旧車の魅力と知識

空飛ぶレンガの再来?! ボルボ伝統のスクエアボディ850 T-5Rエステートの魅力
旧車の魅力と知識 2024.01.16

空飛ぶレンガの再来?! ボルボ伝統のスクエアボディ850 T-5Rエステートの魅力

ボルボ 850のスポーツタイプ特別仕様車として、1995年に発表された850 T-5R。日本国内では、T-5Rエステート(ステーションワゴン)とT-5Rセダンの両モデルが限定650台で販売されました。 特に人気を集めたのが、ステーションワゴンタイプのT-5Rエステートです。イギリスではツーリングカー選手権で優勝、日本ではグッドデザイン大賞を受賞するなど輝かしい経歴をもつ、ボルボ 850 T-5Rエステートの魅力を紹介します。 空飛ぶレンガの名にふさわしい850 T-5R エステート ボルボ 850 T-5Rエステートは、レースでの活躍を受けて開発された限定仕様のスポーツモデルです。もともとスポーティさを追求して設計されたボルボ 850は、異例の形でレースに投入されると、高い実力を証明してみせました。かつてレースで活躍した240の呼び名から「空飛ぶレンガの再来」とまで評されます。 ベース車輌の850も含めて、T-5Rの開発背景を振り返ってみましょう。 ステーションワゴンブームの火付け役ボルボ 850 ボルボ 850 T-5R エステートのベース車輌のボルボ 850 エステートは、先行して発売されていたセダンタイプに加わる形で1993年に登場しました。ボルボの新たな主力車種として位置付けられた850は、ボルボ初のFFレイアウトを採用するなど意欲的に開発されたモデルです。 日本にも同時期に正規輸入されると、大ヒットを記録。輸入車にもかかわらず、スバル レガシィとともにステーションワゴンブームの火付け役といわれています。「頑丈で安全なクルマ」という従来のボルボのイメージに、スポーティな要素を新たに加えた850は、日本のステーションワゴンにも大きな影響を与えました。 真の空飛ぶレンガはT-5R エステート ボルボ 850 T-5R エステートが誕生した直接のきっかけは、850でのレースへの参戦です。ボルボはかつて240ターボでレースに参戦し、直線基調のボディスタイルと輝かしい実績を評して「空飛ぶレンガ」と呼ばれました。 「空飛ぶレンガの再来」と話題になった850でのレース参戦ですが、さらにボルボの選んだ参戦車輌が注目を集めます。レースでは不利といわれるステーションワゴン、エステートを選んだのです。ボディ剛性の不足、リア側の重量など決してレース向きとはいえないステーションワゴンでの参戦は異例のことでした。 そして、1994年に英国ツーリングカー選手権(BTCC)で見事入賞を果たします。シリーズ優勝こそ掴めなかったものの、何度かの入賞で高い運動性能を証明。レース成績によって850 エステートに多くの注目が集まったことから、よりスポーティなT-5Rのリリースにつながりました。 なお、850 T-5Rはセダンも投入されますが、レースで結果を残したことを考えると、真の空飛ぶレンガはステーションワゴンのエステートです。 レースをきっかけに生まれたT-5Rエステートは数週間で完売 レースでの成功を受けて開発された850 T-5Rは、レース車輌のイメージを可能な限り投影したモデルに仕上げられます。チューニングが施されたエンジンに、専用のエアロパーツなどファンの心を掴む特別仕様車T-5Rは、限定2,500台が用意されたクリームイエローの完売後には、追加カラーが投入されるほどの人気ぶりでした。 日本国内でもおよそ600万円という高額だったにもかかわらず、限定台数650台(エステート500台、セダン150台)は数週間で完売。よりスポーティな限定仕様車だったことと、850が火をつけたステーションワゴンブームを背景に高い注目を集めました。 R-DESIGNのルーツらしく魅力的だった850 T-5R 現在のボルボのスポーツモデルには、「R」の文字が含まれるモデル名がつけられていて、総称して「R-DESIGN」と呼ばれています。そして、実はスポーツモデルとしてR-DESIGNが確立したルーツは850 T-5Rでした。 特別仕様にふさわしい数々のチューニングが施された、850 T-5R エステートの魅力を紹介します。 コンプリートカー並みの高性能モデル 850 T-5Rには、専用設計の2.3L直列5気筒ターボエンジンを搭載。ベースモデルの2.5Lよりも排気量が小さいものの、最高出力240ps、最大トルク30.6kg・mを発生するまでにチューニングされていました。0→100km/h加速は6.9秒を誇り、鈍重な印象の強いステーションワゴンのイメージを払拭します。 また、しっかりと固められた足回りやホイールなど、コンプリートカーと呼べるほど専用パーツが盛り込まれていました。 クリームイエローが「T-5R」の証 ホンダ シビック タイプRのチャンピオンシップホワイトのように、特別なスポーツモデルには専用カラーが用意されていることが少なくありません。850 T-5Rも例外ではなく、特別色「クリームイエロー」が限定車の証です。 850 T-5Rは、性能面だけではなく外装も専用設計でよりスポーティに仕上げられています。大きな開口部が目をひくフロントバンパー、ステーションワゴンらしからぬ大型リアスポイラーとレーシングカーを強く意識したデザインが印象的です。 ボルボ特有のボクシーなボディデザインとの組み合わせによって、より骨太な特別感あるエクステリアに仕上がっています。 ボルボ 850 T-5Rは即完売の人気車だっただけに慎重に取引したい ボルボ 850 T-5R エステートの発売の翌年には、実は後継車850Rも販売されました。しかし、こちらもT-5R同様即完売したという逸話が残っています。どちらも限定販売で希少性が高いため、つい細かな確認をしないまま取引してしまいがちです。 しかし、発売からすでに30年近くたっている旧車でもあるため、状態の確認はしっかりとしましょう。 また、売却する際に希少性を理解していない一般中古車店に持ち込むと、正しい評価をしてもらえないおそれもあります。ボルボ 850 T-5Rを取引する際は、必ず知識のある旧車専門業者に相談しましょう。

EVで復活?! ファイナルミニでもっとも人気の高かったポールスミス・ミニの魅力に迫る
旧車の魅力と知識 2024.01.16

EVで復活?! ファイナルミニでもっとも人気の高かったポールスミス・ミニの魅力に迫る

2022年10月に開催された「MINI×Paul Smith in東京」でEVバージョンが展示されたことで、再び脚光を浴びたポールスミス・ミニ。伝統のスタイリングを守りながら、ポール・スミス氏のデザインが随所に光る特別仕様車は、当時はもちろん現在でも人気の高いモデルです。 今回は、オールドファンの心をつかんで離さないミニの誕生秘話と、特別仕様車ポールスミス・ミニの魅力をたっぷりと紹介します。 革新的なコンパクトカー「ミニ」 1950年代に登場したミニは、当時としては画期的なコンパクトカーでした。しかも、40年以上に渡って基本的なスタイリングを一切変えなかった珍しい車種です。 ブリティッシュ・モーター・コーポレーションの技術者、アレック・イシゴニス氏が作り上げたミニの開発背景と魅力を改めて振り返りましょう。 ミニの開発は矛盾した挑戦だった 初代ミニが登場したのは、イギリスが石油危機にさらされていた1959年でした。各社が燃費の改善に躍起になるなか、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が発売したコンパクトカーがミニです。 ミニの開発にあたって、BMCの技術者アレック・イシゴニス氏は、「広々とした4人乗りの座席を確保したままで、車体サイズはできるだけコンパクトにする」というテーマを掲げます。車体サイズを小さくするのに、車内のサイズは変えないという大きな矛盾を抱えた挑戦でした。 しかし、ミニは当時としては画期的な方法で、「ボディサイズの縮小」と「居住空間の確保」という相反する2つの要件を満たします。当時は一般的だった縦置きエンジンのFRではなく、ミニは横置きエンジンのFFレイアウトを採用することで、エンジンルームの大幅な縮小に成功。さらに、当時BMCが生産していたエンジンのなかで最小の850ccクラスのAシリーズエンジンを搭載し、コンパクトサイズでありながら居住空間は広い画期的なミニが生まれました。 ミニの名を世界に知らしめたレース参戦 ミニにはいくつかの呼び名がありますが、「ミニ・クーパー」という名で覚えている方も多いのではないでしょうか。「クーパー」は、正確にはミニのスポーツグレード名で車名ではありません。しかし、ミニの存在を世界に知らしめた存在として「クーパー」とミニは切り離せない歴史があります。 ミニの開発当時、テストドライバーとしてステアリングを握っていたジョン・クーパー氏は、開発者のアレック・イシゴニス氏にレース参戦を持ちかけます。あくまでも経済車として開発を進めていたミニのレース参戦に当初は難色を示していたものの、ミニ発売から2年後の1961年についにレース参戦を決定しました。 そして、レース参戦から3年経過した1964年のモンテカルロラリーで、真っ赤なボディカラーの「ミニ クーパーS」が見事に初優勝を飾ります。レースでの活躍によってミニは一気に注目を集め、初代のMK-1は販売台数100万台超という大成功をおさめました。 ポール・スミス・ミニは英国の最強コラボレーション 1998年に限定1,500台で販売された、ポール・スミス・ミニ。イギリスのファッションデザイナー、ポール・スミス氏がデザインを手がけた特別仕様車です。多くの人から愛されるデザインで、40年の販売実績をもつミニに、ポール・スミス氏のデザインが加わるというイギリス最強のデザインコラボレーションが実現したモデルです。 内外装の至るところにポール・スミス氏の遊び心が光るポール・スミス・ミニは、ベース車両のミニ最終型のなかでも圧倒的な人気を誇りました。 ミニのスタイリングに取り込まれたポール・スミス氏の遊び心 ポールスミス・ミニは、ボディデザインが大幅に変わっているわけではありません。歴代のミニ同様、1959年に登場したスタイリングを忠実に踏襲したモデルです。 一方で、専用カラーの設定やエンブレム、ホイール、内装など多くの箇所にポール・スミス氏のデザインが盛り込まれています。オリジナルの良さをスポイルすることなく、新たなデザインを施したことで一気に人気が高まりました。 ポール・スミス・ミニの特徴をさらに詳しく紹介します。 特別感あふれるインテリア ポールスミス・ミニの内装は、ボディカラーに関係なくブラックレザーで統一されています。ドアの内張りといったボディ側だけではなく、シートまでブラックレザーで高級感ある仕上がりです。 一方で、インストゥルメントパネルはボディカラーと同色でペイント。気に入ったボディカラーを選んでも運転をしていると見ることができません。しかし、インテリアにボディカラーを取り入れることで内外装の統一感をもたせるとともに、ドライバーの満足度も向上します。 また、さすがイギリスを代表する有名デザイナーであるがゆえの細部に渡るこだわりも見逃せません。たとえば、グローブボックス内にも塗装が施され、車載ジャッキをいれる工具袋はジーンズ生地で作られるなど遊び心あふれるデザインです。 キラリと光る外装デザイン ポールスミス・ミニのボディ全体のデザインは、歴代のミニと大きくは変わりません。しかし、随所にポール・スミス氏のデザインが光ります。基本的なスタイリングを守っていたことも、オールドファンからの人気を集めた理由かもしれません。 外装面でもっとも大きなポイントは、専用カラー「ポールスミス・ブルー」の設定です。標準車にはないカラーリングを楽しめます。また、チャコールブラックの8本スポークホイールも足回りを引き締め、外観上の印象に大きく影響を与えるポイントです。 一方で、遠目に見ても大きく印象がかわらないものの、エンブレム類には強いこだわりがみられます。ボンネットエンブレムは、ポール・スミス氏が手がけたデザインを宝石職人が七宝焼きで仕上げたものを採用。グリルにはグレート・ブリテン島をかたどったエンブレムもあしらわれています。 リアエンブレムもグレートブリテン島をテーマにしたものを使用。極め付けはリアウィンドウに洋服のタグを思わせるポール・スミスのロゴが施されています。 現在でも色褪せないポール・スミス・ミニ ポールスミス・ミニは、最終型がベースだったとはいえ登場からすでに25年が経過しています。しかし、クラシックミニのスタイリングとともに当時の人気は今も変わらず続いているようです。 ただし、設計の古いミニを中古車で売買する場合は注意が必要です。車輌状態の確認など、専門業者でないと正しく判断ができません。とくに1,500台という限定販売だったポールスミス・ミニは希少車で、正しい査定をするためにはベース車両以上の知識が必要です。 ポールスミス・ミニの売却を検討する際は、名車・希少車・旧車の専門業者に一度ご相談ください。

日産 サファリY60の魅力!ワイルドな風貌で悪路を走破する、クロカンブームを支えた実力派!
旧車の魅力と知識 2024.01.16

日産 サファリY60の魅力!ワイルドな風貌で悪路を走破する、クロカンブームを支えた実力派!

どっしりとしたスタイリングと大型グリルガードが演出するワイルドな風貌が印象的な、日産 Y60型サファリ。販売台数こそトヨタ ランドクルーザーに及ばなかったものの、ラダーフレームによる頑丈な作りと、高い悪路走破性は本格クロカン車として引けをとりません。 Y60型 サファリの本格クロカンとしてのこだわりを、歴代モデルも交えながら振り返ってみましょう。 軍用から民間用へ変化をとげたクロカン車 日産 Y60型サファリは、屈強な四輪駆動車として君臨しました。どんなに厳しいロード環境でも難なく切り抜けるそのタフさは、かつて自衛隊車両として製作された「パトロール」譲りといえます。 パトロールからサファリへ変化をとげたクロスカントリー車の歴史と開発背景を紐解いていきます。 サファリの起源は軍用車輌として開発された4W60 サファリの起源は1950年に登場した4W60です。開発されたきっかけは、日産が警察予備隊(現在の自衛隊)から車輌納品の要請を受けたことです。最終的に採用されたのは三菱 ジープでしたが、サファリはランドクルーザーと並んで国家警察(現在の警視庁)に納車されました。 日産は培ってきたトラック生産の経験に加え、ジープやダッジの下請け修理から学んだ経験をいかし、4W60を独自開発。「パトロール」の愛称で呼ばれた4W60は国家警察に納品後も改良を重ね、消防や医療、建設といった業務用車両として販路を拡大しました。 初代サファリを大きく刷新して地位を確立した2代目Y60型 パトロールと呼ばれた4W60は、業務用車輌としては高い信頼性を得ましたが、個人用としてはランドクルーザーに大きく遅れをとっていました。そこで日産は、国内の一般ユーザー向けにパトロールを一新することを決断。1980年に初代サファリ160型が誕生しました。 サファリの地位を確立したのは、1987年に登場した2代目Y60型です。シャシーと足回りを刷新し、新設計のエンジンも搭載。さらに、現代的な曲線を取り入れた、迫力のあるスタイリングに生まれ変わりました。 骨太設計が光るY60型サファリ ライバル、ランドクルーザーがSUV路線へと舵を切るなか、2代目サファリはあくまでもクロカン車としての性能を追求します。 クロカンとして高い性能を誇っていたY60型サファリの魅力を紹介します。 足回りを中心に悪路走破性を飛躍的に向上 Y60型でのもっとも大きな進化は足回りです。歴代のリーフリジッドサスペンションから、スタビライザー解除装置付きコイルリジッドへ変更。ストロークの長いコイルリジットによって、オフロードでの走破性を格段に向上させました。 さらに、タイヤの動きを制限しないタイヤハウス、障害物の影響を受けにくいボディ形状、頑強なラダーフレームを採用し、徹底的に悪路走破性を追求しました。本格クロカンとして最高の性能を備えたモデルといえるでしょう。 悪路で実力を発揮する大排気量エンジン Y60型の標準モデルに搭載されたエンジンは、TD42型4.2L直列6気筒ディーゼルエンジンです。最高出力135ps、最大トルク28.5kgm・fを発生しました。また、吸気方式をNAとしたことで扱いやすいエンジンに仕上がっています。 さらに1991年には、輸出モデルのみに搭載されていた最高出力175ps最大トルク32.6kgm・fを発揮するTB42E型4.2L直列6気筒ガソリンエンジンを国内向けモデルに追加しました。ライバル車にも引けを取らないスペックを誇るモデルです。 個人ユーザーも強く意識したモデル展開 Y60型サファリは、歴代で初めて4速ATを1988年に追加したモデルです。ほかにも、1991年には3ナンバーサイズのワゴンを追加するなど、ヘビーデューティ目的の特定ユーザーだけではなく個人ユーザーの幅広いニーズにこたえるモデルを展開しました。 ロングボディ、ショートボディ、欧州仕様のディーゼルターボの投入といったバリエーションが多彩にある点もY60サファリの魅力です。 中古車の売買は旧車専門業者に相談が全体条件 本格クロカンとしてさまざまな場面で酷使されやすいY60型サファリ。購入後の思わぬ故障やトラブルを避けるためにも専門業者からの購入をおすすめします。 また、売却する場合も注意が必要です。Y60サファリの本当の価値を評価してもらえない買取業者に査定を依頼すると、経年劣化やヘビーデューティによる傷みから過小評価される恐れもあります。 Y60型サファリは販売台数こそランドクルーザーに及ばなかったものの、高い悪路走破性と風格のあるボディデザインが魅力のクルマです。購入時も売却時もぜひ専門店に相談しましょう。

限定800台のレアモデル! ランクル70をベースに40を復刻したネオクラシックPX10
旧車の魅力と知識 2024.01.16

限定800台のレアモデル! ランクル70をベースに40を復刻したネオクラシックPX10

ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランドクルーザー70系(以下ランクル70)をベースに40系(以下ランクル40)のスタイリングを復刻したカスタムカーです。ランクル40の復活を強く望むファンの声に応えるため、1997年に800台限定で生産されました。 実質的にトヨタ純正のカスタムカーとして開発されたPX10の魅力と、ベース車輌のランクル70と40の歴史を振り返ります。 ロングセラーモデルをかけ合わせたPX10 ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランクル40をモチーフにランクル70をカスタマイズする形で開発されました。ランドクルーザーのなかでも販売期間の長かった2車種をかけ合わせた魅力的なモデルです。 両車の歴史とPX10誕生について振り返ってみましょう。 レトロスタイリングが魅力的なランクル40 ランクル40は、3代目ランドクルーザーとして1960年に発売されました。北米で人気の高かった先代ランクル20を踏襲しつつ、乗用車としての快適性や高速安定性を重視して開発されたモデルです。 ランクル40は、国内のみならず海外からも高い評価を受け、1984年のモデルチェンジまで24年も生産され続けました。 本格クロカン車としての信頼性とデザイン性の高さから、世界で100万台もの売上を記録。ランクル40発売終了後も、特徴的な丸目ライトに挟まれたグリル、左右独立して張り出したフェンダーというスタイリングにコアなファンは魅了され続けました。 世界でもっとも活躍しているサバイバルカーランクル70 ランクル70は、ランクル40のフルモデルチェンジで1984年に発売。2004年に国内での販売は終了したものの、オーストラリアでは現在も販売され続けているロングセラーモデルです。さらに、国内でも人気の高さから2014年に1年限定で再販されました。 高い悪路走破性を誇るランクル70は、世界でもっとも活躍しているサバイバルカーとして、現在も世界各国で走り続けています。 一方スタイリングは、ランクル40から大幅に現代的に変更されました。独立したフロントフェンダーは残っているものの、大幅にサイズが縮小されています。また、2007年のモデルチェンジでは、特徴の1つだった独立フェンダーそのものが廃止されました。 トヨタ純正のカスタムカーPX10の誕生 PX10の製作は、トヨタのボディ組み立てメーカーである「アラコ」の、創業50周年記念事業として企画されたのがきっかけです。販売終了後も根強い人気のあった、ランクル40の復刻版を製作しようと計画されました。 ランクル40のスタイリングを忠実に再現するため、当初は保存されていたランクル40の金型を再利用して完全復刻する予定でしたが、コスト面などの事情により、ランクル70のミドルサイズ(HZJ-73V)のシャシーを利用して開発されます。 結果的に、ランクル史上もっともモデルライフの長い2車種のかけ合わせという、ファン垂涎のカスタマイズモデルが完成しました。 アラコと同じくトヨタ系列の架装メーカー、モデリスタがPX10としてリリース。90年代のクロカンブームの最中ということもあり、ランクルファンのみならず、幅広い顧客から支持されました。 ランクルマニアの心をくすぐるネオクラシック PX10の魅力 2ドアミドルサイズのランクル70(HZJ73V)をベースにカスタマイズしたPX10。 メーカー直系のカスタマイズモデルだけあって、ドアとリアゲート以外のほとんどを新たに製作するなど、ランクル40ファンを裏切らない忠実な復刻を実現しました。 PX10の魅力を再確認してみましょう。 細かな点まで徹底的にランクル40を再現 PX10の魅力は、なんといってもフロントフェイスです。丸目ヘッドライトに挟まれたグリルやフロントバンパー、フロントフェンダーはランクル40を完璧に再現しています。また、ウインカーやミラー、サイドエンブレムといった細かな点も忠実に復刻され、ランクル40の息づかいを感じられます。 さらに、インテリアでは、初期のランクル40で特徴的だった三角窓とCピラーのリアクオーターガラスを復活。内装面は、保安基準の問題から鉄板むき出しにはできなかったものの、オプションで鉄板風パネルを用意するほどのランクル40へのこだわりをみせました。 70系の馬力と足回りはそのままに ボディデザインや架装はランクル40を再現しているものの、走行性能は最新のランクル70と同等です。エンジンは、1HZ型4.2リッター直列6気筒OHCディーゼルを搭載。最高出力135PS/最大トルク28.5kgmを発生し、レトロ感溢れる見た目とは裏腹に力強い走りを実現しました。 また、足回りも前後共にリーフスプリングとリジッドアクスルを組み合わせたランクル70のものを採用。高い悪路走破性と搭乗者の快適性を確保しました。 人気モデルだからこそ専門業者に相談したい PX10は、ランクル80にランクル60顔を移植するといったユーザーレベルのカスタマイズではなく、メーカー直系のコンプリートモデルです。こだわりをもって開発されただけに、現在でも多くのランクルファンからの支持を集めています。 しかし、PX10は800台限定で生産されたことから、中古車市場でもほとんど見かけません。希少車の場合、専門の業者でないと正しい価値判断ができなかったり、販売力の問題で取り扱いできなかったりすることもあるので注意が必要です。 売却を検討する際には、1990年代の車種を取り扱う旧車専門の業者に相談されることをおすすめします。

ホンダ 1300 クーペは本当に失敗作だったのか? わずか2年しか生産されなかった理由と旧車としての魅力に迫る
旧車の魅力と知識 2024.01.15

ホンダ 1300 クーペは本当に失敗作だったのか? わずか2年しか生産されなかった理由と旧車としての魅力に迫る

ホンダ初の小型乗用車の追加モデルとして登場したホンダ 1300 クーペは、1970年からわずか2年しか生産されませんでした。しかし、世界初の方式を採用した空冷エンジンや創業者の引退といった逸話も生まれるなどホンダの歴史において重要な1台です。 近年その価値が再評価されつつある、ホンダ 1300 クーペの歴史を紐解いていきましょう。 ホンダ初の小型乗用車は歴史的な1台になった ホンダ 1300は、二輪車と軽自動車の製造を続けてきたホンダが初めて販売した小型乗用車です。1968年の東京モーターショーで発表され、翌年の1969年にまずはセダンタイプを発売。さらに、翌1970年には2ドアクーペが追加されます。 2ドアクーペは内外装ともに専用設計されたパーツが盛り込まれたスポーティーカーで、ホンダ 1300の高い性能を象徴するモデルでした。 画期的な空冷システムを搭載 ホンダ 1300最大の特徴は、DDAC(Duo Dyna Air Cooling system)と名付けられた画期的な空冷エンジンを採用したことです。冷却効率を高めるためにシリンダーブロックの外壁を二重構造にするという、空冷エンジンへのホンダの挑戦でした。 通常の空冷システムは、エンジン外側に風を当てて冷やします。しかし、DDACエンジンは、さらに二重構造の内側に設けた空気の通り道に、冷却ファンで強制的に空気を送り込んで内外から冷やすという独創的な発想の空冷エンジンでした。 しかし、冷却性能を優先して複雑な構造としたことで、水冷エンジンの強みである軽量さが完全にスポイルされてしまうという大きな欠点がありました。結果的に、水冷化するきっかけになり、ホンダ最後の4輪用空冷エンジンという皮肉な側面も持ち合わせています。 ニーズに合わせた細かいグレード設定 グレード展開の豊富さからも、1300がホンダにとって重要な車種だったことがうかがい知れます。まず、シングルキャブレターの「ホンダ 1300 クーペ7」と4キャブレターの「ホンダ 1300 クーペ9」という2車種をラインナップ。さらに、クーペ7は「スタンダード」「デラックス」「カスタム」「S」、クーペ9は「デラックス」「カスタム」「S」のグレードに分かれ、クーペだけで合計7モデルも存在していました。 ユーザーの嗜好性に合わせたラインナップの広さは、車が単なる移動手段ではなくなってきていた時代背景を色濃く反映しています。 販売台数は思うように伸びなかった ホンダ 1300の販売台数は月間3,000台程度と当初伸び悩んだものの、クーペの追加によって5,000台まで引き上げられます。当時は月間5,000台を超える販売台数を記録する車種は限られていて、決して悪いというほどの数字ではありませんでした。 一方で、小型車開発で先行するトヨタ カローラや日産 サニーは月間1万台以上を販売しており、マツダ ファミリアでも8,000台だったためか、ホンダ内では販売不振という評価だったようです。 結果的に本田宗一郎を引退に追い込んだ ホンダ創業者の本田宗一郎氏らしい独創的な空冷エンジンDDACでしたが、皮肉にも同氏を経営の一線から退けるきっかけにもなりました。販売台数の伸び悩みに呼応するように、1970年頃にホンダ技術者は水冷エンジンへの転換を主張し、空冷へのこだわりをみせる本田氏と真っ向から対立。後にホンダの3代目社長に就任する久米是志氏が辞表を出すほどにまで、社内での議論は加熱したようです。 そこで、設立以来共に経営を担ってきた副社長の藤沢武夫氏が「あなたは社長なのか技術者なのか、どちらなんだ?」と本田氏に問いただします。結局、盟友藤沢氏の説得に本田氏は折れ、ついに水冷エンジンへの転換が図られました。1973年に藤沢氏と同時に引退をした本田氏ですが、空冷水冷問題が決定打だったといわれています。 販売不振でも魅力たっぷりのホンダ 1300 クーペ 販売不振で早期に生産終了を迎えたホンダ 1300 クーペですが、今振り返ると実はかなり魅力的なクルマです。社内でのエンジン論争が引退のきっかけにはなったものの、本田宗一郎氏のこだわりが詰まっていることが伝わってきます。 ホンダ 1300 クーペの魅力はたくさんありますが、特徴的な2点に絞って紹介します。 流麗なボディライン ホンダ 1300 クーペ最大の魅力は、複雑な曲線の組み合わせによる流麗なボディラインです。また、小型車ながらマッスルカーを思わせる精悍なフロントマスクも、他車との違いを主張しています。 しかも、ただデザイン性が高いだけでなく性能面の向上を図った結果だったからこそ、余計に美しさを感じるのかもしれません。空気力学に基づいて設計された複雑な曲線は、超大型のプレス鋼板でモノコック構造を実現。空力とボディ剛性両面で、スポーツモデルにふさわしい性能に仕上げられています。 機能性と豪華さを兼ね備えたコックピット 「フライトコックピット」と呼ばれるドライバーズシートも、ホンダ 1300 クーペの特徴です。立体成形されたインパネによって大型メーターやスイッチ類がすべてドライバーに向けて配置され、スポーツカーらしい操作性と豪華さを演出しています。 また、スペシャルティとしての性格を明確するため、内装全体もセダンから一新されました。 ホンダ 1300は価値が見直されつつある旧車 旧車の魅力は、絶対的な性能の高さだけではありません。現代の車にはないボディラインや独創的な装備、さらに背景にあるストーリーなどさまざまな要素が旧車の価値を決定づけます。大衆車とは一線を画すスポーティーな外観にDDACという個性あふれる空冷エンジン、さらに本田宗一郎氏の引退のきっかけにもなったというストーリー性と、まさにホンダ 1300 クーペは旧車ならではの魅力のつまった1台です。 また、そもそも販売期間がわずか2年ほどと短かったうえ、販売台数も伸び悩んでいたことから中古車市場に出回る台数は限られています。しかも、生産終了からでもすでに50年以上が経過し、希少性が高まっていることも評価が見直されつつある要因の1つです。 ホンダ 1300を売買されたい方は、新車販売当時の評価ではなく旧車としての正しい価値のわかる専門業者に相談することをおすすめします。

なぜ1/64ミニカーが流行ってる?誰もが納得の理由とは?
旧車の魅力と知識 2024.01.15

なぜ1/64ミニカーが流行ってる?誰もが納得の理由とは?

現在ミニカー業界でもっとも勢いのあるカテゴリーが、1/64サイズのミニカー。 今や1/43ミニカーや1/18ミニカーを上回る勢いで、各社から新製品が続々登場している。 そこで今回は、1/64サイズのミニカーが主流となってきた歴史的な背景と、人気の理由について掘り下げてみたい。 ■拡大を続ける1/64ミニカー ミニカーといえば、ひと昔前はミニカーの標準スケールとなる1/43製品が主流だった。 そのあとは1/18スケールの製品が数多く発売されるようになり、大きなスケールのミニカーが数多く見られるようになった。 しかしここ数年は1/64サイズのミニカーが急速に勢力を拡大。 逆に1/43スケールのミニカーは新製品が減り、少し前まで元気のあった1/18スケール製品も現在は以前のような勢いは見られなくなっている。 ■1/64ミニカーが好調なワケとは? このようなミニカーのトレンドにはいくつか原因がある。 まず大きな理由として挙げられるのが価格面での優位性。 原材料や人件費の高騰、それに円安に伴い、ミニカー全体の価格上昇が止まらない状況になった。 そのため、1/43ミニカーは今や1万円前後のものが多く、気軽に買えるようなアイテムではなくなっている。 ましてや、1/18ミニカーになると1万円を超えてくるものがほとんどなので、欲しくても手が出せないという状況になってきた。 以前のようにひとつの車種でカラーバリエーションを揃えたり、F1マシンをドライバー違いで揃えるようなミニカーコレクションの楽しみが難しくなってきたのだ。 一方、1/64サイズのミニカーであれば千円以下で買えるアイテムもある。 もちろん単価が安ければ多くのアイテムを購入できるわけで、カラーバリエーションなどの仕様違いも追いかけられる。 1/64サイズのミニカーにはまだミニカーコレクションの醍醐味が残っているのだ。 もうひとつの大きな理由は、1/43や1/18スケールでは、製品化すべき車種がほぼ出尽くしてしまったこと。 人気車種のほとんどが製品化され、複数のメーカーが同じ車種を同スケールで製品化することも珍しいことではなくなった。 そのため、従来とは違うスケールで製品化する必要が出てきたのだ。 お気に入りの車種は、すでに1/43や1/18スケールのミニカーで持っている場合が多い。 しかし、新たに1/64サイズのミニカーが発売されれば、買ってしまうのがミニカーファンというもの。 そういった意味では、1/64サイズのミニカーはまだまだ開拓の余地があるといえる。 しかも近年の1/64サイズミニカーはクオリティの高い製品が多い。 1/43スケール並みの再現度を誇る製品はもはや当たり前。 なかにはボンネットやドアが開閉するフルディテール製品もあり、そのクオリティには度肝を抜かれる。 一切の妥協を廃した精緻な出来の製品も少なくないので、もはや1/64サイズのミニカーに「安かろう悪かろう」という言葉は通用しない。 もうひとつ重要なのは、サイズが手頃ということ。 1/64サイズのミニカーはだいたい6cmから8cm前後のものが多いので、パッケージに入った状態でもさほど保管場所に困らないというメリットがある。 逆にいえば1/18ミニカーは高価でパッケージも大きく、収納場所があっという間に埋まってしまうのがネックだった。 1/64サイズのミニカーは、手軽な価格でコレクションが楽しめ、なおかつ収納場所にも余裕があるのでありがたい。 ミニカーコレクターにとっては最後の楽園というべき存在だ。 ■実は昔からあった1/64サイズ そんな1/64サイズのミニカーは、実は昔からさまざまなブランドが存在していた。 日本のトミカやアメリカのホットウィール、フランスのマジョレットなどの手のひらサイズのミニカーがそれに当たる。 それらは1/64スケールという縮尺ではなく、パッケージサイズに合わせてスケールが決まっている。 そのため、必ずしも1/64スケールであるわけではなく「3インチミニカー」と呼ばれることもある。 ただ、その多くは1/64スケールに近い大きさで、実は子どもの頃から親しんでいた身近な存在であることが分かる。 ■日本の1/64サイズミニカー 1970年に誕生したトミカは、日本を代表する手のひらサイズのミニカー。 「黒箱」と呼ばれる初期の日本車から「青箱」と呼ばれるトミカ外国車シリーズを経て、現在は「赤箱」と呼ばれる製品が販売されている。 トミカで厳密に1/64スケールとなっているものは少なく、例えば1/62など微妙に縮尺が異なる場合がほとんど。 そのため厳密に1/64スケールにこだわるならセレクトから外れてしまうのが難点。 とはいえ、大人の鑑賞に堪える派生アイテムも多数展開されている。 2001年に発売された「トミカリミテッド」は、トミカのボディはそのままに、各部に彩色を施し、さらにゴム製のタイヤと新規製作によるホイールを装着したハイグレード製品。 現在はシリーズ自体がディスコンになってしまったが、その後継といえる「トミカプレミアム」が2015年に誕生した。 こちらはトミカシリーズとは別のオリジナル金型を使用していて、トミカでは発売されないようなネオクラシックのモデルなども発売。 ミニカーファンのみならず、クルマ好きの間で話題となるような車種も多数製品化されている。 「もしトミカが昭和30年代に誕生していたら」というコンセプトで2004年に誕生したのが、トミーテックが発売する「トミカリミテッドヴィンテージ」。 各製品はボディの大きさに関わらず1/64スケールで統一。 懐かしい国産車を中心にラインアップを広げている。 再生産をしないため、プレ値で取引されるアイテムも少なくない。 そして2006年に発売されたのが「トミカリミテッドヴィンテージNEO」。 こちらは1970年代以降に登場した国産車および輸入車を製品化したもの。 フェラーリやレーシングマシンなどはエンジンルームも再現されていて、世界的にもトップクラスの再現度を誇っている。 さらに2010年からは「トミカラマヴィンテージ」も発売。 トミカリミテッドヴィンテージのミニカーと併せて楽しめるジオラマ製品として話題となった。 トミーテックはさらに「トミカラマヴィンテージ」の新作として、高速道路を発表。 2024年2月の発売とされている。 複数の製品を組みわせることで都市部の高速道路を再現できるこの製品は、これまでミニカー関連商品の常識を覆す超大作で、その勢いは止まるところを知らない。 日本のメーカーとしてはもっとも多くの1/64ミニカーを輩出している京商。 サークルKサンクス限定で販売された1/64ミニカーは、高品質と低価格を両立したシリーズとして大好評となった。 かつては精緻な出来の「ビーズコレクション」なども展開。 現在もさまざまな企画で1/64ミニカーをリリースしている。 アオシマの「1/64 ニッサン パイクカーコレクション」は、ボディカラーが分からないブラインドトイとして発売されている製品。 880円という低価格なので、運試しに買ってみるのも面白い。 書店でも1/64ミニカーを買うことができる。 デアゴスティーニの「日本の名車コレクション」は、文字通り日本の名車を1/64ミニカーで再現したシリーズ。 1/64スケールでは表現が難しいフェンダーミラーも、別付けではなく取り付けた状態で再現するなど、精巧なつくりを特徴としている。 ■海外の1/64サイズミニカー 海外メーカーにも1/64サイズのミニカーがたくさんある。 特に最近は香港と中国のメーカーが積極的に参入し、さまざまなミニカーが発売されている。 すべてをご紹介するのは難しいので、その中からいくつかピックアップしてみた。 アメリカ製のミニカーは、ホットウィールで世界を席巻したことでも知られるように、昔から手のひらサイズの製品がたくさん作られている。 発祥はイギリスだが、ホットウィールと同じアメリカのマテル社が展開するマッチボックスは、昔から手のひらサイズのミニカーを展開している老舗ブランド。 ベイシック系からコレクター系までさまざまなアソートがあり、日本未入荷品も少なくない。 コレクション沼にハマってしまいがちなアイテムだ。 アメリカには、写真のジョニーライトニングをはじめとする1/64スケールのミニカーブランドが存在する。 アメリカ以外のメーカーでは製品化されないようなマニアックなアメリカ車もあるので、アメ車好きにはたまらない。 欧州のメーカーは、昔から3インチサイズのミニカーを発売してきた。 なかでもフランスのマジョレットは老舗とも言える存在。 日本では製菓会社のカバヤと共同で新作ミニカーを発売している。 スーパーで手軽に手に入るミニカーとしても貴重な存在だ。 ひと昔前は、100円ショップでもマイスト製などの1/64サイズのミニカーを販売していた。 出来はそれなりだが、トミカよりはるかに安い100円でミニカーが買えるという唯一無二の存在だった。 トイザらスのオリジナルミニカーブランドとして発売されているスピードシティは、現在もっとも手軽に入手できるミニカー。 1/60スケールで249円という低価格が最大の魅力。 売れ線のスポーツカーだけでなく、アウディ・スポーツ クワトロのようなマニアックな車種もラインアップされている。 シトロエン、プジョー、ルノーなどは、純正コレクションとして3インチミニカーを発売している。 1000円以下で買える気軽さとカラーバリエーションの豊富さは、純正品ならではの魅力だ。 ドイツのメーカーは、鉄道模型のHOゲージに相当する1/87スケールの製品が多く、1/64スケールはこれまでマイナーな存在だった。 1990年代につくられたミニチャンプス製の1/64ミニカー「マイクロチャンプス」は、当時人気だったDTMマシンなどをラインアップしていた。 しかし、販売が振るわずディスコンになってしまった。 ミニチャンプスでは「マイクロチャンプス」の失敗の後も「ミニチャンプス 64」ブランドで再び1/64ミニカーに参入した。 ミニチャンプスと同じようなシャープな出来栄えだったが、このシリーズも残念ながら失敗。 短命に終わってしまった。 中国や香港などのメーカーが生産する近年の1/64ミニカーは、非常にクオリティの高い製品が多い。 ターマックワークス製のミニカーは、レースカーやラリーカーのラインアップが豊富で、日本人好みの車種も数多く発売されている。 香港のTSM-Modelが展開する1/64ミニカーのブランドが「MINI GT」。 高品質とリーズナブルな価格を両立しているため人気が高い。 高品質なミニカーをリリースするメイクアップでは「Titan 64」のブランド名で高品質な1/64ミニカーを発売している。 1/43や1/18ミニカーと変わらない入念な仕上げが特徴で、究極的な完成度の高さを見せる。 その代わり価格は1万円を超えるので、良くも悪くも1/64ミニカーを超越した存在だ。 このように、1/64サイズのミニカーはさまざまなアイテムが揃っている。 厳密に1/64スケールにこだわるかどうかはその人次第だが、対象を絞り込んだとしてもバリエーション豊かなミニカーコレクションになることは間違いない。 手のひらサイズのミニカーはやはり奥が深い。 [ライター・画像 / 北沢 剛司]

トヨタ セラに時代が追いついた!? 当時の不人気車の魅力が見直されている理由
旧車の魅力と知識 2024.01.05

トヨタ セラに時代が追いついた!? 当時の不人気車の魅力が見直されている理由

ほぼ全面がガラスで覆われたキャビンにガルウィングドア、国産車とは思えない個性的なスタイリングのトヨタ・セラ。一方で、派手な見た目とは裏腹に販売台数が伸びなかった不遇の車種でもありました。 しかし、セラの登場から30年経った現在、再びセラの魅力が脚光を浴びつつあるのをご存じでしょうか。今回は、トヨタ・セラが登場した背景を振り返りつつ、人気が高まっている理由を解説します。 挑戦的なデザインを採用したセラ トヨタ・セラは国産の乗用車として初めてガルウィングドア(正式名称はバタフライウイング)を採用したモデルです。当時大衆車のイメージの強かったトヨタが、挑戦的なデザインのクルマを投入したのには理由がありました。 まずは、セラの開発背景と販売台数が伸び悩んだ理由を紹介します。 トヨタのヤング・プロジェクト発足が始まり 1980年後半、トヨタは若年層向けのシェア争いでホンダや日産に遅れをとっていました。そこで、トヨタはシェアを増やすべく、若者向けの車を開発する「ヤング・プロジェクト」を結成します。ヤング・プロジェクトは若手を中心に構成され、若者にアピールできる商品開発に取り組みました。 若者が好む個性的なデザインを追求した結果、プロジェクトの成果物としてコンセプトカー「AXV-II」を1987年に東京モーターショーに出展。ガルウィングと開放感のあるガラスキャノピーという象徴的なデザインを採用し「翼をつけたライブコンパクトビークル」というキャッチフレーズがつけられました。 コンセプトカーをそのまま市販化 東京モーターショーの出展から3年後の1990年、「AXV-II」は“セラ”という車名で市販化されます。社内上層部の評価が高かったことから、ほぼコンセプトカーのスタイリングのまま発売されました。 ルーフまで伸びたガラスウィンドウをはじめ、車体上部のほとんどをガラスで覆ったデザインは“グラッシーキャビン”と呼ばれ、オープンカーとも異なる独特の開放感を演出。ガルウィングドアとあわせた近未来的なスタイリングは、まさにコンセプトカーそのものといえます。 人気が長続きしなかった理由は先進的なデザイン 上層部の高い評価と話題性から注目されたセラですが、残念ながら人気は一過性のものでした。初年度こそ9,665台と1万台近い販売を記録しますが、翌1991年にはいきなり3,737台の販売と大幅に減少し、人気が再燃することなく1995年7月のに生産を終了しました。 セラの販売台数が伸び悩んだ理由は、皮肉にも先進的なデザインです。全面ガラス張りのキャビンは、夏には灼熱となるうえ、外から丸見えで恥ずかしいという意見もありました。また、車体上部の重量がガラスによって増加したため、スタイリングに対して運動性能があまり高いとはいえなかった点も不人気だった理由の一つです。 現在では実現できない独創的なデザインが再評価 全面ガラス張りというセラのデザインは、安全基準が高められた現在では開発が困難です。ボディの半分がガラスにもかかわらず、美しい曲面で構成されたセラの独特のスタイリングは今も色褪せません。 当時、不人気の理由となっていた「重い」「暑い」といった要素も、実はそれほど問題にならないと再評価されています。クルマとしての個性を追求したセラの魅力を詳しく紹介します。 実は軽くて扱いやすいガルウイングドア 上部が全面ガラスのセラのガルウイングドアは重いイメージがありますが、ダンパーが装備されているので実は驚くほど軽く操作できます。外部から開ける際は指一本でも持ち上がるほどで、内部から開く際も肘で軽く押し上げるだけです。 また、ドア全体が上に持ち上がるため横のスペースもそれほど必要ありません。普通のドアを全開にすることと比べると、はるかに少ないスペースで開閉できます。 実はそれほど重くなかった車重 ガラスルーフが重く、動力性能があまりよくないというのが発売当時の評価でした。しかし、実は最軽量モデルの重量はわずか890kg。現在の基準に照らすと十分に軽い車重です。 また、搭載された1.5Lハイメカツインカムの5E-FHEエンジンは最高出力110ps、最大トルク13.5kgmを発生。1tを切る車重をドライブするには十分なパワーを備えていました。 暑さ対策に1クラス以上大きいエアコンを装備 ガラスルーフの最大の問題は、夏場の車内が灼熱になることです。しかし、ガラス上部を覆う日除けバイザーが搭載されているうえ、エアコン容量も1クラス以上大きいものが装着されています。 一般車と比べると快適性が高いとはいえませんが、個性的なスタイリングと引き換えなら我慢できないレベルではありません。また、ガルウィングによって大きな開口部を確保できるため、駐車後の熱気の放出が早いというメリットも少なからずあります。 セラを売るなら旧車専門の業者へ 実用性重視で車作りをしてきたトヨタが、デザインに特化して開発したセラ。当時の若手エンジニアが実現したデザインは、現代になって再び脚光を浴びています。また、新車販売台数が伸びなかったことから流通台数が少ないため、希少性が高いのもセラの特徴です。 セラの売却をご検討されている場合、こうした背景をしっかりと把握している専門の業者に依頼しましょう。知識や実績に乏しい一般的な買取業者だと、クルマのもつ魅力が価格に反映されません。おすすめなのは、セラが発売された1990年代頃の旧車を専門に取り扱っている業者です。古いクルマについて知り尽くしているため、あなたの大事なセラの価値を最大限に評価し、高価買取を実現します。 

圧倒的な存在感と個性!今なお高い人気を誇るアメ車シボレー インパラ
旧車の魅力と知識 2024.01.04

圧倒的な存在感と個性!今なお高い人気を誇るアメ車シボレー インパラ

全長5mを超える大型のボディに5LオーバーのV8エンジン。大きさと力強さというアメリカの象徴ともいえるクルマがシボレー インパラです。初代発売から60年以上も市場に投入され続けているインパラの歴史を振り返ります。 力強いアメリカを象徴するインパラ アメリカが1番元気だったとも言われる1960年代の直前、シボレー インパラは登場しました。インパラは新時代の到来に期待が高まるなか、時代に呼応するようにシボレーが最上級グレード車として市場に投入したパーソナルカーす。 最上級グレードのスポーツモデルとして登場したインパラ 初代インパラの登場は1958年。当時シボレーの最上級グレードだった「ベルエア」のスポーツグレード、「ベルエア・インパラ・スポーツパッケージ」としてデビューしました。1958年はアメリカが初めて人工衛星の打ち上げに成功した年で、公民権運動など負の側面も含めてアメリカ全体にエネルギーが満ち溢れつつあった時代です。 初代インパラは2ドアクーペとコンバーチブルのみの設定でしたが、翌年の1959年のモデルチェンジで4ドアモデルも追加。ベルエアがややダウングレードされたことで、名実ともにシボレー最上級グレードとなりました。ちなみに、インパラという名前はアフリカのサバンナに生息するレイヨウというカモシカに似た動物の名前です。 アメリカらしい大型で個性的なデザイン インパラの特徴は、5mを超える全長に2m近い車幅の大柄なボディと個性的なデザイン。大柄なボディをドライブするエンジンもパワフルで、初代モデルから最大で5.7LのV8エンジンを搭載し、大きくて力強いアメリカを象徴するクルマの1つです。 大幅なモデルチェンジをおこなった7代目以降は、ややダウンサイジングされたものの、インパラの伝統は現在も受け継がれています。4ドアセダンの現行型は、エンジンこそ3.6LのV6エンジンとやや迫力不足ながら、ボディサイズは全長5m以上と存在感は抜群です。 6代目が節目となった歴代インパラ インパラは2度の販売中止期間があり、その前後でクルマとしての性格が大きく異なります。 とくに人気なのは、初代から6代目までのモデル。初代登場から60年以上が経過するインパラのモデル変遷を紐解くと、時代背景が浮かび上がってきます。 インパラらしさを追求した初代〜6代目 インパラがもっともインパラらしかったのは6代目までで、ボディサイズ、エンジンともに大型化の一途をたどりました。1965年に登場した4代目インパラには、7.0LのV型8気筒ターボジェットエンジンを採用。また、経済的に豊かになっていったアメリカの勢いを象徴するかのように、この頃のインパラは同世代でもほぼ毎年違う仕様のモデルが発売されていた点も特徴です。 しかし、1970年代に入ると安全性や環境性能に対する意識の高まりとともに、自動車市場は大きな変革期を迎えます。さらにオイルショックの影響もあったことから、安全で経済的なクルマに方向転換せざるを得なかったのです。 そんな中1977年に登場した6代目モデルでは、全長が短くコンパクトになり、エンジンサイズも初代同様の5.7Lという経済性を優先した仕様となりました。6代目の販売が終了する1985年に30年近く続いたインパラの歴史に一旦幕を下ろすことになります。 限定車扱いで復活した7代目 6代目インパラの販売終了から9年が経過した1994年、限定車という扱いながらインパラが7代目インパラSSとして復活します。 コンパクト化した6代目を引き継ぐ形で設計され、エンジンは、カマロやコルベット、ポンティアック・ファイアーバードに搭載されていたV型8気筒5.7LのLT1型エンジンを採用。LT1型エンジンはスポーツモデル用のエンジンですが、大型車のインパラをにあわせてトルク重視に仕様変更されていました。 7代目インパラは1996年までのわずか2年間だけ販売され、インパラの名前は再び姿を消すことになります。 大幅にコンセプトを変えた8代目〜10代目 インパラの名が次に復活したのは、4年後の2000年。8代目となるインパラは大きくコンセプトを変更して登場しました。初代から40年近く続いていた駆動方式を、FRからFFに変更。ラインナップは4ドアセダンのみとなり、クルマとしての立ち位置はスポーツモデルから高級ファミリーセダンになりました。そして、8代目インパラは、2004年に29万台を超える売り上げを記録し、シボレーはこの大幅なコンセプト変更を成功させます。高級車でありながらも、ただの嗜好品ではなく実用的だったことが時代背景とマッチしていました。 2014年に発売された10代目モデルもFFの4ドアセダンで、エンジンはV型6気筒3.6Lを搭載。7.0Lエンジンの頃から比べると約半分の排気量になってはいるものの、5mを超えるボディサイズは健在でアメリカ車らしいどっしりとしたスタイリングです。 まとめ オールドアメリカを体感できるインパラは、今でも人気の高いアメリカ車の1つです。とくに人気の高いのはやはり初代〜2代目。1958年の初代モデルで約3,000万円という価格がついているものもありました。一方で、3代目以降は1964年モデルで380万円など500万円を切るクルマも複数あるので現実的に入手可能な金額です。さらに7代目のインパラSSは100万円を切る価格のものあります。 ただし、現在インパラは日本で正式販売されていないこともあり、2000年以降のFF化されたモデルは日本の中古車市場ではほとんど見かけることがありません。※価格は2022年6月現在

これぞ名機!根強い人気を保つ日産「L型」エンジンの魅力に迫る
旧車の魅力と知識 2024.01.04

これぞ名機!根強い人気を保つ日産「L型」エンジンの魅力に迫る

いまや日産の直列6気筒エンジンといえば「R32型GT-R」などに搭載された「RB型」が有名ですが、マニアの間では「RB型」以前に一斉を風靡した「L型」こそを象徴とする傾向があります。そこで、名機の誉れ高い「L型」直列6気筒エンジンの魅力についてご紹介していきましょう。 「技術の日産」というイメージを決定づけた傑作ユニット 海外製自動車をお手本に設計されていたいわば亜流時代を経て、日本独自のアイディアや機構を盛り込んだ新時代エンジンが登場し始めた1960年代に日産は「L型」エンジンを開発。汎用性と耐久性に長けていただけでなく、滑らかな回転をもつシルキー&パワフルなその直列6気筒は世界中で高く評価され、長きに渡って日産の主流ユニットであり続けました。 生産性の向上を目指して開発されたエンジンだけあって、日産が大量生産するエンジンの基本コンポーネンツが共通化されており、幅広い互換性を持っていたのが最大の特徴。4気筒のL型や1965年に「セドリックスペシャル6(130型)」に搭載された旧L20型エンジンを含めれば、1960年代中盤から1980年代前半まで約20年間もフル活用されていたのです。 耐久性と汎用性がチューニングするにはもってこい 直列6気筒ならではのスムーズな回転フィーリングは、このエンジンが出回り始めた当時のまさしく高級車の味わい。直列4気筒よりも6気筒、SOHC(シングル・オーバーヘッド・カムシャフト)よりもDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト)、NA(自然吸気)よりもターボ装着車の方が格上。メカニズム的なことを語るより、単純明快な理解こそが当時の自動車のあり方を如実に示しています。 しかし、冒頭で触れた「RB型」にも脈々と受け継がれている基本設計コンセプトが証明するように、スピード至上主義者=チューナーの目からみてもすこぶる魅力的なエンジンでした。 一定以上の燃費性能が求められる現在、多くのエンジンは軽量化のためにアルミ製のブロックを使用しています。しかし、L型エンジンのブロックは鋳鉄製で、重い代わりに耐久性に優れているという特徴があります。 耐久性と汎用性が高いということは、耐久性=チューニング、汎用性=使いまわしが効く、と言い換えていいでしょう。極端なことを言えば、4気筒ユニットの部品や派生版のディーゼルユニットの部品を自在に組み合わせて、自分好みのエンジンに育てることができました。そして、日本各地に点在していたチューナーが紆余曲折、試行錯誤を重ねた結果にたどり着いたのが、かの「L28改」という名高きモンスターユニットだったのです。 チューニング次第では公道最強を誇るL28改ユニット L型エンジン最大の特長は生産期間においてターンフロー型であり続けたこと。ターンフローとはレシプロエンジンにおけるシリンダーヘッドの排気形態を指しており、吸気口と排気口をエンジンヘッドの片側にセットで設置することで空気の流れを一体化。最新型のエンジンに比べまだまだ低出力だった時代には、低回転域において出力を向上させることができる方式でした。 現在は左右に吸気口と排気口を置くクロスフロー型が主流ですが、ターンフロー型はエンジン加工やしやすく、さらには高回転・高出力が望めるツインカム化もしやすいというメリットもあります。 1.3Lから2.8Lディーゼルまである豊富なバリエーション さらなるパワーとトルクを獲得するべく、より口径が大きいピストンを組み込んで排気量を拡大するボアアップ、前述したツインカム化、あるいはターボチャージャーの装着。耐久性と汎用性が高いL型エンジンは、4気筒1.3〜1.8リッターはもちろん、6気筒2.0〜2.8リッターまで、ほとんどのモデルのジャーナル径やピッチが共通化されています。 そのため、クランクやコンロッドの自由な組み合わせが可能で、強度の高い鋳鉄製のエンジンブロックはチューニングを施すうえで特別な補強を施す必要もありません。 排気量アップやターボチューンも可能 そんな、魅惑の「L型」エンジンの最大排気量版である2753cc のL28型をベースにしたのがいわゆる「L28改」です。 基本的な方法は3mmボアの大きい「FJ20型」エンジンの純正ピストンとストロークの長いLD28型ディーゼルエンジン用の純正クランクシャフトを流用。さらに、L14型のコンロッドを流用しつつ、わずかな加工を施すことで3.1リッター化を目指します。 次いで、社外品の88.5mmピストンと85mmクランクを用いつつ、強度がもっとも高いとされる「N42」に刻印があるエンジンブロックを下敷きにして3.2リッターへ。そのうえでヘッド面研やポート加工、クランク後端短縮加工などを施せば、自然吸気にして300馬力オーバーも可能です。 手間は掛かるが反応をダイレクトに感じられたキャブチューン そんなL型エンジンの定番チューンである排気量アップですが、排気量が増えれば当然燃料の量、つまりより口径の大きなキャブレターへの交換やセッティングが必要になります。世のチューナーたちは点火プラグの焼けを確認しながら、燃料の量が適量なのかを判断していました。 ものすごく簡単に言えば、点火プラグが焼け気味なら番手の大きなジェット(燃料増)へ、かぶり気味なら番手の小さなジェット(燃料減)に交換。もちろん調整する際はエンジンを止め、交換する際は毎回キャブレターを外さなくてはいけません。 ただ、現代の電子制御に比べ、チューンへの反応はダイレクト。それは仕組みが単純であると同時に“平凡”だった「L型エンジン+キャブレター」の組み合わせだからこそなしえたことなのかもしれません。 存在そのものがプレミア化したL型エンジン そんなL型エンジンをネットオークションで検索してみると、個別のパーツやシリンダーブロックのみなど、単体部品での販売がほとんど。チューニングされたNA3.0リッター仕様のコンプリートエンジンともなれば、100万円を下回る落札価格はまずあり得ない状況です。専門ショップ謹製のコンプリートエンジンならいざ知らず、いわゆる中古エンジンはオーバーホールを施すことが大前提。 エンジンを搭載された車両をまるごと購入するという手も残っていますが、既に生産されていないエンジンであるため入手性は極めてよくありません。これからL型エンジンを購入するなら、軽自動車が新車で買える程度の予算は覚悟しましょう。また、解体屋を回りつつネットオークションをこまめにチェックは当然として、あらゆることを相談できる専門店に相談するのがおすすめです。 偉大な余白を持ったベーシックエンジン L型エンジンが名機と呼ばれる理由は、幅広い車種に搭載されてきたことと、長年主力エンジンであり続けたことに尽きます。一部にはスポーツエンジンとして開発されたL型も存在しますが、L型エンジン本来の姿は低い生産コストと汎用性。そのいかにもベーシックなテーマで開発されたからこそ多くのバリエーションが誕生し、それは結果として純正パーツの組み合わせで排気量アップできるという副産物をもたらしました。 そしてベーシックだからこそ、チューニングによって鍛え上げられる“余白”が残っています。リッター100馬力が当たり前、そして軽量で燃費の良い現代のエンジンにはないその余白もL型エンジンの大きな魅力なのです。 [ライター/増田真吾]

日産が誇る4気筒の名機!SR20型エンジンの魅力とは
旧車の魅力と知識 2024.01.04

日産が誇る4気筒の名機!SR20型エンジンの魅力とは

SR20型エンジンは、日産製の直列4気筒エンジンでシルビアや180SXなどさまざまな車種に搭載されてきました。このエンジンは今でも多くのファンに愛され、熱い要望によって2022年9月には30機限定で新品エンジンの再販が決定したほどです。そこまで愛されるSR20型エンジンとは、どのようなエンジンなのでしょうか。今回はSR20型エンジンの歴史とその魅力を紹介します。 SR20型エンジンを記憶に残る名機押し上げたシルビア&180SX SR20型エンジンは、パルサー GTI-R(RNN14型)や初代エクストレイル(T30型)などの高出力モデル、さらにセレナやアベニール、ブルーバードなど、日産車に幅広く採用されてきました。まさに日産の主力エンジンといえるでしょう。 そのなかでもSR20型エンジンを一躍有名にした車種といえば、多くのスポーツカー好きに愛されるシルビア&180SXです。S13シルビアには通称S13と呼ばれる5代目の後期(PS13型)以降、180SXは中期以降(RPS13型)に、SR20型エンジンが搭載されています。そこで、まずはシルビア&180SXの歴史を振り返るとともにSR20型エンジンについて紹介します。 デートカーとして開発されるもスポーツカーとしてヒットしたS13型シルビア S13型シルビアが発売された1988年といえば、デートカー全盛の時代です。中でも一際高い人気を博したプレリュードの牙城を崩すべく、S13型シルビアもデートカーとして開発が進められました。 FF車のプレリュードに対し、日産はフロントエンジン後輪駆動のFRを採用。S13型シルビアがデビューした頃は、トヨタのカローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)が生産中止となり、コンパクトでスポーティなFR車が存在しない時期でした。その結果、当初はデートカーとしての開発されたS13型シルビアでしたが、日産の思惑とは裏腹にコンパクトFRスポーツカーとしての人気を伸ばします。 CA18型エンジンからSR20型エンジンへ 発売当初、S13型シルビアにはCA18型という1,800ccのエンジンが採用されていました。しかし、1991年のマイナーチェンジで2,000ccのSR20型へ変更されます。 ターボ仕様のCA18型エンジンは最高出力175psを発生し、当時としては十分なパワーをもっていましたが、設計自体が古く鋳鉄製で重量があるという点が問題視されていました。そこで、CA18型エンジンに代わって採用されたのがSR20型エンジンです。アルミブロック製で軽量コンパクト、出力もターボ仕様で205psと大幅なパワーアップを果たしました。 S14型・S15型シルビアのSR20型エンジン S14型シルビアのターボモデルで最高出力は220ps、さらに1999年に発売されたS15型シルビアではSR20型エンジンの最高点とも言える250psに到達しました。 S14型シルビアに比べてコンパクトなS15型シルビアは、走り好きなドライバーには評価されましたが、当時のミニバンブームに押されて販売台数が伸び悩みました。流通台数の少ないS15型シルビアに搭載されたSR20型エンジンは、現在は大変希少なエンジンといわれています。 SR20型エンジンの特徴とウィークポイント 発売当初から走りにこだわるドライバーに支持されたSR20型エンジンですが、発売終了から20年経った今でもその人気は衰えていません。 快適な街乗りを叶えるだけではなく、峠やサーキットでの爽快なドリフト走行でも活躍するSR20型エンジン。ここからはさらに詳しく魅力を紹介するとともに、弱点についても解説します。 チューニングベースとして優秀なSR20型エンジン シルビアと180SXのヒットにより、SR20型エンジンのチューニングパーツが多く出回りました。こうした背景があり、チューニングベースのエンジンとして確かな地位を手に入れます。 ターボであるSR20DET型は、マフラーやエアクリーナーを交換するだけで比較的簡単にパワーアップでき、さまざまなチューニングメニューがラインナップされています。エンジン内部にまで手を入れれば、500㎰以上を狙うことも不可能ではありません。 ライトにチューニングを楽しみたいドライバーから、とことんパワーにこだわるドライバーまで幅広い層が楽しめるという点もSR20型エンジンの魅力の一つです。 また、S13型からS15型まで仕様は違うものの、FRレイアウトでターボモデルというパッケージ自体は変わりません。カスタムパーツの開発が長い期間続けられたことも、チューニングベースとして人気を集める理由です。 SR20型エンジンのウィークポイント 軽量コンパクトを狙ったアルミ製エンジンブロックなので、鋳鉄製のブロックに比べると強度や耐久性が劣ります。流通量の多いSR20型エンジンですが、中には手荒に使用されてきた個体も多く、中古のエンジンを使用する場合は注意しましょう。 また、ロッカーアームを介してカムを駆動しているため、直打式に比べ高回転に不向きです。さらに、「ロッカーアーム飛び」という高回転高負荷時にロッカーアームが外れる(破損する)SR20型エンジンならではの不具合も発生しやすくなっています。特にドリフトなど過酷な条件で使用されたエンジンは、アイドリングの安定性や異音など、注意深く確認する必要があるでしょう。 SR20エンジンが30機限定で再販決定! 八王子のチューニング&中古車販売を行うマーキュリーが、2022年9月にSR20型エンジンを再販しました。これはマーキュリーの代表が2年に渡り日産と交渉を続け、再販を依頼したこと。そして、再販を希望する多くのファンの声が届いたこともあり、台数限定で再生産されることになりました。 再販が決まったのはSR20DET型です。S15型シルビア用のターボエンジンで30機限定で販売されます。価格はで133万円(税抜)です。販売元はマーキュリー富士森店で、2022年9月26日10時〜から予約を開始し11月から納品開始予定となっています。しかし、販売される台数も少なく、かなりの人気が予想されるため、気になる方はすぐに問い合わせてみましょう。 まとめ SR20型エンジンはさまざまなカスタマイズやチューニングが可能で、自分好みに仕上げる楽しみがあります。そんなSR20型エンジンを搭載しているからこそ、シルビアと180SXが人気車になったといっても過言ではないでしょう。人気は未だに衰えず、ファンの熱い要望にメーカーが動かされ再販にも繋がりました。 省燃費性能をはじめとして、今は環境性能が求められる時代です。今後、純粋な内燃機関のスポーツエンジンが登場する可能性は低いといえます。純粋なスポーツエンジンを楽しみたいならSR20型エンジンを搭載した中古車を探しましょう。昨今シルビアや180SXの中古車価格は高騰し続けているため、今が購入のラストチャンスかもしれません。  

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