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オーナーが“青春の一部”と語る愛車「1986年式トヨタ スプリンタートレノGT-V改」との出会い。そして別れを考える
旧車の愛好家たち 25.10.31

オーナーが“青春の一部”と語る愛車「1986年式トヨタ スプリンタートレノGT-V改」との出会い。そして別れを考える

はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 2回目となる今回は、30代半ばとなったオーナーにとって人生初の愛車であり、「青春の一部」と語るクルマを紹介します。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 はじめに 日々、さまざまな自動車関連メディアで旧車を長年にわたって大切に所有しているオーナー様を取材する機会があります。 そういった方々は基本的には手放したり、乗り換えたりするつもりはありません。まさに「一生モノ」「アガリのクルマ」と考えているものです。 そんなオーナーの方に「現在の愛車との『別れ』を、あえて考えてもらう」という企画を不定期で実施していきます。 今回は人生初の愛車である「ハチロク」ことトヨタ スプリンター トレノを18歳のときに手に入れ、以来15年間、大切に所有しているオーナーの方を取材しました。 オーナープロフィール 尾形隼です。年齢は34歳、職業は会社員です。 所有するクルマは、1986年式トヨタ スプリンター トレノGT-V改(後期モデル)です。所有歴は15年、オドメーター上はおよそ30万キロ、手に入れてからは7万キロです。 クルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 小さい頃からクルマが好きでした。3歳か4歳頃に、父親にドライブに連れて行ってもらったことも覚えています。小学生のときに転校してきた同級生が大のクルマ好きで、彼の影響が大きいと思います。ほかの同級生たちはポケモンやベイブレード、ミニ四駆、あとはムシキングに夢中でしたね。高校卒業後は自動車関連の専門学校に進学したこともあって、周囲はクルマ好きばかりでした(笑)。 本格的にクルマ熱に火がついいたのは中学生に入ってからです。頭文字D(アニメ版)や、土屋圭市さんのAE86をホットバージョンのDVDで見てから、大人になったらハチロクに乗ってみたいと思うようになりましたね。 これまでの愛車遍歴を教えてください このAE86が人生初の愛車です。その後、通勤用の足としてダイハツ ムーヴを2台乗り継ぎました。現在はAE86と、今年に入って手に入れた2023年式トヨタ カローラ スポーツの2台体制です。 AE86とカローラスポーツとは、理想的な組み合わせですね ムーヴから乗り換えるとき、次はトヨタ車にしようと決めていました。当初は現行型のカローラツーリングも候補に入れていました。ただ、カローラツーリングには限定車を除いて2リッターモデルの設定がないんですね。最終的に候補として残ったのがカローラスポーツというわけなんです。新車も考えたのですが、今年の一部改良でハイブリッドエンジンだけになってしまい…。2年落ちの中古車を手に入れました。トランスミッションは6速MTではなく、CVTの方です。 カローラスポーツに乗り換えてみて気づいたのですが、運転の疲労度がまったく違います。とにかく疲れないし、快適です。と同時に、これまで最新モデルのクルマを所有したことがなかったので、AE86に慣れた身にはカルチャーショックを受けることばかりです。先日も運転していて突然安全装置が作動してしまい、驚きました。AE86はエアコンやパワステ、パワーウィンドウすら装備されていませんし。 愛車であるAE86の存在を知ったきっかけを教えてください 18歳になって運転免許を取得し、いよいよ自分のクルマを手に入れる年代となったわけですが、買うとしたらAE86か、あとは日産180SXを考えていました。当時はまさかこれほどのめり込むとは想像もしていなくて、2、3年で乗り換えるつもりで探していたんです。 中古車検索サイトで何台かのAE86をチェックしましたが、実車を観に行ったのは現在の愛車だけです。頭文字Dの影響もあり、劇中車と同じ色にオールペンされるハチロクが多いなか、この個体は新車時からハイテックツートンに塗られていました。車両本体価格は約120万円で、この個体を手に入れた2010年当時の相場より少し高めの個体でした。いまでは考えられませんが、15年前は100万円未満のAE86も珍しくなかったんです。それに、高くても200万円を超える個体はほとんどなかった時代です。 AE86が納車された日のことを覚えていますか? AE86が納車された日のこと、覚えています。…といっても、学校に行っているときに自宅に納車されたので、帰宅したら「あ、AE86がある」といった感じでした(笑)。遅い時間だったので納車当日にドライブはしませんでしたが、運転席に座って「自分のクルマなんだ」と思うと、気持ちが落ち着ついたことを覚えています。 このAE86が「一生モノになるな」と思うようになったのはいつ頃ですか? 手に入れてから4、5年経った頃だったと思います。年齢でいうと、23〜24歳の頃ですね。エンジンをチューニングしたり、自分でシートやマフラーを交換するうちにこだわるポイントが定まってきて、いつの間にか手放すなんて考えられないような存在になっていました。 現在のハチロクの仕様を教えてください この15年間でエンジンの仕様を何度か変更しています。購入時にはAE111型用の4A-G(ノーマル)が搭載されていたんですが、ハイカム(IN/EX 288度)を組み込み、コンピューターをフリーダム製のものに交換しました。その後、点火系をディストリビューターから同時点火へ変更しています。 現在の仕様は以下のとおりです。計測していないので実馬力は不明ですが、180馬力くらいではないかと思われます。スペック上は8000回転までまわせます。 ハチロクの詳しい仕様はこちら 愛車であるAE86との一番の思い出は何ですか? 10年ほど前、トヨタの「GAZOO」愛車広場で取材してもらったことです。実は、このAE86が愛車広場の第1回目に取材したクルマだと聞いています。その後、スピードハンターズや、ベストカー、ベストカーWeb、デアゴスティーニ「週刊AE86」など、さまざまなメディアで取材してもらえるようになったんです。 スピードハンターズのときはイベント会場で撮られていたんですが、クルマから離れている間だったので、いつの間に?という感じでした。RAYSのイベントときはイベント会場で広報の方に声を掛けていただき、ホームページに掲載する写真を撮影していただきました。 これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? 手放そうと思ったことはありませんが、1度だけ本気で「箱替え」を考えたことがあります。現在の愛車よりボディのコンディションが良い3ドアのレビンを手に入れ、あらゆる部品を移植しようかと真剣に考えました。 愛車が3ドアのトレノからレビンになること自体にそれほど抵抗はありませんでしたが、これまで所有してきたトレノのボディを手放すことには抵抗がありましたね。箱替えすることでクルマのコンディションは良くなっても、ふとトレノのことを思い出すに違いない…ということは薄々気づいていました。結局、悩みに悩んで、箱替えはせずにトレノを残し、レビンを手放すことにしました。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマはありますか? このAE86を手放してまで乗りたいクルマは思いつかないです。増車してでも欲しいクルマも見つからないです。このAE86があればそれでいいと思っています。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 愛車との理想の別れ方…があるとすれば、そして、将来どうしても手放さなければならない状況にあるとしたら…大切に乗ってくれる方に引き取ってもらいたいです。できればこのクルマのことを知っている人がいいですね。これだけは避けたい別れがあるとしたら、それは事故で廃車になってしまうことです。 普段の乗り方で気をつけてることはありますか? エアコンが装備されていないので、夏場は乗りません。あと、雨の日も乗らないようにしています。 尾形さんにとって愛車であるAE86とはどのような存在ですか?  「青春の一部」でしょうか。やっぱり若いときに手に入れたからこそ、このクルマに没頭できたことは確かです。若いときにAE86を手に入れて、それなりに回り道もしたけれど、だからこそ得られたノウハウやクルマに対する考え方もあると思うんです。 かつては価格の安さや見た目などで決めていましたが、年齢を重ねるにつれてクオリティー重視になりました。10代後半、20代、そして30代半ばになった現在まで、このAE86と過ごすことができて本当に良かったと思っています。 ハチロクの仕様詳細 エンジン ・AE111型用4AG改 5AG・BC 5AGクランクシャフト・BC H断面コンロッド・CP 5AG用ピストン82パイ(特注)・強化クランクキャップボルト・TRD メタル(クランク、コンロッド)・TRD ヘッドガスケット 0.8mm・戸田レーシング ハイカム IN EX 288度 9.2ミリリフト・戸田レーシング カムプーリー IN EX・戸田レーシング 強化バルブスプリング ・戸田レーシング 強化タイミングベルト ・TRD オイルフィラーキャップ ・インパルス エアファンネル・RS知多 水周りキット・SARD インジェクター 300cc  12ホール・SARD フューエルレギュレータ・RUN-MAX メッシュホース・フリーダム ECU・E&E クランクピックアップユニット・AE92 4AGZ用 同時点火・永井電子 プラグコード(特注)・トラスト レーシングプラグ 外装 【フロント】・後期純正バンパー・前期純正リップスポイラー・シツアモデル製ドライカーボンリトラカバー(ボディ同色ペイント)・RAYBRIGマルチリフレクター(ブルーレンズ)・カーボンボンネット【リア】・純正バンパー・TRD FRPリアゲート TRDリアスポイラー【サイドステップ】・純正(ボディ同色)【ドアミラー】・シツアモデル製ドライカーボン・ブルーワイドミラー・RSハラダ クリアウインカーレンズ・クリスタルボディ横浜 ドライカーボンフロントガラスロアモール・シツアモデル製ドライカーボンフューエルリッド・クールベールフロントウィンドウ・UVカットフィルムクリア ドアガラス クォーターガラス バックドアガラス タイヤ&ホイール ・ホイール:RAYS TE37 7J オフセット0 14インチ・タイヤ:ブリヂストン RE71RS 185/60R14・KYO-EI ホイールナット 内装 ・シート:TRDスポーツシート2脚・ステアリング:TRD NARDIコラボ、Works Bell & Works Bell RAPFIX II・シフトノブ:TRD・追加メーター トラスト油圧計、integral 水温計/油温計、イノベートAF計・KARO フロントマット・GT-APEXステアリングチルト機構取付 吸排気系 ・インパルス エアファンネル・Altrack タコ足・サード スポーツキャタライザー・インパルス フルチタンマフラー デフ上 中間タイコ付き その他 ・バッテリー:SUPER B・ラジエーター:TABATAアルミ・電動ファン:SPAL・オイルクーラー:トラスト16段 オイルエレメント移設・フジツボ ボンネットフードロッド(チタン製) 駆動系 ・ATSカーボンシングルクラッチ・強化フライホイールボルト・ATS フライホイール・ステンメッシュホース・タカタ製3速クロス(5速ハイギヤー)・強化ミッションマウント・effect ボールシート、シフトカラー・LSD TRD 2way・ファイナルギア(4.556) 足まわり 【フロント】・クスコ ピロアッパーマウント・直巻スプリング 7キロ・TRD レース用ショック 減衰5段・ロールセンターアダプター 40mm・クスコ ピロテンションロッド 専用ブラケット付き・クスコ ロアアーム強化ブッシュ・TRDスタビライザー・Super Pro スタビリンク強化ブッシュ・ロングハブボルト・強化ステアリングラックブッシュ・クスコ テンションロッドバー・SuperPrivate フロアサポートバー・ステアリングラック 2ドアGT用3.5回転ラック・ナックル 2ドアGT用純正【リア】・インパルス 5.8キロスプリング・TRD レース用ショック 減衰8段・TRD  スタビライザー・クスコ コントロールアーム N-1リンク アッパー ロア・クスコ ラテラルロッド・Super Pro スタビリンク強化ブッシュ・Super Pro リアスタビライザーエンドブッシュ ブレーキ 【フロント】・MZ12 ブレーキキャリパー・ディクセル MZ12用ブレーキローター・アクレ ブレーキパッド・RUN-MAX ステンメッシュホース【リア】・インパルス ブレーキ大径キット・ディクセル S13シルビア用ブレーキローター・アクレ ブレーキパッド・RUN-MAX ステンメッシュホース  

高市早苗氏の愛車「70スープラ」を深掘り!レストアまでの軌跡
旧車の魅力と知識 25.10.21

高市早苗氏の愛車「70スープラ」を深掘り!レストアまでの軌跡

旧車王ではYouTubeにて、旧車好きによる旧車好きのための「旧車王ちゃんねる」でさまざまな動画を配信しています。 古き良きクルマならではの素晴らしさを伝えるべく、登場から10年以上経過した旧車をメインにご紹介。走行シーンはもちろん、内外装や機関系など、さまざまな角度から1台1台の魅力に迫っています。 ぜひご覧ください。 旧車王ちゃんねる 本日公開のショート動画では、女性初の総理大臣になられた高市早苗氏の愛車「70スープラ」を紹介しています。  70スープラは、1986年に「セリカXX」の後継モデルとして登場し、日本で初めて「スープラ」の名を冠したモデルです。リトラクタブルヘッドライトと豪華な内外装が特徴のグランドツーリングカーで、高市氏の愛車は、1991年式の2.5GTツインターボリミテッドでした。1JZ-GTEエンジンを搭載した後期モデルで、トランスミッションは4ATです。 旧車王で買い取りをした「70スープラ」はこちら 高市氏が愛した70スープラは、22年間大切に乗られた後、どうしても手放せず抹消登録するも、その後10年間、不動車として保管されていました。 2022年に、奈良トヨタの80周年を記念して行われた「レストアプロジェクト」により、復元され、現在では「まほろばミュージアム」に展示されています。 まほろばミュージアム|奈良トヨタ【公式サイト】 旧車王でも、長年愛された車が再び息を吹き返すお手伝いをしています。もしご依頼があれば、しっかりと動く状態に戻し、次のオーナー様へ橋渡しをすることができます。 旧車を愛する方にとって、このような歴史ある車を「再び動かしたい」という思いは、共通の願いではないでしょうか。 私たちは、「旧車を愛する」総理大臣が誕生したという歴史的な瞬間に喜びを感じつつ、これからも日本の旧車文化の発展に努めてまいります。 旧車王は旧車専門の買取サービスです。古いクルマに特化して20年以上の実績をもち、YouTubeのほかにXやInstagram、TikTokでも旧車のさまざまな魅力を発信しています! Twitter:twitter.com/qsha_oh Instagram:instagram.com/qshaoh_channel TikTok:tiktok.com/@qshaoh

“一生モノ”の旧車「1970年式ポルシェ911S」までの出会いと愛車遍歴。そして別れを考える
旧車の愛好家たち 25.10.10

“一生モノ”の旧車「1970年式ポルシェ911S」までの出会いと愛車遍歴。そして別れを考える

はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 記念すべき初回は、私とこれまでに所有してきたクルマたち。そして、運命の出会いを果たした愛車「1970年式ポルシェ911S」ついて紹介します。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 はじめに 日々、さまざまな自動車関連メディアで旧車を長年にわたって大切に所有しているオーナー様を取材する機会があります。 そういった方々は基本的には手放したり、乗り換えたりするつもりはありません。まさに「一生モノ」「アガリのクルマ」と考えているものです。 そんなオーナーの方に「現在の愛車との『別れ』を、あえて考えてもらう」という企画を不定期で実施していきます。 今回は私自身について、自己紹介を兼ねてお話いたします。 オーナープロフィール 松村透。年齢は50代、職業は自動車関連メディアの編集兼ライターです。 所有するクルマは、1970年式ポルシェ911S。 所有歴は13年、オドメーター上は9万7千キロ、手に入れてからは7千キロ程度です。 クルマが好きになったきっかけ 実はクルマ熱に火が点いたのは中学生になってからなので、どちらかというと遅咲きでしょうか。 ちょうど初代シーマがデビューしたり、スカイラインGT-Rが復活したり、ユーノスロードスターが登場した頃です。 まさにバブル全盛期。 日本車が新たな時代に入ったタイミングで、書店の自動車コーナーはいつも人がいっぱいで、さまざまな雑誌が山積みになっていた記憶があります。 クルマが好きになり、そのなかでも特にドイツ車に興味を持ちました。 そのきっかけは、1990年4月~1992年3月にTBSでオンエアされていた『所印の車はえらい』というテレビ番組。 高級チューンドカー大会という特集でABTアウディ90、BMW525シュニッツァーコンプリート、ポルシェ911964)ゲンバラコンプリート、メルセデス・ベンツ 500SLAMGコンプリートを、所ジョージさんと夏木陽介さんが乗り比べるという内容でした。 このとき、夏木陽介さんが「メルセデスは床が厚い」とおっしゃっていたことが強く記憶に残りました。 「それってどういう意味なんだろう」と興味を持ったのが原体験かもしれません。 ポルシェに興味を持ったのも同じ頃でした。 所ジョージさんが監修したアメ車専門誌『Daytona』が創刊されたのです。 『Daytona』編集部の方が新車の911ターボ(964)を購入し、そのレポート記事を読んだことがきっかけです。 「ポルシェの神様」と呼ばれていたメカニックの方とのエピソードや、マフラーのテールパイプを真っ白にする乗り方があること、慣らし運転ひとつでエンジンのコンディションやパワーに差が出る…などなど。 新車のインプレッション記事とはまったく異なる切り口に夢中になりましたね。 それからほどなくして、幼馴染みのアルバイト先の社長がポルシェ911を所有しているということを知りました。 幼馴染みに頼み込んで、自分もアルバイトとして採用してもらうことになりました。 アルバイト先の雰囲気にも少しずつ慣れてきたある日曜日、社長から連絡があり「ポルシェのディーラーに行くけど乗ってく?」と連れて行ってもらえることになったのです。 このときはまだ高校3年生。まさか人生初の輸入車ディーラー訪問がポルシェになるとは…。 緊張しっぱなしだったところ、セールス担当の方のご厚意で、911の試乗車に同乗させてもらえることになったんです。 忘れもしない964型の911カレラ2 MT、ボディカラーはルビーストーンレッドでした。 メカニックの方の運転でポルシェのディーラーを飛び出したカレラ2、背後で吠える空冷フラットシックスエンジン、横断歩道のわずかな段差がはっきりと伝わってくる乗り心地。 いままでに乗せてもらった、どのクルマともまったく違うフィーリングに一瞬で魅せられてしまったのです。 まさに自分自身のその後の人生が決まってしまった瞬間でした。 この日から、寝ても覚めても考えるのはポルシェ911のことばかり。 特集が組まれた雑誌を片っ端から手に入れ、カーグラフィックTVの911特集はビデオテープがすり切れるくらい観ました。 これまでの愛車遍歴 初の愛車は24歳のときに手に入れた「1973年式ポルシェ911S」です。 どこぞのボンボンだと勘違いされてしまいそうなので補足しておきますと、100万円の頭金と60回ローンを組んで購入。 とはいえ、人生初の愛車が旧車ということもあり、維持するのが辛くなって短い期間で手放してしまいます。都内のショップから自宅まで1→2速で帰ったのも懐かしい思い出です。 このクルマを所有したことが後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。 次に手に入れたのがパジェロ イオの3ドアです。 まったく違う路線ですが、急ぎクルマが必要な事情があって、近所の三菱ディーラーの中古車センターに並んでいたのを手に入れました。 懐かしのGDIエンジン搭載車です。 このエンジンはハイオク指定でしたが、どうも納得がいかずにケチってレギュラーガソリンを入れたところ、坂道でノッキングするようになり…。仕方なくハイオクを入れていた記憶があります。 次に乗り換えたのが、父と共同所有のパジェロショートです。父がパジェロ好きで、それならば本家に乗り換えようということになりました。 ちょうど三菱のリコール隠しが発覚した時期で、土曜日のショールームなのにお客さんが誰もいなくて、ディーラーでとても感謝された記憶があります。 V6 3.5リッターGDIエンジンはすこぶる快適で、大柄なボディの割に7〜8km/L走ってくれるし、3年間で6万キロも走らせてしまうくらい気に入っていました。 その次に三菱コルトに乗り換えます。パジェロの維持費が私には厳しく、コンパクトカーに乗り換えました。 「ビームエディション」という特別仕様車でした。よくできていたクルマなのですが、私には刺激が少なく物足りなく感じました。 ちょうど2回目のリコール隠しが発覚した時期と重なり、国道を走っているとトラックがスーッと車間を開けるんですね。避けられていることが分かるんです。 これで気持ちが冷めてわずか半年で乗り換えることにしました。 次に乗り換えたのがゴルフ4ワゴンです。勤め先の社長がゴルフ4GTIに乗っていて、これは中古車でも高くて手が出ないため、デザインが好きなワゴンを買うことにしたんです。 4年落ちの中古車でしたが、ドイツ車らしさを味わいました。 1度、外出先でエンジンが掛からなくなってしまい、レッカー車にお世話になったこと、エンジンオイルの警告灯が点灯してディーラーに入庫した以外は大きなトラブルもありませんでした。 次に入手したのがゴルフ5GTI。ゴルフ4ワゴンをディーラーに預けたとき、たまたま試乗するという運命のいたずらによって手に入れることになります。 DSGの電光石火のシフトチェンジに心を持っていかれました。たまたま3月末の決算期ということもあり、純正ナビが無償で装着されることを知り即決しました。 このクルマでは、暇さえあれば遠方にドライブしました。mixiで知り合ったポルシェ仲間とのツーリングもこれで行きました。 皆さんがポルシェに乗っていたのが羨ましかったことを覚えています。 次に乗り換えたのが、ゴルフ6R。初のゴルフRです。 当時はゴルフで500万円かよ!なんてツッコまれたものですが、いまやゴルフRも800万円クラスですからね…。 OPのレカロシートを装着して快適だったけど、運転する楽しさや刺激の度合いは5GTIの方が上でした。 このゴルフ6Rを所有していた24歳のときに、一度手に入れた1973年式ポルシェ911Sを買わないかという話をいただき、清水の舞台からダイブする思いで手にいれることになります。 そんなこともあって、ゴルフ6Rを所有していたのは2年ほどでした。 この頃から、もう1台のクルマを手に入れ2台体制となります。 二十歳のときから、いつか手に入れたいと思っていたユーノスロードスターVスペシャルを29万円で購入しました。 見た目は綺麗な個体だったんですが、クラッチが滑る、エンジンのオイル漏れなどのトラブル続きで…。最初の2年くらいは修理ばかりしていました。 ヤフオクなどを駆使してできるだけ安く抑えつつ、若いときに果たせなかった自分の理想のロードスターに仕上げた思い出深い1台です。 そしてこのタイミングで1973年式ポルシェ911Sを手に入れます。2012年のことです。空冷バブルが起こりはじめていた時期ですね。 完成までになんと7年半を費やすことになります! 1973年式ポルシェ911Sが完成したらロードスターと趣味車が2台体制になってしまうため、泣く泣くロードスターを手放し、中古のゴルフ6ハイラインに乗り換えます。 地元の先輩がゴルフ6に乗っていたこともあり、遅まきながら素のゴルフの良さに気づいたんです。メーカー認定中古車だったため、程度は上々でした。 フリーとして独立した直後で、取材もこれで行っていました。 良いクルマでしたが、あまり記憶がないのは独立直後で日常に忙殺されていた時期だったからかもしれません。 地元のVWディーラーに就職した後輩から「ディーゼルゲート事件絡みで手放した程度の良いゴルフ7があるから観に来ません?」と連絡を受けたのが、またしても運命のいたずらか。 いつの間にかゴルフ7の特別仕様車「ラウンジ」に乗り換える話に。 「ローンの審査をクリアしたらね」と念を押したのですが、まさかの審査通過。 とにかくVWが売れない時期だったこともあり、破格の条件で乗り換えることとなりました。 いまの妻と知り合ったのもこのクルマに乗っているとき。さまざまな思い出が詰まった1台です。 結婚して子どもが生まれ、そろそろウチもミニバンか!? ということで、メーカー認定中古車のゴルフ トゥーランに乗り換え。 先述の後輩が頑張ってくれたこともあり、今回も破格の条件で手に入れることができました。 納車早々、大雨のなか家族で伊勢神宮まで旅行したのも懐かしい思い出です。 ただ…トゥーランに乗り換えた2年後、下の子が生まれたのを機に、奧さんが「私もミニバンを買う!」と言い出し、新古車の日産セレナを購入。 家族での移動は、もっぱらセレナでとなります。 約1.6万キロで購入したゴルフ トゥーランも、気づけば約8万キロに。 10万キロあたりでそれなりの修理が必要になってきそう…ということもあり、リセールがあるうちに…という思いと、久しぶりにステーションワゴンに乗りたいということで、パサート ヴァリアントの認定中古車に乗り換えます。 人生初のディーゼルエンジン車。 「移動がラク・飛ばす気にならない・ゆったり乗りたい」という希望をすべて叶えてくれたクルマです。 いまの愛車の存在を知ったきっかけ 忘れもしない2012年のことです。 いまもお世話になっている主治医の工場の片隅に、ナナサンカレラ仕様・エンジンレスの状態で置かれていた1973年式ポルシェ911Sを「松村くん、買わない?」とのオファーを受けたのがきっかけです。 ボディは修復するから好きな色に塗って良いよ、エンジンは3.2カレラあたりのものを載せる予定だよ、とのこと。 金額を教えてもらったら頑張れば買えなくもないけれど、実はこのとき、別の911を買うつもりで現車確認も済ませていたのです。 GWが終わった5月半ばの週末、ポルシェ仲間の二人が某誌の取材を受けるということで同行させてもらいました(このときは完全にいちギャラリーです)。 そこで「やっぱり自分も乗りたい!」というテンションになり、現車確認を済ませていた911を契約すべくお店に連絡したところ、すでに売れてしまったとのこと…。 こうなったらヤケだ!と、勢いで主治医のショップに連絡をして「1973年式ポルシェ911S買います!」と伝え、頭金+72回ローンを組んで契約しました。 ボディカラーは悩みに悩んで24歳のときに購入した1973年式ポルシェ911Sに近い「パステルブルー」をチョイス。 ちなみに、この時代のポルシェの純正色です。のちに主治医から「プラレール号」と命名されることになります。 見た目のナナサンカレラ仕様はそのまま活かすことにして、エンジンは頼み込んでメカポン(メカニカルポンプ)にしてもらいました。 ノーマルの2.2Lではなく、エンジンを組んでもらう際にそれなりに手が入っています。 プラレール号(2号機)を手に入れた翌年あたりから、空冷バブルにより相場が上昇していくこととなります。あと1年遅かったら間違いなく買えませんでした。 プラレール号(1973年式ポルシェ911S)が納車された日のこと 私にとっての2代目1973年式ポルシェ911S「プラレール号」が完成した納車日をしっかりと覚えています。 2019年12月28日。 およそ7年半、その間に会社員からフリーランスになり、結婚して子どもが生まれ…と、これまでの生活パターンから大きく変化した時期でもありました。 ナローポルシェ仲間のKさんと緊張しながら主治医の工場の周辺を運転して工場に戻しました。 なぜ乗って帰らないのかって?このときは自宅に置き場所がなかったのです。 初代プラレール号は青空駐車で、日に日にクルマが傷んでいくのを見ていたので、今度は屋根付きの駐車場に止めたいという切実な思いがありました。 家族構成が変わったこともあり、奧さんとも相談した結果、プラレール号が保管できる場所を確保した家を建てることになりました。 その間、プラレール号は主治医のところに10ヶ月ほど居候させてもらいました。 プラレール号が完成した年は、1ヶ月に1度くらい乗りに行って主治医の工場の周辺をドライブして…という生活でした。 プラレール号が一生モノになるなと思うようになったのはいつか 正直「一生モノになるな」という確証はまだ持てていません。一生モノにするために、日々、必死に働いています。 こればかりは「なるようにしかならない」と思っているので、運を天に任せます。 愛車との一番の思い出について どれかひとつというなら、7年半掛かってプラレール号が完成して、その後1年間主治医のところに居候して、ようやく自宅が完成してガレージに収めた瞬間ですね。 ようやく安心して止められる場所が確保できたのと、自宅の敷地内にプラレール号があるという安心感。 長年の夢がかなった瞬間でした。 何しろ、プラレール号ありきでガレージを造ったので、大きなクルマは入りません。992型もギリギリだと思います。 これまで愛車を手放そうと思ったことは? 実はごく最近の話です。 先日車検から戻ってきたんですが、その費用が想定外に掛かってしまい「これが2年に1度はさすがにしんどいな…」と思ったことは事実です。 一瞬ですが「さすがにもう無理かも」という考えが頭をよぎりました。しかし、いまプラレール号を手放したら2度と買えないことは分かっていますし、これまで経験していないような喪失感に襲われるかもしれない、という怖さもあります。 家族がいちばん大切な存在であることは間違いないんですが、プラレール号は、「別名保存」な存在なんです。 これはこれでなくてはならない存在です。この感覚、男性の方なら理解してもらえるんじゃないかと…。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマ 欲しいクルマ プラレール号を手放してまで乗りたいというクルマは思い浮かばないです。 同じような考えをお持ちのオーナーさんを取材することはよくありますが、私もようやくこの境地に達することができました。 もし増車できるなら、最新モデルの911を手元に置いておきたいですね。 1世代前になってしまいましたが、去年(2024年)911ダカールに乗る機会があって、不思議と印象に残っているんです。 水冷911で「街中を走らせるだけでも楽しい」と初めて思えたモデルでした。 乗ってみたいクルマ まっ先に思い浮かんだのがポルシェ959です。 プラレール号の主治医から「959の真骨頂が、2つ目のターボが効いたところから」と伺っているので、その感覚を味わってみたいです。 でも、スペックだけでいえば、現行モデルの方が上回っているんですよね。時代の流れを感じます。 あと、人生のうちであと1回、ボロボロのクルマをレスキューしたいと思っています。 1台目はユーノスロードスター(ボロボロではありませんでしたが、年式相応にくたびれていました)、2台目がこのプラレール号。 3台目は何になるんでしょうね。時期とタイミングがくれば直観的に「これだ!」って分かるような気がします。 買いたかったけど諦めたクルマ 数え上げればキリがありませんが、スカイラインGT-R(BNR32)はとうとうご縁がなかったようです。 20代前半の頃、無理すれば買えたかもしれないというチャンスが何度かありました。 中古車としても少しずつこなれてきていましたし、さまざまなチューニングショップでもスカイラインGT-Rを扱っていましたから「お金さえあれば」ハイパワーのGT-Rに乗れた時代だったと思います。 いまではすっかりオリジナル志向になってしまったし、ベース車両が高くなりすぎましたよね。 2010年あたりまでは100万円以下のスカイラインGT-R(BNR32)なんてゴロゴロありましたから。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 愛車との理想の別れ方。 考えたくはないですね。できれば子どもたちに乗り継いでもらいたいです。上の子があと12年、下の子があと14年。 その頃、旧車を取り巻く環境がどうなっているのか想像もつきませんが、今よりも維持が大変になっているかもしれません。 少し前までEVシフトしていた各自動車メーカが、やむを得ずICE搭載車を今後も発売するという方向転換を余儀なくされています。 EV化の流れは止められないけれど、少し後ろ倒しになったことは確かです。旧車オーナーとしては古いガソリンエンジン車が少し延命できたような心境です。 これだけは避けたい別れは、やはり資金難での売却です。やはり自分の引き際は自分で決めたいのです。 あとは事故による廃車…。 オーナーにとって愛車とはどのような存在か? ひと言で表現するなら「アイデンティティー」だと思います。 10代のころから、気づけばアラフィフになった現在まで「自分=ポルシェ911」に対する想い入れがとうとうブレませんでした。 人生の半分以上の時間を魅せられてきているんです。 24才のときに初代プラレール号を手に入れ、挫折して、それでもやっぱりもう1度乗りたいという気持ちは変わらなかった。十数年間浪人しましたが、どうにか復帰できた。 そして、さまざまなオーナーさんを取材する機会に恵まれ、大切に乗っている方たちの考えかたや重視していることを知ることができました。 今回の企画は「現在の愛車を手放すつもりがゼロのオーナーに対して、あえて『別れ』について考えてもらう」といった趣旨ですが、やはり可能な限り側に置いておきたいという気持ちを新たにしました。 大変なこともいろいろありますが、どうにかこのまま現状維持ができたらと思います。できれば早く「大変じゃない状況」にしたいものです。

若きオーナーたちの愛車約140台が赤レンガ倉庫に集結!『YOKOHAMA CAR SESSION 2025 ~若者たちのカーライフ~ 』
旧車のイベント 25.04.23

若きオーナーたちの愛車約140台が赤レンガ倉庫に集結!『YOKOHAMA CAR SESSION 2025 ~若者たちのカーライフ~ 』

去る2025年4月20日(日)、横浜赤レンガ倉庫にてカーイベントが開催された。「YOKOHAMA CAR SESSION2―若者たちのカーライフ―」と名付けられたイベントは、車両の国産、輸入車、旧車のカテゴリーを持たないオールジャンルイベントとして幅広い枠のなかで行われる。縛りごとはただひとつ「年齢」である。 今回で2回目を向かえた同イベント、参加資格が35歳までの若者に限るというもの。取材をする筆者の年齢を考えるとなんとも耳の痛い資格制限ではある。もっとも、規定以上であっても出店者や協賛者としてであれば参加ができる。 それにしても思い切ったレギュレーションだ。とはいえ、考えてみれば多くのイベントで主催者としてお会いする多くの方々は、いい年齢であったりすることがほとんどだ。それであってもそうした主催者もかつては若手であったはずなのだ。そう、世にいうオヤジたちは追いやって自分たちが立ち上げてやる。そんな若者3人が中心になってはじめたのが「YOKOHAMA CAR SESSION」なのだ。 彼らは過去にも若手中心で行うカーイベントを行い、旧い欧州車などを自分の足として走らせてきた。その経験が実を結んだイベントともいえるだろう。実際出展しているカーショップや自動車関連企業の方々も彼らを子どものころから知っているので、半ば親目線のように見守り出展されている方もいる。 ■過去を振り返り、現代を見て取る 会場にはイベントタイトルの描かれた幕を横目に主催者の車両3台が並び、そこから左右と後方に参加車両が広がっているその数実に140台以上!これが若さか・・・。 開催は9時からとなっていたのだが、筆者が入場の画を撮りたいと早めに現地入りしたにも関わらず、すでにかなりの台数が整列していた。そのバリエーションも、いわゆる旧車をはじめとして、ネオ・クラシックと呼ばれる80年代後半から90年代の車両を中心に新車の高級車に至るまでと多種多様だ。 筆者の時代には20年以上前のクルマなどかなり意を決して購入しないととても所有できなかったものだが、最近はなかなかに思い切った買い物ができるようだ。これには過去と現在の環境の違いもあるのかもしれない。 今の彼らの年齢のころ、筆者たちの周囲にある旧車と呼ばれるクルマはキャブ車であったり、エアコンなどは皆無なクルマも多かった。ましてや今の旧車レベルの年代といえばもはや戦前車ということにもなりかねない。なるほど、そう考えれば90年代の車両が中心の彼らはかつてほどはさまざまな我慢をしながら乗り続けるということは少ないのかもしれない。とはいえ、苦労がないのか?といえばそんなことはなく、もちろんかつての我々同様、あるいはそれ以上に苦労をしながら維持に努めていることは想像に難しくない。 ■型にはまらないカーライフ 会場を見渡して感じるのは、筆者のよく知るイベントと「YOKOHAMA CAR SESSION」とでは少しイメージが異なっている点だ。同じオールジャンルでもメーカーや国、車種ごとに並んだりスポーツ色が出る傾向があるといったことが特には感じられない点だ。 というよりは、ミニやシトロエン2CV等の定番車両は数えるほどしかなく、代わりに点在するのが「よくあったな〜」とうなってしまうような珍車やマイナーモデルである。ボルボやサーブが列をなしてやってくるなど、メーカータイアップイベントでもないとなかなかお目に掛かれないかもしれない。 今回はそんなあまりクローズアップされてこなかったであろうクルマの話をオーナーから伺ってみた。 広島から参加のマツダポーター。かれこれ12年は所有しているというオーナーは、このクルマでは初参加になるという。まさかこれで広島から?との問いにフェリーでこちらまで来て自走ですとのことだ。帰路はさすがに今日中に戻るので新幹線で帰宅して翌週に取りに来るという。この意気込みがすばらしい! メタリックのワインレッドが目を引くパルサーEXA。それもキャノピーモデルはどれほど残っているのか?希少な1台であろう。手に入れて5年ほどというオーナーは昔、父親が乗っていたことからその影響だと語ってくれた。もっとも、ご本人が物心ついた頃には、周辺パーツのみが残されていただけだったという。しかしながら、その残った部品はしっかりと有効活用されているようだ。 出展者としてのエントリーだが、とはいえ変わり種に違いないのがこちらのU11型ブルーバードだ。SSSモデルなら“いかにも”なのだがこの個体は「SLX」というスタンダードモデル。購入時は外装も機関もお世辞にもいいとはいい難いコンディションだったそうだ。その状態からコツコツと直して、今では自社のTシャツのプリントにすらなるお気に入りになったという。 余談だが、こちらで出展されていたのは「H2C」というショップのドライバーズウェア。耳慣れない商品だが、話を伺うとウェアの肘や膝の部分にアクションプリーツとでもいうのだろうか、襠(マチ)が付けられており、厚く固い上着であってもステアリング操作がしやすいように加工がしてある。バイク乗りにライダースウェアがあるようにそうしたウェアが一着クローゼットにあってもいいのかもしれない。 筆者も同じクルマに乗っていることもあり、つい声を掛けてしまったのがこちらのプジョー106GTiのオーナーだ。他にもクルマは持っているが、106に乗っているとクルマでつながる交友関係が増えることが多いので楽しいと語ってくれた。 京都から参加されたというルノー19。購入してまだ1年ほどだそうだが、シトロエンVISA(ヴィサ)を所有しながら並行して購入したという。関西に転勤してきた友人から話を持ちかけられて今に至っているとのことだ。トラブルもあるが、とにかく走りが安定感があり、そこが気に入っているという。 会場内にはアストンマーティン ラピードやレクサスLSなども参加していたが、ラテン車のフラッグシップはこの1台だけだったのがアルファ ロメオ 166だ。オーナーはすでに5年も乗り続けているが、いまだにこの細くシュッとしたフロントフェイスが気に入っているとのこと。近年メッキギラギラの押し出しの強いグリルでないところがイタリアンの粋を感じさせる。 ただ塗装が特別色だったこともあり、その回転半径の大きさから狭い道はできるだけ避けるようにしたり、パーキングでは可能な限り他のクルマが来ないよう、遠くにひっそりと停めているとのことだ。 ■かつてそこにあったもの、これから湧き上がってくるもの 多くのイベントで国籍縛り、メーカー縛りや中には同一色の括りで集まるクラブやイベントを見てきたが、「年齢制限付き」のイベントにはは筆者も初めてお邪魔したかも知れない。面白いのはそうした試みから見えてきたこともあると感じている。感じているというのは、筆者はとっくに参加資格を失効した人間である上、それが本当にその通りであるかはわからないからだ。 世にいう「ジェネレーションギャップ」とか「世代間の隔たり」といったものではなく、使うものさしが違うのではないか?そう思わせるのだ。 今回筆者が話を伺ったオーナーのクルマはどこか王道ではなかったり、珍車の域にあるような部分を持つモデルを中心に話を伺った。それは確かだ。しかしながら、多くが定番と呼べるクルマよりも個性が優先されるモデルが多く感じられたからだ。 かつて自分たちはカテゴリーとして求めたのはスピードであったり、ステータスであったり「どこか今、流行ってるね」といった具合に、皆が同じ方向を向きやすい部分があったのではないだろうか。そう思えてならない。 このイベントで参加した彼らはそうした部分にとらわれず「各々が気に入ったから、思い思いに手にしていたら集まった時にこうなりました」の表れに思える。 それが良いか悪いかではない。 筆者の世代は同じ方向を向くことで大きな熱量を発していた。現代の35歳以下の熱量が個々の個性化に熱を帯びているということであるのだろう。 どちらもクルマに掛ける情熱は変わらない。いずれ新世代の彼らが、筆者たち年配側も巻き込んでより大きな熱にしていってくれることを期待してやまない。 [ライター・カメラ / きもだこよし]      

3代目ロードスターで焼き芋屋!? 人生初の愛車が「えるろこロド芋」になった理由とは
旧車の愛好家たち 25.02.24

3代目ロードスターで焼き芋屋!? 人生初の愛車が「えるろこロド芋」になった理由とは

横浜と聞くと、みなとみらい、桜木町、山下公園など、さまざまな観光スポット&デートスポットを思い浮かべる方が多いだろう。クルマ好きであれば、大黒PAを思い浮かべるかもしれない。 実は、横浜には観光スポット&デートスポットや大黒PAの他にも横浜ならではの名物がある。それが、ロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」だ。 ちょうどこの記事の取材をしようと店主に連絡を取っていたところ、さいたまスーパーアリーナけやきひろばで開催される「さつまいも博2025」に出店することを聞き、筆者も現地へ向かうことに。 ■横浜を拠点にサーキットにまで出没する焼き芋屋「えるろこロド芋」 今回、取材を行ったロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」は、横浜(みなとみらい、桜木町、神奈川区、新横浜など)を拠点とした焼き芋屋だ。 筆者は日常的に横浜みなとみらい、桜木町、山下公園付近をクルマで運転することが多い。また、仕事終わりにみなとみらい付近を通過するときに、赤い“焼いも”提灯を点灯させているロードスターの焼き芋屋「えるろこロド芋」を見掛けることがあった。 このときから「ロードスターの焼き芋屋?」と気になる存在であった“えるろこロド芋”は、取材時と開催時期が重なった「さつまいも博」のほかにも、スーパーGTが開催される富士スピードウェイなどにも出店している。そのため、さつまいものイベントやサーキットで開催されるレースなどで見掛けたことがある方も多いだろう。 そして、ついにずっと気になっていた“えるろこロド芋”に直接話を聞く機会を得た。 ■ロードスター×焼き芋の異色の組み合わせは偶然から生まれた ロードスター×焼き芋「えるろこロド芋」は、店主の“鬼ちゃん”こと井上昌(34歳)さんが営む焼き芋屋だ。早速、気になっていることを聞いてみた。 ●なぜロードスターで焼き芋屋をはじめようと思ったのでしょうか? 「ロードスターを主軸にして、何か面白いことができないかと思いはじめたのがきっかけです。ロードスターで何かをはじめるときに、ヒッチメンバーで道具を引っ張って商売をしても、他の人と被ってしまい面白くないと思いました。せっかく何かをはじめるなら、クルマ1台ですべてが完結するものがいいと思い、焼き芋屋という結論になりました。このクルマ1台で完結するという点に大きな魅力を感じて焼き芋屋をはじめました」 もともとロードスターで焼き芋屋をはじめようとしたわけではないという店主の井上さん。どのような経緯で今のスタイルに行き着いたのでしょうか? ●ロードスターで焼き芋屋をはじめたのはいつからなのでしょうか? 「2018年です。人生初の愛車であるロードスターは、最初の頃、普通のNCロードスターでした。走行距離5,000kmのロードスターを手に入れて、2〜3年で走行距離約8万kmまで走った後、焼き芋をはじめました。まさか、焼き芋屋になるなんて想像もしていませんでしたよ」 NCロードスターで予想していなかった焼き芋屋をはじめるときに苦労したことはあるのでしょうか? ●営業許可や営業準備など焼き芋屋をはじめるまでの準備が大変そうですね 「そこまで大変ではなかったです。焼き芋屋は、調理資格も必要ないので誰でも参入できます。いわば、野菜を販売しているのと同じ業態です。準備で大変だったのは、芋を焼く窯の準備です。実はこの窯はワンオフなんです。お客さんの中に鉄を加工している人がいたので作ってもらいました。本当に、いろんな人に支えられながらここまで続けてこれました」 焼き芋を買ってくれる人に支えられながら営業を続けているロド芋。地元である横浜やロド芋のリピーターを大切にしていることが言葉の端々から感じられる。ロードスターの焼き芋屋“えるろこロド芋”は、横浜以外の場所でも営業することがあるという。実はこのときに大変なことがあると話す。 ●ロド芋は横浜だけでなくサーキットなどでも出店していますが大変なことはありますか? 「標高が高くて、空気が薄い場所はとても大変です。例えば、富士(富士スピードウェイ)など、標高が高い場所で営業するときは、焚付の手順だけでなく焼き方も変わります。おそらく、一般的な焼き芋屋では、標高が高くて空気が薄い場所で上手く焼くことができないと思います。うち(えるろこロド芋)は、いろんな場所に行って営業しているので、標高が高くて空気が薄い場所でも上手く焼ける焼き方を身につけることができました」 標高や空気の状態で手順が異なる焼き芋の焼き方。芋を焼くときのこだわりがあるのか聞いてみた。 ●芋や焼くときのこだわりはありますか? 「こだわりと言っていいのかわかりませんが、常に蜜たっぷりで柔らかくて美味しい焼き芋を提供できるようにしています。なので、うちの焼き芋は美味しいです。加えて、うちで焼き芋を買ったときは、焼き芋とともに思い出を作ってほしいですね」 この話を聞いて、“美味しい焼き芋を焼くのが当たり前”となっている点にこだわりや職人魂を感じた。また、ロド芋では食欲を満たすだけでなく、“ロードスターの焼き芋屋で買った”という思い出づくりもして欲しいとのことだ。食べ物を買うだけでなく、購買体験そのものを楽しいものに変えてくれるのはロド芋の大きな強みといえるだろう。 ー以前、ロードスターのドアノブが取れてしまったというX(旧Twitter)のポストを見かけたのですが、今後も修理しながら大切に乗り続ける予定なのでしょうか?それとも、乗り換えを考えているのでしょうか? 「はい、このまま乗り続けます。乗り換えの予定も・・・ないですね」 文面では伝わりにくいが、乗り換える予定があるか聞いたときに長い間があった。このことからも、店主である井上さんの人生初の愛車であるロードスターへの思い入れが強いことが伝わった。  人生初の愛車であるNCロードスターを大切にしながら焼き芋屋を営んでいる「えるろこロド芋」。今回、さまざまな話を聞きながら、クルマを大切にしていること、焼き芋を買ってくれた人に思い出も提供していること、店主のロードスター愛などを感じることができた。 ■えるろこロド芋のベース車輌NCロードスターとは? マツダ NCロードスターは、2005年8月5日に発売された3代目ロードスター。歴代初となる3ナンバーボディや2.0Lエンジンの搭載など大型化が進んだが、各部にアルミを使用したことで車輌重量はNBロードスター(RSのABS装着車)から10kg増に留められている。 3代目NCロードスターは、商品の魅力を向上させながら走りを熟成させ、2015年までの10年間にわたり販売された。 ■ロド芋の出現情報とメニュー 横浜を中心に営業している「えるろこロド芋」の営業日は不定期だ。運良く見かけたときが購入タイミングとなる。 以前は、X(旧Twitter)で出店の告知をしていたが、現在は告知をせずにその日の天候などで営業するかを決めているとのことだ。また、先にも述べたように、スーパーGTなどのイベントがあるときにサーキットに出店していることもある。 いずれにしても、いつどこに出店するかは直前または当日にならないとわからないのがロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」だ。もし、横浜の街中やサーキットなどで見かけたときには、焼き芋を買って、ロードスター×焼き芋の写真を撮ってみてはいかがだろうか。 ちなみに、えるろこロド芋のメニューは、次のとおりとなっている。 【ロードスター×焼き芋「えるろこロド芋」のメニュー】 ◆焼き芋・Sサイズ 600円・Mサイズ 900円・Lサイズ1,200円 ◆干し芋・100g 1,300円 ※干し芋は街中での販売で購入できるときと購入できない場合がある※いずれも2025年2月時点における価格※上記は街中で販売するときの価格 ■横浜で見掛けたときはぜひとも食べてもらいたいロド芋 現在不定期での営業をしている“えるろこロド芋”は、いつどこで出店するかわからない神出鬼没の焼き芋屋だ。ただ、1つわかっているのは、横浜近郊に出現することが多いということだろう。 横浜に観光へ行ったときや横浜にドライブデートしにいったときに、ロードスターの焼き芋屋“えるろこロド芋”を見かけたら、ぜひ買って食べてもらいたい。 筆者も以前購入したことがあるが、蜜たっぷりで甘くて柔らかい美味しい焼き芋だったのを今でも鮮明に覚えている。見て楽しめるだけでなく食べても美味しいロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」は、おすすめの焼き芋屋といえるだろう。 ◆えるろこロド芋の店主“鬼ちゃん”の各種SNS・X(旧Twitter):https://x.com/EL_Loco2018・Instagram:https://www.instagram.com/rodoimo・TikTok:https://www.tiktok.com/@oniityan045 [ライター・画像 / 齊藤優太]

不変のオーテック愛「AOG湘南里帰りミーティング2024」は愛車とオーナーの同窓会だ!
旧車のイベント 24.11.26

不変のオーテック愛「AOG湘南里帰りミーティング2024」は愛車とオーナーの同窓会だ!

自動車メーカー主体のオーナー参加型イベントは近年多く開催されている。 日産自動車のカスタマイズカーを取り扱う「日産モータースポーツ&カスタマイズ」の前身であるオーテックジャパンはその先駆けともいえる。 AOG湘南里帰りミーティングは初開催から20周年という節目となる。 今回はイベントの模様と参加されたオーナーと愛車について紹介しよう。 ■1.「AOG湘南里帰りミーティング」そのゆえんとは? まずはイベントタイトルについて。 「AOG」とは“オーテック オーナーズ グループ”の頭文字になる。これはFacebook上でオーテックジャパンが管理しているオーナー向けのプライベートグループになる。 そのグループメンバーであるオーナーが主役の大規模な“オフ会”が、このミーティング開催のきっかけとなっている。 「湘南里帰り」については、日産モータースポーツ&カスタマイズの所在地が湘南であり、ここで開発・生産を行ったクルマたちにとって湘南は「故郷」となるのだ。 このイベントは事前エントリー制となり、事務局から招待状が届いたオーナーだけが参加可能となっている。 今回インタビューを行ったオーナーのなかにも毎年応募しているが、参加できる年・できない年が過去あったとのこと。 もし今回参加が叶わなかったオーナーも、来年受かるチャンスがあるかもしれないので再びエントリーをして欲しいと思う。 なお、このイベントは関係者のみが入場することができるいわば「秘密の花園」である。 残念ながらエントリー資格のある愛車を手にしていない筆者は、このイベントの存在は知りつつも謎に包まれた状態であった。今回、この「秘密の花園」に入れる機会を得て、非常に興奮していたことを正直に白状しておく (笑)。 ■2.オープニングセレモニーに日産ファンくぎづけ!?  今回、特別ゲストとしてスーパーGT GT500にて23号車MOTUL AUTECH Zのドライバーを務める千代勝正選手、ロニー・クインタレッリ選手 2024 AUTECHレースアンバサダー 高岡みほさんが参加された。 その登場時には、神奈川県警で現役のR33スカイライン 4ドアGT-Rのパトカーが先導して、C28型セレナ オーテック スポーツ スペックを千代選手自らハンドルを握って登場。 登場BGMは日産自動車吹奏楽団の生演奏によるドラマ「西部警察」のテーマ曲と、随所にこだわりが感じられた。 ■3.勢揃いした最新モデルと海外専売モデル 希少なニスモヘリテージ展示も  今回オーテックとニスモの最新モデル、海外向けパトロール (日本名サファリ)のカスタムカー スーパーサファリが展示された。 両ブランドの最新モデルが一堂に会することは、なかなかないため現役オーナーたちもくまなく観察していた。 また、ゲストたちも展示車輌に触れ、参加者と談笑しながら写真撮影に応じアットホームな雰囲気であった。 また、普段触れる機会がない海外専用車となったパトロールのカスタムカー「スーパーパトロール」も今回披露された。 日本名サファリで販売されていたモデルのため、記憶にある方も多いと思う。 今も海外では現代の要求に合わせてバージョンアップされて現役で販売中だ。 ニスモ ヘリテージとしてはS14シルビアをベースとした270R、Z33フェアレディZをベースとしたバージョン ニスモ タイプ380RSが展示された。 270Rは旧ニスモ社創立10周年記念として、ニスモとして初めてのストリート向けコンプリートカーになる。 バージョン ニスモ タイプ380RSは、旧ニスモ社と旧オーテックジャパン社の本格的コラボで生まれた初のニスモロードカーとなる。 この380RSは、レース用エンジンのデチューン版VQ35HR改が搭載されている。 ■4.オーテックモデルのオーナーは生粋のマニアだらけ!? ここからは参加車輌のなかから、筆者が独断と偏見で選んだクルマを紹介していきたい。紹介するクルマたちについて、オーナーにも話を伺った。 お話を伺ったすべてのオーナー方は、こだわりポイントや愛車にまつわる話、それぞれのグレードや筆者が知らなかったオーテックモデルのみに採用されている特別仕様についても教えていただけた。 ※さまざまなイベントが目白押しのなか、時間を割いていただきインタビューに応じていただきました。ご協力いただきました皆様、この場を借りてお礼を申し上げます。誠にありがとうございました。 ●テラノ アストロード(R50型) 今回唯一のテラノで参加したオーナーは96年に新車で購入されて現在14万kmを走破。 元々は初代テラノにお乗りで、別のクロカン車に乗り換え予定だったが予定変更で現在の愛車を購入されたとのことだ。 この年代のRVは、ディーゼルエンジンを購入する人が多かった。 しかし、ガソリン車を購入されたため、ディーゼル規制の影響を受けずに済んだ。 勘の良い読者なら気づかれたかもしれないが、サイドのデカールが装着されていない。 その件について伺ったところ、デカールが朽ちてしまうのが嫌で、早々に剥がしたとのことだった。 長い付き合いになることはその当時考えてなかったようだが、結果としてきれいなボディを維持できることに繋がっている。 購入時のエンジン選択、デカールの撤去など結果的に愛車と長く過ごせる結果に繋がっていることは運というよりも運命なのかもしれない。 また、今回カタログもお持ちだったため、カタログ写真と実車を見比べることができた(ありがとうございました!)。 ●アベニールサリュー エアロエクスプレス ステージ2(W10型) 近年、街中で出会う機会が少なくなってしまったアベニールサリュー。 筆者自身、今年はイベント会場で見かける機会の方が多かったほどだ。 今回、話を伺ったこちらの車輌は、購入後まだそれほどの年月が経っていないとのことだ。 しかしオーナーのアベニールサリュー歴はとても長く、新車でGT(4WD ターボモデル)を購入。 土地柄、サビの影響を受け、買い換えるタイミングでも同じくアベニールサリューを選ばれており、今の愛車は3台目とのことだ。 見かける機会が減ったと先述したとおり、買い替えたくても選択肢どころか、同じモデル自体が流通していないことが増えてきた。 しかしこちらのオーナーのように、素敵な巡り合わせが起きることに驚くばかりだ。 ●ステージア 260RS(WC34型) GT-Rのステーションワゴンともいえるステージア260RS。 RB26型エンジンだけでなく、駆動系もGT-R譲りかつステージアに合わせた補強も行われた伝説的な1台ともいえる。 ニスモのデカールに目が行く260RSは新車時からのワンオーナーである。 この里帰りミーティングも初期から参加をされているとのことだ。 ついついデカールに注目してしまいがちだが、脚元を見て驚いたのはなんとR35 GT-Rのブレーキに変更されている点だ。 エンジンにも手が加えられており、チューニングやカスタムが好きなオーナーは、常にその時代に合わせたバージョンアップをさせて今まで連れ添ってきたとのこと。 最新技術を用いての進化に、今後も期待をしてしまう1台であった。 ●ステージア アクシス350S(M35型) オーテック社は「アクシスシリーズ」を展開していた時期がある。 ステージアにも当然のように設定はされていたが、ハイパフォーマンスモデルとして350Sというグレードも用意されていた。 この350SはV6 3.5Lの自然吸気エンジンにマニュアルトランスミッションを搭載している、M35ステージア唯一のマニュアルモデルになる。 初代の260RSに続くハイパフォーマンスワゴンではあったが、販売台数は芳しくなく限定車ではないが100台も販売されていないとのことだ。 オーナーは長距離移動する機会が増え、便利でラクに移動できる、大排気量のV6エンジンかつマニュアル車という点が決め手となり手に入れたとのこと。 一見ノーマルに見えるが、足回りはZ33のブレーキやホイールに変更されている点にも注目だ。 マフラーはフジツボのオーダーシステム「ビスポーク」を利用して、好みに合わせて製作されている。 音色、リアビューの見た目はもちろんのこと。愛車家として大切な洗車時の拭き取りで重要なウエスの入りやすさにもこだわれたとのことだ。 ●エルグランド ロイヤルライン(E50型) 初代エルグランドに設定されていた、VIPが快適に移動するため、4名乗車仕様ちなる。 現代でこそミニバンもショーファーカーとしての地位を築いているが、この当時はまだ人数が乗れることに重きを置かれていた。 これまでロイヤルラインの実車を見る機会はなく、今回初めてであった。 オーナーはE50型エルグランドが好きで、過去ロイヤルラウンジ以外のグレードも所有されていたとのこと。 今回取材したロイヤルラウンジはなんと2台目とのことだ。 オーテックにおいては、VIP向けのカスタムをセドリックやプレジデントベースで行ってきた。 その経験が生かされており、細やかな点にも驚くほどの配慮が散りばめられていた。 スライドドア横には傘を収納するホルダー、シートには収納可能なテーブル、リアのラゲッジからの音を遮るためのパーテーション、日産純正空気清浄機のピュアトロンも設置されている。 ミニバンはラゲッジとつながっているのが当たり前と考えていたが、セダンのように空間を隔てる配慮がされている。 すべては後席に乗るVIPのためのおもてなしの環境となっている。 フロントエンブレムはボディーカラーに合わせたカラーリングがされており、リアに付くオーテックジャパンのステッカーも専用品とのこと。 大型高級ミニバンの先駆けとしてデビューしたエルグランド。 さらにブラッシュアップさせ、細部にもこだわりが詰まっていることを今回知ることができた。 ●エルグランド VIP(E51型) ロイヤルラインのオーナーに話を伺った際、ご一緒だった方はなんと元ロイヤルラインオーナーであり、今回2代目E51型エルグランド VIPで参加されているオーナーだった。 オーナーにお願いして愛車を拝見すると、2代目となりさらに豪華になった内装がそこにはあった。 シートは本革パワーシートに進化しており、リアパーテーションにはスピーカーが追加されていた。 両側スライドドアになったことから、傘のホルダーは運転手が格納しやすいよう、運転席側のスライドドア部に移動されていた。 オーナー曰く、4人乗りのため友人から「この見た目で4人しか乗れないなら、大きな軽バンやないか!」と突っ込まれたとのことだ(笑)。 普段この愛車でゴルフなどを楽しまれており、その長距離移動時にリアシートに乗る機会がある。 少しリクライニングさせ座った際、革シートになったことでブレーキング時、体が前に滑ってしまうことがちょっと悩みの種であるとのことだ。 備え付けのキャビネットにはスピーカーも内蔵されている。 金属製の大型ステップは乗り降りをする際に安心感を持って乗ることができるお気に入りのアイテムとのこと。 ロイヤルライン、VIPともに外装はライダー仕様にしており、外観からはわからないようにカスタムを施されている点がこだわりとのことだ。 ●シルビア オーテックバージョン K's MF-T(S14型) S14シルビアにもオーテックバージョンがあったことをご存知だろうか? 恥ずかしながら筆者は2年ほど前に初めて知った。 その外観上の特徴としては、大きなリアスポイラーにある。 今回取材した車輌は、リアスポイラーはオーテックバージョン、リアバンパーは社外のものを組み合わせており、今も現役でサーキット走行を楽しまれているという。 そして、オーナーにとって初めての新車であり、愛車なのだとか。 なぜオーテックバージョンを選んだのか尋ねてみると、購入後、チューニングをしたい考えがあったなか、オーテックバージョンは最初からベースとなる基準車に対して、タービンとコンピューターが変更されたチューニング状態されていることが決め手となったそうだ。 最初の愛車として、メーカー保証付きチューニング車というのは信頼感においては抜群だろう。 現在もその進化は続いており、サーキット走行と街乗りでの乗り心地を両立するセッティングについて研究をされているとのことだ。 ●シルビア オーテックバージョン(S15型) 前述のS14シルビア オーテックバージョンがターボチューンだったのに対し、S15シルビアではNAチューンを施してリリースされた。 NAエンジンに基準車ではターボのみに設定があった6速マニュアルトランスミッションが組み合わせられた。 新車から乗り続けているオーナーは、過去の愛車遍歴からNAフィーリングが好みだということに気づかれた。 このクルマは、メーカー保証付きのNAチューンモデルという点に惹かれ購入されたそうだ。 ドアミラーやテールレンズを好みのモノにカスタムを行なっている。 オーナーの愛の深さは、愛車だけにとどまらず「オーテック」へも向けられている。 愛車のフロントウィドウには、AOG里帰りミーティングの前身イベントともいえる「オーテックオーナーズフェスティバルin大磯」開催時のパンフレットが飾られていたのだ。 もちろんそのイベントにも参加されており、イベント企画の愛車との記念写真も飾ってあった。 この当時はシルビアは4台ほどしか居なかったとのことだ。 さらにそのイベント時に配られたネックストラップも今回持参されていた。 オーテックへの想いはおそらく、会場内で1番だと断言しても良いと筆者は感じたほどだ。 ■5.里帰りミーティングは年に1度の同窓会だ! 今回お話を伺ったオーナー方から共通のワードを聞くことがあった。 「一年に一度ココで会うのが恒例行事」 「毎年開催される同窓会」 長期に亘ってメイド イン オーテックを愛車としているオーナー同士は共通の価値観、周波数が合う感覚があるのだろう。 今回お話を伺ったシルビア、260RSオーナーのグループは里帰りミーティング初期から参加されている方々だ。同じ場所に集まって止めているのは「チームパーキング」という制度を利用することで可能となっている。 これは、事前申請することで、まとまって並べられるエリアが用意されている。 多くの車輌と人がいる会場内は事故防止のため、車輌移動が禁止されている。 事故を防ぎつつも並べられるよう、オーナー視点でも考えられた思いやりが感じられるサービスとなっている。 出会った当初は260RSオーナーが多数だったが、今は乗り換えて車種が変わっている方もいる。 しかし乗り換えた車輌もオーテックやニスモというオーナーも多い。 今も同じ「オーテックオーナー」としての交流は続いている。 車種や世代が変化しても、オーテックモデルに乗り続けるオーナーが多いのは、クルマはもちろん今回のようなイベントを行う「オーテック」が持つ魅力によるものなのだろう。 ■6.まとめ AOG湘南里帰りミーティングは、オーテックだけでなくニスモブランドも加わり、これまでにない規模の大イベントとなった。 両ブランドともに明確な個性とこだわりを持ち、その魅力は多くのオーナーを虜にしている。 そんなオーナーたちにとっても湘南の地は第2の故郷となり、年に一度仲間が集まる“里帰り”先になっていると感じた。 多くのオーナーと愛車が今後も里帰りできるよう、末永く続いてもらいたい魅力的なイベントであった。 [ライター・画像 / お杉]

「愛車遍歴の1台が左ハンドル+MTっていいかも」という話
旧車の魅力と知識 24.08.29

「愛車遍歴の1台が左ハンドル+MTっていいかも」という話

筆者だけの思い込みかもしれないが、ハンドルの位置が右から左になるだけでずいぶんと景色が変わるものだと驚くことがある。 さらにMTともなれば、右ハンドルのときは左手で操作していたものが、左ハンドルになると右手に変わる。たったそれだけのことでも、運転する行為そのものが新鮮に思えてくるから不思議だ。 右ハンドル+MT車の選択肢が減りつつあるなか(それでもシビックRSのようにMTのみのモデルがいまだに発売されたりする)、左ハンドル+MT車ともなればもはや絶滅危惧種だ。 それなら、乗れるうちに乗っておいてもいいかも…。今回はそんな話だ。 ■初めて運転した左ハンドル+MT車の思い出 人生初の左ハンドル+MT車はというと、当時、最新モデルとして販売されていた993型のポルシェ911だ。当時ハタチ。なんでそんなクルマに乗れるんだ!と突っ込まれそうなので先に白状しておくと、当時の正規ディーラーに、友人と連れ立って「運転させてください」と乗り込んだんである。いま考えると、若葉マークがようやく外れたばかりの若者によく試乗させてくれたと思う。 「準備するので中で待っててください」と、ショールームに案内され、色っぽい美人のお姉さんが出してくれたディーラー物(?)のコーヒーを味わっていると、メカニック氏が「準備できました。どうぞ!」と、ポルシェ911をショールームの前に横付けしてくれていた。 自分から乗りたいといってショールームまで来てみたものの、クラッチミートが難しいとさんざん聞かされてきた911、果たして自分に運転できるのか!? ここまで来たら後には引けない。 覚悟を決めて運転席に乗り込み、シートポジションを調整する。左手でキーを捻り、背後で空冷エンジンがウォン!!と目覚める。クラッチペダルを踏み、おそるおそる右手でギアを1速に入れた。なんじゃこのガッシリしたシフトノブは!サイドブレーキを下ろし、いろいろクラッチミート。911はアイドリングのままクラッチミートするんだっけ…。するするっと…正しくはおそるおそる左足を床から離す。すると…動いた!エンストせずに発進できた! 2,30分くらいだったか、夢中で911を走らせた。実はこのとき、実はいろいろあって、結果としてホロ苦い思い出となってしまったのだけど…。 ■30万円のゴルフ2 GTIを買い逃した話 都内でウィンドウフィルムを施工するアルバイトをしていたおよそ30年前、勤め先の専務から「ゴルフ2 GTIのMTの売り物があるんだけど、買わない?3ドアの左ハンドル。30万円でどう?」と話を持ち掛けられた。 いまなら飛びつきたいくらいの話だけど、当時はまだ「ゴルフはダサい(すいません)」というイメージしかなかった。どうもハッチバックのクルマが好きになれなかったし、この時点でゴルフを運転したことがなかったことも関係していたように思う。このときハタチ。まだまだ頭でっかちだった時代だ。 アルバイト先であるフィルムの施工場に入庫してくるのは、メルセデス・ベンツやアウディ、当時流行りのボルボのエステート、たまにポルシェやジャガーといった高級車ばかり(在籍中、なぜかゴルフのフィルム施工は機会がなかった)。そんなわけで、仕事とはいえ高級車に触れる日々。だからこそ、余計にゴルフがチープに思えたのかもしれない。…というわけで、30万円のゴルフ2 GTIを手にすることはなかった。 それからおよそ4年後、就職した会社の社長が発売されたばかりのゴルフ4 GTI(MT)の新車を手に入れ、打ち合わせに同行した際には運転させもらった。このとき、初めて実際にゴルフを運転したことでようやくその魅力に気づいた。その後、ゴルフ4ワゴンを手に入れて以来、現在のゴルフ トゥーランまで都合6台のゴルフに乗ることになろうとは。 ■身近なところに左ハンドル+MT車があった! これまで、仕事を通じてさまざまな左ハンドル+MT車を運転する機会に恵まれた。ちなみに、現在、趣味車として所有しているクルマも左ハンドル+MT車だ。ふと思うのは、若いときのホロ苦い経験を埋め合わせたかったのかもしれない。 いまや、プライベートでもたびたびお邪魔している、東京都青梅市にある「Garage, Café and BAR monocoque/ガレージ・カフェ&バー モノコック」の駐車場に1台のハッチバックモデルが目に留まった。 店舗を訪れた人であれば「あぁ。あのクルマね」となるかもしれない。 2011年式 ルノー トゥインゴ ゴルディーニ ルノー・スポール。まさに「左ハンドル+MT車」そのものだ。 同店のマスターであるRYOさんに伺ったところ、走行距離は約10万キロ、価格はASKとのことだが、100万円前後(車検2年付き)を考えているらしい。 内装はというと、エアバッグ付きの純正ステアリングの代わりにOMP製のディープコーンステアリングが、運転席にはスパルコ製のフルバケットシートが装着される他、リアシートやカーペット類が取り外されており、実にスパルタンだ。また、タコメーターの隣にはPIVOT製のdigital monitorが装着され、水温・エンジンの回転数・電圧を表示することができる。 アラフィフ世代以上のクルマ好きにとっては、どこかで見覚えのある仕立てではないだろうか。かつて、スターレットやマーチ、シビック、CR-Xなど、国産ホットハッチで愛車をこんな感じに仕上げて峠道を攻めたり、朝から晩まで(翌日の明け方まで?)乗り回していた人も少なくないはずだ。 折からの旧車人気の影響を受けて、いずれのクルマは信じられないような価格帯になってしまった。オリジナルが是とされ、おいそれとカリカリにチューニングができない雰囲気ができつつある。そもそも、いじりたくても部品そのものがレアになり、安価に仕上げること自体が夢物語になってしまった感がある。 その代わり…ひと昔の輸入車が手頃な価格で手に入るようになってきた。その代わり、かつて高嶺の花だった「ガイシャ」が手頃な価格帯となり、一時期は「タダ同然で引き取ってきた」国産旧車がとんでもない相場で取り引きされる時代となった。 であれば、比較的手が届きやすい輸入車、しかも左ハンドル+MT車がその枠に含まれるのなら…これは楽しんだ者勝ちだと思う。特に、若い世代の方たちにとっては「左ハンドル+MT車+内燃機関のクルマを安価で楽しめる」またとない機会かもしれない。 ●2011年式 ルノー トゥインゴ ゴルディーニ ルノー・スポール ・価格:ASK(100万円前後を予定)・走行距離:約10万キロ・左ハンドル/5速MT・車検2年付き・BS Speedline ホイール・Pro Racing サブコン・BC Racing 車高調・PIVOT digital monitor・ブレーキ冷却ダクト・ボディ補強・アーシング・DIXCEL 特注スリットローター/Zタイプ ブレーキパッド・実測160馬力 ●問い合わせ先:クルマ&バイク好きのオアシス「Garage, Café and BAR monocoque/ガレージ・カフェ&バー モノコック」 ・Facebook:https://www.facebook.com/monocoquecafebar・Instagram:https://www.instagram.com/monocoque.cafebar/・営業時間:11:00〜23:00・定休日:不定休(facebook、Instagramに情報あり)・住所:東京都青梅市畑中1-126-1・TEL:0428-84-0644 ■まとめ:愛車遍歴の1台が左ハンドル+MTっていいかも 新車で買える左ハンドル+MTというと、基本的には輸入車、または逆輸入車だ。正規ディーラーで販売されているクルマで見ていくと、アバルトF595(448万円)あたりが現実的なところだが、それでもコミコミで500万円コースだ。正直いって決して安いクルマとはいえない。 しかし、中古車であれば、それこそピンからキリまである。カーセンサーで調べてみたら、もっとも高価な左ハンドル+MT車は1996年式のフェラーリF512M(RKスペシャル)の1億5千512万円(!)。そういえばこのフェラーリ、某ミュージシャンの元愛車だった個体のはず。反対に、もっとも安いクルマは、2004年式フィアットパンダの33万2千円(いずれも支払総額)だった。 欧州車を中心に、コミコミ100万円以下で買える左ハンドル+MT車もそれなりに選べる。安く買える分、低年式や過走行の個体も含まれている。そこはある程度割り切って「壊れたら、その都度直していく」くらいの心持ちの方がいいかもしれない。 2024年の時点で、新車で購入できる左ハンドル+MT車が限られている以上、10年後にはいまよりも確実に選択肢が限られていることは間違いない。交差点の右折が大変(特に対向車の右折待ちがいる場合)、駐車場などの料金所が左ハンドルに対応していない等、不便に感じることも少なくない。 しかし、左ハンドル+MT車には、それを補って余りある魅力があると個人的には感じている。右ハンドル+MT車も充分に楽しいけれど、ちょっと変化が欲しいと感じたら、左ハンドル+MT車を選択肢に入れてみてほしい。初めてMT車を運転したときのような、新鮮な感覚、そしてワクワクする気持ちが蘇ってくることは間違いない。 そして、行きつけのカフェに立ち寄って居合わせた人たちとクルマ談義を楽しむ…。きっと充実した時間を過ごせるはずだ。 [画像・Porsche、Volkswagen/撮影&ライター・松村透]

「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」について考えてみた
旧車の魅力と知識 24.08.01

「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」について考えてみた

生きていると「運命としか思えない」できごとに遭遇することがある。単なる偶然かもしれないし、本当に運命だったのかもしれない。 日本語に訳すと「幸運は用意された心のみに宿る」と説いたのは、フランスの細菌学者であるルイ・パスツールだった。 起こるべくして起こる。これこそ運命だといえる。 しかし「起こるべくして起こる」ことが幸運なエピソードだとは限らない。自分の意思とは無関係に不本意な運命に出くわしてしまうことだって(少なからず)ある。 ■誰にでも「不本意な運命が起こるかもしれない」という事実 年間、100人単位でオーナーインタビューを行っていると、良い方と悪い方、それぞれの「起こるべくして起こった」エピソードに接することになる。 1度は金銭的な事情で手放し、必死に働いて見事にカムバックしたオーナー、コツコツ仕上げてきた愛車がもらい事故で廃車になってしまったオーナー、愛娘の中学受験の費用を捻出するために愛車を手放したオーナー。起業するためあえて退路を断つべく、相棒ともいえる愛車を手放したオーナー。そして高齢のため、クラシックカーの運転が厳しくなり、最新モデルに乗り替えるべく断腸の思いで手放したオーナー…。 このように、ざっと挙げただけでもこれだけある。まさに、人それぞれにエピソードがあることに気づかされる。 そして、改めて振り返ってみると、不本意な理由で愛車を手放した経験があるオーナーが思った以上に多かった。特に多かったのが結婚や出産を機に泣く泣く…というパターンだったように思う。なかにはこの段階でクルマ趣味を諦めたという方もいた。 そう考えてみると、20年、30年、あるいはそれ以上、1台のクルマととことん付き合っているオーナーの存在が奇跡かもしれないとすら思えてくる。 ■親友が所有していたマツダ RX-7の話 もう数十年前のことだが、学生時代の親友がマツダ RX-7(FC3S型)で気になる中古車があるから一緒に観に行って欲しいと頼まれた。最寄り駅から徒歩で20分くらい掛けてバイパス沿いにある小さな中古車販売店に2人で足を運んだ記憶がある。 ずっと欲しいと思っていたクルマ(FC3Sの限定モデル)が手頃な価格で売り出されていたこともあり、親友はその場で即決。確か納車のときも一緒に行ったと思う。平成1ケタ、1990年代前半といえば、スポーツ系モデルのチューニングが盛りあがっていた時期だ。親友もご多分に漏れず、手に入れたRX-7をチューニングしていったことはいうまでもない。 それから1年ほど経ったある日、深夜の湾岸線でエンジンブローを起こしたのを機に、その後はゼロヨンの世界へと傾倒していく。やがて、いまでは完全に絶滅した街道ゼロヨンにも参戦するようになった。その頃には当時としては珍しい13B型の2ローターエンジンにブリッジポート加工が施され、親友のRX-7は独得のアイドリング音を轟かせていた。いまでも「ドッドッドッ」という心臓の鼓動のように一定のリズムで刻むアイドリング音、そして走り去る際の残り香のような濃い生ガスの匂い(※臭いではない)を思い出すことがある。 まさに親友のこだわりと熱量と給料がこれでもかと注がれたRX-7、あるとき再びエンジンブロー。今度ばかりは直そうにも資金が捻出できない。親友としては不本意だったと思うが、結局、最後はそのRX-7も手放した。 それから数年後。たまたま2人でいるとき、偶然このRX-7と再会することになった。親友が青春と当時の給与をほぼすべてつぎ込んだRX-7は別のオーナーが所有し、まったく別の姿になっていた。それでも、そこかしこに当時装着していた部品が残されていたのでお互いすぐに分かった。 何とも複雑な心境ではあったが、せっかくだからということで親友と元愛車であるRX-7とのツーショット写真を撮った。このときのデータはいまでも手元に残されているが、撮影しておいてよかったと思う。結果として、このときがRX-7との最後の対面となってしまったからだ。その後、このRX-7がどうなったのかは分からない。 ■「いっそこの世から葬ってしまった方が引きずらなくて済む」という選択 壊れて修理に高額な費用が掛かることが分かり、「知らない誰かのところに嫁いでいじくり倒されるくらいなら、いっそこの世から葬ってしまった方が引きずらなくて済む」という涙の決断を下した方もいた。 一部の方には反発を食らうかもしれないが、事あるたびに「あのクルマいまどうしているのかな」と思い悩むくらいなら、いっそスクラップ、廃車にしてしまおう。この方が気持ちに区切りがつけられる。終わりを見届けたことで(クルマには申し訳ないけれど)諦めがつくということなのだろう。 なかにはスクラップ場まで同行し、愛車との最後の別れを惜しんだという方もいる。ちなみにこのオーナー、せめてもの思い出として、2度と使うことはない愛車のキーを手元に残し、大切に保管しているそうだ。 ■「あえて愛車に深入りをしない」という接し方もある 取材した方のなかには「失ったときのショックが計り知れないから、あえて愛車に深入りしない」と考えているケースもあった。それはそれでありかもしれないと思った記憶がある。 よくよく話を伺っていくと「若い頃、憧れのクルマを手に入れて楽しんでいたある日、ふと浮気心が芽生えてしまい、別のクルマに乗り換えてしまった」のだという。いわゆる魔が差したというやつだ。 この先の展開はクルマ好きの方であればおおかた予想がつくだろう。 新たに迎え入れたクルマにはすぐに飽きてしまい、買い戻そうにも元愛車は売約済みで別のオーナーが所有しているという。結局、二束三文で売り飛ばすことになり、「つなぎのつもりで」手に入れたアシ車に乗り替えてからずるずると10年以上が経過…。現在の愛車にはそれほど想い入れがない分、飽きることもなければ、わざわざ手を加えようとも思わないそうだ。 ただ…、ときどきふと思い出したようにネットで検索して元愛車がどうなっているか調べてしまうのだという。どこかの誰かが所有しているのか、廃車になってしまったのか、それとも海外へと流れたのか…。しかし、いまだに手掛かりはつかめずにいるそうだ。 この呪縛から逃れるためには元愛車よりも惚れ込めるクルマを見つけるしかないのだが、こればかりは「運命の出会い」次第なのでジタバタしたところでどうなるものでもない。そんな堂々巡りを繰り返しているうちに「あえて愛車には深入りしない」という悟りに近い境地に達してしまったのだという。 ■まとめ:「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」は若いうちに経験すべき? 多くの辛い経験がそうであるように、最終的には時間が解決、あるいは忘れさせてくれるような気がする。時が経つにつれて美しい思い出へと補正されることもあるだろうし、リベンジするべく、奮起する時間的な余裕もある。 しかし、ある程度年齢を重ねてからの「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」は予想外にダメージが大きい。所有していた愛車との時間が長ければ長いほどダメージの度合いも大きくなる。それならば、いっそこの世から葬ってしまった方が…と思ってしまいたくなる気持ちも理解できる。 老いも若きも、遅かれ早かれいずれ愛車との別れの日が必ず訪れる。来るべき日が訪れてしまったとき、できることなら運命とやらに翻弄されるのではなく、自分の意思とタイミングでその日を迎えたいものだと思う。 [撮影/松村透、画像/Mazda,Mercedes-Benz、ライター/松村透]      

30年近い苦悩の果てに「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」と気づいた話
旧車の魅力と知識 24.06.01

30年近い苦悩の果てに「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」と気づいた話

「愛車」と呼びたくなるクルマって何かと気を遣うよな…と思うのは自分だけだろうか。 汚れたり、傷がイヤであれば「乗らないに限る」となってしまう。それでも皮肉なもので、ガレージで眠らせたままでもクルマは傷んでいく。 見た目の程度は極上車であっても、長期間にわたって塩漬けにしていてれば、タイヤが硬化してブレーキも固着する。エンジンまわりや燃料ホースなどの機関系も総点検(大がかりな整備)が必要になるだろう。 オーナーの考え方や年代、モデルによって差があるにせよ、あれこれ気にしはじめたら本当にキリがない(自分の場合)。 どう転んでも、工場からラインオフした瞬間のコンディションを維持するのは不可能なのだ。 そんなことは頭ではそれは分かっている。分かっているのだけど…。「いい落としどころ」や「妥協点」が見出せず、気づけば30年近く、ずっとモヤモヤしてきた。 ■師はコンクールコンディションで3度ウィナーになった人 少年時代に強い影響を受けた人がいた。10代後半から20代前半に掛けてお世話になったアルバイト先の社長さんだ。ポルシェ911をこよなく愛する方だった。過去形なのは、数年前に病に侵され、すでにこの世を去ってしまったからだ。 アルバイトスタッフとしてお世話になっていた当時、社長さんの愛車はその年に新車で手に入れた1992年式ポルシェ911カレラ2だった。タイプ964の5速MT、グランプリホワイトのボディカラーに内装はブラックレザー。オプションで17インチカップホイール、スペシャルシャーシ、スライディングルーフを選択。スポーツシートやリアワイパー、さらにはその気になれば手に入れることもできた964RSはあえて選ばなかったそうだ(後に964RS用純正リアバンパーに交換している)。 車検を含めたメンテナンスはミツワ自動車のみ。当時定番の組み合わせだが、ポイントを押さえた仕様だと思う。 仕事が終わったあとの30分くらいではあるのだが、ときどき社長さんがドライブに連れだしてくれた。当時はまだ高校生。本来であれば、自分の日常とは別世界にいるはずの964カレラ2に乗せてもらう時間が至福のひとときだった。その結果、自分自身もポルシェ911という「底なし沼」にどっぷりとハマることになり、後に現在の愛車となる「プラレール号」こと1970年式ポルシェ911Sを所有することとなる。 結局、その964カレラ2は2005年末に納車された997カレラSに乗り替えるまで、社長さんが保有するガレージに収まっていた。この964カレラ2、ガレージで保管しているときは時間が止まっているのかと錯覚してしまうくらい、常に新車同然のコンディションを保っていた。こっそり17インチカップホイールの内側を指でなぞってみてもブレーキパッドの粉が付着しないのだ。 「964カレラ2にはあまり乗らず、ガレージで塩漬けにしていたんでしょ?」と思われるかもしれない。いやいやとんでもない。旧ポルシェオーナーズクラブに所属し、クラブの走行会では雨の日でも富士スピードウェイをガンガンに攻めていたし、高速道路では「ポルシェらしい走り(察してください)」で3.6リッターの空冷フラットシックスを思う存分に「吠えさせて」いた。 ひとしきり走り終えてガレージに戻ってくると、夜遅い場合はホイールやフロントバンパーに付着した虫を拭き取る程度で済ませていた。そして後日、エンジンルームやホイールの内側までたんねんに汚れを落としていた。その積み重ねが新車同然のコンディションを生み出していたと思う。 964カレラ2の前に所有していたのが1984年式の911カレラで、こちらはクラブ主催のコンクールデレガンスで3度も優勝したというから、その実力は折り紙つきだ。こんな人が身近にいたら、影響を受けない方がどうかしている。社長さんのようなコンディションは維持できないけれど、洗車に関してはそれなりの流儀が身についてしまった。 洗車するときは風が弱い曇りの日。ボディの汚れを落とすときはスポンジを使いつつ、常に水を流しながらゆっくとていねいに。ワックスはSoft99の半練り一択。1パネルごとに新品のスポンジを1個ずつ使って練り込む。スポンジは使い捨てだ。仕上げはネルクロスだったと思う。洗車が終わると、水を飛ばすために近所をひとまわり。もちろん油温が安定するまで走る。端から見る限り、特別なことは何もしていない。ただ、洗車を終えると、そこに新車同然の964カレラ2がたたずんでいるのだ。その後、自分の愛車を洗車する際、いくら真似をしても社長さんのような仕上がりにはならなかった。 ■意識しすぎて乗るのが辛くなったという、あるロードスターオーナーの話 数年前、とある媒体の案件で、マツダ ユーノスロードスターオーナーを取材する機会があった。シリーズ2のVスペシャルIIは惚れ惚れするほどのコンディションで思わず「譲ってください!」と口から出かかってしまったほどだ。 ちなみに、VスペシャルIIの前にはM2 1001に乗っていたという。取材中に「レアモデルゆえの緊張感が、いつのまにか負担になっていたようです。例えば、ちょっとした用事でクルマから降りるときも目が離せなかったり、壊したくないと“貴重品”のように扱っているうち、自分のものではないような感覚になってしまっていました」とオーナーがおっしゃった。 M2 1001といえば、販売当時から争奪戦が繰り広げられ、いまでは市場にもめったに姿を現さない。300台のうちの何台かは海外に流失しているという話も耳にする。貴重であるがゆえに目が離せないという緊張感は、やがてストレスに変わる。せっかくのM2 1001をドライブするのが苦痛になってしまってはあまりにも辛い。そこでオーナーはM2 1001を手放し、VスペシャルIIに乗り替えたそうだ。貴重なモデルを所有していた方ならではのエピソードだけに、とても説得力があった。 ■あるハチロクオーナーを取材したときに気づいたこと また別の取材では、28年間、ハチロクを所有しているという女性オーナーの方にお会いする機会があった。集合場所にやってきたハチロクは、年式相応に使い込まれた「いいヤレ具合」を醸し出していた。 取材した日は、冬晴れの、風が強い日だったと思う。インタビューをしているあいだ、オーナーさんはフロントガラスをサンシェードで覆い、車内に日差しが入らないように愛車を保護していた。たとえ数時間であっても、少しでも紫外線によるダメージを防ぎたいのだと思った。 取材中、車内の様子を拝見させてもらうと、ナルディのステアリングのグリップの一部が劣化していたり、純正シートのサイドサポートも少しクタッとしていた。まさに1人のオーナーが使い込んできたからこそ刻まれた年輪のようだった。 さらに取材を進めていくうちに、ハチロクのエンジンや足まわりなどの機関系のメンテナンス、そして愛車の異変を察知する嗅覚の鋭さには驚かされた。些細な異変も敏感に察知し、主治医に診てもらうと、確かに不具合が生じていたそうだ。 この2つの取材が自分にとってのターニングポイントとなった。愛車の傷や劣化に一喜一憂していたら辛くなるいっぽうだ。走らせる以上、汚れもするし傷もつく。それはもう「オーナーだけの特権であり、勲章」として受け止め、機関系のコンディション維持に注力しようという、至極あたりまえな結論にようやくたどり着いた。 ■まとめ:30年近い苦悩の果てに「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」と気づく 沖縄や奄美地方はすでに梅雨入りしているが、本州地方もそろそろだろうか。愛車を所有するオーナーの方たちも、春先から続いたイベントやツーリングのお誘いなどが一段落した頃だろう。 古いクルマを所有するオーナーにとって、秋から冬に掛けての出番に備え、ここ数ヶ月は愛車のメンテナンスや、冬眠ならぬ夏眠(?)の時期に入るんだと思う(いっぽうで、降雪地帯にお住まいの方は冬場もガレージで眠らせるのだろうから、思う存分に愛車との時間を楽しめるのは年に半分くらいという方もいるかもしれない)。 エントリーしているイベント、あるいは仲間同士で出かけるツーリングなど。雨天延期、あるいは中止であればいいのだが…。問題は「朝、集合する時点では晴れか曇りでも、出先でほぼ確実に雨が降る」場合だ。いわゆる「微妙な天気」というやつだ。お天気アプリの時系列予報をチェックすると雨マークがしっかりと表示されている。ゲリラ豪雨などがいい例だ。 自分の愛車も錆対策が施されていないので、本音をいえば足車で参加したい。しかし、それでは他のメンバーに申し訳ない気がする。クルマを濡らしたくないというのが本音だ。事実、イベントの参加を断念したこともあった。そのときの後味の悪さといったら…。 しかし、ユーノスロードスターやハチロクのオーナーのおふたりから話を伺ってからは少し考え方を変えた。わざわざ雨のなかを走ろうとは思わないが、多少濡れても仕方がない。おふたりのおかげで、少し時間が掛かったけれど、ようやく愛車との適度な距離感がつかめたのかもしれない。 投機目的で愛車を所有しているわけではないし、コレクターズカーにするつもりもない。ふとした空き時間に走りを楽しむために手に入れ、いままで所有してきたのだ。至極あたりまえだが、走れば汚れるし、傷もつく。それに対して一喜一憂していたら身が持たない。 少年時代のアルバイト先の社長さんを師と仰いでからすでに30年以上の年月が経った。遅まきながら、ようやく「適度な緩さがあった方が愛車とは長く付き合えるんじゃないか」という結論にたどり着けた気がする。 [画像・TOYOTA,Mazda ライター・撮影/松村透]  

愛車がすべてという考えはいささか危険かもしれないという話
旧車の魅力と知識 24.05.20

愛車がすべてという考えはいささか危険かもしれないという話

これまで何百人という方に愛車にまつわるお話を伺ってきた。そのなかには「愛車を維持するために人生を掛けている」あるいは「愛車がなくなったら自分は廃人になってしまうかもしれない」と本気でいい切るオーナーも少なくない。 ■愛車がすべて。その気持ちは痛いほど分かる 憧れのクルマを手に入れてから今日まで、惜しみない愛情と時間、そして多額の費用を投じて所有してきたのだから、もうあとには引けないという思いもあるのかもしれない。 筆者自身、一生モノと固く心に誓って維持している愛車がある。仕事が忙しいときには車庫にある愛車を眺め、運転席に座るだけでも気持ちが落ち着く。ある意味、精神安定剤的な役割も担っているのかもしれない。乗れなくてもいい。そこにあるだけで満たされる。 そしてふと思うことがある「このクルマがなくなってしまったら自分はどうなってしまうんだろう」と。そんなこと考えたくもないし、あえて考えないようにしているフシもある。それはなぜか。結末がどうなるか。自分がいちばんよく分かっているからだ。 ■「代わりになるものが存在しない」という怖さ せっかくの機会なので、(ちょっと怖いけれど)自分自身の気持ちを掘り下げてみる。愛車を手放したことで、とてつもない喪失感に襲われ、仕事が手につかなくなるだろう。「仕事は最大の逃げ場」という人もいるが、幸か不幸か自分の場合はクルマに関することを生業にしている以上、逃げ場がない。 おそらく、気晴らしにWebカーセンサーやGoo-netあたりで代わりになるクルマを探してみるはずだ。ものすごく前向きに考えると(対象となったクルマには申し訳ないが)リハビリ用として「以前からなんとなく欲しいと思っていた」クルマを選び、あまり深く考えずに買うんだと思う。あくまでもリハビリ目的として。 このとき「元」となってしまった愛車と似たようなジャンルのクルマを選ぶと、無意識のうちに比較して落ち込みそうだ。そこで、あえてまったく別のモデルを選ぶべきかもしれない。こうしてリハビリをしつつ「時間が解決してくれる」のを静かに待つしかなさそうだ。 ■逃げ道が女性という思考は危険かもしれない 自分の人生のすべてを掛けて愛車に捧げる行為は尊いことだと個人的に思う。ただ、どれほど大切にしていても、いつかは自分の手元を離れるときが必ずやってくる。それが「いつか」であって、「いつなのか」は分からない。もしかしたら、Xデーは明日かもしれない。 少し前にNSXとNRを手放してまで1人の女性に捧げたすえ、最悪の結果となってしまった事件があった。コトの是非はともかく、容疑者が手塩に掛けたであろう2台の愛車を手放し、それでも想いを寄せた女性に拒絶されたときの絶望感を想像したクルマ好きの人も多いと思う。 クルマやバイクに興味がない、あるいはそれほどのめり込む対象がない人にとってはとうてい理解しがたい、というか理解不能だろう。しかし、大げさでも何でもなく「生きる糧」を失ってしまうくらいの喪失感があることも事実だ。 もっとも、容疑者が一方的に想いを寄せていたようなので、本人からすれば「可愛さ余って憎さが百倍」となったことが今回の結末を招いてしまったとしたら…何ともいたたまれない。 おそらくは盲目的にNSXとNRを大切にしていたであろうし、同じように被害者の女性にも想いを寄せていたのかもしれない。ただ、クルマやバイクはその想いを受け止めてくれるけれど、相手が人間(ましてや異性)ともなればそうはいかないことの方が多い。 ましてや、被害者の女性は水商売だし、どれほどの大金を貢いだとしても振り向いてもらえる確率は限りなくゼロに近いと考えてしまうのは、悲しいかな他人事であり、当の容疑者だって、そんなことはいわれるまでもなく頭では分かっていたはずだ。 ■それでも逃げ道はあった方がいい 正直、自分でもいいことだとは思っていないのだが、公私ともにクルマ漬けの日々だ。いざというときに潰しが効かない。好きなことを仕事にできていいねといわれることもあるし、自分でもそうだと思うこともある。 以前、仕事と割り切ってあまり興味のないジャンルを扱う企業に入社し、勤務中はもちろん、雑談のときにクルマのクの字も出てこなかったことがあった。そもそもクルマに興味がある人が周囲に誰も居なかった。ストレスが限界に達すると、勤め先のビルの地下駐車場に行って停まっているクルマを眺めて気持ちを落ち着かせていた。 とはいえ、いまの仕事も当然ながら楽しいことばかりではない。クライアントから無理難題をふっかけられることだって(よく)ある。ふと、目の前からクルマという存在を消してしまいたくなるのだが、現実にはそうはいかない。生活が掛かっているからだ。休んだ分、確実に収入が減る。 そんなとき、旅行やスポーツ観戦に行くとか、バンド活動に勤しむとか。クルマから離れてまったく別ジャンルの世界で楽しみを見つければいいのだが…。なぜかクルマ以上に夢中になれるものがいまのところ見つからない。これはこれで意外と辛い。 あるとき気づいたのが、無理にのめり込むものを見つけようとせず、近くの温泉に行ったり、ふらりと旅行をしてみるなど、「なんとなく逃避できる場所やジャンル」をそのときの気分で探せばいいのではないかと思うようになった。無理矢理逃げ場を見つけようとせずに、こちらも「時間が解決してくれる」くらいがいいのかもしれない。 自分自身への戒めを込めて、いざというときのために逃げ道を作っておいた方がいいのかもしれない。 [画像・Porsche,Alfaromeo,Jaguar,Honda,Mazda,Adobestock ライター・撮影/松村透]

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