旧車の魅力

90年代最強のホットハッチ!テンロクスポーツの至宝EG/EK型ホンダ シビック
旧車の魅力 2022.01.12

90年代最強のホットハッチ!テンロクスポーツの至宝EG/EK型ホンダ シビック

大衆車でありながら、モータースポーツファンからの人気も高いEG/EK型シビック。小排気量の1,600ccVTECエンジンはリッター100馬力を超える最高出力を発生し、ダブルウィッシュボーンサスペンションで小気味良い軽快なハンドリングは、今でも最強ホットハッチの一角と言っても過言ではありません。 同クラスの他車種を寄せ付けないどころか、上位クラスの車種とも互角に戦えるほどの高い戦闘力を誇ったEG/EK型シビックの魅力に迫ります。 運動性能重視の差別化された大衆車シビック ホンダ シビックは、1972年に初代が発表され、50年近く経った現在も11代目が新車として販売されています。これだけのロングランを実現したシビック成功の理由の1つは、大衆車でも車として基本的な運動性能を重視して開発され続けてきたことです。 さらに、VTECという画期的なエンジンの登場が、シビックの地位を不動のものに押し上げました。 ホンダ史上最長の販売期間を誇るシビック 1972年の誕生以来、ホンダの基幹車種として販売されているシビック。 3ドアハッチバックのイメージが強いシビックですが、初代の販売当初は意外なことに2ドアセダンから市場投入されました。(3ドアハッチバックは約1ヶ月遅れで発表)2ドアセダン、4ドアセダン、3ドアハッチバック、クーペなど、豊富なボディバリエーションもシビックの魅力です。 そんなシビックのライバルは、同じく大衆車の位置付けだったトヨタ カローラ。ホンダは価格と燃費、そして運動性能を重視して開発することで差別化を図りました。 EG/EK型の絶大な人気につながったVTEC シビックを語る上で外せないのがVTECエンジンです。最初の搭載車こそ、当時新発売だった2代目DA型インテグラに譲ったものの、約半年後には既に販売されていたEF型シビックに搭載されます。 VTECエンジンは、バルブタイミングとリフト量を切り替え、低回転域のトルクと、高回転域のパワーを両立した画期的なエンジンです。バルブタイミングとリフト量を同時に変化させる機構は当時世界初。カムシャフトに物理的に2種類のカムを設け、ロッカーアームを一定の回転数で切り替えることで、低回転用のローカムと高回転用のハイカムを切り替えます。 運動性能を重視して開発され続けていたシビックに、VTEC機構を持つB16A型エンジンを搭載したことでよりスポーツ色が強まり、その後のEG/EK型シビックの人気へとつながりました。 シビックの長い歴史の中でも突出していたEG/EK型シビック 50年近くも販売され続けていることからも分かるように、シビックはどの世代も安定した人気があります。その中でも、1990年代に販売されたEG/EK型シビックは突出した存在です。 リッター100馬力超えを実現したVTECエンジンを搭載したEG型、NSX、インテグラに続くタイプRモデルが投入されたEK型。いずれもシビックの歴史上大きな出来事で、直接のライバルだったカローラのスポーツモデル、レビン/トレノを圧倒しました。 スポーティなイメージを確立したEG型 5代目シビックのEG型は、先代となるEF型の基本設計をより高める形で1991年に登場しました。 EF型で投入されていたB16A型エンジンは、同型エンジン最高馬力となる170馬力を発生。また、低グレード車には、新たに低燃費志向のVTEC-E仕様エンジンも投入されました。さらに足回りは、EF型から採用されているダブルウィッシュボーンを継承しつつ、安定性を向上。ストローク不足によるピーキーな挙動を克服し、高いハンドリング性能を実現しました。 もともと、シビックはボディタイプの多さから幅広い層に支持されていました。そこへ、完成度の高いエンジやサスペンションを搭載し、同クラスでは性能面で頭1つ抜けた存在へと進化。スポーティなイメージを確立したことでより高い人気を獲得し、シビックとして2度目の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。 タイプRが初めて投入されたEK型 1995年に「ミラクルシビック」の通称で投入されたEK型シビック。最高グレードであるSiRについては、EG型で既に完成の域に達していたB16Aエンジンとダブルウィッシュボーンサスペンションをほぼそのまま受け継いでいます。 一方、主力モデルとなるVTiには、低燃費高出力を実現した3ステージVTECを搭載し、オートマチックトランスミッションとしてCVTを採用するなど、意欲的に新技術が取り入れられたモデルです。 EK型シビックの目玉は、1997年に投入されたタイプRです。最高出力を185馬力にまで引き上げたB16Bエンジンを搭載。さらに、サスペンションのチューニング、車体重量の軽量化、専用エアロパーツなど、タイプRの名にふさわしく、随所に高性能化が図られました。 また、レカロ製バケットシート、モモ製ステアリング(SRSエアバッグ付き)、チタン製のシフトノブなど装備面も充実しています。 そして、EG型シビックに続いて、EK型シビックは3度目となる日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。 まとめ 最後にシビックの中古車相場について紹介します。 海外での90年代日本製スポーツカー人気の影響をシビックも少なからず受けており、年式の割には高い価格で取引されている印象です。ただ、EG型/EK型シビックは当時人気が高かったため、今でもそれなりに台数が残っていて、まだ非現実的な価格にまでは高騰していません。 状態によっては最上位グレードのSiRIIでも、100万円台後半で手に入るものもあります。(2021年12月現在)一方、400万円オーバーの価格をつけている中古車もあるので、今後の価格高騰には注意が必要です。買取価格も高騰していて、EG型のSiRIIで最高200万円、EK型のタイプRなら最高400万円の価格がつくこともあります。(旧車王2021年12月現在) 日本製スポーツカーがもっとも熱かった90年代を駆け抜けたEG/EK型シビック。車の挙動をダイレクトに感じ、軽量な車体を操る感覚は、現代では味わえないもの。 その価値感は、まさに現代の中古車取引価格に反映されており、手に入れたい方は少し急いだほうが良いかもしれません。 [ライター/増田真吾]

軽快すぎて事故多発!?ホンダ 初代・2代目CR-Xのスポーティな魅力と中古市場について解説
旧車の魅力 2022.01.07

軽快すぎて事故多発!?ホンダ 初代・2代目CR-Xのスポーティな魅力と中古市場について解説

ホンダのFFライトウェイトスポーツとして、車史に名を馳せるシビックやインテグラですが、1983年に登場したCR-Xは、それらのルーツともいえる存在です。CR-Xは居住空間を捨ててまで洗練させたフォルムと軽量ボディ、そして、高回転まで回るエンジンを搭載し、当時の若者たちを魅了し尽くしました。 今回は元祖FFライトウェイトスポーツ、CR-Xの初代と2代目について、中古市場も合わせて解説していきます。 スタイリッシュかつ斬新な装備も多かった初代CR-X ホンダ 初代CR-Xは、シビックの姉妹車として発売されていた「バラード」の派生スポーツクーペ「バラードスポーツCR-X」の名で、1983年7月に登場します。 スタイリングはセミリトラクタブルヘッドライトや、ラインを断ち切ったようなリアエンドの「カムテール」など、先進的な意匠を採用。ほかにも手動開閉式のルーフベンチレーションや電動アウタースライドサンルーフなど、個性的な装備が用意されていました。 初代CR-Xのエンジンは、それぞれ直4SOHCの1.3リッターのキャブレター仕様と、1.5リッターPGM-FI仕様をラインナップ。1984年11月には最高出力135psの直4DOHCエンジンを搭載した「Si」を追加し、860kgという軽量ボディも相まって、迫力のあるドライビングが味わえました。 2人乗りと割り切れば必要十分な室内 スポーツクーペとして洗練されたフォルムを持つ初代CR-Xですが、そのぶん室内空間に制限ができてしまい、決して快適な広さとはいえません。 4人乗りではありつつも、2,200mmという短いホイールベースや室内の高さが低いことで後部座席は非常に窮屈。ホンダ自らが「ワンマイルシート」と呼ぶほどで、後部座席は荷物置きとして使われることがほとんどでした。 「デュエットクルーザー」というキャッチコピーのとおり、初代CR-Xはデートカーとしても宣伝されていたので、後部スペースを重視しない若者を中心に、高い人気を得ることができました。 キープコンセプトながらよりシャープになった2代目CR-X 初代のヒットを受け、さらにスタイリッシュになった2代目CR-Xが登場したのは1987年9月。「バラード」の名が外れ「CR-X」と名称を改めた2代目は、先代よりも車体形状を長く低くしたことで、よりスポーティなフォルムに進化しました。 印象的だった「カムテール」を引き続き採用しつつも、先代で難点とされていた後方視界に対しては「エクストラウインドウ」を追加。リアガラス下部に横長のウィンドウを設置することで、後方視界が大幅に改善するとともに、CR-Xの個性的なエクステリアを保つことにも成功しました。 後部座席の快適性は初代モデルと変わりありませんが、より低くスポーティになった2代目CR-Xは初代以上の盛り上がりを見せ、多くのファンを生みます。 リッター100馬力を実現したVTECエンジンを搭載 2代目CR-Xの特徴的な点として、車体の軽さと高回転エンジンを活かした走行性能の高さが挙げられます。 エンジンは当初、1.5リッターSOHCと1.6リッターDOHCのみでしたが、1989年9月のマイナーチェンジで、1.6リッターのVTECエンジンを搭載した「SiR」グレードを追加しました。可変バルブタイミング・リフト機構である「VTEC」を搭載したB16A型エンジンは、最大出力160ps/7600rpmを発生。970kgの軽量ボディと160psを発生する高回転エンジンの組み合わせは、パワフルな加速と軽快なハンドリングを楽しめ、当時の走り屋の間で高い人気を博しました。 まさにライトウェイトスポーツたるスペックの2代目CR-Xですが、高回転ハイパワーなエンジンと短いホイールベースゆえ、コントロール性はまさにじゃじゃ馬。自損事故も多く発生し、自動車保険料が高くなってしまった車としても有名です。 初代&2代目CR-Xの中古市場 そんな2世代のホンダ CR-Xの中古市場はどうなっているのか、記事執筆時の2021年11月時点での大手中古車サイトを調べてみました。サイト上では初代が5台、2代目は18台掲載されていますが、やはり年式が古い車ということもあり、走行距離が10万kmを超えた個体がほとんどです。 初代は最安値だと、1984年式9.4万km走行の個体が89万円で、最高値は1985年式18.1万km走行のものが220万円となっていました。一方、2代目は最安値が1988年式10.3万km走行で120万円。最高値は1989年式の6.4万km走行のSiRグレードが319万円。SiRグレードは、今では稀有な存在となってしまった高回転型エンジンを搭載するコンパクトスポーツとして、その希少性ゆえ高額になりがちです。 全体的に見ても、当時人気の高かった2代目のSiRグレードが最も高い上昇率を見せており、車体の状態によってはかなりの高プライスが期待できるかもしれません。 まとめ 初代、2代目ともに軽快かつ、スタイリッシュなスポーツクーペとして、当時の若者を魅了したホンダ CR-X。ホンダの元祖FFライトウェイトスポーツともいえる初代、そして走ることの楽しさをさらに増した2代目と、その人気は北米にも及び、CR-Xの人気は拡大していきました。 その後は、3代目の「CR-Xデルソル」を最後にCR-Xの名は消滅。しかし、2010年2月には初代、2代目のDNAを汲んだ「CR-Z」が登場し、CR-Xのコンセプトは完全に断たれたわけではありません。 中古市場では多少値が張るものの、当時のFFライトウェイトスポーツを楽しみたいのであれば、CR-Xは買って損のない車です。 [ライター/増田真吾]

「丸目」「涙目」「鷹目」あなたの好みは? GD系スバル インプレッサに迫る
旧車の魅力 2022.01.07

「丸目」「涙目」「鷹目」あなたの好みは? GD系スバル インプレッサに迫る

日本を代表するスポーツカーの1台として、世界的にも人気の高いスバル インプレッサ。その中でも、2代目となるGD系インプレッサが中古車として今注目を集めています。GD系インプレッサには、2度のマイナーチェンジで、前期、中期、後期の3世代が存在し、ヘッドライトの形状から、それぞれ「丸目」「涙目」「鷹目」と呼ばれています。 今回は、WRCでの活躍によって高まった人気を背景に開発されたGD系インプレッサの特徴を、「丸目」「涙目」「鷹目」の違いも含めて紹介します。 WRCと共にあったスバル インプレッサ WRCでの目覚ましい活躍により、スバルを世界的自動車メーカーへと押し上げた立役者がインプレッサです。初代登場から最終型まで20年以上も販売され続けたことからも、その人気の高さがうかがえます。 実は、今回紹介するGD系インプレッサの開発自体、当初は予定されていませんでした。しかし、WRCでの活躍によって人気が高まったことを背景に、開発されることになります。インプレッサのその後の開発につながったGD系インプレッサについて、初代とともに振り返ります。 スバルの世界的地位を築いた初代インプレッサ 初代インプレッサとなるGC系インプレッサは、1992年に登場。世界市場(特に欧州)を目指すにあたって、ラインナップ上穴の開いていた1,600ccクラスを埋める車種として開発。また、WRCで勝ちあぐねていたレガシィの後継車としての役割も担っていました。WRカーのベースともなるスポーツモデルを表す「WRX」の名称は、GC系インプレッサから使用されています。 GC系インプレッサは、マニュファクチャラーズタイトル3連覇を果たすなど、WRCで期待通りの活躍を見せ、揺るぎない地位と人気を獲得し、世界にスバルの名を知らしめました。また、WRCでの活躍を記念して、数多くの特別仕様モデルを発売。特に1998年に発売された「22B-STiバージョン」は、発売からわずか48時間に完売したともいわれるほどの人気でした。 正統進化した2代目GD系インプレッサ 日本の小型車としては珍しい、1モデルで8年も続いたGC系の後継車種として登場したのが、GD系インプレッサです。2000年に発表され、2007年まで製造されました。 GD系インプレッサは、WRCありきで開発されたともいえるモデル。ハッチバックモデルは、5ナンバーを維持できるサイズだった一方、WRカーのベースとなるセダンモデルのシャシーの全幅は安定性向上のため広げられ、3ナンバーサイズとなりました。発売当初不評だった外観については後述するとして、性能面でも正統進化。随所で戦闘力向上が図られました。 ボディはワイド化と同時に「新環状力骨構造」を採用し、ボディ剛性は劇的に向上。6速MTやブレンボ製ブレーキを採用するなど、走行性能を大きく高めました。さらに、エンジンも大きく進化。型式こそ初代同様のEJ型ですが、シリンダーブロック、ピストン、コンロッド、バルブなどの主要部分は全て刷新され、最大トルクは2kg・m向上、レブリミットも8000回転まで引き上げられました。 2度のマイナーチェンジで着実に進化したGD系インプレッサ GD系インプレッサには、前期、中期、後期の3つのモデルがあり、マイナーチェンジごとに見た目が大きく異なります。 GD系インプレッサが発表されると、高まった性能が一定の評価を得る一方で、独特の丸目が、特に日本市場で不評。そのため、発売から2年後には、早くも大幅なマイナーモデルチェンジを余儀なくされます。さらにその後、1度大幅なマイナーチェンジを行いました。 しかし、繰り返されたマイナーチェンジは、実は見た目の変更よりも性能の向上を目指して進化させていった結果です。WRCで勝つことを求め、性能を進化させ続けたGD系インプレッサの変遷を振り返ります。 不評だった「丸目」も今では再評価されつつある前期 2000年に登場したGD系インプレッサ最初のモデルで、前期型と呼ばれています。不評を買った丸目のヘッドライトは、メルセデスが採用するなど、当時世界的なトレンドだったことから採用されました。一方、発売から20年経った今では、「愛嬌がある」と再評価する声もあります。 発売当初は、初代に比べて大型化したことを懸念する声もありました。しかし、今の基準で考えると十分軽量で、さらに2kg・m向上したトルクによって重さを感じることはありません。むしろ、ワイド化による安定感と向上したボディ剛性により、高い走行能力を実現しています。 見た目だけではなく性能も向上させた「涙目」の中期 2002年11月に登場したGD系インプレッサ最初の大幅マイナーチェンジモデルが中期型です。不評だった丸目のヘッドライトを変更し、後に「涙目」と呼ばれる形状になります。ヘッドライト変更は、単に見た目の変更ではなく、WRCからのフィードバックを受けたものでした。ヘッドライト上方に傾斜をつけ、横方向の回り込みを増やしたことで空力性能を向上。さらに、ヘッドライトそのものを大型化し、ナイトラリーで補助灯がなくても前方の視界が確保できるように工夫されました。 中期型は、ほかにも意欲的な変更が加えられています。特にSTiモデルは、排気管からピストン形状まで見直すなど、エンジン性能の底上げがなされ、車体も操縦安定性や剛性の向上が図られました。一方、WRX標準モデルも、タービンの見直しによるレスポンスの向上、ブレーキキャリパーは16インチの対向4ポット、リア15インチの対向2ポットを採用するなど、大きな改変が加えられています。 なお、STiモデルに関しては、中期型リリース後にも大幅な変更が加えられています。このため、中期型の中でも前後期モデルが存在。大きな変更点はPCDで、ハブベアリングの強化によって、5穴100mmから5穴114.3mmに変更されました。PCDが変更になったことで、適合するホイールが前後期で異なる点に注意が必要です。 「鷹目」が現代的で成熟の域に達した後期 GD系インプレッサの最終系となる後期型は、2005年6月に登場。ヘッドライトデザインがつりあがった形に変更された後期型は、「鷹目」と呼ばれています。 現代的ともいえる洗練されたデザインとなった後期型ですが、マイナーチェンジの目的はイメージチェンジではなく、中期型と同様に性能を追求した変更が数々盛り込まれました。特にSTiモデルでは、トルクを43kg・mまで高め、扱いやすくなったエンジン、カーボン素材使用によるシンクロ機構の強化で、シフトフィールを向上したトランスミッションなど、かなり近代的な乗り味になっています。また、WRX STI Spec C Type RA-Rなど、多くの特別仕様車も限定販売されていて、高スペックを求めるユーザーにも満足できるラインナップでした。 数々のモデルチェンジを経て成熟しきった後期は、信頼性も圧倒的に向上しているので、トラブルを避けたい方にもおすすめです。 まとめ 2代目GD系インプレッサに注目が集まっている理由は、初代GC系インプレッサは希少性が高く、高価でなかなか手に入らないことと、性能面での古さが否めないこと。一方、3代目以降は、名機「EJ20型」が生産を終了したことで価格が高騰しているためです。 気になる中古車価格は、限定販売されたWRX STi スペックCモデルで555万円ほど。一方、標準モデルでは100万円強からあり、STiモデルでも150万円ほどで購入できるものもあります。(価格は全て2021年12月現在)買取価格は、徐々に上昇を見せていて、鷹目 S204STiバージョンでは最大400万円の買取価格です。(2021年12月旧車王) 日本に比べ、特に欧州ではラリーは人気があり、地域によってはモータースポーツの最高峰F1をしのぐほど。欧州のモータースポーツファンにとって、“スバル”また“インプレッサ”は憧れの存在です。また、車種を問わず海外で日本製スポーツカーが人気ということもあり、今後価格が上昇する可能性もあります。 現代でも通用するスペックを誇りつつ、まだ手を出せる価格で販売されているGD系インプレッサは、まさに今が狙い目の1台です。 [ライター/増田真吾]  

世界初の技術満載でガルウィング発祥の車メルセデス・ベンツ 300SL
旧車の魅力 2021.12.28

世界初の技術満載でガルウィング発祥の車メルセデス・ベンツ 300SL

存在感抜群のガルウィング、艶かしい曲線基調のスタイリング。令和の現代でも違和感のない先鋭的なデザインのメルセデス・ベンツ 300SLは、多くの名車を生み出してきたメルセデス・ベンツのモデルの中でも、特に人気の高いモデルの1つです。 ガルウィングという名前を最初に使用するなど、世界初の技術を多数盛り込んだ先進的なモデルで、販売当時から高い人気を誇りました。 現在のメルセデス・ベンツのスポーツモデルの源流となった、メルセデス・ベンツ 300SLの魅力に迫ります。 メルセデスSLクラスの源流300SL メルセデス・ベンツのSLクラスは、同社の2シータースポーツカーの最高峰に位置づけられているシリーズ。メルセデス・ベンツは、歴代数々の名車を生み出していますが、初代となる300SLは、1950年代の登場にも関わらず今でも絶大な人気と存在感を放つ車種です。 名門レースでの活躍が市販化につながる 当初メルセデス・ベンツ300SLの市販化は予定されておらず、プロトタイプレーシングカーとして開発されました。 多くのレースで結果を残しますが、特に「世界一過酷な公道レース」といわれるカレラ・パナメリカーナ・メヒコでの勝利は、アメリカのスポーツカーファンに強い印象を残します。300SLとして市販化が決定したのは、アメリカの輸入車ディーラーによる熱心な説得によるもので、1954年のニューヨーク国際オートショーでデビューしました。 初代モデルは、乗降性が悪く窓の開閉ができないなど、市販車としては不便と言わざるを得ない仕様で、本当に元々市販化する予定ではなかったことがうかがえます。 デザインではなく機能優先のガルウィング 現代でも多くのスーパーカーに採用される跳ね上げ式のドアですが、市販車として搭載したのは300SLが最初。いまでは跳ね上げ式ドアの代名詞とも言える「ガルウィング」という名称も、この300SLで初めて使用されました。 ガルウィングは非日常感のある姿から、どうしても見た目ばかりが注目されがちです。しかし、実際は低い車高と分厚いサイドシルという、構造上どうしても発生してしまう乗降性の悪さを解消するために考え出されました。 エンジンも市販車初採用の技術を搭載 300SLがすごい点は、市販モデルに搭載されたエンジンが、元となったプロトタイプのエンジンよりも高性能なことです。 直列6気筒の3,000ccエンジンは、世界初となる機械式燃料噴射装置を採用したエンジンで、最高出力215psを発生。最高時速は260km/hと、当時の市販車としては世界最速でした。 一方で、世界初の技術には車を維持する上でいくつかの弊害も生みます。機械式燃料噴射装置は整備が難しく、加えて残留ガソリンがシリンダー内部のオイルを洗い流してしまい、約1,600km毎にエンジンオイルの交換が必要でした。 廉価版も存在した300SLその他のバリエーション メルセデス・ベンツだけでなく、世界のスポーツカー史に残る名車である300SL。ここで、市販化前のプロトタイプモデルと、300SLの美しさそのままでヒットモデルとなった廉価版190SLもご紹介しておきましょう。 300SLプロトタイプ(W194) 現在ではメルセデス・ベンツの最高峰スポーツモデルの名称となっている「SL」ですが、当初は超軽量を意味する「Super Leicht」の略語でした。 プロトタイプモデルは、レース投入だけを目的に開発されたこともありかなり軽量。3,000ccエンジン搭載にも関わらず、軽量なアルミ製ボディの採用などにより、車重はわずか870kgでした。 なお、シャーシやボディは新設計ながら、開発期間短縮のためエンジンや足回りは300リムジンから流用され、市販化される際に大きく見直されることとなります。 190SL(R121) 300SLには、市販モデルの300SLと変わらない外見の廉価版モデルがあります。190SLとして販売された廉価版モデルは、300SLと同様の外観を持ちつつ、販売価格が安価だったことで、2万5千台以上を売り上げるヒット車となりました。 ただし、中身については、300SLとは全くの別物。シャーシは別設計で、1,900ccのキャブレターエンジンは110psしか発生しません。一方で、世界初の技術がふんだんに盛り込まれて、メンテナンスが大変だった300SLと比較して、一般ユーザーでも扱いやすかった点が商業的な成功につながりました。 まとめ 今でも高い人気誇るメルセデス・ベンツ 300SLは、高値での取引が続いています。2000年以降、多少の上下はあるものの高騰し続けていて、現在は1億5千万円以上で取引された実績があります。(2021年10月現在) また、新車時の生産台数が全世界で3,000台強しかなかったため、中古車市場で見かけることも稀。中古車の購入を考えている方は、国内の中古車販売店だけではなく、海外まで含めて広くアンテナを張って探す必要があります。 300SLの廉価版となる190SLなら、国内の中古車市場でも購入可能です。大手中古車情報サイトで調べたところ、5台あり、価格は、1,600万円〜2,000万円弱でした。(2021年11月現在)とても廉価版とは言えない金額ですが、300SLの取引価格と市場での希少性を考えると、190SLなら入手するのも不可能ではありません。 [ライター/増田真吾]

トヨタ ハイラックス以外も魅力的!海外で人気の日本製ピックアップトラック
旧車の魅力 2021.12.27

トヨタ ハイラックス以外も魅力的!海外で人気の日本製ピックアップトラック

アメリカの広大な道を走る姿が「サマ」になるピックアップトラック。でも、意外なことに、ピックアップトラックとして高い支持を受けているのは日本車です。一方、日本国内では、現在はほとんど販売されていません。 海外で人気があるのに日本国内で販売されていない不思議な車種、ピックアップトラックについて紹介します。 ピックアップトラックの魅力 広く開放的な荷台と、パワフルな走りのピックアップトラックは、海外で人気の車種です。日本でほとんど目にすることがなくなってしまったため、国産メーカーのピックアップトラックは国内でほとんど認知されていません。しかし、性能の高い日本製ピックアップトラックは海外で大きく支持されています。 ピックアップトラックとは ピックアップトラックとは、別名ボンネットトラックともいい、車室前方にボンネットがあり、車室後部に荷台のある車のことを指します。 ピックアップトラックの特徴は、荷台がオープンなこと。オープンな荷台には、汚れたり濡れたりした荷物でも気にせず積み込めますし、屋根がないため大きな荷物や背の高い荷物積み込むことができ、さまざまなシーンで活躍します。 また、堅牢なラダーフレームや4WD を採用している車種が数多くあるのも特徴の1つ。クロスカントリーSUV車として、オフロードシーンや悪路などで、幅広く活用できます。 国内販売はトヨタ ハイラックスを残すのみ 海外で現在も人気の高いピックアップトラックですが、現在日本国内向けとして販売されているのは、トヨタ ハイラックスのみです。 かつては、国内でもさまざまなメーカーから販売されていました。現在日本で荷台がオープンな形状の自家用車として残っているのは、ほとんどが軽トラックです。 ピックアップトラックの人気が日本で衰退した明確な理由はありませんが、日本の道路事情から、「小型で取り回しのしやすい軽トラックのほうが好まれた」という側面もあるのかもしれません。 国内販売はハイラックスのみですが、実は現在でも複数の国内メーカーが海外向けに新車のピックアップトラックを販売しています。 今でも人気の歴代日本製ピックアップトラック4選 日本製ピックアップトラックが現在も海外で人気の理由は、過去に販売された多くの国産車種が築いてきた信頼によるものです。そこでここからは、過去に販売されたピックアップトラックを紹介します。 初代ハイラックス(1968-1972) ピックアップトラック市場が低迷している日本にあって、現在も唯一販売されているピックアップトラックの代表ともいえるのがトヨタ ハイラックスです。 初代モデルは小型ピックトラックとして販売され、「トヨタ・トラック」の名称で、人気を不動のものにします。当時からすでに、車は1人1台という文化だったアメリカでは、家族で複数台所有は当たり前でした。 広い荷台に気軽に荷物が載せられて、どこでも走れるピックアップトラックは、日本でいう軽自動車、西部開拓時代の「馬」といった感覚だったのかもしれません。 ちなみに、映画「バックトゥザフューチャー」で1985年に主人公のマーティ・マクフライが憧れていた4×4(フォー・バイ・フォー)ピックアップトラックは、4代目のハイラックスです。 Datsun(ダットサン) 620(1972-1979) ハイラックスと並び、アメリカで定番ピックアップトラックとして認知されているのが、日産の小型車向けブランド「ダットサン」です。ダットサントラックの初代の登場は、戦前の1935年。初代登場以来モデルチェンジを繰り返し、1972年の7代目620が北米でヒットします。S30型フェアレディZと並んで、北米でのダットサンブランド定着に一翼を担いました。 ハイラックスほど走破性に優れた設計ではありませんでしたが、それが一般層の需要を掘り起こします。購入者の半数が、「仕事以外の目的で購入した」としている情報もあるほど、一般層に手軽なピックアップトラックとして浸透しました。 初代パスファインダー(1985-1995) 日産 パスファインダーは、本格SUVとして発売されました。走破性に優れたサスペンションと、フェアレディZと同系統のパワフルなVG30系エンジンを搭載。高い性能とスタイリッシュな外観で、一気に人気が高まります。 パスファインダー自体は、ピックアップトラックではありませんが、パスファインダーの元となったのは、「ピックアップ」として発売されたD21型ピックアップトラックです。エンジンこそ、後発のパスファインダーとは異なりますが、デザインは共通で、スタイリッシュなピックアップトラックとして多くの支持を集めました。 初代スズキ サイドキック(1989-1999) スズキ サイドキックは、日本国内でエスクードの名称で販売されていたSUVの北米モデルです。本格クロスカントリー車の機能を備えつつ、省燃費性と高速走行性能という乗用車の機能も持ち、都市型S UVの先駆けともいえる車種。先進的な外観に加えて、堅牢な設計と走行性能の高さから人気を集めました。 サイドキックの堅牢さに対する評価の高さを示すおもしろいデータがあります。2015年のイエメン内戦がはじまる2年前の2013年に、イエメン、オマーンに向けたアメリカからのサイドキックの輸出台数が爆発的に増加したのです。 まとめ 過酷な状況での走行や乱暴に取り扱われることが多く、アメリカを象徴する車の1つであるピックアップトラック。高い耐久性と信頼性が要求される車種で、日本の自動車メーカーが多くの支持を集めています。 一方、日本国内では、需要の低下からほとんどが輸入扱いとしてしか販売されておらず、新車はトヨタ ハイラックス以外の車種は販売されていません。 しかし、ホンダや三菱など、実は多くの国内自動車メーカーが、今もピックアップトラックの新車を発表しています。日本国内で販売されていない日本車として、国内では希少なピックアップトラックを選ぶのもおもしろいかもしれません。 [ライター/増田真吾]

時代を先取りしすぎたSUV!?一度見たら忘れられない いすゞ ビークロスの魅力と中古車市場
旧車の魅力 2021.12.27

時代を先取りしすぎたSUV!?一度見たら忘れられない いすゞ ビークロスの魅力と中古車市場

スタイリッシュなSUVは今でこそ数多く販売されていますが、1997年に登場したいすゞ ビークロスは、時代を先取りした先進的なデザインで大きな話題を呼びました。曲線を多用したうねるような外観と、SUVとしても文句のなしの力強い走破性を併せ持ち、今でも根強い人気があります。 今回は、SUVの歴史のなかでもひときわ異彩を放つビークロスの魅力と、中古車市場について解説していきます。 ほぼコンセプトカーどおりの姿で登場したビークロス いすゞ のスペシャリティカーSUVとして、1997年4月に発売したビークロス。発売のきっかけは、1993年の第30回東京モーターショーに出品したコンセプトカー「VehiCROSS(ヴィークロス)」であり、近未来的なデザインで当時注目を浴びました。 その特徴的な造形が人気を博したことで、いすゞはヴィークロスの市販化を決定。ビークロスと名前を変え、市販車でありながらコンセプトモデルとほぼ変わらない姿で登場しました。さらに車体ベースを4WDのジェミニから、ビッグホーン・ショート型に変更したことで車体サイズは拡大。市販モデルで大型化したビークロスは、コンセプトモデル以上のインパクトを発揮していました。 通常、市販モデルは外観デザインが控えめになることがほとんどですが、ビークロスはほぼコンセプトどおりの姿で登場したことで、いまでも人々の記憶に残るSUVとして、車史にその名を残しています。 先進的すぎるデザインで後方視界に難あり? コンセプトモデルから大型化したビークロスのサイズは、全長4,130mm×全幅1,790mm×全高1,710mm。開発は欧州で行われ、デザインは当時いすゞのデザイナーだった中村史郎氏と、のちにインフィニティのロンドンスタジオのトップに就任するサイモン・コックス氏が担当していました。 ビークロスのテーマは「ワイルド&フレンドリー」であり、力強い走破性を持ちながらも、デザインは先進的で、どこか愛らしい雰囲気が取り入れられています。丸くねじれたようなフォルム、ボディ下半分を覆う樹脂パネル、スペアタイヤを内側に内蔵したバックドアなど、目につく全てが斬新なスタイリングです。 しかし、デザインを優先させたことで室内からの後方視界は悪化。それを解消するため、ビークロスはバックアイカメラを標準装備し、これは乗用自動車としては初の試みでもありました。         見掛け倒しじゃない確かな走破性能 ビークロスは最高出力215ps、最大トルク29.0kgf・m/3,000rpmを発生するビッグホーンと同型の3.2リッターV6エンジンを搭載。いすゞのSUVとしては珍しく、ディーゼルエンジンの設定がなくガソリンエンジンのみとなっていました。 駆動は前後輪のトルク配分制御システムを搭載したパートタイム4WDを採用しており、エンジンの力強さも合わせて、十分な悪路走破性を与えられています。 足回りはフロントにダブルウィッシュボーン、リアが4リンク式コイルサスペンションを採用し、ショックアブソーバーはラリー用にチューンされたものを使用しているため、オンオフ問わず安定した走行性を発揮します。 中古車在庫は少なく、すでに希少車の域に そんなビークロスですが、日本国内での中古車市場はどうなっているのでしょうか。原稿執筆時の2021年11月時点で、ビークロスの市場価格を大手中古車サイトで調べてみました。 中古車サイトでのビークロスの在庫台数はわずか3台と少なく、希少性の高い車だということがうかがえます。車体価格は安いもので、1997年式109,000km走行の個体が148万円。最高値では1998年式79,000km走行で218万円。ビークロスの市場価値は新車価格の295万円(ベースグレード)に達するほどではありませんが、中古車としては比較的高プライスの部類に入ります。 また1997年~2001年の販売期間中、約1800台しか流通していないということもあり、ビークロスの希少価値を高めているのもしれません。 まとめ コンセプトモデルからほとんど姿が変わらないという、まさかの状態で販売されたビークロス。 未来感あふれた斬新な姿は多くの人に驚かれた一方、その奇抜さは当時のクロカンファンにヒットし、今でも根強い人気を持っています。そんなビークロスも現在は台数が減っており、中古車の価格もそれなりの値段になっているのが現状です。 悪路走破性が高く、人とは違ったSUVが欲しいという方にはビークロスは非常におすすめですが、今や希少車となっているこの現状なので、購入を考えているならば早めの行動が重要になってくるでしょう。 [ライター/増田真吾]

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