「車売却ってそもそもどんな流れなのか」「車の相続について相談したい」など車売却をご検討の際に出てくる悩みに無料でお答えいたします!
【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
第2世代スカイラインGT-R最後のモデル・R34型スカイラインGT-Rの中で、今も高い人気を集めているのがVスペックやVスペックⅡです。スカイラインシリーズ究極のGT-Rとの呼び声が高いR34型スカイラインGT-Rの最上位グレード、VスペックとVスペックⅡの違いを紹介します。 R34型スカイラインGT-R最上位グレード・Vスペック 日産の誇る国産最高峰のスポーツカー、R34型スカイラインGT-R(BNR34)にはいくつかのグレードが設定されており、中でも最上位に位置するのがVスペックです。 まずは、Vスペックがベースグレードと比べてどんな箇所が強化されていたのかに加え、VスペックとVスペックⅡの違いについて紹介します。 Vスペックは究極のGT-R 充実した装備と高い走行性能を誇るR34型スカイラインGT-Rの中でも、Vスペックは上位グレードとして設定されました。専用のエアロパーツや特別にチューニングされたサスペンションなど、R34型スカイラインGT-Rの性能をさらに高める装備を搭載しています。 ベースグレードとVスペックで大きな違いと言えるのが空力です。フロント下部に樹脂製、リア下部には国産量産車初となるカーボン製のディフューザーを装備し、さらに角度調整が可能なリアウィングと組み合わせることで強力なダウンフォースを発生させます。 「アドバンストエアロシステム」と呼ばれるこのエアロパッケージは、ボディ下部の空気を整流してダウンフォースを発生させるという、レーシングカーと同じ発想で開発されました。 そのほかにも、アクティブLSDを含むATTESA E-TS PROやフロントブレーキに走行風を送って冷却する導風板など、Vスペックにはベースグレードにはない装備が数多く搭載されています。 R34スカイラインGT-RのVスペックは前期、後期に分かれている R34型スカイラインは、発売1年後の2000年にマイナーチェンジを実施しました。Vスペック(前期型)は仕様が更新され、VスペックⅡ(後期型)へと進化を遂げます。 Vスペック N1のみに装備されていた322mmのリア大型ブレーキローターが全車標準装備に変わるなど、メーカーが強い意欲を発揮したマイナーチェンジとして知られています。内外装はVスペック以上にスパルタンな印象になりました。 VスペックとVスペックIIの違い VスペックからVスペックⅡへのマイナーチェンジで決定的に変わった点は、実はそれほど多くありません。また、すべてにおいてVスペックIIのほうが優れているというわけではないことも覚えておきたいポイントです。さらに、レース仕様をそのまま踏襲した特別仕様車についても紹介します。 よりスパルタンになりつつコストダウンも目立つ VスペックⅡへのマイナーチェンジでもっとも大きく変わったのは、量産車として初めてカーボンボンネットが採用された点です。ボンネットの変更で4kgの軽量化に成功し、さらにNACAダクトの追加によってタービン付近の温度低減も図られています。また、ウィンカーレンズがクリア化され、内装ではペダルがアルミペダルに変更されるなど細かな点のアップデートで、よりレーシーな内外装になりました。 すべての装備が豪華になったわけではなく、コストダウンを目的にヘッドライトのレベライザーやバックランプ周りのシルバー塗装などいくつかの装備や装飾が廃止されました。 Vスペックをさらに進化させたN1仕様と ニュル Vスペックには、N1耐久レース参戦用ベースモデルとなるN1仕様車や最終モデルとして投入されたVスペックⅡ Nür(ニュル)があります。特にR34GT-R販売最終年に投入されたVスペックⅡ Nür(ニュル)は、「大人のGT-R」として発売されたMスペックと合わせて1,000台限定で販売されました。 ウォーターポンプ、エキゾーストマニホールドなど、通常のVスペックとは異なるピュアレーシング仕様で、エンジンも個別にバランス取りがおこなわれているうえ、N1仕様のメタル製タービンも装備されています。 価格的にはVスペックのほうが安い アメリカ国内で、初年度登録から25年以上経過した右ハンドル車の輸入と販売が解禁される、通称「25年ルール」をきっかけに、1990年代~2000年代初頭の日本製スポーツカーが高騰し続けています。中でも、R32型からR34型のスカイラインGT-Rは、ある種異様なまでの暴騰と言っても良い状態です。 大手中古車サイトで検索すると、2000年式のVスペックが約2,500万円、2002年式のVスペックⅡNur(ニュル)ともなると5,500万円もの価格がついていました。また、掲載されている車両の多くは価格が表示されておらず、かなりの高値で取引されていることは間違いありません。 旧車王の買取上限価格は、Vスペックが1,500万円、VスペックⅡが2,000万円が目安です。「R34型GT-RのVスペックを所有しているがあまり乗っていない」という方は、売却を視野にいれて相談してみてはいかがでしょうか。 また、R34型スカイラインGT-RのVスペックやVスペックIIの購入を検討している方は、今後さらに高騰する可能性もあるので価格の動向に注意しましょう。 ※中古車相場は2022年10月原稿執筆現在
発売から20年以上経過した現在も多くのユーザーから支持を集め、販売され続けているボルクレーシング TE37。コンケイブ形状に仕上げられた6本スポークのシンプルなデザインは、発売当時から変わりません。市場には毎年のように新しい形状のアルミホイールが投入されるなか、なぜこれほど長い間愛されるモデルとなったのか、TE37の魅力に迫ります。 国産鍛造ホイールの金字塔TE37 TE37は、国産ホイールメーカーレイズの手がけるスポーツブランド、ボルクレーシングから発売されている鍛造スポーツホイールです。一般向けのホイールとして当時まだ珍しかった鍛造を採用し、高い性能を実現しました。 1996年の発売以来、変わらぬデザインと人気を獲得し続けるTE37の特徴と、鍛造により実現した高い性能について紹介します。 ボルクレーシングのトップモデルに君臨 2022年現在も、ボルクレーシングのトップモデルとして君臨するTE37が発売されたのは1996年で、発売以来変わらぬデザインを継承し続けています。当時すでに設立20年を迎えていたボルクレーシングの技術を結集し、アルミホイールに求められる剛性、軽量性、デザイン性のすべてを兼ね備えたモデルとして開発されました。 応力を分散する6本のスポークを配した1ピース構造を実現し、高剛性と軽さを両立したことがTE37最大の特徴です。 15インチホイール1本の重量がわずか3.7kgというのは、発売当時としては規格外の軽さで、モデル名の由来にもなっています。1本37,000円という価格も、ボルクレーシングの重量「3.7kg」に対するこだわりを感じるポイントです。 また、余計な華飾のないシンプルなデザインで、装着車種を選ばなかったことも人気を集めた大きな理由といえます。 鍛造によって実現した軽さと剛性 鍛造を採用することにより、TE37の剛性・軽さの両立が実現しました。。比較的安価に複雑なデザインを表現できる鋳造ではなく、あえて鍛造を選んだことがTE37の成功につながったといえるでしょう。 鍛造とは、熱した材料に圧力をかけて成形し、アルミの分子結合をより強固にする製法です。分子結合が強固になると反復応力に対しての剛性が生み出され、その分軽量に製造できます。 また、鍛造で成形すると成形後の内部応力が残らないので、製品自体の精度向上も叶えられます。 長年愛されるTE37の魅力 TE37は、スポーツホイールに求められる性能をすべて満たしたホイールです。しかも、6本スポークというシンプルなデザインは、まさに機能美と呼ぶに相応しい仕上がりで、どの車種に装着してもフィットします。 場面や車種を問わず広く使用できるTE37は、一般ユーザー向けホイールの最高傑作ともいえるモデルです。軽さと剛性、デザイン性のすべてを兼ね備えたTE37の魅力をさらに詳しく紹介します。 圧倒的に軽いのに高剛性 TE37の軽さは、当時大きな話題となりました。スポーツ走行のみならず、クルマそのものの走行性能を高めるうえで、バネ下荷重の軽量化は欠かせないポイントです。 バネ下荷重を軽くするとサスペンションの動きがスムーズになり、結果として路面からのインフォーメーションが掴みやすくなります。そして、操作をダイレクトにタイヤへ伝えられます。 一方で、クルマの安定走行にはホイールの剛性も重要です。特にサーキットをはじめとしたスポーツ走行では、ホイールの僅かなたわみがタイムロスに繋がります。さらに、縁石や路面の凹凸による衝撃で破損してしまうホイールでは、安心して走行できません。 ただし、剛性を求めるとその分肉厚になり、当然ホイールの重量は増えてしまいます。TE37が人気を集めている最大の理由は、鍛造製法とデザインによって高い剛性力を実現しながらも、軽さも犠牲にしていないことでしょう。軽さと剛性という相反する2つの性能を高次元で実現したホイールだからこそ、今なおボルクレーシングのトップモデルに君臨しています。 コンケイブ形状を採用した先進のデザイン 性能だけではなくデザイン性の高さも、TE37の大きな魅力です。高剛性を実現した6本ホイールに加えて、コンケイブ形状を採用し、シンプルながら単調にならないスポーティーなデザインとなっています。 コンケイブとは「くぼみ」という意味で、ホイール中心に向かい落ち込んでいくデザインを指します。当時は“コンケイブ”という言葉も浸透していなかったので、“逆反り”などとも呼ばれていました。 また、TE37のコンケイブデザインは、サイズごとにフェイスが異なっており、ビッグキャリパーにも対応しています。 TE37は今も新モデルが投入され続けている 手頃な価格設定もTE37が支持されている理由の一つです。一般的にコストが高くなる鍛造ホイールを、一般ユーザーも購入しやすい価格で提供したことで、鍛造の良さを世間に知らしめました。 高剛性で軽量、しかもデザイン性も高いのに手の届く価格を実現したTE37は、発売時にすでに究極のモデルだったのかもしれません。現在も、TE37は販売継続しており、さらに限定モデルも含めて派生モデルが続々と投入されています。愛車のアルミホイール選びに迷ったら、国産ホイールの金字塔ともいえるTE37もぜひ検討してみてください。
SR20型エンジンは、日産製の直列4気筒エンジンでシルビアや180SXなどさまざまな車種に搭載されてきました。このエンジンは今でも多くのファンに愛され、熱い要望によって2022年9月には30機限定で新品エンジンの再販が決定したほどです。そこまで愛されるSR20型エンジンとは、どのようなエンジンなのでしょうか。今回はSR20型エンジンの歴史とその魅力を紹介します。 SR20型エンジンを記憶に残る名機押し上げたシルビア&180SX SR20型エンジンは、パルサー GTI-R(RNN14型)や初代エクストレイル(T30型)などの高出力モデル、さらにセレナやアベニール、ブルーバードなど、日産車に幅広く採用されてきました。まさに日産の主力エンジンといえるでしょう。 そのなかでもSR20型エンジンを一躍有名にした車種といえば、多くのスポーツカー好きに愛されるシルビア&180SXです。S13シルビアには通称S13と呼ばれる5代目の後期(PS13型)以降、180SXは中期以降(RPS13型)に、SR20型エンジンが搭載されています。そこで、まずはシルビア&180SXの歴史を振り返るとともにSR20型エンジンについて紹介します。 デートカーとして開発されるもスポーツカーとしてヒットしたS13型シルビア S13型シルビアが発売された1988年といえば、デートカー全盛の時代です。中でも一際高い人気を博したプレリュードの牙城を崩すべく、S13型シルビアもデートカーとして開発が進められました。 FF車のプレリュードに対し、日産はフロントエンジン後輪駆動のFRを採用。S13型シルビアがデビューした頃は、トヨタのカローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)が生産中止となり、コンパクトでスポーティなFR車が存在しない時期でした。その結果、当初はデートカーとしての開発されたS13型シルビアでしたが、日産の思惑とは裏腹にコンパクトFRスポーツカーとしての人気を伸ばします。 CA18型エンジンからSR20型エンジンへ 発売当初、S13型シルビアにはCA18型という1,800ccのエンジンが採用されていました。しかし、1991年のマイナーチェンジで2,000ccのSR20型へ変更されます。 ターボ仕様のCA18型エンジンは最高出力175psを発生し、当時としては十分なパワーをもっていましたが、設計自体が古く鋳鉄製で重量があるという点が問題視されていました。そこで、CA18型エンジンに代わって採用されたのがSR20型エンジンです。アルミブロック製で軽量コンパクト、出力もターボ仕様で205psと大幅なパワーアップを果たしました。 S14型・S15型シルビアのSR20型エンジン S14型シルビアのターボモデルで最高出力は220ps、さらに1999年に発売されたS15型シルビアではSR20型エンジンの最高点とも言える250psに到達しました。 S14型シルビアに比べてコンパクトなS15型シルビアは、走り好きなドライバーには評価されましたが、当時のミニバンブームに押されて販売台数が伸び悩みました。流通台数の少ないS15型シルビアに搭載されたSR20型エンジンは、現在は大変希少なエンジンといわれています。 SR20型エンジンの特徴とウィークポイント 発売当初から走りにこだわるドライバーに支持されたSR20型エンジンですが、発売終了から20年経った今でもその人気は衰えていません。 快適な街乗りを叶えるだけではなく、峠やサーキットでの爽快なドリフト走行でも活躍するSR20型エンジン。ここからはさらに詳しく魅力を紹介するとともに、弱点についても解説します。 チューニングベースとして優秀なSR20型エンジン シルビアと180SXのヒットにより、SR20型エンジンのチューニングパーツが多く出回りました。こうした背景があり、チューニングベースのエンジンとして確かな地位を手に入れます。 ターボであるSR20DET型は、マフラーやエアクリーナーを交換するだけで比較的簡単にパワーアップでき、さまざまなチューニングメニューがラインナップされています。エンジン内部にまで手を入れれば、500㎰以上を狙うことも不可能ではありません。 ライトにチューニングを楽しみたいドライバーから、とことんパワーにこだわるドライバーまで幅広い層が楽しめるという点もSR20型エンジンの魅力の一つです。 また、S13型からS15型まで仕様は違うものの、FRレイアウトでターボモデルというパッケージ自体は変わりません。カスタムパーツの開発が長い期間続けられたことも、チューニングベースとして人気を集める理由です。 SR20型エンジンのウィークポイント 軽量コンパクトを狙ったアルミ製エンジンブロックなので、鋳鉄製のブロックに比べると強度や耐久性が劣ります。流通量の多いSR20型エンジンですが、中には手荒に使用されてきた個体も多く、中古のエンジンを使用する場合は注意しましょう。 また、ロッカーアームを介してカムを駆動しているため、直打式に比べ高回転に不向きです。さらに、「ロッカーアーム飛び」という高回転高負荷時にロッカーアームが外れる(破損する)SR20型エンジンならではの不具合も発生しやすくなっています。特にドリフトなど過酷な条件で使用されたエンジンは、アイドリングの安定性や異音など、注意深く確認する必要があるでしょう。 SR20エンジンが30機限定で再販決定! 八王子のチューニング&中古車販売を行うマーキュリーが、2022年9月にSR20型エンジンを再販しました。これはマーキュリーの代表が2年に渡り日産と交渉を続け、再販を依頼したこと。そして、再販を希望する多くのファンの声が届いたこともあり、台数限定で再生産されることになりました。 再販が決まったのはSR20DET型です。S15型シルビア用のターボエンジンで30機限定で販売されます。価格はで133万円(税抜)です。販売元はマーキュリー富士森店で、2022年9月26日10時〜から予約を開始し11月から納品開始予定となっています。しかし、販売される台数も少なく、かなりの人気が予想されるため、気になる方はすぐに問い合わせてみましょう。 まとめ SR20型エンジンはさまざまなカスタマイズやチューニングが可能で、自分好みに仕上げる楽しみがあります。そんなSR20型エンジンを搭載しているからこそ、シルビアと180SXが人気車になったといっても過言ではないでしょう。人気は未だに衰えず、ファンの熱い要望にメーカーが動かされ再販にも繋がりました。 省燃費性能をはじめとして、今は環境性能が求められる時代です。今後、純粋な内燃機関のスポーツエンジンが登場する可能性は低いといえます。純粋なスポーツエンジンを楽しみたいならSR20型エンジンを搭載した中古車を探しましょう。昨今シルビアや180SXの中古車価格は高騰し続けているため、今が購入のラストチャンスかもしれません。
メルセデス・ベンツのクーペ、及びロードスターの最高峰に位置付けられる“SLクラス”。そのルーツは、レースで結果を残したモデルをベースに開発された300SLです。しかし、同時に発売された廉価版の190SLも、300SLに劣らず魅力をもったクルマでした。SLクラスの確固たる地位を築き、現在も高い人気を誇るメルセデス・ベンツ 190SLの生い立ちを振り返ります。 SLクラスを世間に認知させた190SL メルセデス・ベンツの歴史上初めて“SL”の名が付けられ、自動車史に残る名車として認知されているのは300SLです。しかし、販売台数を伸ばし商業的に成功したのは、同時に発売された190SLでした。 SLクラスを世間に認知させその後のクラス存続にもつながったモデルともいえる、190SLの歴史を振り返ります。 伝説の名車300SLと同時発売された廉価モデル メルセデス・ベンツSLクラスが誕生するきっかけとなったのは、300SLのプロトタイプが、1952年のカレラ・パナメリカーナ・メヒコで勝利したことです。当時、世界一過酷と言われていた公道レースで勝ったことは、アメリカのスポーツカー好きから注目を集めます。 そこに今後の需要があると踏んだのが、アメリカで輸入車ディーラーを経営していたマックス・ホフマンです。当初300SLは市販される予定はありませんでしたが、彼の強い働きかけによって、1954年に300SLは生まれました。そして、300SLの製造を依頼するのと同時に、日常使いができるコンパクトで低価格なモデルとして製造を依頼して誕生したのが190SLです。 販売台数で300SLを大きく上回った190SL 190SLは、日常的に使えるクルマを目指して開発され、ボディサイズやエンジンのコンパクト化など随所にコストダウンが図られています。当時の販売価格は、300SLよりも4割ほど安く設定されていました。 コストに制約があるなかでも、ボディデザインにはこだわり、300SL同様の流麗なボディを実現。結果として、2万5,000台以上を販売するという大ヒットを記録します。300SLの販売台数が3,000台強ということを考えると、SLクラスを多くの人に広めたのは190SLと言って間違いないでしょう。 ただの廉価版ではない190SLの魅力 ベースモデルの300SLよりもエンジンは小型で、ボディサイズもコンパクトです。190SLは、いわゆるメインモデルの廉価版として製造されました。 しかし、メインモデルと変わらない美しいボディデザインや日常での取り扱いやすさなど、190SLは“SL”の名に恥じないこだわりが詰まったクルマです。ここからはその魅力を詳しく紹介します。 コンパクトながら官能的なボディデザイン 190SLの特徴は官能的なボディデザインです。300SLと比べて全長約300mm、全幅50mmコンパクトに設計されているにもかかわらず、独特な美しいボディラインは損なわれていません。 なお、300SLはレースカーと同様にガルウィング仕様も用意されていましたが、より多くのドライバーが楽しめるように190SLは最初からロードスター(幌)モデルのみの販売されました。(後にハードトップも追加)流麗なデザインでありながら誰でも手に届くクルマだったといっていいでしょう。 必要十分なパワーを持つ扱いやすいエンジン 190SLのエンジンは、105馬力を発生するキャブレター式1.9L直列4気筒SOHCです。215馬力の300SLに比べて劣るものの、100kgも軽量に作られている190SLにとって、当時としては十分なエンジンパワーでした。 また、レースカーライクでピーキーな300SLよりも取り扱いやすかった点も、190SLの成功につながったポイントです。 高いメンテナンス性 当時としてメンテナンス性が高かったことも、SL190が持つ特徴の一つです。日常使いというコンセプトは、性能面や価格だけでなく車両の内部設計にも反映されていました。 また、異なるモデル間でも共通パーツが多く使われていることも、クルマを長く維持するうえで重要なポイントです。190SLに関する情報のなかには、製造された個体の半数近くが現存していると推定しているものもあります。 手頃だった190SLも今やプレミアムカー 販売当初は、日常使いのしやすさと手頃な価格で人気を博した190SLですが、現在の中古車価格は手頃とはいいがたい水準で推移しています。販売終了から50年以上が経過し、いかにメンテナンス性が高くても年々在庫は減少しているためです。 大手中古車サイトで検索すると、1960年式の190SLに2,350万円の価格がついていました。また、検索結果に表示されたのはわずか3台。年式から考えても現存台数が多いと言える190SLですが、希少車であることには変わりありません。また、旧車王での買取価格を確認すると、10月に1750万円もの高額で買い取った実績がありました。 190SLを手に入れたい方は、市場動向をこまめにチェックし購入の機会を逃さないようにしましょう。また、お手元に190SLをお持ちの方は状態が悪くなる前に、高値で推移している今こそ売却を検討してみてはいかがでしょうか。 ※中古車相場は2022年10月原稿執筆現在
希少価値がある車は、中古車市場で高値で取引されているものの、事故の際に保険会社の補償を十分に受けられないケースが多いのが実情です。今回は、2022年9月に起きた希少価値が高い車の事故を例に挙げ、希少車が事故にあったとき、どうなるのか解説します。 希少車とは 希少車とは、生産終了や限定販売、流通台数の減少などにより、市場で高い価値になっている車のことです。ワインやジーンズなど希少価値が高い物(ヴィンテージ品)と同じように、車にも希少なモデルがいくつも存在します。そのため、希少車は新車販売価格を上回ることも珍しくありません。 希少車が事故にあった場合の補償はどうなる? 希少車が事故にあうと補償はどのようになるのでしょうか。ここからは、話題になっている希少車の事故の補償について解説します。 全損事故で購入価格の全額が補償されるとは限らない 2022年9月に発生した希少車の事故は、新車販売価格約300万円の車でしたが、中古車販売価格が450万円(車両価額400万円+カーナビやドライブレコーダーなど)のモデルです。しかし、保険会社から提示された時価額は180万円でした。なぜ、450万円で販売されている中古車の時価額が180万円なのでしょうか。 交通事故にあうと、その時の価値(時価額)での補償になることがほとんどです。車の時価額は、新車販売価格を基準に、経過年数や走行距離などを加味して算出するため、徐々に価値が下がっていきます。つまり、時間が経過とともに価値が高くなる希少車であっても、補償される時価額は下がる一方であるということです。 2022年9月に起きた希少車の事故は、時価額での補償になるか、「車=商品」という理由で時価額以上(販売価格=全額)の補償になるかが論点となっています。被害にあった販売店は、同年10月13日に「加害者側弁護士さんと示談交渉させていただき、満足できる回答をいただきました。」とコメントしていました。このことからも、今回の希少車の事故については、被害者側の主張が認められたといえるでしょう。 希少車向けの保険がある 市場価値が高い希少車が事故にあったとき、一般的な補償額で被害者が泣き寝入りしないための保険があります。希少車に乗るのであれば、クラシックカーや旧車に特化した保険に加入しておくとよいでしょう。ただし、加入には一定の条件があります。詳しくは希少車向けの保険を取り扱っている保険会社に問い合わせてみてください。 希少車が事故にあったときの対応方法は? 希少車で事故にあった場合、一般的な車と同じような対応となります。事故対応については次のとおりです。 1.負傷者がいるか確認(負傷者がいる場合は救急車を呼び、応急救護措置を行う)2.二次災害の防止措置(ハザードの点灯や三角表示版の設置、車の移動など)3.警察への連絡(事故発生場所を聞かれるため目印になるものを見つけておくと良い)4.事故相手の住所や電話番号などを聞く(目撃者がいる場合には目撃者の連絡先も聞いておく)5.相手の車両情報を記録する(車両登録番号=ナンバープレートや車種などをメモしたりカメラで撮影したりする)5.保険会社へ連絡6.診察を受ける(外傷がなくても念のため病院を受診する)7.示談交渉など(自動車保険の弁護士費用特約に加入していれば特約を使うと良い)
■第4回 ~アルミ弁当箱と旧車の意外な関係~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 今回からは「アルミ弁当箱と旧車の意外な関係」を語っていきたいと思います。 ■アルミ弁当箱全盛期はクルマ社会の全盛期でもあった このタイトル。旧車王の記事としては逆なんでしょうね(編集部注:そのままいきます)。 「クルマ社会の全盛期は、アルミ弁当箱にとっても全盛期」なんでしょう。 しかし、アルミ弁当箱協会の会長としてはあえて逆から行きたいと思います。 ■魔法使いサリー 「え?」と思う方と「なるほど!」と思う方、両極端に分れる作品がこの「魔法使いサリー」です。 1966年(昭和41年)といえば、自動車産業が活発化し、各メーカーが名車と呼ばれる「大衆車」を世に送り込む世代でもありました。 そんな中放映されていた魔法使いサリーも例外ではなく、自動車産業の影響を受けていたのです。 ■実はタイトル変更はあのクルマとは無関係? まず、よく話題になるのは「魔法使いサリー」のタイトルです。 この漫画の最初のタイトルは「魔法使いサニー」だったのは有名な話です。 そしてタイトル変更の理由として流れていた都市伝説は「日産が許可をしなかった」でした。 しかし、どうもこれは間違いで、許可されなかったのは他の会社で商品登録名があったからだそうです。 たしか家電メーカーだったはずで、日産も車種名としてその会社に使用許可をもらっていたそうです。 それが日産の大衆車「サニー」だった、というわけです。 現在車種名として残っていないのも、使用許可年数が過ぎたからという説もあるとのことです。 ■クルマの話題が多かったサリーちゃん そんなことが話題になったかならなかったのかは定かではありませんが、「魔法使いサリー」は「クルマ」にまつわる話題が多かったような気がします。 よっちゃんのお父さんの仕事は個人タクシーの運転者だったり「交通戦争(もう死語かもしれません)」を題材に物語があったり・・・。 極めつけのエピソードとして、主人公のサリーちゃんと弟のカブが「ラリー」に参加するという、実にマニアックな展開のエピソードまであったほどです。 そして、このラリーのエピソードで2人が乗るクルマを魔法で選ぶのですが、サリーちゃんは「私と同じ名前のサリーにするわ」といい、カブは対抗して「カブリカ」を選びます。 もちろん、日産の「サニー」VS トヨタの「パブリカ」というわけ訳です。 当時の制作スタッフも粋なことをするものですね。 ・・・といった具合に、アルミ弁当箱に描かれている作品には意外とクルマに関係する作品があるんです。 というわけで、今回の「斜めから見た旧車たち」は「サニー」と「パブリカ」にスポットを当ててみました! まったく脈絡のないコラムではありますが、旧車王ヒストリアだけでなく「マツドデラックスコレクション アルミ弁当箱図鑑」もよろしくお願いいたします。 ●アルミ弁当箱図鑑 厳選50 ーマニア編ー マツドデラックスコレクション (ヴァンタス) | マツド・デラックス https://www.amazon.co.jp/dp/4907061471 ●日本アルミ弁当箱協会会長「アルミ弁当箱図鑑 厳選50 」出版への道https://www.qsha-oh.com/historia/article/matsudo-bangai-1/ またアルミ弁当箱を並べて欲しい等とご要望のある方も是非お声をかけてください。 ●日本アルミ弁当箱協会ホームページhttps://kyokai.fans.ne.jp/arumibenntou/ ●Twitterhttps://twitter.com/keisuke38922 次回はイベントで10月30日に開催される「ISUZUオーナー集会」に参加、展示予定です。 こちらもぜひよろしくお願いいたします! [撮影/ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]
日本における旧車人気の過熱ぶりはとどまるところを知らない。 非常に残念なことではあるが、毎週のように国産旧車スポーツカーが盗難に遭うニュースが聞かれるほど、今注目度が高まっているのはたしかだ。 現オーナーの方たちも、複雑な心境で状況を見守っているのではないかと推察する。 それに比べると、同じ自動車大国・趣味国であるドイツでの「ヒストリックカー熱」は、表面上はとても落ち着いているように見える。 もちろん、ヒストリックカー全体の価格相場は上昇傾向にはあるけれども。 今回は「日本とドイツの旧車(ヒストリックカー)の過熱ぶり、共通しているところと決定的に異なる点」と題して、ドイツと日本における「熱の違い」を紹介していこうと思う。 ■100年以上前から存在する「自動車クラブ」 最初に伝えたいのは、ヒストリックカークラブの数と、その歴史の違いだ。 日本にも数多くの旧車クラブが存在する。 コロナ禍以前は、たくさんのイベントやミーティングが毎週末のように行われていた。 しかし、ドイツのヒストリックカークラブの数はその比ではない。 インターネットで都市名とともにクラブの検索をかけると、それこそ無数に出てくる。 その中でも特に格式高いとされているヒストリックカークラブは、その歴史が非常に古い。 中には19世紀後半に設立されたクラブまで存在する。 それらは、まだ自動車が特権階級だけの乗り物だった時代に設立されているから、ただ自動車を愛好する会というよりは「上流階級たちの社交場」という意味合いも多く含まれていた。 現在ドイツ国内のコンクール・デレガンスを行っている団体は、こうした古いクラブや組織をルーツに持っている場合が多い。 彼らは、ヒストリックカーがヒストリックカーと呼ばれる前、つまり新車として存在していた時代から、クルマを愛好する会を運営し続けている。 もっとも、日本でもっとも古いとされている自動車クラブ「オートモビル・クラブ・ジャパン」の歴史は明治41年(1908年)までさかのぼるというから、決して引けは取らないのだが。 ■ドイツでは、メーカーからの部品供給が手厚い 古くからの愛好家たちが大勢いるという地盤があるおかげだろうか、ドイツではヒストリックカーの部品供給はとても良好だ。 ドイツの主要ブランドは、ポルシェ・クラシックやメルセデス・ベンツ・クラシックといった「ヒストリックカー部門」を社内に持っている。 名車CTR、通称「イエローバード」で知られるルーフ社のようなごく小さな会社ですら、クラシック部門が存在する。 そこでは、純正部品の供給や、メーカー自身によるレストア、ヒストリックカーに対応したデザインのナビゲーションシステムやヒストリックカー専用オイルの開発などが行われている。 こうした純正部品以外にも、サードパーティ製の安価で高性能な部品が多く販売されている。 フォルクスワーゲン・タイプ1のような「ヒストリックカー入門車」の場合、ほとんどすべてのパーツに純正部品か、サードパーティ製部品かの選択肢が存在するほどだ。 これらの部品の中には、ヒストリックカーと呼ばれるようになってから再生産されたものもあるが、単に「新車当時から供給が続いている部品」も多い。 ドイツの人々の中には「そのクルマを気に入ったら、こつこつ直しながらとことん(何十万キロも)乗る」という人も少なくないから、その要望にメーカー側が応えているといえる。 こうしたヒストリックカーに対するメーカー側の姿勢の違いは、日本とは大きく異なる点だろう。 日本でもメーカーによるレストアサービスや旧車の部品供給が少しずつ始まっているが、その車種はかつての人気車種やスポーツカーといった、非常に偏りのあるラインナップにとどまっている。 個人的な願いとしては、国民の生活とともにあった大衆車にこそ、スポットライトが当たってほしいと願っているのだが。 ■ドイツでは「趣味としてのレストア」が成立するほどハードルが低い 日本とドイツ、どちらにもレストアを行う業者は多い。 違いがあるのは、「メルセデス・ベンツ・300SLのレストアだけを行う」といった、超高額・超希少車だけを取り扱うことだけで運営している業者が存在しているという点だ。 日本において「トヨタ・2000GTのレストアを行う」業者は存在していても、2000GTのレストア、ただそれだけで運営を続けるのは非常に難しいはず。 もっとも、ドイツに存在している多くのレストア業者も、さまざまな車種を扱うのが一般的ではあるのだが。 レストア業者に頼んで新車同様に仕上げてもらう人もいれば、ヒストリックカークラブのみんなでこつこつレストアして楽しむ人たちもいる。 先述したように、極端に珍しい車種でなければ、部品の入手は難しくない。 新車当時の整備マニュアルや図面などもインターネットで入手できるし、人気車種であれば車種別の「レストア指南書」も販売されているから、それらを参考にレストアを趣味にしている人も多い。 レストアを趣味にするハードルは、日本よりもずっと低いといえるだろう。 ■綿々と続いている「自動車偏愛」 ここまで、日本の旧車熱と、ドイツのヒストリックカー熱の違いについて取り上げてきたが、いかがだっただろうか。 ざっくりと一言でまとめると「歴史と文化が深い」ということになるだろうか。 ドイツのヒストリックカー熱は今になって盛り上がったわけではなく、それこそ19世紀後半からの「自動車偏愛」が綿々と続いている、といったほうが正しい。 ドイツでは連日、気候変動保護に対する議論が進んでいて、ガソリンエンジン車がいつまで公道を走ることを許されるのか、という問いは市民の間でも話題になるほどだ。 ヒストリックカーを愛好する人々は、公道を走れなくなる最後の日まで、噛みしめるように公道のドライブを楽しむことだろう。 [ライター/守屋健]
もはや公私ともにインターネットがないと生活できないようになって早20年以上が経った。 たしか1995年頃、当時よく聴いていたラジオ番組で、パーソナリティがしばしば「インターネット」という聞き慣れないキーワードを発していた。 憶えている限りでは、これがインターネットとの出逢いだったように思う。 このときは「何のことやらサッパリ」だった。 それからしばらくして、はじめてインターネットに触れたのは1996年頃だったと思う。 小学生の頃から付き合いのある親友が自力で自宅にインターネット回線を引くというので、配線工事を手伝った。 屋根裏に潜って配線を引き、無事、インターネットが繋がった。 いまやすっかり懐かしいモデムによるダイヤルアップ。 「ピー、プププププププププププププププ」の呼び出し音とともに、ブラウザ上にホームページが表示された。 確かブラウザはいまでは完全に死語となった「Netscape Navigator(略して「ネスケ」)」だった。懐かしい! モニターの画面に映し出されたれたページはYahoo!JAPANだったと思う。 こちらがぽかんとしているうちに文字ばかりのページが表示された。 ここで調べたいキーワードを入力して検索すると、探している情報を調べて表示してくれるのだという。 インターネットのことはよく分からないけれど、調べ物をするには便利だとその親友から教わった。 親友は慣れた手つきでキーボードをたたき、何だか忘れたがクルマのページを検索していた。 ずっと接続していると通話料がかかるとかで、探していた情報を確認すると、すぐにブラウザを閉じた。 おそらくは初の定額プランであろう「テレホーダイ」というサービスを知るのはここから1年以上あとの話だ。 翌年・・・だから1997年だったと思う。 社会人になって、勤め先にもインターネットに接続できるパソコンが1台だけ置かれていた。 いまでもハッキリと憶えているのは、モノは試しと、はじめて検索したのはJ-WAVE(FM局だ)のホームページに番組で流れたオンエアリストを羅列したページを見るためだった。 それまでは、探している曲を調べる方法は皆無に近く、テレビやラジオなどで偶然流れた時間帯を記憶し、局に電話で問い合わせて教えてもらうという、超アナログなやり方だった。 こうして手間ひまを掛けて、ようやくお目当ての曲が収録されたCDを手に入れることができた時代だった。 それがJ-WAVEのホームページには曲名やアーティスト名が表示されており、そのメモを元にCDショップで探すか、分からなければ店員さんに声を掛ければ、喜んで探してくれた。 あまりのお手軽さに感激した記憶がある。 その一方で、1990年代半ばといえば、一時期、各FM局がFM文字多重放送を実施していた。 オンエア中に流れる曲名とアーティスト名が分かるサービスが行われていた。 これぞ求めていた機能に思えた。 しかし、FM文字多重放送に対応した専用ラジオ端末を購入しなければならず、それが1万円を優に超す金額だったので断念したのだった。 FM文字多重放送とは比較にならないくらいインターネットは便利そうだ。 自宅にも回線を引こう。 こうして自宅にインターネットが導入されたのはたしか1997年末頃だったと思う。 当時、PCはデスクトップが主流で、モニターも分厚いブラウン管しかなかった。 液晶モニターもちらほらではじめてはいたが、まだまだ高価だったし、ブラウン管に比べると発色も今ひとつだった。 新品のPCは高くて買えないので、秋葉原のPC専門店で売られていたアウトレット品を購入した。 どのPCを買えばよいか分からなかったので、先述の親友に見立ててもらった。 彼が選んだPCは、当時としては珍しい、CD-Rドライブ付きの富士通FM-Vだった。 何だかんだで20万円を優に超えていた気がする。 痛い出費となったが、インターネットだけでなく、これからはついに自分好みのCDを作ることができると狂喜乱舞したのを憶えている。 その後、専門の業者が自宅に来て配線工事を行い、ついにインターネットが使えるようになった。 またもや親友のアドバイスにより、当時としては主流だったモデムによるダイヤルアップを使わず、奮発してISDN回線を導入した記憶がある。 当時を知る人であれば憶えていると思うが、当時はいまのように常時接続はあたりまえではなかった。 もちろん無線LANなんてありえない。 PCに有線ケーブルを接続しないとインターネットが観られなかった。 さらに、利用料金を気にせずインターネットを使うには、23時から「テレホーダイ(23時〜翌日8時まで)」まで待たなければならなかった。 それまで時間帯は、使用時間に応じて料金が加算される仕組み(通常の電話と同じ)だったからだ。 自宅にインターネットが導入されてからというもの、23時までに用事を済ませてPCの前に陣取るようになった。 おそらく、他の人たちもそうだったのだろう。 日本中のユーザーが23時になった瞬間に同時接続をするものだから、とにかく回線が遅い。 1997年当時のインターネット人口普及率はわずか9.2%だったというが、それでも回線の奪い合いだったことは確かだ。 まともに使えるようになるころには深夜1時を過ぎ・・・なんてことが日常茶飯事だった。 オンライン飲み会とか、YouTubeの動画をガンガン流したり、1GBものファイルを何の躊躇もなくアップロードできるなんて、夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢くらい別次元のことだった。 そんなわけで、当時のネットサーファー(死語)だった人たちは、必然的に夜型にならざるを得なかったように思う。 もちろん、自分も例外ではない。 それから数年経ち、ようやく常時接続が可能となった。 最初のうちは真っ昼間にインターネットを使っても料金が加算されないことに違和感があったのだが、そんなことはすぐに忘れた。 今や、自宅のインターネット環境はWi-Fi接続があたりまえとなり、YouTubeでISSのライブ配信の動画を作業用BGM代わりに流しっぱなしにして作業している。 ●Earth Views: Earth From Space Seen From The ISShttps://www.youtube.com/watch?v=Y1qQZbTF8iQ いつも利用しているファイルのストレージサービスも300GBまでokとのことだ。 ・・・もしかしたら、いま「テレホーダイ」の時代に戻ったらまともに仕事ができないかもしれない。 余談:調べてみたら、テレホーダイのサービスはいまも存在していた。2024年1月にサービスの提供を終了とのことだ。https://web116.jp/shop/waribiki/th/th_00.html [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
冬に旧車を運転していて、寒いと感じたことはないでしょうか。旧車の気密性やエアコン性能によっては、寒さを感じる場合があるかもしれません。あまりにも寒いと車を運転したくなくなり、生活にも支障をきたす可能性があります。そこでこの記事では、旧車でも寒さを気にせずに使うためのコツについて詳しく解説します。 旧車は現代の車よりも寒い? 旧車の古さの程度にもよりますが、旧車は現代の車よりも寒い場合があります。車の設計や製造技術が低い時代であれば、ドアの隙間から車内に冷気が入ってきやすいでしょう。パッキンの劣化で気密性が低下していることもあります。 旧車の冬対策の方法 大きな空間を温めようとすると、大きなエネルギーが必要です。そこで冬対策のコツは、温めるところは必要最小限にすること、寒さを感じる肌の部分を集中的に温めることが効果的です。それでは、旧車の冬対策の方法について詳しく見ていきましょう。 温かい衣類を着用する まず暖かい衣類を着用することが基本です。アウターだけでなく最近はユニクロのヒートテックに代表されるような、薄くても保温性の高いアンダーウェアも多く出回るようになりました。これらの多くは吸湿発熱繊維という、人の汗で発熱する素材が使われています。効果的に取り入れましょう。 ヒーターを設置する ヒーターの利用も効果的です。ヒーターには大きく二つのタイプがあります。一つ目は温風タイプ。ダッシュボード等に取り付け、温風を吹き出すことで温めてくれます。二つ目はシートタイプ。人の肌に近い部分を直接温めるので、効率よく温かさを感じることができるでしょう。温風タイプもシートタイプも、電源はシガーソケットを使います。 保温性のあるシートカバーを使う 電気を使わなくても、保温性のあるシートカバーで温かさを感じることができます。シガーソケットの電源が使えない場合には効果的でしょう。 真冬は乗らない 真冬の寒い時期には旧車には乗らない、他の車を使う、または別の移動手段を選択するのも対策の一つと考えましょう。公共交通機関を使う、近距離であれば暖かい服装で自転車を使うと、運動によって身体を温めることもできます。
いま、とある媒体で自分の愛車を紹介する原稿をまとめているのだけれど、一向にまとまらない。 書きたいことが多すぎるのだ。 編集担当さんの「まとまり次第で結構ですよ〜」のお言葉を額面通りに受け止めて(本心は違うと思うが・・・)、他の仕事の合間に少しずつ進めている。 連休明けには納品したいと思っている次第だ。 いわゆる「ナローポルシェ」といわれる古いポルシェ911を手に入れて早10年・・・。 歴代の愛車遍歴(12台)のなかでも「ダントツに長い」所有期間となった。 10年でダントツに長いなんて・・・。 新車から25年!ワンオーナー車ですよ!といった方を取材していると、尊敬の念を抱くとともに、何だか自分の飽きっぽい性格が恥ずかしく、同時に情けなくなることもしばしばだ。 これまでの愛車遍歴には「3年半のジンクス」という、なぜか見えない壁が存在した。 なぜか分からないけれど、この時期になるとクルマを買い替えるようなイリュージョン(?)が起こるのだ。 その壁を初めて突破したのがナローポルシェだった。 もっとも、所有していたとはいえ、それは名義上の話であり、実際にはレストア中の状態が長く続き、手元に来たのはホンの数年前だ。 いわゆる遠距離恋愛の状況が長く続き(・・・といっても直線距離で10km程度だけど)、主治医のところに足を運んでは、リフトアップされているドンガラ状態の愛車を眺めて「いつ完成するのか・・・」と、思う日々だった。 ・・・いまにして思えば、むしろこれがよかったのかもしれない。 すぐにレストアが完成したら、ここまで手元にある「ありがたみ」を実感できなかったはずだ。 待ちに待って苦労したすえに手に入れた分、ありがたみを実感している日々だ。 それはそれとして、実はいま・・・「3年半のジンクス」が忍び寄っている。 中古で手に入れた、家族用のフォルクスワーゲンのミニバンがそろそろ「3年半のジンクス」を迎えるのだ。 幸い、今すぐに欲しいクルマはないし(一応、GOOやカーセンサーでチェックしているモデルはあるけれど)、現在の愛車に不満もない。 そう。毎回そうなのだ。 しかし、ある日突然、自分でもよく分からないけれど「乗り替えてもいい大義名分(口実?)」や「ホントかよ」と思うようなスペシャルオファーが舞い込むのだ。 なぜだか分からないけれど、それがきっちり「手に入れてから3年半後」だったりする。 そのXデーは来月に迫っている。 今のところは平穏だ。 いまから怖いような、楽しみなような・・・。 [ライター・撮影/松村透]