旧車の魅力

生産終了とともに即完売!Sシリーズの遺伝子を受け継ぐ軽オープンカー S660
旧車の魅力 2022.02.04

生産終了とともに即完売!Sシリーズの遺伝子を受け継ぐ軽オープンカー S660

惜しまれつつも、2022年3月に生産終了を発表したホンダのオープンスポーツカー S660。軽自動車でありながら、ピュアスポーツを体現したドライビングは多くのファンを獲得し、生産終了発表後は注文が殺到したことで、瞬く間に受注が終了してしまいました。今回は、ルーツともいえる「Sシリーズ」について触れつつ、S660の誕生から生産終了までを振り返っていきたいと思います。 目指したのは速さよりも運転の楽しさ S660が誕生したのは、ホンダの創立50周年記念の新商品提案コンペにて提案された軽スポーツカー「ゆるすぽ」がきっかけでした。速さよりも運転する楽しさを重視し、誰でも乗れる車というコンセプトのゆるすぽはコンペのグランプリを獲得。当時22歳の若さで開発責任者に抜擢された椋本陵氏は、苦難を乗り越えながらもミッドシップの軽オープンカー、S660を完成させます。 ホンダのミッドシップと言えば、1991年に登場したビートを思い浮かべる方も少なくないでしょう。S660はそんなビートの後継モデルと思われがちですが、それは違います。ビートに搭載されていたE07A型エンジンは、NAでありながら自主規制いっぱいの64psを発生しつつも、最大トルクは6.1kgmと決して高くありません。そのため絶対的な速さよりも、ノンパワステのステアリングを握り、運転そのものを楽しむゴーカートのような性格です。 その点、2015年4月に発売されたS660は、上まで回るハイパワーな高回転ターボエンジンと痛快なハンドリング性能、さらに質感の高い内装が話題を呼び、納車が1年待ちになるほどの大ヒットを記録。しかし、騒音や燃料蒸発ガスなど新しい法規制への対応が困難になり、S660は2022年3月には生産を終了する旨を公表したのです。 最後のModulo Xを発売するも即完売 2021年3月の生産終了発表と同時に、特別仕様車として「S660 Modulo X Version Z」を発売。ドリキンの愛称で親しまれる元レーシングドライバー、土屋圭市氏の監修のもと製作されるModulo Xは、走行性能と空力性能を向上させた人気のコンプリートカー仕様です。 Version ZはModulo Xの最終バージョンということと、生産終了のアナウンスが入ったこともあり、販売終了間近ながらS660の注文は殺到。その結果、標準モデルとModulo Xを含めた全てのS660のが、生産終了発表からわずか3週間ほどで完売し、2022年3月までの生産予定分が全て埋まってしまいました。 S660にも流れるS(スポーツ)の系譜 高回転エンジンとクイックなハンドリングが魅力のS660ですが、これは1960年代から脈々と受け継がれてきたホンダスポーツのDNAを継承したものです。ここからはホンダが生みだしてきた高回転型オープンカー「Sシリーズ」について紹介していきます。 S500 1963年、ホンダ初の4輪自動車として発売されたS500は、全長3,300mm×全幅1,430mm×全高1,200mmのFRオープンカーとして若者を中心に人気を獲得。ホンダの二輪技術を応用した排気量500ccのDOHC4気筒エンジンは、最高出力44ps を8000回転で発揮し、当時の車にしては異例の高回転型マシンでした。 S600 エンジンの排気量をアップしたS500はS600と名前を変え、1964年に発売されました。見た目の変化はほとんどなく、排気量は500ccから606ccに拡大し、最高出力は8500回転で57psを絞り出します。 パワーアップしたエンジンは最高時速145km/hを叩きだし、当時の同クラスの車では到達できない性能を持っていました。そして、ホンダはこのS600でモータースポーツに進出し、1964年9月のドイツ ニュルブルクリンクの500kmレースでは見事優勝を果たしています。 S800 1966年には、S600のエンジンの排気量をさらに拡大したS800が発売されます。排気量は791cc、最高出力は8000回転で70psまで発揮。710kgという軽量ボディと相まって、最高時速は160km/hに達します。160km/hという最高速は、当時のイギリス車が1300cc以上のエンジンを搭載して実現していた数字であり、ホンダ S800がいかに高性能だったかがうかがい知れます。 S2000 S800生産終了から29年後の1999年、本田技研創立50周年を記念して、S2000は発売されました。車体と2000ccのエンジン排気量も大型化しましたが、ホンダのFRオープンカーとしてS800以来の登場であるため、“S”の名が与えられました。 2.0LのDOHC VTECのF20Cエンジンは、最高出力250 ps を8,300回転で発生し、レブリミットは市販車として驚異的な9,000回転。さらに、1.3トンを下回る軽量で軽快なハンドリング性も持ち合わせ、S2000はまさに究極のSシリーズといえるでしょう。 新車難民の発生により中古車市場が高騰 生産終了発表後、現在新車で購入することができないS660は中古車価格が急騰。上位グレードのアルファ、廉価グレードのベータ、Modulo Xを合わせた市場での平均価格は202万円と、軽自動車の中古車でありながら、新車時と変わらない値付けがされています。 数万km走行した個体でもこのようなプライスがついていることが多く、より低走行な個体となると300万円越すものも珍しくありません。需要が高いほど価格が高騰する中古車市場の特性ゆえ、いかにS660が求め続けられているのかがうかがえます。 まとめ 生産予約分を完売させ、中古車市場では価格が急騰するほどの盛況ぶりを見せるS660。それはS660が多くのユーザーの心を掴んでいたという証であり、ミッドシップでありながらも、歴代のSシリーズで培われてきたライトオープンスポーツの楽しさが受け入れられたという証拠でもあります。 Sシリーズはここで一旦終了してしまいますが、S660の需要が伸び続ける以上、ホンダがS(スポーツ)の名を冠したオープンスポーツを復活させてくれるのを願わずにはいられません。 [ライター/増田真吾]

ダットサン 240Zは日産の名を世界に広めた立役者!
旧車の魅力 2022.02.03

ダットサン 240Zは日産の名を世界に広めた立役者!

日本のスポーツカーの認知度を北米の一般層、さらに世界全土にまで広げた車をご存知ですか。国内ではフェアレディZの名前で人気を博した、ダットサン 240Zです。 空前の大ヒットとなった240Zは、ただかっこよいクーペタイプのスポーツカーがたまたまヒットしたのではなく、その裏には確かな車づくりと的確なユーザー戦略がありました。今回は、ダットサン240Zの人気の秘密を紐解いてご紹介します。 ダットサン 240Zの歴史 ダットサン 240Zは、日産がダットサンブランドから発売したクーペタイプのスポーツカーで、フェアレディZの名前で日本でも人気を博していた同型車の、北米向け輸出モデルです。 高級GT車に匹敵する高い性能とスタイリングを持っていながら、価格設定が安価であったため、北米を中心に大ヒット。1969年の販売開始から1978年までの10年間で、販売台数55万台を記録しました。 Zの起源は1960年代まで遡る ダットサン 240Zの元となったモデルは、ダットサン フェアレディです。初めてフェアレディの名前を冠したのは、1960年に発売された「フェアレデー1200」(当時の表記はフェアレディではなくフェアレデー)でした。 フェアレディの名前は、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」が由来で、当時の日産社長が、ブロードウェイで同ミュージカルから感銘を受けたことで命名されました。 ラリーでの活躍が240Zの評価をさらに押し上げた ラリーと言えば、今ではスバルや三菱、若しくはトヨタが思い浮かびますが、実は日産は1950年代からラリーに参加しており、当時は、お家芸とも言える活躍をしていました。 240Zもラリーに投入され、期待通りの活躍を見せます。1971年の第19回東アフリカサファリラリーで優勝し、翌年の第41回モンテカルロラリーでは3位に入賞をすると、続いて1973年の伝統の第21回サファリラリーでも優勝。 信頼性や耐久性のアピールとともに、特に注目を集めたのはモンテカルロラリーで、FRは雪道で不利と言われながら入賞を果たしたことで、240Zの評価を一気に高めることになります。 ダットサン240Zの人気の理由 長いノーズが特徴的なダットサン 240Zは、当時としては先進的なスタイリングであることが注目されました。しかし、信頼性の高いエンジンと、ワンランク上のスポーツカーに匹敵する動力性能を兼ね備えた点が評価され、絶大な人気を集めたのです。 唯一無二のロングノーズ ダットサン240Zの特徴といえば、なんといってもロングノーズです。横から見ると、運転席はほぼ後輪の上に位置するほどで、デザイン的なインパクトは抜群でした。 このスタイリングは空力特性にも優れ、軽量なモノコックボディと併せてワンランク上のスポーツカーに肉薄する性能を発揮する要因の一つです。 堅牢なエンジンとワンランク上の足回り 搭載された2.4リットル直列6気筒エンジンの通称L型エンジンは、SOHC機構を備える最新式のエンジンであるものの、シンプルな構造で壊れにくく、整備も容易だったことが、北米市場での信頼性の獲得に繋がります。また、2.4リットルというサイズで、十分なトルク性能を発揮していたことも、V8エンジンなどで低中速域の豊かなトルクを好むアメリカのユーザーを十分に満足させました。 足回りに採用された前後共にストラット式の4輪独立懸架サスペンションは、当時の大衆車クラスにとっては高度で贅沢なシロモノ。ワンランク上の高級スポーツカーにも引けを取らない運動性能と、上質な乗り心地を実現していました。 ダットサン240ZとS30の違い 初代Zとして、日本で「フェアレディZ」の名前で親しまれているのは、S30型と呼ばれるモデルです。ダットサン240Zは同モデルではあるものの、北米で販売された240Zは、S30型と根本的な違いがあります。 エンジン排気量を大幅アップ ダットサン240Zは、S30型に搭載された2リットルのエンジンを、2.4リットルに大幅にサイズアップしたエンジンを搭載していました。 北米では、V8エンジンに象徴されるように、低中速域からトルクフルな大型エンジンを好む傾向にあるため、この対策として、大幅に排気量アップをしてトルクを向上させたのです。結果的にこの戦略は当たり、空前のヒットに繋がりました。 相場について ダットサン 240Zの大ヒットは、当時空前の販売台数を記録したことを紹介しましたが、今でもその高い人気は続いています。最終モデルでも40年以上前経っていますが、北米では5万ドル以上(日本円で500万円以上)の値がつくことも珍しくありません。 日本でもエンジン載せ替えモデルなどは、1,000万円近くの値段がつくなど、現在でも高値で取引される人気車種です。 まとめ スタイリングだけではなく、ラリーでの活躍によって信頼を獲得。また、堅牢なエンジンとワンクラス上の足回りを装備し、北米で大ヒットしました。そして、大排気量エンジンが支持されてきた北米のニーズを汲み取り、トルクフルな2.4リットルエンジン仕様で販売したことも55万台という空前の販売台数に繋がりました。 初代の販売から50年以上が経過する現在でも高い人気を誇りますが、年々台数は減少しています。国産スポーツカーの認知度だけでなく、日産の知名度を北米や世界に広げ、ダットサン240Zの功績はとても大きいのです。 [ライター/増田真吾]

リムジンからローライダーまでこなす高級セダン!汎用性の高いリンカーン タウンカーの魅力とは?
旧車の魅力 2022.02.03

リムジンからローライダーまでこなす高級セダン!汎用性の高いリンカーン タウンカーの魅力とは?

1981年に登場したリンカーン タウンカーは、5.0mを超える全長と大排気量のV8エンジンといった“これぞアメ車!”という魅力を持った高級セダンです。 過去には大統領専用車としても使われ、まさに強いアメリカを象徴するリンカーン タウンカーの歴史と、さまざまなカスタムについてご紹介していきます。 当初はコンチネンタルのグレードのひとつだった タウンカーとは、アメリカの自動車メーカー、フォード・モーターのリンカーンブランドより1981年から2011年まで販売されていた大型高級セダン。アメリカ車の中でも特に大きなフルサイズセダンに属し、全長は約5.5m、全幅は約2mとその存在感は圧倒的です。 発売以前はリンカーンの最上級セダン、コンチネンタルの最上位グレードとして、タウンカーの名前が存在していましたが、1981年には独立した名前で発売開始。以後はリンカーンのフラッグシップモデルとして売り上げを伸ばしていきました。 ラダーフレームはリムジン製作にうってつけ タウンカーは業務使用を前提として設計されたため、フレームの耐久性は非常に高く、補修なども容易にできるよう工夫されています。そして、スズキ ジムニーやトヨタ ランドクルーザーなどと同じ、ラダーフレームを採用。耐久性が高く、自由度の高い特性ゆえに、モノコック構造に比べリムジンや霊柩車といった特殊な形状の車体にも改造が容易です。 購買層は主にこういった業務使用や、カスタムを目的としたローライダー、さらにラゲッジが広いことからファミリーカーとして一般家庭でも所有されています。 30年にもわたるタウンカーの歴史 そんな幅広い目的で使われているタウンカーですが、2011年までの販売の中で2度のモデルチェンジが行われています。 初代、2代目、3代目と、それぞれ違った個性をもつ各モデルを紹介していきましょう。 大統領専用車を務めたことのある初代モデル 5.0リッターV型8気筒エンジンを搭載し、それまでのコンチネンタルタウンカーに代わる高級セダンとして、1980年に発売した初代タウンカー。 競合メーカーのキャデラックやクライスラーなどは、1970年代の2度のオイルショックの影響により車体は小型化し、駆動系統はFFへとスタイルを変えていきます。しかし、タウンカーは従来通りのFRを継承し、全長×全幅×全高は5,570×1,985×1,420mmという堂々たるサイズで発売され、往年のファンから好感を得ました。 また、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領の専用リムジンとして使われていたことでも有名なモデルです。 2代目モデルはローライダーカスタムが人気 1989年に販売開始した2代目は、プラットフォームは初代と変わらないものの、新規の購買層を取り込むため内外装ともに曲面を使ったデザインにチェンジ。1985年から1989年にかけて6億5000万ドルもの開発費用をかけたモデルだけあり、デジタルメーターを始めとした先進技術と安全装備も充実しています。 膨大なコストをかけた2代目タウンカーは大成功をおさめ、現在でもカスタムカーのベースとして使われる人気のモデルとなりました。 リムジンなど今でも前線で活躍する3代目モデル エクステリアは2代目以上に曲線を増やし、柔らかい印象へと変わった3代目は1998年に発売を開始。内装は木目調パネルの追加や、ラジオなどの各機器類を一新して高級感を増しています。セダンとしては珍しく、フロントシートはベンチ仕様となったことで乗車定員が6名となっているのも特徴です。 初代から数えて20年近く経った3代目でも、プラットフォームは初代と同じものを使用。このモデルはリムジンのベース車として現在も使われており、古いながらも信頼のおける車体構造であることが分かります。 多種多様なタウンカーのカスタム さまざまなカスタムが存在しているのもタウンカーが持つ魅力の一つ。王道なものとしては、小径ホイールを履かせ、油圧式の車高長で車高を落とし、車体を大きく見せるというローライダー仕様のカスタムです。 さらに、油圧ポンプとシリンダーを車体に装着し、増設した複数のバッテリーで作動することで、車体を連続して跳ね上げさせるという「ハイドロ」というアグレッシブなカスタムも存在します。 VIP仕様から全長8mを超えるリムジン仕様も ローライダーとは逆に、扁平タイヤを装着した大径ホイールをはめ、ネガティブキャンバー状態にしたVIPカー仕様のタウンカーも存在します。全長5.0m超えというボディサイズのタウンカーには、VIPカーらしい大口径のマフラーがよく似合います。 そして、リムジン仕様のタウンカーはフレームとボディを真ん中あたりで分断し、新たなフレーム材とボディパネルを溶接する形で全長がストレッチされ、広大な車室空間を作り上げています。全長8mを越えるビッグサイズと、タウンカーが持つシックな雰囲気が合わさり、ラグジュアリーなサルーンから洋型霊柩車まで、さまざまなシーンで使用されています。 まとめ 大統領専用車にも使用されるタウンカーの真骨頂は、後部座席に要人を乗せ快適な移動空間を提供すること。しかし、ローライダーのハイドロ機構で派手に跳ねてもへこたれない強固で頑丈な構造も魅力のひとつです。 エコで使いやすいことが重宝される現代において、5.0m超えの巨体と大排気量エンジンというパッケージングは時代錯誤かもしれません。とは言え、その強さと豪快さはアメ車ならでは、リンカーンならではの魅力と言えるのではないでしょうか。 [ライター/増田真吾]

なんと発売から14年目! デリカD:5が長きにわたり愛される理由とは?
旧車の魅力 2022.02.03

なんと発売から14年目! デリカD:5が長きにわたり愛される理由とは?

三菱を代表する車種といえば何を思い浮かべるでしょうか。パジェロやランサーエボリューションという人もいるでしょう。しかし両車種とも現在は販売終了しています。今の三菱を代表する車種といえばデリカD:5ではないでしょうか。 驚くべきことに、発売から14年経った今でも好調な販売をキープしています。途中何度も改良を加えつつも、14年という長きに渡って愛されてきた理由は何だったんでしょうか。その理由を紐解いていきます。 デリカD:5の歴史 デリカD:5は2007年にデリカシリーズの5代目としてデビューしました。D:5がこれまでのデリカシリーズと大きく異なる点は、パジェロベースからD:5専用設計となったことです。専用設計となったことである程度のオフロード性能は保ちつつ、大部分を占めるであろう市街地走行での快適性が大幅に向上しました。 さらに2013年には、新たにクリーンディーゼルを投入したことで燃費やトルクも向上し、結果として商品力にも磨きがかかりました。実際、追加後は過半数以上の人がより高価なディーゼルを購入していることからもその人気がうかがえます。 そしてその後も堅調に販売を続け、2018年には主にフロントフェイスなど大幅な改良を施したビッグマイナーチェンジ版が発売されました。外見が大きく変わっただけでなくディーゼルエンジンがより改良されたものになったりと機関面でも様々な変更点があることも特徴です。 クリーンディーゼルのメリットとデメリット 従来の排気ガスがもくもくと出るディーゼルエンジンとは違い、排気ガスが綺麗なことがD:5に搭載されたクリーンディーゼルの利点です。そして生まれ変わったディーゼルエンジンを積んだD:5では、環境面に優れているだけでなく、販売面からみても主力エンジンになりました。 そこで、もはやD:5のメインエンジンとなったディーゼルモデルについて詳しくみていきます。 メリット メリットの一つ目はガソリン車と比べて、燃費やパワーが優れていることです。もちろんガソリン車との価格差はありますし、燃料代だけでそれをペイすることは厳しいでしょう。しかし、発進時から大トルクによる余裕の加速力を感じられ、ロングドライブ時も低い回転数で快適に巡行できます。また7~8人乗車や荷物が満載といったD:5ならではの場面でも、パワー不足を感じることもないでしょう。 そして、売却時もガソリン車よりも大幅に高いリセールバリューが期待できます。燃費の差と買取金額の差を足せば、ガソリン車との車体価格差も大きく縮むかもしれません。 デメリット デメリットのひとつめはやはりガソリン車と比べ価格が高いことでしょう。中古車で買うとなると約30万円以上の価格差があります。もちろん多少燃費や売却時の価格も優れていますが、そうは言っても最初に払う金額が多いのは確かです。 また、ビッグマイナーチェンジ後の車両は排ガスを綺麗にするためにアドブルーという水溶液を補給する必要があります。これはエンジンオイルとは全く別ものであり、かつタンクが空になってしまうとエンジンの再始動ができなくなります。補給するタイミングは大体1万キロごととなりますが、一回で約5,000円ほど費用もかかります。 数あるミニバンの中からデリカD:5を選ぶ理由 デリカD:5の個性といえば、家族も荷物もみんなで乗れるミニバンでありながらオフロードや雪道も難なく走れる四駆性能をもっていることに尽きるでしょう。これは他メーカーにはない、デリカD:5だけの唯一無二の個性です。 車においての個性は、ある意味そのままセールスポイントになる場合があります。デリカD:5はその最たる例といえるでしょう。例えば、家族でスキーなどのアウトドアに行っても、または昨今多く発生している異常気象の中でも、優れた四駆性能をもつデリカなら安心です。もちろん基本はミニバンなのでユーティリティも兼ね備えています。 昔ディーラーのセールスマンにこんなことを聞いたことがあります。それは「デリカを一度買うと、デリカを乗り継ぐ人が多い」という話でした。実際、豊富なカスタムパーツやデリカの専門店があることからも人気の高さが分かります。 デリカシリーズはこのようにファンが多いことも特徴です。一度乗ってみると、その魅力に気づき、虜になるかもしれません。 デリカD:5を売るなら旧車王に査定を依頼する デリカD:5を高価で売却したい場合は旧車王がおすすめです。デリカD:5に精通した専門スタッフは特徴及びセールスポイントを正確に把握しています。そのため14年以上経過した初期型などの、一般買取店では評価が難しい状態でも高額査定を実現します。 ディーラーでの下取り金額では不満な方、一括査定の鳴り止まない電話にうんざりの方などは、高価査定の旧車王にぜひともお任せください。 [ライター/旧車王編集部]

60年以上経った今でも新車で買える!?ポルシェ 550スパイダーの輝かしい歴史と現在
旧車の魅力 2022.02.02

60年以上経った今でも新車で買える!?ポルシェ 550スパイダーの輝かしい歴史と現在

メーカー初の市販レーシングカーとして、1954年に登場したポルシェ 550スパイダー。その軽さを活かした走行性能は当時のレースでも好成績を残し、かつての名優「ジェームズ・ディーン」が愛した車としても有名です。 その人気は今でも衰えず、550スパイダーを忠実に再現したレプリカモデルが造られているほど。今回はそんな550スパイダーの歴史と、レプリカモデルの「ベック550スパイダー」ついてご紹介します。 その価値6億円!ポルシェ初の市販レーシングカー 1954年に発売した550スパイダーは市販車でありながら、レーシングカーに準じた仕様でプロレーサーからも評判の高かった車です。 販売期間の1954年から1956年に生産された台数は約100台で、そのうち今でも現存しているのはわずか30台のみといわれています。いざ550スパイダーのオークションが開かれれば、約6億円で落札されるほどです。 ジェームス・ディーンも惚れ込んだ550スパイダー 往年のスター「ジェームス・ディーン」も550スパイダーの魅力に憑りつかれた1人であり「リトル・バスタード」の愛称で呼んでしまう程のめり込んでいました。 しかし1955年9月、ジェームスは自慢のリトル・バスタードでレースに参加するために会場に向かっていたところ、目の前を横切ろうとしていた対向車と衝突。550スパイダーの納車から1か月もしないうちに、彼は24歳の若さでこの世を去ってしまいます。 映画俳優としてまさにこれからといった彼の死は、米国中にショックを与え、550スパイダーを語る上でも外せない出来事にもなりました。 そのままレースに参加できるほどの本気仕様 550スパイダーでまず特筆すべき点は、その車体の軽さです。梯子型鋼管フレームに、軽量なアルミボディを装着。乾燥重量(オイルや冷却水などを入れていない重量)は550kgとかなりライトウェイトで、車名の「550」もこの車体の軽さを表したものであります。 そこに排気量1,498cc、最高出力110ps/6,200rpmの空冷水平対向4気筒エンジン、通称「フールマン・エンジン」をリアミッドシップレイアウトで搭載。最高速度は220km/h、100km/hまでの加速は10秒以内と、軽量ボディも相まって運動性は非常に高く、当時の若者の憧れの車でもありました。 ポルシェの上級グレード“カレラ”の由縁 市販車ながらレーシングカー仕様でもあった550スパイダーは、レースでも活躍していました。1954年、ミッレ・ミリアで初登場の550スパイダーは6位入賞し、ル・マンでは総合4位かつ、1.5L以下のクラスでは優勝するなど、当時まだ歴史の浅かったポルシェはその存在感を見せつけていきます。 そして、全長3,113kmのルートを5日かけ完走するというメキシコで行われていた過酷な公道レース「カレラ・パナメリカーナ」にも参戦。550スパイダーはキャデラックやメルセデス・ベンツ、フェラーリなどの強力なライバルが参加するなか、総合3位という好成績を残します。 そんな550スパイダーの活躍ぶりから、その後のポルシェ「356」や「911」の高性能モデルには栄光の意を込めて「カレラ」の名が使われるようになりました。 新車で買えるクラシックカー ベック550スパイダーとは? 他の車にはない魅力で1950年代を賑わせた550スパイダーですが、なんと今でも新車として購入できる可能性があります。それが、姿かたちそのまんまのベック 550スパイダーです。 ベック 550スパイダーは、アメリカインディアナ州のBECK社が製作する550スパイダーのレプリカモデル。1986年から製作されているこのレプリカモデルは、約6億円の本家550スパイダーに比べ、700万円からという手に入れやすい価格になっています。 しかし、年間で生産できる台数は約5台と少なく、レプリカでありながら購入希望者が後を絶たないため、資金があっても購入は難しいかもしれません。 見た目そのままにエンジンをパワーアップ 見た目は550スパイダーの形でありながら、内部は現代の自動車のパーツを使用。フォルクスワーゲン製エンジンをミッドシップに搭載し、排気量は1600cc、1900cc、2160ccの3種類から選択可能です。 1900ccでは最高出力が125ps、2200ccでは155psという本家を超えたパワーを発揮します。ほかにも、スバル レガシィなどにも使われたEJ25エンジンを載せた仕様もあるなど、メーカーの枠を超えた試みがされているのも面白いポイントです。 快適に550スパイダーを乗りたい人にはうってつけ ベースモデルの車両重量は800kgほどですが、よりライトウェイトの仕様だと600kgまで絞り込んでおり、本家さながらの俊足ぶりを体感することができます。 また、現代の保安基準に適合するよう、ボディはアルミから厚みのあるFRPを採用し、パイプフレームも強度の高いものに変更。そして、安全性を高めるためのロールバーや快適装備のエアコンもオーダー次第で装着することができるので、特にネガティブな要素がなく550スパイダーを楽しめます。 まとめ レースでは数々の優勝を果たし、伝説のスターをも虜にした550スパイダーは、現在のポルシェを築き上げた一因ともいえる車です。 550スパイダーは、現在でもわずかに世界のどこかで存在しているようですが、車両状態の良し悪しと金額の面から見ても手に入れることはほぼ不可能でしょう。 対して、ベック550スパイダーなら年間5台生産の狭き門とは言え、中古車市場ではわずかながら流通しています。レプリカモデルではありますが、往年の超ライトウェイトスポーツカーの雰囲気を味わうにはこれほどの車はないかもしれません。 [ライター/増田真吾]

ジャパニーズ4×4の代名詞!世界中で大人気のトヨタ ハイラックスの歴史
旧車の魅力 2022.02.02

ジャパニーズ4×4の代名詞!世界中で大人気のトヨタ ハイラックスの歴史

トヨタ ハイラックスは現行の国産車で唯一残っているピックアップトラックです。 商用車のイメージが強かったハイラックスですが、いまやその力強い外観や快適性が一般ユーザーにも受け入れられ、シリーズ累計で約2000万台を売り上げるほどの人気を見せています。 今回はそんなハイラックスの歴史について順を追って紹介していきましょう。 現行で8代目になるハイラックスシリーズ ここでは50年以上もの歴史を重ねてきているハイラックスシリーズについて、1968年の初代モデルから紹介していきます。 日野自動車との共同開発で生まれた初代 初代ハイラックスはトヨタの「ライトスタウト」と、日野自動車の「ブリスカ」の統合モデルとして1968年3月に登場。トヨタが企画し、設計と組み立ては日野自動車で行われました。 エンジンは1.5リッターの直列4気筒を搭載し、グレードは通常の「スタンダード」と快適仕様の「デラックス」をラインナップ。1969年4月には、荷台長を2,250 mmに延長したロングボディタイプも追加されています。 また、当時のアメリカ市場では、まだハイラックスではなく「トヨタ トラック」の名で販売されていました。 快適面や安全面が考えられた2代目 1972年5月に発売した2代目は標準の1.6リッターエンジンにくわえ、2.0リッターエンジンを搭載し、高速道路での走行を考慮した「ハイウェイ」が新たに設定されました。 同時に「ハイウェイ」はハイラックスとしては初のフロア3速ATも搭載。また、全グレードでマスターバック付タンデムマスターシリンダー式ブレーキのほか、荷物の積載で変化する車高を感知し、前後の制動力分配を調節するロード・センシング・プロポーショニング・バルブなどを採用し、2代目は安全面も大きく進化しています。 バリエーションが広がった3代目 1978年9月に登場した3代目は、アメリカのようにピックアップトラックを乗用車代わりやレジャーでの使用を提案し、現在のSUVブームを先取りしたようなモデルです。 フロントサスペンションは従来のダブルウィッシュボーン式のまま、コイルスプリングからトーションバーに変更。デラックス以上のグレードには、フロントディスクブレーキが標準採用されています。 また、1979年10月にはハイラックス初の4WD、同年12月に2.2リッターディーゼルエンジン搭載モデルを追加。さらに、1981年10月には2列シートの「ダブルキャブ」を加え、ラインナップの拡充が図られたモデルです。 ハイラックスサーフを生み出した4代目 1983年11月に発売した4代目は、純粋なフルモデルチェンジの「コンフォタブルシリーズ」と、それまでの3代目を継続生産させた「ポピュラーシリーズ」の2車種で展開。コンフォタブルシリーズの4WDモデルには、新設のボディが用意されました。 そして、1984年5月にはトヨタの元祖SUV「ハイラックスサーフ」が登場。ステーションワゴン化された広い居住空間と荷室スペースを確保し、既に始まっていたRVブームに対応することで人気を博しました。 乗用車色を強めた5代目 5代目は「強力、強靱、快適」をコンセプトとして掲げ、1988年9月に発売。曲線を多く使った内外装により、さらに乗用車ライクな見た目になりました。 商用車仕様の2WD車、レジャー仕様の4WD車といったように、5代目は駆動方式でキャラクターを差別化し幅広いニーズに対応しています。 また、1989年にはフォルクスワーゲンと提携し、OEM車として「フォルクスワーゲン タロー(太郎)」が欧州で発売されました。 RVブームに乗って一般層に広く受け入れられた6代目 1997年9月に発売した6代目では、これまでのビジネスユーズに加え、レジャー使用を前提にした「スポーツピックアップ」を新たに設定。室内高及び室内長を拡大し静粛性も高めたことで、乗用車としての快適さを飛躍的に向上させています。 さらに後部に2名分の補助シートを備えつつ、広大な荷室を確保した「ワイドボディエクストラキャブ」も新設。バリエーションが用意されたとともに、当時のRVブームもあって非常に高い人気を獲得し、令和の現在でも高い支持を獲得しています。 全世界180か国以上に普及した7代目 2004年8月に登場した7代目ですが、タイ、南アフリカなどの新興国向けに生産された世界戦略車であるため、日本国内では販売されませんでした。 商用車を乗用として使用する地域向けに生産された7代目は、先代よりもボディを拡大し、さらに広い室内空間と居住性を実現。この7代目をきっかけに、ハイラックスは全世界に普及し、世界180か国以上で生産・販売されることになります。 販売2か月で年間売上目標台数を突破した8代目 現行モデルの8代目は、2015年に海外で発売を開始し、日本では2017年9月に導入されました。6代目から約13年の空白期間を経て登場した8代目は、7代目同様、全長5,335mm、全幅1,855mmと大柄なボディサイズを採用。ボディ展開は4ドアのダブルキャブのみ、エンジンは2.4リッターディーゼルターボ「2GD-FTV型」を搭載し、先進的な外観や快適な乗り心地を実現しています。日本市場への復活という話題性と、現在も続くSUVブームの波に乗り、発売直後には月販目標台数2,000台の2倍となる約4,000台を受注。(トヨタ発表)国産で唯一のピックアップトラックとして、不動の地位を確立しています。 ハイラックスの中古車市場 そんなハイラックスですが、中古車市場はどうなっているのでしょうか。現在も人気の高い6代目に的を絞り、大手中古車サイトでの在庫を調べてみました。 記事執筆時の2021年12月時点で在庫が103台残っており、車体価格は平均で168.5万円。最高額の個体では1998年式の4.7万km走行、ダブルキャブモデルで278万円のプライスでした。一方、旧車王の買取査定では、2001年式の8.1万km走行のダブルキャブで85万円となった事例があり、ハイラックスは年数が経っても高額買取が狙える車種だということがわかります。 まとめ 世界各国に認められた使い勝手の良さと、トラックとは思えないほどの快適性を持つトヨタ ハイラックス。 商用車と乗用車の2つの長所が組み合わさったハイラックスの需要は未だに高く、現行モデル発売時の購入ユーザーの6割が20代の男性だったというデータも出ています。 6代目ならばまだそれほど高騰しておらず、在庫も豊富。ピックアップトラックに興味を持ったのなら、ハイラックスはぜひ注目していただきた車種のひとつです。 [ライター/増田真吾]

トヨタ ランドクルーザー40系から100系までを徹底解説!300系まで続く国産プレミアムSUVの系譜
旧車の魅力 2022.02.01

トヨタ ランドクルーザー40系から100系までを徹底解説!300系まで続く国産プレミアムSUVの系譜

初代モデルの登場から70周年を迎えたトヨタのフラッグシップSUV、ランドクルーザー。 力強い外観、強靭な四駆性能、そして高級感も併せ持つランドクルーザーは数あるトヨタ車のなかでも最長寿であり、未だに人気の絶えない車種となっています。 今回はそんなランドクルーザーでも、居住性や先進さを重視した「ステーションワゴン系」について紹介していきましょう。 ステーションワゴン系ランドクルーザーの歴史 ランドクルーザーは、もともと軍用車両(トヨタ・ジープBJ型)を祖先に持っているため、悪路走破性がもっとも重視されていました。しかし、シリーズを重ねるにつれて居住性や乗り心地、高級感の進化も求められ、徐々にラグジュアリーなプレミアムSUVとしての地位を確立していきます。 まずは、ランドクルーザーの進化の源流となった40系とそこから続くステーションワゴン系の55系、60系、80系、100系について解説していきます。 ランドクルーザーを身近にした40系(1960年~1984年) それまで作業車のイメージとは変わり、個人でも購入しやすくなったランドクルーザー40系。パーソナルユースも視野に入れ、当時アウトドアブームが到来したことで徐々に一般ユーザーにも受け入れられていきます。 世界各国への輸出も積極的に行い、ランドクルーザーの名は拡大。その高い悪路走破性能は世界でも認められ、約24年という長い期間販売されました。 元祖ステーションワゴン系の55系(1967年~1980年) 1967年40系から独立するかたちで、初代ステーションワゴン系の55系が登場します。 40系のロングボディタイプ「FJ45V」のモデルチェンジというかたちで発売された55系は、ホイールベースを50mm拡大し、居住性がさらに向上。レジャー利用を主として開発されたため、外観もキャッチーかつモダンな印象になりました。 内装にはウレタンパッドが貼られ、ベンチタイプのフロントシートは、後期型でセパレートタイプが選べるようになるなど、快適性は40系から飛躍的に高められています。 乗用自動車として快適さを増した60系(1980年~1989年) 55系の次期モデルとして、さらにレジャー向けに進化したのが60系です。力強い外観は残しつつも、大型ウィンドウの採用で運転視認性を向上させ、乗用車としてさらに使いやすくなりました。 エンジンは排気量を4.2リッターに増やした直6ガソリンエンジンと、新たに3.4リッターの直4ディーゼルエンジンを追加。日本国内ではバンとしての発売でしたが、エアコンやパワーステアリングなど快適装備も選べるようになったことで、多くのユーザーの人気を獲得しました。 コイルスプリング採用で上質な乗り心地の80系(1989年~1998年) 平成元年に登場した80系は、北米市場でのニーズも踏まえ、ボディは全長4,820×全幅1,830×全高1,900mm(バン)に拡大。これまではバンのみであったラインナップは、この80系から8人乗りのワゴンタイプも選べるようになりました。 サスペンションは60系までのリーフスプリングから、コイルスプリングに変更したことで乗り心地とハンドル性能がより滑らかに進化。その運転性の上質さから、80系は当時「四駆のクラウン」と評されていたほどでした。 ラグジュアリーSUVを本格化させた100系(1998年~2007年) 走行性や耐久性などの基本性能を向上させつつ、さらに高級路線に舵を切ったのが100系です。 武骨な雰囲気は残しつつも、全体的に丸みを帯びたフォルムにしたことで落ち着いた高級感を演出。エンジンは80系と同型の4.2リッターディーゼルターボと、新開発の4.7リッターV型8気筒が選択できました。 さらに専用大型バンパーや、パワーシート、本木目のインパネなど、数多くの高級装備を取り入れた最上級グレード「シグナス」が発売。この100系をきっかけに、ランドクルーザーはプレミアムSUVとしての方向性をさらに加速させていきます。 ステーションワゴン系の中古市場 歴史の長いステーションワゴン系のランドクルーザーですが、意外にも中古車市場では在庫が多く残っています。 記事執筆時の2021年11月時点では、1960年発売の40ランクルでも24台残っており、100ランクルに至っては250台も掲載されていました。 どの年代のモデルでも、安い個体は100万円前後で販売されています。しかし、走行距離が20万kmを超えているものが多く残っている状態のため、購入後のメンテナンスや維持には注意が必要です。一方、走行距離2~5万kmといった個体は、価格が600万円を超えるなど、新車価格を超えるプライスがつけられています。 そして、旧車王の買取価格は平均的に20〜250万円となっており、状態の良い80系や100系の上級グレードならば、350~400万円ほどの値がつくようです。 まとめ 1960年までは作業車としてのイメージが強かったランドクルーザーですが、40系の登場をきっかけに、一般ユースとして可能性の幅を広げました。 広い室内空間の55系、快適装備が増えた60系、乗り心地が向上した80系、ラグジュアリー志向を確立させた100系と着実に進化。その道のりは途切れることなく、世界中から注文が殺到する新型の300系へと受け継がれています。 ランドクルーザーを買い続けて20年以上納得の高価買取ならランド王https://www.qsha-oh.com/landcruiser/ [ライター/増田真吾]

アメリカンスポーツの祖!車好きを魅了するコルベットC2の魅力とは?
旧車の魅力 2022.02.01

アメリカンスポーツの祖!車好きを魅了するコルベットC2の魅力とは?

轟くV8エンジンサウンドと、ワイド&ローな特徴的なフォルムで、今もアメ車好きを魅了し続けるコルベット。そんなコルベットの地位を現在の地位にまで押し上げたのは、2代目となるコルベットC2と言っても良いかもしれません。 リトラクタブルヘッドライトによって尖ったフロントノーズ、今なおマニアの間で人気の「スプリットウィンドウ」を備えた個性的なリアビュー。当時としては、かなり先鋭的なデザインと大排気量V8エンジンで欧州のファンまでも納得させました。 今回は、今や名車と呼ばれるまでになったコルベットC2の魅力に迫ります。 まさにアメリカンスポーツの代名詞!コルベットC2とは シボレー コルベットと聞けば、アメリカンスポーツカーの代表格と言って差し支えないでしょう。しかし、1953年に初代コルベットが発表された当時、見た目もさることながら、性能でも欧州車には全く歯が立ちませんでした。 そんなコルベットの地位を一気に押し上げたのは、初代登場から10年となる1963年に登場した2代目コルベットC2です。 シボレー コルベットは当初はV8エンジンではなかった シボレー コルベットは、シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカーとして、当時遅れを取っていた欧州のスポーツカーに対抗すべく、1954年に登場しました。 現在ではコルベットの代名詞とも言える大排気量V8エンジンですが、意外なことに初代販売当初は直列6気筒エンジンで、最高速度はわずか102マイル/h(約163km/h)ほど。ほぼ同サイズだったジャガーは、120マイル/h(192km/h)を容易に達成していたため、欧州車との実力差は圧倒的でした。 その後、欧州のスポーツカーに対しての遅れを打破すべく、翌年の1955年にオプションとして搭載されたのが、専用チューンされたセダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジン。その後、1956年から標準ラインナップに追加され、現在のコルベットのイメージ通り、大排気量、パワー至上路線を歩むことになります。 名車としての地位を確立したC2 欧州のスポーツカーに対抗すべく開発されたコルベットは、2代目となるC2の登場によりその地位を確立します。2020年に登場した最新C8にも採用されたスティングレイ(アカエイ)の名称が最初に使用され、アカエイという名の通り、C1とは異なるシャープで前衛的なデザインが特徴でした。 欧州車に引けを取らないフォルムとV8エンジンの圧倒的なパワーには、当時のシボレーも自信を持っており、初お披露目の舞台に敢えてパリのサロンを選んだほどです。 そして、その自信の通り、目の肥えた欧州のユーザーはもちろん、多くのスポーツカーファンの支持を集め、アメリカンスポーツカーとしての地位を確立していきました。 大排気量V型8気筒OHVの有り余るパワー コルベットC2のエンジンは、大排気量化の流れの中で開発されました。 これぞアメ車という、5Lを超える大排気量で300馬力以上を発生するV8エンジンは、C2が名車と呼ばれる理由の一つです。 いかにもアメリカらしい大排気量エンジン C2の初期モデルに搭載されたエンジンは、基本構造はC1から引き継いだV8OHVエンジンでしたが、排気量は5,358ccへと大幅に拡大されました。 その後、レーシングスペックZ06では、ビッグブロックとも呼ばれる6,489ccのエンジンが搭載され、最終的には6,997ccまで拡大。大排気量+ハイパワーという、いかにもアメ車らしい進化を遂げます。 わずか20台のみ販売されたL88型 コルベットC2末期には、L88型と呼ばれるレーシングエンジンをデチューンしたモデルを追加。わずか20台の販売にとどまりましたが、公称430馬力というカタログスペックは、監督官庁の懸念やパワーによって決められていた保険料などの問題で伏せていただけで、実際には500馬力以上だったとも言われるモンスターマシンでした。 現在では、7,000万円以上の価格で取引されたこともあるほど、希少性と人気の高いモデルです。 C2は後世コルベットのデザインを決定づけた C2という名称よりも、スタイリングからついた、コルベットスティングレイという名前の方の知っているという方も多いでしょう。 コルベットC2は、その後のコルベットのデザインの基礎となったとも言えるモデルです。 試作車を元に開発した先鋭的な外観 コルベットC2は、試作車であるスティングレイレーサーを原型にデザインされた為、コルベットスティングレイと呼ばれます。 エッジに曲線を組み合わせたデザインは、当時としてはかなり先鋭的な外観でした。さらに初年度のモデルでは、ルーフからテールエンドを繋ぐフレームによってリアウインドウが二分割された「スプリットウィンドウ」を採用。この特徴的なリアウインドウは、今でも人気のポイントです。 伝統のリトラクタブルヘッドライト コルベットC2の外観的特徴のもう一つが、リトラクタブルヘッドライトの採用。「アカエイ」という意味であるスティングレイの名のごとく、平たいワイド感とシャープな印象を生み出しています。 リトラクタブルヘッドライトは、この後コルベットC5まで装備され、コルベットの外観を表す特徴の一つとなりました。 アメ車の伝統 今回は、アメリカンスポーツカーの金字塔ともいうべき名車、コルベットC2をご紹介してきました。 速さと操る楽しさを追い求めるスポーツカーの世界では、欧州車が世界を席巻していた1950年代。そんな伝統と格式を持った欧州勢に対し、これぞアメリカのスポーツカーともいうべき骨太なV8サウンドを轟かせ、1963年に登場したコルベットC2の功績は、とても大きなものです。 先鋭的なデザインに加え、FRPの採用で1.3tという軽さを実現したボディ。さらに300馬力以上のパワーを誇るコルベットC2は、50年以上経過した今でも色あせることの無い魅力的な車の一つです。 [ライター/増田真吾]

300万円で買えた和製ミッドシップスーパーカー!トヨタ MR2(SW20)
旧車の魅力 2022.02.01

300万円で買えた和製ミッドシップスーパーカー!トヨタ MR2(SW20)

かつてフェラーリ348やホンダ NSXより速いと言われた国産車がありました。それが国産ミッドシップスポーツカーの扉を開いた、トヨタSW20型MR2です。しかも新車価格はたった300万円。 販売当初は、過敏なハンドリングが不評だったものの、トヨタ開発陣は市場投入後も改良を続け、国産ミッドシップスーパーカーと言っても過言ではないレベルにまで昇華させました。今回は、SW20の特徴と進化について詳しくご紹介します。 トヨタが手掛けた本格ミッドシップスポーツカー2代目MR2(SW20型) 初代MR2であるAW11は、FF車であるカローラをベースに開発され、安価なミッドシップスポーツカーということで、一定の成功をおさめます。 このAW11の成功を元に、本格的ミッドシップスポーツカーとして開発されたのが、2代目MR2であるSW20です。 先代AW11からの大幅アップグレード SW20型のMR2は、初代となるAW11からのアップグレードをテーマに開発されました。 特に力を入れて改善されたのが、スタイリングと居住性。結果、ミッドシップレイアウトを存分に活かし、イタリアンテイストとも言えるスタイリングを実現しました。 大型化による居住性の改善と共に、バブル景気を背景にした豪華な内装が施し、1989年~1999年の10年間販売される国産ミッドシップスーパーカーが誕生します。 伝統の名機3S-Gを搭載 SW20のエンジンは、車格に合わせてアップグレード。セリカGT-FOURにも搭載され、当時トヨタのレースシーンで欠かせなかった3S-Gを採用し、2Lという排気量ながらターボ搭載の3S-GTEは、最高出力225馬力を発生させました。 大型化したにも関わらず、当時としては優秀な、0-60mph加速(約96km/h)6.1秒を記録しています。さらに1993年のマイナーチェンジで、最高出力は245馬力にアップ。フェラーリ348やNSXに勝るタイムを叩き出すまでに進化します。 乗り手を選ぶじゃじゃ馬から誰でも乗れるスポーツカーへ SW20登場時は、デザイン面でAW11の弱点を補えていたものの、スポーツカーとしての評価は決して高くありませんでした。 各部の性能がダイレクトに走行性能に反映されるミッドシップレイアウトは、ミッドシップスポーツカー開発ノウハウの乏しいトヨタにとっては大きな挑戦だったのです。しかし、トヨタ開発陣は改良を続け、SW20がミッドシップスーパーカーとしての地位を確立するまでに高めました。 登場初期のハンドリングはピーキー SW20登場時、もっとも不評を買ったのは、ピーキーなハンドリング性能。元々FF用に開発された重心の高い3S型エンジンに貧弱な足回り、ハイトの高い14インチタイヤと、腕に自信のあるドライバーでさえ、手に汗握るハンドリング特性でした。 ミッドシップレイアウトは、スポーツカーとしては理想的なレイアウトとという印象がありますが、他のレイアウトに比べ荷重移動が激しいという欠点があります。そのため、重心バランス、足回りの設計などが伴わなければ、操りにくい特性に仕上がってしまうのです。 AW11の開発経験があったとはいえ、FFレイアウトを基本に開発をしてきたトヨタにとって、ミッドシップレイアウトの本格スポーツカーの開発は挑戦の連続でした。 10年間の間に4度もマイナーチェンジ SW20には、通称I型からV型と呼ばれる5つのモデルが存在します。 トヨタ開発陣は、度重なるマイナーチェンジで、I型販売当初未成熟だったミッドシップレイアウトを完成の域にまで高めたのです。 如何に現在でも高い人気を誇るスーパーカーに仕上がっていったのか、SW20の各モデルの変遷と特徴をご紹介します。 II型(1991年~) 最初のモデルチェンジでは、まずピーキーなハンドリングの改善に取り組みます。 タイヤを14インチから15インチにサイズアップし、フロントサスペンションの改良。スタビライザーの大型化と、足回りを中心に見直し、ハンドリングの安定性向上を図りました。 III型(1993年11月~) 2度目のマイナーチェンジでは、マイナーチェンジとは思えないほどの変更が加えられます。 まず最大の変更はエンジンの大幅なパワーアップ。LジェトロからDジェトロへの変更し、ターボチャージャーの改良、燃料ポンプの大型化などで20psアップとなる245psを獲得します。(NAモデルは15psアップの180ps) また、外観もリアスポイラーやテールランプのデザインを変更、サイドモールやボディ下部の塗装をボディ同色にするなど、内外装共に大幅な変更が加えられました。 IV型(1996年6月~) 三度目のマイナーチェンジは、小幅な変更に留まります。前回のマイナーチェンジで搭載したスポーツABSを4輪独立制御に変更し、トラクションコントロールシステムにも変更が加えられました。 V型(1997年12月) 最後のマイナーチェンジとなる、4度目の変更では、いよいよ完成形とも言える進化を遂げます。 NAエンジンは、吸排気の見直しにより、排気量1Lあたり100馬力となる200馬力まで最高出力が高められました。外観ではタイヤハウス下部にエアスパッツが追加され、リアには可変式大型スポイラーを装備。空力性能が高められると共に、見た目も完成形と呼ぶに相応しい仕上がりとなります。 また、内装もシート、ステアリング、シフトノブ、メーターの目盛り色に至るまで細かく見直され、スポーツカーのコクピットとして機能美に溢れた仕上がりになりました。 SW20の中古車相場について SW20型MR2の中古車価格は、マイナーチェンジの世代、グレードによって大きく開きがあるのが特徴です。 安価なものは80万円ほどから購入可能な一方で、最終V型の限定車は480万円ほどに高騰しているので、世代、グレードをよく確認して予算に合わせて選ぶと良いでしょう。 海外での日本車スポーツカー人気の追い風もあり、買取価格は最大150万円ほどと、年式を考えると高値で安定しています。 まとめ 国産ミッドシップスポーツカーのパイオニアとも言えるSW20型MR2は、トヨタの開発陣の粘り強い挑戦によって、名車と呼ばれる域に達しました。 各世代とも特徴があるので、中古車を選ぶ際は求める性能やデザインによって、選ぶモデルが変わってきます。同じ型式の車種で世代によってこれだけのバリエーションのある車種も珍しいので、是非自分好みの一台を探してみてください。 [ライター/増田真吾]

バブルが生んだ夢の軽スポーツ!アメリカにも影響を与えた平成のABCトリオ
旧車の魅力 2022.01.31

バブルが生んだ夢の軽スポーツ!アメリカにも影響を与えた平成のABCトリオ

日本がバブル経済真っ只中だった1990年代初頭、自動車業界もユニークな車が多く登場しました。その中でも記憶に残るのが、車名の頭文字をとって「ABCトリオ」と呼ばれていた軽スポーツカー、マツダ AZ-1、ホンダ ビート、スズキ カプチーノの3台でしょう。 今回はバブル時代に強烈な個性を残し、海外でも人気となっているABCトリオの魅力を解説していきます。 マツダ オートザム AZ-1 1992年9月にマツダオートザム店より発売されたAZ-1は、軽自動車で唯一のガルウイングドアを採用。ドアが上に開いていくさまはABCトリオの中でも特に異質であるとともに強い魅力でもあり、現在でも根強いファンが多く存在します。 ボディ外装にFRPを使用することで車両重量はわずか720kgに抑え、エンジンはスズキ アルトワークスのDOHCターボであるF6A型をミッドシップレイアウトである運転席後方に搭載。車体の軽さとガルウイングの奇抜さを売りにし、当時は149.8万円(税抜)で販売されました。 2021年7月の原稿執筆現在、マツダ AZ-1の市場相場は大手中古車サイトで消費税込みの車体価格が158~348万円。旧車王での買取価格は全グレード50~200万円となっており、購入、買取ともにAZ-1はABCトリオの中でも最も高値で取引されています。 ホンダ ビート 量産車としては初の試みであるミッドシップフルオープンモノコック構造を採用し、1991年5月に発売されたホンダ ビート。軽オープンの軽量ボディながら、新機軸のモノコックフレームは高い剛性を発揮し、まさにスポーツ走行に適した車です。 ABCトリオの中では唯一のターボ未搭載車ではありますが、ミッドシップに搭載された高回転型エンジン(E07A型)の最高出力は自主規制いっぱいの64ps。レブリミットまで回しきって楽しむホンダらしい走りを提供してくれました。その他にも、4輪ディスクブレーキの採用やSRSエアバッグ、サイドインパクトバーなど軽自動車では初となる装備も多く搭載し、発売時の新車価格は当時の価値としては割高な138.8万円(税抜)という設定でした。 ビートの中古車相場は、2021年7月の執筆時点で28~240万円で取引されており、旧車王での買取額は~150万円です。価格はそこまで高値ではなく、流通台数も120台ほど。オープンカーのため雨漏れなどの心配はあるものの、ABCトリオの中では手に入れやすい存在です。 スズキ カプチーノ 1991年10月に発売されたスズキ カプチーノは、他のABCトリオとは違い、はっきりとしたロングノーズ・ショートデッキのフォルムが特徴的。DOHCターボエンジン(F6A型)を縦置きに搭載したFRレイアウトを採用したことで、ノーズの長いFRスポーツらしいシルエットを演出しています。 他にもオープンカー特有の収納ルーフは、そのときの気分によってフルオープン、タルガトップ、Tバー、クローズの4つから選択でき、運転が楽しくなるユニークなギミックを搭載。また、アルミボディによる軽量化や、4輪ダブルウィッシュボーンサスの採用など、走行面でも手を抜かず、当時は145.8万円(税抜)で販売されました。 そんなカプチーノの中古車相場は、2021年7月の執筆時点で39~289万円と上下幅が大きく、旧車王での買取り相場はベースグレードが~100万円、特別仕様車の「リミテッド」が~130万円となっています。 当時の日本だからできた突き抜けたコンセプト 個性豊かなABCトリオは30年経過した現在でも高い人気を保ち、その需要は海外にまで及んでいます。どの車種にも共通することは、オープンカーの軽自動車であり、エンジンを限界まで回し、軽い車体を振り回すように運転できる楽しい車だということです。 日本のバブル経済による潤沢な資金から生み出したこの3車種は、造形だけ見ても今では考えられないほど斬新。軽自動車にあまり馴染みがないアメリカでは、ホビーカーとして多くのファンを生み出しました。 制度の恩恵もあり、アメリカでは大人気 このABCトリオがアメリカで人気なのは、スポーツカーならではの運動性や、アグレッシブなスタイリングだけでなく、25年ルールの影響もあるでしょう。 製造から25年経過した日本車は、アメリカ国内の保安基準(FMVSS)による縛りを受けることなく輸入可能になるため、ABCトリオはこういったルールの影響もあり北米での人気が高いのです。しかし、現在は輸入するにも車本体の在庫台数が減少しており、生産台数が4500台ほどと少ないAZ-1は特に希少性が高く、値段も上昇傾向にあります。 まとめ バブル時代の遊び心ある軽オープンカーとして、国内外問わず幅広い人気を持つ平成ABCトリオ。車をただ目的地に向かうだけの道具ではなく、生活の彩を豊かにする存在として、日本のみの企画である軽自動車のオープンカーはなくてはならない存在です。 ただし、ホンダ S660が2022年3月の製造販売終了を前に、現在新車で買える軽オープンカーはダイハツ コペンのみ。合理的な価値観が支持されるこのご時世では、室内荷室ともに窮屈なABCトリオのような車は絶対的な販売台数が見込めません。 しかし、海外まで浸透している軽オープン熱は未だ衰えることはなく、ファンの間ではこれからも需要は尽きないことでしょう。人気に比例して在庫も減ってくるので、ABCトリオを楽しむならば、今がベストのタイミングなのかもしれません。 [ライター/増田真吾]

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