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WRCで今も破られていない金字塔、マニュファクチャラーズタイトル6連覇を成し遂げたランチア デルタHF 4WD。圧倒的な性能もさることながら、ブリスターフェンダーや上品な内装といったデザイン面も人気の理由です。 本記事では、レギュレーションの変更からわずか半年で完成させたといわれる、デルタHFについて詳しく紹介します。 WRCのレギュレーション変更に合わせて登場したデルタHF デルタHFは、WRCで勝つために開発されたクルマです。わずかな開発期間しかないなかで、ファミリーカーだったデルタをWRCで戦えるように仕上げました。 まずは、デルタHFの開発背景と、誕生に欠かせなかったアバルトの存在について紹介します。 開発決定からわずか半年で発表された新モデル デルタHFは、開発の決定からわずか半年で発表されました。開発のきっかけは、WRCが安全上の理由から参加車輌の規定を変更したことです。グループBでは重大事故が多発していたため、1987年からWRCのトップカテゴリーが市販車ベースのグループA規定に変更されました。 1986年半ばに突如発表された規定変更に各メーカーが対応方法を模索するなか、ランチアはシーズン終了前にデルタHF 4WDを発表します。開発を早期に決定し、余裕をもって間に合わせたことが1987年以降の輝かしい成績につながったのかも知れません。 影に徹したアバルトの高い開発力 デルタ HF 4WDを短期間で発表できたのは、同じフィアット傘下だったアバルトの高い開発力があったからこそだといわれています。グループ内のラリーマシン制作を担っていたアバルトは、習得したWRC車制作ノウハウを活かしてごく短期間でデルタ HFを完成させました。 しかも、ちょっとした変更ではなく、レースで勝つための戦闘力を備えたマシンに生まれ変わらせています。もっとも大きな変更点は、駆動方式とエンジンです。アウディ クアトロの登場により4WDでなければ戦えない状況だったため、FFだったデルタをフルタイム4WDに改変。さらに、ロードモデルにも165psを発揮する2Lターボエンジンを搭載し、ベース車輌がファミリーカーだと思えないほどのスペックに仕上げました。一方で、車体にはアバルトのエンブレムや名称の記載はなく、まさに影の立役者といった存在でした。 投入初年度から無類の強さを発揮 グループA初年度の1987年開幕モンテカルロで、ミキ・ビアジオンとユハ・カンクネンがワンツーフィニッシュを決め、デルタHFはいきなり圧倒的な速さをみせつけます。1987年シリーズは、9勝を挙げてドライバーズとマニュファクチュアラーズのダブルタイトルを獲得しました。 翌年以降も勢いは変わらず、1992年まで前人未到のマニュファクチュアラーズタイトル6連覇を成し遂げます。しかし、トヨタを中心にした日本勢の台頭もあり、ランチアは1991年にワークス体制を解消、さらに1993年にはデルタ自体もWRCから姿を消しました。 市販車としての完成度も高かった グループA規定では一定以上の市販車としての販売実績が必要なため、ランチアHFも当然市販されています。また、WRCで勝つために、毎年のように仕様変更されたこともデルタHFの特徴です。 ここからは、市販車としてのデルタHFの魅力を解説します。 アルカンターラを多用した上質な内装 デルタはもともとゴルフに対抗すべく作られたモデルで、大衆車ながら上品な内装が特徴です。デルタHFでも内装面の特徴は引き継がれ、随所に手触りのよいアルカンターラが使用されています。 レースカーとしての高い戦闘力を期待させるブリスターフェンダーを備えた外装と、上品な内装のコントラストもデルタHFの魅力です。 積極的な開発で生まれた3つの代表モデル デルタHFは登場以降、WRCで勝つために毎年のように改良を続けました。1989年には、エンジンを16バルブ化したHFインテグラーレ16Vを投入。前年のインテグラーレでブリスターフェンダー化して拡幅していたところに、高性能エンジンを搭載してさらなるパワーアップを実現しました。大型化したエンジンを搭載するため、盛り上がった形状のボンネットに変更されています。 さらに、1992年にはWRC参戦の最終形HFインテグラーレ エヴォルツィオーネへと進化を遂げます。市販車の最高出力は大台を突破する210psに達し、まさにエボリューションモデルと呼ぶべき存在でした。 最終的に市販モデルは、1993年のHFインテグラーレ エヴォルツィオーネⅡまで作られます。おもに日本市場を意識したモデルで、最後の限定車HFインテグラーレ16vエヴォルツィオーネⅡコレッツィオーネは限定台数を急遽増やすほどの人気を集めました。 ランチアが導き出したWRCグループAの最適解 フルタイム4WDに2L16バルブDOHCターボエンジン、ボディにブリスターフェンダーというデルタHFの仕様は、6連覇という偉業によりグループAの最適解であることを証明しました。事実、三菱 ランサーエボリューション、スバル インプレッサといった1993年以降に活躍するWRカーに多大な影響を与えています。 デルタHFの買取価格は優に500万円を超え、現在でも高い人気を誇っています。輝かしい成績を残したことだけでなく、WRCの歴史に大きな影響を与えた点も含めて価値が高まっているのでしょう。
世界にわずか499台しか存在しない特別車、フェラーリ スクーデリア スパイダー 16M。フェラーリの運営するレーシングチーム「スクーデリア」の名を冠したモデルだけに、単なる特別車の域を超えて走行性能にもこだわって開発されました。 今回は、スクーデリア スパイダー 16Mが制作された理由も含めて、その魅力を徹底的に紹介します。 特別な2台を組み合わせたスクーデリア スパイダー 16M スクーデリア スパイダー 16Mはゼロから開発された新モデルではなく、販売台数限定の特別仕様車です。しかし、ただ記念エンブレムを貼り付けたとか、内装のカラーリングを変えたといったレベルではなく、究極の1台ともいえるほど作り込まれています。 F430スパイダーとスクーデリア 430を高次元で融合させて誕生した、スクーデリア スパイダー 16Mの開発背景を振り返っていきましょう。 フェラーリのコンストラクターズタイトル獲得記念モデル スクーデリア スパイダー 16Mは、2008年のF1シリーズでフェラーリがコンストラクターズタイトルを獲得したことを記念して制作されました。翌2009年に499台の限定モデルとして販売され、日本国内に正規輸入されたのはわずか50台のみといわれています。 ベース車輌はF430のオープンモデル、F430 スパイダー。徹底した風洞実験を行うなど、オープンボディながらオリジナルモデルと遜色ないほどに性能の高さを追求したモデルです。徹底的に作り込まれたクルマをベースにしていることからも、スクーデリア スパイダー M16にかける情熱の強さがうかがえます。 さらに、同じくF430をベースに製造されたスクーデリア 430のテクノロジーを組み込み、性能を飛躍的に向上させている点も大きな特徴です。まさに、記念モデルにふさわしい、フェラーリ究極のモデルといえます。 あのシューマッハが鍛え上げたスクーデリア 430 スクーデリア スパイダー 16Mの性能を大幅に向上させた要因は、スクーデリア 430の革新的な技術を数多く取り入れたことです。実際、スクーデリア スパイダー 16Mは、スクーデリア 430と同じく最高出力510psを発揮します。 スクーデリア 430は、直線で速いだけのただのハイパワーマシンではありません。技術革新の手を緩めることなく、どんなシチュエーションでも速く走れるように仕上げられています。例えば、F430に初めて搭載されたE-DIFF(電子制御デフ)に、F1-TRACと呼ばれるトラクションコントロールシステムを統合。E-DIFF2に進化させ、コーナー脱出速度を従来比で40%も向上させました。 そして、スクーデリア 430が特別なクルマである最大の理由は、F1で揺るぎない実績を残すミハエル・シューマッハが深く関わって開発されたことです。車のポテンシャルを最大限引き出すべく、テスト走行を重ねてスクーデリア 430を鍛え上げました。 これだけこだわって開発されたスクーデリア 430の技術が、スクーデリア スパイダー 16Mに惜しみなく投入されています。 フェラーリ史上最速で特別なオープンスポーツ とことん性能にこだわって開発されたスクーデリア スパイダー 16Mは、フェラーリ史上最速のオープンスポーツです。事実、フェラーリのテストコース「フィオラノ」で、「フェラーリのオープンスポーツ史上最速のラップタイムを刻んだ」と発表されています。 圧倒的な性能の影に隠れがちになってしまう記念モデルとしての魅力も含めて、スクーデリア スパイダー 16Mを紹介します。 オープンモデルなのに妥協のない高い走行性能 走る喜びや爽快感を目指すオープンモデルは、オリジナルモデルに比べて走行性能が犠牲になりがちです。しかし、スクーデリア スパイダー 16Mは、むしろ走行性能が最大の特徴といえるほど妥協せずに開発されています。 搭載エンジンは430 スパイダーと同型のV型8気筒DOHC4.3L自然吸気エンジンながら、各部の徹底的なチューンナップによって最高出力は510psを発揮。パワーアップの難しい自然吸気エンジンで、20psもの引き上げに成功したのは驚異的です。 また、オープンモデルはボディ剛性の問題から車重が重くなる傾向にありますが、オリジナルの430 スパイダーに対して80kgもの軽量化に成功。パワーウェイトレシオは2.0kgを達成し、停止状態から100km/hまでわずか3.7秒で到達します。 エンブレムが歴史的な偉業と希少性を主張 類まれな走行性能とF430譲りの外側からエンジンが見える独創的なデザインを兼ね備えたスクーデリア スパイダー 16Mは、記念モデルという側面を抜きにしても十分魅力的なクルマです。しかし、特別なモデルであることを象徴するエンブレムによってさらにその価値が高まります。 「F1 CONSTRUCTORS 16 2008 WORLD CHAMPIONSHIPS」と刻まれたリアのエンブレムが歴史的偉業を称え、センターコンソール上部の「16M SCUDERIA SPIDER LIMITED 499」が世界でわずか499台のみという希少性を主張。そして、ボディサイドには「16M SCUDERIA」のエンブレムが輝きます。 エンブレムが外観に大きな影響を与えるわけではありませんが、しっかりと作り込まれているモデルだからこそエンブレムがより魅力を高めてくれているのではないでしょうか。 希少性の高さから買取金額はF430の2倍以上 スクーデリア スパイダー 16Mははわずか50台しか正規輸入されていないため、中古車市場にはほとんど出回っていません。ベース車輌であるF430が2,500万円程度のところ、スクーデリア スパイダー 16Mは条件にもよりますが5,000万円を優に超えます。 希少性が高ければ価格も高いことは想像に難くないところですが、実はあまり流通していない車の価値を見極めて値段をつけるのは簡単ではありません。参考にできる流通実績がないため、販売まで考えた場合に買取価格をいくらにすれば妥当なのか判断ができないためです。 スクーデリア スパイダー 16Mのように、歴史的意味合いも含めて希少性のある車の価値を見極められる業者は決して多くありません。もし、歴史的価値の高い旧車の売却をお考えでしたら、専門業者としてのノウハウのある旧車王にご相談ください。
丸目のヘッドライトと個性的なスタイリングが特徴のホンダ シティ。都会派の新しいコンパクトカーとして、こだわり抜いて作り上げられたクルマです。話題を呼んだCMとともに、当時の若者の心を鷲掴みにしました。 現在の軽自動車やコンパクトカーにもつながる、新しい思想で設計された初代シティについて振り返ってみましょう。また、コンパクトカーの枠を超えた走りが人気だった、シティターボⅡの魅力も紹介します。 シティはホンダが提案した都市型コンパクトカー 都市型コンパクトカーとして登場した初代シティは、発表の仕方も都会的でした。東京モーターショーの前夜に、新宿センチュリーハイアットで発表したのです。東京の、しかもど真ん中の新宿で発表したところに、ホンダがシティに込めた思いが表れています。 トールボーイという新しいスタイリングが話題を呼んだ、初代シティの誕生について振り返ってみましょう。 トールボーイという新しいアプローチ 1981年にデビューした初代シティは、都市圏に住む若者がお洒落に乗れるコンパクトカーという位置づけの車種です。トールボーイという新しいスタイリングで、デザイン性と居住性を両立しています。都市型のコンパクトカーとして最適なクルマを作り上げるため、開発の中心にはターゲット層と同じ20代のスタッフが起用されました。 コンパクトカー最大の課題は、居住性の確保です。トールボーイという呼び名のとおり、全高を高くすることでゆとりのある車内空間を実現しました。一方で、ただ全高を高くすると、デザイン性が損なわれてしまいます。そこで、全高が高くてもスタイリッシュにみえるよう、ボディの傾斜や全長とのバランスなど細部に渡ってとことん追求されました。 シンプルながらこだわり抜いたデザイン トールボーイと呼ばれる初代シティのボディデザインは、実によく考えて作られています。全長の短いコンパクトカーでキャビンの高さを上げると、不安定で野暮ったくみえがちです。しかし、正面からみたボディサイドの傾斜の角度、オーバーハングの長さ、先端部を低くしたスラントノーズなど、絶妙なバランスでスタイリッシュにまとめられています。また、全体的に直線基調のデザインであることも、シンプルながらおしゃれに感じられる理由の1つでしょう。 内装もボディと同様に、直線基調で余計な華飾のないシンプルなデザインです。ドアパネルも含めて抑揚のないデザインとすることで、居住スペースを最大限確保しています。一方で、視認性の高いメーターパネル、やや運転席側にオフセットされているセンタークラスター、各所に設けられた小物入れやポケットなど機能性は抜群です。徹底的に追求された機能美は、車格は異なるもののドイツ車のような雰囲気すらあります。 大きな話題を呼んだテレビCMとモトコンポ デザイン性の高さと新しさがインパクトを与えた初代シティですが、車輌そのもの以外でもさまざまなブームを作り出しました。まずは、イギリスのバンドマッドネスを起用したテレビCMです。彼らの曲に乗せたラップのような「ホンダホンダホンダホンダ」というフレーズとムカデダンスと呼ばれる動きは、子どもたちの間でも流行しました。 モトコンポという折り畳み式の50ccバイクも、シティとは切り離せない存在です。独特の直方体のデザインが特徴的で、シティの荷室にそのまま積み込めました。おでかけ先でバイクに乗るという、ホンダの遊び心が詰まっています。個性的なデザインは現在でも人気が高く、日本では未発売なものの「モトコンパクト」という電動バイクとして先日復活したほどです。 レース入門車にもなった迫力満点のシティターボⅡ 都市型コンパクトカーとして誕生したシティですが、実は性能面を突き詰めたモデルも存在します。ターボエンジンや専用の架装を施した、シティターボです。 ここからは、性能やデザインにさらに磨きがかけられ、レース入門車としても人気の高かったシティターボⅡを紹介します。 軽量ボディとターボエンジンで味わう過激な加速感 最高出力110psを発揮するエンジンと車重の軽さを活かして爆発的な加速を魅せるシティターボⅡ。0-400m加速は、同年に登場した名機4A-Gを搭載したトヨタ AE86の16.14秒を上回る、15.92秒を叩き出しました。また、加速力を示す指標の1つパワーウエイトレシオは6.68kg/psと、AE86の7.38kg/ps(GT-APEX)を大きく上回っています。 先代のシティターボと同様のER型1.2Lターボエンジンですが、クラス初のインタークーラーを装備したことで10psのパワー向上を果たしました。最大トルクは、シティーターボからさらに1.3kgmアップの16.3kgmを発揮します。 一方で、パワーのあるエンジンを支えるシャシー周りも、シティターボⅡ専用に作り込まれています。トレッド幅を広げることでコーナリング安定性を高め、単なる直線番長ではなく運動性能全体が高められていました。 ブルドックと呼ばれた個性的な内外装デザイン シティターボⅡは、メーカーのホンダ自らが「ブルドック」と名付けるほど個性的なスタイリングのモデルです。前後に「ダイナミックフェンダー」という名のブリスターフェンダーを装備し、併せて前輪30mm、後輪20mmもトレッド幅が拡大されています。 一方、内装で目を引くのはメーターパネルです。中央に配置したデジタル表示のスピードメーターを取り囲むように、回転式のタコメーターを配すという先進的なデザインでした。また、シートはサイドポートの張り出した、バケット形状になっています。 今でも人気のシティターボII 今見ても個性的なスタイリングと爆発的な加速力を兼ね備え、根強いファンをもつシティ ターボⅡ。登場から40年以上が経つにも関わらず、状態次第では100万円以上の買取価格がつくほどの人気を誇っています。 ただし、走りを楽しむ層の支持を集めていただけに、酷使されている可能性は否めません。中古車で購入する際は、状態を十分見極めることをおすすめします。 売却の際にも、状態によっては思わぬ高値がつく可能性があるため、価値を熟知した旧車専門の買取業者に依頼しましょう。
滑らかで美しい曲線によるボディラインが特徴的なトヨタ 初代セリカは、スペシャリティカーという新たなカテゴリーを定着させたモデルです。 個性的なスタイリングから「ダルマセリカ」とも呼ばれた初代セリカのなかでも、特に人気の高かったグレードが1600GT。リフトバックの最上位グレードである2000GTと双璧をなしたともいわれています。今回は1600GTを中心に初代セリカの魅力と歴史を解説します。 初代セリカは自動車の新カテゴリーを定着させた 初代セリカは、スペシャリティカーという新カテゴリーを定着させたモデルです。走行性能にこだわりながらも、デザイン性の高さも併せ持っていました。 セリカの個性を際立たせた1600GTを中心に、誕生の歴史を振り返ってみましょう。 スペシャリティという新しい提案 1970年に登場した初代セリカは、カリーナと多くの部分が共通であるものの、それまでの国産車にはあまり存在しなかったスペシャリティカーという新しい位置付けのクルマでした。スペシャリティカーの定義はややあいまいですが、落ち着いたセダンでもなく尖ったスポーツカーでもないスポーティな車種全般がスペシャリティカーと呼ばれています。 シャシーやパワーユニット、ギヤボックスは共通でありながら、ボディタイプは2ドアハードトップクーペのみ(登場時)というカリーナとは明確に方向性の異なる車種でした。 ダルマセリカの愛称で呼ばれた個性的なスタイリング 初代セリカは、その個性的なスタイリングから「ダルマセリカ」という愛称で親しまれました。当時の国産車としては珍しい、滑らかな曲線で構成されたボディラインに由来します。また、正面から見ると、メッキのフロントバンパーがダルマのヒゲのように見えるからだともいわれています。 肉厚で重厚感のある個性的なデザインは、スペシャリティカーという新たなカテゴリーのクルマとして多くの人から愛されました。 最上位グレードの1600GT スペシャリティカーという初代セリカのアイデンティティを最も感じられるグレードといえば、走りにこだわった1600GTです。ヤマハ製のDOHCエンジン2T-Gを搭載し、内外装も専用パーツが用意されていました。 初代セリカは、内外装をはじめ、エンジンやトランスミッションまで好みのものを選べる、フルチョイスシステムと呼ばれる販売形態をとっていました。しかし、最上位グレードとしてこだわり抜かれた1600GTに関しては、フルチョイスシステムの対象外でした。 すべてが特別だった1600GT スペシャリティという言葉のとおりセリカは特別なクルマであり、なかでも1600GTは性能、デザインともに、当時としては先進的なモデルです。海外のレースでも多くの活躍を見せ、その実力を世界に示しました。 ここから1600GTの魅力をさらに詳しくみていきましょう。 名機2T-Gと専用設計の内外装 1600GTの最大の特徴は、トヨタのDOHCエンジンの先駆け的存在だった名機2T-Gを搭載していたことです。2T-GはDOHCの1.6L 4気筒エンジンで、115psもの最高出力を発揮します。最高速度は、スポーツカーにも劣らない190km/hに達しました。 また、内外装の多くの部分が1600GT専用に設計されています。ハニカム構造のフロントグリルとサイドストライプには、専用の「GT」の文字があしらわれていました。内装も1600GT専用のデザインで仕上げられています。 世界的なレースでも活躍 1600GTは、世界のレースでも実力を見せつけます。まず、1972年のRACラリーにワークスとして本格参戦し、クラス優勝を果たしました。さらに、翌年の1973年には、世界の名門レースで連続して素晴らしい結果を残します。 ニュルブルクリンク6時間レースでクラス優勝を飾ると、スパ24時間レースでも同じくクラス優勝。性能と信頼性の高さを世界的なレースで証明しました。 後発の2000GTと甲乙つけ難い人気 初代セリカのなかでも人気の高かったモデルは、1973年に投入された2000GTリフトバックです。2.0Lの18R-G型直列4気筒DOHCエンジンは、1600GTを大きく上回る最高出力145psを発揮しました。 しかし、絶対的なパワーでは劣るものの、軽快でスポーティな走りに関しては1600GTに軍配が上がります。また、スペシャリティカーという新カテゴリーを切り開いたという意味においても、1600GTは唯一無二のモデルです。1975年の排ガス規制によって惜しまれつつ生産が終了しましたが、現在でも1600GTは2000GTと甲乙つけがたい人気を誇っています。
個性的でかわいらしい外観が魅力的なホンダ N360。見た目の愛らしさに加えて、他社を圧倒するパワーと快適な居住性によって大ヒットを記録した軽自動車です。全長3.0m、全幅1.3m、全高2.0m、排気量360ccという限られた軽自動車規格のなかに、ホンダの技術力が惜しみなく注ぎ込まれていました。 今回は、ホンダ初の量産型乗用車であるN360の開発背景と魅力をたっぷりとお届けします。 ホンダ乗用車の源流となったN360 N360は、ホンダが初めて開発した本格的な量産型乗用車です。二輪車メーカーとしては高評価を得ていたホンダですが、四輪自動車の開発を手掛けたのは1950年代後半からでした。 まずは、ホンダの量産型乗用車の源流となったN360の開発背景を振り返りましょう。 四輪自動車としては後発メーカーだった 創業から二輪車を作り続けているホンダですが、実は四輪自動車としては後発でした。大ヒットを記録したスバル 360が登場したのは1958年、ホンダ初の量産車T360の登場は4年後の1962年です。しかも、一般向けに広く販売される乗用車ではなく、限られたユーザーが利用する軽貨物自動車でした。 軽自動車規格は、1950年に全長3m、全幅1.3m、全高2mと定められ、1955年には排気量の上限が360ccに制定されました。(いずれも施工年)この変遷を考えると、ホンダの四輪自動車開発は他のメーカーに遅れをとっていたといわざるをえません。 参照:軽自動車の規格 – 一般社団法人 全国軽自動車協会連合会 軽自動車活況の中で投入されたN360 ホンダ初の量産型乗用車N360が発売されたのは、T360発売から5年後の1967年です。軽自動車の開発で先行するスズキ、スバルに続いて、1960年代に入るとマツダとダイハツも相次いで参入し市場は活況を呈していました。 N360は、並み居る自動車メーカーのなかで比較的遅く投入された軽自動車です。しかし、当時の軽自動車の常識を打ち破る広さとパワーで強い存在感を示します。エンジン、レイアウト、実用性と随所にホンダの高い技術が投入され、「Nコロ」という愛称もつけられるほど市場にしっかりと食い込みました。 和製ミニクーパーとも呼ばれたN360の挑戦 N360は当時の軽自動車ではまだ少なかった4サイクルエンジンを搭載し、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)レイアウトでもあったことから「和製ミニクーパー」とも呼ばれていました。かわいらしい見た目ながらハイパワーエンジンを搭載しているという点は、ミニクーパーと共通しています。 ここからは、N360の成功につながった、エンジンとレイアウトについて詳しく解説します。 パワフルな4サイクルエンジンを採用 当時の軽自動車のエンジンは、多くが2サイクルエンジンでした。360ccという小型の4サイクルエンジンは、当時の技術では開発が難しかったためです。しかし、ホンダは長年培ったエンジン開発のノウハウを活かして、N360に4サイクルエンジンを採用。最高出力は31psを発揮し、20ps台前半が一般的だった当時の軽自動車のなかで別格の高出力を誇りました。 N360の高性能エンジンは乗用車だけにとどまらず、フォーミュラカーやプロトタイプスポーツカーにも活用されています。 広い居住空間を実現したFFレイアウト N360はFFレイアウトを採用し、限られた軽自動車規格をクリアしつつ広い居住空間の確保に成功しました。駆動と操舵を1つの車軸で行うFFの開発には、高い技術力が要求されます。当時の軽自動車の多くは、RR(リアエンジン・リアドライブ)によって居住性の確保を図っていました。 RRはエンジンは時代の流れとともに減少しますが、一方でFFは普通車のセダンにも採用されるほど現在の普通車では一般的なレイアウトです。初の量産型乗用車で、現在にも通じるFFレイアウトを確立していたホンダの技術力には驚嘆せざるを得ません。 2度のマイナーチェンジでNIII360まで進化 N360は1971年までのわずか4年間で、2度もマイナーチェンジを行っています。1969年の最初のマイナーチェンジでは大幅な外観の変更はなかったものの、空洞のあったダッシュボードや剥き出しだったシフトレバーなどをパネルで覆って乗用車らしくなりました。また、保安基準の変更に合わせて、シートにはヘッドレストが備えられたほか、2点式シートベルトも追加されています。 そして、1970年のマイナーチェンジでは、名称を正式にNIII 360に改めるほど大幅な変更が施されています。フロントフェイスのデザイン変更で印象が大きく変わったほか、フルシンクロミッションが投入されてより現代的な装備になりました。 後発モデルながら好調なセールスを記録 N360はエンジン出力や居住性といった性能面で優れていただけでなく、商業的にも成功し生産台数および販売台数を伸ばしたモデルです。スバル 360やマツダ キャロルが40万円前後だったのに対し、N360は31万5,000円(東京・神奈川店頭渡し現金価格)という破格の価格設定だったことも要因の1つだと考えられます。 デビュー2ヶ月後には国内の軽自動車の販売台数トップを奪い、その後43ヶ月間に及んで、軽自動車のトップを走り続けます。最終的に総生産台数65万台にものぼり、40万台弱といわれるスバル 360を大きく引き離しました。 四輪自動車メーカーとしてのスタートは他社にやや出遅れたものの、最初の量産乗用車で圧倒的な性能を見せつけた点はさすがのホンダだといえます。
コンパクトカーにカテゴライズされるいすゞ 2代目ジェミニは、絶対的に優れている性能や高級感はないのになぜか人の心をひきつけるクルマです。パリの街をデートしているかのように、2台のジェミニがピッタリと寄り添って走るCMを記憶している人も多いのではないでしょうか。 「街の遊撃手」というキャッチコピーで登場し、軽快な走りで人気となったいすゞ 2代目ジェミニの歴史と魅力を振り返ってみましょう。 いすゞの乗用車で最大の成功をおさめた2代目ジェミニ 現在はトラックや実用車を中心に生産しているいすゞですが、かつては国内有数の自動車メーカーとして乗用車の開発、販売も手掛けていました。特に、2代目ジェミニはいすゞ最大のヒット作です。総生産台数は74万8,216台にものぼり、大成功をおさめました。 2代目ジェミニの誕生の歴史を、当時話題となったテレビCMも含めて振り返ってみましょう。 初代が販売を継続するなか自社開発に踏み切った 2代目ジェミニは、初代がまだ販売されていた1985年に登場。GM主導で開発された初代に対し、2代目ジェミニは「クオリティコンパクト」をコンセプトにいすゞが自社開発しました。駆動方式も、FRからFFに改められています。新開発の1.5L直列4気筒SOHCエンジンが搭載され、4ドアセダンと3ドアハッチバックが用意されていました。 エクステリアデザインは、イタルデザインの創業者でありデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロが手掛けました。ジウジアーロのデザインの特徴である直線基調のボディラインからは、ハンドリング性能の歯切れのよさが感じられます。 なお、初代と併売される形で投入されたため、2代目ジェミニは当初「FFジェミニ」という名称で販売されていました。 パリで撮影されたCMが大きな話題を呼んだ 2代目ジェミニが注目を集めたきっかけは、パリで撮影された前代未聞のテレビCMでした。棒でつないだように2台がピッタリと横付けしたドリフト走行、息のあったスピンターンや片輪走行などトップスタントチームのドライビングで、ジェミニがパリの街を駆け抜けます。軽快でキビキビしたハンドリングが魅力の、ジェミニの特徴を見事に表現したCMでした。 また、ロケ場所のユニークさも、CM人気が高まった理由の1つです。凱旋門前の通りやパリの石畳、さらには地下鉄の駅でもスタント走行シーンが撮影されました。人気とともに複数のバージョンのCMが制作されますが、いずれも一糸乱れぬ編隊走行を披露しており、見応え十分です。 パリの街並みにあった優雅で軽快な音楽も、CMに華を添えていました。花のワルツやラデツキー行進曲、オー・シャンゼリゼといったなじみのある曲が使われています。 人気の中心は追加されたスポーツモデル CMで話題となった2代目ジェミニですが、標準車のスペックはそれほど高いとはいえませんでした。人気の中心になったのは、性能を向上させたスポーツモデルです。 特に、イギリスの名門メーカー、ロータスとタッグを組んだZZハンドリング・バイ・ロータスは高い人気を集めました。 2種の追加モデルを投入 2代目ジェミニは、発売後に相次いでハイスペックのスポーツモデルが投入されます。最初に登場したのは、標準エンジンにターボを搭載したイルムシャーです。1.5LのSOHC2バルブエンジンながら、最高出力120psを発揮しました。 続いて1988年に投入されたZZハンドリング・バイ・ロータスは、ロータスが足回りのチューニングを施したモデルです。新開発の高回転型NAエンジンを搭載し、ホットモデルのイルムシャーに対して、上品でゆとりのあるキャラクターのモデルでした。 高回転エンジンとしなやかな足回りのZZハンドリング・バイ・ロータス ZZハンドリング・バイ・ロータスには、7,200回転で最高出力135psを発揮する新開発の1.6L直列4気筒DOHC16バルブエンジンが搭載されていました。ほぼ同時期に販売されていたトヨタ AE86 カローラレビン(トレノ)(1987年に販売終了)が130psだったことを考えると、十分なスペックだったことがわかります。 ロータスによるサスペンションのチューニングは、ロードホールディングと乗り心地を両立させる方針で施されました。強化ブッシュやモノチューブタイプのガス封入式ダンパーなどによって、走りの上質さが徹底的に高められています。 追加グレードでより洗練されたZZハンドリング・バイ・ロータス ZZハンドリング・バイ・ロータスは、性能面だけでなく内外装もスポーティに仕上げられています。フェンダーアーチには標準車にはないモールが取り付けられ特別感を演出、さらにBBS製ホイールもオプションで選べました。 内装では、MOMO製のステアリングに加え、レカロ製のシート(フロント)を標準装備。161万円という強気の価格設定にも関わらず、大ヒットを記録しました。 なお、1989年6月にはセダン限定ながら、ZZ-SEというさらなる豪華仕様のモデルが追加されています。オプション扱いだったBBS製アルミホイールを標準装備し、エクセーヌのレカロシートとBOSEスピーカーまで備わっていました。 乗用車から撤退したのに現在でも根強い人気 2代目ジェミニをヒットさせたものの後続モデルの販売が振るわず、いすゞは2002年を最後に乗用車から撤退しました。しかし、2代目ジェミニの人気は今も根強く、ZZハンドリング・バイ・ロータスは100万円以上の買取価格がつくこともあります。25年前の大衆車だと考えると、2代目ジェミニがいかに魅力的なクルマなのかうかがい知ることができます。 名門ロータスがチューニングしたスポーツモデルとはいえ、同時期の他車と比べても絶対的に優れた性能があるわけではありません。しかし、2代目ジェミニは今も多くの人の心に残り続けている名車です。ジウジアーロのデザイン、パリで撮影された印象的なCM、そして自社開発にこだわったいすゞの情熱、さまざまな要素が影響し合って魅力が高まったモデルだといえるでしょう。
私たちは古いクルマ専門の買取サービス「旧車王」を展開しています……と堅苦しく自己紹介することが多いですが、そもそもは皆さんと同じ「ただの旧車好き」です。 古いクルマならではのボディラインとか質感とか、オイル臭さとか、エンジン音とか振動とか、魅力満載ですよね。もちろん新車だっていいところたくさんあるけど、旧車でしか感じられない刺激の虜になってしまったのが私たち「旧車王」なんです。 旧車の魅力をどうにかして末永〜〜く伝えていきたい、いやもう未来の人類にも直にその目で見て触れて感じてほしい!好きすぎるがあまりに気持ちが溢れ、旧車を次世代につなげる取組みを自分たちではじめてしまいました。同じ旧車好きの皆さんにもぜひ、その取り組みを知ってほしいので今回ちょっと熱く語らせていただきます。 若者にとって旧車は新しい文化!? 1980〜1990年代のファッションやインテリアが「昭和レトロ」「平成レトロ」として、若い世代からの注目を集めています。現在「旧車」と呼ばれる古いクルマの多くも、この領域にカテゴライズされます。当時の国産車といえば、プレリュード、シルビア、セリカ、マークⅡ……名車を挙げたら切りがない。特にプレリュードなんてエクステリアがたまらないですよね、低くて美しいボンネットや、可愛いリトラクタブルライト、横長のテールランプにも趣があるし……と、すみません。思わず熱くなりました。 話を戻します。昭和レトロ、平成レトロを中高年の方々が目にすると「いや〜懐かしいな〜俺が大学生の頃はこれがああでこうで△●×■※……」などと大体昔話が始まるものです。でも、それらの文化に熱を上げている20代〜30代のほとんどは、当時まだ生まれていません。「エモい」という言葉で形容されることが多い文化ですが、若者の多くは懐かしさよりもある種の新しさを感じているのではないかと思います。 だから旧車も若者にとって新しい刺激なわけです。クルマが生まれたのははるか昔だけど、出会ったのはつい最近。だと考えると、まだまだ旧車と一緒にいたいですよね?お父さんやお母さんの世代よりも、知り合ってからの時間が浅いんだから。まだまだいろんな場所をドライブしたいし、たくさん想い出をつくりたいですよね。 ずっと旧車と一緒にいたい! 旧車に乗り続けるには、旧車を「残して」いく必要があります。しかし悲しいことに、工業製品であるがゆえに経年劣化は避けられません。ただ乗っているだけでも、どんどん傷んでしまいます。中古車として出会ったときにはすでにもうあちこち故障していた、なんてケースも旧車では少なくないですよね。 でも!まだまだ!旧車と一緒にいたい! そんな想いが強すぎるため、旧車王は“自動車再生”に力を入れています。言葉のとおり、「自動車」を「再生」する事業です。買取ったクルマを、次のオーナー、また次のオーナー、そしてまた次のオーナー……といつまでも乗り継いでもらえるように、大事に修理・修復しています。ただ壊れている箇所を直すだけじゃなくて、クルマそのものの魅力をさらに輝かせるように。 1990年代のネオクラシックカーだって、きちんとメンテナンスすればあと20年は走行できます。つまり、あなたがもっと歳を重ねても、たとえば将来子供ができたときにだって、今の愛車は元気に走っていられるのです。願わくば、その子供が大人になる未来にも旧車文化を残していきたいと思っています。 ★旧車王は古いクルマの買取を行っています! 旧車王、実は20年以上にわたって古いクルマを取扱っていて、多くのクルマたちに触れてきたノウハウを活かし、買取サービスを行っています。手放す際のオーナー様の気持ちも痛いほどよくわかるので、1台1台慎重かつ丁寧に査定しております。大事な愛車をいつか売却するときがきたら、旧車王のことを思い出していただけると嬉しいです。 <買取のお申し込みはこちら> 👉Webフォーム👉お電話(フリーダイヤル)0120-389-777受付時間 9:00〜22:00 年中無休
重心の低いウェッジシェイプのボディにミッドシップレイアウト、ガルウィングというスーパーカーと同様の設計思想で作られたマツダ AZ-1。軽自動車という制限の多い規格のなかで、妥協を許さず作り込まれたマツダの情熱と技術力を感じる1台です。 今回は、現在もなお人気の高い軽自動車ミッドシップスポーツ、AZ-1の歴史と魅力を紹介します。 スーパーカーのレイアウトを軽自動車で実現したAZ-1 AZ-1は全長3,295mm、全幅1,395mmという軽自動車と同等のサイズでありながら、スーパーカーさながらのレイアウトを実現しました。特にAZ-1のアイコン的存在の装備が、軽自動車で唯一のガルウィングです。 実は合理的だったといわれるガルウィング採用の理由も含めて、AZ-1の基本構造をみていきましょう。 ミッドシップレイアウトでガルウィングまで装備 1992年に登場したAZ-1は、「軽自動車」という点を除けばまさにスーパーカーといえる仕様のモデルでした。ミッドシップに搭載したターボ付きDOHCエンジン、ガルウィングドアと装備だけをみればランボルギーニやフェラーリに引けをとりません。 ミッドシップレイアウトにしたことで、前後重量配分は42:58とスポーツカーの理想に近い数値を実現。スーパーカーらしい見た目だけでなく、高い運動性能もAZ-1の魅力です。。 ガルウィングはボディ剛性確保のために必要だった ガルウィングの採用には、実は合理的な理由がありました。スポーツカーに欠かせないボディ剛性を確保するためです。加えて、メルセデスベンツ 300SLのようにサイドシルを高く設計したことから横開きのドアでは乗り降りが難しく、乗降性確保の目的もあってガルウィングが採用されました。 一方で、軽快な走行性能を実現するため、徹底した軽量化も図られています。外板の強度に依存しないスケルトンモノコックボディという構造にすることで、ボディ剛性と軽量化を両立。外板の多くにFRPを使用し、わずか720kgという車重を実現しました。 アルトワークス譲りの高い基本性能 AZ-1のパワートレインは、実はスズキ アルトワークスと共通です。自主規制いっぱいの64psを発揮する、F6A型直列3気筒DOHCターボエンジンが搭載されています。 また、サスペンションもアルトワークスと同じです。すでに高い評価を得ていたアルトワークスの基本性能が、そのままAZ-1に移植されました。加えて、シャープなハンドリングを実現するため、ダンパーやバネ、ブッシュ、スタビライザーに至るまで、マツダこだわりのチューニングが施されました。 振り切った内外装デザイン AZ-1のデザイン上の特徴は、ガルウィングだけではありません。本格的なミッドシップスポーツカーと遜色のないデザインが、細部に渡って取り入れられています。 続いて、AZ-1の内外装の特徴をみていきましょう。 スーパーカーをそのままコンパクトにした外観 ランボルギーニ カウンタックやフェラーリ 328GTBなどと同様に、AZ-1のボディ形状はウェッジシェイプです。さらに、サイドのエアインレット、エンジンルーム上の放熱スリット、後部の開口部などスーパーカーをそのままコンパクトにしたようなデザインに仕上げられています。 また、AZ-1の個性をより一層引き立たせているのが、丸目のヘッドライトです。一般的なクルマと違い、フロントノーズよりやや奥まったところに配置されています。実はコンセプトカーでは、リトラクタブルヘッドライトが採用されていました。空力に影響する先端部のため、できるだけ流線型を犠牲にしないように配慮されたのかもしれません。 居住性は皆無のスパルタンな内装 お世辞にもAZ-1の居住性は高いとはいえません。乗員の背中側にエンジンが来るため車内は狭く、ドライバーのスペースの確保さえ苦心した様子がみえます。もっとも特徴的なのはエアコンのコントロールパネルの場所です。ドライバーの左足側のスペース確保のため、センターコンソールに縦向きに設置されています。 さらに、安全上の理由からスペアタイヤをフロントノーズ部に収納できず、車室内後部に搭載せざるを得ませんでした。軽自動車サイズでミッドシップスポーツカーを実現するためには、居住性を犠牲にするしかなかったようです。 さらに個性的な特別仕様車もあった ベース車輌自体が個性的なAZ-1ですが、特別仕様車もいくつかリリースされました。マツダスピードバージョンでは、大型のエアインテークのあるボンネット、エアロバンパーと大型リアスポイラーが装備され、コンパクトなAZ-1が迫力のある外観に生まれ変わっています。 また、当時マツダのグループ会社だったM2社の手掛けたM2 1015は、かなり個性的な1台です。ボンネットの切り込み形状の変更によってヘッドライトの形が変わり、さらに中央部にはフォグランプが追加されたことでまったく印象の異なるクルマに仕上がっています。専用アルミホイールや後部には「M2 1015」のエンブレムまで装着されました。 唯一無二の存在だけに失われない価値 AZ-1は、軽自動車にスーパーカーの要素をたっぷりと詰め込んだ、唯一無二の個性的なモデルです。現在でもAZ-1の人気は高く、大手中古車サイトでは180~270万円程度で取引されています。1992~1995年のわずか3年間しか作られなかったこともあり、今後さらに希少性が増していくでしょう。 一方で、希少性の高いクルマを売却する際は、買取業者選びに注意が必要です。流通力が少ないと参考にできる価格情報が限られているため、一般的な買取業者だと価値を正しく判断してもらえない可能性があります。AZ-1のような旧車を売却する際は、旧車専門の業者に相談しましょう。
プジョー 206 WRCは、2000年という区切りの年からWRCでマニュファクチャラーズタイトル3連覇を果たしたWRカーです。1980年代にWRCを席巻したプジョーが、新たな規定の制定をきっかけに206 WRCで再び功績を残しました。 圧倒的な強さを誇った206 WRCが誕生した背景と、輝かしい戦績を振り返ってみましょう。 ラリーで勝利するために生まれた206 WRC 206 WRCは、残念ながら市販モデルではありません。WRCが新たに定めた規定によって、市販車をレース専用に改造した特別なマシンです。 プジョーのWRC復帰の直接のきっかけでもあるWRカー規定も含めて、206 WRCについて詳しくみていきましょう。 WRカー規定の制定に勝機を求めた206 WRC 1998年にプジョーは、10年以上離れていたWRCへの復帰と参戦車輌である206 WRCを発表しました。1986年のグループB規定の廃止によってプジョーはWRCから撤退していましたが、1997年に新しくWRカー規定が生まれたために復帰を決意します。 グループB廃止後にメイン規定となったグループA規定では改造範囲が限られていたため、ベースの市販車の性能を大幅に向上させる必要がありました。しかも、12ヶ月間で5,000台の生産という厳しい条件も課せられていたため、メーカーにとっては大きな負担だったといえます。 WRカー規定は、グループAへの参戦が難しいメーカーへの救済措置として制定されました。骨格が市販車ベースという点はグループAと同様ですが、改造範囲が大幅に拡大されています。そのほか、高性能車を何千台も生産するという厳しい条件も撤廃。新たに生まれ変わったWRカー規定が、プジョーのWRC復帰の大きなきっかけとなりました。 同じくWRCで活躍した205の後継車206がベース車輌 プジョーが再びWRCに参戦するにあたって選んだクルマは、同年に発表された新型車206でした。206の先代205は、グループB時代のWRCを席巻したモデルです。プジョーが撤退した1986年にも、ライバルのランチアを抑えてマニュファクチャラータイトルを獲得しました。 そして、15年ぶりのモデルチェンジを果たして、1998年に206が登場します。奇しくも、WRカー規定が制定された翌年でした。再びプジョーがWRCの舞台に戻ってくるタイミングとして運命的なものを感じます。 高い技術力で完成した206 WRC 改造範囲の広いWRカー規定に則って制作された206 WRCは、ベース車輌の206から大幅な改造が施されています。搭載する2.0Lターボエンジンの最高出力は300ps、最大トルクは535N・mにも達し、わずか1,230kgという軽量コンパクトなパッケージングに圧倒的な戦闘力をもたせました。 さらに、6速シーケンシャルミッションを備えるXトラック製のギアヤボックスを縦置き配置し、駆動方式を4WDに変更。外観こそ206ですが、中身にはFFコンパクトカーの痕跡はまったくありません。 スペックだけを羅列すると単純に高性能なパーツを搭載しただけに思えますが、コンパクトな206の骨格にすべてを収めるのは至難の業だったはずです。206 WRCが実現したのは、プジョーの高い技術力があったからこそでしょう。 WRCで再度黄金時代を築いたプジョー 206 WRCで再びラリーの舞台に戻ってきたプジョーは、参戦翌年からいきなりドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。 プジョーのWRCでの活躍と、参戦へのこだわりをみせた特別モデルについて紹介します。 マニュファクチャラーズタイトル3連覇を果たす 206 WRCは1999年にスポット参戦で投入されると、翌2000年には早くも実力の高さを証明します。フィンランドのマーカス・グロンホルムの成長もあって、マニュファクチャラーズタイトルとドライバーズタイトルをダブル獲得しました。 2001年にはドライバーズタイトルこそ惜しくも逃すものの、マニュファクチャラーズタイトルを獲得して2連覇を果たします。さらに、2002年にはマーカス・グロンホルムが圧倒的な実力で王者に返り咲き、再びダブルタイトルを獲得するとともに、マニュファクチャラーズタイトル3連覇を達成しました。 規定をクリアするための特別モデル 206 WRCの正式なベース車輌は、限定生産された206GTです。実はベースグレードの206は、最低全長4,000mmとするWRカー規定を満たしていませんでした。そこでプジョーは、最低全長をクリアするために206 S16のバンパーを延長した206GTを発売したのです。 生産台数2,500台(当時)という規定を満たすため、全世界4,000台が限定販売されました。日本国内では50台が販売されたことが、当時のカタログに残っています。 限定車を生産するほどWRCに力をいれていたプジョーですが、マーケティング的な成功につながりました。WRCで無類の強さを誇っていた2002年には206の日本国内の販売台数は8,234台にも達し、翌2003年には累計販売台数3万台を達成しています。 206 WRCの成功は以降のモデルにも影響を与えた 206 WRCの成功は、以降のプジョーのラインアップにも大きな影響を与えます。プジョーの最小モデルは、1.2Lで100㎰足らずと今でこそ大人しいキャラクターですが、2世代後の208までは200psオーバーの1.6L・直列4気筒直噴ターボエンジンに6速MTを組み合わせたハイパフォーマンスモデル、208GTiが設定されていました。1998年に生まれた206 WRCのDNAが、2010年代後半まで続いていたということです。 また、「206 WRC」は、ルールこそ違うものの現在の「Rally1」にも通じるものがあります。普通に街を走っているコンパクトカーが、ラリーで活躍するという新たな常識を作ったクルマです。
レトロデザインがかわいらしいマツダ シャンテにロータリーエンジンを載せた「RE雨宮ロータリーシャンテ」。軽量でコンパクトなロータリーエンジンを車重の軽い軽自動車に搭載した、大排気量の欧州スポーツカーとも渡り合えるマシンです。 RE雨宮の伝説の1つでもあるロータリーシャンテの魅力を振り返ってみましょう。 RE雨宮がチューニングした史上初のロータリー軽自動車シャンテ レシプロエンジンに比べて軽量でコンパクトに設計されているロータリーエンジンですが、ロータリーシャンテが製作された当時は軽自動車に搭載した例はありませんでした。現在でさえ、軽自動車へのロータリーエンジン搭載例はわずかしかありません。 史上初のロータリー軽自動車となったシャンテと、RE雨宮の高い技術力について詳しく紹介します。 軽自動車なのに最高速度240.48km/hを記録 ノーマル車輌の車重480kgのシャンテにマツダが誇る12A型ロータリーエンジンを搭載したロータリーシャンテは、最高速トライアルで有名な谷田部テストコースでなんと最高速度240.48km/hを記録しました。 ロータリーエンジン専門のチューニングショップだったRE雨宮は、遊び心で軽自動車のシャンテのロータリー化を計画。そして、ついに1981年に世界初のロータリーエンジン搭載軽自動車、ロータリーシャンテを完成させます。 軽くて小型なロータリーエンジンとはいえ、軽自動車規格のなかでもコンパクトなシャンテに搭載するのはかなり大変だったようです。しかし、RX-3のフロントメンバーを移植、サイズの小さい10A型のトランスミッションを使用するなど、RE雨宮が技術力を尽くして見事に実現させました。 また、油圧式クラッチへの変更、RX-7用のトルクロッドの追加、ゼロヨン用のタイヤの採用など、180psといわれる高出力に耐えられるようさまざまな工夫もされています。 すべてにおいてオンリーワンだったRE雨宮 RE雨宮は、国内のみならず世界的にもほとんど例のないロータリーエンジン専門のチューニングメーカーです。さらに、RE雨宮が創業した1974年当時は現在よりも改造車に対する規制が厳しく、個人経営のチューニングショップはまだ少ない時代でした。 世界初のロータリーエンジン搭載車コスモスポーツをマツダが発売してからわずか7年で、完成度の高いチューニング車を制作していたのは驚くべきことです。日本のチューニングショップ黎明期に、ロータリーエンジン専門店として登場したRE雨宮は、まさにオンリーワンの存在でした。 ポテンシャルは十分あったマツダ シャンテ ロータリーシャンテが成功したのは、シャンテがクルマとしての十分なポテンシャルを秘めていたためだといわれています。実際、マツダもシャンテにロータリーエンジンを搭載する計画を立てていました。 当時の軽自動車の多くには、開発技術の問題もあってRR(リアエンジン・リアドライブ)のレイアウトが採用されていました。先代キャロルもRRでしたが、マツダはシャンテでFR(フロントエンジン・リアドライブ)を採用。また、ロングホイールベースとしたことで、安定性も向上させました。 軽量でコンパクト、FR、ロングホイールベースというスポーツカーにとって重要な要素を併せもったクルマだったことが、ロータリーエンジンの力を最大限に引き出す大きな要因でした。 現在も根強いファンに支持されるロータリー シャンテ RE雨宮が製作したロータリー シャンテは、登場当時はもちろん現在も多くのファンから根強い人気を集めるチューニングカーです。 当時の人気アニメにも登場した、ロータリー シャンテへの注目度の高さを紹介します。 人気アニメ「よろしくメカドック」に登場 ロータリーシャンテは、人気アニメ「よろしくメカドック」にも登場したことでも有名です。「よろしくメカドック」は、チューニングカーへの関心の高まりを背景に子ども向けアニメとして放送されていました。しかも、劇中に少し登場というわけではなく、1話分のエピソードとしてロータリーシャンテが取り上げられています。 個人経営のチューニングショップが製作したロータリーシャンテですが、アニメの題材にまで取り上げられているのには驚きです。なお、RE雨宮を創業した雨宮 勇美氏も「霜宮 勇美」という名前で登場しています。 最近の東京オートサロンにも出展された ロータリーシャンテの登場は今から40年以上前ですが、新しく製作された車輌が現在でも東京オートサロンに出展されています。まず、2016年にオリジナルを製作したRE雨宮が、実質3号機としてイチから製作したロータリーシャンテが出展されて話題になりました。 さらに、2023年には郷田板金が製作した、13B型エンジン搭載のロータリー シャンテも出展されました。オリジナルを製作した雨宮氏のアドバイスを受けながら、極端なオーバーフェンダーの個性的なロータリーシャンテに仕上げてられています。 芸人の佐田正樹さんは現役でシャンテに乗る レトロデザインが魅力のマツダ シャンテは、オリジナルモデルも多くのファンに愛されています。クルマ好きで知られるお笑いコンビ・バッドボーイズの佐田正樹さんは、自身が所有するシャンテのカスタマイズをYoutubeで公開。また、郷田板金が製作したロータリーシャンテも、同氏のYoutubeチャンネルで紹介されています。 佐田さんが所有するシャンテは、実際に公道を走行できる状態に仕上げられている点が素晴らしいポイントです。オリジナルの外観を保ちつつ、40年以上が経過した今も現役で走行している姿からシャンテの完成度の高さがうかがえます。 マツダ シャンテはRE雨宮によって完成された 前述のとおり、シャンテは当初ロータリーエンジンを搭載する前提で開発されていました。しかし、排気量に制限のある軽自動車で、ロータリーエンジンの排気量換算が問題になって計画は頓挫します。同排気量のレシプロエンジンでは及ばない高出力化が可能なロータリーエンジンだっただけに、ライバル社からの圧力もあったのかもしれません。 販売終了後にはなったものの、RE雨宮がロータリーエンジンを搭載したことでシャンテはようやく完成したといえます。しかも、マツダはシングルローターの搭載を予定したため、2ローターの12Aは当初計画を上回るハイスペックマシンに仕上がりました。