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旧車の魅力と知識

令和にこそ乗りたいバカっ速スポーツセダン!ホンダ アコードユーロR
旧車の魅力と知識 2022.08.04

令和にこそ乗りたいバカっ速スポーツセダン!ホンダ アコードユーロR

欧州プレミアムセダンを思わせる高級感あふれた内外装に加え、上質な走りと高い走行性能を実現したホンダ アコードユーロR。わずか2代しか製造されなかったにもかかわらず、今なお高い人気を誇るスポーツセダンです。「タイプR」ではなく「ユーロR」とした真意と、「R」の称号へのこだわりに迫ります。 初代アコードユーロR(CL1)の概要 初代アコードユーロRの登場は2000年。6代目アコードの最上位モデルとして投入されます。アコードのスポーツグレードはMT専用として「SiR-T」が設定されていましたが、ユーロRへの変更によって、より上質でスポーティな走りを実現しました。 あえてタイプRとしなかった ホンダの最上位スポーツグレードといえば「タイプR」です。しかし、アコードユーロRは単純な速さの追求ではなく、「セダンとしての扱いやすさとスポーツ性の両立」をコンセプトに開発。そのため、タイプRとの差別化を図るべく、「ユーロR」という新たなネーミングが与えられることになります。 大人4人が余裕で乗れる広い車内空間や遮音性、マイルドな走行フィーリングといった高級セダンとしての性格をしっかりと残しつつ、スポーティさを追求した意欲的なモデルです。 エンジンはタイプR以上 乗り味こそセダン向けにマイルドな調整をされていますが、「R」の称号にふさわしく、スポーツカーさながらの装備となっています。 とくに搭載されたH22A型VTEC 2.2Lエンジンは、最高出力220psを発生。アコードの欧州仕様で設定されていたタイプRをも凌ぐ高出力エンジンに専用チューニングされています。また、エンジン以外の仕様も大幅に見直されました。足回りは専用設計のサスペンションを採用し、15mmのローダウン化を実現。軽量16インチホイールを装着することで、さらに走行性能を高めています。 内外装もほかのグレードと一線を画し、レカロ社製バケットシートやモモ社製ステアリングホイール、アルミシフトノブを採用するなど、いずれも専用設計されたこだわりの内装。さらに、外装面では専用のエアロパーツが装着され、タイプRに引けを取らないスポーティな仕様となっていました。 2代目アコードユーロR(CL7)の概要 2代目アコードユーロRの登場は2002年。初代アコードユーロRの成功を受けて、7代目へモデルチェンジするタイミングで同時に投入されました。初代同様、高級セダンとしての上質さを実現しつつより走行性能を高めたことで、欧州プレミアムセダンにも引けをとらないモデルに仕上がっています。 初代を正統進化させた2代目アコードユーロR 先代が評価されたポイントをそのまま受け継ぎ、正統に進化させた2代目アコードユーロR。専用のサスペンションはスプリングやスタビライザー、ブッシュ類と細部に渡って強化され、17インチにインチアップされたホイールを履きこなします。 また、もともと強化されていたボディ剛性は、ストラットタワーバーの追加をはじめ、さらなる見直しが図られました。しかも、当時のセダンとしてトップレベルとなるCD値0.26を達成したボディも含め、操縦安定性や快適性が一段と向上しています。 エンジンはインテグラタイプRと同じ 2代目アコードユーロRは、インテグラタイプR(DC5型)と同型のK20A型i-VTECエンジンを搭載し、排気量を2.0Lに小型化しつつ最高出力は220psを維持。初代同様「R」の称号にふさわしい仕様となっています。 また、タイプRではなく、あくまでも高級セダンであるユーロRにふさわしい専用のチューニングも施されました。モリブデンコーティングスカートの非対称高強度ピストンと、DC5型のK20Aにはない2次バランサーによって確かな質感と振動の抑制を実現しています。 アフターパーツ市場も盛況 モデル当初から投入された2代目アコードユーロRは、販売年数の少なかった初代に比べてアフターパーツも豊富に販売されています。エアロパーツはもちろん、足回りなど好みの仕様に仕上げることが可能です。 また、K20A型エンジンはインテグラタイプRと同型のため、吸排気はもちろんコンピューターまでパーツを揃えることができ、タイプRに負けない爆速セダンを作ることも不可能ではありません。 アコードユーロR はNA VTECエンジン搭載モデルとして狙い目! アコードユーロRの中古車価格は、比較的落ち着いた価格で推移。大手中古車サイトで検索すると、2代目アコードユーロRで107万円という販売価格のものもあります。 一方で、同型のエンジンを搭載するDC5型インテグラタイプRは、200万円前後と高値で推移しており、今後さらなる高騰も予測されます。また、B16系エンジンを搭載するシビックにいたっては、300万円前後が中心の価格帯です。 高級セダンとしての上質さを持ちつつ、タイプR同等の走りを実現するホンダ アコードユーロR。セダンという特性上、過剰な価格上昇はしていないため、VTECファンのみならず、スポーツNAエンジンを求めるかたにとって狙い目の車種であることは間違いありません。 ※価格は2022年7月現在  

免許取得当時、親父が所有していたクルマのカタログを入手して思うこと
旧車の魅力と知識 2022.08.03

免許取得当時、親父が所有していたクルマのカタログを入手して思うこと

■父親がかつて所有していたクルマのカタログを入手 先日、かつて親父が初めて新車で手に入れたクルマのカタログを「ようやく」入手することができた。 それはAE100型のトヨタ スプリンターのカタログ。 バブル絶頂期に発売されたモデルで、歴代モデルにおいていまだに「オーバークオリティ」と称されているモデルだ。 売れに売れたモデルだけに、ヤフオクやメルカリなどで検索すれば割と簡単に手に入る・・・かと思いきや、なんだかんだで1年くらい掛かった気がする。 ■メルセデス・ベンツからクレームがついて「SEL」から「SE-Limited」に改称 たしか、親父が手に入れたグレードは「1500SE-Limited」。 この型のカローラ/スプリンターでは最量販モデルと記憶している。 デビュー当時は「SEL」というグレード名だったのが、メルセデス・ベンツからクレームがついたらしく「SE-Limited」に改称されたタイミングで手に入れた。 ボディーカラーは両親が好きだったグリーン系の「グレーイッシュグリーンメタリック」だった。     この色も、AE100型では定番のボディーカラーだったように思う。 筆者が運転免許を取得したとき、親父が乗っていたのがこのスプリンターだったこともあり、必然的に運転の練習をこのクルマで行うことになった。 当時の筆者はスポーツカー、そしてMT車に乗りたくて仕方がない時期だった。 それだけに、スプリンターのような「ごく普通のセダン」にはまったく興味が持てなかった。 とはいえ、高校を卒業したばかりの学生の身分で理想のクルマを所有するのはかなり無理があった。 それとたまたま周囲から「タダであげる」とか「5万円でどう?」みたいな話が舞い込んでこなかったのだ。 その後、ハタチのときに、アルバイト先で「ゴルフII GTIを30万円で買わない?」という話をいただいた。 当時はゴルフの良さを知らず、この魅力的なオファーを蹴ったのだ。 左ハンドルの3ドア、黒のゴルフ2 GTI、5速MT。30万。 今ならプレミアモノの仕様だ。何やってたんだ当時のオレは。 ■ハタチ前の自分にはスプリンターは苦痛でしかなかった 話を戻そう。 待ちに待った運転免許の取得だっただけに、運転する行為は楽しいけれど、スプリンターでは退屈でつまらない・・・。 ステアリング越しに伝わってくるフィーリングはあいまいそのもので、シャープさとは無縁。 乗り心地もいかにも大衆車然としていてスポーティーさのカケラもない。 そう、カローラ/スプリンターの魅力が当時はまったくといっていいほど分からなかったのだ。 そんなある日、恩師のご厚意で当時所有していたユーノスロードスターを1日貸してもらえることになった。 シャープなハンドリング、小気味よいシフトチェンジ。 そして何より人生初のオープンカー体験。 寝る間も惜しんで無我夢中に走ったのは懐かしい思い出だ。 それから数日後、親父のスプリンターを運転してみると、あまりのだるさにストレスマックスだった。 早く自分のクルマが欲しい・・・。 しかし現実は・・・。 自動車誌を読むたびに鬱屈とした日々を送る羽目になってしまった。 結局、初めての愛車を手に入れたのは24才のときだった。 このときのことは長くなるので別の機会に譲るが、いま考えてもとんでもない暴挙にでたと思う。 ・・・とまぁ、AE100型スプリンターのカタログを読み返しながら、当時の記憶が怒濤の如くに甦ってきた。 若いときに聴いていたヒット曲を耳にするだけで、当時の記憶が甦るという経験はあるが、クルマのカタログでも同じ現象が起こるとは・・・。 筆者はここで次のアクションを起こした。 クルマ好きの方であれば「やっぱりな」と思われるかもしれない。 カーセンサーでAE100型スプリンターの売り物件を調べてみたのだ(やはりそうか・・・と思われたはず)。 8月3日現在、全国でスプリンターの売り物件はわずか10台。 月に数万台も売れたはずのに10台しかないのである。 AE100型にしぼった場合、わずか2台・・・いずれも後期型だ。 AE100型カローラにいたってはなんと「0台」。 オイオイマジか・・・。 ■売れに売れたクルマが後世に残るとは限らない あれだけ街中を走っていたAE100型、その多くが廃車になったり、海外へと旅立っていったのだろう。 AE100型カローラ/スプリンターと同年代のスポーツ系ネオクラシックカーがとんでもない相場で取り引きされている反面、大衆車はひっそりと日本の路上から姿を消していく運命にあることを改めて痛感した。 方や新車以上のプレミア価格、方や絶滅危惧種・・・。 AE100型スプリンターのレスキュー案件が舞い込んできたら、思わず「買いますよ」といってしまうかもしれない。 これは余談だが、義父がカローラアクシオを所有していて、運転させてもらう機会がしばしばある。 ステアリング越しに伝わる印象は適度に情報量があって疲れない。 乗り心地も特別良質というわけではないけれど、これはこれで充分と思わせてくれる。 そして何より、タフであり、乗っていく時と場所を選ばない。 老若男女問わず扱いやすく、疲れない。そして壊れる心配がない。 さらには実用的で現実的な価格。 カローラ/スプリンターよりも高級で、高性能なクルマはいくらでもある。 しかし、クルマとして、機械としてこれほど優れたハードウェアはなかなか存在しないように思う。 全方位スキがないのだ。 「クルマなんてこれで充分でしょ」と改めて教わった気がする。 カローラ/スプリンターの機械としての優秀さ、そして偉大さに少しだけ気づくことができるようになったってことは、少しは自分も大人になれたのかもしれない。 [画像/トヨタ・松村透 ライター/松村透]  

昭和の名車とは?名車の条件や代表的なモデルについても解説
旧車の魅力と知識 2022.08.03

昭和の名車とは?名車の条件や代表的なモデルについても解説

昭和の名車は、非常に高額で取引されています。旧車ブームもあり、特に1970~1980年代に発売された国産車が人気です。当時は高度経済成長やバブル景気の真っ盛りで、各自動車メーカーが大きな資力を投入して挑戦的な新コンセプトの開発に躍起になっていました。国内外問わずライバル会社に勝つためのブランド戦略や斬新なアイデアで数多くの名車が生み出されたといえるでしょう。 今回は、そんな時代に生まれた昭和の名車について解説していきます。昭和の名車の購入や売却を検討中の方は参考にしてください。 昭和の名車の条件 昭和生まれの国産車は、国内外を問わず人気の高い名車が揃っています。一口に名車といっても様々なジャンルに分かれており、一時代(ブーム)を築いたハイソカーや、高い技術で生み出された独自のスタイル、モータースポーツで世界の車を席巻したスポーツカーなどがあります。 ロータリーエンジンやMR車は世界的に見ても希少な存在です。また、安全基準の改定で採用されなくなったリトラクタブルヘッドライト仕様車などは、今だからこそ斬新で魅力の溢れるスタイリングの車といえるでしょう。今後世に出ることのないコンセプトで開発され、車好きの記憶に残る車こそ名車の条件といえます。 昭和の名車9選 昭和の名車とは、どういった車を指すのでしょうか。代表的な名車を解説します。旧車の購入を検討中の方は参考にしてください。 マツダ サバンナRX-7 FC3S(1985~1992年) マツダ サバンナRX-7 FC3Sは、1985年に2代目RX-7として発売されました。ロータリーエンジン搭載による重心の低さと前後重量バランスがほぼ均一な車体設計で、シャープなハンドリングが特徴のピュアスポーツカーです。仮想ライバルは当時FR車世界最高峰のポルシェ944で、パフォーマンス面では凌駕していました。 マツダ サバンナRX-7 SA22C型 マツダ サバンナRX-7 SA22C型は、1978年に発売され安価で手に入る本格スポーツカーとして47万台以上が生産されました。ロータリーエンジンを搭載した軽快な走りが魅力で、外観デザインと合わせてアメリカでも「プアマンズポルシェ」と呼ばれ大ヒットしています。 トヨタ セリカ GT-FOUR ST165型 トヨタ セリカ GT-FOUR ST165型は、1986年に4代目セリカの4WDモデルとして発売されました。インタークーラーターボ装着の3ST-GTE型エンジンは当時の国産4気筒最強の最高出力を誇り、打倒ランチアとして投入されたWRCでは1990年シリーズで4度の優勝に輝いています。 日産 フェアレディ HGS130型 日産 フェアレディ HGS130型は、1978年に2代目フェアレディの最高級モデル「280Z」として誕生しました。空力特性に優れたスタイリングとハイウェイクルーズに配慮された安価なスポーツカーとして国内よりもアメリカで大ヒットし、1979年にはインポートカーオブサイヤーを受賞しています。西部警察のガルウィングドア仕様「スーパーZ」としても有名です。 日産 スカイライン2000ターボGT-E SHGC211型 日産 スカイライン2000ターボGT-E SHGC211型は、5代目スカイラインのGTモデルです。ターボが装着されたGT-Eは1980年に登場し、GT-Rの名を冠するモデルが不在の中で画期的なハイパワーモデルとして多くのスカイラインファンを魅了しました。 日産 ブルーバード SSSターボ P910型 日産 ブルーバード SSSターボ P910型は、1980年に発売された6代目ブルーバードのターボモデルです。コーナリングでのロールが少なく、後部席の居住性を犠牲にしないファミリーカーとスポーツカーの両面の特徴を備えていました。モータースポーツでも長年に渡って活躍し、1983年の富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズではチャンピオンに輝いています。 トヨタ ソアラ2800GT Z10型 トヨタ ソアラ2800GT Z10型は、1981年に発売された初代ソアラのGTモデルです。国内で初めて大排気量のDOHCエンジンを搭載したことで脚光を浴びました。当時では最新鋭のデジタルメーターを採用し、ドライブコンピューターなど未来の車を彷彿させる斬新な装備を搭載。世の中に大きな衝撃を与え「元祖ハイソカー」として今も熱烈なファンの多い車です。 トヨタ MR2 AW10/AW11型 トヨタ MR2 AW10/AW11型は、1984年に発売された国産初のMR車です。AW10は1.5ℓシングルカムキャブ仕様の3A-LU型エンジン、AW11は1.6ℓの4A-GELU型(後期型からスーパーチャージャー装着の4A-GZE型を追加)エンジンを搭載しています。ボディサイズが小さく中央にエンジンが設置されたリア駆動のモデルは世界的にも珍しく、ひときわ異彩を放ったモデルです。 トヨタ スープラ A70型 トヨタ スープラ A70型は、1986年に発売された国内では初代のスープラです。「TOYOTA 3000GT」のキャッチコピーで開発されたA70型は当時の最新鋭技術が結集され、セリカXXの後継車として世に出ます。かつての名車トヨタ 2000GTを凌ぐ車の開発を目指し、すべてにおいて高いスペックを与えられました。モータースポーツでは1987年のJTCや1991年のバサースト12時間耐久レースで優勝に輝いています。 昭和の名車を売却するときのポイント 昭和の名車は、少なくとも35年以上を経過したモデルが中心となります。売却するときのポイントは、通常の中古車以上に査定を依頼する業者を選ばなければならないという点です。一般的な買取店でも査定や買取は可能でしょう。しかし、専門の知識や経験を持っていない業者に依頼すると、車の希少価値に気づけずに適正な買取価格を提示することは難しいといえます。 昭和の名車を売却するときは「旧車の買取実績が豊富な業者」「二重査定をしない買取業者」に査定を依頼しましょう。また、経年劣化による消耗品の交換や定期的なメンテナンスを日常的に行うことで車のコンディションを維持することも重要です。

デビューから20年、仏語で「うさぎ」を意味するスズキ・アルトラパン
旧車の魅力と知識 2022.08.01

デビューから20年、仏語で「うさぎ」を意味するスズキ・アルトラパン

■デザインと質感で提唱されたコンパクトカーの価値観 バブルの頃、優れた商品企画力の下、日産からBe-1やフィガロ、PAOやエスカルゴといった俗に「パイクカー」と呼ばれるクルマたちが発売された。 製品自体がメディアであった時代を象徴するかのように、30年以上経過した今でもその存在は響き続けている。 車両自体は同社のベーシックモデルであったマーチを基本としており、内外装のデザインや質感に大きく手を加えることによって商品価値の高いモデルへと昇華されていった好例といえよう。 その後、90年代中盤になると基本になるモデルに対し、クラシックカー風の仕立てが施された車両が各メーカーのレギュラーラインナップに増えた。 フロント部の造形を大きく変えたサンバー・ディアスクラシックや、マーチ・ルンバなど三岡自動車に負けず劣らずのレトロ調モデル。 ボディカラーと一部加飾でちょっと贅沢でクラシカルな雰囲気を纏ったミラージュ・モダークやスターレット・カラットなど、ベース車へ変化球を与えたモデルで商品力の訴求を図った。 それらの車種も、令和の今となっては“クラシックな仕立てが施された本当に古い車”となったが、時代が移り変わってもクラシック・モダンな可愛さや、カッコよさに対する尺度は形を変えて存在し続けているように思える。 それを裏付けるように、ムーヴ・キャンバスやワゴンRスマイルなどのモデルは今でも車体のいたるところにメッキの加飾を施し、カジュアルさだけではない佇まいの良さが魅力を放っている。 2022年の6月には3代目となるスズキ・アルトラパンがマイナーチェンジを行い、派生モデルとして追加された「アルトラパンLC」は、フロントバンパー部を同社の2代目フロンテを彷彿とさせる意匠となった。 これは2005年の東京モーターショーに参考出品されたスズキ LCコンセプトを思い返させるものでもあり、スズキデザインとして歴史的な財産を巧みに落とし込んでいるといえるだろう。 ■デビューから20年、飽きの来ないデザイン そんなラパンの初代モデルも“ちょっと贅沢な”スモールカーとして人気を博した。 レトロやクラシックといった符号だけではなく、モノとしての良さをカタチや質感で表現しているといえよう。 ベースとなったのは名前が表す通りスズキの「アルト」だ。 開発時はベーシックカーだったアルトよりも、ラパンに対して女性的な感覚を取り込んで開発が行われたという。 初代型の佇まいを現代の視点で眺めると、そのデザインは男女問わず親しみやすい印象を受ける。 ルノー・キャトルやモーリス・1100のようなちょっと洒落た国民車のようにすら感じると評したら言い過ぎだろうか。 車名のラパンはフランス語で“うさぎ”の意味で、フロントグリルに配されるスズキマークにもラパンのシンボルマークが与えられる。 搭載されるエンジンはK6Aで54馬力。 780kgの車両重量の恩恵か、踏み込めば意外や活発な印象で、街中を跳ねるうさぎを想像するとなんだか愛着が湧いてくる。 搭載されるコラムシフトの4段ATは同時期のCVT搭載車と比べて“走らせている!”という感覚があり、終始小気味いい雰囲気だ。 ■長く愛せるシンプルなカタチは“弁当箱”がモチーフ タイヤは155/65R13。取材車はベースグレードのGでスチールホイールにLapinのロゴが入るホイールキャップが装着される。 弁当箱をモチーフにした箱型のボディは、フロントフェンダーからリアエンドまで伸びやかなショルダーラインは安定感を感じさせてくれる。 そのシンプルさゆえに登場から20年経過した現代の目で見ても、意匠に古臭さをさほど感じさせない。 流行り廃りとは異なる尺度で捉える、柔らかく甘すぎないデザインは、無印良品のような洗練されたイメージすら与えてくれる。 アイポイントは同世代に開発された軽と比べても(コペンやエッセを除けば)それなりに低い方だ。 田舎道をゆったりと流していくと、どことなく小さなセダンに乗っているような感覚になるのは、視界に入るインテリアのリッチさと、触り心地の良いシートの居心地から来るものだろうか。 車窓の外に流れる田んぼや、風に揺れる草花の様子が身近に感じられるのも、角度が立ったフロントウインドウと低めの着座位置の恩恵といえるだろう。 ▲横基調の白いパネルが一番に目に飛び込んでくるインパネ。車内は近年の軽自動車に比べれば小ぶりだが、コラムシフトのおかげで足元は広々感がありさほど窮屈さを感じさせない インパネは水平基調で左右はシンメトリーぎみにできている。 軽自動車はサイズの規制上、ステアリングがある運転席側を優先して設計されるため助手席側が狭く見える車種もあるが、ラパンは各種計器類やオーディオが絶妙に配置され窮屈さをさほど感じない。 遊び心を感じさせるのは助手席前に配置された引き出しだ。 車検証などはグローブボックスにしまうとして、この引き出しにはどんなものをしまおうかワクワクしてしまう。 楽しい使い勝手を予感させるデザインは目にも嬉しいものだ。 ▲シンプルながらも必要十分な計器類だが、フォント類にもこだわりを感じさせる。面発光するメーターパネルは夜間も暖かさがありほっとするものだ 一眼式のスピードメーターは最近では少なくなったパネル裏面から照明を照らす方式。 自発光タイプも美しくて好きだが、均一に発光するこの方式も夜間目に優しいと感じる。 シートは起毛タイプで外装のブルーと相まって非常にモダンだ。 フロント席のヘッドレストを外して寝かせると、自宅リビングのソファより足を伸ばせる空間ができ上がる。 週末はラパンを郊外へと走らせてお気に入りの場所を見つける。 そこで読書や昼寝をするのもいいだろう。 ▲グレードによって異なるシート素材とカラーコーディネート。中古車サイトを覗くとこんな組み合わせもあるのか!と驚く。まだ中古車市場にあるうちにお気に入りをチョイスしておきたい リア席を倒せば、スーパーマーケットのお買い物ならば相当買い込めるくらいのスペースが生まれる。 2人分のキャンプ道具なら積めてしまうかもしれない。燃費も良いラパンだから、冒険気分でちょっとした遠出も悪くないだろう。 オーディオのヘッドユニットはカロッツェリアのCD/MDデッキである「FH-P510MD」が装備されている。 こちらは時代を感じさせるデザインだが、音場を変更できるDSPイコライザーを装備。 実はこういったアイテムも昨今じわじわとネオクラシックな車両の愛好家の中で気になりはじめている装備の一つだったりもする。 ■今だからこそ見えてきた、初代型の良さとは? 一見すれば古い軽自動車なのだが、そのコンセプトや佇まいを見直して捉えると、クルマ本来のこだわりを感じられるものだ。 使い捨てになりがちなプロダクトでありながらも、長く時が経てば、その時代を象徴する価値を帯び始めるかもしれない。 まだ旧車とは胸を張っていえないかもしれないが、現代のクルマとはすっかり異なる”未来の旧車”。 まださまざまな仕様、装備が中古車で安く狙える今だからこそ、味わえる面白さがあるはずだ。 古い自動車を買うというハードルは流石に高くても、筆者が今回行ったようにレンタカーを探してまず乗ってみるというのも楽しい経験になるだろう。 以前書いたトヨタ・ポルテの記事と同じように、ラパンはニコニコレンタカーでレンタルしたものだ。 近年では特に新しいクルマに力を入れている同サービスだが、店舗によってさまざまな車種が選べるのも魅力の一つだ。 気になったらまずはチェックしてみるのも良いかもしれない。 [ライター・撮影/TUNA]  

「夏が来れば思い出す・・・」の話
旧車の魅力と知識 2022.07.31

「夏が来れば思い出す・・・」の話

夏の思い出は人それぞれだと思うが、自分自身のことを振り返ると「急に独立することになった」9年前の夏を振り返ってしまう。 確かお盆明け、事務所に行くと突然社長から「9月末でここの事務所を閉じるから、親会社に戻るか独立するか決めなさい」といわれたのだ。 これぞ青天の霹靂というべきか、あまりにも急な展開で驚いた。 「あと1カ月しかないじゃん・・・」 困惑しなかったといえばうそになる。 いや、困惑をとおりこして混乱したというのが正直なところかもしれない。 だからこそ、強烈な記憶としていまでも脳裏に刻まれているんだと思う。 その後、どういう経緯だかは忘れてしまったが、会社の顧問が面談することととなった。 顧問の方は自動車業界に携わる人であれば誰でも知っているであろう、Y社の副社長まで勤め上げたキレ者という印象があった。 単に副社長まで出世したからという話ではない。 洞察力に優れた方という印象が強かったのだ。 で、キレ者の顧問と面接することになった。 事務所を閉じることになった経緯をひととおり聞いたあと、「親会社に戻るか独立するか」のファイナルアンサーを求められた。 そのときなぜか「独立します」と答えてしまったのだ。 なぜそう答えたのか自分でも分からない。 せっかくの機会だからやってみようと思ってしまったのだ。 当時は独身で、誰にも迷惑を掛けるわけではないことも大きな理由だった。 しかし、小さな事務所だったので、9月末までにリース品を返却したり、不要な什器を処分してもらう手配など・・・。 社長と手分けをしてでもやることは山のようにあった。 そんなことをしているうちに9月末を迎えてしまったのである。 一応、開業届を出し、銀行口座を開設したりはしたが独立したときに「今後ともよろしくお願い申し上げます」的なハガキやメールでの案内や、挨拶回りなども一切やっていなかった。 いま思えばどんだけ呑気だったのだろう。 そして9月30日。 人が4,5人も入れば満杯になる狭い事務所も、撤収が完了したがらんとした状態であれば広く見えるから不思議なものだ。 この日で最後となる事務所の電気を消し、扉の鍵を閉めた瞬間から「自由の身」となった。 明日からはここには来なくていい。 何時に寝ようが、何時に起きようが自由だ。 とりあえず、電車に揺られていつものように帰宅した。 だいぶ自宅まで近づいてきたとき、昔の職場の同僚がこちらの事情を察して「いまから飲まない?」とメールをくれた。 ここからだとずいぶん引き返すことになるが、明日は早起きをしなくていいし、何だかこのまま帰宅しても・・・という気分だったので、上りの電車に飛び乗った。 で、ここぞとばかりに飲んだんである。 それも終電近くまで。 明日からは早起きして通勤電車に揺られなくていいからではない。 少しでもこれから先の不安を紛らわせたかったんだと思う。 泥酔状態で帰宅して、それでもなんとかシャワーを浴びて横になったんだと思う。 翌朝、朝ドラを観ながら「これからどうしよう・・・」と不安でならなかった。 なにしろ、収入の宛てがほとんどないのだ。 フリーランスといえば聞こえはいいが、仕事がなければニートと紙一重だ。 今日からは「食い扶持は自分で見つけてこなければならない」という、重い現実がのし掛かってきた。 それからしばらくは「平日に家にいる」ことが慣れなかった。 仕事のメールも急に届かなくなった。 それはつまり、収入源となる仕事がないことを意味した。 で、必死になって仕事を探した。 が、大してキャリアのない人間がいきなり連絡をしてもなしのつぶて。 これはまずい。 幸い、会社員時代に担当していた仕事を社長がこちらに振り分けてくれたこと、別の職場の元上司が独立後初のなる仕事の紹介をあっせんしてくれたことで、何とか0スタートは回避できた。 とはいえ、毎月の定期案件ではなかったので、売り上げが0円の月もあった。 いま振り返っても本当にあのときは辛かった。 「黙っていても毎月確実に決まった額の給与が振り込まれる」ありがたみをこのとき改めて痛感したように思う。 2007年にこの世を去った植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌っていたが、生活が保障される安心感がそのまま精神の安定につながることは紛れもない事実だと知った。 あれから9年。 おかげさまでいまでは休む暇もないほどお仕事をいただけるようになった。 ときどき、せめて半日くらいはのんびりしたいなぁと思うことはあるが、予定がスカスカの日々より、締め切りに追われて考えるヒマもないほどの方が精神的には落ち着く。 この原稿にしたって、朝4時に起きて、これから取材というタイミングで書いている。 ボーッとするくらいなら仕事をしていた方が精神的にも落ち着く。 9年前のあのとき、親会社に転籍していれば生活は安定したはずだ。 土日もゆっくり過ごせたに違いない。 でも、これでよかったんじゃないかとようやく思えるようになってきた。 その理由として「他の人には任せられない案件なので・・・」とご指名いただける機会が増えてきたからだ。 会社員時代に「君の代わりはいくらでもいる」といわれて悔しい思いをした身からすればウソみたいであり、実にありがたい話しだ。 近頃の唯一の息抜き。 それは子どもたちと遊ぶ時間と、2週間に1度、わずか1時間程度だが愛車をドライブすることだろうか。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

性能よりカッコ優先?昭和のクルマいじりにまつわる5つのエピソード
旧車の魅力と知識 2022.07.25

性能よりカッコ優先?昭和のクルマいじりにまつわる5つのエピソード

アラカン筆者がまだ若葉マークだった頃の思い出話など 令和の今ではまったく想像できないような世界があった。 当時の道路交通法に抵触する部分もあるが、そこはもう時効ということでお許しいただきたい。 若くて、免許取り立てで、特に裕福でもない場合、昭和末期の若者は知り合いから譲ってもらったりしてクルマを入手していた。 当然、親に新車を買ってもらえる人もいたかもしれないが、少なくとも筆者の周囲には皆無だった。 友人のお父さんが買い替えるということで放出されたクルマを、縁あって破格(ヒトケタ万円とか)で譲ってもらったりしていた。 トヨタでいえばマークIIやクレスタ、日産でいえばグロリアやブルーバードあたりが定番だったように思う。 そういった安く手に入れたクルマを思い思いにいじっていた。 とはいえ、ほとんどのことは性能向上には貢献せず、カッコに関することばかりだった。 今回、その当時、カッコ優先でいじっていた5つのエピソードを振り返ってみたい。 ■1.鉄チンからアルミへ!インチアップも! 当時もアルミホイールは存在していたものの、多くの激安車はスチールホイールだった。 ホイールカバーがついていればまだマシな方で、実際には「ない」方が多かった。 そのため「鉄チン」と呼んでいた。 それにしても、なんで「チン」なんだろう?(笑)。 鉄チンじゃカッコ悪いので(当時ね)、まずは足元から引き締めて、ということでアルミホイールへの交換にチャレンジすることが多かった。 今のようにドライバーズスタンドがたくさんあったり、専門の店が多いわけでもなかった。 そして、新品を買うというアイディアはなかったようにも思う。 そこで街の解体屋さんや部品屋さんへ行って、サイズの合う、タイヤ付きのホイールを探した。 運が良ければ掘り出し物があって、インチアップもできた。 「インチアップ」とは、タイヤの外周のサイズは同じだが、ホイールの直径を大きなものに交換するということだ。 ホイールが大きいと何がいいのか? まず、何がいいってカッコがいい(笑)。 カッコ以外にもメリットはあって、重たいゴム(タイヤ)の量が減り、ホイール自身も軽くなる。 さらに足下のバネ下重量が軽減されるため、バタつき感がなくなり乗り心地が良くなる。 また、タイヤの左右のたわみも減るので、カチっとしたコーナーリングが可能になる。 カッコばかりでなく性能の向上にも貢献するのだ。 ■2.車高を調整する カッコいいアルミホイールに交換したら、次にタイヤとフェンダーの隙間が気になりだすのは当然の流れだと思う。 げんこつが入るほど隙間が開いていたら、ちょっと悲しい気持ちになってしまう。 かといって、スポーツショックや、ショートスプリングを買うお金もないが、スプリングコンプレッサーを買うくらいのお金だけはなぜか持っていたりした。 というわけで、若者はバネを切って車高を調整することになる。 その状態で車検を通るかどうか微妙なことになるし、乗り心地も悪くなる。 段差や障害物でサスペンションが深く沈んだあとの反発で伸びるときに、スプリングが外れるなんてリスクもあるし、アライメントもずれるので、再調整も必要になる。 いいことなんてないことはわかっているが、唯一いいのは「カッコいい」ことだけだ。 車種によっては、ジャッキで持ち上げてタイヤをはずし、スプリングコンプレッサーをかませておけば、グラインダーでバネを切ることができてしまうものもあった。 いま思えばありがたい時代だった。 少しでも臆病な若者は半巻または一巻きカットしたところで一度ジャッキから下ろし、調整の具合を確認するが、気の短い若者はいきなり二巻カットしたりする。 バネを切って、タイヤを着け、ジャッキを抜こうとするが、ジャッキをかける部分が下がり過ぎて、ジャッキが抜けなくなることがあった。 もう大バカものである。 しかし、当時の若者は「ジャッキが抜けなくなるほどバネを切った」ことが自慢話にもなった。 そんなバカなところも含めて昭和のカッコよさはちょっとおかしかった・・・のかもしれない。 ■3.カーフィルム(プライバシー保護は重要) 当時のクルマは今のクルマに比べて、ガラスの面積が広く、車外から車内の様子が比較的よく見えた。 エアバッグが入ったり、構造が強化されて太くなってしまったピラーがまだ細かったこともあるのかもしれない。 プライバシー保護のため、若者はガラスへカーフィルムを貼ることになる。 これはもう、必然なのだ。 夏の日差し対策でもあるが、車外から車内が見えない方が都合がいいことが多かったのだ。 ほら、シートを倒して助手席のカノジョ・・・まぁ、詳細は割愛することとしよう(笑)。 サイドガラスはたいていのクルマの場合、ほぼ平面だったが、リアガラスはクルマごとに差はあるものの、複雑な曲面になっている。 おかげでフィルムを貼る際に苦労したものだ。 失敗するとフィルムがシワシワになって縞状の模様になってしまい、これは一番ダサいとされたものだった。 何度かこのリアガラスの局面にフィルムを貼ってコツを掴んでくると、友人のクルマのフィルム貼りに駆り出されてさらに経験値があがって、回数を重ねるごとにみるみる上手になっていく「フィルム職人」が友だちにひとりくらいはいたものだ。 そして、透過度(フォルムの黒さ)は濃ければ濃いほどカッコいいとされていたようだ。 前列のサイドガラスには、透過度の低いフィルムを貼るのは違反ではあったが、おかまいなしの無法者も少なくなかったように記憶している(時効ね)。 ちなみにこのカーフィルム、通常は車内側から貼るものだが、併せて外側からも貼ると、もう、本当に真っ黒になる。 いわゆる「2重貼り」だ。 特に気合の入った一部の人は採用していたようだ。 良い子はもちろん、そうでない子も決して真似をしないように。 夜、何も見えなくなります。 ■4.チカチカハイフラ! ウインカーの点滅のタイミングは道路交通法に定められているが、点滅間隔をそれよりも短くして速い周期で点滅させる改造部品が存在していた。 当時の配線はアナログで単純な構造だったので、通常のリレーと入れ替えるだけで取り付けられ、運転席に点滅の速さ調整をするつまみをつけられるものもあった。 いざというとき、普通の間隔に戻せるように、だ。 これはあんまりカッコいいとは思えなかったので、筆者はチャレンジしなかったが、街中で見たことはあった。 そんな世代の筆者が最近驚いたのは、スローウインカーの存在だ。 ものすごくゆっくり点滅するので、これは危険なことこの上ない。 ウインカーもつけずに車線変更する大型車がいるなーと思ってみてたら、そのトラックは超スロー点滅のウインカーだったりすることがある。 これは危険だし、まずカッコ悪いと思う。 今すぐに止めていただきたい。 ■5.ハイマウントストップランプを後付け 今となっては、製造時から標準で装備されているハイマウントストップランプ。 昭和末期のそこそこ年式のいってしまった中古車には装着されていないものの方がまだ多かった。 新車についているハイマウントストップランプを旧型の自車にもつけようと思うのは、まあ、理解はしやすい。 リアガラスの内側に貼り付けるもの、トランクにくっつけるもの、屋根にくっつけるものなど、いろいろなタイプがあった。 確か、カーステレオの据え置き型スピーカーにストップランプが内蔵されているものまであったように記憶している、 ただ、このブレーキランプの増設のためには、ブレーキランプまわりの配線をいじる必要があった。 これは安全面で重要な制動灯の配線に関わるモノという観点で、無資格者の取り付けは禁止されていたはずだ。 なんてことおかまいなしに取り付けていたのは・・・、いま思えば昭和末期だからこそ許されそうな雰囲気と誤解していたからなのかもしれない。 ■まとめ:自ら手を動かし、汚すことで見える世界がある(はず) いろいろな改造をするのは、自分のクルマのことをよく知るには一番の近道だ。 足回りの構造、ダッシュボードの配線、ドアの構造を知り、内装をはがしたりと、一向に性能の向上には貢献しないにも関わらず汗だくで作業をしていたことを思い出す。 自分ではもう何もいじれなくなってしまった最近のクルマに魅力を感じなくなってしまったのは、そういうこともあるのではないか、と思う。 これから「アガリのクルマ」選びをする予定のアラカン筆者としては、どうしても若いころのこんな改造を思い出してしまう。 あの頃のクルマもいいなあ、と考えたりしてしまうが、今度選ぶクルマはせめてエアコンが装着されたクルマにしよう、とは思っている。 [画像/Adobe Stock ライター/ryoshr]  

絶対楽しい旧車ライフ超入門‼︎ まずは勇気を出してオーナーに
旧車の魅力と知識 2022.07.23

絶対楽しい旧車ライフ超入門‼︎ まずは勇気を出してオーナーに

最近「旧車」という言葉をよく耳にするが、そもそも旧車って、どういうクルマなのだろうか? 字面をそのまま解釈するなら「旧車=旧いクルマ」だから、モデルチェンジされれば、それまでのモデルは旧型となって、旧車の仲間入りと考えることもできる。 でも、イメージとして感じるのは、ある年代以前に生産されたクルマ。 またイギリスのミニのように、1959年の誕生から2000年に生産完了するまで、基本的なデザインを変更することなく生産されていた特例もあった。 90年代末期には、ミニは新車で買えるクラシックカーだと表現する人もいた。   ▲1998年発売の限定モデル、スポーツパックリミテッド。ボディカラーは塗り替えられている では、ある年代とはいつなのか?  これは線引きが困難なテーマだ。 例えばR32型スカイライン。 ボクの感覚だと新世代モデルの部類であるが、デビューは89年だから旧車といってもおかしくないのかもしれない。 そこで考えたのが下記に示す旧車の世代分類だ。 分類することで旧車の話をする上で的が絞りやすくなるし、これから旧車道(?)に足を踏み入れようとする人にもイメージしやすいと思うからだ。 ■旧車第一世代:公害対策以前のクルマ 基本的に1973年までに生産されたモデルを示す。 ▲1969年型の対米輸出モデルで、国内ではフェアレディ2000、現地ではDATSUN 2000と呼ばれていた。我々愛好家は、型式であるSR311またはSRL311(輸出仕様)と呼ぶことが多い 日本の自動車産業が、自動車先進国である欧米に追いつき追い越そうと躍起になっていた時代だ。 1964年の東京オリンピック開催を目指し、道路をはじめとするインフラが急速に充実。 1963年には鈴鹿サーキットで第一回日本グランプリが開催されたことにも刺激を受け、国産自動車の高性能化に拍車がかかった。 各社の開発競争も激化し、その結果、今でも魅力に溢れる多くの名車が誕生している。 トヨタ2000GT、1600GT、S800、スカイライン2000GTR、S54型スカイライン2000GTA&B、510型ブルーバード、初代シルビア、フェアレディ1600&2000、ホンダS600&800、コスモスポーツ、ベレットGT&GTR、117クーペ、そして初代のサニー&カローラなど、時代を超えて輝く魅力的なモデルの宝庫だ。 ■旧車第二世代:公害対策初期から、パワー復活のきざしが感じられるようになった時代までのクルマ 概ね、1973年〜80年代初期頃までのモデルだ。   ▲は80年型サニークーペGX。旧車といってもかなり新しく感じる後期型の310サニーである。パワーステアリングやパワーウインドウなどの便利装備はないが、エアコンさえ装着すれば近代的モデルとほぼ同じ感覚で楽しめる 大気汚染防止のために自動車の排出ガス規制が強化されたことから、1973年以降、華やかだった国産スポーツカーは牙を抜かれ、自動車趣味人にとって暗黒の時代に突入する。 点火時期を遅らせたり、酸化触媒コンバーターを装着することで排出ガスを抑えることから始まったのだが、メーカーは年々強化される規制値に対応しなくてはならなかった。 目標としていた規制値を完全に達成できたのは1978年施行の昭和53年規制から。 三元触媒コンバーターの実用化によって達成できたのだ。 規制クリア後は、再び高性能化の流れが戻り、元気で楽しいクルマが復活。 今でも高人気のAE86型レビン&トレノや、KP60系スターレット、「マッチのマーチ」で知られる初代マーチ、直列3気筒エンジンを実用化したシャレードなど走りが楽しいクルマが数多く誕生している。 また、デートカー的イメージが強かったが、当時としては高いボディ剛性とバランスの良い軽量ボディで、FFながらFRに近い挙動を示す軽快な走りが魅力の初代プレリュード誕生もこの時代だ。 ■旧車第三世代:基本的に80年代中期から20世紀末(2000年)までに誕生したモデル 80年代半ばをすぎると、世の中はバブル景気で大賑わい。 ▲走行会仕様にモディファイされたホンダS2000。1999年に発売され2009年をもって絶版となった。イメージとしてはまだ新しいが、後継モデルのない絶版車であり、生産終了が発表された時点で旧車と同等以上に珍重されているモデルだ 旧車第二世代に誕生した初代ソアラが83年のマイナーチェンジ以降販売台数が増え続けていたが、86年に2代目にモデルチェンジするとさらなる大ヒット車となる。 日産の高級セダン「シーマ」と共に、ハイソサエティカーブームを巻き起こした。 スポーツモデルも元気いっぱいで、R32〜R34スカイライン、S13〜S15シルビア、アルテッツァ、SW20型MR2、EF型シビック&CR-X、インプレッサSTi、ランサーエボリューション、そして初代マツダ(ユーノス)ロードスターなど、各社の力作が次々に誕生している。 日産Be-1やパオ、フィガロ、エスカルゴといった限定生産車両や、異業種とのコラボレーションによるトヨタのWILLプロジェクトなど、個性に溢れるクルマが数多く出現したのも旧車第三世代だ。 旧車というより、ネオクラシックな絶版車という感じだけど実用性は高く、気軽に付き合える近代的旧車としての存在感は格別だ。 ■迷ったら「自分が興味を持つクルマの世代を確認」するといいかもしれない 大雑把な分類だし、各世代とも、世代をまたぐ車種もある。 しかし、自分が興味を持つクルマがどの世代付近にあるかを再確認することで、当時のライバル車が見えてくるからワクワク感もヒートアップしてくるのではないだろうか。 「何年式の〇〇が欲しい」とターゲットが決まっているならまっしぐらに進めば良いが、まだターゲットが決まっていないのであれば、世代ごとに魅力を感じるクルマをピックアップするといいかもしれない。 さらに予算を加味しながら少しずつ絞り込んでいくと良いだろう。 実際、ボクの初マイカーもこの方式で選択した。 もっともその当時はまだ旧車という概念がなく、モデルチェンジによって人気が出た旧型モデルや、公害対策等の理由で消滅した絶版車が注目されはじめた頃。 ネットなんてない時代だったから雑誌広告が大きな情報源で、興味あるクルマを見つけるとショップの住所&電話番号をメモし、並べ替えて効率良い訪問方法を考えて見に行ったことが懐かしい。 ■ピンポイントで狙うなら、辛抱強く、ジックリ構えることが大切 具体的な車種が決まったら、いよいよクルマ探しだ。 ターゲットとなるクルマが、旧車の中では新しい旧車第三世代のモデルであれば、情報も多く見つけやすいだろうけど、旧車第一世代&第二世代となると簡単には見つからない。 ・・・となると焦ってしまい、別の車種で妥協したくなってくる。 これは、「あのクルマが欲しい」から「あのクルマが」がするりと抜けおち「欲しい」だけが大きく主張してくる恐ろしい症状だ。 ボクも何度かこの症状に支配され、見に行った販売店で、ターゲットはすでに売れてしまってなかったけど、その時たまたま在庫にあった別のクルマを買っている。 でもね、不思議なもので、しばらくすると最初に狙っていたクルマがポロッと現れてくる。 もちろん、偶然の出会いの結果がすべて失敗だったわけではないけど、ピンポイントで狙うなら、辛抱強く、ジックリ構えることが大切だと思う。 ■「買いたい」と思えるクルマに出会えたら、コンディションチェックは必須! ボクの場合、まずボディ全般を観察したのち、下回りを覗き込む。 見たところで状態はよくわからないが、腐食部分や下回りのサビが目立つ場合は評価が下がる。 次にエンジンルーム、トランクルーム、そして室内をチェックする。 最後にエンジンをかけ、試乗できる場合は試乗して、その個体を感じとるようにしている。 このときのチェックポイントは音やクラッチの状態、ミッションの感覚、手を離しても真っ直ぐ走るかどうかなど。 オートマ車の場合は、停止した状態でブレーキを踏みながらニュートラルからリバース、ニュートラルからドライブとシフトして、シフトショックやシフトタイミングの遅れをチェックする。 旧車第三世代のモデルの場合、エアコンの効きやパワステの動きなどの快適装備も重要なチェックポイントだ。 まぁ、ボクが魅力を感じるのは40年以上前のクルマ、つまり旧車第二世代以前のクルマが大部分。 少々の問題は仕方がないことなので、大きくイメージと乖離している場合は別として、基本的にはさほど気にしないようにしている。 ただし、そのままで普通に乗ろうと思って買ったクルマでも、いざ自分のモノとなると、どうしてももっと良くしたくなってくる。 現車の観察は、購入後にかかる改善費用を想定する時間ともいえるかもしれない。 旧車と初めて付き合うという人にとって、購入時に、購入後にかかる改善費用を想定する感覚は理解できないかもしれない。 でもね、どんなに良いコンディションのクルマであっても、経年劣化という現象からは逃れられないわけ。 例えばタイヤ。 まだ山が充分に残っていたとしても、数年以上前のタイヤではいつトラブルが起きてもおかしくない。 安全で快適な旧車ライフを楽しむためにも、交換を前提に考えた方が良いと思う。 また、個人売買やオークションなどの現状販売車両であれば、購入直後に、すべてのオイル交換に加え、オイルフィルターや燃料フィルターなどの交換もやっておくべきだろう。 ■まとめ:積極的に出会いを求めていこう! いろいろな注意点はあるものの、魅力を感じたクルマを特定したなら現在の豊富な情報量を駆使して積極的に出会いを求めること。 そして、予算面がなんとかクリアできるなら、勇気を持って旧車ライフをスタートすると良い。 オイルレベルや水のチェックなどの古典的走行前点検作業に始まるクルマとの対話も楽しいし、走行中のサウンドや独特の匂いもたまらない。 旧車ライフは、手をかければかけるほど、ともに過ごす時間が長ければ長いほど、愛車とのキズナが深まるのだ。 そして、いつの日か心が通じ合い、愛車のちょっとした不調でもすぐに感じ取れるようになる。 そんなときは、「変だと思ったらすぐ工場」を励行すること。 そうすれば、意外なほどフツーに旧車ライフをエンジョイできるはずだ。 クルマとの出会いは偶然と思えても実は必然。 チャンスを逃さず一歩を踏み出し、ディープな旧車の世界を堪能していただきたい。 [ライター・撮影/島田和也]    

S660を手に入れたからこそ気づいた、古いクルマならではの魅力
旧車の魅力と知識 2022.07.21

S660を手に入れたからこそ気づいた、古いクルマならではの魅力

去る2021年の4月1日、エイプリルフールに契約をしたS660。 今年の2月にようやく納車され、これまで2000キロを走破しました。 割と公私ともに古いクルマに縁がある筆者にとって、久しぶりの新車ではありますが、それでもこのクルマには旧車の魅力が多く詰まっていると感じるのです。 今日はそんな、まったく旧車ではないホンダS660に乗って懐かしい気持ちになった、という話です。 ■「最後の旧車」がそもそもの購入理由 約10ヶ月待ったすえに納車されたS660。 これまで、雑誌の取材で何度も広報車に乗ったことがあるクルマだったはずですが、マイカーとしてお迎えすると意外な発見や気づきも多いものです。 そして「よくもまあここまで頑張って作り続けてきました」と思います。 軽自動車規格で作って、世の中的にはやれ「高い」だ、「こんな使えないクルマによくもまあ!」といった評価もよく耳にしました。 しかし、エンジニアさん的にいいこと思いついたかもしれませんが、スペース効率を最優先し、今や大人気のNシリーズ向け、要はFF車用の極めて幅(前後方向)に薄いエンジンをミッドシップ。 色々手も込んでるし、あまり効率的ではないなあと感じる箇所も多々見受けられるこのクルマ。 これでは多分作ってもそれほど利益にはつながらないでしょう。 ホンダのような量販自動車メーカーが作り続けてきた姿勢には一定の評価を下してもいいと思いますし、また、それありきで企業運営が制限されるとなれば、それもそれで由々しきこと。 生産終了も当然のことと思うのです。 ただ、それだけに生産終了のニュースを聞いたときは「なんとなく一目置いていてチャンスがあれば欲しかったクルマ、また買いそびれたか」という気持ちが強かったものでした。 「みんな持ってて僕だけ持ってないんだ」と駄々をこねる子どもではないけれど、自動車メディア関係者で比較的近しい人が立て続けに契約書にハンコを押し出したことは、当時(2021年春)に私をディーラーへと誘ったことに少なからず影響しました。 「もう永遠に新車で買うことができないのではないか」という、ある種の「危機感」が話だけでも聞きに行こうと思わせ、予算オーバーというか、具体的な予算目算は「組んですらいなかった」ものの、わずか30分で購入を決めることになろうとは。 「エイプリルフールであってほしい」と自分自身思ったのもまた事実であります。 車重830kg、絶対的にはそこそこありますが、今となってはなかなか軽量な部類です。 内燃機関だけで動き、ツーシーターで屋根を脱着できることを、安全装備などへの忖度に屈することなく実現する。 乗って爽快感があるマニュアル車、ホンダも2度と作らないだろうし、日本車ばかりか、欧州車でさえ、この手の話では最後の楽園であるように感じるロータスでさえ怪しい雲行き。 生産資源の有効活用を考えたら、常識的に、金輪際2度と登場もしない可能性が高い。 すなわち、ラインオフすることはないのではないか、という確信に近い予感がしたのでした。 旧弊かもしれないけれど、私たちが慣れ親しみ、憧れてワクワクした、あのクルマたちの魅力を持った最新のクルマ、最後の旧車がS660なのではないか。 そう思ったのが私がそもそも商談のテーブルに座ってみようと思った理由だったのです。 ■パワーウエイトレシオでは幻のS360に近い 660ccの3気筒エンジンで64馬力、数字で見ればそんなに力はありません。 乗ってもなかなかマイルドです。 でも小ぶりな1300cc以下のコンパクトカーなどと比べたらそれでも元気に回ります。 十分に身軽な感じ。 これは表現されているわけです。 ターボで過給されるのでトルクもあります。 あとは、重量物が車体中央に集中していますので、回頭性も高く、加減速も十分に機敏。 どちらが速いか、でいえば大きな排気量のクルマや、本格的にチューニングしてあるクルマには敵わないかもしれません。 でも、「軽快さ」、パワーで重さを解決していきますという乱暴なものではなくて、車重を少なく抑えています。 曲がったりするときのねじり、モーメントなど重力や遠心力の影響が少ない感じ。 今時のパフォーマンスカーにはない、これもクラシカルな良さではないかと思うのです。 ツインリンクもてぎに行った際、ホンダコレクションホールに立ち寄り、展示してあったS360(実際には販売はされなかった幻のモデルのレプリカ)を見る機会がありました。 排気量360ccで33馬力。 その車重が510kg。 パワーも車重もS660の方が重いもののの、技術レベルも違う当時としては相当頑張っていてんじゃないか。 そしてそれを当時のホンダの、とにかく高回転型のエンジンで、というのは興味深いところです。 いずれにしても、余分なことは排除して、思いっきり走る。 重さもパワーも、ホンダスポーツの「原点の2倍弱」というところ。 パワーウエイトレシオではそこそこ近いのではないか。 この感じこそ、クルマで味わう爽快感の原点?そしてホンダの原点?そんな気がしていたところでした。 ■この国の自動車の往来を想定していない旧街道で風土に浸る とうに売り切れになって自分には関係ないと思っていたクルマが買えてしまった。 これは達成感とかとは別の、通常はむしろ一物一価で厳密には2台と同じクルマはないはずの中古車選びなどで感じることが多い、一言では言い表せないような「縁」のありがたさなどを感じるのです。 そうなると、出かけた先で神社仏閣など、案外近所にもいいところが少なくないので、お参りをする機会も増えたように感じます。 こういう施設は古くからその地域を守っていたりして、その関係で、位置関係が今の都市計画の区画ではなく、旧道、旧街道の辻などに位置していることが少なくありません。 近くまではいい道が整備されているが、真前はクルマの往来を想定していない時代の道だったりということもしばしばあるものです。 昔の五街道などといっても、今の道幅で言うと路地レベルの道幅だったりする箇所も少なくありません。 そんな場所を走るのに、安全装備ダクダクの今時の自動車は大いに持て余すことでしょう。 こういうところでは、断然旧規格の古いクルマ、せいぜい軽自動車といったレベルがちょうどいいと感じさせてくれるものです。 ちょっと役所に行った帰り、銀行や買い物のついで。 そんな日常の合間で近所のパワースポットを再発見できる。 これ自体妙に嬉しいものです。 「ん?なんだかお導きかな?」こんなふうに思えてきたりして。 実は自分の暮らし、すぐ周りにこんなスポットがあったのか。 小さなくるまはそういうものを教え気づかせてくれたりもするのですね。 昔の車は小さかった。 だからこそ地に足がついた日々の暮らし。 地域に根ざしたカーライフ。 出かけた先々にある「軽自動車専用」という駐車スペースなど、小さなクルマのアドバンテージ、S660は、誇り高く「軽自動車」を堪能させてくれています。 ■アイドリングストップはなくていい S660にはアイドリングストップ機構がありません。 セルモーターへの負荷も小さくないですので、そこにゆとりを持たせ、対応の巨大なバッテリーを搭載する選択肢はなかったのかもしれません。 窒素酸化物等の有害物質も、始動時の排出がかなりの割合を占めます。 ストップアンドゴーを繰り返す都市部の路上で、いちいちアイドリングストップをすることが果たして環境にやさいいことなのかは実に議論の別れるところでしょう。 最新のクルマのなかにはあえてアイドリングストップ機能を省いているモデルもまた出てきています。 そもそも低燃費なクルマは、走行時にその好燃費を叩き出し、停車中はもったいないから止めてるだけ。 10秒以内に再びエンジン始動は正直燃費貢献の観点でも「瑣末なこと」なのでしょう。 大体S660も燃費を意識せず、しっかり回して走って、街中メインでリッターあたり17キロほど。 今時「燃費がいい」と声を大きくするレベルではないのかもしれませんが、まあ不満はないレベル。 あの小気味よい感じは、繰り返しますが、昔からあるライトウェイトなクルマの爽快感と、エンジンの奏でるビート感を楽しみつつ燃費も諦めない。 停止したら、鳥の囀りや風とともに歌う。 むしろ、そんな「内燃機関のが寄り添いつつ主張する」という感じも自動車往年の自動車の面影のように感じるのです。 ■そもそもクルマは「雨風凌げる+アルファ」だったはず 今の世の中にもっとも欠けているいること。 それは「許容すること」ではないか、と思うことがあります。 ボーダーレスとか、非常に幅広い視座が求められる世の中でありながら、すべての課題が解決すべき高いハードルとして積み上げられていくばかりで。 困難を「乗り越えることが成長」という旗印のもと、他者にも、自分にさえ追い込みをかける。 自動車もそういう面は少なくないでしょう。 安全、低環境負荷、人に優しいモビリティ。 確かに新しいクルマは優れているし快適。 けれど、それでなければならないか?と冷静になってみればそうでもない機能がとても多いということはないでしょうか? もちろん、それほどまでに快適なクルマが当然に買えて、昔の贅沢装備が最低レベルなものとして、標準装備で用意されたりしている。 それはとてもありがたいこと。 そういうものを利用できることには、どれだけ感謝しても、し尽くしたということはないでしょう。 しかし、そういう機能は未来永劫担保されるのでしょうか。 あらゆる便利な機能がコンパクトになっている。 当然「電気仕掛け」。 独立配線がハーネス化されて、いるわけではありませんね。 さまざまな可動部分がプリント基盤で繋げられる。 もちろん耐久試験はしているでしょうが、果たして何年持つのか。 そして壊れた時にはいくらかかるのか。 部分補修はできるのか。 考えると個人的には結構深刻になってしまいます。 それでいうと「小さく完結していた昔のクルマ」から、自動車はどのくらい進歩したのか?時々わからなくなるのです。 この下りは前にも書いたかもしれませんが、「もっと安全にしないと」とボディを大きくすると、重たくなる。 動力性能も、燃費も悪化する。 構成部品も大きく重たくなる。 当然ブレーキ・タイヤなどもすべて大きくなる。 今度は性能が向上したので、さらに、安全なものにしなくては、と、ボディが大型化するし、さまざまな機能や運転支援装置などが付加される。 この悪循環の直中に自動車の「進化だと我々が思ってきたこと」はあるのではないか。 この考えを覆すに十分な発見や感動は今のところない、というのが個人的には率直なところなのです。 クルマに多くを求めすぎているのではないか。 そう、反省を含めて感じることがあります。 昔は雨風凌げる「馬なし馬車」だったはずなのではないか、自動車とは。 もちろん、この手のものは富裕層が導入して広まり出しますので、ある種社会的地位や、富の象徴的記号という役割も、黎明期からあったでしょう。 贅沢装備を盛り込むという要素自体、それ自体を否定するつもりはありません。 それでも、大量生産大量消費的なプロダクトというのは、自動車のあり方として考えるべきもの。 博物館へ行って思うのは、カローラ、クラウンの初代モデルの作りのていねいさ。 世に出すならこのくらいは、というメーカーとしての節度というか、メーカーからオーナーへの「メッセージ」のようなものを、例えば窓の周りのモールや、ボディの作り込みに感じるのです。 これは「世の中に出す以上はちゃんとしないと」という、何か「よそ行きの緊張感」に近いものかもしれません。 機能や装備はシンプルであっても風格はある。 それが見映えとなり、やがて路上で人の目に止まる。 クルマへ羨望を集めなくてもよいが、作り手の魂が眼差しを集めるのではないか。 その点、S660はぱっと見は今時のクルマにはなってしまっています。 二人乗りの軽自動車で800キログラムオーバーの車重、絶対的には決して軽量ではありません。 それでも、今時のクルマとしては器としても、機能としても最低限。 そこに清々しさを感じたものでした。 そして、オーバーな言い方をすれば、こういうクルマが新車で販売されることは未来永劫ないだろうと。 ホンダのような量産量販メーカーで、何かが間違って、魔が差せばはんこを押せるレベルの価格で販売されることは私が生きている間では2度とない、と断言に近い予感がしたので購入したというのが正直なところでした。 実はこのクルマ、涼しい夕方に幌を外してというのもいいですが、雨の日のドライブも楽しいものなのです。 赤い幌のルーフトップで駐車場に待っているのを見るのも楽しいですし、乗り込むと、パラパラとその屋根を叩く音がするのです。 幌をしているとそんなに広くはないものの、妙に居心地の良い狭さ。 広い駐車場のコンビニに停めてしばらくその雨音を楽しんだりして。 「クルマは傘だ、雨風しのげて、ホントありがたいよね」トランクもない。 こんな「色々不便なクルマ」です。でもそのクルマが私に「ありがとう」と感謝の念を抱かせてくれるなど、どうして2021年4月1日、私がその販売会社で押さえていた最後一台のモデューロXバージョンZを縁あって注文した時点で思ったでしょうか。 エアコンとナビ、シートヒーターなんかついているのです。 これ以上期待してはバチが当たる。 クルマの装備、これでも十分すぎと思うほどなのです。 このクルマにはクルマ本来の「ありがたさ」が生きていて、どんなクルマも買ってみると見えてくることがあるものです。 ほんとこの二点、クルマ選び、クルマ購入の本質だと思います。 だから、タッチアンドゴーで九州往復、2,500キロのグランドツーリングから帰ってきても「30分だけで、ちょっと一回りしますか」という気持ちになれるのです。 出かけるのではなく「ただいま!をいう代わりのちょっとした挨拶ドライブ」乗るとホッとして、少し元気がもらえる。 なかなか良いものです。 だから、オドメーターは納車5ヶ月すぎて2000キロ強。 中込の所有車としてはものすごく遅々たる歩みのようですが、距離の積み増しの「密度」が今までの他のクルマとは違う。 やはりクルマのプリミティブな魅力、何事にも替え難い相棒感のようなものを感じています。 納車から約半年、全く旧車ではありませんが、S660を通してクルマ本来の魅力楽しさ、そして価値を噛み締めているのです。 しかし、雨の日も楽しくなるのはこのコーティングのおかげもあるでしょう。 江戸川区のアクティブガレージ阿部さんに薦めていただいたXPELのフュージョンプラス。 塗装面を強化に保護することに加えて、水弾きもよく、何より汚れが沈着しにくい。 このおかげで、S660を傘としてもとっても気に入って使えています。 [ライター・画像/中込健太郎]

なぜスバルファンだけがスバリストと呼ばれるの?スバルの持つ独特の世界観に迫る
旧車の魅力と知識 2022.07.21

なぜスバルファンだけがスバリストと呼ばれるの?スバルの持つ独特の世界観に迫る

「スバリスト」と呼ばれるスバル車の愛好家。ライナップが変わり、乗っている車種が変わってもスバリストは熱狂的なスバルファンであり続けます。自らをスバリストと呼び、なぜこれほどまでにメーカーをリスペクトするのか。スバルの歴史を紐解くことで、その理由が見えてきました。 スバル好きだけに与えられた称号スバリスト スバルが好きな人を呼ぶ愛称として、「スバリスト」という言葉をよく聞きます。一方で、トヨタ好きの人をトヨティストやホンダ好きの人をホンディストとは呼びません。 スバル好きだけに愛称がつけられている理由は、スバルが持つ高い技術力に裏打ちされた独特の世界観があるから。その高い技術に裏打ちされた唯我独尊の姿に惹かれ、スバルには熱狂的なファン=スバリストが存在するのです。 航空機メーカーだった異色の経歴 スバルは会社の生い立ちから他のメーカーと異なる背景を持っています。トヨタは一大織機メーカーとして確立していた財力を背景に、事業の多角化の一貫として自動車産業に参入。ホンダや日産は、そもそも自動車メーカーとして出発しました。一方でスバルは、もともと中島飛行機という軍用機製造の航空機、航空エンジンメーカーでした。世界でも有名なゼロ戦をもっとも多く製造したのが中島飛行機です。(設計は三菱)  つまり、スバルは自動車産業に参画する以前から、世界で戦えるエンジン製造技術を持っていたメーカーだったのです。中島飛行機は戦後GHQにより解体されてしまいますが、残った技術者たちはわずか2年で国産スクーターを開発。日本での自動車産業黎明期には、他社と異なる水平対向エンジンを主軸に置くなど、独自性のある高い技術力は現在まで脈々と受け継がれています。 水平対向エンジンで地位を確立 スバルの技術力の高さを示しているのが「ボクサーエンジン」と呼ばれる水平対向エンジンです。軽量コンパクトなのにハイパワーを誇るこのエンジンは、1966年発売のスバル1000に初めて搭載されました。 1,500cc並の室内空間をわずか1,000ccのエンジンで実現できたのは、水平対向エンジンの存在があってこそです。水平対向エンジンをベースに、スバルの開発陣は高い技術障壁をクリア。当時はトヨタや日産など、先行メーカーでさえ諦めていたコンパクトFF車両「スバル1000」を完成させました。  航空技術産業の知見をいかして、ほかの国産自動車メーカーと違う独自路線で開発をしたことが、のちにスバリストと呼ばれる熱狂的な愛好家を生み出すきっかけの1つになったのです。 スバリストを生み出した水平対向エンジン スバル車の特徴として、スバルファンのみならず広く認知されているのが、いわゆるボクサーエンジンと呼ばれる水平対向エンジンです。メーカーとしての独自性と高い技術力を示した水平対向エンジンによって、スバル全体の個性が決定づけられました。 ボクサーエンジンはスバルの代名詞 水平対向エンジンは、シリンダーを左右水平方向に配置したエンジンです。ボクサーが左右から打ち合う様子になぞらえて「ボクサーエンジン」とも呼ばれています。 直列エンジンやV型エンジンに比べ、エンジンの全高を低くコンパクトに設計できるのが最大の特徴です。さらに、左右対称に動作するためエンジン燃焼時の振動を打ち消すことができます。そして当然のことながら、振動が少ないエンジンにすることができます。  一方で水平対向エンジンは、エンジンの構造が複雑化してしまうことと、広い搭載スペースが必要な点が大きなデメリットでした。高さは低くおさえられるものの、横幅が広くなってしまうためフロントに配置した場合、ステアリングの切れ角が限られてしまうという技術的なハードルがありました。 しかし、スバルは独自のパッケージングやユニークで合理的な発想よって、水平対向エンジンを成功させます。とくに初の水平対向エンジン搭載車となるスバル1000の存在は、後発メーカーながら日本の自動車市場に大きなインパクトを与えました。 レースシーンでの活躍が多くのスバリストを生み出した 低重心で振動の少ない水平対向エンジンの実力がもっとも発揮されたのがレースシーンです。とくに一定の生産台数のある市販車ベースでおこなわれる世界ラリー選手権(WRC)では、19年間でドライバーズタイトルとメイクスタイトルをそれぞれ3度獲得しました。 なかでも1995年には、ドライバーズタイトルとメイクスタイトルをW受賞。これまで以上にコアなスバルファンを獲得し、スバリストという言葉が広く認知されていくきっかけにもなりました。 スバリストはメーカーの姿勢に対するコアなファン(まとめ) スバリストは特定の車種のファンではなく、スバルというメーカーそのもののファンのことを指します。かつてはゼロ戦を作っていたという会社の成り立ちや、高い技術力とユニークな発想による開発力のすべてをひっくるめて魅力的だったからこそ、「スバリスト」が生まれたと言っても過言ではありません。  トヨタや日産にももちろんコアなファンはいます。しかし、AE86やGT-Rなどキャラクターの強い特定車種に対してのファンといった性格が強いため「スバリスト」のような言葉は生まれませんでした。  また、トヨタや日産、ホンダといった大手にはない希少性がスバル愛好者の結束をより強めたという部分もあります。たとえば、駐車場にスバル車がとめられていると、次に入ってきたスバル車は隣に駐車するという「スバルの法則」は、オーナー同士の連帯感の強さを示す言葉です。  

規制をクリアするDPFとは?令和のいま70系ランクルに乗る方法
旧車の魅力と知識 2022.07.21

規制をクリアするDPFとは?令和のいま70系ランクルに乗る方法

1980年代のクロカンブームに登場した70系ランドクルーザー。クラシカルな見た目でファンが多く、特にディーゼルエンジンモデルに人気が集中しています。しかし、ディーゼルエンジンモデルは、現代の排ガス規制により何か対策を講じないかぎり、一部の地域では登録できないばかりか、車検を通すことすらできません。今回は70系ランドクルーザーのディーゼルモデルを現代の厳しい規制の中でクリアし、登録する方法についてご紹介します。 世界中で支持される70系ランドクルーザーの歴史 70系ランドクルーザーは、40系の後継車種として1984年に誕生。1999年にマイナーチェンジを受け、2004年に日本国内での販売を終了しています。 その後多くの根強いファンの声もあり、2014年から2015年の1年間限定で再版されました。これまで世界中で販売されていたバリエーションは、ボディタイプは5種類、エンジンはガソリンエンジンが3種類、ディーゼルエンジンが7種類と豊富なバリエーションが販売されてきました。 一部国外限定ではありますが、同年代のライバルであるパジェロと比べても車体のバリエーションが多いことや、武骨でありながらどこか可愛らしさのあるスタイリングで、多くのファンを獲得。また、海外では未だに需要が多く、現在もマイナーチェンジを繰り返しながら、日本での販売期間終了後も販売が継続されています。 トルクフルなディーゼルエンジンと堅牢なラダーフレーム 70系ランドクルーザーが人気の理由は、トルクフルなディーゼルエンジンと堅牢なラダーフレーム構造を採用していることです。 ディーゼルエンジンはガソリンエンジンのスパークプラグで点火する方式とは違い、混合気を圧縮熱で着火させます。ガソリンエンジンに比べ高トルクを得ることができ、低速でのパワーに優れていることため、悪路を走る場面で有利。また、エンジンの耐久性が高いこともあり、過酷な状況で使用するユーザーの支持を集めました。 ラダーフレームは一般車のモノコックボディと違い、ボディとフレームが別々になっています。エンジンやミッション、サスペンションなどの主要な機構がフレーム部分に搭載されているため、ボディにダメージを受けてもフレームに問題がなければ走行可能です。 もちろん、フレーム自体の剛性も高く、未舗装道路や山道などの悪路ではラダーフレームが重宝されています。このエンジンとフレームがクロカンファンにはとても魅力的であり、発売から35年以上経った今でも多くのファンを魅了しています。 ディーゼルエンジンの大気汚染物質規制 70系ランドクルーザーをはじめ、多くのクロカンモデルに採用されているディーゼルエンジンからは、ガソリンエンジンと比べ、NOx(窒素酸化物)とPM(浮遊粒子状物質)が多く排出されます。 この2つはいわゆる大気汚染物質と言われるもので、人体への悪影響や環境汚染が問題視され始めたのです。 そこで、誕生したのが自動車NOx・PM法(正式名称は自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減に関する特別法)。それまでの自動車NOx法の改定法として2001年に成立、翌2002年の10月より適用されました。 自動車NOx・PM法にはポイントが3つあり、1つ目が「排出基準」、2つ目が「車種規制」、3つ目が「適用される地域」です。 その中でも気にするべきは適用される地域で、適用地域は「東京都」「埼玉県」「千葉県」「神奈川県」「大阪府」「兵庫県」「愛知県」「三重県」。仮に規制地域外から上記8地域に引っ越し(使用の本拠地を変更)した場合、新たなに車検を取得することができません。 規制をクリアするために必要なDPFとは 70系ランドクルーザーなど、自動車NOx・PM法に引っかかる車でも登録できるようにする方法が「後付けDPF」です。 DPFとは「ディーゼル・パティキュレート・フィルター」の略で、排気ガス中のPMを捕集し、排気ガスをクリーンにすることができます。 基本的に後付けに使用されるDPFはメンテナンスフリーの物が多く、費用としては工賃込みで大体120~140万円(型式、ミッション、ショップにより異なる)。そして作業後に日本車両検査協会で排ガス検査を行い合格すると、規制をクリアした登録可能車両となります。 中古車を購入できるくらいの金額に加え、持ち込み検査でかなりの手間がかかりますが、思い入れのある70系ランドクルーザーだからこそ、後付けDPFを選ぶオーナーは少なくありません。 まとめ エンジンやフレームの車両性能、クラシックなルックスで多くのファンがいる70系ランドクルーザー。いま首都圏で乗るためには、排気ガス規制をクリアするDPFの装着は必須です。実際に装着するとなれば相応のコストと時間がかかるため、装着を検討しているなら、実績のある専門ショップに依頼するようにしましょう。 後付けDPFは、ややハードルが高いと思われがちです。しかし、乗り越えることができれば、ディーゼルエンジンとラダーフレームの確かな走行性能と、現代の車には無い魅力を持った70系ランドクルーザーを一生の相棒にできます。 ちなみに、これから70系ランドクルーザーの購入を検討しているなら、必ず後付けDPFが装着されているか確認することをお忘れなく。  

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