短く、市場に出ている数が少ないため、ハイパワーNAが好きな方にはおすすめのエンジンです。また、VQ35HRに変更されたことでボンネットに膨らみがあるため、VQ35HR搭載モデルであることを一目で見分けることができます。 空力についてはノーマルとは大きく異なっており、専用エアロパーツを装備することで、cd値0.30という当時としては世界最高水準の空力性能を実現しました。これにより、市販車では珍しいマイナスリフトを達成しています。 また、ノーマルでは「乗り味が大型の高級車のよう」といわれていましたが、専用サスペンションとボディ剛性の強化によりスポーツモデルらしい機敏さが加わりました。 レース仕様エンジン搭載モデルも市販化 2022年は新型RZ34フェアレディZの発売とGT500クラスへの参戦が話題ですが、Z33も全日本GT選手権 GT500に参戦した実績をもちます。 R34型スカイラインGT-Rに代わり、2004年から2007年まで参戦しました。中でも有名なザナヴィNISMO Zは、デビューイヤーである2004年の第1戦TIサーキット英田と、第6戦オートポリスでも優勝するなど安定した強さを発揮。2004年だけではなく、続く2005年にはモチュール ピットワーク Zと共にもNISMOとして2年連続のチームチャンピオンに輝きました。 そんなZ33フェアレディZのレーシングスピリットは「バージョンニNISMO タイプ380RS」と「バージョンNISMO タイプ380RSコンペティション」の二つの限定車で体感できます。 バージョンニNISMO タイプ380RS 「バージョンニNISMO タイプ380RS」はレース専用車両である「バージョンNISMO タイプ380RSコンペティション」をデチューンした公道使用モデルです。新車当時の価格は539.7万円で、冒頭に紹介した「バージョンニNISMO」よりも高額なものの、レーシングカーの性能を公道でも味わえる魅力的な一台です。 モデル名にある380は排気量を表し、エンジンは3.5Lから3.8Lにボアアップされています。鍛造ピストン、強化コンロッド、プロフィールやバルブリフト量が見直されたカムシャフトなどに変更され、最高出力350ps / 7200rpm、最大トルク40.5kgm / 4800rpmを発生。レスポンス良くどの回転域からでも胸のすくような加速が得られる感覚は、大排気量NAエンジンの醍醐味です。 バージョンNISMO タイプ380RSコンペティション 「バージョンNISMO タイプ380RSコンペティション」は、スーパー耐久などのレース専用車両で、プライベーターのレースドライバー向けに販売されました。受注生産のみで、価格は2,625万円と驚愕の金額です。しかし、NISMOのレーシングカーをそのまま購入できる「夢のクルマ」といえます。 「バージョンNISMO タイプ380RSコンペティション」に搭載されるエンジンは3.8Lのレーシングエンジンです。MOTEC社製の専用ECMを採用し、最高出力400ps以上、最大トルク43.0kgm以上を発生します。 その他にも、6速クロスミッション、強化クラッチ、メカニカルLSD、ブレンボ社製6ピストンキャリパーと380mm大径ローターを装備。また軽量化のためにドアやボンネットなどにカーボンファイバー、ドアおよびバックドアのウインドウにポリカーボネートが採用されています。 さらに、ロールゲージやバケットシート、セーフティハーネス、消火器、カットオフスイッチ、95L安全燃料タンクなどの安全装備を装着しており、車両購入後すぐに実戦レースへ参加可能な仕様に仕上がっています。 まさに「レーシングカー」そのものであり、中古車市場では滅多に見かけませんが、モータースポーツ好きには憧れの一台です。 日産フェアレディZ バージョン NISMOの中古車市場 フェアレディZ バージョンNISMOの中古車相場は138万円から338万円で、流通量は少ないものの状態の良い車両が多いです。限定車の割には価格が高騰していませんが、今後は純ガソリンエンジン車の減少、大排気量NA車の減少に伴い、価格の高騰が見込まれます。購入を検討している方は早めに市場をチェックするといいでしょう。 300台限定のフェアレディZ バージョンニNISMO タイプ380RSはさらに流通量が少なく、2022年8月時点では589万円で販売されています。新車価格を超える金額となっており、今後も値段が下がることは考えにくいでしょう。 そして、旧車王におけるフェアレディZ バージョンNISMOの買取価格は約180万円で、300台限定のバージョンニNISMO タイプ380RSは最大455万円の値がついています。ファンが多いNISMO限定車は驚くほど高い買取額が提示されるケースもあり、売却を考えている方は、一度査定に出してみるといいでしょう。 まとめ 日産 フェアレディZ バージョンNISMOは、性能アップしたVQエンジン搭載モデルやレーシングエンジンを搭載したコンペティションモデルをはじめ、当時の日産モータースポーツを象徴するモデルです。 R34スカイラインGT-Rが2002年に生産を終了し、2007年にR35GT-Rが登場するまでの6年間は、フラッグシップスポーツカーが存在しない時代でした。NISMOとオーテックが手を組み開発したフェアレディZ バージョンNISMOは、そのすき間を埋める存在であると同時に、日産の歴史に残る名車なのです。  

ランエボの血統はここからはじまった!デビューイヤーからラリー界を席巻した三菱 ランサー 1600GSR
旧車の魅力と知識 2022.09.02

ランエボの血統はここからはじまった!デビューイヤーからラリー界を席巻した三菱 ランサー 1600GSR

初代ランサーのスポーツグレードが、三菱 ランサー 1600GSRです。特徴的な丸目ヘッドライトを採用した個性的なスタイリングで、小型車ながら高い戦闘力を秘めたランサー 1600GSRは、三菱の綿密な戦略によって生み出されました。後に三菱を代表する“ランエボ”にもつながるランサー 1600GSRの魅力と実力を詳しく見ていきましょう。 三菱の戦略で誕生したランサー 1600GSR ランサー 1600GSRは、1973年に登場した初代ランサーのスポーツグレードです。しかし、単にベース車両から派生したモデルではなく、もともと開発陣がランサーとして目指していた姿を体現したモデルでした。 ライバル他社に遅れをとらないよう、明確な戦略をもって投入された三菱 ランサー 1600GSRの歴史を紐解きます。 群雄割拠の1.5Lクラスに投入されたランサー 1973年2月にデビューしたランサーシリーズは、席の空いていたスモールセダンクラスを埋めるために開発されたモデルです。そのため、発売当初は大衆車としてファミリーユースを意識したラインナップになっています。 しかし、1970年代当時、このクラスはかなりの激戦区で、トヨタのコロナや日産のブルーバードなど強力なライバル車が先行している状況でした。 後発となる三菱としては、よりインパクトの強い車種の投入が必須で、若年層を意識した安価で高性能かつ、スポーティーなモデルを開発当初から目指すことになります。そこで、ベースモデルの発売からわずか7ヶ月後の1973年9月に投入されたのが、ランサー 1600GSRです。ラリー競技を念頭に開発された高性能エンジンを搭載し、当時としてはずば抜けた動力性能を発揮しました。 ライバルと違う道を目指したことで個性を発揮 1.5Lクラスで遅れをとっていた三菱にとって、ランサーは切り札ともいえる車種でした。そこで、三菱はラリーへの参戦というライバルメーカーとは違う宣伝戦略をとります。ラリーは世界的にも人気が高かったことと、サーキットを走るライバル車とあえて異なる道を選ぶことで差別化を図りました。 ランサー 1600GSRは、開発段階からラリーへの参戦を意識してつくられました。。結果的にこの戦略は奏功し、モノコックボディは剛性が高く、足回りもオーソドックスな構成ながら信頼性の高いものに仕上がりました。 ラリーでとにかく強かった ランサー 1600GSRは、市場投入後すぐにその力を発揮します。1973年10月開催のサザンクロスラリーに5台の1600GSRを送り込み総合優勝を勝ち取るとともに、4位までを独占するという輝かしい結果を残しました。 さらに、翌年の1974年にはサファリラリーで総合優勝、サザンクロスラリーも2年連続で制覇。この後1976年にかけてサザンクロスラリー4連覇、サファリラリー3連覇を達成しラリー界を席巻しました。 無敵の走りを見せていた1600GSRですが、オイルショックの影響で三菱はモータースポーツからの撤退を余儀なくされます。しかし、過酷なラリーで結果を残し続けてきたことで、走行性能だけではなく高い信頼性を世界にアピールすることに成功したのです。 大衆車なのにスポーツカー並の性能と装備 1600GSRはベース車両が大衆車と思えないほど、強力なエンジン、高いボディ剛性、魅力的な内外装を備えた完成度の高いクルマでした。 三菱開発陣の高い技術力はもちろん、こだわりがつまっていることがよく分かります。スポーティというよりも、スポーツカーともいえる1600GSRの特徴を見ていきましょう。 高いエンジン性能とボディ剛性 ランサー 1600GSRがベース車両と大きく異なる点はエンジンです。「サターン」のニックネームで呼ばれる4G32型4気筒SOHCエンジンは、9.5まで高めた圧縮比とツインキャブレターによって最大出力110ps/6,700rpm、最大トルクは14.2kgm/4,800rpmを発生。800kgほどの軽量な車体を、最高速度175km/hまで加速させます。 ラリー参戦を見据えて開発された完成度が高いボディも1600GSRの特徴の1つです。前後の頑丈なボックスセクションをボディ中央のトルクボックスでつなぐレイアウトは、ボディのねじり剛性を飛躍的に高めるとともに、高い衝突安全性も実現しています。 スポーティにまとめられた魅力的な内外装 曲線を多用したロングノーズショートデッキのスタイリングは、スモールセダンながら格上のスポーツカーを思わせる仕上がりです。さらに、丸目のヘッドライトと縦型のコンビネーションランプなど、個性的なデザインは今見ても魅力的です。 内装も、3連の円形メーターにフロアシフトを装備するなど、一貫してスポーティにまとめられ、当時の小型車としては先進的なデザインでした。 ランサー 1600GSRの成功が無ければ“ランエボ”は誕生しなかった!? ランサー 1600GSRは、三菱のラインナップをただ埋めるのではなく、先行するライバル車に打ち勝つために開発され、見事に三菱の目的を達成しました。ランサー 1600GSRの成功がなければ、その後のランサーエボリューションの開発もなかったかも知れません。 個性的なボディデザインと高い走行性能を誇る魅力的なランサー 1600GSRをぜひ手に入れたいところですが、残念ながら大手中古車サイトでも中古車両は見つかりませんでした。ただし、別グレードとなる1977年式ランサー GLでも398万円もの価格がついているため、万が一1600GSRが市場で見つかってもかなりの高額になることが予想されます。 どうしても手に入れたい方は、旧車専門の中古車店などで広くアンテナを張って根気強く探す必要がありそうです。 ※中古車相場は2022年8月原稿執筆時  

ラジオ番組に携わったときに出会った「お手本と反面教師」にまつわる話
旧車の魅力と知識 2022.09.02

ラジオ番組に携わったときに出会った「お手本と反面教師」にまつわる話

独立する前に勤めていた会社でラジオ番組の制作をしていた。 ・・・といってもTOKYO FMやTBSラジオのような「キー局」ではなく、「コミュニティFM」という、いわばミニFMの番組の制作だ。 あまり知られていないことかもしれないが、個人や企業で「コミュニティFMの番組枠」を買えば、誰でも自分のラジオ番組を持つことができる。 1枠で30分とか、1時間とか・・・。 このあたりの区切り方は、コミュニティFM局によって異なるかもしれない。 さらに番組枠の金額についても、1時間で数万円〜(1ヶ月/毎週)など・・・。 雑誌やフリーペーパーの広告枠と同じで、相場はあってないようなものだ。 ラジオ局によってルールが異なるかもしれないが、お世話になったコミュニティFM局は3ヶ月ごとの更新と決められていた。 つまり3ヶ月限定で、自分のラジオ番組を持てるわけだ(短期間すぎて局の人は困るだろうが)。 毎週、気になるゲストを呼んでトークしてもよし。 トークはそこそこに、好きな音楽を流してもいい。 カネの目処さえつければ、クルマを増車する感覚で自分のラジオ番組を持つことも夢ではないのだ。 しかし、いまではYouTubeチャンネルのように、もっと手軽に、自由に自分自身で考えたコンテンツを発信できるようになった。 その結果、個人のチャンネルの地位や存在価値が飛躍的に向上したように思う。 公共の電波に自分の声や考えを乗せるか、YouTubeで自由に動画コンテンツを配信するか。 このあたりの価値観は人それぞれだろう。 筆者がラジオ番組を制作していた10数年前は「自分の声を公共の電波に乗せる」ことの価値や意義は今以上に大きかった。 自分自身(・・・の勤めている会社)がスポンサーなのだから、「常識の範囲内であれば」番組構成も自由だ。 筆者はその企画制作をすべて任されていた(社員が少ないので)、というのがコトの真相だ。 担当していたのは2時間と1時間の生放送を週に1本ずつ。 生放送の番組の企画構成から取材、出演交渉、音源の編集まで・・・番組パーソナリティ以外の仕事をほぼ1人で行っていた。 もともとラジオを聴くのは好きだったけれど、ラジオ番組の制作なんてそれまでまったくの未経験であり素人だ。 当然のことながらすべてが手探りだった。 最初に携わったとき、番組の構成が完成したのはオンエア当日の朝だった。 さらに、生放送の最中は番組ディレクターとしてパーソナリティの皆さんと一緒にスタジオに入らなければならない。 音源の再生はラジオ局の人が担当してくれたが、番組の進行役はディレクターである自分が行う必要がある。 しかも生放送なので、やり直しや編集ができない。 慣れないうちはこれが憂鬱で仕方なかった(生放送の雰囲気に慣れてくると収録では物足らなくなるのだが)。 ゲストの方があまりに饒舌でトークの時間を「割愛」したり、企業広報の人が原稿を棒読みして時間が余ってしまい、フリートークでどうにか間を持たせたり・・・(企業の看板を背負っているので迂闊なことがいえないのだ)。 そんなこんなで常にハプニングの連続だった。 さらに生放送なので、盆暮れ正月も関係ない。 いつだったか、元旦だか、2日にオンエア日がぶつかってしまい、年末休み返上で番組の構成を考えたこともあった。 お正月のオンエアは特番を組み、有名な噺家さんをゲストに呼んでそれなりに盛りあがったし、リスナーからの反響もあったので良しとしよう。 筆者は2本のラジオ番組の制作を担当していたので、それぞれのパーソナリティの人たちと必然的に密に連絡を取り合うことになる。 何を隠そう、番組のパーソナリティをしてくだったなかのお一人が「おぎやはぎの愛車遍歴」でお馴染みのモータージャーナリスト、竹岡圭さんだった。 別の番組の中継コーナーで竹岡圭さんにご出演いただく機会があり、2本目の番組を立ち上げるときに「ダメもと」でパーソナリティをお願いしたら引き受けてくださったのだ。 竹岡圭さん、自分たちは「圭さん」と呼んでいたけれど、とにかく一緒に仕事していて楽しいし、よい意味で「ラク」なのだ。 こちらが1いうことを10理解してくれる(逆にガチガチに決められた原稿読みは苦手らしい)。 勘が良くて、頼みやすくて、話しやすい、そして誰に対してもフェア。 業界の有名人だろうと、自分のようないち会社員だろうと平等に接してくれる。 そして、こちらがダメなところはダメときちんと指摘してくれる。 圭さんに次々と仕事が舞い込むのも当然だ。 (実際にはなかなかうまくいかないけれど)独立してからというもの、圭さんの人との接し方をお手本にさせてもらっている。 今振り返っても竹岡圭さんと男性ミュージシャンと3人で創り上げた番組は、毎週の生放送の時間が本当に楽しかった。 その雰囲気が電波に乗って、良い雰囲気で番組をお届けできたと思う。 そういえば、最終回では圭さんが生放送中に泣いてたっけ・・・(いつも明るい圭さんが・・・と、男性ミュージシャンと2人でびっくりした記憶がある)。 もう1度ラジオ番組を作ってみたい・・・と思えるのはこのお二人のおかげだ。 毎週2本のラジオ番組の企画構成を考えていたので、楽しいことがあれば、当然ながら辛いこともあった。 もう1本の番組は辛いことの方が多かった気がする。 こちらの番組には「主」がいた。 仮にAさんとしておこう。 当時は60歳前後だったように思う。 あらゆる分野に精通し、話題も豊富。 一見すると親しみやすい方だ。 たまに顔を合わせる知り合い程度の距離感なら「博識で親しみやすいおじさん」という印象で済んだかもしれない。 しかし、仕事で関わるとなると状況がまったく異なる。 仕事で関わるありとあらゆるメンバーとトラブルを起こす人だったのだ。 同じチームとして加わっていただいた女性ライターさんが「長年仕事をしてきたけど、はじめて一緒に仕事ができない人に会った」とギブアップ宣言をしてきたほどだ。 その結果、人間関係が壊れる。 それも修復不可能なレベルで。 当然、自分もターゲットになった。 そして人間関係も修復不能になった(それでもいいと思っている)。 この「主」が自分にとっての反面教師でもある。 どれほど博識で、ラジオパーソナリティとして有能であったとしても、関わる人たちの人間関係を破壊するような人は仕事を失うのだということをこのとき学んだ気がする。 それはさておき、ラジオ番組に関わるありとあらゆる人たちと衝突した結果、とうとう勤め先の社長ともトラブルになった。 誰もがAさんを避けるようになり、その怒りの矛先を向ける相手が当時の勤め先の社長だけになってしまったのだ。 社長は温厚な人だったが、Aさんの度重なる理不尽な要求についに堪忍袋の緒が切れた。 大鉈を振るい、改変時期(3ヶ月ごとに更新時期)に合わせて番組を強制終了させてしまったのだ。 それでも、最終回のときはセレモニー的なことも行い、花束も用意した。 そして翌週、この「主」が仕切る(スポンサーとして)形で新たな番組がスタートした。 しかも同じ番組名で、ペアを組んでいた女性パーソナリティとともに。 これには自分も社長もずっこけた。 リスナーからすれば、最終回を迎えたはずの番組とパーソナリティが、まったく同じカタチで翌週から新番組としてスタートしたのだから混乱したに違いない。 いきなりラジオ番組を始められるわけがないから、水面下で交渉していたことを知らせてくれてもいいものだ。 ラジオ局のスタッフも人が悪い。 ラジオ番組、ひいては生放送だとスタッフとパーソナリティがギクシャクしていると、なんとなく電波を通じて伝わってしまう。 友だちではないから仲良しグループでいる必要はないけれど、いい雰囲気で番組作りをするのは極めて重要だとこのとき学んだ気がする。 そのいい例が笑点だと思う。 いまとなっては懐かしい、歌丸師匠と円楽師匠の不毛な掛け合い(?)も、揺るぎない信頼関係があってこそできる(と断言できる)。 本当に不仲だったらこうはいかない。 二代目林家三平がわずか5年で自ら番組を降板したのも、他のメンバーや番組スタッフとの溝ができてしまったのではないかと推察している。 笑点の例はいうにおよばず、仕事のプロジェクトメンバーや、クルマ好き同士のグループなど、良好な関係を維持するのは個人的にはとても重要だと思う。 そのお手本となりうる竹岡圭さんと、反面教師のAさん。 同時期、それも独立する数年前にこのお二人と出会えたのは、後々、良い経験となったことは確かだ。 「この人と一緒に仕事がしたい」と思ってもらえるように努めたいと思う反面「この人と関わりたくない」と思われたらおしまいだ。 もちろん、自分自身への戒めを込めて・・・。 余談だが、この「主」であるAさんのラジオ番組はいまでも続いている。 オンエア開始からもう10年以上経つから、いまや立派な長寿番組だ。 ふと思い出して仕事のあいまにたまに聴いてみると、主であるAさん主導でやりたい放題やってるなあ(それはつまり、リスナーを置いてきぼりにしているなぁという意味だ)と思う。 そうそう、ひとつ思い出した。 自分のお金でラジオの番組枠を買っているのだから、(常識の範囲内であれば)何をやっても自由なのはたしかだ。 しかし、リスナーが置いてきぼりになってしまっては本末転倒だ。 リスナーを楽しませるサービス精神を忘れずにラジオ番組を作ろうと、あるとき心に誓ったことをふと、思い出した。 ラジオからクルマ関連のコンテンツ配信へと形態は変化したが、その想いは変わらない。 現在の仕事は「サービス業」だと思えるようになったのも、このときのラジオの仕事がきっかけとなっていることは間違いない。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

1台だけよりも心強い⁉複数台所有のメリット・デメリットとは?
旧車の魅力と知識 2022.08.31

1台だけよりも心強い⁉複数台所有のメリット・デメリットとは?

愛車との付き合い方は千差万別である。 多くのユーザーは購入したクルマを一定期間乗って買い替える、いわば「消耗品感覚」で接していることが大半である。 最近では、カーシェアやレンタカーを利用することで、愛車を持たないスタイルも出てきている。 この記事を読んでくださっているクルマ好きの皆さまは、愛車を文字通り「愛している」に違いない。 ■1.旧車オーナーに増えている複数台所有の現状 愛車との時間を長く、より密に、すべての情熱を注ぎたいと思っているだろう。 そして旧車に関しては「不必要な消耗」を減らしたいというのが本音だと思う。 通勤や買物といった日常使いの多くは「不必要な消耗」と考えても良いと思っている。 無駄に(あえてこのように表現するが)増えてしまう走行距離、買物先での駐車中のトラブル・・・などなど。 現行車にとって、これらは大きなリスクにはならないが、旧車にとってはそうではない。 近年では外装部品はもちろん、走行に必要な部品も入手困難になっている車種も発生している。 そんな環境のためか、旧車オーナーのあいだでは複数台所有の方が増えているそうだ。 今回実際に複数所有オーナーたちの話も交えメリット•デメリットを紹介していきたい。 ■2.メリット:気分や目的に合わせて選べる! 多くの複数台所有オーナーは、違う車種やジャンルのクルマを所有していることがほとんどである。 ・走りを楽しむクルマ・快適に出かけるためのクルマ・アウトドアレジャーを楽しむクルマ・お買い物や通勤と機動性の高いクルマ・・・などなど 筆者の周りにいる複数台所有のオーナーはそれぞれ好みの車種選定を行っているため、その日の目的や気分に合わせて選び出かける楽しみがある。 ごく稀に、同一車種や同一ジャンルのクルマを複数台所有するオーナーもいる。 すべて同じクルマだと一般ユーザーからは思われることもあるそうだ。 しかし実は、ミッションやエンジンなど仕様が異なっているため、オーナーはその日の気分で選び、違いを楽しみ乗っていることもあったりする。 これはかなりのツワモノである(笑)。 ■3.メリット-1:クルマとおサイフへの負担を分散 一台のクルマで通勤、買い物、レジャーと使用していた場合、自ずと走行距離は増えてしまう。 特に通勤で使用すると、驚くほど走行距離は増えていく。 ハイオク指定や、燃費の悪いクルマに乗っているとガソリン代とダブルパンチだ。 筆者の友人がスポーツカーばかり所有していたとき、その一台でサーキット走行から買い物、アウトドアレジャーまですべての用事をこなしていた。 燃費があまり良くなく、高速を使用しても燃費は10km/Lに届かないと聞いて驚いたことがあった。 さすがに燃費の悪さと消耗品の交換頻度を考慮して、中古の軽自動車を導入した。 驚いたことに、中古の軽自動車を導入した結果、浮いたガソリン代で維持費が賄えたとのことだった。 元々運転が好きな友人なので、購入した軽自動車はMTを選択し、操る楽しさも妥協せずガマンしないカーライフを送っている。 ■4.メリット-2: 壊れた時の救世主⁉自己代車利用 旧車オーナーにとっての悩みは愛車の急な故障だったりする。 故障とまではいかなくとも不調がある場合、無理に動かし悪化はさせたくないものだ。 過保護でなくとも、気候によっては稼働させたくないこともあると思う。 だからといって、カーシェアやレンタカーが普及したとはいえ、都度借りるのは面倒であり、急用の際は手間が気になる。 しかし、愛車が増えることにより、不安や手間もなんと解消されるではないか! 急な故障だけでなく、長期にわたる大がかりなレストアや修理の際も代車を用意してもらう必要もない。 「余計な心配をせずに作業に専念できること」は、旧車趣味を楽しむオーナーにとっては実は大事なことだと筆者は思う。 ■5.デメリット-1:クルマの数だけ増える備品 クルマの備品のなかで1番かさばるものは何か?と考えた際、真っ先に思い浮かぶのはタイヤである。 多くはスタッドレスタイヤだったり、サーキット走行を楽しむ人は走行用のタイヤだったりする。 筆者の場合、スタッドレスタイヤが3台分あるため、置き場所をどうにか工面している。 旧車オーナーとしてはストックパーツを持っている方も多いかと思う。 周りにいる旧車オーナーは多かれ少なかれ何かしらのパーツを保管していると聞く。 小物もあれば外装パーツといった大物部品もあり、予防整備で交換した際に元々装着されている部品を予備として残しておくケースもある。 メインの愛車だけで済めば良いのだが、複数台所有しそれぞれの部品が増えだすと置き場所で困るのは筆者の実体験である。 部品単体で置いておくと邪魔で仕方ないため「動く部品取り」としてもう一台同車種を所有する友人がいる。 しかし友人はその車種が好きでたまらないので、結局は「動く部品取り」もきれいにしてしまったのである(笑)。 ■6.デメリット-2:乗るのに準備が必要!? 所有する愛車を自宅に置くことができる環境であれば理想的だ。 屋根付きガレージであればベストだろう。 さらに、並列に駐車できる環境であれば最高だが、なかなかそこまでの条件をクリアするのは難しいことも多い。 一軒家で自宅に複数台止められるお宅でも、縦列で止めるスタイルが多いと思う。 その場合、乗りたいクルマを出しやすいように並べ替えが必要になる。 また、駐車場を借りている場合は入れ替えに行かなくてはならない。 乗る頻度が少ない場合、保護のためのボディカバー、バッテリー上がりを防ぐためにバッテリー端子を外す対策も必要になる。 この手間に関して一番の解決策は、日頃こまめにローテーションで乗ることである。 ■7.まとめ:あると便利で心強い存在! 旧車オーナーにとって一台の愛車に全力で愛情を注ぐことは素敵なことだと思う。 その愛車と末永く過ごすためにも、さらに愛車を増やすことで、一台にかかる負荷を分散させるメリットがある点をご理解いただければ幸いである。 実は筆者自身、最近新たに軽自動車を手にすることになった。 旧車といえる年代の軽自動車だが、この機動力の高さに驚いている次第だ。 一般的に複数台所有は理解されがたいこともあるが、可能であれば新たなクルマの楽しみや驚きにも触れられるので、ぜひおすすめしたいと思っている。 [画像・AdobeStock/撮影&ライター・お杉]

最強のTYPE-Rはどっち?!DC5型インテグラvsFD2型シビック
旧車の魅力と知識 2022.08.29

最強のTYPE-Rはどっち?!DC5型インテグラvsFD2型シビック

レーシーにまとめられた専用の内外装に、強化されたエンジンと足回り。ホンダスポーツモデルの最高峰グレードであるTYPE-Rは、そのままサーキットを走れるほどのスペックを備えていました。特にインテグラとシビックは、TYPE-Rの代表車種として多くのファンを獲得しています。今回はインテグラとして最終型となるDC5型、ほぼ同世代にリリースされたFD2型シビック、2つのTYPE-Rの魅力に迫っていきましょう。 ホンダスピリッツを体現したTYPE-R TYPE-Rは、取り扱いやすさを求める一般向けで実現できなかったクルマ本来のポテンシャルを極限まで高めたモデルです。もともと高性能なスポーツモデルの車両をさらにチューニングすることで、最高峰のスポーツグレードに仕上げられています。 初代NSXに設定されたTYPE-R 初めてTYPE-Rが登場したのは1992年で、初代NSXの最上位スポーツグレードとして設定されました。もともと国産スーパーカーという位置付けで高性能だったNSXを、各パーツの徹底的な見直しによって120kgも軽量化されています。さらに、サスペンションのセッティングに加え、クランクシャフトやピストンといったエンジン内部にまで手を入れ、徹底的なハイパフォーマンス化が図られました。 TYPE-Rの両雄となったインテグラとシビック 初代TYPE-RとなったNSXの成功によって、TYPE-Rシリーズはインテグラとシビックにも展開されます。NSX TYPE-Rは高価な車両価格と希少な生産台数から、手にする人は限られていました。しかし、インテグラやシビックという大衆モデルで採用されたことで、TYPE-Rの名は一気に広まります。 クーペ、ハッチバックとそれぞれボディ形状は異なりますが、ホンダを代表するスポーツモデルをさらにスポーティに仕上げ、TYPE-Rはホンダファンのみならず多くのスポーツカーファンの人気を獲得しました。 世界最速FFと呼ばれたDC5型インテグラTYPE-R 世界最速FFの称号を得た先代DC2型からモデルチェンジしたDC5型TYPE-Rは、安全性能の見直しなどでやや大型化したものの、インテグラTYPE-R特有の軽快なハンドリング性能は継承されています。 エンジンや足回り性能のみならず、内装も走ることに特化したDC5型インテグラTYPE-Rも、やはり世界最速FFでした。 TYPE-Rのために開発されたDC5型 2代目インテグラとなるDC5型インテグラは、TYPE-Rの設定を前提に開発されています。また、プレリュードが廃止されたことにともない、ボディサイズは3ナンバーサイズに拡幅されました。 ボディタイプは3ドアハッチバックのクーペスタイルを採用。スポーツカーらしいクーペスタイルながら、ハッチバックで高い利便性も確保されています。 装備面の強化によって車重増をカバー 広い車内空間の確保と安全性能の強化により、車両重量は100kgほど重くなってしまいます。しかし、専用チューニングされたKA20型は220psを発生し、ホンダ初となるブレンボ製ブレーキを備えるなどエンジン性能や装備面では先代DC2型を上回っていました。 しかも、これだけのハイスペックエンジンを搭載しながら、12.4km/Lという低燃費も実現しています。 魂をくすぐられるレーシーな内装 「TYPE-R」のロゴがあしらわれたチタン製シフトノブや、チタン色のメーターパネルとペダル類から受ける印象は、まるでレーシングカーのコックピットを思わせるものです。専用に開発されたレカロシートに身を沈めれば、一気に気分が高まります。 スイッチ類やエアコンの吹き出し口もメーター同様の丸型に統一され、余計なスイッチ類は極力排除したシンプルなデザインです。 高級感ある4ドアセダンとなったFD2型シビックTYPE-R DC5型インテグラの販売終了後に登場したのが、FD2型シビックTYPE-Rです。高い性能もさることながら、4ドアセダンとしたことで居住性や使い勝手が向上しています。そして、TYPE-Rの称号にふさわしく、トルク感応式LSDやブレンボ製ブレーキキャリパーといった走行性能に直結するパーツを採用しているのが大きな特徴です。 重厚感のある4ドアモデル 歴代シビックのTYPE-Rは3ドアハッチバックで展開されてきましたが、FD2型シビックでは初めて4ドアセダンタイプを採用。また、全幅も3ナンバーサイズの1,770mmとなり、従来の軽量なイメージから重厚感のあるデザインに変わりました。 さらに、見た目だけではなくボディ剛性もDC5型インテグラTYPE-Rから50%も向上し、さらなる応答性と安定感が加えられました。 さらに高出力化されたKA20型VTECエンジン FD2型シビックTYPE-Rに搭載されたのは、DC5型と同型のKA20型です。最高出力は220psから225psにまで高められ、もともと専用チューニングされていたエンジンをさらにファインチューニングしたことで、回転域によっては10ps以上の出力向上を果たしました。 また、ピークトルクの発生も7,000回転から6,100回転に引き下げられていることに加え、0.9kgf・m向上していて、大柄な4ドアボディをストレスなく引っ張ります。 先進のコックピットが演出する高揚感 FD2型シビックTYPE-Rのコックピットデザインは、DC5型インテグラと大きく異なります。すべてのメーターをアナログメーターでまとめていたインテグラに対して、デジタルメーターとアナログメーターを融合させた先進のデザインでした。 スポーツドライビング時にもっとも気になるタコメーターは、視認性の高いアナログメーターを中央に配し、上部にデジタル表示のスピードメーターが配置されています。さらに、最適なシフトタイミングやVTECの作動状況が視認できる各種インジケーターもデジタルパネル部分にまとめられており、先進性を感じるコックピットになりました。 また、シートはTYPE-R用に専用開発されたオリジナルシートで、内装と統一された赤と黒のカラーリングはドライバーに高揚感を与えます。 高く甲乙つけがたい2台のTYPE-R インテグラとして最終型となったDC5型TYPE-Rと、4ドアモデルのFD2型シビックTYPE-R。発売年式が近いこともあり、この2車種はよく比較されますが、結論としてはどちらも優れたスポーツカーであることは間違いありません。 走行性能を追求して作り込まれたインテグラTYPE-Rは車重も軽く、FF車最速といわれる速さとハンドリングが楽しめます。一方で、4ドアによる高い居住性と安定性、先進のコックピットを誇るシビックTYPE-Rは、ファミリー層のユーザーにも受け入れられました。エンジンはどちらもKA20型を採用しているため、多くのアフターパーツも出ていてチューニングベースとしても最適です。 ホンダスピリッツが詰め込まれた、高い走行性能を誇る2台のTYPE-R。どちらを選んでも決して期待を裏切りません。

ナンパなSUVに物申す!三菱 パジェロの偉業を振り返る
旧車の魅力と知識 2022.08.29

ナンパなSUVに物申す!三菱 パジェロの偉業を振り返る

ラダーフレーム構造にこだわり、硬派な本格クロカンとしての地位を築き上げたパジェロ。モデルチェンジを繰り返しても、最初の開発ポリシーは最終モデルまで受け継がれました。トヨタ ランドクルーザーと双璧をなす日本が誇るオフローダー、三菱 パジェロのこだわりと魅力に迫ります。 トラックベースの硬派仕様【初代:1982年~1991年】 マイナーチェンジを含めて9年もの長きにわたり、さまざまなモデルやエンジンを投入した初代パジェロ。三菱が世界に誇る看板車種となったパジェロですが、実は発売当初はあまり話題になりませんでした。しかし、本格クロカン車としてこだわって開発したことで市場のパイオニアともいえる名車となっていくのです。 あまり注目されなかった初代パジェロ誕生 初代パジェロが登場したのは1982年です。ノックダウン方式で生産していたジープに代わるモデルとして開発されました。後に本格クロカン車として三菱を代表する車種となったパジェロですが、当時は主力車種という位置付けではなかったため限られた予算で開発されます。 発売当初の販売台数は月間数百台程度だったという情報もあり、あまり注目されたクルマではありませんでした。 本格クロカンとして高い性能を誇ったパジェロ 初代登場時、パジェロは主力車種ではなかったものの、フレームやエンジンなど、三菱の開発陣はしっかりと作り込んでいました。結果的にクルマとしてのポテンシャルの高さがその後のパジェロ人気につながります。 まず、車体にはトラックでも使用されるラダーフレームを採用しました。ラダーフレームは構造がシンプルで信頼性が高く、堅牢なプラットフォームです。さらに、駆動方式をFRベースのパートタイム4WDとしたことで高い悪路走破性を実現します。 エンジンは4WD車として国産初となるディーゼルターボエンジンを搭載。発売翌年には145psを誇るG63B型2.0L 直列4気筒ガソリンターボエンジンも追加され、「国産クロカン4WD最速」とも称されました。 パジェロ旋風を巻き起こしたパリダカ パジェロが転機を迎えたのは、発売から5年後の1987年です。もっとも過酷なラリーとして知られるパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)で、プロトタイプのパジェロを駆る篠塚建次郎氏が3位という成績を残します。その模様は連日NHKで中継されていたこともあり、瞬く間にパジェロ旋風が巻き起こりました。 また、バブル景気によるアウトドアレジャーブームの後押しもあり、最盛期には年間8万台以上の注文を記録しました。ここから、パジェロは本格クロカンとしての地位を確立していきます。 RVブームを巻き起こした歴史的モデル【2代目:1991年~1999年】 初代で確立した国産クロカン車としての地位をより強固なものにしたのが、2代目パジェロです。世界初の画期的な4WD機構やハイパフォーマンスエンジンを投入して基本性能を向上させたことで、RVブームの火付け役になるとともにブームを牽引する存在となりました。 初代の成功を背景にフルモデルチェンジ 2代目パジェロの登場は1991年です。バブル景気まっただなかでの登場でした。初代で評価の高かった本格クロカンとしての性能と乗用車としての乗り味を両立させた三菱開発陣の強いこだわりが詰め込まれたモデルです。 より多くのユーザーに、本格クロカンを届けたいという三菱の狙いは見事に的中しました。高まりつつあったRV車への人気に火をつけ、RVブームを巻き起こすきっかけとなる車種になりました。 また、より多くのユーザー取り込みを狙って、軽自動車規格のパジェロミニと1.1Lモデルのパジェロジュニアが投入されたのも2代目パジェロです。どちらも小型ながら本格的なつくりで高い人気を集めました。 世界初搭載のスーパーセレクト4WD 2代目パジェロに搭載された4WDは、世界初搭載となる「スーパーセレクト4WD」です。スーパーセレクト4WDは、フルタイム4WDとパートタイム4WDの長所を兼ね備えた仕組みで、時速100km/h以内なら2WDと4WDの切り替えをセレクトレバーで簡単に行えるという画期的な機構でした。 ハイパフォーマンスエンジン 2代目パジェロには、初代から出力を155psまで引き上げた6G72型 2,972 cc V型6気筒SOHC12バルブエンジンを投入しました。この6G72型エンジンは改良を重ね、最終的には最高出力を185psまで引き上げられるとともに、4代目パジェロでも使用される長寿命エンジンとなります。 また、モデル末期となる1997年には、3.5Lの6G74型が追加されました。最高出力は245psを発生しつつ、V型6気筒エンジンとして世界初となるガソリン直噴(GDI)を採用することで、高出力と環境性能を両立しています。 さらに、同年にハイパフォーマンスエンジンを搭載したパジェロエボリューションがラリーのベース車両として投入されます。搭載された6G74型V型6気筒3.5Lエンジンは、新開発の可変バルブタイミング機構「MIVEC」を採用し、当時の自主規制上限である280psを発生させました。  クロカン系から高級路線に変貌【3代目:1999年-2006年】 本格的な悪路走破性能をもちつつ、普段使用を意識した変化を取り入れてきたパジェロ。3代目へと進化する過程で、より使いやすさと快適性追求し、ラグジュアリー志向のSUVへと大きな転換点を迎えることになります。 初代発売から17年目の大幅な路線変更 1999年に登場した3代目パジェロは、高級路線へと大きな方向転換を図ったモデルです。国内では1997年に登場した高級クロスオーバーSUVのハリアーが大ヒット。世界中の自動車メーカーが、乗用車としての乗り心地や高級感を重視したクロスオーバーモデルに舵を切り始めていました。その流れを受け、パジェロも高級路線になったものの、本格クロカンとしての性格は色濃く残すことで、他社のクロスオーバーSUVとは一線を画す存在でした。 フレーム構造をモノコックベースに変更 3代目パジェロは、乗り心地を重視しフレーム構造が大きく変更されました。ラダーフレーム構造から、モノコックフレームにラダーフレームを溶接したビルトイン構造を採用。高級路線で内装を豪華にしたことや安全性の強化などの重量増の要因があるにもかかわらず、軽量なモノコックフレームとすることで、約100kgの軽量化を実現しました。 一方で、ビルトイン構造のためラダーフレームの堅牢さも確保されており、本格クロカンという矜持は維持しています。 より安定性と操作性の向上が図られたパワートレイン 3代目パジェロには、2代目パジェロの末期に追加された6G74 V型6気筒3.5Lエンジンが引き続き搭載されました。最高出力こそ220psとややおさえられているものの、制御の問題点を改善。高級車にふさわしく安定性が高められています。 また、2代目から搭載されたスーパーセレクト4WDも「スーパーセレクト4WDⅡ」に進化しました。センターデフをプラネタリーギアに変更し、前後トルク配分を33:67とリアよりとすることでオンロードでの操縦性向上が図られています。 改良を続けその魂を貫いた【4代目:2006年~2019年】 結果的にパジェロの最終モデルとなった4代目パジェロ。販売最終年には、特別仕様車「ファイナルエディション」を投入し、惜しまれつつその歴史に幕を閉じることとなります。  本格クロカンにこだわり続けた4代目 4代目パジェロは、3代目の高級路線を踏襲する形で開発されました。本格クロカンへのこだわりでもあった、ビルトイン構造のフレームやハイパフォーマンスエンジン、スーパーセレクト4WDⅡを軸にした駆動系にも改良が加えられています。 シャーシに関しては、ビルトイン構造を継承しつつ、高張力鋼板や構造用接着剤の使用によって、先代以上のボディ剛性を実現。高級車としながらも、最後までオフロードでの走破性にこだわりました。 販売最終年となる2019年には、「ファイナルエディション」として特別仕様車を投入しました。三菱がいかにパジェロを大切にしてきたかがうかがえます。 初代から一貫してこだわった高い基本性能 4代目パジェロには、252psを発生する6G75 V型6気筒3.8Lエンジンが搭載されました。さらに2010年には新環境基準をクリアしつつ、パジェロ史上最大トルクとなる45.0 kgf・mを発生する新型のクリーンディーゼルエンジンが投入されたことも注目したいポイントです。 走行性能についても、3代目から採用しているスーパーセレクト4WDⅡに加えてさらなる安定化を図る機能を装備しています。独立したブレーキ制御をおこなうアクティブスタビリティコントロール(ASC)とエンジン出力制御によるアクティブトラクションコントロール(ATC)を組み合わせたASTC(アクティブスタビリティ&トラクションコントロール)を全車に標準装備しました。滑りやすい路面や急ハンドルでも安定した走行を実現し、クロカン車としての機能が向上しています。 時代を作り時代に飲み込まれたパジェロ 4代目パジェロは、初代を超える13年という長期間販売されました。しかし、2019年の4代目生産終了とともに、パジェロは37年の歴史に幕をおろすことになります。 市場がクロスオーバーSUVへシフトしていったことで、本格クロカンにこだわり続けたパジェロの存在感は徐々に薄れていきました。RVブームのきっかけとなり市場を作り出したパジェロ。しかし、最後はその市場の動向やニーズの変化に飲み込まれるという皮肉な形で生産終了となりました。 まとめ クロスオーバーSUVの台頭という波に飲み込まれたパジェロですが、中古車市場では現在でも人気の高い車種の1つです。 大手中古車サイトでは、年式の古いものであれば60万円台から販売されていますが、4代目最終モデルの低走行車なら600万円程度と幅広い価格で販売されています。 対して旧車王での買取価格を見てみると、走行距離113,700kmの1999年式2代目パジェロGEバンが55万円。そして、2019年式、走行距離25,200kmのファイナルエディションで400万円の値が付けられています。(2022年8月原稿執筆時) 一部の国産スポーツカーのように、非現実的な価格で取引されているわけではありません。しかし、25年以上前の年式でも400万円を超えるような中古車も販売されており、パジェロも全体的には徐々に相場が上がりつつあると言えます。 電動化や自動運転など、悪路走行とは別の性能が重視されているいま、今後パジェロのような本格クロカンモデルが新たに登場する可能性はほぼありません。そのため、ハイパワーなエンジンと堅牢なシャシーを備えた硬派な存在のパジェロは、今後その相場が上昇する可能性も十分にあるのです。

唯我独尊!日本の技術者集団「マツダ」が作り出したコスモの歴史を振り返る
旧車の魅力と知識 2022.08.29

唯我独尊!日本の技術者集団「マツダ」が作り出したコスモの歴史を振り返る

RX-7をはじめとするRXシリーズが有名ですが、はじめてロータリーエンジンを採用した車は1967年発売のコスモスポーツです。マツダコスモは時代の流れとともにエンジンやデザインを変え、各モデルともに魅力的な車となっています。そんなマツダコスモの歴史を振り返りましょう。 初代マツダ コスモスポーツ(1967年~1972年) レシプロエンジンは、ピストンの上下運動をクランクシャフトにより回転運動に替えています。それに対し、ロータリーエンジンはハウジングの中でおむすび型ローターを回転させ、すべてを回転運動で完結させるというのが大きな特徴です。。ロータリーエンジンは理想のエンジンと呼ばれながらも、技術的課題が多く、長らく「エンジニアの夢」と言われたエンジンでした。 1951年、ドイツのフェリックスヴァンケル博士(Felix Wankel:1902−1988)がロータリーエンジンの原理を確立したものの、量産化には多くの課題が存在しました。そのため、ロールスロイスや日産を始め、世界中のメーカーが開発に着手したものの量産化には至りませんでした。 そんな中、1964年の東京モーターショーでロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツコンセプトが鮮烈なデビューを飾ります。 名前の由来はイタリア語で宇宙を意味するCosmo(コスモ)。「宇宙時代にふさわしいエンジンを」という願いが込められていました。 1967年5月30日、モーターショーでのデビューから3年、マツダはついにコスモスポーツの販売を開始。搭載された12A型ロータリーエンジンは、総排気量491cc×2、最高出力110PS、最高速度185km/h、0-400m加速16.3秒というスペックを持ち、当時のスポーツカーとしては十分な性能を持っています。 さらに、上下に分割されたテールランプやボディ全体の厚みを抑えたデザインは、航空機や宇宙船を彷彿とさせ「走るというより、飛ぶ感じ」という言葉を具現化した車でした。 2代目マツダ コスモ(1975年~1981年) コスモスポーツの生産終了から3年後、1975年に発売された車がコスモAPです。マツダのフラッグシップとして高級路線にシフトされました。欧米市場を意識した2代目コスモは、順調に販売台数を伸ばし、発売から1年半で10万台を達成します。1977年にはバリエーション違いのコスモLを追加し、これも同じく市場から高い評価を得ます。6年にわたり販売された2代目コスモは、コスモ史上最も売れたコスモとなりました。 コスモAP 1973年に発生したオイルショックの影響で燃費の悪いロータリーエンジンは嫌煙され、販売台数は悪化してしまいます。そんな中、1975年に他社に先駆け昭和51年排ガス規制をクリアし発売されたのがコスモAPです。 APは「反汚染」を意味するアンチポリューション(Anti Pollution)の略で、搭載された13B型 654cc×2ローターのロータリーエンジンは、51年排出ガス規制をクリアしながら最高出力は135ps/6000rpmを達成。コスモAPのイメージアップに一役買うことになります。 デザイン面ではアメリカを意識したスペシャリティカーへ進化を遂げ、メッキ仕上げの大型フロントグリルを持つファストバックスタイルとなります。特徴的なBピラーにはピラーにウィンドウを配置し、手動式レギュレーターで全開が可能でした。 コスモL コスモLは1977年7月に追加された2代目コスモの高級仕様です。単に部品を変えただけの仕様違いではなく、ノッチバックスタイルを持つこだわりの一台となっています。コスモLの「L」は、ランドートップ(上級馬車)の頭文字から取ったもので、ルーフ後端は高級感のある革調の素材を採用。2ドアクーペでありながら、高級リムジンのような雰囲気を醸し出しています。 後部座席はゆったりとしており、5人乗車が可能。見るからに小さい後部座席の窓は、すべての景色が見えなくとも、ラグジュアリーな時間を車内で過ごしてほしいという意図により採用されました。上質でありながらどこかかわいらしさも感じる内装は、旧車ファンの心を掴んで離しません。 初代コスモスポーツから受け継ぐ走行性能を持ち、環境性能も満足させながら、独特の世界観を持つ2代目コスモは、マツダの名作と言って間違いないでしょう。 3代目マツダ コスモ(1981年~1990年) 1981年9月、マツダは車名をシンプルなもの変更した3代目コスモを発売します。同時期にフルモデルチェンジを受けたルーチェの姉妹車となり、ボディバリエーションも複数用意されました。2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、なんとピラー付き4ドアセダンまでラインナップを広げています。(コスモの社名を有する4ドアボディはこのモデルが最初で最後)多様化する需要に応えるように選択肢を広げた3代目コスモは、マツダの意欲作でしたが、その期待とは裏腹に販売台数は伸び悩みます。 エンジンはロータリー・レシプロ・ディーゼルの3本立てとなっており、ロータリーエンジンを持つマツダならではのユニークなバリエーションです。デザイン面でもコスモらしい個性的なもので、直線基調のインテリア、カセットテープを正面から見せるオーディオなど、当時のファンを驚かせます。エクステリアでは先代のAPと同様にBピラーに小さな窓を備え、ウエストラインを下げてグラスエリアが拡大されました。さらに、角4灯のリトラクタブルヘッドライトという個性的なものとなっています。 しかしながら、発売当初搭載されたロータリーエンジンは、先代の13B型ではなく排気量の小さい12A型を採用しています。数値的には130ps/7000rpmと先代と同等でしたが、頼りないフィーリングはコスモファンを満足させることは出来ませんでした。 そこで、同年10月には初のロータリーターボを採用。160ps/6500rpmの最高出力と23.0kgm/4000rpmで当時最高速213.33kmに達しています。そして、1983年10月のマイナーチェンジでは、固定式ヘッドライトに変更された4ドアハードトップにインジェクション化された13B型(最高出力160㎰)を搭載したグレードが設定されました。 人気は2代目には及ばないものの、当時最高レベルの走行性能を持つ3代目コスモも魅力的な一台です。  4代目ユーノス コスモ(1990年~1996年) 1990年4月発売、4代目コスモはユーノスコスモとして登場。先代とは対照的にボディバリエーションは2ドアクーペのみで、ロータリーエンジンに一本化されました。 ラグジュアリーさを漂わせるそのフォルムに搭載されるエンジンは、20B-REW型の3ローターターボエンジンです。V12に匹敵するなめらかさを持ち、当時300ps以上と言われた出力は自主規制により280psにデチューンされています。 内装に目を向けるとオーストリア製の本革シートやイタリア製の天然目パネルに加え、世界初のGPSカーナビが搭載されています。至れり尽くせりの至高の高級車となっていましたが、販売台数は思うように伸びませんでした。 その理由は533万円からという高額なプライスと、街乗りでは3km/Lにもなると言われた極悪な燃費にほかなりません。バブル時代の当時でもライバルとなるR32スカイラインGT-Rが445〜529万円となっており、それほど理解を得られなかったのです。 ユーノスコスモ誕生から6年、マツダはユーノスコスモの販売を終了し、長いコスモの歴史に終止符を打つことなります。 モータリゼーションの長い歴史の中でも3ローターターボを採用した車は後にも先にもこのユーノスコスモだけであり、今後このような車が世に出ることは難しいでしょう。そのため、旧車界でもユーノスコスモは多くのファンを獲得しています。 まとめ マツダのコスモシリーズは、市販化が難しいとされたロータリーエンジンをはじめ、ユニークで洗練されたデザインなど、自動車好きの記憶に色濃く残る存在感を放ってきました。 一方、ロータリーエンジンの宿命とも言える燃費の悪さや、先を行き過ぎたデザインなど、失敗作と酷評されることも少なくありません。 しかし、明と暗がクッキリしたコントラストのある歴史こそが、難しい課題も豊富なアイデアで解決する技術者集団「マツダ」のイメージリーダーである証拠なのです。

クラウンも変わる激動の時代!16代目クラウンの登場に想いを馳せる
旧車の魅力と知識 2022.08.29

クラウンも変わる激動の時代!16代目クラウンの登場に想いを馳せる

去る2022年7月15日、トヨタ自動車が新型クラウンを発表しました。 1955年に登場したこのクルマ、16代目となる新型クラウンは、あまりにもそれまでとは様子が違うクルマになっていました。 正直、初めて見た瞬間、とても大きな衝撃を受けたほどです。 今回はそんな新しいクラウンの誕生を受けて、私が抱いた第一印象から、そもそも「クラウンとは?」について、少し考えてみたいと思います。 ■新しいクラウンを目にしたとき、もうクルマ好きを辞めようかと思った 第一印象で私がどう思ったか。 それはそれはもうショックでした。 この国で生きてきて、何か「絶対に変わらないもの」がクラウンである。 そんなふうに思ってきたのかもしれません。 それも私の勝手な解釈ではあったのですが、そんな身勝手な決めつけは「クラウンに裏切られた」とさえ感じさせたものでした。 そして思ったのが「あんなクラウン、もうクラウンではない。もういっそクルマ好きなんて辞めてしまおうか」そう思ったほどです。 こんなにシャープに、そして明確にそんなことを思ったクラウンは初めてでした。 お役人が運転手付きで乗る。 パトカーに採用される。 日本の社会では、ある種の信用を示す証のようにも受け止められることがあるクルマ。 クラウンに乗っている人は信用しても良い。 この国特有のクルマがクラウンでした。 けれども私が今までこのクルマに抱いてきたそんなイメージを、綺麗にそして大胆に崩しさるだけのものを、新型クラウンは持っていました。 ご実家がタクシー会社だった自動車評論家の故・徳大寺有恒さんもこんなことをおっしゃっていたように記憶しています。 「幼少期から新しいクラウンが登場するとそれがやがてタクシーのフリートとしてとても身近な存在。自動車評論家をしているのは、新しいクラウンをキャッチアップするため」と。 徳大寺さん、ご自身の愛車にはいつも輸入車を乗り継いでこられ、ともすると「クラウンの対局」のようなクルマがお好きという印象があります。 好みは好みとして、ご自身の歩幅と、日本の自動車とどういう位置で歩き続けるかをしっかりと意識されていた言葉という風に感じられてとても印象的な記述でした。 いつも服装初め身につけるものも洒落ていて、ファッションも大切にする。 そういう人がこう口にしたことも、私に「クラウンは信頼のブランド」と認識させてきた大きな理由となってきました。 そんなクラウンの変わりようには正直相当ショックを受けた。 これが正直私の16代目クラウンに対する率直な第一印象でした。 「膝から崩れ落ちるような」ト書きにそう書かれていても多分ピンと来ないでしょう。 しかし、あのときそれがどういうものかわかった気がしました。 私はいっそ、クルマ好きを金輪際やめよう、そう思ったほどの衝撃を受けたのでした。 ■「変貌」はしたが、「変容」はしたか?ブロンズのボディカラーに撃ちのめされた ただしかし、そんな衝撃は半日と経たずに、撤回を強いられることになるのです。 四つのボディタイプ。その中でも「クロスオーバー」と呼ばれる4ドアクーペでやや車高を上げたようなボディ。 この手の「変わり種」はもともと嫌いではありません。 ネット上を飛び交う写真をいろいろみていたら、これのブロンズのボディカラーが目につき「もしかしてとても良いかも」と思えてきたのです。 これは1980年代頃のザガートのデザインを受け入れていく過程にとても似た現象だと思いました。 第一印象、怒りを帯び、半ば嫌悪感さえ感じるようなあの感覚。 しかしながらそれらを眺めていて「あれ?もしかして秀逸かも」と、ちょっと好感を持ちはじめ、ちょっと気に入ってしまったら最後。 その魅力に取り憑かれ、自分が最初に下したイメージさえ、綺麗さっぱり切り捨てて忘れ去り、その魅力の虜になってしまうものです。 この時点で、クルマ好きを辞めるのを止めることにしたのはもちろんのこと、むしろすっかり「新しいおじさんグルマ」で欲しい車種リストの方に名を連ねる始末。 この優柔不断な感じは我ながらいかがなものかと思いますが、いやいや、柔軟性と呼んでほしいという自分もいたりして。 少なくとも今までに感じたことのない「新型クラウン」の誕生を迎えたのでした。 見た目の新奇さはしかし、4代目クジラクラウンの現代的解釈?と取れなくもないものですが、それ以上に「クラウンの有り様」の面で変革を打ち出したように感じるのです。 「変貌にも勝る変容」それが16代目の本分なのでは?そんな気がしているのです。 ■消える伝統と生き延びる革新 ボディタイプは4種類、最上位に6気筒エンジン搭載グレードを据えて、FRレイアウトを、というのはいつの時代の話だ、ということなのではないでしょうか。 私の幼少期からこの世に存在するクラウンも、景気が右肩上がりで成長していた頃は4年に一度実施されていてモデルチェンジで現れる新型クラウンも、いつでもそんな構成でした。 よって、もはやそれが常識、自然現象、抗うことのできないこの世の重力のように受け止めてしまっている自分を、改めてこの16代目のクラウンは自覚させるのでした。 しかし、そうでなくてはならない理由などどこにもないのです。 「伝統のクラウン」はこちらの勝手な決めつけであり、初代はトヨダ謹製「純国産乗用車」むしろ大いにチャレンジの旗手であったし、常に新時代の門を開けてきたのがクラウンだったのです。 確かに長いこと変わらなかった部分もあって、初代から、基本となっていたドライビングポジションなどはペダル・ステアリング・着座位置などで初代から相当最近のモデルまで守っていたのかもしれません。 ただ、日本人も食生活も生活様式も変わりました。 平均身長も手足の長さも、ちょっとした外国人のようになった部分があります。 あの佇まい以外にも、いわゆるぼんやりと、なんとなくムードで世の中の要請に応え続けてきたクラウン。 それで良いのか果たして?という部分もあったのではないでしょうか。 白い、コンサバティブなフォルムと佇まいのクラウン。 それを踏襲し続けて「市場よ!果たしてそれで本当に君たちは買うのか?このクラウンを!」とかなり声高に問いかけ、そうはいかないだろう!ならば、そういう声に翻弄されない!という一つの決心のようなものをこのクルマから感じるのです。 語られる「伝統」は往々にしてすでに「過去のこと」であります。 しかし、実は立ち位置を踏まえて、いろいろと試行錯誤を繰り返して、もちろん悩み、迷ったうえででも変革したモノが、後からその足跡を振り返ったときに「伝統」のブランドと呼ぶに足る継続と歴史を積み上げているということなのではないでしょうか。 クラウンとスカイライン。 この国において「伝統」という言葉に緊張感を持って向き合っているクルマだと思います。 それぞれに守るものと捨てるものの間で葛藤し、市場の声に翻弄され続けてきた歴史を持つクルマだと思うのです。 とにかく作り手としての「私はこう行く」というプリンシプルをここまで強く貫いている新型車の登場は、あまり記憶にありません。 ■「クラウンである意味」とは? ここまでの変わりようを目の当たりにすると、ここまで変わるなら「クラウンである意味あるの?」という疑問も出てきます。 実際にそんな意見SNSでは見られました。 しかし私が思うにクラウンだから意味があったのではないか、ということです。 おそらく、過去に囚われないクルマ作りはされているかもしれません。 おそらく色んな要素が盛り込まれているでしょう。 その意味では「キャラクター設定」みたいなものもはあったにせよ、その中での自由は案外あったかもしれません(この部分は是非一度実際に乗ってみたい。そして判断したいところです)。 ただ、クラウン自体のあり様に関しては、かなり掘り起こして、読み解き、矛盾も違和感も伴わない再定義のようなことはかなり綿密かつ厳格にやったのではないでしょうか。 「誰が観ても未だかつて観たことのないクラウン」にして「一度乗ればこれが令和のクラウンだと感じることができる」のような匙加減について、そのバランスは、結局未だに一度も実物を見れていないのですが、かなり楽しみなところです。 などなど、考えていくと、クラウンでなくても良いのかもしれないが、やはり「それをクラウンでやる」からこその意味があるのかも、という気がするのです。 ■ブレシア森さんにとっても原点はクラウン 先日、宇都宮で古くは戦前車から整備修理を手がけるクラシックカー専門ガレージ「スクーデリア・ブレシア」を訪れた際、リフトの上で一台の古いクラウンが整備中でした。 これはなんでも、代表の森さんのお父様が購入されたクラウンとのこと。 「購入してすぐに亡くなってしまったので父の片身でもあるんです。子供の頃空き地でこれを動かしたりしていたもんだから、クルマの道に進むことになったようなもんですね。この音!聞いてみて!塗装は一度やりましたが、そのほかは基本的にフルオリジナル。これがクラウンのクオリティですね」 と話しながら、ドアを開け閉めしてくれました。 厚手な鉄板で作られて、チリも綺麗に整い、半世紀以上経ってもブレのない重厚に整った開閉音。 モノづくりの威光のようなものを感じさせます。 おそらく、日本車の第二章が今からはじまるのではないか。 そのくらいのエポックメイキングさが16代目のクラウンには感じます。 ブレシアの森さんも、新しいクラウン「面白そうだね」と興味あるご様子。 もちろん普段昔のクルマを扱っているからという面もあるでしょう。 反動と言いますか。 しかし、決して「一蹴」しない見立て、筆者のような若輩の身がこういう新登場に心揺さぶられないことはなんだか恥ずかしいことのようにさえ感じたものでした。 同時に、私が受けた衝撃からの心惹かれていく過程。 なかなか今までにないセンセーショナルな一台が登場した、とまでは間違いないように感じるのです。 今まではどこかの国のどこかのクルマ目指してで来た日本車。 今ここにようやくそういうものとは決別した「我が道」で行くクルマづくり、そのスタートラインに立てたのかもしれない。 そんな気持ちにさせる一台、それが新しいクラウンなのではないか。そんなふうに感じたのです。 みなさんは新しいクラウン、どう思われました? 路上でこのクルマを見る日がいまから待ち遠しい。 そしてできればアルプスを超えてヒスイ海岸くらいまでドライブに行きたい。 そんな気持ちでいっぱいなのですが。 [画像/トヨタ ライター・撮影/中込健太郎]  

絶対楽しい旧車ライフ超入門!!その2 各年代に触れ、雰囲気も楽しむ
旧車の魅力と知識 2022.08.26

絶対楽しい旧車ライフ超入門!!その2 各年代に触れ、雰囲気も楽しむ

■まずは自動車誕生の時代からの歴史を振り返ってみよう ●蒸気自動車の誕生から技術の確立 最初の自動車は、重量級の荷物を運ぶため、頑強な台車の先端に馬の代わりに蒸気エンジンを付けたもので、1769年に誕生した。 その後、ワットは蒸気機関をさらに改良、高効率化と著しい信頼性の向上に成功している。 さらに、ピストンの上下運動を回転運動に変える技術で特許を取得。 こうした新技術の確率により、1700年代後半になると、人間用の馬車も蒸気自動車へと移行していったわけだ。 ●対抗する動力源の出現 第1号はバッテリー&モーター!? その後、蒸気機関は技術を進化させながら、100年以上も自動車の主力動力として君臨するのだが、同時期に別の動力源を模索する流れもあった。 最初に頭角を現したのは電気自動車だったという。 おそらく、廃バッテリーの処理問題や、電解液漏れ防止の難しさなどの扱いにくさ、充電時間や航続距離などの問題が多々あったと思われるが、蒸気自動車の一角を崩すことには成功したようだ。 ●次世代の主力、ガソリンエンジンの誕生と乗用車の普及 ガソリンエンジンの登場は1886年のこと。 それは、G・ダイムラーの四輪車と、C・ベンツの三輪車だ。 上の画像は1889年のダイムラーだ。自転車のような細いタイヤに時代を感じる。 1900年代初頭の段階では、高速性能面も含め、蒸気自動車優位の状態でスタートしたようだが、自動車産業界にアメリカが参入したことで大きく変貌を遂げることになる。 そう、大衆化の潮流である。 ヨーロッパでの自動車は、上流社会のステータスという存在だったが、アメリカでは馬車に代わる一般大衆の長距離移動手段。 オールズ・モビルは量産化によるコストダウンに成功、フォードは当初より大衆車を目指して構造の簡素化とイージードライブに徹したT型フォードを開発し、自動車の普及に大きく貢献した。 上の画像は1909年式 Ford Model T Town Car。この時点でのスターターはまだ手動式だった。 加えて、セルスターターシステムの発明も大きなポイントである。 手動でクランクを回してエンジンをかける従来方式から解放された事で、非力な女性オーナーにも容易に扱える道具となったわけだ。 ■日本での自動車産業黎明期 日本での自動車生産は、1904年の山羽式蒸気自動車に始まるが、実用上の国産一号車は、1907年の純国産ガソリンエンジン車である、吉田式「タクリー号」だった。 ただし、残念ながら当時、日本の工業技術は未熟で、多くのチャレンジはあったものの、成功を遂げたモデルはなかった。 やがて、GMとフォードがノックダウン生産を始めると、国産メーカーは解散。 その後、1932年に、現在の日産自動車の前身「ダットサン商会」が、翌33年には現在のトヨタ自動車の前身となる「豊田自動織機製作所自動車部」が設立され、国産自動車開発にチャレンジを始めたが、第二次世界大戦前には軍需用トラック製造が優先されることになる。 ■国産乗用車生産の実質的スタートは第二次世界大戦後 日本国内での自動車生産が自由にできるようになったのは、1949年に、GHQによる自動車生産制限が解除されてから。 上の画像は、純国産を貫いたトヨタのトヨペットクラウン。1955年に発売された。 創業以来、純国産を貫いてきたトヨタはそのフィロソフィを貫いたが、1951年に東日本重工(現三菱自動車)がカイザー・フレイザー社製「フレイザーJ」のノックダウン生産を開始したことを皮切りに、53年頃から、日産はオースチンのA40、日野はルノーの4CV、いすゞはルーツのヒルマンのノックダウン生産をスタートしている。 その後も多くのメーカーが自動車メーカーとして名乗りを上げ、自家用車普及を目的とした1955年の国民車構想政策にも後押しされ、日本独自のユニークなクルマが数多く誕生した。 そして、1964年のオリンピック開催地が東京に決まると、高速道路などのインフラも急速に充実し、クルマの高性能化競争や価格競争が激化。 現在も愛され続ける、数々の名車が誕生したのだ。 ■国産旧車、年代別の特徴と魅力 ●1960年代以前 最初から純国産を貫いたトヨタを除けば、アメリカ、イギリス、フランス製車両のノックダウン生産車から国産乗用車はスタートした。 特に、日産が生産したオースチンA40&A50は、本家バージョンの熱狂的愛好者が多いだけに、古いわりにパーツ供給の不安は少ない。 上の画像は、日産がノックダウン生産したオースチンA50ケンブリッジ。今見るとなかなか洒落ている。 また、初のダットサンとして知られる、ダットサン110型が登場したのもこの時代だ。 純国産を貫いたトヨタからは、観音開きが特徴で、現在でも優れた実用性を持つ初代のトヨペット・クラウン&トヨペット・マスター、初代コロナ(ST10型)などがリリースされている。 その他では、プリンス・スカイライン&グロリア、スバル360、ダイハツ・ミゼット、そしてダットサン・ブルーバード(310型)が誕生している。 この年代のクルマ達はまさに文化遺産。 日本の産業文化史に残る個体を動態保存しているのだ、と、誇りを持って楽しんでいただきたい。 ●1960年代 ある意味、最も輝いていた時代が1960年代だ。 1964年に開催される東京オリンピックに向け、道路の舗装、高速道路建設などのインフラも急速に整備され、各メーカーの開発競争、販売競争も激化。 多くのニューモデルが誕生しただけでなく、従来車のモデルチェンジやマイナーチェンジサイクルが短かった時代だ。 また、二輪の世界で大成功をおさめたホンダが、初の四輪車としてS500&S360を発表している。 実際に発売されたのはS500だけだったが、S360用に開発したドライブトレーンを搭載した軽トラック、T360を発売。 スポーツカー用エンジンを搭載した軽トラであり、農道のフェラーリなどと呼ばれ、趣味人にも人気が高いモデルである。 ホンダがF1レースに初参戦したのもT360発売と同時期、1963年8月のことである。 マツダが四輪車市場に参入したことも大きなニュース。 この画像は、マツダ初の四輪自動車として1960年に発売されたR360クーペ。62年にはファミリーセダンのキャロル360を加え、日本のモータリゼーションに貢献した。 R360クーペ、キャロル360の発売から、初代ファミリア、ルーチェ、そしてコスモスポーツに始まるロータリーエンジン搭載車シリーズの発売まで、一気にトップブランド総合自動車メーカーの一角を担うまでに成長した。 逆に、高度な技術をウリにしていた名門であるプリンス自動車が、日産自動車に吸収合併されたのもこの時代の出来事。 また、通産省による自動車産業再編構想の影響もあって、日野自動車とダイハツはトヨタグループとなり、日野は乗用車事業から撤退している。 この年代のクルマは、個性に溢れるモデルの宝庫であり、我が国におけるクラシックカー趣味の主役といえる年代。 特に東京オリンピック以降に誕生したクルマ達の強い個性は別格。 そのクルマのオーナーになったその日から、メーカーや設計者の理念を感じるに違いない。 自分好みにモディファイするのも良いが、できることならノーマル状態を知り、設計者との時空を越えた対話を楽しんでもらいたい。 いや、そうすることが先人に対する礼儀であり、クラシックカー趣味道入門の心得だと思う。 ●1970年代 70年代は激動の時代となった。 アメリカのマスキー法施行によって、排出ガス中に含まれるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の量を1/10以下にすることが決定されたことを受け、日本でも排出ガス規制を強化することになったのだ。 日本では、本家が施行を延期する中、より厳しい規制値を定め、それをクリアするべく全メーカーが生き残りをかけて開発に注力することになる。 そのため、70年代のクルマは、規制強化前で60年代の余韻が残る70~73年、段階的に強化される規制値クリアに四苦八苦していた73~77年、目標規制値達成後の78年以降と、大きく3パターンに分けられ、それぞれの時代背景を感じるクルマが誕生している。 特に興味深いのが、公害対策をクリアしながら生き続けたトヨタのツインカム・エンジン車たち。 カタログから消えた時期もあったし、対策前よりパワーダウンはしているが、2T-G型や18R-G型搭載車の存在は、当時も現在も趣味人を刺激する。 この画像は、セリカLB2000GT。排出ガス規制をクリアした18RGE-U型エンジンを搭載している。 なお、JCCA(日本クラシックカー協会)主催のイベントでは、レースについては1975年以前に生産されたクルマ、展示イベントの場合は、基本的に79年までに発売されたクルマ、またはその同型車と規定されている。 つまり、旧車の中でもクラシックカーの世界を楽しみたいのであれば、70年代までの車両にこだわった方が賢明だろう。 ●1980年代  この時代の特徴は、多くの国産車が、FRからFWDへと移行したことだ。 そんな中、時の流れに抵抗するようにFRを貫いたAE86やFC型RX-7などは、人気アニメ「イニシャルD」の影響もあって、世界中に熱狂的ファンが生まれている。 もちろん、FWD車にも魅力的なモデルが多く誕生しているが、FR車が華やかだった最後の時代という風潮が強いためか、この時代に生まれたFWD車は、中古車市場での人気が低い。 たとえば、FRの310型サニーとFWDになってからのB11型サニーでは、市場価格に数倍の差が出てしまうし、他の車種でも同様の傾向があるのだ。 失われたパワーをカバーするターボ車が注目されるようになったのも80年代の特徴。 ただし、初期のターボ車は、3000回転を越えたあたりから急に目覚める「ドッカン・ターボ」だったので、回転を上げれば強いGを感じる強力な加速を楽しめるものの、低回転域でのトルクはNAモデルより小さく、街中では扱いにくいことを知っておくべきだろう。 この画像は、日本初のターボ搭載車となった430型セドリック。グロリアとともに、1981年に発売された。 全体を見ると、インパクトの強いモデルが少ないように思えるが、80年代半ば以降に誕生したモデルの多くはエアコンも装備されているだけに、日常的に使いやすい旧車として狙ってみたくなってしまう。 主にヨーロッパの市場で高く評価された、1978年発売のプレリュードに始まるパーソナルカー市場も、80年代の大きな特徴だが、その極め付けは81年に発売されたトヨタ・ソアラだ。 当時の最先端技術を惜しみなく投入した高級パーソナルカーであり、動力性能、快適性能共にライバルを寄せ付けないクルマだった。 80年代も後半になると、バブル景気で日本経済全体が急成長する。 クルマの世界でも、輸入車が爆発的に売れ、特に人気が高かったBMW320iに代表される3シリーズBMWは、六本木カローラの愛称(?)で、若者の間に浸透した。 本来はハイソサエティカーとして誕生した、日産のシーマも予想以上に若者の人気が高くなった。 シーマ現象と呼ばれる不思議な傾向で、ただ所有し優雅に乗るだけでなく、大胆なシャコタンとキンキラのモールやオーナメントを基本とするVIPカーという世界が確立したのだ。 まぁ、楽しみ方はイロイロだが、80年代半ば以降に生産されたクルマなら、快適装備も問題なく、日常的な使用もノープロブレムという点も魅力。 旧車の香りと現在の快適性がうまく調合されたモデルが多いので、旧車入門にもオススメの年代だ。 ●1990年代以降 80年代後半から90年代前半までの数年間は、まだバブル景気の勢いがあったためか、ユニークなクルマが多く誕生している。 日産のBe-1、パオ、フィガロ、エスカルゴ、そしてトヨタのオリジン、クラシック、WILLシリーズ、ダイハツのミゼット2など、いわゆるパイクカーが大量発生したのだ。 こうした、シリーズとしての継続性がない、いわばメーカー純正のカスタム車両は、比較的新しい旧車といえる90年代車両独自の世界かもしれない。 国産車としては約20年ぶりとなるオープン2シーター、89年発売のマツダ(ユーノス)ロードスターも90年代を代表する趣味人御用達実用車。 この画像は、ミアータの名で先行発売された輸出仕様のロードスター。軽快な運動性能で、スポーツドライビングを満喫できる。 ミッドシップのホンダビート&トヨタMR2、FWDのホンダCR-X、FRのマツダロードスター、日産シルビア&スカイライン、ホンダS2000と、各駆動方式ごとにワクワクするモデルが誕生している。 さらに、98年にはFRの4ドアセダン、トヨタはアルテッツァを発売。 ドライビングを楽しめる正統派スポーツセダンとして、人気上昇中のようだ。 旧いといってもまだ新しい年代なだけに、残存する絶対数は多いはずだが、かなりの数がアメリカに輸出されていることも事実だ。 これは、製造から25年以上経過した車両はクラシックカー扱いとなり、ハンドルが右であっても、アメリカに持ち込むことが可能となるルールがあるから。 国内の旧車ファンにとっては、価格高騰に直結するだけに迷惑な話しだ。 アルテッツアも間もなく25年ルール適用となるので、興味があるなら、早めに動いたほうが良さそうだ。 ■まとめ:旧車の世界は奥が深い ここまで、クルマ誕生の歴史から、国産乗用車誕生にふれ、大雑把であるが各年代の時代背景を確認してみた。 本当はもっと深く考察し、その時代を疑似体験できるほど掘り下げ、そのクルマが生まれた年代の社会環境を感じてほしい。 要するに、あなたが選んだそのクルマとの生活を楽しみながら、当時の空気感というか、イメージというものに理解を深めていっていただきたいのだ。 そうすれば、多くの旧車ファンが敬遠する、近代的な色への塗り替えや、最新の超扁平タイヤなど、時代に合わない手法でのモディファイを選択することもなくなるだろう。 時代というものにこだわるのは、クルマは道具であると同時に、その時代が生んだ文化遺産だからだ。 でもね、ボディだけを活かして、エンジンは別のクルマからスワップするのも一つの楽しみ方だし、時代は合わないけど夜間走行の安全性優先でヘッドライトをLED化するのもアリ。 まぁ、イロイロ言ったところで、楽しみ方は千差万別なのだ。 [画像/トヨタ・日産・マツダ ライター/島田和也]

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