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【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
日本には世界的にも高い人気を誇る名車は数多く存在する。 特にアメリカをはじめとした欧米諸国では、未だなお多くの日本車愛好家が存在し、定期的にいたるところで日本車オフ会が開催されているという。 日本の自動車の歴史は100年以上にものぼり、そのなかで世界中から愛されるクルマを数々と世に送り出してきた。 同じく自動車大国で知られるドイツでは日本車人気があるのか? また日本車オフ会は開催されているのか? 今回はドイツの日本車オフ会について現地調査を行ってみた。 ■ドイツ人の日本車に対するイメージとは? まずはじめに、ドイツではどのくらい日本車が走っているのか? 国際自動車製造協会(VDIK)の調べによると、日本車のドイツでの市場シェアは過去20年間で12%から9%へと低下した。 また2022年度の年間販売台数で日本車のなかでトップであるトヨタは約78,000台で、市場シェアはわずか3%となっている。 つまり、この数字を見ると、ドイツにおける日本車の人気は決して高いとはいえない結果である。 実際に著者が生活しているドイツのシュツットガルトでは、メルセデス・ベンツとポルシェの本社があるためか、街中で見かけるクルマはほぼドイツ車であり、日本車を見かけることがほとんどない。 一昔前までは日本車といえば、コストパフォーマンスに優れており、安くて壊れにくいという理由からドイツでも評判があったそうだ。 しかし、現在では韓国のヒュンダイやキア、チェコのシュコダなどがさらに安い価格設定で販売されており、なおかつ技術の向上により壊れにくいクルマを提供している。 それ以前に、ドイツではフォルクスワーゲンをはじめとした国内ブランドが圧倒的なシェアを誇っており、市場の約3分の2はドイツのブランドが占めている。 従ってドイツにおける日本車市場は減少傾向にあり、今後も非常に厳しい競争となるだろう。 ■日本のクラシックカーはドイツでも人気が高い? 前述では主に日本車の新車販売台数について解説したが、果たして日本のクラシックカーも同じくドイツでの人気は低いのか? 調べていく過程である答えに辿り着いた。 JDM(Japan Domestic Market)といわれる日本車をメインとした中古車販売店はドイツ全土に何十件もあり、チューニング専門店やパーツショップなど、日本車に関連するお店を含めるとかなりの数が存在していることが分かった。 つまり、日本車愛好家もドイツ全土に存在するということだ。 ■日本車オフ会がドイツ各地で行われていた! ドイツではコロナ関連の規制もほぼなくなりつつあり、2023年度は全国各地でさまざまな自動車メーカーのオフ会が開催予定である。 そのなかでも比較的規模が大きい日本車関連のオフ会はが3つあり、東ドイツにある「ラウジッツリンク」というレース会場では、今年で19回目となるヨーロッパ最大規模の日本車オフ会が開かれているそうだ。 その名も「ライズブレーネン(REISBRENNEN)」。 去年の入場者数は1万2,000人以上にものぼり、総台数が300台を超えるドイツの一大イベントだ。 毎年3日間だけ開催されるこのイベントは、日本車のみとオフ会となり、4分の1マイルレースやタイムアタック、ドリフトグランプリといった数々のプログラムが組み込まれている。 中にはセクシー洗車というドイツ人モデルがビキニ姿で洗車をするユニークなプラグラムも用意されているそうだ。 ■まとめ 日本から遠く離れたヨーロッパ最大の自動車大国ドイツでも大小さまざまな日本車オフ会が各地で開催されており、この国ではいまだなお日本車ブームが衰えていなかった。 年に数回開催される大きな日本車オフ会が開催されると、ヨーロッパ各国から日本車愛好家が集まって大きな盛り上がりを見せているようだ。 我々日本人としてはとても誇らしく、今後も日本車オフ会を続けていってほしいと願うばかりだ。 [ライター/高岡ケン]
ダットサン(DATSUN)は、小型ピックアップトラックの製造・販売を行っていた日産自動車の前身となる会社です。今回は、ピックアップトラックが代表的なモデルだったダットサンのピックアップの車両概要やリセールバリューについて解説します。歴史あるダットサンの売却を検討中の方は参考にしてみてください。 ダットサンピックアップとは ダットサン ピックアップは、日本のみならず世界的にも支持されている小型のピックアップトラックです。1934年の初代モデルデビュー以降、60年以上にわたり日本を含む世界各国で販売されていました。日本では、1997年に登場したモデルを最後に販売が終了しています。 ダットサンピックアップの歴史 ダットサン ピックアップは、1934年に初代モデルが登場し、以降モデルチェンジを繰り返しながら、2002年まで日本で販売を続けていました。 最後のモデルとは1997年にデビューし、RVとしての力強さと快適性を両立したスタイリッシュなパーソナルピックアップをコンセプトに開発されています。エクステリアは力強く頼もしいスタイリングで、インテリアは快適性を重視したデザインを採用しました。エンジンは、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの2種類をラインナップ。 バリエーションは、シングルキャブ・ロングボディの「DX」、シングルキャブ・セミロングボディの「DX」と「DX-L」、ダブルキャブの「AD」「AD-L」「AX」「AX LIMITED」の7タイプです。 ダットサンピックアップは希少? ダットサン ピックアップは、希少といえるでしょう。希少な理由は、日本市場におけるピックアップトラックの需要が少なく、さらにダットサンブランドが販売を終了しているためです。実際、中古車市場を見ても、80台未満(2022年7月時点)しか出回っていません。 ダットサンピックアップのリセールバリューの相場 ダットサン ピックアップのリセールバリューは、約50万円〜約250万円と幅広い価格帯となっています。 リセールバリューの価格に幅があるのは、車両の状態が異なるためです。車両の状態が良ければ、高値で買取される可能性があります。しかし、ダットサン ピックアップは、車両の状態が悪くても世界的に支持されているモデルであり、需要があることから買取額が提示されるケースがほとんどです。そのため、ダットサン ピックアップは、状態が悪くても売れる車と言えます。売却を考えているときは、一度査定に出してみるとよいでしょう。 ダットサンピックアップを高く売る方法 ダットサン ピックアップを高く売るためには、どうすればいいのでしょうか。ここからは、ダットサン ピックアップを高く売るポイントを解説します。 外装や内装などをきれいな状態にしておく ダットサン ピックアップは、年式が古く、走行距離が長くても売れやすい車です。また、外装や内装がきれいな状態であれば、それだけ車の価値が上がるため、買取額が高くなるでしょう。 動かせる状態にしておく ダットサン ピックアップは、日本市場のみならず世界的に需要があるモデルです。そのため、いつでも動かせる状態にしておけば、すぐに買い手が見つかる可能性が高いため、高値で売れるでしょう。エンジンやトランスミッション、サスペンションやタイヤ、電装品などは、定期的にメンテナンスをして、不具合やトラブルがないようにしておくことをおすすめします。 ダットサンピックアップの高価買取ができる業者の特徴 ダットサン ピックアップを高価買取できる業者にはどのような特徴があるのでしょうか。ここからは、ダットサンを適正に評価できる業者の特徴を解説します。 二重査定をしない ダットサン ピックアップを売却するときは、二重査定をしない業者で売りましょう。 二重査定とは、業者が買取後に車両を引き取った後、不具合や故障などがあった場合に買取額の減額を求めることです。二重査定は車の買い取りで大きな問題になっているため、二重査定を行わないことを明言している業者を選ぶとよいでしょう。 旧車の買取実績が豊富 ダットサン ピックアップは、流通台数が少ない希少な車です。そのため、旧車の買取実績が豊富な業者で売却したほうが、より高く売却できるでしょう。 現在販売されていない旧車は、新車と比較できないことから、適切な評価をするのは困難です。そのため、旧車の買取実績が豊富な業者の方がダットサン ピックアップを高く買い取ってくれるでしょう。 クロカンを正しく評価できる ピックアップトラックであるダットサン ピックアップは、商用車や本格SUV(クロスカントリー)を正しく評価できる業者で売却することをおすすめします。 商用車や本格SUV(クロスカントリー)は、乗用車とは異なるボディ骨格や構造を採用していることも珍しくありません。そのため、あらゆるボディ骨格の評価に精通した査定士でなければ、ダットサン ピックアップを適切に評価するのは難しいでしょう。 そのため、ダットサン ピックアップは商用車や本格SUV(クロスカントリー)を正しく評価できる業者で売却したほうが良いのです。 ダットサンピックアップの売却なら旧車王がおすすめ ダットサン ピックアップを売るなら旧車王がおすすめです。 旧車王は、ピックアップトラックのダットサン ピックアップを正しく評価できる査定士が車をチェックします。そのため、正確な価値を算出することができるのです。 ダットサン ピックアップを売るなら、ピックアップトラックの買取りも得意としている旧車王が最適でしょう。
ホンダ プレリュード(PRELUDE)は、1978年から2001年まで5世代にわたり販売された2ドアのスペシャリティクーペです。今や貴重な存在ともいえる国産スペシャリティ2ドアクーペのリセールバリューは、どのくらいなのでしょうか。今回は、プレリュードの車両概要やリセールバリューについて解説します。 プレリュードとは ホンダ プレリュードは、1978年から2001年まで販売されていた2ドアのスペシャリティカーです。中でも、3代目では世界初となる四輪操舵システム(4WS)や四輪ダブルウイッシュボーンサスペンションなど、数々の新しいシステムを導入し、デートカーとして一世を風靡しました。プレリュードは、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)スペシャリティクーペの一時代を築き上げたモデルです。 プレリュードの魅力 ホンダ プレリュードは、デートカーとして憧れのスペシャリティモデルだったことが魅力です。 初代プレリュードは、1978年に登場しました。フロントシートの快適性を重視しているものの4人乗りを実現した室内、国産車初となる電動式サンルーフの標準装備(Eタイプ除く)、集中ターゲットメーターなどが特徴です。初代プレリュードのバリエーションは、「XT」、「XR」、「XE」、「E」の4タイプを用意しています。 2代目プレリュードは、1982年に登場しました。日本初の四輪アンチロックブレーキや空力特性に優れるスタイリング、軽量かつ高鋼性のモノコックボディ、高効率ロックアップ機構付きホンダマチック4速フルオートなど、新しい技術が搭載されています。バリエーションは、上級グレードの「XX」、中間モデルの「XZ」、ベーシックな「XC」の3つです。 3代目プレリュードは、「人とクルマのよりよい一体感を創り上げる」というコンセプトのもと開発され、1987年に世界初となる四輪操舵システムを装備してデビューしました。バリエーションは、16バルブDOHCの「2.0Si」、12バルブSOHCの「2.0XX」、「2.0XR」、「2.0XL」の4タイプ。 4代目プレリュードは、1991年に販売を開始しました。「スペシャルティカーとは何か」を課題として開発され、ワイド&ショートの個性的なスタイリング、前席を優先した2シーター感覚のスポーティなインテリア、ドライバーの意思に応える走りを実現しました。また、運転席&助手席SRSエアバッグシステム、TCS、ABS、LSDなどの安全装備を充実させているのも特徴です。バリエーションは、「Si」と「Si VTEC」の2タイプ。 5代目プレリュードは、高い走行性能と優れたデザインをあわせ持つことを目指し、ホンダの最先端テクノロジーを結集したスペシャルティクーペとなっています。5代目では、マニュアルシフト感覚のAT「Sマチック」、剛性感あるブレーキフィーリングと旋回制動性能を向上させる新しいABSなどを装備し、エレガントクーペらしい走りを実現しました。また、スポーツグレードのType Sは、1リッターあたり100PSを達成した2.2L(220PS)DOHC VTEC自然吸気エンジンを搭載しています。さらに、左右への駆動力配分により優れた旋回性能を実現するATTS、Type S専用アクティブ・コントロールABSなどを装備していることも特徴です。バリエーションは、「Xi」、「Si」、「SiR」、「Type S」の4タイプ。 プレリュードは、ベーシックなグレードからスポーツクーペらしいグレードまで幅広いバリエーションを用意していることが特徴のスペシャリティモデルです。 プレリュードのリセールバリューの相場 プレリュードのリセールバリューは、上昇傾向にあります。中古車の価格は、約40万円〜約300万円と幅広い価格帯で推移しています。 プレリュードの流通台数は多くありませんが、旧車人気や国産スペシャリティカー人気、世界的な半導体不足の影響による新車販売の低迷など、さまざまな理由により、高値になっていると考えられるでしょう。 プレリュードを高く売る方法 プレリュードを高く売るためには、どうすればよいのでしょうか。ここからは、プレリュードを高値で売る方法を解説します。 外装や内装をきれいにしておく 外装や内装がきれいなプレリュードは、年式や走行距離などに関わらず高値になる傾向があります。そのため、現在プレリュードを所有していて、売却を検討しているときは、外装や内装をきれいな状態にしておきましょう。 もし、エンジンがかからなかったり、動かすことができなかったりしても、外装や内装をきれいにしていれば、高値で売却できる可能性が高いです。 型式が古いモデル プレリュードは、型式が古いほど高価になります。型式が古いプレリュードは、希少価値が高いと評価されることから、プレミア価格になる傾向があります。そのため、型式が古いほど高く売れるのです。 プレリュードの高価買取ができる業者の特徴 プレリュードの高価買取ができる業者には、どのような特徴があるのでしょうか。ここからは、プレリュードを高値で売ることができる業者の特徴を解説します。 二重査定をしない プレリュードを売るときは、二重査定をしない業者を選びましょう。 二重査定とは、買取契約から車両の引き取りまで完了した後に、不具合や故障などが見つかった際に買取額を減額することです。二重査定をする業者に売却すると、売却時に想定していた利益を得られなくなる恐れがあります。そのため、二重査定を一切しない業者を選びましょう。 旧車の買取実績が豊富 プレリュードは、流通台数が少なく、希少価値が高い車です。そのため、旧車の買取実績が豊富な業者で売却したほうが、より高値で売ることができるでしょう。 プレリュードのような旧車は、旧車ならではの着眼点でなければ適正な評価をすることができません。そのため、旧車を得意としている業者で売却した方がプレリュードを高く売ることができるのです。 ネオクラシックカーを正しく評価できる プレリュードは、旧車としても評価されていますが、ネオクラシックカーとしても評価されるモデルです。そのため、ネオクラシックカーの買取実績が豊富で、ネオクラシックカーの価値を正しく評価できる業者で売却したほうが、高値で売ることができます。 プレリュードの売却なら旧車王がおすすめ プレリュードを売るなら旧車王がおすすめです。 旧車王は、旧車・ネオクラシックカーであるプレリュードの価値を的確に見極められる査定員が車を評価します。そのため、より高い評価をすることができるのです。 プレリュードを売るなら、旧車・ネオクラシックカーの買取りを得意としている旧車王がおすすめといえるでしょう。
エブリイはスズキの商用軽自動車として、日本で広く知られている車です。製造元のスズキだけでなく、日産ではNV100クリッパー、三菱はミニキャブ バン、マツダからはSCRUM VANとしてそれぞれ車名を変えて販売されており、日本のビジネスを支えている車とも言っても過言ではないでしょう。また乗用車タイプのエブリイワゴンも、日常生活やレジャー用に人気があります。 本記事では、エブリイのリセールバリューのポイントや高く売る方法などについて詳しく解説します。 エブリイのリセールバリューのポイント エブリイのリセールバリューのポイントは、高年式の低走行車であることです。エブリイは40年ほどの歴史があり、エブリイワゴンの現行モデルも2015年から販売されています。市場に流通している台数も多いので、リセールバリューは高年式で走行距離が短い車で高くなる傾向があります。 エブリイを高く売る方法 エブリイを高く売るための方法は、基本的なメンテナンスをしておくことと、他車との仕様差をアピールすることです。 エブリイとエブリイワゴンはそれぞれ目的や仕様が違うので、年式や状態が同じであっても買取価格が異なります。しかし高く売却するためのポイントは同じと考えてよいでしょう。 基本的なメンテナンスをしておく 車を良好なコンディションに保つためには、日頃の基本的なメンテナンスが大切です。例えばエンジンをよい状態に保つためには、定期的なオイル交換がポイントになります。商用車として使うのであれば、高価なエンジンオイルを使うよりも、安価なエンジンオイルを定期的に交換したほうがよいでしょう。 オプション・カスタマイズをアピールする 商用バンの現行モデルは2015年に登場しました。歴史が長く販売台数も非常に多い車です。売却を希望する車にオプションやカスタマイズされていれば、買取業車に強くアピールしましょう。同年式、同レベルの他車に対して差別化を強調することが、高く売却する上でのポイントになります。 エブリイの魅力と歴史 エブリイの最大の魅力は、長い販売実績に裏付けられた品質の高さがあることです。どのような車であっても、新しく開発されて市場に出ると、予期せぬ不具合や弱点になる部位が見えてくることがあります。自動車メーカーでは外観に大きな変化がなくても、目に見えない細かい改良を繰り返しながら、車の品質を高めています。現行エブリイはすでに販売期間が長く、他の自動車メーカーからも販売されており、日本の道路を知り尽くした車とも言えるでしょう。 広い室内空間はもちろん、スズキが独自に開発した5AGSという自動変速機も魅力の一つです。5AGSはマニュアルトランスミッションのクラッチ操作を自動化した、いわばオートM/Tとも呼べる自動変速機です。 燃費がよいのはもちろん、マニュアル変速操作もできます。現行のエブリイワゴンは5M/Tまたは4速のA/Tですが、商用のエブリイの2WDモデルには現在でも5AGSが搭載されています。 CVTやA/Tが主流の日本車において、気軽にマニュアルトランスミッションの楽しさを味わいたい旧車ファンにとっては、大きな魅力になるでしょう。
昨年、愛車S15で使用していたカーナビが壊れまして。 購入したのが2004年。3~4年おきにデータを更新しながら18年間の使用なので、よく働いてくれたと思います。 仕事柄、初見の地に出向くことが多いので、なんらかのナビゲーションシステムは必須。 当初はネットオークションで中古の同一機種を落札し、配線はそのままに本体だけ交換しようと考えていたのですが、これが思いのほか高価なこと。 ちょっと足せば、新品のポータブルカーナビが買えちゃう額。 「なら、スマートフォンのナビアプリを使ってみよう。不都合があったら、あらためてカーナビを買えばいいし」 そんな顛末があってカーナビを外し、現在、ナビアプリを利用しています。 旧車を所有し、「車内の雰囲気を壊さないため、カーナビは取り付けたくない。 けれどナビは使いたい。 スマートフォンのナビアプリはどうなんだ?」と、考えている方は、意外に多いようです。 今回は実体験に基づいたカーナビとナビアプリの違いを記してみたいと思います。 ■ダッシュボード設置型のカーナビは取り外しが大変! 中古品を落札する案はなくなったので、まずはカーナビの取り外しから。 壊れたカーナビはダッシュボード上に両面テープで土台を固定するタイプ。 簡単に取り除けるかと思ったら、実際はかなり面倒な作業でした。 土台を引っ張るものの(貼り付けから20年近くを経ているにもかかわらず)両面テープはびくともせず、ダッシュボードの表皮が浮き上がってしまう事態に。 いやいや、強力過ぎだろ! 本来ならドライヤーで温めて剥がすのがいいのでしょうが、非コンセント型のドライヤーを所有していません。 接着はがし剤を使用しますが、正直なところ効果はなし。 結局、力で少しだけ浮かべて土台とダッシュボードのすき間を作り、慎重にカッターで切って剥がす方法を取りました。 土台は取れたのですが、ダッシュボード上に両面テープが残ってしまったので、時間をかけてチマチマと剥がします。 信号待ち中にもチマチマ。渋滞にはまって停車中にもチマチマ。車内で妻を待っている間にもチマチマ。チマチマチマチマ……。 3日ほどで剥がし終えたのですが、どうしてもノリは除去しきれませんでした。 ダッシュボードの色あせもあって、両面テープが貼ってあった場所がクッキリと分かる状態に。 個人的にはカーナビの取り付け位置は、視線移動の少ないダッシュボード上がベストだとは思います。 思いますが、旧車を綺麗な状態で維持したいのなら、カーオーディオスペースを活用するDINタイプにすべきだなと感じました。 ■ナビアプリの使用感に問題なし。ただ、トンネル内では位置を示してくれず さて、近場のホームセンターでスマートフォンスタンドを購入し、ダッシュボード上に両面テープで取り付け。 今度は範囲も狭いですし、両面テープもチープなので、不要になった際、そこまで苦労せずに剥がせるでしょう。多分……。 ちなみにスマートフォンを吸盤等でフロントウィンドウに貼り付けるのは道交法違反にあたるので注意が必要です。 そういった製品が販売されているのは、小売店や個人が合法である国から輸入し、日本の道交法を確認していないから、ではないでしょうか。 選択したナビアプリは、無料の『yahoo! カーナビ』。 選んだ理由は、基本の地図データにゼンリンを使用しているところ。 不満が出たら、有料版の『ゼンリンのいつもNAVI』に変えればいいかなと。 かつての廉価モデルスマートフォンだと性能や機能が足りず、ナビアプリが正常に動作しないこともあったそうです。 ですが、いまどきのスマートフォンなら廉価モデルでも問題なく作動します。 実際、私のスマートフォンも3年前の廉価モデルですが、一点を除いて動作に問題はでていません。 この一点については、のちほど記します。 使用してみた感じ(それまで使用していたカーナビが古くてシンプルなのもあって)特に不満はありませんでした。カーナビと比べると誤差は大きく、また位置ズレも頻繁に発生していますが、走行しているうちに補正してくれますし、慣れの範疇だと考えています。 データ通信量も思っていたほどではなく、月に2~3回、使うくらいなら、2~3Gの契約でも事足りるのではないでしょうか。 そして問題点。 クルマから車速信号を取ることのできないスマートフォンだから仕方がないのですが、トンネル内では自車の位置を拾ってくれません。 アプリの表示は、地下道やトンネルの入り口付近で停止している状態です。 分岐のある高速道路だった場合、致命的な間違いに繋がります。 ただ『yahoo! カーナビ』、本来ならばスマートフォンのジャイロ機能に対応し、地下道やトンネルでも現在地を表示できるそう。 これは私のスマートフォンの問題なのかもしれません。 ハイエンドモデルやミドルレンジモデルのスマートフォンで、リリースからしばらく時間が経っているモデルなら、アプリも対応しているのではないでしょうか。 ■事前に所有するスマートフォンとナビアプリとの相性を確認 スマートフォンのナビアプリ。個人的には十分にカーナビの代わりになると感じています。 不足な点は多々ありますが、不足をオーナーの知恵と経験で補うのは、旧車に乗られる皆さんの得意技でしょうし。 ダッシュボードに両面テープや吸盤用のシールを貼りたくない。 あるいは美観からダッシュボード上にスマートフォンスタンドを設置したくないのなら、取り付けに工夫が必要になると思います。 念のためスマートフォンスタンドを購入する前に、所有されるスマートフォンにジャイロ機能があるか、ないか。くわえてトンネル内で案内してくれるかを調べておくと失敗せずに済みます。 当面、ナビアプリを利用するつもりです。 今後、スマートフォンを買い替えてトンネル内の案内に変化が出たら、またお伝えしたいと思います。 [ライター・カメラ/糸井賢一]
松本零士先生の訃報といい、ショッキングなニュースが相次いでいる2023年。 先日、何気にスマニュー(SmartNews)のアプリを開き、スポニチの記事に釘付けになった。 それは「タモリ倶楽部が3月末で終了する」という衝撃的な見出しだった。 これぞまさに青天の霹靂。不意打ち。想定外だった。 タモリ倶楽部、なかでも筆者は生粋(?)の空耳アワーフリークだと自認している。気づけば空耳歴は30年近い。人生の半分以上を空耳アワーに捧げてきたわけだ(かなり大げさ)。 空耳アワーとの出会いはまだ筆者が10代だったころだ。 あるとき、友人が2本のビデオテープを貸してくれた。「とにかく観てくれ」と。2本ともタイトルが書かれたラベルシールがない。確か、ビデオテープのツメが折られていたように思う(意味が分からない若い世代の方はご両親に聞いてみてください)。 ラベルシールなし&ツメ折り済みのビデオテープ、そして「とにかく観てくれ」という意味深なメッセージ。それが何を意味するのか?男性諸氏であれば「言わずもがな」だろう。多くは語るまい。あれしかない。"Audio Visual"ではない方の「アレ」だ。中3のとき、我が家が上映会場になり大変だった・・・ことは別の機会にしよう。 男性陣が几帳面な家庭だと「ルーブル美術館」とか「日本の四季。長良川の美」といった、比較的手に取られにくい、巧妙な方法(?)でカムフラージュされていることもある。 しかし、ついうっかり本人以外の家族が誤って手に取って再生しまうと、我が家の三大ニュース(黒歴史編)として、きっと末代まで語り継がれる事件になりかねない映像が収められていることが多く、まさに諸刃の剣だ。 ま、それはさておき、高まる期待を胸に、ビデオテープをデッキに押し込みいざ再生!・・・してみると、そこにはタモリと長髪の男性が。肩すかしをくらった。なんじゃこりゃ。何を隠そう、それが空耳アワーとの出会いだった。 つまり、友人は「タモリ倶楽部のコーナーに空耳アワーという名物企画があるから観てみろよ」と、2本のビデオテープを筆者に貸してくれたのだった。それならばはじめからそういってくれよ(笑)。期待して損した。 落胆するモヤモヤな気持ちを抑えつつ、気を取り直して友人が編集した「空耳アワー初期の傑作集(豪華2本立て)」を観てみることにした。 こじつけとしか思えない強引な空耳、当時から映像の暴力(笑)といわれた絶妙な再現映像。その面白さに魅了されてしまった。 以来、筆者の人生にタモリ倶楽部、そして空耳アワーは欠かせないものとなってしまった。年に1度くらいの頻度で行われる「空耳アワード」がオンエアされるときは、ビデオデッキのタイマー予約をしつつ、オンタイムで観たものだ。周囲の友人知人にも知らせまくり、喜びを分かち合った(笑)。 マイケル・ジャクソンやクィーン、メタリカ、ジプシー・キングスなど、FMラジオでお馴染みのあの名曲も、空耳アワーの格好の餌食(?)となった。不意にスピーカーから流れてくると笑いが止まらなくなり、まともに聴けない時期もあったほどだ。 メタリカが来日したときのコンサートを観に行ったが、空耳作品のオンパレードで笑ってしまった記憶がある。メタリカといえば空耳アワーの名作が目白押し。空耳アワーとの出会いがなければメタリカを聴くこともなかったし、ましてやコンサートに行くなんて想像もつかない。 マイケル・ジャクソンやクィーンの名曲の多くも、空耳アワーが引き合わせてくれた気がする。もしかしたら、熱狂的なファンからすれば動機が不純だと怒られるかもしれないが、新たなファンを獲得するために、空耳アワーが一役買っていることは間違いない。 マイケル・ジャクソン「スムーズ・クリミナル」といえば『パン 茶 宿直』だし、プリンス「バットダンス」といえば『農協牛乳』といった具合に、空耳アワーの金字塔ともいえる名作(ジャンパー作品)も数多く生まれた。また、深夜番組ということもあり、下ネタのオンパレードであることはいうまでもない。企業コンプライアンスが厳格化された現代では、モザイク加工しない限り地上波で再生不可能な作品も数多い。 個人的に好きな空耳作品は数多くあるが、最近の目下のお気に入りはヴァン・マッコイの「ハッスル/上越」だ。有名な曲なのでラジオでもオンエアされる機会が多い。フルコーラスで聴くと「上越」を連呼する(実際にはしてないけれど)ので、笑いを堪えるのに必死だ。運転中にこの曲が流れてくるとあぶない。 そんな空耳アワー、そしてタモリ倶楽部があと1ヶ月で終わりを迎える。4月以降、マニアックな企画も、しょうもない空耳作品の新作を観ることができなくなる。 来年で笑っていいとも!が終わりを迎えて10年になる。会社員時代、お昼時に飲食店に入れると、テレビチャンネルはフジテレビが選ばれ、当たり前のように笑っていいとも!がオンエアされていた。いまだに復活を望む声が聞こえてくるけれど、おそらくあの空気感は2度と戻らない。 仮に空耳アワーだけを独立させ、新たな司会者を呼んできて、ソラミミストの安西氏とコンビを組んで番組として継続しても、おそらく面白くもなんともないだろう。安西氏もタモリがいるから活きるのだろう。 笑っていいとも!と同様に、タモリ倶楽部も、ヘタに延命処置をしてグダグダになるよりも、美しい思い出としてスパッと終わりにするのが妥当なのかもしれない。 当たり前のように続いてきたものであっても、いつか終わりを迎える。改めて思う。やはり永遠はないのだ。 まだまだ朝起きてからメチャクチャ寒いし、そんなときこそゲー!早く起きなきゃ!だし、なんとか起きられたらまずは農協牛乳だ。来週の避難訓練ではバケツリレー、水よこせー!って怒鳴ることになりそうで今から気が重い。今夜も締め切りに追われてアハハハ・・・お~頭痛いってなるのも確実だ。パン茶宿直を覚悟しつつ、お客さんに嫌われるぞーっていわれない程度に仕事を頑張りたいと思う。 ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
名車といわれるクルマは、たくさんの人に愛されたヒットモデルであることが多いもの。 しかし、そのヒットに至るには多くのトライ&エラーがあり、ときにチャレンジが裏目に出てしまうこともあります。 「フィット」誕生以前にホンダのエントリーカーを担っていた「ロゴ」は、まさにトライ&エラーのなかで数奇な運命をたどったモデルだといえるでしょう。 愚直なまでに実用性を追求した結果、ホンダ車に求められる“おもしろさ”が削られてしまったのです。 ▲ロゴ(前期型) ■トールボーイとスポーティ ロゴを語るためには、まずその前身となる「シティ」を理解しておかなくてはいけません。 シティは、1981年に初代モデルが誕生したホンダのエントリーモデルとなるコンパクトカー。 “ワイド&ロー”がカッコいいクルマの条件であった当時、あえて背を高くした箱型デザイン(トールボーイと呼ばれた)としたユニークなクルマで、高い空間効率とクラスレスな魅力を備えてヒットしました。 ▲初代シティ しかし、1985年のモデルチェンジでコンセプトチェンジ。 1470mmの全高は1335mmまで低められ、室内空間よりも走りを重視したクルマとなりました。 ▲2代目シティ このスタイルチェンジは「シティ ターボII」によるワンメイクレース(その名もシティブルドックレース!)が開催されたことなどもあっての判断でしたが、ユーザーの多くは戸惑いを隠せず、“みんなの楽しいクルマ”から“走りが好きな人のためのクルマ”に。 おりしも1980年代後半から1990年代前半はRV(今でいうSUV)ブームで、背の低いクルマへのニーズは相対的に低くなり、結果としてシティは、この2代目をもって日本国内市場から姿を消すことになります。 1995年のことでした。 そして1996年に今回のテーマ車、ロゴが発売となるわけです。 ■“実用車の鑑”のようなスペックで登場 では、ロゴとはどんなクルマだったのでしょうか。 ひと目でわかるように、全高が高く親しみやすい丸みを帯びたスタイリングを持つ、合理的なパッケージングのコンパクトカーです。 全長3750mm(前期型)×全幅1645mmのサイズは、トヨタ「スターレット」、日産「マーチ」、三菱「ミラージュ」、ダイハツ「シャレード」といったライバルたちと同等ながら、1470mmの全高(初代シティより20mm高い)は他車が1400mm程度であるなかで圧倒的に高く、それだけでも室内空間に余裕を持っていたことが想像できます。 ▲ロゴ3ドア エンジンは、1.3リッターのSOHCで最高出力66ps、最大トルク11.3kgm。ホンダのエンジンといえば「高回転高出力」のイメージが強かったなかで、最高出力や最大トルクの数値を追い求めず、街乗りでの使いやすいさを重視した中低速型のトルク特性を持たせていました。 トランスミッションは5速MT、3速AT、そして「ホンダマルチマチック」と呼ばれたCVTの3種類をラインナップ。 今、多くのコンパクトカーが採用しているCVTは、当時まだ“特別な変速機”という位置づけで、通常のステップATと同時に設定されることも多く、3種ものトランスミッションが選べる設定となっていました。 燃費は10・15モードで5速MTが19.8km/L、3速ATが17.2km/L、ホンダマルチマチックが18.0km/L。 価格は、5速MT車がもっとも安く、3速ATはその5万円高、ホンダマルチマチックは8万円高でしたから、安価で走り味に馴染みのあった3速ATが主力となったことは想像に難くないでしょう。 ▲ロゴ5ドア 価格は3ドア「B」の77万円から5ドア「L」の108万8000円まで(いずれも5速MT価格)。主力となる5ドア「G」でも、94.8万円という手頃な価格が打ち出されていました。 このようにロゴは実直で合理的、さらに経済性も高い“実用車の鑑”のようなスペックを持って登場したのです。当時のプレスリリースでも「オートマチック車で100万円を切る価格設定とするなど、これからの時代に求められるタウンカーを具体化しました」とありました。 ■なぜ“数奇な運命”を辿ってしまったのか スペックやプライスを見れば、ロゴは街乗り用コンパクトカーとして十分に魅力的なクルマです。 それでもロゴは、ライバルに打ち勝つことはできませんでした。 そこには、2つの理由があります。 1つ目は“質感”です。 実直に仕上げたスタイリングはシンプルすぎて大きな特徴がなく、シンプルに使い勝手が追求されたインテリアも、商用車のようなヘッドレスト一体のハイバックシートなどにより、“それなりのクルマ”にしか見られなかったのです。 ▲前期型のインストルメントパネル ▲前期型のシートはハイバックタイプ また、街乗りを重視するあまりスタビライザーを省いたサスペンションが、「安定感に欠ける」と受け取られ、総じて高い評価を得ることができませんでした。 1998年には、衝突安全性の向上を目的とした大掛かりなマイナーチェンジを実施し、同時にフロントまわりのデザインを変更。 さらに、16バルブ化した高出力エンジンにエアロパーツなどを装着したスポーツグレード「TS」と4WD仕様を追加するなど、ラインナップも拡充し、魅力アップを図ります。 ▲中期型で登場したTS さらに2000年にもフロントマスクのデザイン変更をともなうマイナーチェンジを行った他、モデルライフのなかではいくつものお買い得な特別仕様車を設定し、商品力アップや商品性の維持が行われましたが、決定的なヒット要因は生み出せず。 ▲後期型はグリルのあるデザインに ■デミオやキューブの登場でハイトワゴン時代へ 2つ目に“トレンドの変化“という大きな波もありました。 ロゴがデビューした1996年は、初代マツダ「デミオ」が誕生した年でもあります。 デミオは、フォード「フェスティバミニワゴン」という名の兄弟車を持っていたように、小さなワゴンのようなスタイリングを特徴とし、RVやステーションワゴン(筆頭はスバル レガシィ)が売れていた当時の世相にフィット。 瞬く間にヒットモデルとなりました。 ▲初代デミオ また、日産は初代「キューブ」を1998年に発売。 デミオの(1500mm)を超えた1610mmの全高を持ち、室内空間の広さと楽しさ(イチロー出演のCMも)をアピールし、ヒットします。 ▲初代キューブ 考えてみれば、軽自動車市場はスズキ「ワゴンR」とダイハツ「ムーヴ」というハイトワゴン2強の時代。 コンパクトカーにもワゴン的なスタイリングと高い全高による室内空間の広さが求められたのは、当然でした。 トレンドは“トールボーイ”どころではなくなっていたのです。 ホンダはロゴのプラットフォームを大幅に改良してハイトワゴンの「キャパ」(とクロスオーバーのHR-V)を1998年に発売し、ライバルに対抗。 一定の成果は得ますが、一方で1997年に発売した軽ハイトワゴン「ライフ」のヒットや、「CR-V」「S-MX」「ステップワゴン」といったRV&ワゴンのラインナップ拡充によりロゴの存在感が強まることはなく、フェードアウトするように2001年をもって生産終了となりました。 ▲キャパ およそ5年のモデルライフのなかで、ロゴが販売台数でベスト10に入ることはなく、1997年のマイナーチェンジ時に6000台を掲げられていた販売計画台数も、4000台、3000台とマイナーチェンジのたびに減少。 まさに“フェードアウト”といった幕引きでした。 ■名車「フィット」誕生を支えた迷車 Wikipediaによればロゴの「新車登録台数の累計」は、20万2601台。 販売期間は約5年でしたから、年間販売台数を平均すればおよそ4万台です。 1998年の年間販売台数を見ると、キューブとデミオが10万台、マーチとスターレットが9万台を販売していますから、ロゴの窮境がわかります。 しかし、ロゴの苦境を黙って見ているホンダではありませんでした。 ロゴと入れ替わる形で「フィット」を2001年に発売したのです。 ▲初代フィット フィットは、コンパクトなボディに広い室内空間、フットワークのいい足回り、燃費のいいパワートレイン、そして安っぽさを感じないお洒落な内外装を持って、発売するやいなや大ヒット。 わずか1ヶ月で、ロゴの1年分を上回る4万8000台を受注します。 その勢いは衰えず、2002年にはそれまで33年にわたり“不動の1位”であり続けたトヨタ「カローラ」を抜き、年間販売台数ナンバーワンに輝いたのです。 以後、フィットがホンダのコンパクトカーとして定着し、現在4代目が販売中なのはご存知のとおり(N-BOXに押され気味ですが……)。 トールボーイの初代シティ、スポーティな2代目シティ、実直さを追求したロゴと、さまざまなトライ&エラーののちにフィットの大ヒットがあるのだとすれば、ロゴが追い求めた姿も決して無駄ではなかったといえるでしょう。 ホンダの歴史のなかでロゴは“迷車”かもしれませんが、フィットという“名車”を生み出すためにたしかな足跡を残したことは、間違いありません。 [画像:ホンダ/ライター:木谷宗義]
ケンメリは、旧車の中でも名車中の名車と呼ばれています。ケンメリのリセールバリューが高いのであれば、一度は乗ってみたいと思う人も多いでしょう。今回は、圧倒的な人気を誇るケンメリのハコスカとの違いや、リセールバリューの相場、高く売る方法について解説します。ケンメリの購入を検討中の人やオーナーは参考にしてください。 ケンメリは圧倒的な人気を誇る旧車 ケンメリは圧倒的な人気を誇る旧車です。その人気はスカイラインの代名詞ともいえるハコスカに匹敵するといっても過言ではありません。レースでその名を轟かせたハコスカに対し、ケンメリは社会現象にもなった特徴的なCMで絶大な人気を獲得しました。 流線型のデザインと高い技術で作られたケンメリは、走りと同時にデートカーとしての要素を持ち、ハコスカ以上の付加価値を与えられた車といえるでしょう。ハコスカより進化しながらもサイズアップや重量増、排ガス規制によりモータースポーツでは活躍できなかった不運の車です。しかし、ハコスカの2倍以上の販売台数を誇り、今なお不朽の名車と呼ばれています。 ハコスカとの違い ハコスカは、1968〜1972年まで販売された3代目スカイラインです。ケンメリの先代にあたり、その名の通り箱型のデザインが印象的といえるでしょう。プリンス自動車と日産自動車の合併時に販売された車で、GT-Rの原点となるモデルです。 当時のハコスカ GT-Rの新車価格はおよそ150万円で、現在の価値に換算すると950万円ほどのプレミアムカーであり2000台弱が販売されました。現在でも人気が高く標準仕様車は400〜600万円、GT-Rは2000万円前後で取引されており、過去のオークションでは4000万円以上の価格がついています。 ケンメリのリセールバリューの相場 ケンメリのリセールバリューの相場は、非常に高値で推移しています。生産台数がわずか197台(内市販されたのは195台)のGT-Rは過去に5000万円以上で取引された事例もあり、それ以外のグレードについても状態がよければ取引価格は1000万円を超える状況です。不動車でも100万円以上の価格がつく車体もあり、投機目的で購入される人も多いためその相場は年々上昇しています。 大卒初任給が6万円ほどだった時代のケンメリ GT-Rの新車価格は160万円強でした。現代の価値でいえば400〜500万円程度の価格設定といえ、生産台数を考えても誰もが認めるプレミアムカーです。発売から40年以上が経過した現在のリセールバリューの相場は、希少性だけでなく「幻のスカイライン ケンメリ GT-R」の衰えない人気の証といえるでしょう ケンメリのリセールバリューが決まる要因 ケンメリのリセールバリューが決まる要因について詳しく解説します。 GT-Rはオークションで数千万円 ケンメリ GT-Rは、197台の生産台数という希少性でオークションでは数千万円の価格がつきます。国内外問わずに購入希望者が多いため、不動車であっても1,000万円近くの価格がつくこともあるほどの人気ぶりです。 ノーマル車が人気 ケンメリは、ノーマル車が人気です。古い車のためすべてが純正部品のままのフルノーマル車はほとんどありません。しかし、車検非対応のチューンナップ車やワンオフパーツが多用された車は、オリジナルに近い状態に戻すために費用や手間がかかります。その点で考えれば、適切なメンテナンスを施してオリジナルパーツを数多く残している車はリセールバリューも高いでしょう。 きっちりとレストアされている ケンメリは、きっちりとレストアされている車が人気です。不動車やボロボロの状態でも価格がつくとはいえ、適切なメンテナンスや必要に応じたレストアがされた車はリセールバリューもそれに見合ったものとなります。 ケンメリを高く売る方法 続いて、ケンメリを高く売る方法について詳しく解説します。 ケンメリに対する知見が豊富な業者を選ぶ ケンメリを高く売るためには、ケンメリに対する知見が豊富な業者を選ぶことが重要です。グレードによってエンジンも異なるため、不具合があってもレストアや修理などが適切に行える業者であれば正確な査定価格を提示してくれます。 細部まで入念にメンテナンスする ケンメリは、細部まで入念にメンテナンスすることで高く売ることができます。新車登録から40年以上が経過した車のため、メンテナンスの度合いが状態の良し悪しを大きく左右します。買取業者も状態のよいケンメリほど査定額を上乗せしてくれるため、頻繁にメンテナンスすることを心掛けましょう。 過剰な装備を追加しない ケンメリは、過剰な装備を追加していない車の方が高く売れます。現代の車に標準装備された快適装備を追加することも可能とはいえ、乗りつぶすつもりでなければ控えた方がよいでしょう。可能な限りオリジナルのケンメリを希望する購入希望者も少なくありません。追加した装備により内張りなどが加工されていると査定価格が下がる可能性があります。 ケンメリの魅力と歴史 ケンメリは、日産が販売した4代目スカイラインです。CMの「ケンとメリーのスカイライン」が社会現象を起こし、その名を冠しました。先代のハコスカの総販売台数が約31万台だったのに対し、5年の販売期間で約67万台のセールスを記録していることが人気の高さを物語っています。 箱型で獰猛な肉食獣を彷彿させるハコスカから妖艶なシルエットへと変化したケンメリには、以降のスカイラインに継承された丸形4灯のテールランプも初採用されました。4ドアセダンもラインナップされ、こちらはヨンメリの愛称で呼ばれています。 生産台数197台のケンメリ GT-Rは「幻のスカイライン」として非常に人気が高いです。オーバーフェンダーやリアスポイラー、フロントグリルも専用装備されスカイライン初の4輪ディスクブレーキも採用されました。 レースで圧倒的な存在感をみせた先代ハコスカ GT-Rの後継であるケンメリ GT-Rは、当時のレースレギュレーションなどにより実戦投入が困難なためそのポテンシャルを公の場で発揮することはできていません。希少性に加えてこの背景が「幻のスカイライン」の所以といえるでしょう。 基本スペック販売期間........1972~1977年乗車定員........5名駆動方式........FRエンジン........直4 1.6ℓ G16型、直4 1.8ℓ G18型、直6 2.0ℓ L20型、直6 2.0ℓ S20型(GT-R)、直4 1.6ℓ L16型、直4 1.8ℓ L18型、直6 2.0ℓ L20E型全長(GT-R)........4460mm全幅(GT-R)........1695mm全高(GT-R)........1380mm車両重量(GT-R)........1145kg最高速度(GT-R)........200km/h
■本来、眼中にはなかったモデルだったけど…… ボクがサニークーペを購入したきっかけは、ある日、購入しようと計画していたクルマがオーナーもろとも消えてしまったことにはじまる。 当時のボクは、2シーター・シンドロームに侵されていて、公道を走行可能なクルマ5台のウチ、ミニを除く4台が2シーター。 そこで、1台を趣味的要素も感じられる4ドア車にしようと考え、アンテナをはっていたわけだ。 そのとき出会ったのが、1969年型のスカイライン2000GT、いわゆるハコスカだ。 いつものショップからの情報で、オーナーが売りたがっているというので交渉を依頼。 折り合いがついて、スペース確保のためボクスターSを手放し、準備を整えていたら、いつの間にか消息不明になってしまっていたわけ。 で、結構ガッカリしていたら、ショップの社長がワンオーナーで走行距離約4万キロの310サニークーペを持っているという。 ワンオーナー&低走行は、車種に関係なくボクにとってのキーワード。 310サニーは、以前OERツインキャブ仕様にチューニングしたセダンに乗っていたことがあるが、ノーマルは初体験。 特別な興味があったわけではないが、なんとなくムラムラっときて、購入を決めてしまったのだ。 2020年2月のことだった。 ▲ワンオーナー車であることに加えてほぼフルノーマルで走行距離42000キロ弱!! 衝撃のコンディションにムラムラっときて購入を決意したのだ ■納車前に、ボク流の基本仕様への変更を依頼 興味の対象ではなかったけど、ボクのモノになるのだから自分好みのエッセンスを加えたくなるのは必然だ。 このサニーは、1980年型のGXクーペで、上位機種のインジェクション+5速とは異なり、シングルキャブレターの4速という仕様。 車高調整式サスペンション以外はフルオリジナルだったが、納車までにボクの好みに合わせて、いくつかのカスタマイズを依頼した。 その内容は、 ・サイドミラーはブルーバード510用の純正フェンダーミラーに変更・ドライバーズシートは日産純正バケットシートのレプリカを選択・ステアリングはMOMOのプロトタイプ(フラット)に・ホイール&タイヤは、ローズオートオリジナルの鉄ちん風アルミと、ヨコハマのクラシックスポーツタイヤ「A539」の組み合わせ というものである。 で、納車の日…見た目は、けっこうカッコイイぞ。 ボクは、「よぉ相棒、楽しくやろうゼイ」なんて心の中で呟きながら、サニーとの生活をスタートしたのだ。 ■今では懐かしく思える「あの音」が…!! 初ドライブの高速道路。ボクは思わず笑ってしまった。 この時代のクルマに義務付けられていた「キンコンチャイム」と呼ばれる速度警告音が鳴ったからだ。 キンコンチャイムは、1974年11月の省令により装着することが義務付けられ、1986年3月に廃止された日本独自のモノ。 若い頃に乗っていた、1975年型アルファスッド、1977年型ジェミニクーペ、そして1981年型プレリュードの3台でキンコンチャイムを経験していたのだが、このサニーのキンコンによって忘れていた記憶が蘇ったわけ。 20代のボクを追体験したような気がして、笑えてきたのだ。 また、スピードメーターが160km/hまでしかないことも、厳しい排出ガス規制とオイルショックの影響で、高速性能やハイパワーを誇示できなかった「時代」の産物といえるのではないだろうか? ■イロイロな人に声をかけられ、笑顔に囲まれるサニー サニーに乗っていると、イロイロな人に、イロイロなシチュエーションで声をかけられる。 たとえば信号待ちの路上。 クルマの脇をすり抜けてきたスクーターのおじさんに「懐かしいサニーですね」と声をかけられたり、歩道を歩く夫婦がこちらを見て「サニーだ」といったりする。 もちろん声は聞こえないが、誰でも読唇術が使えてしまうシンプルな口の動きと顔の表情で、ハッキリわかってしまうのだ。 隣の車線のドライバーがサニーに気付き、大胆に手を振ってくるとか、すれ違うクルマからのパッシングサイン、あるいはドライバーからのサムズアップアクションなど、今まで乗ってきたどのクルマよりも激しく反応されてしまうのだ。 もちろん、コンビニやファミレス・公園などの駐車場でも人気者。 なんの変哲もないフツーのクーペだけど、いわゆる大衆車クラスのクルマだけに、親しみやすい雰囲気を醸し出しているのかもしれない。 ▲サニーの周りにはなんとなく人が集まる。510もフェローバギーも、このコンビニでたまたま出会った人だ 信号待ちでも話しかけられるし、走行中のサムズアップアクションの交換も多数……サニーは人気者なのだ。 ■必要なくても手をかけたくなる困った性分 絶好調ではあるけど、リアサスが硬すぎてよく跳ねるし、暴れたがることが気になったので調整しようと思ったけど、完全に固着している状態で調整不可能。 仕方がないので、新しいモノに交換することを決めた。 でもね、これだけでやめときゃいいのに、ボクはつい欲が出ちゃう。 ついでだから、という大義名分を振りかざし、4速ミッションを5速にすることにしたわけだ。 さらに、エンジンもシングルキャブのままだけど、チィと圧縮比をアップしたうえで、秘密のエッセンスを加えることにする。 仕事を依頼して数日後、「5速ミッションだけどローバックの方がいいだろ?」という電話が……そりゃあそっちの方がいいけど、これで予算オーバー確定だ。 本当は、何もしなくても問題ない状態のサニーなのに、結構な費用を投じてしまうことになってしまった。 興味の対象ではなかったサニーだけど、乗れば乗るほどに好きになり、自分を表現するために手を加えたくなるのだから仕方がない。 困った性分なのだ。 ■サニーとの別れ サニーは絶好調であり、出張のパートナーとしても大活躍。 次に手を加えるとするなら、リミテッドスリップデフを入れてブレーキを強化することだな、なんて考えながら楽しんでいた。 ただ、少々困っていたのが自宅の駐車場。 ガレージ内に入れていたサニーの入出庫には、ガレージ前のスペースに駐車している3台をパズルのように移動させる必要があったからだ。 ▲本来は2台用のカクイチ製ガレージに3台を収納。シャッター前のスペースに駐車している3台のクルマをパズルのように動かして通路を作らないと、ガレージ内のクルマは入出庫できないのだ そのうちの1台は、倅の嫁さんにアシとしてプレゼントすることになっていたけど、もう1台も、旧車の全長4メートル級小型セダンに替えたいと考えた。 そこで2021年の秋頃、友人が経営するショップに相談に行ったのだが、そこでトントン拍子に話が盛り上がり、910型ブルーバードバンとサニーの2台を下取りに出す入手困難車のプロジェクトをスタートさせたのだ。 完成予定は2022年11月頃だったが、2023年2月となった現在でも未完成。 当然、本来なら今もサニーとの生活は継続中で、最後の想い出作りのためにも走り回っていたはずである。 でもね、2022年8月、1983年式フェアレディ 200Zターボがボクの前に現れてしまったわけ。 その時点で新たにクルマを加える予定はなく、金銭的な余裕もゼロ。 いくら「フェアレディ」とか「ワンオーナー」とか「ステアリング以外フルオリジナル」といったボクを動かすキーワードが揃っていたとしても、購入はムリな話なので、検討はしたものの断るためショップに出向いたのだ。 そしたら、「2台の下取り車を先に出してくれたら支払いは後でいい」と、甘い甘い悪魔の囁きが……。 たとえ後でも支払わなくてはならないのだが、ついその気になって2022年10月、ボクはサニーとの濃厚な2年半に別れを告げたのである。 ▲約2年8ヶ月と短い期間だったけど、乗るたびに、とてもハッピーでワクワクする瞬間を与えてくれたボクのHB310サニーに感謝 [撮影&ライター/島田和也]
旧車やネオクラシックカーのプレミア価格は、メーカーのブランドイメージなどの様々な要因によって、ユーザーのイメージとの間に乖離が生まれることがよくあります。ここでは、実はプレミアがついている日本車が最も輝いていた時代を代表するネオクラシックカーについて、5車種に絞ってご紹介させていただきます。 古い車にはなぜプレミアがつくのか? ますます盛り上がりを見せる旧車ブームですが、古い車にはなぜプレミアがつくのでしょうか?まず、「ノスタルジック」な1970年代の旧車の価値が高いのは、全国各地で旧車イベントやクラシックカーフェスティバルが開催されており、コレクション的な要素が大きいと言えます。それに対して、1980年代・1990年代のネオクラシックカーは、全く理由が異なります。 ネオクラシックカーで人気のモデルの特徴は、とにかく美しいデザインと走りの良さです。また、カスタマイズすることで、それがより際立つモデルも多く見られます。したがって、今もなお現役で使用されている個体がほとんどです。そして、年々進化するカスタムパーツの相乗効果もあり、発売から20年以上経過したモデルが多いにもかかわらず全く古さを感じることはありません。 一般的に知られているプレミア価格の国産車 一般的に知られているプレミアがつく国産車は、やはり今現在販売されているモデル以上のポテンシャルを持つスポーツカーが大半をしめていると言えます。また、モータースポーツで活躍したモデルが人気なのは旧車乗りの共通認識かもしれません。まずは、元々スペシャルティーカーとしてデビューいたシルビアとその兄弟車である180SXです。同じくFRスポーツモデルであるS2000とRX-7は、いまだに一線級のポテンシャルと言われており、さらなる中古車価格の高騰が予想されます。 モータースポーツ関連では、GT-RとNSXを思い浮かべる方が多いと思いますが、高騰の度合いは他のモデルの比ではなく、新車価格を超える取引も珍しくありません。そして、AE86、ハコスカ、フェアレディZ S30が驚愕の買取額で取引されていることは言うまでもありません。 実はプレミア価格がついている国産車5選 チェイサー 名機と呼ばれる「1JZ-GTE」を搭載する「ツアラーV」と聞けば、クルマ好きなら誰しもピンとくるはずです。しかし、3兄弟であるマークⅡ・チェイサー・クレスタの中では、どうしても主力車種であるマークⅡが一番人気となってしまい、他の2車種は陰に隠れてしまうという暗い歴史があります。さらに、100系を最後にチェイサー・クレスタの車名が消滅しております。ところが、いまだに100系のチェイサーだけは別格と言われています。その理由は、20年を経過しても全く色褪せない美しいデザインです。そのことは買取相場にもそのまま反映されており、純正5速MTの個体にプレミアがついているのはもちろんのこと、兄貴分のマークⅡに迫るほどの大きな市場規模を誇っています。 パジェロ 本格クロカン4WDと言えば、ランドクルーザープラドや流行のジープラングラーを思い浮かべる方は多いと思います。ただし日本には、それらのクルマが足元にも及ばない歴史的名車が存在します。そのクルマは、世界一過酷といわれるダカールラリーにおいて、7連覇を含む12度の総合優勝を果たした三菱パジェロです。また、パジェロなくして今日のRV(SUV・ミニバン含む)ブームはなかったと言われております。そして、買取相場はその素晴らしい歴史を忘れておりません。その証拠にダカールラリーで活躍した初代と2代目がいまだに非常に高値で取引されています。 MR2 国産初のミッドシップ車として、1984年にデビューした名車MR2は、いまでも多くの車好きから愛されています。初代のMR2(AW11)は、ひと目でスポーツカーとわかるデザインとミッドシップレイアウトで、1984年に日本カーオブザイヤーを受賞しています。しかし、NAエンジンのみの設定がセールス面では仇となり販売面で苦戦します。1986年にはマイナーチェンジが行われ、前期モデルの反省からスーパーチャージャーによるパワーアップが図られ、さらにTバールーフも追加され巻き返しに成功します。2代目のMR2(SW20)は、1989年に登場しますが、こちらも初代と同様に走りの面が不評をかい、後期の改良で走りが再評価されるまでに4年近い歳月を待たなければなりませんでした。実は、MR2の中古車価格は非常に高騰しております。そして、相場の特徴で後期が人気なのは言うまでもありません。 GTO GTOは、R32 GT-Rの対抗馬として1990年にデビューしました。しかし、当時三菱にはFRスポーツのラインナップはなく、セダンのディアマンテをベースに強力な3リッターV型6気筒のツインターボエンジン(6G72型)を搭載したFFベースの4WDモデルでした。GTOは車両価格が330万円~390万円とお手頃価格だったにもかかわらず、アルミ製4ポット異径対向ピストンブレーキキャリパー、ドイツ・ゲトラグ社製6速MT、可変リヤスポイラー&アクティブエアロシステム、アクティブエグゾーストシステムなどを採用しており、いずれも国産車初の装備であったことから、当時の三菱の本気度を感じずにはいられません。残念ながら、車としての評価はR32 GT-Rの足元にも及びませんでしたが、買取相場では意外にも評価が高く、状態の良し悪しはあるものの当時の新車価格に近い値段がつく個体も存在します。 オートザム AZ-1 バブル景気を背景に、「5チャネル戦略」などで勢いづいていたマツダは、1975年を最後に取りやめていた軽自動車の生産を計画します。そして、ほとんどコンセプトカーのままと言える形で1992年に発売されたのが、オートザムAZ-1です。その設計思想は非常に過激で、なんとガルウイング式ドアにミッドシップ2シーターという軽自動車にあるまじきものでした。しかし、オートザムAZ-1はまったく売れず、バブル崩壊ともに1995年6月には早くも生産終了となりました。買取相場においては、生産された期間が極端に短いため、ごくわずかな台数が取引されるのみとなりますが、状態が良い個体は当時の新車価格をはるかに上回る査定金額が提示されています。 旧車やネオクラシックカーはどこに売却すれば良いのか? 旧車やネオクラシックカーを高く売るためには、適切な売却のタイミングがとても大切です。理由は、一度は査定額がゼロになってしまったモデルも多く、一時期を境にプレミア価格がドンと落ちる可能性があるからです。したがって、相場が高いと判断したら、なるべく早く売却することが最も適切な方法と言えます。そして、お客様にとってベストなタイミングをお提案出来る旧車王に査定を依頼することで、高値での売却をより確実なものにしていきましょう。 [ライター/旧車王編集部]