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旧車の愛好家たち

“伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【後編】
旧車の愛好家たち 2023.10.27

“伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【後編】

当記事の「前編」では、オーナーの淵本芳浩さんのT360(1965年式)が修理されるまでをレポートした。 ● “伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【前編】https://www.qsha-oh.com/historia/article/honda-t360-part1/ 今回の「後編」では、淵本さんのT360の修理を担当した整備士、西栄一さんのT360(1966年式)を紹介。 西さんは、この個体を手に入れて今年で50年を迎えたそうだ。 前編でも紹介したとおり、部品取り個体を入手したことで淵本さんと西さんのT360の修理を実施。 今回は西さんの所有する個体に注目しながら、T360の魅力を掘り下げてお届けする。 ■ホンダ T360とは 前編のおさらいにはなるが、ホンダ T360は二輪メーカーだったホンダが四輪業界へ進出した際、初めて市販された四輪自動車。 1963年から1967年まで生産されたセミキャブオーバータイプの軽トラックだ。 水冷直列4気筒DOHCエンジンを国産車で初めて搭載したクルマでもある。 エンジンを15度に寝かせて座席の下に搭載する、ミッドシップレイアウトとなっていた。 当時の国産車のエンジンは、4ストロークOHVエンジンが主流だった。 軽自動車においては2ストローク2気筒、20〜25馬力程度の時代、T360は最高出力30馬力を8500回転で発生する高回転高出力型のDOHCエンジンを搭載。 吸気系に4連キャブレター、排気系はタコ足で武装。 当時の高級乗用車と比べても異次元のメカニズムで高性能を誇った。 ⚫︎細かい変更・改修が繰り返され、部品が合わない場合も T360はデビュー以降、細かな設計変更・改修を繰り返しながら実用的な軽トラックとしてあるべき姿になっていく。 ただ、設計変更時の明確なマイナーチェンジモデルは存在しない。 現場の声に素早く対応するため、その都度設計変更・改修が加えられたからであった。 よって、同じ年式の部品取り車があったとしても、部品が合わない状況が多々ある。 これが T360の維持と再生を困難にする一因にもなっている。 以上のような、現代にはありえない別格の生まれであることが、このクルマの魅力の一部にもなっているのだろう。 ■同じ型式でもさまざまな部分が違う ▲違いに気がつくと、表情も違って見えてきておもしろい 上記でも述べたが、T360の大きな特徴のひとつが同じ型式でも仕様が異なる点だ。 生産当時、現場の声に素早く対応するため設計の変更・改修が加えられた。 なので、わずかな年式の間でも異なっている部分がある。 今回は1965年式と1966年式のAK250が2台あるので、比較して違いを探してみた。 ●フロント周り フロント周りを見比べてみよう。 まずはボンネットの素材が違う。 1965年式は鉄製だが、1966年式になると樹脂製になった。 それから、バンパーのナンバー取付部に注目。 1965年式では凹みにセットされるかたちで装着されているが、1966年式になると、バンパーにそのまま貼り付けたように装着されている。 さらにウインカーをよく見ると、1966年式のほうが少し大きく突起している。 また、Bピラーにも注目。 1966年式にはスリットが入っている。 これは車内換気用のものではなく、エアインテーク…つまり吸気系の取り回しがすべて異なるのである。 ●エンブレム  エンブレムのプレートは、1965年式は鋳物のエンブレムだが、1966年式ではシールになっている。 コストダウンされた部分のひとつかもしれない。 ●マフラー 1965年型は複雑に湾曲したタコ足だが、1966年型になると消音器の付いた集合管へ。 当時の排ガス規制に対応している。 ●キャブレター AK250は、1965年型はケーヒン製の4連(CVB27型)、1966年型は三国ソレックス製の2連(BSW23型)のキャブレターを採用していた。 整備性を良くする目的で4連から2連になったと思われる。 加えて整備性も向上。 キャビン後部のシートアンダー中央のフレームの一部がカットされていて、ビスを取り外せばしっかりと手が入ってキャブレターに手が届き、作業しやすくなっている。 ●インパネ周り 1965年式のステアリングはホーンリングが付いているが、1966年式では白い部分がホーンボタンとなっている。 センターに並ぶスイッチ類も違い、1966年式ではグローブボックスのフタもなくなっている。 1965年式はプッシュタイプのスイッチ(スモール、ヘッドランプ、ワイパー)が3つ横並びで付いているが、1966年式になるとプルタイプのスイッチ(ワイパー、スモール・ヘッドライトの二段階式)の2つになる。 ちなみに、ロービームとハイビームの切り替え方法も異なる。 1965年式は足踏み式で行ない、1966年式はフラッシャーレバーで切り替える。 ●ブレーキペダルゴム ペダルパッドの形状を見比べてみると、1966年式は角形に変更されている。 疲れにくく操作しやすい「オルガン式」のペダルが採用されている点にも注目したい。 オルガン式ペダルはレーシングカーに採用されていることが多いが、商用車のT360に採用されているのは、当時のF1(第1期)に由来するのかもしれない。 ●リア周り フックの数が4本から2本に減らされている。 またボディの継ぎ目の位置の違い(テールレンズに継ぎ目が掛かっているかかかっていないか)にも注目。 この他にも、骨格であるフレームの断面がTの字からロの字形状になっていたりと、改修の多さはもはや“間違い探し”レベル。 オーナーの西さんによれば「まったく異なるクルマ」だそう。 しかし、このような違いがファンにとってはこだわりにもなっている。 ■所有歴50年のオーナー ▲オーナーの西栄一さん オーナーの西栄一さんは現在69歳。 レースメカニックなどの経歴を持つベテラン整備士だ。 T360は19歳の頃に入手し、現在に至る。 これまで、オートバイからフォーミュラマシンの整備まで幅広く手掛けてきた西さん。 幼少時代にT360と“衝撃の出会い”をしてからホンダに魅せられてきた。 西さん:「私の幼少時代は高度経済成長期を迎えていました。当時は東京オリンピックの影響で、ビルの建設や道路の整備が進み、道路では2サイクルのクルマがパタパタと音をあげて行き交っていました。そんななかで突如、甲高い音を発しながら走ってきたクルマこそT360だったのです」 自動車訓練校時代には、ツインカムエンジンの教材としてT360で整備技術を学んだという西さん。 運転免許を取得してからの愛車遍歴は、1300クーペ、 N360、シビック、アコードハッチバック、バラードスポーツCR-Xを乗り継ぐなどホンダが多かったが、19歳の頃に入手したT360だけは手放さなかった。 西さん:「まるでF1やフォーミュラカーみたいに感じることがあります。ホンダサウンドがたまりません。ドライブするときはオートバイのような感覚で乗っていますね。トラックでありながら中身はスポーツカー。エンジンは気難しく、当時は農業で使うのが大変だったかもしれないですね」 ▲「懐かしの商用車コレクション」のカラーリングを手本にボディカラーを自ら塗り換えた そんな西さんにT360との出逢いを振り返ってもらった。 西さん:「実家へ帰る途中、たまたま普段は通らない道を通りました。そのとき、整備工場の車両置き場にT360があるのを見つけたんです。前からT360が欲しかった私は、再度そこへ行って持ち主を訪ねました。聞けば不動車になりかけていて、かろうじてエンジンが掛かるものの、いつ止まるかわからないような状態でした。売却後のクレームを恐れたらしく、なかなか売ってもらえなかったんです。そこで『教材にする』という条件でようやく手に入れることができました。新車に近い価格で購入しました」 購入した直後の修理はどのように行ったのだろうか。 西さん:「当時のホンダSF(サービスファクトリー)に知り合いがいたので、部品の手配などを手伝ってくれました。今は部品がなくて苦労しているところです」 ▲リアに取り付けられているプレートは、西さんがモトクロスレースをしていた時期にオートバイ用品店で見つけて購入したもの。日本語に訳してみると…確かにこのT360と西さんにふさわしいと感じる ■T360の修理について 今回はエンジンの修理をメインに、破損していた外装品等の修理・改修を行なうため、部品取り個体から使える部品を摘出。 状態を確認したうえで交換・取付が行なわれた。 西さん:「T360のエンジンを修理するにあたり、エンジン、トランスミッション、ガードフレームを脱着して各部の修理を行ないました」 実は、西さんがこの個体を所有し始めた直後から大小さまざまなトラブルに見舞われており、「持病」のように付き合ってきた故障もあったという。 そんな故障と修理の過程を一部だが紹介したい。 T360の維持がいかに大変かを理解いただけるだろう。 ●1.エンジンオイルの量が増えていた?エンジンを分解してバルブリフターを交換 エンジンオイルが増える…そんなありえないことが実際に起きていた。 原因はフューエルポンプの中にあるダイヤフラムの経年劣化により、ガソリンがオイルパンの中に流れ込んでしまったことだ。 結果、エンジンオイルの量が増えるという事態が発生していた。 さらに流れ込んだガソリンによってオイルが希釈され、潤滑性能が低下した結果、インレットバルブのリテーナーが焼きついてしまった。 そこでバルブリフターを交換するべく、エンジンを降ろして分解。 カムシャフトを取り外し、バルブリフターも取り外した。 ▲西さんのT360から降ろされたAK250E型エンジン。キャブレターとインマニは外されているが、このようにほぼ真横に近い15度に寝かせて搭載されている ▲バルブリフターを交換。上部のインレットバルブからバルブリフターを外した状態 ▲バルブリフターを取り外したオイル潤滑穴の状態。(左)正常な状態と(右)汚れやオイルが付着してしまった状態だ。バルブの上にあるオイル潤滑穴周辺にオイルや汚れがこびりつき、焼きついたことでバルブリフターの動きが悪くなった。穴の下が欠けてしまっているのも確認できる ●2.部品取り個体から摘出した純正品のバルブリフターを使用 部品取り用個体から摘出した、純正品のバルブリフターに交換している。 西さんのバルブリフターは、これまでワンオフで2回製作。 純正品はアルミ製だが、1回目は鉄で作ったところ、材質の違いによる熱膨張の変化により、オイルクリアランスが正常に保てず焼きついてしまった。 そこで2回目はオイルクリアランスを計算して加工。 このような鉄製のバルブリフターをしばらく使用していたが、材質による重量差が高回転域において悪い方に影響すると判断し、摘出した純正品にすぐ交換したという。 ▲これまで使用していたワンオフの鉄製バルブリフター ▲右のバルブリフターが部品取り用個体からの純正品。穴は熱膨張の対策と潤滑のために空けられている ●3.キャブレターのフロートが腐食しエンジンの掛かりが悪くなったので、部品取り用個体から使用  購入当時からエンジンの掛かりが悪かったという西さんのT360。 オーバーフロー(ガソリン漏れ)が起きていたので、代用品として二輪用のフロートを使用していたが、完全には直らず騙し騙し乗ってきた。 部品取り用個体から降ろしたエンジンを確認したところ、キャブレターの内部は幸いにもそれほど傷みがなく、フロートを使うことができた。 ▲部品取り用個体から摘出したフロートは綺麗に残っていた。フロートのレベルやメインジェットを点検・調整してマッチングした ●4.エンジンオイル漏れを修理 スターターモーター取付部のOリング(密封用パッキン)が劣化し、ガソリンがオイルパンの中に混入。 シールを溶かしてしまった。 部品があったので交換することができた。 ▲この写真はオイルフィルターケースだが、フチの部分にOリングが付いている。この部品は劣化すると延びてオイルが漏れてしまう ●5.シリンダーヘッド、ウォータージャケットプレートの腐食によるオーバーヒートに対応 水温が上がりすぎていることに気づいて確認してみると、ウォータージャケットスペーサーが腐食。 シリンダーヘッドへ水が流れにくくなり、オーバーヒートを起こす寸前だった。 原因は、前オーナーが冷却水の代わりに水を入れてしまったことだ。 ウォータージャケットスペーサーを自作して取り付けて対応した。 ▲T360のウォータージャケットスペーサー ▲取り外すと腐食部があらわに ●6.クラッチリターンスプリングが折れて交換 西さんがT360を購入して数カ月で折れてしまったクラッチリターンスプリング。 考えられる原因は、前オーナーが住んでいた農村地帯の悪路でクラッチを酷使していたことだ。 また、その土地は寒冷地でもあったので、気温差による湿気などによって錆が発生し強度が低下していた可能性がある。 ▲ブレーキリターンスプリングも折れる可能性ありと判断し、ストック品に交換した ●7.ブレーキオイル漏れを修理、およびリザーバータンクの交換 車検対応のため、ブレーキとクラッチのインナーキットを交換。 使用した部品はホンダS500、S600用のもの。 ブレーキ側はプライマリーカップとセカンダリーカップからオイル漏れを起こしていた。 ▲ブレーキ、クラッチとも同様のインナーキットを使用するが、クラッチは付属のチェックバルブのみ使用しない ▲ブレーキとクラッチのリザーバータンクが経年劣化で割れていたため、三菱 デリカトラック用の部品を流用して交換 ●8.フューエルラインの目詰まりにより他車種の電磁ポンプに交換 西さんのT360は、エンジンの不調により断続的に不動の時期を経験している。 不動となったある期間、販売店の展示車輌として店頭に飾られていた。 その間まったく動かさなかったので、燃料タンクに残っていたガソリンが劣化し、湿気なども影響して錆が発生していたようだ。 そんななか、販売店がT360を移動させることになり、エンジンを掛けようと添加剤やケミカル用品を使ったのが災いしたらしい。 化学反応によって溶けた不純物や錆などが、純正の機械式フューエルポンプにダメージを与えて使用不可となってしまった。 そこで西さんが電磁ポンプ化。 ホンダ N360用の電磁ポンプを流用した。 なお、フューエルメーターと燃料タンク内のユニットは各々6ボルトのものを使用しており、それを直列に接続し、12ボルトで使用している。 点検の際には各々に12ボルトをかけると故障の原因となるので、注意を要するという。 「ここが二輪メーカーらしい点ですね」と西さん。 ▲N360用を使用 ●9.オイルポンプのストレーナーの目詰まりを解消 ストレーナーが目詰まりした原因は、おもに前オーナーのオイル管理だが、受難が重なって起こったといってもいいだろう。 オーナーが西さんに変わってから良質オイルを使用するようになったことで、内部が洗浄剤によって洗い流され、汚れが詰まってしまった。 さらに、いたずら被害にも遭っている。 何者かに泥やゴミなどの異物を混入させられていたそうだ。 また、エンジンオイルの給油口に誤ってガソリンを入れられるというスタンドのミスにも遭遇している。 修理を行なう際、ストレーナーは西さんが自作した。 本来メッシュの規格は「#70」だが、調理用のザルが使われている。 ▲目詰まりや破れがあり、オイルストレーナーを自作。現在はホンダS500、S600用もリリースされており、流用できるそうだ ●10.割れたサイドウインドウの交換 あるきっかけで飛び石を食らってしまい、左側のサイドウインドウガラスが割れてしまった。 そこで部品取り個体から流用。 右ドア側のガラスが使用可能な状態だったので、ガラスホルダーを左用に差し替えたうえで左ドア側に流用した。 ▲左右のガラス形状が平面かつ対称だったため流用が可能だった ●11.スタビライザーを取付 部品取り用の個体から摘出したスタビライザーを取り付けた。 西さんの1966年式ではすでに省略されていたパーツだったが、走行安定性の向上が実感できているという。 ▲「コーナリング性能の向上、ロールの減少が実感できている」と西さん ●12.ホーン(クラクション)のホーンリングをリフレッシュ ホーンが鳴らなくなっていたので確認したところ、ホーンリングが腐食していた。 表面を研磨して対応した。 ●今後の予定は? 部品取り個体から摘出したシリンダーヘッドの動力部を使い、再調整を行なう予定だという。 ▲部品取り個体から摘出したシリンダーヘッドの動力部。分解と清掃が行われた ■【試乗ゲスト】T360を体験 ▲T360を眺めながらクルマ談義で盛り上がる西さんと平田さん 今回は試乗ゲストを迎えて、T360を体感していただいた。 ゲストの平田さんは昔からホンダが好きで、ステップバンを所有していた時期もあるそうだ。 ホンダを含めたさまざまなクルマを乗り継いできた平田さんだが、T360は初めてだという。 平田さんにT360に乗った感想を伺った。 平田さん:「T360のエンジンがあそこまで回るとは思っていませんでした。昔、EG6(ホンダ シビック)に乗らせてもらったときを思い出します。“カムに乗った回転”というか、一気に吹け上がるフィーリングに鳥肌が立ちました。まるでチューニングエンジンみたいですよね。 エンジン内部を見せていただけたのも貴重な体験でした。燃焼室は、昔の理論の半球型だったのは予想できましたが、結構トンガったカムシャフト、ダブルのバルブスプリングなど、トラックのエンジンとは思えないメカが興味をそそりました」 ■T360と今後について こうして当時とほぼ変わらない走りを取り戻しつつあるT360。 西さんはこのT360と今後どんな付き合い方をしていこうと考えているのだろうか。 西さん:「所有し始めて50年が経ちました。部品は少なくなりましたし、これまで幾度となく路上故障も経験しましたが、同じクルマに乗る仲間に恵まれ、T360に乗ってから良いことばかりだと思っております。今後もなんとか車検整備も行なって、バージョンアップもできるだけ行ないながら大事にしたいです」 ■取材後記 取材中に筆者も、わずかな時間ではあったがT360を運転させていただいた。 不慣れな右コラムMTに戸惑いつつ走った。 この右手で操作するコラムシフトもT360独特のものだ。 ▲シフトパターンがハンドルコラムカバーに刻まれている ▲T360は4MT。スピードメーターパネルに書かれたギアポジションに沿って変速する。スピードメーターのスピード表記の内側に黄線で示されているのが各ギアの守備範囲。タコメーターの代わりとして使える 試乗中にひとつ驚いたことがあった。 それはアクセルレスポンスの良さだ。 筆者の愛車はS2000。 なので最初は「ホンダ四輪の元祖だから、フィルターが掛かっているのでは?」と自分を疑ったが、やはりアクセルの開度に対してエンジンがしっかりとついてくる感覚があった。 ホンダがF1で培った技術が生かされているのかもしれない。 しかしあらためて思う。 どこまでも回っていくような甲高い「ホンダ・ミュージック」を奏でながら走るその姿に「S2000のルーツはT360にあるのだ」と。 T360との間には40年近い年式の差があるにも関わらず、エンジンのフィーリングは脈々と受け継がれているのだ…と。 貴重な体験ができた印象的な取材となった。 内燃機関のクルマにいつまで乗れるかはわからないが、T360が1台でも多く残っていくよう、いちホンダオーナーとして願わずにはいられない。 ▲筆者の愛車と並べて記念撮影 [取材協力 / 吉備旧車倶楽部][ライター・野鶴美和 / 画像・野鶴美和, 西栄一(修理部分)]

ニュージーランド・インタビュー「2Degrees」 ~ トヨタセリカを持ち込んだ、前代未聞の「駐在員」
旧車の愛好家たち 2023.10.19

ニュージーランド・インタビュー「2Degrees」 ~ トヨタセリカを持ち込んだ、前代未聞の「駐在員」

「六次の隔たり」(6 Degrees of Separation)をご存知だろうか。 この地球上では、相手が誰であろうが、最大でもたった6人の「知り合い」をたどれば「つながる」ことができるという説がある。 人口が僅か500万人ほどの島国であるニュージーランドは「六次ではなく二次(2 Degrees)の国」であるというのが一般的な理解で、国内にはその名を冠した携帯キャリアが存在するほどだ。 事実「小学校が同じ」、「兄弟と知り合い」などといったことは日常茶飯事だから面白い。 そんな「みんなが知り合い」という特色を利用して、旧車オーナーや業界人を次々とご紹介いただき、「つながる」ことを実感しようというシリーズ。 それがこのインタビュー「2 Degrees」だ。 オークランド在住のtomatoです。 第3弾となる今回は、第1弾*のご夫婦を通じて知り合った方で、日本の大手金融機関からニュージーランドに派遣された、日本人駐在員である「トム(Tom)さん」をご紹介します。 何を聞くにしても話すにしても、クルマのこととなると目を輝かせるトムさん。 旧車ミーティングで、見ず知らずの方々とつぎつぎに仲良くなっていく姿はとても印象的です。 トムさんのクルマに対するこの真っ直ぐな情熱と社交性は、一体どこから来るのだろうかと純粋に興味を抱いていました。 彼のプライベートライフは旧車で満ち溢れています。 この記事を読み終えたあと、筆者がそうであったように、きっと多くの読者の方々が「こんな駐在員は見たことも、聞いたこともない」と思われることでしょう。 ■過去(前期): 孤独なクルマ少年  ●最初に「クルマ」に興味を持ったキッカケを教えてください トムさん(以下トム)「それがよく分からないんですよね。とにかく、見るクルマ、見るクルマの名前を覚える子だったようですよ。きょうだいのなかで唯一の男の子だったから、ミニカーとかプラモデルとかたくさん買ってもらいましたね。今考えても甘やかされて育ったと思います」 3歳のときに作った、マツダ「コスモスポーツ」のゼンマイで動くプラモデルを、今でも鮮明に覚えているそう。 父方のおじいさまが「これからはエンジニアの時代だ」と、そのプラモデル以降もたくさんのミニカーを買ってくれたのだといいます。 ミニカーといっても、1/64サイズの「トミカ」ではなく、1/43サイズの「DINKY (ディンキー)」や「CORGI (コーギー)」といった外国メーカーが中心であったこと、昭和40年代でまだまだ「日本車はこれから」という時代であったことから、輸入車が大半。 小学校に入ると、トム少年は、「タミヤ」、「オオタキ」、「ハセガワ」といった、本格的なプラモデル遊びへとステップアップしていきました。 そして、ときは昭和50年代前半(1970年代後半)、いよいよ池沢さとし氏(現池沢早人師氏)の「サーキットの狼」をきっかけとした、「スーパーカーブーム」がやって来ます。 ですが、当時の子供たちがフェラーリやランボルギーニに狂喜乱舞した時代だというのに、ずっとひとりで遊ぶ少年だったそうで、今の社交的なトムさんからはとても想像ができません。 一方の母方のおじいさまの「甘やかしぶり」も負けてはおらず、アメリカ出張のお土産では、「Cars In Profile(カーズ イン プロファイル)」というハードカバーの洋書を渡されたそう。 まだ小学校高学年だった彼が、辞書片手に読破したというのだから驚きです。 ●その洋書に関して、何か記憶に残っていることはありますか? (トム)「実は、高級2ドアクーペ特集にあったフランスの『ファセル ヴェガ』が、今でもボクのドリームカーですね。このクルマね、5リッターのクライスラーエンジンを搭載してるんですよ。この『無駄使いっぷり』や『場違い』なところが、たまらなく愛おしいんです」 ▲ファセル ヴェガHK500 中高校生になっても、彼のクルマへの興味と情熱は変わることはなかった様子。 1978年9月に発行された日本版「カー・アンド・ドライバー」の創刊号を購入したことを覚えているというのです。 さらに、カー・アンド・ドライバー誌がおもに新車を扱うのに対して、旧車を扱う1979年10月に創刊された「ザ・スクランブル・カー・マガジン」(現「カー・マガジン」)も購入していて、創刊号の付録だったホンダ ステップバンのペーパークラフトを作ったそう。 その後、両親の勧めでキリスト教系の大学に進学したトム青年は、家のクルマであった1977年式のマツダ ルーチェレガートで通学することになりました。 ところが、残念なことにその大学には自動車部がなく、そこでも孤独の日々が続いたといいます。 最終学年では、ミシガン工科大学へ留学。 アメリカのビッグ3(GM、フォード、クライスラー)のお膝元だけあって日本車は少なかったのですが、降雪地であることを理由にスバル車だけはよく見かけたそう。 そして日本に帰国。 大学を卒業した彼は、現在も在籍している大手金融機関に就職するのでした。 ●では、その金融機関に就職してから現在のように社交的になったのですね? (トム)「いいえ。まだ変わりませんね(笑)。就職してからは、社宅で整備書を片手に、独学でクルマのクラッチ交換をする奇妙な青年として映っていたと思いますよ」  ■過去(後期):人生の転機「アメリカ駐在」 1995年、ロサンゼルスへ赴任することになったトムさん。 ボーイング、ロッキードマーチン、AMDなど名だたるアメリカ大手企業を顧客とした業務を行なっていました。 驚いたことに、現地での愛車は、中古の日産 300ZX(Z31型2シーター)とメルセデスベンツ Sクラス280SE(W126)だったそう。 ●駐在員といったら、新車を購入されるのが普通ですよね? (トム)「ですね。周りは当時のベストセラー3強のホンダ アコード、トヨタ カムリ、フォード トーラス、マネージャークラスの人達は、アキュラ レジェンドとかレクサス ESとかの新車でしたからね(笑)」  しばらくして、トムさんは(今でも所有されている)オレンジ色の日産 240Zを買うことに。 そう、あの「悪魔のZ」でもおなじみのS30型です。 これを機に、Zのオーナーズクラブである「グループZ」に入るのですが、ここから彼の人生が急激に変わり始めます。 1998年は、北米各地域にあるさまざまなZカークラブが集結する祭典「Zカー コンベンション」(https://zcca.org/convention-info/)がニューメキシコ州で開催されるということで、所属クラブの企画で、トムさんの240Zを含めて7~8台のZでLAから現地に向かったそう。 その道中、なんと彼の240Zがオーバーヒートで立ち往生してしまう事態に。 しかし、ここでクラブのメンバー達に助けられ、なんとか全車揃ってイベント会場へ辿り着くというドラマチックな出来事があったのでした。 ▲Zカー コンベンション  ●これは新しい発見だったんじゃないですか?  (トム)「これまでは独学で、ひとりでの『クルマいじり』がすべてだったんで、この『共通の趣味を持つ仲間との絆や交流』というものにひどく感動しましたね」 ●その後、トムさんの人生に具体的な変化はありましたか? (トム)「2000年にはミスターKさん、つまり、故・片山豊さんと日米の『Z CARクラブ』の交流をキッカケにして、日産自動車の援助で日本の『Z CARクラブ』の有志が20数台のフェアレディZを日本から運び、LAからラスベガス(同年の『Zカー コンベンション』会場)まで乗っていく企画をやりました。また、2001年には日産自動車が全面的にバックアップするカタチで、日本でも同様の祭典『Zカー フェスタ』を始めるまでに成長しました」 ここでついに「社交家トムさん」の誕生となったのです。 ▲Zカー フェスタ ■東京都と千葉県の「2拠点生活」 アメリカから帰任したトムさんは、会社の制度により、2001年にフランスへ留学することに。 パリからクルマで1時間ほどのフォンテーヌブローという街にある、世界有数のビジネススクールINSEADにてMBA(経営学修士号)を1年で取得しました。 これでアメリカに加えて、欧州での実体験を得たことになったトムさん。 フランスから帰国した彼は、吉祥寺の実家に置いていた「人生を変えたオレンジ色の240Z」を移す必要に迫られ、2002年に千葉県に家を購入。 純粋にクルマのためでした。 そして、平日は賃貸住居を拠点とし、週末や長期休暇は別荘で暮らすという「2拠点生活」がスタートしたのです。 別荘には整備場を設け、さらには既成の4台用カーポートをDIYで、2~3年かけて9台用にまで拡張していきました。 スペースができて、いざクルマを買っていくと、分かったことがあるといいます。 自分は「ずれたクルマ」、「売れないクルマ」、「不人気なクルマ」が好きなのだと。 ●でも、「フェアレディZ」は王道のスポーツカーデザインではありませんか? (トム)「Zは目(ヘッドライト)が窪んでて変でしょ?」 なるほど。 そんな彼はある日、オークションに出てきた「スバル レオーネRX-A」が、アメリカ留学時代にミシガン州で見たスバル車の思い出と重なり、衝動買いをしてしまいます。 これが「スバル愛」が始まったキッカケとなり、別荘にあるスバル車は計8台にまでにふくれあがることに。 その結果、今ではスバル車のコレクションを介した「つながり」で、スバルの現役/OBエンジニアを中心とした方々が定期的に集まる「憩いの場」になっているそうです。 ■現在:驚きの旧車コレクション 2021年2月、トムさんはニュージーランドへ赴任しました。 おもに自動車ローンなどを事業の柱としている、ニュージーランド国内のとあるファイナンス会社を100%子会社したことに伴い、そのマネジメントチームの一員に加わったことが理由です。 記事冒頭のトヨタセリカGTVは、前述の別荘の旧車コレクションの1台で、プライベートの顔の「名刺代わりに」と赴任する際に日本から持ち込んだものですが…。 驚くことに、2023年10月執筆時点で所有する旧車が、ここニュージーランドでもすでに10台にまでにふくれあがっておりました。 まずは日系4台からご覧ください。 ▲日本車#1 トヨタ セリカGTV(1975年) ▲日本車#2 スバル レオーネGFT(1978年) ▲日本車#3 スバル ブランビー(1981年) ▲日本車#4 スバル ブランビー(1985年) そして、欧州系6台がこちらです。 ▲欧州車#1 ヒルマン インプ(1969年) ▲欧州車#2 シュコダ サブレMB1000(1969年) ▲欧州車#3 オースチン 3リッター・バンデンプラ仕様(1972年) ▲欧州車#4 ジャガー XJ6シリーズ1(1973年) ▲欧州車#5 ボクスホール シェベット(1978年) ▲欧州車#6 オースチン モンテゴ(1988年) 驚くのはこれだけではありません。 駐在を始めて1年も経たずに、なんと、あるニュージーランド人と意気投合し、旧車のレストア事業を「サイドビジネス」で立ち上げていて、今では商品化した旧車を日本へ輸出販売しているのです。 ■未来:旧車仲間との継続的「つながり」 ●今後の夢をお話いただけますか? (トム)「たくさんの旧車を介して世界中のみんなと遊ぶのが、現在進行形で楽しくてしょうがないんです。これをどうしたらサステナブル(継続的)に長く続けれらるか。それが今の夢ですね」 嬉しそうにそう語る姿から、人生を大いに豊かにしてくれた日本や世界のクルマ仲間との「つながり」をさらに発展させていくことに、トムさんが心底喜びを感じていることがひしひしと伝わってきました。 だからこそ、前述のレストアビジネスを軌道に乗せ、日本とニュージーランド両国の旧車業界を繋げる役割を果たしていきたいそうで、ニュージーランドの旧車社会を視察するツアーの企画、日本の整備学校との提携を通した旧車レストア技術の維持、旧車イベントやミーティングの開催など、やりたいことが山ほどあるのだとか。 旧車社会にとって、とても貴重な人材であるともいえるトムさんを、これからも応援していきたいです。 ■取材後記 トムさんは任期を終えれば日本へ帰国する駐在員です。 にもかかわらず次々に旧車を増車していき、さらには旧車のレストアビジネスまで立ち上げてしまうのですから、その規模やスピード感にとても驚きました。 しかしながら、インタビューを通じてわかったのは、彼にとってはそのいずれもが驚くようなことではなく、仲間との「つながり」を発展していくために必要な手段、ロジカルな行為ということでした。 事実、ニュージーランドで収集した旧車はサイドビジネスで作り上げた商流を使えば日本の別荘に難なく運搬できるのですから、理にかなっていることがわかります。 最後に、筆者が「前代未聞」だと感じたのは、目の前で起きている結果よりも、内面から彼自身を突き動かす「その一途な情熱」だったのかもしれません。  [ライター・tomato / 画像・トムさん, Dreamstime]

エビスサーキット東コースを攻める!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.7
旧車の愛好家たち 2023.10.10

エビスサーキット東コースを攻める!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.7

今年の4月にエビスサーキット西コースを走ってからおよそ半年。ようやく連日の猛暑日から解放されつつあった9月下旬のある日、手作りの6輪F1タイレルP34がふたたびエビスサーキットを走るということで現地に向かった。 エビスサーキットがある福島県二本松市の天気は予報では曇り。直前まで雨が予想されていたが、綿引氏曰く「俺は晴れ男だから大丈夫!」と自信たっぷり。 事実、多少雨には降られたものの、走行会終了まで何とか天気は崩れずに済んだ。綿引氏の晴れ男パワー恐るべし!!(笑) ■今回の舞台となったのはエビスサーキット東コース 綿引氏にとって半年ぶりのエビスサーキットだが、前回は西コース、今回は東コースで走るという。同日に開催される走行会が東コースで行われることになっており、当日のタイムスケジュールのなかにタイレルがコースを占有できる枠が組み込まれていた。 ちなみにエビスサーキット東コースは、綿引氏が若いころに2輪のレースに参戦していたときによく走っていた馴染みのある場所でもあるという。 若かりし頃の綿引氏が、まさか数十年後に自身で製作したF1マシンのコクピットに収まり、エビスサーキット東コースを攻めているとは夢にも思わなかっただろう。 ■この日のタイレルP34の走行枠は全3回/計90分 午前9時からミーティングがはじまり、9時10分から慣熟走行、そして9時30分から45分ほど参加者の方たちのフリー走行の枠となる。タイレルの1回目の走行枠は10時15分から30分間。 サポートメンバーの皆さんの手により、キャリアカーからタイレルを降ろし、ピットまで運ぶ。フロントカウルをボディフレームに装着。 各部のチェック、そしてタイヤの空気圧チェックが行われ、やがてタイレルP34のエンジンに火が入るとピット内の空気が一気にと引き締まる。 なお、今回のタイレルに搭載されるハヤブサのエンジンは、半年前に西コースで走らせたときとは別モノだという。 ■今回、フロントホイールとサスペンションのマウント位置を変更 今回のサーキット走行におけるハイライトのひとつが、フロントに装着した4本のアルミホイール。電子部品を作る機械の製造販売を主軸に、自動車の部品加工なども手がける株式会社中村機械(本社は富山県氷見市)によって特注した逸品だ。 そしてリアのサスペンションの取り付け位置も変更されている。これまでよりも取り付け箇所が一段上げられた。 ■まずは1回目のフリー走行! 各部の様子見も兼ねて1回目のフリー走行はスローペースでスタート。数周してピットインし、この日は、綿引氏の若かりし頃からの先輩だというO氏が応援に駆けつけ、タイヤの空気圧チェックなどを行う。 ひととおりのチェックが完了し、問題なしと判断して再度コースイン!少しずつペースをあげていく綿引氏。晴れ男の"面目躍如"で、心配していた雨もどうにか回避できそうだ。 しかし、何度かのピットインののち、デフ付近からわずかながらオイル漏れが判明。そこで綿引氏自らタイレルの下に潜り込み、腕を伸ばしてスマートフォンで気になる箇所を撮影しながら状況を確認。その結果、周回に問題なしと判断し、ふたたびコースへ。ハードに攻め込んでいるからこそ判明するウィークポイントともいえるだろう。 ■2回目/3回目のフリー走行では安定した周回を重ねる 昼食をはさんで午後から2回目のフリー走行に入る。コース上でスピンすることも、スローダウンすることもなく、安定した状態を維持したまま周回を重ねて行く綿引氏。筆者も撮影のあいまにギャラリーに混じり、ホームストレート上でスマートフォンで動画撮影を試みるも、1回目は速さのあまり追い掛けきれなかったほどだ。 この日、乗用車でエントリーしたメンバーの皆さんが決して遅いわけではない。それを上回る速さでタイレルP34がラップを重ねているということだ(撮影も大変でした)。 ■エントリー車のなかでトップタイムをマーク! 今回、エントリーした車輌のなかでは唯一のフォーミュラマシンとはいえ、トップタイムをたたき出した綿引氏とタイレルP34! 「フォーミュラカーなんだから乗用車より速くて当然じゃん」と思う人がいるかもしれない。しかし、そこは敢えて異を唱えたい。この連載では何度も繰り返してきていることだが、綿引氏のタイレルP34はコンプリートモデルではない。ハンドメイドなのだ。ホームセンターなどで売られているアルミの板や角材を切り貼りして、叩いて形作られたモノなのだ。この1年、本業のあいまに実走行でトライアンドエラーを繰り返し、完成度を高めてきたのだ。 そして何より、ハヤブサのエンジン他、綿引氏が試行錯誤して選んだ部品の集合体でもある。製作段階で精度が低い状態だとしたら、サーキットを攻めた時点で溶接がはがれてしまうことも考えられる(長野ノスタルジックカーショーにタイレルを展示した際、ドラッグマシンのレーシングカーを製作した経験を持つアートレーシングの村手氏からにお墨付きをもらうほど、このタイレルは強靱なボディを誇っている)。 しかし現地ではそんな心配などまったく無用で(綿引氏に対してそんな心配をするのが失礼に思えてしまうほどだ)、むしろラップタイムや連続してサーキットを周回できるタフさにただただ驚くしかなかった。 ■熟成が進みつつある手作りの6輪F1タイレルP34! このタイレルP34は単なるスポーツ走行を楽しむためにエビスサーキット東コースを走っているのではない。マシンのセッティング、そして各部の熟成、ウィークポイントの洗い出し、それはまさにレーシングカー、ひいてはフォーミュラマシンが本番のレースに向けてマシンのセッティングを煮詰めるのと何ら変わりはない。もはやデモ走行の域を完全に超えているのだ。 つまり、このタイレルP34はサーキットを「攻められる」フォーミュラマシンだ。この日も、トータルで1時間を超える周回を重ねてもリタイヤすることなく、無事に走行を終えることができた。綿引氏自身も、タイレルP34のセッティングおよび熟成が進んできている手応えをつかんだようだ。 なかには口さがない読者もいるかもしれないが、このマシンがサーキットを攻めている光景を目のあたりして同じことがいえるだろうか。おそらくは全員が脱帽(そして感激)するに違いない。その実感を1人でも多くの読者の皆さんに伝われば幸いだ。 なお、この日の模様はCBR WATAHIKI YouTubeチャンネルでも公開されているので、ぜひチェックを! ●Six Wheeler Drift | Handmade Formula One in Japan | Tyrrell P34 | CBR WATAHIKIhttps://www.youtube.com/watch?v=5HF7BgqPNdI ●エビスサーキット東コース外部映像、テロップ説明付版https://www.youtube.com/watch?v=I5WlBnvTadU 余談だが、実はこの日、ちょっとしたサプライズがあった。綿引氏が当日、現地で決めたという。それは別の記事でご紹介したい。 ■手作りの6輪F1タイレルP34とは? 茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI(以下、CBR WATAHIKI)」代表の綿引雄司氏が、仕事の合間を縫って手作りで製作している、6輪が特徴的なF1マシン「タイレルP34」。 その完成度の高さから、ネット上ではタイレルP34のコンプリートマシンを綿引氏が所有していると誤解されることもしばしばだ。 また「タイレルP34のレプリカ」と評されることもあるが、綿引氏独自の解釈で製作された箇所も少なからずある。 そのため、忠実なレプリカというわけではない。 つまり、この「レプリカ」という表現がこのマシンに当てはまるかどうかは人それぞれの解釈に委ねたい。 製作者である綿引氏によると、このF1マシンが存在することは、タイレルのルーツでもあるケン・ティレル氏のご子息、ボブ・ティレル氏も把握しているという。 しかも、ボブ・ティレル氏は好意的に受け止めてくれているとのことだ。 ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA ■Special Thanks! エビスサーキット ●営業時間8:30~17:00(GATE OPEN8:30)/*冬期間9:00~16:30(GATE OPEN9:00)*大会やイベントで変更になる場合もあり●定休日:毎週水曜日 *水曜日が祝日の場合、G.Wの場合、お盆休みの場合などは営業する日もあり ●住所:〒964-0088 福島県二本松市沢松倉1番地*案内図:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.ebisu-circuit.com/images/ebisu_syuhen.pdf●TEL/FAX:TEL:0243-24-2972/FAX:0243-24-2936●E-Mail:autoland81@techno-as.com●URL:https://www.ebisu-circuit.com/●Twitter:https://twitter.com/ebisu_circuit●Facebookページ:https://www.facebook.com/EBISUCIRCUIT.JP/●YouTubeページ:https://www.youtube.com/user/ebisucircuit●LINE:https://page.line.me/whe3251y?openQrModal=true 株式会社中村機械(今回、タイレルP34のフロントホイールを製作) ●URL:https://nakamurakikai.co.jp 氷見本社/機械加工部品製造工場●住所:〒935-0037 富山県氷見市上泉145-1●TEL.0766-91-5585●FAX.0766-91-1855 射水 Factory/機械装置開発・設計・製造工場●住所:〒939-0281 富山県射水市北高木465-1●TEL.0766-95-5755 [ライター・カメラ/松村 透]

「そうだ、オープンカーに乗ろう」。魅力をオーナー目線で考えてみた
旧車の愛好家たち 2023.10.05

「そうだ、オープンカーに乗ろう」。魅力をオーナー目線で考えてみた

ある晴れた週末。 愛車のS2000で走っていたときのこと。 対向車線を走ってきたマツダ ロードスターとすれ違うとき、オーナーが片手をあげて挨拶してくれた。 筆者も当然のように手を振って応えた。 ロードスターは屋根が開き、オーナーの笑顔がよく見えた。 筆者も笑顔になった。 バイクでは「ヤエー」と呼ばれている挨拶である。 このような「心のハイタッチ」ができることは、オープンカーの魅力のひとつではないかと思う。 もちろん「ヤエー」は強制でもマナーでも何でもなく、わかり合っている者同士のコミュニケーションであるが、オープンカーに乗るとこのようなイベントを含めて非日常という刺激を味わうことができる。 前回のコラムで、オープンカーの魅力について少しふれた。 景色、匂い、温度、音の変化からドライブの余韻を味わったまま飲むビールのおいしさまで、五感 で楽しむ乗り物だと感じている。 ●18年・33万キロを駆けぬけてきた愛車、ホンダS2000の3つの魅力とは?https://www.qsha-oh.com/historia/article/attractive-3-points-of-s2000-s2k/ 今回はオープンカーのいちオーナーとして、魅力やオーナーならではのエピソードを綴ってみたい。 ■オープンカーの魅力 よく語られる「オープンカーの魅力」。 そもそも屋根がないというだけで非日常を楽しめるが、具体的な「魅力」とはどんな感覚なのか、 そして走らせているときはどんな感情なのかを改めて考えてみたい。 ●「オープンエアーを感じる」とは? オープンカーの魅力としてよく語られるのが圧倒的開放感、そして「風を感じて走る」こと。 走り出した瞬間、体が「風に包まれる」ような感覚を覚える。 風が吹きつけるというよりは「やわらかさ」を感じられて本当に心地良い。 風の感じ方は車種によって異なるだろうが、フロントガラスがあることで風当たりが緩和されるのかもしれない。 風と一体になったようなオープンエアーがクセになるので、屋根を開けて走る理由は大きい。 ●人生が楽しくなるとは? オープンカーに乗ると「所有の喜び」を感じられるのはもちろん、生活のさまざまな部分にこだわりたくなり、カーライフとリンクさせたくなる。 それは人生を楽しむことにもつながっていく。 例えば、オープンカーがきっかけでドライビングシューズを履く人もいるかもしれない。 愛車の色と 同じ色のシューズにすれば、愛車と離れている時間も愛車を感じることができ、所有の喜びを感じられる。 生活の些細な部分で幸せを感じる瞬間が増える。 筆者はオープンカーミーティングでオープンカーの仲間と知り合った。 20年近く経つが、仲間とは今も交流が続いている。 ▲※写真はイメージ ■オープンカーのベストシーズンは冬? オープンカーのベストシーズンが冬といわれるのはなぜなのだろうか。 春先は気候も良く、桜を見ながら走れてベストシーズンと思われがちだが、花粉症の人にとっては地獄の季節。 オープンドライブどころではない。 筆者の周囲にも「花粉症で屋根なんか開けられない」というオーナーは多い。 夏のオープンドライブは...やめておいたほうが無難だ。 カンカン照りの日中に屋根を開けて走る人を見かけることがあるが「オーブンカー」と呼ばれる通り。 重度の日焼け、熱中症の危険がある。 それに暑さは体力を消耗させる。 安全運転のためにも夏の日中は避けたい。 夏に乗るなら早朝か夕方が良いだろう。 秋は涼しく、紅葉の季節でもあってベストシーズンといっても良いかもしれないが、林道など山の中を走るときは虫に注意。 オープンカーはまれに虫が車内に入ってくる。 筆者はアブが入ってきて、追い払うのに苦労したことがある。 また、秋はスズメバチが攻撃的になる季節でもあるので要注意だ。 そうなると、やはり冬がベストシーズンなのである。 ■オープンカーのデメリットと対策 デメリットよりもメリットのほうが多いと思っているが、デメリットは工夫次第でカバーできるし、こだわりのポイントとして楽しむこともできる。 ●紫外線から目を守って疲労軽減 ファッションアイテムとして見られがちなサングラス。 もちろんファッション性も高いが、遮るものがないオープンドライブでも必需品。 紫外線から目を守って疲労を軽減してくれたり、飛来物から目を守ったりしてくれる。 軽量で強度のあるものだとなお良い。 ●手がベタつかない日焼け止め 日焼け止めは、こまめな塗り直しが必要とされる。 しかし、手にとって塗るタイプはベタついてしまうので、運転中に使うのは少し億劫かもしれない。 そんなときはミストタイプの日焼け止めを常備しておくと便利。 素早く使えるし、メイクの上からでもOK。 手がベタつかない日焼け止めはオープンドライブの強い味方といえる。 ●グローブは手汗や日焼けも防ぐ ロングドライブも多くなるのでグローブは必須。 冬は防寒として役立ち、夏は手汗でステアリングが滑るのを防いでくれる。 筆者はレーシングタイプが気に入っている。 手首までカバーでき、ふかふかしてつけ心地が良い。 それに、ジムカーナなどの走行会にも対応可能だ。 ●鳥の糞や雨漏りなどに備える タオルや洗車シートを載せておくと便利。 オープンにしていると、車内に砂やホコリが舞い込んで ダッシュボードが汚れがち。 気になったらサッと掃除できる。 筆者のS2000はウェザーストリップから雨漏りするので、雨水を拭き取るタオルを常備している。 それから、鳥の糞が落ちてくることがまれにある。 小鳥の糞は問題ないが、鷺のように大型鳥の糞になると大惨事! 筆者はフロントガラスに直撃した経験があり、大量の糞を拭き取るのに苦労した。 洗車シートを常備していれば、万が一のとき本当に助かる。 もし体に直撃したら...温泉にでも入りにいこう。 オープンカーに乗るには、おおらかさも必要かもしれない。 ▲基本はキャップだが冬場はニットキャップに。耳もカバーできて暖か。シーズン通してアームカバーよりも機能性アンダーウェアを着る機会が多いかもしれない ●幌の劣化を想定しておく オープンカーの最大のデメリットといえば、幌が破れてくることかもしれない。 ソフトトップの車種は、交換を見据えたメンテナンスが必要となる。 ハードトップの装着、屋内保管などで幌を長持ちさせる方法もあるが「開けてナンボだろ!」という人は、幌の限界を試すのも楽しいかもしれない...!? ▲S2000の純正幌は「HVデニム」と呼ばれるビニールレザー製。過去2回交換。破れるとシリコン剤で補修していた ■筆者のこだわりは? 筆者は隙があれば屋根を開けるタイプだが 「いつでも開けてます、オープンジャンキーです!」というわけではない。 仕事場へ向かうときはクローズだ。 緊張感もあるが、これから取り組む仕事に集中したいと思ってしまい、開けたいという気持ちにはならない。 仕事が終わった帰り道にオープンドライブすることはよくある。 長く乗るために遠回りすることも。 仕事の余韻と解放感を味わいながら走るのが好きだ。 筆者のオープンドライブは、メンタルと連動している。 ■とにかくオープンカーはいいぞ 旧車の国産オープンモデルは多く、選択肢が多いという魅力がある。 好みのスタイルや乗るシーンに合わせながら選ぶのは楽しいと思う。 これから秋も深まり、オープンカーでのドライブが気持ち良いシーズン。 今まさに購入を検討している方はぜひ。 「オープンカーはいいぞ!」 このひとことに尽きる。 [ライター・撮影 / 野鶴 美和]

ニュージーランド・インタビュー「2Degrees」~アルファ ロメオに出会ってしまった整備士~
旧車の愛好家たち 2023.10.04

ニュージーランド・インタビュー「2Degrees」~アルファ ロメオに出会ってしまった整備士~

「六次の隔たり」(6 Degrees of Separation)をご存知だろうか。 この地球上では、相手が誰であろうが、最大でもたった5人の「知り合い」をたどれば「つながる」ことができるという説があるほどだ。 人口が僅か500万人ほどの島国であるニュージーランドは「六次ではなく二次(2 Degrees)の国」であるというのが一般的な理解で、国内にはその名を冠した携帯キャリアが存在するほどだ。 事実「小学校が同じ」、「兄弟と知り合い」などといったことは日常茶飯事だから面白い。  そんな「みんなが知り合い」という特色を利用して、旧車オーナーや業界人を次々とご紹介いただき、「つながる」ことを実感しようというシリーズ。 それがこのインタビュー「2 Degrees」だ。 90マイルビーチ(ノースランド地方)より オークランド在住のtomatoです。 第2弾となる今回は、筆者がお世話になっている美容師さんからご紹介いただいた整備士の「ナオキ」さん。 実は「ナオキ」さん、美容師さんのご主人でもあるのです。ちなみにおふたりは新婚ほやほや。 オークランドCBD(中心部)からハーバーブリッジを渡った地域「ノースショア」に、愛車ロードスターを走らせ、彼の職場へ取材に向かった。 現在 / TODAY 彼の名字は珍しい、「大豆生田」さん。 読み方はさらに珍しく、「オオマニュウダ」と読むらしい。 栃木県に多い名字だそうだが、彼は東京都出身である。 整備士歴は、日本人メジャーリーガー的にいえば、日本・ニュージーランド通算でおおよそ10年になるそうだ。 ニュージーランドはワーキングホリデービザ制度で渡航し、(輸入中古車が、道路事情に適合するかを確認する)輸入車輌検査場で働き始めた。 だが、つまらなそうにしている彼に気づいたのか、整備知識や経験に対して、仕事内容が不十分だと察した同僚の勧めで、わずか2週間後には、現在の自動車整備工場に転職している。 ちなみに、その工場施設を折半で使用している板金会社が人手不足ということもあり、新しい挑戦として「板金工」の仕事も同時に行っている。 彼の職場で待っていたのは、赤いアルファ ロメオ 146だった。 1998年式の5MTだという。 もちろん、1.6リッターの自然吸気4気筒エンジンは、1気筒あたり2本のスパークプラグが配置されている「ツインスパーク」だ。 ●愛車のお気に入りポイントはどこですか? 「やっぱり、ツインスパークのエンジンですね。高回転では1.6Lとは思えないトルクがあって、エンジン音も良くて、NAエンジンらしく、回して楽しいですよ。それと、マニュアル車らしい“使い切る楽しみ”ですね。あと、どの他のメーカーとも似ていない、独特な顔も気に入っています。なんか『バルタン星人』みたいでしょ?これが『ダサかっこいい』んですよ」 ●もともと、アルファ ロメオが好きだったんですか? 「日本では、スバルブルーのGRB型インプレッサ WRX STIに乗っていて“速くないクルマはクルマじゃない”って思ってましたね(笑)。アルファ ロメオを持っているカズさん(現職の社長さん)と、このクルマの前オーナーがよく話しているのをそばで聞いているうちに、これが本当に不思議なもので、カッコ良く見えてくるですよ(笑)」 ナオキさんは「昔のクルマの方が、カッコイイ!」と語る。 第三者視点で見たときに、珍しい旧車を所有している人のゆったりとした「ライフスタイル」がクールと感じるそうだ。 確かに、ここオークランドでもアルファ ロメオの旧車は目立つだろうが、こんなにもクルマの趣味は変わるモノなのだろうか。 とても興味深い変化だ。 取材時も、愛車をリフトアップし、楽しそうにリアブレーキ周りで作業されていたのが印象的だった。 ■過去 / Yesterday では、そんなナオキさんの過去を聞いていこう。 「ナオキさんの愛車は、少し古めのイタリア車」と奥さまから聞いた時点で、筆者の頭のなかでは「旦那さまはタダモノではない」という予感があった。実際に取材を進めると、やはり「タダモノ」ではなかった。 ●現在の職業「クルマの整備士」につながる一番最初の記憶や出来事は何ですか? 「実は、バイクなんですよね(笑)」 なんでもナオキさんは、日本の「学校」というシステムに収まらない少年だったそうだ。 日本では「不登校」「やんちゃ」という言葉で表現されるのだろうが、いわゆる西洋の文化でいえば、才能の一種ともいえるかもしれない。 そんな訳で、一般的な人たちよりは、少しばかり早熟(?)だったナオキさん。このときに「機械をいじる」、すなわち「整備」が楽しいと感じたのがきっかけだそうだ。 ●もしかしたら、社会人1年目から整備士に?  「料理も好きだったので、高校へは行かず社会人としてシェフの仕事に就きました。でも、大検『大学入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)』も取得したので、資格だけでもあったほうが良いと思い、シェフをしながら整備士の専門学校に通ったんです」 ところが、専門学校は彼の苦手な枠組み、「学校」なのだ。 シェフの仕事が忙しいこともあって学校を休みがちになり、「もう学校を辞めよう」と思ったそうだ。そんなとき、学生生活のなかで唯一といえる恩師「市東(シトウ)先生」が声をかけてくれたのだという。  そんな恩師をナオキさんは、親しみを込めて「シトウちゃん」と呼ぶ。 ●どんな言葉をかけてくれたか覚えていますか? 「もちろん、覚えていますよ。『お前、センスいいんだから、ちゃんとやれ』とか、『ちゃんと学校に来い。卒業だけはしなさい』とか。あと、『自動車ディーラーとかで、メカニックになるべきだ』といってくれました。学校をやめる気満々だったボクを、強引に引き留めてくれました。運だけは、特に人運だけは良いんです(笑)」 実は、就職でも感動的なストーリーがある。 この恩師の頑張りで、なんと「学校推薦」で、T社系ディーラーの採用試験を受けることができたのだ。 ところが、結果はなんと不合格。 学校長は「学校推薦で落とされるなんて、前代未聞だ」と恩師と彼を叱責したそうだ。 そして後日、そのディーラーの就職担当者、校長、恩師、そしてナオキさんの4人で会合が行われたのだが、就職担当者から驚愕の発言があった。 「後日おこなう、一般入社試験であれば、合格にします」といったのだ。 そう、問題は彼の学歴だったのだ。 大検の彼では、社内的に学校推薦枠としての合格にそぐわないというのが理由だ。 当然、それを知った彼は「ふざけるな。そんな会社こっちからごめんだ」と激昂し、その場でオファーを蹴った。 しかしこのときは、さすがに自暴自棄になったそうだ。 それでも、恩師である「シトウちゃん」から「あと、1社だけ受けてくれ」という頼みを断ることができず、I社系ディーラーへの就職が決まるのだった。 ●実際に整備の仕事を始めてみて、楽しかったですか? 「整備が好きなんで、楽しかったですよ。朝9時から働き始めて、夜10時に終われば早いって感じでしたから、過酷でしたけどね」 ●そんなに忙しかったのですか? 「ボクらは、主に物流会社のトラックを扱っていたんで、『明日の朝には走れるようにして欲しい』とか、そうい依頼が多かったんですよ。だから、他の地域にパーツを取りに行って、それをその日に組み付けるとか」 ちなみに、ゴミ収集車やバキューム車の整備は、じゃんけん制で担当者を決めるというルールだったそうで、この点からもいわゆる「ブラック企業」ではなかったのかもしれない。 ●ニュージーランドに来ることを決めたのはなぜですか?そして、いつですか? 「18歳くらいから『日本から出たい』って思うようになりましたね。何の計画もなく、周りにも『オレは海外で、ゆったり暮らす』っていってましたから(笑)」  その思いの根本は、生まれつきの「冒険魂」なのかもしれない。それとも、学校をはじめとした右向け右の「枠組み」が違うと感じたからなのだろうか。 「20歳以降は、海外のヒリヒリ感がたまらなくて、毎年のように10日間ぐらいバックパッカー旅行をしていました。フィリピン、台湾、タイ、バングラディッシュ、インドって感じで。英語は、YESとNOくらいしか分かりませんでしたから、最初に訪れたフィリピンで現地の洗礼を受けました(笑)」 「海外移住を決心したのは、インドのガンジス川に入ったときです。『ああ、会社辞めて、海外に行こう』って。インド行ったことあります?うまく表現できないんですけど、インドの人々の活気や生命感がとても印象的なんです」  ナオキさんは、インドから帰国後、たった2週間で会社を辞め、単身フィジー留学を半年間経て、ニュージーランドに26歳で渡ったそうだ。 ■将来 / Tomorrow ●今後の目標や夢を聞かせてください。 「近いところでは、アルファ ロメオを塗装したいですね。でも、見積もりがNZ$4,000(≒35万円)で、腰が引けてます(笑)。あと、エアコンを直したくても、そもそもパーツが必要なんですけど、データベース上は品番が2種類存在していて、インパネ外さないと、そのどっちかも分からなくて(苦笑)」 苦労を楽しそうに語る、旧車好きに多い「ヘンタイ」(最上級の褒め言葉)な彼は、とにかくクルマという箱が、そしてエンジンが大好きなのだという。 いずれ旧車のレストアにも挑戦してみたいそうだ。 「人生という意味では、現状維持で毎日楽しく、好きな整備をしつつ、暮らせれば良いと思っています。今は、人生の分岐点じゃないと感じていて、例えば、『うちに来ない?』って、転職などの分岐点が訪れたときに、楽しいか、楽しくないかで決めれば良いと。運だけは、良いんです(笑)」 上下関係や年功序列などが希薄で、家族やプライベートの時間が優先されるニュージーランドの労働環境が、ナオキさんにはとても合っているようだ。 そんな充実した彼の顔を見ていると、改めて、人生は「行動力」で差が出ると思わざるを得ない。 彼の「行動力」は、飛び抜けているといって良いだろう。 それは右向け右には従わない、高校には進学せずシェフの道を選んだ「行動力」、自分には海外が合うはずと思い、バックパッカーを続け、思い立ったらすぐに日本を飛び出す「行動力」であったりだ。 彼は、終始「運だけはあるんです」と謙遜するが、そう思うことでポジティブな思考、ポジティブな仲間を得て、幸せな人生を歩めているのではなかろうか。 30歳になったばかりで、まだまだ若いナオキさんのこれからがとても楽しみだ。 いずれ、彼の愛車「アルファ ロメオ 146」のその後を報告できれば幸いだ。 美容師として活躍する奥さまと末永くお幸せに!  [ライター・撮影 / tomato、一部画像ナオキさん提供]

21歳大学生、アルファ ロメオ・145を増車して思ったこと
旧車の愛好家たち 2023.09.28

21歳大学生、アルファ ロメオ・145を増車して思ったこと

私(ライター・林)、この夏に新たなクルマをお迎えしました。 2001年式の「アルファ ロメオ 145」というクルマです。 右ハンドルの正規輸入車、色はシルバー。 すでに所有している2002年式のアウディ 初代TTは据え置きで、いわゆる“増車”というヤツです。 ご縁があって我が家にやってきたイタリアっ子、なかなか小粋で良いクルマ。 これから色々な場所に連れて行って、ドライブを楽しみたい素敵な一台。 …ということで、今日はそんな新たな仲間、アルファ ロメオ 145をご紹介したいと思います。 ■予想だにしない選択・アルファ ロメオ アルファ ロメオのクルマ、以前の私にとっては何だか縁遠く感じるものでした。 アルファ ロメオといえば妖艶で熱血派、そんなイメージがあったのです。 私にとって、クルマとは等身大で向き合うべき道具。 アルファロメオは私の生活には釣り合わない、明らかにトゥーマッチな、エネルギッシュな嗜好品だと考えていました。 ところが知人から「アルファ145興味ある?」という連絡が届いたとき、なんだか私でも扱いきれる気がしたのです。 写真にうつるアルファ ロメオは、さして特徴のないシルバーの塗色で、凹凸に欠ける四角いフォルムをしていました。 妖艶とはほど遠く、むしろ寡黙、悪く言うなれば地味な印象。 「これなら私でも普段使いできるかも」と思えたのです。 ヘッドライトはガラス製で曇らないし、リアウィンドウはかわいらしいポップアップ式の開閉機構付き。 そしてリアシートはダブルフォールディング(座面跳ね上げ式)で、フルフラットになる優れモノ。 ボクシーかつ低く構えた華美過ぎないデザインは、世界的に名を馳せるデザイナー、クリス・バングルによるもの。 魅力的に映らないはずがありません。 ■侮るなかれ、ぴりりと辛いドライブフィール 私のアルファ145に搭載されるパワーユニットは、直列4気筒DOHC16バルブ・排気量2Lの自然吸気エンジン。 一気筒あたり2本の点火プラグを有する、ツインスパークと呼ばれるエンジンです。 肝心のスロットルはワイヤー式で、アクセル開度に応じて自在にエンジンのスロットルを制御できる点が非常にグッド。 変速機は5速マニュアルです。 現車確認の舞台は都内某所。 交通量の多い幹線道路に出てアクセルを踏み込むと、実に気分よく加速していくのです。 大排気量エンジンの緻密さこそ持ち合わせていないものの、「クォーン」といった音がします。 吹けあがりも豪快で、ビュンビュン回るエンジンには驚きました。 2Lエンジンでも、こんなにも豊かなフィーリングを得られるものなのか…! 車線変更をしてみると、予想よりもクイックなハンドリングに思わずニンマリ。 アルファ ロメオのステアリングは、イタリアの峠道を愉しめるよう、鋭いハンドリングに仕立てられていると以前に聞いたことがありました。 少しハンドルを切っただけで、鼻先が軽く動く楽しさといったら! いつもなら苦痛な都内の幹線道路が、なんと楽しい事でしょう。 ■同じようなクルマでも、やっぱり全然違うから面白い そんなこんなで、現車確認中に「買います!」と宣言してしまったので、すで所有しているアウディ 初代TTとアルファ ロメオ 145の2台持ちをすることになりました。 初代TTとアルファ145は、全長・全幅・全高のスリーサイズはほぼ一緒。 変速機はどちらも5速マニュアルで、駆動方式がFFである点も共通しています。 ついでに年式もほぼ同じです。 「いやいや、その2台はキャラ被りじゃん」と思ったアナタには、ぜひ2台を乗り比べていただきたい。 私が所有する2台、スペックこそ近似しているけれど、全く異なった設計思想を感じるのです。 ドイツ的「特別なクルマ」である初代TTと、イタリア的「普通のクルマ」であるアルファ145。 2台乗り比べてみると、驚くほど異なっていて面白いのです。 まず、運転席から見える景色が全然違います。 初代TTが目指したものは、パーソナルなスポーツカー。 窓の天地は意図的に狭められていて、閉塞感を感じます。 運転していて、特別感があるのが嬉しいポイント。 対して、アルファ145の窓はかなり大きめ。 乗員が広々と感じられるように、ウィンドウデザインが工夫されている点が特徴的です。 全体のデザインを見比べてみると、明らかなる設計意図の違いを感じることができるでしょう。 アルファ145のデザインはスクエアで、室内空間を極力無駄にしないよう努力した痕跡が、あちこちに見られます。 対して初代TTは、曲線を多用してキャビンを大きく絞り込んでいるから、室内空間は非常にタイト。 デザインが最優先であったことを感じさせます。 初代TTの魅力は、直進安定性が高い(比較的応答性が鈍い)ハンドリングに、中間加速が気持ち良いターボエンジン。 休日にアウトバーンを駆け抜けることに適しているのかもしれません。 やっぱり、少し特別なクルマです。 対してアルファ145は、普段使いがより楽しくなるクルマ。 ストップアンドゴーが多い街中を駆け回るのが楽しい、愉快なクルマなのです。 ■2台あるともっと楽しい、等身大のクルマ遊び アルファ145と初代TT、どちらも捨てがたい魅力を有しています。 どちらも20年落ちの安価な輸入中古車、傍から見れば「壊れそうなオンボロばっかり集めて…」といった感じかもしれません。 けれども、この2台だったら、私は胸を張って乗り回せる気がするのです。 アルファ145と初代TTの2台は、私の「クルマ観」の体現に他なりません。 あっそうそう、そういえば、アルファ145は既にエンジンオイル漏れとフューエルリークで1回入庫させています。 コツコツと手を入れていって、少しずつクルマのことを理解して、懸念なく連れ出せるように仕上げることが当座の目標です。 ときどき、記事を通じてアルファ145のお話をすることもあるかと思います。 今後とも、お付き合いくださいね。 [ライター・画像 / 林哲也]

ドイツのHナンバー登録済み!1982年式メルセデス・ベンツ240D(W123)の魅力をオーナーに聞く
旧車の愛好家たち 2023.09.26

ドイツのHナンバー登録済み!1982年式メルセデス・ベンツ240D(W123)の魅力をオーナーに聞く

今回、オールドタイマーを所有する、とあるドイツ人の男性にインタビューをお願いしたところ、個人的にも大変興味深いお話を聞くことができました。 また、インタビューのみならず、実際に運転するという貴重な体験まで! 筆者の拙い運転体験記にも目を通していただけると幸いです。 今回インタビューを受けていただいたのは、ドイツ・ホルツミンデンにお住いで、1982年式メルセデス・ベンツ240D(W123)をお持ちのヴィルヘルムさん。 とても親切、気さくな方で、何をリクエストしてもすべて快く引き受けてくださいました。 人生初のオールドタイマー運転体験 クルマの第一印象は、昔の本や(ドイツの)映画・ドラマでよく見るような典型的なヘッドライトを持つ、良い意味で「古いメルセデス!」といったものでした。 しかし間近で見てみると、外観だけでなく、エンジンルームやシートまで全体的に綺麗な状態が保たれており、とても大切に乗られていることがよく伝わってきます。 ヴィルヘルムさんとクルマの話で盛り上がっていると、思いがけないことに240Dを運転してみないか、とのお話が。 もう10年以上はマニュアル車を運転していないため、若干の不安はありましたが、それよりもオールドタイマーを運転できる大変貴重なチャンスだと思い、運転させていただくことになりました。 筆者が過去に運転したことがある一番古いクルマを思い出してみても、もちろん自分より年上のクルマを運転した経験などありません。 マニュアル操作もすっかりぎこちなかったのですが、いざ運転してみるとエンストすることもなく、とても素直に動いてくれました。 ハンドルが重いということをいわれていましたが、そこまで気にならず、シフトチェンジも軽快。 途中からまるで、クルマに運転を教えてもらっているような感覚になっていて、運転にある程度慣れてくると、古さなどはまったく感じず、違和感なく運転することができました。 乗り心地は、一言で言うと快適そのもの。 シートは柔らかすぎず、しかしクッション性はしっかりしています。 一般道を走る速度帯では不快な揺れや振動もありません。 今のクルマに比べると遮音性は高くないので、ディーゼルエンジンの大きな音はそれなりに車内にも響き渡りますが、個人的にはそれも味があって良いなといった感想です。 ルートは主に山道でしたが、けっこうな勾配も2速あたりで力強く登って行ってくれました。 一般道での走行では3速でじゅうぶんといった印象。 とても優雅に走ってくれて、ギアチェンジの動作も自然とゆっくりやりたくなるような、時間を忘れてゆったり運転するのが似合うクルマだなと思いました。   取材車輌スペック いただいた資料を基に、ヴィルヘルムさんが所有する240Dのスペックについても紹介しておきます。 最高速度:138km/h加速性能(0~100km/h):22秒燃費:9,3L/100kmホイールベース:2795mm全長:4725mm全幅:1786mm全高:1438mm最小回転半径:11.25m車輌重量:1395kg最大積載量:520kg最大牽引能力(ブレーキあり):1500kg最大牽引能力(ブレーキなし):740kgエンジン:4ストロークディーゼルエンジン4気筒最高出力:72PS(4400/min)最大トルク:137Nm(2400/min)タンク容量:65L ヴィルヘルムさんにインタビュー ●いまお乗りのオールドタイマーのモデルについて教えてください メルセデス・ベンツ 240Dという1982年式のモデルです。 ●オールドタイマーに乗り始めたきっかけを教えてください 元々クルマは好きなのですが、このクルマに乗り始めたのは、義理の父から相続したことがきっかけです。 ●オールドタイマーの良さとは、どのようなところですか? 何かが故障しても、すべて自分で直せてしまうところですね。複雑な電装部品などが多くないので、何をするにしても自分で対処できてしまいます。そこがまた良いところだと思います。ただし、Hナンバー登録をしているので、リペアに使用する部品などには注意を払わなければなりません。(※Hナンバー登録、または維持するためには、修理もすべてオリジナルの部品でおこなわなければなりません) ●どのくらいの頻度で乗っているのですか? 基本的には、天気の良いときだけ乗るようにしています。スタッドレスタイヤは持っていないので、冬は乗りません。だいたい、5月から10月のシーズンですね。また、夜に乗ることも少ないです。ヘッドライトが頼りないので(笑)。 ●故障はありますか? 故障はまったくないです。一度だけ燃料メーターの不具合がありましたが、それ以外に走行に支障をきたすような故障はなく、燃料メーターの交換以外で修理を施したことは一度もありません。 ●年間の維持費について教えてください Hナンバー登録なので、税金が190ユーロ、保険が206ユーロです。保険は年間6000キロまでという走行距離の制限がありますが、先ほどいったように、基本的には天気の良い日にしか乗らないので、じゅうぶんです。日常的に使う人は、保険料はもう少し高くなるのではないでしょうか。 ●ドイツではたくさんのオールドタイマーが走っていますが、専門の修理工場やサービスが充実しているのですか? 専門工場はあるにはあるのですが、そこまで多くはないと思います。私が知っている限りでは、シュトゥットガルトにメルセデス・ベンツのオールドタイマー専門の修理工場があります。もし何か必要であれば、そこに相談をして部品の調達などを任せることになるかと思います。(後述するような)オールドタイマー乗りが集まるクラブで修理工場などを紹介してもらうことも可能かと思います。一般的なディーラーや工場では、修理や部品の調達はできません。 ●オールドタイマー乗りのためのクラブ・愛好会などはありますか? あります。場合によっては登録手続きなどが必要になるかと思います。私は特に入っていません。 ●オールドタイマー乗りにとって、もっと改善してほしいことはありますか? 特にありませんが、強いていうなら、周囲のドライバーにはもう少し思いやりを持っていただけるとうれしいですね(笑)。 ●オールドタイマーに乗るメリットについて教えてください とにかく運転が楽しいことです。天気の良い日にこのクルマを運転していると、本当にすべてのストレスが吹き飛びますよ。 ●逆に、オールドタイマーに乗るデメリットがあれば教えてください まったくありません。あえて挙げるならば、パワステがないということと、新しい世代のクルマに比べると、動作が重かったり鈍かったりすることくらいでしょうか。 ●オールドタイマーを維持するうえで、一番大変だと感じることはなんですか? これは間違いなく、万が一故障したときの部品の調達ではないでしょうか。 ●ドイツでオールドタイマーに乗っていて、肩身が狭いと感じることはありますか?あるとすれば、どのようなところですか? オールドタイマー全般という観点からすれば、排気ガスの関係から、環境保護エリアやディーゼル車乗り入れ禁止エリアでは走行できないということでしょうか。ただし、オールドタイマーであってもHナンバーさえ取得していれば、そのようなエリアでも走行することが許されています。ですので、Hナンバーを取得したオールドタイマーにとって肩身が狭いと感じることやデメリットは、まったくと言って良いほどありませんよ。 ●今乗っているオールドタイマーの一番のお気に入りポイントはなんですか? ずばり、運転が楽しいことです!それに尽きます。 ●今乗っているオールドタイマーを一言で表すと? 一言で表現するのは少し難しいですが、「清楚」でしょうか。しっかり自分で手入れをして、愛情を注いできれいに保ち続けると、クルマもそれに応えるかのように素晴らしい性能を保ち続けてくれるのです。 おわりに お話を聞くなかで、ヴィルヘルムさんが240Dをいかに大切に、そしていかに楽しく乗り続けているかということがよく伝わってきました。 以前記事に書いた、ドイツにおけるオールドタイマー事情の情報に加え、実際にオーナーの声を聞くことで、ドイツではオールドタイマーが文化遺産としてしっかり守られていると確信することができました。 ●果たしてドイツは旧車の楽園なのか?この国の旧車の定義とはhttps://www.qsha-oh.com/historia/article/auto-old-timer-germany/ それは特に、インタビュー中の話にもあった「Hナンバー登録であれば環境保護エリアでも走って良い」という場面にも顕著に表れているのではないでしょうか。 というのも、とりわけ厳しいエリアでは環境汚染物質クラスがユーロ5以下のクルマは走行禁止とされているなど、場合によっては比較的新しい世代のクルマであっても走行できないことがあるにもかかわらず、Hナンバーのオールドタイマーはそのようなエリアでも走れてしまうのです。 すなわち、そのような地域に暮らす人でも、オールドタイマーに乗り続けることができるということでもあります。 「古いクルマだから環境に悪い」「環境に悪いから排除するべき」と淘汰するのではなく、クルマを一つの歴史として、一つの遺産として大切にする、そして後世に残そうとする動きが国や自治体レベルでも行われていることに、羨ましささえ感じられました。 しかも、それが個人単位ででき、多くの人がオールドタイマーを大切に維持し続けていることからも、ドイツの自動車大国としての強さを改めて認識することができました。 さいごに、今回インタビューを受けていただいたのみならず、マニュアル車の運転をすっかり忘れてしまっていた筆者に、大切なクルマを快く運転させていただいたヴィルヘルムさんに、心から感謝を申し上げます。 [ライター・画像 / Shima]

初の愛車は、高校時代に手にした“R32 スカイラインGT-R”
旧車の愛好家たち 2023.09.15

初の愛車は、高校時代に手にした“R32 スカイラインGT-R”

2023年現在、100年に一度の転換期といわれている。 自動運転に関する技術革新が日々行われ、新型車には電気自動車も多くなってきた。 そんな環境のなか、旧車と呼ばれる年代のクルマを、新たな愛車として選ぶ方も多くいる。 今回は“ちょっとした”一言がきっかけで「R32 スカイライン GT-R」が初の愛車となったオーナーにお話をうかがった。 1.出会いは突然 最初の愛車がGT-Rに!?しかし本音は・・・ 前回、新たに日産N15パルサー VZ-Rを愛車にした、お父様の話を紹介した。 ●教えて旧車オーナーさん!今"N15 パルサー VZ-R"を買ったワケhttps://www.qsha-oh.com/historia/article/nissan-family-pulsar-vzr-n15/ 今回の主役は、R32 スカイラインGT-Rにお乗りになられている息子さんだ。 手に入れた経緯は、なかなかに興味深いものだった。 「このGT-Rは元々、父の知人が所有していたクルマだったんです。3年半程、寝かせていたクルマを手放すということで、紹介されました」 最初の愛車がGT-Rとは、とても羨ましい話ではあるが、実は本音は違ったようで・・・ 「実は、当初欲しかったクルマはS15シルビア オーテックバージョンでした。中学生の頃、近所の中古車屋さんに置いてあった売り物を見に行ったりしていました(笑)」 「当時ガラケーに、シルビア オーテックバージョンの中古車情報の程度や金額をメモするほど憧れて、恋枯れていました」 S15シルビア、そのなかでもメーカーがチューニングを施した、NAエンジン(SR20DE)を搭載するオーテックバージョン。 中学生のころに、S15シルビア オーテックバージョンへ憧れを抱くとは、なかなかに通な選択だ。 これも、日産フリークなお父様の影響を受けた結果なのかもしれない(笑)。 2.GT-Rの縁談に乗り気になれない、クルマ好きならではの“理由” その当時を振り返り、お父様から意外な言葉が出てきた。 「息子に最初この話をしたとき、そんなに乗り気ではなかったのは、すぐにわかりました」 「私がすでに同型のGT-Rに乗っているので、同じクルマに乗るのが嫌なのかな?と思っていました」 予想外の反応をされた息子さん。 ではその当時、実際にはどう思っていたのだろうか? 「たしかに、父親がすでに同じGT-Rに乗っていることも意識としてはありました。ただそれよりも、当時はGT-Rって『最終地点』なイメージを持っていたんです」 この『最終地点』が意味することは、クルマ好きならすぐに理解できることだろう。 世界に目をやれば、超ド級なスーパーカーは多くある。 ただ、日産フリークな家庭で育ったオーナーにとって『GT-R』は、日産のスポーツカーのなかでも特別な存在であることはよく分かる。 「GT-Rに乗っている人は、段階を経て到達するイメージがありました。それこそ、シルビアなどに乗って練習して、父親のようにステップアップしていってGT-Rと考えていました」 お父様がDR30スカイラインで腕を磨き、R32スカイラインGT-Rにステップアップされたのを間近で見て育っただけに、その思いが強くなったのだと想像に容易い。 「いきなりGT-Rに乗っていいのか?という思いがあるのと、“シルビアが好きだから”という理由で断りました」 ずっとモータースポーツを観戦していただけに、GT-Rの凄さを理解していたことと、シルビアへの思いからの考えだったようだ。 3.父親からの思いがけないアドバイスがきっかけに 息子さんの思いを聞いたうえで、お父様から現実的なアドバイスがあったそうだ。 「シルビアからステップアップしてGT-Rにいきたくても、いざGT-Rに乗りたくなったときに買える保証はないんだぞ」 それは、なかなかにストレートなアドバイスだった。 お話をうかがっているとき、筆者は思わず笑ってしまった。 ただ、この言葉がきっかけとなり、現実的に自分の状況を踏まえ、改めて考えたそうだ。 当時でもS15シルビアは人気車であり、生産終了から日が浅く、程度の良いものは新車同等、もしくはそれ以上の価格だった。 対するR32スカイラインは、すでに生産終了から年数が経過した“旧車”となっていた。 年式を考えると流通量の減少、流通しているなかから良い程度を求めた場合、状況は厳しくなる一方と考えたそうだ。 そこからGT-Rを初の愛車として迎え入れることを決意したのをきっかけに、一気にモチベーションが上がることとなった。 教習所に通いながらアルバイトに励み、修理代を捻出していったとのこと。 このお話を聞いて、どこかの誰かと同じような境遇だと、思ってしまった。 「以前、初の愛車を手に入れた経緯をお聞きして、うちの息子と境遇が似ていると思いました(笑)」 と、筆者を見るお父様の表情は、満面の笑みであった(笑)。 4.初の愛車は課題が豊富 実際に手に入れたGT-Rはどうだったのだろうか? 「やはり3年半寝かしていたクルマということもあり、最初、エンジンをかける前に燃料系統を確認しました。案の定、ガソリンが腐っていました。さらにその腐り方が想像以上だったため、燃料ポンプを新品に、燃料タンクを中古の物に交換したんです」 ガソリンも食品と同じく、古くなると腐ってしまうのだ。 長期間動かしていない場合、注意が必要な点でもある。 「エンジンをかけられる段階まできて、いざエンジンをかけたものの、アイドリング不調で、まだまともに走れる状態ではありませんでした。そこで、点火系など順を追ってチェックしました。幸いなことに父親のGT-Rと同じ年式だったので、部品を入れ替えてチェックすることで、ダメな部品のトラブルシューティングができました」 修理と併せ、予防整備もおこなったとのこと。 交換した際、元々の部品は、お互いのクルマに使えるストックとなっているそうだ。 外観からも、チューニングを施しているのが見て分かった。 修理をする際に、併せておこなったのだろうか? 「今ついている社外のチューニングパーツは、前オーナー時代に交換されたものがほとんどです。ワンオーナーだったため、弄っている個所も分かっていました。あとからカスタムする必要が無い状態だったのは、結果的に良かった点ですね」 今回購入されたのは、ワンオーナーかつ、ご本人から直接譲り受けたので、詳細が分かっていたのは大きなアドバンテージだ。 5.素性を見極めて選んでもらいたい! これから旧車を手に入れようと思っている方へのアドバイスをうかがった。 「この年代のクルマを手にするなら、可能な限り素性の分かる車輌を選ぶことをお勧めしますね」 それは、お乗りのGT-Rで得た経験も背景にあるのかもしれない。 「私自身もそうだったのですが、やはり若い時って『エアロが付いていてカッコイイな!』『エンジン周りも弄ってあって良いな!!』と思ってしまうんですよね(笑)」 その気持ちは非常によく分かる。 どうしても“ノーマルとは違う”ことに憧れを抱いてしまうものだ。 「わからない弄り方をされていると、何か不具合が起きた時に原因が掴みづらくなってしまうんですよね」 実は筆者にも経験がある。 自身の愛車を手にしたときも、アイドリング不調が出ていた。 原因は、過去のオーナーが取り付けた社外部品の不調であった。 すでにカスタムされていることは魅力的に映るだろう。 しかし、長い目で見た際には、ノーマルの方が心配は減るものだ。 「特にスポーツカーは、ノーマルを探すのが難しいと思います。なので、ある程度詳しい人と一緒に現車を見に行くのが一番かと思いますね」 欲しいクルマを目の前にすると、誰もが正常な判断はできなくなる。 中立な、落ち着いた判断と目利きができる人に同行してもらうのは、大事なことだろう。 6.総括  いつかより今!時には踏み出す勢いが必要! 今回、お話をうかがい感じたことは、踏み出す勢いが大切だということ。 “いつか、あのクルマに乗りたい” そう思うことは、クルマ好きにとっては、日常的なことと思う。 今回お話をうかがっオーナーのように、キャリアアップして乗ることを目標にするクルマもあると思う。 ただ、タイミングが許すならば、一気に目標へ到達してしまうのも、旧車に乗るには必要な判断要素かもしれない。 今しか乗れない、今だから乗れる。 このことを考えて、旧車に乗るのもアリと感じた。 [ライター・画像 / お杉]

過去3回「サンブレフェスタ」で進化をふりかえる!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.6
旧車の愛好家たち 2023.08.16

過去3回「サンブレフェスタ」で進化をふりかえる!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.6

誰もが入手できるスチール製角材とアルミ板を素材に、手作業で創り出された「手作りの6輪F1タイレルP34」。 このマシンを間近で観られる貴重な機会のひとつが、去る6月末に道の駅おおた(群馬県太田市)で開催された「サンブレフェスタ2023」だ。 当メディアでも、サンブレフェスタに初めてこのマシンが展示された2021年から毎年このイベントを取材している。 今回、今年を含む過去3回の模様を振り返ってみた。その進化の過程で見えたものとは……? サンブレフェスタ2021 1977年仕様のマシンとしてサンブレフェスタに展示したのが、2021年6月のサンブレフェスタ2021。当時、ハヤブサのエンジンはシャーシにマウントされているものの、吸排気系、燃料系、駆動系とはつながっておらず、自走はまだできない状態。さらにリアウイングのステーやメーター周り、コクピットなども未塗装のまま。しかし、ファンにとってはこの日が初見という方が多く、その存在感に圧倒されていたのが印象的だった。 サンブレフェスタ2022 それから1年後、2022年6月のサンブレフェスタ2022で展示されたときの模様がこちら。この時点で自走可能な状態になっており、キャリアカーから展示スペース(私有地内)まで綿引氏自らタイレルP34をドライブして移動。朝早くから会場に足を運んだファンにとっても嬉しいサプライズとなった。また、新造の1976年仕様のカウルが製作段階(未塗装)の状態で被せられ、前年とはまったく異なる装いに。未塗装だからこそ味わえる、ハンドメイドボディの質感が間近で観られるまたとない機会となった。 サンブレフェスタ2023 そして今年。サンブレフェスタ2023に展示されたときの模様がこちら。1976年日本GP「シェクター仕様」を再現して展示。見た目の進化だけでなく、この1年間でサーキットを攻められるほどの領域に到達。コクピットやフロントカウルなど、相応のスピード域で走り、乗り降りの際についたであろう傷も確認できた。もはやこのタイレルは「見せる」ために生を受けたマシンではなく、このまま姿でサーキットを攻めることで「魅せる」術を身につけていることを実感した。 各部のディテールの変化 それでは、各部の進化の過程をふりかえってみよう。可能な限り同じアングルの画像を集めてみた。なお、上から2021年/2022年/2023年の順となる。 フロント リア サイド リアウイング(リアまわり) エンジンまわり コクピットまわり ホイール まとめ:作り手の魂が宿る「手作りの6輪F1タイレルP34」を、ぜひご自身の目で確かめみてほしい この連載でも何度もお伝えしているが、このタイレルP34はコンプリートマシンではない。 模型や当時の資料などを元に綿引氏が図面を引き、スチールの角材とアルミの板を切り貼りして溶接を繰り返し、たたき出して完成させた「手作りのF1マシン」だ。 ゼロベースで実車さながらのタイレルP34を造り上げただけでも離れ業といえるのに、ここからさらに市販のバイクやクルマなどの部品、さらにはワンオフで自作したものを組み合わせて実走、しかもサーキットを連続して周回できるマシンへと仕立て上げてしまったのだ! マシンを造る人、そしてマシンに合う部品を集めて組み上げる人、さらにはある程度のハイスピードの領域で攻められるセッティングと耐久性を生み出してしまう人。 本来であれば、それぞれ別々の人が力を合わせてはじめてようやく完成できる領域だろう。 それを綿引氏はほぼ1人でやってのけてしまった。 取材を通じて何度もこのマシンを観てきたが、その事実を目の当たりにするたびに身震いがする。 しかし、当の綿引氏は「0から1のものを造り上げる」苦労よりも、楽しんでここまで仕上げたような印象が強い。 やはり、好きに勝るものはないのかもしれない。 今回、改めて思ったことがある。 このタイレルはまだまだ進化の過程なのだということを。 もし、まだこの手作りの6輪F1タイレルP34の実車を観たことがない人であれば、ぜひ何かの機会にその目で確かめてほしい。 もはや、このクルマがゼロベースで造られたとはにわかに信じられないほどの完成度だ。 実は手作り……と説明をしないと、コンプリートマシンだと信じてしまう人も多いだろう。 そして「作り手の魂が宿るマシン」の表現が大げさではないことを実感できるはずだ。 そして、これまで実車を観たことある人であれば、ちょっとした変化に気づくかもしれない。 繰り返しになるが、ぜひ1度、ご自身の目で、細部にいたるまでこのクルマの造り込みを観て欲しいと思う。 驚きと感動に満ちた体験となるに違いない。 展示されるイベントの情報が分かり次第、旧車王ヒストリアでもアナウンスする予定だ。 なお、直近の予定では、8月20日にキナラガーデン豊洲で開催される「PURPOOL PARADISE KIRANAH GARDEN TOYOSU」にてタイレルが展示される。イベントは夕方からだが、タイレルは朝10時から展示されるとのことだ。 PURPOOL PARADISE KIRANAH GARDEN TOYOSU ・開催日時:8月20日(日)16:00〜22:00・場所:キナラガーデン豊洲・URL:https://www.kiranahresort-toyosu.com・住所:東京都江東区豊洲6-5-27・アクセス:https://www.kiranahresort-toyosu.com/access/・tel:03-6910-1818 手作りの6輪F1タイレルP34とは? 茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI(以下、CBR WATAHIKI)」代表の綿引雄司氏が、仕事の合間を縫って手作りで製作している、6輪が特徴的なF1マシン「タイレルP34」。 その完成度の高さから、ネット上ではタイレルP34のコンプリートマシンを綿引氏が所有していると誤解されることもしばしばだ。 また「タイレルP34のレプリカ」と評されることもあるが、綿引氏独自の解釈で製作された箇所も少なからずある。 そのため、忠実なレプリカというわけではない。 つまり、この「レプリカ」という表現がこのマシンに当てはまるかどうかは人それぞれの解釈に委ねたい。 製作者である綿引氏によると、このF1マシンが存在することは、タイレルのルーツでもあるケン・ティレル氏のご子息、ボブ・ティレル氏も把握しているという。 しかも、ボブ・ティレル氏は好意的に受け止めてくれているとのことだ。 巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html 綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA 「道の駅おおた」について ・所在地:〒370-0421 群馬県太田市粕川町701-1https://goo.gl/maps/E3vus5Vmbpjn8mz68・電話:0276-56-9350・FAX:0276-56-9351・駐車場;普通車:126台、大型車:40台、身体障害専用:4台・URL:http://michinoeki-ota.com 道の駅 おおた <公式> Facebookページ https://www.facebook.com/michinoeki.ota/ 道の駅おおた広報「おっくん」 Facebookページ https://www.facebook.com/ekicho.ota/ 道の駅 おおた <公式> Twitter https://twitter.com/michinoekiota [ライター・カメラ/松村 透]

教えて旧車オーナーさん!今"N15 パルサー VZ-R"を買ったワケ
旧車の愛好家たち 2023.08.11

教えて旧車オーナーさん!今"N15 パルサー VZ-R"を買ったワケ

2023年現在、100年に一度の転換期といわれている。 自動運転が開発され、新型車には電気自動車も多くなってきた。 そんな環境のなか、旧車と呼ばれる年代のクルマを、新たな愛車として選ぶ方も多くいる。 なぜ新たな愛車として迎え入れたのか? 新たにオーナーとなられた方にお話を伺った。 ■根っからの日産フリークなファミリー 今回、お話を伺ったのは、親子で旧車を愛車としているご家族だ。 お父さまは日産スカイラインGT-R(R32型)を所有しつつ、最近日産パルサー VZ-R(N15型)を通勤メインのクルマとして購入したのだとか。 長男である息子さんは、お父さまと同じ型のスカイライン GT-Rを所有されている。 今回お話を伺うことはできなかったが、次男の息子さんは、日産フェアレディZ(Z33型)にお乗りとのことだ。 おわかりの通り、大の日産フリークなご家族なのだ(笑)。 今回、パルサーVZ-Rを購入されたお父さまの内容となる。 今所有されているクルマについて伺った。 「R32スカイラインGT-Rは2008年頃、知人が手放す車両を購入しました。それまで、DR30 スカイラインRSターボに乗っていたのですが、やはりGT-Rには一度は乗っておきたいという思いを持っていたため、意を決して乗り換えました」 やはり、多くのクルマ好きが一度は憧れる、GT-R。 日産フリークであり、憧れを持っていた方にとって、そんな縁談の話は願ったり叶ったりに違いないだろう。 最近購入された、パルサーについて伺った。 「パルサーは半年ほど前、中古車店で購入しました。通勤で使っていたK12マーチからの買い替えになります」 なぜ、今まで乗られていたマーチより古い、パルサーに乗り換えられたのか? 「パルサーVZ-Rも、いつか乗りたいと思っていました。今回の購入時には、VZ-Rしか考えていませんでした」 そこまでの熱い思いを持たれているには理由があるはず。 さらに詳しく伺ってみた。 「昔、耐久レースに日産のワークスとしてVZ-Rが出てました。その時にびっくりするほど速かったんです。」 筆者も、当時VZ-Rがレースに出ていたのは知っていた。 しかし、残念ながらまだ幼かった筆者は、実際にレースシーンを見る機会がなかった。 レースでの活躍を、生で見た感想も聞くことができた。 「そのレースでは、当時の愛車と同じDR30のRSターボも出走していたのですが、VZ-Rが立ち上がりの加速で離れていっちゃうんですよ。テンロク(1.6L)なのに。それが衝撃でしたね」 「まだ幼かった、息子二人も観戦していたのですが『お父さんのクルマを抜いてった!』と驚いていましたよ!」 幼い息子さんにとっても、父親が乗っている身近な存在である同型のスカイラインが抜かれてしまったことは、記憶に残っているそうだ。 「特に次男がカルチャーショックだったようでして、のちに免許を取って最初に買ったクルマがVZ-Rでした(笑)」 現在、Z33にお乗りの息子さん。 幼心に受けた衝撃がきっかけとなったのか、最初の愛車として3ドアのパルサーVZ-Rを選び、腕を磨いていたそうだ。 VZ-R購入時、他に候補のクルマはあったのか? 「なかったですね。VZ-Rだけでした。最近のスポーツモデルの中古車も同価格帯でありましたが、候補には入っていませんでした」 なぜ、指名買いだったのか? 「この年代(90年代)のクルマって、個性があるじゃないですか。そこに惹かれてました。この頃って、各社ライバルメーカーのクルマに勝ってやろう!とかラリーで優勝してやろう!とか、攻めの姿勢だったのが良いですよね。VZ-RにもN1という仕様もありましたし」 ■心がけているのは予防整備 ここからは、購入後のエピソードについて。 すでにR32 スカイラインGT-Rもお持ちなので、経験は豊富だ。 今までの経験を踏まえ、納車後におこなった整備があるとのこと。 「GT-Rでも同じことを心掛けているのですが、出先で不動にならないよう、予防整備をしています。今回、納車後にオルタネータや点火系などの交換をしました。燃料系はまだなのですが、ここもやっておけば心配は減りますね」 予防整備としては、かなり手厚い部類と思う。 中古車である為、今までの扱われ方が分からないことは多い。 “無事に帰宅する”これは事故に限ったことではなく、忘れがちではあるが整備についても、重要なことと思う。 マイナーな不具合に見舞われたこともあるそうだ。 「タコメーターが動かなくなってしまう症状が出てしまいました。メーター交換をしようと思ったものの、VZ-R専用メーターはすでに製造廃止。標準グレードの物はまだ手に入ったので、メーター修理専門のお店に修理を依頼しました。新しいメーターから故障した部品を移植して、専用メーターを直してもらいました」 「他にも調べると在庫が残り1個の物が多く、気になるところは交換しました」 その行動力と決断に恐れ入ってしまう。 90年代車は多くの「グレード専用部品」がある。 その部品自体の新品はなくとも、流用や移植で修理が可能であり、専門店もあることには驚いた。 ■カスタムも長期の目で見た安心感を 次にこだわりの部分について伺った。 「本当は3ドアが欲しかったのですが、タマ数も減っており、値段も息子が購入したときの1.5倍になっていました。そのなかで見つけたのが今の愛車です」 パルサーVZ-Rにはボディ形状は3タイプある。 4ドアセダン、3ドアハッチバック、5ドアハッチバック。 程度と金額から5ドアハッチバックを購入されたとのことだが、最初拝見した時に違和感があった。 「5ドアはRVブームもあって、フロントバンパーがRVっぽいデザインになっています。それが、ちょっと好みと合わなかったため、3ドアVZ-Rのバンパーに交換しました」 話を伺って、違和感の理由がわかったのだった。 VZ-Rが新車で販売されていたころ、世間はRVブームであった。 そのため、パルサーの5ドアにはRVテイストを与えていた。 そのデザインのまま、VZ-R専用エンジンを載せて販売していたのだ。 他にも、リアのスポイラーをオーテックバージョンの物に変更されている。 交換する際、標準装備のスポイラーと取付穴の位置が合わなかった。 バックゲートを別途中古で購入、穴を開け直してから交換されたそうだ。 従来の穴を埋めることによる、トラブルを避ける為のこだわりが表れていた。 また、マフラーも購入時は社外の物が装着されていたが、純正採用の実績があるフジツボ製に交換されたとのこと。 ■ぜひ、そのクルマのことを理解して乗って欲しい! これから、90年代のクルマに乗ろうと思っている方へ、何かアドバイスがあるか伺ってみた。 「せっかく乗るなら、そのクルマのことを理解して、少しでもいいので勉強して乗ってもらいたいですね。もし、ネームバリューだけで乗りたいと思っているのでしたら、良い結果とならないことが多いので、やめた方がよいと思います」 90年代のクルマは、まだまだ現役で走っている個体も多く、街中でも目にするだろう。 映画やアニメなどでフューチャーされることや、過去の映像作品も動画サイトで目にするだろう。 そこでクルマの名前を知り、同じクルマに乗りたい!と思う人は多くいる。 いつまでも現役で、人気で居続けることは嬉しいことだ。 ただ、そのクルマのことを理解せずに乗った時、旧いが故に現代の感覚と違うことはもちろん、トラブルも発生する。 理想と違うことが起きた時、大きく落胆するだろう。 しかし、ほんの少しでも、そのクルマについて知る努力をしたことで、感じ方は変わってくる。 「せっかく憧れのクルマを愛車としたのに、残念な思い出となってもらいたくない」 そんな思いのこもった言葉だった。 ■ 総括 メーカー同士、意地の張り合いに熱くなっていた時代 今回お話を伺ってわかった、現代にあえて旧車を選ぶ理由。 そこには、デビュー当時の活躍を目の当たりにしてきた方ならではの理由があった。 各メーカーのスポーツモデルには、明確な意識をしているライバルがいた。 そのクルマたちは、ワークスとして戦うレースに留まらず、そのクルマを選んだオーナー同士もお互いを意識し合い、サーキットなどで性能をぶつけ合っていたのだ。 ユーザーも含め、ライバルに秀でるよう切磋琢磨していた時代を見てきたオーナーならではの、熱さを感じるための選択であったと知ることができた取材となった。 [撮影&ライター・お杉]

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