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ドイツで毎日のようにクルマを運転していると、旧車を見かける、またはすれ違うことが日本よりも多く感じます。 クルマへのこだわりが強い人が多いのではないか、そのような印象を受け、そもそもドイツでのクルマ事情がどのようなものなのか気になっていました。 この記事ではそんなドイツのクルマ事情について、いくつか見ていきたいと思います。 ■ドイツ国内における自動車保有率から見えてくることは? ドイツでは、全世帯の77%もの割合で、最低1台は自家用車を保有しているというデータがでています。 また、このデータがとられた同じ時期には、2台を保有する世帯は23.4%から27%に、3台以上のクルマを持つ世帯は3.7%から6.1%に増加しています。 人口1000人あたりの乗用車数で見ても、最新のデータがとられた2021年には、過去最高の記録となっているようです。 加えてドイツにはアウトバーンの存在もあり、年間の走行距離が平均14,259㎞におよび、クルマを伴った人々の移動距離も相当なものであることが分かります。 これらの数字からも、ドイツでの生活にはクルマが欠かせないということが見てとれます。 ▲フォードの旧車、Taunus(画像:筆者撮影) ▲よく見かける旧車モデルの一つ、メルセデス・ベンツ190E ■マーケットシェアと購入実態 ドイツのクルマメーカーといえば、メルセデス・ベンツやBMW、フォルクスワーゲン、アウディなど名だたるメーカーが数多くありますが、ドイツ本国におけるシェアはどのくらいなのでしょうか。 2022年の新車登録ランキング、およびマーケットシェアを上位5位に絞り見てみると 1位:フォルクスワーゲン(マーケットシェア18.3%)2位:メルセデス・ベンツ(マーケットシェア10.6%)3位:アウディ(マーケットシェア9%)4位:BMW(マーケットシェア8.2%)5位:スコダ(マーケットシェア5.8%) となっています。 もともとクルマに興味があった筆者が初めてドイツを訪れた際、日本ではプレミアムブランドとして認知されている、これらのメーカーのクルマがあたりを駆け巡っている光景を目の当たりにし、衝撃を受けたことをよく覚えています。 いくら本国とはいえ、決して安くはないであろうそのようなクルマが、大量に走っている状況に驚きました。 ドイツでは日本よりもクルマに対してこだわりが強く、お金をかけているということは考えられるのでしょうか。 そこで、2022年に新車登録されたクルマをモデル別に調べてみました。 第1位はテスラ モデルYであり、前年比1064.4%と驚異的な数字となっていますが、スペックやクルマの魅力が大きいことはさることながら、テスラのほかに、フォルクスワーゲンのIDシリーズがシェアを伸ばしてきていることからも、環境問題にとりわけ関心の強いドイツならではという側面があるのかもしれません。 しかし、そのほかのモデルに目を向けると、上位20位にはフォルクスワーゲン パサートやBMW 3シリーズ、メルセデス・ベンツ Cクラスやアウディ A6など、比較的上級といえるモデルもランクインしているのは興味深いところです。 さらに、ドイツにおけるクルマの購入形態を調べてみると、中古での購入が27%であるのに対し、新車で購入する人の割合は47%にものぼります。 現地でのクルマ関連メディアをチェックしていると、上記モデルは本国においても価格帯は高く、同等のスペックを持つ日本メーカーのクルマは、コストパフォーマンスに優れていると紹介されているのをしばしば目にします。 それでもなおこれらのモデルが多く購入されていることから、少々強引な解釈かもしれませんが、ドイツではクルマに対するこだわりが強く、お金をかけることに抵抗がない人が多いと捉えることもできるのではないでしょうか。 この点については、比較対象を明確にしたうえで、機会があればさらに調査をしていきたいと考えています。 ▲メルセデス・ベンツCクラス ▲アウディA6 Avant ▲フォルクスワーゲン パサート ■アウトバーンで速度制限が設けられているエリアは全体の20.7% さて、ドイツでは平均の年間走行距離が14,259㎞におよぶことに言及しましたが、これにはアウトバーンの存在が大きく関わっていることは、間違いないでしょう。 日本の高速道路のような通行料はかからず、かつ速度制限がないことからも、移動距離を問わず重宝されていることは言うまでもありません。 そこで、このアウトバーンについてご紹介します。 日本の高速道路の総延長は9,231.7km、一方のアウトバーンの総延長は13,192㎞におよびます。 上述したように、アウトバーンと聞くと、速度制限がないということで有名だと思います。 日本でもそのイメージを持つ方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。 しかし、実際には工事現場、勾配が続くエリア、合流地点付近など、速度制限が設けられているエリアも意外と存在します。 制限速度は130km/h、120km/h、100km/h、80km/h、60km/hなど、状況によりさまざま。 各速度制限が設けられている距離と割合は、130km/h制限が672㎞で全体の4.7%、120km/h制限が2028㎞で全体の7.8%、100km/h制限が1454㎞で全体の5.6%、80km/h制限が585㎞で全体の2.3%、60km/h制限が85㎞で全体の0.3%となっています。 このように、速度制限が設けられているエリアの合計は、アウトバーン全体の20.7%となります。 このほかにも事故などが発生すれば、当然そのエリア付近では速度制限が設けられたり、路面が濡れている場合のみ速度制限が設けられているエリアなどもあります。 この数字を見て多いと感じるでしょうか、少ないと感じるでしょうか。 実際にアウトバーンを走行していると、意外と細かく速度制限が設定されており、標識を気にしながら走ることが多いです。 実際のアウトバーンの様子や走行状況などについては、またの機会に紹介させていただきます。 [画像・Shima,メルセデス・ベンツ,BMW,アウディ,フォルクスワーゲン / ライター・Shima]
免許の自主返納は、高齢者に限らず若い世代でも行えます。「なんとなく免許を取ったけれどペーパードライバーになった」「交通事故で身体が不自由になった」「病気で運転できなくなった」などの場合、自主返納することを検討してみてはいかがでしょうか。今回は、若い世代の免許自主返納のメリットや返納する理由などについて解説します。 若者でも免許返納は可能 免許の自主返納は若い世代でも可能です。例えば、病気や交通事故など、運転をできない身体になってしまった場合は、自主返納できます。一般的に、身体機能や認知能力によって免許を自主返納する目安は70歳代と考えられています。人によって、「運転を不安」に感じるタイミングや理由は異なりますので、もし、若い世代でも「免許は身分証明書の代わりで取っただけ」「運転苦手で事故を起こしたらどうしよう」と不安になっている場合は、自主返納を検討しましょう。 若者が免許返納するメリット 若者が免許を返納するメリットについて紹介します。 任意保険料の負担がなくなる 運転免許を返納すると、車の運転ができなくなります。車を運転する際は、任意保険に加入することが一般的です。免許を返納するということは、車の運転ができなくなるので、免許返納する人が加入している自動車保険は不要となります。結果、自動車保険がかからなくなるという点で経済的なメリットがあります。 運転経歴証明書を身分証明書として使える 免許を自主返納すると、身分証明書の代わりとして「運転経歴証明書」を発行してもらえます。運転経歴証明書は身分証明書として使えるため、免許証を身分証明書として使っていた人が困ることはありません。なお、「運転免許経歴証明書」という運転経歴証明書と似た名称の書類もありますが、これは過去に失効した免許や取り消された免許など「免許」そのものに関する証明書であり、身分証明書としては使用できません。 若者が免許返納する際に考えるべきこと 早くに免許を自主返納しようとするときは、次の2点について検討しましょう。 生涯にわたり車の運転が不要かどうか 運転免許証をもう一度取得したい場合、「適性試験」と「学科試験及び技能試験」に合格合格しなければなりません。その点も踏まえて返納するかどうか検討しましょう。 車に乗る可能性があるかどうかが重要 今後車に乗る可能性があるかどうかに注目しましょう。現在は車が不要でも、数年後や10年以上経ってから車が必要になる可能性があります。 若者が免許返納する理由 若者の免許返納のよくある理由について紹介します。 車の運転が恐くなった 免許を取ったときは、教官が横に乗っていて安心できていたけど、いざ免許を取得してから一人で運転をしようと思ったときに運転を怖く感じる場合があります。また、免許を取得してから車をしばらく運転しておらず、久しぶりの運転のときに緊張し、車を運転する気持ちになれなくなることもあるでしょう。 しばらくすれば落ち着いて運転ができるようになる可能性もありますが、一生運転したくないと思う場合もあります。 車の維持が難しくなった 車の維持には、ガソリン代のほかに、車検や定期点検の費用、自動車保険料などさまざまな費用がかかります。また、事故を起こしたときは修理代が、相手に怪我をさせたときは慰謝料がかかる恐れもあります。 駐車場を借りていれば、駐車料金もかかるでしょう。 維持費が予想以上に高くて生活に支障をきたし、免許返納を選択する方もいます。 車の運転が難しい状況になった 不慮の事故や病気などで身体機能に問題が起きて、運転ができなくなったのを機に免許返納する方もいます。身体障害者でも運転できる車もありますが、車種が限られていたり高額な費用がかかったりして、車の運転を諦める方もいるでしょう。
日本人は男女問わず「野球好きだ!」。 そう実感したのが2023年3月に開催されたWBC。 大谷翔平選手をはじめ、サムライ戦士たちの躍動と興奮を受け継ぐように、現在プロ野球も大盛り上がり中。 そんななか、ふと思った。 「野球のポジションを連想させるクルマがあるじゃないか」と。 これは……大発見だ! 国産旧車でポジション別に挙げていきたい。 ■チームのカギを握るピッチャー。Z33がそれにぴたりとハマる! まずは野球という試合に挑むにあたり、カギになるのがピッチャーだ。 勝つか負けるかピッチャー次第、といっても過言ではなく、クルマに当てはめればメーカーの顔であり、売れてもらわなくては困る、という存在。 ならば、2002年登場の日産フェアレディZ(Z33)こそ、ピッチャーにふさわしいだろう。 やや荒っぽいが心地いいサウンドの3.5L NAエンジンを搭載し、速球派ピッチャーばりの加速を味わえるモデル。 Z32の発売終了から、長らく続いたフェアレディZ消滅期間からの「奇跡の復活劇」は、あの巨人・桑田投手の復活登板を彷彿させる!(古いか…) 次はキャッチャー。 扇の要とされるポジションで、どっしり構えてぶれずにチームをまとめる役割がある。 そのキャッチャーはズバリ、トヨタ14代目クラウン(2012年)だ。 先代からガラリと顔を変え、特にアスリートのギザギザデザインのグリルは「奇抜すぎて違和感あるなぁ」と、皆感じていたもの。 しかし、数年経つと自然となじんでいく…。 「これがクラウンの顔だ」と、どっしり構えて発売したトヨタの戦略も含めて、まさにキャッチャーの姿だ。 ■背が高くテクニックも必要なファースト。ならばデリカ・スペーシアギアだ ファーストはやや地味な存在ながら、内野手からの送球を確実に受け取るテクニックが要り、高い送球をキャッチする必要もあるので「背の高い選手」が理想的。 背の高いミニバン界でもトップクラスの、三菱デリカ・スペーシアギア(1994年)に登場していただこう。 なにせ全高2070mmですから。 加えて、パジェロゆずりの4WD性能もあり、走りのテクでも見せる! 右に左にと軽快に動き回り、打球を処理するのがセカンドだ。 求められるのは軽さと俊敏性。 それはもう、ホンダビート(1991年)で決まりだ。 軽自動車でありながらミドシップ、四輪ディスクブレーキという本格スポーツ。 捕球が難しいゴロに対しても「着実に止まり」ファーストへ投げる。 四輪ディスクブレーキが効いている、ということだ。 ■花形ポジションのサードにつくのは、やはりR32 GT-Rしかいない サードは、あの長嶋茂雄選手よろしく花形ポジション。 守備で魅せて打撃でも魅せる。 なぜか3~4番打順のホームラン打者が多く、まさしく日産R32スカイラインGT-R(1989年)そのものではないか。 2.6L、直6DOHCツインターボという心臓を持ち、6速スロットルチェンバーなど、先進のメカニズムを搭載。 その走りのパフォーマンスと張り出したフェンダーやウィングで武装したスタイルは、まさにスポーツモデルの花形。 今でも圧倒的人気を誇るR32は、やはり長嶋茂雄さんに似ているし、現役選手ならヤクルトの「村神様」級の存在だ。 セカンド同様、俊敏性が求められるポジションがショート。 足さばきが重要となるが、ならば、開発時に欧州の道路を徹底して走り込んだという、スズキ2代目スイフトスポーツ(2005年)にショートについていただこう。 超人気の現行モデルの基盤を築いた世代といっていいモデルで、1.4L、直4DOHCながら1060kgという軽さもあり、狙ったラインを思いのまま走行できる爽快感がある。 やはり、狙った打球を確実につかむ、ショートのポジションがお似合いだ。 そうそう。コスパのよさはこの2代目も同じだが、プロ野球のショートでコスパのいい選手は……いないかもしれません(汗)。 ■人馬一体の走りでどんな打球にも追いつく「球際の魔術師・ロードスター」 続いては外野のポジション。まずはレフト。 ライン際に痛烈な打球が飛んでくる場合も多く、足の速い選手が理想的なポジションだ。 ここは、スバル3代目インプレッサWRX STI(2007年)の出番だろう! インプレッサWRXシリーズのなかでも人気を誇る3代目で、発売当初のハッチバックに加え、4ドアセダンも設定。 どちらも筋肉系のスタイルで格好いい。 まさにレフトにつく選手とかぶる。 2L、水平対向4気筒ターボは最高出力308psと実にパワフル。この出力をもって打球を追う。3代目インプレッサWRX STIなら任せて安心。エラーなどするはずもなし! 外野の守備、その要となるのがセンター。 なにせ、前後左右に打球がどんどん飛んでくる。 それを軽やかに走り、キャッチしなければならない。 このポジションに似合うのは、マツダ初代ロードスターしかいない。 軽量で強靭なフレームを採用し、1.6L、直4DOHCを縦置きに搭載。 意のままに走れる「人馬一体」感で痛烈な打球も、風を切りながらキャッチ! うん、サマになること間違いなし。 ■驚きの好燃費でイチローのように長く「走り続ける」プリウス そして、ライトを守ってもらうのはトヨタ3代目プリウス(2009年)。 予約受注がものすごい数で、発売されてからも長らく月販台数1位に輝いていた超人気モデル。 その人気のさまは、ライトといえばこの人、イチロー選手を彷彿させるほど。 新開発のハイブリッドシステムTHS-Ⅱを搭載し、当時の10・15モード燃費で38.0km/L。 この驚くべき数値で、イチロー選手同様にず~っと、なが~く走り続けたのである。 ……以上。 「野球のポジションを連想させる9台の国産旧車」を、個人的主観で取りあげてみたが、野球選手のアグレッシブな動きをイメージさせるモデルばかりじゃないですか! と判明。 秋まで熱く続くプロ野球を観戦しながら、選手たちにクルマをカブらせてみることも一興かもしれない。 [画像・トヨタ,日産,ホンダ,マツダ,三菱 / ライター・柴太郎 ]
ここ10年くらいで「終活」という語句の響きや意味合いが、比較的ポジティブに捉えられるようになった印象がある。 いまや、銀行口座の暗証番号や、生命保険の連絡先、ネット関連のパスワードなど、基本的に本人しか知り得ない情報をまとめて書き記すことができる「エンディングノート」が100円ショップでも売られているほどだ。 それだけ「終活」という行為が市民権を得られるようになったのかもしれない。 しかし、お膳立ては整っていても、当の本人が行動を起こさなければ何もはじまらない。そして「そのとき」に周囲を巻き込んだ大騒動にもなりかねないことも事実だ。 ■愛車の終活。不意に「そのとき」が訪れてからでは遅すぎる 「そのとき」。 それはつまり、クルマを所有するオーナー(この記事を読んでいるあなた)が、すぐにでも入院したり、施設に入居しなければならないなど……。オーナーの体調が思わしくない"のっぴきならない状況"を意味する。 そんな急を要する状況で、「クルマの終活云々」だなんていってられないことは容易に想像ができるだろう。 とはいえ、オーナーとしては自分の家族はもちろん、大切な愛車のことも気になって仕方がないはず。ただ、当の本人はそれどころでなくて、どうにもできない状況であることもまた事実なわけで……。 こうなってしまっては残された家族も大変だし、「大事なクルマなのは分かるけれど、処分に困る」というのが本音だろう。 早すぎるということはない。とにかく早めに動いておくことが重要だ。自分自身への戒めを込めて。 ■「早く処分したい」のか「大切に乗り継いで欲しい」のか? 前者であれば話が早い。買取り業者に依頼して買い取ってもらう方法がもっとも手っ取り早く、しかも手間いらずだ。 ただし、買取り業者が査定に来たその日に大切な愛車が引き取られていく可能性が高いので「最後にドライブをしてからお別れをしたい」といった時間的猶予がないことを知っておいたほうがいいだろう。 そのため、ひととおり別れの儀式を済ませてから買取り業者に依頼することを強くおすすめしたい。 反面、後者の場合はどうだろうか。 身内をはじめ、信頼できそうな友人・知人に声を掛けてみるといいだろう。「俺(私)がいざというとき、このクルマに乗って欲しい」と。 悲しいかな、前述の人たちから色好い返事がもらえなかったら、SNSを活用するか、ネットが苦手であれば、信頼できる身近な人に代行してもらえれれば、誰かしら名乗り出てくれる。 あまり興味がない身近な人より、オーナーと熱量が近い(あるいはそれ以上の)次期オーナー候補に託した方が、クルマとしても長生きできる可能性が高まるはずだ。 ■購入希望者と面談するという手もある 「かといって、手塩に掛けた大事な愛車を"どこのウマの骨とも分からんヤツ"にだまって譲るわけにはいかん!」 その気持ちも痛いほど分かる。 日々、取材を通じてオーナーインタビューをしていると「前オーナーさんと面談をして、お眼鏡にかなったから譲ってもらえた」というエピソードを伺うことがある。 不思議なもので、相対したときの第一印象というのは総じて当たることが多い。 いわゆる「直感」というやつだ。 電話やメール、LINEなどでどれほど美辞麗句を並べても、実際に会ってみないとその人の"人となり"は分からないものだ。 ひまひとつ信用できない、目が笑っていない……などなど、ふとしたときに感じた違和感(直感)は信じた方がいいと個人的に思う。 たとえ口下手であっても、本気度って伝わるもの。むろん、その逆も然りだ。 ■手放して別の誰かのものになった瞬間、決定的に何かが変わる 仮に長年の付き合いの親友が大事な愛車を引き取ってくれたとしよう。 いつでも会える間柄だし、気心知れた相手に譲ることができてホッとしているかもしれない。 しかし、手塩に掛けた愛車はもう他人のものだ。たとえそれが小学生の頃から付き合いがある親友であったとしても。 マフラーを交換しようと、オールペンしようと現オーナーの自由だ。 仮に、親友が前オーナーであるあなたに敬意を表して「現状のまま」乗ってくれたとしよう。 それでもやっぱりもはや別のクルマだと悟るべきだ。 手放して別の誰かのものになった瞬間、決定的に何かが変わる。 その揺るぎない事実はいまから覚悟しておいた方がいいかもしれない。 ■まとめ:誰にでもクルマの終活の時期は訪れる。そのためにも・・・ どれほど手塩に掛けた愛車であろうとも、悲しいかないつかは別れのときが必ずやってくる。何人たりとも「必ず」だ。 それが1年後なのか、30年後なのか誰にも分からない、というだけのことだ。 その「いつか」に大して備えることはできる。 エンディングノートや遺言書に明記する方法もそのひとつだろう。 次期オーナー候補に(口約束でもいいから)話をつけておいてもいいかもしれない。 筆者の知り合いには「家族は乗らないことが分かっているから、自分が何かあったときに困らないよう、いまから奧さんの名義にして有事の際にはいつでもクルマを売却できるように」と、明確に方針を示している人もいる。 無事に次期オーナーが決まり、大切な愛車を引き継げたら……。 それはもはや、最愛の娘を嫁に送り出したようなものだ。 それこそ新たな生活に口出しするのは野暮というもの。 あとは何も「見ざる聞かざる言わざる」を貫き、少しずつさまざまな思い出を美化していくことで、自身のカーライフも無事「大団円」を迎えることができると信じたい。 余談:クルマ好きによるクルマ好きのための・・・ この記事の初稿ができあがったあと、旧車王ヒストリアの運営母体である「旧車王」の担当者の方にもチェックしていただいた。 すると「編集長、これだけは念を押して読者の方に伝えてほしい」と、普段ではあまりないトーンで返信があった。 『旧車王としては、お客様の気持ちも踏まえて買取りをしているし"最後にドライブしたい"というお気持ちにも寄り添っています!』としっかり書いておいてください、とのことだった。 「旧車王」を立ち上げたカレント自動車の人たちとは長年、お仕事をさせていただいているが、クルマ好きの人たちの集まりだということは筆者もよく知っている。 クルマ談義になると仕事そっちのけで脱線することもしばしばだ。 オーナーにとってまたとない愛車を手放すときの心境、そして行く末も案じたうえで買い取るように心掛けているというのは、同じクルマ好きとして本心だということが伝わってきた。 もし、ゆくゆくは愛車の終活を考えているとしたら、一考の余地はあると思う。 [画像/Adobe Stock ライター・撮影/松村透]
開放感のあるピラーレスハードトップが特徴的な、日産 330型セドリック。国産高級セダンでありながら、アメリカ車のデザインを融合させた異色のモデルです。 また、最上級グレード「ブロアム」が初めて設定されたのも330型セドリックでした。「輝ける変身」をキャッチコピーに掲げ、日本の経済成長とともに駆け抜けた330型セドリックの魅力に迫ります。 高度経済成長のなかで生まれた330型セドリック 330型セドリックの登場した1970年代は、日本が高度経済成長期を迎えて人々が豊かになりつつある時代でした。当時の日産は、アメリカ車のデザインからまだ脱却していない時期でしたが、330型セドリックは単なる模倣ではなく、アメリカンテイストを日本車に取り入れて見事に昇華させたモデルです。 高級志向の高まりに呼応するかのように登場した、330型セドリックの誕生背景を振り返ってみましょう。 迫力あるボディとわかりやすいラグジュアリー感 セドリックとして4代目の330型セドリックの登場は1975年。3代目の発売から約4年ぶりのフルモデルチェンジを果たします。コンセプトは先代を踏襲しつつ、さらにアメリカンテイストを取り込んで大柄で迫力のあるデザインに仕上がりました。 経済的に豊かになり、高級志向が高まりを見せつつあった時代に対して日産の出した答えが330型セドリックです。ボディサイズが大型化されただけでなく、開放感のあるピラーレスハードトップを筆頭に、内外装含めてアメリカ車のようなわかりやすい高級感を取り入れてデザインされました。 最上級グレード「ブロアム」は330型セドリックから始まった 日産セダンの最上級グレード名として、1990年代の終わりまで使われていた「ブロアム」。(一部車種では2000年代にも限定的に使用)最初にブロアムが設定された車種が330型セドリックでした。 ブロアムとはかつての馬車の形を指す言葉で、イギリス男爵ヘンリーブロアムが由来です。本来のブロアムは、御者の乗る席には屋根はなく後席のみにキャビンがある形状です。330型セドリック「ブロアム」とは、形式上の共通点は見当たりません。ブロアムと名付けた真意は不明ですが、最高級グレードとして後席のラグジュアリー感も重視したという意味合いでしょうか。 アメリカンテイストの高級車「330型セドリック」3つの魅力 流れるようなリアクォーターのラインに、コークボトルデザインを取り入れた豊満で複雑なフォルム。さらに内装や装備面も充実させ、330型セドリックは豪華さを目に見える形でわかりやすく表現しました。 豊かになって高級志向の高まったユーザーを釘付けにした、330型セドリックの魅力を3つ紹介します。 開放感を味わえるピラーレスハードトップ 330型セドリックのボディバリエーションの一つが、ピラーレス・ハードトップです。窓枠付きの硬派なセダンと異なり、Bピラーとサッシュをもたないため、サイドはスポーティな印象です。 ピラーレスのクルマが初めてお披露目されたのは、1949年のアメリカ、キャデラック・クーペドゥビルでした。現在でもメルセデス・ベンツやロールスロイスなどの高級クーペが採用しています。窓を全開にすると前席と後席が一体となり、アメリカのロードトリップを思わせる、この上ない開放感を味わえます。 また、豊富なボディバリエーションをそろえていた点も、330型セドリックの特徴です。ピラーレス構造を採用した4ドアハードトップに加え、通常の4ドア、2ドアハードトップをそろえ、豊かになった日本人の幅広いニーズに応えました。 存在感のあるフロントマスク フロントマスクの印象が、330型セドリックに車格にふさわしい風格と迫力を与えています。大型バンパーとフロントグリル、さらにヘッドライトを囲う四角い枠までクロムメッキ加工という徹底ぶりです。また、ボディの至る所にもクロムパーツが使用されていました。 特にブロアムを含む4ドア系ではヘッドライトに丸4灯を採用していたこともあって、フロントマスク全体が光り輝く威風堂々とした印象でした。全長4.7mにも及ぶ大型ボディに負けないフロントマスクのデザインによって、大きくて高級というセドリックのコンセプトをしっかりと表現しています。 高級感あふれる内装と豪華な装備 330型セドリックのシートには、厳選された生地を使用し、自宅のソファさながらの心地よさを再現しました。運転席には本革巻きステアリング、木目パネルを取り入れたコックピットには高級オーディオを装備しています。 さらに、デュアルエアコンや後席パワーシートといった先進の快適装備に加え、大型アームレストやトランクオープナースイッチ、高級カーペットまで備えた「高級車」にふさわしい仕様です。 330型セドリックは旧車ファンの間で人気 日産 セドリックは、後継車「フーガ」に引き継がれる2004年まで、44年間にわたるロングセラー車種でした。なかでも独特なアメリカンスタイルの330型は、今でも旧車ファンの間で人気モデルです。 しかし、330型セドリックは、販売開始からすでに50年近く経過している旧車です。納得のいく一台を見つけるには、信頼のできる中古車業者へ相談しましょう。購入する際は必ず現車を確認し、必要なメンテナンスや費用についてしっかり確認することが大切です。 また、人気の高さから、330型セドリックには思わぬ高値がつくかもしれません。売却する際には、旧車を専門に取り扱う業者で正しい価値を査定してもらいましょう。 ※経過年数は2023年6月執筆当時
■第12回 ~アルミ弁当箱と旧車の意外な関係~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 「旧車王」連裁12回目となりました。 今回は「スーパーロボット マッハバロン」から、「アルミ弁当箱と旧車の意外な関係」を語って行きたいと思います! ■~アルミ弁当箱に描かれない車両達 その7~ アルミ弁当箱には特撮やアニメ、漫画などたくさんのヒーローが描かれます。 そして、そのヒーローを助ける人間達の武器や、戦闘用のメカ等も描かれるわけです。 そのなかでも比較的多いのは、空を飛ぶ戦闘機が数多く描かれていますが、活躍が地味(?)な車輌は描かれていることが少ないようです。 今回もあえてそんな車輌たちに注目していきたいと思います。 今回「スーパーロボット マッハバロン」から、「フェアレディZ(S30)」「コルト1100F」「スズキジムニ(360CC)」をお送りいたします。 ■~ノーマルでも注目度抜群の車達が!マッハバロンの「マッハトリガー」~ 私は「レッドバロン派」ではあるが(そんな派閥はない)、「マッハバロン」は圧倒的に個性豊かなクルマが登場しました。 その中でも、当時ノーマルですら個性豊かだった日産の「フェアレディZ(S30)」をベースに作成された「マッハトリガー」は、本当に空を飛びそうなデザインでした。 しかし、このコラムでも書き続けているのですが、ベース車両が明確にわかる国産車は、アルミ弁当箱に描かれることはほぼありません。 もちろんプラモデルや超合金は発売され大人気に。 マッハトリガーが描かれているアルミ弁当箱が発売されていたら、きっと大人気になったことでしょう。 (写真は432ですが、まさか432をベース車にはしなかったですよね?) ■~脇役もキラッと光る名車揃い!~ マッハバロンの特撮車輌選定をされた方は、なんてセンスの良い担当者だったのでしょうか? 劇中で登場する脇役のクルマたちを見ると、勝手に想像してしまいます。 「スズキジムニ」にうる覚えなのですが、「コルト1100F(800だったらごめんなさい)」などが登場していました。 ただ、コルト1100に関してはどのシーンで登場していたかが、記憶があやふやで申し訳ありませんが・・・、確かに出ていたのはマッハバロンで間違いないと思います。 このクルマも今見ると、本当に劇中用にデザインされたようなクルマでした。 現在でも大人気の「ジムニ」。 そのルーツである「LJ10型(20かもしれません)」が登場していました。 特に幌をはずして劇中で乗っていたイメージが強く、主人公やKSSの隊員たちが主に使っていました。 その他にも、当時の名車が結構活躍していたのがこのマッハバロンだったので、レッドバロンのようにアルミ弁当箱の図柄にも使って欲しかったです! KSSといえば、現在では「幻の特撮女優」の「小杉愛隊員」こと「木下ユリ」さんが大好きでした。 ぜひ、いろんな意味でDVDでご覧になってください! ■~おまけ~ 個人的な趣味ではあるのですが、私は特撮やアニメの「エンディングテーマ」が大好きなんです。 このマッハバロンのエンディング曲である「眠れマッハバロン」は、私の中の「三大泣けるエンディング曲」のひとつとして、カラオケでも涙なしでは歌えません! ちなみに他の2曲は「一休さん」の「ははうえさま」と、「はじめ人間ギャートルズ」の「やつらの足音のバラード」です。 みなさまはどのエンディング曲がお好きですか? 今回は最後は私の趣味丸出しの、アニメエンディング曲で締めるという暴挙をお許しください! また、王道ライターのみなさまとは違った角度でのコラムをお送りしたいと思います。 よろしくお願いいたします。 そして「旧車王」共々「マツドデラックスコレクション アルミ弁当箱図鑑」もよろしくお願いいたします。 アルミ弁当箱を展示して欲しい、アルミ弁当箱の貸し出し、トークショーやイベント等と、ご要望のある方もぜひお声をかけてください。 ●アルミ弁当箱図鑑 厳選50 ーマニア編ー マツドデラックスコレクション (ヴァンタス) https://www.amaZon.co.jp/dp/4907061471 そしてなんと!この私に映画出演のオファーがありました! 「路恋人」監督の「ぜんぶ朝のせいだ!」にちょこっと出演させていただきます。 詳細が決まりましたらまたご報告させてください! ●映画『ぜんぶ朝のせいだ』オフィシャルTwitterhttps://twitter.com/morningall2023 ●映画『ぜんぶ朝のせいだ』特報https://www.youtube.com/watch?v=vg0LHPEM6Ss [画像/日産,スズキ,,三菱・撮影/ライター マツド・デラックス(山本圭亮)]
私は、Z32専門店を営む店主ですが、オーナーの一人でもあります。 私自身が、このクルマに乗ることで、お客さまにもその楽しさをお伝えしています。 長年乗っていますが、不思議と他車に乗りたいと思ったことがありません。 どんなにクルマが進化しても興味が湧かず、Z32に乗っていきたいのです。 では、その醍醐味とは何でしょうか? 改めて、考えてみました。 ■醍醐味1:とにかくカッコイイ!他車に目移りしない! これは手前味噌ですが(笑)、とにかくZ32がカッコいいのです! もちろん仕事抜きで! 何らかの魅力がなければ、ましてやカッコ悪ければとっくに乗り換えていますよね? その魅力がいつまで経っても変わることがなく、他車に目移りしないのは私自身も不思議です。 と同時に、いつまでも飽きることがなく、そして魅力が色褪せない存在(私にとってのZ32)に巡り逢えた幸運に感謝しています。 ■醍醐味2:自分だけの愛車!所有欲や優越感が半端ない! 自分だけのクルマという実感があります。 豊田章男氏が「クルマは“愛”がつく工業製品である」と語っていましたが、まさに「愛車」です。 毎日のように接する冷蔵庫や洗濯機などの「白物家電」に愛着があっても、それとは別の感情のように思えます。 しいていえば、愛用のカメラや自転車、オーディオなどの趣味の世界と同じカテゴリーではないでしょうか。 しかし、買い替えたり、数が増えていったり‥と、ひとつのものだけを長く使うケースは意外に稀のように感じます。 こんな所有物はなかなかありませんよね? その感覚がいつまでも色あせず、所有欲や優越感が継続するのは不思議です。 ■醍醐味3:クルマであってクルマじゃない!いつまでも連れ添いたい! クルマであってクルマでない感覚があります。 ポルシェを語る際に「最新は最良」という表現がよく使われますが、これは他のクルマにも当てはまると思っています。 機械として進化したものがベストであり、最新モデルに乗りつづける、乗りつづけたいという欲求は(ステータス云々はさておき)至極真っ当です。 しかし、最新モデルに魅力を感じない、敢えて不便で、最新モデルと比較していつ故障するかも分からない旧車にこそ魅力を感じる方がいます。 機械である以上、それは気のせいでしかないのですが、ときにまるで意思を持っているかのような錯覚に陥ることがあります。 デジタルではなく、機械というより、どこか人間味がある。 ハイレゾオーディオより、レコード(または蓄音機)が奏でる音に魅力を感じる方と似ているかもしれません。 その雰囲気がいつまでも失せないからこそ、連れ添っていきたいと思うのです。 ■醍醐味4:大事に乗らなきゃ!オーナーとしての志が高まる! オーナー次第でクルマのコンディションが大きく変わるのが旧車の世界。 それだけに「大事に乗らなきゃ」という愛車精神のようなものが自然と生まれます。 これぞ旧車の醍醐味と感じるか、煩わしいと感じるかによって、古いクルマに対する向き不向きが見えてきます。 私の場合、その気持ちがいつまでも失せず、オーナーとしての志が高まっていくのを実感する日々です。 ■醍醐味5:同じクルマを乗る仲間との出会いも!連帯感が生まれる! クルマはコミュニケーションツールとおっしゃるお客様がいらっしゃいます。 Z32を所有していなければ、Z32を生業とするような仕事を選んでいなかった確率が高いでしょう。 仕事であっても、同じクルマを乗る仲間と出会いが嬉しいです。 年齢を重ねるに連れて、友だちが作りづらくなりがちです。 しかしクルマという共通言語があるおかげで、年齢や世代を問わず、それぞれに人生を歩んできた方たちと知り合うことができます。 そして、クルマを介して知りあった仲間たちとは、一生の友だちになれるほどの連帯感が生まれるのが不思議です。 ■まとめ 一期一会で出会ったクルマを愛し、大事に乗ってゆく。 その価値感こそが、最大の醍醐味ではないでしょうか。 旧車は、今のクルマにないスタイル、雰囲気、味わいが堪能でき、一生飽きることのない素晴らしい存在です! ・ホームページhttp://www.Z32-Zone.com/ ・Facebookhttps://www.facebook.com/pages/Fairlady-Z32-Proshop-Zone/286263454768481 ・Instagramhttps://www.instagram.com/Z32_Zone.omura/ ・YouTubehttps://www.youtube.com/user/ZoneZ32 [ライター・撮影/小村英樹(Zone代表)]
1981年8月1日。12時10分に放送を開始したミュージックビデオ専門局「MTV(music television)」で、開局一番で最初にオンエアされたのが、バグルズの「ラジオ・スターの悲劇(Video Killed the Radio Star)」。 という情報なら、多くの皆さんは(おおむねWikipediaなどで)ご存知のことと思います。 1981年当時のミュージックシーンでは、MTVの開局で、多くの人がこの曲で唄われているように、音楽はビデオでの再生がメインになり、ラジオは廃れてゆくのだろう、と考えていたような気がします。 ▲ダイヤル回してチューニング。ボタンはよく聴く局をプリセットできましたよね 当時ハタチそこそこのワタクシたちは、このムーブメントの真っ最中にありました。 ニューウエイヴとかテクノと呼ばれていた、新しいサウンドに夢中になっていた(ような気がしてた)ワケで。 多分リアルタイムではないけれど、夜中のテレビで「ラジオ・スターの悲劇」のミュージックビデオを観て、直立不動で機械的なアクションをするヴォーカルの不思議な魅力に夢中だったのであります。 そして時は巡り2020年代。 すなわちアレから40年経った今、果たしてラジオスターは居なくなったんだろうか? ▲シンプルで「手探り」でも操作できるインターフェイスは、今考えても秀逸 確かにメディアとしては、ラジオはメインストリームではないにせよ、未だ多くの人はラジオを聴いていますよね。 というか、リスナーの数はデジタル化やポッドキャストなどでの配信、あるいは地域を超えての聴取が可能になるなどの広がりもあり、増えているとはいえないものの、radikoなどのネット系ラジオやコミュニティFM局などのリスナーはまだまだたくさんという感じ。 すなわち、ラジオ・スターは「まだ」死んでない、のではないかと思うのです。 というわけでクルマの話でしたね。 相変わらず前置きが長くて申し訳ない。 このままだと前置きだけで終わっちゃうんじゃないかと思ったりするひともいるかもしれませんが(笑)。 さて、クルマ。車内でのメディアといえば、オールドタイマーの我々からすれば、ソレは当然「ラジオ」であり、クルマを走らせながら「ラジオ」から流れてくる音楽やおしゃべりに「耳を傾けていた」時代が、ありましたよね? あったでしょう? 特に夜中なんかに高速道路流してると、ちょっとスカした洋楽ファンの人なんかは「FEN」なんかにダイヤル合わせたりして。 ▲ダッシュボード一体型の「インダッシュ(笑)」タイプのカーコンポの一例 その頃のカーラジオって、すんげー無骨なボタンが6個ぐらいついてて。 ボタン押すと「ガシャッ」という、いかにも「機械押しましたよ」的な感触とともに、しょぼいスピーカーから流れてくる音楽が心地よかったんじゃないかと思います。 そう、あの頃のカーラジオは、無骨でシンプルでわかりやすかったですよ。 付いてるのは、大きなボタン数個とチューニング用のぐるぐる回すダイヤル。 うすボンヤリした透明なガラスかプラスティックには周波数が書かれてあって、オレンジ色の針が目的のラジオ局を指す。 クルマのラジオってのは免許取り立ての初心者からジイさんバアさんまでが安心して使えたシンプルなインターフェイスで、それは単なるノスタルジイではなく、今でもそうあって欲しいと思ったりする使いやすさがあったハズです。 ▲お金持ってない人は「コンポ」じゃなくて「カーステレオ」止まりだったか そういや、初めて所有した中古のトヨタ カリーナは、ラジオのダイヤルをグって押すと電源がONになり、ボンネットのロッドアンテナが「グワチャッッ」ってでかい音を立てて飛び出したりして。 何と半分くらいが飛び出すだけで、その後は手動で「っつつーっ」と、アンテナ伸ばしてあげないと、綺麗に受信できなかったりしたシロモノだったのです。 そうしてしばらく経つと、こんどは「カセットテープ」という媒体がクルマに侵入してきて、80年代とか90年代は「カーステレオ」とか「カーコンポ」にお金をかける奴が続出しましたね。 クルマの中は最上の音楽空間だとか言ったりしてたメーカーもあり、カーステレオが超豪華な、しかもグラフィックイコライザがチャラチャラ光ったりして、何やら賑やかな「コックピット」でクルマ走らせる、そんな時代だったわけで・・・・。 ▲カセットテープは「縦」に入れるタイプと「横」に入れるタイプがありましたね 正直、デジタル化が進んだ今は、そんな豪華なカーコンポなんて誰も積んでませんわね。 トランクにCDチェンジャーがあって、12枚も連続再生!なんて時代もあったけれど、元々「ラジオ」だった車内スペースは、時代とともに変化していき、今では小さなディスプレイであらゆる情報を(もちろんラジオも)伝えてくれます。 いや、いい時代になったもんです。 と、思いつつも、ワタクシの2馬力の助手席の下にある(そうだ!吊り下げ式だぜ!)、ガチャンと押せるボタンがついたラジオから、その、たったひとつしかない安物のスピーカーから、ときどきチューニングがズレるようなラジオの音が聞こえてくる。 すると、DJやパーソナリティの声もなんとなくノスタルジックな感じがして、そこから80年代の旧い曲なんかかかってきたら、おっさんハンドル握りながら泣いちゃいますよ(笑)。 ▲というわけで、ワタクシの2馬力は「吊り下げ型」。すなわち後付けタイプ あ、アンテナ伸ばさないとよく聞こえないんだよね。 いや、FMだって入りますよFM。当時はFM東京とNHKFMしかなかったし、ときどきNHKFMヨコハマが紛れ込んだり。 AMでいえばニッポン放送のすぐ脇に、ちょっとチューニングずらすとモスクワ放送が入ってきてたなあ、 みたいな昔話も、なかなかできなくなっちゃいましたが。 ▲ラジオのアンテナは手で伸ばす必要アリ。伸ばさないとラジオがちゃんと聞こえないっス とりあえず、ラジオ・スターは「未だ」ビデオに殺されなくて済んだようです。 [画像/Pixabay・ライター/まつばらあつし]
数年ほど前から高齢者による自動車事故が取り沙汰されており、ご自身もしくは身近の高齢者の免許返納を考えている方も多いのではないでしょうか。免許返納は周りの人に心配をかけない、事故を起こさないためにも非常に大切です。そこで今回は、免許返納の年齢を決めるポイントと年齢を誤ることによるリスクについても解説します。 免許返納の年齢別件数 免許返納の年齢別件数は、運転免許統計として警察庁から発表されています。令和2年度の年齢別件数では65歳以上が最も多く、525,942件と全体の95%を占めています。平成30年度の65歳以上と比べてみても平成30年度は406,517件ですので、ここ2,3年で免許返納者の数は急激に増加しています。理由としては、ここ数年で高齢者の逆走や踏み間違えなどによる事故が頻発するようになったことが挙げられます。 出典元:警察庁『運転免許統計 令和2年版』 免許返納の年齢を決める時のポイント 免許返納をいつするのか、免許返納の年齢を決める時のポイントについて解説します。 運転に不安を覚えたら年齢に関係なく返納する 免許の自主返納に年齢制限はないので、運転に不安を覚えたら年齢関係なく返納しましょう。高齢者が多く返納する理由は、運転で事故を起こすリスクが高いからです。高齢者でなくとも、運転で事故を起こす可能性があるかもと感じた方は自分のためにも返納しましょう。 特典を受け取れる年齢を目安にする 65歳以上の高齢者に対しては、高齢者免許自主返納サポート協議会が特典を用意しているので、その特典を受け取れる65歳を目安に返納をするのもよいでしょう。特典は、タクシーやバスなど交通機関の割引、商品券、飲食店の割引など自治体によって異なります。また、免許を自主返納すると運転免許証と同様に公的身分証明書として使うことのできる「運転経歴証明書」を発行してもらえるので、身分証がなくなる心配もありません。 家族を不安にさせているかどうか 自分だけではなく、家族など身の回りの人を不安にさせているかどうかも免許返納を決めるときの大切なポイントです。自分では問題ないと思っていても周りの人からすると危ない運転をしている可能性もあります。そのような場合は、自分の大切な人に心配をかけないためにも免許を返納しましょう。 交通の便 交通の便を考えて免許返納の年齢を決めるのもよいでしょう。基本的に都会と田舎では公共交通機関の発達度合いが異なるため、場所によって車がなくても生活できたり、できなかったりします。自分の身の回りの交通の便を考えて免許返納をすることも大切です。 免許返納の年齢を誤る問題点 免許返納の年齢を誤ると様々な問題が発生します。 事故を起こすリスクが高まる 免許返納の年齢を誤ると交通事故を起こすリスクが高まります。特に高齢者は目の認識機能や体の反応する速度がどんどん衰えていくので、免許返納を遅らせるほど事故を起こすリスクが上がります。事故を起こすと、被害者だけではなく、自分の家族にも迷惑がかかってしまうので、免許返納をする年齢は適切に判断しましょう。 人を巻き込むと多額の損害賠償が発生するリスクがある 人を巻き込んだ事故の場合には多額の損害賠償が発生するリスクがあります。特に、被害者を死亡させてしまった場合には、数千万単位かそれ以上の損害賠償が発生するケースが少なくありません。このような事態を防ぐためにも、免許返納を検討しましょう。 罪に問われるケースもある 場合によっては罪に問われるケースもあります。例えば、不注意で人身事故を起こしてしまった場合は過失運転致死傷罪が適用され、懲役7年以下又は罰金100万円以下が科される可能性があります。免許返納の年齢を誤ると、こういった罪に問われるリスクも増加します。
■幕張メッセで目を奪われた、どこか見覚えがあるクルマ 4月に開催されたオートモビルカウンシル2023の会場で、多くのマニアが釘付けとなっていたマツダ・MX-81。 直線的でありつつも有機的なデザインを纏った古のコンセプトカーは、どこか見覚えがある佇まいをしていました。 ホイールには「design BERTONE」の文字。イタリアの名門カロッツェリア「ベルト一ネ」によってデザインされたことを主張する、楔形をした金色のボディは、私が好きな「ボルボ・ツンドラ(Tundra)」というコンセプトカーによく似たものでした。 しかし、マツダブースにボルボ車が展示されているはずがありません。 ボディ後部に回り込むと、ナンバープレートには「MX-81」と書かれていました。 私はそこではじめて、マツダ・MX-81というコンセプトカーの存在を知ったのです。 スポットライトに照らされた、ソリッドな面質が美しいボディラインに目を奪われて、何度もマツダブースを訪れました。 今日はそんなスタイリッシュなコンセプトカー、MX-81とベルト一ネ・デザインについて、少し考察してみようと思います。 ■大胆なデザインを纏った「10年後のファミリア」 まず、マツダ・MX-81について簡単にご紹介しましょう。 「10年後のファミリアはどうなっているか」をコンセプトとして制作されたのが、「マツダ・MX-81」です。当時のベルト一ネのチーフデザイナーであったマルク・デュシャンによるデザインは非常に先鋭的で、非常に低いベルトラインと広大なグラスエリア、ポップアップ式のヘッドライト、さらにはリアガラスに大きく沿うテールランプを備えた楔形のボディは、多くの人の記憶に残るものでした。 しかし、この大胆なデザインは、市販化に至ることはありませんでした。 内装はさらにエキセントリックで、運転席の目の前にそびえるのは大きなブラウン管のモニター。 幼い頃に実家のリビングルームにあった、大きな箱型のテレビを彷彿とさせるモニターをぐるっと囲むように配置されているのが、キャタピラ状のステアリング。画面を確認する視線を遮らない斬新な形状のステアリングは、MX-81の最大の特徴です。 ひし形の模様が入った布地のシートは回転式で、さらには助手席の前には大きな箱型の収納が備わり、機能的かつ大胆なインテリアが特徴的だったといえるでしょう。 ■ボルボ・ツンドラ、シトロエン・BX・・・。MX-81には「兄弟」がいる 私がマツダ・MX-81をはじめて見たときに脳裏に浮かんだコンセプトカーが、ボルボ・ツンドラ。1979年にベルト一ネによって製作されたコンセプトカーです。 ゴールドの塗色が目を引く楔型のボディラインは、当時のベルト一ネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニによってデザインされたもので、リアサイドの上端が引き下げられたウィンドウが特徴的でした。 インテリアには、当時としては非常に珍しいデジタルパネルを横長に配置したダッシュボードが採用されました。 ガンディーニが提案した未来的なコンセプトカーは、積み木やレンガのように真四角なデザインが特徴的だった当時のボルボにとって、あまりに先鋭的であったといえるでしょう。 結果として、ボルボがタンドラの市販化にゴーサインを出すことはありませんでした。 しかし、この楔形をした金色のコンセプトカーは、後にさまざまな「兄弟」へと派生していくのです。 そのひとつが、今回の話題の中心でもあるマツダ・MX-81。 このコンセプトカーのデザイナーは、先ほどご紹介した通り、マルク・デュシャンという人物です。 デュシャンはマルチェロ・ガンディーニのアシスタントとして、ツンドラの制作過程を目の当たりにしていました。 1979年にガンディーニがベルト一ネから離れてフリーランスへと転ずる際に、その後任としてチーフへと昇格したデュシャン。 まもなくして開発が始まったのが、MX-81でした。 ゴールドの塗色が印象的な楔型のボディだけではなく、ボディを上下に二分する彫りの深いプレスライン、華奢なAピラー、ポップアップ式のヘッドライト、モニターを積極的に採用した未来的なダッシュボードなど、多くの共通項を持つツンドラとMX-81。 シャープで先鋭的なコンセプトカーを制作するうえで、デュシャンが先輩(ガンディーニ)から多くのインスピレーションを得ていたことは疑いようがありません。 そしてツンドラとMX-81は、ともに先鋭的過ぎるが故に、市販化が叶わなかった2台でもありました。 近い時期に同じカロッツェリアで制作されたこともあり、共通したDNAを数多く有している、MX-81とツンドラ。 その一方で、2台を見比べてみると、デザイン意図が大きく異なっている箇所を見つけることもできます。 もっとも大きな差異は、サイドウィンドウの形状。 ベルトラインが低く、非常に広大なグラスエリアを有するMX-81に対して、ツンドラはリア部分のウィンドウの上端が低く、天地が狭められているのです。 この特徴的なツンドラのCピラーは、また別の「異母兄弟」に引き継がれました。 それが、ガンディーニがベルトーネ在籍時代に最後に手掛けた、シトロエン・BX(1982年発売)です。 ボルボがツンドラの量産化に対して「ノー」を突き付けたのち、ガンディーニは“ベルト一ネ的インスピレーション”に満ちたツンドラのデザインを、シトロエン・BXのデザインに積極的に盛り込んだといわれています。 2台を見比べてみると、特徴的なリアサイドのウィンドウデザインだけではなく、丸みを排除した直線的なボディラインや平面的なフロントフード、華奢なAピラーにスクエアなフェンダーアーチ、大きく寝たリアウィンドウに「く」の字に折れ曲がったリアゲートなど、たくさんの共通したデザイン要素が見て取れます。 日の目を見なかったボルボ・タンドラの先鋭的なデザインは、シトロエンのもとで5ドアに引き延ばされ、多少の変更が加えられたのちに、遂に量産にありついたのです。 シトロエンは、革新的でエキセントリックで、常に独自の哲学を貫いてきた自動車メーカーです。 だからこそ、“ベルト一ネ的インスピレーション”に満ちた大胆なデザインを量産車に落とし込み、12年間で230万台以上を販売することができたのでしょう。 さて、ボルボで量産化されることがなかったツンドラですが、後にボルボは「ちょっとだけツンドラっぽい」クルマを販売していました。 それが、1985年に発売されたボルボ・480です。 ボルボで唯一リトラクタブル・ヘッドライトを備えているモデルとして知られています。 480の最終的なスタイリングを担当したのは、ダッチ(オランダ)・ボルボのデザインスタジオに所属していたデザイナー。 そのため、480は「ボルボ内製デザイン」のクルマであり、ベルト一ネ・デザインを纏っているわけではありません。 しかし、480の楔形のボディを特徴づける低いノーズや、フロントバンパー下部に配置されたグリル・エンブレム、そしてリアウィンドウの下に横長に伸びるテールランプなどの随所から、480のデザインが、ツンドラからインスピレーションを受けたものであることが伺えます。 480のデザインの成り立ちについて、正確には、「ベルト一ネがボルボ・スウェーデン本社と練ったデザインをベースに、オランダのデザイナーがスタイリングを完成させた」といわれています。 広義で捉えれば、480は(BXと並んで)“量産化したツンドラの姿”のひとつであり、マツダ・MX-81の遠い親戚のひとりであるともいえるでしょう。 ■マツダ・MX-81をさらにモダンにしたコンセプト⁉ シトロエン・ザブリュ(Zabrus) ここまで、マツダ・MX-81を起点にして、デザインの源流をボルボ・ツンドラまで遡り、MX-81の「兄弟」と“ベルト一ネ的インスピレーション”について綴ってきました。 最後にご紹介するのは、ベルト一ネが1986年に設計した、シトロエン・ザブリュというコンセプトカー。 デザイナーは、MX-81と同じくマルク・デュシャンです。 このクルマ、どことなくMX-81の雰囲気を受け継いでいるように思えます。 全体のボディラインはMX-81よりもはるかに曲線的で未来感に溢れているものですが、細部に着目してみると、MX-81のDNAを随所に感じることができるのです。 楔形のボディを上下に分かつ深いプレスラインや、回転式のフロントシート、大きなモニターディスプレイを採用したダッシュボードなどMX-81に見られる特徴を“踏襲”しているザブリュ。 Cピラーをぐるっと囲むように配置された細長いウィンドウの形状は、MX-81のテールランプの形状とよく似ています。 その佇まいは、まるで「未来版・MX-81」のようだといいたくなります。 シトロエン・ザブリュをデザインする際に、デュシャンがMX-81のことをどれだけ意識したか、それは知る由もないことです。 しかし、未来的で大胆な “ベルト一ネ的インスピレーション”に溢れるクルマたちは、コンセプトカーや量産車を問わず、乗員への思いやりに溢れていることに気が付かされます。 乗降性に配慮した回転型のシートや、大きなモニターを採用した計器類、モニターを見る際に妨げとならないように設計されたステアリング、さらには大きなウィンドウガラスなど、“機能をデザインする”ことに対する挑戦の姿勢が窺えるのです。 だからこそ、マツダがオートモビルカウンシル2023にMX-81を出展したことには、大いなる意義があるのではないかと考えています。 美しく機能的なクルマを作ることへの挑戦の姿勢と、それに対する覚悟が垣間見える気がするのです。 [画像/VOLVO、Citroen、RENAULT・撮影/ライター 林 哲也]