2025年4月13日(日)。広島県の複合レジャー施設「神石高原町ティアガルテン」で、今年も「車輪村2025」が開催された。 開催18年目を迎えた「車輪村」は、神石高原町の有志によって結成された「TEAM車輪村」が主催する、自動車文化を軸とした地域活性イベントだ。地域とのつながりを大切にしながら、モータースポーツの魅力や旧車の世界を広く伝える場として、毎年多くの来場者を迎える。 今回、前半は雨天に見舞われたが、イベント当日の様子をたどりながら車輪村が持つ魅力と、その根底に流れる想いを紹介していきたい。 午前:風雨の中、スタート 9:00を過ぎ、風雨が強いものの、会場には次々とギャラリーが訪れた。駐車場周辺にはクルマの列が伸びていく。 レインウェアに身を包んだスタッフの皆さんは、冷たい雨に打たれながらも1台ずつ丁寧に誘導。さらに、足元の悪いなかを歩く来場者にもさりげなく目を配り「おはようございます」「足もと気をつけてくださいね」と声をかける。天候の厳しさよりも、スタッフの皆さんのあたたかさが勝った。 雨のなかの熱気! 10:00からのエクストリーム&ダートトラックバイクショー、まこつシビックパフォーマンス、ドリフトマシンパフォーマンスは雨の中の開催となった。 海外でも活躍するダートトラックの大森雅俊選手、スタントライディングのトップライダー木下真輔選手、沖縄県出身で新進気鋭の屋比久大選手、国際大会に参戦するなど活躍中の照屋則斗選手が登場。水しぶきをあげてマシンが舞うたび、大きな歓声と拍手があがっていた。 続いて、DIYカスタムや車両レビューで注目を集める人気インフルエンサー「まこつ」さんが登場。この日は自身の愛車、シビックを駆ってのパフォーマンスを披露した。動画と変わらない軽快なトークと走りで会場を盛り上げていた。 ドリフトマシンパフォーマンスでは、今年も国内のトップドリフターが会場を魅了。登場したのは川畑真人選手、日比野哲也選手、松川和也選手、石川隼也選手。そしてレジェンド“のむけん”こと野村謙選手、息子の圭市選手にも注目が集まった。 限られたスペースのなか、呼吸を合わせるように展開されるドリフト。スキール音とエキゾーストノートが観客のボルテージを引き上げていく。コースを目一杯使っての迫力のパフォーマンスに、ギャラリーは魅了されていた。 パフォーマンス終了後は、コース内への立ち入りが解禁された。天気も回復し、太陽が顔を見せた。選手たちはサインや記念撮影に気さくに応じており、本番とはまた違う和やかな時間が流れていた。 とりわけ人気だったのが野村選手親子。サインと記念撮影を求める列が途切れることなく続いていた。 地元から訪れていたファミリーに話を聞いた。小学生の息子さんは野村謙選手の大ファンで、昨年の車輪村は都合がつかず悔しい思いをしたそう。「やっと来れた!迫力があった!」と話す息子さんのキラキラした笑顔が、まるで雨上がりの空とシンクロしているようだった。 展示参加のオーナーにインタビュー 飲食ブースも営業をスタート。雨が降って肌寒いからか、あたたかいラーメンを求めて列をつくる来場者の姿があった。 お好み焼き、牛串、唐揚げなどの魅力的な店舗がずらり。毎年多様なグルメを楽しめるのも、車輪村の魅力のひとつとなっている。 個性あふれるヒストリックカーたち 会場に並んだヒストリックカーやカスタムマシン。ジャンルも異なる車輌が一堂に会した。 【VOICE】展示参加のオーナーにインタビュー 車輪村は、オーナー同士の交流の場でもある。 ヒストリックカー展示エリアでは、今年も国産旧車を中心に多彩な名車が並んだ。なかには数十年間1台と歩んできたオーナーや、部品調達から整備まで一人でこなすDIY派も。 オーナーの皆さんがどのようにして愛車と出会い、どんな思いで維持を続けているのか。それぞれのカーライフに耳を傾けてみた。 プリンス スカイライン 1500 DX オーナー:渡邉さん スカイラインのオーナー・渡邉さんは90歳。愛車は新車から60年の付き合いだという。年齢を感じさせないハツラツとした様子に、こちらも笑顔になる。 スカイラインは、整備のほとんどを自ら手がけており、レストア済みのブルーのボディが印象的。 車輪村には開催当初から“皆勤賞”で出展しているそうで、スタッフの皆さんとも顔なじみ。この日も奥さまと一緒に来場し、イベントを満喫していた。 スズキ ジムニー オーナー:古谷さん 独自のスタイルで注目を集めていたのが、古谷さんのジムニーだった。エンジンルームを覗き込む来場者の姿が絶えなかった。 「悪路に強く、災害時にも頼れる1台。ジムニーは機能性と趣味性の両立が魅力です」 と話す古谷さん。昨夏にエンジン不調を起こしたため、以前に部品取り車から“収穫(摘出)”しておいた予備エンジンをオーバーホールのうえ載せ替えての参加となった。 この予備エンジン、入手当初から腰下がSJ30後期用、腰上がSJ10用のシリンダーにもオイル給油がされるタイプのものが付いているという、異なる世代のLJ50が組み合わされている。ある意味、歴代LJ50のいいトコ取りな仕様となっており、結果的に「耐久性はオリジナルを凌ぐのではないか」とのことだ。 車輪村にも初期から参加していて 「この車輪村は毎年、新鮮さを感じています。いろんなカスタムが一堂に集まり、見るだけでも飽きません。多彩な催しが楽しめて、幅広い世代が集う雰囲気も好きです」 と語っていた。 スズキ アルト オーナー:三宅さん 通りすがる人々が足を止めて見入ってしまう、美しい佇まいを放つ三宅さんのアルト。10年越しの想いが叶い、念願だった2サイクルのSS30Vを1年半前に手に入れたという。 骨格からコツコツと自身の手でレストアし、塗装もホワイトに塗り替えた。時間と手間を惜しまず丁寧に仕上げたボディは、まさに三宅さんの愛情そのものだ。 「このクルマは、日常的にバリバリ乗っていて、雨の日も風の日も乗ります。維持も無理なくできてますね」 自分の手の内に収まっている安心感があり、何が起きても対応できる。だからこそ毎日乗れるし、長く付き合える。「自分にしっくりきている」と笑顔で話す三宅さん。 車輪村には5年ほど前から参加しているそうだ。 「さまざまなジャンルのクルマが見られる。新しい発見もあるし、規制のなかで毎年しっかり開催を続けているのはすごいですよね」 と話していた。 三菱 ミラージュ オーナー:井上さん 井上さんのミラージュは、所有歴約20年。元のオーナーが4年、3万kmほど乗って手放した個体を購入した。ボディカラーは「アドリアブルー」だそう。 「私が三菱自動車に入社した年に、このミラージュが発売されたんです。生産にも関わっていました。やっぱり思い入れは強いですね」 部品の供給はすでに厳しく、特に外装モールの剥がれに悩まされているというが、あの頃の記憶が詰まったこのクルマを手放すつもりはない。 車輪村への参加は今回で2度目。昨年、旧車仲間に誘われて初参加し、そのおもしろさに魅了されたとのこと。 「運営スタッフの皆さんがとても精力的で、参加者を楽しませようという気持ちが伝わってきます。催しも一日中いろいろあって、世代を問わず楽しめるイベントですね」 と語っていた。 当日、筆者の機材トラブルで外観写真を残すことができなかった。運転席には、手をかけて乗り続けてきた歴史が息づいていた。 来場者 小林さん 今年、自動車販売会社に入社したという小林さん。クルマ系イベントへの参加は今回が初めてで「見聞を広げたいです」と、会場をじっくり回りながら真剣にメモを取る姿が印象的だった。 「まだまだ勉強中ですが、クルマが好きです。今日はたくさん写真を撮っています。あとでしっかり復習します」 個人的に気になった車輌は、GTルックにカスタムされたホンダ NSXだそう。「オーナーの方にもお話を聞いてみたいですね」と目を輝かせる姿が印象的だった。 フィナーレは笑顔のキャッチボール! 午後4時頃、フィナーレのヒストリックカーパレードが始まるころには、空はすっかり晴れ渡っていた。展示車輌がパレードしながら帰路につく。 沿道には、スタッフたちの姿があった。スタッフであり「車輪村を大切に思うひとり」として1台ずつ送り出す。あるオーナーは、クラクションを鳴らしながら何度も会釈して走り去る。別のオーナーは、助手席の子どもと一緒に手を振っていた。 「ありがとうございました!」というスタッフの声は、途切れることがなかった。来場者のクルマも含め、最後の1台が見えなくなるまで見送り続けた。地域と人をつなぐホスピタリティを感じずにはいられない、あたたかい場面だった。 編集後記 雨で始まり、晴れで締めくくった2025年の「車輪村」。天気もドラマの一部になってしまったように感じられた。クルマ愛・地元愛・人のつながりが、今年も会場を熱くした。神石高原での再会を、来年も心待ちにしたい。 ※なお、当日は雨の影響による機材トラブルのため、一部車輌の写真を掲載できなかったことをお詫びいたします。 [写真提供/TEAM車輪村] [ライター・カメラ / 野鶴美和] [取材協力・写真提供 / TEAM車輪村]
「旧車」と聞いて、どんなクルマを思い浮かべるだろうか。筆者にとっての旧車は、スバル360や三菱500、コスモスポーツやハコスカGT-Rなど、昭和の素敵なクルマたちだった。 だが、今や旧車の定義は広い。昭和の名車たちはもちろん、90年代のスポーツカーまで「もう旧車なんですね」といわれるようになった。いわゆる「ネオクラ」や「ネオクラシックカー」などと呼ばれている時代のクルマたちだ。マツダ RX-7やホンダ シビック タイプRなどの現役時代を知っている世代からすれば、それほど古いクルマというわけではないのだが・・・。 ■ホンダS2000を20年所有してみて気づくこと ちなみに筆者も、S2000を約20年所有している。今では「古いクルマ」の仲間入りをしているが、乗っているうちにそうなってしまった。 そんな世代の筆者が「旧車趣味」と聞いてまず思い浮かべるのは、ガレージで一人黙々と整備をする姿だ。部品確保から維持まで、基本は自己責任。まさに“孤高の趣味”といえよう。 実際、他人とかぶらない車種を選び、希少性にこだわるオーナーは今も多い。旧車イベントに足を運ぶ理由も、まず「見てほしい」「知ってほしい」という思いが先に立つ。それは至極まっとうな動機だ。時間をかけて仕上げた愛車を見てもらいたい。理解されたいといった気持ちが原動力になっている。 しかし今、誰もがSNSや動画で発信できるようになり「見てほしい」「知ってほしい」という思いは、そのまま「つながり」へと変わっていく時代になったと思う。 「仲間の存在も、クルマを動かす機構の一部といえるかもしれない」 そんな気づきから、このコラムを書きはじめた。あなたの愛車はどうだろうか?誰かの言葉に助けられたことはなかっただろうか? これから旧車に乗ろうと思っているあなたは、すでに一人ではない。 ■“時を戻そう!”「いいね」もなかった頃の情報共有術 そもそもカーライフに「つながり」が生まれるようになったのは、いつからだったのか。記憶を巻き戻してみたい。 1990年代前半。旧車の情報は、SNSや動画で探せる時代ではなかった。雑誌やクチコミが頼り。部品の流用やトラブル事例など、マニアックな情報はそもそも出回っていなかった。 今のように「いいね」ボタンもなく、即座に反応が返ってくることもない時代。当時のオーナーたちは、HTMLを手打ちして個人ホームページをつくり、備忘録として整備記録やパーツ情報を書き残していた。それは、誰かの道しるべになればという祈りにも似た行為だった。 個人ホームページにも読者やファンはいたが、リアルタイムでのやりとりはまだ難しく、メールやBBS(掲示板)に書き込んで返事を待つしかなかった。 もちろん、当時もオーナーズクラブなどは存在していたが、普段はML(メーリングリスト)などで連絡を取り合い、オフラインミーティング、いわゆる「オフ会」の場においてリアルで集まれる限られたつながりが中心だった。輪の中に入れなかったオーナーたちにとって、個人のホームページは貴重な発信手段だった。そうしたなかで、ゆっくりとした出会いが生まれていたのだ。 当時、筆者はS2000に特化した「I love S2000」という個人サイトをチェックしていた。いわゆるS2000の老舗サイトで、整備記録やパーツレビュー、オーナーたちの個人ページへのリンク集など、交流の記録が丁寧に蓄積されていた。S2000が新車として販売されていた時期だが、そこにはすでに「旧車になっても乗り続けたい」という熱量があった。 「I love S2000」では、コミュニティによる濃密なつながりも生まれていた。当時のホンダ専門誌でも、コミュニティでつながったS2000オーナーたちによる座談会記事が組まれていたほどだ。当時の筆者はS2000さえ所有していなかったが「同じクルマの仲間は、こんなに濃くつながるのか」と強く感じたことを覚えている。 ■情報共有が絆になる時代へ 2000年代に入ると「つながり」は一気に加速した。 2004年にサービスを開始したSNS「mixi」は、コミュニティという概念を広め、同じ趣味の仲間と気軽に交流できる環境を生み出した。ブログ機能や相互フォロー関係「マイミク」とのやりとりから、オーナー同士のリアルなつながりが生まれた。 また、2000年代後半になると、カーライフSNS「みんカラ(みんなのカーライフ)」が台頭。車種別の整備記録やパーツレビューの機能が備わり、検索すれば誰かの経験談にたどりつける環境が整った。 SNSや動画が主流となった現代では、パーツレビューや整備情報などの知見が、驚くほどのスピードで共有されるようになった。誰もが「発信者」となれる時代だ。さらに、誰かの失敗談までも拡散・共感され、励ましの言葉が寄せられる。情報だけでなく気持ちも共有され、自然と対話が生まれていく。 たとえば筆者が所有するS2000では、経年劣化によって起こる「ブレーキペダルやクラッチペダルのストッパーパッド脱落」の情報が、SNSを通じて広く共有されている。 他車種でも起こるトラブルだが、S2000は登録から20年以上が経過した個体が多いため、近年とくに報告が増えている。ある日、フロアに割れたストッパーパッドが落ちていることに気がつく。劣化して黄ばんだ見た目から“ピーナッツ現象”と呼ばれるこの不具合も、誰かが発信してくれたことで対策方法や純正品番が広まり、今では多くのオーナーの共通認識になった。 あらためて考えてみると、まるで見えない仲間に守られているようだ。これは「仲間意識」とは少し違う。一体感や連帯感とともに実用的なつながりをもちつつ、「クルマと今を生きる意志」を分かち合っているのではないだろうか。これは、どんなクルマでもあると思う。 ■仲間づくりは“結果論”でもいい 旧車と生きるには、仲間がいたほうがいい。 ・絶版部品や最新情報を共有できる・整備や修理のノウハウを分かち合える・同じ価値観を持つ仲間の存在が、精神的な支えになる 知識や技術はいうまでもないが、なにより一歩を踏み出せる“きっかけ”をもたらしてくれる。クルマ仲間とは、情報共有を超えて「背中を押す存在」でもあると思わずにはいられない。 誰かの投稿に背中を押され、放置していた修理に再挑戦できた。パーツの入手法を知ってあきらめずに済んだ。あるいは、何気ない投稿が「まだ手放さなくていい」と思わせてくれたオーナーもいるかもしれない。 もし、誰かの発信がきっかけで問題を解決できたなら…ひとことでもいい。感謝の言葉を伝えてみてほしい。気持ちのつながりが、未来にもつながっていくのだから。 [ライター・カメラ / 野鶴美和]
2024年11月17日(日)、岡山県真庭市で初の開催となった「MHヒルクライム/真庭速祭」。 モータースポーツ文化を、地域の活性化へとつなげる目的で企画された「公道ヒルクライム」のイベントだ。舞台となった広域農道「木山街道」では、プロドライバーによる本格的な走行が繰り広げられ、観客を魅了した。 ここで、本記事を通じて改めて強調しておきたい。 イベント終了後、木山街道や周辺での暴走行為や迷惑行為は絶対に避けたい。地域との調和があってこそのイベント。地元住民への配慮なくして、このすばらしいイベントは成り立たない。 今回は、来場者や関係者の声を交えつつ、この特別な1日を振り返る。 真庭速祭とは 真庭速祭は「真庭速祭実行委員会」が主催し、自動車メディア「モーターヘッド」が企画運営を担当。地元住民や行政との協力のもと開催されている。 舞台となったのは広域農道「木山街道」。ちなみに広域農道とは、農産物輸送のために整備された道のことだ。 木山街道は、標高500m付近の山間部を、アップダウンを繰り返しながら延びている。この道の区間に4.3km(計測区間/パドックからゴールまでは約6.5km)のセクション(コース)が設けられた。 そして、スタート地点には会場にはドライバーやメカニックが集うパドック、特設ステージ、飲食や物販コーナー、貴重な車両やエンジンが展示されるミュージアムも設置。来場者数を限定しながらも大盛況となった。 さらに、イベントの様子はYouTubeでもライブ配信され、会場に来られなかったファンにも熱狂が届けられた。 イベントダイジェスト 当日の朝は曇りで気温は17度。午前中には霧が立ちこめ、一部路面はウェットコンディションに。午後からは雨が降り出したため、路面はヘビーウェットとなった。それでも、プロドライバーたちは悪条件をものともせず、観客を唸らせる走りを披露した。 走行はクラスごとに分けられ、マシンが観客に囲まれながらスタートする様子はドラマチック。走行を終えたマシンがそろって戻るパレードランのような場面もあり、華やかな空気が漂った。 出走前に安全確認を行う「ゼロカー」を、パイクスピークにも参戦する小林昭雄選手が担当。車両はパイクスピーク仕様のポルシェ911(type996)GT3CSが使用された。小林選手のスムーズなコース確認が安全面でもイベントを支えた ▲走行を終えて帰還するマシンたち。観客に拍手で迎えられていた ドライバーとマシンの顔ぶれ 真庭速祭では、チューニングクラスからレジェンドクラスまで、バラエティ豊かなマシンが登場。それぞれのマシンをトップドライバーたちが担当した。 チューニングクラス ・BOLD WORLD GT-R BNR34:稲岡優樹・FUJITA Engineering FD3S GT3:和田久・Jing BNR32 Group A spec:木下みつひろ・OS GIKEN TC24-B1Z / S30Z:井入宏之・HKS Racing Performer GR86:谷口信輝・ARVOU S2000:柴田優作 地元「オーエス技研」のマシンに熱視線 地元・岡山県のオーエス技研も「S30Z(フェアレディZ)」で出走。今回走行したマシンの中で、もっとも車齢を重ねた車両だった。自社開発されたエンジン「TC24-B1Z」を搭載するこちらのマシンには、同じく自社で開発・製作されたクラッチやLSDを搭載。ドライバーは井入宏之選手が担当した。 【VOICE】:OS GIKEN TC24-B1Zを見て 「地元企業の力を感じました」 「オーエス技研のマシンを目的に来ました。技術の結晶ですね。展示されていたエンジンも間近で見られて感動しました。市販車とは違う点も丁寧に解説していただき、勉強になりました」(宮本英貴さん 岡山県在住) 「アルボー S2000」が再び木山街道を駆ける 真庭速祭のプロモーション映像にも登場した、人気ショップ「アルボー」のマシンも出走。S2000をベースとしたこちらのマシンは、ドライバーでアルボー代表でもある柴田優作選手自身が手掛けている。2023年のワールド・タイムアタック・チャレンジでクラス優勝を果たしている“国内最速級”のマシンだ。 レーシングクラス ・ZENKAIレーシング:林寛樹・ACR ASTON MARTIN V8 Vantage GT4:ハナ・バートン・Katsu Taguchi FIESTA Special:田口勝彦・CUSCO SUBARU Impreza / JGTC GT300:小林且雄・HONDA WTCC CIVIC:道上龍 「JGTC GT300 クスコ・スバル・インプレッサ」の勇姿にファン歓喜! 全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスで活躍した「クスコ・スバル・インプレッサ」が登場。このマシンを操ったのは、当時のドライバーである小林且雄選手。なんと、当時のレーシングスーツに袖を通しての出走だった。その姿は、あたかも時間を巻き戻したかのよう。ファンからは歓声と拍手が沸き起こっていた。 圧巻の走り!「Katsu Taguchi ・フィエスタ スペシャル」がイベント最速を記録 地元・岡山県出身のラリースト、田口勝彦選手が駆る「Katsu Taguchi ・フィエスタ スペシャル」が、この日のトップタイムを記録。2分11秒327を叩き出した。午後からの雨でヘビーウェットとなった木山街道をものともせず見せつけた走りは、今後の真庭速祭で目標タイムとして語り継がれるだろう。 MEC120を戦う「ZENKAIRACING v.Granz」が木山街道を疾走! 耐久レース「MEC120」に参戦するZENKAIRACINGのマシン「ZENKAIRACING v.Granz」が出走。代表でもある林寛樹選手がドライバーを務めた。また、ミュージアム内にてレーシングシミュレーターの体験ブースも展開、好評を博していた。 【VOICE】ZENKAIRACING ドライバー・林寛樹選手に聞く 先が見えないし、怖い…でも、とにかく面白い! 通常ではありえない2車線フルレーン走行、レーシングマシン(v.Granz)での走行、レーシングスリックでの走行、速度制限なし、制限区間以外は音量規制もなしという条件で、正式なコースとして全開走行できたことに感動しました。そして大変面白かったです。地元住民や関係者の皆様のご理解と協力のおかげで、この夢のようなイベントが実現できたことに、心から感謝申し上げます。 真庭速祭には、昨年のテストイベント時から注目しており「峠をレーシングマシンで全開走行する」という夢のような企画に心を奪われていました。 今年に入って高田さん、三栄さん、MADLANE大橋さん、多くの方々との出会いやご縁を通じて、関係者として参加する機会を得ることができ、本当に感謝しています。イベント終了から1週間経った今でも興奮が冷めません。真庭速祭は、たくさんの方々の想いをカタチにした特別なイベントです。これからも地元に根付く「秋祭り」のような継続的なイベントへと発展していくよう、微力ながらお手伝いできればと思っています。 レジェンドマシンの競演 往年のレースで輝かしい戦績を残したレジェンドマシンたち。その走りを一目見ようと、多くの観客がスマートフォンやカメラを手にスタート地点に集まった。 レジェンドクラス ・NISSAN R91CP:久保田克昭・RX-7 FC3S GTU IMSA:谷口信輝・ADVAN alpha 962C:諸井猛 デイトナ24時間レース優勝マシン「日産・R91CP」 1992年のデイトナ24時間レースで総合優勝を果たした「日産・R91CP」がヒルクライムに登場、V型8気筒ツインターボエンジンが咆哮をあげた。バーンアウトからスタートするその走りに、ギャラリーは釘付けとなった。 【VOICE】:R91CPを見て 走り去る音が忘れられない。 「R91CPを目の前で見られるとは思っていませんでした。この音は映像ではなく、生で体感しないとわからない迫力があります」(男性) デモラン ・Williams FW12:谷口信輝・MADLANE DIABLO GTR:大橋和生・Bond Cars Aventador SVJ:山田雅司 F1マシン「ウィリアムズFW12」に興奮! 1988年のF1で活躍した「ウィリアムズFW12」も登場。V型8気筒NAエンジンを搭載して戦ったこのマシンを、谷口信輝選手が駆った。 【VOICE】:ウィリアムズFW12を見て少年時代の憧れが蘇る 「TVで観ていたウィリアムズFW12を実際に目の前で見られるなんて。しかも火入れから!小学生の頃に戻った気分です」(男性) 迫力!リバティーウォーク(LBWK)のトレーラーヘッドが峠を駆ける LBWK(リバティーウォーク) RUN ・LB40-AZ1 :後刻指名・LB 35GT-R :後刻指名・LB S15 SILVIA :後刻指名・LB Tractor Head :後刻指名・LB Tractor Head :後刻指名 人気ショップ、リバティーウォークが手掛けたドリフト仕様のマシンに加え、トレーラーヘッド4台が走行。重厚感あふれるトレーラーヘッドが駆け抜ける姿は、他のマシンとは異なる迫力を放っていた。 【VOICE】:マシンの迫力に圧倒された! 「初めて見る生の走行に感動しました」 「レーシングカーを見るのはもちろん良かったですが、トレーラーヘッドが走るシーンは圧巻でした。働く車がこんな形で公道を走るのを初めて見ました。今後も地域イベントとして継続してほしいです。広島でもこんなイベントがあればいいのに!」(男性 広島県在住) 幅広い世代が楽しめる会場作り 特設会場では、モータースポーツファンだけでなく、家族連れも楽しめる工夫が満載だった。ミュージアム展示や物販、飲食エリアを通じて、地域の魅力や自動車文化を存分に感じられる空間が広がった。 また、特設ステージでは実況のほかにトークショーやジャンケン大会なども開催された。 進行役やゲストのトークでさらに熱狂 レース実況でおなじみの人気アナウンサー・ピエール北川さん、藤原よしおさんらが進行役を務め、ゲストとの軽快なトークで会場を盛り上げた。マシンや選手にまつわるトリビアを交えた楽しいやり取りに、観客も引き込まれていた。 【VOICE】:会場でしか味わえない魅力がある 音や匂い…現場ならではの臨場感を堪能 「音や匂いなど、現場でしか味わえないものがあるのが嬉しいです。実況のピエール北川さんのファンです。今日のトークもとてもおもしろかったです」(岡山県在住 生嶋美由紀さん) パドック見学 パドックエリアでは、走行を控えたマシンを至近距離で見学でき、観客とドライバー、チームクルーの距離が近いのも印象的だった。 マシンの整備作業やドライバーがリラックスする姿を、サーキットよりも近い距離で見られ、記念撮影に応じるドライバーの姿もあった。こんな場面も真庭速祭ならではの魅力のひとつかもしれない。 【VOICE】:地元で開催されたことを誇りに思う マシンやチームとの距離の近さがすごい 「地元で開催されたことを誇りに思います。ドライバーやチームクルーと会話できるのもすごいですね。今日は、30年前から交流のある田口選手の応援に来ました」(真庭市在住 内藤貴嗣さん) ミュージアム展示 ミュージアムでは、往年の名車やエンジンが数多く展示されていた。 歴史的なマシンを間近で観察できるのはもちろん、そのディテールに驚嘆したり、思わずため息をついたりするファンの姿が見られた。さらに、物販コーナーやドライビングシミュレーターの体験ブースも人気を集め、幅広い世代が楽しめる催しが充実していた。 「ZENKAIRACING」のシミュレーターコーナーでは今回のコースを再現! 【VOICE】ZENKAIRACING代表 ・林寛樹さんに聞く ヒルクライム走行にも出走したZENKAIRACINGが手がけるシミュレーターブースを、ミュージアムで楽しむことができた。代表の林寛樹さんに、今回の出展を通じて感じたことや、木山街道コースデータの製作秘話を伺った。 特製・木山街道の走行データを楽しんでいただきました。 普段は見ることのできない貴重なクルマやレーシングカーを間近で体験できたことは、来場された皆様にとって大きなインパクトを与えたと思います。加えて、私たちの最新レーシングシミュレーター(SIM)を通じて、時代の進化を伝える場にもなりました。SIMに馴染みのない方も含め、体験中には多くの会話が生まれており、そこに喜びを感じました。また、クルマ好きだけでなく、地元の家族連れや年配の方々も多く参加されており、地域の関心の高さを感じることができたことも意義深いものでした。 今回の体験コーナーでは、木山街道のコースデータをご用意しました。イベント2か月前から準備を進め、ギリギリでしたがイベント直前にベータ版が完成。最終調整を経て、約2000名の来場者のうち、約200名もの皆様に楽しんでいただくことができました。 限られた体験時間内では、通常のグリップ走行が中心でした。実は前日のテスト走行では、峠をドリフト状態のまま“一筆書き”で走り切ることも可能だったんです。この隠れた遊び方はまたの機会に…! 【VOICE】レーシングシミュレータースペース SimGoya代表・菅田政宏さんに聞く 株式会社オートショップカンダ代表で、シミュレータースペース「SimGoya」を運営する菅田政宏さんは、今回シミュレーター体験のアテンドスタッフとして携わった。岡山県民、そしてクルマを愛する一人としての思いを伺った。 地元の人間として携われてうれしい。青春のマシンたちとも再会できました。 今回、ZENKAIRACINGの林さんから地元開催ということでお手伝いをお願いされ、喜んで参加させていただきました。林さんはその名の通り「全開」で熱い方なので(笑)、その情熱に共感しながらお手伝いできたのがうれしかったです。 私がアテンドした方々の中には「レーシングシミュレーターの存在は知っていたけれど、実際に体験する機会がなかった」という方が多くいらっしゃいました。 今回の体験コーナーで、子どもたちが無我夢中でステアリングを握り、目を輝かせている姿がとても印象的でした。リアルとヴァーチャルが一つの場所で一体になったのを見たとき、レーシングシミュレーターも人の心を動かせるポテンシャルを秘めていると確信しましたし、この機会を通じてもっと身近な存在になればと思います。 岡山県民として、この真庭速祭を知った時から「何かの形で携わりたい」と思っていました。今回、スタッフとして現地で参加できたことは感慨深い体験です。FW12やMP4/6、グループAのGT-R・R91・GT選手権のF40など、まさに青春時代“ドンピシャ”なクルマたちがそろい、感動の連続でした。 特にグループAのGT-Rは、私が中学生の頃に初めて見たレーシングカーで、自動車業界に足を踏み入れるきっかけとなった車両です。その車両が、私の真後ろに展示されていて、本当にうれしかったですね。そして、FW12のエンジンに火が入った瞬間、思わず涙が出てしまいました。このイベントを通じて、来場された方がモータースポーツに興味を持ち、楽しんでいただけたなら幸いです。 来場者にシミュレーターをアテンドする菅田さん。憧れのMP4/6の傍で仕事できたことにも幸せを感じていたそうだ ホンダRA271とマクラーレン・ホンダMP4/6の展示ブース マクラーレン・ホンダMP4/6。アイルトン・セナが操ったマシンを360度見ることができた。「タイヤが意外と大きいね」という声が聞こえてきたほか、フロントウィングなど、マシンの緻密な造形に驚く声も多かった 「ホンダコレクションホール」による展示は、歴史的なF1マシン「RA271」と「マクラーレン・ホンダMP4/6」が並び、観客の目を引いた。 ▲ホンダ初のF1マシン「RA271」が展示された 【VOICE】エンジン車が持つ魅力を忘れてはならない 展示だけでもすごい! 「乗っているクルマはホンダ一筋です。今日は友人に誘われて初めて来ましたが、この展示だけでも大満足。EV化が進む中でも、こうしたエンジン車が持つ魅力を忘れてはならないですね」(男性) あの「トミタクZ」が登場 【VOICE】エンジンビルダー・富松拓也さんに聞く エンジンビルダーであり、オーエス技研のチーフエンジニア、人気YouTuberとしても知られる「トミタクさん」こと富松拓也さんの愛車「トミタクZ」が展示されていた。富松さんが復活させた“幻のエンジン”と呼ばれる「TC24-B1」を搭載したこのフェアレディZを一目見ようと、ファンが次から次へと訪れていた。 地元に根付くイベントとして続くことを願っています。 私たちの地元である岡山で、本物のレーシングカーが公道を走るという特別なイベントに参加でき、とても感激しました。実行委員長の大橋様をはじめ、関係者の皆様の多大なるご尽力のお陰です。 オーエス技研としても、1981年当時のTC24-B1エンジンを搭載した「トミタクZ」の展示や、現代版TC24-B1Zエンジンを搭載した「S30Z」レーシングカーの走行を通じてイベントに貢献できたことをうれしく思っています。 S30Zは、出走車両の中でも最も古い年式でしたが、そのNAキャブレターエンジンのサウンドを多くの方に楽しんでいただけたことが何よりの喜びです。 このイベントが地元に根付いた素晴らしい催しとして、次回、さらにはその先も続いていくことを願っています。今後も可能な限り協力させていただきます。ありがとうございました。 ▲TC24-B1は、当時のフェアレディZ、ローレルなどに搭載されていたL28型をベースにし、独自の技術でツインカム4バルブ(クロスフロー方式)にしたエンジンだ 地元グルメと物販ブース フードエリアではさまざまなグルメが楽しめ、地元特産品のマルシェもにぎわった。オリジナルグッズなどの物販コーナーも並び、各ブース前には大勢の観客が列を作っていた。 立ち上げから携わってきた「木山神社」のブース 【VOICE】木山神社宮司・鈴木宏志さんに聞く 「木山神社・木山寺」のブースにお邪魔した。木山街道のすぐそばにある1200年以上の歴史をもつ木山神社。宮司の鈴木宏志さん自らもドライバーであり、軽四耐久レース参戦やフォーミュラ・ドリフトなどのサポートも行う。モータースポーツを心から愛し、この真庭速祭に立ち上げ当初から携わってきた。 このイベント名は、木山神社にちなんでいます 「立ち上げ当初から、運営を行う皆さんと一緒に、さまざまなことを経験してきました。 このイベント名は、木山神社から着想を得たものです。地元の皆様のご協力あって開催できました。あらためて感謝を申し上げます。イベントの発展を願います」 ▲S13シルビアのドリフトマシンを展示 安全を最優先にしたスムーズな運営 当日は、複数の特設駐車場からシャトルバスを運行。会場周辺の混雑を避ける配慮がなされた。交通整理のスタッフ配置や人数制限の効果もあり、イベントは混乱なく進行した。 【VOICE】:「スタッフの対応が素晴らしかった」 スタッフの皆さんの気持ちも伝わってきた 「駐車場から会場までのアクセスがスムーズで、子ども連れでも安心して楽しめました。スタッフの皆さんが一生懸命対応してくれているのが伝わってきました」(女性 岡山県在住) 地域とモータースポーツがつながる未来へ 真庭速祭は、自動車文化を地域の活性化へとつなげるイベントとして、大きな一歩を踏み出した。来場者に声を掛けるたびに「次回もぜひ参加したい」「このようなイベントがもっと広がれば」といった期待の声を次々に耳にし、イベントの意義もしっかりと伝わっていることが感じられた。 実況では「グッドウッドのような存在に」という言葉が繰り返し語られていた。真庭速祭が、いずれは地域に根ざしたグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードのような、モータースポーツの新たな拠点となるかもしれない。 真庭速祭がさらなる成長を遂げ、地域とモータースポーツが響き合うイベントとなっていくことを願わずにはいられない。 フォトギャラリー 取材後記 地域とモータースポーツが一体となった、特別な1日だった。筆者の地元・岡山での開催とあって、地元住民としても誇らしい気持ちに。「クルマ愛」と「地域愛」であふれた一日を過ごすことができた。 しかし、今回の成功を次回へとつなげていくには、地域への敬意はもちろん、私たちファンの自覚ある行動が不可欠だ。木山街道を暴走する行為、地域住民の皆様に迷惑をかける行動は、真庭速祭の継続を間違いなく危うくする。 この感動を共有し続けていくためには、イベントを応援するすべての人が「リスペクト・ローカル」を胸に刻み「ゆっくり走ろう、真庭」を体現することが大切。イベントを守る責任は、私たちファン一人ひとりが担っているといっていいだろう。 [取材協力 / 真庭速祭実行委員会 真庭速祭 運営事務局 Office Tomitaku 木山神社 SimGoya ZENKAIRACING 来場の皆様 順不同] [ライター・撮影 / 野鶴美和]
去る2023年11月3日(金祝)、岡山商科大学附属高校(岡山市北区)にて開催されたこちらのイベント「2023クラシックカーミーティング&発動機運転会」には、9時から13時過ぎまでの約4時間の間に、多くの見学者が訪れて賑わった。 ●イベントのなりたち イベントは、同校の創立100周年記念事業として2011年にスタート。 「自動車整備コース・工業技術コースのPR」、「自動車への興味と知識を深める」という目的をもって開催されている。 2011年の第1回には、地元の愛好家団体「倉敷旧車倶楽部」、「吉備旧車倶楽部」、「岡山石油発動機愛好会」の協力を得て、車輌60台と発動機50台が集まった。 以降2012年、2013年と開催。 新校舎建築のためブランクを経て、2017年には車輌110台、発動機60台と盛大に開催された。 ◆5年ぶりの開催 コロナ禍を乗り越え、5年ぶりに開催された今回は、車輌140台と発動機30台が参加。 工業系列の生徒、教員、ビジネス系列の生徒の皆さんが「販売実習」として出店で参加するなど、過去最大の規模となった。 来年も継続させていく予定だという。 今回は、そんなイベントの魅力をレポートする。 ■玄関前駐車場:国産&輸入スポーツカーがずらり 正門をくぐった玄関前駐車場には、1960年代から1990年代に生まれた国内外のクルマたちが通路の両脇に並んでいた。 「青空の下の自動車博物館」といった雰囲気。 ホンダ NSXやマツダ RX-7などの国産スポーツカーを、熱心に眺める来場者の姿が印象的だった。 ▲玄関前駐車場に並ぶ名車たち ▲手前のマツダ RX-7(FD3S)は二桁ナンバー。大切に乗られているのがわかる ▲途中から徳島工業短期大学が所有する燃料電池車(FCEV)トヨタ MIRAIも展示され、来場者から熱視線 ■自動車実習室:「国産車第一号・山羽式蒸気自動車」のレプリカや貴重なクラシックカー 自動車科の自動車実習室には、科の皆さんが製作した「国産車第一号・山羽式蒸気自動車」のレプリカをはじめ、フォード モデルT(T型フォード)やフィアット 509、トヨタ MIRAIが展示された。 ▲徳島工業短期大学が所有する1912年式のT型フォードと並ぶ山羽式蒸気自動車レプリカ ▲こちらのフィアット 509は1929年式。大澤利久さんが所有する個体で、国内で現存する3台のうち唯一の実働車だという ●国産車第1号・山羽式蒸気自動車レプリカ製作プロジェクトに注目 ▲山羽式蒸気自動車レプリカ(2022年お披露目当時) 旧車王ヒストリアでは、同校の自動車科の生徒の皆さんが取り組む「国産車第1号・山羽式蒸気自動車」レプリカ製作を取材してきた。 イベント来場者の中にはレプリカ展示を見て、岡山県が「国産自動車発祥の地」であることを知った方もいたそうだ。 レプリカは今後、2024年1月「岡山県高校生テクノフォーラム」、 3月2日「本州四国連絡橋公団バス祭り」で展示予定。その後RSK山陽放送に納められる。 ◆これまでの取材記事 ●国産自動車第一号は岡山生まれ!「山羽式蒸気自動車」を後世に伝えるレプリカ製作プロジェクトhttps://www.qsha-oh.com/historia/article/yamaba/ ●国産自動車第一号「山羽式蒸気自動車」レプリカ製作プロジェクト最新レポートhttps://www.qsha-oh.com/historia/article/yamaba-vol2/ ■【VOICE】生徒さんに聞く イベントでは、生徒の皆さんがスタッフとして活動していた。同校の2年生で自動車科の藤本晃生さんに、イベント開催までの気持ちや参加した感想を尋ねてみた。 ●「イベントが決まったときからうれしくて楽しみにしていました」自動車科2年 藤本晃生さん ▲2年藤本晃生さん。好きなクルマはER34(日産 スカイライン) 藤本さん: 「このイベントが決まったときはすごくうれしかったです。皆さんのクルマを傷つけないように気をつけて、しっかりやりきろうと思いながらワクワクしていました。 今日は色々なクルマを見ることができ、新たな知識も得られて、好きなクルマもできました。TC24-B1を搭載したトミタクさんのZとハコスカがすごかったですし、パープルの塗装でガルウィングのセリカもかっこよかったです!」 5年ぶりに開催されるイベントを楽しみにしていた気持ちが伝わってきた。続いて、将来の目標も伺った。 藤本さん: 「旧車からEVまで整備できるよう、知識と経験を積んでいきたいと思います」 と、頼もしいコメントで締めくくる藤本さん。 藤本さんが学ぶ自動車科(自動車整備研究部)は、12月24日(日)に開催される全日本高等学校ゼロハンカー大会への出場を控えている。 予選を通過し、24分耐久レースへの出場を目指す。 ■グラウンド:時代を彩った名車がずらり メイン会場となったグラウンドには、多様なクラシックカーと発動機が集合。 交流の場としても盛況だった。 来場していた40代男性からはこんな感想が。 「多様なジャンルのクルマを見ることができて楽しかったですね。ダイハツ シャルマンやスバル レオーネバンなど、レアなクルマにも会えてうれしい。私も整備学校に行ったので。自動車実習室も懐かしかったです」 このように、思い出や思い入れのある懐かしい1台に再会できた方も多かったのかもしれない。あらためて会場の様子を詳しく振り返っていこう。 ◆日産 ホーマーの「特設ステージ」で開会式 ▲開会式で特設ステージとしても活躍した日産 ホーマー 9時から開会式が行われた。 日産 ホーマーの荷台を特設ステージにして、畠浩二副校長をはじめ関係者の挨拶があった。 こちらのホーマーは1973年式。 プリンス自動車が日産と合併した後のモデルとなる。 なんと映画「とんび」に登場している個体そのもの。 現在も農機具を積載するなど現役で活躍しているという。 使い込まれて経年変化した木製の荷台も美しかった。 ▲時代を彩ったモデルが並ぶ ▲スズキ アルトハッスルは1992年式。所有して7年、オーナーの普段の足として元気に走っているそう ▲1991年式の日産 スカイラインGT-R(R32)。初期33ナンバーを保持する美しい個体 ▲1975年式のトヨタ セリカLB。ガルウィングドアにカスタマイズされていて、エンジンはスープラなどに搭載される「1JZ型」に換装されている ◆「文化遺産として大切に守りたい1台」いすゞ ピアッツァ ネロ ▲ジョルジェット ジウジアーロが手がけたデザインは先進性を想起させる。車名の「ネロ」はイタリア語で「黒色」の意味 取材中、いすゞ ピアッツァ ネロをじっくり見せていただく機会に恵まれた。 「いすゞのこの名車を、文化遺産として布教していきたい!」とオーナー。 抜群のコンディションを誇るこちらの個体は1988年式。 ピアッツァ(初代モデル)は1981年から1991年まで生産。 「ピアッツァ ネロ」として、ヤナセでも販売された。 ▲ネロのヘッドライトは最終型のみ北米仕様“まぶたなし”の4灯タイプ ▲直列4気筒SOHCターボエンジン「4ZC1型」は150馬力を発揮する ▲洗練されたインテリア ▲ステアリングの両脇にスイッチ類が集約された「サテライトスイッチ」。手を離さず操作できる 運転席に座らせていただいて驚いたのは、洗練された室内空間。 直線を基調としたデザインを壊さないこだわりが随所に見られ、スタイリッシュな空間を演出している。 そしてこの「スーパーロボット感」。 サテライトスイッチを配したコックピットの景色はもちろん、これらのスイッチ操作は複雑で、オーナー以外の人間はひと目で操作できないはずだ。 そんなところにもスーパーロボットならではの「ロボットが主と認めた者だけが扱える」を感じられ、筆者はグッときてしまった。 ■【VOICE】クラシックカーオーナーに聞く 参加車輌のオーナーにインタビュー。 愛車との出会いやこだわりを聞いた。 ●「最愛アーティストの直筆サイン入り!唯一無二の1台」トゥクトゥク:オーナー ぴいさん ▲三輪タクシーは 国によって呼び方が変わる。「トゥクトゥク」はタイ独自の呼び方だそう トゥクトゥクは、東南アジアで利用されている三輪タクシー。 ぴいさん: 「このフォルム、スタイルが大好きなんです!」 そう話すオーナーのぴいさんが、トゥクトゥクを手に入れたのが10年以上前。 塗装などのカスタムを施し、日常の足として利用しているそうだ。 エンジンは、スズキ ジムニーなどに搭載される「LJ50型」。 2サイクルの音がお気に入りだという。 さらにボディには、ぴいさん最愛のアーティスト「かぐや姫」フルメンバーの直筆サインが入っている。 実際にこのトゥクトゥクを見た3人に「こんなの乗ってんのー!」と驚かれたのが思い出に残っているそう。 最高の宝物だ。 ▲右上が南こうせつ氏、右下に伊勢正三氏、左に山田パンダ氏の直筆サイン ▲かぐや姫のコピーバンドも結成しているぴいさん。完全なる「かぐや姫仕様」だ ●「古き良き昭和の空気をまとって」トヨタ ミニエース:オーナー 五十嵐純一さん ▲東北在住の五十嵐さんは自走で各地のイベントへ出かけているそうだ パブリカと同じ空冷水平対向2気筒エンジンを搭載する小型商用車、トヨタ ミニエース。 五十嵐さんの個体は1975年式だという。 「人と被らないクルマを」とオークションでこの個体を手に入れた五十嵐さん。 自走で遠征できるように修理しつつ大切に乗っている。 五十嵐さん: 「岡山には新車ナンバーが多くて珍しいですね。50年以上も所有している人に今日だけでも7人会いました。すごいですね」 と、岡山の旧車シーンにも驚いていた。 ▲トラックタイプは珍しい ▲古き良き昭和の空気をまとう。目にするなり「懐かしい」と声に出す人も ●「安心感が魅力」トヨタ セリカ GT-FOUR:オーナー 末宗安之さん ▲オーナーの末宗さん。1998年式のGT-FOURとは約8年の付き合い トヨタ セリカ GT-FOUR(ST205)は、シリーズでは6代目のモデルだ。 末宗さんの所有する個体は、ボディ、樹脂パーツに至るまで新車を思わせる美しさだった。 末宗さん: 「以前は5代目(ST185)のGT-FOURを10年ほど所有していました。また乗りたいと思っていたところ、関西のショップにあったこの個体を見つけました。 気に入っている点は、安心感があるところでしょうか。頑丈なエンジンですし、フルタイム4WDなので雪の日も問題なく移動できます。 フロントにスーパーストラットサスペンションが採用されているのですが、特殊な構造のため、整備性が良くないところが難点かもしれません。 普段のメンテナンスでは、予防整備に力を入れています。熱で劣化する部品を早めに交換したり、多車種から部品を流用したり。少しでも長く乗っていたいなと思います」 ▲ホイールは燃費向上と乗り心地改善のため、エンケイの16インチを選択。キャリパーの大きさゆえにホイールの選択肢は限られてしまうのだそう ▲最高出力255馬力を誇る直列4気筒DOHCターボエンジン「3S-GTE型」を搭載。ヘッドライトはガラス製。黄ばみとは無縁だ ■グラウンド:実物を見て感じる石油発動機(發動機)の魅力 発動機が一斉に始動すると同時に、カメラやスマートフォンを向けるギャラリー。 あちこちから聞こえ始める「シュッシュッ」「ポンポン」という排気音が郷愁を誘った。 岡山県は「発動機王国」と呼ばれている。 大正6年に県内で初めて発動機が使われてから、昭和30年まで岡山市内を中心に約110社の農業用発動機メーカー(農発メーカー)が存在していたそうだ。 日照時間の長さから「晴れの国」と呼ばれるほど温暖な気候に恵まれている岡山県。 江戸時代から干拓事業とともに、畳の原材料となる「い草」と米、麦の二毛作が行なわれるなど農業が発達。 明治時代からは農機具の機械化も進み、県内には農業用発動機の製作所が点在。 国内メーカーの7割が岡山の製作所だった。 高知県で発動機の保存活動を行なう森下泰伸さんによると、全国の發動機メーカーは452社あり、そのうち岡山には約100社が存在した。(2009年調べ) 昭和11年、12年には岡山市を中心に年生産1万7000余台を生産し、全国の 60%のシェアを占めた。 まさに發動機王国を築き上げていたという。 岡山県の発展を支えてきた農業用発動機を深く愛する人は多い。 (参考文献・コメント引用:岡山商科大学附属高等学校 自動車整備研究部「温故知新 農業王国岡山は發動機王国だった MADE IN 岡山の石油発動機 歴史とレストア」) ■【VOICE】発動機オーナー&来場者に聞く この日の運転会には、石油発動機30台が参加。 そんな光景を織り交ぜながら、インタビューとともに運転会の様子を紹介していこう。 ▲発動機の始動時はガソリンを使い、燃焼室が温まったら灯油に切り替える。切り替えの場面が見どころ ●「我が子のように愛機に接する」「運転会で発動機の魅力を知った」発動機オーナー 川上森三さん&発動機ファン 鳥羽哲弘さん ▲発動機のオーナー川上さん(左)と発動機ファンの鳥羽さん(右) 一眼レフカメラを携え、発動機を熱心に眺めるのは、発動機ファンの鳥羽哲弘さん。 総社市で催された運転会で見て魅了されたと話す。 鳥羽さん: 「味のある音、シンプルな構造、匂いまですべてワクワクします。運転会の情報をチェックしては見に行っています」 鳥羽さんが一人のオーナーに声を掛けた。 発動機オーナーの川上森三さんは、2000年頃から発動機を所有している。 川上さん: 「始動して安定するまで、今日の調子を音で確認しています」 と話しつつ、我が子のように接している姿が素敵だった。 ▲川上さんの愛機は「カナミツ石油軽油発動機(金光電機工場内燃機部製)」。昭和6年製造だった ●「ないものは作るの精神で部品も自作」発動機オーナー 岩田茂雄さん&龍雲さん親子 ▲「総社製作所」の発動機を所有する岩田さん親子、父の茂雄さん(左)と息子の龍雲さん(右) 発動機ファンの鳥羽さんから「最近は若い方もいるんですよ」と紹介していただいた岩田さん親子。 息子の龍雲さんは、なんと小学4年生から整備を学び始めたという。 ▲総社製作所の発動機。箱型マグネットのコイルを巻き直すなどの手厚いメンテナンスを受け、今日も元気に稼働 龍雲さん: 「この発動機は、近所の骨董品店で見つけてもらいました。部品は“ないものは作る”の精神で自作することもあります」 と話す龍雲さんは、メグロ製作所のバイクのファンコミュニティも運営している。 ▲メグロオーナー&ファンのコミュニティ「目黒植輪介」を運営 ■【VOICE】岡山の「ものづくり」について イベントではトークショーも催された。 ゲストは自動車エンジニアであり、YouTuberとしても活躍する「トミタクさん」こと富松拓也さん。 あらゆるクルマのエンジンを修理し、部品まで自作する富松さんは、“幻のエンジン”と呼ばれる「オーエス技研TC24-B1」を甦らせたことでも知られる凄腕エンジンビルダーだ。 今回はイベントの感想とともに、岡山のものづくりへの思いを聞いた。 ●「岡山県民のチャレンジ精神が今に繋がっている」富松拓也さん ▲オーエス技研TC24-B1を搭載する「トミタクZ(S30Z)」は富松さんの分身的存在 まずは、イベントに参加して感じたことを伺った。 富松さん: 「トークショーで、生徒さんが興味を持ってくれたのがすごくうれしかったです。内燃機関の魅力が伝わっていたら良いですね。 こんなふうに『やって良かったな』と喜びを感じる瞬間は、若い方が喜んでくれたときなんです。 これから自動車業界を目指す皆さんには、チャレンジ精神を大事にし続けてほしいと思います」 そう話す富松さんのもとには、トークショーが終わってからも次々と人が訪れていた。 その中には若い世代も多かった。 続いて「岡山のものづくり」に対して抱いている思いを伺った。 富松さん: 「岡山のものづくりは、何事もあきらめずに挑んだ先人の方々に支えられていると思います。 器用な人が最初から多かったのではなく、さまざまなことをして器用になっていったのだと。 人間としての幅が広がることでチャレンジに繋がる…このTC24にも繋がっていったのではないでしょうか」 ▲TC24-B1は1980年にオーエス技研が開発。L28型をベースに独自の技術でツインカム4バルブ(クロスフロー方式)を採用。9基しか生産されなかったため“幻のエンジン”と呼ばれる ▲富松さんの軽快なトークに引き込まれる ■【まとめ】地域とのつながり、未来への希望を感じるイベント 幅広い世代の来場者があった「2023クラシックカーミーティング&発動機運転会」。 このようなイベントを学校が主催しているのはすばらしい。 地域とのつながりも感じられ、未来への希望を感じるイベントだった。 来年の開催の際には、ぜひ足を運んでいただきたい。 【取材後記】 筆者の愛車もひっそりと。 コンテストに出場するような美しい名車ばかりのなかで恐縮だったが、皆さんの愛車を拝見しつつ「愛車を守っていくこと」について深く考えた。 S2000を少しでも長生きさせたいとあらためて思ったひとときでもあった。 ありがとうございました。 【取材協力】 ●岡山商科大学附属高等学校https://www.osu-h.ed.jp/ [ライター・カメラ / 野鶴 美和]
筆者の愛車はホンダ S2000(AP1)。 1999年式の「初期型」だ。約16年前に中古で手に入れた。 16年という年月を過ごしているうちに、S2000は「旧車」となったようだ。 S2000を含む80〜90年代に生産されたクルマたちはいつしか「ネオクラシック」と呼ばれ、中古市場も高騰中と聞く。 しかし正直なところ、現在のS2000の立ち位置など個人的にはどうでも良い。 ほぼ毎日乗り、人生の節目はもちろん、苦しい場面も一緒にくぐり抜けてきた存在。 S2000が語られるときは「唯一無二」と表現されるが、自分にとってはこの個体こそが唯一無二だと思っている。 ▲エンジン載せ換え以降25万キロ以上走行している(実走行は31万キロ)筆者のS2000。外内装ともくたびれてきた 筆者のS2000は、2012年に中古エンジン(約8万キロ)に載せ換えている。 それから約10年が経過。 エンジンも25万キロを越え、車体は31万キロを越えた。 2021年の秋頃からはエンジンが掛かりにくくなる症状も。 「本当に良くないことが起こり始めている。早く対処しなければ二度と乗れなくなるかもしれない」 そう危機感を抱いていたところ、友人の紹介でS2000のリフレッシュ&チューニングを数多く手がける広島県福山市の「ComeTec」にご縁があり、エンジンのオーバーホールが決まった。 今回は愛車の修理レポートとともに「S2000との付き合い方」を取材。 “旧車”となったS2000とのこれからの付き合い方について「ComeTec」の代表・熊谷展宏さんにお話を伺った。 ▲AP1に搭載される直列4気筒DOHCエンジン「F20C」の特徴的なカムシャフト。高回転エンジンのため慴動部が多く複雑な構造[写真提供/ComeTec] ■S2000のスペシャリスト「ComeTec」 今回、お世話になった「ComeTec」。 代表の熊谷展宏さんは、ディーラー勤務を経てホンダ系のチューニングショップへ。 2010年に「ComeTec」を設立。 自動車メディアでは「ホンダ車のスペシャリスト」として登場するイメージが強いが、手掛ける車種は幅広い。 熊谷さん自身がMINIのオーナーだったこともあり、MINIやAbarthなどの輸入モデルからGRヤリス、86/BRZといった近年の国産モデルまでさまざま。 ショップを経営する傍らスーパー耐久のメカニックとしても活動するなど、豊かな経験と実績を誇る。 なかでもS2000は特別な存在で、リスペクトしているとのこと。 ◆熊谷さん:20年も前によくぞ出したなと思います。ホンダはこの先、FR車を出すことはないでしょう。S2000は特別な存在だと思いますし、ライフワークとして携わりたいですね。「あと20年以上元気に走る」をモットーに取り組んでいます。 ●デモカーはサーキットマシンとして22万キロの個体をリフレッシュ! ▲塗り替えられたマツダのボディカラー「セラミックメタリック」が、S2000のもつ凛とした美しさを一層引き立てる[写真提供/ComeTec] デモカーは22万キロ走行個体を譲り受け、サーキットマシンに生まれ変わらせている。 リフレッシュとチューニング、耐久性も高められている。 「車体がしっかりしていれば、一級のマシンになります」と熊谷さん。 ◆熊谷さん:デモカーはサーキット専用ですが、最も力を入れているのは、できるだけ新車に近づけるリフレッシュメニューです。お客様が手に入れた当時の気持ちになっていただけるようにベストを尽くします! もちろん、お客様のサーキットと普段乗りの割合によって、リフレッシュ&チューニングメニューも調整可能です。基本のメニュー設定は「エンジン、トランスミッション」「車体、足回り」「外内装」の3パートあり、いずれかを軸にプランを立てていきます。サーキット仕様をご希望の場合は、レストアしながらモディファイできますよ。 ▲ベース車両は22万キロ以上走行したAP1の初期型[写真提供/ComeTec] ▲エンジンはオーバーホールの際に戸田レーシングのキャパシティアップ2350キットを導入[写真提供/ComeTec] ▲骨組みまで分解。ボディや足回りにはAP2補強パーツも加工流用されている[写真提供/ComeTec] ▲車体、足回り、エンジンが完成した後はレースに出場[写真提供/ComeTec] ▲どんなサーキットでも扱いやすく、耐久性も高められている[写真提供/ComeTec] ■あらためて愛車の状態を目の当たりに ▲カーボンが堆積してしまったエンジン内部[写真提供/ComeTec] さて、筆者の愛車。 エンジンの内部を確認して言葉を失ってしまった。 真っ黒に汚れたエンジン。 「愛車は大切な存在」などと、SNSで発言した言葉がみるみる霞んでいった……。 エンジンを分解した直後の状態を熊谷さんに伺った。 ◆熊谷さん:カーボンの堆積が、これまで見た中で最もひどいレベルでした。原因はいくつかの要因がからみ合っていると思われます。8万キロの中古エンジンに載せ換えているそうですが、このエンジンが載せ換えられるまでにどんな乗り方やオイル管理をされていたかも影響していると思います。 ーーこのエンジンが載せ換えられるまでに、どんな乗り方がされていたと推測されますか? ◆熊谷さん:近距離移動の「ちょい乗り」が多かったり、渋滞によるストップ&ゴーが頻繁だったりするシビアコンディションが多かったと推測されます。 「ちょい乗り」やストップ&ゴーの繰り返しは、低回転走行により理想的な燃焼がしにくくなり、カーボン発生の原因になります。 さらにエンジンオイルの温度が低いままだと、性能が発揮できずエンジンの消耗が進み、ブローバイガスが増えて、これもカーボン発生の原因になります。 この堆積したカーボンがピストン、シリンダー、バルブシールの間に入り込んでしまうことで燃焼が悪くなり、さらにカーボンが溜まるという悪循環を生みます。 ーーオイル管理は、適切なサイクルで行われていなかったということでしょうか? ◆熊谷さん:交換時期というよりも、S2000に適したオイルを使用していなかったことでエンジンに負担がかかっていた可能性があります。 エンジンオイルにはポリマー(添加剤)が入っていますが、オイルが熱して冷えたり水分を含んだりを繰り返すうちに、ポリマーが分解されて泥状の沈殿物、いわゆるスラッジになります。 質の良くないエンジンオイルだと、スラッジが出やすくなります。さらにスラッジがオイルと一緒に回ってしまうと、仮にその後良いオイルを使ったとしても性能は落ちます。ピストンリングに堆積すると燃焼室にも入り込み、オイル上がりを起こします。 筆者の1基目のエンジンが17万キロを迎えた頃、当時お世話になっていた主治医からオーバーホールの提案があった。が、当時の筆者は予算の事情もあり、結局中古エンジンへの交換を選ぶ。そして主治医に無理を言って探していただいたのが、現在のエンジンだ。 ▲筆者のエンジンはオイル上がりを起こし、ブローバイガスが増えていたはずだ[写真提供/ComeTec] ーー最初に「いくつかの要因」とおっしゃっていましたが、他にはどんなダメージが考えられますか? ◆熊谷さん:S2000が高回転型エンジンであるがゆえのダメージですね。一般的な自動車よりも1000回転以上多いS2000の圧縮比は11.7対1と高いため、シリンダーやピストンに負担が掛かります。元々強くつくられているものの、通常より消耗は早く、劣化にともなって出力も低下していきます。 ▲摩耗したピストン[写真提供/ComeTec] ▲シリンダーも摩耗していた[写真提供/ComeTec] ●あらゆる部品を交換 さらにエンジン周りのあらゆるパーツが、経年劣化によって交換レベルに達していた。 乗り始めてまもなく交換したラジエーターも樹脂部分がボロボロに。 エンジンマウント、ミッションマウント、ノックセンサー、オルタネーター、O2センサー、サーモスタット、オイルポンプ、ウォーターポンプなどが交換となった。 エンジンハーネスは熱で損傷。 始動不良の原因にもなっている可能性があるという。 ありがたいことに、ストック部品を使って新調することになった。 エンジンハーネスは今後、供給が危ういとされる部品のひとつでもある。 「ストックしておくのがおすすめです」と熊谷さん。 ●ヒーターバルブの破損 ▲ヒーターバルブが割れている。いつ水漏れしてオーバーヒートしてもおかしくない状態だった[写真提供/ComeTec] ●アクセルワイヤーの劣化 ▲ケーブルの表面被覆材が剥がれ、要交換レベル。そしてアクセルワイヤーはすでに廃盤。生産はもちろんメーカーも在庫はないため中古品で対応[写真提供/ComeTec] ●エンジンマウントの破損 ▲ちぎれたエンジンマウント。かなりの振動があったはずだが、毎日乗っていると劣化のサインにも気づきにくくなってしまうそう。今後は定期的なメンテナンスを心がけたい[写真提供/ComeTec] ■油膜の厚い高性能なオイルと「適度なドライブ」でエンジンを保護 S2000といえば、エンジンオイルはどんなものを使うかがよく話題になる。熊谷さんに「良いエンジンオイル」について尋ねてみた。 ◆熊谷さん:S2000にとっての良いエンジンオイルとは「エンジンを保護するオイル」です。油膜の厚い高性能なオイルがおすすめです。 エンジンオイルは冷却、潤滑、汚れを取るなど、いくつもの役割をもちます。それがひとつでも欠けると、エンジンにダメージを負わせてしまいます。S2000のエンジンは高回転型で慴動部が多く、オイルに要求するレベルも高いだけに、役割がひとつ欠けたときのダメージも大きくなります。 当社では、24時間耐久レースで使われているものと同じエンジンオイルをおすすめしています。Moty'sのM111(5W-40)は、強力な油膜でピストンの摩耗を防ぎ、気密性も向上するのでブローバイガスの排出量を減少させてくれます。さらに洗浄性能の高さも大きな特徴です。このオイルを使ってレースでトラブルなく完走できているので、安心して使えますよ。 ーーオイル管理とともに心がけるべきことがありますか? ◆熊谷さん:1度のドライブはできるだけ長距離を走り、ときどきエンジンを回してあげてください。また、カーボンを分解してくれるガソリン添加剤での定期的なクリーニングがおすすめです。そして何よりも愛情をもってS2000に接してあげてください。 ●よみがえるF20C 筆者のくたびれたエンジンは新品に近づいた。 バルブシートカットを行い、バルブの気密性を改善。摩耗したピストンは新品に交換。シリンダーヘッドとブロックは面研して修正された。 ▲シリンダーヘッドはダミーヘッドボーリング、ホーニングされている[写真提供/ComeTec] ■この先、S2000を手に入れたい人へ 最後に、この先S2000を購入する際の注意点を熊谷さんに伺った。 ーーS2000の中古車を購入する前にまず、決めておいたほうが良いことはありますか? ◆熊谷さん:AP1とAP2、どちらの型に乗るかを決めておいたほうがいいでしょう。型式にこだわらずS2000というクルマが欲しいなら、AP2をおすすめします。年式が新しいぶん故障が少ないことと、今後最後まで生産され続ける部品は、AP2の最終モデルが中心になると思われるからです。 ーー程度の良い個体の競争率は高く、一刻も早くキープしたいと思われている方がほとんどだと思います。実際に店へ足を運んでの現車確認は大切ですか? ◆熊谷さん:大切だと思います。試乗が可能であれば必ず乗って、変な振動や異音がしないか確認しましょう。 例えば、S2000はもともとリヤのハブベアリングが強くありません。そこが傷んでいる個体は、乗ってみると高音で引きずるような、あるいは唸るような異音がするはずです。しかも一定の速度域でしか症状が出ないこともあるので、できれば速度域ごとの確認もしたほうがいいかもしれません。 ーーもし試乗が難しい場合は、どんなポイントを重点的にチェックしておくと良いのでしょうか? ◆熊谷さん:S2000はサーキットで酷使され、エンジンを消耗している個体が多いです。できるだけ状態の良いエンジンを選びたいですね。最も素早く見分ける方法は、煤の付き方でしょうか。マフラーのテールとバンパーが煤けている個体は避けたほうが良いでしょう。 外観では、色褪せと幌の状態をチェックしてください。レッドやイエローのボディカラーを選ぶ際は色褪せしやすいです。 ちなみに、特に色褪せしやすいレッドやイエローなどは屋内保管推奨ですが、露天駐車がやむを得ない場合は、2〜3年おきにコーティングして、できるだけ塗装を長持ちさせるようにすると良いでしょう。全塗装するのも手ですね。色にこだわりがなければ、色褪せが目立ちにくいシルバーやホワイトを選ぶのもありです。 幌は、10年を越えていれば張り替えがおすすめです。穴やヒビが入っていないかをチェックしましょう。今は社外品でも質の良い幌があります。カラーも豊富なので好みの幌を選んでみるのも楽しいですね。 ▲レッドやイエローは色褪せしやすい。部分的に塗装していると、経年劣化によって色のばらつきが出ることも ーー極端に低走行な個体も見かけますが、そのような個体はどこに注意すれば良いでしょうか? ◆熊谷さん:例えばAP1(初期型)で約8万キロ走行の個体があったとします。年式にしては低走行だからといって、状態が良いとは限りません。サーキットで消耗しているかもしれないですし、「ちょい乗り」によってカーボンの堆積があるかもしれません。 S2000は高回転型エンジンで消耗が早いぶん、8万キロだとコンディションが落ちている個体が多いはずです。走行距離よりも「どんな乗られ方をしてきたか」に注意したほうが良さそうです。 ●「リフレッシュ費用」込みで購入計画を ーーお話を伺っていると、購入してから何らかのトラブルに見舞われる可能性が高い気がしますね。 ◆熊谷さん:そうですね。現在流通している個体は、10万キロ以上のものがほとんどだと思われます。車齢20年以上といえば、通常なら寿命を迎えているはずです。 購入の際はぜひ、リフレッシュ費用込みで予算を組んでいただきたいです。ゴム類、マウント、パッキン、などの消耗品交換からオイル漏れ対策なども必要になります。しかし骨格がしっかりしているなら、新車に近いレストアもできます。メンテナンス次第で良い状態のS2000と長く付き合えると思います。 ーー今回の修理でリフレッシュがどんなに大事かをあらためて実感しました。納車当時の16年前の気持ちを思い出し、愛情をもって乗っていきたいと思います。ありがとうございました! ■取材後記 プロの手に委ねてみて、気づきはもちろん反省点が多すぎた。16年間どれだけボーッと乗ってきたかを痛感した…。 この先はエンジンだけでなく、コンピュータや足回りなど、他の部分の問題も抱えるかもしれない。 できるだけ対応しつつS2000と長く暮らしたい。「人生の相棒」となるように…。 最後に、丁寧な作業とアドバイスをくださった「ComeTec」さんに感謝申し上げます。 [取材協力]ComeTec 広島県福山市神村町2107-2公式HP:https://www.cometecracing.com/Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100032848646363 [ライター・撮影/野鶴美和]
当記事の「前編」では、オーナーの淵本芳浩さんのT360(1965年式)が修理されるまでをレポートした。 ● “伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【前編】https://www.qsha-oh.com/historia/article/honda-t360-part1/ 今回の「後編」では、淵本さんのT360の修理を担当した整備士、西栄一さんのT360(1966年式)を紹介。 西さんは、この個体を手に入れて今年で50年を迎えたそうだ。 前編でも紹介したとおり、部品取り個体を入手したことで淵本さんと西さんのT360の修理を実施。 今回は西さんの所有する個体に注目しながら、T360の魅力を掘り下げてお届けする。 ■ホンダ T360とは 前編のおさらいにはなるが、ホンダ T360は二輪メーカーだったホンダが四輪業界へ進出した際、初めて市販された四輪自動車。 1963年から1967年まで生産されたセミキャブオーバータイプの軽トラックだ。 水冷直列4気筒DOHCエンジンを国産車で初めて搭載したクルマでもある。 エンジンを15度に寝かせて座席の下に搭載する、ミッドシップレイアウトとなっていた。 当時の国産車のエンジンは、4ストロークOHVエンジンが主流だった。 軽自動車においては2ストローク2気筒、20〜25馬力程度の時代、T360は最高出力30馬力を8500回転で発生する高回転高出力型のDOHCエンジンを搭載。 吸気系に4連キャブレター、排気系はタコ足で武装。 当時の高級乗用車と比べても異次元のメカニズムで高性能を誇った。 ⚫︎細かい変更・改修が繰り返され、部品が合わない場合も T360はデビュー以降、細かな設計変更・改修を繰り返しながら実用的な軽トラックとしてあるべき姿になっていく。 ただ、設計変更時の明確なマイナーチェンジモデルは存在しない。 現場の声に素早く対応するため、その都度設計変更・改修が加えられたからであった。 よって、同じ年式の部品取り車があったとしても、部品が合わない状況が多々ある。 これが T360の維持と再生を困難にする一因にもなっている。 以上のような、現代にはありえない別格の生まれであることが、このクルマの魅力の一部にもなっているのだろう。 ■同じ型式でもさまざまな部分が違う ▲違いに気がつくと、表情も違って見えてきておもしろい 上記でも述べたが、T360の大きな特徴のひとつが同じ型式でも仕様が異なる点だ。 生産当時、現場の声に素早く対応するため設計の変更・改修が加えられた。 なので、わずかな年式の間でも異なっている部分がある。 今回は1965年式と1966年式のAK250が2台あるので、比較して違いを探してみた。 ●フロント周り フロント周りを見比べてみよう。 まずはボンネットの素材が違う。 1965年式は鉄製だが、1966年式になると樹脂製になった。 それから、バンパーのナンバー取付部に注目。 1965年式では凹みにセットされるかたちで装着されているが、1966年式になると、バンパーにそのまま貼り付けたように装着されている。 さらにウインカーをよく見ると、1966年式のほうが少し大きく突起している。 また、Bピラーにも注目。 1966年式にはスリットが入っている。 これは車内換気用のものではなく、エアインテーク…つまり吸気系の取り回しがすべて異なるのである。 ●エンブレム エンブレムのプレートは、1965年式は鋳物のエンブレムだが、1966年式ではシールになっている。 コストダウンされた部分のひとつかもしれない。 ●マフラー 1965年型は複雑に湾曲したタコ足だが、1966年型になると消音器の付いた集合管へ。 当時の排ガス規制に対応している。 ●キャブレター AK250は、1965年型はケーヒン製の4連(CVB27型)、1966年型は三国ソレックス製の2連(BSW23型)のキャブレターを採用していた。 整備性を良くする目的で4連から2連になったと思われる。 加えて整備性も向上。 キャビン後部のシートアンダー中央のフレームの一部がカットされていて、ビスを取り外せばしっかりと手が入ってキャブレターに手が届き、作業しやすくなっている。 ●インパネ周り 1965年式のステアリングはホーンリングが付いているが、1966年式では白い部分がホーンボタンとなっている。 センターに並ぶスイッチ類も違い、1966年式ではグローブボックスのフタもなくなっている。 1965年式はプッシュタイプのスイッチ(スモール、ヘッドランプ、ワイパー)が3つ横並びで付いているが、1966年式になるとプルタイプのスイッチ(ワイパー、スモール・ヘッドライトの二段階式)の2つになる。 ちなみに、ロービームとハイビームの切り替え方法も異なる。 1965年式は足踏み式で行ない、1966年式はフラッシャーレバーで切り替える。 ●ブレーキペダルゴム ペダルパッドの形状を見比べてみると、1966年式は角形に変更されている。 疲れにくく操作しやすい「オルガン式」のペダルが採用されている点にも注目したい。 オルガン式ペダルはレーシングカーに採用されていることが多いが、商用車のT360に採用されているのは、当時のF1(第1期)に由来するのかもしれない。 ●リア周り フックの数が4本から2本に減らされている。 またボディの継ぎ目の位置の違い(テールレンズに継ぎ目が掛かっているかかかっていないか)にも注目。 この他にも、骨格であるフレームの断面がTの字からロの字形状になっていたりと、改修の多さはもはや“間違い探し”レベル。 オーナーの西さんによれば「まったく異なるクルマ」だそう。 しかし、このような違いがファンにとってはこだわりにもなっている。 ■所有歴50年のオーナー ▲オーナーの西栄一さん オーナーの西栄一さんは現在69歳。 レースメカニックなどの経歴を持つベテラン整備士だ。 T360は19歳の頃に入手し、現在に至る。 これまで、オートバイからフォーミュラマシンの整備まで幅広く手掛けてきた西さん。 幼少時代にT360と“衝撃の出会い”をしてからホンダに魅せられてきた。 西さん:「私の幼少時代は高度経済成長期を迎えていました。当時は東京オリンピックの影響で、ビルの建設や道路の整備が進み、道路では2サイクルのクルマがパタパタと音をあげて行き交っていました。そんななかで突如、甲高い音を発しながら走ってきたクルマこそT360だったのです」 自動車訓練校時代には、ツインカムエンジンの教材としてT360で整備技術を学んだという西さん。 運転免許を取得してからの愛車遍歴は、1300クーペ、 N360、シビック、アコードハッチバック、バラードスポーツCR-Xを乗り継ぐなどホンダが多かったが、19歳の頃に入手したT360だけは手放さなかった。 西さん:「まるでF1やフォーミュラカーみたいに感じることがあります。ホンダサウンドがたまりません。ドライブするときはオートバイのような感覚で乗っていますね。トラックでありながら中身はスポーツカー。エンジンは気難しく、当時は農業で使うのが大変だったかもしれないですね」 ▲「懐かしの商用車コレクション」のカラーリングを手本にボディカラーを自ら塗り換えた そんな西さんにT360との出逢いを振り返ってもらった。 西さん:「実家へ帰る途中、たまたま普段は通らない道を通りました。そのとき、整備工場の車両置き場にT360があるのを見つけたんです。前からT360が欲しかった私は、再度そこへ行って持ち主を訪ねました。聞けば不動車になりかけていて、かろうじてエンジンが掛かるものの、いつ止まるかわからないような状態でした。売却後のクレームを恐れたらしく、なかなか売ってもらえなかったんです。そこで『教材にする』という条件でようやく手に入れることができました。新車に近い価格で購入しました」 購入した直後の修理はどのように行ったのだろうか。 西さん:「当時のホンダSF(サービスファクトリー)に知り合いがいたので、部品の手配などを手伝ってくれました。今は部品がなくて苦労しているところです」 ▲リアに取り付けられているプレートは、西さんがモトクロスレースをしていた時期にオートバイ用品店で見つけて購入したもの。日本語に訳してみると…確かにこのT360と西さんにふさわしいと感じる ■T360の修理について 今回はエンジンの修理をメインに、破損していた外装品等の修理・改修を行なうため、部品取り個体から使える部品を摘出。 状態を確認したうえで交換・取付が行なわれた。 西さん:「T360のエンジンを修理するにあたり、エンジン、トランスミッション、ガードフレームを脱着して各部の修理を行ないました」 実は、西さんがこの個体を所有し始めた直後から大小さまざまなトラブルに見舞われており、「持病」のように付き合ってきた故障もあったという。 そんな故障と修理の過程を一部だが紹介したい。 T360の維持がいかに大変かを理解いただけるだろう。 ●1.エンジンオイルの量が増えていた?エンジンを分解してバルブリフターを交換 エンジンオイルが増える…そんなありえないことが実際に起きていた。 原因はフューエルポンプの中にあるダイヤフラムの経年劣化により、ガソリンがオイルパンの中に流れ込んでしまったことだ。 結果、エンジンオイルの量が増えるという事態が発生していた。 さらに流れ込んだガソリンによってオイルが希釈され、潤滑性能が低下した結果、インレットバルブのリテーナーが焼きついてしまった。 そこでバルブリフターを交換するべく、エンジンを降ろして分解。 カムシャフトを取り外し、バルブリフターも取り外した。 ▲西さんのT360から降ろされたAK250E型エンジン。キャブレターとインマニは外されているが、このようにほぼ真横に近い15度に寝かせて搭載されている ▲バルブリフターを交換。上部のインレットバルブからバルブリフターを外した状態 ▲バルブリフターを取り外したオイル潤滑穴の状態。(左)正常な状態と(右)汚れやオイルが付着してしまった状態だ。バルブの上にあるオイル潤滑穴周辺にオイルや汚れがこびりつき、焼きついたことでバルブリフターの動きが悪くなった。穴の下が欠けてしまっているのも確認できる ●2.部品取り個体から摘出した純正品のバルブリフターを使用 部品取り用個体から摘出した、純正品のバルブリフターに交換している。 西さんのバルブリフターは、これまでワンオフで2回製作。 純正品はアルミ製だが、1回目は鉄で作ったところ、材質の違いによる熱膨張の変化により、オイルクリアランスが正常に保てず焼きついてしまった。 そこで2回目はオイルクリアランスを計算して加工。 このような鉄製のバルブリフターをしばらく使用していたが、材質による重量差が高回転域において悪い方に影響すると判断し、摘出した純正品にすぐ交換したという。 ▲これまで使用していたワンオフの鉄製バルブリフター ▲右のバルブリフターが部品取り用個体からの純正品。穴は熱膨張の対策と潤滑のために空けられている ●3.キャブレターのフロートが腐食しエンジンの掛かりが悪くなったので、部品取り用個体から使用 購入当時からエンジンの掛かりが悪かったという西さんのT360。 オーバーフロー(ガソリン漏れ)が起きていたので、代用品として二輪用のフロートを使用していたが、完全には直らず騙し騙し乗ってきた。 部品取り用個体から降ろしたエンジンを確認したところ、キャブレターの内部は幸いにもそれほど傷みがなく、フロートを使うことができた。 ▲部品取り用個体から摘出したフロートは綺麗に残っていた。フロートのレベルやメインジェットを点検・調整してマッチングした ●4.エンジンオイル漏れを修理 スターターモーター取付部のOリング(密封用パッキン)が劣化し、ガソリンがオイルパンの中に混入。 シールを溶かしてしまった。 部品があったので交換することができた。 ▲この写真はオイルフィルターケースだが、フチの部分にOリングが付いている。この部品は劣化すると延びてオイルが漏れてしまう ●5.シリンダーヘッド、ウォータージャケットプレートの腐食によるオーバーヒートに対応 水温が上がりすぎていることに気づいて確認してみると、ウォータージャケットスペーサーが腐食。 シリンダーヘッドへ水が流れにくくなり、オーバーヒートを起こす寸前だった。 原因は、前オーナーが冷却水の代わりに水を入れてしまったことだ。 ウォータージャケットスペーサーを自作して取り付けて対応した。 ▲T360のウォータージャケットスペーサー ▲取り外すと腐食部があらわに ●6.クラッチリターンスプリングが折れて交換 西さんがT360を購入して数カ月で折れてしまったクラッチリターンスプリング。 考えられる原因は、前オーナーが住んでいた農村地帯の悪路でクラッチを酷使していたことだ。 また、その土地は寒冷地でもあったので、気温差による湿気などによって錆が発生し強度が低下していた可能性がある。 ▲ブレーキリターンスプリングも折れる可能性ありと判断し、ストック品に交換した ●7.ブレーキオイル漏れを修理、およびリザーバータンクの交換 車検対応のため、ブレーキとクラッチのインナーキットを交換。 使用した部品はホンダS500、S600用のもの。 ブレーキ側はプライマリーカップとセカンダリーカップからオイル漏れを起こしていた。 ▲ブレーキ、クラッチとも同様のインナーキットを使用するが、クラッチは付属のチェックバルブのみ使用しない ▲ブレーキとクラッチのリザーバータンクが経年劣化で割れていたため、三菱 デリカトラック用の部品を流用して交換 ●8.フューエルラインの目詰まりにより他車種の電磁ポンプに交換 西さんのT360は、エンジンの不調により断続的に不動の時期を経験している。 不動となったある期間、販売店の展示車輌として店頭に飾られていた。 その間まったく動かさなかったので、燃料タンクに残っていたガソリンが劣化し、湿気なども影響して錆が発生していたようだ。 そんななか、販売店がT360を移動させることになり、エンジンを掛けようと添加剤やケミカル用品を使ったのが災いしたらしい。 化学反応によって溶けた不純物や錆などが、純正の機械式フューエルポンプにダメージを与えて使用不可となってしまった。 そこで西さんが電磁ポンプ化。 ホンダ N360用の電磁ポンプを流用した。 なお、フューエルメーターと燃料タンク内のユニットは各々6ボルトのものを使用しており、それを直列に接続し、12ボルトで使用している。 点検の際には各々に12ボルトをかけると故障の原因となるので、注意を要するという。 「ここが二輪メーカーらしい点ですね」と西さん。 ▲N360用を使用 ●9.オイルポンプのストレーナーの目詰まりを解消 ストレーナーが目詰まりした原因は、おもに前オーナーのオイル管理だが、受難が重なって起こったといってもいいだろう。 オーナーが西さんに変わってから良質オイルを使用するようになったことで、内部が洗浄剤によって洗い流され、汚れが詰まってしまった。 さらに、いたずら被害にも遭っている。 何者かに泥やゴミなどの異物を混入させられていたそうだ。 また、エンジンオイルの給油口に誤ってガソリンを入れられるというスタンドのミスにも遭遇している。 修理を行なう際、ストレーナーは西さんが自作した。 本来メッシュの規格は「#70」だが、調理用のザルが使われている。 ▲目詰まりや破れがあり、オイルストレーナーを自作。現在はホンダS500、S600用もリリースされており、流用できるそうだ ●10.割れたサイドウインドウの交換 あるきっかけで飛び石を食らってしまい、左側のサイドウインドウガラスが割れてしまった。 そこで部品取り個体から流用。 右ドア側のガラスが使用可能な状態だったので、ガラスホルダーを左用に差し替えたうえで左ドア側に流用した。 ▲左右のガラス形状が平面かつ対称だったため流用が可能だった ●11.スタビライザーを取付 部品取り用の個体から摘出したスタビライザーを取り付けた。 西さんの1966年式ではすでに省略されていたパーツだったが、走行安定性の向上が実感できているという。 ▲「コーナリング性能の向上、ロールの減少が実感できている」と西さん ●12.ホーン(クラクション)のホーンリングをリフレッシュ ホーンが鳴らなくなっていたので確認したところ、ホーンリングが腐食していた。 表面を研磨して対応した。 ●今後の予定は? 部品取り個体から摘出したシリンダーヘッドの動力部を使い、再調整を行なう予定だという。 ▲部品取り個体から摘出したシリンダーヘッドの動力部。分解と清掃が行われた ■【試乗ゲスト】T360を体験 ▲T360を眺めながらクルマ談義で盛り上がる西さんと平田さん 今回は試乗ゲストを迎えて、T360を体感していただいた。 ゲストの平田さんは昔からホンダが好きで、ステップバンを所有していた時期もあるそうだ。 ホンダを含めたさまざまなクルマを乗り継いできた平田さんだが、T360は初めてだという。 平田さんにT360に乗った感想を伺った。 平田さん:「T360のエンジンがあそこまで回るとは思っていませんでした。昔、EG6(ホンダ シビック)に乗らせてもらったときを思い出します。“カムに乗った回転”というか、一気に吹け上がるフィーリングに鳥肌が立ちました。まるでチューニングエンジンみたいですよね。 エンジン内部を見せていただけたのも貴重な体験でした。燃焼室は、昔の理論の半球型だったのは予想できましたが、結構トンガったカムシャフト、ダブルのバルブスプリングなど、トラックのエンジンとは思えないメカが興味をそそりました」 ■T360と今後について こうして当時とほぼ変わらない走りを取り戻しつつあるT360。 西さんはこのT360と今後どんな付き合い方をしていこうと考えているのだろうか。 西さん:「所有し始めて50年が経ちました。部品は少なくなりましたし、これまで幾度となく路上故障も経験しましたが、同じクルマに乗る仲間に恵まれ、T360に乗ってから良いことばかりだと思っております。今後もなんとか車検整備も行なって、バージョンアップもできるだけ行ないながら大事にしたいです」 ■取材後記 取材中に筆者も、わずかな時間ではあったがT360を運転させていただいた。 不慣れな右コラムMTに戸惑いつつ走った。 この右手で操作するコラムシフトもT360独特のものだ。 ▲シフトパターンがハンドルコラムカバーに刻まれている ▲T360は4MT。スピードメーターパネルに書かれたギアポジションに沿って変速する。スピードメーターのスピード表記の内側に黄線で示されているのが各ギアの守備範囲。タコメーターの代わりとして使える 試乗中にひとつ驚いたことがあった。 それはアクセルレスポンスの良さだ。 筆者の愛車はS2000。 なので最初は「ホンダ四輪の元祖だから、フィルターが掛かっているのでは?」と自分を疑ったが、やはりアクセルの開度に対してエンジンがしっかりとついてくる感覚があった。 ホンダがF1で培った技術が生かされているのかもしれない。 しかしあらためて思う。 どこまでも回っていくような甲高い「ホンダ・ミュージック」を奏でながら走るその姿に「S2000のルーツはT360にあるのだ」と。 T360との間には40年近い年式の差があるにも関わらず、エンジンのフィーリングは脈々と受け継がれているのだ…と。 貴重な体験ができた印象的な取材となった。 内燃機関のクルマにいつまで乗れるかはわからないが、T360が1台でも多く残っていくよう、いちホンダオーナーとして願わずにはいられない。 ▲筆者の愛車と並べて記念撮影 [取材協力 / 吉備旧車倶楽部][ライター・野鶴美和 / 画像・野鶴美和, 西栄一(修理部分)]
ある晴れた週末。 愛車のS2000で走っていたときのこと。 対向車線を走ってきたマツダ ロードスターとすれ違うとき、オーナーが片手をあげて挨拶してくれた。 筆者も当然のように手を振って応えた。 ロードスターは屋根が開き、オーナーの笑顔がよく見えた。 筆者も笑顔になった。 バイクでは「ヤエー」と呼ばれている挨拶である。 このような「心のハイタッチ」ができることは、オープンカーの魅力のひとつではないかと思う。 もちろん「ヤエー」は強制でもマナーでも何でもなく、わかり合っている者同士のコミュニケーションであるが、オープンカーに乗るとこのようなイベントを含めて非日常という刺激を味わうことができる。 前回のコラムで、オープンカーの魅力について少しふれた。 景色、匂い、温度、音の変化からドライブの余韻を味わったまま飲むビールのおいしさまで、五感 で楽しむ乗り物だと感じている。 ●18年・33万キロを駆けぬけてきた愛車、ホンダS2000の3つの魅力とは?https://www.qsha-oh.com/historia/article/attractive-3-points-of-s2000-s2k/ 今回はオープンカーのいちオーナーとして、魅力やオーナーならではのエピソードを綴ってみたい。 ■オープンカーの魅力 よく語られる「オープンカーの魅力」。 そもそも屋根がないというだけで非日常を楽しめるが、具体的な「魅力」とはどんな感覚なのか、 そして走らせているときはどんな感情なのかを改めて考えてみたい。 ●「オープンエアーを感じる」とは? オープンカーの魅力としてよく語られるのが圧倒的開放感、そして「風を感じて走る」こと。 走り出した瞬間、体が「風に包まれる」ような感覚を覚える。 風が吹きつけるというよりは「やわらかさ」を感じられて本当に心地良い。 風の感じ方は車種によって異なるだろうが、フロントガラスがあることで風当たりが緩和されるのかもしれない。 風と一体になったようなオープンエアーがクセになるので、屋根を開けて走る理由は大きい。 ●人生が楽しくなるとは? オープンカーに乗ると「所有の喜び」を感じられるのはもちろん、生活のさまざまな部分にこだわりたくなり、カーライフとリンクさせたくなる。 それは人生を楽しむことにもつながっていく。 例えば、オープンカーがきっかけでドライビングシューズを履く人もいるかもしれない。 愛車の色と 同じ色のシューズにすれば、愛車と離れている時間も愛車を感じることができ、所有の喜びを感じられる。 生活の些細な部分で幸せを感じる瞬間が増える。 筆者はオープンカーミーティングでオープンカーの仲間と知り合った。 20年近く経つが、仲間とは今も交流が続いている。 ▲※写真はイメージ ■オープンカーのベストシーズンは冬? オープンカーのベストシーズンが冬といわれるのはなぜなのだろうか。 春先は気候も良く、桜を見ながら走れてベストシーズンと思われがちだが、花粉症の人にとっては地獄の季節。 オープンドライブどころではない。 筆者の周囲にも「花粉症で屋根なんか開けられない」というオーナーは多い。 夏のオープンドライブは...やめておいたほうが無難だ。 カンカン照りの日中に屋根を開けて走る人を見かけることがあるが「オーブンカー」と呼ばれる通り。 重度の日焼け、熱中症の危険がある。 それに暑さは体力を消耗させる。 安全運転のためにも夏の日中は避けたい。 夏に乗るなら早朝か夕方が良いだろう。 秋は涼しく、紅葉の季節でもあってベストシーズンといっても良いかもしれないが、林道など山の中を走るときは虫に注意。 オープンカーはまれに虫が車内に入ってくる。 筆者はアブが入ってきて、追い払うのに苦労したことがある。 また、秋はスズメバチが攻撃的になる季節でもあるので要注意だ。 そうなると、やはり冬がベストシーズンなのである。 ■オープンカーのデメリットと対策 デメリットよりもメリットのほうが多いと思っているが、デメリットは工夫次第でカバーできるし、こだわりのポイントとして楽しむこともできる。 ●紫外線から目を守って疲労軽減 ファッションアイテムとして見られがちなサングラス。 もちろんファッション性も高いが、遮るものがないオープンドライブでも必需品。 紫外線から目を守って疲労を軽減してくれたり、飛来物から目を守ったりしてくれる。 軽量で強度のあるものだとなお良い。 ●手がベタつかない日焼け止め 日焼け止めは、こまめな塗り直しが必要とされる。 しかし、手にとって塗るタイプはベタついてしまうので、運転中に使うのは少し億劫かもしれない。 そんなときはミストタイプの日焼け止めを常備しておくと便利。 素早く使えるし、メイクの上からでもOK。 手がベタつかない日焼け止めはオープンドライブの強い味方といえる。 ●グローブは手汗や日焼けも防ぐ ロングドライブも多くなるのでグローブは必須。 冬は防寒として役立ち、夏は手汗でステアリングが滑るのを防いでくれる。 筆者はレーシングタイプが気に入っている。 手首までカバーでき、ふかふかしてつけ心地が良い。 それに、ジムカーナなどの走行会にも対応可能だ。 ●鳥の糞や雨漏りなどに備える タオルや洗車シートを載せておくと便利。 オープンにしていると、車内に砂やホコリが舞い込んで ダッシュボードが汚れがち。 気になったらサッと掃除できる。 筆者のS2000はウェザーストリップから雨漏りするので、雨水を拭き取るタオルを常備している。 それから、鳥の糞が落ちてくることがまれにある。 小鳥の糞は問題ないが、鷺のように大型鳥の糞になると大惨事! 筆者はフロントガラスに直撃した経験があり、大量の糞を拭き取るのに苦労した。 洗車シートを常備していれば、万が一のとき本当に助かる。 もし体に直撃したら...温泉にでも入りにいこう。 オープンカーに乗るには、おおらかさも必要かもしれない。 ▲基本はキャップだが冬場はニットキャップに。耳もカバーできて暖か。シーズン通してアームカバーよりも機能性アンダーウェアを着る機会が多いかもしれない ●幌の劣化を想定しておく オープンカーの最大のデメリットといえば、幌が破れてくることかもしれない。 ソフトトップの車種は、交換を見据えたメンテナンスが必要となる。 ハードトップの装着、屋内保管などで幌を長持ちさせる方法もあるが「開けてナンボだろ!」という人は、幌の限界を試すのも楽しいかもしれない...!? ▲S2000の純正幌は「HVデニム」と呼ばれるビニールレザー製。過去2回交換。破れるとシリコン剤で補修していた ■筆者のこだわりは? 筆者は隙があれば屋根を開けるタイプだが 「いつでも開けてます、オープンジャンキーです!」というわけではない。 仕事場へ向かうときはクローズだ。 緊張感もあるが、これから取り組む仕事に集中したいと思ってしまい、開けたいという気持ちにはならない。 仕事が終わった帰り道にオープンドライブすることはよくある。 長く乗るために遠回りすることも。 仕事の余韻と解放感を味わいながら走るのが好きだ。 筆者のオープンドライブは、メンタルと連動している。 ■とにかくオープンカーはいいぞ 旧車の国産オープンモデルは多く、選択肢が多いという魅力がある。 好みのスタイルや乗るシーンに合わせながら選ぶのは楽しいと思う。 これから秋も深まり、オープンカーでのドライブが気持ち良いシーズン。 今まさに購入を検討している方はぜひ。 「オープンカーはいいぞ!」 このひとことに尽きる。 [ライター・撮影 / 野鶴 美和]
運転免許を取得するまで、クルマにまったく興味がなかった筆者。 運転はむしろ苦手で当初はAT限定免許を取得。 そんな自分がS2000を愛車とし、20年近く所有している。 「嫌い」が「好き」に変わった。 これは人生でもベスト3に入るほどの謎だ。 S2000はクルマの愉しさを教えてくれ、今も充実したカーライフを与えてくれている。 ■発売から25年が経過したホンダ S2000 S2000はホンダ創立50周年記念車として1999年4月に発売、2009年まで生産された。 ホンダ伝統のオープンスポーツモデル「Sシリーズ」の系譜を受け継いでいる。 キャッチコピーは「リアルオープンスポーツ」。 オープンカーでありながら「サーキットが本籍」というほどの、高い走行性能を備えている。 ▲駆動方式はFR。50:50の理想的な車体重量配分を実現した 生産終了から15年が経とうとしている今でも多くのファンに愛されているのは、量産車でありながら量産車にはない「車格を超えた存在感」があるからではないだろうか。 日常生活でもサーキットでも、乗る人の心を解き放ってくれるS2000。 これまで過ごしてきた日々とともに、筆者なりに感じた魅力を振り返ってみたい。 ■S2000との出会い 筆者が1999年式の初期型(前期型/AP1)を所有し始めて、18年を迎えた。 ボディカラーはグランプリホワイト。 手に入れた当時4万5000キロだったオドメーターは、33万キロに迫っている。 S2000が発売となった1999年当時、筆者はシビック・クーペに乗っており、クルマに興味を抱き始めたばかり。 同じホンダの最新スポーツカーだったS2000も自然とチェックした。 ホンダの公式サイトにはS2000専用コンテンツが開設され、ドアの開閉音やエンジンサウンドなどの音声サンプルも聴くことができた。 また、オーナーがカーライフを投稿するコンテンツ「愛車自慢」にもS2000の投稿が増えていた。 あるオーナーの投稿の「山頂まで走り、S2000で車中泊をしてご来光を拝んだ」という内容がきっかけで、S2000との暮らしを妄想するようになった。 「いつか手に入れたい」という気持ちが生まれ、S2000に傾いていく。 ■所有して感じたS2000の魅力 【魅力1】官能的なF20C型エンジン 昨年、大規模なリフレッシュを決行した。 経験豊かなショップ「ComeTec」とご縁があり、エンジンを修理していただいた。 心から感謝を伝えたい。 慣らし運転を終え、何の不安もなく高回転まで回せるようになった。 S2000に乗る喜びを噛みしめている。 オーバーホールでは、劣化したエンジンまわりの部品がほぼすべて交換となった。 使われた部品は貴重なストック部品だった。 なかでもエンジンハーネスは、今後供給が危ういとされる部品のひとつと考えられる。 ストックしておくのがおすすめだ。 ●16年目・25万キロ超え。愛車ホンダ S2000のエンジンをリフレッシュhttps://www.qsha-oh.com/historia/article/nozuru-s2000/ ▲2LのNAエンジンながら最高出力250馬力を誇るF20C。高回転エンジンのため慴動部が多く複雑な構造をしている[写真提供 / ComeTec] S2000の大きな魅力はエンジン。 AP1に搭載される直列4気筒DOHC VTECエンジン「F20C」は、S2000のために専用開発された、9000回転を許容する超高回転型だ。 VTECが作動し、レッドゾーンに向けてドラマティックに盛り上がる様子は音楽を奏でているようで「心に語りかけてくる感覚」を覚える。 全開にした際の加速感も痺れるが、巡航状態からアクセルを踏み込んだときの機敏な反応も「エスとひとつになっている」というしみじみとした感動を与えてくれる。 【魅力2】オープンカーで良かった S2000に乗って魅力を感じた点のひとつがオープンカーであること。 最初はオープンカーに憧れていたわけではなかったが、当時装着していたハードトップを外し、オープンエアを感じた瞬間に世界が変わった。 風に包まれる感覚、ダイレクトに聞こえるエンジンサウンド。 海沿いや林道を走るときはオープンに限る。 景色、匂い、温度、音の変化を感じながら走るのが心地いい。 オープンカーがこんなにも五感を刺激するクルマだったとは。 オープンドライブ後に飲むビールも心満意足なのだ。 ▲ハイXボーンフレーム構造によって、クローズドボディと同等の剛性を実現。電動ソフトトップは6、7秒で開閉する 【魅力3】操る愉しさと難しさが同居する S2000は、誰でもある程度楽しく走らせることができる。 道をトレースするように、イメージ通りに曲がっていく。 ただ、調子に乗っていると途端に牙を剥く。 10年ほど前、ワインディングで事故を起こしたS2000(初期型)の救出に仲間と駆けつけたことがある。 オープンの状態で横転しており、ドライバー本人は道路と座席の隙間にうまく入り込んで無事だった。 運良く小柄な体型だったことと、ハイXボーンフレームが命を救った。 事故を起こしたのは、運転歴が浅く、若いオーナーだった。 彼の仲間がいうには「運転がうまくなったと褒められて有頂天になり、勢いよく走り出してまもなくクラッシュした」とのことだった。 そもそも公道でするべきではないのはもちろんだが、S2000の性能を運転がうまくなったと錯覚していたのだろう。 S2000、とくに初期型といえば「ピーキー」、「乗り手を選ぶ」などの言葉が発売当初からついてまわっているが、実際に乗ってみると普段使いでそれらを感じることはない。 高い速度域での旋回時にコントロールすることが難しいという意味だ。 振り返ってみると、乗り手の自制心やクルマへの向き合い方もS2000に試されているのではないだろうかと感じる。 そういう意味でも「乗り手を選ぶ」はあると思っている。 ■背中を押した2つのこと S2000を購入する前、とても迷った。 スポーツドライビング未経験の筆者が、このクルマを購入してオーナーとしてやっていけるのか。 そんなとき、背中を押してくれた2つの言葉があった。 1.自動車誌の記事 S2000が現行車だったころの自動車誌では、特集が頻繁に組まれていた。 記事の中にこんな一文があった。 「乗りこなすことがすべてではない。S2000に取り組んだ時間そのものに価値がある」 都合の良い解釈かもしれないが、この一文を読んで心が軽くなり、前向きになれたことを覚えている。 2.職場仲間の言葉 当時の職場仲間が、念願だったニュービートルを購入するとうれしそうだった。 そんな彼女の言葉が背中を押してくれた。 「本当に欲しかったクルマとすれ違うたびに、あのクルマに乗りたかったと思うのが耐えられない」 この言葉を聞いてからまもなく、中古車店へ足を運んだ。 ■購入するなら今…かもしれないが、しかし 一時は高騰していた中古車市場も、少し落ち着きを見せているようだ。 乗りたいと思っているなら今がチャンスかもしれない。 ただ、発売から10年、20年が経過している古いクルマでもあるので、購入時はリフレッシュ込みの予算が望ましいだろう。 せっかく手に入れても、次々に故障して入院を繰り返すようではモチベーションも下がってしまう。 そして修理のときにも感じたことだが、S2000の部品供給状態は厳しい。 メーカーにも事情があるにしろ、S2000という車種をもっと大切してはもらえないだろうか。 これは、同メーカーの他車種のオーナーも同じ気持ちだと思う。 S2000よりも高性能なクルマは、あれから数多く登場している。 それでも今なお多くのクルマファンの心を掴むのは、現代のクルマにはない魅力が詰まっているからなのだろう。 1台でも多く元気で走っていてほしいと、いちファンとして願うばかりだ。 ■あのレジェンドコミックの外伝作品に! 最後に、筆者はあのレジェンドコミック「オーバーレブ!」の外伝、「オーバーレブ! 90's -音速の美少女たち-」に出演した。 作者の山口かつみ先生とご縁があり、実現したものだ。 筆者がS2000を購入するまでのエピソードをストーリーにアレンジしていただき、憧れのキャラクターと同じ世界に存在することができた。 山口先生に心から感謝を伝えたい。 ▲©️山口かつみ(秋田書店)2021 「オーバーレブ!」は、続編の本編「クロスオーバーレブ!」が進行中。 最新話は「マンガクロス」にて楽しめる。 ●クロスオーバーレブ!https://mangacross.jp/comics/crossoverrev/1 ▲©️山口かつみ(秋田書店)2019 秋田書店公式HPの「ヤングチャンピオン烈」のページにて、「クロスオーバーレブ!」「音速の美少女たち」を試し読みできる。 ぜひ! ●秋田書店https://www.akitashoten.co.jp/ [取材協力] ・秋田書店 ・ComeTec 広島県福山市神村町2107-2公式HP:https://www.cometecracing.com/Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100032848646363 ・山口かつみ [ライター・撮影 / 野鶴 美和]
岡山県では「国産車第1号・山羽式蒸気自動車」を開発した発明家・山羽(やまば)虎夫の偉業を讃えようと盛り上がりを見せている。 来年2024年で、山羽式蒸気自動車が製作されてちょうど120年を迎える。 旧車王ヒストリアでは、昨年2022年に岡山商科大学附属高等学校 自動車科のみなさんが製作した、山羽式蒸気自動車のレプリカ製作を取材。 今回はその続編として、最新トピックスをお届けする。 日本最古の自動車・山羽式蒸気自動車とは 山羽式蒸気自動車は、日本最古の自動車だ。 開発者の山羽虎夫は、1874(明治7)年に岡山県で生まれた。 1895(明治28)年、岡山市天瀬可真町(現在の千日前商店街あたり)に山羽電機工場を開業。 1904(明治37)年、29歳のとき日本で初めて蒸気自動車を開発して実際に走らせた。 その後、1957(昭和32)年に亡くなるまで発明品で数々の特許を取得した。 地元の資産家・森房三と楠健太郎からの依頼で、10人乗りの「乗合バス」を開発することになった。 製作期間は約7ヶ月を要した。 そして試走当日1904(明治37)年5月7日。 試走ルートは表町から京橋を経て、旭川の土手道を走って新岡山港近くまで、約10kmを力走したとされる。 実用化には至らなかったが、この偉業は国産自動車の未来を切り拓いた。 2022年11月、山羽虎夫は日本自動車殿堂(Japan Automotive Hall of Fame)、略称JAHFA(ジャファ)への殿堂入りを果たした。 120年近くの歳月を経て、その功績が認められたのだ。 ▲当時の沿道には試走を一目見ようと大勢のギャラリーが詰めかけたと伝えられている ▲有志団体「山羽虎夫顕彰プロジェクト」により、山羽虎夫像が移設された。人通りが多く試走ルートに近い京橋にたたずんでいる。上の写真は2023年5月2日(火)に行われた除幕式の様子[写真提供:岡山商科大学附属高等学校] 山羽式蒸気自動車複製プロジェクトが進む 岡山商科大学附属高等学校 自動車科のみなさんによって製作された山羽式蒸気自動車のレプリカが、「国産自動車発祥の地・岡山」のPRに貢献している。 この複製プロジェクトは、地元の放送局・RSK山陽放送が同校にレプリカの製作を依頼し、自動車科設置(2018年)と創立110周年の記念事業として発足したもの。 昨年の2022年5月7日(土)には、レプリカ完成のお披露目を兼ねた記念走行を実施。 旧車王ヒストリアでも試走ルートを走行した様子を取材させていただいた。 国産自動車第一号は岡山生まれ!「山羽式蒸気自動車」を後世に伝えるレプリカ製作プロジェクト ▲2023年5月2日(火)の除幕式にもレプリカが展示された[写真提供:岡山商科大学附属高等学校] 京橋朝市「山羽虎夫とはたらく乗り物」に展示 去る2023年5月7日(日)、「京橋朝市」にて「山羽虎夫とはたらく乗り物」と題した試乗展示会が開催された。 京橋朝市は、毎月第一日曜の早朝から催されている。 5月の開催日が、山羽式蒸気自動車が試走した記念日と重なったことから展示が企画されたという。 ▲当日は生憎の雨天 岡山商科大学附属高等学校 自動車科のレプリカ展示をはじめ、自衛隊や警察、消防車両、高所作業車などの「はたらく車」が並んだ。 高所作業車の試乗も体験できるなど、雨の中でもはたらくクルマたちは、やはり人気だった。 ▲京橋朝市の告知ポスターには山羽虎夫のイラストとレプリカが大きく掲載された ▲イベント限定グッズ「山羽虎夫チョコ」[写真提供:岡山商科大学附属高等学校] ▲旧車王ヒストリアの記事をもとに展示用パネルを作っていただいた。ポスターやグッズ、展示パネルなどのデザインを手掛けたのは、京橋朝市魅力アップ事業実行委員会 この日は生憎の雨天だったが、多くの人が足を止めてレプリカに見入っていた。 レプリカの説明を担当していた自動科3年の新田匡さんは 「地元でも山羽蒸気自動車を知らない人が多く意外でした。このレプリカ製作に関わったことで、岡山の歴史にもふれることができ、発見も多かった。卒業までにレプリカの完成度をできるだけ上げて後輩に受け継いでもらいたい」 と話す。 ▲訪れた人に丁寧に説明する新田さん。ちなみに新田さんの好きなクルマはスバル インプレッサWRX。シリーズ2代目の「鷹目」が気に入っているそうだ レプリカのアップデート こちらのレプリカは、2022年のお披露目から少しずつアップデートされている。 このさきも改良を重ねながらできる限り複製を目指しているという。 今回の改良部分を伺った。 ブレーキを追加 ブレーキは同年代の外国製の車両を参考に製作し、平ベルトでドラム部分を締め付ける構造に。 グリップを追加 ハンドルに縄のグリップを装着。 当初は革、布、と候補が上がったが、時代背景を考えたとき、稲わらを生活用具に使用していたことを思いついたという。 そこで「巻き付けるとしたら、入手しやすい荒縄を巻き付けるのではないか」ということで縄になったそうだ。 実際に、年配の方からは「これがええ!」と評判が良いのだとか。 蛇口を追加 2つの蛇口があり、1つはボイラーの水を排出するものと考えられる。 1つは鋳造で複製された。 減圧弁を追加 構造上、蒸気が抜けないように減圧弁があったと考えられる。 パイプを溶接して作られている。 この先も「山羽式蒸気自動車複製プロジェクト」に注目 山羽式蒸気自動車のレプリカは、今後も多様なイベントに展示されるようだ。 8月3日(木)には、岡山商科大学附属高等学校で開催されるサマーセミナー「岡山の偉人 日本で初めて自動車を作ったひと 山羽虎夫について(近隣の小学生対象)」で展示されるほか、秋には県内のカーイベントでの展示も予定されているそう。 旧車王ヒストリアでは今後も、山羽式蒸気自動車に関する続報をお届けしていく。 [取材協力]・岡山商科大学附属高等学校・京橋朝市実行委員会・京橋朝市魅力アップ事業実行委員会・吉備旧車倶楽部 [ライター・撮影/野鶴美和]
ホンダ初の4輪自動車「T360(さんびゃくろくじゅう)」を修理すると聞き、復活するまでの密着取材の機会に恵まれた。 聞けば1台の部品取り車の部品を2台で共有しながら、不具合を解決していくのだという。 T360の存在は把握していたものの、筆者が実車にふれたのは初めて。 見た目の愛らしさに魅了され、注ぎ込まれた技術に圧倒された。 今回の修理の過程を前編と後編に分け、T360の魅力とともにお伝えしていく。 ■ホンダが初めて市販した4輪自動車 T360 T360は、2輪メーカーだったホンダが4輪業界へ進出した際、初めて市販された4輪自動車。 1963年から1967年という4年間で生産されたセミキャブオーバーの軽トラックだ。 エンジンを15度に寝かせて座席下に搭載するミッドシップとなっている。 もともとオートバイレースやF1(第1期)に携わって経験を積んだ技術者たちがその技術力を注ぎ込んでいるため、当時の商用車としてはありえないメカニズムで高性能を誇った。 ●開発の背景 高度経済成長期の1961年、当時の通産省から「特定産業振興臨時措置法案(特振法案)」が提出された。 国際競争力の弱い産業の強化を図るべく、「自動車」「特殊鋼」「石油化学」を特定産業に指定し、各自動車メーカーを統合して3社に絞ることにした(結果的には廃案となった)。 当時ホンダは2輪車業界で成功をおさめていた。 マン島TTレースを制覇。 小型オートバイのスーパーカブが大ヒットしていたが、4輪車の実績がなかったため特振法案によって新規参入が認められない恐れがあった。 すでに4輪車の開発には着手していたが、法案成立までに4輪車の生産販売実績をあげなければならなくなった。 開発されたのは軽自動車のスポーツカー「S360」と「S500」。そして軽トラックの「T360」。 市場では産業の発展によって商用車の需要が高まっていたことから、T360が「ホンダ初の4輪車」として市販されることとなり、1963年8月に発売された(S500は同年10月発売)。 ▲一見ピックアップトラックにも見えるがキャビンと荷台が分かれており、セミキャブオーバー型の軽トラックに分類される。マットなブルーのボディカラーは「メイブルー」と呼ばれる純正色 ●レーシングカーの発想でできあがった、日本初のDOHC直列4気筒エンジン 当時の国産車のエンジンは4ストロークOHVが主流で、軽自動車においては2ストローク2気筒が主流だったなか、T360は水冷直列4気筒DOHCエンジンを国産車で初めて搭載した。 同時期の軽自動車が20〜25馬力程度の時代に、最高出力30馬力を8500回転で発生する高回転高出力型エンジンで、ホンダがF1と2輪レースで培ったテクノロジーが活かされていた。 ▲初期型はCV型キャブレターを4連で装備[写真提供/吉備旧車倶楽部] ●なぜ残っている個体が少ないのか 1963年から1967年の4年間しか生産されなかったT360だが、現存する台数は約10万台といわれる生産台数に対して極端に少ない。 理由のひとつに、設計変更を繰り返したがゆえの「部品探しの難しさ」があるようだ。 生産当時、現場の声に素早く対応するため、生産中はまとめて改良することをせず、その都度設計変更・改修が加えられた。 そのため同じ部品・仕様で生産された現代のクルマのように、明確なマイナーチェンジモデルがないのだ。 よって、同じ年式の部品取り車があったとしても、部品が合わないことが多々あった。 これがT360の維持・再生を困難なものとしている。 また、現役当時もレーシングカー譲りの高性能で高度な設計であったため、ホンダSF(サービスファクトリー)以外の整備士が修理するには、難度が高かったという問題もあったようだ。 壊れてもすぐに直せて復帰できる実用性がもとめられる商用車、軽トラックだったからこそ残らなかったのだろう。 これがもし生産されなかったS360なら、名車として今も多くの個体が残っていたのかもしれない。 現代のクルマにはあり得ない、別格の生まれをもつT360。 その後、シビックなどのレースでの活躍もホンダのスポーツイメージをさらに高め、T360も「伝説の軽トラ」「スポーツトラック」と呼ばれるようになっていったと思われる。 ●純正から「タコ足」! 今回修理した1965年式のT360。エキゾーストパイプの形状は、ご覧の通り純正で「タコ足」であり、F1由来の思想を感じる。 高性能を売りにしたためコスト度外視。市販レベルでここまで作り込んでいるホンダは“ぶっ飛んだ”メーカーだ。 また、わずかな年式の違いでも「HONDA」の字体が異なっているプラグカバーにも注目したい。このようなわずかな違いが、愛好家にとってはこだわりの部分である。 ■T360のオーナー紹介 そんなT360を所有する、淵本芳浩さんと整備士の西栄一さん。 旧車イベントを通じて知り合った淵本さんと西さん。 淵本さんが部品取り用の個体を手に入れ、西さんが2台の修理を手がけた。 前編では、淵本さんのT360の修復を詳しく紹介していく。 ▲2010年頃、淵本さんのT360(右)納車当時の1枚。西さんのT360(左)と一緒に[写真提供/吉備旧車倶楽部] 淵本芳浩さん(62歳) 淵本さんはホンダが好きで、ホンダの2輪をはじめN360、ステップバン、Z、ライフ、バモスなどのさまざまなモデルを乗り継いできた。 愛車の1965年式T360(AK250)は、淵本さんが2011年に前オーナーのご家族から譲り受ける形で購入した個体だ。 公道復帰に向けてコツコツと整備をしてきたが、T360は他のホンダ車に比べて整備が難しく、幾度も壁にぶつかる。 そんななか、T360に長く乗り続ける整備士の西栄一さんと知り合う。 西栄一さん(68歳) 今回のレストアを手がけた西さんは、レースメカニックなどの経歴を持つベテラン整備士。 専門学校時代にツインカムエンジンの教材としてT360を使って整備技術も学んでいる。 1966年式のT360(AK250)を50年近く所有している。 ■部品取りの個体を手に入れるまで 2011年、地元の漁港近辺で部品取り用の個体を発見して購入。 部品取り用個体の年式は、淵本さんのT360と同じ1965年式だが、冒頭でふれた「設計変更・改修」がこの2台の間にも行われているため、淵本さんのT360とは共通の部分と異なる部分がある。 いっぽうで、1966年式の西さんのT360に使える部品もあった。 このことが2台の再生にあたり、良い方向に動いたといえる。 部品取り用の個体は、長い間潮風にさらされて外装はほとんど朽ちていたが、エンジンパーツや内装パーツ、ワイヤーハーネス、ガラス類など再利用可能な部品を選別し、摘出した。 ▲左は2014年、部品を摘出する直前の1枚。右は発見したそのときに撮影したもの。樹木に覆われて朽ちかけていた[写真提供/吉備旧車倶楽部] ■淵本さんのT360を修復!トラブルと対策 ▲キャブレターを脱着しての整備中[写真提供/吉備旧車倶楽部] まずは淵本さんのT360に取り掛かった西さん。 エンジンが始動するかどうかの確認から始まった。 そして、部品取り個体から摘出した部品や他車種からの流用部品、汎用品を用いて修復を進めたという。 前オーナー時代の整備状況が不明なうえ、オリジナルとは異なる部品も多かった。 一つひとつ検証を重ねながら作業が進められた。 西さん:「T360の場合、S500、S600、S800の部品が一部流用できます。オールドSの専門店から復刻される部品も増えてきましたし、以前よりもずいぶん直しやすくなったと思います。 ただ、現代車用の部品を流用する場合は、注意が必要です。とくに現代の部品を追加・交換する場合は、オーバースペックでトラブルを招く可能性もあります。 例えばインジェクション用の電磁ポンプを使う場合は、そのまま使うと燃圧が高すぎてキャブレターのオーバーフローが起こります。圧送力が大きすぎるものもあります。もし使用する場合は燃料圧力調整器を使用しなくてはなりません。 旧車の整備は『当時の状態』『修理はどうしていたのか』を紐解き、それを踏まえた“現代の修理”を行うことが重要です」 今回行った修復内容を解説しつつ紹介していこう。 ●エンジン始動不良 コンタクトポイントの異常摩耗によって点火不良を起こし、エンジンが掛からなくなっていたため、西さんのストック品を使い交換した。 コンタクトポイントを含めた電装品は日本電装製と日立製があり、双方の互換性がない。 T360には同じ時期に生産された個体であっても生産の段階から2社別々の部品が使われているという特殊な部品事情がある。 2工場で同時に生産していたことが大きな理由で、それぞれの工場に納品される部品が異なっていたと思われる。 ▲コンタクトポイントは日立製。焼け溶けてガタガタになっているのが確認できる ▲日立製(左)と日本電装製(右)のコンタクトポイント。見分ける大きな特徴は中央の凸部の形状が異なる点。互換性はない ●フューエルメーターの作動不良 フューエルメーターが正しく作動せず、燃料の残量がわかりにくくなっていた。 メーターはバイメタルを使用していて、熱変動で動いている。 そのため、メーター内の電球の熱で誤動作を起こしていた。 おそらく前に整備した人物が知らずに12ボルトを流してしまったと思われる。 現行車の考えでは修理できない例のひとつだ。 ▲6ボルトであるべき電流を12ボルトで流してしまったためバイメタルの部分が焼けてしまっている 対策として、タンクの脱着とユニットの清掃、配線の修理を行った。 確認の際、電流計は直列につなぎ6ボルトで行った(当時の2輪車の方法に準じた)。 このような部分に2輪メーカーのホンダを感じる。 ●オーバーヒート発生 試走でオーバーヒートを起こした。 水温は108度。 最初はサーモスタットの異常を疑い、サーモスタットを取り外したが変化はなかった。 さらに確認したところ、T360のラジエーターが正規品でないことがわかった。 前オーナーが特注でラジエーターを作っていたようだ。ラジエーターのアッパータンク、コアチューブが小さく、アッパータンクがチョークワイヤーに干渉していた。 サービスマニュアルと照合すると本来5リットル指定のはずだが、4リットルしか入らなかった。 ▲左が特注品のラジエーター。おそらくデータを確認せず正規品を模したため4リットルになってしまったのだろう そこで、大型車用のラジエーターをベースに、専門業者に依頼して水量5リットルのものを製作。 その際、部品取り用個体からアッパータンクとロアタンクを使用した。 サーモスタットも劣化していたので大型車用に交換。 82度で開くものを使用した。 ●フューエルタンクの詰まりと錆の発生 キャブレター清掃時、燃料に錆が混入していたのを確認。燃料タンクを取り外して清掃を行った。 ●クラッチがときどき切れなくなる トランスミッションが熱をもつことで油圧式のクラッチ系統に熱が伝わり、ペーパーロック現象を引き起こし、クラッチが切れなくなっていると推察。 熱を遮断するスレーブシリンダーインシュレーター(ガスケット)を確認したところ、取り付けられていなかった。そのため、シャフトの作動にも異常をきたしていた。 急きょ、西さんのT360に装着しているものを見本に、ベークライトを切り出して製作した。 ▲本来は○部分にスレーブシリンダーインシュレーターが取り付けられている ●チャージランプの不良 チャージランプが頻繁に切れるので確認したところ、ヒューズホルダーの接点に錆が発生。 熱をもつことで正常に作動しなくなっていることが判明した。 高回転でフルチャージになったときに不良を起こす。 ヒューズホルダーASSY交換(汎用品)で対応した。 ●燃料漏れ発生 純正の機械式フューエルポンプのアウト側のキャップが外れて燃料が漏れ出した。 淵本さんが保有していたホンダ ライフ(初代)用の電磁ポンプを加工・取付。 ガスケットは製作した。 ●キャブレターのオーバーフロー(燃料漏れ) フロート(浮き)に堆積した汚れが原因だったため、清掃を行った。 ●キャブレターの調整 4連キャブレターのため、調律・調整をとるのが難しい。 エンジンが座席の下にあることで脱着の回数も多く、時間を要した。 セッティングはまだ納得できるレベルではないので、今後さらに煮詰めて絶好調へ持っていく予定だ。 ▲左からサクション・ニードルの調整。フロート(浮き)のレベル(高さ)の調整。プライマリーエアージェット、セカンダリーエアージェットを分離しての点検・調整[写真提供/吉備旧車倶楽部] ●サービスマニュアル ▲販売開始当初のサービスマニュアル 今回使用したサービスマニュアルは極初期型用だった。 淵本さんのT360が生産されるまでの間にも繰り返された設計変更・改修により、このマニュアルと現車では、情報と異なる部分も多数あった。 しかし、サービスマニュアルがあるとないとでは、修理するうえでは大違いだ。 ■よみがえった淵本さんのT360 修復作業が一段落し、淵本さんのもとに戻ったT360。 ひさびさの愛車の乗り心地と、T360とのこれからについて伺ってみた。 淵本さん:「西さんに預ける前は、エンジンの回転が上がりにくい状態でしたが、今は吹け上がりもスムーズで走らせていて気持ち良いです。ですが、まだ完璧な状態ではないので、引き続きセッティングを行いながら長く付き合っていけたらと思います」 ■取材後記 自動車会社としての運営体制を整えながら造りあげた、ホンダ初の4輪自動車T360。 当時の時代背景や社内事情もあったにしても、これだけの高回転高出力型エンジンを軽トラックに採用したアンバランスさは、さながら軽トラック(T)の皮をかぶったスポーツカー(S)だ。 そして当時の技術者たちの「今より良いものを作るんだ」という情熱で繰り返されたであろう設計変更・改修の歴史は、軽トラックとしてあるべき姿になっていく過程のようであり、今となっては大きな魅力となっている。 まさに“伝説の軽トラ”だ。 続く後編では走行の様子もレポート。西さんのT360の修復と、T360のさらなる魅力を掘り下げてお届けする。 [取材協力/吉備旧車倶楽部] [ライター・撮影/野鶴美和]
去る2022年11月13日。チューニングカーの祭典「チューニングフェスタ」が、23年の歴史に幕を下ろした。 イベントが岡山国際サーキットでスタートしたのは2000年。多様なショップのチューニングカーが“ガチンコバトル”を展開するという、これまでにないスタイルのカーイベントとして始まり、西日本最大級のイベントに成長した。 しかし、時の移ろいでチューニングカーを取り巻く環境も変化。 チューニングベースとなるクルマの高騰や電子化など、クルマを手に入れにくい時代になりつつあるという背景があり、イベントも変革の時ということで一度ピリオドを打つということになったという。 ■決して終焉ではない 今後は「チューニングカーを次代へ残す」をテーマとし、車両価値を伝え、動態保存につながるイベントにリニューアルするとのこと。新イベントの開催が期待される。 今回は、23年間もの継続に感謝を込めながらクルマ好きに愛されてきたイベントのフィナーレを振り返る。 ■2000年から続いたチューニングカーの祭典 このイベントは、開催当時から続く伝統のレース「マイスターカップ」をはじめ、数々のレースや走行会、体験走行で構成される。 そして今回、西日本初開催となった「OKAYAMA HISTORIC CAR RACE」にも注目したい。この競技はJAF公認の公式なレースであり、日本クラシックカー協会の認定を受けている格式あるレース。1960年代後半からのヒストリックカーが出場する。 まさに集大成といえるラインナップでの開催となった。 ■出走していた憧れ、懐かしのマシンたち 当日は、イベントがスタートしてまもなく雨に。コースコンディションはウェットで始まった。赤旗が相次いだが、上級者ならではの迫力あるバトルは圧巻だ。 ▲チューニングフェスタにおいてR32 GT-Rは“シンボル的存在”といえるだろう ▲午前中のコースは激しい降雨でヘビーウェットに。水飛沫をあげながら走る80スープラ ▲シビック(EG6)の勇姿 ▲アルトワークス、コペン、トゥディなど長年人気を誇る軽自動車のチューニングマシンたちの姿も ▲会場内に立ち並ぶ、パーツメーカーやショップの展示、飲食ブースも見逃せない ■【リザルト】マイスターカップ 「マイスターカップ」への出場は、岡山国際サーキットのラップタイム1分45秒未満を保持していることが出場条件。出場マシンは国産モデルに限られ「4WD」「2WDターボ」「2WD-NA」の3クラスに分かれる。 *以下、ドライバー/ 車両名(エントリー名)/型式 ●マイスター4WDクラス 1位:トトロ / トトロ33GT-R / BCNR33 2位:eijiのおホモ達つよぽん?? / 天龍ガス欠BNR32 / BNR32 3位:koto / AS koto 34R / BNR34 ●マイスター2WDターボクラス 1位:道堂晃 / ☆WORKS 道堂☆ /AE86 2位:コマッチャン / D2☆180SX / RPS13 3位:ゆうちゃん/ フルステージまっくろくろすけFD /FD3S ●マイスター2WD NAクラス 1位:林幸男 / D2☆EK9/ EK9 2位:山根正和 / ガレージヤマネ☆レビン/ AE86 3位:田中均樹 / ドミネーションペトロナスEK9/ EK9 ▲ マイスター2WD NAクラスで優勝を飾ったD2☆EK9号 ■【リザルト】チャレンジクラス マイスターカップへのステップアップ部門「チャレンジクラス」。「4WD」「FR」「FF」と駆動方式でクラス分けされている。1分46秒001以上のタイムを保持していることが出場条件だ。 ●チャレンジ4WDクラス 1位:藺牟田竜 / D2☆エボ8 /CT9A 2位:レスポール高埜 / Team FullStage / VAB 3位:重田幸男 / - / GDB ●チャレンジFRクラス 1位:嘉納健二 / RH坂井・V-coatレビン / AE86 2位:堀井琢己 / D2・S15 / S15 3位:カズ / 黒いS2000 / AP2 ●チャレンジFFクラス 1位:大久保凌 / 田辺レーシング / EF8 2位:亥野好史 / - / DC5 3位:ひでやん / ひでやんDC5@RSファクター / DC5 ■【リザルト】インポートクラス 輸入車向けの「インポートマイスタークラス」と「インポートチャレンジクラス」。1分55秒のタイムを基準に、速いドライバーは「マイスター」へ。入門向けとして「チャレンジ」の2クラスが設けられている。 ●インポートチャレンジクラス 1位:JC PEPINO / チーム名/ 車両名(型式)/ 220 2位:ピカチュウどS / PFCJどノーマル鶏饅987どS/ 98721 ●インポートマイスタークラス 1位:ヨシミューラ/ Beck JAPAN ヨシムラ / - 2位:gucci_racer/ サ狼 AUDI TTS310 / 8J 3位:ヨッシー/ アックスレーシングプロジェクト / 993 ▲インポートマイスタークラスで優勝を飾ったBeck JAPAN ヨシムラ号(Beck GTS) ●86・BRZマイスタークラス トヨタ86とスバルBRZによるワンメイクレース。エアロバンパーやGTウイングなどのダウンフォースをはじめ、エンジンチューン、過給機装着まで改造範囲を拡大して開催。 1位:戦闘民族 /ALTEX 戦闘民族号 / ZD8 2位:前川志郎 / キモオタブルー/ ZC6 3位:長尾奏斗 / ラウダダカンパニー86 / ZN6 ▲トヨタ86とスバルBRZによるワンメイクのマイスタークラス。優勝を飾ったALTEX 戦闘民族号 ■【リザルト】K-Carクラス 軽自動車部門「K-Car」クラスはターボとNAの2クラスに分かれて初開催。根強い人気のトゥデイ、アルトワークス、コペンの新旧モデルの競演、S660、ビートなどが熱い走りでギャラリーを魅了した。 *以下、ドライバー/ エントリー名 / 型式 ●K-Car NAクラス 1位:mistbahn /mistbahn PP1 ビート / PP1 2位:檜山貴志/ ヤハタレーシング 2号車/ PP1 3位:江角浩二/ KibiGasket 内山工業 /PP1 ▲K-Car NAクラスの優勝を飾ったmistbahn PP1 ビート号 ●K-Car ターボクラス 1位:川端昌幸 / GarageTake-Up青アルト / HA22S 2位:飯野山佑介 /プライム☆チームマッハトゥディ/JW3 3位:MORIMAX / 通勤快速GR COPEN / LA400A ▲K-Car ターボクラスの優勝を飾ったGarageTake-Up青アルト号 ▲各部門の表彰式が行われた ■【競技レポート】西日本初開催! OKAYAMA HISTORIC CAR RACE こちらのレースは、これまで筑波サーキットを中心に関東で開催されていた。 しかし以前から西日本での開催を強く望む声が多く、日本クラシックカー協会の認定を受けてチューニングフェスタで待望の初開催となった。 1960年代後半から1970年代までのクルマを中心に展開されるレースで、クラスは大きく3クラスに分かれる。 エンジンとサスペンションのみチューニングが許される「Sクラス」、1970年までに製造されたフルチューニングマシンの「Fクラス」、トヨタ KP61スターレットと日産 B310サニーのフルチューニングマシンによる「TSクラス」。 見どころのひとつは、当時のクルマ好きが憧れた名車が数多く登場する点だ。 日産 B310サニー、トヨタ KP61スターレット、日産 510ブルーバード、アルファ ロメオ ジュリアシリーズなどが出走した。 ▲シリーズ3代目として1967年にデビューした510ブルーバード ▲1978年にデビューしたKP61スターレット。シリーズとしては最後のFR車でもある。さまざまなモータースポーツで活躍した名車だ ▲各部門の表彰式が行われた ■【リザルト】OKAYAMA HISTORIC CAR RACE ●S-1クラス 1位:林誠 / ガルトサービスホンダ1300クーペ / H1300C ▲S-1クラス優勝を飾ったガルトサービスホンダ1300クーペ号 ●S-2クラス 1位:伊藤俊哉 / イトウレディース&チェック510 / N510 2位:藤原進 / チェック☆ニッサン☆ブルーバード / P510 3位:仲田好喜 / ナルトカイ.ナッツ510 /H510 ▲S-2クラス優勝を飾ったイトウレディース&チェック510号 ●F-2クラス 1位:蒲生真哉/ Nats中村自動車ブルーバード / KH510 2位:河上正治/ オカザキスピードTC16サニー / PB110 3位:坂口夏月/ DAISHINブルーバード / KP510 ▲F-2クラス優勝を飾ったNats中村自動車ブルーバード号 ●TS-1クラス 1位:大八木龍一郎/ DAISHIN Progrexxサニー / B310 2位:大八木信行 / DAISHINサニー / B310 ▲TS-1クラス優勝を飾ったDAISHIN Progrexxサニー号 ●TS-2クラス 1位:TOMISAN/ ダイワN通商恵比寿スターレット / KP61 ▲TS-2クラス優勝を飾ったダイワN通商恵比寿スターレット号 ●TS-Eクラス 1位:青木孝行/ DAISHIN Rock254サニー / B310 ▲TS-Eクラス優勝を飾ったDAISHIN Rock254サニー号 詳しいリザルトはこちらからhttp://jcca.cc/event/2022/okayama/ ■【ドラマ】地元・岡山の企業が製作したマシンが、デビュー戦を完走 OKAYAMA HISTORIC CAR RACEで、地元企業のマシンが初出場を果たした。 岡山県に本社を置く、クルマ好きにはおなじみの有名パーツメーカー「OS技研」。 2023年に創業50周年を迎えるにあたり、記念事業としてオリジナル4気筒エンジン「TC16-C1」を搭載したマシンの製作を2020年から行っている。 今回のプロジェクトは、ヒストリックカーレース参戦を目標としつつ、若手への技術継承や、エンジン量産化に向けた課題解決などの目的をもって取り組まれているという。 今回、目標としてきたレースの舞台が偶然にも地元・岡山で実現するというドラマがあった。 「TC16-C1」を搭載したPB110サニー エクセレントをベースとしたマシン「オカザキスピードTC16サニー」号は、赤旗が相次ぐウェットコンディションのなか、河上正治選手の鮮やかな走りでレース完走を果たした。 ▲OKAYAMA HISTORIC CAR RACEクラス2位という好成績でデビュー戦を飾った ▲開発中の4気筒DOHCエンジン「TC16-C1」。テスト中に9000rpmを達成しているという レースを含めた振り返りを、プロジェクトにアドバイザーとして参加しているOS技研チーフエンジニアの富松拓也さんに伺った。 富松さん:「テスト走行は何度も繰り返していたんですが、今回が本当のデビュー戦でした。 レースは富士スピードウェイだろうと思っていたんです。ところが、岡山で行われる話を聞いて驚きました。どこで開催するにしてもこのプロジェクトは続行されますが、岡山国際サーキットに合わせてセットアップしてきました。 L型4気筒のエンジンでFクラス(フルチューニング)参戦というと、車種はおのずと510ブルーバードかPB110サニー エクセレントになるんですが、あえて不利な点の多いPB110サニー エクセレントで挑戦することにしました。 これまでさまざまな問題に直面し、まともに走らせるのが本当に大変でした。現段階では『まだまだ』ですね。マシンの大きな課題は、強大なエンジンパワーをいかに路面に伝えるかです。そのほかにも煮詰めなければならない部分は多々ありますし、課題を一つひとつ解決しながら仕上げていきたいです」 今回のプロジェクトでドライバーを務めている河上正治選手は、1980年代から岡山県内で行われていたレースや全日本ジムカーナ選手権に参戦するなどのベテランドライバー。OS技研との縁などを伺いつつ今回を振り返っていただいた。 河上選手:「今回の走りは反省点が多いですが、マシンの仕上がりを感じました。期待を膨らませています。 OS技研とは学生時代から交流があります。自分がL型に乗っていたこともあり、OS技研のクラッチなどのパーツをずっと使ってきました。創業者の岡﨑さんとは名前が漢字まで一緒なので、縁があるのかなと思っています」 「TC16-C1」はすでに市販化も始まり、1基がユーザーのもとに届けられている。バックオーダーも数基ある状態だという。 プロジェクトの今後の展開にぜひ注目したい。 オーエス技研https://osgiken.co.jp/ 公式YouTubeチャンネルhttps://www.youtube.com/@osgiken1/videos ■パレードランでフィナーレ ▲パレードランしている車種のプロフィールが次々にアナウンスされていた イベントのフィナーレでは、来場しているすべてのクルマが参加。走行中の車種がMCで紹介され、卒業式のような雰囲気に。 このイベントに一度ピリオドが打たれることをあらためて感じるパレードランだった。 ■取材後記 筆者がチューニングフェスタへ初めて行ったのは2005年のこと。クルマ好きなら誰でも知るようなイベントが地元・岡山で開催されていることが、地元住民として誇らしかった。 さまざまなチューニングカー、そして大好きなS2000が目の前を駆け抜けていく姿がただただうれしく、公道では目にできない走りやエンジンサウンドに興奮したことを思い出す。本気で走るマシンを目にしたことで、クルマが一層好きになった。 憧れのクルマが全開で走っている姿を目にすると「いつかあのクルマに絶対に乗るんだ」というモチベーションもアップするのではないだろうか。実際に、筆者は憧れだったS2000を手に入れた。 23年間、多くのクルマ好きに愛されたイベントが途切れてしまうことはファンとして残念だが、チューニングカーの魅力を次代に伝える新イベントのスタートを待ちたい。 ▲筆者が2005年に行ったチューニングフェスタにて [取材協力] ●岡山国際サーキットhttp://www.okayama-international-circuit.jp/ ●オーエス技研https://osgiken.co.jp/index.php ●日本クラシックカー協会http://jcca.cc/ [ライター・撮影/野鶴美和]
去る2022年11月6日(日)、愛媛県四国中央市の川之江駅栄町商店街で「昭和レトロフェスタ」が開催された。 今回はイベント内で催された「第11回 U-550旧軽自動車ミーティング」を紹介したい。 「戦後からバブル期にかけて排気量や外寸などの規制を受けながら各メーカーが試行錯誤を繰り返してつくりあげたクルマたちから、モノを大事にする本来のエコ精神を感じてほしい」 そんな思いのもとに開催されている。 ■懐かしの名車74台が集結! 当日は好天で、汗ばむほどの陽気。 参加車輌は、朝9時半にパレードランで川之江駅栄町駐車場へ入場。74台が集まった。 10時からミーティングが開始となり、会場はすぐに盛況となった。 会場に隣接した商店街には、20店以上にもおよぶマルシェやワークショップなどのブースが立ち並んだ。 また、ステージでは地元のミュージシャンやダンス団体、地元高校の書道部がパフォーマンスし、盛り上がりを見せていた。 ▲550cc未満の軽自動車が集結した。手前のトラックはスズキ スズライト キャリイ(L20)。イベントで目にすること自体が珍しい、レアな1台 ▲レーシーな個体も(スズキ フロンテクーペ) ▲「昭和レトロ」にこだわった演出!(三菱 360バン) ▲クルマのプロフィールが書かれた暖簾は、スタッフの村上慎也さんが一つひとつ手作りしたもの ▲展示スペース内であればスワップミートもOK ▲ナンバー隠しに遊び心。「ゆっくり直そう」というステッカーにも注目 ▲コンテストも行われ、会場投票で「かっこいいで賞」「かわいいで賞」「ロングディスタンス賞」などが決まった ■【VOICE】皆さんの愛車を拝見! どの個体も貴重なのはもちろん、カスタムにもオーナーの個性が現れて見ごたえたっぷり。 今回参加していたこだわりの愛車たちをご覧あれ!※年式は個体の年式 ●ホンダ ライフ ステップバン(1974年式)オーナー高木雅彦さん ホンダが大好きというオーナーの高木さん。このクルマを含めて5台を所有しているという。ビート、N360(最終型)、トゥデイ(1995年式)、N-ONE。そしてモンキーも7台所有しているとか。 「愛車のすべてがこだわり」と話す高木さん。 この個体は1989年に購入し、大規模なレストアを行い、大切に乗っているそうだ。 「ホンダが大好きなんです。自分が乗れなくなったら、このクルマは息子に受け継いでもらう予定です」とのこと。 ▲スポーティーなステアリングが似合う ●スバル サンバー バン(1972年式)オーナー 佐々木英一郎さん 佐々木さんのサンバー バンは6回目の車検を受けたばかり。 美しいエンジンルームは多くの人が見入っていた。 もともとチューニングカーが好きな佐々木さん。 以前はかなり手を入れたチェイサーに乗っていたそうだ。 商用車に惹かれてこのクルマを手に入れてからは約17年になるという。 「サンバー バンはやりきった感があるので違うクルマを考え中です」と佐々木さん。 次期愛車への構想もふくらませているようだ。 ▲愛車に搭載される現在のエンジンは、R2のEK33型エンジンをモディファイしたもの。カワサキの純正キャブレターCVK32を流用 ▲チャンバーやサイレンサーは佐々木さんがワンオフで製作している ●マツダ ポーターキャブPC3A(1973年式)オーナー村上慎也さん 今回の主催&スタッフでもある村上さんのポーターキャブは、オレンジ色がとてもキュートだ。 「やんちゃ毒ガエル」をイメージしたという愛車。 「気負うことなく自然に、のんびりと付き合っていけたらいいですね」と村上さんは微笑んだ。 ▲レトロテイストを取り入れた室内も素敵 ▲「橙蛙屋工房」の屋号アート活動もしている村上さん。粋なデザインのイラストやグラフィックがちりばめられていた ●「橙蛙屋工房」の作品についてはInstagramのアカウント「 tohkayakoubou」をチェック! https://www.instagram.com/tohkayakoubou/ ●三菱 ミニカスキッパーⅣ(1973年式)オーナー五十嵐純一さん シリーズ2代目にあたるミニカ70をベースにしたモデル。「こしゃくにもクーペです」のキャッチフレーズで知られる。 五十嵐さんの愛車は、2G21型エンジン(バルカンエンジン)が換装された後期型になる。 ちなみに、前期型には2ストで金色のエアクリーナーが装備された「ゴールドエンジン」が搭載されていた。当時38馬力を誇っていたが、排ガス規制によってパワーダウンを余儀なくされ、後期型はマイルドな仕上がりとなった経緯がある。 新潟県から自走で参加したという五十嵐さん。 愛車は手に入れて約6年になるそう。 ほぼ自走で全国の軽自動車ミーティングへ遠征しているというフットワークの軽さに脱帽だ。 「誰とも被らないクルマという点が魅力で購入しました。スペース的にもちょうど良く気に入っています」 そう話す五十嵐さん。オリジナルを大切にしていきたいという。 ▲三菱の2G21型エンジン、通称「バルカンエンジン」。「バルカンS」からはサイレントシャフトが採用されている ●スズキ セルボ(1979年式)・ バモスホンダ(1973年式)オーナー中村真一さん 岡山県総社市のカーショップ「エヌ・ファクトリー」のオーナーである中村さん。 今回は2台同時に持ち込んでの参加だった。 【スズキ セルボ】 こちらの初代セルボは、中村さんの知人からの依頼で引き継いだ個体だ。この個体にまつわるエピソードを伺った。 過去に一度、同じセルボを所有していたという中村さん。 ある日、夢の中に突然そのセルボが現れたという。 それから数日後、居酒屋で飲んでいるときに知人から電話があり、「初代セルボがあるので引き継いでもらえないか」との相談があった。中村さんは酔いの勢いも手伝って購入を決めた。あの日の夢は前兆だったのだろうか?どこかシンクロニシティを感じてしまう。 ▲先代モデル・フロンテクーペのデザインとRRレイアウトを受け継ぐが、リヤガラスがハッチになるなど実用性も向上 【バモスホンダ】 バモスホンダはもともと中村さんの父親の愛車で、形見ともいえる大切な1台。「幼い頃に家族でドライブした記憶があります」と中村さん。 ▲幼少時代を思い出しつつリアシートに座っていただいた ●お問い合わせ:エヌ・ファクトリー・URL:http://www.n-factory-feel.com/・住所:岡山県総社市清音柿木461-3 ・Tel:0866-94-0670 ●ホンダ N360(1968年式)オーナー丸山浩市さん 車体は購入後すぐに塗り替えを行い「クラブマンレーサー」をイメージしたグリーンに全塗装。 「RSCレーシング仕様」の白いレーシングラインを実物の線幅にまで再現したこだわりの1台だ。 「オリジナルにこだわりすぎず、経年変化を楽しんでいきたい。70歳までは元気に乗りたいと思っています」 丸山さんは、軽自動車のみのイベントは初体験だそう。 「ホンダ好きのオーナーとも知り合えた」と笑顔を見せる丸山さん。 この日は奥さま、娘さんと一緒にイベントを楽しんでいた。 ▲N360がデビューした「1967年3月」と同じナンバーはこれからも守っていくそう ●スズキ セルボ(1989年式)オーナーPONNEWさん シリーズ3代目のセルボに乗るPONNEWさん。 こちらのモデルはシリーズ唯一のバンタイプ。現在の実動車は、10台ほどではないかと思われる。 通称「横丁小町」と呼ばれて親しまれ、世界初の電動パワステを装備したモデルでもある。 「部品調達は大変ですが、アガリの1台として大切に乗っていきたい」とのこと。 ▲空力性能を意識したルーフのラインは、低燃費を売りにしている現代の車種にも通じるものを感じる ▲グラスルーフで開放感抜群! ▲DIATONEのオーディオシステム ●スズキ キャリイL40(1969年式)オーナー竹本一城さん シリーズ4代目のキャリイ(L40/前期型)に乗る竹本さん。 このモデルはジウジアーロデザインでも知られる。 2年前にレストアが完了したそうで快調のようだ。 「不具合はないので消耗するパーツをストックしながら現状維持に努めたい」と話す。 ▲リアのホイールはなんと自作! ▲リアシートがあり、4人乗り登録なのだ。シートも自作で新調 ●東洋工業(マツダ) K360(1962年式)オーナー仲子俊輝さん 知人から譲り受けたというK360は、手に入れた当時の塗装色をそのままにしている。 経年変化を楽しんでおり、ヤレ感に飽きたら再塗装したいとのこと。 なかでも気に入っている点はエンジン音だという。 ▲友人の竹本さんと ▲工具箱や整備書、パンフなど貴重な品々をディスプレイ ▲小物入れも当時モノ ●ホンダ ライフ(1974年式)オーナー小田さん スズキ キャリイのオーナー・竹本さんと友人の小田さん。 この個体は竹本さんからの紹介で北陸から迎え入れた個体だ。 走り好きの小田さんはドリフトやオフロード走行も楽しんでいるそう。 「旧車とはいえ、ライフは速いですね」と走りにも満足している。 自然体がコンセプトで大きく手を加えるところはないという。 ▲「もし欲しい方がいたらお売りしますよ」と小田さん ●スズキ アルト ウォークスルーバン(1988年式)オーナー梅崎雄一郎さん 立ったまま作業ができる商用車として開発されたウォークスルーバンは、軽規格ではダイハツ ミラをベースにしたモデルが先行して登場し、スズキ アルト、三菱 ミニカにもウォークスルーバンがラインナップされた。 梅崎さんの愛車は、2代目アルトがベースとなっている。 前の愛車を箱替えしようと思い、中古車サイトを調べていて見つけた個体だという。 「荷物がたくさん積めてかわいいですね」と梅崎さん。 ▲車内で立ててしまうこの広さ! ▲特装車ならではの各メーカーカタログ ▲買い物からイベントまで大活躍! ●ミツビシ ミニキャブ5バン(1976年式)オーナー田辺真司さん 1976年に軽自動車規格の改定(排気量は550ccまで、車体サイズは全長×全幅×全高:3200×1400×2000mmまでアップ)が行われたが、各メーカーはすぐにフル新規格モデルを出す余裕がなく、既存モデルを一部改良して新規格に合わせた暫定的なモデルが、わずかな期間ではあるが存在している。 このミニキャブ5もエンジン排気量を471ccに拡大し、バンパーを延長してボディ全長を伸ばしたものの、全幅は360cc規格のまま。わずか11カ月しか生産されなかった。 その後はフル規格化を果たし、550ccのミニキャブワイド55となった。 田辺さんの愛車は、一度廃車になっていた時期があるという。数年の修理期間を経て公道復帰。当時のナンバーを維持している。 「良いコンディションを維持しつつ、残していきたいクルマですね」と田辺さんは話す。 ▲軽自動車規格の変遷を感じられる貴重なモデルだ ▲当時モノのステッカーを再現 ■取材後記 早朝5時半に「吉備旧車倶楽部」の皆さんと合流し、児島ICから瀬戸大橋を渡って坂出ICを下車し、国道11号を走って会場へ向かった。 「紙のまち」四国中央市は古くから紙を生産する町として栄えた。 今も市内には製紙工場が点在し、工場の煙突が印象的だ。 そして煙突の背後にそびえ、白雲をたなびかす四国山脈。そんな景色を眺めながらのパレードランから始まった。 その土地ならではの景色や雰囲気も味わえるのが、やはり県外のイベントへ出かける魅力でもある。 「昭和レトロフェスタ」のような地域活性とクルマ文化をうまくからませたイベントが、このさきも増えていけばと思う。 ▲会場となる「栄町商店街」までは、吉備旧車倶楽部の三宅さんのアルトに乗せていただいた。アルトの美しい車内。こちらのアルトの詳細を近いうちにご紹介できる…かも!? [取材協力] U-550旧軽車ミーティング事務局 吉備旧車倶楽部 [ライター・撮影/野鶴美和]