旧車の愛好家たち

祖父から孫へ受け継ぐクルマ。日産・ブルーバードSSS(1991)
旧車の愛好家たち 2023.05.19

祖父から孫へ受け継ぐクルマ。日産・ブルーバードSSS(1991)

先日、旧型車の集まるイベントに出展されていた「愛車の終活・相続」のサービスが目に留まった。 生きとし生けるものすべてに訪れる最期。 愛車家にとってもそれは平等にあり、想いが大きなほど残していく物事へ馳せる気持ちは小さくないだろう。 ふと振り返り、自分のクルマを眺める。 あと何年ハンドルを握ることができるだろうか。 最後にはどんなクルマを所有しているだろうか。 もし、そのときクルマを誰かに託せたら心残りはできるだけ少なく旅立てるだろうか。 そんな想いが堂々巡りになっていくなか、知人と、その愛車のことを思い出しインタビューを申し込むことにした。 春の陽気のなか、県道の向こうから白いセダンがやってくる。 そのクルマのノーズは昨今の公道ではかなり低くコンパクト。 それは妙に懐かしく、でも脳裏にひっかかるあの感覚は、かつて筆者の実家で所有していたクルマと同型だからだろうか。 日産・ブルーバードの歴代8代目となるU12型は1987年にデビュー。 セダンとハードトップ、コンフォートなアーバンサルーンシリーズとスポーティなSSSシリーズ、エンジン展開もワイドに用意され、かつての街なかではさほど珍しいとは感じない車種だった。 国内での生産終了から30年以上の月日が経ち、こうして眺めてみるとハッとするほどに新鮮だ。 白いボディ、リアドアには誇らしげな"TWIN CAM"の文字。 スポーティーな装いのセダンを新車で購入したのは現オーナーの祖父にあたる人物だ。 祖父から孫へと受け継いだ日産・ブルーバード。 一体どんなエピソードが宿るのか、すこしだけ覗いてみることにしよう。 ■祖父から受け継ぎし白いセダン オーナーのひらくえさんは29歳。 以前、初代RAV4の記事でインタビューさせていただいたオーナー様だ。 RAV4は家族で所有するクルマだったが、今回のブルーバードは正真正銘ひらくえさんご自身のクルマだ。 今でもこうして元気に走っている個体だが、実は元々おじい様が手放そうといい出した際には捨てられそうになっていたという。 10年前にはすでに希少車であっただろうこの個体。 何故運よくひらくえさんの元に受け継がれたのだろう。 「高齢になった祖父母にはブルーバードはすでに大きな車体でした。当時、新車のマーチなどへ買い替えも検討していたそうなのですが、クルマを買わずに免許の返納を選択したそうです。当然、祖父母にとって古くなって乗らないクルマは必要ないとのこととなったのですが、丁度自分の免許取得の時期が重なりブルーバードを引き継ぐことができました」 1993年生まれのひらくえさんはブルーバードの購入時19歳。 自身より年上となる91年生まれのブルーバードはあまりにも思い入れのあるクルマだったそう。 譲渡される際、祖母からは「こんなの乗るの?」といわれてしまったそうだが、幼少期からクルマ好きだったひらくえさんにとってブルーバード、もといセダンという存在は特に大きな存在だったのだ。 ■自我が芽生えるより先にクルマが好き。DNAレベルで愛してる 両親ともにクルマには興味のない家に育ったというひらくえさん。 しかし、幼少期のひらくえさんを見た両親は「この子、ヤバいくらいクルマ好きなんじゃないかしら」と気づき始めることとなる。 「1歳になるかどうかの頃に、父方の祖母がトミカのセドリックの赤いミニカーを買ってくれたんです。数ある玩具のなかでもそれが特にお気に入りで、肌身離さず持ち歩き続けていたらしいです。また、ベビーカーに乗っていた頃から街行くクルマに関心を持ち続けていたらしいんです。今とほとんど変わりませんね(笑)」 強くクルマに惹かれていく我が子を見過ごせないひらくえさんのご両親。 その興味の眼差しに徐々に理解を示してくれたという。 「両親はクルマには興味のない人でしたが、小さな頃の僕のクルマ趣味に理解を示してくれたことに感謝しています。例えば、2歳のときに東京モーターショーに連れて行ってくれたり、そのなかでも古いクルマが好きらしいということを汲み取り、関東からわざわざ日本海クラシックカーレビューに連れて行ってくれたりしたこともありました」 ご両親の協力もあり、DNAレベルでクルマが刻み込まれていったひらくえさん。 とはいえ30歳を目前に一切ブレずにクルマ趣味を続けてこれたのは自分でも不思議なことだそう。 小、中、高等学校と己の道を進み続けたひらくえさん。 18歳の頃に免許を取得し、専門学校に進学した後はこのクルマで通学もしていたそうだ。 「整備士などを養成する自動車系の専門学校に通っていたのですが、当時すでに古い型のブルーバードで通学することは珍しい存在でした。大がかりな作業はプロに依頼していますが、スピーカーを取り付けたり最低限のメンテナンスは自分で行うようにしています」 車体から異音がしたりすると、故障個所の予測を立て予防整備をすることも少なくないとか。 ひらくえ家で28年もの間所有しているRAV4とともに物持ちが良いのは、日頃の付き合い方やエピソードからも垣間見ることができる。 ■「ブルーバードが好きだ」シンプルなクルマの素性に惚れる 「気に入っているところはクルマ自体がシンプルなところですね。華美なところはなく、走る・曲がる・止まるに難なく応えてくれることがすごく気に入っているんです。CMのキャッチコピーのとおりで、"ブルーバードが好きだ"なんですよね」 そう話すとおり、ブルーバードは当時のバブル真っただなかのミドルクラスセダンを思い返しても豪華すぎる装備は奢られていない。 しかしながらカーステレオにエアコン、パワーウインドウなど、令和の世にあっても最低限欲しいものが装備されていることも不満が生まれないことのファクターであろう。 それにデザインにおいてもシンプルでありつつ、ナチュラルな凛々しさを感じる。 エンジンはSR18DE、1.8リッターの名機だ。 ミッションは5MTで日常生活に何ら不満はないという。 この10年間のなかでブルーバードとはどんな思い出が詰まっているのだろうか。 「このクルマと過ごした思い出はいろいろありますね。自分はSNSをやっていないのでインターネットを通じた出会いは数少ないのですが、リアルのイベントでブルーバードを見て声を掛けてくれた人と交友が拡がり、今では会えば何時間でも話せる深い仲になっています」 20代のクルマを取り巻く環境といえばSNSがありきになりつつある昨今、リアルでの出会いから始まる仲はかけがえのないものとなるだろう。 「クルマってコミュニケーションのツールだなあとつくづく感じています。例えばクルマで4人で移動するとき、走行しながら生まれる会話や眺めた景色から生まれるアイデアがあると思っています。このブルーバードにはかなり沢山の人が乗ってくれて、その分生まれたエピソードが10年分の記憶が詰まっているといっても過言ではないですね」 きっとこれからも長い間の付き合いが続いていくんでしょうね、と筆者が投げかけると「頼むから部品の供給だけはつづいてください!」と切実な言葉を貰った。 「最近ではエンジンマウントにダメージがあり、メーカーからは4つあるうちの2つしか出ませんでした。その2つの交換で症状は良くなったので現状は快調そのものですが、これからは創意工夫で走ることもあるだろうな、と思いつつなるべく延命していきたいなと思いますね」 旧車属性に足を踏み入れつつある個体のオーナーとしてはその声がメーカーへと届いてくれると嬉しいものだ。 最近ではメーカーも部品の再生産に力を入れ始めているが、すべての車種でそれらが行われるのは生産上難しいことであろう。 「それでも、なんだかんだで乗っていくんだと思っています」 ひらくえさんからさらりと出た言葉はあまりに力強い。 祖父から受け継ぎしブルーバードは生産されてから32年目。 もうとっくの前から公道ですれ違う機会はほとんどない。 別れ際、懐かしい日産車のセルとエンジン音が響く。 去っていく後ろ姿にはまだまだいけるぞ、という気配が漂っているように思えた。 ひらくえさんとこの先もカタチあるかぎり、新たなエピソードを生み続けながらこの先も羽ばたくことを予感させながら。 [ライター・撮影/TUNA]  

商用バンの中ってどうなってるの? カーディテイラーが乗る日産・ADバンを覗く!
旧車の愛好家たち 2023.04.24

商用バンの中ってどうなってるの? カーディテイラーが乗る日産・ADバンを覗く!

オフタイムはクルマ趣味を満喫している人で、オンタイムもクルマにまつわる仕事についているケースも少なくない。だが、お仕事中も興味のあるクルマに乗れるかというと、そうでもないだろう。 平日の高速道路、走行車線をのんびり流していると右側から目を三角にしてカッ飛ばしていくライトバンの姿を何度も見たことがある。 素直に「お仕事、お疲れ様です」と心の中で唱えつつ、あのドライバーとライトバンはどんな関係で、どんな心持ちで仕事をこなしているのだろうと考えてしまう。 筆者がかつてエンジニア業に携わっていたころ、社用車のプロボックス・ハイブリッドで街を駆け巡っていたことがある。 まだ、街中でプロボックス・ハイブリッドの商用車とすれ違う機会が少なかった事もあり、新車おろしたてのピカピカプロボックスのステアリングを握り、業務そっちのけで会社と目的地の間を楽しくドライブしていた。 そんなエピソードを会社の食堂でクルマ好きの同僚に話すと「お前、よく商用車なんかに興味を持てるなァ……」と半ば呆れ気味に返された。 彼にとってライトバンの車内で過ごす時間は、あくまで仕事中の”苦痛な時間”で、筆者のように”移動ご褒美タイム”などではなかったことを知り、少し寂しい気持ちになった。 それからというもの、渋滞の首都高のなか追い抜き追い越されする商用バンたちの様子とドライバーの表情をときどき伺っていたものだ。 実は今回の取材は別件のテーマで依頼する予定だったのだが、取材先に乗ってきて頂いたADバンを見てふと首都高で眺めていたときの「ライトバンの中身はどうなっているのだろう」という純粋な疑問が思い返された。 取材対象のジュンさんに事情を説明するとインタビューを快諾してくださった。 クルマの取材記事では珍しいかもしれない、仕事終わりの“ありのままの”姿をひとつのケースサンプルとして眺めてみることにする。 ■生粋のクルマ好きはカーディテイラーに ジュンさんは33歳、学生耐久レースでは92レビンのステアリングを握り、卒業後はディーラーメカニックとして働きながら日産の初代ウイングロードを所有するなど、平成生まれとしては少しディープなクルマ体験をしてきた。 クルマの書籍やビデオカタログにも造詣が深く、骨董品を見つけては手に入れることをライフワークとして続けているそうだ。 20代後半はアパレル業などでも活躍していたジュンさんだったが、根っからのクルマ青年だったことと、クルマの造形美に改めて魅せられはじめ、車体を際立たせるカーコーティングの道に惹かれていったそう。 あれよあれよという間にカーコーティングショップに転職し、今ではプロのディテイラーとして働いているそうだ。 「カーディーラーや中古車店などで磨きをさせていただいてます。元々クルマのカタチやデザインに興味を持っていたのですが、実際にその表面や塗装に触れてみるとクルマやコンディションごとに表情があり一つ一つ課題を立てて磨くのが凄く面白いんです。弊社は磨きを行うブースも完備していますが、販売店で展示されているものを洗車することもあるので道具などを常に載せられるクルマは業務に欠かせない相棒ですね」 ジュンさんの相棒は日産ADバン。 まだ現行車である為街中でもよくみかけるが、実は登場は2006年と古く取材次点で17年の歴史がある。 今回ジュンさんが乗ってきてくれたADバンも2008年式と生産からはそれなりの経過年数が経っているが、業務用途で使っている割には痛みがちな無塗装バンパーやヘッドライトもビシっと奇麗な印象を受ける。 「業務上、あまり汚いクルマでお伺いするのは良くないので外装の印象やメンテナンスには気を使っています。ただ、元々中古車を導入しているので頑張っても消せないダメージがあり、そういった部分は磨いてごまかしたりもしていますね(笑)」 スチールホイールやサイドシルの一部はDIYでブラックに塗られており、ADバンを知る人なら違いがわかるかもしれない。 こういった小さな差異が道具としての満足感を高めるものでもあるだろう。 ■意外と良い走り味、侮れぬライトバンの実力 走行距離は11万キロ台、商用車にしては距離が浅いがその乗りごこちはいかがだろう? エンジンは1.5LのHR15DE。最大積載量は450kg、一般的な使用には不足を感じさせないスペックだ。 「ADバン、商用車としていいクルマだと思います!走りに安っぽい……というネガはあまり感じません。前職で90年代のライトバンに乗っていたことがありましたが、リーフリジットサスペンションのころのクルマとは比べものにならないですね」 そう伺うと運転してみたくなってしまい、少しの距離を走らせてもらうことにした。 4速ATのギアを入れる感覚はまさに日産車、といった印象。走り出しにダルな感じはなくトルクは充分。乗用車の3代目ウイングロードとインパネを一部共有しながらバン向けの専用設計としているだけあり、内装にもさほど安っぽさを感じない。走り始めてからも遮音性で悲しい気持ちになるかと思えばそんなこともないのだ。 逆に、乗用車ベースのデザインでありながら、ペン立てやグレードによってはマジックボードの機能や助手席のシートバックテーブルが出現することなどなど……痒いところに手が届くこのツール感覚は、長距離を走る車中泊にももってこいなのではなかろうか。 「実際このクルマのなかで食事をしたり休憩をすることもありますね。日々、関東の北側はどこへでも行く体勢としているので、室内は雑然としつつも今の状態は自分が使いやすいように配置しています。ちょっと恥ずかしいですが……」 トランクスペースはカーコーティング用の道具でいっぱいだ。 掃除機に薬剤、バケツなどなど……いつでも洗車が開始できる状態が整っている。 「本当はもう少し荷物を少なくして移動することも可能なのですが、いつどんな内容でも磨きが始められるようにしていますね。もっと荷物をまとめられるならば、セダン系の車種を営業車にして走り回ってみたいです。今はJ31のティアナなんかがすごく気になっているので、ピカピカにした状態でお客様のところへ訪問してみたいなぁ……なんて妄想してますね(笑)」 もし、カーコーティングを依頼して初代ティアナで訪問して頂いたらそれはビックリだが、そんなサービスだってきっとアリだ。 最後にADバンと一緒にあちこち動くジュンさんに今後の意気込みを伺ってみる。 「自分のクルマではないから愛着が無いか問われればそんなことはないですね!すでに2年、それも平日は毎日一緒にいるクルマなので、なかなかかわいいと思ってますよ。今はドアのサッシュがバンらしく塗装色になっているのが気になっていて、カッティングステッカーで黒くしようかな?と画策中です。今のところ故障もなく、よく働いてくれていますが、会社の都合で急にお別れの日が来るかもしれません。でも、一緒に働く限りは手をかけてあげるのが道具として、相棒としてのクルマだとおもっています!」 偶然に取材させていただいたジュンさんとADバン。 クルマ好きが就いた職場のバンという関係性ではあるものの、とある営業車にはこんな風な眼差しを向けられているのかと少し嬉しくなった。 オドメーターが刻んだ数だけ、ビジネスの痕跡を感じさせる商用車。 もしこの記事を読んでいる貴方が会社で商用車をお乗りになるならば……少し思い出してあげてほしい。 同僚や家族の誰も知らない……。 でもあなたが仕事で挑戦した喜びも悔しさも、ひょっとしたらこっそり知ってくれているかもしれない商用車たち。 そんな存在をときどき労ってみるのはいかがだろうか。 [ライター・撮影/TUNA]    

じょうぶで長持ち・旧くてもダイジョウブ:まつばらあつし
旧車の愛好家たち 2023.04.19

じょうぶで長持ち・旧くてもダイジョウブ:まつばらあつし

■名前:まつばらあつし ■職業/肩書き ・フリーランスライター/コピーライター・イラストレーター・アニメーション制作・演出・作画・グラフィック&動画系ガッコの先生 ■現在の愛車 1989年 シトロエン2CV  special ■ご自身の性格をひと言で表現すると? ろくでなし  ■好きなクルマは? シトロエン2CV・ルノー Twingo(初期型)・FIAT パンダ・Q-CAR「Qi」 ■憧れのクルマは? シトロエンGSA ■旧車王ヒストリアではどんな記事を書いてみたいですか? どうしようもないダラしなさをどうしようもない感じで、ゆるゆるとクルマと生きてゆく。 そんな感じのものを書けたらいいかなと思っております。 可能であれば食べ物とか何も起きない旅行記なども楽しそうな気がします。 あと、映画やアニメーションのお話なら、その方面はプロなので、偉そうに語ったりするかもしれません。 ■その他なんでも・・・ 肩の力の抜けた、なんかふにゃふにゃな感じの記事を書いて、よんだひとがすこしでもふにゃふにゃな感じになってもらえたら嬉しいかなと思っております。 人生出たとこ任せでいいんですよ、的な。 ■HP/SNS/YouTube他 ・Instagram:https://www.instagram.com/atts_matz/ ・Twitter:https://twitter.com/atts [ライター・撮影/まつばらあつし]

“伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【前編】
旧車の愛好家たち 2023.04.14

“伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【前編】

ホンダ初の4輪自動車「T360(さんびゃくろくじゅう)」を修理すると聞き、復活するまでの密着取材の機会に恵まれた。 聞けば1台の部品取り車の部品を2台で共有しながら、不具合を解決していくのだという。 T360の存在は把握していたものの、筆者が実車にふれたのは初めて。 見た目の愛らしさに魅了され、注ぎ込まれた技術に圧倒された。 今回の修理の過程を前編と後編に分け、T360の魅力とともにお伝えしていく。 ■ホンダが初めて市販した4輪自動車 T360 T360は、2輪メーカーだったホンダが4輪業界へ進出した際、初めて市販された4輪自動車。 1963年から1967年という4年間で生産されたセミキャブオーバーの軽トラックだ。 エンジンを15度に寝かせて座席下に搭載するミッドシップとなっている。 もともとオートバイレースやF1(第1期)に携わって経験を積んだ技術者たちがその技術力を注ぎ込んでいるため、当時の商用車としてはありえないメカニズムで高性能を誇った。 ●開発の背景 高度経済成長期の1961年、当時の通産省から「特定産業振興臨時措置法案(特振法案)」が提出された。 国際競争力の弱い産業の強化を図るべく、「自動車」「特殊鋼」「石油化学」を特定産業に指定し、各自動車メーカーを統合して3社に絞ることにした(結果的には廃案となった)。 当時ホンダは2輪車業界で成功をおさめていた。 マン島TTレースを制覇。 小型オートバイのスーパーカブが大ヒットしていたが、4輪車の実績がなかったため特振法案によって新規参入が認められない恐れがあった。 すでに4輪車の開発には着手していたが、法案成立までに4輪車の生産販売実績をあげなければならなくなった。 開発されたのは軽自動車のスポーツカー「S360」と「S500」。そして軽トラックの「T360」。 市場では産業の発展によって商用車の需要が高まっていたことから、T360が「ホンダ初の4輪車」として市販されることとなり、1963年8月に発売された(S500は同年10月発売)。 ▲一見ピックアップトラックにも見えるがキャビンと荷台が分かれており、セミキャブオーバー型の軽トラックに分類される。マットなブルーのボディカラーは「メイブルー」と呼ばれる純正色 ●レーシングカーの発想でできあがった、日本初のDOHC直列4気筒エンジン 当時の国産車のエンジンは4ストロークOHVが主流で、軽自動車においては2ストローク2気筒が主流だったなか、T360は水冷直列4気筒DOHCエンジンを国産車で初めて搭載した。 同時期の軽自動車が20〜25馬力程度の時代に、最高出力30馬力を8500回転で発生する高回転高出力型エンジンで、ホンダがF1と2輪レースで培ったテクノロジーが活かされていた。 ▲初期型はCV型キャブレターを4連で装備[写真提供/吉備旧車倶楽部] ●なぜ残っている個体が少ないのか 1963年から1967年の4年間しか生産されなかったT360だが、現存する台数は約10万台といわれる生産台数に対して極端に少ない。 理由のひとつに、設計変更を繰り返したがゆえの「部品探しの難しさ」があるようだ。 生産当時、現場の声に素早く対応するため、生産中はまとめて改良することをせず、その都度設計変更・改修が加えられた。 そのため同じ部品・仕様で生産された現代のクルマのように、明確なマイナーチェンジモデルがないのだ。 よって、同じ年式の部品取り車があったとしても、部品が合わないことが多々あった。 これがT360の維持・再生を困難なものとしている。 また、現役当時もレーシングカー譲りの高性能で高度な設計であったため、ホンダSF(サービスファクトリー)以外の整備士が修理するには、難度が高かったという問題もあったようだ。 壊れてもすぐに直せて復帰できる実用性がもとめられる商用車、軽トラックだったからこそ残らなかったのだろう。 これがもし生産されなかったS360なら、名車として今も多くの個体が残っていたのかもしれない。 現代のクルマにはあり得ない、別格の生まれをもつT360。 その後、シビックなどのレースでの活躍もホンダのスポーツイメージをさらに高め、T360も「伝説の軽トラ」「スポーツトラック」と呼ばれるようになっていったと思われる。 ●純正から「タコ足」!  今回修理した1965年式のT360。エキゾーストパイプの形状は、ご覧の通り純正で「タコ足」であり、F1由来の思想を感じる。 高性能を売りにしたためコスト度外視。市販レベルでここまで作り込んでいるホンダは“ぶっ飛んだ”メーカーだ。 また、わずかな年式の違いでも「HONDA」の字体が異なっているプラグカバーにも注目したい。このようなわずかな違いが、愛好家にとってはこだわりの部分である。 ■T360のオーナー紹介 そんなT360を所有する、淵本芳浩さんと整備士の西栄一さん。 旧車イベントを通じて知り合った淵本さんと西さん。 淵本さんが部品取り用の個体を手に入れ、西さんが2台の修理を手がけた。 前編では、淵本さんのT360の修復を詳しく紹介していく。 ▲2010年頃、淵本さんのT360(右)納車当時の1枚。西さんのT360(左)と一緒に[写真提供/吉備旧車倶楽部] 淵本芳浩さん(62歳) 淵本さんはホンダが好きで、ホンダの2輪をはじめN360、ステップバン、Z、ライフ、バモスなどのさまざまなモデルを乗り継いできた。 愛車の1965年式T360(AK250)は、淵本さんが2011年に前オーナーのご家族から譲り受ける形で購入した個体だ。 公道復帰に向けてコツコツと整備をしてきたが、T360は他のホンダ車に比べて整備が難しく、幾度も壁にぶつかる。 そんななか、T360に長く乗り続ける整備士の西栄一さんと知り合う。 西栄一さん(68歳) 今回のレストアを手がけた西さんは、レースメカニックなどの経歴を持つベテラン整備士。 専門学校時代にツインカムエンジンの教材としてT360を使って整備技術も学んでいる。 1966年式のT360(AK250)を50年近く所有している。 ■部品取りの個体を手に入れるまで 2011年、地元の漁港近辺で部品取り用の個体を発見して購入。 部品取り用個体の年式は、淵本さんのT360と同じ1965年式だが、冒頭でふれた「設計変更・改修」がこの2台の間にも行われているため、淵本さんのT360とは共通の部分と異なる部分がある。 いっぽうで、1966年式の西さんのT360に使える部品もあった。 このことが2台の再生にあたり、良い方向に動いたといえる。 部品取り用の個体は、長い間潮風にさらされて外装はほとんど朽ちていたが、エンジンパーツや内装パーツ、ワイヤーハーネス、ガラス類など再利用可能な部品を選別し、摘出した。 ▲左は2014年、部品を摘出する直前の1枚。右は発見したそのときに撮影したもの。樹木に覆われて朽ちかけていた[写真提供/吉備旧車倶楽部] ■淵本さんのT360を修復!トラブルと対策 ▲キャブレターを脱着しての整備中[写真提供/吉備旧車倶楽部] まずは淵本さんのT360に取り掛かった西さん。 エンジンが始動するかどうかの確認から始まった。 そして、部品取り個体から摘出した部品や他車種からの流用部品、汎用品を用いて修復を進めたという。 前オーナー時代の整備状況が不明なうえ、オリジナルとは異なる部品も多かった。 一つひとつ検証を重ねながら作業が進められた。 西さん:「T360の場合、S500、S600、S800の部品が一部流用できます。オールドSの専門店から復刻される部品も増えてきましたし、以前よりもずいぶん直しやすくなったと思います。 ただ、現代車用の部品を流用する場合は、注意が必要です。とくに現代の部品を追加・交換する場合は、オーバースペックでトラブルを招く可能性もあります。 例えばインジェクション用の電磁ポンプを使う場合は、そのまま使うと燃圧が高すぎてキャブレターのオーバーフローが起こります。圧送力が大きすぎるものもあります。もし使用する場合は燃料圧力調整器を使用しなくてはなりません。 旧車の整備は『当時の状態』『修理はどうしていたのか』を紐解き、それを踏まえた“現代の修理”を行うことが重要です」 今回行った修復内容を解説しつつ紹介していこう。 ●エンジン始動不良 コンタクトポイントの異常摩耗によって点火不良を起こし、エンジンが掛からなくなっていたため、西さんのストック品を使い交換した。 コンタクトポイントを含めた電装品は日本電装製と日立製があり、双方の互換性がない。 T360には同じ時期に生産された個体であっても生産の段階から2社別々の部品が使われているという特殊な部品事情がある。 2工場で同時に生産していたことが大きな理由で、それぞれの工場に納品される部品が異なっていたと思われる。 ▲コンタクトポイントは日立製。焼け溶けてガタガタになっているのが確認できる ▲日立製(左)と日本電装製(右)のコンタクトポイント。見分ける大きな特徴は中央の凸部の形状が異なる点。互換性はない ●フューエルメーターの作動不良 フューエルメーターが正しく作動せず、燃料の残量がわかりにくくなっていた。 メーターはバイメタルを使用していて、熱変動で動いている。 そのため、メーター内の電球の熱で誤動作を起こしていた。 おそらく前に整備した人物が知らずに12ボルトを流してしまったと思われる。 現行車の考えでは修理できない例のひとつだ。 ▲6ボルトであるべき電流を12ボルトで流してしまったためバイメタルの部分が焼けてしまっている 対策として、タンクの脱着とユニットの清掃、配線の修理を行った。 確認の際、電流計は直列につなぎ6ボルトで行った(当時の2輪車の方法に準じた)。 このような部分に2輪メーカーのホンダを感じる。 ●オーバーヒート発生 試走でオーバーヒートを起こした。 水温は108度。 最初はサーモスタットの異常を疑い、サーモスタットを取り外したが変化はなかった。 さらに確認したところ、T360のラジエーターが正規品でないことがわかった。 前オーナーが特注でラジエーターを作っていたようだ。ラジエーターのアッパータンク、コアチューブが小さく、アッパータンクがチョークワイヤーに干渉していた。 サービスマニュアルと照合すると本来5リットル指定のはずだが、4リットルしか入らなかった。 ▲左が特注品のラジエーター。おそらくデータを確認せず正規品を模したため4リットルになってしまったのだろう そこで、大型車用のラジエーターをベースに、専門業者に依頼して水量5リットルのものを製作。 その際、部品取り用個体からアッパータンクとロアタンクを使用した。 サーモスタットも劣化していたので大型車用に交換。 82度で開くものを使用した。 ●フューエルタンクの詰まりと錆の発生 キャブレター清掃時、燃料に錆が混入していたのを確認。燃料タンクを取り外して清掃を行った。 ●クラッチがときどき切れなくなる トランスミッションが熱をもつことで油圧式のクラッチ系統に熱が伝わり、ペーパーロック現象を引き起こし、クラッチが切れなくなっていると推察。 熱を遮断するスレーブシリンダーインシュレーター(ガスケット)を確認したところ、取り付けられていなかった。そのため、シャフトの作動にも異常をきたしていた。 急きょ、西さんのT360に装着しているものを見本に、ベークライトを切り出して製作した。 ▲本来は○部分にスレーブシリンダーインシュレーターが取り付けられている ●チャージランプの不良 チャージランプが頻繁に切れるので確認したところ、ヒューズホルダーの接点に錆が発生。 熱をもつことで正常に作動しなくなっていることが判明した。 高回転でフルチャージになったときに不良を起こす。 ヒューズホルダーASSY交換(汎用品)で対応した。 ●燃料漏れ発生 純正の機械式フューエルポンプのアウト側のキャップが外れて燃料が漏れ出した。 淵本さんが保有していたホンダ ライフ(初代)用の電磁ポンプを加工・取付。 ガスケットは製作した。 ●キャブレターのオーバーフロー(燃料漏れ) フロート(浮き)に堆積した汚れが原因だったため、清掃を行った。 ●キャブレターの調整 4連キャブレターのため、調律・調整をとるのが難しい。 エンジンが座席の下にあることで脱着の回数も多く、時間を要した。 セッティングはまだ納得できるレベルではないので、今後さらに煮詰めて絶好調へ持っていく予定だ。 ▲左からサクション・ニードルの調整。フロート(浮き)のレベル(高さ)の調整。プライマリーエアージェット、セカンダリーエアージェットを分離しての点検・調整[写真提供/吉備旧車倶楽部] ●サービスマニュアル ▲販売開始当初のサービスマニュアル 今回使用したサービスマニュアルは極初期型用だった。 淵本さんのT360が生産されるまでの間にも繰り返された設計変更・改修により、このマニュアルと現車では、情報と異なる部分も多数あった。 しかし、サービスマニュアルがあるとないとでは、修理するうえでは大違いだ。 ■よみがえった淵本さんのT360 修復作業が一段落し、淵本さんのもとに戻ったT360。 ひさびさの愛車の乗り心地と、T360とのこれからについて伺ってみた。 淵本さん:「西さんに預ける前は、エンジンの回転が上がりにくい状態でしたが、今は吹け上がりもスムーズで走らせていて気持ち良いです。ですが、まだ完璧な状態ではないので、引き続きセッティングを行いながら長く付き合っていけたらと思います」 ■取材後記 自動車会社としての運営体制を整えながら造りあげた、ホンダ初の4輪自動車T360。 当時の時代背景や社内事情もあったにしても、これだけの高回転高出力型エンジンを軽トラックに採用したアンバランスさは、さながら軽トラック(T)の皮をかぶったスポーツカー(S)だ。 そして当時の技術者たちの「今より良いものを作るんだ」という情熱で繰り返されたであろう設計変更・改修の歴史は、軽トラックとしてあるべき姿になっていく過程のようであり、今となっては大きな魅力となっている。 まさに“伝説の軽トラ”だ。 続く後編では走行の様子もレポート。西さんのT360の修復と、T360のさらなる魅力を掘り下げてお届けする。 [取材協力/吉備旧車倶楽部] [ライター・撮影/野鶴美和] 

ニュータウンよりの使者 トヨタ・マークII 2.5GTツインターボ
旧車の愛好家たち 2023.03.24

ニュータウンよりの使者 トヨタ・マークII 2.5GTツインターボ

好景気に沸いたバブル景気。 当時を生きた世代にその頃の様子を伺うと「ウチはそんなに恩恵に与ってないわよ〜」なんて聞くのだが、実際のところの消費者行動は2023年よりリッチに感じる。 ちなみに筆者は1990年生まれで、80年代後半に造成された新興住宅地で育った。 最近になって地元を歩くと、公園や住宅地の入口の看板近くのコミュニティ施設などを含めてお金がかかっているなあ、というのが正直な印象だ。 今では多くの日本の都市と同じように高齢化が進み、子どもたちの声は昔より少なくなったと思う。 あまりにテンプレート的な情景だが、ひび割れたままの住宅街の道路と取り外されたままの公園の遊具はどこか物悲しさを感じる。 往時の北海道の住宅街でよく見かけたクルマといえば、ハイラックスサーフやライトエース、パジェロなど4WDとディーゼルの車種が多く、それもグレードはどれも低くなかった。 そのなかでもやはりセダン系の存在感は幼心に影響を与えていたと思う。 ところ変わって90年代の前半、西東京の街に一人のクルマ好き少年がいた。 街は古い団地にメタボリズムを与えながら煌びやかなニュータウンが完成していく。 変化していく街並みを、父親が運転する白いハードトップから覗いた少年時代。 その記憶に触れてみたいと思う。 ■ハードトップの車窓から オーナー氏は今年35歳。 ものづくりの現場に携わるいわば“職人”といって良い職業だ。 東京で生を受け、現在は地方都市に在住している。 「クルマが好きだった兄や父の影響もあって、自然とクルマ好きになっていました。特に歳の離れた兄がミニカーやカタログを集めていたりしたので、興味を惹かれるのは90年代の乗用車が多かったんです」 そんなオーナー氏の心に突き刺さっていたのが、父親が乗っていた7代目のスカイライン“GTターボ”だった。 「生まれた頃に家にあったのが7thスカイラインのハードトップだったんです。色はホワイトでしたが、グレードはパサージュなどとは異なり地味な印象の車両だったと記憶しています。それでも、CMやカタログで謳い文句になっていた“都市工学です”という言葉に憧れていましたし、街の情景にまさにマッチするクルマだなあという印象でした」 今でも、ときどきではあるが、カタログやミニカーの収集をしているというオーナー氏だが、当時からスカイラインのカタログは穴が開くほど眺めたという。 当時、父親の仕事も好調だったといい、物持ちの良いオーナー氏の一家にも好景気に乗っかり、新しいクルマに乗り換えるタイミングとなった。 スカイラインにも深い愛着があったそうだが、乗り換えに際して白羽の矢が当たったのがトヨタ・マークIIだった。 「我が家に来たのは後期型の2.5リッター、グランデでした。子ども心にも内装の触り心地やドアの音ひとつとっても贅沢なクルマで、ものすごくカッコいいクルマがやってきたぞ!という気持ちになりましたね。例えば、父と買い物に行ったり洗車に行ったりと、ささやかなシーンでも印象深い記憶が多く“クルマといえばこれ!”という気持ちなんです」 90年代も後半になり、オーナー氏の一家は地方都市へと移住。 その後住んでいた地域での使い勝手もあり、マークIIは初代のムーヴへと入れ替えられた。 だが、一度火がついたクルマ好き少年の火は消えることなく大きく燃え盛っていく。 「卒業後、エンジニアリング関係の仕事に就きました。そこは自動車にもまつわる環境で質感などを追求する場所でもありました。就職後には元来のクルマ好きが目を覚まし、アルファロメオ・GTVを購入して取り憑かれたようにドライブに明け暮れていたのですが、車両トラブルも多く乗り換えを検討し始めました」 実はアルファロメオを所有しながらも、常々中古車サイトでマークIIやスカイラインを眺めてはいたというオーナー氏。 店頭で実際に触れてしまうと欲しいという気持ちが加速してしまい、掲載されていたマークIIを見に行ったその場で即決したそうだ。 ■さまざまなオプションが組み合わされたマークIIにひとめぼれ 1991年式の80系マークIIハードトップはモデルのなかでも後期にあたる。 販売面でもメガヒットを記録した同車は、販売店独自でさまざまな仕様や初代オーナーが注文したであろう大量に用意されたオプションの数々で、特異な個体も多く存在する。 オーナー氏のマークIIもいわゆるそんな個体で、2.5GTを基本としながらも細部の仕様が異なる。 例えば、ハイマウントストップランプ内蔵のトランクスポイラーとリアガラス内側のハイマウントストップランプがダブルで取り付けられていたり、グレーの内装にブルーガラス、クリアランスソナーの装備やスペアタイヤまでアルミホイールになっているなどなど…なかなか珍しい組み合わせの個体だ。 「走行距離や個体の程度を重視で購入したのですが、現物を見ると珍しい装備の組み合わせが揃った個体であることに気づいたのも購入の決め手でした。何より、実際に乗り込んだときのフィーリングがよく、気に入ってしまいましたね。ボディが小さく、見切りと視界の良さが抜群に良いことも運転していて良いな、と思った点でした」 ■クルマと未来へ行くために オーナー氏が購入してから約6年。 メカ類の交換はいろいろと行っているものの、日々の使用には問題なく活躍しているという。 長く使用していくなかでどんな部分が気に入っているか伺ってみることにした。 「マークIIは非常に元気よく走る部分が気に入っています。やはりターボが効いてからは胸のすくような加速感を味わえますね。また、部品類ひとつひとつの作り込み方がとてもしっかりしているのもこの時代の特徴かもしれません。シートや内装の触り心地、どこを触っても硬い印象がなく、現代でも高級感が感じられる仕上げになっている部分が気に入っています」 マークIIを前にして、内装の質感や乗り心地をさまざまな視点から語るオーナー氏は、さすがものづくりの現場にいる人だと思わざるを得ない。 そしてその口元から溢れる笑みからはこの個体が本当に好きなんだろう、という気持ちを強く感じさせる。 「今後、EVや燃料電池のクルマが出てきても乗れる限りはこのマークIIを手放すことはないでしょう。現在は機関係のリフレッシュに重点をおき整備をしていますが、今後は外装のリペアも行っていけたらいいなと思っています。もし手に入るのならば、新型のZなども近年の内燃機関エンジンのクルマとして非常に気になっている存在ですが、きっとこのまま浮気せずマークIIを所有していくような気がしていますね(笑)」 取材を終えて、オーナー氏とマークIIは走り出す。 取材場所は偶然にも住宅街となり、情景があの日見たニュータウンと重なる。 すでに生産から30年以上が経過した車両。そして人々の営みとともに歴史を重ねていく街並み。 そんななか、マークIIはこの先も生き続けていくことだろう。 JZエンジンの静かな響きが住宅街の空間に小さく反響する。 その音色は将来、街や自動車のカタチがどんなに変わろうとも、マークIIが今後も変わらない姿を約束してくれているかのようだった。 [ライター・撮影/TUNA]  

イマドキの若者、旧車愛を綴りたい!:林 哲也
旧車の愛好家たち 2023.03.10

イマドキの若者、旧車愛を綴りたい!:林 哲也

■名前:林 哲也 ■職業/肩書き: 大学生 ■現在の愛車(年式・メーカー・車種): 2002年式アウディ・TT 1.8T(FF/5MT) ■ご自身の性格をひと言で表現すると? 猪突猛進!好きなモノ・コトに真っ直ぐ突き進む性格です。 ■好きなクルマは? “唯一無二”なクルマが大好きです。尖ったポイントを愛したい。敬意を表したいクルマは、新たな自動車文化の形成に一役買ったクルマ。 ■憧れのクルマは?: いすゞ・ピアッツァ ■旧車王ヒストリアではどんな記事を書いてみたいですか? 私の偏愛を、私なりの言葉で精いっぱい綴りたいです。 自身と同い年、20年落ちの「キケンな中古外車」に手を出してしまった大学生ならではの視点で、クルマを愛することの楽しさを伝えたいと考えています。 そしていつかは、旧車を夢見る同年代の背中を押せるような記事を書きたい! ■その他なんでも・・・ ごくごく一般的な大学生ながら、執筆の機会をいただくことになりました。 私自身がクルマを全力で楽しむことを通じて、皆さまにも楽しんでいただける記事をお届けできたら良いな…と思い、一生懸命に“クルマ愛”をお届けいたします。 みんなの偏愛を持ち寄れば、クルマ趣味はもっと素敵で、もっと楽しいモノになるはず! ■HP/SNS/YouTube等 ・Instagram:https://www.instagram.com/molihayashl/・Twitter:https://twitter.com/molihAyashl [ライター/林 哲也・撮影/Ryota Watanabe]    

28年ワンオーナー、4人家族の中に トヨタ RAV4 L Ⅴ(1995)
旧車の愛好家たち 2023.03.06

28年ワンオーナー、4人家族の中に トヨタ RAV4 L Ⅴ(1995)

愛されるクルマとはなんだろう───。 オーナーによって接し方はさまざまだ。 空調付きのインナーガレージで日々眺め、週末のドライブを楽しむ人。 はたまたSNSで写真を日々アップロードする人。 生涯でも大きな買い物といえるクルマだからこそ、天塩にかけて愛でたくなる気持ちも大きくなることだろう。 先日、筆者は15年落ちのファミリーカーを購入した。 手元に来たら一度しっかり洗車をしたくなる筆者なのだが、購入したクルマのシートレールの隙間から年代ものの“アイカツ”カードが出てきた。 他にもヘアピンや小さなお菓子のパッケージなどなど、「小さな子どもと家族」の痕跡が至るところから発掘され、そのクルマが家族の愛のなかで存在していたことに思いを馳せた。 ▲94年に発売された初代トヨタ・RAV4。1年後に追加された5ドア版がRAV4 Ⅴ(ファイブ)だ 同じ公道を走るクルマといえど、スーパーカーとファミリーカーでは住む世界が違う…のかもしれないが、それぞれの人と機械の関係性。 過ごした時間から来る思い入れや感情にはそれぞれのストーリーがあるはずだ。 今回紹介するクルマも、20年以上前は街中でよくすれ違ったファミリーカーだ。 しかし、今になってみれば年に何回すれ違うだろうか、といった具合。 それもワンオーナーカーともなれば、その個体と重ねた経験の数々は計り知れない。 オーナーと家族の物語。そんな視点で紐解いてみようと思う。 ■子供のころからずっと一緒。家族とともに歩む28年 「自分が2歳の頃我が家にやってきたんです。父がこのクルマの前に乗ってたCAアコードとの別れが非常に寂しかったことすらいまだに覚えていますね〜!」 笑ってそう話すのは平久江さん、今年30歳になる温和な青年だ。 普段ならそのクルマのオーナーさんにスポットを当てるが、このクルマの持ち主は彼のお父様である。 1994年に登場したトヨタ・RAV4。 それから1年遅れの1995年に追加で登場するのが5ドア版のRAV4” L”と”J” Ⅴ(ファイブ)だ。 平久江少年が2歳だった頃やってきたRAV4だったが、本来はSUVタイプのクルマが欲しかったわけではなかったという。 「天井のライナーが落ちてきたCAアコードに憤りを覚えた父は、当時別のクルマをオーダーしにトヨタのカローラ店へと足を運んだそうです。そこでディーラーの方におすすめされたのがRAV4 L Vでした。当時はまだ発売前だったこともあり、RAV4にはまったく興味のなかった父でしたが”家族4人で乗るならば…”と、購入を決めたらしいですね」 ショールームにあったRAV4も平久江家と同じライトアクアメタリックオパールだったそう。 シルバーやダークブルーといった個体が多かったRAV4だが、なぜこの色を選んだのであろうか。 ▲ボデーカラーはライトアクアメタリックオパール。RAV4 Ⅴの専用色だ 「父が石などに興味があり、色の名称と見た目の雰囲気に一目惚れしたそうです。まだRAV4を街中でよく見かけた当時から珍しい色で、同じ色の個体とすれ違うと家族でちょっとした話題になっていたのが思い出深いです」 まさに新車オーダーならではのエピソードだ。注文時からのこだわりは他にも続く。 「ディーラーの方から新車時にしかつけられない装備がありますよ!といわれ、メーカーオプションでさまざまなものが取り付けられています。今となっては珍しい装備ではあるのですが、ほとんど使用しているのを見たことがないムーンルーフなど…本当に必要だったのか?と思ってしまったりしています(笑)」 ▲「父が使っているのは数回ほど」というムーンルーフは工場出荷時のオプション。息子氏は便利でよくチルトアップして利用するようだ ときどき中古車市場で流通するレアなオプションが装備されている旧型の中古車たちにも、注文時にはこんなエピソードがあったのかもしれない。 ただ、それらの話を30年近く経過した今、実際の愛車を前に伺えるのはこういったメディアの前にでも出てこない限りかなり稀有なことではないだろうか。 ところで、平久江家ではなぜ28年もの間、RAV4は愛され続けたのだろうか。 「単純にこのクルマであらゆることに不足しないからなんです。我が家の車庫事情が5ナンバーサイズまでというのもありますが、家族4人で乗車して荷物を積んでも窮屈さを感じません。免許を取得してからは僕もよくこのクルマを使わせてもらっているのですが、このサイズ感は自分でも気に入っています。今のRAV4もすっごくカッコいいと思っています!」 ▲インテリアもトヨタらしい質実剛健なデザインだが、それまでのクロカン系車種の無骨なデザインではなく、同社のセダンなどからも遠くない上質なものだ 最近では街中で走っていると、後方についた現行のRAV4ユーザーが驚きの顔で「これがRAV4?」と話しているかのようなシーンとも何度か遭遇することもあったとか。 確かにラギットに進化した近年のRAV4とはキャラクター自体も異なっているように感じるが、タウンユースもアウトドアユースも気軽、かつアクティブに一台でこなせる姿は過去から現代まで続くキャラクターといえよう。 車体の全長は4105mm、全幅は現行のトヨタ・ライズと同じで1695mmの5ナンバーサイズだ。 ラウンディッシュなボデーの造形は抑揚があり、当時のトヨタデザインらしい艶やかさも魅力だ。 販売店チャンネル違いで販売されたRAV4の”J”と”L”。 Jは当時のオート店向けでLはカローラ店向け。 Lのグリルは格子状になっているのが特徴のひとつだ。 ▲3S-FEはタフな名機だ。スポーツカーなどにも搭載されているが、イプサムなど海外でも評価が高い エンジンは名機3S-FE。 2リッター、135psは必要にして十分。 何よりその高い耐久性は、海外に中古車として輸出されていった同エンジン搭載車が今でもかなりの台数走り回っていることを考えると自ずと頷けてしまう。 メーカーでの装着オプション以外にカスタムされた点は少なく、ナンバープレートも新車当時のまま。 猫可愛がりされているガレージ保管の車両ともまた趣が異なり、28年間のありのままの姿が逞しく見える。 例えば、車内の携帯電話の充電器やクッション類すらもこのクルマの歴史を物語る痕跡だ。 少年時代の平久江氏とはどんな思い出を紡いできたのだろう。 「自分の子供時代はキャンプや潮干狩りに連れていってもらった記憶がありますね。そういった思い出補正的に特別な感情があります。今は自分もクルマが大好きで、自動車にまつわるイベントを開催する側にもなったほどです。そのうえで感じるのは、新車から長い間一台のクルマを感じられることはなんて恵まれた環境なんだろうと思っていますね」 ▲カンガルーバーはオプション。フォグランプガードがアウトドアライクなデザインは現代にも通ずるものだ 生涯、何台のクルマに気持ちを揺すぶられることだろう。 そのクルマと生活を共にして思い出が作れたならば愛車家としてはこの上ない。 そしてこのRAV4も平久江さんにとって格別な存在であることだろう。 今後、このクルマとどんな風に時を過ごしていきたいか最後に伺ってみることにした。 「今は所有者である父親が免許を返納するまで、なんとか無事な状態で生き残って欲しいと思っています(笑)。ここまできたらRAV4は手放さないつもりでいて、ある意味責任といいますか、できるだけ長く所有できればと思っていますね!」 クルマと家族の物語。幼い頃より共に暮らし育ち、育てられてきた存在。 大きくなった平久江さんはRAV4のシフトノブを握り西へ東へと今日も行く。 愛されるクルマとはなんだろう───。 その答えはやはり千差万別であるのだが、少なくとも平久江家のRAV4はそこかしこにエピソードが宿る。 そんなクルマはやはり”愛車”と呼ばれるのに相応しい気がしたのだ。[ライター・撮影/TUNA]  

旧車オーナー予備軍の方々の琴線に触れる記事をお届けします:松村透
旧車の愛好家たち 2023.02.13

旧車オーナー予備軍の方々の琴線に触れる記事をお届けします:松村透

はじめまして。旧車王ヒストリアの編集長の松村透です。 ■名前:松村 透 ■職業/肩書き ・株式会社キズナノート代表取締役。エディター/ライター/ディレクター/プランナー。・旧車王ヒストリア&外車王SOKEN編集長。トヨタgazoo 愛車広場、ベストカー/ベストカーweb、Web Cartop連載他 編集兼ライターとして、クルマ関連を軸に取材およびコンテンツ企画を行っています ■現在の愛車 1970年式ポルシェ911S 2016年式フォルクスワーゲン ゴルフトゥーラン ■ご自身の性格をひと言で表現すると? 聞き上手・・・だとは言われます ■好きなクルマは? ポルシェ911、マツダロードスター、トヨタカローラ、スズキジムニー、フォルクスワーゲンゴルフ、メルセデス・ベンツGクラス、Fiat500・・・などなど。 そのカテゴリーで物差しになるようなクルマ、あるいは丸目のクルマが好みです ■憧れのクルマは? ポルシェ959 Sport ■旧車王ヒストリアではどんな記事を書いてみたいですか? 頭では実際にはないと分かっているはずなのに、取材を通して「クルマが人を選ぶ(選んだ)」としか思えないような方たちとお会いしてきました。 古いクルマを手に入れてみたいけど正直不安・・・。かつて所有していた、あるいは憧れていた古いクルマを手にしたい・・・。 そんな「旧車オーナー予備軍」の方たちの琴線に触れるような、清水の舞台から飛び降りる一助となるような(笑)記事の配信を心掛けたいと思います! ■その他なんでも・・・ 今回、旧車王ヒストリアの編集長を仰せつかりました松村です。 旧車王ヒストリアは「旧車王を母体とするオウンドメディア」です。 既存のカーメディアよりも自由度を持たせ、音楽で例えるならインディーズバンド的な雰囲気を重視しています。 各ライターの方々の知見や持ち味を前面に出し、なおかつ書き手のクルマに対する愛情のようなものを表現できる場でありたいと考えています。 ご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。 ■HP/SNS/YouTube他 ・HP:https://kizunanote.co.jp/ ・Instagram:https://www.instagram.com/vehiclenavi/ ・Twitter:https://twitter.com/kizunanote0911   [ライター・撮影/松村透]

「日々の景色に3ドアクーペを。」ホンダ・インテグラ タイプS(2006年式)
旧車の愛好家たち 2023.01.23

「日々の景色に3ドアクーペを。」ホンダ・インテグラ タイプS(2006年式)

年々高くなる税金に燃料代...。 ネオ・クラシックな趣味車の値段はここ近年特に高くなり「ああ、あのとき買っておけば...」なんてことも多々ある。 とはいっても、自分の身体は一つしかなく、生活のなかでクルマを楽しめる時間は意外と僅か。 家族とのライフスタイルなどなど、さまざまな制約と限られた時間のなかでマイカーを愛でるひとときはもはや至福の時間といっていい。 今回、紹介する優さんは筆者が10年ほど前に出会い、以前スカイライン セダンのオーナーとしてインタビューをさせていただいたオーナーさんだ。 22歳でスカイラインを購入した青年は1児の父となり、生活を彩る風景も大きく変わったことだろう。 家族とカーライフを両立しながらも、現在は所有して3年目となるホンダ・インテグラタイプS(2006年式)を所有。 独身だった20代前半から子持ちのアラサーへ...。 ひとりのクルマ好きの近況と情景を切り取ってみたくなり、再度インタビューを申し込むことにした。 ■「今乗っておきたいクルマ」という気持ちの赴くままに・・・ 優さんは今年で32歳になる。 中学時代に雑誌で眺めたFR車の姿や、当時の恩師からの影響もあり、スポーツタイプの車両への興味は少年時代から強かった。 先述の通り、22歳で初代愛車の日産・スカイライン セダン(R34型) 25GT-Xを購入。 スカイラインを所有して4年程経過したころ、昔から乗ってみたかったMT車を所有するために運転免許の限定解除を行って、マツダ・ロードスター(NB型)を購入。 夢のFR車2台体制が実現する。 月極駐車場を2台分借り、無敵の独身貴族を味わいながらFR車を乗り比べる蜜月を過ごしていた優さんだったが、28歳のときにめでたく結婚。 奥様の愛車だったスズキ・ワゴンRスティングレーと3台体制となる。 「結婚をしてからもクルマ好きは諦められないと思う...ということは先に断りを入れておきながらも、車高の低い車を2台・軽自動車1台を所有するのは持て余し始めていました」 幸いなことに、奥様はクルマ趣味に理解のある方で「気が済むまで所有していれば良い」との言葉をかけてくれていたそうだが、将来的に生まれる第一子のためにも2台の乗用車を1台にまとめ、ワゴンRを別のクルマに入れ替える”所有車一斉入れ替え”を検討し始めた。 メインカーの予算は150万円までで、”とにかく奇麗なこと”と“今、この時代に乗っておきたいクルマ”を最優先。 2000年代に発売されたモデルで、気持ちの赴くままリストアップを行っていったとか。 ■趣味車とメインカーの関係性 クルマ好きが次期愛車となる候補を探す時間は格別な期間といえるだろう。 会社の同僚を誘い、県内の中古車店をウキウキで行脚する姿を奥さまは「お年玉をもらった少年のようだった」と表現する。 「最初は4ドアで利便性の高い(?)インプレッサWRXやランサー セダンが候補に入っていました。他にもルノー・ルーテシアやオデッセイのアブソルートなど、実用と興味を兼ね備えた車種をノージャンルで探していたのですが、広すぎる選択肢のせいで大きく迷い始めてしまいました」 ▲丸型のテールがオーナー氏のお気に入り。ローウィングスポイラーはタイプRにも設定はあるが、大人っぽい雰囲気がクーペスタイルを惹きたてる そんな最中、新車ディーラーで気に入ったN-BOXカスタムをワゴンRと衝動的に入れ替えることとなる。 「新車の軽自動車はこんなに快適なのか...」と感銘を受けた優さん。 スライドドアに先進装備の数々。 「子育てをするなら、むしろファーストカーはこれでいいのでは?」とすら思えるほど。 それなら、いっそのことボディタイプに制限を設けずに選んでみようと考えた優さんの脳裏に、キラキラと煌めきを放ちはじめた1台のモデルがあった。 それがホンダ・インテグラだった。 ■「タイプS」であることは絶対にゆずれない 「知人たちがアコードやシビックに乗っていて、2000年代のホンダ車にある雰囲気にずっと惹かれていました」 中古車を探し始めた2020年のころでも、走行距離の少ない、しかもMTのインテグラを見つけるのは時間がかかった。 しかし、幸いにもホンダディーラーの中古車でワンオーナーの個体を手に入れることができた。 ▲タイプSに専用意匠の部品は多いがメーターもそのひとつ。基本デザインは似ていながらも、タコメーターは8000回転までとなり、ロゴもタイプS専用だ 美しいボディには大きな傷もなく、ヘッドランプの交換だけで新車当時を偲ばせる雰囲気を取り戻している。 「走りや操作感もさることながら、内装の仕上げにおける海外を意識した作りが妙にカッコいいと思えまして...あえてタイトなタイプRではなく後期型のタイプSにこだわりました」 華美ではないが、スッキリとした雰囲気の良い空間が漂う内装。 3ドアクーペでありながら、窮屈ではない居住空間。 なるほど、現地仕様にコンバージョンを行わなくてもアメリカンな雰囲気を感じずにはいられない。 ▲ドライバーオリエンテッドなコクピット。ステアリングはMOMOの本革巻き 隅々まで磨き上げられたエンジンルームにはK20A DOHC i-VTECが積まれる。 のびやかなエンジンフィールは、目を三角に尖らせなくても充分に気持ちの良いドライブを楽しませてくれそうだ。 「自分は子煩悩であるとも自覚してるんですが、時々ひとりになりたい時間もやっぱりあるんです。そんなとき、近所にあるワインディングを抜けて、缶コーヒーを飲み海沿いを走って帰ってくる。行って帰っても1時間程度の息抜きなんですが、最高の贅沢だと思っています。駐車場で振り返ったときにインテグラを眺めていると脳が喜んでいるのがわかりますね(笑)」 ▲エンジンは2リッター、160psを発揮するK20A。軽やかなエンジンフィールは扱いやすく、心地よいドライブのお供に最適だ 所有して3年目になるインテグラには小さな故障もほとんどなく、ノートラブルで優さんのカーライフを楽しませている。 ノーマル然とした佇まいを愛する優さんにとって、今この姿が理想的な完成形だ。 インタビューの最後に今後の愛車との付き合い方について伺ってみることにした。 「理想的な個体に出会え、数年経った今でも飽きることはありません。ただ、人生のなかであと何台のクルマを所有できるだろうか...とふいに思ったりもします。家族と営む生活と同じように、自分のクルマに対する経験値も大事にしていきたいと考えているので、何かのきっかけがあればまた愛車探しの時期がやってくるのかもしれませんね」 そんなことをいいながらも、優さんは愛車のリアビューを眺めては顔を綻ばせている。 まだまだ愛しのインテグラとの生活は続きそうだな...と筆者は予感しながらも、この先、優さんの目の前にどんなカーライフがさらに広がっていくのか。 今から楽しみでならない。 [ライター・撮影/TUNA]  

「蘇える記憶」ニコイチで生まれ変わったダイハツ・リーザとともに。
旧車の愛好家たち 2022.12.30

「蘇える記憶」ニコイチで生まれ変わったダイハツ・リーザとともに。

■力強く駆けるボディにオレンジ色の光を宿して 取材の日は朝からあいにくの雨だった。 降りしきる雨粒の向こうから力強く駆けてくるオレンジ色のポジションライトの光を見たとき、ふと筆者の脳裏に幼少期の記憶がフラッシュバックする。 「モナ・リザのように愛されるクルマを───」 そう願い、命名されたクルマがあると昔、雑誌で読んだ。 筆者の実家にあったダイハツの軽自動車の名前がそれだった。 そのクルマは90年代半ばですら既に街中では珍しく、同車のプラモデルを駄菓子屋で見つけたとき驚きの声を上げてしまったのをよく覚えている。 天気が悪い日の夕方、両親があのオレンジ色の光とともに保育所へと迎えに来てくれたことを思い出すと、懐かしい気持ちとともにクルマへと感じていた頼もしさの原風景がそこに広がるようだ。 今回紹介する「はまっちさん」が所有するのはダイハツ・リーザ。 グレードはOXYⅡで年式は1988年式だ。 土砂降りの雨のなかを駆け抜ける小さなボディは、クルマのカッコよさ・たくましさそのものを体現している。 だが、これほどに力強く走るリーザも、実は長い間眠りについていた個体。 それどころか、はまっちさんのリーザ愛がなければ公道へと復帰することがなかったかもしれない。 いわば蘇った存在だ。 2台の部品取り車から再び公道へと「蘇り」を果たしたリーザと、愛にあふれるオーナーの物語を少しだけ覗かせてもらおう。 ■「雑誌広告に惚れぼれ」Uターンして即契約!愛しの初代リーザ ダイハツ・リーザは1986年にデビュー。 まだボンネットバンタイプの軽自動車が主流だった時代、スタイリッシュな3ドアクーペスタイルとして発売された。 いつの時代も軽自動車には個性が輝くモデルが多く存在する。 リーザも軽のスペシャリティカーらしく、軽自動車初のフルトリム化や、オープンモデルの「スパイダー」を追加し、名実ともに実用車としてだけではないムードを漂わせる存在だった。 もちろん現代の視点からもそれは衰えることなく、唯一無二のスタイリングは今も輝いて見える。 はまっちさんがこのリーザを購入したのは2019年の8月。 現在は所有してから3年目だ。 はまっちさんはかつてリーザを所有していたことがある。 それは1989年に購入した、全国400台限定車のOXY。 色はガンメタリックだった。 「元々、別の軽自動車に乗っていたんです。そのクルマはオートマチックでとても遅く、少し物足りなかったんです。しかし、あるとき、雑誌の背表紙に載っていたリーザの広告を見つけて”こんなクルマがあるんだ!”と一目ぼれしてしまいました」 それから1年ほどはオートマの軽を所有し続けたはまっちさん。 ある日、幹線道路沿いのモータースの横を通りかかり、店先に並ぶリーザの姿を目にしたという。 その存在感にいてもたってもいられず、来た道をUターンしてすぐさま店頭で契約の話へと弾んでしまうほどの強烈な出会いだったそうだ。 「購入してからは後付けでエアコンやフォグランプ、ブローオフバルブなども取り付けました。スキーキャリアを取り付けて雪山へ行ったりなど、8年ほど楽しみました」 クルマにまつわる趣味を楽しんでいたはまっちさんだったが、子育てなどを期にやがて変化が訪れていった。 ▲はまっちさんが目を奪われたのはこのスタイリング。特にリアスポイラーはお気に入りの決め手で、過去乗っていたリーザにも装着されていたため、見つけたときには運命を感じたそうだ。 ■別れと出会い、もう一度リーザに乗りたい!を叶えるために 家族が増えて、子育てが中心の生活へとシフトしていったはまっちさん。 それまで8年連れ添ったリーザだったが、より広く、より利便性の高いマツダ・デミオ(DW系)へと車両を入れ替えた。 だが...。 「リーザを手離すときは泣く泣くでした。本意ではなかったものの、生活が忙しくなるなかでクルマへの熱も我慢し続けていました。やがて子どもが手離れして、生活にも余裕が出てきた数年前、ふと“またMTに乗りたい...!“という気持ちが湧き上がって来たんです」 当時、すでにデミオからアクアに乗り換えていたはまっちさん。 「軽自動車ならもう一台維持することも現実的なのでは?」という考えと「どうしてもリーザをもう一度所有したい!」という気持ちが高まっていき、リーザ探しへと奔走することになった。 「一度、インターネットオークションにとても奇麗なリーザが出品されていて、気持ちはさらに昂ったんです。しかし、その個体はタッチの差で落札することができませんでした。長らく、良い個体との出会いが果たせず、ついにはリーザのオーナーズクラブに加入するようになっていました」 リーザが手に入れられないことを理由に、オーナーズクラブへ加入するほどの熱の入り込み方には恐れ入る。 しかし、そんなはまっちさんの行動力にリーザオーナーの方々も応えてくれ、リーザ探しに協力してもらえることになった。 ▲購入したグレードはOXYⅡ、元々のエンジンはキャブのターボ。元色はダークグレーだったものを、かつてのオーナーが赤く塗りなおしたものだという まず始めに紹介してもらったのはシルバーのTR-ZZ TFI。 1989年デビューのエアロつきのスポーティーなモデルだ。 しかしエンジンは無事なものの、足回りとフロント部分が事故で破損状態。 とてもそのまま走行できる状態ではなかったが、まず実車を見に行くことになったという。 ところが、置き場へ行くと隣に赤のOXYⅡが置かれていた。 既に多くの部品が取られてエンジンの調子が悪いドナー車だったが、ボディの状態は良好。 なんとその場で2台購入し、一台のリーザとして蘇らせる計画が始まったのだ。 ■とうとう見つけたリーザ。しかし立ちはだかる壁は低くない バブルの時代を経て販売され、追加仕様が増えていったリーザ。 時代に合わせて進化を遂げた存在だったが、それゆえに専用設計の部品が多く、レストアを行うには壁が立ちはだかった。 「シルバーのTR-ZZはEFI、OXYⅡはキャブ。エンジンは同じなので何とかなると楽観的でしたが、実際はインタークーラーの位置などが異なり、かなり加工が必要でした。ただ、整備工場の方々やパートナーの知恵と工夫でなんとか形にすることができました」 一言では語り尽くせないくらいの工程と時間を要したことは想像に難くない。 そして2台のリーザも再びこうして公道を走り、イベントの会場にまで並べる日が来ることを想像していなかっただろう。 はまっちさんは蘇ったリーザとともに、行動範囲も広がっていくようになる。 ▲エンジンはTR-ZZ用のEB型 直3 SOHC 550cc EFIターボ。車体はOXYⅡとニコイチして蘇った 「以前は“若者のクルマ離れ”なんて言葉を、同世代の方々が嘆いているのを耳にすることもありました。しかし、リーザに乗って実際に旧車のイベントやオフ会に出かけて行くと、自分の子どもよりも若い世代が深い知識を持って情熱的に語っているのを見ると”クルマ離れ”なんてないということを知ることができました」 ▲かつて平成元年に購入したリーザと改めて令和元年に購入したリーザ。当時のカタログを眺めながらエピソードに花が咲く。イベントでも注目されることが多くなった最近だが、はまっちさんにとってリーザはまだ完成していないという。 「オールペンもしてあげたいし、痛んでいる部品の多くは出てこないので製作することになるでしょう。でも、長年封印していた部分をアップデートしていくような気持ちで作り上げていけたらと思っています。今後もいろいろな場所に連れていきながら、人々の笑顔を増やしてくれるような車にできたら嬉しいですね!」 現在進行形で紡がれ続けるリーザとはまっちさんの物語。 オーナーの強い気持ちに応えるように、出会うべくして出会った相棒かのように見えてくる。 「蘇える記憶」が、未来へと繋がる道へと再びリーザを導いた。 これからどんな物語にであうのか、今から楽しみだ。 [ライター・撮影/TUNA]

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