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1990年代 名車&迷車 烈伝 Vol.01 三菱「ランサー」4代目
旧車の魅力と知識 22.12.26

1990年代 名車&迷車 烈伝 Vol.01 三菱「ランサー」4代目

1990年代は、クルマの世界が大きく変わった年代でした。 たとえば、安全性能や環境性能がまだそれほど厳しくなかった1990年代前半には、シトロエン「2CV」やサーブ「900」といった、20~30年以上も前にデビューしたクルマがまだまだ現役だったと思ったら、1990年代後半には今のミニバンブームにつながる日産「セレナ」や「エルグランド」が登場し、量産車初のハイブリッドカー、トヨタ「プリウス」も生まれています。 エンジニアリングの面でもユーザーニーズの面でも、20世紀から21世紀へと向かう、一大転換期だったのです。 そのため、この10年の間にはメーカーのチャレンジと試行錯誤によって生まれた、さまざまなモデルが登場しました。 とはいえ、そのすべてが成功し、名車と呼ばれるようになったわけではありません。 なかには、あまり日が当たらず、忘れられかけているクルマもあるものです。 前置きが長くなりましたが「1990年代 名車&迷車 烈伝」では、この時代に生まれた少々マイナーな名車&迷車にスポットを当てていきます。 第1回は、1991年に登場した三菱4代目「ランサー」です。 ■1.3~2.0リッター、商用車からエボリューションまで ランサーは、トヨタ「カローラ」や日産「サニー」ホンダ「シビック」など同じ1.3~1.5リッタークラスのコンパクトセダン。 3ドアハッチバックや2ドアクーペも用意された「ミラージュ」の兄弟車です。 4代目ランサーは、先代の5ドアハッチバックスタイルからセダンに変わった世代で、ランエボの愛称で親しまれるエボリューションシリーズが誕生したのもこのころ。 ▲MX SALOON  ▲MX LIMITED 1991年デビューといえば、その設計や開発がバブル期の真っ只中。 4代目ランサーも、実に贅沢に設計され、また多彩なバリエーションを誇っていました。 まずは、「そんなにあってどうするの?」と思うほどのエンジンバリエーションを見てみましょう。 ・1.3リッターSOHC・1.5リッターSOHC MVV(リーンバーン)・1.5リッターDOHC(電子キャブレター)・1.5リッターDOHC(インジェクション)・1.6リッターDOHC MIVEC・1.6リッターDOHC MIVEC-MD(気筒休止)・1.6リッターV6 DOHC・1.8リッターターボ・2.0リッターターボ(エボリューション向け)・1.8リッターディーゼルターボ(のちに2.0リッター化) 当時はまだほとんどのグレードでMT/ATが選べた時代。 ▲1.6リッターV6 DOHCエンジンをはじめ、さまざまなバリエーションがあった また4WD仕様もあり、パワートレインのバリエーションだけでも相当なものでしたが、さらに商用仕様、乗用仕様、スポーツモデル、競技向けモデルまで用意されたのですから、ラインナップの数は半端ではなく、これもこのクルマの名車&迷車性を物語っています。 ▲RS この時代のランサー/ミラージュのトピックとして、世界最小の排気量を持つ1.6リッターのV6エンジンがよく語られますが、ホンダのVTECと似た可変バルブタイミング機構を持つ「MIVEC:マイベック」や、それに気筒休止機構をつけた「MIVEC-MD」、リーンバーン(希薄燃焼)を追求した「MVV:Mitsubishi Vertical Vortex」も、このとき生まれた注目すべきパワートレイン。 MVVは、存在感こそ薄かったものの、のちのGDI(ガソリン筒内直噴)エンジンにつながる技術の1つでした。 ■ディアマンテなみの豪華装備 バブル期の設計といえば、作りのよさがよくいわれます。 メカニズム面では、リアサスペンションがマルチリンクの独立懸架で、4速ATには当時、このクルマではまだ珍しかった電子制御式(ファジィシフトと呼ばれた)、4WDにはVCU(ビスカスカップリング)センターデフ式が採用されていました。 一体成型のインストルメントパネルや贅沢にシート生地が貼られたドアトリムのインテリアも、当時の気前のよさを感じさせるもの。 フルオートエアコン車には「ディアマンテ」と同様に、作動状況を表示するカラー液晶のディスプレイがついていました。  ▲ROYALのインパネ 1.8リッターターボを搭載する「GSR」は、MOMO製ステアリングやRECAROシートで装い、ラグジュアリーグレードの「ROYAL」にはパワーシートや空気清浄機、植毛ピラーなどを装備。 ▲ROYALのインテリア グレードによって、まったく異なるキャラクターを持たせていたのも、特徴でした。黒バンパーにビニールシート、パワステ・パワーウィンドウがオプションというグレードがあったのも、おもしろいところです。 ▲GSRのインパネ ▲MVVのインパネ これだけグレードの幅が広いモデルだけあって、価格レンジも90万~240万円台ほどと広く、廉価グレード、普及グレード、ラグジュアリーグレード、スポーツグレードはそれぞれ、形が同じだけで別のクルマと言っても過言ではないかもしれません。 さらに「GSRエボリューション」は270万円以上と、「ギャランVR-4」に迫るプライスタグがつけられていました。 ■気合い十分も販売は・・・ 贅を尽くして開発された4代目ランサー。 しかし、気合い十分で臨めば売れるかというと、そううまくいかないのがクルマの世界というものです。 ここで、1992年の乗用車販売台数ランキングを見てみましょう。 1位:トヨタ カローラ2位:トヨタ マークII3位:トヨタ クラウン4位:ホンダ シビック5位:日産 サニー6位:トヨタ スターレット7位;トヨタ カリーナ8位:トヨタ コロナ9位:日産 マーチ10位:トヨタ スプリンター なんと、ベスト10にも入っていなかったのですね。 当時を知っている人なら、「知ってはいるけれど、あまり見かけないクルマ」という印象を持っているかもしれません。 ▲MR 世界最小のV6エンジンなど話題性はありましたし、WRC(世界ラリー選手権)で活躍したエボリューションはクルマ好きを心酔させる魅力を持っていましたが、カローラクラスのセダンとしては決してメジャーな存在とはなりませんでした。 だからこそ、名車かつ迷車として取り上げたかったのです。 2022年12月現在、中古車情報サイトに載るランサーは、エボリューションを除くと十数台。 ▲GSRエボリューション そのなかで、この4代目はわずか1台しかありません。 それも、GSRのエボ仕様です。 MXサルーンをはじめとしたノーマルモデルは、ほぼ絶滅状態となってしまいました。 まさに1990年代の悲哀に満ちた名車&迷車だったといえるでしょう。 [画像:三菱自動車/ライター:木谷宗義]  

アルファロメオの伝統のエンジンV6ブッソを徹底解説!名機を載せた名車156GTAと147GTAも紹介
旧車の魅力と知識 22.11.25

アルファロメオの伝統のエンジンV6ブッソを徹底解説!名機を載せた名車156GTAと147GTAも紹介

官能的な加速感、気持ちの良い吹け上がりと共に響く甘美な音。アルファロメオ伝統のV6エンジン“V6ブッソ”は、今もファンを魅了し続けるエンジンです。今回は、開発者の名前を冠した通称で呼ばれるほど多くの人に愛された、V6ブッソについて振り返ります。アルファロメオのこだわりと、スペックだけでは測れない情緒的な魅力が見えてきました。 V6ブッソは最後のアルファロメオ製エンジン アルファロメオが1970年代に開発したV型6気筒エンジンは、1979年から2005年までの26年間も生産され続けた伝統あるエンジンで、“V6ブッソ”の愛称で呼ばれています。名機となったV6ブッソは、アルファロメオを代表するさまざまな車種に搭載されました。 今なお人気の高いV6ブッソと、開発者ジュゼッペ・ブッソについて紹介します。 アルファロメオ伝統のV6エンジン アルファロメオV6エンジン、通称V6ブッソが登場したのは1979年。アルファロメオのフラッグシップセダン、アルファ6(セイ)に初めて搭載されます。 その後、SOHCからDOHC、2バルブから4バルブ、キャブレターからインジェクションといった改良を加えながら、2005年の生産終了まで26年間もの間作り続けられました。 長期に渡る生産期間に、さまざまなバリエーションも生み出されます。排気量は当初2.5Lのみでしたが2L・3L・3.2Lを追加し合計4種になり、吸気方式は自然吸気とターボが用意されました。 オリジナル設計のエンジンをこれだけの長期間生産し続けたアルファロメオでしたが、2005年以降のエンジンは、残念ながら他メーカーとの共同開発に移行します。結果的に、アルファロメオがゼロから開発した最後のエンジンとなったことも、後にV6ブッソの評価を高めた要因の1つと言って間違いありません。 エンジンの愛称にもなっている開発者“ブッソ” V6ブッソを開発したのは、イタリア・トリノ生まれのエンジニア、ジュゼッペ・ブッソです。キャリアのスタートはフィアット、その後アルファロメオのレーシングエンジン責任者を務め、一度フェラーリに移籍しました。再びアルファロメオに戻ってきた後、手掛けたのが名機V6ブッソです。 個性的な存在感を放つV6ブッソ V6ブッソはアルファロメオを代表するエンジンだけあって、どのクルマに搭載されていてもエンジン単体で独特の存在感を放っています。 長年作り続けられ、今なおファンの心をつかんで放さないV6ブッソのすべては書ききれません。そこで、数あるV6ブッソの魅力から、あえて2点に絞って紹介します。 ファンを魅了する吹けの良さと甘美なサウンド V6ブッソの魅力は、高回転まで気持ちよく回る“吹け”の良さです。アクセルを踏み込むと、V6エンジンが生み出すパワフルなトルクによって、高回転まで一気に吹き上がります。 そして、エンジンの吹け上がりと共に高鳴るエンジン音も、V6ブッソが多くの人を虜にする理由です。V6ブッソが搭載されるモデルはさまざまにありますが、どのモデルも多くのファンを魅了しています。 高性能エンジンが奏でる音の表現として「咆哮」という言葉がよく使われますが、アルファロメオのそれは、咆哮ではなく「美声」と呼ぶにふさわしい官能的なサウンドです。フェラーリの乾ききった高音や6気筒エンジン特有の滑らかな音とも異なり、情熱的でハリのある甘美な響きを感じさせます。 息をのむ見た目の美しさ V6ブッソは、見た目でも人の心をひきつけるエンジンです。赤色の筆記体で記された「Alpha Romeo」の文字が印象的なヘッドカバーに、同じく赤色の「V6」の文字が浮かび上がるインダクションボックス。そこから伸びるインテークマニホールドも含めて、デザイン的なまとまりを感じます。 V6ブッソはイグニッションを回さなくても、見た目だけでエンジン全体のバランスの良さを感じさせる独特の魅力を持ったエンジンです。エンジンルームを眺めていると、機能美とはこんなにも美しいものかと再認識することができます。 V6ブッソを搭載した人気の2車種 数あるV6ブッソを搭載した車種の中でも、とくに高い人気を集めているのが156GTAと147GTAです。いずれもV6ブッソ最後のモデルとなったため希少性が高く“車両価格はエンジンの価格”とまで言われています。 156GTAには、セダンとスポーツワゴンが用意されていました。専用にチューンされた3.2LのV6ブッソは最高出力250ps/6,200rpm、最大トルク30.6kgm/4,800rpmを発生。セダンタイプで1,420kgもあったボディでしたが、V6ブッソ独特のエンジン音と加速感を味わえます。 147GTAは、156GTAの兄弟車として発売された、3ドアハッチバックのいわゆるホットハッチです。156GTAと同じく250psを発生する3.2LのV6ブッソエンジンを搭載しています。セダンの156GTAよりも車重が軽い147GTAのパワーウェイトレシオ5.56kg/psは、トップクラスのスポーツカーと遜色ないスペックで、V6ブッソ本来の加速感をセダン以上に感じられるモデルでした。 156GTAと147GTAを売るなら実績・知識豊富な業者へ 強烈な個性とヒステリックな魅力が溢れるV6ブッソ。そんな名機を最後に搭載した156GTAと147GTAはアルファロメオが誇る人気モデルです。 売却を検討する際にはエンジンの特徴や魅力をしっかりと理解している業者を選びましょう。どんな歴史をもち、どういった部分が長年愛されているのかを知っている買取業者であれば、高額買取に期待できます。156GTAと147GTAはちろん、さまざまな車、特に古いクルマに特化したサービスに査定を依頼するのがおすすめです。

プリンス自動車が生み出した名車スカイライン2000GTの歴史的価値と魅力に迫る
旧車の魅力と知識 22.09.22

プリンス自動車が生み出した名車スカイライン2000GTの歴史的価値と魅力に迫る

日本のスポーツセダンを牽引し続ける「スカイライン」。今では日産を代表する車種として認識されていますが、その源流は日産に吸収合併される前のプリンス自動車という国内メーカーが生み出しました。今回は、特に名車の呼び声が高い2代目スカイラインのレースモデル「スカイライン2000GT」にフォーカスを当て、プリンス自動車 スカイラインについて振り返ります。 プリンス自動車から始まった名車スカイラインの歴史 1950年代にプリンス自動車によって開発されたスカイラインは、当時としては先進的なデザインと性能を誇る小型車でした。初代の成功により誕生した2代目は、高性能スポーツセダンとしての地位を確立します。 2世代に渡って開発されたスカイラインは、常にクラストップの先進性と性能を誇っていました。 戦後すぐに生まれた国内トップクラスの小型車 プリンス自動車 スカイラインの誕生は、終戦から12年後の1957年で、プリンス自動車の前身である「富士精密工業」によって開発されました。 従来のプリンス車から構造を一新したオリジナルのセミ・モノコックボディに、アメリカンスタイルのボリュームあるボディデザインを採用しています。当時の国産車としては先進的なスタイリングが特徴的でした。 また、クラストップの性能面も、多くの注目を集めました。新型エンジンではないものの、改良されたGA30型エンジンは、同クラスで競合するトヨタや日産を超える60psを発生。当時の国産1,500cc最速となる125km/hを達成しています。 スカイラインの地位を確立した2代目S50系 スカイラインは、初代発売から6年後の1963年にフルモデルチェンジを受けます。明確に小型量産車市場を狙った2代目のボディデザインは、初代とは異なるヨーロピアンテイストに変更されました。 新たに採用したモノコックボディによって軽量化と高剛性も実現し、高性能スポーツセダンとしての認知を高めていくことになります。搭載されたG1型1.5L直列4気筒OHVエンジンは、クラストップの性能とともにメンテナンスフリーエンジンとしても話題を呼びました。 2年間または4万kmの保証をつけたエンジンは、シリンダーヘッドとエンジンブロックを「封印」しました。必要なメンテナンスは6000kmごとのオイル交換と3万kmごとのエアクリーナー交換だけとされています。さらに、サスペンションやステアリングギアボックスも1年間または3万kmまでグリスアップ不要で、日本初のメンテナンスフリー車として販売されました。 スカイラインに課された命題はレースで勝つこと S54A型、S54B型として人気の高いスカイライン2000GTシリーズが誕生したのは、レースに惨敗したことがきっかけでした。レースに勝つことを課せられ、結果を残したことで一気に評価が高まったスカイライン2000GT。当時の国内での人気が、S54B型の派生モデルとなるS54A型の発売につながりました。 初戦に惨敗したことで生み出されたS54型 2代目S50系スカイラインは、発売直前に初開催された日本グランプリに出場したものの惨敗を喫しています。この結果を受けてS54型として開発されたのが、スカイライン2000GTにつながるスカイラインGTでした。 エンジンにG7型2L直列6気筒OHCエンジンを採用し、エンジンの大型化にあわせてフロントの車軸を前方に移動させホイールベースが200mm延長されました。標準使用でも105psを発生する高性能モデルで、S54Rと呼ばれるレース仕様車は、ウェーバー製の3連キャブレターを装備し最終的に152ps以上を絞り出します。 そして迎えた第2回日本グランプリで、スカイラインGTはポールポジションを獲得します。レースでは格上のポルシェを抜いて1周ではあるもののトップに立つ活躍を見せ、サーキットに集まったファンを熱狂させます。最終的にポルシェに敗れてしまいますが、上位を独占するという輝かしい結果を残しました。 スカイラインGTはホモロゲーションを満たすために合計100台が製作されましたが、レース結果を受けて一般販売用として用意された92台はすぐに完売。スカGの愛称がつけられるなど、スカイラインGTの発売を望む声が高まっていきました。 世間の強い要望によって発売されたスカイライン2000GT レースで実力を証明したスカイラインGTを望む声を受けて、カタログ掲載モデルとして1965年に発売されたのが通称54Bと呼ばれるスカイライン2000GT(のちのスカイライン2000GT-B)です。 スカイライン2000GTは、レース仕様とほぼ同スペックで販売され、ウエーバー製の3連装40DCOE型キャブレターに加えて、圧縮比を8.8から9.3に向上させます。その結果、125ps/5,600rpmの最高出力と17.0kgm/4,400rpmの最大トルクを発生させるまでになります。 さらに、3速フルシンクロを備えたトランスミッションにはオーバードライブも設定され、最高速は180km/hを記録し、当時としては日本最高のスペックを誇るモデルでした。 マイルドなスカイライン2000GT-A ファン層が広がったことで「もっとマイルドな2000GTに乗りたい」という声が高まり、派生モデルとなるスカイライン2000GT-A(通称54A)が生み出されます。 スカイライン2000GTの発売からわずか7ヶ月後にスカイライン2000GT-Aが誕生したことで、従来2000GTと呼ばれていたモデルは、2000GT-Bに変更されました。スカイライン2000GT-Aは、エンジンがシングルキャブ仕様となり、54Bに比べるとマイルドなスペックであるものの国内トップクラスの105psを発生させるモデルです。 より幅広い層のスカイラインユーザーを獲得することに成功しました。 現在も人気のスカイラインGT スカイラインのルーツともいえるスカイライン2000GTは、発売が60年以上前ということもあり、市場ではほとんど見かけません。また、歴史的価値と希少性から一般の中古車相場は当てはまらないため、購入したい場合はその都度問い合わせる必要があります。大手中古車サイトで検索したところ1966年式のS54Bが1台だけ見つかりましたが、価格は応談となっていて不明です。 旧車王での買取相場を見ると、1968年式のS54Bが不動車にもかかわらず20万円もの価格がついています。もしガレージで眠っているスカイライン2000GTがあれば、どんな状態でも思わぬ買い取り価格がつくかも知れません。 ※中古車相場は2022年9月原稿執筆時  

手軽で本格的な1/43ミニカー『国産名車プレミアムコレクション』の魅力とは?
旧車の魅力と知識 22.08.17

手軽で本格的な1/43ミニカー『国産名車プレミアムコレクション』の魅力とは?

ミニカーに興味があるクルマ好きにとって、値上がりを続けるミニカー事情に頭を悩ませている人は少なくないだろう。 そんな人にオススメなのが書店で購入できるミニカーシリーズ。 なかでも日本車ミニカーを1/43スケールで製品化した『国産名車プレミアムコレクション』は、価格とクオリティのバランスが取れたミニカーとして着実にファンを獲得している。 そこで今回は、『国産名車プレミアムコレクション』の魅力を掘り下げてみたい。 ■1/43ミニカーの救世主 ミニカーの値上げが止まらない。 生産コストや原材料費の上昇などにより、モノにもよるがだいたい20年前の2倍になったような感覚がある。 そんな状況から買える人も次第に限られてきて、今はコアなファンがマーケットを支えているような状況だ。 筆者自身、以前はミニカーを片っ端から買い集めていたが、今は本当に欲しいアイテムだけを厳選して買っている。 また、以前は1/43ミニカーをメインに買っていた仲間も、最近はトミカとかホットウィールなど数百円で買えるミニカーがメインになっている。 今や1万円以下で買える本格的なコレクター向けミニカーは、絶滅危惧種となりつつあるのだ。 そんな状況のなか、アシェット・コレクションズ・ジャパンが2021年12月に創刊した『国産名車プレミアムコレクション』は、出来の良い1/43ミニカーを求めていたファンにとって久しぶりに明るい話題となった。 創刊号のミニカーは日産 スカイライン 2000GT-R KPGC110 1973で、価格は1,499円。 2号目のホンダ NSXは2,499円という低価格だった。 3号目以降は定価3,999円となったが、それでも標準的な出来の1/43ダイキャスト製ミニカーが現在5千円〜7千円程度で販売されている状況を考えれば、かなりリーズナブルな価格設定といえる。 ■クオリティの高いディテール表現 クオリティの高さも特徴的だ。 書店流通系のミニカーには「安かろう悪かろう」というイメージが少なからずあり、クオリティはあまり期待できないというのがこれまでの常識だった。 しかし、『国産名車プレミアムコレクション』では細部の作り込みがしっかりしていて、いわゆる「つくりの甘さ」の要素が少ないのが特徴的だ。 例えば、クローム部分の再現とかコンビネーションランプの塗り分けなどは忠実に再現され、モデル全体にシャープな印象を与えている。 ミニカー自体も厚みのあるアクリルケースに収められ、高級感を演出している。 この手の書店流通系ミニカーは、台座はあってもアクリルケースが省略されている製品が多い。 その意味でも、アクリルケースが付いていることはコレクターにとってはとても重要なことだ。 ■製造元はミニカーのトップブランド そこで気になったのは製造元である。 台座を外してシャシーを見てみると、“AR box ALMOST REAL SUMS MODEL” という刻印がある。 SUMS MODELは「オールモストリアル」のブランド名で高品質なミニカーを製造している中国のミニカーメーカー。 ハイディテールな製品内容で知られ、1/43ミニカーは1万円前後、1/18ミニカーは2万円台から5万円台という高価格帯のミニカーをラインアップしている。 ドイツでは「ミニチャンプス」ブランドで知られるポールズ・モデル・アート社が販売を行っており、日本では現在、エスワンフォー株式会社が輸入販売代理店となっている。 高品質なミニカーづくりで知られるメーカーが設計および製造を担当しているため、大量生産品でありながら非常にしっかりとした製品内容となっているのだ。 ■ディフォルメのない忠実な表現 ミニカーでは実車の持つ雰囲気を伝えるためにボディをディフォルメしたり、タイヤ/ホイールサイズを調整したりすることがよく行われている。 しかし、このシリーズではそのようなディフォルメがほとんど見られない。 それをもっとも象徴しているのがタイヤで、創刊号のケンメリGT-Rのミニカーを手に取ったときは、あまりのタイヤの細さに違和感を覚えたほどだ。 輸入販売元であるエスワンフォー株式会社の担当者に話を伺う機会があったので、その件について尋ねてみた。 すると、実車を正確に再現するために、あえてディフォルメを行っていないのだという。 確かに改めて調べてみると、オリジナルのタイヤサイズを再現したものであることが分かった。 逆にいえば、それ以前の1/43ミニカーなどで見慣れてきたタイヤは、モデルとしての見栄えを良くするために太くされていたということだ。 車高についても「ちょっと腰高かな?」と思えるようなものが少なくない。 これもモデルとして捉えるなら、もう少しローダウンしたほうがカッコよく見えるに違いない。 しかし、あえてそれをしないで忠実にオリジナルの姿を再現しようとする姿勢は、このシリーズの独自性につながっている。 ■低価格を実現できた理由 『国産名車プレミアムコレクション』が低価格を実現できた理由は大量生産にある。 近年のコレクター向けミニカーは多品種少量生産が基本で、樹脂製のレジン素材でボディを成形しているものが少なくない。 逆に大量生産に適したダイキャスト製ボディは、金型製作の費用がかかるため敬遠されることが多くなった。 しかし、このシリーズでは書店流通系ミニカーということで大量生産に向いたダイキャスト製ボディを採用。 量産効果でコストを下げていることが大きい。 とはいえ、もちろん欠点も存在する。 このシリーズの最大の欠点は内装が無塗装であること。 メーターパネルはデカールで表現されていているし、ウッド製のステアリングやシフトノブは塗装で再現されている。 その反面、シートやインテリアは黒いプラスチックの成形色のままなのだ。 昔の国産車の内装はブラックを基調にしたものが多いのであまり気にならないが、'80年代のハイソカーあたりになるとその欠点が気になる。 特にトヨタ・ソアラをはじめとするハイソカーなどは、ベージュやワインレッドの内装色が特徴のひとつとなっている。 そのため、真っ黒な内装だと魅力が半減してしまうのだ。 このあたりはコストの兼ね合いもあって妥協しなければならないポイントだったのだろう。 そのため、車種によっては残念な印象になっているものもある。 明るい内装色が特徴だった車種の場合は要注意だ。 ■国産車ミニカーの新たなスタンダード このようにメリット・デメリットがそれぞれ存在する『国産名車プレミアムコレクション』。 ただ、今時の1/43ミニカーで3,999円という価格を考えれば、破格の内容であることは間違いない。 特に今後は原材料の高騰や円安などで、ミニカーのさらなる値上げが必至な状況にある。 その意味では、高品質なミニカーが手軽に入手できるだけでも非常にありがたい存在といえるだろう。 [ライター・画像/北沢剛司]

昭和の名車とは?名車の条件や代表的なモデルについても解説
旧車の魅力と知識 22.08.03

昭和の名車とは?名車の条件や代表的なモデルについても解説

昭和の名車は、非常に高額で取引されています。旧車ブームもあり、特に1970~1980年代に発売された国産車が人気です。当時は高度経済成長やバブル景気の真っ盛りで、各自動車メーカーが大きな資力を投入して挑戦的な新コンセプトの開発に躍起になっていました。国内外問わずライバル会社に勝つためのブランド戦略や斬新なアイデアで数多くの名車が生み出されたといえるでしょう。 今回は、そんな時代に生まれた昭和の名車について解説していきます。昭和の名車の購入や売却を検討中の方は参考にしてください。 昭和の名車の条件 昭和生まれの国産車は、国内外を問わず人気の高い名車が揃っています。一口に名車といっても様々なジャンルに分かれており、一時代(ブーム)を築いたハイソカーや、高い技術で生み出された独自のスタイル、モータースポーツで世界の車を席巻したスポーツカーなどがあります。 ロータリーエンジンやMR車は世界的に見ても希少な存在です。また、安全基準の改定で採用されなくなったリトラクタブルヘッドライト仕様車などは、今だからこそ斬新で魅力の溢れるスタイリングの車といえるでしょう。今後世に出ることのないコンセプトで開発され、車好きの記憶に残る車こそ名車の条件といえます。 昭和の名車9選 昭和の名車とは、どういった車を指すのでしょうか。代表的な名車を解説します。旧車の購入を検討中の方は参考にしてください。 マツダ サバンナRX-7 FC3S(1985~1992年) マツダ サバンナRX-7 FC3Sは、1985年に2代目RX-7として発売されました。ロータリーエンジン搭載による重心の低さと前後重量バランスがほぼ均一な車体設計で、シャープなハンドリングが特徴のピュアスポーツカーです。仮想ライバルは当時FR車世界最高峰のポルシェ944で、パフォーマンス面では凌駕していました。 マツダ サバンナRX-7 SA22C型 マツダ サバンナRX-7 SA22C型は、1978年に発売され安価で手に入る本格スポーツカーとして47万台以上が生産されました。ロータリーエンジンを搭載した軽快な走りが魅力で、外観デザインと合わせてアメリカでも「プアマンズポルシェ」と呼ばれ大ヒットしています。 トヨタ セリカ GT-FOUR ST165型 トヨタ セリカ GT-FOUR ST165型は、1986年に4代目セリカの4WDモデルとして発売されました。インタークーラーターボ装着の3ST-GTE型エンジンは当時の国産4気筒最強の最高出力を誇り、打倒ランチアとして投入されたWRCでは1990年シリーズで4度の優勝に輝いています。 日産 フェアレディ HGS130型 日産 フェアレディ HGS130型は、1978年に2代目フェアレディの最高級モデル「280Z」として誕生しました。空力特性に優れたスタイリングとハイウェイクルーズに配慮された安価なスポーツカーとして国内よりもアメリカで大ヒットし、1979年にはインポートカーオブサイヤーを受賞しています。西部警察のガルウィングドア仕様「スーパーZ」としても有名です。 日産 スカイライン2000ターボGT-E SHGC211型 日産 スカイライン2000ターボGT-E SHGC211型は、5代目スカイラインのGTモデルです。ターボが装着されたGT-Eは1980年に登場し、GT-Rの名を冠するモデルが不在の中で画期的なハイパワーモデルとして多くのスカイラインファンを魅了しました。 日産 ブルーバード SSSターボ P910型 日産 ブルーバード SSSターボ P910型は、1980年に発売された6代目ブルーバードのターボモデルです。コーナリングでのロールが少なく、後部席の居住性を犠牲にしないファミリーカーとスポーツカーの両面の特徴を備えていました。モータースポーツでも長年に渡って活躍し、1983年の富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズではチャンピオンに輝いています。 トヨタ ソアラ2800GT Z10型 トヨタ ソアラ2800GT Z10型は、1981年に発売された初代ソアラのGTモデルです。国内で初めて大排気量のDOHCエンジンを搭載したことで脚光を浴びました。当時では最新鋭のデジタルメーターを採用し、ドライブコンピューターなど未来の車を彷彿させる斬新な装備を搭載。世の中に大きな衝撃を与え「元祖ハイソカー」として今も熱烈なファンの多い車です。 トヨタ MR2 AW10/AW11型 トヨタ MR2 AW10/AW11型は、1984年に発売された国産初のMR車です。AW10は1.5ℓシングルカムキャブ仕様の3A-LU型エンジン、AW11は1.6ℓの4A-GELU型(後期型からスーパーチャージャー装着の4A-GZE型を追加)エンジンを搭載しています。ボディサイズが小さく中央にエンジンが設置されたリア駆動のモデルは世界的にも珍しく、ひときわ異彩を放ったモデルです。 トヨタ スープラ A70型 トヨタ スープラ A70型は、1986年に発売された国内では初代のスープラです。「TOYOTA 3000GT」のキャッチコピーで開発されたA70型は当時の最新鋭技術が結集され、セリカXXの後継車として世に出ます。かつての名車トヨタ 2000GTを凌ぐ車の開発を目指し、すべてにおいて高いスペックを与えられました。モータースポーツでは1987年のJTCや1991年のバサースト12時間耐久レースで優勝に輝いています。 昭和の名車を売却するときのポイント 昭和の名車は、少なくとも35年以上を経過したモデルが中心となります。売却するときのポイントは、通常の中古車以上に査定を依頼する業者を選ばなければならないという点です。一般的な買取店でも査定や買取は可能でしょう。しかし、専門の知識や経験を持っていない業者に依頼すると、車の希少価値に気づけずに適正な買取価格を提示することは難しいといえます。 昭和の名車を売却するときは「旧車の買取実績が豊富な業者」「二重査定をしない買取業者」に査定を依頼しましょう。また、経年劣化による消耗品の交換や定期的なメンテナンスを日常的に行うことで車のコンディションを維持することも重要です。

「鉄仮面」ことR30スカイラインとは?日産の技術力が光る名車の歴史を解説
旧車の魅力と知識 22.04.20

「鉄仮面」ことR30スカイラインとは?日産の技術力が光る名車の歴史を解説

「鉄仮面」の愛称で今もファンから根強い支持を集めるR30型スカイライン。日産の誇る高い技術力を投入して進化をし続けた結果登場したのが、R30後期型となる「鉄仮面」でした。特徴的なグリルレスデザインに、インタークーラーを備えた高出力ターボエンジンを搭載したR30型スカイライン「鉄仮面」の魅力をご紹介します。 排ガス規制など厳しい時代背景に一発回答したR30型スカイライン 6代目スカイラインとなるR30型スカイラインは、先代スカイラインが埋められなかった動力性能と環境性能のギャップを見事に埋めたモデルです。1970年代後半に一気に高まった環境意識は、高度経済成長を追い風に各メーカーが性能の向上を競っていたなかで突如押し寄せた逆風でした。 スーパーカーブームの名残からユーザーが求めるスカイラインに対する期待と、時代が求める環境性能を両立させたR30型スカイラインを振り返ります。 GT-Rの設定はなかったR30型スカイライン R30型スカイラインが発売された1981年は、石油危機や円相場の急騰などネガティブな要素がいくつも重なったことで高度経済成長期後の日本に暗い影を落とした時代。さらに、大気汚染が問題となり、排ガス規制が一層厳しくなっていきます。 先代となるC210型では、排ガス規制に対応したハイパフォーマンスモデルを作れなかったこともあり、GT-Rの設定はなし。R30型もその流れを引き継き、GT-Rの設定はありませんでした。 ユーザーの期待を裏切らない技術の日産 GT-Rの設定はありませんでしたが、R30型は登場直後に新開発のハイパワーエンジンが投入されます。 直列4気筒DOHCで4バルブを備えたFJ20E型エンジンは、排ガス規制をクリアしつつ150psを発生。GT-R伝統の6気筒ではなかったものの、スカイラインに対するユーザーの期待に日産が技術で応えた形です。 「2000RS」と名付けられたFJ20E 型モデルはその後も進化を続け、1983年にターボモデルの「2000ターボRS」を追加。さらに大幅なマイナーチェンジを経た後期モデルでは、空冷インタクーラーターボを搭載した「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」が登場します。 後期モデルのみを「鉄仮面」と呼ぶ スカイラインにつけられる愛称は基本的に1世代につき1つの愛称(愛称自体が複数ある場合もある)ですが、R30型スカイラインは前後期で異なる愛称で呼ばれています。 前期型はCMに俳優のポール・ニューマンが起用されていたことから「ニューマンスカイライン」。そして、後期型は特徴的な外見から「鉄仮面」と呼ばれています。 先鋭的なデザインに加えて国産車で初めて壁を破った「鉄仮面」 登場後も惜しみなく技術を投入し進化をさせ続けたR30型スカイライン。実際に1983年に実施されたマイナーチェンジ前後では、見た目も性能も大きく異なります。 「鉄仮面」という愛称で呼ばれたマイナーチェンジ後のR30型スカイラインは、日産の技術力と意地を感じるモデルです。 グリルレスという先鋭的なデザイン R30型スカイライン後期型最大の特徴はフロント部分のデザイン変更です。ラジエーターグリルレスに薄型のヘッドライト、大型の前後バンパーと前期型から大幅に意匠を変更。とくにスカイライン伝統のフロントグリルを廃した先鋭的なデザインは「鉄仮面」の愛称の由来になりました。 グリルレスに加えて薄型のヘッドライトという当時としては斬新なデザインは、のちのR32型スカイラインにもつながるデザインです。 また、ランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様の「2000ターボRS-X」も追加投入。当時の最新かつ豪華な装備を搭載しているあたり、いかに日産がスカイラインという車種を大事にしていたかが分かります。 リッターあたり100psの壁を国産車で初めて破った スカイラインに求める高い動力性能を実現したFJ20E型エンジンは、前期型の販売終了間際にはターボを搭載してFJ20ET型に進化。最高出力は190psまで高められ、「史上最強のスカイライン」と呼ばれました。 そして、後期型登場から半年後には、空冷インタークーラーを装備し205ps到達。2Lエンジンで200ps以上を発生し、ついに国産で初めて1Lあたり100psの壁を打ち破ったのです。 6気筒エンジンでなかったため、「GT-R」の称号は与えられませんでした。しかし、後期型の「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」は、ユーザーがスカイラインに求める性能を十分に満足させるモデルでした。 まとめ 1リッターあたり100psを達成したR30型スカイライン後期となる「鉄仮面」は、性能の高さとデザインから現在でも人気車種です。 大手中古車情報サイトを見ると、400万円台後半から500万円台後半の車が複数あります。(2022年4月原稿執筆時) 旧車王での買取価格も「2000ターボRS」で350万円を上限とした買取価格がつくなど、高値で取り引きされていて、不動車でも80万円もの価格がつく事例もあります。 発売から既に40年以上が経過、市場に出回る台数も年々減少していくことは確実です。現在所有している方も、今後あわよくば購入したいと思っている方も、今後さらに高騰する可能性もあるため、鉄仮面の市場価格から目が離せません。 ※価格は2022年4月現在

いま世界が認める日本の名車10選!Z32からシビックSiまで懐かし名車を紹介
旧車の魅力と知識 21.10.19

いま世界が認める日本の名車10選!Z32からシビックSiまで懐かし名車を紹介

いま日本の国産車が、北米を中心に大人気であることをご存知ですか?筆者をはじめ、いわゆる旧車と呼ばれる車種が好きという方も多いと思いますが、その人気は日本国内に限った話ではありません。中には、新車販売価格の数倍以上の価格で取引される日本車が存在します。そこで今回は、日本国内ではもちろんのこと、特に北米で価格が上昇している国産車10選をご紹介します。 トヨタ FJ60系ランドクルーザー(1981-90年) トヨタ ランドクルーザーで最初に価格が高騰したのは、1960年代に発売され、特に北米におけるランドクルーザーの地位を不動のものにしたFJ40系。2010年から2015年頃まで一気に価格が上昇しました。 FJ40系の価格が落ち着く頃から人気が高まったのがFJ60系ランドクルーザーです。FJ60系は、当時成長していたSUV市場に対応するため設計を刷新。走破性だけではなく快適性を高め、それまでのクロスカントリーに加えて、SUVとしての快適性も持たせて成功しました。また、FJ60系の基本構造が、その後のランドクルーザーでも大きく改変されることなく踏襲されています。 4.2L直列6気筒2F型エンジンのFJ60と、4.0L直列6気筒3F型エンジンのFJ62も現在の北米市場において非常に高い価格で推移しており、平均的な価格で約400万円以上。ちなみに、1981年に最初に販売されたFJ60型に比べて、1988年発売となる後発のFJ62型の方がやや高い価格となっています。 最後に今後の価格動向についてですが、過去3年間で、FJ60型、FJ62型ランドクルーザーに対する保険要求額は24%増加していて、今後も価格の高騰はまだ続く予想です。 日産 フィガロ(1991年) レトロなデザインで販売当初も抽選販売となるなど、大きな話題を呼んだ日産 フィガロ。今、北米を中心に、改めて多くの人の注目を集めています。 海外で価格が高騰している日産車といえば、ハイパフォーマンスカーであるスカイラインシリーズとフェアレディZですが、車としては決してハイパフォーマンスとは言えない、3速ATでFFという仕様にも関わらず価格が高騰しているのです。 日産 フィガロは、1989年の東京モーターショーで試作車が公開され、白い革張りシート、クロムメッキされたメーター類、細いスポークのハンドルなどレトロなデザインが個性的でした。 アメリカでは、販売から25年を経過すると輸入車の安全基準が緩和されるため、販売から25年となった2016年に輸入が解禁されたものの、新車時は日本国内の販売のみ。しかも2万台の限定生産だったことから、需要に供給が追いつかない状態となり、北米における最新の販売価格は約220万円から約270万円へと跳ね上がっています。 三菱 スタリオン(1983-89年) 三菱 スタリオンは、クライスラーにもOEM供給されていたスポーツカーです。 ポルシェ944の見栄えを良くしたようなスタイリッシュなボディに、ターボエンジンを搭載した本格スポーツカーでありながら、競合他社より安価な価格設定でした。往年の名作映画「キャノンボール2」でジャッキーチェンが乗っていたことで記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。 特に北米市場を意識したエンジンは低中速域のトルクを重視したセッティングで、最大出力は175psながら、最大トルクは32.0 kg-mを発生。さらに、サイクロンDash3x2と呼ばれる可変バルブ付きターボエンジンでは、200psを発生するモデルも存在するなど、デザイン性のみならず動力性能も魅力的なスポーツカーでした。 元々が安価な価格設定だったこともあり、長年特段大きな値動きはありませんでしたが、ここに来て北米市場で大幅な値上がりを見せています。既に三菱モデルのスタリオンで約150万円、クライスラーモデルのコンクエストでは約180万円もの値段をつけていて、今後の値上がりも期待されます。 日産 300ZX/Z32型フェアレディZ(1990-96年) Z32型と呼ばれる4代目のフェアレディZ、北米では300ZXという名で販売されていました。Z32型フェアレディZは、廉価版スポーツカーという位置づけだった先代までのフェアレディZの立ち位置を脱却。北米においてスーパースポーツカーとしての地位確立を意識して開発されました。 日産車として初めてCADで設計されたデザインは、これまでと大きく異なるワイド&ローデザインとし、性能面も日本の自動車メーカーで初めて最大出力280PSに達するツインターボVG30DETT型エンジンを搭載。さらに、ターボモデルには、4輪操舵のスーパーHICAS(ハイキャス)を装備するなど、文字通りスーパースポーツカーを体現したモデルです。 ここ最近、北米において過去最大の値上がり幅を記録した日産 300ZXは、ベースモデルでも約170万円、ターボモデルは約330万円以。90年代スポーツカーとして評価の高まっているFD型RX-7や、80型スープラと比較するとやや出遅れ気味だったこともあり、今後値上がり余地があると見られています。 ダットサン 260Z(1974年) ダットサンは日産の北米展開ブランドで、260Zは初代フェアレディZS30系(240Z)の2.6Lエンジン搭載版として、海外でのみ1年間だけ販売されたモデルです。 240Zの生産終了に伴って、元々240Zに搭載されていたL24型直列6気筒SOHCエンジンのストロークを伸ばし、よりトルクの稼げる2.6Lエンジン仕様のモデルを作成しました。日本国内では、オイルショックの影響で残念ながら販売が見送られ、東京モーターショーでの展示のみとなっています。 トルクがわずかに向上したものの、マスキー法に代表される排ガス規制で強化された排ガス浄化装置により240Zと比べてパワーは10psほど下回る260Zは、これまであまり注目を集めていませんでした。しかし、近年、特に北米で240Zに注目が集まり、価格が高騰するにつれ、性能は低いものの、ほぼ同等のデザインの260Zにも注目が集まるようになりました。 現在、人気の高い2シータークーペは日本円で約400万円まで高騰し、人気の低い4シーターモデルでさえ、約260万円まで価格が上昇しています。 ホンダ シビックSi/EK型シビックSi(1999-00年) ホンダ EK型シビックのクーペモデルも、近年北米で価格が高騰しています。 価格が手頃な4気筒自然吸気1.6Lエンジンながら、VTECという強力な可変バルブを搭載したB16Aエンジンはポテンシャルと耐久性が高く、チューニングのベース車として人気を集めました。 北米の90年代日本車スポーツカー人気によって、EK型シビックにも注目が集まっています。しかし、新車販売から20年経った現在は、チューニングカーとしての人気が仇となり、改造されていない低走行車はほとんど残っておらず、中古車価格の高騰に拍車をかけています。 直近ではわずか5ヶ月の間に、日本円で約200万円から約280万円まで価格が上昇しました。 日産 300ZX/Z31型フェアレディZ(1984-88年) 3代目フェアレディZとなるZ31型フェアレディZも、北米で人気が高まっています。 フェアレディZシリーズ唯一のリトラクタブルヘッドライトが特徴で、エンジンもハイパワーのターボエンジンVG30ETを搭載。Z32型で確立するハイパフォーマンススポーツカーという新しいZの方向性を決めたモデルになりました。 近年の日本車スポーツカー人気を牽引するフェアレディZシリーズ。Z31型も例外ではなく、10年前にはわずか70万円ほどだった中古車価格は、直近では日本円で約200万円以上にまで上昇しています。 トヨタ スープラ/A60型セリカXX(1981-1986年) 海外ではスープラという車名でしたが、A60型まで国内ではセリカXXという車名で販売されていました。初代セリカXXとなるA40/50型が、ラグジュアリー志向のスペシャルティカーだったのに対し、スポーティ路線で開発されたのが特徴です。 空力性能を意識してヘッドライトにリトラクタブルライトを採用し、ソアラと同型の2.8Lエンジンを搭載。国産車としては久々となる最高速200km/h超え(208.09km/h)を記録します。LSDに大径ホイール、リアスポイラーまで装備し、スポーツカーとして地位を確立した70型スープラに繋がる原点とも言える車種となりました。 多くのA60型セリカは、改造されたり、レースに使用されたりしたため、状態の良い個体は現在あまり残っていません。そのため、価格は高騰を続けていて、最新の価格データでは、日本円で約155万円から225万円へと上昇しました。 ダットサン 280ZX(1978-83年) 2代目フェアレディZとなる、S130型系Zの海外展開モデルが、ダットサン 280ZXです。 国産車初のTバールーフ車も投入された2代目Zは、初代のフォルムを正統に引き継ぎながらもややワイド化しました。ボディサイズ、エンジン共に大型化したことで、初代のスポーツカーとしてのキレは失われたものの、ツーリングカーとして人気を博します。 また、人気ドラマ西部警察で大門刑事(渡哲也)が乗るスーパーZとして活躍したのを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 2015年以降に価格の上昇が始まり、直近では日本円で約160万円から約240万円以上まで一気に高騰しています。 日産 R33型スカイラインGT-R(1995-98) 1995年発売のR33型GT-Rは、販売から25年経過となる2020年に、アメリカの輸入規制が緩和され、一気に価格が高騰しました。 R33型スカイラインの大型化したボディは、新車販売当時不評。性能を追求してシャープに研ぎ澄まされたR32からは程遠いイメージで、居住性は改善されたもののただ広くなった車内はまるでセダンのような印象を与え、走りを追求するGT-Rとしては人々の期待を大きく裏切るデザインだったのです。 一方で、走行性能は大きく進化。エンジンの仕様変更によるトルクの向上、ロングホイールベース化によって弱点だったコーナリング性能の向上が図られ、ニュルブルクリンクでR32の記録したタイムを21秒も縮めました。 当時は不評だった大型化ですが、比較的大柄な海外の愛好家には逆に好意的に捉えられていて、現在の人気を支える要因の1つ。また、新車当時不人気だったことで出荷台数が少なかったことも希少性という付加価値を生み、価格が高騰するひとつの要因となっています。 R33型スカイラインGT-Rの現在の価格は、標準仕様でも約680万円にもなっていて、特別な99台のみ販売されたNISMO 400Rともなると、約4,400万円以上。今後はさらなる高騰も予測されています。 まとめ 日本車がこれほどまでに北米で人気となっているのは、日本人として素直にうれしいことです。ただ、それと同時に、今後これらの車種を購入しようとした場合、なかなか手の出し辛い価格帯になってしまっているのは悩ましくもあります。 どの車種も、日本の経済が絶好調なときに開発された、自動車史に残る名車ばかり。これから購入しようと思っているなら、明日にでも探し始めた方が良いかもしれません。 [ライター/増田真吾]

市販車の基礎を築いたのにフェラーリの名を与えられなかった不遇の名車ディーノ 246GT
旧車の魅力と知識 21.10.04

市販車の基礎を築いたのにフェラーリの名を与えられなかった不遇の名車ディーノ 246GT

ワイド&ローな出で立ちに曲線と直線が調和したスタイリング。そして、ミッドシップレイアウトを採用したフェラーリ ディーノ246GTは、現在では歴史的な名車と呼ばれる1台です。しかし、フェラーリらしい特徴を備えていたにも関わらず、販売当初はフェラーリのブランド名は与えられず、ユーザーからの人気も薄いという不遇の時代もありました。 今回は、現在のフェラーリへの橋渡し役になったとも言える、ディーノ246GTの歴史を振り返ります。 現在まで続くフェラーリの基礎となった F40、F50、F430、488GTB、F8トリブート。名だたるフェラーリの人気車種に共通しているのが、ミッドシップレイアウト(MR)という点です。フェラーリと言えばMRというイメージすらあります。(実際はFR車も数多く生産) このフェラーリの象徴とも言えるミッドシップレイアウトを市販車モデルで初めて採用したのが、ディーノ246GTです。 フェラーリ市販車初のミッドシップレイアウト ディーノ246GTは、先代となった206GTも含めて、現在のフェラーリの基礎を築いたとも言える歴史的なモデルです。現代までフェラーリの名車に数多く採用され続けているミッドシップレイアウト(リア駆動:MR)を初めて市販モデルで採用したのが206GTでした。 しかし、F2参戦のエンジン生産数条件をクリアすることを目的に開発された206GTは、実用性に乏しく生産台数も約150台とわずかで、純粋な市販モデルとは言えません。その点から、フェラーリ初の市販MRモデルは246GTと言えるのです。 そして、ディーノにはもう1つ、名前の由来ともなった大きな特徴があります。ミッドシップレイアウトでは縦置き配置がほとんどだったエンジンを、横置きにレイアウトした点です。この横置きレイアウトは、フェラーリ創業車エンツォ・フェラーリの息子、アルフレードが考案したため、その愛称から「ディーノ」という名が与えられました。 課題だったパワーを克服した246GT 最初に発売されたディーノ206GTのエンジンは、8,000回転で最高出力185馬力を発生。さらに、高回転型すぎたため扱いにくく、当時としても非力なパワーが課題でした。 しかし、F2参戦条件のエンジン生産数をクリアしたことで、2,000ccという排気量にこだわる必要がなくなり、排気量2,400ccにアップした246GTが登場します。 排気量を20%増加させたことで、最高出力が195馬力に向上。さらに最高出力発生回転数も低回転化し、誰でもスムーズな加速が味わえる車に進化しました。登場当初こそ、206GTのイメージから評価は低かったものの、特徴的なスタイリングと性能の高さから、その後年々評価を上げることになります。 人気の上昇とともに3モデルが発売された ディーノ発売当時は、V12エンジンこそがフェラーリというイメージが主流でした。そのため、小型で非力なV6エンジン搭載のディーノは、当初フェラーリのブランド名が与えられなかっただけではなく、ユーザーからもフェラーリとみなされませんでした。 しかし、課題だったパワーを克服した246GTの登場で徐々に世間の見方が変わり、現在では名車と呼ばれるほどの高い評価を得ることになります。 スタイリングは、曲線基調だった1950~60年代のフェラーリから、Origami(折り紙)スタイルとも言われるより直線的な1970年代後半以降のデザインのちょうど中間とも言えるデザインで、結果的に現代のフェラーリへの橋渡し的存在になりました。 1代限り、1969年から1974年のわずか5年しか生産されなかったディーノ246GTですが、人気の上昇に後押しされるように、発売後も細かな変更を重ねていて、3モデルが存在します。 ティーポL  1969年~1970年の約2年弱生産。246GT初期モデルで、元となった206GTと多くの共通点を持ちつつ、2,400ccとなったエンジン以外の大きな変更点は、コストダウンと市販車としての扱いやすさ向上のため、モノコックがアルミ製から鉄製に変更された点です。ただ、ボディ、ドアなどはアルミ製(一部のモデル)で、ホイールも206GTと同じセンターロック式(ノックオフ式センタースピンナー)のホイールを採用していました。 ティーポM 1971年初頭のわずかな期間のみ生産。大きな変更点は、206GTから続いていたセンターロックのホイールナットが、5穴仕様に変更された点です。また、リアのトレッド幅が30mm拡幅されました。 ティーポE 1971年のティーポM生産終了以降1974年まで生産。246GTの中で最も生産期間が長く、生産台数も多いのがティーポEです。エンジン、トランスミッションにさらなる改良が加えられ、246GTの完成形とも言えるモデルとなりました。また、タルガトップ(屋根が開けられる)モデルとなる246GTSもこのティーポEで加えられます。 まとめ 単純なクラシックカーとしてだけではなく、現在にも通じるスポーツカーとして魅力的なディーノ246GTですが、欲しいと思っても入手するのは困難です。 最初のティーポL発売から既に50年以上が経過していることと、総生産台数もわずか4,000台弱のため、状態の良い個体を市場で見つけることはほぼ不可能。それでも欲しい方は、国内の中古車業者だけではなく、海外のオークション等にも幅広くアンテナを貼って、粘り強く探すことが重要です。 ちなみに、状態のいい車体は3,800万円弱で取引されており、平均価格も2,800万円程度という情報(2021年9月現在)もあるので、予算は余裕を持って用意しておいた方が良いかもしれません。 [ライター/増田真吾]  

ハイソカーって何?現代車の礎となったバブル期の名車を振り返る
旧車の魅力と知識 20.05.13

ハイソカーって何?現代車の礎となったバブル期の名車を振り返る

昨今、自動車業界は、100年に一度の破壊的イノベーションの渦中にあると言われています。そんな大変革期の中にあって、“ハイソカー”が再び脚光を浴びつつあるのをご存じでしょうか?今回の記事では、単なる旧車とはひと味違うハイソカーについてお話していきます。 ハイソカーとは“上流階級の車” ハイソカーとはもはや死語になりつつある言葉ですが、ハイソとはhigh society(ハイソサエティー)略で、直訳すると“上流階級や上流社会”。つまりハイソカーとは、上流階級の車ということになります。このように聞くとなんだか成金感というか、銭ゲバ感がありますが、実際はあくまで「高級な雰囲気を持った車」を指した和製英語で、きっかけは車雑誌の「ホリデーオート」だと言われています。 バブル絶頂期に起きたハイソカーブーム そんなハイソカーがブームになったのは、1980年代後半からで、時は経済成長絶頂期の、バブル経済ど真ん中の時代です。それまで多くの庶民にとって、車はあくまで移動の道具でしかなかったところから、ステータスの象徴へと変化。いつかはマイホームを持つことが人生最大の目標であるように、高級車を購入することへの憧れが一層強くなっていきました。 戦後最大の好景気に後押しされ、自動車メーカー各社も開発に時間と金をたっぷり掛けることができた時代。このころに誕生し、ハイソカーブームを牽引した車種は、日本の自動車史に残る名車ばかりです。 自動車史に残るハイソカー 自動ブレーキや高性能なカーナビゲーションなどない時代でも、メーカーの粋を集めて開発されたハイソカーと呼ばれる車種は、若年層のユーザーだけでなく、当時のいわゆるお父さん世代の40代や50代の人気も獲得。また、各メーカーの個性やこだわりが色濃かったこともあり、令和になってもその人気は衰えず、車種や状態によっては新車当時の価格以上で取引されることも珍しくありません。 GX71系 トヨタ マークⅡ3兄弟 まず最初にご紹介するのは、ハイソカーの代名詞と言っても過言ではない「GX71系 トヨタ マークⅡ3兄弟」です。GX71系 トヨタ マークⅡ3兄弟が販売されていたのは、「いつかはクラウン」と言われた7代目クランと同時期で、クラウンは会社で出世し成功した大人だけが乗ることを許された高嶺の花でした。 そんな中、2リッターエンジンに5ナンバーボディで維持費を低く抑え、高級志向のツインカム直列6気筒(1G系)エンジンを搭載。デジタルメーターや減衰力を変化させるTEMS(トヨタ・エレクトロニック・モデュレーテッド・サスペンション)、4輪ディスクブレーキなど、数多くの最新装備を採用していました。さらに、高級クラブのようにたっぷりとした厚みがあり、光沢のあるモケット素材を用いた内装やフルオートエアコンなど、とにかく至れり尽くせりの豪華さを誇ります。また、直線を上手に使いながら、各部にメッキパーツで加飾された外装もエレガントそのもの。上級車であるクラウンと共に、スーパーホワイトというボディカラーが大人気となり、スーパーの駐車場で自分の車がわからなくなるほど、街中にはスーパーホワイトのマークⅡ3兄弟が溢れていました。 Z10系 トヨタ ソアラ ハイソカーを一大ブームに押し上げたのがマークⅡ3兄弟なら、ハイソカーブームのきっかけを作ったのは、同じトヨタのソアラ(Z10系)です。3ナンバーの大柄ボディーに、大排気量の直列6気筒エンジンを搭載しているにも関わらず、2ドアのノッチバッククーペで、お世辞にも車内が広々というわけではありません。 令和の現代から考えればあまりにも非現実的なパッケージであったにも関わらず、10系ソアラは大ヒット。トヨタが手掛けた高級パーソナルカーとして、ライバルであった日産レパードを大きくリードしました。また、先述したGX71系のデジタルメーターやTEMSと言ったハイテク装備は、Z10系ソアラが最初に装備してり、高級&ハイテクが代名詞のハイソカーのご先祖様といったところです。 F31型 日産 レパード 多くのメディアで、上記トヨタ ソアラのライバルとして取り上げられる日産レパードですが、初代F30型の登場は10系ソアラよりも1年早い1980年。直線基調の2ドアノッチバッククーペ(4ドアハードトップもある)というスタイルはソアラと同じであるものの、搭載されるエンジンは旧式のL型で、全くソアラには歯が立ちませんでした。 そこで、1986年登場した2代目のF31型レパードは、全グレードでV6エンジンを採用。さらにライバルソアラが2代目(Z20系)に進化すると、1988年には内外装のデザインを大幅に変更。最上級グレードである「アルティマ」には、3リッターV6ターボエンジン(VG30DET型)は、最高出力255馬力を発生し、ライバルであるソアラが搭載する直列6気筒7M型エンジンの230馬力を越えます。また、大人気刑事ドラマ「あぶない刑事」では、主人公のタカとユウジが乗る覆面パトカーに起用。ドラマに登場した、ゴールドツートンの前期型「アルティマ」や、ダークブルーツートンの後期型「V30アルティマ ツインカムターボ」は、中古車として新車以上の価格で取引されています。 ハイソカーは今につながる技術の礎 令和の世では、燃費や安全性が車を選ぶ基準として当たり前となっています。ですが、ハイソカーが一大ブームとなっていた頃は、車は豪華でハイパワーであることが正義とされていました。今となってみれば、大排気量のエンジンや当時のハイテク装備の数々は、一見すると無駄に思えるものばかりです。しかし、景気が良かった“アノ”時代に各メーカーが湯水のように開発費を使ったからこそ、日本車は世界に誇れる性能と品質を手に入れられたのかもしれません。 [ライター/増田真吾]

アメリカ「25年ルール」とは?名車の中古相場が急騰するしくみ
旧車の魅力と知識 20.04.25

アメリカ「25年ルール」とは?名車の中古相場が急騰するしくみ

アメリカの「25年ルール」と聞いて、何となくわかるけど詳しいことまでわからないという方は多いのではないでしょうか。アメリカの25年ルールにより、日本の中古車の価格に大きな変化が起きる可能性があります。 本記事では、25年ルールの内容と、アメリカと日本の市場への影響について解説します。 25年ルールとは 25年ルールとは、製造から25年以上経過した右ハンドルのクルマをアメリカ国内にそのまま輸入できる法律の例外にあたる特別ルールのことです。 アメリカでは、原則として右ハンドル車を輸入できません。つまり、日本車やイギリス車などをそのまま輸入することができないのです。 しかし、製造から25年が経過したクルマであれば、クラシックカーとして登録することが可能となるため、右ハンドル車である日本車やイギリス車をそのまま輸入できるようになります。 また、関税や排ガス規制も対象外になることも25年ルールの特徴です。 このようなアメリカのクラシックカー登録制度(法律の例外)が25年ルールとなります。 25年ルールによる市場への影響 アメリカの25年ルールは、アメリカ市場や日本市場に大きく影響します。それぞれの市場ごとにどのような影響を及ぼすのか詳しく解説します。 アメリカの市場への影響 アメリカ市場では日本車の人気が高く、日本車仕様にカスタマイズ(いわゆるJDM=Japan Domestic Market)して乗る方やオリジナルの状態で乗りたいと考えている方が多くいます。 この日本車人気の背景には、ゲーム「GRAN TURISMOⓇ THE REAL DRIVING SIMULATOR」や映画「ワイルド・スピード(英:The Fast and the Furious)」などで、日本車が登場したり活躍したりしていることが影響しているといえるでしょう。 さまざまな場面で登場する日本車に乗りたいという人やオリジナルのモデルを手に入れて運転したいと考えている方にとって、日本で販売されていたモデルをそのままの状態で手に入れられるのは非常に嬉しいことです。 このような背景から、アメリカ国内には25年ルールの解禁を待っている方々が多く存在します。 日本の市場への影響 アメリカの25年ルールの解禁に伴って、日本の中古車市場が大きく動くことがあります。 前述したとおり、日本車をそのまま輸入できる25年ルールの解禁を待ち望んでいるアメリカでは、25年ルール解禁とともに手に入れたいクルマの争奪戦が始まる可能性があります。そのため、日本市場に流通している人気のモデルの中古車価格が上昇するのです。 また、日本では新規登録から13年以上経過すると税金が重課されるため、時間の経過とともにクルマを維持するのが大変になります。一方、アメリカやヨーロッパなどでは、旧車に対する税制が優遇される国や地域があります。そのため、年式が古いクルマ(旧車)の維持がしやすいのです。このようなことも、海外における日本車人気の理由になっているといえるでしょう。 加えて、「日本車は壊れにくい」という高い信頼性も海外人気を支えている理由といえます。こうしたさまざまな要因により、25年が経過した日本の名車が海外に多く流出しているといえるでしょう。 「25年ルール」により相場が高騰しそうな車種 2020年、2021年、2022年、2023年、2024年、2025年に25年ルールが解禁される車種は下記のとおりです。 【2020年】・初代インテグラタイプR・R33 スカイライン GT-R 【2021年】・ウイングロード・ステップワゴン・3代目シーマ・ランサーエボリューションⅣ・8代目ギャラン・チェイサー100系・レグナム・ステージア・ロゴ・5代目プレリュード・S-MX 【2022年】・2代目センチュリー・ハイエースレジアス・ローレル C35型・シビックタイプR EK9・トルネオ・アリスト160系・ルネッサ 【2023年】・R34 スカイライン・ランドクルーザー 100系・ランサーエボリューションⅤ・レガシィBE・ジムニーJB23 【2024年】・ヴィッツ・シルビア S15・ランサーエボリューション Ⅵ・スカイライン R34 GT-R・S2000・レジアスエース H100系・クラウン 17系・MR-S 【2025年】・2代目エスティマ・WiLL Vi・bB・アルティス・2代目RAV4・オーパ・アコード ユーロR CL1型・アトレー7・インプレッサ WRX STI GDB型・YRV・30セルシオ・9代目カローラ・スマートシビック・3代目シビックフェリオ・110系 マークⅡ・オリジン・ストリーム・トリビュート・エクストレイル・クルーガー・グランドエスクード 【2026年】・アレックス・2代目イプサム・アルテッツァジータ・ヴェロッサ・3代目ウィンダム・アリオン 25年ルールにより相場が高騰しそうな車種は、走行性能や走る楽しさを感じられるスポーツモデルや日本車ならではの高い耐久性・信頼性などが特徴のモデルばかりです。 今後もこのようなモデルは増え続け、海外市場で高値で取引される可能性があるでしょう。製造から25年を迎えるクルマの売却を検討している方は、今後の価格の変化や動向に注目して、売却時期を見極めることをおすすめします。

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旧車王は、「買取は10年以上の旧車だけ」というコンセプトのもと、旧車・クラシックカーに特化して25年、 累積15,000台以上を買取させていただいております。改造車から希少車まで、適正価格を見極めて買取させていただきます。弊社所属の鑑定士が最短当日で全国無料出張査定いたします。ご契約後の買取額の減額や不当なキャンセル料を請求する二重査定は一切ありません。特別なそして価値ある希少車の買取こそ、確かなノウハウと実績を持つ旧車王にお任せください!

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