旧車の魅力

旧車王が選ぶ平成の国産ネオクラスポーツカーランキングベスト5
旧車の魅力 2022.02.10

旧車王が選ぶ平成の国産ネオクラスポーツカーランキングベスト5

元号が「平成」から「令和」に変わり久しくなりますが、あえて平成を代表する国産スポーツカーにスポットライトを当ててみました。ここでは、旧車王独自の調査で選んだ5車種をランキング形式でご紹介させていただきます。 国産スポーツカーランキングベスト5 1位:ホンダ NSX 栄えある1位を獲得したのは、1990年に登場したオールアルミボディを採用したミッドシップスポーツのホンダ NSXです。NSXは、ホンダの新しいスポーツカーである「ニュー」「スポーツカー」と未知数を表す「X」をかけあわせたNew SportsCar Xの略になります。NSXは開発途中で方向性を失いかけていた時期があり、アイルトンセナが鈴鹿サーキットでテスト走行を行ったことが、あの完成度の高さに繋がったと言われており、偉大なF1レーサーの開発能力の高さにも驚かされます。そして、ドリキン土屋圭市の愛車としても知られ、雑誌企画等で度々登場する後期タイプRは、当時の新車価格をはるかに超える個体が存在するのです。 2位:スカイライン R34 GT-R 2位が意外にもスカイライン GT-R R34です。GT-Rと言えば長らくR32が一番の人気を誇っていましたが、第2世代GT-Rの最後の限定車「ニュル」の価格高騰で人気が逆転しています。その「ニュル」の最大の特徴は、エンジン(RB26DETT型)などがN1レース参戦仕様となっているところです。強化シリンダーブロック、強化ピストン、メタルタービンなど、耐久レースでの高負荷を前提とした精度・強度を備えており、600ps以上のチューニングも視野に入れた仕様になっています。そして、中古車価格はほとんどが価格応談(ASK)となっており、プライスが付いているものでも全て2000万円以上という超破格となっているのです。 3位:マツダ RX-7(FD3S) 3位は、国産ライトウェイトスポーツの代表とも言えるマツダ RX-7(FD3S)です。RX-7(FD3S)の最大の魅力は、最後の本格派ロータリースポーツカーであることはもちろんのこと、その美しいデザインと日本一とも言われるハンドリング性能です。 RX-7(FD3S)は、頭文字D(イニシャルD)の高橋啓介の愛車としても有名ですが、「峠の魔王」における東のRE雨宮と西のフジタエンジニアリングとの戦いやJ'sレーシングS2000との死闘は語り草になっています。しかし、サーキット走行などを楽しむユーザーが多いため、その分ボディがヤレてしまっている個体も多く、中古車市場では走行距離が少なくオリジナルコンディションの上質車両がとくに高値で取引されています。 4位:ホンダ S2000 4位は、ホンダ S2000です。3位のマツダ RX-7(FD3S)とは、買取相場が若干安いことが理由で僅差で4位となってしまいました。1999年4月に発売されたS2000は、ホンダとしてはS800以来となるFRのオープン2シータースポーツモデルということで話題を集めました。とは言ってもS800は1966年に登場したモデルとなりますので、当時のノウハウはほとんど活かされることはありませんでした。つまり、S2000はホンダ初のFRスポーツカーと言っても過言ではないのです。そして、グリップ走行におけるコーナリング性能は、あのRX-7(FD3S)をも凌ぐと言われており、ホンダの技術の高さ感じずにはいられません。 5位:トヨタ 80スープラ 5位はトヨタを代表するグランドツーリングカーである80スープラです。GT-RやNSXの影に隠れがちな80スープラですが、通称A90と呼ばれる新型GRスープラの登場で再び注目されています。80スープラは、上位の4車種に比べるとハンドリング性能は劣っているのかもしれません。しかし、トヨタ史上最強と言われる 2JZ-GTE搭載しており、エンジンが80スープラの一番の特徴と言っても過言ではありません。 そして、その2JZ-GTEは国産エンジンの中でも突出した耐久性を誇ると言われ、強靭なシリンダーブロックは、何と1000馬力オーバーのパワーにも耐えることが出来るのです。また、MAX織戸が長年80スープラにこだわり続けていることも人気に大きく影響しています。 お車の売却で悩んだら先ずは旧車王へ 今回ここでご紹介させていただいたのは、平成を代表する国産スポーツカーとなりますが、この5車種に共通して言えることは、今現在手に入るスポーツカーよりも性能が高いことに加え、洗練されたデザインが大きな魅力になっているということです。とは言え、当時の新車価格をはるかに上回る中古車価格はちょっとしたバブルと言っても過言ではありません。そして、何かをきっかけに価値が大きく下がる可能性があることを意味しています。したがって、あと1年待てばさらに価値が上がるなどという考え方はリスクでしかありません。もし今現在売却をご検討でしたら、先ずは旧車王にお問い合わせいただき、大切なお車の売却についてご相談させていただければ幸いです。 [ライター/旧車王編集部]

ランエボの伝説はここから始まった!三菱ギャランVR-4の系譜
旧車の魅力 2022.02.10

ランエボの伝説はここから始まった!三菱ギャランVR-4の系譜

三菱と言えばランサーエボリューションやパジェロのラリーでの活躍を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?しかし、三菱にはランサーエボリューションより前に「4G63」を搭載した名車が存在するのです。それは、6代目ギャランに設定されたVR-4になりますが、ここでは、そのギャランVR-4の系譜についてご紹介させていただきます。 1988年に三菱がWRC参戦を飾ったクルマ 三菱のWRC(ワールドラリーチャンピオンシップ)と言えば、ランサーエボリューションが真っ先に頭に浮かぶ方が多いのではないでしょうか?しかし、当時のグループA(WRC)に参戦を開始したクルマは、実は1987年登場のギャランVR-4でした。ギャランVR-4は、三菱がワークスとして本格的にWRCに参戦する足がかりとなったクルマであり、また現代の国産ハイパワー4WD車の元祖と言っても過言ではないでしょう。1987年と言えば、フルタイム4WDシステム「アテーサ」を搭載したU12系ブルーバードSSS-Rも有名ですが、ギャランVR-4がランサーエボリューションに受け継がれる名機「4G63」搭載していたことを考えれば、比較するまでもないことは誰の目にも明らかです。 WRCでの実績 WRC(世界ラリー選手権)は、グループBの大事故をきっかけに1987年から年間2500台以上生産される市販車をベースとする「グループA」をスタートさせます。このグループAは、市販モデルの外観はスポイラーなど空力パーツを含め、ノーマル形状を保つなどの厳しい規定があり、三菱はWRC参戦を目的としたギャランVR-4を開発します。ギャランVR-4は、1988年のWRCラリーニュージーランドでデビューします。1989年には、1000湖ラリーで優勝し、三菱にとってWRCでの勝利は1976年のサファリラリー以来となりました。そして、1992年までにパリダカで三菱パジェロを一躍有名にした篠塚健次郎による日本人初優勝を含む6度の優勝を獲得しました。 3代続いたVR-4の歴史 初代(1987年~1992年) ギャランに搭載された名機「4G63」は、2リッター直列4気筒シングルカムのG63B型をベースにツインカム4バルブヘッドとし、三菱製TD05Hタービンを組み合わで、 最高出力 205ps/6000rpm・最大トルク 30.0kg・m/3000rpmを発揮しました。「4G63」は、デビュー当時の205psでもバブル期の4WDセダンの中では屈指の高出力を誇るエンジンであったが、4G63の潜在能力はまだまだ高いところにあり、1989年と1990年には、それぞれ220ps、240psのパワーアップが図られます。そして、最終的にはランサーエボリューションに受け継がれ、最後は313psを発揮する「エボX・ファイナルエディション」で惜しまれつつ28年に歴史に幕を閉じました。 ギャランAMG(1989年) 初代のギャランVR-4と同じE30系には、AMGとのコラボモデルが存在していまいた。特徴は内外装のカスタマイズもさることながら、本気でチューニングされたエンジンにありました。ベースとなったのは、VR-4と同じ名機「4G63」となりますが、あえて最高出力で優位なターボエンジンを選択せず、「4G63」としては非常に珍しいNAエンジンだったのです。そして、AMGによってチューニングされたエンジンは、高回転化&高出力化が図られ、何とノーマルに対して30psアップの170psの出力を得ていたのです。また、軽量なFFと5MTのみの設定もAMGのこだわりを感じずにはいられません。 2代目(1992年~1996年) WRC制覇が目的で開発が進められた初代ギャランVR-4は、名機「4G63」ともにランサーエボリューションにその道を譲ることになります。そして、必然的に方向転換を迫られることになった2代目ギャランVR-4は、ランサーエボリューションの上位車種として、ラグジュアリー路線に舵を切りました。また、「4G63」の後を引き継ぐ新開発の「6A12」2リッターV型6気筒ツインターボ搭載で、マークⅡGTツインターボを意識したGTサルーンと言われておりましたが、一方で存在感の薄さから「初代と3代目の間で忘れられたVR-4」と揶揄されることもありました。 3代目(1996年-2005年) VR-4の集大成と言える3代目は2リッターだったエンジンを2.5リッターまで排気量アップした「6A13」が搭載されます。そして、片バンクに1基ずつTD03タービンを備える「6A13」は、自主規制いっぱいの280psを発揮します。その性能は、100系チェイサーの1JZ-GTEやR34スカイラインのRB25DETよりも上と言われ、さらに駆動方式は三菱が世界に誇るフルタイム4WDなわけですから、勝負の行方は説明するまでもありません。また、本革シートやウッドパネルといった豪華装備の設定もあり、初代と2代目の個性を高次元でまとめられたグランドツアラーと呼ぶに相応しいモデルでした。しかし、リコール隠しやセダンの人気低下といった逆風の中、2002年にカタログ落ちという最期を迎えます。 [ライター/旧車王編集部]

ユーザーの感性に突き刺さる!今注目されるパイクカーの魅力
旧車の魅力 2022.02.10

ユーザーの感性に突き刺さる!今注目されるパイクカーの魅力

時に1980年後半から1990年代前半。当時の日本はいわゆるバブル経済のど真ん中の時代に、一大ムーブメントを巻き起こしたのが“パイクカー”です。そして近年、このパイクカーが注目を集めているのだとか。そこで今回は、現代の車には無い魅力を持ったパイクーカーについて振り返ってみましょう。 パイクカーは自動車メーカーが個性を尖らせたカスタムカー パイクカーのパイク(pike)とは“槍”や“尖った”という意味。つまりパイクカーとは“尖った車”となりますが、もちろん物理的に何かが尖っているわけではなく、コンセプトそのものが尖っていたという方が正しいでしょう。 詳しくは後半でご紹介しますが、当時人気とあったパイクカーは、安全性や走行性能、燃費という今では当たり前の性能よりも、とにかく個性的でポップなデザインを最優先して開発されました。そして、もともと販売されている既存車種をベースに、ボディ形状や内装を大幅にモディファイし、ベース車種が何なのかわからないほど。言い換えれば、パイクカーとは自動車メーカーが本気で開発したカスタムカーと言える存在です。 最新車種には無い魅力を持ったパイクカー パイクカーではありませんが、JB64型の新型ジムニーが販売されたことで、2世代前のJA11型ジムニーの人気が再燃し、中古車相場が上昇しています。そんなことからもわかるように、現在、最新車種には無いレトロな雰囲気を持った車種が見直されているのです。 また、パイクカーが注目されている理由は、現代では実現が難しい“デザインと発想の自由さ”にあります。例えば、現在の車種では必須な装備であるエアバックをはじめ、求められる衝突安全性能も現代の基準から見ればはるかに低く、その分自由なデザインを行うことができました。 さらに、姿勢制御装置やトラクションコントロールといった電子制御も義務では無かったため、手足を使って車を操る感覚が、最新の車には無い大きな魅力なのです。 とにかく話題になった代表的なパイクカー では、そんな今注目されている、代表的なパイクカーをご紹介しましょう。 日産 Be-1 パイクカーの最も代表的な車種と言っていい、日産 Be-1は、当時大衆車として大ヒットしていたK10マーチをベースに制作され、日本にパイクカーブームを巻き起こしたパイオニア的存在です。その人気は単なる車という枠を超え、東京青山にBe-1をテーマにしたアンテナショップが出現するほど。日産はBe-1のヒットを受け、同じK10マーチをベースにしたレトロなSUVのパオや、2ドアクーペのフィガロをデビューさせ、パイクカー3兄弟として人気を博しました。 日産 エスカルゴ 乗車として人気となったパイクカー3兄弟に続き、1989年から1991年の2年間だけ販売されたのが、パイクカー唯一のパイクカーである日産 エスカルゴです。VNパルサーバン尾プラットフォームを使用し、エスカルゴ=カタツムリという名前の通り、丸いキャビンや飛び出したヘッドライトが大きな特徴。見た目以上に広い室内を持ち、その姿が街中で注目を集めることでの宣伝効果も高く、受注生産であったにもかかわらず、2年間で約1万600台が販売されました。 トヨタ WiLL Vi バブル期のパイクカーブームには乗れなかったものの、トヨタにもかなり尖ったコンセプトのパイクカーが存在します。2000年にデビューしたトヨタ WiLL Viは、トヨタのほか、松下電器(現パナソニック)、花王、アサヒビール、近畿日本ツーリストの5社が立ち上げたWiLLプロジェクトのもとで誕生。初代ヴィッツをベースに、居住性や機能よりもデザイン最優先で設計され、その奇抜なデザインは大きな話題となりました。 スバル ヴィヴィオ ビストロ 1995年に登場したヴィヴィオ ビストロは、ヨーロッパの大衆車をイメージさせるレトロなデザインを採用。それまで、オーソドックスでやや地味なハッチバックの軽自動車に、お洒落なデザインを取り入れ大ヒット車種となります。ヴィヴィオ ビストロのヒット以降、ダイハツ ミラジーノをはじめとした「レトロテイストの軽自動車」の先駆け的な存在です。 まとめ 電動化やコネクテッド、そして自動運転など、今自動車業界は100年に一度の破棄的イノベーションの渦中にあると言われています。車が命を乗せ人々の生活を支える存在である以上、燃費や安全性は最も大切な性能です。 ところが、今回ご紹介したパイクカーには、突出した大パワーもなければ、優れた安全装備もありません。ですが、パイクカーには「楽しい」「カワイイ」「オシャレ」といったユーザーの感性に直接訴えかけることのできる魅力が詰まっています。だからこそ、あらゆる情報やサービスで満たされたこの時代に、パイクカーの魅力が再認識されているのかもしれません。 [ライター/増田真吾]

大きく強いアメ車、その人気は旧車であっても健在
旧車の魅力 2022.02.10

大きく強いアメ車、その人気は旧車であっても健在

たびたび映画やドラマに登場し、物言わぬ小道具として作品を印象付けるうえで、大きな役割を果たす古いアメ車は、いつの時代も一定の人気があります。今回は、男性なら一度はあこがれるアメ車の魅力と、人気のある古いアメ車を高くるコツについてお話して行きましょう。 アメ車は広い国土を象徴するかのような大きさと豪快さが最大の魅力 古いアメ車が人気の秘密は、何といっても現代の車にはない存在感と、国産車とはひと味もふた味も違う個性です。昨今、車を評価し選ぶ上でハイブリッドやアイドリングストップをはじめとした燃費性能が重視されます。しかし、多くのアメ車に搭載されているエンジンは、ロングストロークの大排気量エンジンが主流で、正直なところ“省燃費”という概念は皆無で、お世辞にも燃費が良いとは言えません。 もちろん、車を維持していくうえで燃費は重要ですが、大きく、強く、豪快であることこそアメ車の特徴であり最大の魅力なのです。そして、旧車になればなるほどその特徴は色濃くなっていきます。 これぞU.S.A!アメリカを代表する車 キャデラック フリートウッド 直線のみで構成されているかのような角ばったデザイン、そして、やたらと長いボンネットとトランク。搭載されれるエンジンは5.0Lを超える大排気量と、まさしく強いアメリカを象徴するような、フルサイズセダンです。 シボレー サバーバン 初代サバーバンが登場したのは1935年と古く、アメ車の中でも息の長いフルサイズSUV。搭載できたエンジンも巨大で、中には7.4Lという桁外れのエンジンをオプションえ搭載できるモデルがあったほどです。ちなみに兄弟車として、全長がやや短いタホも存在します。 フォード マスタング 初代マスタングが登場した1964年当時、本体価格を抑え、エンジンまでもオプションで選択するという手法であらゆる層から支持を集め、アメリカを代表するスポーツカーと言われるまでに。現在フォードは日本での正規販売を取りやめてしまいましたが、日本でも根強いファンを持つアメリカンスポーツカーです。 シボレー カマロ 上記マスタングと並んで、アメリカの若者を中心に人気のスポーツカーです。大人気映画トランスフォーマーの第1作目に登場したバンブルビーが、最初にスキャンしたのは2代目カマロ。そのほか、カマロは多くの映画やドラマに登場しており、その人気がうかがえます。 リンカーン ナビゲーター キャデラックとならんで、歴代のアメリカ大統領専用車として使用されてきたリンカーンのフルサイズSUVであるナビゲーター。1997年に初代が登場するやいなや大人気となり、これまで続く高級SUVの先駆者的な存在と言っても過言ではありません。 そして上記以外にも、特に日本で人気のあるアメリカンクラシックカーが存在します。 ・シボレー ベル・エアー:これぞ華やかなアメリカを連想させるテールフィンが大きな特徴 ・プリムス ロードランナー:ワーナーブラザーズのアニメに登場する「ロードランナー」の鳴き声を模したクラクションを装備 ・シボレー C10:これぞアメリカのピックアップトラックという見た目がオシャレ 燃費の悪さもなんのその!価値が高く評価れるアメリカの旧車たち 近年の低燃費思考から考えると、まさしく時代に逆行しているような印象のアメ車ですが、ある一定の年代を境に、旧車としての価値を認められ高い価格で流通している車種もあります。代表的なところでは、大人気映画ワイルドスピードに登場したダッジチャレンジャーや、アメリカンスポーツカーの代名詞でもあるシボレー コルベット。さらに、これもテレビドラマで人気を博したナイトライダーのキット(K.I.T.T.)として登場したポンティアック・ファイヤーバードなど、1970年代から80年代に登場した車種が人気となっています。 また、上記の3車種以外でも、故障しても比較的修理のしやすい年代が人気で、国産車には無いアメ車らしい堂々とした佇まいと、アメ車にしか出せない個性が最大の魅力なのです。 古いアメ車を手放すなら価値のわかる専門店に相談 国産車、アメ車を問わず古い車を手放すのであれば、きちんとその車の価値を評価できる業者に売ることが最も重要です。現在、古い車を専門に扱う業者はいくつもありますが、その多くは、限られたメーカーや車種に特化している場合もすくなくありません。 その点、幅広い取り扱い実績を持つ旧車王は、レアなアメ車であってもきちんと評価してもらうことができ、高く売れる可能性があります。どこの業者に相談するか悩んでいるのであれば、まずは旧車王に相談してみてはいかがでしょうか? [ライター/増田真吾]

ロングノーズショートデッキはフェアレディZの象徴?初代 S30からZ31まで
旧車の魅力 2022.02.10

ロングノーズショートデッキはフェアレディZの象徴?初代 S30からZ31まで

ロングノーズショートデッキと聞いてフェアレディZを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか?しかし、ここでは、根強い人気のある「S30」「S130」「Z31」のそれぞれの人気の理由や買取相場等についてご紹介させていただきます。 伝統的なロングノーズショートデッキ ロングノーズショートデッキは、1960年~1970年代のスポーツカーが理想としていたプロポーションです。ロングノーズは大排気量エンジンを搭載していることの象徴であり、長いノーズがエンジンのパワーを現わし、短いリヤデッキが俊敏性を主張しています。 フェアレディZの歴史は、L20型搭載のZ、Z-L、S20型搭載のZ432の3モデルでスタートします。そして、S20型は同じ年の2月に登場したスカイライン2000GT-Rと同機であることは言うまでもありませんが、日本GPなどで活躍したプリンス・R380に搭載されていたGR8型の量産型エンジンと言われています。432という車名も、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」というS20型のエンジンの構造に由来します。 輸出専用モデルであった240Zは、1971年10月から国内向けの市販も開始します。150psを発揮するL24型エンジンを搭載しており、Z432の外見上は他のZとあまり変わらなかったのに対し、240ZGはGノーズやオーバーフェンダーで差別化が図られました。1973年9月には、排出ガス規制の関係でZ432の生産は打ち切られました。 伝統的なロングノーズショートデッキのコンセプトは、この後登場するS130型(1978〜1983年)とZ31型(1983〜1989年)が引き継ぎますが、1989年に登場したZ32型が大きくデザインを変更したため、時代の流れとともに終焉を迎えます。 ニッサンの旧車といえばフェアレディZ? 根強い人気のあるフェアレディZですが、やはり一番人気は初代S30型となります。S30系はヨーロッパ勢の高級GT並みのエンジンスペックとロングノーズショートデッキの魅力あるデザインを合わせ持ちながら、車両価が格84万円からと(トヨタ2000GTの238万円に比べると3分の1)非常にリーズナブルであったことで、北米市場を中心に世界総販売台数55万台という大記録を打ち立てました。最近は、当時不人気車種だったにもかかわらず、中古車価格が高騰しているケースがありますが、旧車を買う方の理由は当時人気で憧れのクルマだったからというケースがほとんどではないでしょうか?また、走り屋の主人公の愛車として描かれた「湾岸ミッドナイト」も人気を後押ししています。 次に人気なのが、意外にも3代目のZ31型です。主な人気の理由は、最高出力230ps/34.0kg-mを誇るVG30ET(2960ccV型6気筒ターボ)を搭載することで、運動性能を向上とヨーロッパ仕様で250km/h巡行を可能にした当時の国産スポーツカーの中では頭ひとつ飛び抜けた動力性能と言われております。 最後が、大門団長専用車「スーパーZ」のベース車両となったことで知らる2代目S130型です。スタイリングは大人気の初代を踏襲しておりましたが、肥大化したボディと間延びしたような2by2が不評で「過渡期のZ」と呼ばれた時期もありましたが、今では中古車価格が高騰しており、Z31型との人気の差はほとんどないと言えるでしょう。 フェアレディZっていくらで売れるの? 歴代フェアレディZはいくらくらいで売れるのでしょうか?先ず2代目であるS130型は250~300万円、もしくは状態の良い個体で300万円後半というかなりの高値が付いています。3代目のZ31もおおよそ同じような傾向です。 しかし、初代のS30型に関してはS130型やZ31型の2~3倍は当たり前で人気の高さがうかがい知れます。さらに、オリジナルコンディションはもちろんこと、RB25に換装するなどのいわゆる「レストモッド」された個体までも高価で取引されているのがZ30型の買取相場の特徴です。 但し、これはあくまでも店頭価格となりますので、修復に掛かる費用は差し引かなければなりません。逆に既にレストアされている個体であればご紹介させていただいた価格に近い評価を得られる可能性もあります。最近では、1000万円を超える買取事例も存在しており、当時の新車価格を考えると最もプレミアが付いている旧車と言っても過言ではありません。 旧車のフェアレディZを少しでも高く売りたいなら 旧車のフェアレディZを少しでも高く売るためには、いかにコンディションを良好に保つことが出来るかという点が重要なのはもちろんのこと、それぞれの車のヒストリーやカスタマイズにおける一つひとつのパーツの価値まで汲み取ることが出来る旧車買取専門店に査定を依頼することです。 旧車王は今日までに数多くの旧車の買取実績があり、日頃からお客様にご満足いただける買取額をご提示出来ていると自負しております。そして、さらに幅広い知見を蓄積していくことで、今後も旧車の真の価値が見極められる買取を続けてまいります。 [ライター/旧車王編集部]

「直列6気筒を捨てた」残念なモデルから伝説のモデルに昇華したR30スカイライン
旧車の魅力 2022.02.09

「直列6気筒を捨てた」残念なモデルから伝説のモデルに昇華したR30スカイライン

ハリウッド映画さながらのド派手なアクションと爆破シーンで、今や伝説とまで言われるTVドラマ「西部警察」。そんな西部警察を象徴するのが、さまざまな改造を施されたスーパーマシンです。 今回は、西部警察の中でも大門団長のスーパーZ(フェアレディZ 280 Tバールーフ 2by2)と並びRS軍団として主役級の活躍を見せた、モデルとしては6代目となるR30スカイラインを振り返ってみましょう。 数多くの大胆な試みが、日産流自動車作りの財産に 6代目スカイラインが生産されたのは、1981年から1990年まで。多彩なボディバリエーションにGTまたはTIという基本2系統からなるグレードが与えられています。 ターボチャージャーの追加やインタークーラーの搭載、点火系の変更、パワステとパワーウインドウの採用、ラジエターグリルの廃止、バケットシート、ブロンドガラスの採用、などなど、ほぼ年次ごとに事細かな改良・改善が加えられました。 ある意味、年次ごとに事実上の別モデル扱いとなる現代的自動車のあり方を示したパイオニアであり、その試行錯誤こそが後々に生まれる純血のサラブレッド“R32型GT-R”として実を結んだのです。 厳しさを増す排ガス規制と安全性の高まりを受けて 当時は公害をはじめ、環境破壊問題がいま以上に弾劾されていた時代。象徴とされた排ガスの規制や公道における暴走行為の取り締まり、ひいては安全志向の高まりなど、スポーツ走行を楽しむには厳しい状況下にありました。 それでも日産は輝かしい走りの伝統を受け継ぐべく、モータースポーツ好きとして世界的に知られるハリウッド俳優のポール・ニューマンを起用したイメージ戦略を打ち、環境面にも配慮した「ハードトップ2000GT-E・S(HR30)」を誕生させます。 伝統の直列6気筒から4気筒エンジンへ ハードトップ2000GT-E・S(HR30)に搭載された1998cc直列6気筒SOHCターボエンジンは、最高出力145馬力を発生。日産モータースポーツの系譜に連なるには十二分過ぎる実力を秘めていました。 しかし、「4バルブなくしてDOHCは語れない」というキャッチコピーのもと、1981年10月に登場した2000RS(DR30)に搭載されたFJ20E型エンジンは、4気筒のNAでありながら最高出力150馬力を発生。さらに、1983年にはFJ20E型にターボを装着し、最高出力190馬力を誇る2000ターボRS(DR30JFT)が誕生し、スカイラインのトップモデルは6気筒から4気筒へと移り変わることになります。 国産車初のリッター100馬力を突破 「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが与えられた2000ターボRSですが、往年のスカイラインファンから「直列6気筒を捨てた」と言われ、批判的な捉えられ方をされてしまいます。 理由は伝統の直列6気筒エンジンを搭載していなかったことと、GT-Rの名を名乗らなかったこと。もちろん日産社内にもGT-R復活を熱望する声が多くあったそうですが、最先端の直列6気筒DOHCエンジンを搭載できなかったため、GT-Rの名が復活することはありませんでした。 しかし、1984年にはラジエターグリルレス仕様の後期型がデビュー。「鉄仮面」という愛称で親しまれると共に、2000ターボインタークーラーRSの最高出力は205馬力に到達。国産車として初めて「リッター100馬力の壁」を突破し、以後ターボエンジン搭載モデルによるパワー競争の火付け役となりました。 また、RS(レーシング スポーツ)の名の通り、グループ5規定の富士スーパーシルエットシリーズをはじめとしたさまざまなレースで活躍。発売当時の批判を跳ね返すかのように、R30スカイラインはマニア垂涎の名車となったのです。 R30スカイラインカスタムのお手本は西部警察!? R30スカイラインの人気をさらに高めたのが、冒頭にも触れた「西部警察」での活躍です。 西部警察パートIIIに登場したRS軍団は、RS-1、RS-2、RS-3という3台のDR30スカイラインが登場。その人気はかなりなもので、中には劇中車を忠実に再現したオーナーがいるほど、DR30スカイラインカスタムの定番となっています。 西部警察RS軍団カスタムの基本は、赤と黒に塗り分けられたツートンカラーと、ゴールドのメッシュが渋すぎる「エンケイ メッシュ4」。さらに、日産プリンス純正のエアロブランド「AD Three」のエアロパーツを装着すれば、かなり劇中車に近い1台を作り上げることができます。 R35GT-Rへと続くメーカーのこだわり 「直列6気筒を捨てた」と批判され、「この前買ったばかりなのにもう型遅れじゃないか!」というクレームも多かったというR30スカイライン。しかし、そんな数々の悪評に負けず、ほぼ毎年のように改良を重ね、モータースポーツやテレビで活躍することで確固たる地位を築いたモデルでもあります。 そんな常に進化を続ける不屈の精神と、メーカーとしての強いこだわりは、2007年の誕生から2021年の今も進化し続けるR35GT-Rへと受け継がれているのです。 [ライター/増田真吾]

高級で速い最強のバブリーセダン!シーマ現象を巻き起こした日産 初代シーマ
旧車の魅力 2022.02.09

高級で速い最強のバブリーセダン!シーマ現象を巻き起こした日産 初代シーマ

バブル景気に湧いていた1980年代後半に、「シーマ現象」という社会現象まで引き起こした高級車があります。 255馬力ものパワーを発生する、新開発のV型6気筒DOHCターボエンジンに、先進のエアサスペンションを装備し、最上位グレードは500万円超にもなった、日産 Y31シーマをご紹介します。 バブルという時代を反映して生まれた、初代シーマY31型 日産 Y31シーマは、既に販売されていたトヨタの高級車、クラウンの3ナンバーモデルに対抗するために開発されたピラーレスハードトップ車です。 当時クラウンを始め他社の3ナンバー車は、5ナンバー車の派生という位置付けだった中、Y31シーマは3ナンバー車専用車種として開発されました。この点がクラウンとの差別化にもつながり、ベースグレードでも300万円超という価格にも関わらず、販売初年度で36,400台の販売するほど大ヒット。「シーマ現象」という言葉まで生まれたのです。 バブルの象徴シーマ現象 Y31シーマ発売当時の日本は、いわゆるバブル景気の絶頂期を迎えようとしていたタイミング。高級志向が加速して、とにかく高価で高級ものを買うことが正義といった風潮がありましたした。 最上位グレードが500万円超にもなったシーマは、とにかく高いものを買いたいという当時のニーズに見事にマッチ。高級3ナンバー車としては、異例の大ヒットとなったことで、シーマ現象という言葉が生まれたのです。 伊藤かずえさんも乗っている Y31シーマシーマ発売当時から、今も女優として大活躍している伊藤かずえさんも、有名なシーマオーナーです。 当時から30年以上乗っている伊藤さんの所有しているモデルは、もちろん最上位のタイプIIリミテッドで、255馬力のVG30DETエンジンを搭載。日産自らが伊藤さんのシーマのレストアを行うことを発表し、大きな話題になりました。 国内最強の255馬力を発生する新開発エンジン Y31シーマに搭載されたエンジンは、NAとターボの吸気方式の異なる2種類の3リットルエンジン。どちらのエンジンも国産初のV型6気筒エンジンとなったVG型エンジンをDOHCモデルに進化させ、NAエンジンのVG30DEは、スポーツカーとして人気の高かったZ31フェアレディZにも搭載されていました。 さらに、新開発となったターボ仕様のVG30DETは、255馬力ものパワーを発揮しています。 上位グレードに搭載の255馬力ターボエンジン 上位モデルのタイプII-sとタイプIIリミテッドに搭載された新開発のVG30DETは、255馬力を発生し、当時、国産最強エンジンとも言われました。そんな最強エンジンのハイパワーを受け止めるには、Y31シーマのシャシーはやや役不足。アクセルを踏み込むリアが大きく沈み込み、ウィリーをしそうになるほどの爆発的な加速を見せます。 この尻下がり加速姿勢は、エンジンがシャシー性能を上回っていたことに加え、バイクのスイングアームのように後輪を前側から引っ張る形のセミトレーリングアームというサスペンション構造を採用していたことも大きな要因でした。押し出し感と威厳のある顔つきのY31シーマが、時にはお尻を擦りながら猛然と加速していく姿は、みんながパワフルだったバブル期を象徴する景色だったとも言えるでしょう。 エアサスについて 高級車として開発されたY31シーマは、足回りもエアサスペンションを装備するという豪華仕様。通常のバネを使用したモデルもありますが、やはりY31シーマを語るのであれば“エアサスモデル”は外せません。 先進の技術で高度なコントロールが可能だった Y31シーマのエアサスは、4つのモードを選択すると、走行状態や路面状況に応じて、車高、バネレート、減衰力をそれぞれ自動で制御する電子制御式。例えば、スポーティモード選択時に高速走行を行うと、車高が低くなり、減衰力がミディアムに制御され、走行安定性を確保します。 泣きどころは壊れやすさと高額な修理費用 ユーザーの好みにセッティングできるエアサスですが、最大の弱点は、お約束とも言われるほど故障が多かったこと。数年経つと発生する故障で、特に多かったのはエア漏れです。 エア漏れの原因は、エアチャンバー(空気バネ)本体の破損やパイピングの継ぎ目などさまざま、最悪の場合、数十万円以上の費用がかかることもあります。また、例え過去に修理したことがあったとしても、数年すると再び故障する可能性も低くありません。そこで、純正のエアサスを取り払い、社外品の車高調整式サスペンションに交換するユーザーも多くいます。 まとめ Y31初代シーマは、高額でも飛ぶように物が売れたという“バブル”の時代背景を追い風に、ボディ、エンジン、足回りと惜しげもなく資金を投入して開発されました。当時の国産車ではまだ限られていた、3ナンバー車の大きな車体、豪華な内装、そして高級車とは思えないパワーと加速性能、文字通り日産の技術を結集。当時の国産車の中で、最高峰に君臨するマシンであったことは間違いありません。 当時新開発だったVG30DETは、同じくV6エンジンで現在も製造されている、VQ型エンジンの礎となり、3ナンバー専用車種としてヒットしたことは、Y31シーマの翌年に発売されたトヨタ セルシオの登場にも大きな影響を与えたと言われています。 あまりにも爆発的に売れ、時代を象徴する存在にまでなってしまったY31初代シーマは、“バブルの徒花(あだばな)”と言われてしまうことも少なくありせん。しかし、効率重視の現代からすれば無駄と言われてもおかしくないほどの開発費を投じたことは、決して無駄ではなかったのです。 [ライター/増田真吾]

まさに究極のメーカーチューンド!三菱 ランサーエボリューションの魅力に迫る
旧車の魅力 2022.02.08

まさに究極のメーカーチューンド!三菱 ランサーエボリューションの魅力に迫る

三菱 ランサーエボリューションは、通称ランエボと呼ばれ、その類まれな高い走行性能により、多くのファンから愛され、モデルの種類がざっくりと分けても10種類もあります。そこで、ランエボの各モデルの紹介とともに、その中でも性能が突き詰められ、ファンの間でも人気が高い「V」~「IX」に焦点を当ててご紹介していきます。 24年間を走り抜けたランエボの歴史 小型軽量なボディに、ハイパワーなターボエンジンに4WDを組み合わせ、今現在も絶大な人気を誇るランエボの歴史は、1992年に限定2500台で発売された初代ランサーエボリューションから始まります。 第一世代と呼ばれるランエボ「I」から「III」では毎年改良が行われ、250PSだった2.0Lインタークーラーターボエンジン「4G63型」は、ランエボIIIでは270馬力までパワーアップされます。 そして、ベースであるランサーのフルモデルチェンジに合わせ誕生したランエボIVで、エンジンの最高出力は当時の自主規制枠いっぱいの280PSを発生。さらに電子制御式の車両運動統制デフ「AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)」を初採用し旋回性能とトラクション性能を飛躍的に向上させました。 頭打ちの馬力からさらに性能を伸ばした「V」 ランエボの主戦場であるWRCでは、1997年から「WRカー規定」が導入される中、1998年に発売した「V」以降ではそれまでのWRC規定の「グループA」のまま参戦。よりも改造範囲が拡大された「WRカー規定」の導入により、ブリスターフェンダーを装着してトレッドを拡大したするとともに、タイヤサイズは「IV」の205/50R16 から225/45R17へとサイズアップしました。 「IV」の時点で当時の280馬力の自主規制値に達していましたが、ピストンの軽量化やタービンの改良、大容量インタークーラーの採用により、最大トルクをそれまでより2kgmアップの38.0kgmとし、低回転からの加速性能を底上げ。1998年のWRCでは年間13戦を上げ「マニュファクチャラーズチャンピオン」を獲得します。 ストイックなチューンナップで快挙を達成した「VI」 1999年にはフロントバンパー形状の変更やリアスポイラーの2段化、大型オイルクーラーを装備し、主に空力性能と冷却性能をアップした「VI」が登場します。 バンパー形状変更やオイルクーラーへの走行風を当てるために、ナンバープレート位置は助手席側にオフセット。ランエボのチャームポイントともいえる助手席側にずれたナンバーは、この「VI」から採用されていました。この「VI」において、ラリードライバー「トミ・マキネン」が「III」から数えて4年連続でWRCチャンピオンを飾るという快挙を果たします。 新世代の「VII」はACDの導入で運動能力を強化 フルモデルチェンジを経て、第3世代を迎えたランエボ「VII」は2001年に登場します。 2000年に発売された「ランサーセディア」をベースにしたことで、それまでよりもホイールベースとトレッドを拡大。ボディは軽量化を努めたうえに、剛性は従来の1.5倍と、工夫が凝らされたモデルでした。エンジンの最大出力は280psから変わりませんが、最大トルクは39.0kg・mとさらに力強さを増しています。 そして、「VII」から初搭載された新開発の「ACD(アクティブ・センター・デフ)」はセンサーから路面状況を判断し、ドライビングに合わせた適切なトルク配分を電子制御で行ってくれるという優れもので、それまでのAYCと組み合わせることでさらに高い駆動能力と旋回能力を得ることに成功。ACDには「舗装路(TARMAC)」、「未舗装路(GRAVEL)」、「雪道(SNOW)」と、3つの走行モードが設けられ、、日常走行にも役に立つシステムになっています。さらにランエボでは初のATグレードの「GT-A」が登場するなど、ライトユーザーにも合わせた販売展開を見せていました。 「VIII」で性能はさらに突き詰められ、「8.5」まで登場 2003年には、特徴的な富士山型のグリルにより、顔の雰囲気が変わった「VIII」が登場しました。 4G63エンジンは未だ継続ながらも、ターボチャージャーにさらなるセッティングを施し、最大トルクは40.0kg.mに到達します。そして駆動系には、それまでのAYCの性能を見直した「スーパーAYC」が装備され、旋回性能がアップ。前後に配分される駆動力の限界値を2倍まで増やし、さらに強いトルクをかけられるようになったことで、唐突なアンダーステアは起きにくくなっています。 また、ランエボ「8.5」ともいわれる「ランサーエボリューションVIII MR(ミツビシレーシング)」が2004年に発売。国産量産車では初となるアルミ製のルーフパネルを採用し、4kgの軽量化。ショックアブソーバーはビルシュタイン社との共同開発で操縦性を向上し、最大トルクを40.8kg.mまで引き上げるなど、「VIII」の完成度をさらに高めています。 「MIVEC」でさらに躍進する「IX」 2005年には、最後の4G63エンジン搭載車となった「IX」が登場します。 最大出力は変わらず280PSのままでしたが、ターボチャージャーのコンプレッサーの仕様変更と、連続可変バルブタイミング機構の「MIVEC」の採用により、最大トルクは41.5kgmまで増強。低回転から高回転までパワーを無駄なく、存分に発揮できるようになりました。 「IX」では珍しい試みとして、2500台の限定生産でランエボのステーションワゴンタイプも発売されました。「エボワゴン」は日常での使用を考慮した形でありながらも、ベースの「IX」から性能はほぼ落とさず、車両後部が重くなったことにより、車両バランスはむしろ改善されているという変わり種のモデルです。 最強にして最後のランエボ「X」 そして、2007年には、これまでのランサーからギャランフォルティスにベースを変更した、ランサーエボリューションXが登場します。 新開発の4B11型MIVECインタークーラーターボエンジンを搭載し、前期モデルは280ps、2008年以降の後期モデルは300psを発生。トランスミッションは5MTのほか、AT限定免許でも乗れるツインクラッチの6速SST が組み合わされます。ランエボの速さを決定づけてきたと言っても過言ではない4WDシステムは、これまで熟成してきたあらゆる電子制御デバイスを統合制御するS-AWDを採用。駆動力と制動力を4輪それぞれで高度に制御し、あらゆる路面状況で高い安定性と操作性を誇ります。 そんなランエボXですが、2015年4月に限定1000台で発売された「ランサーエボリューション ファイナルエディション」で生産を終了。ランエボ約24年間の歴史に幕を下ろすことになりました。 「トミー・マキネン」の名を冠したハイチューン公道マシン 4年連続ドライバーズタイトル獲得を祝して、2000年には特別仕様車「ランサーエボリューションVI トミー・マキネンエディション」が発売されます。 チタンアルミ製のハイレスポンスターボチャージャーを採用し、最大トルクの発生回転数を3000rpmから2750rpmまで下げ、低い速度域からの加速性能をアップ。舗装路用の専用サスペンション、新開発の大口径スポーツマフラー、フロントストラットタワーバーを装備して車高はローダウン化など、コンセプトは公道向けとしながらも、ほぼレーシングマシンのようなスパルタンな仕様です。 そして装着されるレカロ製バケットシートには「TOMMI MAKINEN」の名が刺繍されており、特別感を演出。「トミー・マキエディション」は現在でもその人気は途絶えず、ファンからは「ランエボ 6.5」の愛称で親しまれています。 中古車市場でもかなりの人気 世界的にも人気のラリードライバー、トミー・マキネンの名を冠し、ターマックようにチューニングされた「ランサーエボリューションVI トミー・マキネンエディション」は、現在でも人気のモデル。 その証拠に、現在の買取相場情報を見ると100~700万円程度と、状態によってはかなりの高値買取が期待でき、20年以上前の車と考えればかなり高値で推移していることが分かります。また、トミー・マキネンエディションと同じくらい人気があるのが、ランサーベース最後のモデルとなる「IX」です。 買取相場はGSR エボリューションIXが130~350万円、GSR エボリューションIX MR200~500万円と、こちらもかなりの高値で取引されています。 まとめ ランエボは長い歴史の中で多くのエボリューション(進化)を遂げてきました。 第一世代の「I」から「III」はまだ未成熟ではありますが、その分車重が軽く、最大出力も250ps~270psと現在でも十分通用するスペックを持ちます。第二世代の「IV」から「VI」では最大出力が自主規制の280psに達したことにより、トルクの増強をはじめとした最新技術をフル活用。WRCでも大活躍を果たしたもっとも脂の乗った世代です。 第三世代の「VII」から「IX」はボディサイズが多少大きくなったものの、ACDやMIVECの採用、強化グレードの「MR」の登場など、それまでの知識と経験を総動員し、まさしくメーカーチューンドの究極モデル。第四世代の「X」はベース車やエンジンの変更があり、それまでのランエボからは風変りしましたが、最高出力、最大トルクともに大幅アップし、まさに最終モデルにふさわしいスペックです。 三菱 ランサーエボリューション、通称ランエボは初代から戦うための車として生まれ、エンジニアの知恵と努力の結晶のような車です。どの世代のモデルでもユーザーの満足のいく走りを見せてくれるのは間違いありません。 [ライター/増田真吾]

価格は欧州のスーパーカー並み?400台限定のスバル インプレッサ 22B-STiバージョン
旧車の魅力 2022.02.04

価格は欧州のスーパーカー並み?400台限定のスバル インプレッサ 22B-STiバージョン

登場から20年以上経った中古車でありながら、新車価格のおよそ5倍の3,000万円以上で取引される国産スポーツカーがあります。それが、WRC3連覇を記念して1998年3月に400台限定で販売されたスバル インプレッサ22B-STiです。 専用設計のエンジンや、ワイド化が特徴で、メーカーが改造車検を取得した「改」の文字が車検証に記載されるのも特別感を演出します。 今回は、インプレッサ22B-STiの凄さを、スバルの本気度と共にお伝えします。 スバルのWRC挑戦の歴史 スバル、そしてインプレッサを語る上で、世界最高峰のWRCでの活躍の話は避けて通れません。まずはWRCにおけるスバル参戦の歴史を簡単に振り返ってみましょう。 乗用車型4WDをWRCに初めて持ち込んだのがスバル 国内メーカーとしてやや参戦は遅かったものの、スバルはWRCに新たな歴史を刻みました。当時FRが常識だったラリーに、スバルは1980年にレオーネ4WDで乗用車型の4WDを初めて持ち込んだのです。 その後スバルがWRCに本格的に参戦したのは、水平対向エンジンと4WDが成熟し始めた、初代レガシィの登場から。しかし、レガシィは、最終年に念願の初優勝を果たしたものの、全体としてはあまり芳しい成績を残すことができませんでした。 WRCで勝つために開発されたインプレッサ 思ったような成績が残せなかったとはいえ、確かな手ごたえを得たスバルは、WRCで勝つことを念頭に置いた新モデルを開発することになります。それが、初代レガシィよりもコンパクトなボディを持ったインプレッサです。市販車をベースにしていたことには変わりありませんが、インプレッサは開発意図通り目覚ましい成績を残します。 参戦2年目となる1994年には、マニュファクチャラーズ2位を獲得。そして、参戦3年目の1995年から1997年にかけ、マニュファクチャラーズタイトルWRC 3連覇を成し遂げます。(1995年はドライバーズタイトルも獲得しダブルチャンピオン) WRブルーと呼ばれ、今ではインプレッサの色として定番となった青色のボディ色は、この時の目覚ましい活躍によって、人々の心に焼き付けられました。 この3連覇と、スバルの40周年を記念して、1997年のWRC参戦モデルの再現を目指して開発されたのが、インプレッサ22B-STiです。 WRカー再現を追求した22B-STi インプレッサ 22B-STiは、1997年のWRカー再現モデルとして開発され、1998年3月に発売されました。 公道を走れるようにするため、車検に通る仕様なのは大前提ですが、その制約の中で最大限WRカーを再現しようとした結果、車検証に「改」と記載された改造車検を取得。わざわざ手間のかかる登録作業をしてまで、市販化を実現させたスバルの意気込みを表しています。 手作業で取り付けられた専用開発パーツ 22B-STiのために開発された専用のエンジンは、2.2Lにサイズアップがされており、馬力こそ自主規制いっぱいの280馬力に抑えられているものの、低中速トルクを大幅に改善。また、WRカーを再現するため、外装パーツなど多くの専用品が開発されたのも特徴です。ほとんどの専用パーツは、別工場に運び、ほぼ手作業で取り付けを行うほど、スバルは力を入れて開発、生産を行いました。 価格が高くても大人気 新車価格は500万円と、通常のSTiが約300万円だったことを考えると割高感があります。しかし、限定400台を2日間で完売してしまうほどの人気を博しました。この人気は現在でも続いており、中古車価格は数百万円以上と高止まり。走行距離が少なく状態の良い個体なら、3000万円以上で取引されることも珍しくありません。 通常のWRX-STiとの比較で見えてくる22B-STiの凄さ スバルが22B-STi 開発時に、いかに力を入れていたのかについて、さらに詳しく見ていきましょう。22B-STiは、何がすごかったのか、通常のWRX-STiモデルと、主な部分を比較しながらご紹介します。 「改」マークを取得のワイド化されたボディ 見た目でまず違うのがボディサイズです。全幅は1690mmから80mmもワイド化し1770mmとなっており、インプレッサワールドラリーカー’97と同じルックスのブリスターフェンダーを再現しています。メーカーが特別車を販売しても、元の車検サイズの範囲内でエアロパーツを装着する程度でお茶を濁すことが通常です。しかし、スバルはWRカーの忠実な再現を目指したため、元のサイズに収まらず、新たに公認車検を取得し、車検証にはオリジナルのGC8ではなく、「GC8改」と記載されています。 弱点を補った新開発エンジン エンジンは専用設計のEJ22型、排気量2.2Lエンジンを開発。元のEJ20型から200cc大型化し、インプレッサの弱点であった低中速域のトルクを大幅に向上させました。最高出力こそ、自主規制いっぱいの、280馬力と、EJ20型と同様ながら、最高出力の発生回転数が500回転も下の6,000回転になった点からも、EJ20から大幅に扱いやすいエンジンであることがうかがえます。 ドライブフィールはまさにWRカー ドライブトレインでまず特徴的なのが、ツインプレートクラッチの採用です。ツインプレートクラッチは、シングルプレートと比較して、クラッチの圧着力が高いため、エンジンパワーを逃さず伝達することが可能になります。 一方で、ツインプレートクラッチは、クラッチの踏力がより必要だったり、クラッチミートにコツが必要だったりと、一般車両に搭載するにはデメリットの多く、純正で採用している車両はほとんどありません。22B-STiでは、このデメリットを減らすよう改良を加えているものの、ツインプレートクラッチを採用するスバルの本気度には脱帽です。 また、エンジンのトルクアップに対応して、メインシャフトが強化されていたり、クラッチシステムの軽量化が図られていたりと、エンジンのみならず、トランスミッション周りも専用設計と呼べるほどのリファインが施されています。 まとめ 中古車価格が約3,000万円と、もう少しで新車のフェラーリでも買えそうな金額にも上ることから見ても、スバル インプレッサ22B-STiの人気が今でもことが分かります。 限定400台という希少性も価格高騰の理由ではありますが、ただの特別使用車ではなく、公道を走れるレースカーをメーカーが本気で作ったと言う、特別感満載の22B-STiには、車としてもそれだけの魅力と価値があると言えるでしょう。 [ライター/増田真吾]

旧車カスタムの定番「深リム」「ワークスフェンダー」がカッコいい!
旧車の魅力 2022.02.04

旧車カスタムの定番「深リム」「ワークスフェンダー」がカッコいい!

時代が変わっても愛車を自分の好みにカスタムするのは、車好きにとって不変的な楽しみです。旧車と呼ばれる車の定番カスタムと言えば、深いリムのホイールと迫力満点のワークスフェンダー。今回はそんな古より伝わるカスタム手法マイナスオフセットによる深リムと、ワークスフェンダーについてご紹介します。 愛車の見た目を大きく左右するオフセットとは? まずホイールを真横からみた断面図を想像してください。ホイールにおけるオフセットとは、ホイール幅(リム幅=JないしJJで表示される)の中心線から取り付け面(ハブ接合部)までの距離を指します。 その中心線よりも取り付け面が内側に入るものがアウトセット(マイナスオフセット)、取り付け面が中心線と同じ場合がゼロセット(オフセット±0)、取り付け面が外側に出るものがインセット(プラスオフセット)と呼ばれています。 まずは純正のホイールサイズを知る ホイールサイズを知りたい場合は、内側の刻印やステッカーなどを見るのが一番。例えばR32GT-Rの純正アルミホイールは「8JJ×16+30 114.3/5H」です。表記順に「リム幅(フランジ形状)ホイールオフセット量(mm表示) P.C.D. /ボルト穴数 」となります。つまり32GT-Rの純正アルミホイールのオフセット量はプラス30mmです。 これら純正標準ホイールのサイズは、足元をカスタマイズする際の基準となる数値であり、この数値に基づいてサイズを計算する必要があります。 ツライチカスタムを実現するには正確な計算が必要 よく聞く「ツライチ」とは、ホイールの外面がフェンダーとまったく同じであることを指します。タイヤをいっぱいまで出すことで、タイヤとホイールの存在感を増すのと同時に、見た目の踏ん張り感を強調する定番のカスタム手法です。しかし、ビシッと決まったツライチを実現するためには、ホイールのオフセットをきちんと計算する必要があります。 これから取り付けるホイールのオフセットを計算する際には、インチで表記されたホイールのリム幅をmmへ換算して合算。次にその合算した数字を2で割るとリム幅の中心までの長さがわかります。 そしてようやく、取り付け面からホイールの外側、または内側へどれだけ飛び出るのかあるいは入り込むのかを知ることができるのです。 力強い足元を演出する“深リム”とは ツライチのほか、愛車の足元を力強く見せる大きな要素の一つが「深リム」です。深リムとは、ホイールのディスク面から外に位置するアウターリムの奥行きが深いことを指します。つまり、先述したオフセットがマイナスになるほど、インナーリムよりもアウターリムが大きくなり、結果的に“深リム”となるのです。 深リムホイールを選びやすい旧車ならではの特徴 旧車のカスタムではこの深リムが人気ですが、旧車で深リムホイールを装着しやすい理由は2つあります。まず1つ目は、スペース効率を最優先にするため、タイヤをもともと四隅に追いやっている現代の車に比べ、タイヤの取付け位置(ホイールハブの位置)が奥まっていること。そして、もう一つがABSをはじめとした電子機器やマルチリンクなどの複雑な足回り構造を持たないことです。 タイヤの取り付け位置が奥まっていることで、マイナスオフセット気味にしてもタイヤがはみ出し難くなります。また、サスペンションやタイヤハウス内の構造がシンプルなため、ハンドルを切った際にフロントタイヤが足回りやタイヤハウスに干渉しにくく、より幅広いサイズのホイールが選びやすいのです。 ちょい悪がカッコいいワークスフェンダー オフセットの章でも触れたように、車のボディよりもタイヤがはみ出てはいけません。(2017年の改正により“タイヤのはみ出し”は10mmまでOK)そのため、より太いタイヤを履き、走行性能を上げたいスポーツモデルは、オーバーフェンダーを付けることでクリアしてきました。 そんなオーバーフェンダーにはいくつか種類があり、レースに出場していたレーシングカーは、純正よりも迫力のある大型のオーバーフェンダーを装着。ハコスカGT-Rやセリカなど、メーカー系のワークスチームがこぞって装着していたことから「ワークスフェンダー」と呼ばれるようになります。 本来レースでの勝利を目指して開発されたワークスフェンダーを付けることで、より硬派な見た目に仕上げることが可能。また、より太いタイヤを装着し外側に出ることで、安定感のある見た目が手に入ります。ただし、もともとの横幅より20mm(片側10mm)以上広がる場合は、構造変更(構造等変更検査)を受けなければ車検を通すことができません。 現行モデルにも応用できる普遍的な旧車カスタム 旧車カスタムの定番である深リムやワークスフェンダーですが、旧車だけでなく現代の車にも応用できるカスタム手法です。ディスクの形状を工夫することで深いリム幅を実現したホイールや、あえて後付け感を出したボディキットなども市販されています。 今まさに旧車に乗っている方はもちろん、現行モデルに乗っている方も、不変的な魅力を持った深リムやワークスフェンダーを楽しんでみてはいかがでしょうか。 [ライター/増田真吾]

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