「車売却ってそもそもどんな流れなのか」「車の相続について相談したい」など車売却をご検討の際に出てくる悩みに無料でお答えいたします!
【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
アメリカの「25年ルール」と聞いて、何となくわかるけど詳しいことまでわからないという方は多いのではないでしょうか。アメリカの25年ルールにより、日本の中古車の価格に大きな変化が起きる可能性があります。 本記事では、25年ルールの内容と、アメリカと日本の市場への影響について解説します。 25年ルールとは 25年ルールとは、製造から25年以上経過した右ハンドルのクルマをアメリカ国内にそのまま輸入できる法律の例外にあたる特別ルールのことです。 アメリカでは、原則として右ハンドル車を輸入できません。つまり、日本車やイギリス車などをそのまま輸入することができないのです。 しかし、製造から25年が経過したクルマであれば、クラシックカーとして登録することが可能となるため、右ハンドル車である日本車やイギリス車をそのまま輸入できるようになります。 また、関税や排ガス規制も対象外になることも25年ルールの特徴です。 このようなアメリカのクラシックカー登録制度(法律の例外)が25年ルールとなります。 25年ルールによる市場への影響 アメリカの25年ルールは、アメリカ市場や日本市場に大きく影響します。それぞれの市場ごとにどのような影響を及ぼすのか詳しく解説します。 アメリカの市場への影響 アメリカ市場では日本車の人気が高く、日本車仕様にカスタマイズ(いわゆるJDM=Japan Domestic Market)して乗る方やオリジナルの状態で乗りたいと考えている方が多くいます。 この日本車人気の背景には、ゲーム「GRAN TURISMOⓇ THE REAL DRIVING SIMULATOR」や映画「ワイルド・スピード(英:The Fast and the Furious)」などで、日本車が登場したり活躍したりしていることが影響しているといえるでしょう。 さまざまな場面で登場する日本車に乗りたいという人やオリジナルのモデルを手に入れて運転したいと考えている方にとって、日本で販売されていたモデルをそのままの状態で手に入れられるのは非常に嬉しいことです。 このような背景から、アメリカ国内には25年ルールの解禁を待っている方々が多く存在します。 日本の市場への影響 アメリカの25年ルールの解禁に伴って、日本の中古車市場が大きく動くことがあります。 前述したとおり、日本車をそのまま輸入できる25年ルールの解禁を待ち望んでいるアメリカでは、25年ルール解禁とともに手に入れたいクルマの争奪戦が始まる可能性があります。そのため、日本市場に流通している人気のモデルの中古車価格が上昇するのです。 また、日本では新規登録から13年以上経過すると税金が重課されるため、時間の経過とともにクルマを維持するのが大変になります。一方、アメリカやヨーロッパなどでは、旧車に対する税制が優遇される国や地域があります。そのため、年式が古いクルマ(旧車)の維持がしやすいのです。このようなことも、海外における日本車人気の理由になっているといえるでしょう。 加えて、「日本車は壊れにくい」という高い信頼性も海外人気を支えている理由といえます。こうしたさまざまな要因により、25年が経過した日本の名車が海外に多く流出しているといえるでしょう。 「25年ルール」により相場が高騰しそうな車種 2020年、2021年、2022年、2023年、2024年、2025年に25年ルールが解禁される車種は下記のとおりです。 【2020年】・初代インテグラタイプR・R33 スカイライン GT-R 【2021年】・ウイングロード・ステップワゴン・3代目シーマ・ランサーエボリューションⅣ・8代目ギャラン・チェイサー100系・レグナム・ステージア・ロゴ・5代目プレリュード・S-MX 【2022年】・2代目センチュリー・ハイエースレジアス・ローレル C35型・シビックタイプR EK9・トルネオ・アリスト160系・ルネッサ 【2023年】・R34 スカイライン・ランドクルーザー 100系・ランサーエボリューションⅤ・レガシィBE・ジムニーJB23 【2024年】・ヴィッツ・シルビア S15・ランサーエボリューション Ⅵ・スカイライン R34 GT-R・S2000・レジアスエース H100系・クラウン 17系・MR-S 【2025年】・2代目エスティマ・WiLL Vi・bB・アルティス・2代目RAV4・オーパ・アコード ユーロR CL1型・アトレー7・インプレッサ WRX STI GDB型・YRV・30セルシオ・9代目カローラ・スマートシビック・3代目シビックフェリオ・110系 マークⅡ・オリジン・ストリーム・トリビュート・エクストレイル・クルーガー・グランドエスクード 【2026年】・アレックス・2代目イプサム・アルテッツァジータ・アリオン 25年ルールにより相場が高騰しそうな車種は、走行性能や走る楽しさを感じられるスポーツモデルや日本車ならではの高い耐久性・信頼性などが特徴のモデルばかりです。 今後もこのようなモデルは増え続け、海外市場で高値で取引される可能性があるでしょう。製造から25年を迎えるクルマの売却を検討している方は、今後の価格の変化や動向に注目して、売却時期を見極めることをおすすめします。
ドイツはベルリンのような都市部でも道路が広く、駐車可能なスペースも街の至るところに設置されています。そのため、東京のように大渋滞になる可能性が少なく、ストレスのない快適なクルマ生活を送れるといえるでしょう。 そんなベルリンの街中でよく見かける車種は、当たり前といえるかもしれませんが、メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン、BMWといったドイツの国産車が圧倒的に多いです。筆者が大好きなクラシックカーも根強い人気があります。日本メーカーのマツダやトヨタを見かけることもありますが、ごく稀です。 ドイツ全体では、どんな車種が人気なのでしょうか?連邦自動車交通局(KBA)の調査に基づき、「Best-Selling Cars」が発表した2025年1月から3月にかけてドイツで販売された人気車種ランキングを見てみましょう。 1位:フォルクスワーゲン・ゴルフ 販売台数:22,000台 2位:フォルクスワーゲン T-Roc販売台数:19,201台 3位:フォルクスワーゲン・ティグアン販売台数:18,234台 4位:フォルクスワーゲン・パサート販売台数:12,548台 5位:シュコダ・オクタビア販売台数:11,694台 上記のとおり、フォルクスワーゲンが上位4位を独占する結果となりました。ドイツ人は電化製品や日用品など「メイド・イン・ジャーマニー」を好む傾向がありますが、クルマに関しても同様のことがいえます。フォルクスワーゲンは「ジャーマン・エンジニアリング」の象徴として、信頼性が高く、安定した走行や丈夫なボディ、精密なつくりが高く評価されています。扱いやすいコンパクトサイズであることも人気の理由です。 フォルクスワーゲン以外では、5位に、チェコメーカーのシュコダ・オクタビアがランク入りしました。日本ではあまり馴染みのないメーカーですが、ベルリンではよく見かけます。チェコはドイツの隣に位置しており、物価も安いことから、昔から部品工場が多く存在しています。1991年にフォルクスワーゲンの傘下に入ったことにより、技術やプラットフォームを活用し、品質やデザインが大幅に向上したことから人気が上昇しました。 ちなみに、6位にはスペインメーカーのセアト・レオンがランク入りしました。不動の人気を誇ると思っていたメルセデス・ベンツは11位とトップ10位にも入りませんでした。これには驚きましたが、同じドイツ国産車でもフォルクスワーゲンのようなコンパクトサイズのクルマがないからでしょうか? しかし、上位を独占し、圧倒的な人気を誇るフォルクスワーゲンですが、2024年には国内での生産を約73万台削減し、人員削減も計画していることを発表しています。その背景には、ドイツにおけるクルマの販売台数が減少傾向にあることが理由に挙げられます。ランキング同様に「Best-Selling Cars」の調査を見てみると、2024年の新車登録台数は約281万台で、前年から約1%減少していることが分かります。 また、注目を集める一方で、販売台数約38万台と前年から27.4%も減少してしまったEV車も影響しているのではないでしょうか?EV車に関しては、政府の補助金の打ち切りの影響が大きいといわれていますが、クルマ全体で考えるとドイツにおける経済成長の停滞が最も大きな理由です。エネルギー高騰により製造コストが押し上げられ、製造業に影響を与えていることも原因となっています。 ドイツ政府やクルマ業界は、EV車の補助金制度を再導入することによって、市場の再活性化や持続可能なモビリティへの移行を目指しているとのことですが、もっとも有名なテスラでさえ、街中であまり見かけることはありません。しかし、ここ数年でタクシーやカーシェアリングサービスにEV車が導入されるようになりました。スーパーの駐車場や公道に充電スタンドが設置されるなど、街の至るところでインフラが整えられたことにより、需要が増えているようです。 特に、ベルリンのような都市部では、カーシェアリングサービスの需要が高まることによって、自家用車を所持する必要性がなくなってくるのではないでしょうか?事実、ベルリンでは、住民1,000人あたりの自家用車保有台数が338台とドイツ国内でもっとも低い水準となっています。交通公共機関が充実していることも理由のひとつですが、サステナブルの理念から、自家用車の使用を制限し、歩行者や自転車に優しい都市づくりを目指す動きが活発化していることも考えられます。 市民団体「Berlin Autofrei(正式名称:Volksentscheid Berlin autofrei)」は、ベルリン中心部のSバーン環状線内の地域を対象に、自家用車の通行を制限する法案を提案し、2021年の時点で5万人以上の署名を集めています。また、ベルリンの中心地では、低排出車両のみが通行可能な環境ゾーンが設けられています。 フォルクワーゲンのようなドイツのトップシェアを誇る国産車が絶大な信頼を得ているのに対して、環境に優しい街つくりに高い意識を持つ都市部や都市交通の変化により、EV車やカーシェアリングサービスの需要がより一層高まってくるのではないでしょうか? [ライター・Kana / 画像・VW,Adobe Stock]
白いボディに大きな「風林火山」のカッティングロゴ。タケヤリ仕様として話題を集めたFC3Sは、今見ても存在感があります。しかし、風林火山・FC3Sは見た目だけではなく、サーキットでも高い実力を示しました。 販売終了から10年近くが経過しても第一線で戦えることを証明した風林火山・FC3Sの開発秘話を中心に、FC3Sの実力の高さを改めて紹介します。 オーナーに夢を与えた風林火山・FC3S 1990年代初頭に販売が終了したサバンナRX-7 FC3Sですが、2000年代に伝説のチューニングプロジェクトが立ち上がりました。タケヤリ山路氏とRE雨宮が手掛けた、風林火山・FC3Sです。 FC3Sの概要とともに、風林火山・FC3Sの開発秘話を振り返ってみましょう。 サバンナを冠した最後のRX-7 2代目RX-7のマツダ サバンナRX-7 FC3Sは、1985年から1992年まで販売されました。RX-3から引き継いできた、伝統の「サバンナ」という名称が与えられた最後のモデルです。RX系の集大成として、ロータリーエンジンの実力を世界に知らしめました。 FC3Sへのモデルチェンジでもっとも話題になったのは、新開発の13B-T型ロータリーターボエンジンです。前期型で185ps、最終のアンフィニIIIでは215psもの最高出力を発揮。さらに、軽量コンパクトなロータリーエンジンの利点を活かし、わずか1.2tの車重と前後重量バランスのよさからライバル車と肩を並べる存在でした。 5万円の事故車をレストア&フルチューン 風林火山・FC3Sとは、タケヤリ山路こと故・山路慎一選手が筑波最速を目指してRE雨宮と共同で立ち上げたプロジェクトです。また、ベース車輌は5万円で購入した大事故車だったことから、FC3Sオーナーの間で話題になりました。 フレームが曲がるほどのダメージでエンジンもまともに動かない状態でしたが、RE雨宮の協力のもと丁寧に補修箇所の修復が進められます。また、同時に各部の補強やチューニングも施され、最強のFC3Sへと変貌を遂げました。 また、白に塗装されたボディサイドにはFC3Sの直線を活かすようにカッティングステッカーが貼られ、峠を走るストリートカーのような雰囲気を醸し出しています。東京オートサロン2002で、チューニングカー部門のグランプリに輝きました。 RE雨宮だから実現した最強FC3S 風林火山・FC3Sは、RE雨宮のチューニングによって最強と呼べるにふさわしいスペックに仕上げられました。エンジンは13BターボをベースにTD07S-25Gタービンをセットし、最高出力は463psにまで高められています。 足回りは、ダンパーはクァンタムベースのRE雨宮スペック、スプリングはスウィフト製という組み合わせを選択。ロール時の前後キャンバー変化量の違いを抑える、最適なセッティングが施されています。 また、製作にあたっては、事故車という点も多大に考慮されました。事故を修復すると剛性が下がってしまうため、ボディに直接溶接したロールバーが張り巡らされています。 RE雨宮のフルカウルプロを軸にまとめられたエアロパーツは、リアウィングが特徴的です。フロントオーバーハングの長いFC3Sの特性を考えて、できるだけ後方に装着されました。エアロパーツまで含めて、筑波最速を目指して綿密に設計されていることがうかがい知れます。 驚異的な記録を樹立したFC3Sの実力 FC3Sは峠でのイメージはあるものの、あまりモータースポーツでの活躍の印象はありません。しかし、実はレースの世界でも、FC3Sの高い実力が証明されています。 風林火山・FC3Sが筑波サーキットで樹立した記録も含めて、レースでの活躍を振り返ってみましょう。 風林火山・FC3Sが筑波で残した大記録 風林火山・FC3Sは、開発の目的だった筑波サーキットのタイムアタックで58秒890という大記録を叩き出しました。FC3Sの実力とともに、RE雨宮のチューニングとタケヤリ山路選手のドライビングがもたらした結果といえるでしょう。 真実は不明ではありますが、後発のFD3Sや日産 R34型GT-Rなどが筑波サーキットで58秒台という情報は確認できました。FC3Sが1980年代に発売されたことを考えると、風林火山・FC3Sがマークした記録がいかに驚異的だったかがわかります。旧車の枠に収まらない高い実力は、多くのRX-7に夢を与えました。 あの土屋圭市氏がドライブしてモータースポーツでも活躍 一般的に、FC3Sはモータースポーツのイメージが薄いかもしれません。しかし、JSS(ジャパンスーパースポーツセダン)ではタイトルこそ獲得できなかったものの、数々の勝利を挙げ、その実力の高さを証明しました。 特に1991年の最終戦となった富士スピードウェイでの雨のレースにおいて、土屋圭市選手(ドリキン)が見せたドリフト走行は、伝説として今も語り継がれています。 FC3Sによって地位を確立したRX-7 サバンナの集大成とも呼べるFC3Sは、ロータリーエンジンとスポーツカーRX-7の地位を確立しました。ボディデザインこそ直線基調から曲線ベースに変更されましたが、リトラクタブルライトやワイド&ローに構えるスタイリングといった特徴は、後発のFD3Sにも引き継がれています。 また、しっかりとしたチューニングさえ施せば、現代でも十分戦えるマシンであることを風林火山・FC3Sが証明しました。タケヤリ山路氏の情熱とRE雨宮の技術力が不可欠だったことはいうまでもありませんが、ベースの設計から実力が高い車種であることは間違いありません。
クルマの購入時に気になるのが、資産としての価値。せっかくクルマを買うなら、価値が上がって高くなっていったほうがいいですよね。多くのクルマが購入すると時間の経過とともに価値が下がっていく一方で、一部のクルマは旧車市場で価値が上がり高額で取引されることがあります。そこで今後、価値が上がる可能性のある日本車と輸入車のクラシックカーを予想してみましょう。 ■旧車の価格はなぜ高騰するのか? 旧車が値上がりするのには、いくつかの要因がありますので整理してみましょう。 ●旧車市場での需要: 日本はもちろん海外でも旧車は売り買いされています。需要が多ければ、そのぶんだけ価値が上がっていきます。国外では、とりわけ北アメリカやヨーロッパで旧車市場が活況です。 ●希少価値: 新車としての販売台数が少ない車種や、販売終了して久しい車種は、時間の経過とともに故障や廃車などにより市場に流通する台数が減少していくため希少性が高まっていきます。そのなかで、旧車愛好家に人気があるクルマは価格が上昇していきます。 ●カスタムやレストア: クルマをカスタムやレストアして乗るオーナーがいます。自分の所有物を最大限に楽しむことは素晴らしいですが、クルマ本来の状態は失われていきます。オリジナルの状態に近いほうが、旧車としては価値が高まっていく傾向があります。しかし、時間の経過とともにオーナーが変わり、オリジナルの状態が失われる可能性がでてきます。 ●規制の影響: 国によっては、排ガスや環境の規制が厳しくなり、登録が困難になる前に憧れの旧車を購入する動きが見られます。 またアメリカには、製造から25年が経過すると右ハンドルのクルマをそのまま輸入してクラシックカーとして登録できる「25年ルール」があります。そのため、25年を境にアメリカで日本の旧車の需要が増えるのです。 ●知名度: 「レースに出場した」「映画に登場した」「ゲーム化された」など脚光を浴びると、人気を集めることがあります。 ■価値が上がりそうな日本車 ●1.日産 スカイライン GT-R(R32・R33・R34): スカイライン GT-Rシリーズは根強い人気があり、特にR32・R33・R34のモデルは今後も価値が上がる可能性が高いでしょう。R34は海外からの需要が高まっており、もともと生産台数が少ないため、価格が上昇することが考えられます。 ●2.日産 シルビア(S13・S14・S15): シルビアは、ドリフトカーとして認知されていてコアなファンがいます。年々、コンディションが良好なものが少なくなっています。S13やS14もそうですが、とりわけS15は価値の上昇が期待できます。 ●3.日産 フェアレディZ(Z31): 日産のスポーツカーで、海外でもよく知られています。グランドツーリング志向が強く、ターボチャージャー搭載モデルは特に人気です。 ●4.ホンダ NSX(NA1・NA2): 初代NSXはホンダが誇るミッドシップスポーツカーで、フェラーリにも引けを取らない技術と性能を誇りました。アルミボディやVTECエンジンといった先進的な技術が採用され、開発には伝説のF1レーサーであるアイルトン・セナも参加しました。 ●5.ホンダ プレリュード: デザインが洗練されている5代目ホンダ プレリュード。ステアリングにトルクベクタリングを採用するなど、先進技術が注目を集めました。若いコレクターにも人気があります。 ●6.トヨタ スープラ(A80): トヨタのA80スープラは、90年代の国産スポーツカーの中でも特に人気が高いモデルです。パワーと耐久性に優れる2JZ-GTEエンジン搭載車は、人気があります。北米市場での需要が高まっており、価格が上昇しています。 ●7.マツダ RX-7(FD3S): RX-7 FD3S型は、ロータリーエンジンを搭載したスポーツカーです。特徴的な設計と独特の走りで、ファンを魅了しています。パーツの入手が困難な場合もありますが、根強く支持されています。 ●8.三菱 ランサーエボリューション(エボV~エボIX): 三菱のラリーカーとして名を馳せたランサーエボリューションシリーズ。エボVからエボIXまでのモデルが、特に人気です。高性能な4WDターボを誇り、世界ラリー選手権で認知度を高めました。 ●9.スバル インプレッサ WRX STI(GC8・GDB): スバルのインプレッサ WRX STIは、ターボエンジンを搭載したAWDスポーツカーです。GC8(初代)とGDB(2代目)は軽量で扱いやすく、ファンに人気です。 ■価値が上がりそうな輸入車 ●11.デロリアン DMC-12: 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で有名になったデロリアン DMC-12。ステンレス鋼のボディは、一目ですぐわかるデザインです。ノスタルジーの高まりにより、近年になって価格が高騰しています。 ●12.フェラーリ 400・412: 4シータークーペであるフェラーリ 400と412。優雅なデザインで、V12エンジンを搭載しています。創業者エンツォ・フェラーリの最後のモデルとして近年、評価が高まっています。 ●13.ボルボ P1800: ボルボ初のスポーツクーペであるP1800は、高い耐久性もさることながら絶妙なフォルムのデザインがファンを唸らせます。イギリスのテレビドラマ『セイント 天国野郎』で主演のロジャー・ムーアが運転したことでも知られ、若者に人気です。 ●14.BMW ミニ クーパーS: BMWが復活させた初代ミニ クーパーSは、クラシックな外観ながらスポーティーな走行性能があります。近年、緩やかに価値が上がってきています。 ●15.フォード ブロンコ II: 約四半世紀ぶりとなる2020年にフォードがブロンコを復活させました。これに伴い、3ドア ワゴンのフォード ブロンコ IIの人気が上昇しています。価格帯が手頃なことから、若者にも人気があります。今後も需要が見込まれているため、価値が上昇すると見られています。 ■まとめ このなかにお目当ての旧車はありましたか。クルマを買うのには、いろいろな理由があるでしょうが、自分の利用ニーズにあっているものを選びたいものです。そして所有して乗っているうちに価値が目減りしていくどころか、その逆に高騰したらこんなに嬉しいことはないですよね。 [画像/Toyota,Nissan,Honda,Mazda,Mitsubishi,Volvo,BMW MINI,Ford・ライター/Takuya Nagata]
スカイラインといえば「GT-R」のイメージですが、プロドライバーによるドリフト競技「D1 GRAND PRIX」で注目を浴びたのはER34です。また、GT-Rが極端に高騰したことを背景に、GT-R仕様にカスタマイズする文化も生まれました。 目的によってはGT-R以上に魅力のあるER34スカイラインについて、D1での活躍を中心に詳しくみていきましょう。 ドライバーの個性とともに異彩を放ったER34スカイライン ER34のD1ドライバーといえば、博多弁丸出しの独特な口調とひょうきんなキャラクターで人気を博した野村謙氏です。黎明期を支えたレジェンドドライバーとして、現在もD1を中心に各方面で活躍しています。 野村氏のキャラクターとともに、強烈な個性を発揮したER34スカイラインのD1での活躍を振り返ってみましょう。 D1初年度からBLITZのドライバーとして参戦 ノムケンこと野村謙氏は、D1初年度の2001年からBLITZのER34スカイラインで参戦します。しかも、使用したのは4ドアモデルで、小柄なご本人とのコントラストが印象的でした。 大量のタイヤスモークをあげるドリフトは、大柄なボディと相まって迫力満点。「白煙番長」の異名で呼ばれ、個性的なドライビングスタイルを確立しました。 無冠ながら節目での印象的な活躍 D1のレジェンドドライバーとも評される野村氏ですが、実はシリーズチャンピオンの獲得経験はありません。しかし、1ポイント差の激闘やアメリカ開催のエキシビション戦での勝利など、印象に残る名勝負を数多く繰り広げました。 参戦当初の2001~2003年までは、迫力のある走りとは裏腹に準優勝が最高成績でした。マシンの完成度が向上するとともに、野村氏の実力が発揮されたのが2004年シーズン以降です。2004年仕様のマシンが投入された第2戦SUGOでは追走で強さをみせ、続く第3戦エビスサーキットで念願の初優勝を果たします。 さらに、2006年にはシーケンシャルミッションを投入するなどブラッシュアップを図り、シーズン最多タイの2勝を挙げました。初のシリーズタイトル獲得の期待もかかりましたが、ライバルの熊久保信重選手に僅か1ポイント差で破れ、シーズン2位という結果になりました。 ER34スカイラインでとことん楽しむ R34型スカイラインといえば、「GT-R」の人気が高いことは言うまでもありません。しかし、野村氏がD1で走らせたER34も、スポーツカーファンから高く評価されています。以前は難しかったGT-R化のハードルも下がり、ますます注目を集めているモデルです。 ここでは、そんなER34の魅力とトレンドを紹介します。 スポーツ走行ならGT-Rよりも楽しめる 絶対的な性能面では、ER34よりもBNR34(GT-R)に軍配があがります。アテーサによって高度に制御された4WDシステム、RB26DETTによる圧倒的なパワーはER34にはありません。しかし、ドリフトはもちろん、手足のようにクルマを操る感覚を楽しむという意味では、ER34は魅力的なモデルです。また、GT-Rよりも車重が軽いことも、スポーツ走行を楽しむうえでは大きなアドバンテージです。 さらに、性能を突き詰めたGT-Rではなく、あえてER34を選ぶことで自分好みにセッティングを仕上げられるのも魅力といえるでしょう。 定番のGT-R仕様はリーズナブルに進化 GT-R仕様へのカスタマイズは、ER34の定番メニューです。実はER34の人気の高まりから、最近では少しトレンドが変わってきています。以前は純正パーツの流用がおもな手段だったため、価格の高さや入手の難しさがネックでした。しかし、現在では多くの社外パーツがそろってきているため、比較的リーズナブルにGT-R化が可能です。 たとえば、GT-R化をする際に欠かせない、リアフェンダーの整形。これまでは、リアフェンダーをカットして、GT-Rのような張り出す形に加工していました。作業に手間がかかる分コストは高く、さらにフェンダーをカットすると修復歴ありになってしまいます。しかし、現在では貼り付けるタイプのFRP製のリアフェンダーが登場し、車輌本体を加工することなく装着できるようになりました。 D1の夢は息子の野村圭市選手が引き継ぐ 車重が重くドリフト競技では不利とされるER34ですが、大柄でホイールベースの長い車体がドリフト姿勢でコーナーを駆け抜ける姿は迫力満点です。ER34のよさを活かした豪快なドリフトでD1を盛り上げた野村氏ですが、2018年に惜しまれつつ引退をしました。 迫力のあるドリフトが見られなくなるかに思われましたが、入れ替わるように息子の野村圭市選手がER34でD1(当初はLIGHTS)に参戦しています。D1史上初の2世ドライバーとして、2ドアながらER34で現在も活躍中です。父が果たせなかったシリーズタイトルを、息子の圭市選手が獲得できるのか今後も注目していきましょう。
1966年から1972年まで製造されたランボルギーニ・ミウラ。大排気量のV型12気筒エンジンを横置きでミッドシップレイアウトにおさめた元祖スーパーカーとして、革新的なデビューを飾りました。 FRが主流だったロードゴーイングGTの世界に、MRパッケージで彗星のごとく現れたミウラの開発秘話とすべてのモデルの歴史を紐解いていきます。 ベアシャーシでの初披露から始まったランボルギーニ・ミウラ 初代ランボルギーニ・ミウラの前身、TP400がトリノ・オートショーで初披露されたのは1965年。しかし、その姿はボディがなくV型エンジンを載せたベアシャーシのみでした。 そして、翌1966年にマルチェロ・ガンディーニ氏による架装が施され、新鋭ランボルギーニ・ミウラ P400は、ついにジュネーブショーで初披露されます。流れるような流線美が注目の的となったミウラの開発秘話を紹介します。 フェラーリを超えるために生み出された元祖スーパーカー ミウラの特徴といわれる3.9LのV型12気筒エンジンは、1960年中盤に生産が始まったFR車、ランボルギーニ350GT/400GTに搭載されていました。しかし「フェラーリを超える車をつくりたい」と考えていた開発責任者のジャンパオロ・ダラーラは、4Lに迫るこの大型エンジンをコックピット後方に搭載する決断をします。 当時はミッドシップレイアウトそのものが珍しく、3Lクラスのエンジンとなると、フェラーリ 250LMのみでした。大型エンジンを搭載するMR車両が当時は他になく開発は難航しましたが、ダラーラは横置き配置にするという斬新な方法で解決。3.9LのV型12気筒エンジンを搭載するミッドシップスーパーカー「ランボルギーニ・ミウラ」を誕生させました。 当時、唯一無二といわれたこのミッドシップスポーツカーは、その後多くのGTカー開発を追随し「元祖スーパーカー」といわれる存在になりました。 横置きレイアウトでコンパクトなプロポーションを実現 ミウラの代名詞である横置きエンジンは、イギリスの自動車開発者のアレック・イシゴニスが設計したBMCミニからヒントを得て開発されました。 ミニは、エンジンの下にギアボックスを配置していましたが、ダラーラはトランスミッションをエンジンの後方、ディファレンシャルギアをセンター寄りにレイアウトすることで全高を抑え、低重心化を図りました。 ミウラは、ダラーラの画期的なアイディアで安定感のある重量配分とコンパクトなプロポーション、そして快適なキャビンスペースを実現しました。 奇才のデザイナーとトップエンジニアたちによって結成された開発プロジェクト ミウラの開発プロジェクトは、イタリアの若き奇才デザイナーとトップエンジニアたちによって布陣を固められました。 自動車メーカーのランボルギーニ社をベースに、シャシー設計は数々の名車を生み出していたダラーラ社が担当。ボディ設計及びデザインは、アルファロメオやフィアットの設計にも携わったベルトーネ社が手腕を振るったといいます。 当時のイタリアを代表する自動車関連メーカー3社による、最強の布陣だったからこそ、まだどこも開発していなかった唯一無二のミウラが生まれました。 車名「ミウラ」のルーツは闘牛牧場 「ミウラ」とは、スペイン最古の闘牛牧場「ミウラ牧場」が由来です。 ランボルギーニのエンブレムを、自身の星座である牡牛座に由来し闘牛をモチーフにしたフェルッチオは、ほかにも「ランボルギーニ・ディアブロ」「ランボルギーニ・ムルシエラゴ」「ランボルギーニ・アヴェンタドール」と、勇ましい闘牛の名前を車名にしました。 ランボルギーニ・ミウラ P400からP400SVへの歴史 人口わずか7,300人ほどの小さな町、サンタガータ・ボロネーゼの工場で出荷されたミウラ。 初代P400は、さまざまな課題を解決しながらP400S、P400SVへと、一台一台生産するごとに改良を重ねていきました。 3シリーズそれぞれの歴史と特徴を紹介します。 P400 (1966〜1968) 1965年のベアシャーシモデル TP400の発表からわずか1年後の1966年、初代ミウラであるP400型が登場しました。最高出力350ps、最大トルク37.5kg-mを誇る3.9L V型12気筒エンジンがわずか980kgの車体に搭載され、最高速度は280km/hを記録。流線型の美しいボディデザインとともに市場に衝撃を与え、シリーズ中もっとも多い475台が生産されました。 一方で、PT400のあまりの反響に開発を急いだため、見切り発車での発売となった感は否めない仕様も見受けられます。たとえば、スポーツ走行に欠かせないLSD(リミテッド・スリップ・デフ)の採用は見送られ、高速走行時の安定性が課題として残りました。 P400S(1968〜1971) 2代目のミウラはP400S型、チューニングをしたという意味を込めて「S」=Spintoが付け加えられました。エンジン出力は370psまで引き上げられ、装備の追加などで車両重量が1,050kgに増加したにもかかわらず、最高速度は285km/hを記録します。 ベンチレーテッド・ディスク・ブレーキ、等速ジョイント、リアサスペンションの強化とエンジンパワーの向上に合わせて全体にチューニングが施されました。また、パワーウィンドウやエアコンといった快適装備を充実させたのもP400Sの特徴です。1968年から1971年の3年間で140台が生産されました。 P400SV(1971〜1972) ミウラの最終進化型であるP400SVは、シリーズ史上最高となる385psまで出力を引き上げたエンジンで、最高時速は300km/hに到達。インテークの拡大やバルブタイミングの変更、さらにはキャブレターの仕様変更など意欲的なチューニングが施されました。 外観では、9インチホイールへの変更に伴ってリアをワイドフェンダー化したほか、ヘッドライトのトレードマークだった“まつ毛”と呼ばれるフィン状のパーツが取り外され、フロントグリルの形状も変更。P400SVは、シリーズのなかでもっとも見た目の変更が加えられました。生産台数は150台です。 旧車王は超希少車種ランボルギーニ・ミウラP400Sの買取実績あり 1960年代のロードゴーイングGT界に新風を巻き起こした、元祖スーパーカー「ランボルギーニ・ミウラ」。V型12気筒横置きエンジンを包み込む美しく流れるようなフォルムのミッドシップスポーツカーは、今もなお魅力的な一台です。 ミウラは、1960年代から70年代初頭のわずか6年間のみの生産で、3シリーズ合わせても750台前後しか販売されなかった希少車種です。中古車サイトでもほとんど見かけることはありません。 しかし、旧車王では2023年1月に1969年製ミウラ P400Sの買取実績があります。初代P400よりも生産台数が少ないモデルですが、旧車王だからこその高価買取が実現しました。希少車でも買取可能な旧車王にぜひご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年2月記事執筆時のもの
ホンダ 4代目プレリュードは、ワイド&ショートボディというスポーツカーらしい外観が特徴的なモデルです。性能より外観や装備が重視されたデートカーから、走行性能を重視したスポーツクーペとして登場しました。 日産 R32 GT-Rにも匹敵する高い性能を誇った4代目プレリュードの魅力を、誕生の歴史やレース戦績を中心に詳しく紹介します。 デートカーのイメージを払拭した4代目 プレリュードといえば、バブル期に巻き起こったデートカーブームの火付け役です。スポーティな外観ではあるものの、居住性や快適性を重視したスペシャルティカーとして人気を博しました。 しかし、4代目プレリュードは、走行性能を重視する方向に大きく舵を切ります。スポーツクーペとして生まれ変わった4代目プレリュードの特徴を、改めて確認してみましょう。 スポーツクーペとして登場 1991年のフルモデルチェンジで登場した4代目プレリュードは、従来のスペシャルティカーというコンセプトを刷新。より走行性能を重視した、スポーツクーペに生まれ変わりました。 スポーツクーペというコンセプトがわかりやすいポイントは、大幅な変更が施されたボディデザインです。全幅を70mm広げて(1,780mm)3ナンバーサイズにワイド化した一方、全長を80mm(4,440mm)、全高を5mm(1,290mm)縮小して運動性能の向上が図られています。また、2代目、3代目と受け継がれてきたリトラクタブルヘッドライトの廃止も、大きな変更点です。 インテグラ・タイプRよりも4年も早くFF革命を起こした 1995年に登場したインテグラ・タイプRは、FFに革命を起こしたといわれています。しかし、実は4代目プレリュードは、4年も早く革新的なFFスポーツクーペとして登場しました。 「Si VTEC 4WS(BB1型)」、「Si VTEC(BB4型)」の両グレードに搭載されるエンジンは、ホンダ自慢のVTEC機構を備えたH22A型です。最高出力はインテグラ・タイプRと同様の200psを誇り、2.2Lという大排気量による最大トルクは22.3kgf・mにも達します。 また、プレリュードの代名詞ともいえる4WSは、VTEC非搭載の下位グレードにも用意されていました。世界初の機械式4WS機構は、操舵角、車速、ステアリング操作速度で制御する電子式にアップデートされています。VTEC非搭載のグレードは、「Si(BA8型)」と「Si 4WS(BA9型)」の2モデルです。 無敵を誇ったR32 GT-Rを追い詰めた 4代目プレリュードは、走行性能の向上を過酷なレースシーンで証明しました。プレリュード発売の翌年1992年から、改造範囲が狭く市販車の性能と信頼性がレース結果に直接結びつくN1耐久シリーズに参戦します。 連勝街道をひた走るR32 GT-Rを脅かすほどの存在感をみせた、プレリュードのレース戦績について振り返ってみましょう。 BB4型をベースに開発 プレリュードが投入されたのは、N1耐久(現スーパー耐久シリーズ)という量産市販車ベースで争うレースです。プレリュードのレース車輌は、VTECモデルで4WS非搭載のSi VTEC(BB4型)をベースに開発されました。 当時のN1規定の改造範囲は限られており、基本的には市販モデルと同様の仕様です。エンジンについてもピストンやコンロッドのバランス取り、ECU(エンジンコントロールユニット)のチューニング程度しか許されていません。つまり、N1耐久では、市販車のポテンシャルが勝敗に大きく影響するということです。 GT-R無敗時代にトップ争い プレリュードがN1耐久に投入された1992年は、R32 GT-Rが全日本ツーリングカー選手権で連勝記録を作っていた真っ只中でした。レース上位陣のほとんどがGT-Rという状況のなか、デビュー戦でいきなりの総合4位を獲得します。 さらに、第4戦TIサーキット英田、ナイター12時間レースの第5戦筑波サーキットではナカジマレーシングのPIAAプレリュードがGT-Rに肉薄する速さをみせ、いずれも総合2位でフィニッシュ。連勝記録こそ止められなかったものの、同じくプレリュードで参戦するギャザズFALKENとともに「GT-Rキラー」の異名で呼ばれました。 現在では希少性の高い4代目プレリュード バブル景気を追い風にしたデートカーブームに乗って販売台数を伸ばした2代目、3代目に対して、まさにバブル崩壊の年に登場した4代目プレリュードは商業的には失敗したともいわれます。しかし、8万5,262台というモデル全体の販売台数は、ZN6型の86を6,500台あまり上回る数字です。 ハイパワーエンジンと、電子制御4WSという魅力的なプレリュードは、現在でも一定の支持を得ています。しかし、絶対的な販売台数が少なかったことから、現存する個体はあまり多くありません。ポテンシャルの高さに起因する車としての価値と希少性から、今後ますます貴重な存在になっていくかもしれません。
スカイラインGT-Rの売却を検討するうえで、リセールバリューが気になっている方は多いのではないでしょうか。人気車種だからこそ買取価格にばらつきが出やすく、売却先によって大きな差が生じます。 そこで本記事では、スカイラインGT-Rのリセールや高く売るコツ、売却におすすめの業者について詳しく解説します。愛車を少しでも高く売りたい方はぜひ最後までご覧ください。 スカイラインGT-Rとは スカイライン GT-Rは、日産自動車の代表的なスポーツカーであり、スカイラインシリーズの最上級グレードです。 1969年に初代「ハコスカGT-R」、その後「ケンメリGT-R」が製造され、長い歴史をスタートさせました。 「ケンメリGT-R」から16年の空白期間を経て、1989年にR32型として復活を遂げたGT-Rは、2.6L直列6気筒ツインターボエンジンと4WDシステム「アテーサE-TS」を搭載し、全日本ツーリングカー選手権で29連勝を記録しました。 続くR33型では、ボディサイズの拡大とボディ剛性の強化が図られました。エンジンはR32型と同じものでありながら、最大トルク37.5kgmを達成しました。 ただし、ボディサイズが大型化したことで、取り回しの悪さなどが指摘され、不評を買ったモデルでもあります。 1999年に登場したR34型は、R33型の課題を解消し、全長を75mm、ホイールベースを55mm短縮したボディ構造で設計されています。エンジンはR32型から熟成されたRB26DETTを搭載し、280psを維持しつつ最大トルクは40kgmに向上しました。 R34型では、Mスペック ニュルやVスペックⅡ ニュルなど、多彩なグレードが展開され「スカイラインGT-R」としての幕を閉じています。 スカイラインGT-Rの買取相場 スカイラインGT-Rは、日産を代表するスポーツカーであり、常に高い人気があります。そのため、中古車市場でも高値で取引されています。ここでは、R32型からR34型までの買取相場について詳しくみていきましょう。 ※2024年6月時点の情報 R32型スカイライン GT-R R32型スカイラインGT-Rのベースグレードは、現在の中古車市場において〜700万円前後で取引されています。さらに、Vスペック N1やVスペックⅡ N1の場合、その価格は〜1,500万円前後にまで跳ね上がります。 R32型は、GT-Rの復活モデルとして人気が高く、今なお根強いファンに支持されているモデルです。 R33型スカイライン GT-R R33型スカイラインGT-Rのベースグレードの買取相場は、〜650万円前後です。また、LMリミテッドといった特別仕様車は、〜800万円前後で取引されています。 R33型は、ボディサイズの大型化などが当時は不評を買い、販売台数は約1万6,000台にとどまりました。しかし、現在では販売台数の少なさが希少価値を高める要因の1つとなっています。 R34型スカイライン GT-R R34型スカイラインGT-Rの買取相場は、ほかの型式を大きく上回ります。 ベースグレードでも〜2,000万円前後、VスペックII N1やVスペックII ニュルでは、〜4,500万円前後で取引されます。さらに、Mスペック ニュルに至っては〜5,000万円前後の高値がつくケースも珍しくありません。 R34型の販売台数はR33型よりもさらに少なく、約1万1,000台にとどまりました。そのため、現在の中古車市場ではR32型やR33型を上回る価格で取引されています。 R34型は、GT-Rの最終モデルとして、希少性と人気の高さから、今後も高値で推移すると予想されます。 スカイラインGT-Rのリセールバリューが高い理由 ここでは、スカイラインGT-Rのリセールバリューが高い理由について、2つのポイントから詳しく解説していきます。 根強いファンがいる スカイラインGT-Rは、高い走行性能とスポーティなデザインが特徴です。また、1969年の初代モデル発売以来、長年培われてきたスカイラインのブランド力も、多くのファンを惹きつけて止みません。 特にR33型とR34型は、販売台数が少なく希少性が高いため、ファンからの評価が高くなっています。 さらに、R32型以降のモデルは、レースでの圧倒的なパフォーマンスを誇り、世界中のクルマ愛好家から高い評価を受けています。 海外でも人気がある スカイラインGT-Rは、日本国内だけでなく、海外でも高い人気を誇っています。映画「ワイルド・スピード」やゲームなどの影響で、特にR34型を中心に知名度が向上しました。 また、ランボルギーニやフェラーリなどのスーパーカーに匹敵する加速力がありながら、それらより安価であることも、海外での人気の理由の1つです。 さらに、アメリカでは25年ルールにより、25年以上前に製造された車輌はクラシックカーとして認定され、輸入が可能になります。本ルールによって、スカイラインGT-Rの需要がさらに高まっています。 ▼なお、25年ルールについては以下の記事で詳しく解説しています。アメリカ「25年ルール」とは?名車の中古相場が急騰するしくみ2024年1月にスカイラインR34 GT-Rが25年ルール解禁!今後値上がりする? スカイラインGT-Rを高く売る方法 スカイラインGT-Rを少しでも高く売るためには、いくつかのポイントを押さえておく必要があります。ここでは、特に気をつけたい2点について詳しく解説します。 カスタムした箇所をアピールする スカイラインGT-Rは、カスタマイズを楽しむ方が非常に多いモデルです。カスタマイズしている場合は、自身のこだわりポイントやどのメーカーのカスタムパーツを使用したのかをアピールすることが大切です。 特に、純正のオプションや装備は、クルマの価値を大幅に向上させる要因です。カスタムは、クルマの性能や外観をさらに引き立てるため、査定時にプラス評価を受けやすくなるでしょう。 ただし、スカイラインGT-Rの買取経験が乏しい業者の場合、カスタムの価値を適切に評価できない可能性があります。そのため、スカイラインGT-Rの買取に強い業者を選ぶことも重要です。 点検記録簿を残しておく スカイラインGT-Rを高く売るためには、点検記録簿を残しておくことも大切です。査定業者は、エンジンやトランスミッションなどの重要部品の状態を重視します。点検記録簿があれば、各パーツが良好な状態に保たれていると証明でき、高い査定額につながるでしょう。 特に高性能車であるスカイラインGT-Rの場合、適切なメンテナンスが行われていることは新しいオーナーにとっても気になる点です。 スカイラインGT-Rの売却は旧車王へご相談ください スカイラインGT-Rを売却する際は、旧車買取の専門店である旧車王への相談がおすすめです。旧車王は、20年以上にわたって旧車を専門に扱ってきた実績があり、GT-Rの買取実績も豊富です。 旧車王では、GT-Rの特徴を熟知したプロのスタッフが知見やノウハウをもとに、カスタムや装備、クルマの状態を適切に評価します。 また、旧車王では全国どこでも無料で出張査定に対応しています。ご自宅や指定の場所まで担当者が伺うため、店舗までクルマを持ち込む必要がありません。さらに、売却に関する手続きの諸費用も無料です。 スカイラインGT-Rの売却を検討する際には、ぜひ旧車王までお気軽にご相談ください。
無駄を削ぎ落としたコンパクトボディに、ハイパワーターボエンジンを備えたS15シルビア。シリーズ最終型として投入され、低い全高と吊り目の精悍なマスクで多くの人気を集めました。また、高い運動性能から、現在もドリフト競技を中心に第一線で活躍しています。 40年近くにわたるシルビアの歴史を締めくったS15の、開発背景や魅力を改めて振り返ってみましょう。 常識外のアプローチで進化を遂げたS15 長くモデルチェンジを繰り返す車種は、一般的に大型化していきます。スポーツモデルも例外ではなく、ホンダ シビックやマツダ ロードスターといった軽量コンパクトが特徴のモデルでさえ、現行型は3ナンバーです。 シルビアも6代目のS14で3ナンバー化しましたが、S15では再び5ナンバーに戻すという驚くべき手法で進化を遂げます。シルビアの歴史やグレードとともに、開発背景を振り返ってみましょう。 FRという駆動方式と進化が方向性を決定づけた 初代シルビアはダットサン フェアレディのシャシーをベースに開発され、1965年に登場しました。しかし、商業的には成功せず、わずか3年、544台の生産で一旦絶版になります。その後7年のブランクを経て2代目が登場、以降最終型のS15まで合計7世代が生産されました。 そして、シルビアの地位を確立したのが、1980年代後半にバブル景気を背景に生まれたデートカーブームです。先行するホンダ プレリュードの対抗馬として開発された5代目シルビアのS13型は、高い走行性能と豪華な内装によって人気を集めました。 また、駆動方式がFRだったことも、シルビアの個性をより際立たせたポイントです。デートカーの代表格といわれたプレリュードはFF、トヨタ セリカ GT-FOURは4WD(ベースはFF)だったのに対し、コントロールする楽しさを味わえるシルビアは、スポーティな走りを求めるユーザーから支持を集めました。 以降、6代目のS14、最終型のS15と走りに磨きがかかっていきます。 シェイプアップして戦闘力をアップしたS15 S13で高い評価を得たシルビアは、6代目のS14を経て1999年に7代目S15に進化しました。最大の変更ポイントは、ボディサイズです。S14で3ナンバーサイズに大型化したものの、販売当時はシルビアらしい軽快さが失われたとして不評でした。 そこで、S15では無駄を徹底的に削ぎ落とし、再び5ナンバーサイズとして登場します。「見て、乗って、走って、エモーションを感じる軽快コンパクトなスポーティクーペ」をコンセプトに開発され、精悍な印象のエクステリア、3連メーターなどを配したレーシーなインテリアがシルビアらしい鋭い走りを予感させました。 ユーザーニーズを満たす幅広いグレード展開 S15に搭載されるSR型エンジンは、S13の後期で初めて採用されたエンジンです。2世代に渡って改良を重ねて熟成の域に達していたS15では、ターボ付きのSR20DETで最高出力250ps(Spec-R)にまで達します。さらに、6速MTを組み合わせることで、エンジンパワーを活かした走りを楽しめました。 また、セダン並の幅広いグレード展開も、S15シルビアの特徴です。ターボモデルのSpec-Rと自然吸気モデルのSpec-Sを基軸に、上質なインテリアのLパッケージやカスタマイズベースというコンセプトのType-Bといったさまざまなグレードが発売後も追加されます。 さらに、日産のカスタマイズブランドのオーテックが専用チューニングを施した、オーテックバージョンやStyle-Aといったモデルもラインナップに加えられました。特に、オーテックバージョンでは自然吸気のSR20DEエンジンに専用チューニングを施し、200psという高出力を実現しています。 守備範囲の広いFRスポーツクーペ スペシャリティカーという位置付けだったシルビアですが、最終型のS15はさまざまなファンを魅了するモデルです。ドリフトというイメージの強いシルビアですが、ドレスアップ分野からレースまで幅広い人気を集めています。 S15シルビアの魅力を、ドリフト以外の側面も含めて探ってみましょう。 幅広いカスタマイズ性が魅力 S15がもっとも活躍したのは、ドリフトシーンです。パワーアップを図る吸排気パーツ、コントロール性能を向上させるアーム類やサスペンションといった多くのチューニングパーツが販売されています。 また、「魅せる」要素も強いドリフトから派生して、エアロ類を中心にドレスアップパーツも豊富です。レーシングドライバーの谷口信輝氏が所有するS15シルビアのように、究極のドレスアップ仕様も存在します。 実はレースでも高い実力を発揮 ドリフトのイメージの強いS15ですが、実はレースでも好成績を残しています。S14から大幅に軽量コンパクト化されたS15は、全日本GT選手権(JGTC)投入初年度から実力を発揮しました。GT300クラスに参戦し、シリーズ全7戦でポールポジションを獲得。シリーズチャンピオンこそ逃しましたが、圧倒的な速さをみせつけました。 さらに、デビュー2年後の2001年には、ダイシンシルビアが念願のシリーズチャンピオンを獲得します。市販車として販売されていた期間がわずか4年だったにも関わらず、レースシーンで輝かしい実績を残しました。 今も現役で活躍し続けているS15シルビア 販売終了からすでに20年以上が経過するS15シルビアですが、現在もドリフトを中心としたモータースポーツやカスタマイズカーファンから多くの人気を集めています。GR86やGRスープラの登場で一時期よりは減ったものの、D1グランプリの参加マシンをみてもS15はまだ中心的な存在です。 また、精悍なスタイリングからドレスアップを楽しむユーザーからの支持も厚く、今のところ人気に陰りは見られません。一旦3ナンバー化したモデルを再度小型化するという日産の大英断で生まれたS15は、他に類をみない5ナンバーサイズのターボモデルとして今後も注目され続けることでしょう。
2019年から取材を続けている、「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」代表・綿引雄司氏が造り上げたハンドメイドのタイレルP34。 これにF3000に参戦していた「レイナード93D」が加わった。現在「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」には2台のフォーミュラカーが収まっている。 「見せる」マシンから「攻める」マシンへと変貌しつつあるタイレルP34、そして不動の状態で綿引氏のところに嫁いできたレイナード93D。 この2台を並べてみると、まったく違和感がないことに驚かされる(フォーミュラー関係者の視点で見れば異なるかもしれないが)。 しかし、タイレルP34は昨年秋にエビスサーキットでクラッシュ。現在、復活に向けて作業中だという。 気になる2台の現状と今後について、カスタムビルド&レストア WATAHIKIに赴き、代表の綿引氏に取材を行った。 ■綿引さん、まずは「タイレルP34」の状況を聞かせてください 昨年秋にクラッシュしたあと、各部の修正作業を進めている状況です。それに加えて、タイレルP34のマフラーを変更しました。これまでは「4in2-2マフラー」だったものを1本出しに仕様変更を行っています。 その理由として「音量規制があるサーキットをタイレルP34で走ってみたいと思ったから」こと、そして「パワーアップおよびトルクアップ」が狙いです。 AE86カローラ レビン/スプリンター トレノ(4A-G用)のマフラーを加工して、集合管にしました。当初、専門の方に依頼することも検討していました。しかし、これまでタイレルP34を自作してきた経緯もあり、それならばということでマフラーも自分で作ることにしました。 ■AE86用をベースにしようと思ったのは何かヒントがあったのですか? 以前から「もしかしたら、隼のエンジンにAE86用タコ足マフラーが適合するんじゃないか」というイメージが湧いていたんです。 実際にピッチを測ってみたところ、取り付けられそうということでヤフーオークションで中古品を入手しました。隼用のノーマルのエキパイとパイプの径は同じでしたが「ポン付け」できるわけではなく、ここから先は試行錯誤の連続でしたね。詳しくは下記動画をご覧ください。 ●4AGでP34用集合菅制作!https://www.youtube.com/watch?v=lzOMVK9LkbA ■(お聞きするのは忍びないですが)カウルの修復も進んでいるのでしょうか? 2度のクラッシュで76年型および77年型のフロントカウルを破損してしまったので、現在は77年型の方を修理を進めているところです。現在、塗装まで完了しています。 ■実際に「サーキットを攻めた」からこそ見えてきたウィークポイントもあるそうで・・・ ロアアームやピロボールに負荷が掛かることが分かってきました。サーキット走行を繰り返すうちにロアアームの後ろ側のボルトや緩んできてしまったり、ピロボールもガタが出てきてしまっています。負荷が掛かる部分は高価だけど強化版に交換して、それ以外の箇所は汎用品にするなど、コスト面も考えつつ、進めています。 ■タイレルP34が復活を遂げたらエビスサーキットですか? エビスサーキットもだけど、筑波2000も走りたいですね。筑波サーキットでフォーミュラカーだけのカテゴリーで年に3戦、草レースを開催しているんです。筑波サーキットはマフラーの音量規制が厳しいので、今回の仕様変更もそれに合わせた仕様なんです。 YouTubeの動画を観てくださった方から、ウィリー防止用に低速ギヤでの高回転の制御をカットする製品があることを教えてもらい、こちらもタイレルP34に取り付けました。今後は低速ギヤでもエンジンが回るようになるので、特にショートコースでのタイムアップが期待できます。 ■レイナード93Dの方はいかがですか? レイナードに関しては、カウルの塗装してステッカーを貼った状態のままです。機関系に関してはそのままなのでもう少しお待ちください ■直近で参加予定のイベント情報がありましたら教えてください 2025年4月27日(日)午前9時より、モビリティリゾートもてぎにて開催される「水戸道楽クラシックカミーテイング2025」にタイレルP34を展示予定です。 詳細が分かり次第、YouTubeでもお知らせします! 本業を終えたあとや週末などの時間を割いて、ハンドメイドタイレルP34およびレイナード93Dの復活に向けて1歩ずつ前進していることは確かだ。 ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されていますhttps://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA [ライター・カメラ/松村 透]