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スタイリッシュなSUVは今でこそ数多く販売されていますが、1997年に登場したいすゞ ビークロスは、時代を先取りした先進的なデザインで大きな話題を呼びました。曲線を多用したうねるような外観と、SUVとしても文句のなしの力強い走破性を併せ持ち、今でも根強い人気があります。 今回は、SUVの歴史のなかでもひときわ異彩を放つビークロスの魅力と、中古車市場について解説していきます。 ほぼコンセプトカーどおりの姿で登場したビークロス いすゞ のスペシャリティカーSUVとして、1997年4月に発売したビークロス。発売のきっかけは、1993年の第30回東京モーターショーに出品したコンセプトカー「VehiCROSS(ヴィークロス)」であり、近未来的なデザインで当時注目を浴びました。 その特徴的な造形が人気を博したことで、いすゞはヴィークロスの市販化を決定。ビークロスと名前を変え、市販車でありながらコンセプトモデルとほぼ変わらない姿で登場しました。さらに車体ベースを4WDのジェミニから、ビッグホーン・ショート型に変更したことで車体サイズは拡大。市販モデルで大型化したビークロスは、コンセプトモデル以上のインパクトを発揮していました。 通常、市販モデルは外観デザインが控えめになることがほとんどですが、ビークロスはほぼコンセプトどおりの姿で登場したことで、いまでも人々の記憶に残るSUVとして、車史にその名を残しています。 先進的すぎるデザインで後方視界に難あり? コンセプトモデルから大型化したビークロスのサイズは、全長4,130mm×全幅1,790mm×全高1,710mm。開発は欧州で行われ、デザインは当時いすゞのデザイナーだった中村史郎氏と、のちにインフィニティのロンドンスタジオのトップに就任するサイモン・コックス氏が担当していました。 ビークロスのテーマは「ワイルド&フレンドリー」であり、力強い走破性を持ちながらも、デザインは先進的で、どこか愛らしい雰囲気が取り入れられています。丸くねじれたようなフォルム、ボディ下半分を覆う樹脂パネル、スペアタイヤを内側に内蔵したバックドアなど、目につく全てが斬新なスタイリングです。 しかし、デザインを優先させたことで室内からの後方視界は悪化。それを解消するため、ビークロスはバックアイカメラを標準装備し、これは乗用自動車としては初の試みでもありました。 見掛け倒しじゃない確かな走破性能 ビークロスは最高出力215ps、最大トルク29.0kgf・m/3,000rpmを発生するビッグホーンと同型の3.2リッターV6エンジンを搭載。いすゞのSUVとしては珍しく、ディーゼルエンジンの設定がなくガソリンエンジンのみとなっていました。 駆動は前後輪のトルク配分制御システムを搭載したパートタイム4WDを採用しており、エンジンの力強さも合わせて、十分な悪路走破性を与えられています。 足回りはフロントにダブルウィッシュボーン、リアが4リンク式コイルサスペンションを採用し、ショックアブソーバーはラリー用にチューンされたものを使用しているため、オンオフ問わず安定した走行性を発揮します。 中古車在庫は少なく、すでに希少車の域に そんなビークロスですが、日本国内での中古車市場はどうなっているのでしょうか。原稿執筆時の2021年11月時点で、ビークロスの市場価格を大手中古車サイトで調べてみました。 中古車サイトでのビークロスの在庫台数はわずか3台と少なく、希少性の高い車だということがうかがえます。車体価格は安いもので、1997年式109,000km走行の個体が148万円。最高値では1998年式79,000km走行で218万円。ビークロスの市場価値は新車価格の295万円(ベースグレード)に達するほどではありませんが、中古車としては比較的高プライスの部類に入ります。 また1997年~2001年の販売期間中、約1800台しか流通していないということもあり、ビークロスの希少価値を高めているのもしれません。 まとめ コンセプトモデルからほとんど姿が変わらないという、まさかの状態で販売されたビークロス。 未来感あふれた斬新な姿は多くの人に驚かれた一方、その奇抜さは当時のクロカンファンにヒットし、今でも根強い人気を持っています。そんなビークロスも現在は台数が減っており、中古車の価格もそれなりの値段になっているのが現状です。 悪路走破性が高く、人とは違ったSUVが欲しいという方にはビークロスは非常におすすめですが、今や希少車となっているこの現状なので、購入を考えているならば早めの行動が重要になってくるでしょう。 [ライター/増田真吾]
国産ホットハッチといわれて、ホンダ シビックを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。今回紹介するEF9型シビックは、ハッチバックのみならずライトウェイトスポーツにおいての地位を確立するきっかけになったモデルです。高回転で響き渡る心地よいVTECサウンドと運動性能の高さが、多くのファンの心を掴みました。 シビックとして初のVTECを搭載した、EF9の歴史と魅力をたっぷりと紹介します。 国産ホットハッチ最強のEF9 グランドシビックの愛称で呼ばれるEF型シビックのうち、EF9は特に注目を集めたモデルです。可変バルブタイミング機構を同クラスでいち早く取り入れ、VTECの実力と名前を世間に知らしめました。 まずは、EF9の誕生やVTECの高いパフォーマンス、レースでの結果を振り返ってみましょう。 EF9はシビック初のVTEC搭載車種 1987年に4代目として登場したEF型は、半世紀以上続くシビックの歴史のなかでも特にエポックメイキングだったモデルです。モデルチェンジから2年後の1989年に、シビック初のVTECエンジンを搭載したEF9が追加されました。 VTECエンジンは、今やホンダの代名詞ともいえるハイパフォーマンスエンジンです。バルブタイミングとリフト量の可変機構によって、高回転での出力と力強い低中速域の加速を両立しています。VTECが初めて搭載されたのは2代目インテグラで、発売はEF9登場と同年の1989年です。つまり、ホンダはシビックへの搭載も強く意識して、VTECの開発を進めていたのではないでしょうか。 シビックの地位を一気に高めたVTEC EF9に搭載されたエンジンは、1.6L直列4気筒の名機B16A型です。可変バルブタイミング機構のVTECを備え、最高出力160ps、最大トルク15.5kg・mという、現在のスポーツモデルと比べても見劣りしない圧倒的なスペックを誇ります。わずか990kgの車重(SiR)ということもあって、まるでターボ車のような爆発的な加速力を体感できました。VTECを搭載したEF9によって、単なる大衆車だったシビックは国産最高峰ホットハッチとしての地位を確立したといえます。 VTECとは、給排気バルブの開閉タイミングとリフト量を変えることで、エンジン特性を劇的に変化させる可変バルブタイミング機構のことです。具体的には、バルブを動作させるカムを一定回転数以上で切り替えることで、チューニングエンジン並みのパフォーマンスを実現しています。他社の同クラスでもさまざまな可変バルブタイミング機構が採用されますが、いずれも1990年代以降だったこととVTECほど過激な挙動をするエンジンはありませんでした。 レースでの活躍によってさらに人気を集めた EF9は、市販車ベースのグループAで争われるJTC(全日本ツーリングカー選手権)に登場翌年の1990年から参戦します。当初はVTECを搭載していませんでしたが、信頼性が確立されるとすぐにVTECを投入。2位のトヨタを6ポイント差で退けて、参戦初年度からメーカータイトルを獲得しました。 2年目の1991年にもメーカータイトルを獲得し、2連覇を達成。さらに、同年にはドライバーズタイトルも獲得しました。速さと信頼性の高さを過酷なレースで証明したことも、EF9の人気が高まった理由です。 EF9に詰め込まれたホンダのこだわり 数あるホンダ車のなかでもっとも長く同一車名のまま販売され続けているシビックは、ホンダにとって特別なモデルです。とりわけ、今やシビックの代名詞ともいえるVTECを初めて搭載したEF9には、ホンダのこだわりが詰め込まれていました。 後のタイプRにもつながったといわれる、EF9のこだわりポイントを2つ紹介します。 EF9に設定された2つのグレードSiRとSiRⅡ EF9には、SiRとSiRⅡの2種類のグレードが設定されています。名称だけを見ると単純にSiRⅡのほうが後から登場した発展型という印象を受けますが、実はこの2グレードは同時に投入されました。 SiRⅡは最上位グレードらしく、パワーウィンドウや電動ミラー、電動サンルーフやABS(オプション扱い)といった豪華装備が備えられていました。一方のSiRは、パワーステアリングすらついていないという、最上位グレードとは思えないほどの簡素な仕様です。 しかし、実はこのSiRの存在こそがホンダのこだわりの現れで、競技車ベースとして設定されていました。SiR最大の特徴は車重の軽さで、1,050kgに達するSiRⅡの車重に対して、余計な装備を極限まで削り落とした結果わずか990kgに抑えられています。ホンダが誇るVTECエンジンの実力を最大限に感じてほしいという、開発側の意図が込められているのでしょう。 タイプRにつながる系譜の源流 実は、EF9こそが、8年後に発売された初代シビック タイプRの基礎を作ったといわれています。エンジンはEF9に搭載されたB16A型の発展型で、ダブルウィッシュボーン方式という足回りもEF型へのモデルチェンジ時に採用されたものです。さらに、EF9の登場に合わせて、ボディワークにも変更が加えられています。 EF9のデザインでもっとも大きな変更点は、フロントバンパーやヘッドライトの形状だといわれています。しかし、ボンネット形状の変更こそが、EF9の特徴だといえるでしょう。従来は左右のフェンダーからつながるラインに対して、ボンネット中央部が凹んだ形状になっていました。しかし、EF9では、中央部のほうが盛り上がったデザインに変更されています。エンジンヘッドの大きい、B16A型エンジンを搭載するためだったといわれています。また、先代から続いていた、ボンネット左端のパワーバルジも廃止されました。 初のシビック タイプRの型式名も、EF9からの系譜であることを示唆しています。シビックで初めてタイプRが設定されたのは、6代目のEK型でした。EK型タイプRの型式はEK9、EF9と同様に「9」が割り振られています。EG型の最高グレードSiRⅡの型式がEG6だったことを考えると、EK9型タイプRはEF9の系譜を直接引き継ぐモデルだといえるのかも知れません。 混沌とした時代に明確な立ち位置を確立した名車 1990年代のライトウェイトスポーツの代表車種としてシビックが定着したのは、間違いなくEF9が大きな功績を残したためです。トヨタ レビン/トレノやMIVECエンジンが話題だった三菱 ミラージュといった強豪がひしめくなかにあって、圧倒的な実力差を見せつけました。後のEG6やEK4、そしてタイプRのEK9が成功したのは、EF9で実現したVTECの爆発的な加速力があったからこそでしょう。 EF9は、クルマの歴史的価値を認める旧車ファンのみならず、競技車輌を求めるモータースポーツ愛好者からも高く評価されています。設計の古さは否めませんが、軽い車重とシンプルなボディ構造から、チューニングベースとして最適なモデルです。ホンダVTECの元祖ともいえるEF9シビックの加速力を、機会があればぜひ一度味わってみてください。
初代登場から20年以上を経て4代目に達したBMW M3は、8,000回転オーバーという超高回転まで一気に吹け上がる自然吸気エンジンを搭載した魅力的なモデルです。伝統の直6エンジンではなく、シリーズ初のV8エンジンの官能的なサウンドに多くの人が魅了されました。 今回は、V8エンジン以外にも独自の進化を遂げた4代目M3のクーペモデル、E92型の魅力を紹介します。 独自性の高かった4代目M3 現在6代目まで進化したM3ですが、4代目のE92型は歴代モデルのなかでも独自色の強かったモデルです。唯一のV8エンジン、ベースモデルからの大幅な刷新と、チューニングを担当したBMW Mのこだわりが詰まっていました。 先代から7年ぶりの大幅な刷新をして登場した、E92型4代目M3の誕生を振り返ってみましょう。 V8エンジンの搭載で大幅刷新したM3 M3は、主力車種の3シリーズをベースに専用のチューニングを施したモデルです。レースへの参加条件(ホモロゲーション)取得のために、初代E30型が1985年に制作されました。E92型は、M3の4代目として2007年に登場します。3シリーズで初めてV8エンジンを搭載するなど、ボディからパワートレインに至るまで大幅刷新されました。 直6エンジン、いわゆるシルキーシックスを伝統としてきたM3だけに、E92型でのV8エンジン搭載は画期的なことです。最高出力は先代E46の346psに対して、420psにまで引き上げられています。伝統を途切れさせてでも性能を向上させたいという、BMWのこだわりの現れといえるでしょう。 ボディの大部分もM3専用に開発 M3の「M」とは、3シリーズにチューニングを施したBMWのレースやモータースポーツの研究開発部門「BMW M Motorsport GmbH」(通称BMW M)の名称が由来です。E92型 M3で進化したポイントは、初のV8エンジンだけではありません。BMW Mが培ってきたノウハウが、惜しげもなく注ぎ込まれました。 特にボディには、カーボン製のルーフ、エアアウトレットを配したアルミ製ボンネット、巨大なエアインテークを備えたフロントスカートなど、ベースの3シリーズと比較して実に80%もの新開発パーツが盛り込まれています。さらに、迫力のある4本出しマフラーや330km/hまで表示されるスピードメーターなど、Mモデルとしてのキャラクターを打ち出すことに余念がありません。 E92型がM3最後のクーペにして唯一のV8エンジン搭載車 4代目M3は、実は歴代M3のなかでもメモリアルな1台です。初のV8エンジン搭載で大きな話題を呼びましたが、5代目M3では伝統の直6エンジンに回帰します。また、次世代のクーペモデルは、4シリーズに移行。結果的に、M3シリーズ唯一のV8エンジン、最後のクーペという特別な存在になりました。 なお、4代目M3では、セダン(E90型)と日本未発売のカブリオレ(E93型)という、クーペモデル以外のボディタイプも展開されました。セダンは5代目M3以降も継続しましたが、カブリオレもクーペと同様に4シリーズに移行したためM3としては最後のモデルです。 M3最後のクーペにふさわしい圧倒的な走行性能 セダンやカブリオレも販売されていた4代目M3ですが、世代を象徴するのはやはりE92型クーペです。4シリーズへの移行に伴って結果的にM3最後のクーペになりましたが、圧倒的な走行性能の高さで存在感を放ちました。 ここからは、E92型の高い走行性能を紹介します。 サーキット走行にも耐えうる走行性能 シリーズ初にして唯一のV8エンジンS65B40型は、最高出力420ps/ 8,300rpm、最大トルク400N・m/3,900rpmを誇ります。また、特筆すべきは最高出力を発揮する回転数で、8,300回転という超高回転型の自然吸気エンジンというのもE92型の魅力です。車重が1,630kgもあるにも関わらず、0-100km/h加速はわずか4.8秒、最高速度は250km/hにも達します。 さらに、レース部門を担当するBMW Mが開発しただけあって、リミッターを解除することで最高速度は280km/hまで引き上げることも可能でした。ただし、約40万円のオプション料金の支払いと、「ハイスピードドライバーズトレーニング」という講習への参加が条件とされていました。 走りにこだわってドライブトレインを刷新 E92型の俊敏な走りをさらに向上させたのは、7速M DCT Drivelogic(エム・ディーシーティー・ドライブロジック)への変更です。先代の6速AMT(セミオートマチックトランスミッション)、SMGⅡに代わって装備されました。 エンジンとトランスミッションを物理的に接続するデュアルクラッチを採用することで、流体でトルクを伝達するトルクコンバーター式のATよりもロスのないダイレクトな操作感を得られます。なお、7速 M DCTDrivelogicは、セダンとカブリオレでも選択できました。グランツーリスモという位置づけながら、ピュアスポーツと肩を並べるほどのダイレクトな操作感こそが4代目M3の真骨頂です。 商業的な成功は微妙だったが希少性の高まりとともに再評価 新時代への幕開けを予感させたE92型M3ですが、商業的には大成功と呼べるモデルではありませんでした。販売台数は先代のE46型の8万6,000台に対して、クーペ、セダン、カブリオレの3種を合わせても6万6,000台ほどにとどまっています。 シルキーシックスという伝統の直6エンジンに代わって搭載されたV8エンジンに賛否両論あったことも、販売台数の伸びに少なからず影響したのかもしれません。実際、5代目のM3にはV8が積まれることはなく、直6に回帰しています。 しかし、販売台数が少なかったということは、旧車としての希少性が高いということです。また、M3としては画期的なV8エンジン、最後のクーペモデルという点を考えてもマニアの心をくすぐるモデルといえます。希少性の高まりからE92型の中古車相場がどう動くのか、ぜひ注目してみてください。
現代よりもはるかに年功序列が厳しかった昭和の時代。社長がクラウンであれば、管理職はマークIIに、そして平社員はカローラ乗るべき(またはそれぞれのクラスに属するモデル)といった暗黙のルールがあった。 会社のゴルフコンペに上司より高級なクルマに乗っていこうものなら非常識呼ばわりされ、その後もネチネチと嫌味をいわれた。 終身雇用かつ企業戦士が是とされた昭和の時代を生き抜き、無事に定年退職した父から聞いた話だ。この話を聞いたときはまだ学生だったので、その意味がきちんと理解できなかったように思う。 ■社長、ポルシェ911が欲しいんですけど・・・ やがて社会人になり、勤め先の社長の愛車はメルセデス・ベンツ190Eディーゼルターボだった。当時は「なんでベンツなのにディーゼルなの?」と聞かれることも多かったそうだ。 かつてウィンドウフィルムを施工するショップでアルバイトした際に、納引き(納車引き取り)で何度もメルセデス・ベンツを運転したが、ディーゼルエンジン仕様は1度もなかった。それだけに、とても新鮮だった記憶がある。 打ち合わせなどのお供で何度も社長の190Dを運転させてもらったが、バブル期に「小ベンツ」なんて揶揄されていたのが不思議なくらい心地良いクルマだった。 あるとき「キミは何のクルマが欲しいの?」と社長に尋ねられ、ついうっかり「ポルシェ911が欲しいです」と答えてしまった。自動車関連業の職場とはいえ、かつて父から聞かされた「平社員はカローラ(またはそのクラスに属するモデル)という暗黙のルール」が不意に蘇った。まずい。怒られるかな…。 すると社長は「それはいい!買いなよ!」と背中を押してきた。おいおい、いいのかよ。あとで知ったのだが、当時の勤め先の社長は自分よりも社員が「イイクルマ」に乗ることについてとても寛容な人だった。そして、その言葉を真に受けて、20代半ばで60回ローンを組んでナローポルシェを手に入れてしまった。 いまでこそ価格が高騰してしまったが、25年くらい前は国産スポーツカー並み(またはそれ以下)の価格で買えたのだった。先のことはともかく、とりあえず「買うだけなら何とかなる」時代だった。それがいまや…。とはいえ、月々のローンは5万円を超えたので、薄給の身には結構きつかったけれど。 昭和の時代の「平社員はカローラという暗黙のルール」なんてとうの昔に崩壊したと思いきや、令和6年となった2024年現在でも「ダメなものはダメ」らしい。つまり、一部の世界では根本的に何も変わっていないということだ。 ■どうしても欲しいなら完全プライベートで 勤め先の社長や上司が理解ある人であれば問題はないのだが、そうでない場合、あるいは業界の慣習的に許されないこともあると思う。電車通勤が可能な職場であれば「クルマは趣味」に徹することもできるだろう。しかし、クルマ通勤でなければ通えない場所に職場がある場合、「足車」が必要になってくる。 5万円で友人知人から譲り受けた10万キロオーバーの軽自動車でも何でもいい。そこから中古パーツを駆使して自分好みに仕上げたり、痛んだところを直していく過程も楽しかったりする。もともと安く買ったクルマだけに、趣味車では躊躇してしまうようなDIYも楽しめる。そして、気軽に手を加えられる点が何よりの魅力だ。 そして本命の趣味車だが、もし所有している事実を職場の人に知られたくないなら、SNSにアップするのは気をつけた方がいい。どこで誰が見ているか分からない。鍵アカウントは必須かもしれない。可能であればクルマ関連の投稿は避けた方が無難だ。面倒だけど、それくらい万全の態勢で臨まないとうっかり誰かに知られてしまうからだ。 とはいえ、現実の世界でも気を抜けない。出先でばったり職場の同僚や上司に会ってしまう可能性だってある。もはやこれはもう運の世界だが…。もしばったり遭遇したとき、例えば「○○○くん、ベンツ乗ってんの?」と聞かれ、咄嗟に「いえいえこれは親のクルマを借りてます」と返せるよう、日頃から頭のなかでシミュレートしておいてもいいかもしれない。 ■とはいえ、若いときにしか乗れないクルマがある なかには「そこまでしてでも乗りたいのかよ」と思う人がいるかもしれない。そこまでしてでも乗りたいのよ。足まわりガチガチ、ロールバー&フルバケットシート、エアコンレスのクルマなんて若いときでなければ楽しめない。アラフォー世代にでもなれば、フルバケットシートのままで仮眠なんてできなくなる(どうしても眠いときは別だが、起きたあとがツラい)。 あとは時間の使いかたもそうだ。仕事が終わり、夜「ふとドライブしようかな」と、あてもなく走るなんて行為もいずれおっくうになる。ましてや、家庭を持ったら若くしても夜な夜なドライブなんてほぼ不可能だと思った方がいい。 湾岸ミッドナイト3巻で平本洸一が妻である恵に発した 「も…ッ、もう一度、もう一度走っちゃダメか…?あの金使っちゃダメか…?本当にこれで最後だから…ゴメ…ン。ずっとふりきれて…なかったんだ」 のセリフを知っている人もいるだろう。どうやら作品のなかで2人は離婚しなかったようだが、現実はそうは甘くない。身重の妻がいるにもかかわらず、貯金に手を出して数百万円単位のクルマの買うなんてもってのほかだ。ましてや、そのクルマで最高速トライアル(バトル)をするわけだから、何の見返りもない単なるハイリスクな行為でしかない。無事にバトルを終えて帰宅できたとしても、不安のあまり妻が流産してしまう可能性だってある。 この時点で三行半を突きつけられるか、どうにか離婚を回避できたとしても、奧さんに一生頭が上がらなくなる(むしろ、その程度で済めば御の字だ)。 ■まとめ:いちばん怖いのは男の嫉妬かもしれない SNSなどで「20代でフェラーリ買っちゃいました。界隈の皆さんよろしくお願いします」という投稿を見つけて、コメントこそしないけれど、心のなかで頑張れーというエールを送っている。そのいっぽうで、聖人君子ではないので、正直うらやましいし、一部は親ローンでしょ?みたいな嫉妬心がないわけ…ではない。 ただ、その心境をありのままコメントする行為はまったく別の話だ。「それをいってしまったらおしまいよ」というやつだ。 昭和の時代の「平社員はカローラ」も、俺の方が偉い、立場が上という事実を内外にアピールするための手段にすぎない。社員が上司よりイイクルマに乗れるほど高給なんだと知らしめることにもなると思うのだが…。いつの時代も、いちばん怖いのは男の嫉妬かもしれない。 [ライター&撮影/松村透・画像/Mercedes-Benz、Porsche、AdobeStock]
2代目インプレッサの前期型「丸目」には、少なからず不評の声がありました。しかし、「涙目」へのマイナーチェンジによって、市場の評価は大きく変わります。また、見た目だけでなく性能面のアップデートが多岐に渡ったことも、涙目の大きな特徴です。 本記事では、WRCでも活躍した涙目の魅力をたっぷりと紹介します。 涙目は2代目インプレッサの中期型 2代目インプレッサで実施された2度のビッグマイナーチェンジのうち、最初のマイナーチェンジによって誕生したのが涙目です。現代的なデザインが話題を呼び、その意匠は後期型の鷹目にも受け継がれていきました。 まずは、2代目インプレッサの変遷やWRCでの活躍を振り返ってみましょう。 2代目インプレッサは2度のビッグマイナーチェンジを実施 レガシィの兄弟車として1992年に登場したインプレッサは、2000年に初のモデルチェンジを行って2代目に生まれ変わりました。2007年まで販売された2代目インプレッサですが、2度のビッグマイナーチェンジが実施されたため3つのモデルが存在しています。 登場順に前期、中期、後期と呼ばれると同時に、ヘッドライトの形状から「丸目」「涙目」「鷹目」という愛称もつけられました。2002年に実施された最初のビッグマイナーチェンジで登場したのが涙目です。不評だった丸目から、大きくデザインを刷新しての登場でした。 現代的な鷹目につながった涙目 丸目が不評だった前期型に対して、中期型の涙目ではヘッドライトの形状を中心にバンパーやボンネット、フェンダーに至るまでフロント周りの意匠が現代的に大きく変更されました。後期型の鷹目で成熟の域に達した2代目インプレッサですが、涙目での変更点がいくつも踏襲されています。 また、グレードによって異なるキャラクターの内装が用意され、質感も全体的に高められました。特にSTiバージョンでは、ブルーに統一した内装や専用の赤色表示のメーターが装備され、特別感が一層高められています。 WRCでも活躍した涙目 インプレッサは、初代からWRCで実力の高さを証明していました。2代目の中期型である涙目も例外ではありません。涙目が登場した翌年の2003年には、インプレッサWRC2003を駆るソター・ソルベルグがドライバーズチャンピオンを獲得しました。また、2004年に初開催されたラリージャパンでは、初代王者に輝いています。 さらに、涙目のインプレッサはドリフトの国内プロリーグD1グランプリでも活躍し、WRCファン以外からも一躍注目を集めました。D1ドライバーの熊久保信重氏は、ラリーカーが好きだったという理由で涙目のインプレッサを選択し、2006年には、シリーズチャンピオンを獲得しました。 多岐に渡る涙目での変更点 2代目インプレッサの中期型は、ヘッドライトのデザイン的特徴から涙目と呼ばれています。しかし、変更点はヘッドライトや、フロントマスクだけではありません。アップデートされた箇所は多岐に渡り、クルマとしての完成度をより高めています。 涙目での変更点を、WRX STiバージョンのパワーアップポイントも含めてみていきましょう。 質感が向上したインテリアと機能性を備えたエクステリア 涙目のインプレッサでは、インテリアの質感が向上しました。また、構造の合理化によるシートの軽量化や補強など、性能面の向上も図られます。WRXモデルはブラックの文字盤とメタル調メーターリングによる特別感、1.5Lモデルは鮮やかなブルーの文字盤によるカジュアルさなど、モデルによるキャラクターの違いも明確に表現されています。 エクステリアは、見た目だけでなく機能性も考慮して変更が施されました。ボンネットの先端部を下げてバンパーからフロントウィンドウまで流れるようなデザインに仕上げたことで、空気抵抗の低減が図られています。また、ターボエンジン搭載モデルでは、インタークーラーのエアインテークを拡大して冷却性能を向上させています。 大幅にパワーアップしたWRX STiバージョン 涙目のWRX STiバージョンには、丸目の前期型と同型のエンジンが搭載されています。しかし、ファインチューニングによって最大トルクを2.2kgm向上させ、40.2kgmという強大な最大トルクを実現しました。排ガスの通路を2つにわけた「ツインスクロールターボ」による低回転域からの過給、エキマニ(エキゾーストマニホールド)の等長化といったエネルギーロスの低減といった変更が施されています。さらに、バルブの軽量化やピストンの強度向上といった細かい点も、徹底的に改良されています。 機能面では、トルク配分の制御が大きな変更点です。丸目で45.5:54.5だった前後のトルク配分は涙目で35:65に変更されました。また、センターデフの差動制限力(ロック率)を運転中にドライバーがダイヤルを操作することで任意に設定変更が可能なDCCDに、路面状況に応じて自動的に制御する「オートモード」が、新たに追加設定されています。 通常モデルでも高価買取が狙える人気モデル 涙目のなかでも人気のモデルは、やはり限定仕様車のスペックC タイプRA-RやS203です。しかし、通常のWRX STiバージョンでも状態次第では、十分に高価買取が狙えます。 また、WRX STiバージョンでないターボモデルでも、それなりに値段がつくことも珍しくありません。ただし、現代的なデザインになったとはいえ、涙目のインプレッサは生産終了からすでに20年が経過しているモデルです。売却をする際は、旧車としての正しい価値を査定してくれる経験豊富な専門業者に相談することをおすすめします。
WRCで今も破られていない金字塔、マニュファクチャラーズタイトル6連覇を成し遂げたランチア デルタHF 4WD。圧倒的な性能もさることながら、ブリスターフェンダーや上品な内装といったデザイン面も人気の理由です。 本記事では、レギュレーションの変更からわずか半年で完成させたといわれる、デルタHFについて詳しく紹介します。 WRCのレギュレーション変更に合わせて登場したデルタHF デルタHFは、WRCで勝つために開発されたクルマです。わずかな開発期間しかないなかで、ファミリーカーだったデルタをWRCで戦えるように仕上げました。 まずは、デルタHFの開発背景と、誕生に欠かせなかったアバルトの存在について紹介します。 開発決定からわずか半年で発表された新モデル デルタHFは、開発の決定からわずか半年で発表されました。開発のきっかけは、WRCが安全上の理由から参加車輌の規定を変更したことです。グループBでは重大事故が多発していたため、1987年からWRCのトップカテゴリーが市販車ベースのグループA規定に変更されました。 1986年半ばに突如発表された規定変更に各メーカーが対応方法を模索するなか、ランチアはシーズン終了前にデルタHF 4WDを発表します。開発を早期に決定し、余裕をもって間に合わせたことが1987年以降の輝かしい成績につながったのかも知れません。 影に徹したアバルトの高い開発力 デルタ HF 4WDを短期間で発表できたのは、同じフィアット傘下だったアバルトの高い開発力があったからこそだといわれています。グループ内のラリーマシン制作を担っていたアバルトは、習得したWRC車制作ノウハウを活かしてごく短期間でデルタ HFを完成させました。 しかも、ちょっとした変更ではなく、レースで勝つための戦闘力を備えたマシンに生まれ変わらせています。もっとも大きな変更点は、駆動方式とエンジンです。アウディ クアトロの登場により4WDでなければ戦えない状況だったため、FFだったデルタをフルタイム4WDに改変。さらに、ロードモデルにも165psを発揮する2Lターボエンジンを搭載し、ベース車輌がファミリーカーだと思えないほどのスペックに仕上げました。一方で、車体にはアバルトのエンブレムや名称の記載はなく、まさに影の立役者といった存在でした。 投入初年度から無類の強さを発揮 グループA初年度の1987年開幕モンテカルロで、ミキ・ビアジオンとユハ・カンクネンがワンツーフィニッシュを決め、デルタHFはいきなり圧倒的な速さをみせつけます。1987年シリーズは、9勝を挙げてドライバーズとマニュファクチュアラーズのダブルタイトルを獲得しました。 翌年以降も勢いは変わらず、1992年まで前人未到のマニュファクチュアラーズタイトル6連覇を成し遂げます。しかし、トヨタを中心にした日本勢の台頭もあり、ランチアは1991年にワークス体制を解消、さらに1993年にはデルタ自体もWRCから姿を消しました。 市販車としての完成度も高かった グループA規定では一定以上の市販車としての販売実績が必要なため、ランチアHFも当然市販されています。また、WRCで勝つために、毎年のように仕様変更されたこともデルタHFの特徴です。 ここからは、市販車としてのデルタHFの魅力を解説します。 アルカンターラを多用した上質な内装 デルタはもともとゴルフに対抗すべく作られたモデルで、大衆車ながら上品な内装が特徴です。デルタHFでも内装面の特徴は引き継がれ、随所に手触りのよいアルカンターラが使用されています。 レースカーとしての高い戦闘力を期待させるブリスターフェンダーを備えた外装と、上品な内装のコントラストもデルタHFの魅力です。 積極的な開発で生まれた3つの代表モデル デルタHFは登場以降、WRCで勝つために毎年のように改良を続けました。1989年には、エンジンを16バルブ化したHFインテグラーレ16Vを投入。前年のインテグラーレでブリスターフェンダー化して拡幅していたところに、高性能エンジンを搭載してさらなるパワーアップを実現しました。大型化したエンジンを搭載するため、盛り上がった形状のボンネットに変更されています。 さらに、1992年にはWRC参戦の最終形HFインテグラーレ エヴォルツィオーネへと進化を遂げます。市販車の最高出力は大台を突破する210psに達し、まさにエボリューションモデルと呼ぶべき存在でした。 最終的に市販モデルは、1993年のHFインテグラーレ エヴォルツィオーネⅡまで作られます。おもに日本市場を意識したモデルで、最後の限定車HFインテグラーレ16vエヴォルツィオーネⅡコレッツィオーネは限定台数を急遽増やすほどの人気を集めました。 ランチアが導き出したWRCグループAの最適解 フルタイム4WDに2L16バルブDOHCターボエンジン、ボディにブリスターフェンダーというデルタHFの仕様は、6連覇という偉業によりグループAの最適解であることを証明しました。事実、三菱 ランサーエボリューション、スバル インプレッサといった1993年以降に活躍するWRカーに多大な影響を与えています。 デルタHFの買取価格は優に500万円を超え、現在でも高い人気を誇っています。輝かしい成績を残したことだけでなく、WRCの歴史に大きな影響を与えた点も含めて価値が高まっているのでしょう。
「愛車」と呼びたくなるクルマって何かと気を遣うよな…と思うのは自分だけだろうか。 汚れたり、傷がイヤであれば「乗らないに限る」となってしまう。それでも皮肉なもので、ガレージで眠らせたままでもクルマは傷んでいく。 見た目の程度は極上車であっても、長期間にわたって塩漬けにしていてれば、タイヤが硬化してブレーキも固着する。エンジンまわりや燃料ホースなどの機関系も総点検(大がかりな整備)が必要になるだろう。 オーナーの考え方や年代、モデルによって差があるにせよ、あれこれ気にしはじめたら本当にキリがない(自分の場合)。 どう転んでも、工場からラインオフした瞬間のコンディションを維持するのは不可能なのだ。 そんなことは頭ではそれは分かっている。分かっているのだけど…。「いい落としどころ」や「妥協点」が見出せず、気づけば30年近く、ずっとモヤモヤしてきた。 師はコンクールコンディションで3度ウィナーになった人 少年時代に強い影響を受けた人がいた。10代後半から20代前半に掛けてお世話になったアルバイト先の社長さんだ。ポルシェ911をこよなく愛する方だった。過去形なのは、数年前に病に侵され、すでにこの世を去ってしまったからだ。 アルバイトスタッフとしてお世話になっていた当時、社長さんの愛車はその年に新車で手に入れた1992年式ポルシェ911カレラ2だった。タイプ964の5速MT、グランプリホワイトのボディカラーに内装はブラックレザー。オプションで17インチカップホイール、スペシャルシャーシ、スライディングルーフを選択。スポーツシートやリアワイパー、さらにはその気になれば手に入れることもできた964RSはあえて選ばなかったそうだ(後に964RS用純正リアバンパーに交換している)。 車検を含めたメンテナンスはミツワ自動車のみ。当時定番の組み合わせだが、ポイントを押さえた仕様だと思う。 仕事が終わったあとの30分くらいではあるのだが、ときどき社長さんがドライブに連れだしてくれた。当時はまだ高校生。本来であれば、自分の日常とは別世界にいるはずの964カレラ2に乗せてもらう時間が至福のひとときだった。その結果、自分自身もポルシェ911という「底なし沼」にどっぷりとハマることになり、後に現在の愛車となる「プラレール号」こと1970年式ポルシェ911Sを所有することとなる。 結局、その964カレラ2は2005年末に納車された997カレラSに乗り替えるまで、社長さんが保有するガレージに収まっていた。この964カレラ2、ガレージで保管しているときは時間が止まっているのかと錯覚してしまうくらい、常に新車同然のコンディションを保っていた。こっそり17インチカップホイールの内側を指でなぞってみてもブレーキパッドの粉が付着しないのだ。 「964カレラ2にはあまり乗らず、ガレージで塩漬けにしていたんでしょ?」と思われるかもしれない。いやいやとんでもない。旧ポルシェオーナーズクラブに所属し、クラブの走行会では雨の日でも富士スピードウェイをガンガンに攻めていたし、高速道路では「ポルシェらしい走り(察してください)」で3.6リッターの空冷フラットシックスを思う存分に「吠えさせて」いた。 ひとしきり走り終えてガレージに戻ってくると、夜遅い場合はホイールやフロントバンパーに付着した虫を拭き取る程度で済ませていた。そして後日、エンジンルームやホイールの内側までたんねんに汚れを落としていた。その積み重ねが新車同然のコンディションを生み出していたと思う。 964カレラ2の前に所有していたのが1984年式の911カレラで、こちらはクラブ主催のコンクールデレガンスで3度も優勝したというから、その実力は折り紙つきだ。こんな人が身近にいたら、影響を受けない方がどうかしている。社長さんのようなコンディションは維持できないけれど、洗車に関してはそれなりの流儀が身についてしまった。 洗車するときは風が弱い曇りの日。ボディの汚れを落とすときはスポンジを使いつつ、常に水を流しながらゆっくとていねいに。ワックスはSoft99の半練り一択。1パネルごとに新品のスポンジを1個ずつ使って練り込む。スポンジは使い捨てだ。仕上げはネルクロスだったと思う。洗車が終わると、水を飛ばすために近所をひとまわり。もちろん油温が安定するまで走る。端から見る限り、特別なことは何もしていない。ただ、洗車を終えると、そこに新車同然の964カレラ2がたたずんでいるのだ。その後、自分の愛車を洗車する際、いくら真似をしても社長さんのような仕上がりにはならなかった。 意識しすぎて乗るのが辛くなったという、あるロードスターオーナーの話 数年前、とある媒体の案件で、マツダ ユーノスロードスターオーナーを取材する機会があった。シリーズ2のVスペシャルIIは惚れ惚れするほどのコンディションで思わず「譲ってください!」と口から出かかってしまったほどだ。 ちなみに、VスペシャルIIの前にはM2 1001に乗っていたという。取材中に「レアモデルゆえの緊張感が、いつのまにか負担になっていたようです。例えば、ちょっとした用事でクルマから降りるときも目が離せなかったり、壊したくないと“貴重品”のように扱っているうち、自分のものではないような感覚になってしまっていました」とオーナーがおっしゃった。 M2 1001といえば、販売当時から争奪戦が繰り広げられ、いまでは市場にもめったに姿を現さない。300台のうちの何台かは海外に流失しているという話も耳にする。貴重であるがゆえに目が離せないという緊張感は、やがてストレスに変わる。せっかくのM2 1001をドライブするのが苦痛になってしまってはあまりにも辛い。そこでオーナーはM2 1001を手放し、VスペシャルIIに乗り替えたそうだ。貴重なモデルを所有していた方ならではのエピソードだけに、とても説得力があった。 あるハチロクオーナーを取材したときに気づいたこと また別の取材では、28年間、ハチロクを所有しているという女性オーナーの方にお会いする機会があった。集合場所にやってきたハチロクは、年式相応に使い込まれた「いいヤレ具合」を醸し出していた。 取材した日は、冬晴れの、風が強い日だったと思う。インタビューをしているあいだ、オーナーさんはフロントガラスをサンシェードで覆い、車内に日差しが入らないように愛車を保護していた。たとえ数時間であっても、少しでも紫外線によるダメージを防ぎたいのだと思った。 取材中、車内の様子を拝見させてもらうと、ナルディのステアリングのグリップの一部が劣化していたり、純正シートのサイドサポートも少しクタッとしていた。まさに1人のオーナーが使い込んできたからこそ刻まれた年輪のようだった。 さらに取材を進めていくうちに、ハチロクのエンジンや足まわりなどの機関系のメンテナンス、そして愛車の異変を察知する嗅覚の鋭さには驚かされた。些細な異変も敏感に察知し、主治医に診てもらうと、確かに不具合が生じていたそうだ。 この2つの取材が自分にとってのターニングポイントとなった。愛車の傷や劣化に一喜一憂していたら辛くなるいっぽうだ。走らせる以上、汚れもするし傷もつく。それはもう「オーナーだけの特権であり、勲章」として受け止め、機関系のコンディション維持に注力しようという、至極あたりまえな結論にようやくたどり着いた。 まとめ:30年近い苦悩の果てに「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」と気づく 沖縄や奄美地方はすでに梅雨入りしているが、本州地方もそろそろだろうか。愛車を所有するオーナーの方たちも、春先から続いたイベントやツーリングのお誘いなどが一段落した頃だろう。 古いクルマを所有するオーナーにとって、秋から冬に掛けての出番に備え、ここ数ヶ月は愛車のメンテナンスや、冬眠ならぬ夏眠(?)の時期に入るんだと思う(いっぽうで、降雪地帯にお住まいの方は冬場もガレージで眠らせるのだろうから、思う存分に愛車との時間を楽しめるのは年に半分くらいという方もいるかもしれない)。 エントリーしているイベント、あるいは仲間同士で出かけるツーリングなど。雨天延期、あるいは中止であればいいのだが…。問題は「朝、集合する時点では晴れか曇りでも、出先でほぼ確実に雨が降る」場合だ。いわゆる「微妙な天気」というやつだ。お天気アプリの時系列予報をチェックすると雨マークがしっかりと表示されている。ゲリラ豪雨などがいい例だ。 自分の愛車も錆対策が施されていないので、本音をいえば足車で参加したい。しかし、それでは他のメンバーに申し訳ない気がする。クルマを濡らしたくないというのが本音だ。事実、イベントの参加を断念したこともあった。そのときの後味の悪さといったら…。 しかし、ユーノスロードスターやハチロクのオーナーのおふたりから話を伺ってからは少し考え方を変えた。わざわざ雨のなかを走ろうとは思わないが、多少濡れても仕方がない。おふたりのおかげで、少し時間が掛かったけれど、ようやく愛車との適度な距離感がつかめたのかもしれない。 投機目的で愛車を所有しているわけではないし、コレクターズカーにするつもりもない。ふとした空き時間に走りを楽しむために手に入れ、いままで所有してきたのだ。至極あたりまえだが、走れば汚れるし、傷もつく。それに対して一喜一憂していたら身が持たない。 少年時代のアルバイト先の社長さんを師と仰いでからすでに30年以上の年月が経った。遅まきながら、ようやく「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」という結論にたどり着けた気がする。 [画像・TOYOTA,Mazda ライター・撮影/松村透]
つい最近、20代のクルマ好きから「ユーノスロードスター乗りたいんですけどどう思いますか?」とアドバイスを求められ、真剣に悩んでしまった。 ■かつて自分も乗っていたユーノスロードスター かつて自分も、中古(しかも格安)で手に入れたユーノスロードスターに乗っていた時期があった。古いクルマ相応のトラブルや出費に泣かされつつも、いまでも手に入れて良かったと心から思える1台だ。 自分が1991年式ユーノスロードスター Vスペシャルの中古車を手に入れたのは2011年。つまり東日本大震災があった年だ。当時住んでいた地域は震源地から比較的離れていた場所にあり、自宅にも大きな被害はなかった。 困ったことといえば、度重なる計画停電やガソリンの入手に悩まされたくらいだ。実際に被災した方たちと比べたら、この程度は苦労したうちに入らない。 やがて少しずつ周囲が落ち着きはじめた頃、「この先、いつ何時、どうなるか分からないから、せめて欲しいと思うクルマを手に入れよう」と心に決めた。こうして手に入れたのが先述のユーノスロードスターだ。 車輌本体価格が29万円のVスペシャル。2オーナーの1.6リッター、5速MT、車検切れ、ほぼノーマル。下地処理が雑な板金処理が施され、純正色のネオグリーンに全塗装されていた。何しろ車輌本体価格29万円だ。良好なコンディションを期待すること自体に無理がある。 納車当日にミッションとクラッチの不具合が発覚。近所のマツダディーラーに駆け込んだところ、エンジンからオイル漏れも起こしているという。結局、そのままディーラーで修理が決定。クラッチは新品に交換、エンジンもガスケット交換するなど、最低限まともに走れるよう、ひととおりの作業をお願いした。ミッションはリビルト品にすることで出費を抑えてもらったが、それでもトータルで50万円くらいは優に掛かった記憶がある。 その後も雨漏りに悩まされたり、内装を中心にドレスアップを楽しんだり…。総額でいくら掛かったんだろう。100万円を超えたあたりから恐ろしくなって計算するのをやめた。それでも努力の甲斐あって、気づけば29万円で手に入れたとは思えないクルマに仕上がった。 その後、訳あってこのユーノスロードスターは泣く泣く手放した。某エンスー系個人売買を介して試乗に来た20代の男性が、試乗するなりその場で即決した瞬間、このクルマとの別れが決まった。風が強い、冬晴れの土曜日だった。 ちなみに、その彼はこのユーノスロードスターが人生初の愛車だという。それならば、ということで、ロードスターを引き渡す際に、ノーマルパーツを含めて可能な限り手持ちの部品を含めて譲り渡した。結局手元に残ったのは、ナルディのホーンボタンと愛用していたキーホルダーくらいだ。 早いもので、あれから10年が経った。当時、20代だった次のオーナーも、いまでは30代半ばくらいになっているのだろうか。あのときのユーノスロードスター、いまでも乗ってくれているといいのだけど…。 ■ふと横を見ればNDの中古車も買える カーセンサーによると、2024年5月現在のユーノスロードスターの平均価格は168.5万円。もっとも安い個体の車輌本体価格でも55万円だという。下限でこれだ。自分が手に入れたときは10万円を切るような、誰が買うんだといいたくなるような、ボロボロ・くたくたの個体も売られていた。 その反面、コンディションの良さそうな個体は、2011年当時でも100万円を超えてきてはいた。しかし、200万円台ともなれば、新車同様の限定モデルやM2など、ごく少数だった。そこまで高いお金を払って買おうという人が少なかったんだと思う。 それがいまや、200万円台を大きく突破して300万円台後半の領域にまで達している。もはや新車以上の値段だ。正直、現行モデルであるND型の中古車も充分に狙える価格帯でもある。 自分がユーノスロードスターを存分に楽しんだ(同時に痛い目にあった)ということもあるが、いまなら迷わず現行モデルであるND型の中古車を選ぶだろう。 もし、ふたたびユーノスロードスターを手に入れるとしたら、フルレストア&オリジナルの状態にして所有したい。本気になってしまったら前回以上の出費になることは確実だ。それに、コンディションが良すぎて気軽に楽しめない(持っていることがプレッシャーになる)気がする。 ■止めるべきか、背中を押すべきか? 20代のクルマ好きの彼は、ユーノスロードスターに狙いを定める前段階として、ND型ロードスターも比較対象として考えたはずだ。それを前提に考えると「NA型を買うならND型も狙えるよ」といったアドバイスは、当の本人からすれば「んなこと、いわれなくとももう分かってます」だろう。 ポルシェ911のように、現行モデルである992型の中古車が手に入るのに、あえて964カレラ2(MT)を狙いにいくのと少し似ているかもしれない。新しいクルマの方が壊れないし、エアコンも効くし、日常の足としても使いやすい。さらにいえば、家族の理解も(少しは)得られる。そんなことは百も承知でユーノスロードスターを買おうというのだから、正論が通じるはずもない。 しかし、無責任に「どうせならばNA型買っちゃいなよ」とせきたてることで、20代のクルマ好きの友人に確実に降りかかるであろう、さまざまな苦悩と苦痛と、多額の出費という「高負荷」を掛けてしまっていいのか悩むこととなった。 ■結局、どうしたかというと・・・ で、結局「ユーノスロードスターに乗りたいんですけどどう思いますか?」という問いに対してどう答えたのか? 今回に限った話でいうと「彼は答えは出ていて、誰かに背中を押して欲しいはずだ」と判断した。 そこで「コンディションの良い個体は今後さらに数が減るだろうし、相場もさらに上昇するはず。年齢を重ねてから悔やむことのないように、思い切って手に入れてみたら?」と伝えた。これに「信頼できるロードスターオーナーを見つけて主治医を紹介してもらい、同じクルマを持つ仲間と1人でも多く知り合ってみて」とつけ加えた。 それこそ、当の本人からすれば「んなこと、いわれなくとも分かってます」だろう。ただ、特に後者は念を押しておく必要があると感じていた。 主治医選びを間違えると、せっかく手に入れた念願のユーノスロードスターとのカーライフが早々に破綻しかねない。いい加減な整備でクルマを壊されることもあるからだ。そして何より、主治医との相性も重要だ。何となくソリが合わない、信頼できない…という直感には従った方がいいと思う。そのモヤモヤが蓄積され、何らかのきっかけでいずれ爆発するからだ。 最近、ライフスタイル系の雑誌で旧車やネオクラシックカーとそのオーナーを取材した特集記事を目にする機会があった。愛車選びに多少のヒネリが加えられ、どことなくおしゃれに映るのかもしれない。しかし、その裏ではたびたび壊れる、クーラーが効かないなどの「やせ我慢」を強いられるオーナーも少なからずいるはずだ。 20年、30年、あるいはそれ以上の年数が経過したクルマが現代のそれと比較して確実にヤレているし、我慢を強いられることも多い。「買えばなんとかなる」とはいかない場面も多々ある。そういったもろもろのリスクを背負えるだけの覚悟だけは持っていた方がいいのかもしれない。 [画像・Mazda ライター・撮影/松村透]
6Lを超える自然吸気V8エンジンの力強い吹け上がり、標準車とは異なる存在感のあるエクステリアデザインによって今でも根強い人気を集めるW204型 メルセデス・ベンツ C63 AMG。メルセデス・ベンツのスポーツブランド、AMGが手掛けたカスタマイズモデルです。 標準モデルの性能をさらに高めたブラックシリーズとともに、W204型 C63 AMGの魅力をたっぷりと紹介します。 W204型 C63 AMGはクラスを超えた存在 絶対的な高級車としてSクラスやEクラスを用意するメルセデス・ベンツのなかで、Cクラスは高級路線のいわば入門車的な位置づけです。しかし、長年メルセデス・ベンツのチューニングとカスタマイズを手掛けるAMGが製作したC63は、クラスを超越した圧倒的な完成度を誇ります。 AMGの成り立ちも含めて、まずはC63 AMGの魅力を紹介します。 メルセデス・ベンツのスポーツブランドAMG AMGは、「究極のハイパフォーマンス」を追求するメルセデス・ベンツのスポーツブランドです。現在ではメルセデス・ベンツ・グループの傘下ですが、かつてはレース用エンジンのチューニングメーカーでした。 特にメルセデス・ベンツのチューニングに注力していたAMGは、レースで輝かしい実績を残して地位を築いていきます。高い実力が評価されたAMGは、1990年にメルセデス・ベンツと正式に協力協定を結びました。 AMGらしさを存分に盛り込んだモデル Cクラス3代目のモデルとして2007年に登場したW204型のAMGモデルが、メルセデス・ベンツ C63 AMGです。6.2Lという標準モデルの3倍近い大排気量エンジンが、AMGの存在感を示しています。 また、デザイン面でもさまざまな点が、ベース車輌から変更されました。大型エンジンの搭載に合わせてフロントノーズは延長、全幅も同シリーズ最大の1,795mmにまで拡張されています。さらに、フロントのバンパースポイラー、サイドスカートといった、AMGらしいエアロパーツも魅力的です。 迫力の6.2L V8エンジン C63 AMGに搭載されたエンジンは「6.2Lの自然吸気V型8気筒」というスペックを目にしただけで迫力を感じます。M156型と呼ばれるこのエンジンは、最高出力457ps、最大トルク61.2kg・mを発揮。0‐100km/h加速は4.5秒、最高速250km/h(リミッター)を誇り、走りにこだわる世界中のメルセデス・ベンツ、AMGファンの心を掴みました。 また、このM156型エンジンは、メルセデス・ベンツ最後の大排気量エンジンといわれています。すでにW204型から環境に配慮したダウンサイジング方向に開発が進んでいたためです。 究極まで性能を高めたブラックシリーズ マットブラックというメーカー純正としては極めて珍しいカラーがテーマに設定され、特別感がより高められたC63 AMGブラックシリーズ。自然吸気で500psの大台に乗せたエンジンや突き詰めた足回りなど、見た目の迫力だけでなく確かな実力を備えた究極の1台ともいえるモデルです。 ここからは、C63 AMG ブラックシリーズの圧倒的な実力についてみていきましょう。 サーキットを意識させる圧倒的な実力 C63 AMG ブラックシリーズのエンジンは通常のC63 AMGモデルと同じM156型ながら、517psにまで出力が高められています。SLS AMG用の鍛造ピストンをはじめ、コンロッドや軽量クランクシャフトを手組みすることで、M156型エンジンのポテンシャルを最大限引き出しました。 さらに、車重は90kgも軽量化されていて、0-100km加速はわずか4.2秒という爆発的な加速力を発揮します。また、専用のスポーツサスペンションに19インチのダンロップ スポーツMAXXレースを組み合わせ、ワインディングでのクイックなハンドリング性能を実現。ロードカーというよりも、レーシングカーを彷彿とさせる迫力のあるドライビングがブラックシリーズの魅力です。 内外装もとことんこだわった仕様 ブラックシリーズは、走りに主眼をおきつつディテールまで突き詰められています。もっとも驚くべきことは、Cクラスにも関わらず後席が約40万円のオプション扱いということです。C63 AMG ブラックシリーズは、事実上2シーターとして発売されました。フロントシートは専用のバケットシートで、ブラックシリーズの機敏な動きに対応できるよう身体をしっかりとホールドしてくれます。 エクステリアでは、カナードを備えたフロントバンパーやサイドスカート、リアスポイラーまで専用設計のエアロパーツが用意されていました。特に、オプションのカーボンエクステリアパッケージを装備したモデルは、まさにレーシングカーといった佇まいでした。 ベストセラーになったC63 AMG W204型 C63 AMGは世界累計4万台を販売し、当時のAMGとしてベストセラーを記録しました。C63の標準モデルはそれほど人気が高いとはいえませんが、AMGモデルは別格です。特に、究極にまで走行性能を高めたブラックシリーズは、1,500万円を超える買取価格がつくことも珍しくありません。 一方で、W204型 C63 AMGの登場からは、すでに20年近く経過しています。各部の劣化のみを指摘されてしまうと、クルマ本来のもつ価値を過小評価されかねません。より高い買取価格で売却するためには、旧車の取り扱い経験が豊富な専門業者への相談をおすすめします。
3代目ポルシェ 911として登場した964型は、ボンネットの左右に張り出した丸目2灯という911伝統のフォルムを踏襲しています。しかし、中身に関しては、現在の911にもつながる劇的な変更が加えられたモデルです。 日本のバブル真っ只中に投入され、空前のヒットを記録した964型911の誕生背景と変更点を振り返ってみましょう。 さらなるユーザー獲得を目指して開発された964型 2代目911登場から20年以上経過した1989年。911は北米を中心に依然高い人気を保っていたものの、設計にやや古さが感じられるようになってきました。 新たなユーザー獲得を目指すために、時代に合わせた大幅な刷新が求められ、満を持して登場したのが、3代目911の964型です。一気に現代的な装備になった964型について、ポルシェの車名の解説とともに詳しく紹介します。 911とはポルシェの車名 まずは、「911」と「964型」の数字の違いについて解説します。 ポルシェの車名とモデル名は同じような数字を使用しているため、混同してしまう人も少なくありません。国産車を例に改めて整理すると、「911」とはトヨタの「カローラレビン」や「ランドクルーザー」などと同じ意味の車種名です。一方で、今回紹介している「964」は型式名で、カローラレビンであれば「AE86」や「AE92」、ランドクルーザーであれば「70系」や「80系」に相当します。 また、CarreraやTargaといった名称は、モデルの分類を示すいわばグレード名です。それぞれ、ボディタイプや搭載エンジン、装備といったスペックが異なります。 見た目は変わらないのにニューモデル 3代目911の964型は、930型の後継車種として1989年に登場しました。一般的な車種のフルモデルチェンジといえば見た目も先代から大きく変わりますが、964型の外観は先代930型からほぼ変更されていません。初代から続く伝統的な「911」の外観の変更が許されなかったためです。 しかし、964型のポルシェは、80%が新開発された正真正銘のニューモデルです。エンジンはもちろん、パワートレインや駆動方式、各種装備まで徹底的に見直されました。 現代的な装備に生まれ変わった 964型911が最も進化したポイントは、充実した装備で誰でも扱いやすいクルマになったことです。930型以前のモデルは、ピーキーな面もあり乗り手を選ぶクルマでした。しかし、細部まで見直された964型は、性能と乗りやすさを両立したモデルに仕上がっています。 足回りはトーションバーからコイルスプリング式に変更され、パワーステアリングやABSといった現代的な装備も備えられて操作性が格段に向上しました。また、MTライクな操作を可能にする、ティプトロニックという新型のATも搭載しています。仕組み自体は従来のトルクコンバーター式ATと大きくは変わりませんが、現在のATでは当たり前になっているマニュアルモードの元祖的な機構として業界全体に大きな影響を与えました。 さらに、964型では、4WDモデルも新たに追加されています。911伝統のRRは安定性が課題でしたが、4WDによって誰でもハイパワーポルシェを操れるようになりました。 930型から大幅にアップデートした964型 964型でアップデートされた多くの点が、現代の911にもつながっています。911における、エポックメイキングなモデルだったといってもよいでしょう。 964型のアップデートポイントを、詳しく紹介します。 3.6Lに拡大されたエンジン 964型最大の注目ポイントは、排気量が3.2Lから3.6Lに拡大された新型エンジンです。ポルシェ伝統のフラット6と呼ばれる水平対向6気筒のM64型エンジンは、最高出力250ps / 6,100rpm、最大トルク31.6kgm/4,800rpmを発揮。後継の993型にも搭載された、ポルシェ最後の空冷エンジンです。 実はボディもディテールが現代的に変化 930型と見た目がほとんど同じ964型ですが、実は細部が大きく刷新されています。特に、フルモノコック化されたボディによって剛性を強化したことで、より高いハンドリング性能を実現しました。 また、バンパーのデザインも、前後に張り出したデザインからボディラインと一体の形状に変更されています。この変更は後継モデルでも踏襲され、ポルシェの新たな伝統になりました。さらに、リアスポイラーも、964型での大きな変更点です。従来は大型の固定式リアスポイラーでしたが、走行速度に応じて自動的に開閉する電動スポイラーに変更されています。 ターボモデルは2種類ある点に注意 964型にも先代と同様に、ターボモデルが設定されています。しかし、人気の高いのは1993年に登場した後発の3.6Lターボモデルで、1991年に投入されたターボモデルは不評でした。1991年登場のモデルは、ボディこそ964型だったものの肝心のエンジンは先代930型のターボモデルと同型だったためです。さまざまな箇所の改善と改良に追われ、ターボ用の新型エンジンを用意するのが間に合わなかったといわれています。 一方、964型に搭載された新型エンジンをベースに開発された3.6Lターボモデルは、新時代を感じさせる十分なパワーを発揮しました。最高出力は360ps、最大トルクは52.0kgmにも達し、シートに押し付けられるような爆発的な加速力を味わえます。 さらに、走行性能だけでなく、内外装も特別感のあるデザインに仕上げられていました。外装面で目立つのは、赤色に塗装されたブレーキキャリパーとスピードライン製3ピース18インチホイールです。また、フロントには8ウェイ操作可能なパワーシートが備えられ、ダッシュボードまで含めたフルレザーインテリアになっています。 バブル景気に支えられ日本国内でも大ヒット 964型911がデビューした1989年は、折しも日本がバブル景気に沸いていたタイミングでした。現代的で扱いやすいクルマになったことも手伝って、日本国内でも大ヒットを記録します。大きく生まれ変わったモデルだけに現在でも人気は高く、安定した価格で取引されています。特に熱い支持を得ているのが、3.6Lターボモデルです。わずか1,875台しか販売されておらず、その希少性の高さから、標準車のカレラの3倍近い価格がつけられることも珍しくありません。 ただし、30年以上前のモデルである964型を売却する際は、旧車専門の買取業者に相談することをおすすめします。年式や劣化具合だけに着目した評価ではなく、市場での需要を踏まえて正しく査定してもらえるためです。964型911のご売却を検討される際には、旧車取り扱いの経験豊富な旧車王にぜひ一度ご相談ください。