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メルセデス・ベンツのクーペ、及びロードスターの最高峰に位置付けられる“SLクラス”。そのルーツは、レースで結果を残したモデルをベースに開発された300SLです。しかし、同時に発売された廉価版の190SLも、300SLに劣らず魅力をもったクルマでした。SLクラスの確固たる地位を築き、現在も高い人気を誇るメルセデス・ベンツ 190SLの生い立ちを振り返ります。 SLクラスを世間に認知させた190SL メルセデス・ベンツの歴史上初めて“SL”の名が付けられ、自動車史に残る名車として認知されているのは300SLです。しかし、販売台数を伸ばし商業的に成功したのは、同時に発売された190SLでした。 SLクラスを世間に認知させその後のクラス存続にもつながったモデルともいえる、190SLの歴史を振り返ります。 伝説の名車300SLと同時発売された廉価モデル メルセデス・ベンツSLクラスが誕生するきっかけとなったのは、300SLのプロトタイプが、1952年のカレラ・パナメリカーナ・メヒコで勝利したことです。当時、世界一過酷と言われていた公道レースで勝ったことは、アメリカのスポーツカー好きから注目を集めます。 そこに今後の需要があると踏んだのが、アメリカで輸入車ディーラーを経営していたマックス・ホフマンです。当初300SLは市販される予定はありませんでしたが、彼の強い働きかけによって、1954年に300SLは生まれました。そして、300SLの製造を依頼するのと同時に、日常使いができるコンパクトで低価格なモデルとして製造を依頼して誕生したのが190SLです。 販売台数で300SLを大きく上回った190SL 190SLは、日常的に使えるクルマを目指して開発され、ボディサイズやエンジンのコンパクト化など随所にコストダウンが図られています。当時の販売価格は、300SLよりも4割ほど安く設定されていました。 コストに制約があるなかでも、ボディデザインにはこだわり、300SL同様の流麗なボディを実現。結果として、2万5,000台以上を販売するという大ヒットを記録します。300SLの販売台数が3,000台強ということを考えると、SLクラスを多くの人に広めたのは190SLと言って間違いないでしょう。 ただの廉価版ではない190SLの魅力 ベースモデルの300SLよりもエンジンは小型で、ボディサイズもコンパクトです。190SLは、いわゆるメインモデルの廉価版として製造されました。 しかし、メインモデルと変わらない美しいボディデザインや日常での取り扱いやすさなど、190SLは“SL”の名に恥じないこだわりが詰まったクルマです。ここからはその魅力を詳しく紹介します。 コンパクトながら官能的なボディデザイン 190SLの特徴は官能的なボディデザインです。300SLと比べて全長約300mm、全幅50mmコンパクトに設計されているにもかかわらず、独特な美しいボディラインは損なわれていません。 なお、300SLはレースカーと同様にガルウィング仕様も用意されていましたが、より多くのドライバーが楽しめるように190SLは最初からロードスター(幌)モデルのみの販売されました。(後にハードトップも追加)流麗なデザインでありながら誰でも手に届くクルマだったといっていいでしょう。 必要十分なパワーを持つ扱いやすいエンジン 190SLのエンジンは、105馬力を発生するキャブレター式1.9L直列4気筒SOHCです。215馬力の300SLに比べて劣るものの、100kgも軽量に作られている190SLにとって、当時としては十分なエンジンパワーでした。 また、レースカーライクでピーキーな300SLよりも取り扱いやすかった点も、190SLの成功につながったポイントです。 高いメンテナンス性 当時としてメンテナンス性が高かったことも、SL190が持つ特徴の一つです。日常使いというコンセプトは、性能面や価格だけでなく車両の内部設計にも反映されていました。 また、異なるモデル間でも共通パーツが多く使われていることも、クルマを長く維持するうえで重要なポイントです。190SLに関する情報のなかには、製造された個体の半数近くが現存していると推定しているものもあります。 手頃だった190SLも今やプレミアムカー 販売当初は、日常使いのしやすさと手頃な価格で人気を博した190SLですが、現在の中古車価格は手頃とはいいがたい水準で推移しています。販売終了から50年以上が経過し、いかにメンテナンス性が高くても年々在庫は減少しているためです。 大手中古車サイトで検索すると、1960年式の190SLに2,350万円の価格がついていました。また、検索結果に表示されたのはわずか3台。年式から考えても現存台数が多いと言える190SLですが、希少車であることには変わりありません。また、旧車王での買取価格を確認すると、10月に1750万円もの高額で買い取った実績がありました。 190SLを手に入れたい方は、市場動向をこまめにチェックし購入の機会を逃さないようにしましょう。また、お手元に190SLをお持ちの方は状態が悪くなる前に、高値で推移している今こそ売却を検討してみてはいかがでしょうか。 ※中古車相場は2022年10月原稿執筆現在
初代ランサーのスポーツグレードが、三菱 ランサー 1600GSRです。特徴的な丸目ヘッドライトを採用した個性的なスタイリングで、小型車ながら高い戦闘力を秘めたランサー 1600GSRは、三菱の綿密な戦略によって生み出されました。後に三菱を代表する“ランエボ”にもつながるランサー 1600GSRの魅力と実力を詳しく見ていきましょう。 三菱の戦略で誕生したランサー 1600GSR ランサー 1600GSRは、1973年に登場した初代ランサーのスポーツグレードです。しかし、単にベース車両から派生したモデルではなく、もともと開発陣がランサーとして目指していた姿を体現したモデルでした。 ライバル他社に遅れをとらないよう、明確な戦略をもって投入された三菱 ランサー 1600GSRの歴史を紐解きます。 群雄割拠の1.5Lクラスに投入されたランサー 1973年2月にデビューしたランサーシリーズは、席の空いていたスモールセダンクラスを埋めるために開発されたモデルです。そのため、発売当初は大衆車としてファミリーユースを意識したラインナップになっています。 しかし、1970年代当時、このクラスはかなりの激戦区で、トヨタのコロナや日産のブルーバードなど強力なライバル車が先行している状況でした。 後発となる三菱としては、よりインパクトの強い車種の投入が必須で、若年層を意識した安価で高性能かつ、スポーティーなモデルを開発当初から目指すことになります。そこで、ベースモデルの発売からわずか7ヶ月後の1973年9月に投入されたのが、ランサー 1600GSRです。ラリー競技を念頭に開発された高性能エンジンを搭載し、当時としてはずば抜けた動力性能を発揮しました。 ライバルと違う道を目指したことで個性を発揮 1.5Lクラスで遅れをとっていた三菱にとって、ランサーは切り札ともいえる車種でした。そこで、三菱はラリーへの参戦というライバルメーカーとは違う宣伝戦略をとります。ラリーは世界的にも人気が高かったことと、サーキットを走るライバル車とあえて異なる道を選ぶことで差別化を図りました。 ランサー 1600GSRは、開発段階からラリーへの参戦を意識してつくられました。。結果的にこの戦略は奏功し、モノコックボディは剛性が高く、足回りもオーソドックスな構成ながら信頼性の高いものに仕上がりました。 ラリーでとにかく強かった ランサー 1600GSRは、市場投入後すぐにその力を発揮します。1973年10月開催のサザンクロスラリーに5台の1600GSRを送り込み総合優勝を勝ち取るとともに、4位までを独占するという輝かしい結果を残しました。 さらに、翌年の1974年にはサファリラリーで総合優勝、サザンクロスラリーも2年連続で制覇。この後1976年にかけてサザンクロスラリー4連覇、サファリラリー3連覇を達成しラリー界を席巻しました。 無敵の走りを見せていた1600GSRですが、オイルショックの影響で三菱はモータースポーツからの撤退を余儀なくされます。しかし、過酷なラリーで結果を残し続けてきたことで、走行性能だけではなく高い信頼性を世界にアピールすることに成功したのです。 大衆車なのにスポーツカー並の性能と装備 1600GSRはベース車両が大衆車と思えないほど、強力なエンジン、高いボディ剛性、魅力的な内外装を備えた完成度の高いクルマでした。 三菱開発陣の高い技術力はもちろん、こだわりがつまっていることがよく分かります。スポーティというよりも、スポーツカーともいえる1600GSRの特徴を見ていきましょう。 高いエンジン性能とボディ剛性 ランサー 1600GSRがベース車両と大きく異なる点はエンジンです。「サターン」のニックネームで呼ばれる4G32型4気筒SOHCエンジンは、9.5まで高めた圧縮比とツインキャブレターによって最大出力110ps/6,700rpm、最大トルクは14.2kgm/4,800rpmを発生。800kgほどの軽量な車体を、最高速度175km/hまで加速させます。 ラリー参戦を見据えて開発された完成度が高いボディも1600GSRの特徴の1つです。前後の頑丈なボックスセクションをボディ中央のトルクボックスでつなぐレイアウトは、ボディのねじり剛性を飛躍的に高めるとともに、高い衝突安全性も実現しています。 スポーティにまとめられた魅力的な内外装 曲線を多用したロングノーズショートデッキのスタイリングは、スモールセダンながら格上のスポーツカーを思わせる仕上がりです。さらに、丸目のヘッドライトと縦型のコンビネーションランプなど、個性的なデザインは今見ても魅力的です。 内装も、3連の円形メーターにフロアシフトを装備するなど、一貫してスポーティにまとめられ、当時の小型車としては先進的なデザインでした。 ランサー 1600GSRの成功が無ければ“ランエボ”は誕生しなかった!? ランサー 1600GSRは、三菱のラインナップをただ埋めるのではなく、先行するライバル車に打ち勝つために開発され、見事に三菱の目的を達成しました。ランサー 1600GSRの成功がなければ、その後のランサーエボリューションの開発もなかったかも知れません。 個性的なボディデザインと高い走行性能を誇る魅力的なランサー 1600GSRをぜひ手に入れたいところですが、残念ながら大手中古車サイトでも中古車両は見つかりませんでした。ただし、別グレードとなる1977年式ランサー GLでも398万円もの価格がついているため、万が一1600GSRが市場で見つかってもかなりの高額になることが予想されます。 どうしても手に入れたい方は、旧車専門の中古車店などで広くアンテナを張って根気強く探す必要がありそうです。 ※中古車相場は2022年8月原稿執筆時
RX-7をはじめとするRXシリーズが有名ですが、はじめてロータリーエンジンを採用した車は1967年発売のコスモスポーツです。マツダコスモは時代の流れとともにエンジンやデザインを変え、各モデルともに魅力的な車となっています。そんなマツダコスモの歴史を振り返りましょう。 初代マツダ コスモスポーツ(1967年~1972年) レシプロエンジンは、ピストンの上下運動をクランクシャフトにより回転運動に替えています。それに対し、ロータリーエンジンはハウジングの中でおむすび型ローターを回転させ、すべてを回転運動で完結させるというのが大きな特徴です。。ロータリーエンジンは理想のエンジンと呼ばれながらも、技術的課題が多く、長らく「エンジニアの夢」と言われたエンジンでした。 1951年、ドイツのフェリックスヴァンケル博士(Felix Wankel:1902−1988)がロータリーエンジンの原理を確立したものの、量産化には多くの課題が存在しました。そのため、ロールスロイスや日産を始め、世界中のメーカーが開発に着手したものの量産化には至りませんでした。 そんな中、1964年の東京モーターショーでロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツコンセプトが鮮烈なデビューを飾ります。 名前の由来はイタリア語で宇宙を意味するCosmo(コスモ)。「宇宙時代にふさわしいエンジンを」という願いが込められていました。 1967年5月30日、モーターショーでのデビューから3年、マツダはついにコスモスポーツの販売を開始。搭載された12A型ロータリーエンジンは、総排気量491cc×2、最高出力110PS、最高速度185km/h、0-400m加速16.3秒というスペックを持ち、当時のスポーツカーとしては十分な性能を持っています。 さらに、上下に分割されたテールランプやボディ全体の厚みを抑えたデザインは、航空機や宇宙船を彷彿とさせ「走るというより、飛ぶ感じ」という言葉を具現化した車でした。 2代目マツダ コスモ(1975年~1981年) コスモスポーツの生産終了から3年後、1975年に発売された車がコスモAPです。マツダのフラッグシップとして高級路線にシフトされました。欧米市場を意識した2代目コスモは、順調に販売台数を伸ばし、発売から1年半で10万台を達成します。1977年にはバリエーション違いのコスモLを追加し、これも同じく市場から高い評価を得ます。6年にわたり販売された2代目コスモは、コスモ史上最も売れたコスモとなりました。 コスモAP 1973年に発生したオイルショックの影響で燃費の悪いロータリーエンジンは嫌煙され、販売台数は悪化してしまいます。そんな中、1975年に他社に先駆け昭和51年排ガス規制をクリアし発売されたのがコスモAPです。 APは「反汚染」を意味するアンチポリューション(Anti Pollution)の略で、搭載された13B型 654cc×2ローターのロータリーエンジンは、51年排出ガス規制をクリアしながら最高出力は135ps/6000rpmを達成。コスモAPのイメージアップに一役買うことになります。 デザイン面ではアメリカを意識したスペシャリティカーへ進化を遂げ、メッキ仕上げの大型フロントグリルを持つファストバックスタイルとなります。特徴的なBピラーにはピラーにウィンドウを配置し、手動式レギュレーターで全開が可能でした。 コスモL コスモLは1977年7月に追加された2代目コスモの高級仕様です。単に部品を変えただけの仕様違いではなく、ノッチバックスタイルを持つこだわりの一台となっています。コスモLの「L」は、ランドートップ(上級馬車)の頭文字から取ったもので、ルーフ後端は高級感のある革調の素材を採用。2ドアクーペでありながら、高級リムジンのような雰囲気を醸し出しています。 後部座席はゆったりとしており、5人乗車が可能。見るからに小さい後部座席の窓は、すべての景色が見えなくとも、ラグジュアリーな時間を車内で過ごしてほしいという意図により採用されました。上質でありながらどこかかわいらしさも感じる内装は、旧車ファンの心を掴んで離しません。 初代コスモスポーツから受け継ぐ走行性能を持ち、環境性能も満足させながら、独特の世界観を持つ2代目コスモは、マツダの名作と言って間違いないでしょう。 3代目マツダ コスモ(1981年~1990年) 1981年9月、マツダは車名をシンプルなもの変更した3代目コスモを発売します。同時期にフルモデルチェンジを受けたルーチェの姉妹車となり、ボディバリエーションも複数用意されました。2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、なんとピラー付き4ドアセダンまでラインナップを広げています。(コスモの社名を有する4ドアボディはこのモデルが最初で最後)多様化する需要に応えるように選択肢を広げた3代目コスモは、マツダの意欲作でしたが、その期待とは裏腹に販売台数は伸び悩みます。 エンジンはロータリー・レシプロ・ディーゼルの3本立てとなっており、ロータリーエンジンを持つマツダならではのユニークなバリエーションです。デザイン面でもコスモらしい個性的なもので、直線基調のインテリア、カセットテープを正面から見せるオーディオなど、当時のファンを驚かせます。エクステリアでは先代のAPと同様にBピラーに小さな窓を備え、ウエストラインを下げてグラスエリアが拡大されました。さらに、角4灯のリトラクタブルヘッドライトという個性的なものとなっています。 しかしながら、発売当初搭載されたロータリーエンジンは、先代の13B型ではなく排気量の小さい12A型を採用しています。数値的には130ps/7000rpmと先代と同等でしたが、頼りないフィーリングはコスモファンを満足させることは出来ませんでした。 そこで、同年10月には初のロータリーターボを採用。160ps/6500rpmの最高出力と23.0kgm/4000rpmで当時最高速213.33kmに達しています。そして、1983年10月のマイナーチェンジでは、固定式ヘッドライトに変更された4ドアハードトップにインジェクション化された13B型(最高出力160㎰)を搭載したグレードが設定されました。 人気は2代目には及ばないものの、当時最高レベルの走行性能を持つ3代目コスモも魅力的な一台です。 4代目ユーノス コスモ(1990年~1996年) 1990年4月発売、4代目コスモはユーノスコスモとして登場。先代とは対照的にボディバリエーションは2ドアクーペのみで、ロータリーエンジンに一本化されました。 ラグジュアリーさを漂わせるそのフォルムに搭載されるエンジンは、20B-REW型の3ローターターボエンジンです。V12に匹敵するなめらかさを持ち、当時300ps以上と言われた出力は自主規制により280psにデチューンされています。 内装に目を向けるとオーストリア製の本革シートやイタリア製の天然目パネルに加え、世界初のGPSカーナビが搭載されています。至れり尽くせりの至高の高級車となっていましたが、販売台数は思うように伸びませんでした。 その理由は533万円からという高額なプライスと、街乗りでは3km/Lにもなると言われた極悪な燃費にほかなりません。バブル時代の当時でもライバルとなるR32スカイラインGT-Rが445〜529万円となっており、それほど理解を得られなかったのです。 ユーノスコスモ誕生から6年、マツダはユーノスコスモの販売を終了し、長いコスモの歴史に終止符を打つことなります。 モータリゼーションの長い歴史の中でも3ローターターボを採用した車は後にも先にもこのユーノスコスモだけであり、今後このような車が世に出ることは難しいでしょう。そのため、旧車界でもユーノスコスモは多くのファンを獲得しています。 まとめ マツダのコスモシリーズは、市販化が難しいとされたロータリーエンジンをはじめ、ユニークで洗練されたデザインなど、自動車好きの記憶に色濃く残る存在感を放ってきました。 一方、ロータリーエンジンの宿命とも言える燃費の悪さや、先を行き過ぎたデザインなど、失敗作と酷評されることも少なくありません。 しかし、明と暗がクッキリしたコントラストのある歴史こそが、難しい課題も豊富なアイデアで解決する技術者集団「マツダ」のイメージリーダーである証拠なのです。
専用パーツによるチューニングで高い走行性能を発揮する、レガシィS401 STiバージョン。スポーツセダンの代表車種ともいわれるレガシィB4を、スバルのスポーツ部門STi(現在は大文字のIを使用した「STI」だが、文中は小文字の「STi」を使用)がコンプリートカーとして製作したモデルです。 バランス取りまで施されたこだわりのエンジンを搭載するレガシィS401 STiバージョンについて、開発背景と魅力をたっぷりと紹介します。 <h2>人気のSTiモデルなのに売れなかったレガシィ 初代レガシィB4(レガシィとしては3代目)をベースに開発された、レガシィS401 STiバージョン。スバルファンに人気のSTi仕様車にも関わらず、登場した当時の販売台数は限定販売数にさえ届きませんでした。 しかし、ベースのレガシィB4、レガシィS401 STiバージョンともにスバルとSTiがブランドの転換を図った重要なモデルです。まずは、レガシィB4とSTiについて詳しく説明します。 スポーツセダンとしての地位を確立したレガシィB4 1989年から販売されていたレガシィは、1998年の3代目へのモデルチェンジで「B4」という新たなブランドを打ち出します。ステーションワゴンとセダンという2種のボディタイプのうち、セダンをレガシィB4と改めました。 初代レガシィB4は、RSとRSKというスポーツグレードのみを展開します。車としての性格を明確にしたことが、スポーツセダンとしての地位の確立につながりました。 スバルのスポーツブランドSTi STiは「SUBARU TECNICA INTERNATIONAL」の略で、スバルのモータースポーツ参戦母体です。また、同社のスポーツモデルブランドとして、レース経験で培ったノウハウを市販車にフィードバック。「STi」の名を冠した、数々のモデルが市場に投入されています。 なかでも、コンプリートカーと呼ばれるモデルはSTiの技術が存分に詰め込まれていて、メーカー公認のチューニングカーともいえる特別な存在です。レガシィS401 STiバージョンは、レガシィB4をベースにしたコンプリートカーとしてモデル末期の2002年に登場しました。 STiによるコンプリートカーは以前からありましたが、レガシィS401 STiバージョンは従来の戦闘力重視からプレミアム路線への転換を目指したモデルです。レガシィB4という新たなブランド戦略をとるスバル本体と、STiの新たな方向性の打ち出しは奇しくも同じタイミングでした。 限定販売だったのに伸びなかった販売台数 現在のSTiモデルはプレミアムカーとして定着していますが、当初は性能重視のブランディングでした。レガシィS401 STiバージョンからプレミアム路線に切り替えたことが、価格面も含めて当時のスバルファンにはあまり受け入れられなかったのかもしれません。同年に発売されたインプレッサのコンプリートカーS202がベース車輌から約65万円アップだったのに対して、レガシィS401 STiバージョンは約170万円も高い435万円という価格設定でした。 STiの名に相応しい名車レガシィS401 STiバージョン プレミアム路線に切り替えたといっても、レガシィS401 STiバージョンは「STi」の名に相応しい高い戦闘力を備えていました。 専用チューニングされたエンジンは手作業で組み立て レガシィS401 STiバージョンのエンジンは、専用ECUによる制御や吸排気系の変更で最高出力が293psまで高められています。エンジンの最大の特徴は、レーシングカーのように手組みされている点です。 ピストン、コンロッド、クランクシャフトの重量を1つずつ計測して、誤差がほぼゼロになるようバランスをとって組み上げられています。エンジンのバランス取りは極限の性能を求めるレーシングカーのチューニング手法で、量産型の車では限られた車種でしか採用されていません。 妥協のない足回りの作り込み かつてはWRCでも活躍したレガシィのコンプリートカーだけに、STiは走行性能にもこだわって開発されたようです。ベース車輌のレガシィB4 RSK自体もスポーティモデルとして高性能な足回りを備えていましたが、リアサスペンションのピロボールリンク化やバネ長の変更を加えてさらなる走行性能の向上が図られました。ほかにも、スタビライザーにも専用品を使用するなど、細部にわたって徹底したチューニングが施されています。 STiの性能へのこだわりといえば、専用に用意されたブレーキが象徴的です。ブレーキの高性能化に伴ってベース車輌から流用できなくなったリアブレーキのバックプレートを、なんと1,000万円もかけて金型から製作しました。ブレーキ自体は、ブレンボ製の17インチローターに4ポッドキャリパー(フロント)を備え、ステンメッシュホースを採用しています。 プレミアム感あふれる内外装デザイン プレミアム路線への切り替えを感じさせるのが、インテリアとエクステリアデザインです。エクステリアでは、フロントバンパーやボンネットのエアインテークが性能向上を目的に大型化された一方、カスタムカーにありがちな派手なエアロなどの装備はありません。プレミアムカーとして、大人が乗るのに相応しい外観をSTiが目指した結果といえるでしょう。 インテリアでは、つや消しのトリムが全体の雰囲気をシックにまとめています。また、バケットシートには、運転席のみ8wayの電動調節機構を装備。スポーツ走行時の性能面だけでなく、快適性にも配慮して作られていることがわかります。 販売台数の少なさが希少性をより高めた レガシィS401 STiバージョンは、数多くの専用パーツや手組みのエンジンなどSTiらしいこだわりの仕様でしたが販売台数は伸びなかったようです。正確な販売台数は不明なものの、400台の限定に対して300台弱といわれています。 プレミアム路線への切り替えが、価格面も含めて当時のスバルファンには受け入れられなかったかもしれません。また、販売当時はリセール市場もあまり成熟しておらず、ベースのレガシィB4 RSKから約170万円も高い435万円という販売価格も少なからず影響していたと考えられます。 しかし、販売台数が伸び悩んだことが、結果的にレガシィS401 STiバージョンの希少性を高める要因になりました。大手中古車サイトでも掲載台数はほんのわずかで、入手が困難な状況が続いています。 流通台数の少ない車種を売却する際は、注意深く依頼先を決めましょう。あまり流通していない車種だと販売見込みを立てるのが難しいため、一般的な中古車買取業者では買取してもらえないケースもあります。 しかし、旧車を専門的に買取っている旧車王では、レガシィS401 STiバージョンのような希少車も買取可能です。
ラダーフレーム構造にこだわり、硬派な本格クロカンとしての地位を築き上げたパジェロ。モデルチェンジを繰り返しても、最初の開発ポリシーは最終モデルまで受け継がれました。トヨタ ランドクルーザーと双璧をなす日本が誇るオフローダー、三菱 パジェロのこだわりと魅力に迫ります。 トラックベースの硬派仕様【初代:1982年~1991年】 マイナーチェンジを含めて9年もの長きにわたり、さまざまなモデルやエンジンを投入した初代パジェロ。三菱が世界に誇る看板車種となったパジェロですが、実は発売当初はあまり話題になりませんでした。しかし、本格クロカン車としてこだわって開発したことで市場のパイオニアともいえる名車となっていくのです。 あまり注目されなかった初代パジェロ誕生 初代パジェロが登場したのは1982年です。ノックダウン方式で生産していたジープに代わるモデルとして開発されました。後に本格クロカン車として三菱を代表する車種となったパジェロですが、当時は主力車種という位置付けではなかったため限られた予算で開発されます。 発売当初の販売台数は月間数百台程度だったという情報もあり、あまり注目されたクルマではありませんでした。 本格クロカンとして高い性能を誇ったパジェロ 初代登場時、パジェロは主力車種ではなかったものの、フレームやエンジンなど、三菱の開発陣はしっかりと作り込んでいました。結果的にクルマとしてのポテンシャルの高さがその後のパジェロ人気につながります。 まず、車体にはトラックでも使用されるラダーフレームを採用しました。ラダーフレームは構造がシンプルで信頼性が高く、堅牢なプラットフォームです。さらに、駆動方式をFRベースのパートタイム4WDとしたことで高い悪路走破性を実現します。 エンジンは4WD車として国産初となるディーゼルターボエンジンを搭載。発売翌年には145psを誇るG63B型2.0L 直列4気筒ガソリンターボエンジンも追加され、「国産クロカン4WD最速」とも称されました。 パジェロ旋風を巻き起こしたパリダカ パジェロが転機を迎えたのは、発売から5年後の1987年です。もっとも過酷なラリーとして知られるパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)で、プロトタイプのパジェロを駆る篠塚建次郎氏が3位という成績を残します。その模様は連日NHKで中継されていたこともあり、瞬く間にパジェロ旋風が巻き起こりました。 また、バブル景気によるアウトドアレジャーブームの後押しもあり、最盛期には年間8万台以上の注文を記録しました。ここから、パジェロは本格クロカンとしての地位を確立していきます。 RVブームを巻き起こした歴史的モデル【2代目:1991年~1999年】 初代で確立した国産クロカン車としての地位をより強固なものにしたのが、2代目パジェロです。世界初の画期的な4WD機構やハイパフォーマンスエンジンを投入して基本性能を向上させたことで、RVブームの火付け役になるとともにブームを牽引する存在となりました。 初代の成功を背景にフルモデルチェンジ 2代目パジェロの登場は1991年です。バブル景気まっただなかでの登場でした。初代で評価の高かった本格クロカンとしての性能と乗用車としての乗り味を両立させた三菱開発陣の強いこだわりが詰め込まれたモデルです。 より多くのユーザーに、本格クロカンを届けたいという三菱の狙いは見事に的中しました。高まりつつあったRV車への人気に火をつけ、RVブームを巻き起こすきっかけとなる車種になりました。 また、より多くのユーザー取り込みを狙って、軽自動車規格のパジェロミニと1.1Lモデルのパジェロジュニアが投入されたのも2代目パジェロです。どちらも小型ながら本格的なつくりで高い人気を集めました。 世界初搭載のスーパーセレクト4WD 2代目パジェロに搭載された4WDは、世界初搭載となる「スーパーセレクト4WD」です。スーパーセレクト4WDは、フルタイム4WDとパートタイム4WDの長所を兼ね備えた仕組みで、時速100km/h以内なら2WDと4WDの切り替えをセレクトレバーで簡単に行えるという画期的な機構でした。 ハイパフォーマンスエンジン 2代目パジェロには、初代から出力を155psまで引き上げた6G72型 2,972 cc V型6気筒SOHC12バルブエンジンを投入しました。この6G72型エンジンは改良を重ね、最終的には最高出力を185psまで引き上げられるとともに、4代目パジェロでも使用される長寿命エンジンとなります。 また、モデル末期となる1997年には、3.5Lの6G74型が追加されました。最高出力は245psを発生しつつ、V型6気筒エンジンとして世界初となるガソリン直噴(GDI)を採用することで、高出力と環境性能を両立しています。 さらに、同年にハイパフォーマンスエンジンを搭載したパジェロエボリューションがラリーのベース車両として投入されます。搭載された6G74型V型6気筒3.5Lエンジンは、新開発の可変バルブタイミング機構「MIVEC」を採用し、当時の自主規制上限である280psを発生させました。 クロカン系から高級路線に変貌【3代目:1999年-2006年】 本格的な悪路走破性能をもちつつ、普段使用を意識した変化を取り入れてきたパジェロ。3代目へと進化する過程で、より使いやすさと快適性追求し、ラグジュアリー志向のSUVへと大きな転換点を迎えることになります。 初代発売から17年目の大幅な路線変更 1999年に登場した3代目パジェロは、高級路線へと大きな方向転換を図ったモデルです。国内では1997年に登場した高級クロスオーバーSUVのハリアーが大ヒット。世界中の自動車メーカーが、乗用車としての乗り心地や高級感を重視したクロスオーバーモデルに舵を切り始めていました。その流れを受け、パジェロも高級路線になったものの、本格クロカンとしての性格は色濃く残すことで、他社のクロスオーバーSUVとは一線を画す存在でした。 フレーム構造をモノコックベースに変更 3代目パジェロは、乗り心地を重視しフレーム構造が大きく変更されました。ラダーフレーム構造から、モノコックフレームにラダーフレームを溶接したビルトイン構造を採用。高級路線で内装を豪華にしたことや安全性の強化などの重量増の要因があるにもかかわらず、軽量なモノコックフレームとすることで、約100kgの軽量化を実現しました。 一方で、ビルトイン構造のためラダーフレームの堅牢さも確保されており、本格クロカンという矜持は維持しています。 より安定性と操作性の向上が図られたパワートレイン 3代目パジェロには、2代目パジェロの末期に追加された6G74 V型6気筒3.5Lエンジンが引き続き搭載されました。最高出力こそ220psとややおさえられているものの、制御の問題点を改善。高級車にふさわしく安定性が高められています。 また、2代目から搭載されたスーパーセレクト4WDも「スーパーセレクト4WDⅡ」に進化しました。センターデフをプラネタリーギアに変更し、前後トルク配分を33:67とリアよりとすることでオンロードでの操縦性向上が図られています。 改良を続けその魂を貫いた【4代目:2006年~2019年】 結果的にパジェロの最終モデルとなった4代目パジェロ。販売最終年には、特別仕様車「ファイナルエディション」を投入し、惜しまれつつその歴史に幕を閉じることとなります。 本格クロカンにこだわり続けた4代目 4代目パジェロは、3代目の高級路線を踏襲する形で開発されました。本格クロカンへのこだわりでもあった、ビルトイン構造のフレームやハイパフォーマンスエンジン、スーパーセレクト4WDⅡを軸にした駆動系にも改良が加えられています。 シャーシに関しては、ビルトイン構造を継承しつつ、高張力鋼板や構造用接着剤の使用によって、先代以上のボディ剛性を実現。高級車としながらも、最後までオフロードでの走破性にこだわりました。 販売最終年となる2019年には、「ファイナルエディション」として特別仕様車を投入しました。三菱がいかにパジェロを大切にしてきたかがうかがえます。 初代から一貫してこだわった高い基本性能 4代目パジェロには、252psを発生する6G75 V型6気筒3.8Lエンジンが搭載されました。さらに2010年には新環境基準をクリアしつつ、パジェロ史上最大トルクとなる45.0 kgf・mを発生する新型のクリーンディーゼルエンジンが投入されたことも注目したいポイントです。 走行性能についても、3代目から採用しているスーパーセレクト4WDⅡに加えてさらなる安定化を図る機能を装備しています。独立したブレーキ制御をおこなうアクティブスタビリティコントロール(ASC)とエンジン出力制御によるアクティブトラクションコントロール(ATC)を組み合わせたASTC(アクティブスタビリティ&トラクションコントロール)を全車に標準装備しました。滑りやすい路面や急ハンドルでも安定した走行を実現し、クロカン車としての機能が向上しています。 時代を作り時代に飲み込まれたパジェロ 4代目パジェロは、初代を超える13年という長期間販売されました。しかし、2019年の4代目生産終了とともに、パジェロは37年の歴史に幕をおろすことになります。 市場がクロスオーバーSUVへシフトしていったことで、本格クロカンにこだわり続けたパジェロの存在感は徐々に薄れていきました。RVブームのきっかけとなり市場を作り出したパジェロ。しかし、最後はその市場の動向やニーズの変化に飲み込まれるという皮肉な形で生産終了となりました。 まとめ クロスオーバーSUVの台頭という波に飲み込まれたパジェロですが、中古車市場では現在でも人気の高い車種の1つです。 大手中古車サイトでは、年式の古いものであれば60万円台から販売されていますが、4代目最終モデルの低走行車なら600万円程度と幅広い価格で販売されています。 対して旧車王での買取価格を見てみると、走行距離113,700kmの1999年式2代目パジェロGEバンが55万円。そして、2019年式、走行距離25,200kmのファイナルエディションで400万円の値が付けられています。(2022年8月原稿執筆時) 一部の国産スポーツカーのように、非現実的な価格で取引されているわけではありません。しかし、25年以上前の年式でも400万円を超えるような中古車も販売されており、パジェロも全体的には徐々に相場が上がりつつあると言えます。 電動化や自動運転など、悪路走行とは別の性能が重視されているいま、今後パジェロのような本格クロカンモデルが新たに登場する可能性はほぼありません。そのため、ハイパワーなエンジンと堅牢なシャシーを備えた硬派な存在のパジェロは、今後その相場が上昇する可能性も十分にあるのです。
■実はワタクシ・・・・ 実はワタクシ、過去に映画カメラマンだったときがあります。 映画といっても「産業映画」や「教育映画」が多く、あとはスタジオでのCF撮影やアニメーション撮影などもこなしておりましたが、まあそれもフィルムを使っていた時代のお話。 とはいえ、今でも企業向けのムービー制作や、観光映像などの演出や撮影に関わったりしています。 フィルムからデジタルに時代が変わっても、レンズを使って撮影する「カメラ」の撮影の基本は、実はあまり変わらなかったりするものです。 ■写真を考えてみる というわけで、ほとんどの皆さんが持っているであろうスマートフォン 。 スマートフォンは、たいてい「写真」の撮影ができますね。 お出かけしたときだけでなく、普段から自分のクルマの写真を撮ったりしていると思うのですが 、そういうふうに撮っている「写真」って、自分で見てどうですか? 雑誌やウェブに載っている、プロの人が撮った写真と「違う」のはなんとなく「解るような気がする・・・」という感じだとは思いますが、どうせ撮るならカッコよく綺麗に撮りたいですよね。 普段何気なく撮っているスナップ写真でも、たまには「いいね!」って時があるけれど、やはりいい感じで写してみたいもの。 それって実は、プロ用の機材を使ってるからとかの違いだけでなく、露出などの「光」の使い方、場所や時間にあった「設定」の選び方などが大きな理由でもあるのです。 ■構図は大事 で、実はそれだけではなく、コレからお話しするような 「写真のレイアウト」、すなわち「構図」も 大きな「違い」の理由のひとつだと思います。 写真を撮るとき、なんとなく「構図」って考えてるとは思いますが、じっくり「考えて撮る」と少しだけいつもよりイイ写真、ちょっとイイ感じの写真が撮れるのではないかと思うのです。 というわけで、今回は写真撮影時にちょっと役立つ 「構図」について考えてみようかと思います。 さて、ここでいう「構図」にも、実はある程度の「作法」があります。 なので、ここではよく言われる「作法(スタイル)」をいくつかご紹介。 コレから自分で写真を撮るときに 、ちょっとだけ意識してもらえればいいかなと思うのです。 ■構図とかレイアウトとか この写真の構図の考え方は、 ほぼそのまま「映画」や「アニメーション」でも同じように作られており 、ソレは「画面のレイアウト」という呼び方で 、専門のスタッフがレイアウトを手がけるのが一般的です。 スタッフロールにも「レイアウト」とかの役職が出てくるときがあります 。 なので、コレからは映画やアニメーションを観るときも、ちょっと気をかけて観ていると写真を撮る際にも使えるような色々な発見があると思います。 なお、今回は画面解像度1920ピクセル×1080ピクセルという、パソコンで使われる一般的な画面サイズ(FHD)でお話を進めていきます。 スマートフォンは機種によってサイズの違いがさまざまですが、構図そのものの考え方に大きな違いはありません。 と、前置きが長くなってしまいましたが、ではスタート。 ■1.日の丸構図 って、いきなりクルマじゃねえじゃん! とか言わないでね。 ネコは全てを赦します。 というわけで、この「日の丸構図」と呼ばれる構図は、メインの被写体をど真ん中に持ってくるシンプルでわかりやすい構図。 ありきたりすぎて「つまらない」写真の代表といわれることもありますが、記念写真などでもよく見かける安定したとてもいい構図だと思います。 ■2.対角線構図 いわゆる遠近法で見せる構図 。 奥行きであったり、動きなどを表すときに使う構図で 、スマートフォンなどの場合は広角側で撮るといい感じになると思います 。 大きなものを撮る時などに使うと、結構効果的かもしれませんね。 って、クルマ出てこねえ・・・・ ■3.シンメトリー構図 基本「左右」あるいは「上下」が線対称となる構図で、ベーシックな構図として写真だけでなく絵画などでも多用されているのはご存知の通り。 古典的な構図としては定番という感じです。 クルマはどうした! ■4.三分割構図 写真構図の基本ともいわれている、画面を縦横に三分割した交点に被写体を置く方法。 線の交点あたりに、何か目立つものを配置してバランスをとる。 コレも絵画の考え方から使われる構図です。 ここではヘッドライトや人物の顔がだいたい交点に、背景の壁を水平線に見立てている感じです。 ■5.動いてるヤツは前を空けろ 動いている被写体(クルマだ!)を撮るとき、進行方向を空けておくと「動いてる感」が増してちょっとカッコよくみえる(ハズ)です。 試してみるといいですよ。 ここでも水平線を向こう側の歩道のラインに合わせていますが、水平線が「水平」になっていると安定感が増します。 ■6.光と影 これは「構図」の話ではないのですが、光と影をうまく使うと、普段見慣れたなんでもない風景もドラマティックに見せることができるかもしれませんね。 ボディに映る風景なんかも、うねうね曲面に沿ってこんなカタチになるんだ!という発見があったりします。 と、いう感じでさらりとご紹介いたしましたが、いかがでしょう? なんだよ、こんなの知ってるぜ!という方も多いかと思います。 構図の話などは写真撮影のノウハウとかの記事で見かけたりもしますよね。 ということは、この「構図」の選び方、使い方というのはそのくらいポピュラーな考え方なんだと思うのです。 普段スマートフォンで写真撮る際も、ちょっとだけ「構図」を考えて撮ってみると、なんとなくウデが上がったような気分になるかもしれません。 頭の中に描いたイメージ通りに撮るってのはなかなか難しいものですが、構図を考えたりすることでそのイメージに少しでも近づけることができますよ。 [ライター・画像 / まつばらあつし]
RVブームの只中にあっても、まだまだセダンが全盛だった1990年代初頭。 各メーカーとも、大小さまざまなセダンモデルをラインナップしていました。 たとえば、トヨタなら「コルサ」「カローラ」「コロナ」「カリーナ」「カムリ」「セプター」「ウィンダム」「マークII」「クラウン」「アリスト」「セルシオ」…… 日産なら「サニー」「パルサー」「ブルーバード」「プリメーラ」「セフィーロ」「スカイライン」「ローレル」「セドリック」「プレジデント」…… といった具合(兄弟車まで含めるとさらに多い!)。 ▲今回のテーマ車、ラファーガ そんななかでもホンダは、“ワイド&ロー”を強調したスポーティスタイルのモデルで個性を発揮。 モデル名でいえば、「シビック」「コンチェルト」「アコード」「アスコット」「インスパイア」「ビガー」「レジェンド」など。 アイルトン・セナが活躍したホンダF1の全盛期だったこともあり、特に走りやスタイリングにこだわりを持つ“クルマ好き”な人たちに選ばれていました。 今回のテーマ車「アスコット/ラファーガ」兄弟は、1993年10月に登場したクルマ。 アスコットとしては2代目で、ラファーガはその兄弟車として登場したニューネームでした(初代アスコットはアコードの兄弟車だったから、ちょっとややこしい)。 ■キャッチコピーは「背が高いこと」 直列5気筒エンジンを縦置きにしたユニークなFF(前輪駆動)プラットフォームは、アコードインスパイア譲りのもの。 ここに「背高・高効率」のボディを載せたことが一番の特長でした。 当時を知っている人なら、「背が高いこと」のキャッチコピーを覚えているかもしれません。 具体的にいえば、初代アスコットの全長4680mm×全幅1695mm×全高1390mm(ホイールベース2720mm)に対し、全長4550mm×全幅1695mm×全高1425mm(ホイールベース2770mm)。 「短く・背高く・ロングホイールベース」とすることで、取り回しのしやすさと室内空間の拡大を狙ったというわけ。 ▲2代目アスコット さらに、サイドウインドウの傾斜角を少なくし、シートのヒップポイントを高めるなどして使い勝手にも配慮。 ホンダは、これを「ホンダ発・セダン新潮流」「高密度ダイナミックセダン」と表現していました。 スタイリングは、長いホイールベースを生かしたロングノーズ・ショートデッキで、まるでFR(後輪駆動)車のよう。 シンプルな面構成のボディに、小さなグリルが特徴です。 ワイド&ローを強調するため、薄型かつ横長のグリルが多かったホンダにあって、この小さなグリルが新鮮でした(どっしり感を出すため、バンパーグリルはワイドにデザイン)。 アスコットとラファーガは、ヘッドライト・グリル・フォグランプ・ウインドウトリムでそれぞれを個性化。 ▲左:アスコット、右:ラファーガ アスコットは、ブライトメッキのヘッドライトに縦格子のグリル、丸形フォグランプ、クロームウインドウトリムで落ち着いた雰囲気。 ラファーガは、ブラックのヘッドライトに横格子のグリル、角型フォグランプ、ブラックウインドウトリムで、スポーティな装いです。 インテリアもシンプルな意匠で、高級感と使い勝手の良さを両立。 上部まで生地貼りのドアトリムがユニークで、ホンダでは「シンプルでありながら、完成度の高いウェルテーラードインテリアが新しい感覚をもたらしています」としていました。 ▲アスコットのインテリア ▲レザー内装も設定 エンジンは2.0リッターと2.5リッター、2種類の直列5気筒を搭載。 2.0リッター車は5速MTと4速AT、2.5リッター車が4速ATで、全車2WDのみの設定でした。 サスペンションは全車、4輪ダブルウイッシュボーンと“走り”のホンダならでは。 2.5リッター車では、フロントタワーバーも標準装備していました。 ■最大のライバルは身内にあり 現代の目で見ればコンパクトで上質、凝ったメカニズムのセダンはとても魅力的に見えますが、残念ながらこの2代目アスコット/ラファーガは、大きなヒットに恵まれることもなく4年で生産が終了。 アスコット/ラファーガの名称もここで途絶えてしまいます。 ホンダ渾身のセダン新潮流は、どうしてヒットに至らなかったのでしょうか。 その理由は、名車&迷車列伝で取り上げるクルマの多くがそうであるように、クルマのデキによるものではなく、外的要因によるものだったといえます。 しかも、アスコット/ラファーガの場合、“身内”によるところが大きいのが、悲運なところ。 1つはホンダ・セダンモデルの旗艦車種、アコードのフルモデルチェンジ。 アスコット/ラファーガが登場するわずか1カ月前、5代目アコードが発売されています。 ▲5代目アコード この5代目アコードは、マークIIを始めとしたライバルたちが続々と“3ナンバー化”をしていくなかで、北米向けと同様のワイドボディを採用し上級移行。 グラマラスになったボディは、ホンダらしいスポーティネスを備えていました。 しかも、ボディの拡大はボディ全体におよび、全高は1410mmにアップ。 アスコット/ラファーガとの全高の差はわずか15mmしかなく、アスコット/ラファーガの「背が高いこと」は、発売時点ですでにそれほどアピール力を持つものにはならなくなっていたのです。 もう1つは、アコードをベースとした派生車種の登場。 1994年の「オデッセイ」に、1995年の「CR-V」、そして1996年の「ステップワゴン」と、新しい価値観を持つ(そしてずっとずっと背の高い)クルマが現れ、セダンという狭いくくりのなかでチャレンジしたアスコット/ラファーガの新鮮さは、さらに失われてしまいます。 1995年のマイナーチェンジ時には、大胆なリヤスポイラーを装着し、スポーティさを強調した「2.0CS」を追加しますが、販売向上の活力とはならず。 1997年にアコードが6代目へとフルモデルチェンジするのと呼応するように、生産終了となりました。 ▲ラファーガ2.0CS ▲2.0CSのインテリア なお、6代目アコードには新たに「トルネオ」という名の兄弟車が登場しており、「アコードの兄弟車」という意味で、このトルネオをアスコット/ラファーガの後継車とする向きもあります。 ■生まれるのも廃れるのも必然だった 「ホンダ発・セダン新潮流」へのチャレンジの方向性は間違っていなかったといえますし、実際に生まれたクルマはとても魅力的なものであったと思えます。 それでもヒットに結びつかなかったのは、バブル崩壊により人々の志向が大きく変わり、またRVやミニバンへの“ファミリーカーのシフト”が起こった激動の時代にあったためでしょう。 また、5代目アコードと登場の時を同じくしてしまったことも、アスコット/ラファーガが今ひとつ頭角を現せなかった一因だと言えそうです(その点ではホンダの失策でしょうか)。 ▲アスコットにはアスコット・イノーバという兄弟車も存在 仮にアスコット/ラファーガがあと3年早く登場していたら、その存在感はもっと大きなものになっていたはず……というのは簡単ですが、バブルに向かっていくイケイケの1980年代後半にこの実直なコンセプトが生み出せたかというと、難しかったでしょう。 アスコット/ラファーガは時代の中で必然的に生まれ、必然的に悲運を背負っていったのです。 まさに名車&迷車として語りたい、そんなクルマではないでしょうか? [ライター・木谷 宗義 / 画像・ホンダ]
新車の価格設定が安い軽自動車は高額買取してもらえないと考えている人も多いでしょう。軽自動車は維持費も安いうえに地域によっては車庫証明も不要なため、実は高いリセールバリューが期待できます。今回は、軽自動車の買取価格の相場や高額買取を実現するポイント、軽自動車の売却の流れについて解説します。軽自動車の購入や買取を検討中の人は参考にしてください。 軽自動車の買取価格の相場 まず、人気の軽自動車の買取価格相場について詳しく解説します。 スズキワゴンR スズキ ワゴンRは1993年から販売されている軽トールワゴンです。現行型は6代目となり、初代からの累計販売台数は481万台(2021年現在)であることから人気の車種といえるでしょう。新車購入後の残価率は3年以内で60%台後半、5年以内で40%台後半というデータもあり、現行型の買取相場は50〜100万円程度です。 ダイハツムーヴ ダイハツ ムーヴは1995年から販売されており、軽トールワゴンとしてスズキ ワゴンRと人気を二分してきました。新車購入後の残価率は3年以内で60%弱、5年以内で40%台半ばとなっており、現行型の買取相場は40〜90万円程度です。現行型の6代目は2014年に登場しており、スズキ ワゴンRと比較すると買取相場は若干低めに推移しています。 ホンダライフ ホンダ ライフは1970年代に人気を博した軽自動車を1997年に再登場させた軽トールワゴンです。スズキ ワゴンRやダイハツ ムーヴとともに軽自動車販売を牽引したモデルで、後継車のN-WGNが登場したことにより2014年に販売を終了しました。絶版車で最終モデルも年数を経ているため、現在の買取相場は0〜30万円程度です。 日産モコ 日産モコは、2002年から販売された日産初の軽量産車です。2016年に販売が終了するまでスズキ MRワゴンのOEM車として、日産独自のアレンジを加えて幅広い層に販売されました。絶版車で最終モデルも年数を経ているため、現在の買取相場は0〜50万円程度です。 ホンダN-BOX ホンダ N-BOXは、2011年から販売されている軽スーパーハイトワゴンです。新車販売ランキングでも常にトップクラスに位置しているため、リセールバリューはかなり高いといえるでしょう。新車購入後の残価率は3年以内で70%超、5年以内で60%台後半となっており、現行型の買取相場は70〜110万円程度です。 軽自動車の高額買取を実現するポイント 続いて、軽自動車の高額買取を実現するポイントについて詳しく解説します。 適切に評価できる業者に相談する 軽自動車の高額買取を実現するためには、適切に評価できる業者に相談することが重要です。カーオークションへの出品が主体となる業者は、台数を確保するために一台ごとの詳細査定には力を入れない傾向にあります。対して中古車販売がメインの業者は、顧客を抱えていたり注力している車種に関しては高額査定を行う可能性が高いでしょう。 軽自動車も車種によっては専門店を構える業者が増えているため、本格オフローダーやワンボックス・トールワゴンなど、買取に出す車のジャンルを得意としている業者の情報収集をしっかりと行うことが重要です。 決算期前の1~3月または9月に相談する 軽自動車の高額買取を実現するためには、決算期前の1~3月または9月に相談するとよいでしょう。決算時期は中古車の販売数が伸びるため、事前に買取価格の相場が高くなります。その時期を過ぎると下取りなどで市場在庫が飽和する傾向にあるため、一部の人気車種以外は買取相場も下落すると考えましょう。 メンテナンスノートを準備する 軽自動車の高額買取を実現するためには、メンテナンスノートを準備することも重要です。メンテナンスノートはメーカーの保証書と点検整備記録簿がセットになっており、新車登録から5年以内の車は保証継続のときにも必要となります。メンテナンスノートの有無で査定額が数万円変わることもあるため、査定前にしっかりと確認しましょう。 内装・外装をなるべくきれいにしておく 高額査定を目指すためには内装・外装をなるべくきれいにしておくことが重要です。汚れた状態では塗装面の傷やへこみ、室内の臭いや汚れの確認にも時間がかかり、査定する側の心証も悪いものとなります。車の状態がきれいだと査定も迅速で高額買取につながりやすいため、内装・外装は普段からこまめに清掃しておきましょう。 軽自動車の売却の流れ 軽自動車の売却の流れについて解説します。 ①買取業者を選定する②査定を依頼③売却先決定、買取契約を行う④必要書類を準備し、車両とともに引き渡す⑤入金を確認する 売却時の必要書類 ・自動車検査証・自動車リサイクル券・自賠責保険証明書・軽自動車納税証明書・認印・振込口座がわかるもの(通帳かキャッシュカード)※事前に準備しておくことで査定した日に引き渡しまで完了します。
イタリアでは築年数が経っている建物を壊して新しいものを建てる、ということはあまりなく、古いものは綺麗に改装し使い続けるという建築文化が根付いている気がします。 したがって、由緒ある建物にもかかわらず、中に入ると近代的! でも、実は築年数が100年だったりすることがよくあります。 そんなイタリアで、なんとフィアットの元工場をホテルに改装し、誰でも宿泊することができるという素晴らしい場所がトリノにあるのです。 今回はそこに宿泊してきましたので、ホテルの様子を皆さまにお届けしたいと思います。 ■「NH Torino Lingotto Congress」について ホテルの名前は「NH トリノ リンゴット コングレス」。 こちらの建物についてまず少し紹介します。 こちらの建物は、当時フィアットグループ(現FCA)のもっともシンボリックな工場としてトリノに誕生しました。 その建物の屋上には、1919年に建設された1.5kmのテストトラックが併設されており、組み立てられた自動車のテストに使用されていました。 このテストトラックは今でも残されており、立ち入ることも可能です。 そこからフランスとの国境でもあるアルプス山脈を一望することができ、それを目的に来館する方もいらっしゃるようです。 工場が閉鎖されたのち、この建物はエンターテインメントと文化の発信地として再開発が行なわれ、ショッピングモールやホテル、美術館等が併設する施設として利用されることになりました。 リノベーションを手掛けたのは、関西国際空港のターミナルを設計したことでも有名なレンゾ・ピアノ氏。 ホテルは特に部屋にこだわりがない場合、比較的お財布にやさしい価格帯なので、私たちも連泊することに。 ホテル内にはレストランやスポーツジムもあり、充実した時間を過ごせること間違いなしです! ■ホテルへのアクセス方法について トリノ中心街の「Torino Porta Nuova」駅から直通電車で約10分の「Torino Lingotto Railway Station」で下車すると、駅はホテルにほぼ直結しています。 もちろんホテルには駐車場も完備されているので、クルマでアクセスすることも可能。 トリノの中心街に近いのも嬉しいポイントです。 ■ホテルの中は一体どんな感じ? さて、早速中に入ってみると、元工場だったとは想像がつかないくらい綺麗で近代的なホテルです。 エントランスを入ってすぐには、旧車の展示があります。 この展示車は常連のお客さまが飽きないようにでしょうか、定期的に変わるようです。 ホテルの中には竹林の中庭もあり、和洋折衷な一面も感じられました。 宿泊部屋も窓が非常に大きく、明るく清潔感のある部屋で、この部屋で製造されていた車輌が写されたポスターが壁に貼られていました。 ポスターにはクルマ乗る楽しそうな女性・・・ このポスターを見ながら、この部屋でこのクルマが作られていたのかと思うと、なぜでしょう、ノスタルジックな気持ちになりました。 ■このホテル宿泊者の特権はずばり?! 屋上にはテストトラックがあるのですが、お金を払えば誰でもアクセスすることが可能となっています。 ですがホテル宿泊者なら、いつでも無料でテストトラックに入場することができるんです! エレベーターで屋上に上ると、まずはカフェ兼展示物コーナーに行き着きました。 そのカフェを抜けると、さあ、お待ちかねのテストトラックが見えてきました! 屋上のテストトラックとは一体どんなものなのでしょうか?! 第一印象は、傾斜の効いたカーブの迫力がすごい・・・!でした。 ちなみにこの傾斜カーブに登ろうとしたところ、警備員さんに怒られてしまいました。 それもそのはず、人間が立てないくらいの傾斜になっているので、普通に危険です(汗)。 そして次に印象的だったのは屋上から見るアルプス山脈です。 こんな絶景の中、車輌の走行テストを行なっていたのですね。 今はカフェと化しているようですが、当時の司令塔も残されています。 トラックには当時の歴史を記した写真等が展示されているため、この施設が実際に工場であり、自分がいるところが本当にテストトラックであったことを実感させられました。 この建物がどのような目的で建てられ、どのような歴史を経て閉鎖することになったのか、展示物をみながら学習することもできます。 ところで皆さん、このクルマがどうやって屋上に上ってくるか想像つきますか? 私は下方の階から組み立てが始まり、徐々に上階に来て、最終的に出来上がった車輌が屋上にたどり着くのか?と想像しましたが、そうではないようです。 下記写真のように、クルマ用螺旋階段のようなものがあり、これで車輌が屋上まで到着するという構造でした! 日本では過去にも現在にもこのような工場またはテストトラックが存在していないと思うので、螺旋階段でクルマを屋上に持ってくるとは、なかなか想像がつきませんでした。 さすがイタリアです!洒落ていますよね。 ■最後に フィアットはイタリアが誇る自動車メーカーの一つで、イタリアでは誰からも愛される存在であると思います。 民衆とともにイタリアの歴史を刻んできた由緒あるブランドの建造物を壊すことなく、新たな形でこのような人々の憩いの場として利用されているのは、歴史を無駄にしない、正しい使われ方である、そう感じました。 トリノはピエモンテ州の首都で、イタリアで4番目に大きな都市。 1861年、イタリア全土が統一国家になった際に、最初の都市が置かれたのがトリノなのです。 このホテル以外にも、歴史的建造物や美食文化も(クルマに関する博物館ももちろん)充実しています! クルマを好きの方は絶対に楽しめるトリノ、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。 特にフィアットオーナーの聖地巡礼には欠かせない街ですよ! [ライター・画像 / PINO]
ドイツでは、あえて古い年代のクラシックカーを好んで乗る人がとても多いのです。 筆者の住むベルリンでも例外はなく、街で見かけない日はありません。 クルマに限らず、歴史的建造物を現代に残して別の用途で再利用したり、アンティーク家具や骨董品も同様に人気があります。 古きよきものを大切にする文化が根付いているドイツならではともいえますが、中世ヨーロッパの風情が残る街並みに、クラシックカーはとても美しく映えます。 そんなクラシックカーの中でも「ヒストリックカー」と呼ばれる、特別なクラシックカーがあることを知っているでしょうか? 「ヒストリックカー」とは、製造年数が古く、状態の良さなどいくつかの条件を満たしたクラシックカーを指しますが、認定を受けたクルマには「Hナンバー」と呼ばれる専用ナンバープレートが与えられます。 「H」とはドイツ語の“Historisch(ヒストリック)”からきており、“歴史的”という意味を持ちます。 また、単に古いというだけでなく、税金や車検が優遇されるといった特典もあります。 世界的にEV化に注目が集まる2020年代においても「ヒストリックカー」の認定を受けるクルマが増え続けているドイツですが、そこにはどんな理由があるのでしょうか? 先に述べた古いものを大事にする文化や、税金の優遇以外にもメリットがあるのでしょうか? では、「ヒストリックカー」と「Hナンバー」について、詳しく深掘りしていきましょう。 ■ 1.ドイツにおける「ヒストリックカー」の定義とは? 「ヒストリックカー」の制度は、古き良きクルマを文化遺産として現世に残そうという目的のもと、1997年に導入されました。 製造から30年以上経過しており、オリジナルの状態を保持している、もしくは現代的に修復された状態の良いクルマのことを「ヒストリックカー」と呼びます。 ■2.「Hナンバー」とは? 「ヒストリックカー」には、正式名称「Kennzeichen historischer Fahrzeuge(歴史的工業遺産)」、通称「Hナンバー」と呼ばれる専用のプレートがついています。 見た目は普通のナンバープレートと変わりませんが、末尾にヒストリックの意味を記した「H」が入っているのが特徴です。 ■3. 資格が得られる条件は? クラシックカーに限らず、どんなクルマであっても当然ではありますが、まず自動車保険に加入しており、車検が有効でなければなりません。 一般検査(StVZO第29条に基づく)と、専門家による車輌の整備状態や保存状態の査定を行ない、その証明となるクラシックカーレポートを取得する必要があります。 ボディ、フレーム、ドライブトレイン、ブレーキシステム、ホイール、タイヤ、電気システムなどが主な査定対象となります。 必要書類をすべて揃えて登録事務所へ提出し、基準を満たしていた場合に限り、「Hナンバー」が取得できます。 ■4. どんなメリットが? 「Hナンバー」のついたヒストリックカーは、税金や車検などが優遇されるといった特別なメリットがあります。 所有者は文化財保護者として扱われ、排気量にかかわらず、年間の自動車税が一律で191.73ユーロ(約30,000円)に抑えることができます。 また、都市ごとに設定されている環境規制にしばられることがありません。 さらに「シーズンナンバー」という使用期間限定ナンバーも用意されています。 これは「Hナンバー」と「シーズンナンバー」を組み合わせて年間の税金を12ヵ月で割り、使用期間分のみの税金を支払えばいい仕組みです。 温暖な季節にしか乗らないなど、通年使用しないオーナーにとってはありがたいですね。 ■5.人気の「ヒストリックカー」は? ドイツにおける不動の1位ともいえるのが、やはりメルセデス・ベンツの「W123」シリーズです。 連邦自動車交通局(KBA)が2022年に発表した結果ですが、街中でもいちばんよく見かけます。 続く2位は、同じくドイツメーカーで、街でもよく見かけるフォルクスワーゲン ビートル。 「ヒストリックカー」の登録比率が78%となっており、所有者の8割近くが「Hナンバー」を取得していることがわかります。 3位は、同じくフォルクスワーゲンからバスがランクイン。 通称ワーゲンバスと呼ばれており、初代の「T1」から「T2」「T3」「T4」とシリーズ化され、モデルチェンジを繰り返してきました。 ツートーンカラーのレトロなデザインが愛らしい「T1」「T2」が最も人気です。 上位3位以外では、ポルシェがランクインしており、「ヒストリックカー」においても圧倒的にドイツの国産車が人気のようです。 ■6.EV化が進むなかにおける「ヒストリックカー」の立ち位置 ドイツでは、温室効果ガスの排出量実質ゼロを目指していることから、2030年までにEVの登録台数を最低1,500万台にするといった高い目標を掲げています。 2022年にドイツ自動車産業連合会(VDA)が発表した結果によると、バッテリー式電気自動車(BEV)とプラグインハイブリッド車(PHEV)が88万4,576台(42.9%増)という、脅威の台数を叩き出しています。 しかし、ここまで増えた要因の1つは、4万ユーロ以下のEVに対して9,000ユーロの補助金が出ていたこと。 経済問題などから補助金が削減されて以降、EV市場は縮小傾向にあり、大手のフォルクスワーゲンは減産にシフトしました。 対する「ヒストリックカー」ですが、「Hナンバー」制度が設けられた1997年当時の保有台数は、翌年1998年までの間でわずか18,000台でした。 その後、2008年には16万台に増え、2020年代に入ると50万台以上にも増えました。 ヒストリック人気の裏では、フォルクスワーゲンのビートルがEVに改造され販売されるという、これまでにない動きを見せています。 名車と呼ばれるクラシックカーたちが、現代のライフスタイルや環境問題改善のために変わっていくのは避けられないのかもしれません。 今後、それぞれの台数がどのように変化していくか注目していきたいですね。 [ライター・Kana / 画像・Kana, Mercedes-benz]