旧車の魅力と知識

これがほんとのやっちゃえ日産!今も人気の衰えない日産パイクカーを振り返る
旧車の魅力と知識 2022.07.06

これがほんとのやっちゃえ日産!今も人気の衰えない日産パイクカーを振り返る

1980年~90年頃にブームとなったパイクカーとは、市販車のコンポーネントをベースとして、おしゃれに可愛く、時にはレトロな雰囲気を持つ前衛的なデザインを採用したモデルのことです。 1980年代に日産は、マーチをベースに「Be-1」を開発。発売当初から話題となり、約40年経った現在でも根強いファンが多く、マニア向けの専門店まで存在します。 そんなパイクカーを今回は5車種紹介し、ベースとなった車両や車種ごとの特徴などを振り返っていきましょう。 日産 Be-1 日産 Be-1は、K10マーチをベースとして開発され、1987~1988年の1年弱という短い期間のみ販売されました。 全長約3.6m、全幅約1.6m、全高約1.4mのボディに排気量1,000cc、52馬力のMA10Sエンジンを搭載し、トランスミッションは3速ATと5速MTの2種類。サスペンションはフロントに独立懸架ストラット、リアに4リンクコイル式が採用されています。 Be-1の特徴は、なんと言ってもレトロで丸いシルエットのボディです。1980年代に主流だった四角いボディを敢えて丸いデザインにしたことで、その革新的なスタイルは国内だけでなく海外メーカーにも衝撃を与えました。 のちに登場するBMWミニやニュービートルといったレトロデザインの先駆けともいわれ、新しいリバイバルデザインの風潮を産むことで、時代の先駆者となったのです。 日産 パオ パオはBe-1に次ぐパイクカーシリーズ第2弾として、1989~1991年の3年間販売されていました。 全長約3.7m、全幅約1.6m、全高約1.5mのボディサイズに、Be-1と同じくベースはK10マーチ。エンジン、トランスミッション共にBe-1とまったく同じものを採用し、サスペンションも同じ方式です。ボディタイプは、2ドアセミノッチバックだったBe-1に対し、パオは3ドアハッチバックに変更し、サイズがやや大きくなっています。 そんなパオの開発で特に力を入れられたのが、車好きじゃなくてもふり返るおしゃれなデザイン。「バナナ・リパブリック」という装飾ブランドのコンセプトである、「旅行やサファリの冒険気分を味わえる服」を、そのままデザインに置き換えるというコンセプトで開発されました。 日産 フィガロ フィガロはBe-1、パオに続き、K10マーチをベースとして、1991年2月~1992年12月までの約2年間販売されていました。 全長約3.7m、全幅約1.6m、全高約1.4mというボディサイズは、先代とあまり変わらないものの、フィガロはドアクーペボディを採用。ベース車のマーチ、先代のBe-1、パオとはまったく違うシルエットとなります。 エンジンはK10マーチにも搭載されていた、排気量1,000㏄、76馬力のMA10ETを搭載。このエンジンは、小型水冷式ターボチャージャーを採用したエンジンで、高出力化や運転性能が向上しています。トランスミッションは3速ATのみであるものの、発売時には購入希望者が殺到し、抽選販売を実施するほどの人気ぶりでした。 日産 エスカルゴ エスカルゴはVN10パルサーバンをベースにして開発され、1989年1月~1990年12月の2年間販売されていました。 全長約3.5m、全幅役1.6m、全高約1.85mのボディに排気量1,500cc、73馬力のE15Sエンジンを搭載。トランスミッションは3速ATのみとなっています。サスペンションはフロントにストラット式、リアにトレーリングアーム式を採用し、一般的なリーフリジット式では不可能だった荷室の超低床化と、リアオーバーハングの短縮を実現させました。 車名の由来はフランス語でカタツムリを表す「エスカルゴ」と、貨物を表す「カーゴ」をスペイン語読みした「カルゴ」を合わせたもの。丸く背の高いシルエットや飛び出したヘッドライトなど、デザイン面でもカタツムリをイメージしていることがわかるものとなっています。 日産 ラシーン前期 タイプⅠ ラシーンはB13サニーの4WDをベースにし、クロスオーバーSUVとして開発され、1994年12月~2000年8月までの約6年間販売されていました。全長約4m、全幅約1.7m、全高約1.45mのボディに、排気量1,500cc、105馬力のGA15DEエンジンを搭載。トランスミッションは4速ATと5速MTの2種類となっています。 サスペンションはフロントに独立ストラット式、リアに独立パラレルストラット式を採用。駆動方式はフルタイム4WDの為、一見本格的なクロスカントリー車に見えますが、あくまでもそういった雰囲気を手軽に楽しむことが目的のため、悪路走破性能はあまり高くありません。 全高を抑え、角張ったデザインが海外でも高く評価され、中古車は現在(2022年6月)でも根強い人気を保っており、ラシーンを専門とする中古車販売店も存在するほどです。 まとめ 今回紹介した日産が生み出した5種類のパイクカーを、中古車として購入することは可能ですが、状態が良い個体はかなり価格が高騰しています。 また、年式としては古いため、状態が良い個体を買ったとしても急なトラブルがないとも言いきれません。今パイクカーに興味があり購入を考えているのなら、日々のメンテナンスや、急なトラブルの対応などを任せられる専門店での購入をおすすめします。 また、現在パイクカーを所有している方は、高額取引されている今売却するのか、今後も長く愛車と付き合っていくのか。価格高騰している今だからこそ、維持費を考慮しつつ真剣に向き合うタイミングかもしれません。  

旧車の主治医とライターの納期の遅れに悩まされる話
旧車の魅力と知識 2022.07.17

旧車の主治医とライターの納期の遅れに悩まされる話

古いクルマに乗る人の多くが「頼れる主治医がいてこそ成立している」ように思う。 なかには車検はもちろんのこと、エンジン載せ換えやオーバーホールなどの重整備をオーナー自ら行う方もいて、(その環境と技術スキルの高さに)驚きと羨望のまなざしを送ることもしばしば。 とはいえ、いざというときに主治医がいると心強いのは確か。出先で故障したら、休みの日なのにわざわざセーフティーローダーで迎えに来てくれたり、儲け度外視で愛車の面倒を診てくれたり・・・。オーナー以上に愛車のコンディションを把握しているというケースも少なくないように思う。 古いクルマの点検整備を専門とする主治医に共通する事柄のひとつに「1人親方」であることが挙げられる。市街地から外れて、畑の真ん中や山の麓など、看板すら掲げずにシャッターを少しだけ開けて黙々と作業している方が多いような気がするのは気のせいだろうか。 で、いくつかある共通する事柄のひとつに「納期が守られないこと」ように思う。よくいえばとことんまで面倒を診てくれているとも解釈できるのだが、オーナーが希望する納期を守ってくれる方が少ない(笑)。ディーラーのような対応を期待してはまずいけない。それで怒り出すようなら組織だって(つまり、社員を雇って)店舗を構えているようなショップを選んだ方がいいと思う。納期の問題も改善される可能性が高い。 古いクルマに乗る以上、オーナー側に求められる素養として、ある程度のおおらかさ、寛容さが必須条件だ。主治医が計画通りに作業してくれなくても、怒らず、焦らず、そして泣き崩れず(笑)。これはクルマのコンディションについても同様かもしれない。パーフェクトを求めていたら、愛車の経年劣化よりも先にオーナーの方が疲弊してしまうだろう。 話は変わるが、編集長という立場上、各ライターさんに原稿執筆の依頼をするわけだが、そこにも(当然ながら)納期がある。きっちりと納期までに納品してくれる方、毎回遅れる方、面白いくらいハッキリと分かれている。 いまからライター業を目指すとするなら「毎回きっちりと納期守る」だけで、それなりに仕事の依頼があるように思う。それほど納期を守らないライターさんが多いということだ。 なかには確信犯的に遅れてくるライターさんもいて、本当は「納期は一昨日だ!早くしろボケー!」といいたいところをグッと堪えてにこやかに(?)対応している。編集長業務にもある程度のおおらかさ、寛容さが必須条件なのかもしれない(泣)。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]

普段は「3ペダルMTより楽なクルマがいい」と気づいてしまった話
旧車の魅力と知識 2022.07.10

普段は「3ペダルMTより楽なクルマがいい」と気づいてしまった話

先日、これまでの愛車遍歴はすべてMT車という40代のオーナーさんを取材する機会があった。 1台のクルマを長く、大切に乗る方なので、愛車遍歴はどちらかと少ない方(現在の愛車を含めて4台)だと思う。 自分自身、MT車の方が、さらに厳密にいうと「3ペダルMT車」が理想の愛車だと信じて疑わなかった。 その昔、フェラーリ社のトップだったルカ・モンテゼーモロ氏が何らかのインタビューだが、ワールドプレミアの壇上で「これからのフェラーリはF1マチックが主流になる」といった趣旨の発言をしてひどく憤慨した記憶がある。 フェラーリといえばあのシフトゲートを操作するのが至高なのに、何てことをしてくれるんだ!と。その後、フェラーリF355F1からはじまったF1マチックはあっという間に各モデルへと波及し、いつしか3ペダルMT車は絶滅してしまった。 3ペダルMTの絶滅だけが理由ではないが、気がつけば自分も「いつかフェラーリを自分のモノにしよう、したい」という情熱が消えつつある(訳あって、現行モデルで手に入れてみたい1台があるのだが、非現実的なのはいうまでもない)。 先日、自分の愛車(趣味車)で参加したイベントの取材を兼ねて、自宅から100キロほど離れた場所へ向かった。奇しくも当日は猛暑日であり、しかも全国でもトップ3に入るような最高気温を記録する場所へエアコンレス&3ペダルMT車で出掛ける羽目になってしまった。 エアコン(もちろんクーラーも)レスなので、扇風機を車内に据え付けて出掛けたのだが、熱風しか出てこない。途中で止めてしまった。暑いだけではない。古いクルマなので、オーバーヒートのことも気にしなければならない。幸い、高速道路は渋滞もなく、5速で淡々と巡航したので問題なく現地に到着。取材することができた。 問題は帰路だ。炎天下のなか取材を続けているうちにイベントは終了。現地でお開きとなった。Google mapで帰路のルートを調べてみると高速道路はすでに渋滞。夕暮れどきとはいえ、30度を優に超える気温のなかの渋滞に飛び込む勇気はない。というか正直いって嫌だ(笑)。諦めて下道で帰ることにした。途中、渋滞に巻き込まれたときは油温が100度近くまで上昇した。そんなこんだで、油温計をにらめっこしながら自宅に着く頃にはぐったりしてしまった。 そういえば、運転免許を取得した当時、アルバイト先で配達に使っていたハイゼットもエアコンレスだった。もっというとラジオすらついていなかった。パワステやパワーウインドウもない。そこで私は「ハイゼットLM(ル・マンの略)」と命名して、炎天下の配達を楽しんだものだ。当時はまだ10代。エアコンがあろうとなかろうと、3ペダルMT車を運転できることが何より嬉しく、そして楽しかった。ヒール・アンド・トゥーの真似事もこのクルマで覚えた。 そろそろアラフィフに差し掛かる私にとって、いつでもどこでも3ペダルMT車で出掛けるのは苦痛になってしまっていたのだ。いつの間にか「楽なクルマがいい」と考えている自分に気づいてしまった。 セイラさんに「軟弱者!」とひっぱたかれようが、ブライト・ノア館長に「それが甘ったれなんだ!(引用が古い)」とぶん殴られようが、フェラーリを買えるほどの財力があったとしたら迷わずF1マチックを選んでいると思う。でも、マツダロードスターなら迷わず3ペダルMTを選ぶけれど。 子どもが大きくなったら・・・とか、定年退職後の楽しみに・・・なんて思う方がいらっしゃるかもしれない。健康なのうちに、気力があるうちに、可能な限りの3ペダルMTを楽しんでいただきたいと思う。 [ライター・撮影/松村透]

マツダ ロードスター人気はドイツも盤石!現地で見かける日本車とは
旧車の魅力と知識 2022.07.05

マツダ ロードスター人気はドイツも盤石!現地で見かける日本車とは

国産旧車の海外流出や価格高騰が話題となって久しいが、実際にドイツに住んでいる筆者からすると「実感しにくい」というのが本音である。というのも、ドイツ現地の中古車情報誌やインターネット上において国産旧車価格はたしかに上昇しているのだが、公道で見かける国産旧車の顔ぶれは直近の5年間でさほど大きく変化していないからだ。 実は、読者のみなさんの予想通りかもしれないが、ドイツにおいて圧倒的な人気を誇る車種が存在する。まずはそのクルマを冒頭で紹介しつつ、ドイツで見かける主な日本車・旧車について紹介していきたい。 ■長年、ドイツで圧倒的人気を誇るクルマとは? ヨーロッパ各国の中でも、ドイツは比較的「日本車の数が少ない国」に属する。公道をしばらく眺めていても、日本車が通過するまである程度の時間が必要だ。一時期はタクシーとしてトヨタ・プリウスが大量に走っていたが、ここ5年ほどですっかり数を減らしてしまった。かわりに、メルセデス・ベンツのEクラス・Cクラスがタクシーの定番車種として復権している。 そんな中、マツダ・ロードスター(現地名MX-5)の人気は盤石だ。街や田舎、ドイツのどこにでも走っているし、ドライバーの顔ぶれも老若男女さまざま。初代のNAや2代目のNBが今でも現役で数多く見かけるうえ、中古車市場でも一定の人気を保っている。2015年に現行型NDが登場したあとも、コンスタントに毎年約5,000台ずつドイツで登録されている、まさに「ドイツに長年愛され続けるクルマ」の代表格だ。 ドイツでは、初代モデルNAのドイツ向け第1便がわずか3日で完売したエピソードがいまだに紹介されたり、ほぼ絶滅状態だったライトウェイト・オープンスポーツカーを復活させ、BMW・Z3やメルセデス・ベンツ・SLK、MG・F、フィアット・バルケッタ、ポルシェ・ボクスターなど多くのフォロワーを生んだ功績が評価されたりと、単に売上的な面だけでなく、文化的な評価も極めて高いのが特徴だ。 当時のフォロワーたちはすでに後継が途絶えて生産中止になっているか、価格帯をさらに上げてプレミアムクラスに移行しているクルマがほとんどである。そんな中、マツダ・ロードスターは「庶民でもなんとか新車に手が届く稀有なスポーツカー」として、ドイツの人々に広く愛され続けている。 ■ドイツのクラシックカーイベントで見かけるクルマの代表は? 先述のマツダ・ロードスターの件にも通じるのだが、ドイツではとにかくオープンカーが好まれる。「オープンカー大国」といっても過言ではなく、夏の間はひたすら屋根を開けて走るのだ。もっとも、それが可能なのは気候によるところが大きい。真夏でも気温が30度を超える日が続くことは少なく、湿度が低くカラッとしていて、非常に過ごしやすいのだ。しかし温暖化の影響で、毎年少しずつ気温が上昇しているのは間違いなく、ドイツに住む人々も神経をとがらせている。 クラシックカーイベントでもっとも目にする日本車といえば、ホンダ・S600とS800である。ここでもやはりオープンスポーツカーか、と思われるかもしれない。それくらい古くからドイツで好まれているし、クラシックカー専門誌の価格相場表にも必ず記載されている。ちなみに、現在の整備済み車両の相場はおよそ3万2千ユーロ(約448万円)だ。 筆者が以前見かけた個体はエンジンルームまで磨きこまれていて、非常によい状態を保っていた。精密な時計のようなエンジン、とドイツでは評価されている。ホンダ・S2000の人気も高く、2万5千ユーロ(約350万円)以上で取引されているが、クラシックカーイベントで見かけることは少ない。初代NSXに関しては、市場に出回ることすら稀である。 ■「日本のジャガー・Eタイプ」として愛されるのはあのクルマ! クラシックカーイベントで見かける日本車の次点は、日産(ダットサン)・240Zである。流麗なロングノーズ・ショートデッキのスタイリングはドイツでも人気が高く、少なくとも2万5千ユーロ(約350万円)、完璧なコンディションだと3万5千ユーロ(約490万円)で取引されている。ドイツの中古車市場では常時10~15台が流通しているような状況だ。 ドイツ人にとって240Zはとても「イギリス的」に感じるクルマらしく、「日本のジャガー・Eタイプ」として紹介されていることが多い。エンジンの頑丈さや扱いやすさも評価されているようだ。 同じ日産でも、歴代のスカイラインGT-Rを見ることは稀で、クラシックカーイベントにも滅多に姿をあらわさない。初代モデル(PGC-10)の相場は今や7万5千ユーロ(約1,050万円)を超え、トヨタ・2000GTと同様に、オークションでしか手に入らないクルマになりつつある。 ■「ラリー仕様」として見かけるのは、ちょっと意外なあのクルマ 最後に、絶対数は多くないものの、ドイツで存在感を発揮しているメーカーを紹介する。スズキである。ドイツではバイクのほか、船外機のメーカーとしても有名だ。 スズキのクルマでもっとも見かけるのはジムニーである。ドイツの人にとっても、メルセデス・ベンツ・Gクラスやトヨタ・ランドクルーザーは大きすぎると感じる場合があるようで、林道に出かければ「プロの道具」として働く歴代ジムニーを見かけることができる。ドイツはラリーの人気が高いが、三菱・ランサーエボリューションやスバル・インプレッサWRXなどの一連のモデルを見ることはほとんどない。ラリー仕様車として見かけるのはむしろスズキ・スイフトだったりする。かつてジュニア世界ラリー選手権(JWRC)に参戦していたこともあって、スイフトの3ドアモデルをラリー仕様に仕立てて、週末のレースに参加する人は少ないながらも確実に存在している。 ■ドイツの地に爪痕を残し続ける日本車たち ここまで、ドイツで見かける日本車について挙げてきたが、いかがだっただろうか。意外だと思った方も、妥当だと思った方もいると思う。 ここに挙げた車種は、筆者が実際に5年間ドイツで暮らしていて見かけた経験に基づいている。つまり、筆者の居住場所であるベルリンという場所柄が深く関係している。言い換えれば、南のミュンヘンやフランクフルト・アム・マイン、西のケルンやデュッセルドルフではまた違った見え方になるはずだ。ドイツは広く、州によって独自色が強いため、一般化することは難しいということを最後に断っておきたい。 最近始まったマツダの初代ロードスターのレストアサービスは、ドイツでは驚きをもって紹介された。初代NAの部品が手に入りやすくなるはずだ、と期待されている。というのも、国産旧車パーツの手に入りにくさは、ドイツ産クラシックカーの比ではなかったからだ。今後国産旧車が世界で愛され続けるためには、こうしたパーツ供給体制も大きなカギになっていくだろう。今後の他社の奮起にも期待したいところだ。 [ライター/守屋健]  

最小排気量で上限馬力を実現したトヨタ 1JZ型エンジン!今なお名機と呼ばれる理由とは
旧車の魅力と知識 2022.06.24

最小排気量で上限馬力を実現したトヨタ 1JZ型エンジン!今なお名機と呼ばれる理由とは

トヨタ最強エンジンとも称される2JZ型エンジン。しかし、前身となる1JZ型エンジンの開発成功がなければ続く2JZは生まれませんでした。排気量を2.5Lに抑えながらも、自主規制上限の280psを発生し、最高のパフォーマンスを叩き出した1JZ型エンジンの魅力に迫ります。 名機の後継機として開発された1JZもまた名機 JZ系エンジンの初代となる1JZエンジンは、30年近く製造されてきたトヨタを代表するエンジン、M型の後継機として開発されました。排ガス規制や税制上の理由から2.5Lというサイズダウンを余儀なくされた開発となるものの、トヨタの高い技術力によって名機M型エンジンをしのぐパフォーマンスを発揮します。 名機M型エンジンを受けて開発された 1JZの前身となるM型エンジンは、1965年から1993年の28年間もの長期に渡って製造されたトヨタ屈指のハイパワーエンジンです。クラウンはもちろん、セリカXXやソアラ、そして2000GTといったスポーツモデルにも搭載された名機と呼ばれるエンジンでした。 しかし、M型エンジンの基本設計から既に30年近くが経過していたことと、税制区分の変更で2.5Lエンジンが税制上有利になることから新型エンジンへの移行が決定されます。 そこで登場したのが、JZ系エンジンとなる1JZエンジンです。2.5LというM型エンジンより500cc小型ながら、後継機としてM型エンジン以上のパフォーマンスを求めて開発されました。 直列6気筒というトヨタのハイパワーエンジンの系譜をそのまま受け継ぎ、M型エンジンの正当な後継機が1JZエンジンです。 JZ系エンジンの地位を確立した1JZ-GTE JZ系エンジンの基本形は、2.5L直列6気筒の1JZ-GE型自然吸気エンジンで、自然吸気ながら180psを発生するハイパワーエンジンでした。しかし、1JZエンジンの地位を確立したのはツインターボを搭載した1JZ-GTE型エンジン。ヤマハ発動機と共に開発された1JZ-GTE は、2.5Lという小排気量でありながら、当時の自主規制いっぱいとなる280psを発生しました。 そして、1JZ-GTEエンジンの人気に火をつけたのが90型マークII3兄弟であるツアラーVの登場です。4ATしか用意されていなかった80型と異なり、5MTが用意されたツアラーVは、1JZエンジンのポテンシャルを十分に引き出し、スポーツサルーンの代表格となりました。 今も支持される1JZエンジンの魅力 ツインターボによる爆発的な加速力が魅力の第1世代、トルクフルで扱いやすかった第2世代。2世代開発された1JZは、どちらの世代も甲乙つけがたい秀逸なエンジンだったことは間違いありません。また、堅牢で信頼性が高かったことも多くの車好きやチューナーから支持を集めた要因です。 世代によって異なる1JZの性格 1JZエンジンは、可変バルブタイミング機構の有無によって2世代に分かれています。可変バルブタイミング機構が採用された第2世代では、ベースとなる1JZ-GEの出力は200psにまで高められました。 しかし、第2世代最大の特徴はパワーではなくトルクです。とくにターボ仕様の1JZ-GTEでは、トルク特性が大きく変更されました。第1世代のトルクは37.0kg・mを4,800回転で発生していたのに対し、第2世代では38.5kg・mをわずか2,400回転で発生。ターボもツインターボからシングルタービンに変更され、低速域から扱いやすいマイルドな性格のエンジンになりました。 レスポンスが良くターボラグが少ない 1JZエンジンは、トヨタが高い技術力をアピールするために掲げたLASRE(Light-weight Advanced Super Response Engine)として開発されます。軽量コンパクトに設計する一方で、3.0LエンジンだったM型エンジンのパフォーマンス以上のパワーが求められました。 燃焼室形状の変更やバルブ径の拡大、ショートストローク化によってエンジンの高さを抑えることに成功。しかも、ショートストローク化したことで高回転までスムーズに吹け上がる理想的なエンジンに仕上がりました。 さらに、ターボ仕様となる1JZ-GTE型には軽量なセラミックタービンを採用。ターボラグは当時としては最先端といえるほどの水準で、もともと吹け上がりのいいエンジン素性とあわせて抜群のアクセルレスポンスを発揮しました。特に第1世代となるツインターボモデルでは、過給のかかる4,000回転以上で爆発的な加速力を見せます。 チューニングベースとして堅牢な1JZ-GTE 1JZエンジンは、エンジンブロック部分にブロック骨格を採用するなど、もともと剛性の高いエンジンです。さらに、ターボ化にともなって鍛造のアルミ合金製のピストンを採用し、冷却性と耐熱性を大幅に向上。シャフトセンターがブレにくいフルカウンタークランク、耐久性の高いメタルガスケットなど、1JZ-GTEはエンジン自体の基本設計がしっかりしていました。 第1世代、第2世代ともに自主規制によって280psに抑えられていますが、吸排気チューニングやタービン交換でエンジン内部に手を入れることなく400psオーバーを狙うことも可能です。 現在のトヨタハイパワーエンジンにつながる存在 1JZエンジンの成功は、排気量アップモデルとなった2JZ型エンジンや、現在のGR型エンジンの開発へとつながっていきます。M型エンジンからはじまったトヨタのハイパワー直6エンジンは、1JZによって不動の地位を確立しました。 また、1JZエンジンは排気音も大きな魅力の1つ。低回転からスムーズに立ち上がり、独特の高音をともなった咆哮がドライバーの耳に心地よく届きます。欧州の高級スポーツカーに引けをとらないエグゾーストノートは、当時のみならず今もファンを魅了するサウンドです。  

旧車王ヒストリアとは?ご挨拶に代えて
旧車の魅力と知識 2022.06.22

旧車王ヒストリアとは?ご挨拶に代えて

外車王SOKENに引き続き、この「旧車王ヒストリア」の編集長を兼務することになった。現在、このメディアを軌道に乗せるべく、日々奮闘中だ。 20代の頃、未経験なのを承知でいくつかの自動車雑誌編集部の門を叩き、文字どおり「門前払い」を食らった身としては夢のような話だ。あれから20数年・・・。媒体のコンテンツや依頼するライターさんまで、いち自動車メディア全体をコントロールできる編集長という立場(というか権限)を与えられたのだから、人生何が起こるか分からない。 そこでふと我に返った。「媒体全体をコントロールできる立場(というか権限)」ということは、自分のさじ加減ひとつで(もちろん制約はあるにせよ)どうにでもできる事実に気づいてしまった。その気になれば暴君になってなれる。かなり責任重大なのだ。 その気になれば「お友だち内閣」にすることもたやすい。気心の知れた各ライターの皆さんと、楽しく、和気あいあいとこの「旧車王ヒストリア」を運営しても、おそらくある程度は形になると思う。しかし、それでは読者の方にとってオモシロイと感じていただける記事はお届けできないだろう。 メディアに携わるうえの持論として「この仕事はサービス業」だと考えている。自己満足では意味がない。そのためにも、あらゆる手段を尽くして読者の方に「楽しんでいただく」必要がある。そのためには時にライター陣の皆さんと衝突することもあるだろう。袂を分かつことだってあるかもしれない。 前置きが長くなってしまったが「旧車王ヒストリア」とは、運営母体であるカレント自動車(株)が展開する買い取り事業「旧車王」を広く周知するための「オウンドメディア」だ。オウンドメディア・・・つまりはメジャーバンドに対するインディーズバンドのようなものだ。 オウンドメディアの利点のひとつに、広告主の顔色をうかがう必要がなく、その分、発信する情報の自由度が高い点が挙げられる。買い取り事業「旧車王」の買取り案件を増やすためのコンテンツを大量に投下してもいいわけだ。しかし、それでは単なる自己満足になってしまう。 2010年以前の車を旧車と定義し、旧車にまつわる過去・現在・未来の事象、そして何より魅力をさまざまな切り口から、その道に精通したライターの皆さんの力をお借りしていくつもりで準備を進めている。 そのなかのコンテンツのひとつとして、編集長である私の雑多なつぶやきを週に何回かお届けできればと思っている次第だ。 「この仕事はサービス業である」ことを忘れず、少しでも読者の方に楽しんでいただける記事・情報を配信していきたいと思う。 各ライターさんへのお声掛け、コンテンツの煮詰め・・・等々、ありとあらゆることがまだまだ手探りの状態。走りながら考えていかざるを得ない点も少なからずありそうだ。しばらくは試行錯誤の状態が続くと思われるが、ご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。 [ライター・撮影/松村透]

ドリ車ベースは偶然の産物!?発売当初はデートカーだった日産 S13型シルビア
旧車の魅力と知識 2022.06.08

ドリ車ベースは偶然の産物!?発売当初はデートカーだった日産 S13型シルビア

今ではドリ車や走り屋のベース車として認識されている日産 S13型シルビアですが、当時デートカーとして人気だったホンダ プレリュードに対抗して開発されたスペシャリティカーでした。そんなS13型シルビアが、なぜ今も絶大な人気を誇っているのか、そして現在の中古車市場相場はどのようになっているのか見ていきましょう。 スペシャリティカーとして開発された日産 S13型シルビア S13型はシルビアとして5代目にあたり、S12の後継として1988年5月~1993年までの5年間に発売されました。このモデルからボディタイプは2ドアクーペのみで、3ドアハッチバックは「180SX」として発売されます。 今ではすっかり小型FRスポーツの代表的なモデルとして、走り屋やドリフトのベース車という認識が広まっていますが、開発当初のコンセプトはあくまでスペシャリティカー。走りを楽しむスポーツカーではなく、あくまで雰囲気を楽しむデートカーだったのです。 そのため、ライバルのホンダ プレリュードやトヨタセリカに対抗するため、当初はFF(前輪駆動)も検討されていました。しかし、当時流行だった「低いボンネットを持った美しいクーペボディ」を実現させるためFRが採用されます。 走り好きのユーザーが歓喜する小型FRスポーツのS13型シルビアは、デザインを優先したがために誕生した“偶然の産物”とも言えるのです。 流れるようなボディラインと質感の高いインテリア FRにすることにより、低いボンネットを実現したS13型シルビアは、ボディやインテリアのデザインの良さで若い男性だけでなく女性の人気も獲得。その外観デザインはCMや広告で「アートフォース・シルビア」と表現し、1988年10月にはグッドデザイン大賞を受賞するほどの美しさでした。 その結果、ライバルであったプレリュードを超える国内販売台数30万台を達成。さらに、当初はデザインの美しさで高く評価されたS13型シルビアは、小型FRスポーツカーとしても大人気な車種となっていくのです。 入門用スポーツカーとして最適なパッケージング S13シルビアのグレードは、J’s、Q’s・K’sの3種類。前期のJ’s、Q’sに135馬力を発生する1.8LのNAエンジン(CA18DE型)。K’sには、同じく1.8Lでありながら175馬力を発生するターボエンジン(CA18DET型)を搭載しています。 1991年のマイナーチェンジ後は、排気量を2.0Lに拡大したSR型エンジンに変更され、J’s、Q’sに搭載されたNAのSR20DE型は140馬力を発生。対してK’sには、205馬力を発生するターボエンジン(SR20DET型)が採用されました。 走り好きから好まれたのは、スペック的にも格上の後期。やや高回転型で「ドッカンターボ」と言われたCA18DETに比べ、下からトルクが出るSR20DETが好まれるのは当然と言えば当然です。 多くの車種がFRからFFとなり、比較手の出しやすい価格の入門用スポーツカーが少なくなりつつあった90年代から2000年初頭。FR+ターボエンジンというパッケージングは、走り好きの若者から多くの支持を集め、S14型にフルモデルチェンジした後でも、S13型は中古車市場で一定の人気を維持し続けました。 S13型シルビアを売るなら?買うなら? そんなS13型シルビアは、筆者が自動車整備の専門学校生だった20年前、高くても100万円も出せばそこそこ程度の良い(と言ってもあくまで走ることが目的)中古車を買うことができました。しかし、現在S13型シルビアの中古車相場は、高値安定と言わざるを得ない状況です。 大手中古車販売サイトで現在流通している中古車市場を見てみると、掲載数は少なく改造されている車体がほとんどで、走行距離や年式、グレード関係なく大体「200万円~350万円」程度(2022年5月原稿執筆時)。最終モデルである1992年型K’sの新車価格が250万円ほどだったと考えると、現在の中古車相場がどれほど高いかお分かりいただけるでしょう。 次に買取ですが、旧車王で確認すると後期のQ’s クラブセレクションMT、走行距離約16万kmで「25万円」。一番高い買い取り金額は後期のK’s クラブセレクションMT、走行距離約14万kmで「200万円」となっています。 もちろんご存じのように、中古車の買取価格は、個体それぞれの程度や修復歴の有無、カスタムの程度などによって大きく変動するものです。まったく改造されておらず、走行距離が少ない個体なら400万円程度で取引されることも珍しくありません。 まとめ 発売から現在まで人気のS13型シルビアは、今買うとなると当時の新車価格並みの金額でいつ壊れるかわからない車体を買うことになります。 懐かしさからもう一度S13型シルビアを買うこと検討している方は、旧車として故障と向き合う、もしくは故障時の対応やメンテナンスを任せられるショップを見つけて購入することをおすすめします。 現在S13型シルビアを所有している方は、車体の数が少なくなってきている今、売却すると今後買いなおす機会がなくなる可能性がかなり高い状況です。廃盤となった純正部品が多く、維持するだけでも大変かもしれません。 中古パーツやリビルトパーツを使って維持していくか、それとも新しいオーナーを探すために売却するのか。S13型シルビアが高値で取引される今だからこそ、愛車との付き合い方をしっかり考えたいものですね。

日本の技術と経済成長を象徴する1台!常に最先端を走っていたクラウンの軌跡
旧車の魅力と知識 2022.06.01

日本の技術と経済成長を象徴する1台!常に最先端を走っていたクラウンの軌跡

「いつかはクラウン」日本国民の所得が増え、暮らしが豊かになるなかでトヨタ クラウンは国民の目標でした。クラウンは、純国産にこだわって開発された初代から現代まで、常にトヨタの持つ先進技術を投入して開発されてきました。日本の自動車産業を世界レベルに押し上げた立役者と言っても良い、クラウンの軌跡を時代背景と共に振り返ります。 日本を代表する高級車の誕生:初代~5代目 戦後わずか10年で登場した純国産車クラウン。日産でさえアメリカから技術者を呼び寄せて自動車開発をしていた時代に、トヨタは独自開発の路線を取ります。外国車に引けを取らない先進性と信頼性をもったクラウンは、日本の自動車産業に対する世界の評価を変える原動力になりました。 日本の自動車産業を切り拓いた初代クラウン 初代クラウンとなるRS型の登場は、戦後10年を迎えた1955年。初代クラウン最大の特徴は、完全な純国産車である点です。当時の自動車開発は外国メーカーとの提携でおこなわれることが多かった中、クラウンはトヨタがすべての開発をおこないました。 高度経済成長を支えた日本の自動車産業は、クラウンから始まったともいえます。初代が販売された1955年以降のわずか5年間で、現代に通じる自動車の開発体制や量産体制を整えました。続く2代目では現在のクラウンの基本である高級路線に転じ、3代目では今では一般的となった白色のボディを押し出します。(当時は公用車が多くほとんどが黒色だった) さらに、4代目では丸みを帯びたスピンドルシェイプを採用。世界的な「美しさ」や「豊かさ」を求める流れを国産車に反映させました。そして、高度経済成長を遂げる1970年代末期となる1979年には「ロイヤルサルーン」を追加。日本の経済的成長に呼応するように、クラウンの高級路線化を明確にしたモデルになりました。 惜しみなく最新の技術を投入して開発される伝統 「日本初の技術はいつもクラウンから搭載される」という自負のもと、初代では半自動ATを搭載し、2代目では完全自動ATを搭載しいずれも日本初の技術でした。 さらに、日本初ではなかったものの3代目でパワーウィンドウ、4代目ではEFI(電子制御燃料噴射装置)や後輪ESC(横滑り防止装置)を搭載するなど、当時の先進技術を投入。そして、5代目では世界初となるオーバードライブ付4速ATを投入し、日本の国産車が世界に追いつき、そして追い越したモデルとなりました。 以降、クラウンには常に先進の技術が投入される伝統が根付き、現在のモデルでもこの伝統は継承されています。 日本の経済成長を象徴するモデルに成熟:6代目〜10代目 高級セダンとしての地位を確立したクラウンは、1980年代に入り国民のステイタスシンボルともいえる存在まで地位を高めます。時代背景を敏感に読み取り、常に先進技術を投入してきた開発ポリシーは健在で、一気に現代のクルマへと進化しました。 「いつかはクラウン」のコピーでステイタスシンボルに 5代目クラウンでさらなる高級路線を打ち出したクラウンは正統に進化します。 6代目ではパワーシートやクルーズコンピューターなど豪華装備を搭載。さらにターボやDOHCというハイパワーエンジンもラインナップされ、重厚なボディをゆうゆうと走らせました。 そして、7代目で登場するコピーによってクラウンは、ステイタスシンボルに押し上げられます。「いつかはクラウン」豊かになった証としてクラウンを手にするというイメージが醸成されました。 豪華になっただけではなくバブル終焉後も意欲的に開発された 6代目以降のクラウンはバブル景気を背景に、モデルを追うごとに豪華路線をたどります。 とくに8代目クラウンでは、電子制御エアサスペンションに日本初のトラクションコントロール、マルチビジョンに、後席液晶テレビと時代を反映したハイテク装備が目白押しでした。さらに3ナンバー専用ボディを投入し、4.0LのV8エンジンを搭載。豊かさを象徴するように大型化が進みます。 その後、バブル景気は終焉を迎えますが、クラウンの開発は止まりません。1991年発売の9代目にはさらに上級グレードとなる「マジェスタ」を追加し、世界最高レベルの静粛性を実現します。 さらに10代目では、世界的に高まっていた安全性能への意識を反映したモデルに進化。国内初となる車両安定制御システム(VSC)やブレーキアシストの採用、エアバックも標準装備にします。衝突安全ボディ「GOA」と呼ばれるフルモノコックボディも採用されました。 新時代の開拓を目指して開発された:11代目〜15代目 1950年代から続くクラウンの大きな転換点となったのが11代目クラウンでした。これまでの高年齢帯から、若年層をターゲットにするべく若返りが図られます。また、高性能化の一途をたどって開発されてきた自動車業界も、安全性や環境性能を重視する方向に大きく舵を切った時代でもありました。 若年層をターゲットに大きく方向転換 21世紀に入るとクラウンは大きな転換期を迎えます。これまではステイタスシンボルとしてある程度高い年齢層からの支持が中心でしたが、若年層にもしっかりとアピールをする方向に舵を切ります。 20世紀最後のクラウンとして投入された11代目クラウンから、若年層を意識したモデルに変化し、走行性能を高めたグレード「アスリート」が投入されます。 続く12代目では「ZERO CROWN」というコピーを使い、クラウンはゴールではなくスタートであることをアピール。新型のV6エンジンにシーケンシャルシフト付きの6速AT、減衰力制御付電子制御サスペンションを搭載するなど明確に走行性能を意識していたことが分かります。原点に立ち返り、クルマ本来の走行性能を追求することで若者世代への訴求をさらに強めました。 世界がクルマに求める要求を次々に反映 21世紀に入ると安全性や環境保護への意識が高まり、クルマにさまざまな性能が求められるようになります。常に先進技術を投入してきたクラウンも、世相を反映した多くの技術が投入されました。 12代目で初導入されたハイブリッドシステムは13代目でプリウスと同様の本格的ハイブリッドシステムになり、4代目では環境性能と走行性能を両立した新開発の2.5Lハイブリッドシステムへと進化します。安全性能でも13代目には世界初となるドライバーモニター付プリクラッシュセーフティシステム、14代目ではインテリジェントクリアランスソナーを装備するなど常に先進の技術が投入されました。 そして、2018年から販売されている15代目クラウンはスポーティモデルへと舵を切ったクラウンの集大成とも言えるモデルとなります。 3.5Lハイブリッドモデルでは、システム最高出力は359psに到達。そのハイパワーを支える足回りやボディも強化されています。フロントサスペンションは、初代から14代目まで受け継がれてきたダブルウィッシュボーン式に変えて、ハイマウント式のマルチリンクサスペンション採用。ボディ剛性やステアリング剛性の強化もおこない、ハンドリング性能と乗り心地の向上が図られています。 まとめ トヨタ クラウンはトヨタにとってのみならず、日本人にとって特別なクルマです。戦後わずか10年で、しかも当時の先進技術を盛り込み、純国産で高性能車の開発に成功したトヨタの技術力とこだわりは、日本の産業が世界と戦えることを示しました。 初代発売から65年以上もの長きに渡り、常に最先端の技術を取り入れきたクラウン。つい最近発表された現行モデルの受注終了によって新モデルへの期待感が高まっています。(2022年5月現在) 次のモデルはどんな技術とコンセプトで世界を驚かせてくれるのか、今から楽しみで仕方ありません。

突然の愛猫の主治医探しに奔走して痛感した「古いクルマの主治医の大切さ」の話
旧車の魅力と知識 2022.05.25

突然の愛猫の主治医探しに奔走して痛感した「古いクルマの主治医の大切さ」の話

私の家には、先日、8才になったばかりの雌猫がいる。この子との出会いは、2014年に近所のスーパーで見掛けた「猫の里親募集」のチラシがきっかけだった。 スーパーからほど近いとある動物病院で保護されていた「元野良猫」だ。 この猫との初めての出会いはいまでもよく覚えている。すぐに連絡を取り、里親募集をしていた動物病院に行ってみた。 あいにくチラシに載っていた子はすでに引き取り手が決まっており、たまたまその場に居たのがウチの子だった。この子は里親募集のチラシには載せていなかったという。その理由を聞きそびれてしまったので、いまとなっては永遠の謎のままだ。 ウチの子のきょうだいを含めて何匹かの里親待ちの猫がいたのだが、見初めたのは、いわゆる雑種(キジトラ)の女の子だった。 他の子よりもひときわ鳴き、全開でかまってちゃんアピールをする子だった。このとき撮影をした動画をいまでも見返すことがあるのだが、本当にミーミーとよく鳴く子だった。そんな愛らしい素振りもあり、動物病院のスタッフさんたちは、私がこの子を気に入るに違いないと思っていたらしい。 この時点で生後1ヶ月半くらいだったので、もう少し成長してから・・・ということで、お迎えは初対面の日から半月くらい後に決まった。その間にケージやトイレなど、あらゆる猫グッズを取り揃え、万全の体制でお迎えする日を指折り数えて待ちわびた。 こうして引き取ってきた子猫を撮影したのが冒頭の画像というわけだ。この時点で生後2ヶ月くらい。「キトンブルー」と呼ばれるブルーの瞳が子猫である何よりの証だ。名前はリリィと名づけた。特に深い理由はない。入浴中に名前を考えていたとき「ふと降りてきた」のがこの名前だったのだ。 アメリカの独立記念日に我が家にやってきたリリィはとにかくよく動き回った。心配なので、家を空けるときはケージに入れておいた。ケージ生活が長くなると、不満を訴えてきたので、外に出してあげることにした。手のひらサイズだったリリィはあっという間に大きくなり、いまや体重5kgを超えるまでに成長した。幸いメタボではないが、典型的な家ネコのぽっちゃり体型となった。 それから年1回のワクチン接種、3泊以上の外出のときはこの病院が猫にとってのかかりつけ医であり、里帰り先(実家代わり)でもあった。 しかし、Xデーは突然訪れた。実家代わりだったこの動物病院が、院長先生の高齢化により閉院してしまったのだ。 時を同じくして、1週間ほど家を空ける予定があり、どこかに猫を預ける必要に迫られた。幸い、自宅から徒歩圏内にある動物病院で受け容れてくれることになり、無理やりケージに猫を押し込み、預けることができた。 新しい主治医(実家)となった動物病院のスタッフさんからは「何かあればご連絡しますよ」とおっしゃっていただいた。ありがたいなと思いつつ、預けてから1週間、とうとう1度も連絡がくることなく、お迎えの日となった。果たして1週間振りに再会したリリィは牢屋のようなケージの奥でうずくまり、買い主である私が来ても怯えているようだった。 それでも何とかケージに押し込み、自宅に連れ帰った。1週間頑張ってくれたご褒美にスペシャルご飯(ウェットフード)をあげたところ、一気に完食してしまった。しかし、帰宅してからずっとうなり続けていた。私のことを威嚇したり「シャー」をやるわけではないのだが、それでもずっと唸っていた。 突然見知らぬ新たな「実家」に連れて行かれ、狭い部屋に1週間も軟禁されていたのだから当然だろう。こうして、リリィが本来の落ち着きを取り戻すまで数日を要した。 翻って、旧車にも主治医の存在は欠かせないことはいまさらいうまでもない。近い将来訪れるであろう、交換部品の詳細や優先度、その個体特有の持病など、オーナー以上に愛車のコンディションを把握している唯一の人物だ。多くのオーナーにとって主治医なくして旧車との暮らしは成立しないといっても大げさではない。 そんな主治医が突然、工場を閉めるといったら・・・これは死活問題だ。個人的に「主治医のセカンドオピニオン」は反対なのだが、同じクルマを所有する仲間たちとのコミュニケーションを密にして「もしかしたら起こりうるかもしれない新たな主治医探し」への自衛策を普段から取っておくのが得策といえるだろう。なにしろ「Xデー」は突然訪れる。それも「よりにもよって」というタイミングに限って・・・。 [ライター・撮影/松村透]  

オークションでの落札価格が6,000万円!?高騰が進むR34スカイラインGT-Rの秘密とは?
旧車の魅力と知識 2022.05.24

オークションでの落札価格が6,000万円!?高騰が進むR34スカイラインGT-Rの秘密とは?

昨今90年代の国産スポーツカーに新車価格以上の値がつき、日本国外に輸出されていることをご存知でしょうか。今回ご紹介する日産 R34スカイラインGT-Rはまさにその煽りを受け、2021年7月に行われたオークションで、なんと約6,000万円で落札されました。第2世代GT-Rの最終モデルとして名高いR34 GT-Rがここまで高騰している理由とはなんなのか、中古市場も踏まえて解説していきましょう。 第2世代GT-Rの集大成 「人に翼を」というキャッチコピーのもと、1999年1月に発売を開始した日産 BNR34型 スカイラインGT-R。 R32、R33を含めた第2世代最後のGT-RとしてデビューしたR34 GT-Rは、前モデルで不評だったボディサイズの見直しを筆頭に、各部性能の底上げが行われました。 ボディは全長4,600mm×全幅1,785mm×全高1,360mmとなり、先代のR33と比べ、全長は75mm、ホイールベースは55mmダウンすることで車体をリファイン。そして車体剛性の向上や前後重量バランスを55:45に調整するなど、ドライビング性能はより熟成され、多くのファンを唸らせました。 GT-Rを極限まで突き詰めたスペック R34 GT-Rのエンジンは、R32から代々使用されているツインターボ搭載の2.6リッター直列6気筒 RB26DETT型。最高出力こそ自主規制いっぱいの280psのままですが、ターボの改良で最大トルクを40.0kgmまで引き上げ、低速回転域からの立ち上がり性能をアップしました。 トランスミッションはゲトラグ社と共同開発したGT-R初の6速マニュアルや耐久性強化と軽量化を施したアルミ鍛造製の足回りを採用。R34 スカイラインGT-Rが第2世代GT-Rの中で最強であるのはもちろん、モータースポーツやチューニングの世界でも大活躍しました。 価格上昇が止まらないR34 GT-R そんなR34 スカイラインGT-Rは、BHオークションとヤフオクがコラボレーションして開催したオーディションに走行距離10kmの「VスペックⅡ Nur」が出品され、最終的には約6,000万円という驚愕の価格で落札されています。 新車同然の走行距離と限定生産グレードということを踏まえても、新車価格の10倍近いプライスで落札されるというのは異常事態と言ってもいいかもしれません。 このオークションの個体は少々特殊な一例ですが、現在の国内の中古車市場でも1,000万円スタートは当たり前となっており、R34スカイラインGT-Rの価値は上がり続けています。 高騰の原因である25年ルールとは? ではなぜ、そこまでR34スカイラインGT-Rが高騰しているのか、それはアメリカで制定されている「25年ルール」が大いに関係しています。 アメリカでは、通常右ハンドル車の輸入は認められていませんが、生産から25年経過した自動車は「クラシックカー」とみなされ、輸入はもちろん公道を走ることも認められているのです。 それにくわえ、映画「ワイルドスピード」の影響でアメリカにおけるGT-R人気は凄まじいものがあります。先代のR32やR33なども高額で取引されているなか、当然R34もその枠組みに入っているということです。 R34スカイラインGT-Rの初期モデルは1999年製造なので、25年ルールが適用されるのは2024年以降ですが、それを見越しての輸出・輸入の準備は既に始まっており、バイヤ―たちの間では激しい競争が発生。その結果、ただでさえ数が少ないR34スカイラインGT-Rの在庫は減少し、この先もさらに価値が上がっていく可能性が高い状況なのです 手に入れるなら今が最後?R34スカイラインGT-Rの中古車相場と買取価格 R34 GT-Rの価格高騰がいかほどのものか、2021年7月執筆時点の大手中古車サイトで中古車相場を調べてみると、1999年式の最安値の個体ですら1,180万円というプライスでした。 最高額のものとなると、2002年式のVスペックⅡ Nurグレードが3,580万円の価格で売り出されています。また、中古車販売相場の上昇に伴い、買取価格も上昇傾向。旧車王での買取価格はベースグレードが500~1,000万円、VスペックⅡ NurやMスペック Nurとなってくると1,500~3,000万円と一気に上昇しています。 購入、買取ともに新車価格以上の価格になっているのは当たり前で、VスペックⅡ Nurなどの限定生産モデルに至っては、もはや個人レベルでは手の出ない価格帯と言わざるを得ません。 R34スカイラインGT-Rは25年ルール適用の2024年に向けてさらなる価格の高騰が予想されます。購入を検討している方はすぐに決断を固める、そして売却を考えている方は慎重に様子を見た方がよいかもしれません。 まとめ 第2世代GT-Rというブランドの集大成、そして最後のRB26DETTエンジン搭載車ということもあって、R34スカイラインGT-Rの存在は特別。その人気は、現行のR35GT-Rと人気を二分するほどです。 国内外を問わない人気と、わずか3年というモデルライフで総生産台数が約1万2,000台と少ないこともあり、市場価格は上がり続けています。 2021年現在で、約6,000万円という価格で落札されるという現状と、25年ルールが刻々と迫るなか、1億円越えのR34 GT-Rが現れるのもそう遠くないかもしれません。 [ライター/増田真吾]

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