「車売却ってそもそもどんな流れなのか」「車の相続について相談したい」など車売却をご検討の際に出てくる悩みに無料でお答えいたします!
【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
ミニカーに興味があるクルマ好きにとって、値上がりを続けるミニカー事情に頭を悩ませている人は少なくないだろう。 そんな人にオススメなのが書店で購入できるミニカーシリーズ。 なかでも日本車ミニカーを1/43スケールで製品化した『国産名車プレミアムコレクション』は、価格とクオリティのバランスが取れたミニカーとして着実にファンを獲得している。 そこで今回は、『国産名車プレミアムコレクション』の魅力を掘り下げてみたい。 ■1/43ミニカーの救世主 ミニカーの値上げが止まらない。 生産コストや原材料費の上昇などにより、モノにもよるがだいたい20年前の2倍になったような感覚がある。 そんな状況から買える人も次第に限られてきて、今はコアなファンがマーケットを支えているような状況だ。 筆者自身、以前はミニカーを片っ端から買い集めていたが、今は本当に欲しいアイテムだけを厳選して買っている。 また、以前は1/43ミニカーをメインに買っていた仲間も、最近はトミカとかホットウィールなど数百円で買えるミニカーがメインになっている。 今や1万円以下で買える本格的なコレクター向けミニカーは、絶滅危惧種となりつつあるのだ。 そんな状況のなか、アシェット・コレクションズ・ジャパンが2021年12月に創刊した『国産名車プレミアムコレクション』は、出来の良い1/43ミニカーを求めていたファンにとって久しぶりに明るい話題となった。 創刊号のミニカーは日産 スカイライン 2000GT-R KPGC110 1973で、価格は1,499円。 2号目のホンダ NSXは2,499円という低価格だった。 3号目以降は定価3,999円となったが、それでも標準的な出来の1/43ダイキャスト製ミニカーが現在5千円〜7千円程度で販売されている状況を考えれば、かなりリーズナブルな価格設定といえる。 ■クオリティの高いディテール表現 クオリティの高さも特徴的だ。 書店流通系のミニカーには「安かろう悪かろう」というイメージが少なからずあり、クオリティはあまり期待できないというのがこれまでの常識だった。 しかし、『国産名車プレミアムコレクション』では細部の作り込みがしっかりしていて、いわゆる「つくりの甘さ」の要素が少ないのが特徴的だ。 例えば、クローム部分の再現とかコンビネーションランプの塗り分けなどは忠実に再現され、モデル全体にシャープな印象を与えている。 ミニカー自体も厚みのあるアクリルケースに収められ、高級感を演出している。 この手の書店流通系ミニカーは、台座はあってもアクリルケースが省略されている製品が多い。 その意味でも、アクリルケースが付いていることはコレクターにとってはとても重要なことだ。 ■製造元はミニカーのトップブランド そこで気になったのは製造元である。 台座を外してシャシーを見てみると、“AR box ALMOST REAL SUMS MODEL” という刻印がある。 SUMS MODELは「オールモストリアル」のブランド名で高品質なミニカーを製造している中国のミニカーメーカー。 ハイディテールな製品内容で知られ、1/43ミニカーは1万円前後、1/18ミニカーは2万円台から5万円台という高価格帯のミニカーをラインアップしている。 ドイツでは「ミニチャンプス」ブランドで知られるポールズ・モデル・アート社が販売を行っており、日本では現在、エスワンフォー株式会社が輸入販売代理店となっている。 高品質なミニカーづくりで知られるメーカーが設計および製造を担当しているため、大量生産品でありながら非常にしっかりとした製品内容となっているのだ。 ■ディフォルメのない忠実な表現 ミニカーでは実車の持つ雰囲気を伝えるためにボディをディフォルメしたり、タイヤ/ホイールサイズを調整したりすることがよく行われている。 しかし、このシリーズではそのようなディフォルメがほとんど見られない。 それをもっとも象徴しているのがタイヤで、創刊号のケンメリGT-Rのミニカーを手に取ったときは、あまりのタイヤの細さに違和感を覚えたほどだ。 輸入販売元であるエスワンフォー株式会社の担当者に話を伺う機会があったので、その件について尋ねてみた。 すると、実車を正確に再現するために、あえてディフォルメを行っていないのだという。 確かに改めて調べてみると、オリジナルのタイヤサイズを再現したものであることが分かった。 逆にいえば、それ以前の1/43ミニカーなどで見慣れてきたタイヤは、モデルとしての見栄えを良くするために太くされていたということだ。 車高についても「ちょっと腰高かな?」と思えるようなものが少なくない。 これもモデルとして捉えるなら、もう少しローダウンしたほうがカッコよく見えるに違いない。 しかし、あえてそれをしないで忠実にオリジナルの姿を再現しようとする姿勢は、このシリーズの独自性につながっている。 ■低価格を実現できた理由 『国産名車プレミアムコレクション』が低価格を実現できた理由は大量生産にある。 近年のコレクター向けミニカーは多品種少量生産が基本で、樹脂製のレジン素材でボディを成形しているものが少なくない。 逆に大量生産に適したダイキャスト製ボディは、金型製作の費用がかかるため敬遠されることが多くなった。 しかし、このシリーズでは書店流通系ミニカーということで大量生産に向いたダイキャスト製ボディを採用。 量産効果でコストを下げていることが大きい。 とはいえ、もちろん欠点も存在する。 このシリーズの最大の欠点は内装が無塗装であること。 メーターパネルはデカールで表現されていているし、ウッド製のステアリングやシフトノブは塗装で再現されている。 その反面、シートやインテリアは黒いプラスチックの成形色のままなのだ。 昔の国産車の内装はブラックを基調にしたものが多いのであまり気にならないが、'80年代のハイソカーあたりになるとその欠点が気になる。 特にトヨタ・ソアラをはじめとするハイソカーなどは、ベージュやワインレッドの内装色が特徴のひとつとなっている。 そのため、真っ黒な内装だと魅力が半減してしまうのだ。 このあたりはコストの兼ね合いもあって妥協しなければならないポイントだったのだろう。 そのため、車種によっては残念な印象になっているものもある。 明るい内装色が特徴だった車種の場合は要注意だ。 ■国産車ミニカーの新たなスタンダード このようにメリット・デメリットがそれぞれ存在する『国産名車プレミアムコレクション』。 ただ、今時の1/43ミニカーで3,999円という価格を考えれば、破格の内容であることは間違いない。 特に今後は原材料の高騰や円安などで、ミニカーのさらなる値上げが必至な状況にある。 その意味では、高品質なミニカーが手軽に入手できるだけでも非常にありがたい存在といえるだろう。 [ライター・画像/北沢剛司]
今や入手困難となりつつあるシールドビームと、今日なんとか入手できるセミシールドビームとのデザインの違いから、シビエやマーシャルなど当時の一流ブランドをご紹介します。 また、ベテランオーナーがこだわるポイントや、右側通行や車検への適合についても触れてみます。 さらには、日本国内ならではの注意ポイントなどを、むずかしくなり過ぎないようにまとめました。 パーツ単体を深掘りして、自動車産業の進化の過程を読者のみなさまとともに考えていきたいと思います。 ■当時、デザインの大きな制約であった旧車のヘッドライト ▲ただいま編集中のリフレクターが錆びてしまったシビエ製のセミシールドビームをレストアする動画 こちらは[YouTube]BEARMAN'sチャンネルで8月下旬公開予定。 ※チャンネル登録お待ちしております。 [YouTube]BEARMAN's チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCTSqWZgEnLSfT8Lvl923p1g みなさまは旧車のヘッドライトについて、いかがお感じだろうか? 旧車のヘッドライトといえば、丸型や角型のシンプルな形状が多い。 これらが人間味のある顔に見えてカワイイと感じる方もいれば、機能そのものがデザインとなっており、メカメカしくカッコイイと感じる方も多いことではないだろうか? クルマの旧い新しいに関係なく、顔つきの印象を大きく左右するヘッドライトのデザインは、そのクルマのキャラクターを決定する、たいへん重要な部分ともいえる。 クルマのデザイナーにとっては、まさに力の入れどころである。 旧車の世界に話をうつせば、そもそもヘッドライトといえば当初は丸型のみであり、当時のクルマのデザインにとって大きな制約となっていた事実を、みなさまはご存じであっただろうか? 今回はこの旧車の顔「ヘッドライト」について、すこし掘り下げてみたいと思う。 ■限られた選択肢が、より強くオーナーの個性を光らせる! ▲北米仕様のシールドビーム式ヘッドライトが装着された一例。よく知られた欧州仕様とは顔つきが異なる(ポルシェ911) 先ほど述べたとおり、旧車のヘッドライトといえば当初は丸型のみであった。 これは当時のアメリカの法規が深く関わっている。 アメリカでは1940年に米国内で販売される新車へ「7インチ規格型シールドビーム」の装着が義務付けされたことが事の発端である。 シールドビームとは、レンズ・リフレクター・バルブ(発光フィラメント)が一体となったものに不活性ガスを注入し、その名の通り完全密閉(シールド)されたヘッドライトである。 長所は、当時としては高寿命かつ高輝度であり、密閉構造のため内部の劣化による曇りの心配が少ない。 また、全体がガラス製であるため、現代のクルマのヘッドライトのように樹脂製のレンズが劣化して曇るといったことは無縁だ。 採用されるクルマも消耗品としての交換を前提に、規格に沿って設計されているため、整備性も良く、比較的簡単に交換ができる。 短所は、レンズとリフレクターが一体化しているため、発光フィラメントが寿命を迎えた場合、シールドビーム一式で交換が必要な点である。 ハロゲンバルブが普及した現代から見ると、若干高価に感じる点でもある。 規格によって寸法その他が決められてしまっているため、当然、デザイン性に大きな制約がある。 これは当時、国土の広いアメリカの、どこのガソリンスタンドでも交換ができることを優先したためともいわれている。 ただ、このアメリカ国内の法規が、ヨーロッパや日本のクルマ作りに大きく影響した。 それはなぜか?理由は簡単だ。 アメリカはもとよりモータリゼーションの先進国であり、また、今も昔も世界最大の自動車消費国でもあるからだ。 ヨーロッパ車では、はやくも1960年代初頭には角型ヘッドライトが登場する。 アメリカに輸出をすることを念頭に設計・生産されたクルマは、同じ車種であっても本国仕様と北米仕様で顔つきが異なることが多い。 当時の自動車メーカーは、最大の消費地であるアメリカの法規を無視できず、規格ヘッドライトありきでクルマのフロントフェイスのデザインが決めていったという時代背景があるのだ。 この状況は1984年にアメリカ国内で法規が改訂され、バルブ交換型のヘッドライトが許可されるまで続く。 国産車の場合も、アメリカの法規に追従する形で、その影響を受けているといっても過言ではないだろう(日本の場合は、戦後、進駐軍によりシールドビームを装着した軍用車が大量に持ち込まれ、これらの消耗品が一部国産化され普及したという特別な背景も一部ある)。 特に国産車のヘッドライトは、丸形と角型のそれぞれ2灯と4灯、合わせて4種類のシールドビームしか無かった時期が長く続いた。 当時のクルマのオーナーだった方は、その頃の選択肢の無さを思い出すことであろう。 しかし、現代の旧車乗りにとっては、むしろこの部分がオーナー自身の個性を発揮するポイントとなっている。 今日では国産のシールドビームは数年前にすべて生産終了し、ハロゲンバルブ交換型のセミシールドビームが主流となっている。 このセミシールドビームは往年のレンズカットのあるガラス製のものから、カスタム志向のマルチリフレクター式、または、まるで最新の現行車のようなデザインのLED式のものまで存在する。 ▲規格型シールドビーム装着車であれば、このようなカスタムヘッドライトという選択も可能だ(プリムス・ベルベディア)画像提供:NezRodz氏 https://www.instagram.com/nezrodz/ 逆に旧車のオリジナリティを求め、現在入手困難となったシールドビームや、当時はハイパフォーマンスパーツであった、絶版のシビエやマーシャルのセミシールドビームを探し当て、自身の愛車に装着するオーナーも存在する。 今日現在、一般的に入手できるセミシールドビームはレンズが平面であるものがほとんどであるが、これらはレンズ面が丸みを帯びた凸形状であることが共通する。 ▲ 絶版のシビエ製セミシールドビーム(左)と、今日新品で入手できる小糸製セミシールドビーム(右)。レンズの丸みが異なる 当時物のノスタルジーを得ようとする者、今日のテクノロジーを旧車に反映しようとする者、クルマのフェイスデザインの制約でしかなかった規格ヘッドライトが、いまや旧車乗りの個性をアピールする場となっているのだ。 この記事の読者の方は旧車イベントを訪れた際には、ぜひクルマのヘッドライトを一台一台覗き込んでいただきたい。 とても細かい部分であるが、ここにオーナーのこだわりが垣間見えるからだ。 ■パーツ探しは意外と困難!?日本国内ならではの注意ポイント ▲試しに海外のサイトでヘッドライトAssyを検索してみた。画像はBMWのあるモデルのHELLA製新品であるが、左側通行用はまず見当たらない。だが諦めてはいけない。これらを加工してシールドビームを装着する強者(ツワモノ)も存在する 旧車ヘッドライトのパーツ選択に趣(おもむき)があることを述べたが、日本のオーナーには、注意をしなければいけないポイントがあることをお話しする。 それは日本国内の特別な事情だ。 クラシックミニをはじめとする英国車のオーナーは特に心配する必要はないことであろう。 といえば、分かる方もいるはずだ。 そう、日本は世界でも珍しい左側通行の国だ。 いったい何が問題なのかというと、左側通行用と右側通行用のヘッドライトはレンズカットの形状が異なり配光が異なる。 左側通行用のヘッドライトはロービームで点灯させると、カットオフラインと呼ばれる境界線を境に、対向車が眩しくならないように、かつ歩道側が先まで見通せるように、左上がりの配光となる。 これが右側通行用のヘッドライトでは正反対になるのだ。 当然、右側通行用のヘッドライトでは日本国内の車検に合格することは不可能だ。 特に困るのは、旧車でもヨーロッパ車のオーナーであろう。 先述の規格型ヘッドライトのクルマであれば特に困ることはないが、車種専用のヘッドライトであった場合、左側通行用は世界的に見ても希少、かつ入手困難なレアパーツとなる。 昨今はインターネットが普及し世界中からパーツを取り寄せることができる旨を前回の記事で述べたが、筆者の経験上、こればかりはかなり厳しい一例といえる。 もし中古部品で探し出せたとしても、必ずしも光軸を調整する部分などに異常がないとも言い切れない。 この部分も車検を通すための重要な部分だ。 良質なリプロダクション(再生産品)や社外品があればいいが、右側通行用であることがほとんどである。 ヘッドライトのみならず、こういった車検にかかわる部分は事故などのアクシデントに遭う前に、何らかの予備的手段を用意しておくことをおすすめしたい。 なお、筆者の場合、本命パーツは車体に装着せず、いざという時のために常に保管している。 日の目を見ない保有パーツばかり増えていくのだが、これは悲しい旧車オーナーの性ともいえる。 ■温故知新。個々のパーツを通し、自動車産業の進化の歴史を考える ▲クルマを横から見た場合のヘッドライトレンズのデザインや形状にも、さまざまな「趣」がある。どれも決して間違っていない。あなたもぜひこの部分にこだわってみませんか? 今回この記事を執筆するにあたって、私クマダにとってクルマの先輩ともいえる方々のうち何人かに、当時の状況を伺ってみた。 そのなかでも特に心象に残ったのが、当時シールドビームの丸いデザインが古臭くて嫌いだったという話だ。 この方は現在70歳代半ばで、まさに1970年代に20歳代を過ごした「旧車リアル世代」だ。 この方はどちらかというと当時から輸入車を多く乗り継いでいるが、1980年代になると仲間内はこぞってボッシュ製のハロゲンヘッドランプユニットに交換したという。 これらのソリッドなデザインの平面レンズに時代の最先端を感じたということだ。 先ほど述べた、当時物のシールドビームにレンズ面の丸さを求める趣とはまるで正反対の意見だ。 確かに当時はもとより、現代に至るまで自動車メーカーは、商品性向上のためにマルチリフレクターや、キセノンやLEDヘッドライトなどなど、われ先にと自社の販売するクルマに新しい技術を導入したものだ。 しかし、振り返ってみればそんなクルマのヘッドライトにサプライヤー(部品供給元)のロゴが入らなくなったのはいつ頃からであろうと筆者は考えた。 少なくともヘッドライトレンズがガラス製であった時代には、サプライヤーのロゴが煌々と輝いていたように感じる。 すっきりとしたデザインを優先したためと思うが、これはこれで寂しく感じるものである。 ヘッドライトはさまざまな時代背景を持ちながらも、常にクルマの顔であったパーツである。 旧車オーナーであれば、ぜひこの部分にこだわりを持ってみてはいかがだろうか? [YouTube]BEARMAN's チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCTSqWZgEnLSfT8Lvl923p1g [画像/AdobeStock ライター・撮影/クマダトシロー]
1990年代の日本製スポーツカーが今、アメリカなどで絶大な人気を誇るのはもはやいうまでもない。 ■90年代の日本車が人気なのはアメリカにおける「25年ルール」の存在が大きい 漫画やアニメ、ゲームなどに登場する往年の名車たちの中古車価格は年々高騰を見せているが、それもアメリカにおける「25年ルール」の存在が大きい。 「25年ルール」を超簡単に解説すると、「右ハンドルのクルマであっても製造月から25年経過していればアメリカに輸入し、公道を走行すること」を可能とするもの。 詳しい解説は私が以前執筆した記事を参考にしてほしい。 ●旧車にも関わり深い米国「25年ルール」。その歴史や本来の目的は?https://www.qsha-oh.com/historia/article/ivsca/ とにかく、このルールによって日産 スカイラインやマツダ RX-7、トヨタ スープラ、ホンダ シビックなどの、多くの90年代スポーツカーがアメリカへ輸出されていっているのだ。 だが、アメリカでの日本車人気はそういったスポーツカーやスポーツコンパクトにとどまらず、今ではオールジャンルなものとなっている。 そのなかには意外な人気を誇るクルマたちも多数存在する。 いくつか見ていこう。 ■今、アメリカでは日本の軽トラが大人気! ▲軽トラだけじゃない。軽ワンボックスも人気!こちらはアクティストリート まずは、日本が世界に誇る労働者の道具、「軽トラ」だ。 軽トラは今、アメリカで絶大な人気を集めている。 日本中、特に農村部ではそこら中で見ることができる軽トラは、いまやアメリカでは「パワーがあって大きな荷物も積載可能、それでいて経済性にも優れているミニトラック」として認識されている。 学校や会社の広大な敷地を管理・清掃する際や、サーキットでの移動用、山奥での狩猟など、多種多様な需要にもマッチする最高のパートナーだ。 アメリカで人気となっている軽トラのほとんどが、製造より25年経過した古い軽トラ。 スバル サンバーやダイハツ ハイゼット、スズキ エブリィ、ホンダ アクティなど、日本では中古の軽トラといえば50万円もしないで取引されているものが多い。 だが、同じ50万円以下のモデルでも、アメリカでは100万円越えの価格が付けられて販売されている例はしばしば見る。 製造から25年以上経過した軽トラは他の日本車同様、アメリカにおける各種規制の対象外となるため、公道を走行するための登録が可能となる。 また、新車の軽トラをアメリカに輸入して使っている例もあるが、こちらは主に高速道路などを走行しない「オフロード登録」(悪路を走るクルマという意味ではない)を適用してナンバーを付けるカタチとなる(とはいえ、このケースは近年、州によっては認められなかったり、多額の税金や手数料を請求されたりすることも増えている)。 アメリカは州によってルールが違うので一概にいえないが、日本から新車の軽トラを輸入してオフロード車として登録することも可能ではある。 ■90年代のRVブームを牽引したモデルも人気急上昇中! ▲アメリカでの人気急上昇中!ハイラックスサーフ 軽トラ以外にもまだまだたくさんの意外な日本車が人気となっている。 例えば、90年代のRVブームで誕生したクルマたちもアメリカ人の注目の的だ。 2021年に2年ぶりの実地開催となったアメリカ西海岸最大の日本車集会「JCCS(日本旧車集会)」では、大半の出展車両がスポーツコンパクトのジャンルに該当するものだが、なかには三菱 デリカやトヨタ ハイラックスサーフなどの、アウトドア志向な旧車たちの出展も目立った。 コロナ禍によって後押しされた、人里離れた場所でアクティビティを楽しむ「アウトドアブーム」の需要にも、これら90年代の「レクリエーショナル・ヴィークル」はピッタリなパートナーとなるだろう。 そういった経緯もあり、今後はRVだけではなく、トヨタ カムロードや日産 アトラスキャンパーなど、アメリカでよく見るキャンピングカーよりも一回り小さい、日本製キャンピングカーが支持を集めるのもそう遠くない未来のことかもしれない。 ■今となっては懐かしい「パイクカー」も人気モデル これら以外に、パイクカーと呼ばれる部類のクルマたちもマニアからは密かな注目を集めている。 パイクカーを簡単に説明すると、1980年代の終わりから1990年代中頃まで流行っていた「レトロ調な外観を与えたクルマ」のこと。 代表格は日産のBe-1やフィガロ、パオなどが挙げられる。 これらのパイクカーも他の90年代の日本車と同様に人気が高まりつつある。 さらに意外なのは、根っからの「クルマ好き」ではないような人にもパイクカーが売れているという点。 もちろん、日本車への理解が深いクルマ好きが以前から注目していた存在ではあるが、それ以外にも、単純に「見た目が可愛らしい」という理由で、セカンドカーとしてクルマ好きではない人の所有が目立ってきている状況となっている。 コンパクトながら、どこか「国籍不明」感のあるルックスは間違いなく、日本のパイクカー独特の要素だろう。 ■まとめ:日本では不人気車種だったクルマがアメリカで花開く? ▲岩国基地で活躍する軽トラ、マツダ・スクラムトラックはスズキ・キャリイのOEM車だ このように、いまや日本の旧車はスポーツカーだけでなく、幅広いジャンルが人気となっている。 また、そういったスポーツカーから日本車の奥深い世界に興味を持ち始めたクルマ好きが突き詰めた結果、まったく別ジャンルの日本車を好きになってしまうという「興味の底なし沼」のような状態になっている人も多く見受けられる。 今後、日本では見向きもされなかったような意外な日本車が、アメリカで爆発的なブームとなる事例はますます増えていくだろう。 [ライター・カメラ/加藤ヒロト]
1.旧車を盗難から守る方法とは? 自動車盗難情報局には相変わらず旧車スポーツカーの盗難が毎日のように報告されている。 ▲旧車は盗難されるとあっという間にバラバラにされてしまう 7月だけを見ても、RX-7(FD3S)、スカイライン(R33GT-R、同R32GT-R)、シビック(EK9)、スープラ(A80)…などの貴重な国産旧車スポーツカーが盗難の被害にあっている。 これらの盗難情報には「盗難対策の有無」という欄があるのだが、そこには「なし」「ハンドルロック」「ハンドルを外していた」「周りをクルマで囲んでいた」などと書き込まれている。 逆に言えば、完璧なセキュリティ対策が施された旧車は盗まれていないことになる。 これまで筆者が取材をしてきた盗難車のオーナーさんたちに、どのような対策をしていたかを聞くと、「ドアロック」「ハンドルロックとタイヤロック」「とくに対策なし」「バッテリーとハンドルを外していた」などの回答が目立つ。 正直言って…盗む方がもちろん悪いわけだが、盗まれた方も「施錠」以外に、もう少し本気で盗難対策をするべきではないかと思う。 「まさか、自分のクルマが盗まれる対象になるとは思わず、何の盗難対策もしていなかった」 「普段は夜帰ってきたら、ハンドルを外して、バッテリーも外していたのに、その日に限って外していなかった」と、嘆く被害者の皆さん、後悔してもしきれないのではないだろうか? ではどうすればいいのか? ハンドルロックやタイヤロック、ハンドルを外すなどの対策はポピュラーではあるが、実際は数分間の時間稼ぎにしかならないのが現実だ。 旧車窃盗団は数週間前から下見をしており、ターゲットとなる旧車にどのようなセキュリティ対策が行われているのか?を入念に確認している。 時にはセキュリティが作動するのか(どのような音が出るのか)なども確認している。 ▲セキュリティアラームを付けるなら多少高くても確実な取り付けができるお店で ハンドルロックやタイヤロックをしているクルマにはそれらを簡単に切断できる道具を準備し、ステアリングがない場合はサイズの合うステアリングを、バッテリーを外している場合はバッテリーを持参して盗みにくるのだ。 理想の盗難対策はゴルゴ、パンテーラに代表される国産セキュリティを専門店にお願いして確実に取り付けることである。 これがもっとも「盗まれにくい」方法といえる。 価格にして30~40万円とかなり高額にはなるが効果は絶大である。 ▲誤報ゼロの国産セキュリティなら安心!こちらはユピテルのパンテーラ そして大事なことは高級カーセキュリティでも誤報が多いのはダメ。 例えば、地震や豪雨や台風による影響で誤報を多く出してしまうセキュリティでは、オーナー自身が「近所迷惑」だと思ってアラームを切ってしまう。 東日本大震災のあと、高級セキュリティを装着したR32スカイラインGT-Rが東北~関東各地で盗難被害にあったのもこれが理由である。 2.市場価格と同等の車両保険はつけられる? 盗まれてしまった後の対策としては、GPSで追跡する方法が有効だ。 GPSなんてすぐ外されて役に立たないと思うかもしれないが、ココセコムの「セコムくるま盗難監視」のように自動車盗難に特化したシステムであれば安心度も高い。 GPSで追跡して盗まれたクルマの居場所を特定し、オーナーに返還された例も実際にある。 また、最後の手段としては旧車に車両保険を付けることだ。 一般的な車両保険ではどれだけ価値がある旧車であっても、たとえば400万円で購入したAE86でもせいぜい保険金額は50万円以下。 さらに通販型の自動車保険では初度登録から15年~20年など一定の年数を経たクルマの車両保険は新規の場合は一律に引き受け拒否される。 新車時から継続して保険契約を行い、そのうえで15年を超えた場合などには継続して車両保険を付けられることもあるがその場合も保険金額は低額となる。 しかし、旧車に市場価格と同レベルの車両保険を付けることは不可能ではない。 同じ代理店型損保でも、「車両保険の金額は年々下がってR32GT-Rで60万円」というケースもあれば、「19歳オーナーが所有するAE86に新規で購入額とほぼ同じ360万円の車両保険がつけられた」というケースもある。 ▲ShowさんのRX-3 奥に見えるのはFDをベースにした『RX-7 Fortune』 この違いは何なのか? 筆者の友人であるRX-3オーナーShowさんは現在の市場価格と同レベルの800万円の車両保険を付けているが、どうやってつけたのか? Showさんの保険担当者である損害保険代理店の保険代理店、株式会社ソナエル(千葉県東金市)代表の泉明弘さんに聞いてみた。 「『特認』と呼ばれる制度で諸条件をクリアすれば、購入額と同程度の車両保険がつけられます。車種はもちろん年式や走行距離など同条件のクルマが中古車市場でどれくらいの価格で取引されているか?などを丹念に調べます。金額が決まると、保管状況をチェックします。かなり厳しい条件をクリアすることが必要となります。 私が旧車スポーツカーの保険を扱うときには、自宅までうかがって、・車庫にシャッターがついているか・そのシャッターは施錠できるか・クルマはきれいな状態で保管されているか?・周囲を壁に囲まれたしっかりした車庫に入っているか?・どのようなセキュリティ対策が行われているか? などを確認します。 他にも諸々の確認事項があります。 自宅から離れた露天の駐車場など、セキュリティしっかりしていない場所で保管されている場合には盗難のリスクが高いので、購入額と同レベルの車両保険を付けることはまずできないでしょう。 あとは、盗難リスクの高い千葉県や茨城県などの特定エリアも難しい場合があります」 かなり厳しい条件にはなるが旧車であってもマンションの駐車場であっても市場価格と同レベルの車両保険を付けることは不可能ではなさそう。 保険屋さんとの信頼関係を重ねていくことも重要な条件となる。 「もし盗難されて800万保険金がもらえても、同じクルマは2度と手に入りません。長い時間をともに過ごした家族同様の存在です。盗まれないように最大限の対策をしてください」 とShowさんは付け加えてくれた。 ▲解体ヤードに運び込まれると盗難車が返還される可能性は限りなくゼロになる また、保険契約の条件などがやや緩く、年間の保険料がリーズナブルなチャブ保険の「クラシックカー保険」なるものをご存じだろうか? 条件としては、・製造年から25年以上経過した国産車および輸入車(二輪自動車を含む)・年間走行距離が5,000km以内・通常走行が可能な状態にある登録車両(ナンバープレートの付いた車両)・レプリカや改造車はダメ 次回はこの「クラシックカー保険」を扱う保険会社に取材をして詳細をお伝えしてみたい。 [撮影・加藤ヒロト、Showさん/ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
働き方改革とか、ライフワークバランスなんて言葉を耳にするようになって久しい。 しかし、ホンの少し前まではそんな悠長なことはいってられなかった。 期限や納期までに間に合わない・・・。 どうすれば・・・。 四の五のいわず徹夜するしかなかったんである。 ■かつて徹夜はあたりまえだった? 俗にいう「クリエイティブ」な業界に身を置いていた。 デザイナーとか、ライターとか、アカウントエグゼクティブとか、とにかく横文字の職業や肩書きが氾濫していた。 パソコンはもちろんMacだった。 別に格好をつけていたわけじゃない。 フォントやアプリケーションといった製作環境が印刷会社とほぼ連動していて、それがたまたまMacだったのだ。 スターバックスでMacBook Airを広げてWi-fiに接続して優雅に仕事・・・なんてつい最近のことだ。 それはさておき、一見すると華やかな世界に映るかもしれないが、基本的にはクライアントからの無理難題な修正と納期に追われる泥臭い世界だった。 納期に間に合わせるには・・・繰り返しになるが徹夜するしかないんである。 深夜、急な修正が入り、納期待ったなし。 印刷会社の担当営業さんと2人でクルマに乗り込み、帰宅寸前の女性デザイナーを拉致して会社まで連れ帰ったこともあった。 自宅が目の前というタイミング、しかも深夜に会社へ強制送還されて徹夜・・・。 気の毒としかいいようがない。 ■徹夜のお供・・・それはサザンオールスターズだった いま、8月4日の23:51。 会社員時代、徹夜を決め込んでコンビニでカップラーメンを買って食べていた時間帯とちょうど重なる。 昼間は打ち合わせやらメールの対応等々でなかなか仕事がはかどらないので、結構な頻度で徹夜をしていた。 社内に1人だとたまに心細くなるので、BGMをかけた。 いまのようにYouTubeで「仕事用BGMが選び放題」なんて時代じゃない。 「サザンオールスターズ茅ヶ崎ライブ2000(wowow独占)」を録画した映像がBGM代わりだった。 深夜0時にスタートして明け方5時手前くらいで終わるので、夜食を食べる頃にビデオを再生するとあとはノンストップでokだ。 茅ヶ崎ライブが終盤にさしかかるとそろそろ帰り自宅の準備に取り掛かる。 いったん帰宅して着替えてまた出社するためだ。 準備するための目安となる曲は「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」だった。 いまでもラジオなどでこの曲を聴くたびに「あ、そろそろ帰る準備しないとな」と考えてしまう。 ■徹夜2日目深夜にスタミナラーメンを食べにいった末路 いまから20数年前、某自動車メーカーの取扱説明書の納期に追われていたとき、2日連続で徹夜となった。 2日目の深夜。疲労はピークに達していた。 当時の上司、そしていまでも外車王SOKENおよび旧車王ヒストリアでご一緒している北沢氏と3人で深夜営業のスタミナラーメンを食べに行こうという話になった。 社用車に乗り込み、上司がオススメするスタミナノリラーメンを食べた。 場所は四谷だったと思う。 ラーメン通を任ずる上司オススメのスタミナノリラーメン! 濃い目のスープとニンニクが効いて元気100倍。 これなら朝まで乗り切れそうだ。 一気にHP(ヒットポイント)を回復して会社に戻った。 ・・・と、ここまではよかった。 空腹が満たされたことで、いつの間にか寝てしまったんである。 自分でもアホとしかいいようがない。 ハッと目が覚めると3時間くらいは寝ていたことに気づいた。 北沢さんも寝落ちしていたように思う。 スタミナラーメンの効果なのか、いちばん年上の上司だけは黙々と作業していた。 目が合い、ジロリとにらまれた。 なんてタフな人なんだ。 いえ、すいません。仕事します・・・。 ■徹夜自慢は時代遅れ? 最近は業界を問わず徹夜を禁ずる企業が増えてきたようだ。 いい傾向だと思う。 徹夜したことによる弊害は予想以上に大きい。 徹夜したからといって、夜7時から翌朝7時まで12時間フル稼働なんて不可能に近い。 かくゆう自分も、独立してから1度も徹夜をしたことがない。 正確いうとできないんである。 途中で寝落ちしてしまうのだ。 おじさん世代は飲みの席で「徹夜自慢」の話題になると妙に盛りあがる。 と同時に、若い世代の方をドン引きさせてしまう。 徹夜自慢なんてもはや時代遅れ。 早く死語になってほしいと思う。 そういえば、20数年前の深夜に訪れたラーメン屋さん、調べてみたら東京都新宿区四谷にある「一心ラーメン」だった。 いまも変わらず営業しているようだ。 久しぶりにスタミナノリラーメン食べてみたくなった。 深夜のドライブの合間に・・・が理想だが、食べたあと寝落ちしない時間帯にしておこう・・・というと、いつ行けばよいんだ? [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
■父親がかつて所有していたクルマのカタログを入手 先日、かつて親父が初めて新車で手に入れたクルマのカタログを「ようやく」入手することができた。 それはAE100型のトヨタ スプリンターのカタログ。 バブル絶頂期に発売されたモデルで、歴代モデルにおいていまだに「オーバークオリティ」と称されているモデルだ。 売れに売れたモデルだけに、ヤフオクやメルカリなどで検索すれば割と簡単に手に入る・・・かと思いきや、なんだかんだで1年くらい掛かった気がする。 ■メルセデス・ベンツからクレームがついて「SEL」から「SE-Limited」に改称 たしか、親父が手に入れたグレードは「1500SE-Limited」。 この型のカローラ/スプリンターでは最量販モデルと記憶している。 デビュー当時は「SEL」というグレード名だったのが、メルセデス・ベンツからクレームがついたらしく「SE-Limited」に改称されたタイミングで手に入れた。 ボディーカラーは両親が好きだったグリーン系の「グレーイッシュグリーンメタリック」だった。 この色も、AE100型では定番のボディーカラーだったように思う。 筆者が運転免許を取得したとき、親父が乗っていたのがこのスプリンターだったこともあり、必然的に運転の練習をこのクルマで行うことになった。 当時の筆者はスポーツカー、そしてMT車に乗りたくて仕方がない時期だった。 それだけに、スプリンターのような「ごく普通のセダン」にはまったく興味が持てなかった。 とはいえ、高校を卒業したばかりの学生の身分で理想のクルマを所有するのはかなり無理があった。 それとたまたま周囲から「タダであげる」とか「5万円でどう?」みたいな話が舞い込んでこなかったのだ。 その後、ハタチのときに、アルバイト先で「ゴルフII GTIを30万円で買わない?」という話をいただいた。 当時はゴルフの良さを知らず、この魅力的なオファーを蹴ったのだ。 左ハンドルの3ドア、黒のゴルフ2 GTI、5速MT。30万。 今ならプレミアモノの仕様だ。何やってたんだ当時のオレは。 ■ハタチ前の自分にはスプリンターは苦痛でしかなかった 話を戻そう。 待ちに待った運転免許の取得だっただけに、運転する行為は楽しいけれど、スプリンターでは退屈でつまらない・・・。 ステアリング越しに伝わってくるフィーリングはあいまいそのもので、シャープさとは無縁。 乗り心地もいかにも大衆車然としていてスポーティーさのカケラもない。 そう、カローラ/スプリンターの魅力が当時はまったくといっていいほど分からなかったのだ。 そんなある日、恩師のご厚意で当時所有していたユーノスロードスターを1日貸してもらえることになった。 シャープなハンドリング、小気味よいシフトチェンジ。 そして何より人生初のオープンカー体験。 寝る間も惜しんで無我夢中に走ったのは懐かしい思い出だ。 それから数日後、親父のスプリンターを運転してみると、あまりのだるさにストレスマックスだった。 早く自分のクルマが欲しい・・・。 しかし現実は・・・。 自動車誌を読むたびに鬱屈とした日々を送る羽目になってしまった。 結局、初めての愛車を手に入れたのは24才のときだった。 このときのことは長くなるので別の機会に譲るが、いま考えてもとんでもない暴挙にでたと思う。 ・・・とまぁ、AE100型スプリンターのカタログを読み返しながら、当時の記憶が怒濤の如くに甦ってきた。 若いときに聴いていたヒット曲を耳にするだけで、当時の記憶が甦るという経験はあるが、クルマのカタログでも同じ現象が起こるとは・・・。 筆者はここで次のアクションを起こした。 クルマ好きの方であれば「やっぱりな」と思われるかもしれない。 カーセンサーでAE100型スプリンターの売り物件を調べてみたのだ(やはりそうか・・・と思われたはず)。 8月3日現在、全国でスプリンターの売り物件はわずか10台。 月に数万台も売れたはずのに10台しかないのである。 AE100型にしぼった場合、わずか2台・・・いずれも後期型だ。 AE100型カローラにいたってはなんと「0台」。 オイオイマジか・・・。 ■売れに売れたクルマが後世に残るとは限らない あれだけ街中を走っていたAE100型、その多くが廃車になったり、海外へと旅立っていったのだろう。 AE100型カローラ/スプリンターと同年代のスポーツ系ネオクラシックカーがとんでもない相場で取り引きされている反面、大衆車はひっそりと日本の路上から姿を消していく運命にあることを改めて痛感した。 方や新車以上のプレミア価格、方や絶滅危惧種・・・。 AE100型スプリンターのレスキュー案件が舞い込んできたら、思わず「買いますよ」といってしまうかもしれない。 これは余談だが、義父がカローラアクシオを所有していて、運転させてもらう機会がしばしばある。 ステアリング越しに伝わる印象は適度に情報量があって疲れない。 乗り心地も特別良質というわけではないけれど、これはこれで充分と思わせてくれる。 そして何より、タフであり、乗っていく時と場所を選ばない。 老若男女問わず扱いやすく、疲れない。そして壊れる心配がない。 さらには実用的で現実的な価格。 カローラ/スプリンターよりも高級で、高性能なクルマはいくらでもある。 しかし、クルマとして、機械としてこれほど優れたハードウェアはなかなか存在しないように思う。 全方位スキがないのだ。 「クルマなんてこれで充分でしょ」と改めて教わった気がする。 カローラ/スプリンターの機械としての優秀さ、そして偉大さに少しだけ気づくことができるようになったってことは、少しは自分も大人になれたのかもしれない。 [画像/トヨタ・松村透 ライター/松村透]
■第2回 ~アルミ弁当箱協会の設立とアルミ弁当箱の魅力~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 「旧車王ヒストリア」連載も2回目となりました!(心の広い編集部に感謝!) さて今回は「アルミ弁当箱協会の設立」と「アルミ弁当箱の魅力」について熱く語らせていただきます。 ■日本唐揚げ協会の会長の一言がきっかけで・・・ 私は個人的に「日本唐揚げ協会」の「カラアゲニスト」のひとりでもあります。 ●日本唐揚協会https://karaage.ne.jp イベントにも参加していましたが、その中で「朝食会」という、ただ一緒に朝飯を午前7時頃から食べるという企画がありました。 そこでは、異業種の方達と話す機会が多く、自分のスキルアップにもつながったように思います。 そのときに話題が出たのが「アルミ弁当箱協会」です。 設立し、名乗ってはいたのですが、活動もおぼろげで何をやっているのか、よく理解されていないようでした。 会長の「やすひさてっぺい」さんに『しっかりとしたサイトを作りなよ』といわれたことがきっかけで日本アルミ弁当箱協会の公式サイトが生まれました。 ●日本アルミ弁当箱協会https://kyokai.fans.ne.jp/arumibenntou/ おかげさまでそこから取材の申し込み等をいただき、本格的に動きだせるようになりました。 ■認知度が一気に上がった「アメイジング商店街」の展示と「ノスタルジック2DAYS」での登壇 運命の歯車がやっとまわりはじめたきっかけがありました。 それは2021年の12月に行われた、マクラウド様の主催の「アメイジング商店街」と、2022年の2月に行われた芸文社様の主催の「ノスタルジック2DAYS」でした。 アメイジング商店街はどちらかというとオタクの祭典。 初展示となったアルミ弁当箱は、昭和のノスタルジーを醸しだし、注目されることとなりました。 かたやノスタルジック2DAYSはクラシックカーをメインとしたイベント。 そこの特設ステージに登壇させていただき、トークショーを行いました。 アルミ弁当箱は、現在に至るまでまったく注目されることなく埋もれていたコレクションアイテムでもあります。 それを何年もコツコツ集め、大事にしていたことを、外車王SOKENのライターであった中込氏に取材していただき、不人気車と同じ感覚がするというような記事にとてもうれしく思ったことを覚えています。 ●「情熱の注ぎ方の大切さ」を再認識させられたノスタルジック2デイズ2022を振り返る!https://www.gaisha-oh.com/soken/nostalgic-2days-2022/ そうです。そこには誰にも負けない「愛情」があるからこそ魅力が倍増するのです!!! ■特撮車両が描かれているアルミ弁当箱 前回でもお話しましたが「スーパーロボット レッドバロン」のようなアルミ弁当箱には「くるま」が描かれているアルミ弁当箱が結構あります。 くるま好きにとっては、たまらない図柄も多々あるのですが、特にそのくるまたちは特撮車両、アニメーション、漫画に登場するものが多く、懐かしさから当時の記憶を甦らせてくれるアイテムの一つともなり得ます。 ■実は色々なファンに愛されるアルミ弁当箱たち ここでは「くるま」のアルミ弁当箱のことを中心に書いていますが、魅力の一つとして大きいのが、色々なイベントに併せられる多様性にもあります。 他のコレクションだとどうしても偏ってしまいがちなカテゴリーも、アルミ弁当箱だと「くるま」「鉄道」「スポーツ」「ヒーロー」「魔女っ子」と言うようにジャンル別に対応ができるのです。 それは、あるときはプロレスのトークショーであり、クラシックカーのイベントというように、展示やトークショーなど、テーマに応じてさまざまな企画を打ち出せます。 何かありありましたらいつでもお声をかけてくださいね! ■今回の斜めから見た旧車 「ダットサン・フィアレディ(1970年)」 さてまたまたやって来ましたこのコーナーは、本当に無理矢理アルミ弁当箱からの「斜め」から見た旧車コーナーです。 今回は「ダットサン・フェアレディ」です。 1962年~1970年までに製造されたオープンカー。 何故この車が今回の「斜め」なのか! 先ほど紹介させて頂いた「バロム・1」に登場する特撮車両「マッハ・ロッド」だからなんです。 ご存じの方もいらっしゃると思うのですが、このマッハ・ロッドには前期型と後期型がありベースが前期が「フェアレディ」後期が「サニートラック」となっています。 アルミ弁当箱界の常識として、版権契約をほとんどの製造メーカーが放映前に契約します。 そのため、こちらのベース車両は、前期型と想像し書かせていただいております。 そして、あえてここでこのくるまをチョイスしたのは、私が以前「SPL1600」を輸入し見事に失敗した経験があってのことをここに付け加えておきます。 本当は3座の1500が欲しかったのですが安価に目がくらみ・・・・。 こんなことを人生背ずっと続けております。 いつか、いつかフェアレディに乗りたい!乗ってる方が羨ましい!と思いつつ、アルミ弁当箱とコラボさせて頂きました! こんな感じで「ゆる~く」また旧車を紹介していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。 [撮影/ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]
欧州プレミアムセダンを思わせる高級感あふれた内外装に加え、上質な走りと高い走行性能を実現したホンダ アコードユーロR。わずか2代しか製造されなかったにもかかわらず、今なお高い人気を誇るスポーツセダンです。「タイプR」ではなく「ユーロR」とした真意と、「R」の称号へのこだわりに迫ります。 初代アコードユーロR(CL1)の概要 初代アコードユーロRの登場は2000年。6代目アコードの最上位モデルとして投入されます。アコードのスポーツグレードはMT専用として「SiR-T」が設定されていましたが、ユーロRへの変更によって、より上質でスポーティな走りを実現しました。 あえてタイプRとしなかった ホンダの最上位スポーツグレードといえば「タイプR」です。しかし、アコードユーロRは単純な速さの追求ではなく、「セダンとしての扱いやすさとスポーツ性の両立」をコンセプトに開発。そのため、タイプRとの差別化を図るべく、「ユーロR」という新たなネーミングが与えられることになります。 大人4人が余裕で乗れる広い車内空間や遮音性、マイルドな走行フィーリングといった高級セダンとしての性格をしっかりと残しつつ、スポーティさを追求した意欲的なモデルです。 エンジンはタイプR以上 乗り味こそセダン向けにマイルドな調整をされていますが、「R」の称号にふさわしく、スポーツカーさながらの装備となっています。 とくに搭載されたH22A型VTEC 2.2Lエンジンは、最高出力220psを発生。アコードの欧州仕様で設定されていたタイプRをも凌ぐ高出力エンジンに専用チューニングされています。また、エンジン以外の仕様も大幅に見直されました。足回りは専用設計のサスペンションを採用し、15mmのローダウン化を実現。軽量16インチホイールを装着することで、さらに走行性能を高めています。 内外装もほかのグレードと一線を画し、レカロ社製バケットシートやモモ社製ステアリングホイール、アルミシフトノブを採用するなど、いずれも専用設計されたこだわりの内装。さらに、外装面では専用のエアロパーツが装着され、タイプRに引けを取らないスポーティな仕様となっていました。 2代目アコードユーロR(CL7)の概要 2代目アコードユーロRの登場は2002年。初代アコードユーロRの成功を受けて、7代目へモデルチェンジするタイミングで同時に投入されました。初代同様、高級セダンとしての上質さを実現しつつより走行性能を高めたことで、欧州プレミアムセダンにも引けをとらないモデルに仕上がっています。 初代を正統進化させた2代目アコードユーロR 先代が評価されたポイントをそのまま受け継ぎ、正統に進化させた2代目アコードユーロR。専用のサスペンションはスプリングやスタビライザー、ブッシュ類と細部に渡って強化され、17インチにインチアップされたホイールを履きこなします。 また、もともと強化されていたボディ剛性は、ストラットタワーバーの追加をはじめ、さらなる見直しが図られました。しかも、当時のセダンとしてトップレベルとなるCD値0.26を達成したボディも含め、操縦安定性や快適性が一段と向上しています。 エンジンはインテグラタイプRと同じ 2代目アコードユーロRは、インテグラタイプR(DC5型)と同型のK20A型i-VTECエンジンを搭載し、排気量を2.0Lに小型化しつつ最高出力は220psを維持。初代同様「R」の称号にふさわしい仕様となっています。 また、タイプRではなく、あくまでも高級セダンであるユーロRにふさわしい専用のチューニングも施されました。モリブデンコーティングスカートの非対称高強度ピストンと、DC5型のK20Aにはない2次バランサーによって確かな質感と振動の抑制を実現しています。 アフターパーツ市場も盛況 モデル当初から投入された2代目アコードユーロRは、販売年数の少なかった初代に比べてアフターパーツも豊富に販売されています。エアロパーツはもちろん、足回りなど好みの仕様に仕上げることが可能です。 また、K20A型エンジンはインテグラタイプRと同型のため、吸排気はもちろんコンピューターまでパーツを揃えることができ、タイプRに負けない爆速セダンを作ることも不可能ではありません。 アコードユーロR はNA VTECエンジン搭載モデルとして狙い目! アコードユーロRの中古車価格は、比較的落ち着いた価格で推移。大手中古車サイトで検索すると、2代目アコードユーロRで107万円という販売価格のものもあります。 一方で、同型のエンジンを搭載するDC5型インテグラタイプRは、200万円前後と高値で推移しており、今後さらなる高騰も予測されます。また、B16系エンジンを搭載するシビックにいたっては、300万円前後が中心の価格帯です。 高級セダンとしての上質さを持ちつつ、タイプR同等の走りを実現するホンダ アコードユーロR。セダンという特性上、過剰な価格上昇はしていないため、VTECファンのみならず、スポーツNAエンジンを求めるかたにとって狙い目の車種であることは間違いありません。 ※価格は2022年7月現在
夏の思い出は人それぞれだと思うが、自分自身のことを振り返ると「急に独立することになった」9年前の夏を振り返ってしまう。 確かお盆明け、事務所に行くと突然社長から「9月末でここの事務所を閉じるから、親会社に戻るか独立するか決めなさい」といわれたのだ。 これぞ青天の霹靂というべきか、あまりにも急な展開で驚いた。 「あと1カ月しかないじゃん・・・」 困惑しなかったといえばうそになる。 いや、困惑をとおりこして混乱したというのが正直なところかもしれない。 だからこそ、強烈な記憶としていまでも脳裏に刻まれているんだと思う。 その後、どういう経緯だかは忘れてしまったが、会社の顧問が面談することととなった。 顧問の方は自動車業界に携わる人であれば誰でも知っているであろう、Y社の副社長まで勤め上げたキレ者という印象があった。 単に副社長まで出世したからという話ではない。 洞察力に優れた方という印象が強かったのだ。 で、キレ者の顧問と面接することになった。 事務所を閉じることになった経緯をひととおり聞いたあと、「親会社に戻るか独立するか」のファイナルアンサーを求められた。 そのときなぜか「独立します」と答えてしまったのだ。 なぜそう答えたのか自分でも分からない。 せっかくの機会だからやってみようと思ってしまったのだ。 当時は独身で、誰にも迷惑を掛けるわけではないことも大きな理由だった。 しかし、小さな事務所だったので、9月末までにリース品を返却したり、不要な什器を処分してもらう手配など・・・。 社長と手分けをしてでもやることは山のようにあった。 そんなことをしているうちに9月末を迎えてしまったのである。 一応、開業届を出し、銀行口座を開設したりはしたが独立したときに「今後ともよろしくお願い申し上げます」的なハガキやメールでの案内や、挨拶回りなども一切やっていなかった。 いま思えばどんだけ呑気だったのだろう。 そして9月30日。 人が4,5人も入れば満杯になる狭い事務所も、撤収が完了したがらんとした状態であれば広く見えるから不思議なものだ。 この日で最後となる事務所の電気を消し、扉の鍵を閉めた瞬間から「自由の身」となった。 明日からはここには来なくていい。 何時に寝ようが、何時に起きようが自由だ。 とりあえず、電車に揺られていつものように帰宅した。 だいぶ自宅まで近づいてきたとき、昔の職場の同僚がこちらの事情を察して「いまから飲まない?」とメールをくれた。 ここからだとずいぶん引き返すことになるが、明日は早起きをしなくていいし、何だかこのまま帰宅しても・・・という気分だったので、上りの電車に飛び乗った。 で、ここぞとばかりに飲んだんである。 それも終電近くまで。 明日からは早起きして通勤電車に揺られなくていいからではない。 少しでもこれから先の不安を紛らわせたかったんだと思う。 泥酔状態で帰宅して、それでもなんとかシャワーを浴びて横になったんだと思う。 翌朝、朝ドラを観ながら「これからどうしよう・・・」と不安でならなかった。 なにしろ、収入の宛てがほとんどないのだ。 フリーランスといえば聞こえはいいが、仕事がなければニートと紙一重だ。 今日からは「食い扶持は自分で見つけてこなければならない」という、重い現実がのし掛かってきた。 それからしばらくは「平日に家にいる」ことが慣れなかった。 仕事のメールも急に届かなくなった。 それはつまり、収入源となる仕事がないことを意味した。 で、必死になって仕事を探した。 が、大してキャリアのない人間がいきなり連絡をしてもなしのつぶて。 これはまずい。 幸い、会社員時代に担当していた仕事を社長がこちらに振り分けてくれたこと、別の職場の元上司が独立後初のなる仕事の紹介をあっせんしてくれたことで、何とか0スタートは回避できた。 とはいえ、毎月の定期案件ではなかったので、売り上げが0円の月もあった。 いま振り返っても本当にあのときは辛かった。 「黙っていても毎月確実に決まった額の給与が振り込まれる」ありがたみをこのとき改めて痛感したように思う。 2007年にこの世を去った植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌っていたが、生活が保障される安心感がそのまま精神の安定につながることは紛れもない事実だと知った。 あれから9年。 おかげさまでいまでは休む暇もないほどお仕事をいただけるようになった。 ときどき、せめて半日くらいはのんびりしたいなぁと思うことはあるが、予定がスカスカの日々より、締め切りに追われて考えるヒマもないほどの方が精神的には落ち着く。 この原稿にしたって、朝4時に起きて、これから取材というタイミングで書いている。 ボーッとするくらいなら仕事をしていた方が精神的にも落ち着く。 9年前のあのとき、親会社に転籍していれば生活は安定したはずだ。 土日もゆっくり過ごせたに違いない。 でも、これでよかったんじゃないかとようやく思えるようになってきた。 その理由として「他の人には任せられない案件なので・・・」とご指名いただける機会が増えてきたからだ。 会社員時代に「君の代わりはいくらでもいる」といわれて悔しい思いをした身からすればウソみたいであり、実にありがたい話しだ。 近頃の唯一の息抜き。 それは子どもたちと遊ぶ時間と、2週間に1度、わずか1時間程度だが愛車をドライブすることだろうか。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
■デザインと質感で提唱されたコンパクトカーの価値観 バブルの頃、優れた商品企画力の下、日産からBe-1やフィガロ、PAOやエスカルゴといった俗に「パイクカー」と呼ばれるクルマたちが発売された。 製品自体がメディアであった時代を象徴するかのように、30年以上経過した今でもその存在は響き続けている。 車両自体は同社のベーシックモデルであったマーチを基本としており、内外装のデザインや質感に大きく手を加えることによって商品価値の高いモデルへと昇華されていった好例といえよう。 その後、90年代中盤になると基本になるモデルに対し、クラシックカー風の仕立てが施された車両が各メーカーのレギュラーラインナップに増えた。 フロント部の造形を大きく変えたサンバー・ディアスクラシックや、マーチ・ルンバなど三岡自動車に負けず劣らずのレトロ調モデル。 ボディカラーと一部加飾でちょっと贅沢でクラシカルな雰囲気を纏ったミラージュ・モダークやスターレット・カラットなど、ベース車へ変化球を与えたモデルで商品力の訴求を図った。 それらの車種も、令和の今となっては“クラシックな仕立てが施された本当に古い車”となったが、時代が移り変わってもクラシック・モダンな可愛さや、カッコよさに対する尺度は形を変えて存在し続けているように思える。 それを裏付けるように、ムーヴ・キャンバスやワゴンRスマイルなどのモデルは今でも車体のいたるところにメッキの加飾を施し、カジュアルさだけではない佇まいの良さが魅力を放っている。 2022年の6月には3代目となるスズキ・アルトラパンがマイナーチェンジを行い、派生モデルとして追加された「アルトラパンLC」は、フロントバンパー部を同社の2代目フロンテを彷彿とさせる意匠となった。 これは2005年の東京モーターショーに参考出品されたスズキ LCコンセプトを思い返させるものでもあり、スズキデザインとして歴史的な財産を巧みに落とし込んでいるといえるだろう。 ■デビューから20年、飽きの来ないデザイン そんなラパンの初代モデルも“ちょっと贅沢な”スモールカーとして人気を博した。 レトロやクラシックといった符号だけではなく、モノとしての良さをカタチや質感で表現しているといえよう。 ベースとなったのは名前が表す通りスズキの「アルト」だ。 開発時はベーシックカーだったアルトよりも、ラパンに対して女性的な感覚を取り込んで開発が行われたという。 初代型の佇まいを現代の視点で眺めると、そのデザインは男女問わず親しみやすい印象を受ける。 ルノー・キャトルやモーリス・1100のようなちょっと洒落た国民車のようにすら感じると評したら言い過ぎだろうか。 車名のラパンはフランス語で“うさぎ”の意味で、フロントグリルに配されるスズキマークにもラパンのシンボルマークが与えられる。 搭載されるエンジンはK6Aで54馬力。 780kgの車両重量の恩恵か、踏み込めば意外や活発な印象で、街中を跳ねるうさぎを想像するとなんだか愛着が湧いてくる。 搭載されるコラムシフトの4段ATは同時期のCVT搭載車と比べて“走らせている!”という感覚があり、終始小気味いい雰囲気だ。 ■長く愛せるシンプルなカタチは“弁当箱”がモチーフ タイヤは155/65R13。取材車はベースグレードのGでスチールホイールにLapinのロゴが入るホイールキャップが装着される。 弁当箱をモチーフにした箱型のボディは、フロントフェンダーからリアエンドまで伸びやかなショルダーラインは安定感を感じさせてくれる。 そのシンプルさゆえに登場から20年経過した現代の目で見ても、意匠に古臭さをさほど感じさせない。 流行り廃りとは異なる尺度で捉える、柔らかく甘すぎないデザインは、無印良品のような洗練されたイメージすら与えてくれる。 アイポイントは同世代に開発された軽と比べても(コペンやエッセを除けば)それなりに低い方だ。 田舎道をゆったりと流していくと、どことなく小さなセダンに乗っているような感覚になるのは、視界に入るインテリアのリッチさと、触り心地の良いシートの居心地から来るものだろうか。 車窓の外に流れる田んぼや、風に揺れる草花の様子が身近に感じられるのも、角度が立ったフロントウインドウと低めの着座位置の恩恵といえるだろう。 ▲横基調の白いパネルが一番に目に飛び込んでくるインパネ。車内は近年の軽自動車に比べれば小ぶりだが、コラムシフトのおかげで足元は広々感がありさほど窮屈さを感じさせない インパネは水平基調で左右はシンメトリーぎみにできている。 軽自動車はサイズの規制上、ステアリングがある運転席側を優先して設計されるため助手席側が狭く見える車種もあるが、ラパンは各種計器類やオーディオが絶妙に配置され窮屈さをさほど感じない。 遊び心を感じさせるのは助手席前に配置された引き出しだ。 車検証などはグローブボックスにしまうとして、この引き出しにはどんなものをしまおうかワクワクしてしまう。 楽しい使い勝手を予感させるデザインは目にも嬉しいものだ。 ▲シンプルながらも必要十分な計器類だが、フォント類にもこだわりを感じさせる。面発光するメーターパネルは夜間も暖かさがありほっとするものだ 一眼式のスピードメーターは最近では少なくなったパネル裏面から照明を照らす方式。 自発光タイプも美しくて好きだが、均一に発光するこの方式も夜間目に優しいと感じる。 シートは起毛タイプで外装のブルーと相まって非常にモダンだ。 フロント席のヘッドレストを外して寝かせると、自宅リビングのソファより足を伸ばせる空間ができ上がる。 週末はラパンを郊外へと走らせてお気に入りの場所を見つける。 そこで読書や昼寝をするのもいいだろう。 ▲グレードによって異なるシート素材とカラーコーディネート。中古車サイトを覗くとこんな組み合わせもあるのか!と驚く。まだ中古車市場にあるうちにお気に入りをチョイスしておきたい リア席を倒せば、スーパーマーケットのお買い物ならば相当買い込めるくらいのスペースが生まれる。 2人分のキャンプ道具なら積めてしまうかもしれない。燃費も良いラパンだから、冒険気分でちょっとした遠出も悪くないだろう。 オーディオのヘッドユニットはカロッツェリアのCD/MDデッキである「FH-P510MD」が装備されている。 こちらは時代を感じさせるデザインだが、音場を変更できるDSPイコライザーを装備。 実はこういったアイテムも昨今じわじわとネオクラシックな車両の愛好家の中で気になりはじめている装備の一つだったりもする。 ■今だからこそ見えてきた、初代型の良さとは? 一見すれば古い軽自動車なのだが、そのコンセプトや佇まいを見直して捉えると、クルマ本来のこだわりを感じられるものだ。 使い捨てになりがちなプロダクトでありながらも、長く時が経てば、その時代を象徴する価値を帯び始めるかもしれない。 まだ旧車とは胸を張っていえないかもしれないが、現代のクルマとはすっかり異なる”未来の旧車”。 まださまざまな仕様、装備が中古車で安く狙える今だからこそ、味わえる面白さがあるはずだ。 古い自動車を買うというハードルは流石に高くても、筆者が今回行ったようにレンタカーを探してまず乗ってみるというのも楽しい経験になるだろう。 以前書いたトヨタ・ポルテの記事と同じように、ラパンはニコニコレンタカーでレンタルしたものだ。 近年では特に新しいクルマに力を入れている同サービスだが、店舗によってさまざまな車種が選べるのも魅力の一つだ。 気になったらまずはチェックしてみるのも良いかもしれない。 [ライター・撮影/TUNA]