旧車の魅力と知識

アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾・日産編~
旧車の魅力と知識 2023.10.11

アジアのネオクラシックセダンを振り返る。~台湾・日産編~

■日本から近い国、異なるニーズと仕様 どんなに世界中でSUVやMPVがファミリーカーの覇権を握る時代が来ようとも、旧車ファンにとってはファミリーカー、オーナーカーとしてのセダンの存在を忘れることは、なかなかできないのではないだろうか。 クルマがやっと一家に一台になったころ、所有することに憧れ続けてきたオーナーの眼差しを叶えるかのごとく、非常に威厳の高いデザインが数多く採用された。 特にアジア地域では、パールホワイトやブラックのボディカラーにボンネットマスコット、大きなメッキのグリルに本革シートなどなど...。 そんな装備を3BOXのセダンが纏えば、パーソナルな高級車像が出来上がってくる。 90年代の序盤ごろ、アジアの多くの地域ではまだまだRV車=商用車やクロカンからの派生モデルといった認識が抜けきらず、ユーザーの趣向は全高のさほど高くないセダンやハードトップモデルを好んでいる流れが多かった。 メーカーもその流れを汲み、バジェットカーからハイエンドまで、ラインナップの多くに細やかなニーズを取り込んだモデルが存在している。 日本のメーカーからは特に、日本国内や米国で生産されているモデルを、ほぼそのまま持ち込んだような車種も多く存在している。 だがよく見ると、装備差は現地法人のリサーチの力を発揮してか、さまざまな差異を見ることができて面白い。  前回の記事(https://www.qsha-oh.com/historia/article/taiwan-asian-three-box-sedan-classics/)でも紹介したが、台湾での日本メーカーと現地法人がもたらしたラインナップはとても興味深く、そのすべてを洗い出すにはかなり大変で奥深い。 今回もほんの一部ではあるが、90年代から00年代の日産車について着目していこうと思う。 ■現地にフィットしてデラックスになっていくセダンたち 台湾における日産自動車は、現地法人である「裕隆(ユーロン)日産汽車股份有限公司」といい、そのスタートは1959年からと、歴史あるものだ。 日産車のノックダウン製造や輸入・販売を長らくおこなっていた裕隆だが、1986年からは当時ノックダウン生産をしていたスタンザFXをベースとした、オリジナルモデル“飛羚101”を発表した。 ▲80年代の裕隆汽車 勝利 90年代の裕隆は台湾のトヨタと同じく、日本のオリジナルモデルをベースとしながらも独自に開発され、生産されていたケースと、日本やその他の国から輸入されていたケースの2つがある。 例えば日産の末っ子モデルだったマーチには、台湾独自の需要を狙い、幅広く世界中で売られていたなかでも唯一セダンモデルを有していた。 1994年から販売が開始され、後部を300ミリ延長したボディにオリジナルデザインのリアランプが取り付けられる。 ▲なんと前期・後期で2種類のデザインが存在する ベースとなるマーチのハッチバックと同じように、数多くの特別仕様車やボディカラーが存在し、バリエーションは数多あるようだ。 一つ上のクラスにはセントラ(日本名:サニー)が存在する。 90年代の日産 セントラは、北米仕様のB13型と仕様が似ており、ラグジュアリーというよりはシンプル&スポーティーな仕立てとなっている。 対して次期型のB14型はどちらかというと高級志向。 木目パネルや本革シートが装備されるほか、リアランプの造形などは同社のシーマなどを想起させるような構成となっており、日本や北米とは大きく異なる仕様だ。 外観のうえで日本仕様との差異が大きいのは、B15型のセントラだ。 日本のブルーバード・シルフィをベースとしたモデルへとバトンタッチしており、日本国内でも1.8Lエンジンの搭載や本革シートが装備される“小さな高級車”的な立ち位置だったB15型。 前期型はほぼ同一の外観を持つが、後期型では日本、そしてほかの国々とも異なるフロントフェイスへと一新。 より若々しい性格の高級車像を手に入れている。 B15型のセントラでとても印象的だったのは、街中ですれ違うサンルーフ装着車の多さ。 温暖なお国柄もあるのかもしれないが、コンパクトセダンでも快適性を忘れず“イイクルマ”であることを楽しんでいるようで素晴らしいと感じた。 U13型のブルーバードは、名称すらも米国と同一のアルティマを名乗っている。 当時放映されていたCMも米国のレクサス LS400を髣髴させる内容で、それまでのブルーバードが持っていたスポーティーセダン的な像だけではなく、輸入車らしいクオリティを強調するものとなっている。 街中ですれ違ったアルティマが日本のブルーバードと少し印象が異なるように感じられるのは、きっとサイドマーカーだけではないはずだ。 ■大幅なアップデートが施される独自仕様 日本ではセドリックやシーマ、プレジデントなどといった、ショーファードリブンの取り揃えが数多くあった90年代~00年代の日産。 だが、台湾でトップを飾る車種でY30セドリックの立ち位置を後継したのはY32型のセフィーロだった。 当時、韓国でもルノーサムスンがセフィーロをベースとして販売していたSM5。 韓国におけるモータリゼーションのなかでもそれらは高級車であることをしっかりと印象づけていたが、台湾仕様のセフィーロの豪華さには敵わないのではないかと思う。 台湾のセフィーロは、最上級グレードの名前こそセドリック等と同一の“ブロアム VIP”が冠されるが、その名に恥じない高級装備が奢られる。 後期型は大型のフロントグリルにオリジナルデザインのバンパーを装備。 A33型にモデルチェンジすると、ナビシステムやリアのマッサージ付き電動リクライニング本革シート、フリップダウンモニターまで盛られていた。 ドアサンシェードにリアのエアコン吹き出し口などなど……セドリックどころか、シーマを飛び越えてしまいそうなほどのショーファーカーに仕上がっていたのだ。 そんな台湾だから、街中を歩いていると沢山の3BOXとすれ違うこととなり、セダンが欲しくて欲しくてむずむずしてくる(笑)。 ギラついたボディにはバシっとコーティングが乗り、堂々とした構え(もちろんオーナーの手入れにもよるが...)。 メルセデスもBMWももちろん最高ではあるのだが、“日本のセダン”が輝いて見えたあの道を、筆者は推しまくりたいと感じたのだった。 ちなみに、当記事の写真を撮影したのは2018年ごろで、少し前の時代になる。 今でも現地のSNSを見ると、今回紹介したような車種が取引されているのを見ることができる。 しかし、そのバリエーションは年々減っていっていることもまた事実だ。 日本よりも古いクルマを数多く見かけていた台湾だが、環境対応車などの台数も増えている昨今、これらのクルマを街中で見かける回数はますます少なくなっていくことだろう。 そんなクルマたちを助けるために、ガス検をとって日本へ輸入...といきたいところだが、台湾の場合は欧米とルールが異なり、輸入へのハードルはかなり高いと聞いたことがある。 まずはそれらの存在を目に焼き付けるために、もう一度台湾行きのチケット購入を検討する時期が近づいているのかも...しれない。 筆者の異国の地におけるネオ・クラシックカー探訪は、まだしばらくやめられなさそうにない。 [ライター・撮影 / TUNA]

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた
旧車の魅力と知識 2023.10.09

フェラーリが誕生した街「マラネッロ」を訪ねてみた

みなさんは、フェラーリがどんな街で生まれたかをご存知ですか? フェラーリの車名、575Mマラネロにも起用されているため、フェラーリの誕生地がマラネッロということは周知されているかもしれませんね。 今回はマラネッロってどんな街?どんなことができるの?という点についてご紹介いたします。 ■フェラーリ博物館は必見!マラネッロへのアクセスは? マラネッロは国際空港があるミラノから南東に約150km、モデナという街からの16kmほどの離れたところに位置しています。 人口は約17,000人で、典型的なイタリアの田舎街という感じです。 マラネッロへは、モデナ駅からバスでアクセスすることが可能です。 ちなみに、ランボルギーニの本社はサンターガタ・ボロニェーゼという街にあり、マラネッロからクルマで約30分の場所に位置しています。 マラネッロでもちろん有名なのはフェラーリ博物館。 その博物館の周りには、以下写真のようにフェラーリや、その他高級車のテストドライビングができる施設などが多く立ち並んでいます。 博物館を訪れた後、そのカッコよさと迫力に感化され、ついつい運転してみたい!という気持ちが高まること間違いありません。 イタリアで高級車のテストドライビングをやってみたい!という方は、日本で国際免許証の取得をお忘れなく! 車種や走行距離にもよりますが、最低でも100ユーロからの費用になるようです。 博物館には観光バスも多く停まっており、結構混み合っていました。 個人的に、他の自動車博物館に比べて展示台数が少ないという印象でしたが、なかなかお目にかかることができない車輌が展示されているので、フェラーリファンの方にはたまらないことでしょう! 私はこの博物館で、初めて触れる距離でF1レースカーを観たのですが、想像の3倍くらいの大きさがあり、そのスケールに超圧巻でした! 写真は博物館入り口です。 ■街中のいたるところで「フェラーリ」が感じられる マラネッロの街を散策するために、博物館から街中へ歩いて移動しました。 街中へと繋がっている参道には、フェラーリの歴史が書かれた看板が約50m間隔ごとに配置されており、それを読みながら進むのも面白かったです。 さて、徒歩10分ほどで街中へ到着しました。 早速ランナバウトの中心にフェラーリのエンブレムの跳ね馬が! その右手には跳ね馬がデザインされた花壇があり、その少し先にはフェラーリのサインが銅像化されているのを発見しました。 さすがフェラーリ一色な街だな、というのが第一印象でした。 そしてこちらのカフェの入り口では、2台のフェラーリがお客さんを出迎えてくれます。 こちらのカフェの裏側にもフェラーリが。 もはや博物館に行かなくても、マラネッロの街を散策するだけで良かったのでは?!と思ってしまうほど、フェラーリがあちこちに点在しています。 (でも限定グッズやお土産も豊富なので、マラネッロへ来たからにはやっぱり博物館はマストです!) カフェのコンセプトはもちろんフェラーリ。 また別のカフェではレースの実況を放映しており、地元民であろう方々が盛り上がっていて、やはりフェラーリ愛にあふれた街であることは間違いなさそうです。 ■突然鳴る鐘は何事?!なんと市役所にもフェラーリの秘密が… イタリアでは12時など、きりの良い時間に教会の鐘が鳴るのですが、マラネッロでは何でもない時間帯に鐘が鳴ることがあります。この鐘の正体を近くにいた警備員さんに聞いてみました。 すると、「フェラーリがF1で優勝すると鐘が鳴るんだ」と教えてくれました。 ちょうど立ち寄ったカフェの前に市役所があり、日曜日にも関わらず空いていたので、入ってみることに。 なんと入口がフェラーリのミニ博物館になっていました! 創設者の「エンツォ・フェラーリ」の写真をはじめ、博物館では展示されていないフェラーリの歴史についての展示物がいくつかありましたので、ご紹介したいと思います。 フェラーリファンの方では有名な話かもしれませんが、なぜフェラーリは跳ね馬がエンブレムに選ばれたか、ご存知でしょうか。 まず、下記の写真について説明少し説明させてください。 写真左手がフェラーリが残した跳ね馬について語った羊皮紙、中央の左手ははがきで使われた跳ね馬デザイン、中央右手に現在のフェラーリのエンブレム、写真右手がフランチェスコのお母様(フランチェスコについては下で説明します)、そして中央がフランチェスコ・バラッカの写真です。 フェラーリが残した馬について語った羊皮紙には、下記の文章が書いてあります。 “跳ね馬の物語はシンプルで魅力的なんだ。 この小さな馬は、第一次世界大戦のエース中のエース、モンテッロで墜落した英雄的飛行家フランチェスコ・バラッカの戦闘機の機体に描かれていたものだ。 私が23年にラヴェンナで開催された第1回サヴィオサーキットで優勝したとき、その英雄の父エンリコ・バラッカと母パオリーナにお会いし、知り合うことができた。 そしてある日のこと、彼らが私にこう言ったのだ。 「フェラーリ、息子の跳ね馬をあなたのクルマに乗せてください。それはあなたに幸運をもたらすでしょう」と。 そのエンブレムを私に託してくれたご両親の献辞とともに、私は今でもバラッカの写真を大切に保管している。 小さな馬は昔も今も黒色のままであるが、私はモデナの象徴色である黄色を背景に加えたのだ。” これがフェラーリが残した跳ね馬の物語なんですね。 実際の写真の展示はなかったですが、フランチェスコ・バラッカが乗っていた機体の絵の展示がありました。 確かにフェラーリと同じ跳ね馬が機体に描かれているのがわかります。 市役所は決して展示物が多いわけではありませんが、フェラーリの歴史について触れることができ、面白かったです。 帰り際にはこちらのハガキを好きなだけ持って帰っていいよいってくださり、一枚ずついただいて帰ってきました。 ■おわりに フェラーリが誕生した街は、フェラーリ愛に溢れたのんびりとした街でした。 ぜひフェラーリファンの方、イタリア旅行の際、足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと、生誕の地ならではのオーラを感じられるはずです。 [ライター・画像 / PINO]

エリザベス女王に愛されたLand Roverについて
旧車の魅力と知識 2023.09.29

エリザベス女王に愛されたLand Roverについて

■クイーンの生涯とともに歩むLand Rover 1948年、女王エリザベスは21歳という若さでクイーンとなりました。 あの美しさからは想像できませんが、若いころから冒険家で好奇心旺盛、家のなかより外へ出て活動することを好んでいたそうです。 自らメカニックについて勉強し、クルマの知識も一般人よりはあったといいます。 第二次世界大戦中は、軍用車を運転していたほどです。 クルマ好きのクイーンが所有していた車輌は、アストンマーティンをはじめ、ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、GM、フォルクスワーゲンなどさまざまですが、そのなかで彼女にもっとも愛され、生涯乗り続けたクルマが、ランドローバーでした。 21歳のころクイーン憲章を受けたとき、憲章と一緒に父が所有していランドローバーも受け継ぐことになりました。 数々のクイーンを写す映像や写真はいつもランドローバーと一緒で、このクルマに乗ってパレードをしていたこともありました。 クイーンの住むバッキンガムパレスはロンドンにがありますが、ノーフォークという田舎町にも家があり、ほとんどの時間はそこで過ごしていたようです。 王室の仕事以外は、シカを追って銃ハンティングしたり、山でのピクニック、馬の世話と乗馬など、趣味も多岐に渡っていました。 そんな趣味のためにはこのクルマは必須であったようで、彼女にとってフィールドを走るのにランドローバーが最適だったのでしょう。 ■Land Roverと英国皇室の長い歴史 ランドローバーが製造されたのは1948年で、オリジナルのLand Rover社によってこの世に出始めました。 皇室との結びつきは約70年に及び、Land Rover社がクイーンの父ジョージ6世に献上したことから、王室との付き合いが始まりました。 1951年、Land Rover社は王室から勲章を与えられ、王室の特別な自動車ブランドとなったのです。 またクイーンの夫であったエディンバラ公フィリップ王配もランドローバーの大ファンであり、彼もまたアウトドア派であったため、夫婦ともにランドローバーが生活にかかせないものでありました。 王室パレードの際は、必ずといっていいほどランドローバーでのお目見えでしたので、英国民誰もが知っているほど、クイーンとランドローバーの付き合いは深いものでした。 何台かのランドローバーのうち、クイーンが好んで運転していたのは、ランドローバー ディフェンダー110でした。 初代のランドローバーは普通サイズで見た目もかっこよくなく、贅沢さが一切ないオフロード用、すなわち山道やでこぼこ道を走るためのものでした。 しかし1984年にディフェンダーシリーズができ始めてから、ディフェンダー90、その後110、127、130などが製造され、外見や性能なども磨かれていきました。 ■ランドローバーはそもそもオフロード用に製造されたクルマ クイーンや王室にはとっても好かれていたランドローバーですが、その乗り心地はどうなのでしょう。 まず、最初にいわれるのがサスペンション。次に大きくて重ステ、足元は飛行機のエコノミークラスと同じくらい狭い、エンジン音が大きい、外見がかっこよくない、故障しやすわりに簡単に修理ができない、などなど…。 ランドローバーはそもそもオフロード用に製造されたため、農家のクルマなどと呼ばれていたこともありました。 一般の国民にとって日常生活に必須のクルマであれば、あえて農家のクルマなど選択しないでしょう。 逆に少数派ランドローバーファンにとってのこのクルマの魅力は、象徴的なデザインと四駆ならではのパフォーマンスであるといいます。 デコボコの山道を走る際、サスペンションの悪さゆえに体が上下にゆれたり、沼地にはまったときのランドローバーの見せどころなど、これらを楽しむ人もいるのです。 また車体の各パーツは頑丈で、強度の高いもが使用されていたり、クルマのフレームはアルミニウムを使った梯子型に作られており、剛性を増しています。 エンジンは、初期の1948年製は1.6Lガソリンエンジン、1958年には2Lエンジンができ、その後は徐々に大きさを増していって、ディーゼルエンジンも使用されるようになりました。 他にも、4シリンダーエンジンから、さらにV6エンジン搭載となり、馬力も徐々にアップされていきました。 ちなみに、初期のまだそれほど馬力がないオリジナルランドローバーは、第二次世界大戦中にはジープ同様、軍用車としても活躍していたのです。 ■Land Rover は、いまやセレブリティ車 クイーンはランドローバーの他にも、いくつかのクラシックなレンジローバーも所持していました。 特にお気に入りなのは、2004年製レンジローバー ヴォーグでした。 レンジローバーはランドローバー社のラインアップのひとつであり、1970年代からフラッグシップモデルとして認識されています。 2013年にJager Land Rover社に代わってから、莫大な数のレンジローバーを世に売りだしてきました。 ランドローバーの各モデルはオフロード向け、そしてレンジローバーは、もっとゆったり感と贅沢さを加えたSUVという位置付け。 この贅沢なレンジローバーが、一般層にも人気が出てくるようになりました。 それはセレブリティ達が乗るようになってきたからです。 キーンの名曲「Somewhere only we know」をカヴァーしたことでも有名な歌手リリー・アレン、映画「アンブレイカブル」シリーズに出演しているサミュエル・L・ジャクソン、映画「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」で数々の主演女優賞に輝いたリース・ウィザースプーンなどが所有しています。 最近ではランドローバー車全体がブラッシュアップされ、外見もスマートになり、品格を感じさせる方向性へシフトされました。 乗り心地のよい贅沢さや洗練さを追求するために、もちろんサスペンションのコイルも変え、ハンドルを軽くし、もっと静かに、そして車内には広いスペースを確保。 インテリアにもこだわりの素材を使用して、一般人が憧れるクルマへと進化していきました。 現在では、クイーンもよく運転していたディフェンダー110のニューモデルが発売されています。 かなりのお値段ですが、こちらも現代的かつ贅沢さを備えている素敵なクルマです。 70年以上の年月とともに、農家のクルマが贅沢な高級車へと変化してきた理由の根源にあるものは、やはりこのクルマが王室から始まり、クイーンに溺愛されてきたからだと思います。 クイーンが亡くなった今も息子のチャールズ現国王へと受け継がれ、ロイヤルファミリー全員に可愛がられています。 そのためクラシックランドローバーは、今後ますます希少なものとなるでしょう。 もし機会があるのならば、私は「とっても乗り心地が悪い」と指摘されることもある、初期のランドローバーに乗ってみたいと思いました。 [ライター・SANAE / 画像・Land Rover]

欧州市場から撤退した日産GT-R!その理由とは?
旧車の魅力と知識 2023.10.03

欧州市場から撤退した日産GT-R!その理由とは?

日本が世界に誇るスーパーカーといえば、真っ先に思い浮かぶのが「日産GT-R」という方も多いのではないだろうか? 日産GT-Rといえば、数々のレースでタイトルを獲得し、過去にはニュルブルクリンクで量産車史上最速タイムを叩き出した、日本を代表するスーパースポーツカーだ。 また、映画「ワイルドスピード」などでも起用されたことから、その名を世界中へと轟かせた。 現行モデルにあたるR35型は、2007年に登場して以来、日本、イギリス、アメリカ、中東など、世界中でカー・オブ・ザ・イヤーを獲得した、もはや伝説となりつつクルマといえる。 今もなお世界中で愛され続けるR35型GT-Rだが、2022年3月に欧州市場から撤退し、15年の歴史に幕を閉じた。 当然、ヨーロッパにもGT-Rファンは多く存在し、今でも度々自動車関連記事に出てくるほど人気のあるモデルだが、なぜ、このクルマが欧州市場から撤退することになったのか。 またドイツではどのように評価されているのか。 今回はドイツから現地調査をおこなった。 ■日産GT-Rは欧州で生産中止  日本が誇るスーパースポーツモデルは長年にわたり、ヨーロッパで多くのファンを獲得してきた。 そのなかの代表的なモデルが日産GT-Rだ。 欧州市場では2008年に発売され、フェラーリやランボルギーニなどと比べると……ではあるが、比較的手頃なスーパーカーとして成功を収めた。 そして、多くのファンがR35の後継モデルを期待していたなか、2022年3月に欧州市場から撤退することとなった。 その理由は、EUとイギリスの間で施行された、騒音をさらに削減することを目的とした通行騒音規制によるものだ。 象徴的なスポーツカーをヨーロッパ向けに改良し、音響規制を施すことはもはや価値がない。 ゆえに、多くのファンが待ち望んでいたR35の後継者を、ヨーロッパで入手することは今後できなくなってしまったのだ。 ■R35の愛称は「ゴジラ」 日産スカイラインGT-R(R34)の生産終了から5年、2007年に開催された第40回東京モーターショーにおいて、生産型のR35型GT-Rが初公開された。 このときから、GT-Rはスカイラインのいちモデルとしてではなく、「日産GT-R」として新たなスタートを切ったのだ。 初めて、日本やイギリスなどの右ハンドル市場だけでなく、左ハンドルの国でも販売された。 怪物級の車輌スペックであることから、海外での愛称は「ゴジラ」と呼ばれている。 欧州市場での販売時は、GT-R(81,800ユーロ)、GT-Rプレミアムエディション(83,500ユーロ)、GT-Rブラックエディション(85,200ユーロ)が用意されていた。 当初のGT-Rは3.8リッターV6エンジン ツインターボを搭載し、最高出力は485馬力を発揮。 現行モデルではさらに改良が加えられ、最高出力570馬力、「ニスモ」バージョンでは600馬力を発揮し、最高速度は315km/h、0〜100km/hはわずか2.8秒という驚異的なスペックを誇っていた。 また、イギリスの自動車雑誌「トップギア」では、485馬力を発揮する初代日産GT-Rが、シリーズ専用テストコースであるダンスフォール飛行場を周回し、シボレー コルベットC6、フォード GT、ポルシェ 911カレラGT、ランボルギーニ ムルシエラゴなどの、並み居る競合車を抑えて最速タイムで周回したと発表した。 ■ドイツでの評価とは? 欧州における日産GT-Rの生産終了というニュースは、ドイツ人にとって衝撃のニュースとなった。 ドイツ国内のサイトでは、度々GT-Rに関する記事が取り上げられており、名実ともスーパーカーとして非常に高い評価を得ている。 この国では、古くからGT-Rファンが存在する。 なぜなら、その歴史は1964年にまで遡る。 当時、日本のグランプリで4ドアの日産2000GTがポルシェ904からリードを奪ったことにより、多くのモータースポーツファンに衝撃を与えた。 1988年のR32型スカイラインGT-Rからは、「ゴジラ」の愛称でトップカテゴリーのスポーツカーとしての地位を確立した。 世界中で長年愛され続けてきたR35型GT-Rが、伝説の名車となるのもそう遠くはないだろう。 [ライター・高岡 ケン / 画像・Dreamstime]

「コンパクト」カテゴリーの開拓者、初代フィットは新たな国民車となった![開拓者シリーズ:第3回]
旧車の魅力と知識 2023.10.02

「コンパクト」カテゴリーの開拓者、初代フィットは新たな国民車となった![開拓者シリーズ:第3回]

寿司の世界には、握り、巻物、押し、炙り…といった種類(カテゴリー)があり、「まずは中トロの握りで!」と食べる順番すら楽しみであったりする。 冒頭から日本の食文化を語るつもりはないが(汗)、クルマ購入の際、まずはカテゴリーを念頭に置いておくことが第一歩といえ、そのカテゴリーを築いていったパイオニア(開拓者)にスポットを当てるシリーズ企画。 最終回となる3回目は、「コンパクト」カテゴリーを世間へ広く認知させていった、立役者にして開拓者の、ホンダ初代フィットの真の魅力に迫ってみたい。 今振り返っても、まさに「小さなスーパースター」である! ■今や月販1万台を超える超人気車もある「コンパクト」カテゴリー。現行4代目フィットの先祖が広く認知させていく トヨタならヤリスやルーミー、日産はノート、スズキはスイフト。そしてホンダはフィット(上写真。左はフィットクロスター)……など。 2023年現在、手軽に使える&乗れるクルマとして日本のユーザーに浸透したカテゴリーが「コンパクト」。  月販台数が1万台を超える超人気車もあり、ヤリスクロスやヴェゼルなど、コンパクトモデルのプラットフォームをベースに人気のSUVに仕上げたクルマもある。  この「巨大マーケット・カテゴリー」を築いた先駆者が、2001年に登場したホンダ初代フィットと言っていいだろう。 しかし、それ以前、小さなクルマが国産車になかったかといえばそうではない。 トヨタ スターレットや日産 チェリー、日産 マーチ、ホンダ シビック、ホンダ シティ、三菱 ミラージュなど、軽自動車とは一線を画す、登録車としての小さなクルマは人気が高かった。 思えばシビックはホンダのコンパクトカーの代名詞だった。 世代を重ねるたびに少しずつ巨大化し、現行モデルは全長4595mmもあるセダンクーペというカテゴリーに属している。 ……立派な姿になりましたね。 ■「MM思想」を体感できる室内。キャパでやってきたことは間違いではなかった…という証だ   前項で述べたように、少しずつ変化し、巨大化していくシビックに成り代わる、魅力的なコンパクトカーの開発が、ホンダには求められていた。 それを受け、1996年にはロゴ(上の写真)が誕生し、そのプラットフォームを流用したキャパが1998年に誕生。 ……が、いずれも人気を得ることはできず、残念ながら数年期間の販売という短命に終わった。 キャパは「キャパシティ」(許容範囲)という英語から取った名前のとおり、コンパクトサイズなのに室内が広いという部分が自慢だったが、コンパクトカーのわりには値付けがやや高めというマイナス面が行き渡り、販売面は厳しかった……。 が、それら2台の「イマイチな空気感」を断ち切ったのが、2001年登場の初代フィットだ。 ロゴ後継車とされるが、21世紀に入ったばかりのなか、ブランニューモデルの輝きが実に新鮮だった。 なんといっても最大の特色は「室内の広さ」。 ホンダの4輪モデルの根底に流れる「MM思想」(MMとはマンマキシマム・メカニズムミニマムを意味する)がここにあり!というパッケージング。 それは、スペース効率に優れたグローバル・スモールプラットフォームを採用した功績が大きく、コンパクトカーとは思えない広さに専門家も、ユーザーも驚いたものだ。 初代フィットを横から見ると、エンジンルームをできるだけ狭くした分、室内を広くとっていることがわかる。 MM思想の典型といえよう。 当時、筆者も乗り込み、「レジェンドより広いんじゃないの!?」と思ったほど(いや、マジです)。 世間に室内の広さでインパクトを与えたこの事実は、キャパでやってきたことは間違いではなかったということだろう。 ■日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2002年は年間販売台数で登録車1位という快挙! もちろん、見た目のインパクトも絶大で、それまでのハッチバック・コンパクトカーとはベクトルが違う丸みがあり、どこか親しみが湧くデザイン。 女性ウケもよかった。 燃焼効率を高めた新開発の1.3Lエンジンで燃費もよく、シートアレンジも多彩。 普段の買い物はもちろん遠乗りでもストレスはなし。 「このクルマ、いいね!」 そう感じさせる出来映え。 さらに、筆者的には3連メーターが気に入っている。 デジタルメーター旺盛な今、改めて見ると、どこかスポーティな雰囲気にワクワクしますね! 初代フィット登場前にもトヨタ ヴィッツやマツダ デミオなどのコンパクトカーは多数あったが、フィット人気は絶大。 その2001年、日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞という快挙も成し遂げた。 2002年以降、トヨタ ist (イスト)や日産 マーチの新型が発売されるなど、各メーカーはコンパクトカー・カテゴリーにも重きを置く戦略を敷く。 それでもフィットは売れまくり、2002年の年間国内販売台数は、なんと25万790台。 33年間トップを維持していたトヨタ カローラを抜き、登録車1位になった。 「新しい時代の国民車」といっていい存在となった瞬間である。 ■初代の魅力をしっかり受け継いだ2代目と3代目。「コンパクトカーの顔」となっていくフィット 室内パッケージングに革命をもたらし、年間販売台数1位を記録。 さらに日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞と、数多くの勲章を得た初代フィット。 コンパクトカー・カテゴリーのベンチマーク的存在となり、その後、誕生する日本のコンパクトカーたちに多大なる影響を与えたクルマであったことは間違いない。 まさに「コンパクトカー・カテゴリーの開拓者」である。 そして、ホンダ フィットの2代目(2007年誕生・上写真)は初代のDNAを受け継ぎ、2世代続けて日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ハイブリッドモデルも追加される。 3代目(2013年誕生・下写真)はグローバル市場でも最量販車となることを目標にしたモデルで、顔つきがシャープに変わったことが話題を呼んだ。 現行4代目(2020年誕生)は、クロスターという時代のニーズに合わせたクロスオーバーモデルも設定するなど、バリエーションの妙が実にユニーク。 目(ヘッドライト)が初代のように丸っこいものに戻ったのもエクステリアの特徴だ。 正直、売れゆきはいまひとつの現行4代目モデルだが、筆者は好きである。 「この室内の広さにはやっぱり驚く!」 初代が生み出した「賜物」は、4代目でもしっかりと体感できる。 [ライター・柴太郎 / 画像・photoAC、Dreamstime、Honda]

スポーツカーの絶版モデルは人気が高い!絶版スポーツカーの魅力や人気モデル8車種を紹介
旧車の魅力と知識 2023.09.28

スポーツカーの絶版モデルは人気が高い!絶版スポーツカーの魅力や人気モデル8車種を紹介

絶版となったスポーツカーは現在でも高い人気を誇っています。具体的に、どのような魅力があって人気に繋がっているのか気になる方もいるでしょう。今回は、絶版のスポーツカーとはどのような車なのか、絶版スポーツカーの魅力、人気の絶版スポーツカー8選を紹介します。絶版スポーツカーの購入や売却を検討するときの参考にしてみてください。 スポーツカーの絶版車とは 絶版になったスポーツカーとは、自動車メーカーでの生産や販売が終了したスポーツカーです。絶版になったスポーツカーの中には、当時の新車販売価格を上回る値段で買取りされ、販売されているモデルもあります。また、日本国内のみならず世界的に人気の高い絶版スポーツカーの場合、プレミア価格になっていることも珍しくありません。 スポーツカーの絶版車の魅力 絶版になったスポーツカーの魅力は、新車販売時に購入することができなかったモデルに乗れたり、憧れだった車に乗れたりすることです。また、電子制御などが最小限であるため、ピュアなスポーツドライビングを楽しめる点も魅力の一つといえるでしょう。 スポーツカーの絶版車は高騰している? スポーツカーの絶版モデルは高騰しています。特に日本車スポーツカー全盛期だった1990年代から2000年代にかけて販売されたモデルは、現在も高い価格になっているケースが多いです。また、絶版スポーツカーは流通台数が少なく限られているため、希少価値が高まっており、同時に値段も高騰しています。 人気のスポーツカーの絶版車8選 ここからは、人気の絶版スポーツカーの代表例を紹介します。ロータリーエンジンを搭載するモデルや優れた動力性能を誇るクルマなど、日本車スポーツカー全盛期ともいえる時代の車を8車種ピックアップしました。国産車の絶版スポーツカーを探して購入したり、売却するときの参考にしてみてください。 RX-7(FD3S) マツダ3代目RX-7(FD3S型)は、1991年にデビューしたロータリーエンジンを搭載するスポーツカーです。デビュー当初は、「アンフィニ RX-7」として販売を開始し、1997年から「マツダ RX-7」に変更となりました。 デビュー当時のボディサイズは、全長4,295mm、全幅1,760mm、全高1,230mmで、リトラクタブルヘッドライトを装備した流麗なスタイリングが特徴です。 エンジンは、世界唯一のロータリーエンジンで、2ローターのツインターボ「13B型」を搭載しています。最終的には、最高出力が206kW(280PS)/6,500rpm、最大トルクが314Nm(32.0kgm)/5,000rpmとなりました。 1991年から販売を開始した3代目RX-7(FD3S型)は、2002年に生産終了を発表。2003年に販売を終了しました。 アルテッツァ(RS200) トヨタ アルテッツァ(ALTEZZA)は、1998年から販売を開始した中型サイズ(Dセグメント)の4ドアスポーツセダンです。 ボディサイズは、全長4,400mm、全幅1,720mm、全高1,410mmと運転しやすい大きさです。6速MTを組み合わせる「RS200」のエンジンは、最高出力154kW(210PS)/7,600rpm、最大トルク215.7Nm(22.0kgm)/6,400rpmの2.0L直列4気筒DOHCを搭載しています。排気量1.0Lあたりの出力が100馬力超という高出力型のエンジンであることが特徴です。駆動方式は、FR(フロントエンジン・リアドライブ)を採用しています。 扱いやすいボディサイズのFRスポーツセダン「アルテッツァ」は、2005年まで生産・販売され1世代で幕を閉じました。 スカイラインGT-R(BNR34) 日産 R34スカイラインGT-Rは、1999年にデビューした直列6気筒ツインターボエンジンを搭載し、スカイラインの名を冠した最後のGT-Rです。 ボディサイズは、全長4,600mm、全幅1,785mm、全高1,360mmで、ボディタイプは、2ドアクーペです。エンジンは、最高出力206kW(280PS)/6,800rpm、最大トルク392.3Nm(40.0kgm)/4,400rpmの2.6L直列6気筒ツインターボ「RB26DETT型」を搭載しています。トランスミッションは、6速MTが組み合わされており、駆動方式は、四輪駆動の「アテーサE-TS」で、四輪マルチリンクサスペンションを装備しています。 スカイラインのスポーツモデルであるR34スカイラインGT-Rは、1999年から2002年までというわずかな期間のみ生産・販売されました。 S2000(AP1) ホンダ S2000は、1999年に販売を開始したFRオープンスポーツカーです。 車種名の「2000」が示すように、エンジンは2.0L(2000cc)の直列4気筒自然吸気VTEC「F20C型」が搭載されています。最高出力は184PS(250PS)/8,300rpm、最大トルクは217.7Nm(22.2kgm)/7,500rpmです。1.0Lあたり125馬力を発生する髙回転・高出力エンジンで、駆動方式は縦置きエンジンで発生した動力を後輪に伝えるFRが採用されています。トランスミッションは、6速MTを組み合わせています。 2.0Lエンジンを搭載するS2000である「AP1型」は、1999年から2004年までの生産・販売となりました。2004年以降のS2000は、2.2Lエンジンに変更。型式も「AP2」に変わり、2009年まで販売されました。 MR2(SW20:2代目) トヨタ MR2は、1989年に販売を開始した2シーターのミッドシップスポーツカーです。 2代目MR2(SW20)では、トヨタのスポーツカーとして知られるセリカのエンジンを搭載しています。2.0L直列4気筒エンジンは、最高出力121kW(165PS)/6,800rpm、最大トルク191.2Nm(19.5kgm)/4,800rpmの「3S-GE型」自然吸気エンジンと最高出力165kW(225PS)/6,000rpm、最大トルク304.0Nm(31.0kgm)/3,200rpmの「3S-GTE型」ターボエンジンの2種類が用意されました。ボディサイズは、全長4,170mm、全幅1,695mm、全高1,240mmの5ナンバーサイズです。 また、リトラクタブルヘッドライトを装備した流麗なスタイルもMR2ならではの特徴です。初代にはなかった高出力なターボエンジンも用意していた2代目MR2(SW20型)は、1999年まで生産・販売されました。 シルビア(S15:7代目) 日産 7代目シルビア(S15)は、1999年に販売を開始した5ナンバーサイズの2ドアクーペのスポーツカーです。 ボディサイズは、全長4,445mm、全幅1,695mm、全高1,285mmと運転しやすい大きさです。エンジンは、2.0L直列4気筒で、最高出力121kW(165PS)/6,400rpm、最大トルク192.2Nm(19.6kgm)/4,800rpmの「SR20DE」自然吸気エンジンと最高出力184kW(250PS)/6,400rpm、最大トルク274.6Nm(28.0kgm)/4,800rpmの「SR20DET」ターボエンジンの2種類を用意していました。 駆動方式は、フロントにエンジンを搭載し後輪を駆動させるFRを採用。トランスミッションは、グレードによって異なりますが、4AT、5MT、6MTを用意しています。 7代目S15シルビアは、2002年まで販売されました。 AE86 トヨタ AE86は、1983年から販売を開始したスプリンタートレノ/カローラレビンです。型式のAE86から「ハチロク」の愛称で親しまれています。 特に人気が高いAE86は、最高出力130PS/6,600rpm、最大トルク15.2kgm/5,200rpmを発生する1.6L直列4気筒「4A-GEU型」エンジン搭載の「GT-APEX」です。駆動方式は後輪駆動のFRを採用しています。AE86は、1987年までの約4年間にわたり生産・販売されました。 販売が終了した現在でも、プロレーサーの愛車として知られていたり、漫画の主人公が乗るモデルとして知られていたりすることから高い人気を誇っています。 RX-8 マツダ RX-8は、自然吸気のロータリーエンジンを搭載するFR(フロントエンジン・リアドライブ)の観音開き4ドアのスポーツモデルです。 654ccのロータリーエンジンを2機搭載するRX-8のエンジンは、最高出力184kW(250PS)/8,500rpm、最大トルク216Nm(22.0kgm)/5,500rpmのハイパワーバージョンと最高出力154kW(210PS)/7,200rpm、最大トルク222Nm(22.6kgm)/5,000rpmのスタンダードバージョンの2タイプを用意していました。 ボディサイズは、全長4,435mm、全幅1,770mm、全高1,340mmとなっています。現在では、ロータリーエンジンを搭載する最後の車として高い人気を誇っています。

外車・輸入車の買取相場は高額なのか?旧車専門店が解説
旧車の魅力と知識 2023.09.26

外車・輸入車の買取相場は高額なのか?旧車専門店が解説

昔から輸入車は売るとき安いと言われますが、ドイツメーカーの努力やニーズの高まりにより過去の話しになりつつあるようです。ここでは、旧車専門店の独自の解説で国産車とは違う相場事情や買取店のそれぞれの特徴について解説します。また、輸入車買取で決め手となるポイントについても紹介しますので、参考にしてください。 外車の買取は安いのか?国産車とは違う相場事情 「外車の買取は安いのか?」に対する答えは、ケースバイケースと言えます。但し、外車には国産車と大きく異なる相場事情があります。それは、年次改良を行い毎年イヤーモデルを発表することです。 国産車には基本的にイヤーモデルという制度はなく、仕様変更はマイナーチェンジの際に行われます。例えば、インプレッサ GDB型で見られた前期・中期・後期を見た目で区別した「丸目」「涙目」「鷹目」は、非常にわかりやすい例と言えます。それに対して外車は基本的に毎年マイナーチェンジが行われ2014モデル・2015モデルというように年式で区別されます。 つまり、年が変わると前年のモデルは新車で販売出来なくなり、売れ残った新車が登録済未使用車、いわゆる新古車として中古車市場に流れてきます。この台数が最も大きいのがBMWと言われていますが、当然のことながら買取相場を押し下げる要因になります。もちろん、バックオーダーを抱えるような人気モデルには当てはまらないケースであり、そのため外車の買取は安いのか?の問いに対する答えはケースバイケースと言えるのです。 因みに、スバルは伝統的にマイナーチェンジの他に年次改良を行いますが、前期・中期・後期の他にA~G型などと呼ばれています。 輸入車の買取相場が安いと言われる理由 外車の買取相場が安いと言われる理由はイヤーモデルだけではありません。 一般的に外車は国産車より需要が少ないと言われています。理由として故障が多く、そのために維持費が高くなることが挙げられますが、当然のことながら買取相場が安くなる大きな原因になります。 しかし、国産車よりも魅力的という点においては誰しもが認めるところであり、ドイツメーカーの地道な努力により、維持費の高さや故障の多さは過去の話しになりつつあるようです。 輸入車の買取店は、結局どこがいいのか? 外車の売却先と言われてディーラーの下取を思い浮かべる方は多いかもしれませんが、ラジオCMでよく聞く一括査定や大手買取店などを含めると多くの選択肢があるのが現状です。 ここでは、売却方法を6つに分けて特徴やメリットデメリットについて解説していきます。 自社ディーラー 自社ディーラーの買取は、いわゆる下取りということになりますが、ディーラーは同じメーカーの車種の乗り換えを行う分には、非常に強みを持っています。但し、認定中古車として再販出来ない年数が経った車や他メーカーのモデルに関しては、あまり期待出来ないのが現状です。 他社ディーラー 他社ディーラーの買取は、自社ディーラーと同様に正式には下取りとなります。下取り価格はよっぽど人気のある車種以外は可もなく不可もなくという査定結果になる可能性が高いと言えます。理由は、特にディーラー側にメリットがないためですが、ライバルメーカーのシェアを積極的に奪いにいっているメーカーであれば下取り価格も期待出来るかもしれません。 一括査定 一括査定は短時間で複数社の見積もりが集まりますので、買取額が比較しやすく、 1社のみの買取よりも高い金額で売却出来る可能性があります。しかし、鳴り止まない営業電話がユーザーを悩ませますし、そもそも輸入車に強い買取店が多くない現状もあります。 大手買取店 現在メジャーになっている大手買取店は、最も無難な選択と言えるかもしれません。特に店頭で査定を行う場合は査定スタッフが親身に相談にのってくれますし、初めて来店したユーザーにも丁寧に対応してくれます。そしてなによりも店舗数が多いため最寄りの店舗が見つかりやすいというメリットがあります。 外車買取専門店 外車買取専門店は、当然のことながら輸入車の買取に強みを持っています。具体的には、輸入車の確かなノウハウと豊富な買取実績です。 また、大手買取店が店頭買取を基本としているのに対して、外車買取専門店は出張買取をメインに買取を行っています。そのため地方のユーザーに喜ばれますし、1社のみが伺うケースがほとんどですので自宅でじっくりと価格交渉を行うことが出来ます。 番外編:旧車買取専門店 番外編の旧車買取専門店は、一般的な買取店では価格を付けることすら難しい車両の買取を得意としています。具体的には、1960年~1970年代の英国車の買取や買取額が2000万円を優に超えるような空冷ポルシェの買取です。 もちろん、ここまで特殊なモデルでなくても高価買取が可能ですが、2000年以前の輸入車と考えれば間違いないかもしれません。 輸入車買取で決め手となるポイント 輸入車の買取で決め手となるポイントは大きく2つに分けることが出来ます。ここでは、輸入車の専門知識や輸入車に強い流通ルートについて解説しますので、参考にしてください。 輸入車の専門知識 輸入車の売却先を決めるにあたって、輸入車の専門知識は最も重要なポイントと言っても過言ではありません。輸入車は例え国産車と同じやり方で査定をしたとしても修復歴の見方すらわからない場合があります。したがって、長年培ったノウハウと経験に裏打ちされた圧倒的な技術力が必要となりますが、輸入車の買取実績が豊富な業者を選ぶことがひとつの方法と言えるでしょう。 輸入車に強い流通ルート 圧倒的な技術力の次に必要となるのが輸入車に強い流通ルートです。輸入車に強い買取店であれば、自社販売はもちろんこと、同業者とのつながりや業者向けのオークションで売却する場合もあります。 そのため、買取った車の需要やニーズに合わせたルートで流通させられるので、より多くの利益を生み出すことが出来ます。つまり、その分だけ積極的な買取額を提示すること出来るのです。 年式の古い輸入車は、旧車買取専門店がおすすめ 輸入車の買取は、先述の通り専門的な知識が必要となりますが、古い輸入車にはさらに専門的な知識が求められます。特に1960年~1980年代のモデルには、相場などの情報がほとんどありません。 しかし、旧車買取専門店はなら独自のデータに基づいて、その時点でのベストな価格を提示することが可能です。もちろん、査定スタッフの高い技術力によりそれを実現させていることは言うまでもありません。 まとめ ここまで、輸入車の買取相場がが安いと言われる理由や買取店のそれぞれの特徴に解説してきました。輸入車には国産車とは異なる事情があります。 しかし、決して輸入車の買取が安いということにはならないことがご理解いただけたはずです。特に旧車はその傾向が顕著に表れます。 旧車や買取店の特徴を理解して上手に売却先を選びましょう。 [ライター/旧車王編集部]

日産・フェアレディZの系譜とその魅力【S30系・中級編】
旧車の魅力と知識 2023.09.27

日産・フェアレディZの系譜とその魅力【S30系・中級編】

前回、旧車界のアイドル「S30型 フェアレディZ」の魅力をお伝えする「基本編」をお送りしました。 今回はその続きとなる「中級編」をお届けしようと思います。 みなさんは初代のフェアレディZというと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか? 近年の旧車ブームから旧車に興味を持った人や、マンガの「悪魔のZ」が好きな人は、ショートノーズのスタイルを想像するでしょう。 その一方で、私のようにスーパーカーブームのころZに出会ったという人や、タミヤなどの模型で知ったという人などは、ノーズ先端が流線型に尖った「Gノーズ」を装着した「240Z」のスタイルを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 この、どちらがS30型のフェアレディZっぽいのか?というイメージは前述のように人それぞれで、おそらくそのまま好きなZの姿と一致しているのではないかと思います。 ちなみに私は「どちらも好き」です(笑)。 初めて見て心を奪われたのは240Zの流麗な姿でした。 前回お伝えしましたが、スーパーカーブームの時に、大判のスーパーカーの写真集に堂々と載っていたのがマルーン(あずき色)の「240z」でした。 ランボルギーニやフェラーリ、マセラティなどのスーパーカーに魅了されていた同級生達と写真集を囲みながら「おれはカウンタック!」「じゃあボクは512BBもらう!」なんてワイワイいい合っていたなか、それらのイタリアン・スーパーカーに後ろ髪を引かれつつ、「日本のフェアレディZもかっこいいよ!」と言った私に対して、周囲の反応は真っ二つに分かれたのを覚えています。 赤や黄色など華やかなボディカラーをまとった、いかにもエキセントリックな形のスーパーカー達に比べると、わりと身近な感じがするZのデザインとマルーンの地味なカラーは、少年達の心を奪うにはいささか物足りなかったのかもしれません。 ただその当時、そんな友達といっしょに自転車で走っているときにZとすれ違えば、やっぱり他の乗用車とは異なる存在感と、走る姿のカッコ良さに、しばらくみんなで見とれていたシーンも忘れられません(淡い記憶では、白の240Zだったと思います)。 そして時が経ち、オトナになってから改めて出会ったZは、ショートノーズでした。 オトナになった私の、子供時代からのZに対する印象をガラッと塗り替えてしまった車輌は、ゼロヨンのコースで現行車に負けない迫力の走りを見せつけていました。 その迫力と共に、ノーズの短いスッキリとしたスタイルリングが、私の心にしっかりその存在感を刻みつけたのでした。 ■Gノーズ装着の「240Z」の誕生と根強い人気のワケ 「240Z」はS30系・フェアレディZの派生モデルの一つで、流線型のノーズカウルとリヤゲート後端のスポイラー、そしてリベット止めのオーバーフェンダーが装着された性能上位モデルとして、初期の発表から2年後にラインナップされました。 旧車ファンの間では「240(ニーヨンマル)」または「240Z」といえばGノーズ装着のモデルを指しますが、正式名は「フェアレディ240Z-G」となります。 さらにいうとこの「240Z」の元祖は、北米輸出仕様の「ダットサン240Z」です。 排気量が大きく広い土地を突っ走るアメリカ車の市場に食い込むため、1,998ccのL20型エンジンのボア&ストロークをアップして、2,393ccに拡大したL24型エンジンを搭載した左ハンドル仕様の車です。 意外と知らない人もいるかもしれませんが、「240Z-G」と同じ時期に、「ダットサン240Z」を逆輸入したようなショートノーズの「フェアレディ240Z」も併売されていました。 このGノーズは見掛けだけのものではなく、れっきとした空力パーツとして開発されたものです。 「240Z」同士でショートノーズの車両と最高速度(カタログ値)を比べると、ショートノーズ車の205km/hに対して、「240Z-G」は210km/hと5km/hアップしています。 参考までに、L20型搭載の初代フェアレディZの最高速は185km/hです。 当時は、カタログや雑誌で発表される最高速の数値を見てはスポーツカーのファン達が一喜一憂していた時代なので、この5km/hの差はけっこう大きいものでしたが、近年の300km/hオーバーが当たり前の時代では誤差のような数値でしかありません。 しかし、今の旧車ファンの心を捉えている要素はもはやそこではなく、やっぱりあの流麗なシルエットに惹かれて憧れたという人が多いのではないでしょうか。 ■もうひとつの派生モデル「Z432」がいかに特別だったのか 当時の日産が力を入れていたのがレースで勝利することでした。 日本でもツーリングカーレースの観覧席が毎回満席になるほどの盛り上がりを見せていた時代で、フェアレディZのイメージアップのためにレースで勝つという目的で高性能モデルの「Z432」を投入しました。 レースで勝つための最大のポイントとなるエンジンは、当時合併したばかりのプリンス自動車が開発した、レース用エンジンとほぼ同じ設計である「S20型」が搭載されました。 「432」の由来は4バルブ・3キャブレター・2カムシャフトという意味で、今風に言うとDOHCの高性能設計エンジンに、競技用のスポーツ・キャブレターを装着、という感じです。 当時の国産車で4バルブ機構を持つエンジンは他に無く、160馬力というパワーは2000ccクラスのエンジンとしてはぶっちぎりの性能でした。 そのため、市販車を改造した車輌にもかかわらず、ほぼレース専用設計の車輌(ポルシェ908やフォードGT40など)とレースで互角に渡り合い、狙った以上のイメージアップを達成しました。 実物の「Z432」を見掛ける機会が何度かありましたが、そんな素性にもかかわらず、低回転での排気音は意外なほど静かで、「さすがに市販車はいろいろ規制されているんだな」と思いました。 しかし、エンジンの回転を上げたときにその印象はガラッと変わり、精密な部品が高回転でキレイに作動したときに生まれるキレイな高音を響かせていたのが印象に残っています。 ■当時と今では人気の度合いがまるで逆!?4シーターの「2by2」 初代の発売から4年後に施行された「48年排出ガス規制」によって、高出力なモデルが直撃を受け、「240z」や「Z432」がカタログから姿を消していきました。 そんななかで追加されたのが、ボディ中程を延長して4シーターにした「2by2」です。 イメージリーダーだった高性能モデルが無くなり、活気が削がれた感のある販売状況でしたが、この「2by2」がカンフル剤として効き、フェアレディZの売り上げをV字回復させました。 当時のフェアレディZは2シーターだたっため、一部の限られた層にしか需要がありませんでしたが、この4シーター化によってファミリー層にも需要が広がったのです。 その結果、S30系全体で最も多くの販売台数を記録したモデルとなったそうです。 しかしこの人気は近年の旧車ブームになると真逆といって良い状況になってしまいます。 美しいフォルムを持つ昔のスポーツカーというイメージで見たときに、「2by2」の長いフォルムが野暮ったく受け取られ、一転して不人気車扱いになってしまったのです。 昨今に目を向けると、フェラーリやポルシェの4シーターモデルがひとつのジャンルを確立している状況もありますが、趣味のクルマとしてのS30系・フェアレディZはやっぱりカッコ良さが第一、ということなのでしょう。 ちなみに、ここ数年の旧車ブームの様子を見ていると、徐々に「2by2」の人気が上向いてきた気配を感じます。 運転席に収まってしまえば2シーターのZと何ら景色は変わりませんし、趣味と実用性を兼ねて1台持ち、というスタイルの旧車ファンが「2by2」を求めるようになってきたようです。 ■おわりに この後は、昭和51(1978)年に施行され、さらに基準が厳しくなった「51年排出ガス規制」に対応させるため、キャブレターだった燃料供給装置がインジェクションに置き換わったり、触媒の装着など排気ガス規制対策デバイスが追加されました。 さらにパワーウインドウの導入などの電動化が始まったりと、細部に変更が加えられましたが、昭和53年に次期モデルの「S130系」にバトンタッチされ、生産が終了となりました。 世界全体では55万台もの数が生産されて、歴代のZの中でもトップと言われるS30系・フェアレディZですが、現存する台数は見る影もありません。 昨今は、手に入らないといわれていた外装パーツのリビルド品も増えてきたようで、ダメージを受けても修理が容易になってきたようです。 とはいえ、まだまだ替えが効かないパーツも多くあります。 ドライブに出掛けた後は水分を飛ばしてやるなど、できるだけケアをおこない、末永く一緒に過ごせるように目を掛けてあげてください。 次回はフェアレディZの系譜とその魅力【S30系・マニアック編】をお届けする予定です。 お楽しみに。 [ライター・往 機人 / 画像・日産]

おおきいオトモダチのみなさま、ミニカーは好きでせう?
旧車の魅力と知識 2023.09.25

おおきいオトモダチのみなさま、ミニカーは好きでせう?

■男のコはミニカーが好きである 男のコはナゼかミニカーが好きである。 それはほとんど本能といえるかもしれない。 とにかく、ほとんどの男のコはミニカーで遊ぶ。 もしも家の近くに鉄道が走ってたら「鉄っちゃん」に走るかもしれないが、そんな子たちでも「ミニカー遊び」は避けることのできない、男のコの儀式のようなモノなのだ。 このジェンダーフリーの世の中で「男のコ」だなんていうのもアレだが、それでも仕方がない。 カレーライスが好き、ハンバーグが好き、というのと同じレベルで、男のコはミニカーが好きなのだ。 みなさんはミニカーというと、何を思い出す? 国産だったら「トミカ」とか「ダイヤペット」かな。 英国製の「コーギー」とか「マッチボックス」なんかも有名どころ。 米国製だと「マテル」とか「ホットホイール」とか。 スーパーなどでは「マジョレット」など見かけるし、模型店だと「ブラーゴ」とか「シュコー」とか、ちょっと高級なモデルを見かけたりする。 そんなミニカーではあるけれど、多くの「男のコ」たちは、大人になる前にミニカーの多くを手放してしまう。 ナゼかわからないが、オトナになるにしたがって、自分の周りからミニカーがなくなってゆくのだ・・・・・。 ■オトナになってもミニカーが好きである さて、前置き(笑)はこのくらいにして、そうして育った「男のコ」たちの一部は、オトナになると、またミニカーを集め始める種類のヒトが現れる。 あるいは、旧いミニカーを実家の押し入れの中から発掘して、ノスタルジーにとらわれつつ、なんとなく手元に置いておいたり、机の上に飾ったりしたりしてしまうヒトたちもいる。 そして、そのなかの何人かは「自分の乗っているクルマ」や「自分の乗っていたクルマ」のミニカーを手に入れ、眺めてニヤニヤする、という性癖に陥る人たちもいたりするのだ。 ヤバいぜ。 またはミニカー繋がりで、プラスティックモデルに走る人もいるだろう。 いずれにせよ、ミニカーというのは、オトナになってしまった「男のコ」たちの郷愁を誘ったりするモノなのだ。 それが「旧い」モノであればなおさら。 いやはや、そういうワタクシも発掘してしまったわけですよ、ミニカーを。 いつ買ったのか?買ってもらったのか?なんでこんなの持ってるんだ?みたいなのが出てきて、自分でもびっくり。 今回はそんな「自慢(笑)」のミニカーを、ムリやりご覧いただこうと思う。 ■旧車のミニカー(あるいは)ミニカーが旧車 ●日産ディーゼルのダンプカー 「男のコはダンプだろ!」ということで、多分みんな持ってたダンプカー。 昭和生まれなので昭和っぽい日産ディーゼルのダンプだが、ゴツい感じがダンプっぽくって良いね。 ダイナマイトどんどん! もちろん荷台はダンプ可能。 ●トヨタメールカート って、車体の裏に書いてあるんだもん。 よく知らんけどこんな車あったんでしょうかね。 クラウンか何かの特装車なのかもしれません。 荷物室のドアが開くギミックがついてるです。 フロント周り見るとコロナっぽい気も。 ●トヨタセリカ(初代) スペシャリティカーのご先祖セリカ。 2ドアクーペでカッコいいスね。 このミニカーはちょっとぼてっとした感じだけど、まあ、誰が見ても「セリカ」だってワカるのがすてき。 コレは外せない1台。 ●メルセデス・ベンツ 300SL リアルで買ったら1億円オーバーのガルウイングも、小さな男の子の憧れかも。 ちゃんとガルウイングが開閉するのもカッコいいな。 色はシルバーに決まっている。 うむー、かっこいいなあ。 ●ランチア ストラトス スパーカーブームの中でも、ちょっと異端派のストラトスだけど、こうしてみるとシャープでなかなかイカす。 ボンネットのアミアミが黒くなってるのは、マジックで塗ったからかな? 元々そうだったのか全然覚えてないデス。 ●ランボルギーニ カウンタック コレは多分だいぶ後に手に入れたやつだろうか、傷ついてないから。 ブルーのカウンタックって正直似合わねーとおもって、あまり遊ばなかったのかもしれない。 だからキレイなのかも。 ホイールがストラトスと同じだ。 ●タダノクレーン車 ナゼかみんな持ってるクレーン車。 クレーンがちょっとだけ伸びたりするギミックで、いろんなもの釣り上げたりして遊ぶんだよなあ。 こうしてみると、なかなかいい造形ではないか。 というわけで、なんで持ってるんだかワカらない車種の数々だが、よく残ってたもので(笑)。 ■本命のミニカーは別にある そして、ここからあとは「積極的に自分で集めた」というより、自分が乗ってるクルマだから手に入れたというミニカーをご紹介。 そう、その車種はモチのロン、シトロエン2CVであります。 ●ブリキのシトロエン(赤) ワタクシがまだ2CVを手に入れる20年以上前に千駄ヶ谷あたりの雑貨屋で売ってた2CV。 中国製でプルバックゼンマイが内蔵されている「走るヤツ」だ。 たしか900円くらいで手に入れた。 プロポーションはまあまあだが、細かい部分の造形がやや甘い。 とはいえ、フランスの農民車らしい安っぽい感じがとても気に入っている。 安くて頑丈なのは本物の2CVと同じ。 ●ダイキャストのシトロエン そらいろの2CVは銀座の教文館で発見。 クリスマスプレゼント用に年末に売りに出されていて、こちらも980円とお手頃価格。 とはいえ、値段の割にはムッチャ出来がいい。 プロポーションも細部の作りも手抜きなしのGOODモデル。 自分の持ってる2CVに近い色なので即購入。 赤い2CVよりも一回り小さいけれど、コレもお気に入り。 とても良い買い物でありましたことよ。 ■やっぱりミニカーすきでせう? という感じで、歳を重ねてもヤング・アット・ハート(笑)。 男のコの時代からずっと付き合ってきたミニカーは、いまだに本棚の端っこにゴチャって固まって置かれていたりするのです。 さてみなさんいかが? 実は1台や2台や3台くらい、ミニカー持ってたりするでしょ? 自慢の1台、あるんじゃないすか? 捨てられないやつがあったりしませんか? 男のコだったら身に覚え、あるでしょう? うひひひ。 [ライター・画像 / まつばらあつし]

富とセンスを兼ね揃えた海外セレブからも愛されるクラシックカー
旧車の魅力と知識 2023.09.21

富とセンスを兼ね揃えた海外セレブからも愛されるクラシックカー

海外ドラマや映画の中には、よくクラシックカーが登場します。 特に歴史的な物語を描いている作品に多いといえますが、その時代に主流だったクルマのデザインを映像で知ることができ、映画もドラマも大好きな筆者にとっては楽しみな要素のひとつとなっています。 映画やドラマに出演している俳優や著名人の中にも、クラシックカー愛好家がいるのを知っているでしょうか? ときどき、ファッション誌の特集などで紹介されているのを目にしますが、富も名誉も手にしているスターが最先端の技術と機能を兼ね揃えたハイテクなクルマではなく、あえて古いクルマに乗っているということにとても興味を持ちました。 実際にはどんな人がどんなクルマに乗っているのでしょう? ハリウッドスターからスーパーモデルまで、海外セレブが愛してやまないクラシックカーを紹介していきたいと思います。 ■ランボルギーニ ミウラ SVJ 1971年製(Lamborghini Miura SVJ)  1966年にデビューした「ランボルギーニ・ミウラ」のサスペンションを作り直し、エアロエンハンスメントを追加し、V12を400馬力以上に改善した最高傑作といわれているのが、「ランボルギーニ ミウラ SVJ」です。 この希少価値の高いクルマに乗っているのは、なんと俳優のニコラス・ケイジ。 名作「リービング・ラスベガス」でアカデミー賞主演男優賞やゴールデン・グローブ賞など数々のアワードを受賞し、「ザ・ロック」「フェイス/オフ」など大作映画に出演しています。 日本人のリコ・シバタさんと結婚したことでも話題となりました。 世界中に不動産を所有しているニコラス・ケイジですが、イランのシャーから1971年製「ランボルギーニ ミウラ SVJ」を購入したとのことです。 しかし経済的理由から、2002年にはすでに売却してしまったというエピソードもあります。 フォルムだけでなく、車内も同色で統一され、マットな質感がより一層高級感を引き立てています。 ■ポルシェ 356B 1963年製(Porsche 356B) ポルシェ社が1948年に初めて世に送り出したモデル、356シリーズ。 356Bは1959年に発表され、ボディはスチール製でエンジンは1.6Lになり、1961年には2.0Lエンジンが追加されました。 小型ながら丸みを帯びたフォルムがエレガントで女性に好まれそうですが、大道芸人から俳優へと転身したパトリック・デンプシーが溺愛しているとのことです。 「ザ・プラクティス/ボストン弁護士ファイル」や、大ヒットとなった医療ドラマ「グレイズ・アナトミー」で知られています。 クルマも多数コレクションしているとのことですが、最初に所持した1963年製の「ポルシェ 356B」が最もお気に入りのようです。 幼少期にポスターで見た「ポルシェ 911」を所持したかったようですが、当時は高価すぎたため「ポルシェ 356B」を購入したというエピソードもあります。 ■ロールスロイス シルヴァークラウドⅡ 1959年製(Rolls-Royce Silver Cloud II)  1959年に「シルヴァークラウド」からモデルチェンジしたのが「シルヴァークラウドII」です。 最大の違いは、エンジンが直列6気筒からV型8気筒に載せ替えられたことにより、排気量は6227ccとなりました。 デスティニーズ・チャイルドのメンバーとしてデビューし、ソロとしても3rdシングル「イレプレイスブル」が全米チャート10週連続1位、グラミー賞における多数の受賞歴など、輝かしいキャリアを誇る世界の歌姫ビヨンセ。 そのビヨンセが愛車として乗っているのが、1959年製の「ロールスロイス シルバー・クラウドⅡ」。 ラッパーで夫のジェイ・Zが、ビヨンセの誕生日にプレゼントしたとのことです。 美しいブルーのソフトトップとホワイトウォールタイヤを備えたコンバーチブルバージョンで、インテリアには豪華なソフトレザーが使用されています。 ■エクスキャリバー SSロードスター(Excalibur SS ROADSTER)  「エクスキャリバー SSロードスター」は、1930年代の名車メルセデス・ベンツ SSKを現代に蘇らせたモデルです。 主にスチュードベーカーのシャシーにSSK風のボディを被せ、シボレー製のV8エンジンを積んでいます。 SSKの美しいボディと、アメリカンなV8エンジンの組み合わせを楽しめるのは、まさにレプリカモデルならではと言えるでしょう。 そもそもモデルとなったメルセデスのSSKとは、ポルシェの生みの親であるフェルディナント・ポルシェが設計したスポーツカーです。 優れたデザインや性能で当時から人気でしたが、オリジナルはわずか37台のみという希少さ。 レプリカといえど、俳優、実業家、そして政治家と、あらゆるジャンルで成功を収めたアーノルド・シュワルツェネッガーの愛車とあって納得です。 ■MG MGB 1960年製  「MGB」は、1955年に販売開始された「MGA」の後継車として、1962年10月にMG(BMC)から発売されました。 マツダ・ユーノス ロードスターが登場するまで、世界で最も多く販売されたオープンカーとして知られています。 1962年から生産され、1980年10月までアビントンで生産されましたが、工場の閉鎖にあたり、周辺では反対運動が起こるほど支持されていました。 世界中から愛されたこのクルマを愛用しているのは、誰もが知ってる説明不要のスーパーモデルであり、UK版『ヴォーグ』のコントリビューティングエディターも兼任しているケイト・モスです。 クラシックカーでありながら、シャープで前衛的なデザインのオープンカーがとても似合いますね。 ■フォード ピックアップ 1940年製(FORD PICKUP) 主に農業の貨物輸送用に使用されていたピックアップトラックですが、1924年にフォード・オーストラリアが生産を開始したのがはじまりといわれています。 1950年代によりスタイリッシュなモデルを各社が生産し始めましたが、1940年に製造された「フォード ピックアップ」はコロンとしたフォルムが愛らしく、街中を走ってもトラックらしくないスタイリッシュなデザインです。 これと同じではないですが、似たデザインのクルマに乗っているのが、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ等に出演している人気俳優のオーランド・ブルーム。 これまでポルシェ、マクラーレンなどのスポーツカー愛好家として知られてきましたが、クラシックカーやEV車も愛用しているとのことです。 セレブリティーは多数のクルマを所持しているイメージですが、古くて希少価値の高いクラシックカーを長年に渡り、大事に乗っているエピソードは好感が持てますね。 [ライター・Kana / 画像・Lamborghini,Rolls Roycemotorcars,MG]

旧車王ヒストリアは
旧車買取20年以上の旧車王
が運営しています

旧車王は、「自動車文化遺産を次世代へ」という信念のもと、旧車・クラシックカーに特化して25年、年間11,000台以上の査定申込をいただいております。改造車から希少車まで、適正価格を見極めて買取させていただきます。弊社所属の鑑定士が最短当日で全国無料出張査定いたします。ご契約後の買取額の減額や不当なキャンセル料を請求する二重査定は一切ありません。特別なそして価値ある希少車の買取こそ、確かなノウハウと実績を持つ旧車王にお任せください!

すぐ査定依頼が可能!

Web査定申込はこちら

まずは車について気軽に相談したい

LINEで売却相談する

カテゴリ一覧

# 旧車の魅力と知識 # 旧車の売買と鑑定市場 # 旧車の再生と維持 # 旧車のイベント # 旧車の愛好家たち