旧車の魅力と知識

日産 ER34スカイラインのD1での活躍を振り返る! 進化するGT-R化についても詳しく紹介
旧車の魅力と知識 2025.04.18

日産 ER34スカイラインのD1での活躍を振り返る! 進化するGT-R化についても詳しく紹介

スカイラインといえば「GT-R」のイメージですが、プロドライバーによるドリフト競技「D1 GRAND PRIX」で注目を浴びたのはER34です。また、GT-Rが極端に高騰したことを背景に、GT-R仕様にカスタマイズする文化も生まれました。 目的によってはGT-R以上に魅力のあるER34スカイラインについて、D1での活躍を中心に詳しくみていきましょう。 ドライバーの個性とともに異彩を放ったER34スカイライン ER34のD1ドライバーといえば、博多弁丸出しの独特な口調とひょうきんなキャラクターで人気を博した野村謙氏です。黎明期を支えたレジェンドドライバーとして、現在もD1を中心に各方面で活躍しています。 野村氏のキャラクターとともに、強烈な個性を発揮したER34スカイラインのD1での活躍を振り返ってみましょう。 D1初年度からBLITZのドライバーとして参戦 ノムケンこと野村謙氏は、D1初年度の2001年からBLITZのER34スカイラインで参戦します。しかも、使用したのは4ドアモデルで、小柄なご本人とのコントラストが印象的でした。 大量のタイヤスモークをあげるドリフトは、大柄なボディと相まって迫力満点。「白煙番長」の異名で呼ばれ、個性的なドライビングスタイルを確立しました。 無冠ながら節目での印象的な活躍 D1のレジェンドドライバーとも評される野村氏ですが、実はシリーズチャンピオンの獲得経験はありません。しかし、1ポイント差の激闘やアメリカ開催のエキシビション戦での勝利など、印象に残る名勝負を数多く繰り広げました。 参戦当初の2001~2003年までは、迫力のある走りとは裏腹に準優勝が最高成績でした。マシンの完成度が向上するとともに、野村氏の実力が発揮されたのが2004年シーズン以降です。2004年仕様のマシンが投入された第2戦SUGOでは追走で強さをみせ、続く第3戦エビスサーキットで念願の初優勝を果たします。 さらに、2006年にはシーケンシャルミッションを投入するなどブラッシュアップを図り、シーズン最多タイの2勝を挙げました。初のシリーズタイトル獲得の期待もかかりましたが、ライバルの熊久保信重選手に僅か1ポイント差で破れ、シーズン2位という結果になりました。 ER34スカイラインでとことん楽しむ R34型スカイラインといえば、「GT-R」の人気が高いことは言うまでもありません。しかし、野村氏がD1で走らせたER34も、スポーツカーファンから高く評価されています。以前は難しかったGT-R化のハードルも下がり、ますます注目を集めているモデルです。 ここでは、そんなER34の魅力とトレンドを紹介します。 スポーツ走行ならGT-Rよりも楽しめる 絶対的な性能面では、ER34よりもBNR34(GT-R)に軍配があがります。アテーサによって高度に制御された4WDシステム、RB26DETTによる圧倒的なパワーはER34にはありません。しかし、ドリフトはもちろん、手足のようにクルマを操る感覚を楽しむという意味では、ER34は魅力的なモデルです。また、GT-Rよりも車重が軽いことも、スポーツ走行を楽しむうえでは大きなアドバンテージです。 さらに、性能を突き詰めたGT-Rではなく、あえてER34を選ぶことで自分好みにセッティングを仕上げられるのも魅力といえるでしょう。 定番のGT-R仕様はリーズナブルに進化 GT-R仕様へのカスタマイズは、ER34の定番メニューです。実はER34の人気の高まりから、最近では少しトレンドが変わってきています。以前は純正パーツの流用がおもな手段だったため、価格の高さや入手の難しさがネックでした。しかし、現在では多くの社外パーツがそろってきているため、比較的リーズナブルにGT-R化が可能です。 たとえば、GT-R化をする際に欠かせない、リアフェンダーの整形。これまでは、リアフェンダーをカットして、GT-Rのような張り出す形に加工していました。作業に手間がかかる分コストは高く、さらにフェンダーをカットすると修復歴ありになってしまいます。しかし、現在では貼り付けるタイプのFRP製のリアフェンダーが登場し、車輌本体を加工することなく装着できるようになりました。 D1の夢は息子の野村圭市選手が引き継ぐ 車重が重くドリフト競技では不利とされるER34ですが、大柄でホイールベースの長い車体がドリフト姿勢でコーナーを駆け抜ける姿は迫力満点です。ER34のよさを活かした豪快なドリフトでD1を盛り上げた野村氏ですが、2018年に惜しまれつつ引退をしました。 迫力のあるドリフトが見られなくなるかに思われましたが、入れ替わるように息子の野村圭市選手がER34でD1(当初はLIGHTS)に参戦しています。D1史上初の2世ドライバーとして、2ドアながらER34で現在も活躍中です。父が果たせなかったシリーズタイトルを、息子の圭市選手が獲得できるのか今後も注目していきましょう。

V型12気筒横置きエンジンの元祖スーパーカー!ランボルギーニ ミウラの魅力
旧車の魅力と知識 2025.03.31

V型12気筒横置きエンジンの元祖スーパーカー!ランボルギーニ ミウラの魅力

1966年から1972年まで製造されたランボルギーニ・ミウラ。大排気量のV型12気筒エンジンを横置きでミッドシップレイアウトにおさめた元祖スーパーカーとして、革新的なデビューを飾りました。 FRが主流だったロードゴーイングGTの世界に、MRパッケージで彗星のごとく現れたミウラの開発秘話とすべてのモデルの歴史を紐解いていきます。 ベアシャーシでの初披露から始まったランボルギーニ・ミウラ 初代ランボルギーニ・ミウラの前身、TP400がトリノ・オートショーで初披露されたのは1965年。しかし、その姿はボディがなくV型エンジンを載せたベアシャーシのみでした。 そして、翌1966年にマルチェロ・ガンディーニ氏による架装が施され、新鋭ランボルギーニ・ミウラ P400は、ついにジュネーブショーで初披露されます。流れるような流線美が注目の的となったミウラの開発秘話を紹介します。 フェラーリを超えるために生み出された元祖スーパーカー ミウラの特徴といわれる3.9LのV型12気筒エンジンは、1960年中盤に生産が始まったFR車、ランボルギーニ350GT/400GTに搭載されていました。しかし「フェラーリを超える車をつくりたい」と考えていた開発責任者のジャンパオロ・ダラーラは、4Lに迫るこの大型エンジンをコックピット後方に搭載する決断をします。 当時はミッドシップレイアウトそのものが珍しく、3Lクラスのエンジンとなると、フェラーリ 250LMのみでした。大型エンジンを搭載するMR車両が当時は他になく開発は難航しましたが、ダラーラは横置き配置にするという斬新な方法で解決。3.9LのV型12気筒エンジンを搭載するミッドシップスーパーカー「ランボルギーニ・ミウラ」を誕生させました。 当時、唯一無二といわれたこのミッドシップスポーツカーは、その後多くのGTカー開発を追随し「元祖スーパーカー」といわれる存在になりました。 横置きレイアウトでコンパクトなプロポーションを実現 ミウラの代名詞である横置きエンジンは、イギリスの自動車開発者のアレック・イシゴニスが設計したBMCミニからヒントを得て開発されました。 ミニは、エンジンの下にギアボックスを配置していましたが、ダラーラはトランスミッションをエンジンの後方、ディファレンシャルギアをセンター寄りにレイアウトすることで全高を抑え、低重心化を図りました。 ミウラは、ダラーラの画期的なアイディアで安定感のある重量配分とコンパクトなプロポーション、そして快適なキャビンスペースを実現しました。 奇才のデザイナーとトップエンジニアたちによって結成された開発プロジェクト ミウラの開発プロジェクトは、イタリアの若き奇才デザイナーとトップエンジニアたちによって布陣を固められました。  自動車メーカーのランボルギーニ社をベースに、シャシー設計は数々の名車を生み出していたダラーラ社が担当。ボディ設計及びデザインは、アルファロメオやフィアットの設計にも携わったベルトーネ社が手腕を振るったといいます。 当時のイタリアを代表する自動車関連メーカー3社による、最強の布陣だったからこそ、まだどこも開発していなかった唯一無二のミウラが生まれました。 車名「ミウラ」のルーツは闘牛牧場 「ミウラ」とは、スペイン最古の闘牛牧場「ミウラ牧場」が由来です。 ランボルギーニのエンブレムを、自身の星座である牡牛座に由来し闘牛をモチーフにしたフェルッチオは、ほかにも「ランボルギーニ・ディアブロ」「ランボルギーニ・ムルシエラゴ」「ランボルギーニ・アヴェンタドール」と、勇ましい闘牛の名前を車名にしました。 ランボルギーニ・ミウラ P400からP400SVへの歴史 人口わずか7,300人ほどの小さな町、サンタガータ・ボロネーゼの工場で出荷されたミウラ。 初代P400は、さまざまな課題を解決しながらP400S、P400SVへと、一台一台生産するごとに改良を重ねていきました。 3シリーズそれぞれの歴史と特徴を紹介します。 P400 (1966〜1968) 1965年のベアシャーシモデル TP400の発表からわずか1年後の1966年、初代ミウラであるP400型が登場しました。最高出力350ps、最大トルク37.5kg-mを誇る3.9L V型12気筒エンジンがわずか980kgの車体に搭載され、最高速度は280km/hを記録。流線型の美しいボディデザインとともに市場に衝撃を与え、シリーズ中もっとも多い475台が生産されました。 一方で、PT400のあまりの反響に開発を急いだため、見切り発車での発売となった感は否めない仕様も見受けられます。たとえば、スポーツ走行に欠かせないLSD(リミテッド・スリップ・デフ)の採用は見送られ、高速走行時の安定性が課題として残りました。 P400S(1968〜1971) 2代目のミウラはP400S型、チューニングをしたという意味を込めて「S」=Spintoが付け加えられました。エンジン出力は370psまで引き上げられ、装備の追加などで車両重量が1,050kgに増加したにもかかわらず、最高速度は285km/hを記録します。 ベンチレーテッド・ディスク・ブレーキ、等速ジョイント、リアサスペンションの強化とエンジンパワーの向上に合わせて全体にチューニングが施されました。また、パワーウィンドウやエアコンといった快適装備を充実させたのもP400Sの特徴です。1968年から1971年の3年間で140台が生産されました。 P400SV(1971〜1972) ミウラの最終進化型であるP400SVは、シリーズ史上最高となる385psまで出力を引き上げたエンジンで、最高時速は300km/hに到達。インテークの拡大やバルブタイミングの変更、さらにはキャブレターの仕様変更など意欲的なチューニングが施されました。 外観では、9インチホイールへの変更に伴ってリアをワイドフェンダー化したほか、ヘッドライトのトレードマークだった“まつ毛”と呼ばれるフィン状のパーツが取り外され、フロントグリルの形状も変更。P400SVは、シリーズのなかでもっとも見た目の変更が加えられました。生産台数は150台です。 旧車王は超希少車種ランボルギーニ・ミウラP400Sの買取実績あり 1960年代のロードゴーイングGT界に新風を巻き起こした、元祖スーパーカー「ランボルギーニ・ミウラ」。V型12気筒横置きエンジンを包み込む美しく流れるようなフォルムのミッドシップスポーツカーは、今もなお魅力的な一台です。 ミウラは、1960年代から70年代初頭のわずか6年間のみの生産で、3シリーズ合わせても750台前後しか販売されなかった希少車種です。中古車サイトでもほとんど見かけることはありません。 しかし、旧車王では2023年1月に1969年製ミウラ P400Sの買取実績があります。初代P400よりも生産台数が少ないモデルですが、旧車王だからこその高価買取が実現しました。希少車でも買取可能な旧車王にぜひご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年2月記事執筆時のもの

クルマ趣味を通じて「友人に囲まれる人」と「孤立する人」との5つの違いとは?
旧車の魅力と知識 2025.03.30

クルマ趣味を通じて「友人に囲まれる人」と「孤立する人」との5つの違いとは?

きょうだいや夫婦はもちろんのこと、友人・知人。 人が2人以上集まれば、何らかのトラブルやゴタゴタは避けられない。 しかもホンの些細な、あとから考えると本当にどうでもいいようなことでトラブっていたりする。 それは身近な人間関係だけでなく、趣味の世界、クルマ界隈においても同様だ。 取材や雑談を通じて聞き知ったエピソードを集約した「こういう人とは絡みたくない」というポイントを5つにまとめてみた。 まとめているうちに他人事とは思えなくなってきたのも事実。というわけで、改めて自戒を込めて・・・。 ■1.自分の身の上&自慢話ばかり(人の話を聞かない) おおっぴらにしないまでも「自分の愛車がベスト!サイコー」と思っている人も多いだろう。オフ会やイベント会場で注目されたいという気持ちも痛いほど分かる。さまざまな人たちと絡むとき、いっぽうてきに自分語りをしていたら確実に嫌われる。 それでも珍しいクルマ、貴重なクルマを所有していたら注目はしてもらえるだろう。あくまでも「はじめのうちは」という条件付きではあるが。 これに加えてSNSのコメント欄を見ていると、書き込まれたコメントにマウンティングしている人を見掛けることがある。投稿された内容に対して「俺は○○○を持ってる」とか「俺は○○○さんと友だち」といった、自己主張強めな内容が多い。マウンティングしなければ気が済まない人も確かに存在する。 ■2.当事者がいないところでリアル&SNSでの悪口 当事者がいないところでリアルまたはSNSで放った悪口が巡り巡って本人の耳に入る・・・というのは、どの世界でも同じ。思っている以上に世の中は狭い。「これくらいは気づかれないだろう」と油断していても、たいていは本人の知るところとなる。その内容といえば嫉妬や妬みの類いだったりする。 そして、本人の知る頃には話に尾ひれがついて、かなり誇張されていることも少なくない。こうして逆鱗に触れ、お互いに絶縁状態となってしまう。傾向としては、InstagramやFacebookなどのストーリー(24時間で投稿が消える仕組み)がよく使われるようで「ターゲットにされた当事者はもちろんのこと、その周囲にいる人も誰に対していっているのか分かる」のが特徴だ。こういった陰湿な行為に嫌気が差して、長年所有していたクルマを手放した人も実在するので要注意だ。 ■3.リアル&SNSで他人の愛車を批評 傾向として割とベテランオーナーさんに多いよう。頼んでもいないのに「ここはオリジナルじゃない」とか「ここは●●の方が似合うから替えた方がいい」といった批評をはじめる。そんなこと頼んでいないし、オーナー自身がよく分かっている。つまり、余計なお世話なのだ。 悪質なものになると、批評に加えて点数で評価したりするからタチが悪い。その評価基準もあいまいで、しかも極めて主観的だったりする。どれほどすごいクルマを所有していたり、強力なネットワークを持っている人でも、この行為が常態化していると、かなりの確率で敬遠される。 ■4.自分が困ったときだけ連絡してくる 意外に多かったのがこちら。自分が困ったときだけ連絡してくるケースだ。 出先で故障したから助けに来てほしい、調べものをしているけれど分からない、当日になっていきなり暇だからツーリングでも行きませんか?と連絡が来る・・・等々。自分の都合が優先で相手のことはお構いなし。 時間と手間を惜しんで助けてあげても、何のフォローもなし。逆にこちらからお願いごとをしてみても素っ気ない・・・。こんなことを繰り返していたら人は離れていくに決まっている。 ■5.派閥作りが好き やはりというか、予想通りというか「派閥作りが好き」な人も敬遠される傾向が強い。 自分と気の合う、またはいうことを聞いてくれるイエスマンばかりを贔屓して、それ以外の人は除外またはスルー・・・。やがてグループやクラブ内で内紛を引き起こし、その結末は空中分解・・・。グループに属した経験がある方なら、いちどは巻き込まれたことがあるかもしれない。 これはいつの時代も、どのクルマのジャンル(もちろんクルマ以外の世界でも)日常茶飯事のようだ。10年経っても同じようなことでトラブっているはずだ。やれやれ。 ■結論:クルマ趣味を通じて「友人に囲まれる人」と「孤立する人」の違いとは? この問いに対する答えがあるとしたら、それは「ギブ・アンド・テイクができるか否か」のように感じる。 結果的に相手から「テイク」することばかりしている人は、やがて周囲から人が離れていき、仕方なく別のグループに顔を出して、やはりそこでも・・・というパターンを繰り返す傾向にある。そしていつしかトラブルメーカーのレッテルを貼られてしまうのだ。 不思議なもので「孤立する人」の多くが「悪いのは相手で、正義は我にあり」の思考から抜け出せないことが多い我が強いのか、自分が負けたと思うのか・・・。 そこに気づいて行動を変えるだけで、(多少の時間が掛かっても)いつかは「友人に囲まれる人」になれるはずだ。 [画像/Lamborghini,Adobe Stock・ライター/松村透]  

ホンダ 4代目プレリュードはデートカーではない!? GT-Rキラーと呼ばれた秘密に迫る
旧車の魅力と知識 2025.03.24

ホンダ 4代目プレリュードはデートカーではない!? GT-Rキラーと呼ばれた秘密に迫る

ホンダ 4代目プレリュードは、ワイド&ショートボディというスポーツカーらしい外観が特徴的なモデルです。性能より外観や装備が重視されたデートカーから、走行性能を重視したスポーツクーペとして登場しました。 日産 R32 GT-Rにも匹敵する高い性能を誇った4代目プレリュードの魅力を、誕生の歴史やレース戦績を中心に詳しく紹介します。 デートカーのイメージを払拭した4代目 プレリュードといえば、バブル期に巻き起こったデートカーブームの火付け役です。スポーティな外観ではあるものの、居住性や快適性を重視したスペシャルティカーとして人気を博しました。 しかし、4代目プレリュードは、走行性能を重視する方向に大きく舵を切ります。スポーツクーペとして生まれ変わった4代目プレリュードの特徴を、改めて確認してみましょう。 スポーツクーペとして登場 1991年のフルモデルチェンジで登場した4代目プレリュードは、従来のスペシャルティカーというコンセプトを刷新。より走行性能を重視した、スポーツクーペに生まれ変わりました。 スポーツクーペというコンセプトがわかりやすいポイントは、大幅な変更が施されたボディデザインです。全幅を70mm広げて(1,780mm)3ナンバーサイズにワイド化した一方、全長を80mm(4,440mm)、全高を5mm(1,290mm)縮小して運動性能の向上が図られています。また、2代目、3代目と受け継がれてきたリトラクタブルヘッドライトの廃止も、大きな変更点です。 インテグラ・タイプRよりも4年も早くFF革命を起こした 1995年に登場したインテグラ・タイプRは、FFに革命を起こしたといわれています。しかし、実は4代目プレリュードは、4年も早く革新的なFFスポーツクーペとして登場しました。 「Si VTEC 4WS(BB1型)」、「Si VTEC(BB4型)」の両グレードに搭載されるエンジンは、ホンダ自慢のVTEC機構を備えたH22A型です。最高出力はインテグラ・タイプRと同様の200psを誇り、2.2Lという大排気量による最大トルクは22.3kgf・mにも達します。 また、プレリュードの代名詞ともいえる4WSは、VTEC非搭載の下位グレードにも用意されていました。世界初の機械式4WS機構は、操舵角、車速、ステアリング操作速度で制御する電子式にアップデートされています。VTEC非搭載のグレードは、「Si(BA8型)」と「Si 4WS(BA9型)」の2モデルです。 無敵を誇ったR32 GT-Rを追い詰めた 4代目プレリュードは、走行性能の向上を過酷なレースシーンで証明しました。プレリュード発売の翌年1992年から、改造範囲が狭く市販車の性能と信頼性がレース結果に直接結びつくN1耐久シリーズに参戦します。 連勝街道をひた走るR32 GT-Rを脅かすほどの存在感をみせた、プレリュードのレース戦績について振り返ってみましょう。 BB4型をベースに開発 プレリュードが投入されたのは、N1耐久(現スーパー耐久シリーズ)という量産市販車ベースで争うレースです。プレリュードのレース車輌は、VTECモデルで4WS非搭載のSi VTEC(BB4型)をベースに開発されました。 当時のN1規定の改造範囲は限られており、基本的には市販モデルと同様の仕様です。エンジンについてもピストンやコンロッドのバランス取り、ECU(エンジンコントロールユニット)のチューニング程度しか許されていません。つまり、N1耐久では、市販車のポテンシャルが勝敗に大きく影響するということです。 GT-R無敗時代にトップ争い プレリュードがN1耐久に投入された1992年は、R32 GT-Rが全日本ツーリングカー選手権で連勝記録を作っていた真っ只中でした。レース上位陣のほとんどがGT-Rという状況のなか、デビュー戦でいきなりの総合4位を獲得します。 さらに、第4戦TIサーキット英田、ナイター12時間レースの第5戦筑波サーキットではナカジマレーシングのPIAAプレリュードがGT-Rに肉薄する速さをみせ、いずれも総合2位でフィニッシュ。連勝記録こそ止められなかったものの、同じくプレリュードで参戦するギャザズFALKENとともに「GT-Rキラー」の異名で呼ばれました。 現在では希少性の高い4代目プレリュード バブル景気を追い風にしたデートカーブームに乗って販売台数を伸ばした2代目、3代目に対して、まさにバブル崩壊の年に登場した4代目プレリュードは商業的には失敗したともいわれます。しかし、8万5,262台というモデル全体の販売台数は、ZN6型の86を6,500台あまり上回る数字です。 ハイパワーエンジンと、電子制御4WSという魅力的なプレリュードは、現在でも一定の支持を得ています。しかし、絶対的な販売台数が少なかったことから、現存する個体はあまり多くありません。ポテンシャルの高さに起因する車としての価値と希少性から、今後ますます貴重な存在になっていくかもしれません。

旧車に乗るには「覚悟がいるのか?」という問いに対する7つの理由
旧車の魅力と知識 2025.02.27

旧車に乗るには「覚悟がいるのか?」という問いに対する7つの理由

旧車&ネオクラシックカーオーナーを取材するときに必ず尋ねていることがある。それは「旧車(ネオクラシックカー)に乗るには果たして『覚悟』がいるのか」という問いだ。 この問い対して、これまで取材してきたほとんどのオーナーが「覚悟がいる」と答えてくれた。実体験を伴うだけに説得力がある。 では実際に「旧車に乗るには果たして『覚悟』がいる」のだろうか。7つの理由を元にひもといていきたい。 ■理由1:部品調達のリスク 旧車、そしてネオクラシックカーと呼ばれるクルマも含めて、もう数十年も前に生産を終了している「絶版車」だ。いうまでもなく、純正部品もはるか以前に生産終了(欠品)か製造廃止になっていて当然と思った方がいい。一部の輸入車、そして日本車メーカーも絶版車の純正部品の再生産を行っているが、特定のモデルにスポットライトが当たっているような状況で、ほとんどのモデルの部品はネットオークションなどを駆使して入手するしかない。 国内専用モデルとして販売された国産旧車およびネオクラシックカーよりも、世界各国に輸出されたメーカーのモデルの方が部品を入手できる確率が高い。また、一部のモデルはリプロパーツが出回っており、純正品にこだわらなければ入手にはそれほど困らないモデルもある。分かりやすい例を挙げると、クラシックミニやフォルクスワーゲン ビートル(タイプI)がその代表例といえる。 ■理由2:故障のリスク どこかのメーカーの格言ではないが「最新は最良」であることはひとつの真実だと思う。先代モデルよりも進化し、クルマとしての性能が相対的に向上しているからだ。その反面、旧車およびネオクラシックカーは古くなるいっぽうだ。いつ何時故障するか分からない。前触れがある場合もあれば、突然やってくることも少なくない。そのリスクは最新モデルより間違いなく高いといえる。 要はこの「故障のリスク」と向き合える覚悟があるかどうか、自分の胸に手を当てて問うてみればいいわけだ。最新モデルではまずありえないような、出先で故障して帰りはバスか新幹線で・・・なんてことも現実的に起こりうるかもしれない。実際に故障するかもしれないし。しないかもしれない。ただ、その確率は現代のクルマより確実に高い。旧車に乗る以上、そのリスクを常に意識しておく必要がある。 ■理由3:信頼できる主治医の存在 旧車ライフにおける生命線のひとつといえるのが「信頼できる主治医や専門店の存在」だと断言できる。「オーナー兼主治医」という人であれば、時間と手間と予算を気にせず思う存分メンテナンスに費やせるが、ここまでできる人はさすがに少数派だろう。そうなれば、大なり小なり、そのクルマに精通した主治医や専門店の腕とノウハウに頼ることとなる。 オーナーよりも愛車に精通し、適切なアドバイス、そしてメンテナンスを施してくれる。適切なエンジンの始動方法から、暖機運転の方法、アクセルおよびクラッチワークのコツ・・・などなど。もはや主治医であり、師匠とも呼べる存在ですらある。 ■理由4:「ヨコのつながり」の大切さと重要さ クルマ趣味のなかには頑なに仲間を作らず、黙々と楽しむ人がいる。あくまでも趣味なので個々の自由ではあることを前提として、やはり「ヨコのつながり」は大切にした方がいいと思う。おすすめの主治医やショップ、クルマや部品の売買情報、トレード、ツーリングや忘新年会の連絡など・・・。ここで得られる情報は恩恵は計り知れない。 それゆえ、敢えて最初はお互いに深入りせず、時間を掛けて連帯感と信頼関係が揺るぎないものへと変わっていく。接点はクルマのみ。幼なじみとは違う、趣味を通じて知り合った大人の関係だ。たまにはイヤなヤツもいるが、不思議と自然淘汰されていくから心配はいらない。むしろ、自分が淘汰される側にまわらないように注意する必要がある。 ■理由5:自身でどこまでメンテナンスできるか エンジンを掛けようと思ったら始動しない、出先で故障して動けなくなった。その都度、ショップや主治医にSOS発信をすれば、例え休日であっても救援に来てくれる可能性が高い。しかし、それには当然ながら費用が発生する。これらをタダでお願いしようと思うこと自体がナンセンスだ。 それであれば、ある程度は自分自身でメンテナンスや修理できた方がいい。愛車のコンディションをもっとも把握しているのは主治医であったとしても、オーナーにとってはブラックボックスである領域が多いことも事実。主治医によっては、オーナーが勝手にいじくることを嫌う人もいるので、相談しつつ、落としどころを探るといいかもしれない。 ■理由6:快適装備とは無縁 これは「言わずもがな」だと思われるが、現代のクルマで当たり前に装備されているエアコンやカーナビ、パワステ、パワーウィンドウ、シートヒーターなどの快適装備は期待しない方がいい。特にエアコンは、年代よっては装備されていないモデルも少なくない。きちんと動作するかはさておき、よくてクーラーだろう。 暑いだの寒いだの疲れるだの、乗るたびにストレスになるようなら旧車およびネオクラシックカーは向いていないと思った方がいいかもしれない。 ■理由7:1台ですべてをこなすのはほぼ不可能 記事やYouTubeなどの動画でサラリと「このクルマ(旧車)1台でなんでもこなしてます」といった具合にオーナーが紹介されていることがある。しかし、いったん冷静になってみて考えて欲しい。「他の人とはあきらかに違う何か」があるから取材対象となるのであり、インパクトがあるのだ。同じ土俵で考えない方がいい。 買い物や家族の送迎などの短距離走行、大雨のなかで走ることもあるだろう。ゲリラ豪雨のなか、エンジントラブルで立ち往生したらなす術もない。雨漏りしてくる可能性も大いにある。錆だって進行する。コンディション維持を考えたらなにひとついいことはない。万能に使える足車が必須となってくる。1台ですべてをこなすのはほぼ不可能だと思っておいた方がいい。 ■まとめ:やせ我慢の美学?結論として「覚悟はいる」 筆者自身、1970年製の旧車を所有しているが、イベントのときなどは真夏でもクルマを走らせることがある。エアコンはもちろんクーラーすら装備されていないから暑いことこのうえない。充電式の小型扇風機を室内に持ち込んでまわしてみるのだが、熱風をかきまわすだけでちっとも涼しくならない。 それでも、現代のクルマでは決して味わえない、ダイレクト感、直結感は何ものにも代えがたいものがある。運転中はBGMはおろか(そもそもオーディオレスだ)、水を飲むことさえ忘れるくらい運転に没頭できる。 不便さを差し引いてもあまりある魅力にあふれているからこそ、エアコンレスだろうが何だろうが苦にならないのだ(大変だけど)。旧車およびネオクラシックカーでしか味わえない世界を知ってしまったら最後。「やせ我慢の美学」といえばそれまでだが、多少苦労してでも古いクルマならではの魅力を選ぶか、現代のクルマならではの快適性が享受できるなかでクルマ趣味を謳歌するのかは人それぞれだ。 [撮影&ライター・松村透(株式会社キズナノート)]  

日産 S15シルビアは常識外の車?! レースでの活躍も含めて魅力に迫る
旧車の魅力と知識 2025.02.26

日産 S15シルビアは常識外の車?! レースでの活躍も含めて魅力に迫る

無駄を削ぎ落としたコンパクトボディに、ハイパワーターボエンジンを備えたS15シルビア。シリーズ最終型として投入され、低い全高と吊り目の精悍なマスクで多くの人気を集めました。また、高い運動性能から、現在もドリフト競技を中心に第一線で活躍しています。 40年近くにわたるシルビアの歴史を締めくったS15の、開発背景や魅力を改めて振り返ってみましょう。 常識外のアプローチで進化を遂げたS15 長くモデルチェンジを繰り返す車種は、一般的に大型化していきます。スポーツモデルも例外ではなく、ホンダ シビックやマツダ ロードスターといった軽量コンパクトが特徴のモデルでさえ、現行型は3ナンバーです。 シルビアも6代目のS14で3ナンバー化しましたが、S15では再び5ナンバーに戻すという驚くべき手法で進化を遂げます。シルビアの歴史やグレードとともに、開発背景を振り返ってみましょう。 FRという駆動方式と進化が方向性を決定づけた 初代シルビアはダットサン フェアレディのシャシーをベースに開発され、1965年に登場しました。しかし、商業的には成功せず、わずか3年、544台の生産で一旦絶版になります。その後7年のブランクを経て2代目が登場、以降最終型のS15まで合計7世代が生産されました。 そして、シルビアの地位を確立したのが、1980年代後半にバブル景気を背景に生まれたデートカーブームです。先行するホンダ プレリュードの対抗馬として開発された5代目シルビアのS13型は、高い走行性能と豪華な内装によって人気を集めました。 また、駆動方式がFRだったことも、シルビアの個性をより際立たせたポイントです。デートカーの代表格といわれたプレリュードはFF、トヨタ セリカ GT-FOURは4WD(ベースはFF)だったのに対し、コントロールする楽しさを味わえるシルビアは、スポーティな走りを求めるユーザーから支持を集めました。 以降、6代目のS14、最終型のS15と走りに磨きがかかっていきます。 シェイプアップして戦闘力をアップしたS15 S13で高い評価を得たシルビアは、6代目のS14を経て1999年に7代目S15に進化しました。最大の変更ポイントは、ボディサイズです。S14で3ナンバーサイズに大型化したものの、販売当時はシルビアらしい軽快さが失われたとして不評でした。 そこで、S15では無駄を徹底的に削ぎ落とし、再び5ナンバーサイズとして登場します。「見て、乗って、走って、エモーションを感じる軽快コンパクトなスポーティクーペ」をコンセプトに開発され、精悍な印象のエクステリア、3連メーターなどを配したレーシーなインテリアがシルビアらしい鋭い走りを予感させました。 ユーザーニーズを満たす幅広いグレード展開 S15に搭載されるSR型エンジンは、S13の後期で初めて採用されたエンジンです。2世代に渡って改良を重ねて熟成の域に達していたS15では、ターボ付きのSR20DETで最高出力250ps(Spec-R)にまで達します。さらに、6速MTを組み合わせることで、エンジンパワーを活かした走りを楽しめました。 また、セダン並の幅広いグレード展開も、S15シルビアの特徴です。ターボモデルのSpec-Rと自然吸気モデルのSpec-Sを基軸に、上質なインテリアのLパッケージやカスタマイズベースというコンセプトのType-Bといったさまざまなグレードが発売後も追加されます。 さらに、日産のカスタマイズブランドのオーテックが専用チューニングを施した、オーテックバージョンやStyle-Aといったモデルもラインナップに加えられました。特に、オーテックバージョンでは自然吸気のSR20DEエンジンに専用チューニングを施し、200psという高出力を実現しています。 守備範囲の広いFRスポーツクーペ スペシャリティカーという位置付けだったシルビアですが、最終型のS15はさまざまなファンを魅了するモデルです。ドリフトというイメージの強いシルビアですが、ドレスアップ分野からレースまで幅広い人気を集めています。 S15シルビアの魅力を、ドリフト以外の側面も含めて探ってみましょう。 幅広いカスタマイズ性が魅力 S15がもっとも活躍したのは、ドリフトシーンです。パワーアップを図る吸排気パーツ、コントロール性能を向上させるアーム類やサスペンションといった多くのチューニングパーツが販売されています。 また、「魅せる」要素も強いドリフトから派生して、エアロ類を中心にドレスアップパーツも豊富です。レーシングドライバーの谷口信輝氏が所有するS15シルビアのように、究極のドレスアップ仕様も存在します。 実はレースでも高い実力を発揮 ドリフトのイメージの強いS15ですが、実はレースでも好成績を残しています。S14から大幅に軽量コンパクト化されたS15は、全日本GT選手権(JGTC)投入初年度から実力を発揮しました。GT300クラスに参戦し、シリーズ全7戦でポールポジションを獲得。シリーズチャンピオンこそ逃しましたが、圧倒的な速さをみせつけました。 さらに、デビュー2年後の2001年には、ダイシンシルビアが念願のシリーズチャンピオンを獲得します。市販車として販売されていた期間がわずか4年だったにも関わらず、レースシーンで輝かしい実績を残しました。 今も現役で活躍し続けているS15シルビア 販売終了からすでに20年以上が経過するS15シルビアですが、現在もドリフトを中心としたモータースポーツやカスタマイズカーファンから多くの人気を集めています。GR86やGRスープラの登場で一時期よりは減ったものの、D1グランプリの参加マシンをみてもS15はまだ中心的な存在です。 また、精悍なスタイリングからドレスアップを楽しむユーザーからの支持も厚く、今のところ人気に陰りは見られません。一旦3ナンバー化したモデルを再度小型化するという日産の大英断で生まれたS15は、他に類をみない5ナンバーサイズのターボモデルとして今後も注目され続けることでしょう。

80億円で落札された「W196 R ストロムリニアン ヴァーゲン」が史上最高額のグランプリカーに
旧車の魅力と知識 2025.02.12

80億円で落札された「W196 R ストロムリニアン ヴァーゲン」が史上最高額のグランプリカーに

1954年製メルセデス・ベンツW196 R ストロムリニアン ヴァーゲンのオークションが、このほどドイツで行われグランプリレーシングカー史上最高額(約80億円)で落札されました。メルセデス・ベンツの旧車は人気がありますが、その理由を一緒に探ってみましょう。 ■F1で優勝した伝説のマシン ドイツ・シュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツ博物館は2月1日、W196 R ストロムリニアン ヴァーゲンのオークションを開催。すると、みるみるうちに入札金額が釣り上がっていき、最終的に5115万5000ユーロ(約80億円)という、グランプリレーシングカーとして史上最高額で落札されました。 このマシンは2.5リッター直列8気筒エンジンを搭載し、最高時速300km/hを誇り、1950年代半ばにF1シーンを席巻。2シーズンかけて257馬力から290馬力まで性能が向上しました。 当時のF1ルールはホイールカバーを禁止しておらず、伝統的なオープンホイールと、重量を上回る空力性能に賭けたクローズドホイールのボディ・デザインがありました。 幅広で重心が低く滑らかな流線型のボディには、アルミニウムよりもさらに軽いマグネシウム合金が使われ、重量はわずか40kgでした。 W196 R ストロムリニアン ヴァーゲンは1954年フランスグランプリでデビューすると、メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオとカール・クリングが1位・2位でフィニッシュ。 1955年アルゼンチングランプリでは、ファン・マヌエル・ファンジオが母国で優勝を飾りました。 ■流線型ボディは世界にわずか4台 このモデルのマシンは14台しか製造されておらず、1955年のF1シーズンを生き抜いたのは10台。そのうちエレガントな流線型ボディのものは、わずか4台しかありません。 今回、オークションに出されたマシンは、1965年にメルセデスが米国インディアナポリス・モーター・スピードウェイ博物館に寄贈したものです。このモデルが個人所有になるのは、今回が史上初となります。 当時メルセデスのマシンは、銀色のボディから「シルバーアロー」(銀の矢)という愛称がつきました。 1世紀以上の伝統を持つメルセデスのブランドイメージと美しいデザインと希少性。そしてF1を戦った歴史が刻まれたことで、このマシンに高値がついたといえるでしょう。 ■カーオークション史上最高額もメルセデス・ベンツ ちなみに、クルマのオークション全体における史上最高の落札額は、2022年に記録された1億3500万ユーロ(約211億円)で、1955年製メルセデス・ベンツ 300SLR ウーレンハウト クーペです。 今回の80億円は、クルマのオークション全体では史上2位となります。こちらでもメルセデスが1・2フィニッシュとなりました。 今回の約80億円という落札価格は驚きですが、主催者側の事前の予想とほぼ一致していたということです。 2013年に英国グッドウッドでオークションにかけられた1954年製メルセデス・ベンツW196は、1960万ポンド(約36億円)で落札されました。こちらは、この段階でカーオークション史上9位の高値となっています。 ■廃車場で半世紀も放置されていた300SLが14億円に その他にもメルセデス・ベンツのクラシックカーが高値で落札されている事例があります。 メルセデス・ベンツ300SLは、カモメの翼のように上に開くガルウィングドアが特徴のスポーツカーで、コレクターの間で人気が高いモデルです。アメリカでは、2024年に930万ドル(約14億円)で売却されました。1956年製メルセデス・ベンツ300SLの29台製造されたうち、26台目にして唯一エクステリアが黒でインテリアが赤のものです。廃車場で半世紀も眠っていた掘り出し物で、よくぞスクラップにしなかったと拍手が送られたことでしょう。 超高級車として知られるメルセデス・ベンツ600(W100)ですが、長いルーフと6ドアのランドーレットのものは9台しかなく、そのうち、ヨシップ・ブロズ・チトー元ユーゴスラビア大統領が乗っていた1台は、2017年にイギリスで250万ポンド(約4億7000万円)で売却されました。 メルセデス・ベンツ190E 2.5-16 エボリューション IIは500台限定で生産されたモデルで、国内外で高値で取引され5000万円以上の値がつくこともあります。 ■質実剛健でステータスの象徴 私たちが日常よく目にするメルセデス・ベンツも、やはりラグジュアリーカーというイメージが定着しています。 メジャーな高級車で富裕層の間で人気があり、オーナーのステータスを象徴する存在になっています。 メルセデス・ベンツは、いかにもドイツらしい質実剛健な設計哲学に基づき造られています。非常に耐久性がありブランド力もあいまって、中古車市場で高値で取引されています。 企業の重役がベンツの中古車を購入して乗っているのをよく見聞きします。 一般的に新車は、購入したその日から価値が落ちていきます。メルセデス・ベンツの中古車は比較的、高値で売り買いされています。首尾よくお得な価格で購入しておけば価値が下がりにくく、いざというときにほぼ同じ金額で売却できる可能性があります。 普段は便利な移動手段で、ステータス・シンボルとしてしっかりと役割を果たし、現金が必要になったら高値で売ることができるのです。メルセデス・ベンツに乗っている社長は、意外と堅実な経営者ということでしょう。 ■まとめ メルセデス・ベンツの希少価値があるクラシックカーは、世界的に随一の高値がつくことが分かりました。 高性能で耐久性に優れ、信頼性は高いものがあります。また、伝統と実績に裏打ちされたブランドイメージもあり、ステータスを確立しています。 そして、一般的なメルセデス・ベンツの中古車も資産価値が高くなっています。高級車のなかで比較的、売り手も買い手も多い大きな市場を形成。つまり、売るのにも買うのにも選択肢が多いクルマだということです。 誰でも気軽に手が出せるわけではありませんが、予算に余裕があれば検討するに値するクルマということができるでしょう。 [画像/Mercedes-Benz・ライター/Takuya Nagata] 

もはや資産価値といえる存在に。海外セレブも行う「クラシックカー投資」とは?
旧車の魅力と知識 2025.01.30

もはや資産価値といえる存在に。海外セレブも行う「クラシックカー投資」とは?

「自分のクルマを売ったら、いくらになる?」と考えたことはありませんか。金額は、おそらく購入したときより低くなることを想定したでしょう。しかし、クラシックカーは、買ったときよりも高く売れることがあります。 クラシックカー投資には、愛好家やコレクターだけではなく投資ファンドも参入しています。つまり、それだけ儲かる可能性があるということなのです。 日本の状況も交えながら、海外で盛んに行われているクラシックカー投資について紹介します。 ■クラシックカー投資とは? クルマの価値は、一般的には経年劣化とともに下がっていきます。しかし、コレクターに人気がある一部の車種については市場価値が上昇することがあります。 クルマは、所有することに喜びがあり、便利な移動手段なだけではなく、資産でもあるのです。 クラシックカー投資は、ヴィンテージカーや希少な車両を購入し、長期的に価値が上昇したら売却する投資手法です。これらのクルマは、デザインや製造数、逸話などが要因となり、市場価値が高まることがあります。 たとえば、フェラーリ250GTOやポルシェ911の初期モデルなどは、コレクターの間で高値で取引されています。2018年には、1962年製フェラーリ250GTOが、オークションで4800万ドル(約52億円)で落札され、大きなニュースとなりました。 ■海外のクラシックカー市場について 歌手やハリウッドのセレブにも、クルマコレクターが多くいます。たとえば、レディー・ガガ、ニコラス・ケイジ、アーノルド・シュワルツェネッガー、リチャード・ギア、ローワン・アトキンソンといった面々です。有名人が所有すると、オークションの際により一層、価値が高まります。 海外ではクラシックカーの取引がとても盛んです。特にヨーロッパやアメリカでは、大規模なオークションや展示会が定期的に開催され、多くの投資家やコレクターが集まります。 主要なクラシックカーイベント ●ペブルビーチ・コンクール・デレガンス(アメリカ): カリフォルニア州の有名なゴルフ場で開催されるクラシックカーイベントで、よりすぐりのクルマが展示され、オークションも行われます。 ●グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード(英国): リッチモンド公爵家が主催する由緒正しき催しです。希少なクラシックカーが公道やサーキットで走る姿を見ることができます。 このようなクラシックカーのイベントでは、プロの鑑定士が車両の価値を査定し信頼性が高い取引が行われます。そしてクラシックカーの希少性や保存状態の評価によって、価格が大きく変動することがあります。 ■クラシックカー投資の魅力とは? ●希少価値: 生産台数が少ないモデルは、人気に応じて市場価値が上昇する傾向があります。 ●デザインと芸術性: クラシックカーの多くは、現代のクルマにはない独特のデザインや味わいがあります。 ●資産の分散: 株式などとは異なり、クラシックカーは実物資産として投資ポートフォリオに多様性をもたらします。仮に株価が暴落してもクルマの価値への影響は限定的です。また、金融市場のボラティリティ(変動)に比べたらクラシックカーの価値の推移は、なだらかです。 昨今は、日本でもインフレに転じていますが、そうすると現金の価値は目減りしていきます。クラシックカーは、インフレにも強いのが利点です。これは金や不動産、腕時計の投資にも同じことが言えます。 ●クルマ愛好家にとって最高の体験: クルマ好きの人にとって、クルマを購入し所有して、手入れをするだけで大きな喜びです。そんなコレクションに将来、高値がつくかもしれないと思うとワクワクします。 ■クラシックカー投資において注意すべき点とは 投資にはリスクがつきもので、クラシックカー投資も例外ではありません。 ●維持費: まずクルマを管理する駐車場や車庫が必要です。運転しないとしても、大事な資産ですので保険をかけるのが無難です。クルマは機械ですので経年劣化していきます。クラシックカーのメンテナンスは高額な傾向があります。パーツの入手が難しく、修理は専門の技術者への依頼が必要な場合があり、維持費がかさみます。 ●市場の流動性: 株式や債権と比べると、クラシックカーの市場は流動性が低いです。適切な買い手を見つけるまでに時間がかかることがあります。急きょ、現金が必要なときには不向きです。 ●価値の変動: 市場のトレンドや需要により、クラシックカーの価値は変動します。必ず価値が上がるわけではないことを理解しましょう。クルマとしての性能は何もしなければ次第に劣化していきます。新車より中古車が低価格なのはそのためです。それ以上に価値が上がる何かを持っているクルマ、あるいは価値が上がる可能性があるクルマを選ぶことが重要です。 ●偽物の流通: 高価なクラシックカーに似せて偽造された車両が出回ることがあります。不安がある場合は、専門家によるチェックを推奨します。 ■日本のクラシックカー事情について 日本でも、旧車への関心は高まっています。例えば、トヨタ2000GTや日産スカイラインGT-R(ハコスカ)など、日本のクラシックカーは国内外で人気があります。 日本でもクラシックカーのイベントが各地で開催され、愛好家の交流の場となっています。 海外に比べると日本のクラシックカー市場は、まだ成長途上です。今後、さらに発展していくことを期待しましょう。 ■敷居が高いと感じる人のための奥の手とは 「価値が上がるまで気長に待ちたくない。短期間で成果を出したい」という人は、壊れているものの潜在的な価値が高いクルマを入手して修理したりカスタムパーツをつけたりするのはいかがでしょうか。手間暇はかかりますが、短期間でクルマの価値を高めることが可能です。 クラシックカー投資には、ある程度まとまった資金が必要になります。「予算があまりないけどクルマ投資をしてみたい」という人は、中古車市場であまり買い手がつかない手頃なクルマを購入して、レストア(復元)や修理をして、再び中古車市場で販売するという手もあります。低価格帯のクルマは長期的な価格の上昇幅が小さくなりがちですので短期決戦で売り手を見つけるのが懸命でしょう。 ■まとめ ラシックカー投資は、腕時計投資やアート投資、ワイン投資に近いものがあります。 脱炭素の流れで煙たがられがちなエンジン車ですが、EV化が進んでいることから将来的に骨董品として価値が上がることが期待できます。現在の機関車の価値を想像してみてください。 ハイリターンを狙うなら、価値が上がりそうなクルマを入手して長期的な価値の上昇をゆっくりじっくり狙うのが良いでしょう。 「真剣に売却益を追い求めるのか」もしくは「趣味の延長として行うのか」。自分はどちらが向いているかを考えてみましょう。 [画像/Porsche, Lamborghini, Mercedes-Benz, Toyota, Rolls-Royce・ライター/Takuya Nagata]    

ホンダ・S800の歴史を改めて紐解く!ヨタハチとの違いや後期モデルについても詳しく解説
旧車の魅力と知識 2025.01.27

ホンダ・S800の歴史を改めて紐解く!ヨタハチとの違いや後期モデルについても詳しく解説

直列4気筒水冷DOHCエンジンを武器に、レースでも商業的にも成功をおさめたホンダ S800。一方で、ライバル車だったトヨタ スポーツ800の登場が華々しかったこともあり、一部では「ヨタハチのほうが速い」と誤解されています。 それでは、レースでの実際の戦績はどうだったのでしょうか。本記事ではS800の特徴やヨタハチとの違いを詳しく解説します。 S800の成功とライバルヨタハチとの違い S800は、同クラスのトヨタ スポーツ800と常に比較される存在でした。同じ時代に販売された同排気量、同コンセプトの2台ですが、実はまったく異なる構造で開発されています。 S800とヨタハチの違い、レースでの実力を詳しくみていきましょう。 S600の成功を受けて登場したS800 S600が好調な販売を続けていた1965年秋。東京モーターショーで、排気量を791ccに拡大したS800が発表されました。直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力70ps、最大トルク6.7kgmを発揮し、パワー不足感が否めなかったS600の弱点を克服しました。 一方で、車重はS600と同じ720kgに抑えられ、最高速度160km/h、0-400m加速16.9秒という本格スポーツカーという名にふさわしい性能を実現しています。 ヨタハチと大きく異なる車体構造 S800と比較されるのが、同車格だったトヨタ スポーツ800です。「ヨタハチ」という通称に対して、S800は「エスハチ」と呼ばれました。ほぼ同時代に開発されたスポーツモデルという点で両車は共通していますが、まったく異なる車体構造で開発されています。 非力なエンジンながら軽量なモノコックボディで軽快な走りを求めたヨタハチに対して、S800は専用シャシーにボディを架装するというオーソドックスな構造でした。一方で、ヨタハチの45psに対して70psという圧倒的なエンジン性能を誇り、ホンダがスポーツカーとして絶対的な性能を追い求めていたことがわかります。 レースで見せつけたヨタハチとの実力差 S800がレースデビューをすると、またたく間にライバルのヨタハチとの大きな実力差を見せつけました。ヨタハチとS800のライバル関係は有名ですが、軽量なヨタハチのほうが速いイメージをもっている人のほうが多いでしょう。しかし、実はこのイメージは、第1回自動車クラブ選手権で浮谷東次郎のヨタハチに生沢徹のホンダ S600が惨敗したことから作り上げられました。 後継のS800はデビュー当初こそ先行するヨタハチにリードを許したものの、高いポテンシャルを背景に登場からわずか1年でGT-Ⅰクラスの主導権を握る存在になります。デビュー翌年の1967年の5月に行なわれた第4回日本グランプリ自動車レース大会では、リザルトボードをS800が独占しました。 商業的にも成功したS800 レースで結果を残す一方で、S800は商業的にも成功をおさめました。最大の理由は、発売後も販売マーケットを考えて進化を続けたことです。 最終型S800Mへの進化とともに、ヨタハチに大きな差をつけた販売台数について振り返ってみましょう。 マーケットに合わせて進化し続けた 1966年1月に登場したS800は、4月に早くもマイナーチェンジを果たします。主な変更ポイントはリアの足回りで、一般的な5リンク・コイルのリジッドアクスルに改められました。独自のチェーンドライブ機構がS600から続く特徴だったものの、欧米諸国で歓迎されなかったためです。結果的に、発進時のトルクでリアが持ち上がる挙動も解消されました。 さらに、アメリカの安全基準への対応で、1968年5月に最後のマイナーチェンジを行います。S800Mと名称を改めた最終型では、四隅に大型のリフレクターを装着、フロントにディスクブレーキを採用といった安全装備のアップデートが実施されました。また、145SR13インチのラジアルタイヤを標準装備し、性能面の向上も図られています。 総販売台数もヨタハチに大きく差をつけた S800の総生産台数は、1970年の生産終了までの5年間で1万1,406台にものぼりました。わずか3,512台のトヨタ スポーツ800に、レースだけでなく販売台数でも圧勝したということです。 1960年代後半という、国内では自動車が普及し始めたばかりの時代背景を考えると、なお驚異的な数字といえるでしょう。1,000cc未満のライトウェイトスポーツという特殊なジャンルながら、1万台以上の販売台数を記録したことはS800が絶大の支持を集めていた証です。 現代的な装備が成功につながったS800 水冷DOHCという極めて現代的なエンジンの発揮する、絶対的な性能がS800の大きな武器です。軽量なモノコック構造でレース界を席巻していたヨタハチに対して、エンジンパワーで真っ向勝負を挑んだS800は勝利を掴みました。 また、大型のリフレクターやラジアルタイヤ、ディスクブレーキの採用といった現代的な安全装備によって商業的な成功も手にした点もS800を振り返るうえで欠かせないポイントです。S600によって世界に存在感を示したホンダは、S800の成功で自動車メーカーとしての地位を確かなものにしたといえます。次はどんなクルマで世界を驚かせてくれるのか、今後もホンダの挑戦に期待したいものです。

自動車を相続した場合の名義変更の方法は?流れや必要書類も紹介
旧車の魅力と知識 2025.01.17

自動車を相続した場合の名義変更の方法は?流れや必要書類も紹介

自動車を相続することになり名義変更しようと思っているが、手続きが複雑だからと先延ばしにしている人もいるのではないでしょうか。 相続した車の名義変更は、通常の名義変更と必要書類が異なりますが、押さえておくポイント掴めば、それほど難しくないのです。本記事では、相続した車の名義変更の手続きの流れや、必要書類を詳しく解説します。 クルマを相続する際に名義変更が必要な理由 相続した車を名義変更しなくても、法律で義務化されていないので、罰則はありません。しかし、相続した車の名義変更を行わないとさまざまな問題が起こる可能性があります。 自動車の相続での名義変更とは、被相続人(亡くなった人)の車を譲り受けるための手続きです。相続した自動車の名義変更をしないでいると、下記の問題が発生する可能性があります。 ・売却・廃車できない・事故をした場合、補償面で不利になる可能性がある・クルマを担保にできない 上記のような問題が発生するのは、相続した自動車が相続人の財産になっていないからです。また、手続きを先延ばしにしてしまうと、必要書類を揃えるのに時間がかかるため、スムーズに名義変更ができない可能性があります。名義変更を先延ばしにするメリットはないので、できるだけ早めに手続きをしておきましょう。 クルマの相続時の名義変更の流れ ここからは、自動車の名義変更の流れを詳しく解説します。流れを把握し、スムーズに名義変更の手続きができるようにしておきましょう。 1.自動車の名義を確認 まず、自動車の所有者を確認する必要があります。自動車の所有者は、基本的に被相続人の名義になっています。しかし、ローンを完済していなかったりリース契約だったりすると、クルマの所有者はローン会社や自動車販売店の名義になっているのです。 ローン会社や自動車販売店が所有者の場合、自動車の名義変更を行うには相続人がローンの残債を精算して、所有者を変更(所有権解除)する必要があります。 2.所有者の確定 次に、自動車を相続する所有者を確定させます。遺言書に相続人が記載されている場合、遺言書を添付すれば名義変更の手続きが可能です。一方で、遺言書がない場合は、遺産協議で相続人を決める必要があります。 また、相続人が1人で単独相続するのか、相続人全員で共同相続するかによって必要書類が変わるので注意が必要です。所有者が確定していれば必要書類を揃えるだけなので、名義変更の手続きはスムーズに済むでしょう。 3.遺産分割協議書の作成 所有者を確定したら、相続人全員の同意を証明する「遺産分割協議書」を作成します。相続人の間で「誰がクルマを相続するのか」を明確にすることで、後々のトラブルを防げます。遺産分割協議書には相続人全員の実印が必須のため、遺産分割協議の成立後でなければ遺産分割協議書は作成できません。 なお、クルマの価値が100万円以下の場合は「遺産分割協議成立申立書」を使用することで、相続人となる1人の実印だけで手続きが可能です。その際、クルマの価値を証明する査定証を添付します。 相続人全員の実印は不要ですが、将来のトラブルを防ぐためにも、他の相続人へ事前に了承を得ておくことが大切です。 4.必要書類を用意 名義変更を完了させるには、車庫証明の取得が必須です。道路運送車両法により、自動車の登録には保管場所の確保が義務付けられています。相続による名義変更の場合も、新しい所有者の車庫証明が必要です。 車庫証明の取得手順は下記のとおりです。 1.相続する車の保管場所を管轄する警察署を確認する2.警察署で必要書類を取得する(車庫が所有地か借用地かで書類が異なる)3.必要書類と手数料(2,000円程度)をもって警察署で手続きする4.約1週間後に警察署で受け取る なお、軽自動車の場合は車庫証明の代わりに保管場所届出書の提出が必要です。 5.運輸支局で名義変更する 運輸支局での手続き方法には、「相続人本人が直接」「ディーラーに依頼」「行政書士に依頼」の3つがあります。 運輸支局での名義変更は、必要書類さえ揃っていれば特に難しい手続きではありません。窓口では丁寧に案内してもらえるため、初めての方でも安心して進められます。ただし、時間に余裕がない場合や手続きが煩雑と感じる場合には、専門家に依頼することも選択肢の1つです。 代行を依頼する際には、費用(約1~3万円)と委任状が必要です。 クルマ相続時の名義変更の必要書類 ここでは、3つの相続パターンごとの必要書類について解説します。 相続人が1人の場合 相続人が1人の場合は、遺産分割協議が不要です。ただし、相続人であることの証明と、被相続人(亡くなった方)の死亡事実の確認が必要です。 必要書類は、下記のとおりです。 種類 書類名 本人確認書類 相続人の印鑑証明書(発行から3ヶ月以内のもの) 相続関係を証明する書類 ・相続人の戸籍謄本・被相続人の全部事項証明書(除籍謄本) 車輌関係の書類 車検証(自動車検査証)の原本 複数の相続人のうち1人が相続する場合 複数の相続人の中から1人へ名義変更するには、相続人全員の合意を示す書類と、新所有者となる人の各種証明書が必要です。 必要書類は、下記のとおりです。 種類 書類名 相続関係を証明する書類 ・遺産分割協議書(相続人全員の署名・実印が必要)・戸籍謄本(相続人全員分)・相続人全員の印鑑証明書 車輌関係の書類 ・自動車検査証(車検証)の原本・自動車保管場所証明書(車庫証明)・移転登録申請書 手続きに関する書類 ・手数料納付書・新所有者の印鑑証明書(発行から3ヶ月以内) 共有財産として相続する場合 クルマを複数の相続人で共有財産として相続する場合、通常の相続に必要な書類に加えて、共有者全員の証明書類と、使用者を1名に特定する書類が必要です。その理由はクルマの管理責任を明確にし、車庫証明や自動車税などの手続きを円滑に進めるためです。 必要書類は、下記の3種類です。 種類 書類名 車輌関係の基本書類 ・自動車検査証(車検証)原本・自動車保管場所証明書(主たる使用者の名義) 相続人全員の証明書類 ・各相続人の戸籍謄本・各相続人の印鑑証明書(3ヶ月以内) 共有に関する書類 ・遺産分割協議書(共有割合を明記)・主たる使用者を定めた念書・手数料納付書 相続時のクルマの名義変更にかかる費用 相続で自動車の名義変更を行う場合の費用は下記のとおりです。 項目 費用 備考 被相続人(死亡者)の戸籍謄本 約500円 必要部数はケースにより異なる 相続人の印鑑証明 約300円 相続人ごとに1通必要 車庫証明代 約3,000円 地域により異なる場合がある ナンバープレート代 約1,500円 管轄が変わる場合に必要 移転登録手数料(印紙代) 約500円 約500円   ご自身で手続きを全て行う場合は、約6,000円で名義変更ができます。しかし、行政書士や自動車ディーラーで手続きの代行を依頼すると、代行費用として1万円以上費用が発生する可能性があります。 管轄の警察署や運輸支局によっては上記で紹介した費用が異なる場合もあるため、事前に確認しておきましょう。 クルマの相続・名義変更後の対応 相続・名義変更後の対応は、大きく3つに分けられます。それぞれ詳しくみていきましょう。 保険の引き継ぎ・変更 相続したクルマに乗り続ける場合、自動車保険の引き継ぎや変更が必要です。自動車保険には、強制加入の自賠責保険と任意で加入する任意保険があります。名義変更後、保険会社に連絡し名義変更手続きを済ませれば、保険の等級が引き継がれ、保険料が適正に設定されます。 売却 相続したクルマを売却する場合、まず名義変更が必要です。名義変更をしないと、売却手続きができません。売却時には、下記の書類を準備します。 ・実印・印鑑証明書・自動車検査証・自動車税納税証明書・自賠責保険証・リサイクル券・被相続人の戸籍謄本・遺産分割協議 廃車 クルマを廃車にする場合も、名義変更が必要です。実際の手続きは、運輸支局で行います。廃車にする際には、下記の書類を準備します。 ・実印・印鑑証明書・自動車検査証・ナンバープレート・申請書・手数料納付書・自動車税(環境性能割・種別割)申告書・遺産分割協議書・戸籍謄本・除籍謄本(戸籍謄本で所有者の死亡が確認できない場合) 名義変更を行わずに廃車手続きは進められないため、順番には注意が必要です。 相続時のクルマの名義変更の注意点 相続した自動車の名義変更後に、注意点がいくつかあります。これから紹介する注意点も把握しておけば、スムーズに自動車を手放せるでしょう。 単独相続の方がトラブルになりにくい 単独相続の場合、相続人が1人のため、名義変更の手続きがスムーズに進む傾向があります。複数の相続人がいる場合、意見の相違によって合意を取れず、トラブルにつながる可能性があります。 特に、クルマの相続に関しては、使用方法や売却の方針について意見が分かれることが多いため、単独相続が望ましいとされています。 所有しているだけで税金がかかる クルマを相続した場合、名義が故人のままだと自動車税の納付義務が発生します。自動車税は、毎年4月1日時点での所有者に課税されるため、名義を変更しないと故人の名義のまま税金が発生し続けることになります。 つまり、相続人が不必要な税金を支払うことになりかねません。早めの名義変更により、不要な税金負担がかかる事態を防止できます。 未成年者の場合は特別代理人を立てる必要がある 未成年者が相続人となる場合、法律上の制約があるため特別代理人を立てる必要があります。特別代理人は、未成年者の権利を守るために家庭裁判所に申し立てて選任される者です。 未成年者は自らの権利を行使できないため、適切な手続きを進めるためには特別代理人が必須です。 特別代理人の選任は、子の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てることで行います。申し立てには収入印紙800円(子1人につき)が必要で、家庭裁判所により指定された郵便切手も準備します。 また、申立書や必要書類として未成年者や親権者の戸籍謄本、特別代理人候補者の住民票、利益相反に関する資料などを提出します。遺産分割協議書案や契約書案なども必要となる場合があるため、事前に用意しておくことが大切です。 ▼詳しくは、裁判所のホームページをご覧ください。裁判所「特別代理人選任(親権者とその子との利益相反の場合)」 名義変更手続きは代行を依頼できる 当事者以外の人に名義変更を代行してもらえます。しかし、必要書類に加えて相続人の実印を押印した委任状が必要です。委任状は運輸支局やインターネットでダウンロードができます。そのため家族や知人に、代行してもらうことが可能です。とはいえ、平日に時間が作れない人が多く、行政書士や買取店に依頼する人も多いです。

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