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2022年に初代誕生から生誕50周年を迎えた、ホンダ車のなかでもっとも長い歴史をもつクルマであるシビック。初代の大ヒットを受けて登場した2代目シビックの派生車種が、ホンダ初のステーションワゴン、シビックカントリーです。 木目パネルが印象的なアメリカンテイストに仕上げられたシビックカントリーですが、その魅力は外観だけではありません。1980年の販売開始から、わずか3年間のみ製造された隠れた名車・シビックカントリーの全貌に迫ります。 時代背景を味方につけたシビック 高度経済成長を受けて一般庶民の多くが自家用車を手にするようになるなか、経済性と性能のバランスを追求して開発された初代シビックは成功をおさめます。また、基本フォルムを踏襲しつつ、ユーザーニーズに合わせた豊富なボディタイプが用意されていたこともシビックがヒットした要因の一つです。 続いて投入された2代目シビックでも、3ドアハッチバックを基本としつつ多くの派生車種が開発されました。なかでも「シビックカントリー」はホンダ初のステーションワゴンとしてシビック派生車種のなかでも特に異彩を放っています。 初代から正当進化を遂げた2代目シビック クルマとしての基本性能、居住性、さらには経済性をコンセプトに、バランスを重視して開発された初代シビック。コンパクトながら前後のオーバーハングをギリギリまで詰めたロングホイール化したことによる“台形”のようなフォルムは、当時の日本では斬新でした。また、発売翌年に搭載されたCVCCエンジンによって、世界一厳しいと言われたアメリカの排ガス規制、通称“マスキー法”を世界で初めてクリアしたこともあり、初代シビックは世界的な大ヒットを記録します。 初代の成功を受けて、1979年に投入されたのが2代目シビックです。当初、3ドアハッチバックのみが販売され「スーパーシビック」の愛称で知られる2代目は、初代の成功につながった台形プロポーションを受け継ぎつつ、ホイールベース、全長、全福のすべてでサイズアップされました。さらに、インパネの速度計と回転計を同軸に配置した「集中ターゲットメーター」や「ロータリー式オートラジオ」など新たな装備を採用したことでも注目を集めます。 アウトドアレジャーブームにホンダ シビックも呼応 1970年代後半には、日本国民の生活水準の向上とともにアウトドアレジャーブームが起きました。ちょうど2代目シビックの開発を進めていたホンダは、シビックの派生車種でアウトドアレジャーに対応することを決定し、ホンダ初のステーションワゴン「シビックカントリー」が誕生しました。 シビックカントリーは、2代目シビックの発売から1年後の1980年に登場。 商用のシビック・バンをベース車として開発されましたが、乗用にふさわしく内外装や走行性能、装着タイヤにいたるまで徹底的に再調整が施されました。アウトドアユースで、長距離移動をしても快適に過ごせるクルマに仕上がっています。 コンセプトを忠実に踏襲したシビックカントリー ただコンパクトで経済性が高いだけではなく、上質な内外装や高い走行性能をバランスよく実現したクルマだったことがシビック成功の理由です。シビックカントリーも、シビック本来のコンセプトを忠実に守って開発されています。 ここからは、高い走行性能や個性的な外装、機能性にこだわった内装とホンダのこだわりが随所にちりばめられたシビックカントリーの全貌を紹介します。 2代目シビックならではの高い走行性能 エンジンには、ベースであるシビック・バンには設定されていなかったEM型1.5L直列4気筒横置OHCエンジンを採用。最高出力80ps、トルク12.3kg・mを発生し、ストレスのない加速性能を発揮します。また、燃費性能も高く、5速MTモデルでは24km/L(60km/h定地走行時)を実現していた点も長距離ドライブの多いアウトドアユースにマッチしていました。 エンジン性能以外にも、ラック&ピニオン式ステアリングによって、スムーズなステアリングフィールを実現。エンジンパワーをいかした軽快な走りを楽しめました。 アメリカンテイストに仕上げられたエクステリア シビックカントリーの最大の魅力ともいえるのが、レジャーを強く意識した遊び心あふれるエクステリアです。 まず目を惹くのが、サイドとテールゲートに施された木目パネルと、サイドプロテクションモールです。さらに、前後の大型バンパーによって“カントリー”の名にふさわしいアメリカンテイストに仕上がっています。 アウトドアユースでの使い勝手を高めたインテリア アウトドアレジャーでの快適性や利便性を追求したインテリアも、シビックカントリーが注目を集めた理由の一つです。当時の実用車にありがちだった鉄板むき出しのインテリアではなく、フルトリム化されているうえ色味もトータルコーディネート。また、長さ1,720×幅1,290mmと広大な室内空間はクラストップレベルでした。 実用面でも、アウトドアを意識した装備となっています。4段階の角度調整のできる後席には、フルフラットにできる機構も組み込まれていて広いラゲッジスペースを確保できるようになっていました。また、運転席のボタン操作でテールゲートのロックを解除できる電磁式オープナーは、ユーザーの利便性を高める装備でした。 入手困難でも探す価値のあるシビックカントリー 新車販売当時、シビックカントリーは爆発的な人気があったとはいえないものの、高い走行性能とアウトドアレジャーのための快適性を兼ね備えていたことから常に一定の評価を得ていました。製造期間がわずか3年間で、販売終了からすでに40年が経過する旧車のため、現在中古車市場で見つけるのは至難の業です。 過去に販売した実績のある中古車販売会社へ問い合わせたところ、135万円で販売したとの回答がありました。また、旧車王でも100万円での買い取り実績があることから、今でも魅力的なクルマであることは間違いありません。 隠れた名車シビックカントリーを手に入れたい方は、旧車を取り扱う中古車業者にアンテナを張って根気強く探してみてください。 ※価格や経過年数は2023年2月記事執筆時のもの
内燃機関である自動車のエンジンには、燃焼を行なうために燃料と空気をミックスして送り込む装置、または構造が不可欠です。 今ではほぼすべてが“インジェクション方式”となっていますが、それ以前では“キャブレター”という気化器がその役を担っていました。 その中でも、元々はレース用として開発された高性能な“スポーツキャブレター”という存在が、旧車の魅力を最大限味わいたいと思っているオーナーにとってはかなり大きいものなのです。 前編では、キャブレターにあまり触れたことが無いという人に向けて、具体的にどんな点に魅力を感じるのかをお伝えしました。 今回の後編では、もう少し具体的にキャブレターについて知ってもらいたいということで、キャブレターの起源から、主なキャブレターの種類、そして今現在入手できる旧車用の“スポーツキャブレター”についてを解説していこうと思います。 ■キャブレターの起源も知っておきたい ▲写真は1960年代のダットサンのキャブレター キャブレターは日本では「気化器」と記されますが、そもそもの「Carburetor」という言葉は炭素の「Carbon」に由来するようです。 直接の語源はフランス語で気化燃料(炭化水素を含む)のことを指す「Carburant」だと言われています。 気化燃料を供給する装置という意味合いで、機能がそのまま命名となっています。 キャブレターの起源を辿っていくと1860年にまで遡り、世界初の実用“火花点火機関(内燃機関)”である「ルノアール・エンジン」という説に行き当たります。 今の内燃機関のルーツといえる「ルノアール・エンジン」には、今のベルヌーイの定理で作動するものとは違った方式の「サーフェス・キャブレター」という気化器が使われていたようです。 作動原理を簡単に説明すると、まず燃料が半分ほど満たされた容器があります。 燃料と空気が細かい穴が空いた網状のプレートで仕切られていて、その穴から蒸発する気化燃料と空気を混合させてエンジンに送るというものです。 ただし、自然蒸発を待っているだけでは気温が低い時期には加速に使えるほどの気化が得られないので、排気ガスを導くパイプが横切らせてあり、その熱を使うような工夫が凝らされていたようです。 まさに“気化器”ですね。 ちなみにこの「サーフェス・キャブレター」の起源はもっと古いという説もあります。 今のインジェクションの技術から見れば極めて牧歌的なキャブですが、これが実用化されていた1860年代は、日本ではまだ江戸時代ですから、相当後れを取っていましたね。 その後、ベンツ社の創始者「カール・ベンツ」によって、今のキャブの原型である“ベンチュリー構造”を持つ“気化器※”が開発され、急速に機能の進化が進みました。 ※“気化器”と言うより“霧化器”と呼んだ方がしっくり来ます。 ■旧車に装着されるほとんどの“スポーツキャブレター”は“ホリゾンタル”&“2バレル”タイプな理由 旧車のエンジンに後付けで装着される高性能な“スポーツキャブレター”は、ほとんどが双眼鏡のような2つの筒が水平にレイアウトされた構造をしています。 これは、旧車に搭載されていたエンジンのほとんどが直立の4サイクルエンジンだったためです。 シリンダーが垂直にレイアウトされた直立エンジンでは、吸排気がシリンダーヘッドの側面で行なわれます。 吸気に使われるキャブレターはシリンダーヘッドの側面に装着されることがほとんどなので、必然的に水平タイプのキャブレターが多くなりました。 また、自動車のエンジンでは特殊な例を除いて4気筒か6気筒が基本のため、整備性や装着のシンプル化を図る目的で2つの筒をひとつのフロート室で繋げた“2バレル”タイプがスタンダードとなりました。 1つ1つ個別になっていると、部品点数が増え、同調作業や脱着の手間がバカにならないためです。 ちなみに「ウェーバー」や「ソレックス」などのメジャーな“2バレル”タイプのキャブレターは、バレル間のピッチ(距離)が90mmに、インテークマニホールド(以下インマニ)との固定ボルトの位置関係も統一されているので、ほとんどのメーカーのキャブは付け替えることができます※。 ※口径が違っても装着はできますが、インマニとの口径の違いで本来の性能が発揮出来ないこともあります。 ■“キャブ・セッティング”とは何をする作業? エンジンが元気にパワーを発揮するためには、適切な“燃調”が欠かせません。 “燃調”というのは、エンジンの燃焼が最も効率よくなる“混合比(空燃比)”になるように、空気と燃料の割合を調整することです。 “理想混合比”という言葉を聞いたことがある人もいるでしょう。 具体的な数値は、燃料が1に対して空気が14の割合になる混合比のことです。 この割合の混合気で燃焼すると、燃え残りが少ない完全な燃焼が行なえるという、理論上の最適値です。 「じゃあ最初からこの混合比になるように工場出荷時に調整すれば良いのでは?」と思った人もいるかもしれません。 しかしクルマのエンジンは、加速するときと巡航するときでは、求められる混合比が変わるんです。 ついでに言うと、始動時に最適な混合比もまたそれらとは異なります。 そして当然ながら、エンジンの吸気の勢いは回転数が低いと弱く、高いと強くなります。 スポーツキャブレターを装着する目的はパワーの向上なので、パワーを出すのに適した、できるだけ大きな口径のキャブが必要です。 しかし口径が大きくなると、低回転域で弱くなる吸気の勢いでは、うまく燃料が吸い出せないという問題が出てきます。 それを解消するために、低回転域と高回転域で燃料の吸い出し経路を分けて、それぞれの守備範囲で最適の仕事をさせるようにと工夫が凝らされているのが、今のスポーツキャブレターです。 そうして今のキャブでは、低回転域=スロー系、中・高回転域=メイン系と分かれた経路それぞれに、エンジンの特性に合わせて混合比の調整が必要になりますし、加速の際にはより濃い混合気が求められるので、専用の系統が用意されていて、それも調整が必要です。 そして、何よりも重要なその混合比調整の基本となる状態を整えるための、“フロート調整”や“同調”などのセッティングも欠かせません。 エンジンの燃焼具合を見ながら、最もアクセル操作に最適な反応が得られる状態に整えるのが「キャブレターのセッティング」というわけです。 ■旧車に使われる主なキャブを紹介 ノーマル車輌に装着されている純正キャブレターに換えて装着されるスポーツキャブレターにも、いろいろな種類があります。 その多くはヨーロッパのメーカーが開発したもので、“ホリゾンタル&ツインバレル”タイプを最初にリリースしたのは、イタリアの「ウェーバー」といわれています。 ここからは、日本で手に入る“ホリゾンタル&ツインバレル”タイプの主なキャブレターを紹介していきましょう。 ●SOLEX(ソレックス) 旧車に最も使用率が高いのがこの「ソレックス」です。 元々は1900年代初頭に設立されたフランスのラジエター製造メーカーで、のちに高級車やスポーツカー用としてヨーロッパのメーカーにキャブレターの供給を始めます。 日本では1960年に「ミクニ」がライセンス生産を始めて、「トヨタ」や「日産」、「いすゞ」などの量産高性能エンジン向けにキャブレターを供給していました。 1970年代には国産車のレースも盛んになり、ミクニによるキャブの販売やサポート体制の充実によって、日本のスポーツキャブレターの代名詞となるほどに復旧しました。 「ソレ・タコ・デュアル」という日産のL型チューニングの定番メニューとしても流行しました。 <SOLEXキャブの特徴> いちばんの特徴は「扱いやすい」という点です。 「ウェーバー」よりも後発ということで、開発のアドバンテージがあったことと、日本では「ミクニ」によってきめ細かくセッティングの調整機構が整えられたことがその要因かと思われます。 あとは外観がスマートでカッコイイという点もユーザーとしては大事なポイントでしょう。 希少な2型と呼ばれる国内の初期モデルは最もフロート室が小さく、この外観が好きだという人も少なくないでしょう。 また、「ミクニ」の2輪用キャブレターとジェット類が共用されているものがあるため、入手しやすいという点もメリットです。 ●WEBER(ウェーバー) 4輪用の“ツイン&ホリゾンタル”タイプのキャブレターを最初にリリースしたのがイタリアの「ウェーバー社」です。 1889年の創立時からキャブレターを製造し、各メーカーに供給。 イタリアメーカーのレース用キャブレターを開発した際は、そのマシン達の活躍もあって一躍有名になりました。 ヨーロッパのレース車輌やスポーツカーのキャブレターのシェアはかなり大きく、評判も定着していたため、後発の「ソレックス」は太刀打ちできなかったようです。 当初はイタリアで製造をしていましたが、経営の問題でスペインに製造拠点を移し、今でも生産が行なわれています。 <WEBERキャブの特徴> 長らくレースで使用され続け、様々なレース・コンストラクターのわがままな要望に応えてきた結果、相当に細かいレベルまでセッティングが追い込めるというのが特色です。 その分、豊富すぎるセッティングパーツから適したものを選ぶのに一定のスキルは要りますが、マニアな人にエンジンルームを見られた際に、「お、ウェーバーですかー」と一目置かれることもある存在です。 良い意味でおおざっぱで扱いやすさが特色の「ソレックス」とは、ある意味対極にあるといえる玄人好みの傾向のキャブレターですね。 ジェットの供給などは「ソレックス」には劣るとはいえ、いろんなインポーターが日本に仕入れているので、パーツの入手で困るということは無いでしょう。 一部の口径を除き、今でも新品が入手できるという点もメリットです。 ●OER(オーイーアール) 国産で唯一の4輪用スポーツキャブレター製造メーカーが「OER」です。 前身の「エスケーエンジニアリング」は1966年に創業し、自動車エンジンの燃焼促進装置などを製造していました。 その後、「ミクニ・ソレックス」をスポーツ車に装着できるキットの販売を始め、「ソレックス」の代理店としても活動します。 アフターマーケット用にボルトオン・ターボを発売してヒットしましたが、組み合わせる「ソレックス・キャブレター」はターボの過給に合わず、独自でキャブレターの開発を進めることになります。 1986年に「OER・キャブレター」を発売開始。 今に至ります。 <OERキャブの特徴> 最後発の“ツインバレル・ホリゾンタル”タイプのキャブレターということで、「ウェーバー」のボディ構造を基本にして、「ソレックス」の扱いやすさを加え、さらに独自の工夫を盛り込んで完成させたものなので、それぞれの良さをひとつにまとめた総合性能の高さが特徴です。 あとは“純・国産”という製造のため、信頼性が高いことも利点のひとつでしょう。 もちろんアフターサービスもレスポンス良く受けてくれます。 定番の安心感がないという点と、「ソレックス」や「ウェーバー」の良さを取り込んだとはいえ、セッティングのクセは共有できないので、セッティングの際に有用なアドバイスがもらえないなどの点で敬遠する人もいるようです。 しかし、ターボ車への装着ではいちばん安心度が高いですし、実際に過酷なレースに使用して不安は無いという声も聞きますので、何割かは食わず嫌いなのではないかという見方もあります。 ●DEROLT(デロルト) ヨーロッパでは最後発の“ツインバレル・ホリゾンタル”タイプのキャブレーターブランドです。 メーカーの「Dell'Orto」自体は1933年創業の老舗自動車部品メーカーですが、自動車用の“ツインバレル・ホリゾンタル”タイプの製造は1960年代からと、「ウェーバー」「ソレックス」よりもだいぶ後のリリースになります。 イタリア内の「フィアット」、「アルファロメオ」の純正キャブとして採用され、さらに「ロータス・エスプリ」にも採用されています。 <DEROLTキャブの特徴> 後発の強みを活かして「ウェーバー」「ソレックス」の良い部分を取り込んでより良い性能、扱いやすさを目指した結果が各部に見られます。 中心となる霧化&ミクスチャー部分は「ウェーバー」に似た構造と形状でまとめられ、全体の構成は「ソレックス」を思わせる部分があります。 日本国内にはあまり入ってきていないようで、国産旧車への後付けのキャブとして装着例もあまり無く、中古市場でも流通量が少ないレアな扱いとなっています。 使ってみれば後発ゆえの扱いやすさは実感できるようなのですが、セッティングパーツや消耗品の入手もカンタンではないので、一般ユーザーには少しハードルが高いようです。 また、上記の「ロータス・エスプリ」では純正でターボとの組み合わせとなっているので、ターボ用としても有用なキャブです。 ●SU(エスユー) 正式名称は「スキャナーズ・ユニオン」で、戦前からバイク用キャブの製造を行なっていました。 日本では日立がライセンス生産し、フェアレディZ(S30型)やスカイライン(GC10&GC110型)など、1970年代の日産車のスポーツモデルなどに採用されています。 <SUキャブの特徴> バレルの真ん中に可動式のピストンバルブがあり、その上下で通路を開け閉めすることで、空気の通過量と燃料の吸い出し調整を行なう方式のキャブです。 その構造から“可変ベンチュリー”タイプと呼ばれます。 そしてそのピストンバルブの上げ下げを、エンジンの吸う力=負圧を利用する“負圧作動式”となっています。 エンジンの吸う力に応じた混合気を自動で調整してくれるので、アクセルワークがイージーなのが特徴です。 国内に流通している個体数は少なく、ほとんどは純正装着品なのでセッティング変更が困難ですが、ハーレー向けの交換キットなどもありますので、それを活用する方法もあるでしょう。 ●FCR(エフシーアール)ほかバイク用キャブ 今現在、旧車に装着できるキャブとしては最も設計が新しく、高性能と言えるのが、バイク用として発売されているキャブレターです。 「ケーヒン」の「FCR」と「ミクニ」の「TMR」&「HSR」が旧車に装着できる主な機種です。 <バイク用キャブの特徴> 「FCR」も「TMR」も「HSR」も基本的な構造は共通で、“フラットバルブ”タイプの“強制開閉式”の“可変ベンチュリー”方式を採用しています。 特に「FCR」と「TMR」の2機種は“レース専用品”としてそれぞれのメーカーの最高の技術が投入されていて、常用9000回転オーバーの超ハイレスポンスエンジンの要求に応える性能を持っています。 スポーツキャブレターの性能は“霧化性能”と“レスポンス”が重要となります。 仕組みを簡単に説明すると、平べったいバルブを用いて急峻な負圧発生を起こすことで、その性能の両立を図っているんです。 現在も販売されているものなので、パーツの入手が容易な点も導入しやすいポイントです。 その一方で、装着するには気筒数だけ個体を用意する必要があり、かつそれらをひとつのアクセルペダルで同時操作できるようにするリンケージを用意しなくてはならないので、その面では導入のハードルが高いといえます。 加えて、口径が41パイまでしか無いため、大きな排気量のハイチューン・エンジンには向きません。 ■あとがき どうでしょう、自身の旧車に「“スポーツキャブレター”を装着してみようかな」と思ってもらえたなら、この記事を書いた甲斐があるというものです。 しかし現状は中古価格も高騰してしまっていて、新品も円安によって入手するコストが上がってしまっていますので、気軽に試してみるのが困難な状況となっています。 ただ、それでも“スポーツキャブレター”を導入すれば、それまでの小口径な純正キャブでの走りとはひと味もふた味も違う爽快な加速と、唯一無二の吸気サウンドを手に入れることができますので、けっして後悔はしないと思います。 注意して欲しいのは、中古の購入で粗悪品をつかまないようにすることと、装着とセッティングを信頼の置ける専門店に依頼することです。 費用に余裕があるなら、購入もお任せしてしまった方が安心でしょう。 自己流ですべてを行なって、結果的にしょっちゅうトラブルシューティングに追われるようなことになってしまうと、キャブに対してマイナスな印象を抱いてしまいかねません。 せっかくキャブレターというチューニングを導入するのですから、気持ちの良い部分だけを味わえるように、面倒な部分はプロに任せるというのがオススメです。 乗って、扱っているうちにキャブに慣れれば、自分自身で整備や調整ができるようになりますので、末長く付き合いができるという部分も推すポイントです。 興味が涌いた人は、思い切って導入してみていただきたいです。 [ライター・カメラ / 往 機人]
縦型に配置されたヘッドライトと、中央で存在感を放つフロントグリル。1960年代を中心に販売された縦目のベンツ、通称“タテベン”は、今見てもエレガントさを感じさせるクルマです。 特に人気の高いモデルはW111ですが、“タテベン”は1モデルだけではありません。そこで今回は、1960年代を席巻した縦目のベンツの歴史を振り返ってみます。 1960年代ベンツの象徴だった縦目 現在のベンツも個性的なフロントマスクではありますが、ヘッドライトを縦型に配したデザインはひと目でそれとわかる個性を放っていました。 “タテベン”が生まれた時代背景を振り返ってみましょう。 実用品から嗜好品に変わっていった時代 縦目のベンツが登場したのは、1950年代の終わり。第二次世界大戦を乗り越え、人々の暮らしが向上しつつあった時代の流れに呼応するように生まれました。実用性重視だったそれまでとは異なり、車にデザイン性や高級感をより求めるようになっていきます。 実際、縦目のベンツとして1959年に登場したW111/W112は、特徴的な縦に並んだヘッドライト以外にも、フィンテールと呼ばれるアメリカ車キャデラックに影響を受けた華飾が施されていました。機能性や実用性だけでなく、見た目も車の評価軸に加わり始めていたということです。 後に生まれた“タテベン”“ハネベン”というこの時代のベンツを表す愛称が生まれたことからも、見た目のインパクトが強かった車だったということがわかります。 個性的なのにエレガントさを感じさせる 当時の自動車デザインからすると、縦型のヘッドライトはかなり個性的な部類でした。しかし、縦目ベンツは、今の車にはないゆとりと独特のエレガントさを感じさせます。しかも、メルセデス・ベンツは、同様の意匠を複数のモデルで展開しました。つまり、メルセデス・ベンツの「顔」として、個性的な縦目を定着させようといった意図があったのでしょう。 エレガントさを備えた独特の存在感は、現在のベンツのブランドイメージそのものです。デザインこそ全く異なりますが、今のベンツの方向性と地位を確立したモデルが縦目ベンツといっても過言ではありません。 フィンテール以外にも縦目ベンツは魅力のある車種 縦目のベンツというと、代表的なのは優雅なフィンテールをまとった“ハネベン”と呼ばれるW111/W112です。しかし、“タテベン”には、ほかにも多くの名車があります。 1960年代のメルセデス・ベンツを象徴する縦目モデルをみていきましょう。 縦目ベンツを象徴するW111/W112(1959-1971) 独特のフィンテールと一緒に語られることの多い縦目ベンツといえば、やはりW111/W112です。最初に登場したモデルだけあって、“ハネベン”の愛称で呼ばれるほど多くの人から今も愛されています。しかし、実は“ハネベン”は、W111/W112のセダンのみです。 W111には、250SE、280SE 3.5といったクーペモデルも存在していました。クーペモデルのボディラインは1957年にスケッチが起こされ、その後縦目の最終モデルまで踏襲されます。 また、W111が登場した1959年は、自動差産業が隆盛し大量生産される1960年代の突入直前という時期でした。実際、W111は最後のハンドビルドモデルといわれています。 2シーターモデルの方向性を決定づけたW113 W113は、縦目のクーペ、カブリオレモデルとして1963年に登場しました。性能は高いものの扱いにくい初代300SLと、スポーティさにややかける190SLの中間ともいえるバランスのよさが魅力です。中央部がわずかに凹んだ、パゴダルーフと呼ばれるデザイン性の高さにも多くの注目が集まりました。 W113は、230SL、250SL、280SLと進化を続けながら、その後のメルセデス・ベンツの2シーターモデルの方向性を決定づけました。サルーンよりは高い運動性能を備えつつも、上質なインテリアと運転のしやすさは現代の「SL」にも通じます。 Sクラスの前身になったW108/W109 W108/W109は、W111/W112に変わるフラッグシップモデルとして、1965年に登場しました。最大の変更点は、象徴的だったフィンテールが排除されたことです。縦目のフロントマスクは踏襲しつつも、より現代的なデザインに仕上がりました。 フラッグシップモデルにふさわしい、運動性能と乗り心地もW108の特徴です。見切りが良いボディラインと小回りが利くステアリングによって思いのほか運転しやすく、ボディサイズの大きさを感じさせません。また、リアサスペンションは古典的なスイングアクスルだったものの、驚くほど乗り心地は快適でした。 次世代ベンツへの橋渡し役W114/W115 1968年、最後の縦目ベンツであるW114/W115が登場します。W114/W115は排出ガス規制への対応など、市場の特性に合わせて細かく調整されました。結果的に1976年の販売終了までに、実に180万台も生産されました。 最も進化したポイントは、新開発されたシャシーです。縦目デザインを踏襲しつつも、クラッシャブルゾーンやステアリングコラムを設けるなどより現代的な設計に進化しました。 W113は1,000万円近い評価をされることもある メルセデス・ベンツの古き良き時代を象徴しつつ、現代のラインナップの源流にもなった縦目ベンツ。通称“タテベン”とも呼ばれ、現在でも多くのファンから愛されている車種です。 一方で、縦目だからといって、全モデルの評価が極端に高いわけではありません。なかにはリーズナブルな価格で取引されているモデルも存在します。 ただし、W111のクーペモデルやW113のオープンモデルなど、“タテベン”の一部の車種では高値がつく場合があります。特にW113は、1,000万円近い価格で買取されることも少なくありません。 縦目のベンツが販売されていたのは1960年代です。60年以上も前の車種だけに、売却する際は旧車の知識が豊富な専門業者への依頼をおすすめします。
高級サルーンを思わせるラグジュアリーな内装と、クロスカントリー車がベースとは思えない洗練された外装を備えたトヨタ ランドクルーザー シグナス。人気の高い100系ランドクルーザーに設定されたグレードの1つでありながら、海外ではレクサスでも販売されるなど、もはや別車種とも思えるほどの存在感を放つモデルです。 今回は、通常モデルの100系ランドクルーザーとの違いも含めて、ランドクルーザー シグナスの魅力を詳しく紹介します。 シグナスは高級感漂う専用装備が満載 ランドクルーザー シグナスと100系ランドクルーザーは、外観の印象から全く異なります。同一車種ながら、開発コンセプトが根本的に違う点が大きな要因です。 数々の専用装備によって高級感溢れる仕様に仕上げられたシグナスの魅力を、100系ランドクルーザーとも比較しながらみていきましょう。 100系ランクルとは一線を画すエクステリア ランドクルーザー シグナスの外観では、フロントセクションの違いが真っ先に目を惹きます。フロントバンパーはシグナス専用にデザインされ、グリル形状も100系オリジナルとは別物です。さらに、ヘッドライトやフォグランプに至るまで、全てがシグナスのために開発されています。 さらに、クロスカントリー車としての象徴でもある背面のタイヤですが、シグナスでは排除されています。「トップ・オブ・SUV」を掲げて開発されただけに、主戦場はオフロードではなく市街地というコンセプトを明確にする意図があったのかもしれません。なお、背面のタイヤをなくすスタイルは、100系ランクルの定番カスタムです。 また、後期モデルではホイールサイズが16インチから18インチへと一気に2インチサイズアップが図られました。また、ATも4速から5速に変更され、スタイルと乗り心地を求めるシティ派のSUVという性格をより強めています。 高級サルーンのようなラグジュアリー感 インテリアでは、標準装備されている本革シートの質感だけでも100系ランドクルーザーとの違いがわかります。ダブルステッチで縫い上げられた柔らかく艶のあるレザーシートは、100系の本革シートとクオリティに圧倒的な差がありました。また、ステアリングやシートノブといった車内の至るところに本木目パネルが配され、さらなる高級感を演出しています。 装備面でも、1990年代のクルマながら専用開発されたメモリー機能付きパワーシートを搭載。後期モデルで追加された先進の盗難防止システムも、より高級車としての性格を強めています。エンジンイモビライザーシステムや、正規のキー以外の解錠で警報を発するオートアラーム機能を追加しました。 海外ではレクサスブランドで販売 ランドクルーザー シグナスは、海外ではレクサス LX470として販売されていました。トヨタの最高級ブランドである、レクサスの名にふさわしいクルマを目指して開発されたということです。 国内では100系ランドクルーザーのグレードの1つですが、実質的にはレクサス車という見方もできます。実際、欧州の高級車にも引けを取らない内外装は、まさにレクサスそのものです。 中古車市場でも異彩を放つランドクルーザー シグナス ランドクルーザー シグナスは、中古車市場でも特別な存在です。100系ランドクルーザーの1グレードでありながら、全く別車種のような評価を受けています。 シグナスがいかに特別な存在かを、改めて確認していきましょう。 100系ランドクルーザーの1グレードとして登場 ランドクルーザー シグナスは100系ランドクルーザーと多くの点で異なりますが、あくまでもグレードの1つです。1998年1月にフルモデルチェンジをした100系ランドクルーザーに、上級グレードとして同年の12月に投入されました。 しかし、「シグナス」という名称からは、グレードの枠を超えたモデルだったことがわかります。ほかのグレード名は「VX」や「VXリミテッド Gセレクション」といった、いわゆるグレード名らしい名称でした。独立した車名にも思える名を与えられたのは、それだけ「シグナス」が特別なクルマだったからということでしょう。また、ほかの100系ランドクルーザーとシグナスは、カタログも分けられていたようです。 ガソリン車でもシグナスは特別 モデル全般が人気の100系ランドクルーザーですが、ガソリンエンジン車よりもディーゼルエンジン車のほうがより多くの支持を集めています。高い走破性が特徴の車種だけに、耐久性やトルクを求めるユーザーが多いためでしょう。しかし、シグナスに関しては例外のようです。 シグナスにはガソリンエンジン車しかありませんが、特別なモデルとして高く評価されています。また、100系ランドクルーザーのなかでは評価の低いガソリンエンジンですが、スペックは決して他車種に劣っているわけではありません。最高出力235ps、最大トルク43.0kgf・mを発揮する4.7LのV8エンジンは、市街地はもちろんのことオフロードでも十分通用します。 500万円もの買取価格がつくこともある 買取価格の高さからも、シグナスの特別感がうかがえます。年式にもよりますが、シグナスの新車価格は高いモデルでも500万円台後半です。しかし、旧車王では、2023年11月に2006年式のシグナスを約500万円もの価格で買取りました。 走行距離が5,500kmと年式からするとかなり短かったこともありますが、新車登録から17年も経過しているにも関わらず、新車価格に近い金額がつくことこそがシグナスの価値の高さを示しています。 特別感のあるシグナスは価値が落ちにくい 海外ではレクサスブランドで販売されるほど、ランドクルーザー シグナスは100系ランドクルーザーのなかでも特別な存在です。世界最高峰のSUVを目指して開発されたシグナスは、ランドクルーザー本来の高い走破性と豪華さを兼ね備えています。 道具としての車は、年数が経過するほど性能の劣化とともに一般的には価値が落ちていきます。しかし、シグナスのように道具以上の魅力のあるクルマは、古くなっても輝きを失いません。中古車相場は複雑な要因で動くため一概にはいえませんが、シグナスは今後も一定の価値を保ち続けることが予想されます。
軽い車体に有り余るパワーのターボエンジンが搭載されていて、胸のすく加速を味わえるトヨタ EP82 スターレット。1980年代の終わりに登場したコンパクトカーですが、格上の1.6Lクラスと肩を並べる、世代を代表するホットハッチとして現在でも高い人気を集めています。 高性能とは無縁の大衆向け自動車をルーツにもつ意外な側面も含めて、EP82 スターレットの全てを徹底的に紹介します。 軽量コンパクトでも戦闘力は高かったEP82 スターレット 高い走行性能が魅力のEP82 スターレットですが、スポーツカーというわけではなく本来のコンセプトは大衆向けのコンパクトカーです。実際、価格面だけをみると若者でも購入しやすい設定になっていて、大衆車であることがよくわかります。 EP82 スターレットは、そもそもどんなクルマで、なぜ人気モデルになったのかを振り返ってみましょう。 スターレットは名車パブリカが源流 初代スターレットは、2代目パブリカの派生モデルとして1973年に登場しました。パブリカは、トヨタ初の大衆車として歴史に残る名車です。スターレットが大衆向けコンパクトカーとしての地位を確立した背景には、パブリカの存在があったといっても過言ではありません。 1989年に4代目スターレットとして登場したのが、EP82型です。安価なエントリーモデルから走りを楽しめるスポーツモデルまで、バブル景気を背景に豊富なラインナップが用意されました。 EP82 スターレットの人気につながったターボモデル「GT」 EP82 スターレットを象徴するモデルとして知られているのは、ターボエンジンを搭載した「GT」です。4バルブハイメカツインカムのDOHCエンジンにターボ搭載という、排気量以外は本格的なスポーツカーにも引けを取らないスペックを誇りました。 しかも、新車価格はわずか124万円からという当時としても破格の価格設定。高い運動性能を考えると、かなりコスパのよいモデルだったといえます。コンパクトカーという車格のため内装は決して豪華とはいえないものの、布張りのドアパネルやサイドサポートのあるスポーティなシートなど一定の水準を保っていました。 下位モデル「ソレイユ」も人気 EP82 スターレットといえばターボ搭載の「GT」ですが、実は下位のノンターボモデルも十分に高いポテンシャルを秘めていました。61万円からという販売価格ながら、最高出力100psを発揮するハイメカツインカムのDOHCエンジンを搭載していました。 また、サスペンションやタイヤをスポーティなものに交換すれば、手軽に運動性能を高められる点もソレイユの魅力です。車重がGTよりも100kg以上軽いわずか710kgということもあって、格上の「テンロク」と呼ばれる1.6L車はもちろん、NAモデルならシルビアよりも速かったという逸話も残っています。 じゃじゃ馬ながら格上にも勝る確かな運動性能を備える「GT」 EP82 スターレットが登場した1980年代後半から90年代前半にかけては、同じトヨタのレビン/ トレノ、ホンダ シビック、三菱 ミラージュといった1.6Lスポーツの全盛期を迎えつつありました。一方、EP82の排気量はテンロクから300ccも少ないわずか1.3L。これだけのハンデを背負いながら互角以上に戦える性能を備えていたため、多少ピーキーで扱いにくい面があったことは否めません。 しかし、エンジンだけでなく車体も細部まで作り込まれており、実は運動性能も先代からかなり向上していました。ここからは、EP82 スターレットの最高グレードGTの魅力をたっぷりご紹介します。 クラス最高峰のホットハッチ EP82 スターレットGTには、最高出力135psを発揮する1.3Lの水冷直列4気筒DOHC16バルブのインタークーラー付ターボエンジンが搭載されています。大衆車の車格ながら、高性能エンジンの目安といわれる1L当たり100psオーバーを実現していました。 同じくホットハッチの代表格として同時期に販売されていた1.6Lのホンダ シビック(EF9)でも、ちょうど100ps/Lだったことを考えると格下のEP82のエンジン性能は驚異的です。しかも、車重はわずか830kgだったため、加速力はシビックをも凌ぐほどでした。 運動性能は先代から大幅進化 830kgの車体に135psというハイパワーエンジンを搭載していることから、EP82スターレットは扱いにくい「じゃじゃ馬」とよく表現されます。先代のEP71から続く個性ともいえるキャラクターではあるのですが、EP82では実は運動性能が大きく改善されています。 前後トレッド幅の拡大やボディ剛性の強化、さらにこのクラスとしては幅の広い175/60R14サイズのタイヤを装着することでコーナリング時の安定性を強化。また、4輪ディスクブレーキを採用し、さらに格上のAE92と同サイズとすることでスポーツ走行に欠かせないブレーキ性能の向上も図られていました。 30年以上前のクルマなのに中古車としての価値を維持 EP82 スターレットの運動性能がいくら高いとはいえ、あくまでも大衆車という位置づけのクルマでスポーツカーではありません。しかも、登場は1980年代と30年以上前のオールドカーです。しかし、人気の高かった「GT」を中心に、いまだに中古車市場で一定の評価を得ています。 中古車の価値は需要と供給のバランスで決まるため確かなことはいえませんが、クルマとしての性能の高さはもちろん楽しさを感じられるために高く評価されているのではないでしょうか。 ただし、多くの人が普段の「足」として利用していたため、中古車で購入する際は状態の確認が重要です。また、旧車の取り扱いに慣れていない中古車業者だと、年式と車格からほとんど価値がないと判断されかねません。取引をする際は、旧車専門の業者に相談することをおすすめします。
奇跡といっていい年。 それが1989年。 国産車が次々と誕生し、まさに「国産車天国」「国産車の桃源郷」といっていい年だろう。 フルモデルチェンジや新規モデルはもちろん、MCや追加車種を含めると実に1年間に45モデルが誕生したとされる年。 数だけでなく、魅力あふれる質の高い国産車がどんどん誕生したのが特筆すべきことだ。 厳選して数台をピックアップしながら「なぜそれらは人気者になったのか?」を追っていき、最後に1989年が当たり年になった背景も交えていきたい。 ■まさに「スターの輝き」。まずはこのモデルを挙げないわけにはいかない、日産R32スカイラインGT-R 1989年国産車といえば……、まず日産R32スカイラインGT-Rを挙げないわけにはいかないだろう。 なにせ「1989年のクルマ=R32」と、0.7秒ほどですぐさま頭の中で結びつく人がほとんどだと思うから。 今見てもまとまりのある、2ドアスポーツモデルのカタチ。 絶妙に張り出したブリスターフェンダー。 格好いい~!と声を出さずにはいられないが、1989年当時の興奮度はこの比ではない。 先代GT-Rの販売終了から16年ぶりの復活誕生。 注目の浴び方はハンパなかった。 当時日産で行なわれていた「901運動」の集大成、新開発の2.6Lツインターボエンジン搭載。 日本車初の最高出力300psモデルを目指したが、馬力規制により280psに留められたモデル…… など、「見出し」になるネタがテンコ盛りというのもこのクルマの特色。 そして、いわゆる25年ルールが解禁され、アメリカがR32を輸入できるようになった昨今。 R32がもはや神格化している北米では、オークション落札価格が日本円で1000万円以上という事例も多いという。 日本で世界で、まさに「スターの輝き」のR32である。 ■R32が誕生した年に4代目フェアレディZ(Z32型)までも登場!もう泣くしかない! 日産のスポーツモデルの流れで、お次は日産4代目フェアレディZ(Z32型)に登場いただこう。 「フェアレディZといえばあのデザインね」と3代目までが頭の中にインプットされていたところ、このZ32型の姿を見て誰しも衝撃を受けたはずだ。 デザインからして「Zの新章スタート!」を感じるのに充分だった。 先代までのロングノーズ・ショートデッキではなく、ワイド&ロー。 先代より全幅がプラス65mmの1790mmとなり、当時としてはかなり平べったい日本車。 それだけに衝撃度も増し増しだった。 デザインのポイントは、これまた当時のクルマ好きにインパクトを与えたリアデザインとテールランプ。 現行RZ34型にこのテールランプデザインが盛り込まれているのは有名な話。 このデザインで、V6・3Lツインターボのアグレッシブな走りを見せるワケだから、街中で目を引かないわけがない。 それにしても、前項のR32スカイラインGT-RとZ32が同じ年に生まれるなんて……、やはり1989年は奇跡の年なのである。 ■ずっと憧れの的だったトヨタセリカも5代目が誕生。それが1989年という年だ 筆者のように「アラウンド還暦」世代にとって、子ども時分から格好いいクルマといえばセリカ。 憧れの存在でもあった。 そのトヨタ5代目セリカが生まれたのも1989年。 WRC用のホモロゲーションモデル、GT-FOUR RCも1991年に発表され、日本では限定1800台が販売されたという。 ということもあり、特別に5代目セリカのWRCカーの雄姿をお届けしているのが上の写真だ。 筆者の好きなハリウッド俳優、エディ・マーフィをCM起用し、「スゴスバ セリカ!」がキャッチフレーズ。 4代目より近未来感あるデザインになり、今見ると、現行クラウンクロスオーバーを思わせる顔をしていません……か?(こちらはリトラクタブル・ヘッドライトだが) 直4・2Lターボの最高出力は235psをたたき出し、当時の若者を興奮させるには充分。 歴代セリカでも強いインパクトを残した一台だ。 ■2人乗りコンパクト2ドアクーペというスペシャリティ感を味わえる、トヨタ2代目MR2 スポーティカーの流れでお次はトヨタMR2だ。 日本車史上、初の市販ミッドシップモデルとして誕生した初代のあとを受け、1989年に2代目MR2が誕生。 当時の日本車では珍しかった2人乗りコンパクト2ドアクーペ(今の日本車でも稀有な存在だが……)。 中身はセリカ/コロナベースがベースだが、初代の「角が取れた」感じの絶妙な曲線デザインが目を引いた。 のちに前項のセリカと同じ2L・直4にターボが追加され、シャープな走りを体感させてくれた。 乗るほどに2人乗りコンパクト2ドアクーペというスペシャリティ感が味わえるクルマ。 トヨタさん、よくぞこんなクルマを出してくれました~!と今でも感慨に浸るほどだ。 ■1989年誕生のスポーツモデル……。忘れちゃ困るぜ「人馬一体」のマツダロードスター R32GT-Rを皮切りに、1989年誕生のスポーツモデルの魅力を4台続けざまに取りあげてきた。 「スポーツモデルはもうないでしょ?」と言いたいところだが、あるんです。 そう、マツダ初代ロードスター(ユーノスロードスター)だ。 現行4代目まで脈々と続く「人馬一体のマツダロードスター」というクルマの礎を成した金字塔的クルマまでも、この年に生まれていたなんて……。 やはり、1989年という年は只者じゃない。 クルマ好きにとってまさに「盆と正月が一緒に来た」ような年である。 「MGのようなライトウェイトカーを作ってみよう」が開発のきっかけとされ、「人馬一体」というテーマがブレることなく現行モデルまで真髄を貫いているところは、脱帽するしかない。 爆発的な走りでもなく、アグレッシブな走りでもない。 車重を極限まで軽くした特有の「ひらひら感」あるFRの走りこそがロードスターの真骨頂、と筆者は熱く語りたい! その源流が初代モデルだ。 この誕生に感謝するしかないですね! ■海外メーカーにインパクトを与えた初代セルシオ。「高級車・新ステージ」への突入 今、「歴代の国産モデルのなかで海外メーカーにインパクトを与えたのはどれ?」と自動車ジャーナリストへ尋ねると、多くの方がこの名を挙げる。 それがトヨタ初代セルシオ。 1980年代前半、それまでの北米の高級車市場といえば、キャデラックやリンカーン、メルセデス・ベンツなどが占め、日本車メーカーが割って入れない状況が続いていた。 そこへトヨタが本腰を入れ、堅い門をこじ開けたのが高級車「レクサス」ブランドの戦略。 1989年、最初に投入されたのが初代LSで、それの日本仕様がトヨタ初代セルシオだ。 クルマ所有の大目標として「いつかはクラウン」が体の中に沁みついていた日本人にとっても、初代セルシオの登場は衝撃的だった。 (センチュリーは別格として)クラウンの上をいくセダンが誕生したわけだから。 が、当時はバブル景気、真っ盛り。 「超高級車、アリかも!」と市場が活気づき、初代セルシオは人気を博した。 時代背景も後押しし、「高級車の新ステージ」を築きあげたモデルといっていいだろう。 セダン然としたスタイル、全長4995mmという堂々たる風格。 新設計のV8・4Lエンジン搭載……。 クルマに新たな価値観が生まれたのも、1989年という年である。 ■ランクル80系と初代レガシィツーリングワゴン。のちのRVブームの礎となった2モデルも登場 現在、世界でも日本でもSUVの潮流は続くが、その源となるのがクロカン(クロスカントリー)だ。 そのクロカンやステーションワゴン、ミニバンといったカテゴリーで一時代を築いたのが、1990年代末から21世紀初頭にかけてのRV(レクレーショナル・ヴィークル)ブーム。 いまや「RV」という言葉自体が懐かしすぎますが……。 そのクロカンというカテゴリーを、歴代モデルたちが軸となり構築してきたのがトヨタ ランドクルーザーといっていい。 そして、ランクル80系が誕生したのが1989年だ。 2023年現在、復活販売として話題になっている70系の次の世代。 「無骨さの塊」という印象の70系以前より、洗練された雰囲気がある外観。 が、ランクルの真骨頂、ラダーフレームを基盤にオフロードでもタフな走りを見せる無骨さは健在。 オンロードでの快適性が向上したのも80系の特徴だ。 1989年にはもう一台、人気者のクロカンが登場している。 トヨタ2代目ハイラックスサーフで、ランクル80系を1.5まわりほど(!?)小さくしたモデルだ。 全長4470mmというサイズ感もあり、若い世代にも人気が高かったクロカン。 そして、のちのRVブームを支える大黒柱となるスバル レガシィツーリングワゴン、その初代モデルが誕生したのも1989年(写真下)。 いい意味で「レガシィよ、お前もか!」と有名な諺をアレンジして使いたくもなりますよ! スバル レオーネの後継モデルとして誕生。 それまでの各社のワゴンデザインが急にやぼったく見えるほど、洗練されたスポーティなデザインに目が留まった。 スタイルには確実に新鮮味があった。 5人がムリなく乗れ、荷物をたくさん積めるラゲッジという実用性の高いパッケージングは驚くばかり。 2Lターボが搭載され、スバル特有の4WD走破性。 「優等生」を地で行くクルマで、「ステーションワゴン」というカテゴリーに市民権を与えた立役者だ。 ■そして日産パオも誕生。1989年は「国産各メーカーの技術進化の絶頂期」でもあった! 1989年生まれの魅力あふれる国産車。 スポーツモデルやクロカンなどを取りあげてきたが、最後は毛色を変えて日産パオ。 今も記憶に残る、Be-1やフィガロとともに1990年前後に登場した日産パイクカーシリーズの一台だ。 どこかレトロ風味がありつつも、アウトドアテイストをも感じるスタイル。 いい意味で、初代マーチをベースにしたとは思えない出来。 3カ月間の予約受注で約5万1000台も売れ、時代のニーズに合致した「仕立て」だったことがよくわかる。 今スタイルを見ても、ユニークなボディサイドのキャラクターライン、上下二分割のリアガラス、開閉式の三角窓、外ヒンジのドア……など、かなり凝っている。 当時の企業としての日産の、余裕とセンスの高さが滲み出ているモデルといっていい。 ……ということで、「国産車の桃源郷」の年といえる1989年に登場した魅力あふれるクルマたちを取りあげてきたが、いやはや、よくぞこんなにも凄いクルマたちが同じ年に出揃ったな、とつくづく感じる。 国産各メーカーの技術進化と技術競争におけるひとつの絶頂期と、バブル景気の時期が重なり市場が一気に膨らんだ……ということが背景にあるといえるだろう。 後世に語り継がれる「奇跡の一年」。 1989年はなんとも濃い!です。 [ライター / 柴太郎 ・ 画像 / Dreamstime]
「アルピナ」の商標権がBMWに譲渡されるというニュースが、2022年に話題になりました。アルピナ社はBMWと長年協力関係を結び、独自の開発でBMW車にひと味違う魅力を与えてきた自動車メーカーです。 規格外のハイパワーエンジンと独自の世界観をもつ内外装が魅力のアルピナについて、商標権譲渡の真相とともに詳しく紹介します。 BMW車の価値を高めるアルピナ 自動車メーカーのアルピナは、BMW車に新たな命を吹き込む開発を続けてきました。一方で、長年続いたBMWとアルピナの協力関係は、商標権の譲渡によって2025年に終了することがすでに発表されています。 アルピナが単なるチューニングメーカーでないことと、商標権譲渡の意図を振り返っていきましょう。 アルピナ車は自動車メーカー ドイツにあるアルピナ社は、アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン社という正式名称の自動車メーカーです。ベース車輌がBMW製であることからBMWの高性能モデルブランドと誤解されがちですが、独立した自動車メーカーとして開発や組立工程から独自で行っています。 最近のモデルこそBMWのラインで組み立てられていますが、かつてはホワイトボディからアルピナで製造されていました。独自の思想でBMW車を再度開発し、オリジナルにはない新たな魅力と価値を与えたモデルを生み出してきたのがアルピナです。 商標権譲渡はアルピナブランドを次世代に残すための決断 長年BMWと良好な協力関係にあったアルピナですが、2022年にBMWによるアルピナ商標権の獲得が報じられました。株式や資産などは引き続きアルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン社に残されますが、アルピナが開発するBMW車は今後はなくなるということです。 ファンにとっては寂しいニュースですが、実は「アルピナ」というブランドを将来に残すための決断だったという見方もできます。電動化や世界的な規制が厳しくなるなか、小規模メーカーでは対応が難しくなってきていました。実際、現在アルピナが製造する車輌は、BMWの工場で多くの工程が組み立てられるように変化しています。 商標権をBMWに移譲したことで、「アルピナ」の名称は時代の変化による消滅の可能性が限りなく低くなりました。「自社のラグジュアリーカーをより多様なものにする」という展望をもつBMWが、今後どのような形でアルピナの名称を利用していくのかに期待が高まります。 中古車市場でも価値の落ちないアルピナ製BMW車 アルピナが製造していたモデルは現在でも人気が高く、ベースのBMWの車輌に価値がなくても高値で取引されているものがいくつもあります。つまり、アルピナの開発によってBMW車が新たな価値を得たということです。 名車揃いのアルピナ BMWのなかでも、特に人気の高い3モデルを紹介します。 E34を超高性能サルーンに高めたB10 Bi-Turbo B10は、強力なツインターボエンジンを搭載した超高性能サルーンです。「ビックシックス」と呼ばれる直列6気筒エンジンを究極までチューニングし、最高出力を370psまで高めました。ツインターボとしたことで、低回転域から高回転域までトルクが持続します。 大柄ボディの重量級E34ですが、アルピナのチューニングエンジンによって強烈な加速を実現。さらに、シャシーの剛性強化やゲトラグ製の5速ミッション、BOGE製のレベライザー付きショックアブソーバーなど、強力なパワーを余すことなく発揮できる車体設計もさすがアルピナというポイントです。 E36に究極の洗練さを与えたB8 4.6 リムジン E36の直列6気筒エンジンに換え、強力な4.6LのV8を搭載したのがB8 4.6 リムジンです。 BMWの3シリーズとして生産された比較的コンパクトなE36に、最大340psを発揮するV8エンジンを押し込んだことで異次元の加速力を発揮します。 一方で、誤差1/1000gの精度で組み上げられたエンジンは、暴力的な加速に反して驚くほどスムーズ。しなやかな足回りも相まって、E36にさらなる上質さを与えます。また、内装もスポーティーながらエレガントさも持ち合わせていて、究極のパワーと洗練さを両立したモデルです。 E28にメカチューンを加えたB9 3.5 B9 3.5は、SOHCエンジンながらDOHCエンジンの初代M5に匹敵するハイパフォーマンスモデルです。ボアアップや圧縮比の向上、カムシャフトと吸排気バルブの見直しといったNAエンジン定番のメカチューンを徹底的に施して、245psもの最高出力を絞り出すことに成功しました。 ターボでは味わえないNA特有の加速感が人気を集めたのか、生産台数は当時のアルピナとして最大の577台にまで達します。異径4灯のヘッドライトやアルピナストライプの入ったシャープなボディラインといった外観のアルピナらしさも、B9 3.5の魅力です。 永遠ともいわれるアルピナの価値の今後の動向に注目 アルピナの価値は旧車になっても失われることはありません。たとえば、現在では査定額がほぼつかないE36でも、B8 4.6 リムジンなら600万円もの価格がつきます。さらに、E28をベースにしたB9 3.5に至っては950万円もの高値での買取実績もあります。 一方で、もともと生産台数の少ないアルピナモデルは、旧車のなかでもかなり希少な部類です。特にベース車輌の価値が失われつつある現在では、旧車王のようにアルピナを正しく査定できる業者は決して多くありません。商標権の譲渡によってアルピナが今後BMWを製造しなくなることも含めて、アルピナの価値を評価してくれる専門性の高い業者に売却の相談をしてください。
ヨーロッパ・フォードが1980年代に販売していた、斜めに切り立ったフロントマスクと角目のヘッドライトが個性的なシエラ。正規輸入されていなかったこともあり、日本では知る人ぞ知る車種の1つです。レースでの活躍を目指して投入された高性能モデルで、欧州のみならず日本でも当時無敵を誇りました。 日産 R32型GT-R誕生のきっかけになったともいわれる、フォード シエラについて詳しく紹介します。 フォードなのにアメ車ではないシエラ アメリカ自動車メーカーのビッグスリーの一角をなすフォードですが、シエラはいわゆる「アメ車」ではなく欧州拠点で開発されたモデルです。 新世代ファミリーカーとして欧州市場でのシェア獲得を目指した、シエラの開発背景を振り返ってみましょう。 欧州市場を狙ったシエラ 欧州への進出を目指したフォードは、1960年代からヨーロッパ・フォードとしてイギリスとドイツに拠点を置いていました。シエラは、欧州両拠点から1982年に発売されます。コルティナとタウナスの後継である、「新世代ファミリーカー」として位置づけられました。 イタリアのカロッツェリア・ギア社がデザインを手掛けていたという点からも、フォードが欧州市場を強く意識していたことがわかります。一方で、空力を強く意識したモダンなデザインはイギリスの既存ユーザーには不評だったという話も残っているため、当初から欧州を席巻したモデルというわけでもなかったようです。 実力を証明するためレースに投入 ヨーロッパ・フォードは、設立時からレースに積極的に取り組んでいました。自動車レースの本場ヨーロッパだけに、欧州進出を目指すフォードにとって重要な戦略だったのでしょう。 シエラが発売された1982年からグループA規定を採用したETC(ヨーロッパ・ツーリングカー・チャンピオンシップ)では、既存のカプリで参戦したものの結果が残せずにいました。1986年にはシエラのスポーツグレードXR4Tiを投入しますが、レースで主導権を握るまでには至りません。そこでフォードは、シエラをベースにレースで戦えるマシンの開発に本気で取り組むことを決断しました。 名門コスワースとのタッグで誕生したシエラRSコスワース シエラでレースに勝つためにパートナーとして選んだのは、フォードと関係性の深かったイギリスのエンジンメーカーコスワースでした。コスワース製ハイパワーエンジンを手に入れたシエラは、ツーリングカー選手権で好成績をあげます。 無敵を誇ったシエラRSコスワースについて、日本での戦績も交えながら詳しく紹介します。 グループA規格で戦うために開発 グループA対策を施したシエラは、シエラRSコスワースとして1986年に登場します。シエラのためにコスワースが用意したのは、最高出力204馬力を発揮する2LのDOHCターボエンジンでした。5,000台の生産実績というグループAの規定(当時)を満たして、1987年からWTC(世界ツーリングカーチャンピオンシップ)に投入されました。 また、エンジンの変更だけでなく、フォードは車体各部を徹底的に見直します。フロントマスクに設けられた冷却用のエアインテークや大型のリアウィングによって、見た目の印象もファミリーカーから大幅に変わりました。 翌年にはRS500にアップデート シエラRSコスワースが登場した翌年の1987年には、シエラRS500コスワースにアップデートされます。タービンの変更やインタークーラーの大型化によって、最高出力は225馬力まで引き上げられました。さらに、レース用モデルは、最高出力500馬力だったともいわれています。 さらに、グループA規定に違反しない箇所の全てに手を加えたといわれるほど、車体も大幅に変更されました。外観は基本的にシエラRSコスワースを踏襲しているものの、2段式になったリアウィングが戦闘力の高さをうかがわせます。 日本のツーリングカー選手権を席巻 シエラRSコスワースは、トランピオチームからJTC(日本ツーリングカー選手権)にも参戦します。開幕戦こそリタイアに終わるものの、第2戦では2位、第3戦では早くも優勝を果たして実力の高さを証明しました。 さらに、WTC最終戦にも組み込まれたインターTECに投入されたシエラRS500コスワースも圧倒的な強さをみせます。エッゲンバーガー・モータースポーツが優勝、トランピオチームが2位というワンツーフィニッシュを達成しました。また、エントラント部門での世界チャンピオンも獲得しました。 1988年には、6戦中4戦でシエラが優勝を獲得。1989年には開幕戦と最終戦の2勝にとどまったものの1987年と1988年には2年連続で全日本タイトルを手中に収め、日本のツーリングカー選手権を席巻しました。 日産 R32型GT-Rの誕生のきっかけともいわれるシエラ 日本のレースで無敵を誇っていたシエラの快進撃を止めたのは、1990年の日産 R32型GT-Rでした。実は、R32型GT-Rはシエラを倒すために投入したともいわれています。R32の高い走行性能は誰もが認めるところですが、逆の見方をするとシエラはそこまでしないと倒せない存在だったということです。 輝かしいレースの成績を収めたシエラですが、正規輸入されていなかったこともあり日本国内ではあまり流通していません。希少車は入手が難しいのはもちろんですが、実は売却時にもスムーズに取引できないこともあるため注意が必要です。流通量が少ないがゆえに正しい金額がつかない場合や、業者によっては買い取ってもらえない場合もあります。 旧車の買取経験豊富な旧車王では、希少で流通しにくいシエラRSコスワースも2023年11月に買取りました。フォード シエラを取引する際は、旧車のノウハウをもった専門業者に相談することをおすすめします。
車のスリップは頻繁に経験するものではありません。しかし、悪条件が重なると、日常使いの範囲内でもスリップすることがあります。そこで今回は、車がスリップしてしまう原因やスリップしたときの対処法、スリップしないための対策について紹介します。 車がスリップする原因 車のスリップは、タイヤと路面の摩擦により発生するグリップ力の限界を超えると発生します。グリップ力の限界を超える理由は、車の速度、タイヤの性能、タイヤの摩耗具合などによって異なります。 ただし、車のスリップは、グリップ力の限界を超えたときだけではありません。路面とタイヤの間に水が入り込みタイヤが浮いてしまう「ハイドロプレーニング現象」もスリップの1つです。また、路面の上に散らばっている砂利や砂などによってタイヤのグリップ力が失われることでスリップする場合もあります。 このように、車のスリップは性能の限界を超えることで発生するだけでなく、車を走らせる環境によって発生する場合もあるのです。そのため、日常使いの範囲ではスリップすることがないとは言い切れません。 車がスリップしたらどうなるのか? 車がスリップすると、アクセル、ブレーキ、ハンドルなどの操作が効かない状態になります。つまり、車が制御不能状態に陥り、事故につながるリスクが格段に上がります。 カーブや曲がり角でスリップした場合、進みたい方向に進めないため、ドライバーがすぐにスリップに気づくでしょう。しかし、直進しているときや一瞬だけスリップした場合は、ドライバーがスリップに気づかないこともあります。 ■スリップしているときの警告灯を「スリップ表示灯」という 走行中に車の制御ができないと感じたときや違和感を覚えたときは、メーター内の車が滑っているマーク「スリップ表示灯」を見てください。 スリップ表示灯は、タイヤがスリップしているときに点滅する警告灯です。この警告灯が点滅しているときは、車がスリップしていることを意味します。 車がスリップしたときの対処法 車がスリップしたときは、どのように対処すればよいのでしょうか。ここからは、スリップした時の対処法を紹介します。 とっさにアクセルやブレーキを踏まないようにする 車がスリップすると、何とかしてスリップ状態から抜け出そうとするでしょう。このようなときに、アクセルを踏み続けたり、ブレーキを強く踏み込んだりするのは危険です。 そもそも、スリップ中はアクセル操作やブレーキ操作をしても効果がありません。また、スリップしながら自然と速度が低くなり、タイヤのグリップが回復したときにペダル操作をしていると、飛び出したり急減速による横滑りが発生したりします。 つまり、スリップ中のペダル操作は、効果がないだけでなく、タイヤのグリップが回復したときに新たな危険を発生させる原因となるのです。 ハンドルを大きく回さない 車がスリップしているとき、ドライバーはスリップによって進んでいる方向から早く元の走行ラインに戻りたいと考え、ハンドルを急いで大きく操作してしまうことがあります。 しかし、この大きなハンドル操作は、タイヤのグリップ力が回復したときに急旋回や横滑りを誘発する危険があるため、避けたほうがよいでしょう。 カウンターステアを行う カウンターステアをあてるのも有効な手段といえるでしょう。カウンターステアとは、後輪がスリップしている方向と同じ方向にステアリングを切る操作です。 しかし、カウンターステアは、ある程度の運転技量が必要となるため、運転技量を高めてから行うほうがよいでしょう。 車のスリップを防ぐ方法 車のスリップを防ぐためには、どのようにしたらよいのでしょうか。ここからは、車がスリップしないようにするための方法について紹介します。 悪路では速度を抑える 未舗装路、砂利道、濡れた路面、積雪路、凍結路などの悪路では、速度を抑えましょう。 車のスリップは、タイヤと路面の摩擦力がなくなったり、路面からタイヤが浮いたりすることで発生します。つまり、タイヤと路面の接地および摩擦を確保することでスリップを防げるのです。そのため、悪路では速度を落としたほうがよいといえるでしょう。 急ハンドルを切らない 急ハンドルをはじめとした急操作は、スリップの原因になることがあります。 カーブや曲がり角を通過するときは、直線部分であらかじめ減速し、落ち着いたハンドル操作で通行しましょう。このようなゆとりを持った操作は、スリップを防止するだけでなく交通の安全にもつながります。 空気圧を適切に保つ タイヤの空気圧を適正に保ちましょう。タイヤの空気圧が高すぎたり低すぎたりすると、タイヤが路面に正しく接地しません。 タイヤの面が正しく路面に接地していない場合、タイヤのグリップ力が最大限に発揮されず、スリップを誘発することがあります。このようなことから、タイヤの空気圧を適正に保つこともスリップを防止する方法の1つとなるのです。 タイヤの空気圧は、最低でも1ヶ月に1回はチェックし、適正値を保ち続けるようにしましょう。 タイヤの溝やヒビをチェックしておく スリップを防ぐためには、タイヤの管理が大切です。そのため、タイヤの残り溝の深さやひび割れも1ヶ月に1回はチェックしておきましょう。 タイヤは、路面との接地面に刻まれている溝で路面の水を排水しています。また、ゴムの柔軟性によって適切なグリップ力を確保しています。つまり、溝が浅く、ひび割れるほど硬化したタイヤでは、適切な排水やグリップ力を発揮することができません。 このようなことから、タイヤの残り溝の深さやひび割れなどを確認しておく必要があるのです。 まとめ 車のスリップは、公道での走行や日常使いの範囲内で経験することはほとんどありません。しかし、悪条件が重なると、通勤や買い物などの日常使いのシーンでもスリップする場合があります。車がスリップすると、焦って適切な操作ができないこともあるため、万が一に備えてスリップしたときの操作方法を覚えておくとよいでしょう。 また、車のスリップは運転操作の見直しや日常点検をすることで防げます。安全に車を走らせるためにも、車やタイヤの点検、ゆとりある運転を心がけるようにしましょう。
マニュアル車に乗っていると「フライホイールを軽量化した方が走りがよくなる」と言われることがあるのではないでしょうか。 今回はフライホイールが必要な理由や原理と役割、軽量化で得られる効果について紹介します。フライホイールについて調べている方は参考にしてみてください。 フライホイールとは? フライホイールは、クランクシャフトの端につけられている円盤状のパーツです。日本語で「弾み車」といわれます。マニュアル車には必ずある部品です。オートマチック車の場合にはトルクコンバーターがその代わりを果たすため使われていません。また、エンジンの回転を均一に保ったりエンジンを始動させたりする役割も担っています。 まずは、フライホイールが必要な理由とその原理を詳しく解説します。 フライホイールが必要な理由 エンジンは、吸気・圧縮・燃焼・排気という4つのサイクルで動いています。この4つサイクルの中でエネルギーを発生させられるのは燃焼行程だけです。それ以外の行程では動力が生み出されないため、フライホイールがない場合、アイドリングが安定しなくなります。 フライホイールの原理 フライホイールは円盤状の部品で、外側部分が歯車になっているのが特徴です。トランスミッション側のクランクシャフトの端に取り付けられています。 フライホイールは、慣性の法則を利用して回転するパーツとなっています。慣性の法則とは、運動している物体は運動を続け、静止している物体はいつまでも静止し続けるという法則です。エンジンが動き出すことによって回り始めたフライホイールは、慣性の法則によって回転し続けるため、エンジンの回転ムラを抑えることができるのです。 たとえば、手に空のペットボトルを持って腕を回した場合、腕を回すのに大きな力は必要なく、止めたいときに止めることができます。しかし、2Lの水が入ったペットボトルを持っている場合、動かし始めるのに大きな力が必要となり、自分が止めたいと思った瞬間に止めることが難しいでしょう。 これと同じ原理でフライホイールは作動しています。 フライホイールの役割 フライホイールの役割は以下の3つです。 ・エンジンの回転ムラをなくす ・エンジンの動力を伝える ・エンジンの始動 それぞれ詳しく解説します。 エンジンの回転ムラをなくす エンジンは、吸気・圧縮・燃焼・排気という4つのサイクルを繰り返して動力を発生させています。このプロセスを通じて発生したエネルギーは、クランクシャフトで、回転運動に変えられ、車輪に伝わります。 また、エンジンで発生した回転エネルギーは、クランクシャフトを通じてフライホイールにも伝わります。回転エネルギーを受けたフライホイールは、慣性の法則に従って運動を続けようとするため、燃焼以外のプロセスでもエンジンが止まることなく安定して回り続けるのです。 エンジンの動力を伝える フライホイールには動力をクラッチディスクに伝達する役割もあります。 エンジンで発生した動力は、フライホイールに伝わり、フライホイールとクラッチディスクがつながることで、トランスミッションにエンジンの動力が伝達されます。つまり、エンジン側のフライホイールとトランスミッション側のクラッチディスクがくっついたり離れたりすることで動力の伝達・遮断が行われるのです。 エンジンの始動 フライホイールはエンジンをスタートさせるときにも必要です。エンジンをスタートさせるためには、はじめに動き出すきっかけ、つまり、外側から力をかけなければなりません。 フライホイールの外周にあるリングギアにセルモーターが噛み合ってフライホイールが回転すると、エンジンが動き始めます。つまり、エンジンの始動にもフライホイールは欠かせないのです。 軽量フライホイールとは? 軽量フライホイールとは、クランクシャフトの端に取り付けられているフライホイールの重さを軽くしたタイプです。ここからは、軽量フライホイールのメリットとデメリットを解説します。 フライホイールを軽量化するメリット フライホイールを軽量化するメリットは以下のとおりです。 ・レスポンスアップ ・加減速性能アップ ・早くシフトアップできる 軽量化したフライホイールを使用すると、アクセルを踏んだときにエンジンの吹きあがり(レスポンス)がよくなり、アクセルを緩めたときの回転変化が素早くなります。 また、軽量フライホイールはエンジンの回転数を変化させるのに必要なエネルギーが少なくて済むため、加速と減速の性能アップも期待できます。さらに、エンジン回転数の上げ下げが素早いため、シフトアップのするときの回転数を合わせやすくなることも軽量フライホイールのメリットです。 軽量フライホイールのデメリット 軽量フライホイールの主なデメリットはは以下のとおりです。 ・アクセル操作がシビアになる ・燃費の悪化 エンジンのレスポンスがアップするということは、わずかな操作でもエンジンが敏感に反応することを意味しています。つまり、軽量フライホイールにすると扱いがシビアになるということです。 また、フライホイールを軽量化したことで慣性モーメントが減ってしまい、同じ速度を維持するためにエネルギーが増加します。その結果、より多くのエネルギーを作り出さなければならず、ガソリンの消費量が増える場合があります。 まとめ 今回は、フライホイールとは何なのか、その役割や軽量化のメリット・デメリットなどを解説しました。 フライホイールは、エンジン回転を均一に保つために必要なパーツです。フライホイールについて正しい理解と知識を得ることで、軽量化するべきかという判断も変わるでしょう。 フライホイールは、自分の車の使い方に合わせて、ベストなものをチョイスすることをおすすめします。